青森地方裁判所八戸支部 平成9年(ワ)131号 判決 2002年1月30日
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 請求の趣旨
(1) 被告は,原告Aに対し,2508万3645円及びこれに対する平成9年10月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 被告は,原告Bに対し,2376万1873円及びこれに対する平成9年10月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は被告の負担とする。
(4) (1)及び(2)につき仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
(1) 主文同旨
(2) 仮執行免脱宣言の申立て
第2事案の概要
本件は,原告らの長女が,治療のために,被告の設置管理する病院に入院したが,同病院の担当医師らの過失によって死亡したとして,原告らが被告に対し,診療契約の債務不履行及び不法行為に基づいて損害賠償を請求した事案である。
1 争いのない事実
(1) 当事者
ア 原告A及び原告Bは夫婦であり,両名の間に,平成7年10月7日,長女のEが出生した。
イ 被告は,青森県八戸市内にF病院(以下「被告病院」という。)を設置し,管理している法人である。平成8年12月当時の被告病院小児科には,G小児科部長のほか,H医師,I医師及びJ医師が勤務していた。
(2) 診療契約の成立とEの症状
Eは,平成8年12月12日,Kクリニックを経営するK医師から気管支炎との診断を受けたが,同医師から被告病院への転院を勧められ,同月13日午前11時ころ,被告病院に来院し,そのまま入院し,原告らを代理人として被告と診療契約を締結した。
Eは,上記入院時,少なくとも,細気管支炎にり患していた。
(3) Eの死亡
Eは,入院中の平成8年12月15日午前5時15分に死亡した。
2 当事者の主張
(1) 原告らの主張
ア 被告病院の担当医師らの過失
(ア) 病因解明義務違反
a 平成8年12月13日に撮影された胸部レントゲン写真,生化学・血清検査,血液学検査,尿検査の所見によれば,Eは,軽,中等症の細気管支炎にり患していただけでなく,ウイルス性急性心筋炎が併発していた。
Eを診察した被告病院の外来担当のI医師及び入院担当のJ医師は,Eを診察するに当たり,顔色を十分に観察し,胸部,背部を触診していれば,心音の異常音である湿性ラ音と奔馬音(ギャロップリズム)を聴取することができたはずであるが,適切かつ十分な聴診を行わなかったため,これを聴取することができなかった。
そして,同日撮影されたEの胸部レントゲン写真は,うっ血の所見,肺気腫様と心拡大,特に左室拡大を示している。Eの脈拍数は,毎分160から180という頻脈であり,顔色が蒼白であって全体に弱っている状態であったことから,担当医師らは,Eが冬期ウイルスによる急性細気管支炎に続発して起こりうる心筋炎にり患し,心不全の症状を呈していたことを診断できた。
更に,担当医師らは,心電図をとり,超音波(心エコー)をかけることにより,心拡大,特に左室拡大は心筋炎による心不全の症状を呈していることを確実に鑑別診断できたはずである。
また,同月14日に撮影された胸部レントゲン写真によると,前日よりも心胸郭比は58%から61%に増大し,肺うっ血が増悪し,肺門部から放射線状に線状あるいは斑状の陰影が明らかに認められ,心筋炎による左室心不全が進行し,異常な頻脈やかなりの呼吸困難,皮膚の蒼白,チアノーゼが時折みられていることから,被告病院の担当医師らは,急性心筋炎による左室心不全及び急性循環不全の症状を診断できたはずである。
しかし,担当医であるJ医師は,Eの心電図をとることはなく,心エコーによる監視をして記録化することもせず,Eが単に細気管支炎にり患し,発熱,咳嗽,喀痰,頻脈等はそれによると判断したにすぎず,少しも心筋炎による心不全を疑わなかった。
b Eの担当医であるJ医師は,臨時研修医として被告病院に短期間在院していたものである。仮に,J医師が,医師としての経験が少なく,重症疾患である心筋炎に対する診療の経験が少ないというのであれば,Eの前記異常所見について,診察の経過やその他の検査所見を主治医のH医師やG小児科部長に報告し,その指示を仰ぐべきであったが,これをしなかった。
他方,G小児科部長らは,Eを経験不足な研修医であるJ医師に任せきりにして,自ら回診することはなかった。
これは異常なことであり,Eに対する適切な診療義務を怠っていたというべきである。
もし,G小児科部長やH医師が,自らEを回診し,聴診し,胸部レントゲン写真の心拡大所見に留意していれば,Eが心筋炎にり患し,心不全の症状を呈していたことを知ることができ,適切な診療を行うことができたはずである。
c 以上のとおり,J医師は,聴診を適切かつ十分にしていなかったか,あるいはしていても異常心音を聞き漏らし,適切なレントゲン写真等の検討をしていなかったために,Eが既に重症疾患である心筋炎にり患し,心不全の症状を呈していたことを鑑別診断できなかったのであるから,医師としての診断上の病因の解明義務に違反し,その点において過失があるというべきである。
(イ) 治療義務違反
a J医師は,Eが細気管支炎にり患し,そのために発熱,咳嗽,喀痰,頻脈の症状を呈しているものと考え,平成8年12月13日から同月15日午前5時15分の死亡に至るまで,レフトーゼ(消炎酵素薬),ペリアクチン(抗ヒスタミン剤),メプチン(気管支拡張剤),アスベリン(鎮咳薬),アンヒバ(解熱剤)を処方したが,心筋炎や心不全に対する適切な治療を全くしなかった。
b 医師は,常に患者の検査と診療を続け,診断と同時に病状の変化に注意しながら,それに応じた適切かつ積極的な薬剤投与をし,診断と治療を継続すべきである。
本件においては,Eが,同月13日から14日にかけて,急性心筋炎による心不全の症状が悪化し,異常な頻脈やかなりの呼吸困難や皮膚の蒼白やチアノーゼがみられたのにかかわらず,被告病院の担当医師らは的確な診断を怠った。
そのため,心電図や心エコーによるモニター(監視)を続け,Eの症状を適切に把握しながら,それに対応した適時,適切,適量な強心製剤や利尿薬剤を投与し,更にEを集中治療室に移し,呼吸管理と血行動態を把握し,不整脈の監視を行い,場合により補助体外循環などを行うべきであったのにもかかわらず,被告病院のJ医師は,前記のとおり,Eに対する診断を誤り,入院当初から心筋炎を併発し心不全の症状を呈していたのに気付かず,適切に対応すべき治療を怠ったものである。
c また,Eは,15日午前2時30分ころ,痰が絡んで苦しそうな様子であり,看護婦が痰をとっている間に顔色が悪くなり,同日午前2時50分までの間心拍は毎分180から90にまで下がっていた。
しかし,看護婦はこれに気付かず,タッピング(喀痰の気道から体外への排出を目的に,手や柔らかいゴムを用いて前胸部や背中を軽く何度も叩く措置)をしていただけであり,J医師を呼ぶのが遅延した。
(ウ) 転医義務違反
被告病院において,担当医師の経験が浅く補助体外循環装置を有しなかったなど,Eの心筋炎による心不全を十分に治療するべき人的及び物的施設が不十分であるならば,心筋炎の危険性にかんがみ,13日にEの症状を診断した段階で,適当な大学病院や診療機関に速やかにEを転医させるべき義務があった。
仮に上記時点での転医義務が認められなくても,遅くとも胸部X線撮影により心拡大の増悪が判明するなどした14日午前10時ころには,転医させる義務があった。ところが,被告病院の担当医師らは,Eを転医させなかった。
(エ) 病理解剖の不実施
被告病院のG小児科部長は,原告らがEの病理解剖を要請したにもかかわらず,病理解剖をしなかった。本件のように,入院中に風邪と診断していたのに急に死亡した場合,医師は,病因検索のために,家族に対し解剖を勧め,実施すべき義務がある。解剖を実施すれば,死因を明確に解明できたはずである。
しかし,被告病院のG小児科部長は,解剖しても説明できないことがあると述べて,原告らの要請を拒み,病理解剖をしなかった。このため原告らはEの死亡を未だに納得できないのであり,その精神的苦痛は計り知れず,被告には慰謝料を支払うべき義務がある。
イ 被告病院の担当医師らの過失とEの死亡との間の因果関係
(ア) Eは,平成8年12月13日,被告病院において外来診療を受け,同日から同月15日午前5時15分に死亡するまで被告病院の担当医師であるJ医師の診察を受けた。Eは,前記のとおり心筋炎にり患し,心不全の症状を呈していたのに,J医師はこれを見落とし,単なる細気管支炎にり患していると診断したのみであって,その治療のための薬剤を投与したにすぎず,心筋炎による心不全に対する適切な薬剤投与も診療も怠ったので,そのためにEが心筋炎による心不全の症状が増悪し,死亡するに至ったのである。
したがって,以上のとおり,被告病院の担当医師らが患者に対する適切な診療を行わなかったという不作為と,それによって病状悪化したEの死亡との間には相当因果関係がある。
(イ) なお,被告は,Eの死因は不整脈である可能性が高く,強心剤を使用しても死亡を回避できないから,本件で強心剤を使用しなかったこととEの死亡との間に因果関係がないと主張する。
しかし,Eは,被告病院に入院した平成8年12月13日から心筋炎による心不全にり患していたにもかかわらず,これを見落とされ,適切な診療を受けないまま放置されていた結果,病状が増悪し,同月15日早朝には強い不整脈が出現し,伝導障害を起こし心停止となり急死した。
したがって,被告病院において,入院当初からEの症状をモニターし,症状に細心の注意をしながら,初めに強心剤であるカテコラミン製剤と利尿剤を使用し,さらに症状をみながらジギタリス製剤を使用し,利尿剤などの静注投与を行うというように,症状に応じて積極的に薬剤を選んで適切な治療を行えば死亡を回避することができたものである。
また,急性心筋炎による心不全の治療法としては,薬物療法のほかに,大動脈内バルーンパンピング法(IABP)等の補助体外循環が存在し,的確な早期診断と早期治療が実施されれば十分に救命可能である。
(ウ) 本件では,被告病院の担当医師らが,誤診によって,心筋炎と心不全に対する早期かつ適切な治療を実施しなかったのであるから,治療義務違反とEの死亡との間に相当因果関係があることは明らかである。
ウ 被告の責任
被告の履行補助者である被告病院の担当医師らは,前記所見を見逃し,Eに対して心筋炎に対する治療を全く行わず,もって,Eを死亡させるに至らしめたものであるから,被告は,診療契約の債務不履行に基づき,後記エの損害を賠償する責任がある。
また,被告病院の担当医師らの過失は不法行為に当たるから,被告は,使用者責任に基づき,後記エの損害を賠償する責任がある。
エ 損害
(ア) Eに生じた損害
a 逸失利益 1714万5518円
Eは,死亡時1歳であった。前記のとおりの被告病院の担当医師らの過失によって死亡することがなければ,Eは,18歳から67歳までの49年間にわたって,324万4400円の年収をあげることができたものである。
したがって,生活費の割合として30%を控除し,ライプニッツ式の計算方式によって中間利息を控除して計算すれば,以下のとおり,Eの逸失利益は1714万5518円となる。
324万4400円×(1-0.30)×7.5495=1714万5518円
b 慰謝料 2000万円
Eは,被告病院の担当医師らのずさんな診療により,わずか1歳の若さで他界した。その無念さは察するに余りあり,Eの精神的苦痛を慰謝するための慰謝料は,2000万円を下らない。
(イ) 原告らの被った損害
a 原告ら固有の慰謝料 各自300万円
原告らは,Eの両親であり,最愛の長女を失って悲嘆のどん底に突き落とされた。
原告らの精神的苦痛を慰謝するための慰謝料は,各自300万円を下らない。
b 原告Aの被った損害 120万円
原告Aは,Eの葬儀費用として120万円を支出した。
(ウ) 弁護士費用 合計450万円
原告らは,本件訴訟の提起及び遂行を原告ら訴訟代理人に依頼した。弁護士費用のうち被告の過失と相当因果関係のある損害は,原告A分231万0886円,原告B分218万9114円である。
(エ) 相続
Eの相続人は,Eの両親である原告ら両名であり,前記(ア)記載の損害賠償請求権を各自2分の1の割合で相続によって取得した。
(オ) 損害についての結論
したがって,原告Aの被告に対して有する損害賠償請求権は,2508万3645円であり,原告Bの被告に対して有する損害賠償請求権は,2376万1873円である。
オ 結論
(ア) 原告Aは,被告に対し,債務不履行及び不法行為に基づき,2508万3645円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成9年10月15日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(イ) 原告Bは,被告に対し,債務不履行及び不法行為に基づき,2376万1873円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成9年10月15日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(2) 被告の主張
ア 被告病院の担当医師らの過失について
J医師をはじめ,被告病院の担当医師は,Eの心臓について,特別な治療を要するような心臓肥大の所見があるとの認識を有していなかった。したがって,心不全を特別に意識した検査・治療は行っていない。
しかしながら,Eは心筋炎を併発しておらず,仮に併発していたとしても予見可能性はなく,治療義務違反等もない。
(ア) Eの死因について
そもそも心筋炎は非常に稀な病気である。心筋炎と類似の症状を呈するものに感染性心内膜炎と心膜炎があり,その確定診断は心臓カテーテルを使用した心筋生検によるが,それでも心筋炎の診断は難しい。
また,鑑定人が心筋炎併発の根拠として挙げる心拡大及び頻脈についても,放射線診断学の有力な見解によれば,心胸郭比(心臓の直径と胸郭の比)について,1歳から2歳児の正常範囲が39%から60%であるとされており,Eの心胸郭比は,13日午前の時点で約58%と正常範囲内であったから,上限に近かったことから心不全であった可能性はあるにせよ,心拡大には当たらない。頻脈については,一般に,心拍数は,生後7か月から12か月の場合,体温1℃の上昇につき毎分20上昇するから,高熱の影響によると考えられる。そうであれば,これらは心筋炎併発の根拠とはいえない。
さらに,心筋炎の症状として,文献上,失神,下痢,浮腫,痙攣が指摘されているが,Eにはそのような症状は認められなかった。発熱も,文献上,心筋炎の前駆症状とされたり,心筋炎では軽度の発熱があると指摘されるにすぎないが,Eは,38度から40度の高度の発熱が持続していた。13日にI医師及びJ医師が診察した際には,ギャロップリズムもみられなかった。このように,Eの症状には,文献上指摘されている心筋炎の症状と合致しない部分がある。
そうであれば,Eの死亡が心筋炎によるとはいえない。直接の死因として最も可能性の高いのは,喀痰の気道閉塞による呼吸不全である。
(イ) 病因解明義務違反について
仮に,Eが心筋炎による心不全の病態であったとしても,平成8年12月13日午前中に被告病院に入院した後同月15日午前2時までに以上のような病態であると診断することは極めて困難であり,被告病院の担当医師らがこのように診断しなかったことは過失に当たらない。
劇症型心筋炎とは,急性心筋炎の中で,急激に発症し,重症ポンプ失調や重篤な不整脈を併発することで心原性ショック状態を呈し,時に死に至る病態をいうが,Eは,同月10日ころから感冒様症状が出現し,同月15日午前5時ころには死亡しているのであるから,症状の進行は急激であり,劇症型心筋炎である。
年少者の心筋炎は極めて稀な病気であること,心筋炎の症状は非特異的であること,頻脈は高熱によるものと考えられたこと,心胸郭比は正常値か正常の上限程度であり,心臓肥大かどうかは判然としないこと,Eの症状は細気管支炎の典型的症状を示していたこと,患者本人から症状を聞き取ることはできなかったことに照らせば,被告病院の担当医師らには,Eが劇症型心筋炎または急激に進行して致死的となるほどの心臓病にり患していることの予見可能性はない。
J医師(研修医ではない。)は,平成8年12月14日午前10時過ぎから心電図検査機能を有する心拍モニターをEに装着して,脈拍,波形,血圧等を継続して観察する処置を実行した。これにより,不整脈やST変化などが早期に発見できる。
モニターはナースステーションにあり,これを観察するのは主として看護婦であるが,常時画面を見ていなくても,音またはアラームにより異状を感知できる。しかし,アラームを作動させない程度の頻脈のほか,特段の異状はなかった。
仮に,心臓肥大の認識や心不全の認識が可能であったとしても,被告病院の担当医師らにとって,速やかに強心剤や補助体外循環装置で対処しなければならないほどの重症な心不全であるとの予見可能性はない。すなわち,心筋炎による心不全の場合であっても,これに対する治療は安静,食事制限,利尿剤が基本である。また,上記心拍モニターによっても,頻脈以外の特別の異状は観察されなかった。さらに,補助体外循環(IABPまたはPCPS)を使用できる病院でも,これらを使用すべき事態と意識するのは,感冒様症状が出現してから早くても5日程度経過してからである。
(ウ) 治療義務違反について
以上のとおり,予見可能性がない以上治療義務違反もないが,以下に述べるところからも,被告病院の担当医師らに治療義務違反はない。
a 鑑定人は,心不全の疑いをもつべきであったことを前提として,強心剤を使用するべきであったと主張する。しかし,仮に,心不全の疑いをもつべきであったとしても,強心剤を使用すべきであったとはいえない。
高熱,心拡大,頻脈を臨床所見とするものに,病態として,心筋炎,感染性心内膜炎,心膜炎がある。
以上の3者は治療方法が異なる。感染性心内膜炎に対しては,抗菌剤を使用する。
心膜炎に対しては,心膜腔の液貯留の消失を図ること,ウイルス性の場合には安静及び対症療法,細菌性の場合には抗菌剤の使用である。
心筋炎の場合には,安静,酸素投与,輸液が最も重要な治療で,心不全に対する薬物療法としてはドパミン又はジギタリスなどの使用,あるいは利尿剤である。
したがって,心不全の疑いをもつべきであったとしても,直ちに強心剤を使用すべきであったとはいえない。
b また,心筋炎による心不全に対する治療に限定しても,直ちに強心剤を使用すべきであったはいえない。
治療の基本は,安静,酸素投与,輸液であり,強心剤等の薬物投与は不整脈を誘発するおそれがあるため,投与量に十分注意を払わなければならない。
本件において,被告病院では,Eに対する治療として,安静,酸素投与,輸液を実施している。また,被告病院で投与されたネオフィリンは,弱いけれども強心作用を有しており,利尿作用も有している。
したがって,被告病院において強心剤を投与しなかったことは過失には当たらない。
c 前記のとおり,被告病院においては,Eに関し,呼吸心拍モニターを装着し異状を明らかにし得る態勢を採りながら頻脈以外の異状を認めなかったから,注意義務を尽くしていたといえる。なお,この装置では,波形等をプリントアウトすることができるが,Eについてはそうしていない。しかし,それは,プリントアウトするのは波形,音またはアラームにより異状が観察された場合に限られたからである。
d 当時,被告病院においては,大動脈内バルーンパンピング法(IABP)及び経皮的人工心肺補助装置(PCPS)などの補助体外循環を行うことができなかったから,これらを行わなかったということについての治療義務違反もない。
(エ) 転医義務について
被告病院の担当医師らには,平成8年12月13日のEの入院から同月15日午前1時ころまでの間,Eが急激に進行して致死的になるほどの心臓病にり患していると診断することについて予見可能性がなかったのだから,転医義務はなかった。
(オ) 解剖を実施しなかったことについて
原告らは,被告病院の担当医師らは,原告らの解剖の依頼にもかかわらず,これを拒否したと主張するが,そのような事実はない。
そもそも解剖に関し,G医師が死因の究明のためには解剖という手段があることに言及したが,原告Bは,Eの体にメスを入れることは耐え難いので解剖はしたくないと述べたのであり,そのため被告病院ではEに対して解剖を実施しなかったのである。
イ 因果関係について
心筋炎の致命率は,適切な治療を行っても,一般的に新生児の場合で50から70%であり,重篤な病気である。そして,本件は,仮に心筋炎であったとしても劇症型心筋炎であり,1歳2か月の子供における劇症型心筋炎の致命率は,一般的な致命率よりも高いから,原告らが主張するような措置をとったとしても,救命できた可能性は低い。
なお,Eの死亡原因が不整脈であるとすれば,強心剤を使用しても,不整脈の発生を回避することはできず,死亡を回避することはできない。
したがって,原告らが主張する措置を執ったとしても,Eがその死亡の時点において生存したであろうことを是認しうる高度の蓋然性はない。
ウ 被告の責任及び原告らの損害について
いずれも争う。
なお,仮に被告が損害賠償責任を負うとしても,本件が心筋炎であった場合,その救命可能性が極めて低いことを考慮すれば,損害の公平な分担という見地に照らし,被告らが負担すべき損害額は,原告らに生じた損害の3割程度にとどめるのが相当である。
第3当裁判所の判断
1 前記争いのない事実に加え,証拠(後記のもののほか,鑑定人L(以下,同鑑定人作成の鑑定書(添付文献を含む)及び鑑定書(補充)並びに同鑑定人の証言を併せて,「L鑑定」という。),甲3,乙1ないし4,19ないし21,証人J,同M,同N及び原告B本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。
(1) 当事者
ア Eは,平成7年10月7日生まれであり,被告病院への入院及び死亡時において,生後1歳2か月の女児であった。
イ 被告病院は,小児科を初め,多くの診療科目を有する総合病院である。
平成8年12月当時,被告病院小児科の医師は,小児科部長であるG医師,小児科主任であるH医師,嘱託医師であるJ医師,火曜日及び金曜日の一般外来を担当する臨時医師であるI医師及びO医師で構成されていた。そして,入院患者については,G医師,H医師及びJ医師の3人でグループを組んで診療を担当していた。
また,小児科には,M看護婦,N看護婦を初めとする複数の看護婦が勤務していた。
J医師は,平成7年3月に岩手医科大学医学部を卒業し,同年5月に医師免許を取得して小児科の医師として勤務するようになり,被告病院には平成8年9月中旬から勤務していた。J医師がEの治療を行った平成8年12月当時,J医師の医師としての勤務経験は約1年半であった。
(2) 被告病院受診に至るまでの経緯
Eは,平成8年12月10日,咳をしていて喘鳴があり,鼻汁もあったため,原告Bに連れられて,Kクリニック耳鼻咽喉科を受診した(なお,以下において年月のない日付の記載は,いずれも平成8年12月の日を示す。)。そして,同日,レフトーゼ(消炎剤)4ml,ペリアクチン(喀痰や鼻汁等の分泌を抑制する抗ヒスタミン剤)3ml,メプチン(気管支拡張剤)2ml,アスベリン(咳止め薬)4mlを,1日3回内服で4日分処方された。
Eは,原告Bに連れられて,12日に再びKクリニックを受診し,テオドール0.5g(メプチンよりも持続性のある気管支拡張剤)を1日2回内服で3日分処方された。しかし,Eは,12日の夜はテオドールの粉薬を吐き出してしまい,翌13日の朝には,食欲も元気もなく,発熱があって,テオドールを服用しなかった。
Eは,原告Bに連れられて,13日にKクリニックを受診したが,担当医から,Eがいつも診察を受けている病院で診療を受けるように勧められたため,原告Bは,Eを,過去に数回診療を受けたことがある被告病院に連れて行った。
(3) 被告病院受診時の容態
被告病院では,13日午前11時過ぎに,外来担当のI医師がEを診察した。このとき,Eの体温は38.3℃と高熱であり,咳嗽に伴って嘔吐があり,肺からは喘鳴(笛声音,ぷつぷつといった湿性音)が聴取され,頻脈であった。
そして,I医師は,胸部レントゲン写真の撮影を指示したが,このとき撮影されたレントゲン写真(乙3)によれば,Eの心胸郭比は57.8%であり,肺は気腫状(吸い込んだ空気をうまく吐き出せない状態)であった。
これに対し,I医師は,嘔吐による脱水症状を抑えるため,補液を指示し,その結果,EにソリタT3号という薬剤(補液)が投与された。また,Eに発熱があるため,風邪に対して有効な抗生剤であるセファメジン150mgも点滴によって静注された。そして,メプチン及びアレベール(喀痰を融解して柔らかくする薬)をネブライザーによって吸入させ,熱があるときに解熱剤のアンヒバを坐薬として使用することも指示した。I医師はEに対し,各種検査と入院を指示したため,Eは,直ちに被告病院に入院した。
L鑑定は,Eが1歳2か月とウイルス性呼吸器感染症にり患することの多い年齢であったこと,入院の約3日前から鼻汁と湿性咳嗽がみられ,入院当日の朝にも発熱,喘鳴,努力呼吸があること,胸部レントゲン写真によれば,末梢の肺野が気腫状であることなどから,ウイルス性の気管支炎があり,その炎症が細気管支にも及んで,細気管支炎という病態を呈していたと鑑定しており,これに反する証拠はない。
(4) 入院後の13日の容態
13日午後3時ころからは,入院患者を担当するJ医師がEの診察に当たった。
J医師は,診療録の記載,前記レントゲン写真を見た上でEを診察した。レントゲン写真によれば,Eの心胸郭比は57.8%であり,両側肺の過膨張像があり(両側の肺がふくらみ,胸郭が樽のような形でぐるっと回っている状態),末梢の気道狭窄病変がある(肺の末梢に炎症があるために空気が外にうまく出せない状態)と認識した。過膨張像は,気管支炎等の徴候として理解されるものであった。J医師の診察時には,まだ血液検査データは出ていなかった。
診察の結果,鼻汁がひどく,咳き込んでおり,喘鳴が著明であって,咽頭も軽度発赤しているようにみられたことから,J医師は,Eが,幼児が冬季にかかりやすいウイルス感染による急性細気管支炎(肺の末梢にある細気管支が炎症を起こしており,喘鳴,咳,発熱等の症状がある。)か気管支炎(主として細菌による炎症であり,肺の末梢には炎症が及ばず,喘鳴もそれほどひどくない。),または,前医において喘息に対して主に処方されるテオドールが処方されていることから,喘息に感染が併発したものと考えた。その後,吸入の指示がなかったことから,指示をしにナースセンターに戻ったところ,H医師が患者の追加指示(吸入と咽頭培養等の指示)を出したところであった。
細気管支炎においては,ウイルスが炎症を起こすので,治療は対症療法が中心となり,咳き込んだり嘔吐したりすることを考え,また喀痰の排泄を促すために補液を行う。更に,気管支拡張剤を使用し,必要に応じて痰の吸引も行う。細気管支炎に細菌感染が合併している可能性は高く,細菌感染が合併していれば,抗生剤を投与する。気管支炎に対する治療も同様である。
J医師は,Eの症状から,補液,吸入,抗生剤投与,鎮咳去痰剤内服という治療方針を考え,今後の観察点として,呼吸状態の悪化の有無,発熱等を意識した。そこで,J医師は,Eに対し,レフトーゼ,ペリアクチン,メプチン,アスベリンを一日に各5mlずつ内服するように指示した。これらの薬剤は,Kクリニックで処方されたものと同じであるが,J医師は,そのときよりも症状が進んでいると考えて,内服量を多くしたものである。
その後,J医師は,Eの血液検査データの結果を知った。pH(血液酸性度)は7.415,pCO2(血液中にどれだけ二酸化炭素が分圧として含まれているかを示す数値)は25.9mmHg,BEが-6.1mmol/lであり,同医師は,気管病変のための多呼吸で,pCO2は低めであるが60mmHg以下のため,呼吸不全ではないと判断した(pCO2が60mmHg以上が呼吸不全とされる)。末梢血液像では,白血球(WBC)が軽度上昇(正常値の上限は約10000/μlであるところ,12700/μl),細菌感染を示唆する好中球優位73%,軽度の貧血(Hbが10.5g/dL)のほか,血小板も正常域であった。
血液化学データでは,脱水のため尿素窒素19.0mg/dlで上昇傾向を示しており,同時に腎機能低下で上昇するクレアチニンは,正常値である0.3mg/dlであった。血液中電解質は正常で,急性期炎症反応(CRP)は2.1mg/dlで軽度上昇,肝機能障害やウイルス感染等で上昇するGOTが48IU/l,LDHが571IU/lと軽度上昇していたが,J医師は,これは気管支や肺等の炎症によるものと判断し,上昇の程度が小さいのでウイルス感染は否定的と判断した。
また,Eは女児であるので,発熱の因子として多い尿路感染症を検索するために尿沈渣を施行した結果,尿中白血球は30~40/各視野(正常値は1~5/各視野)であった。
以上の結果から,J医師は,Eが細菌感染による急性咽頭気管支炎に尿路感染症が合併している疑いがあると診断した。そして,このとき,J医師は,Eの心臓に炎症等の異状があるとは考えていなかったため,心臓に着目した検査の指示や薬剤の投与等は実施しなかった。
(5) 14日の容態
14日は,G医師及びH医師が,学会のため八戸市外におり,被告病院で執務している小児科医師は,J医師のみであった。
14日午前9時30分ころ,J医師はEを診察した。このときのEの状態は,発熱が持続し,やや息づかいが荒い感じであった。診察上,咽頭扁桃腺が軽度発赤しており,呼吸音は喘鳴が軽度であった。熱については,アンヒバ(解熱剤)の使用によって一度は下がったものの,前夜に40℃近くまで再度上昇し,アンヒバの使用によって再び低下していた。脈拍も,毎分160ないし170(安静時における正常値は毎分120ないし130)であり,頻脈であった。
午前10時ころ,J医師が別の患者を回診している最中に,Eが咳き込んだ後に急に顔色が悪くなったとの知らせを聞いて,Eの元に行った。このとき,Eは,顔色が蒼白で,喘ぐような息づかいをしていた。
J医師が直ちに呼吸音を聞いたところ,午前9時30分のときの診察時よりも弱く聞こえた。そこで,J医師は,喀痰によって気道が閉塞したかもしれないと考え,Eの背中を叩きながら,気道を吸引するように指示した。そして,実際に吸引を行う前に,Eはもう一度咳き込み,口から咳と一緒に喀痰を排出したところ,Eの顔色が元に戻った。
J医師は,看護婦に,適時喀痰を吸引するように指示した。その後,呼吸状態の把握のために,呼吸心拍モニター(心電図及び脈拍数を測定),経皮酸素モニター(肺で酸素をどれだけ取り込めるかを示す数値である酸素飽和度を測定)を装着するように指示した。モニター画面は,ナースステーションにあり,心拍数は180以上になると警告音が鳴り,酸素飽和度は80%以下になると警告音が鳴るという設定であった。また,Eの酸素飽和度が90%以下(正常値は95%から100%)であったため,酸素テント(乙12)の使用による酸素投与を指示し,その結果,酸素飽和度は正常値に改善した。しかし,このときも,J医師はEの心臓に異状があるとは考えていなかったため,心エコー検査を実施することはなく,心電図についても波形等をプリントアウトして検討するということはしなかった。
Eの症状が,喘鳴が強くなるなど前日よりも悪化しているようにみられたため,J医師は,午前11時ころ,レントゲン写真の撮影を指示した。
なお,Eは,午後0時30分ころ,酸素テントをいやがり,テントから出たいという態度を示していたため,J医師は,酸素飽和度を見た上で,いやがっているときには出してもよいという指示を出し,その結果,テントから出された。
午後4時ころに酸素テントが再開され,J医師は,午後4時30分ころにレントゲン写真(乙4)を見たが,前日と比べて,両側下肺野で湿潤影が強く認められた。
そのため,J医師は,この時点で肺炎に進行したと診断した。このときの心胸郭比は61%と正常値を超えるものであったが,J医師は,Eの心臓に異状があると考えなかった。
J医師は,午後5時ころ,原告BにEの病状を説明した後,Eを診察した。その際,Eは酸素テント内で寝ており,顔色は軽度蒼白で,呼吸音は両側湿性ラ音が聴取された。室内空気下では,経皮酸素飽和度は85~87%であり,酸素投与が必要であると考えた。
J医師は,午後5時30分ころ,当日の当直であった呼吸器内科のP医師に引き継ぎを行った。このころ,準夜勤の勤務だったM看護婦がEの容態を診たところ,手足に冷感があり,末梢チアノーゼが認められた。このとき,体温は36.8℃であり,脈拍は毎分160であった。
午後5時45分ころから,吸入の方法について,それまでのネブライザーによる吸入を変え,酸素テント内に30分程度持続して気管支拡張剤が流れるように超音波ネブライザーによる吸入を実施した。また,ネオフィリン(持続的に気管を拡張させて内腔を広げる気管支拡張剤)の点滴を開始した。
その後,J医師は,準夜勤のM看護婦に対し,Eの症状を説明し,Eに何かがあったら当直医かJ医師を呼ぶように指示した。午後7時ころには,チアノーゼも消失した。
午後10時ころ,Eに対し,2度目の超音波ネブライザーによる吸入が実施され,またタッピングも行って喀痰を吸引したところ,酸素飽和度は100%となった。そして,午後12時ころ,J医師は,被告病院のすぐ近くにある官舎に帰宅した。
(6) 15日の容態(Eの死亡まで)
15日午前0時30分ころに,M看護婦から,夜勤のN看護婦に引き継ぎがされた。同看護婦は,午前1時,1時30分とEを観察したが,チアノーゼはなく,四肢に冷感もなく,酸素飽和度にも異状がなかった。午前1時ころの心拍数は,180前後であった。
15日午前2時ころ,Eの近くにいた原告Bからナースコールがあり,N看護婦は病室に向かった。このとき,Eはうなり声をあげていたため,N看護婦は,Eをテントの中で側臥位にしてタッピングをした上で,吸引を実施した。
このときもチアノーゼはなく,午前2時5分ころには喘鳴が軽度になったため,同看護婦は一度ナースステーションに戻った。
15日午前2時30分ころ,Eに啼泣があり,N看護婦がEのもとに行って,側臥位にしてタッピングを実施し,吸引した。しかし,喀痰を吸引できず,酸素飽和度が下がり,やがて,口唇にチアノーゼが認められた。
N看護婦は,午前2時45分ころ,J医師を電話で呼び,J医師は,当直医を緊急に呼ぶこと,気管内挿管及び人工呼吸器の準備を指示して,病室に向かった。
J医師は,午前2時50分ころ,病室に到着した。このとき,Eに自発呼吸はあるものの,弱く喘ぐようであり,毎分10~20回程度,両側で呼吸音が弱く聴取された。心拍は弱く,聴診上は40回ぐらいに聞こえた。
J医師は,Eを広い病室に移動させた上で,直ちに気管内挿管を実施した。また,心電図モニター上フラット(自発の心拍停止)となったため,J医師は,看護婦に心臓マッサージを指示した。気管内挿管によっても呼吸音が改善しないため,J医師は,Eの気道が狭窄または閉塞していると診断して,直ちに気管内の喀痰吸引を施行した。すると,気道から粘性の喀痰が吸引され,その後からは両側肺の呼吸音が強く聴取されるようになった。
しかし,自発呼吸は消失し,心拍も認められなかったため,除細動という高電圧をかけて心拍を取り戻そうとし,心臓マッサージを続行し,強心剤,カルシウム剤,ステロイド剤などを投与しながら心肺蘇生法を実施したものの,すぐに心停止に至った。
しばらくして,G医師も加わって心肺蘇生法を実施したが,自発呼吸や自発心拍が戻らず,瞳孔散大を確認して,午前5時15分にEの死亡を確認した。
(7) Eの死亡後の経緯
G医師が,死亡診断書(甲2)を作成した上で,原告Bに対し,Eの死因を説明した。
このとき,G医師は,痰が詰まっただけで心臓が止まったとは言い切れず,心臓に何かがあったかもしれないが予測できなかったと説明し,原告Bが,死因を尋ね,解剖という方法があるのではないかと聞いたのに対し,同医師は,解剖しても説明もできないこともあると答えた。原告Bは,被告病院が解剖について消極的だと考えて,それ以上はEの解剖を求めなかった。
2 以上の認定事実に基づいて,検討する。原告らは,被告病院の担当医師らの病因解明義務違反等さまざまな義務違反を主張するが,原告らの請求は,要するに,Eの死亡が,被告の被用者らがEを適切に治療しなかった過失または債務不履行により生じたものであるとして,Eの死亡により生じた損害の賠償を求めるのであり,各種の義務違反の主張は,過失又は債務不履行の内容となる注意義務違反,すなわちEが死亡する危険を認識しこれを回避する措置を執る義務に反したことについて主張するものと解される。なお,解剖義務違反の主張は,上記損害賠償請求とは,行為及び因果関係を異にする別の請求であるようにもみえる。しかしながら,原告らの主たる請求は1個であり,上記主張は,前記損害賠償請求権の存在を前提に,Eの死亡による精神的損害の大きさを主張するものと解される。
原告らが主張する損害賠償責任が成立するためには,担当医師らが上記の注意義務に従い死亡を回避する措置を執らなかった不作為のほか,その不作為と患者の死亡との間に因果関係が立証される必要がある。これは,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく(最判昭和50年10月24日民集29巻9号1417頁参照),経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し,担当医師らの不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと,換言すると,担当医師らが注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば肯定されるものと解すべきである(最判平成11年2月25日民集53巻2号235頁参照)。そして,以上の注意義務や因果関係について判断するためには,その前提として,Eの死因を検討する必要がある。
以上説示したところを前提に,Eの死因,担当医師らが注意義務に従い死亡を回避する措置を執らなかった不作為の有無,その不作為とEの死亡との因果関係を,順次検討する。
(1) Eの死因について
ア Eの死因について,原告らは,Eは細気管支炎にり患しており,これにウイルス性急性心筋炎が併発していたと主張するのに対し,被告は,細気管支炎にり患していたことは認めるものの,心筋炎については争い,最も可能性の高い直接死因は,喀痰の気道閉塞による呼吸不全であると主張する。
イ 細気管支炎については,細気管支の炎症性閉塞を主病変とする急性気道疾患で,大部分がウイルス性であり,その症状は,咳嗽,鼻汁等の上気道症状が2,3日続いた後,多呼吸,呼吸困難,陥没呼吸,呼気性喘鳴を認め,胸部X線上肺気腫状を呈するとされていることが認められる(乙6,L鑑定(鑑定書添付の文献1))。
ウ 心筋炎につき,L鑑定及び文献(甲4,9,乙32,33,34,40,47)によれば,次の事実が認められる。
(ア) 心筋炎とは,心筋の炎症性病変をいう。
(イ) 心筋炎の臨床症状は多彩で,非特異的であるが,相当程度の頻度を有するものは存在する。一般的には,感冒性の前駆症状が出現し,その後に,心症状が出現する。前駆症状としては,発熱(過半数の症例で出現し,前駆症状の中でもっとも頻度が高いとの報告がある。),悪心,咳,頭痛,咽頭痛,消化器症状などが,心症状としては,呼吸困難,胸痛,動悸,頻脈,失神,浮腫,心原性ショックなどが挙げられるが,主体的ないし典型的症状としてはうっ血性心不全がある。また,胸部X線上,心拡大を認めることが多く,聴診所見として,心音は遠く聞こえ,ギャロップリズム(奔馬調律)も認められる。
(ウ) 心筋炎は,軽症のもの,臨床的にほとんど異状を認めないものもあるが,不整脈を来たすなどして早期に死に至ることも少なくない。
(エ) 心筋炎の症例は少ないが,心筋炎の診断を受けずに死亡した症例の1から4%で心筋炎の病理所見を認めたとの調査成績がある。
(オ) 旧厚生省研究班が作成した,ウイルス性及び特発性急性心筋炎診断の手引き(案)は,(a)多くの場合前駆症状を伴う。その場合,10日以内に心症状の出現を見ることが多い,(b)心聴診所見として,distant heart sound,奔馬調律を認めることが多い。時に僧帽弁閉鎖不全を示唆する収縮期雑音などを認めることがある,(c)胸部レントゲン上心拡大を認めることが多い,(d)心電図上,ST・T波の変化,QT延長,低電位差,QRS電気軸の変化,QRS-T角の開大,異常Q波,脚ブロック,房室ブロック,期外収縮などを認める,(e)心エコー図上,心機能低下の所見を認めることが多い,心膜内液体貯留を認める場合もある,などとしている。
エ Eの死亡について,L鑑定は,Eの直接死因は,心筋炎が進行した結果による心筋機能不全,心原性ショックであると考えられるとし,それに至った原因として,喀痰による気道狭窄又は一時的な閉塞による低酸素血症が心筋炎による心不全を増悪させたこと,心筋炎に伴うことが多い不整脈が出現したことが考えられるとする。そして,Eは,13日午前11時過ぎの被告病院受診時からウィルス性の心筋炎を併発していた可能性が高いとする。その根拠ないし推論の過程は,次のとおりである。
(a) Eの入院時の静脈血のガス分析によれば,重症の細気管支炎に特徴とされる低酸素血症や,高炭酸ガス血症はみられず,むしろ過換気によると考えられる低炭酸ガス血症がみられることから,Eが入院時にり患していた細気管支炎自体は,それほど重症とは考えられない。一方,毎分160ないし180という,高熱のためだけとは考えにくい異常な頻脈が続いており,軽症-中等症の細気管支炎のわりには呼吸困難症状が強く,胸部X線写真で心拡大(特に左室拡大)が認められる。
(b) 入院時の血液検査での軽度の白血球増多,軽度の炎症反応から,細菌感染の合併も考えられるが,この程度ではたとえあったとしても病態の主要な部分とは考えにくい。GOT,LDHの軽度上昇も細気管支炎と心筋炎の所見として矛盾しない。
(c) 14日の胸部X線写真によれば,心胸郭比が61%となり,心拡大が前日よりさらに拡大しているとともに,肺うっ血と思われる,肺門部から放射状に線状あるいは斑状の陰影が明らかになってきており,心筋炎により左心不全が進行してきていることが考えられる。喀痰の喀出困難や呼吸困難など,細気管支炎によると考えられる症状は続いているが,動脈血酸素飽和度は95%以上に維持されており,肺における酸素化には問題がない。一方,前記のような異常な頻脈やかなりの呼吸困難が続き,皮膚の蒼白,チアノーゼが時折見られている。これらは,心筋炎による急性左心不全及び急性循環不全の症状である可能性が高い。前記の肺の陰影も,細気管支炎に伴う気管,細気管支周囲の浸潤影などとも考えられるが,かなりの部分が肺うっ血の増強によると考えられる。
(d) 心筋炎,心不全が存在しなかった場合,酸素飽和度がほぼ良好であった幼児が,一時的な喀痰による気道閉塞の後,徐脈を呈し,そのまま引き続いて心停止に至ることは考えにくい。
オ 被告は,心筋炎は稀な疾患である上に,その確定診断は難しいこと,Eは心拡大とはいえないこと,頻脈は高熱の影響によることなどを主張して,Eが心筋炎であることを争っている。また,被告は,感染性心内膜炎や,心膜炎との鑑別についても指摘する。
まず,13日の入院時における心拡大の有無についてみると,Eの心胸郭比は,13日のレントゲン撮影の時点では58%程度であり,1,2歳児における心胸郭比の上限は60%であると認められる(L鑑定)から,正常値の範囲内ではある。しかしながら,細気管支炎により肺野が気腫状になった場合,胸腔内圧が上昇することにより,胸部レントゲン写真における心陰影は通常より小さくなることが多いと認められ(L鑑定),L鑑定が指摘するとおり,心拡大であったというべきである。次に,高熱の点についても,L鑑定が指摘するとおり,一旦平熱まで下がった時点ですら160という頻脈がみられたのであるから,頻脈を高熱によってのみ説明し得ると考えるよりも,他の原因が競合していると推論するほうが合理的である。甲4(392ページ左側)も,発熱の程度と比例しない頻脈の持続を心筋炎を疑うべき事情として挙げているのである。
また,稀な疾患との主張については,前記のとおり,確かに症例は少ないが,病理所見で一定割合みられるとの調査成績もあるから,本件における心筋炎の認定につき決定的な障害とはならない。
診断の困難性につき,確かに,L鑑定によっても,心筋炎の確定診断のためには,血清抗体価の変動や,ウイルス分離などでそのウイルス感染があったことの証明が必要であり,心筋に炎症が存在することを証明するための心筋生検などが必要であると認められる。
しかしながら,前記のとおり,因果関係の証明につき一点の疑義もない証明ではないとする判例の趣旨は,その前提となる死因についても及ぶというべきである。本件においてL鑑定が述べるところは,多数の小児を診断した経験をふまえ,Eの症状及び死亡が細気管支炎のみではおよそ合理的に説明できず,心筋炎であったとしてもっとも合理的な説明ができることをいうものと考えられる。そして,L鑑定が推論の前提とする事実のうち,低酸素血症や高炭酸ガス血症が重症の細気管支炎の特徴とされること,本件ではこれがみられず低炭酸ガス血症がみられること,これが過換気によると考えられること,14日の胸部X線写真により肺うっ血が認められることは,これに反する証拠がなく,そのとおり認定すべきである。そうであれば,先に説示した心拡大等も含め,L鑑定の推論の前提となる事実は存在することとなる。しかも,前記認定のとおり,Eは,Kクリニックを受診した10日の時点で,咳,喘鳴と鼻汁があり,13日の朝には,食欲も元気もなく,発熱があった。
これらは,細気管支炎の症状と合致するが,心筋炎の前駆症状にも符合する。また,これまで認定した事実によれば,心筋炎の症状は非特異的であるから(鑑定書添付の文献2参照),心筋炎の症状とされるものがすべて出現しなかったからといって,心筋炎の可能性が当然に低められるということはできない。さらに,被告は,Eにギャロップリズムがみられなかったとも主張し,確かに,診療録等にはギャロップリズムがみられたとの記載はない。しかしながら,J医師は,前記のとおり,もっぱら細気管支炎の治療を考え心臓の疾患を全く念頭に置いていなかったことが認められるから,ギャロップリズムを聞き落とした可能性も十分考えられる。したがって,診療録等にギャロップリズムがみられたとの記載がないことから,ギャロップリズムがなかったと即断することはできない。なお,ギャロップリズムが心筋炎において必ずみられるとまで認めるに足りる証拠はない(甲19参照)。このことをも考慮すれば,被告の上記主張は,心筋炎との認定を左右するに足りるものではない。
死亡についても,心筋炎,心不全が存在しなかった場合,酸素飽和度がほぼ良好であった幼児が,一時的な喀痰による気道閉塞の後,徐脈を呈し,そのまま引き続いて心停止に至ることが考えにくいこと自体を否定するに足りる証拠はなく,被告病院のG医師自身も,Eの死亡時において,痰が詰まっただけで心臓が止まったとは言い切れないと考えていた(乙2)から,鑑定人が前提とする上記経験則は認定できるというべきである。
また,感染性心内膜炎や心膜炎の可能性につき,Eの症状がこれらによるとしてすべて合理的に説明できるかどうかは明らかでない。しかも,小児の感染性心内膜炎については,先天性心疾患を基礎に有する患者が圧倒的に多いとの指摘があることが認められ(乙32),Eについて先天性心疾患をうかがわせるような症状は一切認められないから,感染性心内膜炎の可能性も低いというべきである。なお,甲4によれば,心膜炎が心筋炎を併発することは多いと認められるから,心膜炎の可能性の指摘を考慮しても,直ちに心筋炎を否定することにはならない。そうであれば,感染性心内膜炎や心膜炎の可能性があるとの主張も,心筋炎による死亡の認定を左右し得るものではない。
このようにみてくると,症例の少なさや診断の困難性を考慮しても,Eの死亡は,細気管支炎だけではおよそ合理的に説明できず,心筋炎によるものとして最も合理的に説明できることが十分示されたというべきであり,Eが心筋炎により死亡したことの証明はされたというべきである。
カ 以上述べたところからすれば,Eは,L鑑定が指摘するとおり,13日午前11時過ぎに被告病院で受診した時点において,細気管支炎にり患していたほか,心筋炎を併発しており,心筋炎が進行した結果による心筋機能不全,心原性ショックにより死亡したと認めるのが相当である。
(2) 担当医師らの注意義務に従い死亡を回避する措置を執らなかった不作為の有無について
ア 心筋炎により死亡する危険を認識し得たか,認識する義務があったか心筋炎により死亡する危険を認識し得ず,また認識する義務が認められないのであれば,死亡を回避する措置を期待することはできない。そこで,まず,被告病院の担当医師らは,Eが被告病院を受診した時点において,Eが心筋炎にり患し,それが死に至る可能性があると認識し得たか,またその義務があったかについて,検討する。
L鑑定によれば,Eが被告病院を受診した時点における容態,とりわけ心拡大の所見は,心筋炎を示すものであると認められる。また,L鑑定は,生来心疾患を有していなかった児に急性の心不全を認めた場合,急性の心筋炎の発症を疑うのが普通であると指摘する。その他,文献(乙35)においても,症状や心電図所見とその変化を参考にしてウイルス性心筋炎を診断するが,病初期の診断は困難なことが多いので,かぜ症状に続いて不整脈,頻脈,多呼吸,胸痛,顔色不良などの症状を訴える小児では,心筋炎を疑ってみる必要があるとされている。そうすると,入院患者を担当するJ医師らは,入院後短時間では無理としても,同医師がEのレントゲン写真を検討しEを診察した13日午後3時ころには,Eが心筋炎にり患している可能性がある旨診断し得たと認められる。
そして,L鑑定は,心筋炎は稀な疾患ではあるが,重篤化し,死亡につながる危険な不整脈を来たしうるので,迅速な対応を必要とする重要な疾患であると認識されていると指摘する。文献上も,昭和62年に第2版第1刷が発行された小林登,鴨下重彦編「小児科学」(乙33)が,突然死の危険を指摘し,平成元年に第2版第3刷が発行された堀田正之監修「小児科学(改訂第2版)」(乙34)は,突然死もしばしばみられると指摘している。また,新生児期に発症した心筋炎は,薬物療法等の治療を行っても致命率50ないし70%と予後不良の疾患であると認められる(乙32)。Eは生後1歳2か月であったから新生児ではないけれども,L鑑定は,その致命率も新生児よりやや低いかもしれないと指摘するのみであり,救命率が大きく上がるとまでは述べていない。
以上述べたところに照らせば,心筋炎による死亡の症例の絶対数が少ないとしても,被告病院の担当医師らは,心筋炎の可能性があると診断し得た13日午後3時ころに,Eが死に至る可能性があると認識し得たと認めるのが相当である。そして,医療契約の本旨には,最悪の結果を避けるよう努力することを含むと解すべきであるから,そのときEが心筋炎により死に至る危険があることを認識する義務があったというべきである。
これに反し,被告は,Eが劇症型心筋炎又は急激に進行して致死的となるほどの心臓病にり患していることの予見可能性がなかったと主張し,様々な根拠を挙げるが,上記説示に照らし,上記の結論を左右し得るものではなく,後記の措置を執るべき義務を免れさせるものとはいえない。重度の心筋炎との診断が困難であったとしても,Eの心臓に異変があると疑って,心エコー検査や,心電図の慎重な検討を実施していれば,より確実に心筋炎にり患していることを診断できたというべきであり(甲4,乙34,L鑑定,鑑定書添付の文献2,前記旧厚生省研究班の手引き(案)参照),上記各措置を執ることの妨げとなる事情も認められないから,重度の心筋炎との診断が困難であったことから,J医師らが死亡の危険を認識し心筋炎の治療を開始できなかったということはできない。
イ 被告の担当医師らが執るべきであった措置について
一般に,文献(甲9,13,乙32,L鑑定(鑑定書添付の文献2))によれば,心筋炎の治療法としては,以下の事実が認められる。
心筋炎の治療は安静,酸素投与,輸液などの補助方法が行われ,薬物療法は対症療法が主体であり,心筋機能不全による心不全と不整脈に対する治療を行う。心不全に対する治療としては,中等症以上の例では利尿薬(うっ血性心不全に対する治療として,あるいは容量負荷軽減を図って用いる。),カテコラミン製剤(心拍出量の増大,腎流量の増加,血圧の維持など血行動態の維持に用いられる。)の静注が心筋機能改善の目的で使用される。ジギタリスを用いるのが必要な場合もあるが,不整脈の発生を誘発することがあるので,なるべく使用しない(甲13のように有効とする文献もある。)。重篤な心不全が長期に及ぶ場合には患者をICUに収容し,呼吸管理と血行動態の把握を行う。
不整脈に対する治療としては,高度房室ブロックが出現し,徐脈や血圧低下が認められる場合には,速やかに一時的ペーシングを行い,心室性期外収縮の頻発時には抗不整脈薬を使用し,心室性頻拍の持続時には電気的除細動も考慮される。
カテコラミンなどによる抗心不全療法が無効で循環不全が高度の場合には,直ちに大動脈内バルーンバンピング(IABP)や経皮的心肺補助(PCPS)を施行して急性期を乗り切るようにする。IABPやPCPSのような補助体外循環法は,近時に至って心筋炎の治療として用いられるようになったものであるが,小児において使用したという報告は,少なくともEが死亡した当時にはまだ少なかった。
また,L鑑定は,本件のEの心筋炎に対する治療法として,強心剤など心筋機能不全による心不全に対する治療を開始すべきであり,ただし,細気管支炎による喀痰喀出困難による呼吸不全もあること,また,心筋炎による危険な不整脈の出現も危惧されることから,強心剤の投与だけではなく,集中治療室(ICU)などに収容し,呼吸管理と血行動態の把握,不整脈の監視などを行い,強心剤他の適切な薬物投与,場合により補助体外循環などを行うことが必要であったかもしれないと指摘する。また,L鑑定は,臨床の場では,確定診断に至らないからといって手を拱いているわけにはいかず,得られる臨床症状・検査所見などの情報から考え得る病態を類推し,検査・治療を進めていくのが普通である,つまり,診断を確実にするための検査を進めるとともに,病態に即した治療を開始し,考えられる疾患の際に生じることが予想される事態に対処しうる準備を進めること,あるいはそういう事態が起こらないよう予防措置をとることが必要であるとする。
J医師らは,前記のとおり,13日午後3時ころにおいて,Eが心筋炎にり患しており死に至る可能性があると認識し得たのであり,上記の事実及び証拠を考慮すれば,診療当時の医療水準に照らしても,心電図の詳細な検討や心エコー検査を行ったうえ,状況に応じこれらの心筋炎に対する治療を行う義務があったと認められる。被告は,Eに投与されたネオフィリンには強心作用,利尿作用があると主張し,乙18によれば,そのような作用があることが認められるが,本件全証拠によっても,心筋炎の治療がネオフィリンで十分であると認めることはできず,前記治療を行う義務は消滅しない。
但し,転医義務につき,これまで認定した被告病院の態勢からすれば,補助体外循環装置を用いない治療は被告病院において十分可能であったと推認でき,補助体外循環装置を用いる必要が生じないのであれば,転医の義務は認めがたい。また,補助体外循環装置は,前記のとおり,カテコラミンなどによる抗心不全療法が無効で,循環不全が高度の場合に用いられるものであり,前記のとおり13日午後3時ころに心筋炎の可能性があると診断すべきであったとはいえ,すぐ補助体外循環装置を用いることを求めるのは困難である(L鑑定(尋問調書69項)参照。なお,前記のとおり,そもそも補助体外循環装置を小児に用いた例は少ない。また,補助体外循環装置の早期使用を強調しながら,PCPSより合併症が少ないIABPにおいてさえ,小児や動脈硬化が著明な例を除き,との留保を付ける文献もある(乙40)。)。そうであれば,本件においては,転医措置を入院後すぐに執るべき義務までは認めがたい。
また,原告らは,被告の看護婦がJ医師を呼ぶのが遅延したとも主張するが,L鑑定に照らし,これを注意義務違反とまでいうことはできない。
ウ 担当医師らの不作為について
本件において,Eの診療に当たったJ医師らは,前記のとおり,Eの心臓に疾患があるとは考えなかったため,Eが心筋炎にり患しているかを診断するための心エコー検査や心電図の印刷による詳細な検討を実施しなかったし,利尿薬やカテコラミン製剤等の投与,集中治療室(ICU)に収容した上での呼吸管理,血行動態の把握及び不整脈の監視,補助体外循環装置を有する医療機関への転医をしていないと認められる(乙1,2,証人J,弁論の全趣旨)。
(3) 因果関係について
ア 原告らは,心筋炎は救命できる確率が高く,本件においても補助体外循環等を実施することにより救命できたと主張する。
前記のとおり,補助体外循環は,いわば重症の心筋炎の場合に用いられることが認められるところ,原告らが主張するように,補助体外循環を実施した結果,救命された例が数多く報告されていることが認められる(甲10ないし12,乙39ないし41,47)。また,一般に,鑑定人が引用する文献2のように,「急性発症の心筋炎の約半数は完全寛解が得られ,予後はおおむね良好と考えられていた」とするなど,心筋炎における救命可能性の高さを指摘するかのような文献も存在する。
イ しかしながら,次のような点も考慮すべきである。
(ア) 上記文献で救命できたと紹介されている例は,甲12を除けばほとんど成人の患者であり,甲12についても救命できた場合を紹介しているにすぎず,Eのような1歳2か月程度の幼児がどの程度の割合で救命できるかを直接示した資料はない。逆に,前記のとおり,新生児期についてではあるが(Eは1歳2か月であり新生児とはいえない),発症した心筋炎の致命率について,必要な治療を行っても致命率50から70%と予後不良の疾患であるとする文献がある(乙32)。Eは,新生児ではないにせよ,死亡時1歳2か月とごく幼く,一般に,このような年齢の幼児につき,新生児に関する上記指摘を排斥して成人のデータ等から救命率が高いと推認し得るかには疑問が残り,このような幼児が心筋炎にり患した場合の致命率については,なお明らかではないといわなければならない。
(イ) 鑑定人自身,心筋炎はいつ死んでもおかしくない病気である旨述べ,本件については,症状が発生して死亡するまでの期間が極めて短いと指摘する。
これまで認めた事実からすれば,前駆症状の発生が10日であったと推認でき,死亡まで5日(120時間)足らずであり,急性・重症であったといえる。そして,L鑑定は,被告側が心筋炎を念頭に置いた治療をしなかったことは不適切である旨明言する反面,救命できた確率については可能性があると述べるにとどめて明確な返答を避けている。なお,鑑定人が引用する文献2の前記箇所についても,「一方では約半数が慢性化し後遺症を残し」などとも述べられている。
(ウ) Eが入院してから死亡するまでの時間は,約42時間と短く,また前記のとおり,心筋炎の疑いがあると診断してすぐに補助体外循環装置を用いるため転医させる義務は認めがたい。そうすると,仮に転医させ補助体外循環を試みたとしても,入院して相当の時間が経過した後ということになり,時期を失せず救命し得たかどうかは疑問を挟む余地が大きい。なお,そもそも,Eに補助体外循環の適応があったことを示す証拠はないこと,本件が発生した平成8年12月当時,八戸市内又はその近隣地区となる青森県内,岩手県内で補助体外循環装置を備えた病院がどの程度存在したか,また仮に近隣に存在したとしてもすぐにこれを用い得る状況にあったかを認定できるだけの証拠はなく,仮に転医を決断しても,それから短時間で補助体外循環装置の使用を開始できたかが明らかでないことも考慮すべきである。
ウ 以上のとおり,仮に被告側に求められる措置を講じた場合,Eを救命し得た可能性が高いことを示す証拠もあるが,そうでないことを示す証拠及び事実もまた有力である。そうであれば,担当医師らが注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことが,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるところまで立証されたとはいえない。そうすると,仮にJ医師らに過失があったとしても,それとEの死亡との間の因果関係を認めることはできない。
以上説示したところによれば,原告らが主張する損害賠償責任は認められない。
(4) 病理解剖の不実施について
原告らは,原告らの要請にもかかわらず,被告病院の担当医師らがEの病理解剖を実施しなかったと主張する。
しかしながら,上記のとおり,被告にそもそも注意義務違反による損害賠償義務が認められないことを措いて考えても,医療契約が,患者が不幸にして死亡した場合に患者を解剖したうえ遺族に死因を説明する義務を当然に発生させるという根拠はなく,そうしなかったことが当然に債務不履行又は不法行為であるということはできない。また,本件全証拠によっても,特約等,本件の医療契約において特に原告らが主張するような義務が発生する根拠を認めることはできない。
3 結論
以上のとおりであるから,原告らの請求はいずれも理由がない。
(裁判長裁判官 久留島群一 裁判官 増田啓祐 裁判官 下田敦史)