青森地方裁判所 昭和45年(わ)200号 判決 1974年7月22日
主文
1 被告人を懲役二年六月に処する。
2 未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。
3 訴訟費用中、証人せつこと岩佐節、同北川つね子(昭和四六年一月二七日および同年二月一七日各出頭分)、同岩佐昌支、同杉本晃一、同松橋忠男、同工藤一郎および同工藤米子に対し支給した分は、被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、本籍地の中学校を卒業し、一時大工見習をした後、農業の手伝やいかつり船の漁夫などをしていたが、自動車の運転免許を取り、その後神奈川県下へダンプカーの運転手として出稼ぎに行つたりなどしてから、昭和四三年七月ころ、青森県下北郡大畑町内の大畑中央魚市場に自動車運転手として勤務し、同年一〇月ころ、当時同市場で作業員として働いていた岩佐つね子(昭和二四年三月二一日生)と知り合い、家を借りて同せい生活を始め、昭和四四年一月同女と結婚し(同年四月二二日届出)、同県下北郡大畑町大字大畑字湊村九三番地のつね子の実父岩佐市太郎(大正元年九月六日生)方居宅の二階に住み、つね子の実母節(大正四年六月一日生)および当時同人らが引き取つて養育していたつね子の姉の子昌支(昭和三六年二月四日生)らと同居生活をするようになり、勤務先からの給料はそのままつね子に手渡し、必要に応じて同女から支出をうけるという生活を送つていたが、その後しばらく神奈川県下につね子ともども出稼ぎに行き、帰青してからは、再び前記大畑中央魚市場へもどり、自動車運転手として稼働していた。ところで、被告人は、義父市太郎との間は従来特に折り合いが悪いということはなく、むしろ、被告人は、市太郎ら義理の両親に対しては被告人なりに気をつかつていたが、つね子との間は意思の疎通が十分であつたとはいい切れず、被告人が注意をしてもつね子がそれに応じた家事を必ずしも行わなかつたことなどもあつて、つね子に対しては快くない感情を抱いており、適量(日本酒約三合)を超えて飲酒すると、つね子にしばしば乱暴し、同女の留守中に同女の依頼を焼いてしまつたということもあつた。こうしているうち、被告人は、昭和四五年八月一九日午前七時三〇分ころ、いつものように前記市場に出勤し、いかの加工品の袋詰作業などを手伝つたが、通常は午後五時終業の予定のところ、同日は午後六時すぎまで仕事が続き、終つて後片付けをしていたところ、下風呂へ行くマイクロバスの臨時運転を頼まれ、同日午後六時三〇分ころ、前記市場マイクロバスで出発しようとしたところ、燃料が十分でなかつたため、自ら燃料を補給して作業人夫を下風呂まで送り届け、同日午後七時三〇分ころ、前記市場にもどつた。被告人は、その後自動車の車庫入等の後始末をしてから、前記市場の当直室において、同僚の当直員杉本晃一と飲み始め、さきに交通事故で死亡した友人の思い出話などをしたりして、同日午後九時三〇分ころまでに被告人自身日本酒約四合を飲み終え、そのころ、つね子からの電話がかかつてきたことなどもあつて、同所を退出し、歩いて帰途につき、自宅に入る直前、前記岩佐市太郎方居宅前の中村孝太郎方玄関の戸を開けて同人に声をかけたり、同家の窓ガラスをたたきながら、「あつちの方電気消したから、こつちも消せ、」などとわめいたりしたが、同人に相手にされないまま、「くそまくらい、どんころくそまくらい。」などとどなつたりしながら、同日午後一〇時三〇分すぎころ帰宅し、右同様どなりながらはうようにして階段を上がり、前記岩佐市太郎居宅二階の自室に入つた。被告人は、その直後、二階の自室で、つね子が、被告人の着衣を脱がせパジャマを着せようとしたのに対し、それを着ないで、丹前を羽織り、座り込んで、「死んだ友人の代りにお前を殺してやる。」などとどなりながら、やにわに乱暴を始めたため、つね子はこれを避けていつたん階下に降りたが、これを心配した節が、つね子とともに二階に上がり、被告人に、飲みすぎたのだからいつものように膝の上で寝たらどうかとすすめたのに対し、被告人が、立派なばばあだなと口答えをしたため、さらに、節が、自分は立派ではないお前のばばあは立派だと皮肉をいつたところ、被告人は、「つね子をきよう殺さねばだめだ。」、「頭に来た。」などといいながら、つね子に再び乱暴する気配を示したので、つね子と節は、階下に降り、外へ逃れた。被告人は、同日午後一一時ころ、つね子らに続いて階下に降り、階下六畳間の市太郎らの寝室に入り、同室内において、さきに、つね子らが、一緒に逃げるよう促したが、自分の家だし、逃げることはないといつてそのまま同室に寝ていた市太郎を踏みつけ、足蹴にし、さらに同人の首のあたりをつかんで同室のすみまで引きずり、同人の首のあたりをつかんだまま同人の頭部を同室のすみの柱およびその附近に数回打ちつける暴行を加え、その結果、同人をして、そのころ、同室内において、頸部圧迫によつて起因された心筋梗塞により死亡するに至らせたが、被告人は、右犯行当時、飲酒酩酊により心神耗弱の状態にあつたものである。
(証拠の標目)(省略)
(弁護人らの主張に対する判断)
一 弁護人は、刑法二〇五条二項の尊属傷害致死の規定は、法の下の平等を定めた憲法一四条に違反し、無効である旨主張するので、まずこの点について判断する。刑法二〇五条二項の定める尊属傷害致死罪は、被害者と加害者との特別な身分関係に着目して、もともと同条一項の普通傷害致死罪にあたる行為をなしたものに対してその刑を加重する規定であるが、尊属傷害致死罪の法定刑は、尊属・卑属間の社会的道義の維持を目指す立法達成のための必要な限度を逸脱しているとは考えられず、刑法二〇五条二項が、被害者が尊属であることを加重要件とする規定を設けていることをもつて、合理的根拠を欠くものと断ずることはできず、従つて憲法一四条に違反するものとはいえない(最高裁判所昭和四八年四月四日大法廷判決刑集二七巻三号二六五頁の多数意見参照)。よつて、この点に関する弁護人の主張は採用しない。
二 次に、弁護人らは、被告人は、本件犯行当時、飲酒酩酊により心神喪失の状態にあつた旨を主張するので、この点について判断する。前掲各証拠によると、
(一) 被告人は、判示のとおり、本件犯行当日、午後七時三〇分すぎころから午後九時三〇分ころまでの間、勤務先の当直室において、同僚杉本晃一と飲酒し、被告人自身日本酒約四合を飲んで、酩酊状態となつたものであるが、被告人は、その飲酒の中途から警察官に逮捕されるまでの間のことについては、被告人は、本件犯行当夜、前記岩佐市太郎方居宅階下六畳間の同人らの寝室に入つて、同室内に横になつていた市太郎のところへ行き、「とう、とう。」と呼び、首の附近に手をかけて揺り動かしたが、同人が何ともいわないので、「寝たふりをするのであれば上に行くぞ。」といつて二階の自室に上つたこと、被告人は、市太郎を死亡させた容疑で逮捕される際に、警察官からなぜ殺したと聞きただされ、つね子や節から「なぜ殺した。」と問いただされたのに対して、「おれは殺してはいない、解剖すればわかる。」と答えたこと、被告人は、警察署で呼気中のアルコール濃度検査を受けたことの各点を除いて、捜査および公判の段階を通じ、ほとんど想起することができなかつたこと、
(二) 被告人は、本件犯行以前においても、飲酒酩酊し、後刻酩酊中の言動をほとんど想起することができなかつたことを何回か経験していること、
(三) 被告人は、帰宅してから、二階の自室で、やにわにつね子に暴行を加えているが、その際目つきなどがふだんと異り、死んだ友人の代りに妻を殺すなどという意味のことを述べており、つね子からみても、日ごろの酩酊状態と様子が違い、異様であつたこと、
(四) 被告人の甥のひとりにてんかんで精神科の病院に入院したものがいること、
の諸点を認めることができる。
しかしながら、他方、前掲各証拠のほか、鑑定人佐藤時治郎作成の鑑定書および証人佐藤時治郎尋問調書を総合すると、
(一) 被告人は、本件犯行の具体的内容についてはほとんど想起することはできなかつたが、前記のとおり、本件犯行当時のことについて、断片的ながら自己の行動を記憶しており、警察官に逮捕された時点においての被告人の前記反論やその直後の警察官の取調に対して、被告人が、いわゆる松川事件を例にあげて本件犯行を否認していることも、当時の被告人の言動としてそれなりに合目的的な行動として理解することができるし、また、被告人は、当時、とつさに、このような判断をし、その内容を述べることができたこと、
(二) 被告人は、本件犯行後約三時間経過してから、警察署で呼気中のアルコール濃度検査を受けているが、その結果は、呼気一リツトルにつき一・〇〇ミリグラムのアルコール濃度でしかなかつたこと、
(三) 本件犯行以前において、本件犯行の当日はもちろんその前日においても、被告人の言動に特段異常なところはみられず、判示のとおり、本件犯行の直前、被告人は、同僚晃一と飲酒しているが、その際の酒量も被告人のそのころの酒量と比べて著しく多いという程のものでもなく、しかも、判示のとおり、比較的時間をかけて飲んでおり、飲酒の際の言動もふだんと特にかわつたところはなく、被告人は、帰途にあたつても、右杉本晃一から、「気をつけて帰れよ。」と注意されて、「おー。」と答え、ひとりでふつうに歩いて帰つているし、自宅に入る直前、隣家中村孝太郎方に向つての被告人の判示のとおりの言動も、消燈に関する事実について認識し、判断した言動として理解することができ、この時点においても、被告人は、酩酊はしていたが、ある程度の認識力をもつて行動していること、
(四) 被告人は、以前において、飲酒すると、いわゆる酒癖はよくなかつたが、病的酩酊の既往はなく、本件が起訴された後、つね子とは離別し、別の女性と結婚して定職にもついており、しばしば、飲酒することもあつた(年越の晩に日本酒約四合ないし五合を飲んだこともある。)が、その際の言動に特段異常なところはみられないこと、
(五) 被告人については、内因性精神病である精神分裂病、躁うつ病およびてんかん性疾患は否定され、被告人の家系にも、てんかんで入院したことのある前記甥の存在を除いて、特に問題となるような顕著な遺伝疾患、性格異常者、犯罪者はいないこと、の諸点を看取することができるし、さらに、前記鑑定人佐藤時治郎作成の鑑定書および証人佐藤時治郎尋問調書によると、被告人は、本件犯行当日、午後九時三〇分ころ、勤務先の当直室を退出するころは、その言動に不快気分を示すような内容のものはみられなかつたが、自宅についたころは、自宅に帰りついた安堵感のため一時に酔いを発し、自宅前で声をかけた隣人に黙殺されたという不快感がこれを強め、これらが妻つね子への日ごろの、そして当夜の不快感をさらに増強させ、判示のとおりのやにわの暴行行為となり、これに対しつね子はいつもと様子の違う被告人の表情に気づき、難を避けたが、その代りに応待した義母節の皮肉などが被告人の激情を短絡的に発動させ、さらに、外に逃れたつね子および節の不在が、激情の向け場がなくなつた被告人をして妻つね子一家に対する同一視の機制から義父市太郎に対し判示のとおりの犯行に至らせたものであることがうかがわれ、これらに、被告人は、本件犯行当時心神耗弱の状態にあつた旨の鑑定人佐藤時治郎の鑑定結果(この点に関する医師島岡明の、被告人は本件犯行当時病的酩酊状態にあつた旨の鑑定結果は、採用しない。)を総合し、以上を裏付けとしながら、前掲各証拠を子細に検討するときは、本件犯行当時の被告人の精神状態は、心神耗弱に該当することは明らかであるが、いまだ心神喪失といえるほどの程度には達してしなかつたと認めるのが相当であるから、この点に関する弁護人の主張は採用しない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法二〇五条二項に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、なお、右は、心神耗弱者の行為であるから、同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して、未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して主文三項のとおりこれを被告人に負担させることとする。
よつて、主文のとおり判決する。