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青森地方裁判所弘前支部 平成10年(ワ)63号 判決 2000年3月31日

主文

一  被告の原告に対する平成一〇年五月八日付の別紙出勤停止処分が無効であることを確認する。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文同旨

第二事案の概要

本件は、被告に雇用され、被告から出勤停止処分を受けた原告が、右処分は懲戒権を濫用又は逸脱したものであって、無効であると主張して、被告に対し、右処分の無効確認を求めている事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、被告が経営する柴田女子高等学校(以下、「柴田女子高校」という。)の英語科教諭として、昭和四六年、被告に雇用された。

2  被告は、柴田女子高校のほか、東北女子大学、東北女子短期大学、柴田幼稚園、東北栄養専門学校、東北コンピューター専門学校及び弘前経理専門学校を設置し、経営している学校法人である。

3  被告の「柴田学園教職員就業規則」(以下、「本件就業規則」という。)六九条によると、職員に次の事由があるときは、審査の上懲戒するものとされている。

① この就業規則や他の規定に違反したとき(一号)

② 職務上の義務に違反したとき(二号)

③ 上長の職務上の命令や指示に反抗するなど秩序を乱したとき(三号)

4  また、本件就業規則七〇条によると、懲戒処分の種類は、①戒告(始末書をとり、将来を戒める。)、②減給(始末書をとり、法の定めるところによって減給する。)、③出勤停止(始末書をとり、七日以内の出勤を停止し、その間給与の一部を支給しない。)、④停職(始末書をとり、三か月以内の期間を定めて出勤を停止し、その間給与の全額か一部を支給しない。)、⑤格下げ(始末書をとり、その役職を解いたり格下げをする。)、⑥諭旨退職(退職願を提出するよう勧告される。提出しない場合は次号の処分を受ける。)、⑦懲戒解雇(解雇予告のない即時解雇とする。)と定められている。

5  被告は、原告に対し、平成一〇年五月八日付で別紙のとおり四日間の出勤停止処分(以下、「本件懲戒処分」という。)をした。

6  被告は、本件懲戒処分の理由として、①平成一〇年四月八日に行われた柴田女子高校の厳粛なる入学式において、担任の新入生への呼名にあたり、全く投げやりな声音、態度に終始したこと、②同入学式における担任紹介のための登壇の際、生徒にも指導している国旗への敬礼について、独り敢えてこれを行わなかったこと、③右二点について、校長より反省を求め、始末書の提出を指示したが、不当に拒否して応じなかったことが、本件就業規則六九条一号ないし三号に該当するとしている。

二  争点(本件懲戒処分の効力)

1  本件入学式における原告の呼名は、全く投げやりな声音、態度に終始したものであったかどうか。原告の行為は、本件就業規則六九条一号及び同条二号に該当するかどうか。

2  本件入学式において、原告は、国旗への敬礼を独り敢えてこれを行わなかったかどうか。原告の行為は、本件就業規則六九条一号及び同条二号に該当するかどうか。

3  原告は、始末書の提出を不当に拒否したかどうか。原告に始末書の提出を要求することが許されるかどうか。

三  争点に対する当事者の主張

1  被告の主張

(一) 第一の処分理由について

(1) 本件第一の処分理由に掲げられた原告の行為は、教師の服務規律を定めた本件就業規則一一条一項及び二項に違反し、これを前提とする同六九条一号(「この規則や他の規定に違反したとき」)及び同条二号(「職務上の義務に反したとき」)に該当する。

(2) 原告は、厳粛なる本件入学式において、担任の新入生への呼名にあたり、全く投げやりな声音、態度に終始した。

そもそも入学式は、柴田女子高校への入学を許可する厳粛な儀式である。本件で問題となっている呼名は、新入生の学級担任として紹介された各教師より予め用意した名簿に基づき、入学の許可を受けるべきそれぞれの学級の生徒の氏名を一人ひとり呼び上げ、これに返事をさせ、その場に起立させることによって、校長の面前で本人であることを紹介、確認するためのものであるから、呼名は、右趣旨に則って厳粛に行わなければならない。

しかるに、原告は、用意した名簿を全く投げやりな声音、態度で棒読みした。声は小さく、張りもなかったこともさることながら、呼名と呼名との間に必要な間隔を置いて、生徒の返事と起立の状況を一瞥、確認することをせず、次々と早口で棒読みにして呼名を続けたため、返事をして起立するという生徒の動作が間に合わず、返事をすることができないまま起立したり、前後の生徒の動作が重なり合うという混乱が再三生じた。

このような事態を惹き起こしながら、最後まで顧みることなく、棒読みの呼名を続けた原告の態度は、伝統的学校行事として従来から礼儀正しく品格を重んじ、厳粛に行われてきた入学式を著しく汚すものであり、父母や新入生らに失望感、不安感を抱かせたのは否めない。二七年にもわたり柴田女子高校教諭としての教職を経験し、学園建学の精神と高校の教育方針を遵守するよう注意、指導を受けてきた原告としては、あってはならない失態であり、如何なる弁解も許されるものではない。

(3) 最善を期して入学式に臨み、逆に構え過ぎて緊張したという原告の弁解は、全く事実を偽る不当な弁解である。原告は、柴田女子高校に勤務した二七年間のうち、一〇年ほど学級担任の経験を有し、入学式でも度々呼名を行ってきたのであるから、真摯な態度、心構えで臨んでさえいれば、このような失態は決して起こり得なかったものである。そのような原告が緊張したなどということはあり得ない。原告が投げやりな呼名の態度を最後までとり続けたことにより、混乱は、再三生じていたのであり、その場の雰囲気の中で緊張し、そのために言い間違ったりつっかえたりする類の誰にでもあり得るごく小さなミスとは全く異なるものである。真摯な態度、心構えで臨んでいなかったため、呼名の基本を踏み外したことによって、生じた初歩的かつ重大なミスであったことは否定する余地がない。

(4) 原告の教職者としての職責を汚す行為は、今に始まったことではない。原告は、平成八年三月二一日、高校の方針及び校長の指示に従わなかったかどにより、既に一度出勤停止一日(給与は半額支給)の処分を受けている上に、平成六年度には、学級担任として不適格、不適任であるとして、新一年生の学級担任を外されるという失態を惹き起こしている。原告が学級担任を外されたのは、教職者としての使命感と責任感に欠け、極めてルーズで規律正しく生徒を指導することができなかったからであり、原告の担任学級の生徒が卒業に際して生徒会誌「寒梅」に寄せた文章もこれを裏付けるものである。

その後、四年を経て、A校長は、この点についての原告の十分な反省と自覚が当然になされたものとの判断の上に立ち、原告が学級担任としての職責を立派に果たしてくれるものとの期待の下に、原告に対し、平成一〇年度の新一年生の学級担任を命じたものであるが、原告は、その期待を全く裏切り、新入生に対して新たな自覚を植え付けなければならない厳粛な入学式の初めから、教職者としての自覚の欠如と怠慢な態度のために、全く初歩的なミス、失態を演じ、校長を強く失望させた。

(5) 本件就業規則には、その前文に「『学園第一』の精神を実践するに当って、常に次の事がらを心がけなければならない」として、「5、教育即生活」の項において、「学園建学の精神である『教育即生活』とは、教師たることの自覚と実践的決意とによってつらぬかれている。したがって、吾々は人の師表たる責任と名誉を重んじ、特に教育的諸活動に当っては、それが学生、生徒たちにとって本当にためになるかならないかを真剣に配慮する必要がある」として、教師たる者の学校における諸活動の根本を規定している。

これを前提として、教師の服務規律を定めた一一条は、「学園の公共的使命を自覚し、学園の信用をきずつけたり、名誉をけがすような言動をしてはならない。」(同条一項)、「諸規則を守り、秩序、風紀をみだすようなことをしてはならない。」(同条二項)と規定している。なお、ここでいう諸規則には、教師たる者の学校における諸活動の根本を定めた就業規則前文の精神に基づいて形成された諸規則すなわち不文律をも含む。入学式における入学許可の際の呼名は不文律として形成されていた。

(二) 第二の処分理由について

(1) 本件第二の処分理由に掲げられた原告の行為も、第一の処分理由と同様、前記服務規律を前提とする本件就業規則六九条一号(「この就業規則や他の規定に違反したとき」)及び同条二号(「職務上の義務に反したとき」)に該当する。

(2) 原告は、本件入学式における担任紹介のための登壇の際、生徒にも指導している国旗への敬礼について、独り敢えてこれを行わなかった。ここでいう「敢えて」とは、故意のみでなく過失で行わなかったことも含む趣旨である。厳粛な儀式の中における担任紹介のための登壇の際に、原告のみが正面の国旗に対し敬礼しなかったため、臨席する教師、生徒、父母の目に異様に写ったことは否定する余地がない。

(3) 本件で問題となっている入学式等において、壇上正面に掲げられた国旗に対する登降壇の際に行う敬礼は、「建学の精神」に基づく「本校の特色」である「家庭科教育の伝統の上に『正しい躾と高い教養を身につけた気品のある子女を育てる』」との教育方針に基づいて、国旗への当然の礼儀として行われてきたものである。生徒に対しては、礼法を担当する歴代の家庭科主任が中心となって、これを指導してきたし、教師の場合は改めて指示、指導するまでもなく、「師弟同行の実践」として、これが励行されてきた。柴田女子高校においては、国民である以上、国旗に崇敬の念を表すのは当然のことであるから、入学式等で壇上正面に国旗が掲げられた場合は、登降壇の際の国旗への敬礼は、当然の礼儀として行うべきものとして、実践的に指導してきたものであり、この指導は今日まで確立したものとなっており、不文律として形成されていた。このように被告における国旗への敬礼は、建学の精神に基づく伝統、校風として行われてきたものであるから、原告が被告に奉職した以上、これに従うことが要請され、「思想・良心の自由」を主張して、国旗への敬礼を拒否することを正当化する余地は全くありえない。

(4) 国旗に対して崇敬の念を表すことは、国民である以上全く当然のことであり、「国家主義や皇室至上主義等特定のイデオロギー」とは全く関係がないし、「思想・良心の自由」以前の問題である。文部省も小学校・中学校・高等学校に対する学習指導要領の特例を定める件において、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえて、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と告示しているところ、文部省がこのような指導を行っているのは、まさに「思想・良心の自由」以前の問題であるからに他ならない。

(5) 原告は、柴田女子高校においては、従来、生徒に対して特に国旗への敬礼を指導していたものではないと主張する。しかし、入学式等において演壇正面に掲げられた国旗に対しては、登降壇する際、必ず敬礼するように教師を通じて躾けられてきたことは否定する余地がない事実である。率先垂範すべき教師が、敬礼をするのもしないのもその自由な判断に委ねられているというのでは、全く示しがつかず、教師として到底生徒の生活指導などできるはずはなく、建学の精神に基づく柴田女子高校の伝統と校風は根本から崩壊してしまうと言わざるを得ない。

(6) 原告が登壇の際に、国旗への敬礼をしなかったのは、思想的に含むところがあったものではなく、厳粛な儀式であるにもかかわらず、日頃の怠慢、ルーズな態度からつい敬礼をすることを忘れていたものであることは、地労委における柴田女子高等学校教員組合(以下、「組合」という。)の主張からも明らかである。

「思想・良心の自由」とはおよそ無縁のものである。

(三) 第三の処分理由について

(1) 原告が自らの不都合な行為について弁解しつつも、その非を認め、始末書の提出を一旦は了承しておきながら、不当な組合の抗議文に基づき翻意し、回答書をもって事実を作為することによって、組合問題と結びつけこれを拒否するに至ったことは、本件就業規則六九条三号(「上長の職務上の命令や指示に反抗するなど、秩序を乱したとき」)に該当し、その情状も極めて悪質である。

(2) 既述のとおり、本件第一及び第二の処分理由は、いずれも合理的理由があるから、被告が原告に対し、原告の行った行為について、反省を求めるため、始末書の提出を求めることは何ら不当とはいえない。

(3) A校長が原告に対し始末書の提出を求めたのは、純然たる服務上の問題であり、組合問題とは何らの関係もない。A校長が始末書の提出を求めた趣旨は、原告にはこれまで服務上いろいろ問題があったので、今回の不都合な行為に対し注意し、反省を求めた事実を明らかにしておくため、当日の経過と現在の心境を述べたものを始末書に作成して提出するよう求めたものであって、謝罪を求めたものではない。始末書提出を指示するに当たっては、理事長からの指摘、指示もあったが、校長としての判断によって行ったものである。

(4) 企業は、企業秩序を維持確保するため、これに必要な諸事項を規則をもって一般的に定め、あるいは具体的に労働者に指示、命令することができ、また、企業秩序に違反する行為があった場合には、その内容、態様、程度を明らかにして、乱された企業秩序の回復に必要な業務上の指示、命令を発し、又は違反者に対し制裁として懲戒処分を行うことができる。本件始末書の提出命令は、懲戒処分としての「始末書」ではなく、上司が業務命令により職場秩序を維持確保するために必要な措置として提出せしめるものである。

(5) 従来、就業規則上の懲戒処分とは別の顛末書ないし始末書を業務命令により提出せしめること自体については、労使間において当然のこととして容認されており、これが問題とされるということは全くなかった。その理由は、A校長が提出を求めた顛末書ないし始末書は、職員としての不都合な行為ないし非違行為があったことを指摘して注意し、反省を求めたことを明らかにしておくためのものであり、これを提出せしめることによって、就業規則上の処分を行うことなく穏便に収めることを目的としたものであり、その記載内容についても、本人がそのような行為に及んだ経緯ないし理由と現在の心境ないし考えを述べる程度のものに過ぎず、それ以上のことを要求したものではないからである。A校長は、本件において、顛末書ではなく始末書という名称を用いているが、それは、顛末書の提出拒否が問題となった青森県地方労働委員会の審理の中で、顛末書とはいっても、単に非違行為の顛末ないし経過を述べるだけでなく、厳重注意され、反省を求められたことに対する現在の心境ないし自己の考えを述べるものであったので、始末書という名称を用いた方がより適切であると考えたためである。A校長は、本件において、第一及び第二の処分理由とされることになった非違行為について指摘し、これに対し厳重注意し、反省を求めたことに対し、原告がそのような非違行為に及んだ経過とこれに対し厳重注意され、反省を求められたことに対する現在の心境を述べた始末書を提出することを命じたものであり、従前、被告が原告ほか二名に対して顛末書の提出を求めた場合と、その趣旨、内容において何ら変わりがない。

(6) 始末書は労働者の内心の自由に関わるからといって、業務命令により一概に強制できないとすることは、余りにも荒っぽい考え方であり、労働者の内心の自由を一方的に過大視する余り、実際にわが国の企業で行われ、正常に秩序維持の機能を果たしている始末書提出の慣行を頭から無視・否定せんとするものであり、到底支持しうるものではない。

上司がその業務命令により部下に対し始末書を提出せしめるのは、非違行為が繰り返されることを防止し、秩序維持を図るためであるから、そのために必要かつ相当とされる範囲を超えるときは、労働者の内心の自由を不当に制限することになり、許されないというべきである。その意味で、労働者が非違行為を犯したからといって、いたずらに不必要な陳謝、謝罪まで要求することには問題があるとしても、その非違行為に対し反省を求め、将来同様の行為を繰り返さないよう誓約させることまでも、労働者の内心の自由を不当に制限するものとして許されないとすることは、労働契約締結の趣旨に反し、これを否定するものである。

A校長が提出を指示した顛末書ないし始末書は、職員に就業規則違反の非違行為があった場合、そのような非違行為に及んだ経過(その理由を含む)とこれに対し厳重注意され、反省を求めたことに対する現在の心境ないし考えを述べる程度のことしか要求していないのであるから、その趣旨・内容からして、労働者の内心の自由を不当に制限するなどということは全くあり得ない。

(7) 原告は、平成一〇年四月二八日付「『入学式当日の服務に係る注意事項の確認について』に対する回答書」をもって、同月一〇日にB学年主任を伴った話し合いの際、校長が「地労委に生徒の服装問題で撮った写真の件を提出するのであれば、こちらからも今回の始末書を提出する」と発言したこと、今回の始末書の提出要求は、明らかに地労委の問題と絡め、組合員である原告を敵視したことによるものであることを主張した。

しかし、校長が右のような発言をしたというのは、明らかに事実無根である。原告の主張によれば、校長が原告に始末書を提出させる目的は、校長が生徒の服装問題で撮った写真の件を組合が地労委に提出すると困るのでそれを阻止、防御する手段として利用するためであったというのであるが、校長は、原告に対し、始末書を提出すれば処分はないと明言していたのであり、始末書を提出することについて原告の疑念を払拭するための説明、説得の過程でこのような発言をすることはあり得ない。仮に、校長が右のような発言をしたとすれば、始末書提出拒否の口実とされるだけでなく、実際にも大問題となっていたはずである。もとより、生徒に対する写真撮影問題については、被告と組合との文書のやりとりで、被告が再三その根拠のないことを指摘してきたのに対し、組合から何らの反論もないことからして、既に決着済みであり、A校長は、そのことを十分に承知しており、「この問題が公的機関で議論の俎上に乗るなど社会的な広がりを見せた場合、校長にとって不利となる」どころか、逆に、組合の不当な行動こそが白日の下に曝され、弾劾されることになるので、校長はもとより被告にとっても大いに歓迎するところであるから、これを恐れる理由は全くあり得ない。

さらに、原告の回答書は、組合の抗議文とも明らかに食い違っている。原告の回答書にあるA校長の発言が初めからあったというのであれば、組合の抗議文においても、そのように主張されたはずであり、これとは違った地労委における係争中の労働争議の報復的措置などという主張はなされなかったはずである。原告の回答書における主張は、後になって始末書出要求を拒否する口実として、組合問題と結びつけるために、事実を偽り、作り上げたものである。

(8) 原告が平成八年の処分について述べている経緯は、全く事実に反する。A校長が原告らに対し、顛末書の提出を求めたのは、生徒指導部室の整理整頓が指示どおり行われておらず、事情聴取に対しても、反省の態度が全く認められず、言い逃れをするような状態であったので、改めて各自に顛末書の提出を求めたものである。その顛末書を求めたのが平成八年二月二日であったところ、原告らは互いに連絡をとりつつ四六日間もこれを放置し、同年三月一九日になって漸く「報告書」なるものを提出してきたものであって、その不誠実さもさることながら、既に処分決定がなされた後になって提出されたものである。原告が「報告書」を提出したにもかかわらず、処分に及んだと主張するのは、全く事実を偽る不当ないいがかり以外の何物でもない。

(四) 本件懲戒処分は、以上の三点の処分理由に基づくものであるが、原告を懲戒処分に付するに当たっては、原告がこれまで既に一度処分に付され、かつ学級担任として不適任であるとして担任を外される等の経緯があったので、今回学級担任を命ぜられ、その職責を遂行するに際しては、特別な自覚と責任が求められていたにも拘わらず、全く反省、改善の態度が認められなかったことが情状として大きく考慮されたものである。

原告については、これまでも高校の教育方針と校長の指示、指導に従わず、既に一度処分されているのみならず、教職者としての使命感と責任感に欠け、極めてルーズな生活態度のため、規律正しく生徒を指導することができないことが認められたことから、学級担任として不適任、不適格として、新一年生の学級担任を外され、反省を求められていた、その後四年を経て、改めて今回新一年生の学級担任を命ぜられたことについては、当然それなりの自覚と責任が求められたにもかかわらず、全く反省、改善の態度が認められなかったのであるから、前述したような労使関係の状況の下において、被告が最終的にとった本件処分は、全くやむ得ない正当な措置というべきであり、懲戒権の濫用・逸脱とされるいわれは全くない。

(五) 本件の背景には、校長が生徒の服装問題で撮った写真が、校長の生徒に対する肖像権の侵害ないし人権侵害であるとして、組合から校長退陣(罷免)の要求がなされ、これが労使間の大問題となっていたという事情がある。

組合は、高校の教育方針と校長の指示、指導に全く従わないばかりか、校長自体が独善的学校運営を行っているとの全く根拠のない主張に基づいて、これを排斥するため、校長退陣(罷免)要求を提出し、スト権まで確立して、あくまで校長と対決する姿勢で臨んでいることは、学校運営上由々しきことであるので、被告は、このような根拠のない不当な校長退陣(罷免)要求を撤回するよう説得、要請してきたが、組合は全くこれを顧みず、争い続けるという最悪の事態に至っている。

このため、過去、組合が労働委員会の和解の場において、被告との間で二度まで行った誓約は反古に帰せしめられ、厳しい私学の経営環境下、学校運営の最高責任者たる校長の指示、指導に基づいて打ち建てなければならない教職員の協力体制は、組合の不当な姿勢、関与によって阻害されているのが実状であり、現在、地方労働委員会において係争中の処分事案も、このような組合の不当な姿勢、関与の下に発生したものであり、本件処分もその例外ではない。

理事長は、組合が校長退陣(罷免)要求を提出し、校長と対決しているため、校長の指示、指導が守られず、威令が行われ難くなっていることを最も憂い、平成一〇年四月六日の「理事長講話」の冒頭において、年度初めの教職員の心構えについて説き、これまでの校長の学校運営と指導方針が正鵠を得ていることを評価するとともに、一般に、中教審の答申に見られるように、校長の指導力強化が要請されていることにも触れ、教職員の校長の指導方針への一層の協力を要請した。しかるに、その直後の本件入学式において、本件処分理由となっている原告の不都合な行為があった。校長としては原告の反省と自覚を期待して、折角、新一年生の学級担任を命じたにもかかわらず、その反省と自覚に欠けるところがあったのであるから、これをそのまま放置し得なかったのは当然である。しかし、校長は、処分までは行わないで厳重注意を与えた上、始末書の提出によって穏便に事態を収めようとしたのであり、純粋に服務上の問題であることは否定の余地がなく、それ故に、原告も弁解しつつもその非を認め、一旦は始末書の提出を了承していた。しかるに、組合が関与することによって、組合問題に結びつけられ、これを不当に拒否するに至ったものであるから、本件処分なしに放置しなければならなかったとすれば、校長の威令は行われず、教育現場の秩序は崩壊してしまうことは明らかであったというべきである。

2  原告の主張

(一) 第一の処分理由について

(1) 本件入学式では、新入生の氏名を各クラス担任の教諭が呼び上げるものとされていた。原告は、平成一〇年度の校務分掌で、新一年生のクラス担任を分担されていたので、本件入学式においても、自己の担任クラスの新入生の氏名の呼名を始めた。原告は、入学式を厳粛なものとして捉えており、相当の心構えをもって、事前に名簿を作成し、何度か呼名の練習をするなどして本件入学式に臨んだが、緊張の余り、幾分早口になった部分や姓と名との間に間ができた部分が若干あった。幾分早口で読み上げた部分があったため、返事をして起立するという生徒の動作が先順位の生徒と後順位の生徒とで重なり合ってしまう場面も一部みられた。しかし、原告が全く投げやりな声音、態度で呼名に終始したという懲戒処分理由は事実に反する。呼名の際の声も普通の大きさで、声が小さく、張りがなかったわけではないし、終始同様な状態で呼名を続けたものでもない。生徒・父兄からざわめき等が起こるということもなく、入学式が混乱したわけでもない。誰にでもあり得るごく些細な不具合がたまたまあったというものに過ぎず、社会通念上懲戒処分に値する事由とは到底言い難い。この点で、被告は、事実に相違する理由に基づいて本件懲戒処分を行った。

誰にでもありうるごく小さなミスを口実として出勤停止四日間という重大な懲戒処分を行うことは、社会通念上著しく不合理、不相当である。このようなことを理由として懲戒処分が乱発されるようでは、職員は到底安心して勤務することはできない。

(2) 被告は、平成八年三月二一日、原告に対し、懲戒処分を加えるともに、同僚教師であるC及びDに対しても、それぞれ出勤停止二日及び戒告の懲戒処分を行った。右三名に対する懲戒処分は、かねてより、組合に対する敵対的姿勢を募らせていた被告が、組合に対する打撃を与えるべく、事実に反する不当な理由を付して、平成五年から同八年にかけて組合の委員長、書記長等の役職についており、組合の中心的活動家である右三名に対して懲戒処分を加えたものである。

また、被告が平成六年度の学級担任から原告を外したのも、同様に組合に対する敵意から、同年三月まで組合の委員長であった原告に対する見せしめ、嫌がらせとして行った措置である。

(3) 被告が引用する生徒会誌掲載の生徒の文章は、引用部分に続いた記述があり、文章全体を読むならば、原告が生徒に慕われ信頼されている教師であることが容易に判る。被告の引用は恣意的であり、原告が日頃から怠慢・ルーズであり、教師としての資格に欠けるものであるとの被告の主張は、根拠のない誹誇中傷である。

(二) 第二の処分理由について

(1) 原告が本件入学式における登壇の際に日の丸への敬礼について独り敢えてこれを行わなかったとする懲戒処分理由は事実に反する。

(2) 日の丸に対して敬礼するか否かは、各個人の自由な判断に委ねられるべき事柄である。「思想・良心の自由」の保障の内容として、一定の思想の表白を強制されない自由が含まれることは定説となっているところ、「国旗に対する崇敬の念を言動でもってしっかりと表す。」ことは、とりもなおさず一定の思想の表白に他ならない。日の丸に対する敬礼を欠いたことをもって懲戒処分の理由とすることは、事実上日の丸に対する敬礼を強制することに繋がり、個人の内心における自由を踏みにじるものであることは明らかである。日の丸への敬礼を行わなかったことを理由として懲戒処分を行うことは、思想及び良心の自由を保障した憲法一九条の趣旨に反し、ひいては公序良俗(民法九〇条)に反するものである。このことは、「日の丸」に対する敬礼を欠いた者が、強い思想的根拠をもって敬礼を拒否した場合であっても、とりたてて思想的理由があるわけではないが特に敬礼をしなかった場合であっても変わらない。

(3) 彼告の「建学の精神」とは、「教育即生活」との標語で表現される理念、すなわち、教育を実生活の中に生かし、高い教養と正しい躾を身につけた女性の育成を目指すことにあり、この建学の精神に基づいて、五つの校訓が定められている。学園創立者であるE女史の建学の理念は、あくまで、実生活特に家政方面に生かせる実践的教育及び堅実温良な女性を育成するための躾の教育という点にあり、そこには、とりたてて国家主義や皇室至上主義等特定のイデオロギーに依るべしとの趣旨は、いささかも見られない。家庭科教育の伝統の上に、正しい躾と高い教養を身につけた気品のある子女を育てることが、どうして「日の丸」への崇敬の念を表すことに繋がるのか。「心を育てる教育」、「感化・感動の教育」等が一体「日の丸」への崇敬の念とどう関係するのか。

(4) 柴田女子高校において、これまで、特に国家に対する忠誠・崇敬の念を持ち、これを行動で表すよう生徒に対して指導してきた事実はない。「日の丸」に対しても、とりたててこれに崇敬の念を持ち、それを言動で表すよう生徒を指導してきたこともない。「学校要覧」における「学校経営方針」等の公的文書でも、「校長の指示・指導事項」等の文書をみても、「建学の理念」を確認・敷衍・具体化することはあっても、国家や「日の丸」に対して忠誠・崇敬を要求するごとき方針は出されていない。高校の各種儀礼的行事においても、かつては「日の丸」を壇上に掲示せずに行われた時期もあったし、この間の職員会議においても、「日の丸」に対する敬礼の徹底等が議論されたことは、本件処分問題が起こるまで全くなかった。

(5) 日の丸の旗への敬礼が、家庭科担当教師による礼法の指導として伝統的に行われていたとの点は否認する。家庭科教師は、各種式典における一般的な儀礼として登降壇の際の礼の指導を行ってきたにすぎず、日の丸の旗に対する敬礼を指導してきたものではない。

(三) 第三の処分理由について

(1) 始末書の提出は、懲戒処分の前提となりうるものであるところ、前述したように、本件懲戒処分の第一及び第二の事由は、懲戒処分を行う合理的理由となりえないものであるから、これらの事実について始末書の提出を指示すること自体が不合理である。

したがって、始末書の提出をしなかったことは、社会通念上至極妥当なことであり、始末書の不提出をもって懲戒処分の理由とすることは不合理の上塗りを重ねることに他ならない。

(2) 原告が四月九日放課後の校長との問答の際に、本件入学式での呼名に不具合があったことについて以後十分に気をつける旨返答したことは確かである。原告のミスは、通常であれば、そのような口頭での注意をもって事が終わるはずの出来事であった。誰にでもあり得る小さなミスに対して、すかさず始末書の提出を求めるということ、これを提出しないからといって出勤停止四日間という重大な懲戒処分を加えていることが、社会通念上著しく不合理であることは明らかである。

(3) 被告は、平成八年の処分に際しては、A校長が「顛末書を提出すれば処分はしない」と言っておきながら、同校長の求めたと同趣旨の報告書を原告らが提出したにもかかわらず、その直後に処分に及んだという経緯がある。かかる経緯に照らせば、原告が始末書の提出に安易に応ずることができなかったのは無理からぬことである。

(4) 被告は、校長が街頭で生徒の写真を撮影していたことを生徒指導上必要にして正当な措置であると強弁しているが、市街の街頭で、放課後等に生徒の承諾もなしにその生徒の写真を撮影することは、社会通念上不相当な行為であり、肖像権を侵害するものであることは明らかである。校長の写真撮影行為は、極めて不当なものであるから、この問題が公的機関で議論の俎上に乗るなど社会的な広がりを見せた場合、校長にとって不利となることは明白であり、校長は、これを恐れ、「写真撮影問題を地労委で持ち出すならば、学園側も原告の始末書を持ち出す」旨の恫喝めいた発言に至った。

(5) 平成一〇年四月一七日付組合の抗議文の内容と同月二八日付原告の回答書の内容は、何ら矛盾するものではない。前者の抗議文は、校長の始末書提出要求に対して緊急の対応としてなされたものであって、そこでは詳細な事実主張をせずに、概括的に原告に対する始末書要求が組合に対抗するものとしてなされたものであることを述べているのに対し、後者の「回答書」は、これを敷衍し、校長からの始末書要求を巡るやり取りの具体的な経過を細かく説明したものである。「地労委において係争中の労働争議の報復的措置として出された」との記述は、「反組合的意思をもって組合に対抗するものとしてなされた」との趣旨を良く整理しないまま表現したものにすぎない。

(四) 被告は、組合が中労委での和解に反して一方的に争議を惹起してきたかのように主張するが、被告の方こそが、右和解条項で謳われた相互協力の精神を踏みにじり、組合に対する僧悪から不当な口実を設けて組合員を処分するということを繰り返してきた。現在の労使紛争の原因は、A校長の独断的運営姿勢・反組合的姿勢及びこれを増長強化させているかのような被告の根深い労働組合敵視の姿勢にある。

(五) 以上みたように、本件懲戒処分は、事実に相違する理由、公序良俗に反する理由及び著しく不合理な理由に基づき、懲戒権を濫用又は逸脱するものであって、無効である。

三  当裁判所の判断

一  証拠(甲四ないし七、一九ない二二、乙一、二、四の一ないし一二、五の一及び二、六の一ないし三、七ないし九、一三ないし一六、一八ないし二二、原告本人、被告代表者本人)及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められ、右認定に反する原告本人の供述部分は、その内容に照らし措信し難い。

1  平成一〇年四月八日、柴田女子高校において、本件入学式が挙行された。原告は、昭和四六年に柴田女子高校に外国語(英語)担当教諭として採用された。原告は、同四七年度から同五三年度の間及び平成三年度から同五年度の間、学級担任を受け持っていたが、それ以降、学級担任を受け持たず、平成一〇年度から再び学級担任として、一年三組を担当することになっていた。

2  本件入学式は、柴田女子高校の四階講堂において午前一〇時一五分、修礼をもって始まった。式は、開式のことば、国歌斉唱、入学許可、新入生の宣誓、校長の式辞、学年主任及び担任の紹介、校歌紹介、閉式のことばを経て、午前一一時、修礼をもって終了するという予定であった。このうち、入学許可の儀式は、一組から順番に、各学級担任が自分の受け持つ生徒一人ひとりの氏名を呼び上げ、これに呼応して、生徒が返事をしてその場に起立し、学級全員の生徒全員が起立し終えた段階で着席し、次の学級に移り、全学級の生徒の呼名が終了した後、壇上にいる校長が一学年生徒の入学を許可するという形で進められた。一組はC、二組はFがそれぞれ担任を受け持っており、同人らは、特段問題もなく呼名を終了したが、三組の順番にさしかかったところ、原告は、低い声かつ早口で、適切な間隔を開けずに次々と生徒の氏名を呼び上げたため、生徒が返事をして起立するかしないかのうちに、次の生徒の氏名が呼び上げられるといった事態が生じてしまい、一部、生徒の動作が重なり合ってしまうとか、生徒が起立しようかしまいか迷ってしまうというようなことが生じた。

しかし、そのことで、生徒・父母の間で動揺が広がり、会場がざわめいたり、式の進行が一時停止するというような事態は生ぜず、父母からも当日の式の進行について、苦情や抗議等が寄せられることはなかった。

3  式は順調に進行し、学年主任及び担任の紹介の段階に移った。これは、校長以下、学年主任及び各学級担任が、正面左側の階段から壇上に上り、紹介を受けるものであるが、登降壇の際には、国旗及び校旗が掲げられた壇上正面に向かって一礼することとされていた。A校長以下、学年主任のB及び原告を除く学級担任は、いずれも登壇の際に正面に向かい一礼することを忘れなかったが、原告だけは、ひとり登壇の際に一礼をしなかった。しかし、紹介が終わり、降壇の際には、原告も含めて、登壇者全員がそれぞれ一礼をして降壇した。Aは、登壇の際、自分の背後に原告を含めた学級担任が続いていたことから、原告が一礼をしなかったことを現認することがなかったが、被告代表者G(以下、「被告理事長」という。)は、会場に設置された来賓席において、その一部始終を見ていた。その後の式次第は、特段問題もなく推移し、午前一一時ころ、式は予定どおり終了した。

4  Aは、本件入学式終了後、別の用件で理事長に面会した際、呼名における原告の失態を詫びた。すると、被告理事長から、「それだけではない。彼は国旗に礼もしていなかった。」などと指摘を受け、原告に対し、厳重に注意するようにとの指示を受けた。

5  そこで、Aは、翌九日放課後、原告を校長室に呼び、昨日原告が行った不都合な行為を被告理事長が怒っていること、このような有り様では学級担任としても教師としても失格であること、今後はしっかりするようにとの注意を与えた。これに対し、原告は、呼名の際に失態を演じたのは、緊張したせいであると弁解し、理事長に謝りに行きたいという趣旨のことを述べた。しかし、その際は、Aは、それ以上、原告の責任を追及する考えは有していなかった。

原告は、退室間際に、Aに対し、地労委に係属している事件の展開について、自分は和解が望ましいと考えているが、校長は、どのように考えるかと尋ねた。Aは、自らの退陣要求が出されていることから、右事件については、最後まで争わざるをえないだろうと述べた。

6  翌四月一〇日、Aは、被告理事長に面会を求め、原告を呼び出して注意を与えたことを報告したところ、被告理事長は、「始末書はどうしたのか。校長が注意することは、これまでもあったことであり、注意したという事実を書いた始末書を取ることは、今までも喋っていることだ。」などと述べて、今回の事件についても原告に対し始末書を徴求するように指示した。

7  Aは、同日午後の授業終了後、再度原告を校長室に呼び出し、本件入学式における原告の行為について始末書を提出するように求めた。Aは、その際、始末書を提出すれば、それ以上問題とされることはなく、処分もないこと、始末書は同月二〇日までに提出するようにと申し添えた。原告は、しばらく考えさせて欲しいと言って、退室した。

8  原告は、退室してほどなくして、Bを同伴して、校長室に現れた。Bは、この程度の些細なことで始末書を提出させるというのはどういうことなのか、それでは職員は萎縮してしまうなどと述べて、Aに強く抗議した。これに対し、Aは、今回の一件については、自分よりも理事長が怒っていること、二度三度繰り返されれば別であるが、今回は、始末書を提出すればそれで済むこと、A自身もかつて始末書を提出した経験があることなどを話したところ、原告は、すぐにでも理事長に謝りに行きたいと申し出た。Aは、それはやめてもらいたい、理事長には自ら謝ってきたから、原告が改めて謝りに行くには及ばないと伝えた。原告は、Aの説得により、一旦は、始末書を提出するのは仕方がないと考えるに至り、始末書の宛て先を校長とするのか、理事長とするのかをAに尋ね、Aは、自ら現認していなかった敬礼の点もあるので、理事長宛にするのがよいだろうと助言した。これに対し、原告は校長宛に提出すると述べた。

9  同月一七日、組合から、被告に「H教諭に対する始末書提出要求に対する抗議文」と題する文書が送付された。そこでは、原告が入学式における呼名の一件で校長から始末書の提出を求められたこと、始末書の提出要求の真意は、呼名の躓きと登壇の際に国旗に一礼をしなかったことに対する謝罪であり、理事長の指示であること、原告に対する始末書の提出要求は、原告が組合員であり、地労委において係争中の労働争議の報復的措置としてなされたものであると考えざるをえないこと、些細なことで始末書の提出を求めるという被告の姿勢は、組合を敵視し、常に攻撃的に威圧しようとするものであることが記載され、始末書の提出要求を撤回することを求めていた。

10  その後、Aは、二度にわたり、Bを通じて、原告が始末書を提出する意思があるのかどうか確認させたが、Bから、原告は、組合で抗議文を提出したので始末書は提出していないと述べていると言っているということを聞いた。

11  そこで、Aは、同月二四日、原告に対し、「入学式当日の服務に係る注意事項の確認について」と題する文書を送付し、原告が一旦納得し、始末書の提出を約束したのに、突然組合から撤回要求がなされ、原告も翻意したことは理解しがたく、原告の真意を確かめるために、原告が翻意するに至った理由について同月二八日までに回答するよう要求した。

これとあわせて、被告は、同日、組合に対し、「『H教諭に対する始末書提出要求に対する抗議文』について」と題する書面を送り、前記組合の抗議に対し、被告理事長が校長に厳重な注意を命じたのは、本件入学式において原告が採ったような態度で学級担任に臨むと、その教育成果は、他の学級担任と著しく優劣を生じる惧れがあり、一方において原告の教師としての名誉の失墜に繋がるとともに、柴田女子高校の教育機関としての公共的使命に違背することも意味することになるからであると回答した上で、組合に対し、原告の学級担任としての所為と国旗に対する非礼を組合として如何に考えるのか、他の組合所属の教員はしなかった職責の不履行を敢えて行った原告に対し、始末書の提出を求めることが、何故に組合敵視に直結するのか、組合としての見解を知りたい旨要請した。

12  同月二八日、原告は、「『入学式当日の服務に係る注意事項の確認について』に対する回答書」をもって、前記Aからの回答要求に応え、Aと協議を持った際、始末書を提出すれば、直ちに処分はないとのことであったところ、その途中で、Aが「地労委に生徒の服装問題で撮った写真の件を提出するのであれば、こちらも今回の始末書を提出する」と発言したことで、組合員である原告を敵視することからの始末書要求であると考え、個人的問題でないと判断するに至ったこと、右判断をするに当たっては、顧問弁護士と組合にも相談の上である旨回答した。そして、本件入学式における原告の採った行動について、自らは最善を期して入学式に臨んだが、過敏に構えすぎたために、緊張して多少の躓きがあったが、投げやりな発音・呼名態度と捉えられた点については、不本意であること、登壇に際し、国旗に敬礼しなかったことについては、意識的に行ったものではなく、これが始末書提出の理由とされていることについては、非常に憤りを感じていることを記した。また、Aから始末書の提出を求められた際の経緯についても、考えさせてくれとは言ったが、始末書の提出を約束した事実はないと、Aの認識とは異なることを明らかにした。

13  一方、組合は、同年五月七日、「『H教諭に対する始末書提出要求』に係る見解について」と題する文書をもって、前記被告からの回答要求に応え、原告の呼名の際の多少の躓きは、意図的に行ったものではなく、誰にでもありうるミスであること、原告は、入学式の翌日、校長に呼ばれた際、緊張のし過ぎであったことを述べているにもかかわらず、始末書の提出を求めたのは、明らかに、原告が組合員であることを意識したものであると考えられること、さらに、校長が「始末書を提出すれば、直ちに処分はしない」と明言しながらも、「組合が地労委に生徒の服装問題で撮った写真の件を提出するならば、こちらも今回の始末書を提出する」と発言したことは、組合員差別・攻撃であり、組合として問題視していること、原告は、思想的に他意が無く、特に学園の精神に反抗的態度をとったわけでもないのに、登壇の際に国旗に一礼をしなかったことが、国旗に対する非礼とされ、やり直しのきかなぬ遺憾な態度と責任を求められること自体が理解できず、憤りを感じる旨強い調子で抗議し、始末書提出要求を撤回することを改めて要請した。

14  そこで、被告は、もはや原告に始末書を提出する意思がないものと考え、本件懲戒処分をした。

15  なお、始末書の提出に関しては、被告と組合との間で二度にわたり紛争があった。まず、平成六年三月、被告は、当時組合書記長であったCが勤務時間中に校内印刷室を許可なく使用し、組合が発行する職場ニュースの印刷を行ったこと、その内容は、A校長を誹謗、攻撃する不当なものであったところ、これを印刷室内に放置し、一般職員のみならず生徒にも目に触れるようにしたことを指摘して、Cと当時組合の執行委員長であった原告に対し、顛末書の提出を求めた。C及び原告は、顛末書を提出したが、被告は、Cの提出した顛末書の内容では、不十分であるとして、Cに対し、書き直しを命じ、再度顛末書を提出するように求めた。しかし、Cは、原告が提出した組合執行委員長名義の顛末書を提出することで被告も了解したとの見解に立って、右提出要求に応じず、組合もこれを支持し、被告との間で対立が生じた。

次に、平成八年二月二日、被告は、かねてより指導していた生徒指導部職員室の整理整頓について、C、原告及びDがAの口頭の注意に対して、反抗的態度を採り、徒に責任回避のための弁解を繰り返し、反省の色が全く見えないとして、右三名に対し、顛末書の提出を求めた。その際、Aは、顛末書の提出期限を特に明示しなかった。右三名は、同年三月一九日、報告書と題する書面を被告に提出したが、被告は、相当な期間内に提出がなされなかったとして、同月二一日、Cに対し、出動停止二日(給与半額支給)、原告に対し、出勤停止一日(給与半額支給)、Dに対し、戒告の各懲戒処分を行った。Cに対する懲戒処分については、前記の職場ニュースを巡る顛末書を同人が提出していないことについても、処分の理由とされていた。組合及びその上部組織である青森県私立学校教職員組合連合は、右各懲戒処分が不当労働行為に当たるとして、青森県地方労働委員会に救済申立を行い、現在、係争中である(以下、右事件を「別件地労委事件」という。)。

16  また、本件入学式が行われた当時、被告と組合は、A校長が街頭で生徒の写真を撮影した問題を巡って激しく対立していた。平成九年六月、組合は、被告に対し、A校長が街頭で生徒を写真撮影し、警察官から職務質問を受けることがあったこと、同校長がその際撮影した写真の一部を生徒に見せたことを指摘して、同校長の退陣を要求する文書を送付した。これに対し、被告は、その根拠となる具体的事実とこれを裏付ける具体的根拠を明らかにするように求め、これを明らかにしたと主張する組合と、組合の主張は、具体的な根拠が全く示されておらず、伝聞に基づく推量のみをもって校長の生徒指導に対し、非難・中傷を加えるものであるとする被告との間で、同年九月から平成一〇年五月にかけて、数回にわたり、文書による激しい応酬がなされていた。

二1  原告本人は、四月一〇日におけるAとの面談の中で、Bが、この件で始末書を提出しても係争中の地労委には影響がないのかと尋ねたところ、Aは、街で生徒の写真を撮影した件を地労委で出すのであれば、こちらもこの始末書を地方労働委員会の審理に提出するなどと応えた旨供述する。

この点、別件地労委事件において、Bは、Aが始末書を提出すれば、処分されることはないと言っていたこと、原告自身も処分されないのであれば、始末書を提出してもいいのではないかと思った様子であり、Bも、同様に思ったこと、しかし、Bは、被告と組合との間で地方労働委員会で係争中の紛争があったことから、本件が右紛争に影響しないのかを心配し、今回の一件が地方労働委員会に影響しないのかを尋ねたこと、それに対し、Aは、組合の方で、校長による生徒の写真撮影問題を労働委員会の審理に持ち出すというのであれば、被告も、今回の始末書を提出する旨回答したと証言しており(甲二〇)、前記原告本人の供述と合致する部分がある。

ところで、Bがした右質問の趣旨は、必ずしも明瞭でなく、同人も、右発言の趣旨を明確には説明していないものの、前記認定のとおり、被告と組合との間には、始末書(当時は顛末書と呼ばれていた)の提出を巡って紛争があり、労働委員会に事件が係属している最中であるから、本件において、原告が始末書を提出することによって、原告は処分を免れるとしても、本件がこれと同種の紛争である労働委員会の事件に不利な影響を及ぼす虞はないかをBが危倶することはありえないわけではなく、そうであるとすると、Bがこのような質問をAに行ったとしても、格別不自然とは言えない。

一方、被告は、労働委員会に写真撮影の一件を持ち出されたとしても、それによって、Aは、何ら不利な地位に立たされることはないし、そもそも原告が主張するような発言の趣旨が不明であると主張するが、A自身の見解として、自ら行った行為は正当であって、何ら非難されるべき行為には当たらない、したがって、この一件を労働委員会に持ち出されるとしても一向に影響を受けないと考えていたとしても、右行為について組合から非難され、労働委員会において、右一件が組合からの攻撃材料として提出されるならば、その対抗措置として、本件紛争における原告の始末書を提出し、組合がこれを是認したことを主張することで、過去二回にわたる始末書(顛末書)問題に関して、始末書(顛末書)の提出を拒否すること、又はその提出を引き延ばしたことがいかに不当であるかを示そうとしたと解することもできないわけでなく、Aが右発言をしたとしても格別、不自然又は不合理とは言えない。

右Bの証言及び原告本人の供述は、全くの虚構とするには具体的かつ迫真性があり、前記格別不合理又は不自然な点も認められないことからすると、信用することができる。

2  しかし、その一方で、証拠(甲五、二〇、二一、乙一五、一六、原告本人)によると、原告は、Aから始末書の提出を求められ、一度退室した後、Bを伴って現われ、再度、Aから始末書を提出すれば処分はない旨念を押され、一旦は、提出してもよいかと思うに至ったこと、原告とBは、Aの発言に対して、その場で積極的に抗議したり、Aと口論することもなく退室していること、Aは、組合の平成一〇年四月一七日付抗議文が突然、被告に送付されたことを知って驚愕したこと、Aは、原告の真意を確かめるべく、Bに尋ね、さらに自ら原告に文書を送付し、原告が翻意するに至った理由を明らかにするように求めたことが認められ、また、A自身、原告が、組合からの抗議文が送付される前に、一言その旨を伝えてくれなかったことが非常に残念でならない旨陳述していること(乙一五、一六)などに照らすと、Aは、原告がAの説得に応じて一旦は始末書を提出することを承諾し、原告及びBとの面談が終了した際も、原告は、しぶしぶながらも始末書の提出を承諾したものと判断したと認められ、それ故に、その後の原告の翻意が信じられなかったものと解される。右認定に反する原告本人の供述部分及び別件地労委事件におけるBの証言部分は、いずれも採用することができない。そして、右認定の事実及び組合の四月一七日付抗議文の中には、Aの発言に関する記述が一切認められないことに照らすと、Aは、Bの問いかけに対して、さほど深い考えもなしに前記発言を行い、原告及びBも、その際は、右発言をそれ程重大視することなく面談を終え、退室したものと推認される。

3  以上の事実を前提に、以下、各争点について判断する。

三  争点1(呼名の状況及び懲戒事由の有無)について

前記認定によると、原告の呼名は、低い声で、呼名と呼名の間に十分な間隔をとることなく早口でなされたために、生徒が返事をして起立する間もなく次の生徒の呼名がなされるといったことがあって、返事をしてよいものやら、起立してよいものやら迷う生徒もいたことが認められるものの、それによって、入学式の進行が停滞したり、会場がざわめいたりすることもなく、生徒、父兄から特段苦情、抗議が被告に寄せられたことも認められない。被告は、原告の呼名のやり方が全くやる気のない声、態度であったと主張し、被告代表者はこれに沿った供述をし、A及びIも別件地労委事件において、同様の証言を行っているところ、本件では入学式の様子を撮影したビデオテープや録音等被告の主張を裏付ける客観的証拠はなく、また、原告の呼名が全く投げやりでやる気のないものであったかどうかは、それを聞く者の主観に多かれ少なかれ左右されうるものであることからすると、通常人を基準にした客観的判断として、原告が全く投げやりな態度であったとまで認めることはできないというべきである。仮に、被告が主張するような態度で呼名がなされたとしても、Aは、当初、懲戒処分はもちろん、始末書の提出すら考えておらず、口頭の注意で足りる程度の失態と考えていたものであり、本件入学式は粛々と進行し、その進行に特段支障が生じたわけでなく、生徒・父兄から苦情等が寄せられるなどして被告の信用を傷つけるといったことも認められないことからすると、右程度の原告の呼名態度をもって、「学園の信用を著しく傷つけたり、名誉を汚すような言動」(本件就業規則一一条一項)がある、或いは「秩序、風紀をみだす」(同条二項)があると認めることはできないというべきである。

四  争点2(国旗に対し敬礼しなかった際の状況及び懲戒事由の有無)について

1  原告が担任紹介に当たり登壇する際に国旗が掲げられた正面に向かって一礼をしなかったことは、当事者間に争いがないところ、本件懲戒処分は、原告がこれを敢えて行わなかったことを処分理由の一つとするものである。そして、前記認定によれば、Aは、当初、原告の呼名の不手際だけを問題とし、被告理事長に謝りに行ったところ、被告理事長から原告が右の不手際だけでなく、国旗に対する敬礼もしなかったことが問題であると指摘され、厳重注意を指示されたこと、それでもAは、原告に対し、口頭で注意すれば足りるものと考え、処分を課すことはもちろん、始末書の提出を要求することまで考えていなかったこと、ところが、被告理事長は、原告に厳重注意を行うに当たり、始末書の提出を要求することが当然であると考え、これを指摘した上で、改めてAに始末書の提出を含めた厳重注意を強く指示したことが認められ、以上の事実によれば、被告理事長がAに対し、始末書の提出を含む厳重注意の指示を与えたのは、原告が国旗に敬礼しなかったことを特に重視したものと推測される。

2  そこで、まず、原告が国旗に対する敬礼を敢えて行わなかったかどうかについて検討するに、前掲のとおり、原告は、登壇の際に国旗の掲げられた正面に向かって一礼をしなかったものの、前記認定によれば、原告は、担任紹介が終わり、降壇する際には一礼をして着席していること、担任紹介における登壇の際、国旗の掲げられた正面に向かって一礼をしなかった者は、原告を除いておらず、C、Fといった組合所属の組合員であっても、国旗そのものに対して敬礼する意識を有していたかどうかは別として、正面に向かって一礼を欠かさなかったことが認められ、原告がかねてから国旗に対する自己の見解を披瀝し、本件入学式に臨むに当たって、国旗に敬礼しないことを公言していたような事実は、本件証拠上認められないことに照らすと、原告は、意図的に国旗に対する一礼を欠いたわけではなく、これを失念していたと認めるのが相当であり、敢えて一礼をしなかったとは認めがたい。本件懲戒処分の処分理由にいう「敢えて」の中に、過失による場合も含まれるとする被告の主張は、独自の見解に立つものであって、採用することができない。

3  被告は、過失により一礼を欠いた場合であっても、国民である以上、国旗に崇敬の念を表すのは当然のことであり、柴田女子高校においても、生徒に対する躾けの一環として、国旗に対する敬礼を指導しており、教師に対しても同様の要請がされるところ、厳粛な入学式の場において、このような失態を演じたことは、「学園の信用を著しく傷つけたり、名誉を汚すような言動」(本件就業規則一一条一項)がある、或いは「秩序、風紀をみだす」(同条二項)行為に当たると主張する。

この点、国民である以上、国旗に対する崇敬の念を持つべきであるかどうかということについては、原被告間において見解が大きく相違するところである。しかし、仮に、被告が主張するような見解を前提にするとしても、そのことから直ちに、国旗に対して、一礼を行うことが企業秩序の一つを形成し、労働契約の内容として労働者に義務づけられると解されるわけではない。これは、被告においても同様であって、国旗に対する礼を欠いたことの一事をもって、直ちに被告の企業秩序を乱したと解することはできない。そして、柴田女子高校では、少なくとも躾の一環として修礼が励行されていることは当事者間に争いがないところ、前記認定によれば、原告は意図的に登壇の際の礼を欠いたわけではなく、たまたまこれを失念したものに過ぎないものであるから、原告が今後、同種行為を繰り返すことは考え難く、他の職員及び生徒に対し波及する可能性も低いというべきであって、原告の右行為によって被告の教育機関としての秩序が乱されたと解することはできないというべきである。前記のとおり、原告の失態は、入学式という学校行事の中でもとりわけ重要な行事の中でなされたものの、原告は意図的にこれを行ったものではなく、右行為によって混乱が起きたり、式進行に支障が生ずることもなく、また、生徒・父兄から苦情、抗議が寄せられたというわけでもないこと、実際、Aはもちろん、被告理事長としても、国旗に対する敬礼を欠いたことそれ自体を捉えて、原告を懲戒処分に付す考えは有していなかったことからすると、客観的に学園の信用を著しく傷つける、又は秩序を乱す行為があったと認めることはできない。

五  争点3(始末書提出要求の可否)について

1  前記のとおり、本件処分理由第一及び第二は、いずれも本件懲戒処分の理由とはなりえないところ、前掲説示のとおり、A校長は、当初、被告理事長から指摘されて、原告を呼出し、呼名及び登壇の際の原告の失態を口頭で注意すれば足りると解し、処分は全く考えておらず、被告理事長も厳重注意を求め、Aに対し、口頭の注意では足りず、始末書の提出まで必要と叱責したものの、それ自体を捉えて処分を課すことまでをも考えていたとは認めがたい。そうすると、本件懲戒処分は、原告が前記各失態を演じ、Aから始末書の提出を求められたにもかかわらず、これを拒否したことをその主たる理由にしたものと解される。

2  被告は、Aが原告に対し提出を求めた始末書は、職員としての不都合な行為ないし非違行為があったことを指摘して注意し、反省を求めたことを明らかにしておく目的で要求されるものであって、その内容は、本人がそのような行為に及んだ経緯ないし理由と現在の心境ないし考えを述べるものであると主張し、Aも別件地労委事件において、これに沿った証言をする(乙一五、一六)。前記認定によれば、Aは、原告に対し、始末書の提出を求めた際、その内容について具体的に説明した事実は認められないものの、Aが従前、柴田女子高校の教職員に対して提出を求めてきた文書は、被告が主張するような趣旨・内容であったこと、Aは、従前これを顛末書と呼んでいたが、単なる事実の経過を記した文書ではないから、始末書と称するようになったこと、前記のとおり、原告は、Aから提出すべき始末書の内容を説明されたわけではないものの、今回求められている始末書がそのような内容のものであることを暗黙の前提として認識していたことが認められる。そうすると、本件始末書は、謝罪の意思を表明する内容を含むものではないものの、さりとて、単なる事実の経過又はてん末を記したに止まるものでもなく、一定の非違行為ないし不都合な行為に対する本人の反省の意を表す内容を含むもの、いわゆる反省文と解するのが相当である。この点、被告代表者も、単に始末書を提出しただけでは足りず、その内容から本人の真摯な反省の情が窺われることが必要であって、内容如何によっては、書き直しを命ずることもありうる旨供述しており、始末書において、提出者が反省の意を示すことが不可欠であることを明らかにしている。

3  ところで、労働者は、労働契約を締結して雇用されることによって、使用者に対して労働提供義務を負うとともに、企業秩序を遵守すべき義務を負う一方、使用者は、始末書の提出によって企業秩序の回復を図ることができるから、始末書の提出を強制する行為が、労働者の人格を無視し、意思決定ないし良心の自由を不当に制限するものでない限り、使用者は、非違行為をなした労働者に対し、謝罪の意思又は反省の意を表明する趣旨の始末書の提出を命ずることができ、労働者が正当な理由なくこれに従わない場合には、これを理由として懲戒処分をすることができると解するのが相当である。そして、始末書の提出を求める根拠が右のような企業秩序の維持・回復にあるとすると、企業秩序違反すなわち就業規則上定められた非違行為を行ったとはいえない場合にまで、始末書の提出を要求することは、その趣旨を逸脱するものとして許されないと解するのが相当である。

4  これを本件についてみるに、前記認定によれば、被告が原告に対して要求した始末書は、その内容自体からみれば、必ずしも個人の意思決定ないし良心の自由を不当に制限するものとまでは認められないものの、前掲説示のとおり、本件入学式において、原告が適切な呼名をしなかった行為及び国旗に対して一礼をしなかった行為は、いずれも被告の信用を著しく傷つけたり、名誉を汚すような言動には該当せず、被告の秩序を乱す行為にも当たらず、就業規則で定められた非違行為があったとは認められないから、このような行為について、反省の意を表すことを内容とする始末書を要求し、労働者にその提出を強制することは許されないというべきである。なお、被告は、原告に対し始末書を求めた理由として、原告に関しては、それまでの経緯に照らして、口頭での厳重注意では足りず、始末書を提出させることによってけじめをつけ、厳重注意をし反省を求めた事実をはっきりさせる必要があったと主張するが、口頭の注意では足りず、事実を明確にしておく必要があるというのであれば、原告をして反省の意を表明させるまでもなく、厳重注意する旨記した書面を送付することによっても十分その目的を達することができるから、本件事案について始末書を要求する理由が合理性を有するとも認め難い。

5  したがって、本件入学式において原告が行った失態について、被告が原告に始末書の提出を求めたとしても、あくまで任意の提出を期待するに止まり、その不提出に対し、懲戒処分といった制裁を加えることは許されないというべきである。

六  そうすると、本件懲戒処分は、被告が主張するところの懲戒事由がいずれも存在せず、懲戒権を逸脱してなされたものであって、無効と解するのが相当である。

七  以上によれば、原告の請求は、理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 武笠圭志)

<以下省略>

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