青森地方裁判所 平成9年(ワ)434号 判決 2003年12月19日
原告
A
北海道f市g町h番i号
原告
B
a市大字b字cd番地e号
原告
C
a市j町k番地のl
被告
D
a市mn丁目o番p号
被告
E市
代表者市長
F
主文
1 被告Dは,原告Aに対し,89万6000円及び内77万6000円に対する平成8年12月25日から,内12万円に対する平成15年12月19日から各支払済みまで年5分の割合による金員を,原告Bに対し,44万8000円及び内38万8000円に対する平成8年12月25日から,内6万円に対する平成15年12月19日から各支払済みまで年5分の割合による金員を,原告Cに対し,44万8000円及び内38万8000円に対する平成8年12月25日から,内6万円に対する平成15年12月19日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,原告らに生じた費用の120分の1と,被告Dに生じた費用を被告Dの負担とし,原告らに生じたその余の費用と被告E市に生じた費用を原告らの負担とする。
4 この判決の主文第1項は,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1 被告らは,各自,原告Aに対し,5535万6475円及び内5035万6475円に対する平成8年12月25日から,内500万円に対する本判決言渡の日から各支払済みまで年5分の割合による金員を,原告B及び同Cに対し,それぞれ2689万0691円及び内2439万0691円に対する平成8年12月25日から,内250万円に対する本判決言渡の日から各支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言。
第2事案の概要
1 本件は,亡G(以下「G」という。)が被告Dの運転する車両にはねられて被告市の開設する病院で手術を受けたが,その後容態が悪化し,肝性昏睡により死亡したことを理由に,Gの遺族である原告らが,被告Dに対しては,自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)3条又は不法行為に基づき,被告市に対しては,民法715条1項の使用者責任又は診療契約上の債務不履行に基づき,Gに生じた損害(治療費,入院雑費,逸失利益及び慰謝料合計9756万2764円),原告Aに生じた損害(葬儀費用157万5093円)及び弁護士費用(原告Aにつき500万円,原告B及び同Cにつき各250万円)の賠償を求めた事案である。
2 争いのない事実等(当事者間に争いがないか,証拠によって容易に認められる。)
(1) 当事者
原告Aは,Gの妻であり,原告B及び同Cは,Gの子である。Gは平成9年2月2日死亡し,原告Aは2分の1,原告B及び同Cはそれぞれ4分の1の割合でGの権利義務を相続した。
被告Dは自己所有の車両を運転してGに傷害を負わせる交通事故を発生させたものであり,被告市は,受傷したGが搬送され,その治療に当たったE病院を経営するものである。
(2) 交通事故の発生
Gは,次の交通事故(以下「本件事故」という。)により傷害を受けた。
日時 平成8年12月25日午前6時20分ころ
場所 a市大字b字rs番地先路上
加害車両 被告D運転の軽四輪貨物自動車
態様 事故発生場所は,交通整理の行われていない丁字路交差点を右折後t方面に約30メートル進行した地点の路上であるところ,被告Dは,同交差点をu方面からt方面に向かい右折進行した後,道路前方の交通の安全を確認しながら進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,前方道路の交通の安全確認不十分のまま,右折後漫然加速して進行した過失により,折から右方道路左肩をt方面に向かい犬の散歩のため歩行中のGに,その背後である左後方から車両前部を衝突させた。
(3) Gの受傷内容とE病院による診療の経過
平成8年12月25日(以下,特に断らない限り平成8年である。)
Gは,午前6時50分ころ,救急車でE病院に搬送された。レントゲン検査の結果,Gは,左大腿骨転子間骨折,左上腕骨頚部骨折及び大結節骨折と診断された。また,同病院ではバイタルサインのチェックと血液検査,心電図検査,胸部レントゲン検査を行い,γ-GTPが211などの数値を確認した。その後,CTやMRI検査をした結果,左大腿骨転子間骨折は保存治療では長期を要し,骨癒合に至る可能性も少なく,患者の負担も大きい,左上腕骨骨折は大結節の螺子固定,左大腿骨はガンマネイルによる固定が骨癒合率が最も高く患者の疼痛の軽減にもつながるとの結論に達した。前記検査結果からもGは手術には耐えられると判断された。同日リスミー,アルタットを投与した。
12月26日 セルシン,アルタットを服用させ,午前10時からNLA法による全身麻酔を行い,上記方法により接合手術を実施した。その際,麻酔薬ドロレプタン,フェンタネスト,プロポフォールを使用した。手術後の固定性は良好であり,全身状態の変化はなく病室に帰室した。その後アダラートを内服させた。
12月27日 インシュリンを3回皮下注射し,血液検査を施行するが,輸血の必要を認めなかった。
12月28日 ドレーンを除去した。創傷の状態は良好であった。
12月29日 座位の保持が可能となった。
12月30日 意識が朦朧となり,呼吸が激しく,冷や汗が出た。午後4時ころ,家族からの連絡によりH医師が診察したところ,意識レベルはジャパンコーマスケールで1-1-3で,瞳孔はやや大きく感じられたが,左右差はなく対光反射も認められた。頭部CT,血液ガス分析,尿ケトン,血糖検査をしたが,不穏状態の原因は判明しなかった。
午後6時ころ,I医師が血液検査を行うと,アンモニア値が302となっていた。血液ガス分析では,呼吸性アルカローシスを示していた。アミノレバン,セレネースの投与をしたが,不穏状態の改善はなかった。内科の医師が肝機能異常を疑い超音波検査をしたが,肝硬変はないものと診断した。
12月31日 Gは,午前1時ころから昏睡状態となり,同9時過ぎに集中治療室に転室,同12時前に痙攣が出現し,アンモニア値は878となっていた。
平成9年1月6日 脳波がほとんど停止した。
同年2月2日 死亡
(4) Gの死因については,死亡証明書(甲5)によれば,直接死因は肝性昏睡,その原因は高アンモニア血症,その原因は不明とされている。剖検記録(甲8)によれば,病理解剖学的診断として,主病変診断名に肝線維症(アルコール性+うっ血性+肝内門脈短絡路)とされ,備考として「肝類洞壁硬化著しく,結果として肝内性門脈中心静脈短絡路を形成,肝性昏睡の原因となる。その他門脈圧亢進も存在。肝外性門脈空静脈吻合が出現した可能性も考えられますが,不確認」とされている。
第3争点
本件の争点は,①高アンモニア血症の原因は何か,②高アンモニア血症の発症に関し,担当医師に過失が認められるかどうか,③Gが死亡するに至ったことについて被告Dに責任があるかどうか,④損害額である。
1 高アンモニア血症の原因
(原告ら)
Gには,本件事故による受傷前に,飲酒と糖尿病による内臓のダメージがあったことを基礎として,すでにその肝臓において肝類洞壁硬化により肝内門脈中心静脈短絡路が形成されていた。そのため本件事故による受傷,手術によるストレス,手術時の麻酔や術前術後の鎮痛剤が引き金となり,高アンモニア血症をきたし(高アンモニア血症をきたした原因の一つとして,手術や投薬等により消化管出血が生じ,これにより発生したアンモニアが肝臓で処理されずに肝内短絡路を介して全身に波及したことが考えられる。)肝性昏睡から死亡に至ったものである。
(被告市)
Gが消化管出血を来した可能性はなく,本件手術後,Gが急激な高アンモニア血症を起こした原因は不明である。
2 被告らの責任
(1) 被告Dの責任
(原告ら)
被告Dは,加害車両を所有し,自己のために運行の用に供していたものであるから,本件事故による原告らの損害につき自賠法3条による責任がある。また,同被告は,その過失により本件事故を発生させたものであるから,原告らの損害につき民法709条による責任がある。医療行為は,身体に対する侵襲行為たる性質をも有するものであるから,治療行為の種類によって程度の差はあるにしても,本来的に危険を包蔵していることは否定することができず,したがって,受傷者の治療の過程においてこのような危険が現実化して損害が拡大した場合には,それが医師の重大な過失に起因する等加害者に責任を負担させるのを不相当とするような特段の事情がない限り,同結果についても加害者に責任が及ぶものと解するのが相当である。
また,被告Dは,Gが道路左側,しかも中央寄りを歩行していた点に過失があり,過失相殺の程度は1割程度が相当と主張する。しかし,Gが散歩していたのは,道路の端であり,過失相殺されるべき事情はない。仮に同被告の主張するとおり,Gが道路左側,しかも中央寄りを歩行していたとしても,同被告は,事故時無免許であるうえ,事故当日の午前0時30分までスナックで飲酒していたもので,飲酒運転の疑いもある。かかる同被告の重大な過失に鑑みれば,本件被害者のGについて過失相殺すベきではない。
(被告D)
本件におけるGの死亡は,本件事故と相当因果関係はなく,また,E病院の医師の注意義務違反と,被告Dが起こした交通事故との間には客観的関連共同性はない。また,Gも道路左側,しかも中央寄りを歩行していた点過失があり,その程度は1割程度が相当である。本件は医師の術後の観察義務違反の事案であり,医師の義務違反の有無の判断は,医師の治療に関する高度の判断事項を問題とするものであるから,仮に義務違反があったとしても,これと本件事故との間に意思の連絡及び行為の同質性は全くない。仮に共同不法行為が成立するとしても,寄与度に応じた部分のみを負担するのが相当である。
(2) 被告市の責任
担当医師の過失(注意義務違反)の内容
ア 担当医師による術前検査の不適切
(原告ら)
担当医師は,術前検査において,γ-GTPが211と正常値を遙かに上回っており,リンパ球の減少4,クレアチンキナーゼ247などの異常値を示していたのに,これらの検査結果を全く無視して手術を実施した。血糖値の検査も単回チェックのみで耐糖能検査や病状を知る上で最も信頼性のあるヘモグロビン・エーワンシーなどは検査していない。多くの臨床検査の異常値を知りながら,内科コンサルタントを受けることなく緊急に手術をしている。
(被告市)
Gは,平成元年8月以来,糖尿病により,E病院に入通院していたが,この間,定期的に肝機能検査をするも,飲酒によるγ-GTPの高値以外に異常値はなかった。12月3日には腹部超音波検査及び血液検査を行ったが,肝臓に異常所見は認められていない。本件入院時の12月25日の一般検査でも肝機能異常を疑わせる結果は認められていない。したがって,本件手術に当たり,担当医師は必要な検査,診察を行っている。
イ 担当医師による手術の方法の不適切
(原告ら)
担当医師は,本件手術に当たり,出来る限り,内臓,特に肝機能に負担を与えない麻酔薬を使用し,局所麻酔やケターミン麻酔などの軽い麻酔薬を使用すべきであり,また,手術前後の鎮痛剤も肝障害や消化管出血の危険を考慮して慎重に投与し,抗生物質も予防的に使わず,感染した後に使うなど配慮すべきであったのに,漫然通常人と同じ麻酔薬を使用し,鎮痛剤も使用した。同薬剤のうち,ドロレプタン,フェンタネスト,プロポファール,パンスホリン,ボルタレンはいずれも高度の肝機能障害を起こすものであり,ボルタレンは消化器潰瘍のある患者には禁忌となっている。セルシン,リスミーなどの向精神薬も肝機能障害の引き金になった可能性がある。
(被告市)
Gに投与された薬剤のうち,ボルタレン以外は重大な副作用として肝障害を起こすものはない。ボルタレンにしても重大な副作用は外国においての報告例というだけで,可能性があるとしても頻度は極めて低い。肝機能障害がある場合に慎重投与というのはほとんどすべての薬剤について言えることであり,特段本件手術に関して使用した薬剤が他の薬剤に比較して肝機能障害を引き起こすわけではない。現実にも12月31日のGOT,GPTは正常範囲であり,広範な肝壊死の所見は認められていない。
消化管出血についてはそもそも生じていない。また,本件手術の当時,Gに消化管潰瘍があったということはない。
ウ 担当医師による術後の検査の不適切
(原告ら)
Gには飲酒歴と糖尿病歴があったので,術後肝不全の発生の危険があり,また,消化管出血を起こしやすい状態であったから,担当医師は,手術後は肝機能や貧血の検査を行い,容態の推移を注意深く見守るべきであった。しかるに,担当医師は,Gの容態が急変した12月30日まで肝機能や貧血の検査を怠った。
(被告市)
前記アのとおり,手術前に肝機能異常がなく,このような場合に術後に肝機能の異常を来すことは普通はなく,さらに術後直ちにGに肝機能異常を疑わせる症状もなかったから,術後の肝機能検査を行わなかった。また,意識障害をきたした12月31日の段階でもGOT29,GPT39,総ビリルビン0.9と正常範囲であったから,術後12月30日までの間に検査をしてもGOT,GPTが異常値を示すことはなかったと推定される。したがって,急激な変化は予測できなかった。
また,そもそもGに消化管出血は生じていないし,Gが消化管出血を起こしやすい状態であったこともない。
エ 担当医師による高アンモニア血症の診断の遅滞
(原告ら)
Gは,手術後貧血の進行が明らかであったのに,担当医師はその原因の解明を怠り,消化管出血を看過した。
また,12月30日当時Gは貧血が進行していた上,アクティブな行動がない,指南力がない,傾眠傾向,朦朧状態が見られ,軽度の意識障害の容態を示していたのであるから,担当医師は,術後肝不全を疑い,直ちに対応し,肝機能の異常,アンモニア値の上昇が見られれば,肝性昏睡と診断し,アミノレバンの投与や血液ろ過透析で血中アンモニアの除去を早期かつ精力的に行うなど,肝性昏睡の原因となるアンモニアの発生を強力に阻止し,肝不全による中枢神経の高度障害を回避すべきであったにもかかわらず,これを怠った。
(被告市)
Gに消化管出血は生じていないし,手術後貧血が進行したということもない。
また,担当医師は,Gの容態急変後,前記のように適宜対応している。容態の安定していたGがなぜ急激な肝性昏睡を起こしたかは不明であり,予見可能性がないものであった。
3 損害額
(原告ら)
(1) Gに発生した損害
① 治療費 93万2439円
② 入院雑費 5万2000円(40日×1300円)
③ 逸失利益 7057万8325円
④ 慰謝料 2600万円
(2) 原告Aに発生した損害
葬儀費用 157万5093円
(3) 原告らに発生した損害
弁護士費用 1000万円
(被告D)
治療費については認めるが,被告Dにおいて支払い済みである。
その余の損害は争う。
(被告E市)
損害は争う。
第3争点に対する判断
1 争いのない事実等,証拠(以下の各項に記載)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。
(1) GのE病院における治療歴(丙2~3,丙9,証人I)
Gは,平成元年8月23日,E病院第一内科ではじめて受診し,糖尿病と診断され,同月31日から同年9月26日まで入院治療を行った。
以後,GはE病院で外来診療を継続して受けており,血糖コントロールは徐々に不良となっていったが,肝機能については,本件直近の検査で,肝疾患や飲酒の指標となるγ-GTPが239u/l〔被告病院における基準値(以下,単に「基準値」という。)16~73〕と高値を示している以外は正常範囲内であった。
(2) GがE病院に搬送されてから高アンモニア血症を発症するまでの治療経過等〔甲25,26の4,丙1の1・2,7,9,原告本人A(第4回弁論実施分),証人I,証人J〕
ア 12月25日
午前6時50分ころ,Gは救急外科外来に搬送され,そのまま入院することとなった。Gの負った傷害は,当初90日間の入院治療を要したと推定されるものであった(甲26の4,86丁)。
入院後,諸検査が行われるとともに,輸液製剤の輸液が開始された。検査の結果,Gに肝硬変の兆候は認められず,血液検査において,肝疾患や飲酒の指標となるγ-GTPが211u/l(基準値16~73),筋肉などの異常の目安となるクレアチンキナーゼが247u/l(基準値55~185)と,いずれも高値を示していたが,その他は概ね基準値内であった〔肝機能の指標となる数値は,GOT31u/l(基準値8~38),GPT25u/l(基準値4~44),総ビリルビン0.39mg/dl(基準値0.2~1.0)と,基準値内であった。また,貧血の診断の目安となる数値は,赤血球数410万個/μl(基準値410~530),ヘモグロビン13.0g/dl(基準値12.4~17.2),ヘマトクリット37.9%,(標準値38~50)といずれも基準値内であった。止血機能の診断に用いられる血小板数は23.9万個/μl(基準値13~34)で基準値内であった。〕。
午後2時,Gは水分摂取を許可された。
午後9時ころ,リスミー2mg(睡眠導入剤),アルタット75mg(H2ブロッカー)を服用した。
イ 12月26日
午前8時ころ,Gはセルシン10mg(鎮静剤),アルタット75mg(H2ブロッカー)を服用した。
午前10時,Gは手術室に入室し,NLA原法により全身麻酔が導入され,その際,プロポフォール(全身麻酔剤),ドロレプタン(麻酔用神経遮断剤)及びフェンタネスト(麻酔用鎮痛剤)が使用された。手術は午前10時44分に開始され,午後12時24分に終了した〔手術時における貧血の診断の目安となる血液検査値は,赤血球数352万個/μl(基準値410~530),ヘモグロビン10.8g/dl(基準値12.4~17.2),ヘマトクリット32.4%,(基準値38~50)といずれも基準値を下回り,貧血状態にあることが示されていた。止血機能の診断に用いられる血小板数は23.4万個/μl(基準値13~34)と基準値内であった。〕。
午後4時30分ころ,最高血圧が180に上昇したため,アダラート(降圧剤)を内服した。
午後8時ころ,ボルタレン50mg(鎮痛・解熱・抗炎症剤)が使用された。
ウ 12月27日
午前8時ころ,血液検査が行われ,貧血の診断の目安となる検査値は,赤血球数330万個/μl(基準値410~530),ヘモグロビン10.4g/dl(基準値12.4~17.2),ヘマトクリット31.4%(基準値38~50)と,いずれも基準値を下回り,貧血状態にあることを示していた。止血機能の診断に用いられる血小板数は20.8万個/μl(基準値13~34)と,基準値内であった。
エ 12月28日
創の状態は良好で意識状態は清明であった。
午後9時ころ,リスミー2mg(睡眠導入剤),ボルタレン50mg(鎮痛・解熱・抗炎症剤)が使用された。
オ 12月29日
座位保持が可能となり,見舞いに訪れた友人と談笑できるまで回復した。
午後9時ころ,ボルタレン50mg(鎮痛・解熱・抗炎症剤)が使用された。
カ 12月30日
午前の回診の際,Gは全身の倦怠感を訴えたため,回診した医師は風邪と判断し,総合感冒薬ダンリッチを処方した。その後,職場の友人が見舞いに訪れた際に,Gは普通に会話をしていた。
昼食は2分の1摂取したが,午後2時ころには元気のない様子であり,倦怠感を訴えていた。
午後4時ころ,Gの意識レベルが低下したため,診察した医師は脳出血や脳梗塞を疑い,頭部CT,血液ガス分析,尿ケトン,血糖の検査を行うも,原因は判明しなかった。そこで,午後6時ころ,第一内科の医師に診察を依頼し,血液検査を行ったところ,肝性脳症の診断に用いられる血中アンモニアが302μg/dl(基準値55~115)と,基準値を上回っており,肝性脳症であることがうかがわれた。黄疸の診断に用いられる総ビリルビンは1.0mg/dl(基準値0.2~1.0)と基準値内であった。
診察に当たった医師は,血中アンモニアの上昇があったため,肝性脳症改善に効果のあるアミノ酸製剤のアミノレバンの投与を開始した。しかし,不穏状態の改善がなかったため,午後9時30分に鎮静剤セレネースの静脈内投与がされた。
キ 12月31日
Gの状態は改善せず,午前1時ころには昏睡状態に陥り,午前2時40分ころに行われた血液検査では,血中アンモニアが878μg/d(基準値55~115)と更に上昇していた〔その他の検査結果は,貧血の診断の目安となる数値は,赤血球数302万個/μl(基準値410~530),ヘモグロビン9.6g/dl(基準値12.4~17.2),ヘマトクリット27.9%,(標準値38~50)と,いずれも基準値を下回り,貧血が進行していることがうかがわれた。止血傾向を示す血小板数が36.4万個/μl(基準値13~34)と,基準値をやや上回っていた。肝機能の指標となる数値は,GOT29u/l(基準値8~38),GPT39u/l(基準値4~44),総ビリルビンも0.9mg/dl(基準値0.2~1.0)といずれも基準値内であった。〕。
午前7時21分ころに再度血液検査が行われたが,血中アンモニアは666μg/dl(基準値55~115)と,基準値を大きく上回る状態が続いており,午前9時ころ,集中治療室に転室となった。
ク なお,本件手術後の治療過程においては,抗生物質製剤のパンスポリンが用いられていた。
(3) Gの肝臓の状態(甲26の5,30,丙8の1・2,証人K)
G死亡後の病理解剖の結果,Gの肝臓に肝硬変は認められず,主病変は肝線維症〔肝硬変にまで進展しない肝の線維増生のこと(甲30)〕であり,肝類洞壁が硬化し,肝内性門脈短絡路の形成が疑われた〔剖検記録(甲26の5)には,肝内性門脈短絡路が形成されていたかのような記載がされているが,実際には,明瞭な肝内性門脈短絡路は形成されておらず,短絡路の形成を疑わせる所見があるにすぎない(丙8の2,証人K)〕。
肝細胞の破壊状態はほとんどなく,生前の健常時の状態の肝臓を維持していた(証人K)。
(4) 高アンモニア血症に関する知見〔甲29,39,丙7,証人J,鑑定(以下「Y鑑定」という。)〕
血中アンモニアの上昇は,肝性脳症の原因とされる。アンモニアの分解は肝で行われるもので,高アンモニア血症の発生は,肝での代謝の障害とアンモニアの産生増加という,相対的な処理能力を越えた状態に基づく(甲39)。
高アンモニア血症をきたす疾患あるいは病体には種々のものがあげられるところ,成人にみられる症例の多くは,肝疾患を基礎とし肝での代謝機能が著しく障害された場合に生じるが,明らかな肝障害の存在を認めない門脈大循環短絡路形成が主因となる例も希に存在する(Y鑑定)。
Gにその形成のあったことが疑われる肝内性門脈短絡路とは,門脈(消化管から入ってくる静脈のこと)から肝中心静脈への短絡路であり,これが形成される結果,門脈血が類洞〔(概ね)肝臓内を走る毛細血管のことであり,肝臓に流れ込む門脈血(静脈血)が類洞を流れる間に,肝細胞の作用により血液中の有害物質や血糖値の調整がなされ,類洞を流れた血液は,最終的に肝中心静脈に集まり肝外に流れ出る。〕を流れることなく直接に中心静脈に流れ込むことになり,類洞における解毒作用が行われないことになる(証人J)。
アンモニアのほとんどは腸管内で産生され,腸管内でのアンモニア産生増加の原因のひとつとして,消化管出血がある(甲39)。
(5) 使用された薬剤に関する知見(甲15~22,36)
ア ボルタレン(鎮痛・解熱・抗炎症剤)
消化性潰瘍のある患者には禁忌とされている。
また,肝障害またはその既往症のある患者には慎重投与とされており,外国における副作用として,重篤な肝障害(広範な肝壊死等)が報告されている。
なお,本件後に改訂されたボルタレン説明書には,重要な基本的注意として,「重大な肝障害があらわれることがあるので,患者の状態を十分に観察すること,特に連用する場合には定期的に肝機能検査を行うことが望ましい。また,肝障害に先行して,あるいは同時に急激な意識障害があらわれることがある。」との記載がある(甲36)。
イ パンスポリン(抗生物質製剤)
肝臓に関する副作用として,GOT,GPT,γ-GTPなどの上昇が報告されている。
ウ リスミー(睡眠導入剤)
肝臓に関する副作用として,ときにGOT,GPTなどの上昇があらわれることがある。
エ プロポフォール(全身麻酔剤)
臨床検査値の異常として,GOT,GPT,γ-GTP,総ビリルビンなどが報告されている。
オ ドロレプタン(麻酔用神経遮断剤)
肝障害,腎障害のある患者には慎重投与とされている。
また,副作用として,GOT,GPTの上昇等があらわれることがある。
カ フェンタネスト(麻酔用鎮痛剤)
肝・腎機能障害のある患者には慎重投与とされている。
キ アルタット(H2ブロッカー)
副作用として,ときにGOT,GPTの上昇等の肝機能異常があらわれることがある。
ク セルシン(鎮静剤)
副作用として,黄疸のあらわれることがある。
2 高アンモニア血症の原因について
以上を前提に,まずGの高アンモニア血症の原因について検討すると,Gが死亡するに至った経緯に照らせば,本件事故による受傷,手術によるストレス,手術時の麻酔や術前術後の鎮痛剤等のうち何らかが引き金となり,高アンモニア血症をきたしたことが推認されるが,Gに生じた高アンモニア血症の具体的な原因については,これを特定しうる証拠はない。
原因として多くみられる症例とY鑑定で指摘されている,肝での代謝機能の異常については,Gの肝臓に肝硬変が認められないこと,高アンモニア血症の発症後も,肝機能の指標となる検査数値(GOT,GPT,総ビリルビン)が基準値内にあること,剖検所見においても,肝細胞の破壊状態がほとんどみられないことからして,これが原因とは認められない。また,それ自体が原因となりうるような明瞭な門脈循環系短絡路の存在も認められない。
原告らは,手術や投薬等によりGに消化管出血が生じ,これにより発生したアンモニアが肝内短絡路を通じて全身に波及したことが高アンモニア血症の原因であると主張し,その根拠として,X作成の鑑定意見書(甲37の1~3)及び同鑑定意見追補〔甲41。以下,上記鑑定意見書とあわせて「X意見」という。〕に基づき,手術後,Gが貧血状態にあったことを挙げる。
しかし,X意見自体,Gに消化管出血が生じていた可能性を指摘するに過ぎないものであるところ,Gが貧血状態にあったことが,消化管出血の存在を直接に裏付けるものとはいえないし,カルテや剖検所見にGに消化管出血が生じていたことを窺わせる記載がないことからすれば,Gに消化管出血が生じていたと認めるには足りないというべきである。また,仮に消化管出血により多量のアンモニアが発生したとしても,Gに明瞭な門脈大循環短絡路の形成が認められないことからすれば,肝内での解毒機能が全く機能していなかったとは考えがたく,消化管出血と本件における極めて高いアンモニア値との関連性には疑問が残る。なお,前記認定のように,Gの貧血状態は,消化性潰瘍のある患者に禁忌とされるボルタレンの投与される前の段階で既に進行しており,投与後においてはじめて進行したものではないから,ボルタレンの投与と貧血状態との間に関連性があると認めることも困難である。
他に,Gに消化管出血が生じ,これが高アンモニア血症の原因となったことを認めるに足りる証拠はない。
3 被告E市の責任について
これを前提に,被告E市の責任について,原告らの主張に従い,以下順次検討する。
(1) 術前検査の不適切について
原告らは,術前検査において,γ-GTPが211u/lなどの異常値を示していたのに,内科コンサルタントを受けることなく手術をした旨主張する。
しかし,原告らの主張する検査値の異常は,本件手術の妨げとなるものではなく,術前に行われた検査の結果には,本件手術を実施してはならないような検査結果の異常はなかったと認められ(Y鑑定),内科コンサルタントを受けることなく本件手術を行ったことについて,担当医師に過失があったとは認められない。
また,原告らは,担当医師は信頼性の高いヘモグロビン・エーワンシーといった検査を実施しておらず,術前の検査が不適切であったとも主張する。
しかし,本件で術前検査として行われた諸検査は,通常行うべき必須項目を満たしていたと認められ(Y補充鑑定書),本件手術にあたり,担当医師に原告らの主張するような検査をすべき義務までは認められない。
よって,原告らの主張は採用することができない。
(2) 手術方法の不適切について
原告らは,本件手術の前後に使用された薬剤が不適切であった旨主張する。
しかしながら,前記認定のとおり,Gには手術前において肝機能に大きな問題がなかったのであり,本件手術前後に用いられた薬剤に関する知見によれば,Gの状態に照らして,投与が禁じられていたものがあったとは認められない(なお,使用された薬剤のうち,ボルタレンについては,消化管潰瘍がある場合に禁忌とされているが,本件で,Gに消化管潰瘍が生じていたとは認められず,これを使用したことについて担当医師に注意義務違反があったとはいえない。)。
また,肝機能等に関して慎重投与あるいは副作用の指摘されている薬剤についても,術前・術後を通じて問題とされるような肝機能の異常がGに生じておらず,消化管出血が生じていたことも認められないことからすると,本件手術の前後に使用された薬剤を仮に使用しなかったとしても,高アンモニア血症が発症しなかったということはできず,結果回避可能性があったということはできないから,担当医師に過失があったということはできない。
よって,原告らの主張は採用することができない。
(3) 術後検査の不適切について
原告らは,担当医師は,手術後は肝機能や貧血の検査を行い,容態の推移を注意深く見守るべきであったのに,Gの容態が急変した12月30日まで肝機能や貧血の検査を怠ったと主張する。
しかし,意識障害をきたした12月31日の検査においては,肝機能の指標となる数値はいずれも正常範囲であったから,仮にそれ以前にこれらの検査をしても異常値を示したことはないものと推認されるし,12月28日及び29日のGの状態は良好であったことからすれば,術後検査により高アンモニア血症を予測することは困難であったと認められる。そうすると,担当医師において肝機能や貧血について逐一検査を行っていればGの死亡の結果を回避することができたということはできず,やはり結果回避可能性があったということができないから,この点についても担当医師に過失があったということはできない。
よって,原告らの主張は採用することができない。
(4) 高アンモニア血症の診断の遅滞について
原告らは,担当医師による高アンモニア血症の診断の遅滞を主張する。
しかしながら,血中アンモニアの測定は,通常,肝硬変の存在,門脈大循環路短絡,意識障害の疑いなどがあってはじめて行われるものであり(Y鑑定),そうであれば,術前,肝硬変や門脈大循環短絡路の形成など,高アンモニア血症の発症が懸念される状況がなかった以上,意識障害の生じていなかった12月30日午後4時ころ以前の時点において,担当医師に血中アンモニアの測定をすべき義務があったと認めることはできない。そうすると,これ以前に血中アンモニアの測定を行わず,高アンモニア血症の診断がされなかったことについて,担当医師に過失があったとはいえない。
また,Gの意識レベルが低下した12月30日午後4時ころ以降,その原因を特定するために担当医師により各種検査が行われ,午後6時ころに血中アンモニア値が高くなっていたことが判明したため,アミノレバンの投与が開始され,その後も血中アンモニア値に改善がみられなかったため集中治療室に転院となっているといった診療経過に照らせば,担当医師は,Gの意識障害の原因を特定し,あるいは血中アンモニア値を低下させるために適宜必要な措置を講じていたものと認められ,Gに意識障害が生じた以降の措置についても,担当医師に過失は認められない。
よって,原告らの主張は採用することができない。
(5) 小括
以上のとおり,E病院の担当医師に過失は認められず,従って,被告市の使用者責任あるいは債務不履行責任も認められないから,原告らの主張は採用することができない。
4 被告Dの責任
(1) 本件事故とGの死の結果との因果関係について
本件事故とGの死の結果については,「あれなければこれなし」という意味での条件的な因果関係を認めることはできるが,本件事故によりGの負った傷害は,左大腿部及び左上腕部の骨折で,Gが高アンモニア血症を発症しなければ90日間の入院治療を要したと推定されるに過ぎないものであること(甲26の4の86丁),Gが高アンモニア血症を発症した原因は特定できず,本件事故による傷害と高アンモニア血症の関連は不明であることからすると,Gの死の結果が本件事故により生じたと考えるのは相当でなく,本件事故とGの死の結果との間に相当因果関係を認めることはできない。
そうすると,被告Dは,Gの死の結果について責任を負わず,傷害結果についての限度で不法行為責任を負うと認めるのが相当である。
(2) 過失相殺について
ア 争いのない事実,証拠〔甲24の1・2,乙7,証人L,原告A本人(第3回弁論実施分)〕及び弁論の全趣旨によれば,本件事故後,Gが倒れていた位置は,別紙図面(省略)記載のとおり,本件道路の西側路肩から1~2メートルの地点であったと認められる。そうすると,本件事故の際,Gが歩行していた位置も本件道路西側路肩から1~2メートルの地点であったと推認される。
被告Dは,本件事故の際,Gは道路中央寄りを歩いていたと主張しており,被告D本人も,本件事故の際,被告D車がGと衝突したのは本件道路東側路肩から3メートル程度の地点であると証言している。しかしながら,上記証言は非常に曖昧であり,本件事故後の実況見分の際の指示説明(乙7の92丁,98丁)とも内容が食い違っていることからすると,これを採用することはできず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。
イ さらに,証拠(乙7,証人L,原告A本人,被告D本人)によれば,本件道路は,歩車道の区別が無く,約9メートルの幅員を有しており,本件事故の際には,西側路肩から約1.2メートルの幅で,東側路肩路肩から約1.8メートルの幅で,雪が薄くまばらに積もっていたこと,本件当時,被告Dの運転免許は失効しており,無免許の状態であったことが認められる。
ウ 以上を前提に,Gと被告Dの過失割合について検討するに,Gは,歩車道の区別のない本件道路の進行方向左側を歩行していた点で過失が認められるものの,特段道路中央寄りを歩いていたものではなく,その過失の程度は比較的軽微であるといえる。
他方,被告Dには,道路前方の安全を確認しながら進行すべきという基本的かつ重大な注意義務の違反があるうえ,本件事故当時無免許であったにもかかわらず自動車の運転を行っていたのであるから,過失の程度はGの過失の程度に比して極めて大きいと言わざるを得ない。
そうすると,本件においては,Gについて過失相殺を行うのは相当ではなく,過失相殺を行うべきとする被告Dの主張は採用することができない。
(3) 損害額
被告Dは,Gの死亡結果について責任を負わず,本件事故による傷害の結果(90日間の入院治療を要する左大腿骨転子間骨折,左上腕骨頚部骨折及び大結節骨折)の範囲において責任を負うと解されるところ,被告Dの賠償すべき損害の額は以下のとおりであると認められる。
ア Gに生じた損害
治療費 93万2493円〔争いがない。ただし,被告Dについて支払済みであると認められる(乙1~6)〕
入院雑費 5万2000円(40日×1300円)
慰謝料 150万円
イ 原告らに生じた損害
弁護士費用 24万円
よって,被告Dが原告らに支払うべき損害賠償額は,合計179万2000円(原告Aにつき89万6000円,原告Bにつき44万8000円,原告Cにつき44万8000円)であると認める。
第4結論
以上によれば,原告らの請求は,被告Dについて,原告らに合計179万2000円(原告Aにつき89万6000円,原告Bにつき44万8000円,原告Cにつき44万8000円)の支払を求める限度で理由があるからこれを認容すべきであるが,その余については理由がないから棄却すべきである。
よって,訴訟費用の負担について民事訴訟法61,64条,65条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河野泰義 裁判官 伊澤文子 裁判官 石井芳明)