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青森地方裁判所 昭和23年(行)21号 判決 1948年11月17日

原告

蛯名英一

外六十名

被告

靑森縣知事

主文

原告等の請求は何れも相立たない。

訴訟費用はこれを二分しその一を原告等の、他の一を被告等の各負担とする

請求の趣旨

別紙目録記載の土地所有権が各該当原告に属することを確定するという判決を求める。右請求が理由がないときは被告等が自作農創設特別措置法に基き別紙目録記載の土地を同記載のように買收令書の交付により買收した対價を同記載のように変更する。

事実

原告等訴訴代理人は、請求の原因として別紙目録記載の土地所有権は各該当原告に属するところ被告靑森縣知事は自作農創設特別措置法に基き同記載のように買收令書の交付によりこれを買收し被告等は右土地の所有権が國に帰属したと主張している。ところで右買收の対價は次のように算出決定されたものである。

(一)  対價

(イ)  田、昭和十五年から十九年までの五箇年間の平均水稻反当実收高を二石とし、これを生産者の供出せねばならない部分と保有することができる部分とに分け、それぞれ第一次農地改革(昭和二十年十一月二十三日)当時の公價石当五五円に換算して出た二三四円三六銭に耕作者の副收入反当一四円三九銭を加えた反当総收入額二四八円七五銭から反当生産費二一二円三七銭を差引いた残額三六円三八銭は反当純收入益である。しかし耕作者は收穫につき危險を負担する企業者であるから反当生産費二一二円三七銭の四パーセント八円五〇銭の利潤を得なければならぬ。反当純收益三六円三八銭からこの利潤八円五〇銭を差引いた残額二七円八八銭は地代即ち土地所有者の年收に外ならない。今これを最近発行の國債の利廻り三分六厘八毛で割つて還元して出て來る七五七円六〇銭は耕作者にとつての反当價格である。この價格を中庸田の反当標準賃貸價格一九円一銭で割れば三九・八五倍となる。この端数を切り上げ四〇倍としたものが即ち自作農創設特別措置法第六條にいわゆる田の買收対價に外ならない。

(ロ)  畑、株式会社日本勧業銀行の調査によれば昭和十八年三月三十一日現在の田と畑との賣買價格の比率は一対〇・五九であるからこの比率を田の反当自作收益價格に乘じて得た四四六円九八銭は畑の反当自作收益價格である。これを中庸畑の標準賃貸價格九円三三銭で割つて出て來る四七・九倍の端数を切り上げ四八倍としたもの即ち同條にいわゆる畑の買收対價でなければならぬ。

(二)  報償金

(イ)  田、昭和十五年から十九年までの五箇年間の平均水稻反当実收高二石に基準小作料率三割九分を乘じて得た七斗八升は反当現物小作料であるがこれを第一次農地改革(昭和二十年十一月二十三日)当時の米の公價石当五五円で換算すれば四二円九〇銭となる。これから地主の反当土地負担六円八九銭を減じた差額三六円一銭は地主の反当年純收益である。これを國債利廻り年三分六厘八毛で割つて還元した九七八円五三銭は地主の反当採算價格である。これと前記自作收益價格との差額二二〇円九三銭から端数を切り捨てた二二〇円は同法第十三條にいわゆる田の反当報償金の基準額である。これを同條に基く農林大臣の命令により前述の中庸田反当標準賃貸價格で割つて出た一一・五七倍の端数を切り捨て一一倍とした。

(ロ)  畑、田の地主反当採算價格九七八円五三銭に前敍田に対する畑の賣買價格の比率〇・五九を乘じて得た五七七円三三銭を畑の地主反当採算價格とし、これから前記畑の自作反当收益價格四四六円九八銭を減じた差額一三〇円三五銭から端数を切り捨てた一三〇円は同條所定の畑の反当報償金の基準額である。これを同條に基く農林大臣の命令により中庸畑反当賃貸價格で割つて得た一三・九三倍の端数を切り上げ一四倍とした。

しかし新憲法第二十九條には「財産権はこれを侵してはならない」「私有財産は正当な補償の下にこれを公共のために用いることができる」とあり又同法第八十九條第一項に依れば「最高裁判所(從つて又下級裁判所も)は一切の法律、命令、規則、又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する。」從つて自作農創設特別措置法により政府が農地を買收する場合でも同法所定の対價や報償金が不十分で正当な補償といえない場合は財産権を侵害するものでかような價格又は報償金規定は憲法に違背し当然無效である。

ところで前敍自作農創設特別措置法第六條の対價規定同法第十三條の報償規定は故意に農地買收價格の低減を狙つたもので、その收入計算の一部をとつて観ても米價を石当五五円というような極端に低廉な價格に据置きこれを基準として一連の價格を算出している。憲法に所謂「正当な補償」は取引上認められた本質的経済價格でこの價格は勿論米の闇相場に均しいというのではないが日本銀行兌換劵その他の通貨の発行流通数量その他一般主要物資等の價格等と比較するなど合理的に決定されたものでなければならない。一般に物價は法令で規定されたという理由だけで当然「正当な補償」に轉化するのではない。自作農創設特別措置法第六條第十三條が制定される当時は通貨発行流通量は相当增加しており、なお、急激に增加しようとする勢いにあり又主要物資等の價格も騰貴しおり更に暴騰しようとする動向にあつたに拘らず立法者は毫もこれらの事情を參酌せず前敍のように一般物價に著しく釣合はない基礎價格を設定しこの上に前記両法條を築き上げたものである果せる哉其後短期間に通貨の発行流通量や一般物價は急激に暴騰を累ね本件買收処分(昭和二十二年十月より同二十三年四月まで)当時は米の公價も前記両規定の基礎價格石当五五円の数十倍に達し(熟田一反の買收價格は鮭三尾の代金にも及ばないし、これに数倍する費用をもつて新たな開墾が行われている)右両規定による買收はその実質は無償で農地を取上げると異るところはない、即ち右両法條は憲法第二十九條に低触し当然無効であり從つてこれに基く本件買收処分も亦当然無效であるから先ず本件農地が各該当原告等の所有に属することの確認判決を求める。仮に右請求が理由がなく右両法規に從つてこれに基く本件買收処分も亦有効であるとしてもその價格が著しく低廉で買收当時の正常な経済事情に副わないからこれに副う限度内である別紙記載の價格まで右價格を增額する旨の判決を求めるため本訴に及ぶと陳述し当裁判所が職権で取寄せた農林省統計表を甲第一号証本邦経済統計を同第二号証として各援用し乙第一号証(鑑定書写)の原本の存在及び同書証がその写であることはこれを認めると述べた。

被告等訴訟代理人は光ず原告等の請求は何れもこれを棄却するとの判決を求め答弁として原告等主張のような農地買收処分が爲されたことその対價及び報償金はその主張のような評價算定に基き算定された自作農創設特別措置法第六條第十三條により算出されたものであることはこれを認めるが昭和二十一年法律第四十三号自作農創設特別措置法は同年法律第四十二号改正農地調整法と共に日本國政府がこれを自主的に立案し、第九十帝國議会の協賛を経て同年十月二十一日公布同年十二月二十九日施行したものではあるが本來昭和二十年十二月九日附連合軍最高司令官の農地改革についての日本政府への覚書に基いて制定されたものであるから普通の法律としての意味を有つと共に連合軍最高司令官の占領による日本管理命令としての性格をも具え右法律による土地改革計画の実施は我國古來封建的土地所有制度を廃止し、公平且民主的基盤による土地の再分配を妨げる経済的障害を排除し自由且民主的社会を創設するための先決問題であり、これ等法律の嚴正果敢な実施は不可避な至上命令である。換言すればその施行は「日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障碍ヲ除去」(一九四五年七月二十六日ポツダム宣言第十項)するための連合軍最高司令官の管理行政の遂行という國際的な意味を有ち日本國政府はその実施を委託されているに過ぎない。從つてこれ等の法律に対し憲法を適用し得る余地は全然存しない。仮に存するものとしてもこれらの法律は前述の國際的性格に照し憲法第九十八條第二項にいわゆる「日本國が締結した條約及び確定された國際法規」に該当し日本國民は無條件誠実にこれを遵守することを必要とするから憲法第二十九條に優先してその適用がある、從つて同條を適用する余地は全然存しないから原告等の主張は何れも理由がない。仮に右法律についても憲法第二十九條の適用があるものとしても同法第六條第十三條はこれに低触せず本件対價及び報償金は「正当な補償」に該当する。成程憲法第二十九條第一項に「財産権はこれを侵してはならない。」とあるが同條第二項によれば「財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律でこれを定める。」從つて同條第三項により私有財産を公共の福祉に適合するように法律で定められた内容を有する財産権の價格でなければならない。ところで農地所有権の内容は「農業生産力の発展」「農村における民主的傾向の促進」「耕作者の地位を安定し、健康で文化的な最低限度の生活を営ませる。」という公共の福祉に適合するよう夙に法律で定められている。すなわち法律はこの見地から農地の移動引上、使用目的の変更、小作料の引上を制限し小作料の金納化を強制している。この結果、農地所有者の所有権の價値は一定の元金より一定の利息を收納し得る預金債権若しくは國債と差異はなく預金の元本國債の額面が他の物價の変動により少しも影響を受けない。と同じように他の物價と関係はない。尤も本件農地買收價格決定の資料となつた米の公價は石当五十五円であり現在のそれはその数十倍にも達するがそれは生産費の增加によるもので地代部分の增加に基因するものではない。なお敍上農地の買收價格を引上げればこれを買受ける農民や國家の負担は增大し農村の民主化國家経済の立て直しは水泡に帰するであろう。かような不幸な結果をもたらす價格の設定は明らかに公共の福祉に反し「正当な補償」ということができないと共に前敍自作農創設特別措置法第六條の対價規定同法第十三條の報償金規定は洵に公共の福祉に適合するから原告等の本訴請求は何れも失当であると陳述した。(立証省略)

理由

よつて先ず超憲事項の抗弁の当否について考えるに、自作農創設特別措置法は日本國政府が昭和二十年十二月九日附連合軍最高司令官の農地改革についての日本國政府への覚書に基いて日本國政府が自主的にこれを立案し帝國議会の協賛を経て昭和二十一年十月二十一日公布同年十二月二十九日施行したもので日本國の法律ではあるが連合軍最高司令官の日本國占領上の管理命令の趣旨に則り制定されたものであること、右法律による土地改革は我國古來の封建的土地所有制度を廃止し公平且有効に土地を再分配し自由且民主的社会を創設するための先決問題であり從つてこの法律の嚴正且果断な運用は喫緊事であることは洵に当裁判所に顯著な事実ではあるがしかしこの理由だけでこの法律が憲法の支配を受けずそれに優先して若しくはその範囲外でそれとは全然無関係の独自の効力を発揮するという議論には無條件には左坦し難い。というわけはこの法律と同じように憲法自体も亦直接ポツダム宣言、降伏文書、連合軍最高司令官の命令指令覚書等にその淵源を発するか又はその流れを酌むものであることは憲法前文に「われらは平和を維持し專制と隷從、圧迫と偏狹を地上から永遠に除去しようと努めてゐる國際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ云々」とある文字に俟つまでもなく憲法の全文を通覽すれば甚だ明瞭であるからである。即ち日本古來の封建制度の残滓の拂拭、自由、民主、平和、正義國家の建設、文化意識の向上を眼目としている点では自作農創設特別措置法と憲法否終戰後制定された國民の基本的権利に関するもろもろの法規との間に強いて区別を設けることは法理上は勿論実際上の運用についても決して穩当ではない。自作農創設特別措置法は成程憲法施行前に施行された法律ではあるが他の法律と同じように憲法に基く又はこれにより承認された日本國法律で憲法や他の法律と次元を別異にするものではなく憲法第九十八條第一項に所謂法律に該当し從つて憲法の條規に違反する限りその効力を有しないものと解さねばならない。なお被告等は自作農創設特別措置法は憲法の全條規中他の條規に優先する第九十八條第二項に所謂「日本國が締結した條約及び確立された國際法規」に該当するから誠実にこれを遵守することを必要とする旨主張するがここに所謂條約及び確定された國際法規とは條約そのもの及び確定された國際法規そのものを指称しこれら條約及び法規に基き制定された法規でも國内法として公布施行されたものはこれら條約及び法規ということができないものと解さねばならないところ右法律は洵に國際的要請に基き制定されたものであることは曩に説明した通りではあるがその成立公布施行等の形式体裁は固より國内法であり條約又は國際法規そのものでないから右憲法の條規を拔いて右法律の優先性を主張する被告等の見解は正当ではない。

よつて進んで原告等の請求の本体につき審按するに原告等主張のような農地買收処分がなされたこと、その対價及び報償金はその主張のような評價算定に基き制定された自作農創設特別措置法第六條第十三條により算出されたものであることは被告等の認めて異論のないところである。ところで憲法第二十九條によれば本件買收処分のように私有財産を公共のために用いる場合の正当な補償は、公共の福祉に適合する内容を有する財産権の價格でなければならない。この点につき農地所有権の内容は「農業生産力の発展」「農村における民主的傾向の促進」「耕作者の地位を安定し、健康で文化的な最少限度の生活を営ませる」という公共の福祉に適合するよう法律を以て農地の移動、引上、使用目的の変更、小作料の引上を制限し小作料の金納化を強制している。從つて本件買收の対價額及び報償額の合算額が憲法第二十九條第三項に所謂「正当な補償」に該当するかどうかを吟味するには先ずその前提として本件農地所有権の内容である使用收益処分は前述のように種々の制限を受けこれらの制約を知らなかつた昔日の面影は殆んど存しないということを承認するを必要とすると共に他面現実はこれを存在その儘の姿において正視するを要し行き過ぎた主観的乃至我田引水的解釈は嚴にこれを愼しまねばならないということを銘記せねばならぬ。さて自作農創設特別措置法第六條によれば農地買收の対價は一般に田にあつては地租法による賃借價格に四〇、畑にあつてはその四八を乘じて得た額の範囲内でこれを定め(例外規定もあるがこれを適用した事例は一つもないらしい)。同法第十三條によれば農地の所有者に交付する報償金は田にあつては二二〇圓、畑にあつては二三〇圓を基準とし、当該農地の收量位置その他の状況を参酌して主務大臣がこれを定める(実際は主務大臣はこの基準を上廻る額を殆ど定めていない)。そしてその基礎は先ず昭和十五年から十九年までの五箇年間の全國平均水稻反当実收高を二石と見積つた点は当裁判所が眞正に成立したものと認める甲第一号証(当裁判所が職権で取寄せた昭和二十二年三月農林省総務局統計課刊行昭和二十年第二十二次農林省統計表)に照し相当であるが右統計表によれば同一水田中のあるものから同一年度に反当

大麥

昭和十五年度 一、九五七石

同 十六年度 一、七七七石

同 十七年度 一、五六七石

同 十八年度 一、二五二石

同 十九年度 一、五七七石

〓麥

昭和十五年度 一、六四九石

同 十六年度 一、五三五石

同 十七年度 一、三八五石

同 十八年度 一、一六〇石

同 十九年度 一、一三八石

小麥

昭和十五年度 一、六七〇石

同 十六年度 一、四五八石

同 十七年度 一、三一三石

同 十八年度 一、一一二石

同 十九年度 一、三七五石

の收獲があり、水稻作付面積

昭和十六年度 三〇三六一四二、六町

同 十七年度 三〇二六〇二五、七町

同 十八年度 二九九一九七五、〇町

同 十九年度 二八七五七四四、七町

同 二十年度 二八二一〇六六、五町

に対し大麥作付面積は

昭和十五年度 一〇七一三一、八町

同 十六年度 一一七五二一、九町

同 十七年度 一三五五八二、三町

同 十八年度 一三二四四五、〇町

同 十九年度 一六一七三六、五町

同 二十年度 一五二六四六、六町

〓麥作付面積は

昭和十五年度 二五一六八四、四町

同 十六年度 二九九四八九、五

同 十七年度 三二二九四四、九

同 十八年度 三一〇一五八、六

同 十九年度 三二九六八六、五

同 二十年度 三一四九一二、二

小麥作付面積は

昭和十五年度 四二二八一八、一町

同 十六年度 四〇一九一四、六

同 十七年度 三九三四八八、四

同 十八年度 三六八八七三、九

同 十九年度 三八二四四八、〇

同 二十年度 三四二七七九、九

あるに拘らずこの大麥、〓麥、小麥の年收高を本件基準價格算定に加味した形跡はない。尤も副收入として反当一四円三九錢を計上してはいるがこれは米以外の穀物の年收價格を参酌したものではなくその他の雜收入を算入したものに過ぎないことはその金額が米の公價に比し著しく小額である点から観てこれを想像するに難くはない。從つて今若し本件基準價格の算定に大麥、〓麥、小麥の年收價格をも斟酌したならば右基準額は若干上廻つたであろうことはこれを窺うに難くはない。

次に本件基準額を確定するに当り米價を昭和二十年十一月二十三日現在の生産者販賣價格石当五五円に釘付けしている。米價の統制自体從つて政府が右標準日時の米價を石当五五円と規整したこと自体は妥当であるとしてもこの金額だけを確定不動の基準としてその当時の他のもろもろの経済事情や其後数年の間に從つて本件買收に至る迄の間に変動するかも知れない経済的現実を殆んど参酌しなかつたことが果して妥当であるかは相当疑問の余地がある。即ち米の石当生産者販賣公定價格は

昭和二〇年度     五五円

同 二一年度    五六〇円

同 二二年度   一七八四円

同 二三年度 三六八二・五円

と逐年騰貴したことは当裁判所に顯著な事実であり又当裁判所が眞正に成立したものと認める甲第二号証(当裁判所が職権で取寄せた日本銀行統計局発行昭和二十三年三月三日本邦経済統計)によれば(イ)政府及び日本銀行通貨発行高(ロ)食用農産物公定東京卸賣物價指数は次の通りである

單位一〇〇万円

(イ)  昭和 五年      一、七八一

昭和二〇年     五六、六五八

同 二一年     九四、八四八

同 二二年    二二〇、八五三

(ロ)  昭和 六年度平均    八一、四

同 二〇年度平均   二三八、八

同 二一年度平均  一二九〇、一

同 二二年度平均  四六九六、一

即ち昭和二十三年度の米の生産者販賣公定價格は昭和二十年度のそれの約六五倍に対し通貨発行量や食用農産物の公定價格も昭和二十年度以降累年数倍宛奔騰している。被告等は米の公價の騰貴は生産費の增加のみに基因するものでその他の事情に由來するものではないと抗弁し、米價の上昇は生産費の增加にも職由することは勿論当裁判所に顯著な事実ではあるが、それ以外の事情に寸毫も基因しないと眞に観ずるならばそれは凡そ経済界の事情に通曉しない議論で到底われわれの理解することが出來ないところである。そもそも物價は各種経済的、社会的條件の錯綜輻合によつて定まるものであり單一の原因で定まることは極めて稀でその生産費と利潤との割合も大体一定していることが寧ろ経済上の常則でありこの場合物價が高騰すれば生産費と共に利潤も亦これと同率又はそれに近い振り合で增加することは経済上の常識でなければならぬ。物價價格体系においては生産費だけが他の條件と遊離して独立橫行するのではなく生産費の增加する経済上の素因は同時に又利潤の增加する経済界の要因でもなければならない。一方要素が增加しても他方は釘附の儘で少しも変らないというような跛行的判断は少くも現時の経済的現実を穿つた見解ではないといわねばならないから所謂生産費説はその儘採用するに躊躇しなければならない。思うに一般にある價格規定がその制定当時既に「正当な補償」であるかどうかにつき疑問があり、その制定後僅か両三年を経過しない間に既に規定價格の数十倍に達する公價が制定されたというような事態を玩味すれば当初の價格設定はその後の事情に副わないようになつたという点において妥当でないのみならず。なお、將來の経済界の変動を全然顧慮しなかつたという点においても相当無理があつたのではないかと怪しまざるを得ない。経済事情が激変し一般物價に及ぼす影響が少くない場合激変前の補償規定は余程重大な事由がない限り「正当な補償」規定をいうことはできないであろう。

この点につき被告等は水田所有者の反当採算價格は純收小作料金額を年三分六厘八毛の國債で割つて還元した九七八円五三錢に過ぎない。即ち水田一反の所有者は年三分六厘八毛利附額面九七八円五三銭の國債一枚の保有者と寸毫も差異はないと主張するが果してこの見解は正当であろうか。成程小作地の移動、引上、小作料の値上が法律で制限され地主の農地利用処分は相当窮屈になつてはいるが地主は法定の手続きさえ経ればかような制限を免れることができるばかりでなく例えば法定の手続により小作地の返還を受け自作農となつた地主はその農地を最高限度に利用することができ又他日法令の許す範囲内の代價で他人に賣却するなどの処分をもすることができるから少くもその主観的價格は反当額面一〇〇〇円未満(しかもその完済期限は数十年後)の國債に過ぎないというような廉價なものではないこれらの点その他國債の現在の流通状況その將來の見通し價格などに想到すれば現行法の下でも農地の利用処分は國債のそれに比し遙かに彈力性を有ちその交換價値関係は國債のそれとは相当懸隔があり権利が証劵に化体され証劵自体が始めであり終りである國債その他の証劵とは法律上では勿論経済上でも同日に論ずべき限りではない。更に自作農創設特別措置法第二十一條第二十六條第四十三條を一瞥するに農地賣渡の相手方は知事の賣渡通知書の交付により農地賣渡の時期にその所有権及び占有権を取得しこれを利用することができるに反し前述の買收の対價や報償金は農地の引渡と同時に賣主に支拂われるのではなく三十年以内に償還される証劵の交付で完済されるため賣主は普通の賣買の場合のように農地の引渡と同時に代價を受領してこれを利用する途を塞がれているから両者は釣合が採れないばかりでなく(尤も対價及び報償金は年利約三分二厘附の三十年賦等の方法で支拂われることになつてはいるがかような低利では即時現金を入手して利用する場合に比し著しく不利な立場にあることは何人も異議を挿まないところであろう)手続の錯雜、取扱行政廳又は銀行の事務の澁滞などにより部拂現金入手に意外の支障を來していることが公著な事実である点などに想到すれば自作農創設特別措置法第六條第十三條の対價及び報償金規定の適法性が他に格段の事情がなり限り相当搖ぐものと観なければならない。又被告等は農地買收價格を引上げればこれを買受ける耕作農民の負担は到底荷い得ない程に增大しそれを担保する國家の財政は破綻すると主張するが自作農創設特別措置法第二十六條に依れば「賣渡した農地の対價の支拂は支拂期間三十年以内年利三分二厘の均等年賦支拂の方法によるもの」であり又同法第四十三條によれば「買收した土地の対價及び報償金は三十年以内に償還すべき証劵を以てこれを交付することができ」買收対價又は報償金は農地の所有権移轉又はその引渡と同時に支拂う必要はなく買受農民において先ず賣渡しと同時に農地の引渡を受けこれを耕作利用しつつ徐々に年賦済し崩し等相当寬大な方法により支拂えば足るのでありしかもその分割拂金額たるや仮りに同法第六條第十三條所定の対價及び報償金額をその倍額に引上げたところで現時の経済事情に照し眞に微々たるものでかような義務をもし耕作農民が到底荷い得ない程苛酷なものであると観るのはわれわれの法律感情の許さないところであり又國家もかような支拂方法の寬仁な從つて又支拂能力の充実した債務を三十年以内に償還すれば足る証劵の交付で担保すればよいのであるからこれだけの負担でその財政が破綻を招いたり動きが採れなくなつたりするものと断ずるのは行過ぎでありこれらの点を篤と玩味し特に経済現実を洞察すれば現行法規所定の金額をある程度超える対價額及び報償金額の支拂は農民に堪え難い負担を課しなお國家財政を破綻に瀕せしめるという議論は聊か杞憂に過ぎる感がある。

敍上彼此綜合勘考すれば自作農創設特別措置法第六條第十三條所定の対價及び報償金は他に格段特殊の事由がない限り即ちこれらの規定の一般趣意だけでは憲法第二十九條第三項に所謂「正当な補償」といい難い。両者は若干相乖離齟齬するものと感ずるのは蓋し自然であろう。しかしながらこの法律の運用により我國末曾有の農地改革が着着進捗しその大半が終了した今日單純な形式的理念的違憲を理由に前記法律を無効視しこの劃期的難事業を当初からやり直すことを余儀なくさせるような見解は迅速果敢を尊ぶ農地改革の趣意に副わず振古未曾有の國情轉換を直視する所以ではない。現下人心の動搖しつつある農地改革においては現実即應、既成事実の承認こそ人民の安定を招來する所以である点を看過してはならない。即ち農地改革進行の現段階に鑑み現実即理性、理性即ち現実という少くとも事大法的理念に徹するならば農地改革の目的達成に垂ん垂んとする今日此頃出発当時の瑕疵を云爲して狂瀾を既倒に廻らすような取扱は時節柄嚴に愼しまねばならぬ。当初の不健康は格別一應治癒安定された社会秩序はそれ自体の價値をかち得それ自体の尊嚴性を享受せねばならない。固よりかような公共福祉の遡及的適合性は固有の意義における公共福祉の適合性ではない。しかし我國農地改革の現段階においてはかような適合還元を是認しなければ矯角殺牛の嘆を免れ得ないであろう。この意味において自作農創設特別措置法第六條第十三條の対價及び報償は直接には前記憲法に所謂「正当な補償」に勿論該当しないが公共福祉適合性の遡及還元作用により竟に最廣義においてこれに触当するものと解し得るであろう。果してそうだとすればそうでないことを前提とする原告等の所有権確認の請求は理由がないものとして棄却される運命を免れない。なお原告等の予備的請求である対價及び報償金增額の請求についてこれを観るに原告等主張の農地買收の対價及び報償金の数額がそれぞれ法律の許容する最高限度の額であることは原告等の自認するところであり右法律が竟に違憲でないことが前述のようである以上他に原告等の主張するように增額をするとができる法的根拠は全然ない本件では原告等の請求を認容する足場がない。最後に訴訟費用の負担の当否にこつき一考するに前述の対價及び報償金規定が憲法に違反するかどうかは上來の説明のように相当困難な問題で疑義百出到底簡單に明快な判断を下だし難いものがあり、從つて原告等が本訴請求に出た意図も強ち法規の誤解その他なんらかの過失に基因するものとも断じ難い事情にありこれに加えるに被告等の主張は具体的論点において被告等の勝訴理由と若干相異るところがあり今若し被告等の主張が被告等勝訴の理由と軌を一にしたならば本件訴訟が無用の手続を累ねずより簡單に終末を告げたであろうことは容易に想像し得る所であり從つて結局本件訴訟費用の一半は原被両告の権利の伸張若しくは防禦に必要な行爲に基いて生じた費用ではあるが他一半はさような費用ではないものといわねばならないから行政事件訴訟特例法第一條民事訴訟法第九十五條第八十九條第九十條第九十三條に行政事件訴訟特例法第十一條の趣旨をも参酌し(これを直接適用するのではない)主文のように判決する。

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