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青森地方裁判所八戸支部 平成14年(ワ)18号 判決 2005年6月06日

原告

甲野太郎

原告

甲野花子

同両名訴訟代理人弁護士

髙橋牧夫

源新明

野中英一

被告

福地村

同代表者村長

夏坂秀一

同訴訟代理人弁護士

沼田徹

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1  請求

被告は,原告ら各自に対し,2049万4610円及びこれに対する平成13年3月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は,原告らの長男である亡甲野一郎(以下「亡一郎」という。)が,地方公共団体である被告の設置する青森県福地村立A中学校の第3学年に在学していた平成13年3月1日,体育の授業の一環としてミニサッカーに参加していたところ,具合が悪くなり,競技から離脱した後に倒れ(以下「本件事故」という。),救急車で病院に搬送された後,同月18日死亡したのは,体育教諭,養護教諭及び校長に過失があったためであると主張して,亡一郎の両親である原告らが,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,それぞれ損害賠償金2049万4610円及びこれに対する不法行為の日(亡一郎死亡の日)である平成13年3月18日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

本件の争点は,(1)体育教諭の過失,(2)養護教諭の過失,(3)校長の過失,(4)前記各過失と亡一郎の死亡との間の因果関係,(5)亡一郎及び原告らの損害額である。

1  争いのない事実

(1)  当事者等

ア 亡一郎(昭和60年10月21日生)は,平成13年3月当時,A中学校に在学し,同校3年A組に所属する15歳の生徒であった。

原告らは,亡一郎の両親であり,亡一郎の死亡によりその権利義務をそれぞれ相続した。

イ 被告は,A中学校を設置し,管理運営する地方公共団体である。

乙山二郎(以下「乙山校長」という。)は,当時,A中学校の校長であり,丙川一枝(以下「丙川教諭」という。)は,同校の体育教諭であり,丁田二枝(以下「丁田教諭」という。)は,同校の養護教諭であった。

(2)  本件事故の発生

ア 亡一郎は,平成13年3月1日(以下同日については時刻のみを表示する。)午後1時25分から,A中学校の体育館内で,3年A組の他の生徒及び同年B組の生徒らとともに,5時限目(午後2時15分まで)の体育の授業を受けた。

イ 丙川教諭は,男子生徒の授業を担当する予定の教諭が欠勤したため,1人で男女双方の授業を担当した。

亡一郎ら男子生徒は,ギャラリー側のコートでミニサッカーを行い,女子生徒は,反対側(ステージ側)のコートでバスケットボールを行っていた。

丙川教諭は,女子がバスケットボールを行っていたステージ側のコート付近にいた。

ウ 亡一郎は,競技中に具合が悪くなり,他の男子生徒(戊原三郎)に対し,疲れたので休む旨告げ,競技から離脱した。

エ その後,亡一郎が倒れているのに生徒が気付き,丙川教諭を呼んだ。

(3)  丙川教諭の処置

丙川教諭は,生徒の呼びかけに応じてステージ側のコート付近から亡一郎の所へ駆けつけ,うつ伏せになっていた同人の体を仰向けにして揺すり,その名前を呼んだが,返事がなかった。亡一郎は,顔色が悪く,乱れた呼吸をしていた。

丙川教諭は,亡一郎に対し,人工呼吸や心臓マッサージを行わず,女子生徒らに養護教諭の丁田教諭を呼びに行かせた。

(4)  丁田教諭の処置

ア 丁田教諭は,職員室にいたが,呼びに来た女子生徒から亡一郎の様子を聞き,体育館へ駆けつけたところ,亡一郎は,顔色が悪く,乱れた呼吸をしており,意識がなかった。丁田教諭は,亡一郎の名前を呼び,体を揺すり,頬をたたいたりしたが,反応はなかった。

丁田教諭は,丙川教諭に対し,ぬれたタオルを取りに行かせ,救急車の出動を要請し,周囲を取り囲んでいた生徒に対し,体育館から退出するよう指示し,ぬれたタオルを亡一郎の顔に当てるなどした。

イ その後,丁田教諭は,マウスツーマウスの方法による人工呼吸と心臓マッサージを開始した。

(5)  亡一郎の死亡

ア 救急車は,午後2時11分にA中学校に到着し,以後,八戸赤十字病院に到着するまでの間,救急隊員により心肺蘇生法が行われ,午後2時32分,八戸赤十字病院に到着した。亡一郎は,その時,心肺停止状態にあり,意識はなく,心室細動という致死的不整脈状態であったが,弱いながらも自発的呼吸があった。

亡一郎は,平成13年3月18日午前11時20分,死亡した。解剖は行われなかった。

イ 原告らは,日本体育・学校健康センター青森支部から,本件事故の治療費として62万0103円,死亡見舞金として2500万円の支払を受けた。

2  争点

(1)  体育教諭(丙川教諭)の過失

(原告らの主張)

心肺蘇生法は,傷病者が意識障害,呼吸停止,心停止,若しくはこれに近い状態に陥ったとき,呼吸及び循環を補助し,救命するために行われる処置,治療をいうが,その具体的手順は,まず,患者の意識の有無を確認し,これが認められない場合には,救急依頼や119番通報を行う。次に,患者の気道を確保し,耳を患者の口辺りに近づけて呼吸音を聞くことにより,呼吸停止の状態,すなわち,有効な換気がない状態か否かを判断し,呼吸停止と認められる場合には,直ちに人工呼吸を行い,それでも正常に戻らなければ,心臓マッサージを行うというものである。この心肺蘇生法は,心肺停止患者等の救命率を上げるため,医師や救急救命士等の資格を有しない一般人でも容易にできる応急処置として幅広く普及しており,中学校の体育教諭であれば,当然に知っておくべきものである。

しかるに,丙川教諭は,体育の授業を担当する教諭として速やかに,亡一郎の異常に気付き,心肺蘇生法を行う義務を負うにもかかわらず,亡一郎が倒れた後,生徒らが丙川教諭を呼んだのになかなか気付かず,その後の対処を遅らせ,亡一郎に意識障害があることを確認した後も,直ちに救助依頼や119番通報を行わず,亡一郎の気道確保を行わず,又は行ったとしても不十分なものであった。そして,丙川教諭は,亡一郎が呼吸停止の状態にあったのに,これを確認せず,人工呼吸も心臓マッサージも一切行わなかった。また,丙川教諭は,丁田教諭を呼ぶため,自ら体育館出入口まで行くなどの不手際により,丁田教諭による心肺蘇生法の実施時期をも遅らせた。

(被告の主張)

争う。

丙川教諭は,生徒らの呼びかけに直ちに応じ,亡一郎の所へ駆けつけ,直ちに気道を確保し,速やかに養護教諭である丁田教諭に連絡した。また,丙川教諭が駆けつけた時点では,亡一郎には脈拍及び自発呼吸があり,この時点で心肺蘇生法を実施すべきであったとはいえない。

そもそも,原告らは,心肺蘇生法に関して,救急救命士等に対して要求される水準でもって丙川教諭の過失を論じており,失当である。

(2)  養護教諭(丁田教諭)の過失

(原告らの主張)

丁田教諭は,中学校の養護教諭として,日ごろから全校生徒の保健衛生を守るべき注意義務を負うが,丁田教諭には心肺蘇生法の講習会への参加経験があり,しかも,丁田教諭は,本件事故当時,亡一郎に心疾患の疑いがあり,精密検査を要する状態であると認識していたのであるから,亡一郎の所へ駆けつけた後,まずもって心疾患による心肺停止を疑い,直ちに心肺蘇生法や心臓麻痺の救命措置を実施すべき義務を負っていた。しかしながら,丁田教諭は,これを怠り,亡一郎のもとに到着した後,亡一郎の意識がないことを確認しながら,生徒らを体育館外に退出させたり,丙川教諭にぬれたタオルを持って来させて亡一郎の顔に当てたりした後に人工呼吸や心臓マッサージ等を開始したのであり,その時点では,亡一郎が倒れてから4分以上が経過しており,遅きに失する。

心肺蘇生法において人工呼吸を実施すべき基準となる「呼吸停止」とは,脳死判定における「無呼吸」と異なり,有効な換気がない状態を意味するところ,丁田教諭が駆けつけた時点における亡一郎の状態は,微弱ながら自発呼吸努力がある状態,数秒に1回の割合で乱れた呼吸をする状態であり,中枢神経が高度に障害されたときに生ずる「ビオー呼吸」に類する異常な呼吸状態であったと推察され,前記「呼吸停止」に当たるから,その時点で直ちに人工呼吸を開始すべきであった。

マウスツーマウスの方法による心肺蘇生法は,一般市民が道具なしに容易に行うことができ,かつ,最も効果が高い方法である。亡一郎は,感染症に罹患していなかったから,同方法による人工呼吸を実施する上で,何ら困難が伴うとはいえないし,不潔感や抵抗感については,患者の口をガーゼ,ハンカチなどで覆って軽くすることができる。

(被告の主張)

争う。

丁田教諭は,任意参加の救急法実技講習会に参加したことがあるが,救急救命のプロでも医療従事者でもない。また,丁田教諭は,本件事故当時,亡一郎に心臓疾患の疑いがあり,精密検査を要する状態であるとは認識していなかった。

丁田教諭は,女子生徒らから呼ばれて直ちに亡一郎のもとに駆けつけ,講習会で習ったとおりに亡一郎を観察し,意識確認,呼吸確認,脈の確認を行った上で自発呼吸が確認できなくなった時点で,直ちに人工呼吸,心臓マッサージ等の心肺蘇生法を実施したのであり,駆けつけてから4分をはるかに下回る時間内に心肺蘇生法を実施した。

なお,丁田教諭が駆けつけた時点では,亡一郎に脈拍及び自発呼吸があったが,脈がある場合の心臓マッサージには,合併症を引き起こす場合があるから,心臓マッサージの実施は医療関係者や特別の蘇生法教育を受けた者にとどめた方がよいとの見解もある。また,人工呼吸については,呼吸が停止する前の段階では,人工呼吸の必要性はないというのが一般的な見解である。したがって,この時点で心肺蘇生法を実施する必要はない。原告らは,心肺蘇生法に関して,救急救命士等に対して要求される水準でもって丁田教諭の過失を論じており,失当である。人工呼吸は,原告らが主張するほど容易な方法ではない。

(3)  校長(乙山校長)の過失

(原告らの主張)

ア 救命措置実施義務違反等

乙山校長は,亡一郎に心疾患の疑いがあり,精密検査を要する状態であると認識していたのであるから,その旨を全職員に周知させるなどして死傷事故防止のために万全の処置を採るべき注意義務(体育教諭に対しては授業の際に細心の注意を払うよう促すべき注意義務)を負っていた。また,事故発生時においては救命措置を自ら行うか又は各教諭に実施させるべき注意義務を負っていた。しかし,乙山校長は,これを怠った。

イ 人員配置義務違反

乙山校長は,校長として,適切な人員配置を行うことにより,事故を防止すべき注意義務を負っていた。本件事件の当時,男子生徒の体育の授業を担当する教諭が欠勤していたのであるから,自制心の働く高校生とは異なる中学生の授業であること,ミニサッカーといえどもボールが頭に当たったりする事故や生徒の健康状態によっては本件事故が発生する危険性もあることを考慮すれば,事故防止のためには,代替教員を配置すべきであり,かつ,それは可能であった。そして,乙山校長が前記注意義務を尽くしていれば,亡一郎が競技から離脱して休むことにした時点で,代替教員が亡一郎に具合を聞くなどして,同人が倒れる前に対処することが可能であり,亡一郎が倒れたとしても,それをもっと早期に発見して適切な時期に心肺蘇生法を実施できた。しかし,乙山校長は,代替教員を配置せず,女子生徒の授業を担当する丙川教諭に男女双方の授業を担当させ,前記注意義務を怠った。

(被告の主張)

ア 救命措置実施義務違反について

乙山校長が亡一郎に心疾患の疑いがあり,精密検査を要する状態であると認識していたとの原告らの主張は否認し,その余は争う。

イ 人員配置義務違反について

原告らの主張は争う。

体育の授業は男子女子とも同じ体育館で行われており,異常が発生すればすぐに分かるから,丙川教諭1人に担当させたことに問題はなく,実際,丙川教諭は亡一郎の異常に直ちに気付いている。

ミニサッカーは,水泳や持久走と異なり一般的に危険の少ない競技であるから,これと女子のバスケットボールとを1人の教諭に担当させたとしても,不相当な措置とはいえない。

(4)  前記各過失と亡一郎の死亡との間の因果関係

(原告らの主張)

丙川教諭や丁田教諭が直ちに心肺蘇生法を実施し,又は乙山校長が亡一郎の状態を全職員に周知させ,直ちに心肺蘇生法が行われる態勢を整えていれば,蘇生率が高い状態で心肺蘇生法を行うことができたから,亡一郎の死亡という結果が生じなかった蓋然性が高い。

(被告の主張)

原告らの主張は争う。

(5)  亡一郎及び原告らの損害

(原告らの主張)

ア 亡一郎に生じた損害額

(ア) 治療費 62万0103円

(イ) 死亡による逸失利益 4440万9221円

a 基礎年収 565万9100円(賃金センサス平成13年第1巻第1表・男性労働者学歴計年齢計)

b 生活費控除率 50%

c ライプニッツ係数 15.6948(=18.4180〔52年〕−2.7232〔3年〕)

d 計算式 5,659,100×(1−0.5)×15.6948=44,409,221

(ウ) 死亡慰謝料 1000万0000円

イ 損害額小計 5502万9324円

ウ 損害の填補

原告らは,損害の填補として,前記のとおり日本体育・学校健康センター青森県支部から計2562万0103円の支払を受けた。

エ 損害残額 2940万9221円

オ 相続による承継

原告らは,亡一郎の死亡により,その損害賠償請求権の2分の1を相続した。 各1470万4610円

カ 原告ら固有の慰謝料 各500万0000円

キ 弁護士費用 各79万0000円

ク 損害合計額 各2049万4610円

(被告の主張)

ア 原告らの主張のうち,治療費の額が62万0103円であること及び原告らが日本体育・学校健康センター青森県支部から計2562万0103円の支払を受けたことは認めるが,その余の主張は争う。

イ 減額事由(過失相殺及び素因減額)

(ア) 過失相殺

原告らは,亡一郎が精密検査を要する状態であることを認識していたにもかかわらず,亡一郎に精密検査を受けさせることもなく,学校に対して体育の授業の際に激しい運動をさせないよう注意や指示をしたことはない。これらの事情は,過失相殺として考慮されるべきである。

(イ) 素因減額

亡一郎は,心臓疾患という素因があったからこそ死亡という結果に至ったのであるから,損害賠償の額を定めるに当たり,民法722条2項を類推適用して,その損害の拡大に寄与した被害者の事情を考慮すべきである。

第3  争点に対する判断

1  前記争いのない事実と,後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)  本件事故発生以前の亡一郎の保健管理

ア 学校の保健管理体制(甲13ないし16,36,109の1ないし3,乙7,14ないし20,24,証人丁田及び証人丙川)

学校の体育行事等における事故防止については,文部省体育局長通達等により,あらかじめ生徒の健康診断,健康相談,健康観察等を徹底すること,体育行事等の実施に当たっては,事故防止に留意し,必要に応じて直ちに救急等の措置を採ることが要請されていた。

丁田教諭は,養護教諭として,遅くとも平成6年度から毎年,三戸郡学校保健会養護教諭部会が開催する救急法実技講習会に参加し,講師である消防署の救急隊長で救急救命士の前田俊範(以下「前田」という。)から,救急蘇生法の講話及び実技の指導を受けていた。

丁田教諭は,前田から,心肺蘇生法の手順について,大要,まず,意識を確認し,気道を確保した後,呼吸音を聞くなどして呼吸を確認し,呼吸がない場合には,人工呼吸を2回連続して行い,脈の確認を行うとの説明を受けたが,呼吸停止の意味については詳細な説明を受けていなかった(丁田証言32頁)。

また,丁田教諭は,学校保健日誌において,生徒の体調不良やけがについて相談を受け,対応した結果を日記につけ,傷病記録に整理してまとめていた。

他方,丙川教諭は,養護教諭ではないが,心肺蘇生法の講習会に参加したことはあり,授業の一環として,消防署員を講師として,生徒に対し,心肺蘇生法の実施講習会を行ったこともあった。

イ 亡一郎の既往歴等(甲17の1ないし3,37の1,74の1ないし4,77の2ないし6,108の1ないし3,109の1ないし3,110,111,117ないし119,121,乙4,証人丁田及び鑑定の結果)

亡一郎は,A中学校第1学年から第3学年の間,毎年,定期健康診断を受け,心電図検査も受けていたが,心臓の疾病及び異常は認められなかった。

もっとも,亡一郎は,平成12年6月13日,陸上部の部活動の長距離の練習中に倒れ,約10秒間の意識障害を起こしたことがあった。その際,丁田教諭は,保健室へ運ばれた亡一郎を病院に搬送し,医師の診察を受けさせ,翌14日,亡一郎から,心臓が悪い家系であることなどを聞き,亡一郎に対し精密検査を勧め,学校保健日誌に,その旨を記載した。しかし,丁田教諭は,本件事故以前には,原告らや亡一郎の担当医師から,亡一郎に心疾患の疑いがあることを直接聞いたことはなく,また,原告らから,亡一郎の健康状態について体育活動等において特段の配慮を求めるような申入れを受けたこともなかった。

ところで,丁田教諭は,原告甲野花子に対し,同日,電話をして精密検査を勧めた旨の証言をするが,原告甲野花子は青森労災病院に同日出勤していたことを裏付ける証拠があること(甲122ないし124)に照らすと,前記証言を信用することはできない。

亡一郎は,その後,県民駅伝大会等に出場して高い運動能力を示すなど,心疾患を疑わせるような状態は見られなかった。そして,鑑定の結果によれば,亡一郎は,肥大型心筋症に罹患していたとはいえないことが認められる。また,原告ら及び亡一郎の兄には,心臓について異常所見は認められない(甲110,111,119)。

(2)  本件事故の発生と亡一郎の死亡(甲1ないし5,8ないし12,24,37の1ないし3,38ないし70,73の1ないし3,76の1ないし3,78,109の1ないし3,126ないし132,乙1,6,24ないし27,28の1ないし9,29の1ないし6,証人戊原,証人丁田及び証人丙川)

ア 本件事故の発生

丙川教諭は,本件事故当日である平成13年3月1日午後1時25分から,5時限目の体育の授業を担当した。当日,男子生徒の体育の授業を担当する教諭が欠勤したため,丙川教諭が,1人で,3年A組及びB組の男女の体育の授業を担当し,体育館において,男子生徒にミニサッカーを,女子生徒にバスケットボールを行わせた。

亡一郎は,ミニサッカーの競技中に具合が悪くなり,同級の戊原三郎に疲れたので休む旨を告げ,競技から離脱した。丙川教諭は,女子生徒がバスケットボールを行っていたステージ側のコートにおり,亡一郎から競技を離脱するとの報告を受けなかったため,これに気付かなかった。

亡一郎は,ギャラリー側の壁際で,いわゆる体育座りの姿勢で休んでいたが,亡一郎が離脱したゲームの途中で(1ゲームは約8分間であった。),ボールが亡一郎の所へ転がっていったため,亡一郎がうつ伏せに倒れているのが発見された。亡一郎は,後頭部にボールが当たったが,動かなかったため,他の生徒らは,異変に気付き,亡一郎の周囲に人垣ができた。生徒らは,直ちに丙川教諭を呼んだ。

イ 丙川教諭の処置

丙川教諭は,急いで亡一郎の所へ駆けつけ,亡一郎の異常に気付き,声をかけたが,反応がなかった。丙川教諭は,生徒から,亡一郎がしゃがみ込むと同時に倒れた旨を聞き,亡一郎が出血していないことをまず確認した。丙川教諭は,亡一郎の下顎を上げて頭を下げて気道を確保する処置を自覚的に行ったわけではないが,生徒らとともに亡一郎の体を仰向けにした結果,亡一郎の顎が上を向いた状態となった。

亡一郎の顔色は悪く,「アー,アー」と音がする乱れた呼吸をしていた。

丙川教諭は,亡一郎の呼吸を2,3回確認したが,その状態に変化がなかったことから,養護教諭の丁田教諭に応援を頼むため,体育館の出入口付近まで走ったが,その場を離れるわけにはいかないと考え,近くにいた女子生徒らに丁田教諭を呼びに行かせ,亡一郎の所に戻った。丙川教諭は,亡一郎の所に駆けつけてから,丁田教諭が来るまでの間,亡一郎に対し,心肺蘇生法を実施していない。

ウ 丁田教諭の処置

丁田教諭は,職員室にいたが,同教諭を呼びに来た女子生徒から亡一郎の様子を聞き,体育館へ駆けつけたところ,亡一郎が仰向けに横たわっており,普段とは異なる顔色になっており,前記のような乱れた呼吸を繰り返しているのを確認した。丁田教諭は,亡一郎の顎先が上を向いているのを見て,あらためて気道確保の措置を採ることはしなかった。

丁田教諭は,亡一郎の名前を呼び,体を揺すり,肩や頬をたたいたが,亡一郎の反応は見られなかったものの,前記の呼吸音を確認したため,呼吸は停止していないと判断し,すぐには人工呼吸を開始しなかった。

丁田教諭は,亡一郎の意識を目覚めさせようと考え,丙川教諭に対し,ぬれたタオルを持ってくるよう依頼した。丙川教諭が,保健室へ行き,ぬれたタオルを準備して体育館に入りかけたところ,丁田教諭は,丙川教諭に対し,救急車を呼ぶよう要請した。そこで,丙川教諭は,ぬれたタオルを体育館の入口付近にいた生徒に渡し,再度保健室へ向かい,午後2時06分,保健室の電話から119番通報をして救急車の出動を要請し,その後,職員室において,乙山校長と教頭に事情を報告した。

丁田教諭は,丙川教諭に救急車を呼ぶよう要請した後,近くにいた教諭に依頼して周囲を取り囲んでいた生徒らを体育館から退出させた。その後,丁田教諭は,ぬれたタオルを亡一郎の顔に当てたが,意識は戻らず,亡一郎の呼吸音が聞こえなくなり,自らの頬を亡一郎の口元に寄せたが呼気及び頸動脈の脈が確認できなかったことなどから,亡一郎が呼吸停止の状態にあると判断し,マウスツーマウスの方法による人工呼吸と心臓マッサージを開始した。丁田教諭は,救急隊員が到着するまでの間,心肺蘇生法を実施した。

ところで,前記認定に関し,証人戊原は,丁田教諭及び丙川教諭が人工呼吸をするのは見なかったと証言する。しかし,丙川教諭が人工呼吸を行わなかったことはそもそも当事者間に争いがなく,他方,証拠(甲24,乙1)によれば,丁田教諭が救急隊員が到着した際に心肺蘇生法を実施していたことについては,救急隊員が確認していることが認められるのであり,また,丁田教諭及び丙川教諭の各証言によっても,丁田教諭は直ちに人工呼吸を開始したのではなく,生徒が体育館から退出した後に開始したというのであるから,証人戊原の前記証言は,前記丁田教諭及び丙川教諭の証言と特段矛盾するものではない。

なお,丁田教諭及び丙川教諭は,丁田教諭が人工呼吸を開始する前に,亡一郎の手首の脈及び頸動脈を確認したとそれぞれ証言する。しかしながら,前記各証言は,丁田教諭が毎年受講していた救急法実技講習会において,講師から呼吸のないことを確認し,人工呼吸を最初の2回行った後に脈拍を確認するよう指導を受けていた(乙14)手順と異なること,丁田教諭と丙川教諭の証言は,脈をとる具体的態様について食い違う部分があること,証人戊原は丙川教諭や丁田教諭が脈をとるところを見ていないと証言していることに照らすと,この点に関する丁田教諭及び丙川教諭の各証言をにわかに信用することはできない。

エ その後の救急隊員や搬送先病院における処置と亡一郎の死亡

救急車は,午後2時11分,A中学校に到着し,亡一郎の容態について説明を受けた救急隊員は,経鼻エアーウェイ(7mm)を挿入し,マスクバックにて人工呼吸をするとともに用手により心臓マッサージを実施して心肺蘇生法を行い,主担架により収容した後,マスクバッグに酸素毎分10リットルを接続投与し,CPR(具体的には心臓マッサージ)を継続した。

亡一郎を乗せた救急車は,午後2時23分,A中学校を出発し,午後2時32分,八戸赤十字病院に到着したが,その時,亡一郎は,心肺停止状態にあり,意識はなく,心室細動という致死的不整脈状態であったが,弱いながらも自発的呼吸があった。乙山校長と丁田教諭は,救急車が出発した後,病院に向かった。

亡一郎は,午後3時,補助循環器を装着され,午後3時30分まで電気ショック療法により,洞調律(血液の循環を保っている状態)となり,同月9日,補助循環器が離脱されたが,自発呼吸がなくなり,多臓器不全の状態が継続し,同月18日午前11時20分死亡した。

(3)  心肺蘇生法について

文献・資料(甲18の1・2,20,21の1ないし4,34の1・2,35の1・2,80の1ないし3,81ないし91,92の1ないし3,93ないし98,100,101の1ないし3,102ないし105,113ないし116,125,135の1ないし3,136の1ないし3,乙2,8ないし13,鑑定の結果)によれば,心肺蘇生法を以下のように理解することができる。すなわち,心肺蘇生法とは,傷病者が意識障害,呼吸停止,心停止又はこれらに近い状態に陥ったとき,呼吸及び循環を補助し,救命するために行われる処置・治療をいうが,心肺蘇生法には,一般市民を対象とする一次救命処置(BLS)と医療従事者(医師,救急救命士等)が行う二次救命処置(ACLS)がある。医療従事者でない者が心肺蘇生法を行う場合の一般的な心肺蘇生法(BLS)の手順は,①意識の有無を確認し,これがない場合は119番通報を依頼する,②傷病者を仰臥位にして気道を確保する,③呼吸の確認をし,呼吸停止の場合は人工呼吸を行う(通常は,口対口人工呼吸法により呼気を2回吹き込む。),④正常な呼吸,せき,体動といった反応がない場合は心臓マッサージ(毎分100回の速さで15回)を行う,⑤回復されるまで③,④を繰り返す,というものである。

呼吸停止後,心肺蘇生法の開始まで時間がかかるほど,蘇生率は急速に低下し,呼吸停止から2分以内に人工呼吸を開始すると,蘇生率は90パーセントであるが,4分経過すると50パーセントとなるため(ドリンカーの救命曲線),呼吸停止後3分ないし4分が傷病者の生死を分けることとなる(甲80の1ないし3)。

ここに呼吸停止とは,有効な換気がないことと定義され,全く呼吸が見られない場合だけではなく,呼吸が不十分な場合すなわち上部気道閉塞の兆候を伴う呼吸性努力を示す場合や反射性のあえぎ呼吸(死戦期呼吸)の場合も含まれ,市民救助者は,呼吸が十分であることに確信が持てなければ,直ちに人工呼吸を開始すべきものとされている(甲20,鑑定の結果)。

もっとも,医療従事者でない者が行う心肺蘇生法(BLS)の手順を説明する文献・資料には,呼吸の確認について,呼吸が止まっていたら直ちに人工呼吸を開始すべきとし(甲21の3,82,94,97,100,乙8ないし10,13),呼吸が正常でない場合にも人工呼吸を開始すべきことまで説明がないものもある。

(4)  亡一郎に対して人工呼吸を開始すべき時期について

本件においては,鑑定人藤野安弘による鑑定意見が提出されているが,同意見は,丙川教諭及び丁田教諭が亡一郎のもとに駆けつけた時,医学的に見て,亡一郎は心肺蘇生法を開始すべき状態であった可能性は高いと結論付け,その理由として,亡一郎が当時高度の左室収縮機能の低下による心不全状態にあり,肺うっ血のため呼吸状態も悪化していたと推察され,自発呼吸があったとしても努力性呼吸又は下顎呼吸である可能性が高く,亡一郎の顔色が悪くなってきたことは同人の自発呼吸が有効な換気を伴う呼吸でないことを示している旨指摘する。

かかる藤野鑑定は,亡一郎の症状,本件の事実経過,X線写真,心電図や心エコー図検査の各検査結果等を分析,検討した上,医学文献及び医療従事者でない者を対象とする心肺蘇生法の一次救命処置(BLS)の呼吸停止の判断基準を踏まえて前記鑑定結果を導いており,説明として合理的であり,その信用性は高いものと認められる。そうすると,丙川教諭及び丁田教諭が駆けつけた時の亡一郎の状態は,医学的に見て直ちに心肺蘇生法を開始すべき状態であった可能性が高いものと認めるのが相当である。

ところで,藤野鑑定は,丁田教諭が頸動脈の拍動が微弱ながらも触知できたとの当裁判所の認定しない事実を前提としている。しかし,同鑑定においては,頸動脈の触知は誤認の可能性も高く,実際は拍動していない可能性も考慮すべきとしているから,丁田教諭が頸動脈の拍動を確認した事実の存否によって藤野鑑定の信用性は左右されないというべきである。

2  争点(1)(体育教諭の過失)について

(1) 体育の授業を担当する教諭は,生徒の健康状態に留意し,体育授業中,生徒に何らかの異常を発見した場合,速やかに生徒の状態を十分観察し,応急措置を採り,自己の手に負えない場合には,養護教諭の応援を頼むとか,医療機関による処置を求めるべく手配する注意義務を負うところ,その具体的内容・程度は,運動の内容,事故の種類・態様,予想される障害の種類・程度,生徒の学年・年齢,生徒の技能・体力等の諸事情を総合考慮して決せられるべきである。

(2)  原告らは,本件の注意義務について,丙川教諭は,体育の授業を担当する教諭として,速やかに亡一郎の異常に気付き,心肺蘇生法を行う義務を負うにもかかわらず,亡一郎が倒れた後,生徒らが丙川教諭を呼んだのになかなか気付かず,その後の対処を遅らせ,亡一郎に意識障害があることを確認した後も,直ちに救助依頼や119番通報を行わず,亡一郎の気道確保を行わず,又は行ったとしても不十分なものであったとし,また,亡一郎が呼吸停止の状態にあったのに,これを確認せず,人工呼吸も心臓マッサージも一切行わなかったと主張するので,以下検討する。

確かに,前記認定事実によれば,丙川教諭は,亡一郎の異常を覚知した後,亡一郎に声をかけ,仰向けにした後,自らにおいて心肺蘇生法を行っていないことが認められる。

しかしながら,前記認定によれば,丙川教諭は,体育教諭として,心肺蘇生法の講習会に参加したことはあるものの,養護教諭ではないため,毎年開催される救急法実技講習会に定期的に参加していたわけではないこと,亡一郎は,部活動中に倒れたことはあったものの,定期健康診断や医師の診断によっても異常所見は認められなかったこと,亡一郎は,ミニサッカーの競技を離れることを丙川教諭に報告せず,丙川教諭は亡一郎が競技を離れた経緯を知らなかったことが認められ,これらの事情に照らすと,丙川教諭が,体育授業中に亡一郎の身体の異常を把握した後,その生命・身体の安全を保護するため採るべき措置としては,亡一郎に声をかけ,仰向けにした後は,亡一郎の状態を十分観察し,自らにおいては心肺蘇生法等の応急措置を採ることができないと判断した場合には,直ちに心肺蘇生法について知識を有することが期待される養護教諭の応援を頼むべき注意義務を負うに止まるのであって,亡一郎の呼吸停止の状態を確認した上で自ら心肺蘇生法を直ちに実施するまでの義務を負うものではないというべきである。

かかるところ,本件においては,丙川教諭は,亡一郎の異常を覚知し,亡一郎に声をかけ,仰向けにした後,養護教諭である丁田教諭の応援を頼むべく直ちに生徒に丁田教諭を呼びに行かせており,前記注意義務を尽くしたものといえる。

もっとも,丙川教諭が丁田教諭の応援を頼むに当たり,当初自分で呼びに行こうとしてその後生徒に呼びに行かせるなど手際の悪い対応もみられるところであるが,丙川教諭が担当した体育授業の競技は,それ自体において生徒の生命・身体の重大な危険を伴うものではなく,また丙川教諭の体育の授業中に亡一郎が倒れたのは初めてのことである上,生徒から亡一郎の身体の異常の知らせを受けるまで,亡一郎が具合が悪くなって,競技を離れたことを知らなかったことに照らすと,丙川教諭が,亡一郎の身体の異常を突然発見したため,ある程度狼狽したのはやむを得ないところもあり,そのような状況のもとでの前記程度の対応の不手際は許容されるものというべきである。

以上によれば,丙川教諭に過失があるとの原告らの主張は採用し難い。

3  争点(2)(養護教諭の過失)について

原告らは,丁田教諭は,中学校の養護教諭として,日ごろから全校生徒の保健衛生を守るべき注意義務を負うが,丁田教諭には心肺蘇生法の講習会への参加経験があり,しかも,丁田教諭は,本件事故当時,亡一郎に心疾患の疑いがあり,精密検査を要する状態であると認識していたのであるから,亡一郎の所へ駆けつけた後,まずもって心疾患による心肺停止を疑い,直ちに心肺蘇生法や心臓麻痺の救命措置を実施すべき義務を負っていたにもかかわらず,丁田教諭は,これを怠り,亡一郎のもとに到着した後,亡一郎の意識がないことを確認しながら,直ちには人工呼吸や心臓マッサージ等を開始せず,生徒らを体育館外に退出させたり,丙川教諭にぬれたタオルを持ってこさせて亡一郎の顔に当てたりした後に人工呼吸を開始したものであり,その時点では,亡一郎が倒れてから4分以上が経過しており,遅きに失すると主張するので,以下,検討する。

前記認定の事実を前提に判断するに,丁田教諭は,養護教諭として,毎年救急法実技講習会に参加していたことから,医療従事者に要求されるほどではないものの,心肺蘇生法に関する確実な知識及び実技の能力を有することが期待されているというべきであり,丁田教諭は,亡一郎の異常を把握した場合,体育教諭とは異なり,心肺蘇生法についての確実な知識に基づいて,生徒の身体の異常を把握し,呼吸停止と判断される場合には,生徒の生命・身体の安全を確保すべく,自ら心肺蘇生法の応急措置を直ちに採る注意義務を負うと解するのが相当である。

しかるところ,亡一郎は,丁田教諭が駆けつけた時点で既に有効な換気を伴う呼吸を行っておらず直ちに人工呼吸を開始すべき状態であった可能性が高かったが,丁田教諭は,亡一郎の呼吸音を確認したため,心肺蘇生法を直ちには開始せず,亡一郎の意識を目覚めさせる処置を優先し,救急車を要請した後,亡一郎の呼吸音が聞こえなくなってから初めて心肺蘇生法を開始したものである。

確かに,前記認定事実によれば,丙川教諭は,ステージ側コートからギャラリー側の壁際まで駆けつけ,亡一郎の状態を観察した上で生徒らとともに亡一郎の体を仰向けにしたこと,その後丙川教諭は,丁田教諭に応援を頼むため,体育館の出入口付近まで走ったが,亡一郎の容体を気遣い,亡一郎の所に戻り,生徒らに丁田教諭を呼びに行かせていること,一方,丁田教諭は,生徒から亡一郎の様子を聞き,職員室から体育館に駆けつけた後,亡一郎の状態を確認し,体を揺するなどしてその反応を見た上で呼吸音を確認していること,そして,丁田教諭は,丙川教諭に対し,ぬれたタオルを持ってくるよう依頼し,同教諭が保健室へ行き,ぬれたタオルを準備して体育館に入りかけた際に,救急車を呼ぶよう要請していること,丁田教諭は,救急車を呼ぶよう要請した後,近くにいた教諭に依頼して周囲を取り囲んでいた生徒らを体育館から退出させ,タオルを亡一郎の顔に当てたが,意識は戻らず,亡一郎の呼吸音が聞こえなくなり,呼気及び頸動脈の脈が確認できなかったことから,人工呼吸を開始したという事実経過が認められる。

かかる一連の行動を本件事故現場及び保健室,体育館の位置と距離関係(乙6,28の1ないし9,29の1ないし6),丙川教諭及び丁田教諭がそれぞれ亡一郎の所に駆けつけ,その状態を確認し,応急措置を採るまでの経緯等の事情を総合して判断すると,本件においては,丁田教諭の人工呼吸を開始する時期が遅れ,蘇生率が大幅に減少する呼吸停止後4分を経過していた可能性を否定することはできないところである。

しかしながら,養護教諭は,生徒の保健衛生を守るべき注意義務を負うが,医療従事者ではないのであるから,養護教諭に要求される応急措置は,あくまでも養護教諭が心肺蘇生法の講習会や日本赤十字社の応急手当の知識(乙8)及び指導情報等(乙9,13)により修得した知識・技術を前提としたそれであって,医療従事者に要求されるような高度の医学的知識・技術まで要求されるものではないというべきものと考えるのが相当である。

かかるところ,本件においては,丁田教諭が参加した救急法実技講習会においては,呼吸がない場合に人工呼吸を開始すべきものと説明されていたこと(乙14ないし16,24,丁田証言32頁),心肺蘇生法の手順として呼吸停止について呼吸がない場合だけではなく不十分な場合も含むことについて説明のない文献も少なくないこと,藤野鑑定は,丁田教諭が駆けつけた時,亡一郎は高度の左室収縮機能の低下による心不全状態であり,肺うっ血のため呼吸状態も悪化していたものと推察され,このように重症の心不全により呼吸状態が悪化した場合には,人工呼吸をいつ開始するかを判断することは極めて難しい,自発呼吸がある場合それが有効な呼吸か否かの判断は医療従事者でも難しく,通常のBLS講習では習得できない可能性が高い,ただしAHAのガイドラインでは呼吸が有効であることに確信が持てなかったら人工呼吸を開始すべきであるとしており,この点からは人工呼吸はすぐに開始すべきであったかもしれない,自発呼吸があるときの呼気吹き込みによる人工呼吸はシミュレーションが難しく,口対口(鼻)の人工呼吸を開始することは極めて難しい,自発呼吸のある場合の人工呼吸の開始の判断と実際の人工呼吸の開始は極めて難しい旨の鑑定意見を示していることに照らすと,医療従事者ではない丁田教諭が,亡一郎が乱れた呼吸をしていることをもって呼吸停止と判断することは著しく困難であり,直ちに人工呼吸を開始しなかったことはやむを得ないというべきであり,呼吸音がないことを確認した後に人工呼吸を開始したとしても,これをもって前記注意義務に違反したということはできない。

以上によれば,丁田教諭に過失があるとの原告らの主張は採用し難い。

4  争点(3)(校長の過失)について

(1)  救命措置実施義務違反等について

本件事故においては,丙川教諭及び丁田教諭が行った処置について過失が認められない以上,乙山校長自らが救命措置を実施し,又は他の教諭に実施させるべき義務を認めることもできない。

したがって,原告らの救命措置実施義務違反の主張は認め難い。

(2)  人員配置義務違反について

公立学校の校長は,職員の管理者として,授業の実施において適切に教諭を配置し,担当の体育教諭や養護教諭を監督することにより,体育教諭による授業における生徒の身体の生命・安全を保護すべき義務があるというべきである。しかるところ,前記認定事実によれば,本件事故当時,男子生徒の体育の授業を担当する教諭が欠勤していたが,同一体育館内において,丙川教諭が女子生徒の体育の授業を担当し,男子生徒についても監視することが可能であったこと,体育授業の内容であるミニサッカー自体は生命・身体に対する重大な危険を伴うものではないことに照らすと,本件において,乙山校長において,本件授業において代替教員を配置すべき義務を認めることはできない。

したがって,原告らの人員配置義務違反の主張は認め難い。

第4  結論

以上の次第で,原告らの請求は,丙川教諭,丁田教諭又は乙山校長のいずれについても過失が認められないことから,その余の点を判断するまでもなく,理由がない。

よって,原告らの請求はいずれもこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・片岡武,裁判官・有冨正剛,裁判官・芹澤俊明)

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