青森地方裁判所八戸支部 平成13年(わ)88号 判決 2001年12月26日
主文
被告人を懲役2年6月に処する。
未決勾留日数中100日をその刑に算入する。
押収してあるひも1本を没収する。
理由
(犯行に至る経緯)
1 被告人は,大正11年に北海道名寄市(当時は名寄町)で出生し,同市内の小学校を卒業した後,昭和15年に,Aと婚姻した。被告人夫婦は,1男2女をもうけ,同市内で,Aは会社員や市の職員をして生活し,被告人は農業に従事したりしながら生活していた。被告人夫婦の子供たちは,いずれも結婚して家を離れ,被告人夫婦は,昭和54年に,長男のいた青森県八戸市に転居した。
被告人の長男は,昭和59年に,仕事のために一家で秋田県に転居したが,被告人は,Aと二人で八戸市での生活を続けた。
2 Aは,平成6年に発生した地震で頭部を負傷したことがきっかけで頭痛を訴えるようになり,平成7年10月ころには脳内出血で倒れ,B病院で手術を受けたが,そのころから,老人性痴呆症による幻視,幻聴等の精神症状が出現し,その症状は増悪したり軽快したりしていた。
当時,Aは,被告人とともに,週2回,介護施設に通い,デイケアによる介護を受けていたが,日常生活においては,被告人が,一人で自宅でAの介護をしていた。
その後,Aの痴呆症は次第に進行し,平成11年の春ころからは,用便についても自分で処理することができなくなり,この面でも被告人が介助するようになり,被告人の負担は増大した。
同年12月,被告人が体調を崩したため,Aは,上記介護施設に宿泊することとなったが,被告人の体調を案じて夜間同施設を飛び出し,そのため風邪をひいてしまい,同月から平成12年2月まで医療法人C病院に入院した。被告人は,Aが同病院に入院している間,ほぼ毎日Aを見舞うとともに,上記のとおり自ら用便の処理をできなくなっていたAの下着等を自宅に持ち帰り洗濯するなどしていた。このころ,Aは,自らが同病院に入院していることが分からず,また見舞いに来た長男やその妻を認識することもできない様子であったが,被告人については認識できていたようであった。被告人は,Aが同病院の内科病棟から精神科病棟に移された際,同病棟の環境が悪かったことから,半ば無理矢理にAを退院させ,その後はAとともに週2回程度同病院の介護施設に通いながら,自宅で痴呆症の進行したAの介護を続けた。この間,Aは,幻覚に怯えて叫び声を上げたり,同介護施設に行くと誰かれとなく号令を掛けるなど,その痴呆の症状は悪化していたが,被告人は,そのようなAを,例えば夜中に用便のために起こすなどして,介護した。
3 しかし,被告人は,自らも高血圧や心臓が悪いために通院していたこともあり,これ以上一人でAの世話を続けることはできなくなったと考え,同年11月21日,Aを特別養護老人ホームDに入所させた。このころのAの状態は,痴呆症が進行し,介護士らが話し掛けても一言二言の単語が返ってくる程度で意思疎通の困難な状態であり,また,廊下や部屋を徘徊して他の人を怒鳴りつけたり威嚇したりすることがあり,ところかまわず放尿することもあった。そして,平成13年の春ころには,被告人のことが誰であるかも分からないほどAの痴呆症が進行した。被告人は,週に2日,Dを訪問して,Aと面会し,持参した食べ物を食べさせ,服を着替えさせたり,Aが興味を示していた犬のおもちゃを差し入れるなどしていた。
また,被告人の長男は,親と暮らすため,平成13年5月18日,自分の仕事を辞めて,一家で八戸市に来て,被告人と暮らすようになった。
Aは,同年5月29日にけいれんを起こしてC病院に入院し,6月1日に退院してDに戻ったが,同月11日に倒れ,意識がなくなった。そこで,Aは,同日,肺炎,低酸素血症,けいれん発作の治療のため,B病院に入院して治療を受け,入院中に一時深刻な状態に陥ったものの,やがてその症状が改善し,けいれん発作も消失したため,同月29日にC病院に転院した。被告人は,見舞いのため,毎日B病院に通い,あるいは数日間泊まり込み,Aの下着の洗濯などをしていた。
4 C病院に転院後,Aは低酸素血症,肺炎につき治療を受けていたが,その容態は,寝たきりで体力もかなり低下しており,痴呆症の症状も認められ,刺激を与えれば全く反応しないわけではないものの,話しかけた内容については理解できないと思われる状態であった。もっとも,短期間で著しい改善を期待することは難しかったものの,3,4週間又はそれ以上の長期間の治療継続により退院して以前のような老人ホーム等での療養生活を再開する見込みはあった。ところが,被告人は,Aの死期は近いと思いこみ,Aが息をひきとるまで,Aの病状をよく理解しているC病院で診てもらいたいと考えていた。そして,被告人は,見舞いや下着の世話などのため,ほぼ毎日,同病院に通っていた。C病院の精神保健福祉士は,同年7月6日午前9時ころに被告人方に電話をかけ,被告人に対し,AをE病院に転院させることを勧めた。これに対し,被告人は,病院をたらい回しにされるのは避けたいと考えて転院させないように頼み,被告人の長男に対してもその旨病院側に働きかけるよう頼んだが,被告人の長男は,Aの担当医から話を聞き,結局,AをE病院に転院させることを承諾したため,Aは,同月9日にE病院に転院することになった。長男は,被告人に対し,同月6日夕方,Aを転院させることを説明したところ,被告人は,病院を移したくないから自宅に連れてきてAの面倒をみたいと言ったので,長男及びその妻は,これに賛成し,Aを自宅に引き取ることに決めた。
同月7日の朝,被告人は自宅前の畑仕事に出た際,隣人に,今日Aを自宅に連れ帰る,最後にうちで看取ってやることにして連れてくることにした,何十年も連れ添ったのだからAが悔いのないように最後まで面倒みて看取ってやる旨嬉しそうに話した。そして,被告人は,Aを退院させて自宅で世話をすることについて相談するため,八戸市役所に行ったが,土曜日のため相談を受けてもらえなかった。被告人は,同日午前10時過ぎ,C病院を訪れ,同病院の看護助手に対し,「もうおじいちゃんを連れて帰りたいんですけど。」と話しかけた。看護助手は,同病院の婦長を呼び,婦長が被告人に「どうかしましたか。」と尋ねると,被告人は,「今すぐおじいさんを家に連れて帰りたい。昨日,家族会議で決まったことだから連れて帰りたい。」と言った。婦長は,Aを退院させるという話を聞いておらず,退院の準備もできていないため,被告人の長男の妻に電話で退院は難しいという話をした上で,被告人に退院が難しい旨を説明した。
被告人は,どうしてもAを自宅に連れて帰りたいという強い気持ちを持っていたにもかかわらず,八戸市役所で介護についての相談をすることができず,また婦長から退院は難しいとの話を聞かされたため,このままAを連れて帰らなければE病院に転院させられ,Aが病院をたらい回しにされ苦しい思いをしながら死亡するのではないかと考え,また,本項冒頭のような状況で,痰を喉に詰まらせて,苦しそうに呼吸をしているAを見るに耐えず,このようなAを殺して早く楽にしてやりたいと思い,Aの殺害を決意した。
(罪となるべき事実)
被告人は,平成13年7月7日午後零時30分ころ,青森県八戸市o◯丁目a番b号所在のC病院1階入院病棟◯◯号病室内において,殺意をもって,ベッドに横たわっていた夫のF(当時85歳)に対し,所携のひもを同人の頚部に巻きつけて強く絞めつけ,よって,同日午後1時5分ころ,同病院内において,同人を窒息死させて殺害したものである。
(証拠の標目)(省略)
(弁護人の主張に対する判断)
1 弁護人は,被告人が,本件犯行当時,被害者である亡夫に対する長年にわたる介護,看護のために疲労していたことに加えて,被害者の入院していた病院から転院勧告を受けため,極度の精神的混乱状態又は異常な心理状態に陥っていたものであり,心身症,うつ病,発作的な興奮状態等の状態にあったと推測され,心神喪失又は心神耗弱であったと主張する。
2 被告人は,捜査段階,公判段階を通じ,本件犯行当時頭が混乱していたと述べる。そして,被告人は,本件犯行当時,被害者の介護,看護等のため心身ともに疲労していたことが認められる。
しかしながら,被告人は,捜査段階,公判段階を通じて,本件犯行に及んだ動機や,犯行状況について詳細に供述しており,また,その動機は,判示犯行に至る経緯に照らして十分了解可能なものである。
そして,本件犯行後の状況についても,関係各証拠,とりわけG,H及びAの各警察官調書によれば,被告人が被害者の首をひもで締めつけていたところを,准看護婦らに発見され,ひもを奪い取られ,被害者に対しては,直ちに救命措置が執られたものであるが,その際,被告人は,落ち着いた様子で,駆け付けたレントゲン技師助手に対して,「おじいさんの首をこのひもで絞めた。息はしていない。」と言って凶器のひもを見せ,「私は惚けてもいないし,精神科の患者でもない。」と話し,同助手から「何でこんなことをしたのか。」と尋ねられると,被告人は,「惚けたおじいさんを見ているのがつらくてやってしまった。子供もいるが,子供もあてにならないので,おじいさんの首を締めた。自分は警察に行ってもいいが,葬式が終わるまでは連絡しないでほしい。」などと答えたことが認められ,これに照らせば,被告人は自己の責任を十分に認識していたものと認められる。そして,本件犯行当時,被告人が異常な精神状態にあったことをうかがわせる事情は,何ら見当たらない。
3 以上によれば,被告人に,本件犯行当時,事物の是非善悪を弁別する能力やその弁別に従って行動する能力がなかったと言えないことは明らかであり,これらの能力が著しく減退していたと言うこともできない。
よって,弁護人の主張を採用することはできない。
(法令の適用)(省略)
(量刑の理由)
1 被告人に不利な事情
被告人は,本件犯行により一人の人間の生命を奪ったものである。人間の生命の重大さにかんがみれば,本件犯行は極めて重大な犯罪といわなければならない。
被害者は,本件犯行当時85歳と極めて高齢であり,入院中で寝たきりの状態でもあったから,その余命は必ずしも長くはなかったと推測されるが,そうであるからといって殺害を許容することができないことはいうまでもない。現に,当時,被害者は,短期間で著しい改善を期待することは困難であったものの,長期間にわたって治療を継続していくことにより,退院して,老人ホーム等で療養生活に入る程度に快復する見込みは認められる状態だったのである。
次に,本件犯行の動機についてみると,被告人は,被害者を楽にしてやりたいという考えで本件犯行に及んだものである。被告人は,被害者に長年連れ添ってきた妻であり,被害者にとって多大な貢献をしてきたのではあるが,そうであるとしても,被害者が最期のときをどのように迎えるかについて,被告人の一存で決めてよいということはできない。本件犯行は,その意味で,自己中心的な動機による犯行といわざるを得ない。しかも,被告人にとって,本件犯行当日に被害者を自宅に連れて帰らなければならないという切迫した必要性は存しなかったものであり,また被告人の家族は自宅で被害者の世話をすることに賛成していたのであるから,被害者を自宅に連れ帰ることを入院先の病院から拒絶されたとはいえ,家族と相談して別の日に被害者を自宅に連れ帰るなど,被害者を殺害する以外の選択肢があったものである。そうであるにもかかわらず,被告人は,本件犯行に及んだのであり,短絡的な犯行であるといわなければならない。
なお,被害者は,本件犯行の7か月以上前から施設に入所し,本件犯行直前の約1か月は入院していた。その間,被告人は,同施設に週2回程度通い,被害者の入院後も病院に通ってその世話をしていたとはいえ,介護の第一次的な負担は,施設又は病院側にあったといえる。したがって,被害者の施設入所以前に介護の苦労があったにせよ,本件は,自宅において日常生活を通じて常に介護に追われていたような者によるいわゆる介護疲れによる犯行とは,事案を異にするというべきである。
そして,本件犯行の態様をみても,全く無抵抗の被害者に対し,確定的な殺意をもって,その頚部にひもを巻きつけて,数分間にわたって強く締めつけて窒息死させたものであり,悪質であるといわなければならない。
以上述べたところからすれば,被告人の刑事責任はまことに重大である。
2 被告人に有利な事情
他方において,被告人は,自己の利得のために被害者を殺害したのではないから,その限度において,動機には酌量の余地がある。また,被告人は,前記のとおり,被害者に対する長年の介護等で疲労していたうえに,誤解があるにせよ長年連れ添った被害者の死期が近いと考えており,心労も相当のものがあったと推認でき,本件犯行を思いとどまらなかったことにつき,弁解の余地がないとはいえない。
しかも,被告人は,被害者と約60年にわたり夫婦としてともに生活し,夫婦仲も円満であった。被告人は,農業に従事しながら1男2女を育て,被害者に痴呆症の症状が現れてからも,自分が限界になるまでは一人で自宅介護を続けており,被害者の施設入所後も,被告人は定期的に被害者のもとを訪れ,その世話を続けていた。このような被害者への貢献も,無視することはできない。
さらに,被告人には前科もなく,本件犯行について反省の情を示しており,再犯のおそれも乏しい。被告人と被害者間の子供たちは,いずれも寛大な刑を望んでおり,長男は,当公判廷において,今後被告人と同居して被告人を監督することを約束している。なお,被告人は,現在79歳と極めて高齢であり,高血圧で心臓にも疾患があるなど身体に不自由な点もある。その他,本件犯行が社会に与えた影響は大きいが,長男の当公判廷における供述によれば,被告人方の近隣住民から嘆願書が寄せられていることも窺うことができる。
3 結論
以上のとおり,本件犯行は,その結果が余りにも重大であり,自己中心的かつ短絡的な犯行といわざるを得ず,その態様も悪質であるから,被告人の刑事責任は重大である。被告人に有利な事情が認められることを考慮しても,本件をもって,刑の執行を猶予すべき事案ということはできない。しかし,被告人に有利な事情を考慮し,酌量減軽の上,主文の刑を科すことにした。
(主任弁護人浅石紘爾,弁護人浅石晴代各出席)
(求刑-懲役5年)
(裁判長裁判官 久留島群一 裁判官 増田啓祐 裁判官 下田敦史)