青森地方裁判所弘前支部 平成12年(ワ)112号 判決 2004年3月26日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,1億4609万3088円及びこれに対する平成12年3月9日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
1 本件は,被告(国)が設置管理する大学病院において,脳動静脈奇形と診断された原告がエンボライゼイション施術を受けた後,くも膜下出血等を発症し,奇形部分の全摘出手術を受けた結果,右半身不随麻痺等の後遺症を生じたとして,原告が被告に対し,診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償を求める医療過誤の事案である。
2 争いのない事実
(1) 原告(昭和24年9月14日生)は,平成4年1月16日,頭痛や目がチラチラするという症状のため,被告が設置するY大学医学部附属病院(以下「被告病院」という。)を訪れ,MRI検査等を受けたところ,左後頭葉から頭頂葉にかけて,脳動静脈奇形(以下「AVM」ということもある。)が認められたので,同年2月3日,精査目的で被告病院の放射線科に入院した。
(2) 被告病院の放射線科のA医師は,原告及び原告の夫であるBに対して,原告の脳動静脈奇形につき,説明を行い,原告らは,A医師の説明に基づき,エンボライゼイション施術(以下「塞栓術」という場合もある。)を受けることを同意した。
エンボライゼイション施術とは,セルジンガー法(血管を二重針で穿刺後内針を抜去し,外筒を血管内腔に留置した後これを通してガイドワイヤーを血管内に挿入し,これを軸としてカテーテルを血管内に挿入する方法)により,大腿動脈から流入動脈に挿入したカテーテルによって,血管を造影したうえ,塞栓物質をカテーテル内に注入し,ナイダス(大小様々な短絡血管が集まった部分で動静脈奇形の本体部分)を塞栓する治療法である。
(3) A医師は,同月24日午前10時30分ころから同日午後2時ころまでの間,原告に対し,エンボライゼイション施術の目的で,血管撮影を施行した。施行後,CTによる検査を行ったところ,くも膜下出血及びこれを原因とする急性水頭症が認められたため,同日,原告は,被告病院の脳神経外科に転科した。
(4) 被告病院の脳神経外科のC医師,D医師(第1助手),E医師(第2助手)は,同年5月26日,原告に対し,AVMの全摘出術を施行した。
(5) 原告には,平成4年7月1日現在,右半身不全麻痺,右知覚障害,作話,失読症,失算症,右側視野欠損,右半身触覚の低下,感覚性失語症,手指失認の症状が残ったため,原告は,リハビリテーション目的で,同日,F病院に転院した。
(6) 原告は,くも膜下出血を原因とする著明な知能低下及び高次機能障害の症状が残存し,日常生活において,常に厳重な注意ないし介護を要する状態にあり,平成4年6月6日,青森県から,身体障害者手帳(1級)の交付を受けた。
3 争点及び争点に関する当事者の主張
(1) A医師が,エンボライゼイション施術をする際に,説明義務を尽くしたといえるか(注意義務違反その1)。
(原告の主張)
① A医師には,医療業務上,患者である原告の診察及び治療に際し,適切な治療行為を施してその生命身体を保護すべき義務があり,原告に対して,エンボライゼイション施術を行うに際しては,原告に対し,その方法・効果・危険性について懇切丁寧な説明を行い,その施術に対する適法な同意を得る義務がある。
② A医師は,造影CTや脳血管撮影等の検査から,原告の動脈が奇形とも言える複雑な形をしており,しかも,左後大脳動脈のP2(後大動脈の主幹部分のうち,脚部と言われる部分)付近でT字路に分岐していることを認識したのであるから,その先のAVMに対してエンボライゼイション施術を行うこと自体危険を伴うことを予測し得た。したがって,A医師は,原告及びBに対し,術前に,その危険性及び効果,また,AVMをそのままにしておく危険性について説明し,原告から施術に対する適法な同意を得るべきであった。
③ ところが,A医師は,原告及びBに対し,原告の脳動静脈奇形は,70歳まで破れないかもしれないが,破れるかもしれないから,治療を行った方がよい,治療方法としては,奇形部分の全摘出術とエンボライゼイション施術があるが,将来的には,すべて後者が取られるようになる,エンボライゼイション施術によって,奇形部分の直前の血管を殺すことになる,同施術により,視野が狭まるという症状が残るが,血管を殺すこと自体は簡単であり,施術の翌日に退院可能である,という説明を10分から15分かけてしただけで,原告及びBをして,エンボライゼイション施術は,危険性が小さく,簡単な施術であると理解させて,手術に同意させた。
④ このように,A医師は,原告に対し,エンボライゼイション施術の効果・危険性等について,不完全な説明しか行っておらず,被告には,過失がある。
(被告の主張)
A医師は,平成4年2月18日午後1時ころから1時40分ころまで,原告及びBに対し,塞栓術の目的・効果・方法,合併症などについて,次のとおり,十分な説明を行い,その結果,原告及びBから,承諾を得た。よって,A医師には,原告に対する説明義務に違反した事実はなく,被告に過失はない。
① 原告の疾病は,左後頭葉から頭頂葉にかけてのAVMであり,これが平成3年7月に生じた脳出血の原因であること。また,現在の同名半盲の原因であること。
② 一度出血していため,再出血の危険性があること。ただし,それがいつ生じるかは不明であり,また,必ず出血するとは言えないが,いつ出血してもおかしくないこと。
③ 病変部が増大する危険性もあること。
④ 治療には,手術(摘出術),塞栓術,放射線治療があること。この中で,放射線治療は,病変が大きすぎて治療効果が疑問であること。手術については,被告病院脳神経外科の診察では,AVMが大きく,また,深部静脈も関与しており,摘出によって神経脱落症状の出現する危険性が高いと考えられることから,まず塞栓術を勧めていること。
⑤ 塞栓術は,細い管(カテーテル)を大腿動脈に挿入した後,AVMの栄養動脈へ進め,塞栓物質を流してAVMを塞栓する治療法であること。開頭しない分,摘出術より患者への侵襲が少ないこと。ただし,1回の塞栓術では完治させるのは困難であること。また,塞栓できない重要な脳の領域もあり,危険性を伴うこと。塞栓による神経脱落症状を防ぐため,誘発テストを施行しつつ塞栓すること。しかし,誘発テストで大丈夫であっても,塞栓後,症状の出現することがあること。出現する可能性がある症状としては,視野障害,失読,色彩失認,相貌失認,失語が挙げられ,このうち視野障害は,被告病院眼科での検査ですでに存在していることが判明していること。
⑥ 脳血管にカテーテルやガイドワイヤーを挿入するので,これらはかなり柔らかいものとはいえ,脳出血や脳梗塞を生じる可能性があること。その症状は,出血や梗塞の程度,場所により様々であること。
⑦ 塞栓術後は,1ないし2週間様子を見て,特に問題なければ退院し,外来通院しつつ,次の治療を考えること。
(2) A医師がエンボライゼイション施術を適切に施行しなかった注意義務違反があるか(注意義務違反その2)。
(原告の主張)
① A医師には,医療業務上,患者である原告の診察及び治療に際し,適切な治療行為を施してその生命身体を保護すべき義務があり,原告に対して,エンボライゼイション施術を行うに際しては,くも膜下出血及び橋出血という重篤な症状を惹起しないような適切な方法で施行する義務がある。
② しかしながら,A医師は,以下に述べるような事情からして,エンボライゼイション施術施行に際し,カテーテルを原告の脳血管に無理に挿入しようとして,血管を損傷させ,脳底部にくも膜下出血を起こし,さらに,橋出血を惹起させたものである。
ア 平成4年2月24日,エンボライゼイション施術の目的で,血管撮影を施行した途中に,CTによる検査が行われたのは,原告の意識レベルが低下したためであった。同日以降,原告には,エンボライゼイション施行付近に出血があった。
イ 施術後,A医師は,Bに対し,施術の経過につき,「思ったより難しかった。(カテーテルが)なかなか入らず,無理して押したら血を漏らした。2,3か所出血した。」と述べた。
ウ 出血源は,脳幹底部にあり,左後頭葉付近で認められたAVMの位置とは異なっている。しかも,A医師は,カテーテルをAVMに達することができなかったわけであるから,くも膜下出血をきたした位置は,AVMに達するより以前,すなわち,中枢部であり,そこは,脳幹底部と一致する。したがって,AVMからの出血ではなく,カテーテルが挿入された部位からの出血と考えるのが妥当である(AVMナイダスは,T字路のさらに先で,これに至る流入動脈に自然破裂するような動脈瘤はみられないことから,AVMからの自然出血は考えられない。)。すなわち,A医師は,ワイヤーをAVMがあるところまで達すべく挿入したが,脳幹底部で出血させてしまい,AVMまで達することができなかったのである。なお,AVMがあるのは,左頭頂葉,後頭葉にまたがった部分である。
エ A医師は,術前に,造影CTや脳血管撮影など綿密な検査を行って,原告の動脈が奇形とも言える複雑な形をしており,しかも,左後大脳動脈のP2付近でT字路に分岐していることを認識していたのであるから,その先のAVMに対してエンボライゼイション施術を行うことはきわめて危険であることについての予測ができたはずなのに,検査所見を十分検討しなかったため,予測された危険を見落とし,この付近から出血させた。
オ また,橋出血の原因も,その時期・場所からして,カテーテルの誤操作によるものである(同年2月24日実施のCTには橋出血が認められず,同月25日実施のCTには認められるが,両者はスライスの切り方に違いがあり,前者に出血部位のスライスが抜けている可能性もある。)。仮に,橋出血が,術後に起こったとしても,くも膜下出血から急性水頭症をきたし,静脈環流の障害から静脈性の出血をきたした可能性があり,原因はくも膜下出血にあったといえる。
③ 原告の後遺症は,塞栓術が不成功に終わり,くも膜下出血,急性水頭症をきたしたために脳神経外科の手に委ねられた結果,塞栓術を経ずに,直接AVM摘出術がされることになり,このため,重要な脳実質がかなりの部分摘除されたことによるものである。このように,塞栓術の不成功が,原告の後遺症を増大させたのである。塞栓術が成功していれば,原告の右同名半盲も消滅したはずである。
(被告の主張)
① A医師は,平成4年2月24日,原告に対し,塞栓術を目的とした血管造影を施行したが,その際,カテーテル等の操作はすべて慎重に行われ,カテーテルを脳血管に無理に挿入しようとしたことはなく,手技を原因として血管損傷を生じたとの事実はない。
② A医師は,塞栓用のカテーテルであるマイクロカテーテルを右椎骨動脈に挿入されている親カテーテルに挿入し,これをAVMの流入動脈である左後大脳動脈まで進めようとしたが,反対側の後大脳動脈の方に進んだため,目的とする左後大動脈まで挿入することができなかった。
このため,カテーテルを誘導するガイドワイヤーやマイクロカテーテルを別の種類のものと交換して,再び栄養動脈へ進めようと試みたが,進まなかったため,無理をせず,いったんバルーンカテーテルとマイクロカテーテルを抜去し,両側の椎骨動脈に挿入していた親カテーテルを下行大動脈まで引いた。そして,親カテーテルの1本を左椎骨動脈へ進め,マイクロカテーテルを進めようとしたが,左後大脳動脈へ進めることができなかった。
塞栓術がこのようになかなか奏功しなかったこと,原告が手技の途中で頭重感を訴えたこと(このために,CTが施行された。)から,A医師は,手技を終了することとし,親カテーテルとマイクロカテーテルを抜去した。
なお,塞栓術を施行するにあたっては,当初の目的である血流制御及び左後大脳動脈閉塞テストが行えなかったことから,バルーンカテーテルは予定した半分も膨らませていなかった。また,左後大脳動脈には,その奥にあるAVMの存在によりかなり速い血流があり,このため僅かなバルーンの膨らみでバルーンカテーテルを左後大脳動脈へ進めることができたので,バルーンカテーテルが血管を損傷したとは考えられない。
原告が主張する「T字路」は,P2付近ではなく,P3(後大脳動脈の主幹部分のうち,迂回槽部と言われる部分)に相当する位置にあり,A医師が操作したカテーテル等はそのような位置にまで挿入されていない。したがって,この点に関する原告の主張は理由がない。
③ 原告に出血が認められた部位は,エンボライゼイション施行付近ではなく,くも膜下腔である。くも膜下出血は,AVM(左後頭葉から頭頂葉)からの出血と考えられる。くも膜下出血は,原告の脳底槽から左迂回槽に多く認められ,左側に優位であることが明らかである。A医師は,カテーテルを原告の右後大脳動脈には容易に挿入できたものの,目的とした左後大脳動脈に挿入することができず,塞栓術を断念している。カテーテルやガイドワイヤーによって,左側の血管を損傷したとは到底考えられない。
また,原告は,平成3年7月26日に脳出血及び脳室内出血を起こしているが,その出血源はAVMに隣接する脳室であり,今回の出血もAVMに隣接する左迂回槽であり,同部は,AVMの関連動脈や静脈が認められる場所である。
以上の事実は,くも膜下出血がAVMからのものであることを物語っている。
④ 橋出血は,血管造影後施行した2回のCTでは観察されなかった(特に午後4時頃施行された頭部CTは,隙間なく,かつ微細な間隔で撮影されており,橋出血が見逃された可能性はあり得ない。)。原告は,くも膜下出血後,急性水頭症を発現し,脳ヘルニアを起こしたため,意識障害は昏睡状態にまで至り,さらに,呼吸障害も生じた。そこで,被告病院の脳神経外科に転科して,脳室ドレナージが施行された。その翌日(同月25日)午後4時ころに撮影された頭部CTにより,初めて橋出血は認められた。
脳ヘルニアが橋出血を誘発した可能性が高いが,橋出血が生じた真の原因は不明である。塞栓術を試みたこと(カテーテルの誤操作)が原因とは考えられない。
⑤ A医師は,塞栓術の後,Bに対し,次のとおりの説明をした。
ア バルーンカテーテルは挿入できたが,塞栓用のマイクロカテーテルを栄養動脈まで挿入できなかったので,無理をせず塞栓術を中止したこと。
イ くも膜下出血が発生し,AVMからの再出血の可能性があること,栄養動脈にガイドワイヤーやカテーテルは挿入していないので,その刺激は考えにくいこと。また,カテーテルを挿入する以前からあった頭重感以外には,出血を思わせる新たな臨床症状がはっきりしなかったので,くも膜下出血がいつ発生したか,はっきりしないこと。
ウ 被告病院脳神経外科医に診てもらい,その指示で点滴治療を開始したこと,2,3日中に脳神経外科への転科もありうること。
⑥ 以上から,A医師が塞栓術を試みたことと出血の原因との間に因果関係はなく,被告の過失は認められない。
(3) AVMの全摘出術に関し,この術式を選択して施行したことが誤りであったか,被告病院の担当医師による説明は十分であったか(注意義務違反その3)。
(原告の主張)
① 平成4年2月28日のCTでは,原告のくも膜下出血は引いており,その後意識回復して,リハビリの効果も現れており,再度,エンボライゼイション施術を行なう余地があったにも関わらず,同年5月26日,AVMの全摘出術が行われた。エンボライゼイション施術は,AVMの根治的治療法ではなく,摘出術の前段階として行われることが多い。その主な目的は,ナイダスの縮小と手術的に到達困難な流入動脈の遮断で,塞栓術を用いることによって,摘出の可能性が広がり,手術操作も容易になる。AVMの全摘出術の後遺症は後記②のとおり重いものであるから,全摘出術施行前に,エンボライゼイション施術を成功させて,摘出部分を極力小さくすべきであった。被告が,カテーテルの誤操作などによるエンボライゼイション施術の失敗はなかったというならば,なぜ再度エンボライゼイション施術を試みようとしなかったのか。以上から,後遺症のリスクが大きい全摘出術を選択し,施行したことについて,被告病院の担当医師には,過失がある。
② AVMの全摘出には,優位半球の皮質性感覚障害(局在認知,位置覚,運動覚,2点識別感覚,皮膚書字試験の障害),構成失行,対側半身のmuscle atrophy,視野の欠損(反対側の下4分の1半盲),運動失調(深部感覚障害によるものが主体),失行,失読,失書等の後遺症が考えられ,担当医師(D医師)もそれを認識していた。ところが,D医師は,原告及びBに対し,同年5月12日,「手術しないで,そっとしておく方法はある。しかし,その場合,立位歩行などの積極的方針はとれない。一生日常生活が制限されるであろう。手術をする方法がある。しかし,手術は,本質的に困難で,2回から3回に分割して行うことも考える必要がある。どちらをとっても得失があるが,どうするか。」という説明をし,同月19日,原告に「来週の火曜日治療します。それを行うとイスに坐ったり歩行訓練できます。」と説明しただけで,AVM全摘出術のリスクと後遺症につき,十分な説明しないで施行した。そのため,原告にとって思いもよらない後遺症(右同名半盲,右感覚鈍麻,感覚性失語,作話,失読,失算,手指失認,知能障害)が生じた。よって,被告病院の担当医師には,説明義務違反が認められる。
(被告の主張)
① A医師が原告に対して試みた塞栓術は,塞栓用カテーテルがAVMの栄養動脈に挿入できなかったことにより,施行できなかった。
そして,原告の脳底動脈から左後大脳動脈にかけて高度の蛇行があり,カテーテルを無理に挿入することは危険が伴うことのほか,塞栓術を中止した後に,原告の頭部CTを撮ったところ,AVMからと考えられる出血が認められたこと,原告は,その後急性水頭症を発現し,脳ヘルニア,さらには,橋出血を起こしたこと,そのため,原告の意識障害は昏睡状態にまで至ったこと,既に数回わたってAVMから出血があることから,今後も再出血する可能性が高く,加えて死亡率も上昇することなどから,AVM全摘出術は,原告に対する根治治療として,被告病院が取るべき最善の手段であった。
原告は,AVMの全摘出術を受けて手術室から帰室した2時間35分後には「口を開けられますか」との問いに対し,「はい,開けられます」と回答するまでに回復しているのであって,全摘出術は,むしろ原告の神経症状,脳機能すべての面で改善をもたらしている。
以上から,原告に対し全摘出術を施行したことについて,被告には,過失がない。
② AVMの全摘出によって原告に生じる神経症状については,術前に被告病院の担当医師(D医師)から,原告及び原告の家族に対し,十分に説明がされている。
被告病院の脳神経外科の担当医師は,平成4年5月12日から26日までの間,原告及びBに対し,数回にわたり,摘出術をしない場合のリスク(特に再度の出血の可能性や死への転帰の危険性)及び摘出術をした場合のリスク(特に全摘出によって生じ得る神経症状)について説明した。乙20(脳神経外科診療録)には,脳神経外科の担当医師が同年5月12日にBに対して行った説明内容と,Bが摘出術を行うことを承諾した旨の記載があるが,被告病院の脳神経外科の担当医師は,このとき以外にも折に触れて原告及びBに対し,摘出術を行うことの利害得失について説明をしている。以上から,被告病院の脳神経外科の担当医師には,原告に対する説明義務に違反した事実はなく,被告に過失は,認められない。
(4) 損害額
(原告の主張)
原告は,以下①ないし⑦の合計1億4609万3088円の損害を被った。
① 入院雑費 60万9700円
原告は,平成4年2月14日から同年6月30日まで137日被告病院に,同年7月1日から同年11月30日まで153日F病院に,同年12月1日から平成5年5月28日まで179日G病院に入院し(合計469日間),一日当たり1300円の雑費を支出した(1300円×469日間)。
② 入院付添費及び自宅介護料 1762万2000円
原告は,平成4年2月14日から平成11年11月30日まで合計2937日間,一日当たり6000円の付添看護料を要した(6000円×2937日)
③ 将来の介護料 3585万9279円
原告は訴え提起当時50歳であり,平均余命が35年であるから,一日当たりの6000円の介護料が必要として,中間利息の控除をライプニッツ係数を用いると次の計算式となる。
6000円/1日×365日×16.3741(ライプニッツ係数)
④ 休業損害 105万3252円
原告の本件事故当時の平均年収340万2100円を基準として,手術から症状固定(平成4年6月6日)まで113日あるから,次の計算式のとおり休業損害がある。
340万2100円×113日÷365日
⑤ 後遺症による逸失利益 4794万8857円
原告は手術時43歳であり,平均賃金は340万2100円であり,労働能力を全く喪失したから,労働能力喪失期間を症状固定時から67歳までの25年間とみて,中間利息としてライプニッツ係数を用いると,逸失利益は次のとおりとなる。
340万2100円×1.0(労働能力喪失率)×14.0939(ライプニッツ係数)
⑥ 慰謝料 3000万円
⑦ 弁護士費用 1300万円
本件事故と相当因果関係がある弁護士費用は1300万円が相当である。
(被告の主張)
否認する。
第3争点に対する判断
1 診療の経過
前記争いのない事実に加え,証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば,被告病院における原告の診療経過について,次の各事実を認めることができる。
(1) 原告(昭和24年9月14日生)は,平成3年7月27日,突然の頭痛・嘔気により,H病院を受診し,頭部CTの結果,左脳内出血及び脳室内出血と診断され,同病院に入院した。内科的治療を受けて,症状が消失したため,同年8月26日退院したが,その後も,頭痛や目がチラチラする等の症状を訴えて通院していた。そこで,H病院の医師は,平成4年1月14日,原告に被告病院の放射線科を紹介した。
(2) 原告は,同月16日,被告病院の放射線科を受診した。
同日に,頭部MRIが,同月28日に,頭部CTがそれぞれ施行された結果,原告の左後頭葉から頭頂葉にかけて約8cm×4cm×5cmのAVMが認められた。
なお,A医師は,このAVMについて,Spetzlerの危険度分類によればグレード5に該当する重篤なものであると判断した。
(3) A医師は,同月29日午前11時45分頃,原告とBに対し,MRIとCTの映像結果を示しながら,左後頭葉から頭頂葉にかけてAVMがあり,出血の既往症があるから,再出血の危険性が高いと考えられることについて説明し,このため治療の必要があるが,その選択肢としては,手術(摘出術),エンボライゼイション施術,放射線治療があること,手術の点を含めて適応を決めるために,血管造影が必要であること,そのためには入院する必要があること,その後,脳神経外科とも相談して,原告らの意見も聞いた上で治療方針を決めたいと話した。
(4) 原告は,同年2月3日,血管造影の目的で,被告病院の放射線科に入院した。
同日,A医師は,原告に対し,脳動静脈奇形(AVM)という病気であり,これに関与している血管を把握するために血管造影が必要であること,血管造影は,痛み止めを右そけい部に注射した後,同部の大腿動脈に細い管(カテーテル)を挿入し,これを両側の内頚動脈や外頚動脈,椎骨動脈といった動脈に進めて造影剤を注入し,撮影するものであること,検査後は,翌日までベッドの上で安静にしている必要があること,起こりうる可能性のある障害として,造影剤による副作用(発疹,かゆみ,まれにショック等)やカテーテル自体による血管損傷があることを説明し,脳血管造影施行の承諾を得た。
(5) 同月4日午前10時30分から午後1時30分まで,A医師は,原告に脳血管造影を施行した。
その結果,AVMの主な流入動脈は,拡張した左後大脳動脈であること,その他,左中大脳動脈,左前大脳動脈も関与していること,両側外頚動脈の髄膜枝が栄養動脈となっており,直径約7センチメートルのナイダスを経て表在性静脈と深部静脈に流入するという大きなAVM(混合型軟膜硬膜動静脈奇形)であることが判明した。
(6) 原告は,同月5日,被告病院の眼科を受診し,眼底,視力等に異常はないが,右同名半盲(視野の右側が全く見えない状態)と診断された。
原告は,同月12日,被告病院の第3内科・神経内科を受診し,神経学的には高次機能を含めて明らかな異常はみられないものの,精神科のでの脳波検査を勧められた。
そこで,原告は,同月14日,被告病院の精神科を受診したところ,AVMの存在する部位が認知機能,言語機能において極めて重要な部位であることから,塞栓術を行った場合に機能障害が起こる可能性を否定できないと判断された。
また,脳波検査の結果,左後頭領域の機能障害を示唆する所見が見られた。
(7) A医師は,同月9日,被告病院の脳神経外科に対し,原告のAVMの治療として摘出術の適応があるかどうかを頼診した。
被告病院の脳神経外科のC,I医師は,同月10日,臨床経過や症状が比較的緩やかであることや,MRIや造影検査の結果,AVMに深部静脈が関与していること,AVMが大きなサイズであることから,摘出術の適応にあたっては慎重に検討したいところであり(I医師は,A医師からの相談の中で,摘出術の場合には「神経学的欠損必発と思われる」と回答している。),できればエンボライゼイションによる治療を考慮してほしい,主な流入動脈である後大脳動脈をバルーン等で閉塞し,選択的に中大脳動脈,前大脳動脈の血管造影もお願いしたい,とりあえず,塞栓術により病巣を縮小した後に再度摘出術につき検討したいと回答した。
また,A医師は,塞栓術を施行した場合に出現することが予想される症状について,被告病院の第3内科・神経内科担当のJ教授から意見を聞くべく,原告のMRI,CT,血管造影検査結果を見てもらった。
同月12日,J教授は,原告に塞栓術を施行した場合には,視野障害(同名半盲),失読,色彩失認,相貌失認,失語が出現する可能性があると指摘した。
(8) A医師は,原告とBに対し,同月18日午後1時ころから1時40分ころまでにかけて,次のような説明を,用紙に絵を描いたりして行い,その後,原告とBから,塞栓術を施行することの承諾を得,原告から「血管造影及び塞栓術承諾書」を得た。
① 原告の疾病は,左後頭葉から頭頂葉にかけての脳動静脈奇形(AVM)であり,これが平成3年7月に生じた脳出血と,現在の同名半盲の原因である。
② 一度出血しているため,再出血の危険性がある。ただし,それがいつ生じるかは不明であり,また,必ず出血するとはいえないが,いつ出血してもおかしくない。
③ 病変部が増大する危険性もある。
④ 以上によれば,治療が必要である。
⑤ 治療には,摘出術,塞栓術(エンボライゼイション),放射線治療がある。放射線治療は,病変が大きすぎて治療効果に疑問がある。被告病院の脳神経外科では,AVMが大きく,深部静脈も関与しているので,摘出によって神経脱落症状の出現する危険性が高いと考えられるとして,塞栓術を勧めている。塞栓術を行うのが最善の選択と思う。
⑥ 塞栓術は,細い管(カテーテル)を大腿動脈に挿入した後,AVMの栄養動脈に進め,塞栓物質を流してAVMを塞栓する治療法である。開頭しない分,摘出術より患者への侵襲が少ない。ただし,1回の塞栓術では完治させるのは困難である。また,塞栓できない重要な脳の領域もあり,危険性を伴う。塞栓による神経脱落症状を防ぐため,誘発テストを施行しつつ塞栓するが,誘発テストで大丈夫であっても,塞栓後に症状が出現することがある。出現する可能性のある症状としては,視野障害,失読,色彩失認,相貌失認,失語が挙げられるが,このうち,視野障害は,被告病院の眼科での検査ですでに存在していることが判明している。なお,塞栓術は,どこの病院でもできるという治療ではない。
⑦ 脳血管にカテーテルやガイドワイヤーを挿入するので,これらはかなり柔らかいものとはいえ,脳出血や脳梗塞を生じる可能性がある。その症状は,出血や梗塞の程度,場所により様々である。
⑧ 塞栓術後は,1ないし2週間様子を見て,特に問題なければ退院し,外来通院しつつ次の治療を考える。
(9) 平成4年2月24日午前10時30分から,術者A医師が,K医師を助手とし,誘発テストの判定のために脳神経外科のL医師をオブザーバーとして,以下のとおりエンボライゼイション施術を行った。
なお,当時,青森県内で塞栓術を行えるのは,A医師とK医師のみであり,A医師は,30例位施術したことがあった。
① 午前11時頃,局所麻酔の後,両側の大腿動脈に7.5Fr(フレンチサイズ。7.5Frは約2.3mm)のシース(血管確保用の短いカテーテル)を挿入し,血管を確保した。
② 動脈内に挿入するカテーテルやガイドワイヤー(マイクロカテーテルを誘導するワイヤーで先端がふにゃふにゃして柔らかい物)の周囲に血栓が付着して脳動脈内に迷入し,脳梗塞が生じるのを防ぐため,点滴の側管からヘパリン(血栓形成予防剤)5ccを静脈注射した(午後零時10分,1時15分にもヘパリン0.5ccを静脈注射した。)。
③ その後,右大腿動脈から7Fr(約2.1mm)の親カテーテル(バルーンカテーテル(先端に風船が付き,膨らませたりしぼませたりすることができるカテーテル)やマイクロカテーテル(塞栓物質を流すカテーテル)を誘導するためのカテーテル)を挿入し,先端を左椎骨動脈起始部まで進めた。この時点で,原告は頭重感を訴えたが,頭痛は認められず,意識レベルに問題は認められなかった。
④ 3.3Fr(約1mm)のバルーンカテーテルを親カテーテルに挿入した。Y字活栓というカテーテル入口のコネクターにゴム製の弁が付いていて,これが邪魔になってバルーンカテーテルを親カテーテルに進めることができなかったので,弁を外して,バルーンカテーテルをY字活栓内を通してから親カテーテルに連結し,バルーンカテーテルを親カテーテルに挿入した。その後,バルーンカテーテルの中に生理食塩水で希釈した造影剤を注入し,同カテーテルを少し膨らませたりしぼませたりして,血流にのせて動脈内を進め,最終的に先端をAVMの栄養静脈である左後大脳動脈起始部(P2の近位。後大脳動脈の主幹部分のうち,脚部といわれる部分。後大脳動脈は,主幹部分と皮質動脈(主幹から分岐し,大脳皮質に分布する動脈枝)とからなるが,主幹部分は,脚間部(脳底動脈から分岐した後大脳動脈が後交通動脈と合流するまでの1cm以下の部分でP1と呼ばれる。),脚部(後交通動脈と合流後脳脚を前方から側方へまわる部分でP2と呼ばれる。),迂回槽部(中脳外側を天幕上で海馬回に沿って後走する部分でP3と呼ばれる。)及び四丘体部(四丘体槽で左右たがいに接近する部分でP4と呼ばれる。)からなる。)まで進め,バルーンをしぼませた状態にしておいた。バルーンカテーテルは,血流の速い栄養動脈を塞栓する際,塞栓物質がAVMのナイダスを通り抜けて導出静脈まで迷入してしまうのを防ぐという血流制御の目的と左後大脳動脈の一時的な閉塞下で栄養動脈の一つである左前大脳動脈や左中大脳動脈を撮影して,AVMの血行状態を把握することを目的としていた。
⑤ 次に,左大腿動脈に7Frの親カテーテルを挿入し,この先端を右椎骨動脈まで進めた。直後に,前記④のバルーンカテーテルの先端の位置を変えることなく,左椎骨動脈に挿入されていた親カテーテルを鎖骨下動脈まで引いた。これは,両側の椎骨動脈にやや太めのカテーテルが挿入されることで,脳底動脈以下のAVMに対して血流速度の変化による影響が及ぶのを防ぐ目的であった。
⑥ 塞栓用のマイクロカテーテル(トラッカー18)を右椎骨動脈に挿入されている親カテーテルに挿入し,左後大脳動脈(AVMの流入動脈)まで進めようとしたが,反対側の後大脳動脈の方に進んだため,目的とする左後大脳動脈まで挿入することができなかった(ガイドワイヤーが脳底動脈より先に進まなかった。)。
⑦ マイクロカテーテルを誘導するガイドワイヤーを別の種類のもの(ラジフォーカス)に換えたが,脳底動脈までしか進まなかった。この際,原告が頭重感を訴え,嘔吐があった。マイクロカテーテルについても,トラッカー18を別の種類のもの(トラッカー10)と交換して,右椎骨動脈から進めようとしたが,脳底動脈まではいくが,左後大脳動脈には進まなかった。そのうち,親カテーテルが大脳脈弓まで戻ってしまった。そこで,両側の椎骨動脈まで挿入していた親カテーテルを胸部下行大動脈まで引き,バルーンカテーテルとマイクロカテーテル(トラッカー10)を抜去した。
⑧ その後,親カテーテルの一本を左椎骨動脈に進め(この時点で,同硬化性変化が見られ,同動脈自体の血流は遅延したが,脳底動脈より末梢の血流は問題なかった。),マイクロカテーテルを進めようとしたが,脳底動脈までしか進まず,左後大脳動脈に進めることができなかった。
なお,術中に,原告が嘔気を訴えたため,午後零時50分と1時15分に制嘔剤を静脈注射し,その後は嘔気の訴えはなかった。また,午後零時50分頃と1時45分頃,頭重感の訴えがあった。
⑨ A医師とK医師は,マイクロカテーテルを左後大脳動脈に進めようと前記のとおり試みたが,なかなかうまくいかず,原告の頭重感や嘔気がおさまらないことから,手術を終了することとして,親カテーテルとマイクロカテーテルを抜去した。
なお,この時点で原告の意識はあり,会話が可能であった。
(10) A医師は,同日午後2時10分頃,原告の頭部のCTを施行したところ,鞍上槽,橋前槽,迂回槽,両シルビラス裂他あらゆる脳溝,脳槽に血腫が著明であるくも膜下出血が認められた(なお,AVMに造影効果が認められるためAVM自体の出血の有無は明らかでないが,脳室内には血腫はなかった。左三角部直下の側頭後頭葉に径1cmの高吸収域が認められた(前年に出血した部位の隣接部)。)。
(11) 同日午後4時30分頃,再度原告の頭部CTが施行された。
CTの結果,くも膜下血腫に増量は見られなかったものの,右側脳室に血腫が出現し,両側脳室の大きさが増大していたため,急性水頭症と認められた。
このため,被告病院の脳神経外科に転科のうえ,脳室のドレナージ術(脳室の中に細いチューブを挿入して,溜まっている髄液を排液するという手術で,これにより頭蓋内圧を下げることになる。)を緊急施行することになり,B及び原告の姉の承諾を得た上で,同日午後6時ころ,D医師及びM医師により脳室ドレナージ術が行われた。
(12) 同月25日午後4時頃,再び原告の頭部CTが施行された。その結果,橋出血が認められた。くも膜下出血は依然としてあり,前日午後4時30分に撮影されたCTと比べると,血腫量が軽度増加していた。第4脳室から側脳室に血腫が著明であった。
C医師は,同月27日,原告を診察し,おちついたら摘出術が必要であろうと判断した。
同月28日,自発呼吸が不良となったことから,気管切開が施行され,同日施行されたCTによれば,くも膜下出血はひいていた。
同年3月19日,脳室ドレナージ抜去のため,右側脳室の腹腔連絡術が施行され,同月31日気管カニューレが抜去された。
(13) その後,原告の全身状態は徐々に回復したものの,同年5月13日の診察で,神経症状として左肢失調,左ホルネル症候群,眼瞼下垂,右片麻痺,催吐反射,構音障害が認められ,橋(左上部)の障害が示唆された。
このころ,D医師は,Bに対し,次のようにAVMの摘出術等についての説明をして,今後の治療方針についての相談をしたところ,Bは,摘出術を行うことを承諾した。
なお,C医師は,同年3月頃,もう一度塞栓術を試みることは可能かどうかについてA医師に打診したが,A医師は,塞栓用のカテーテルを入れるのが非常に困難で,技術的にも無理だと判断し,難しいと回答した。
① 1度出血したAVMを放置するともう一度出血するだろう。もし出血すると命を失う可能性も高い。死亡に至らないまでも植物状態のような重篤な後遺症を残す可能性もある。このように,何もしないで放置するのはかなり危険である。
1度出血したAVMに対しては何らかの治療を行うのが標準的な治療方針である。年齢とともに出血率は高まる。手術をしないで保存的な処置をとる方法があるが,その場合,立位歩行等の積極的方針はとれず,一生日常歩行が制限される可能性がある。
② 手術は本質的に困難で,2回あるいは3回に分割して行うこともあり得る。手術中に死亡する可能性もある。手術後の神経脱落症状についても,同名半盲,運動麻痺や感覚障害は残る可能性がある。言葉に関する障害も残る可能性がある。
③ 手術をしなくても手術をしても得失があるが,どうするか。
同年5月19日,D医師が原告に対し,「来週の火曜日治療します。それを行うとイスに座ったり,歩行訓練できます。」と言い,原告は明るく承諾した。
(14) 同年5月26日,被告病院の脳神経外科において,術者C医師が,D医師及びE医師を助手として,開頭術による右後頭葉を主座とする巨大なAVMの全摘出術を施行した。
(15) 同年6月22日,脳血管撮影により,AVMの全摘出が確認された(なお,同月10日,E医師がBに対して脳血管撮影を同月15日に施行する旨説明したが,納得せず,同月13日に再度説明して承諾を得ている。)。
同月26日,脳神経外科の医師は,原告の家族に対し,次の説明をした。
① 脳血管撮影の結果,AVMは全摘出されていることが判明した。脳神経外科的な治療は終了した。
② 原告もリハビリの意志があり,「早く歩きたい」等と言っているので,リハビリ専門病院に転院した方がよいと思われる。リハビリにはF病院かN病院が良い。
Bは,F病院への転院を希望した。
(16) その後,原告はリバビリテーションを実施し,同年7月1日,被告病院を退院し,F病院に転院した。退院時の所見として,右半身不全麻痺,右半身感覚障害,感覚性失語症,失読症,作話症,失算症,手指失認症,右同名性半盲が認められた。
2 以上の事実を前提に,まず,A医師が,エンボライゼイション施術を行う際に説明義務を尽くしたといえるか検討する(注意義務違反その1)。
(1) 治療行為にあたる医師は,緊急を要し,時間的余裕がない等の格別の事情がない限り,患者において当該治療行為を受けるかどうかについて判断,決定する前提として,患者に対し,患者の現症状とその原因,当該治療行為を採用する理由,治療行為の内容,それによる危険性の程度,それを行った場合の改善の見込み,程度,当該治療行為をしない場合の予後等についてできるだけ具体的に説明すべき義務がある。
(2) 前記1(3)(4)(8)認定事実によれば,A医師は,平成4年1月29日,原告とBに対し,MRIとCTの映像結果を示しながら,原告のAVMの状況と再出血の危険性,その治療方法等について説明し,同年2月3日,原告に対し,原告の疾病の内容と,そのために血管造影検査が必要であること等について説明した上,エンボライゼイション施術についての承諾を得る前提として,同月18日,原告及びBに対し,原告の現症状とその原因,エンボライゼイション施術を採用する理由,エンボライゼイション施術の内容,エンボライゼイション施術を行った場合の危険性の程度や,改善の見込み及び程度,エンボライゼイション施術をしない場合の予後等について,時間をかけ,用紙に絵を描いたりして丁寧に説明している。
(3) この2月3日に行われた説明の内容に関し,証人Bは,脳動静脈奇形であること,70歳まで大丈夫かもしれないが,また破れるかもしれないこと,塞栓術と脳神経外科の手術の2つがあること,塞栓術は,頭の手術をしなくてよく,簡単で,翌日退院できること,塞栓術では横目が聞かなくなることについて説明されたのみで,再出血の可能性がどの程度かについてや,摘出術については説明を受けていないと証言する。
しかし,証人Bの証言は,承諾書の作成経緯に混乱が見られるなどしており,必ずしも正確な記憶に基づくものとはいえないし,他方で,A医師が紙に何か書いて説明したとか,「わげのわがらないことは,言っておりました。」とする証言部分があることをも考慮すれば,前記のような証人Bの証言を採用することはできない。
(4) なお,原告は,造影CTや脳血管撮影等の検査から,原告の動脈が奇形とも言える複雑な形をしており,しかも,左後大脳動脈のP2(後大動脈の主幹部分のうち,脚部といわれる部分)付近でT字路に分岐していることをA医師も認識したのであるから,その先のAVMに対してエンボライゼイション施術を行うこと自体危険を伴うことを予測し得たと主張する。
しかし,証拠(略)によれば,原告の左後交通動脈が拡張していることは認められるものの,これは,いわゆる胎児型といわれ,よくあるタイプのものであって,必ずしも奇形ではないし,また,左後大脳動脈がP3(後大動脈の主幹部分のうち,迂回槽部といわれる部分)付近でT字路様に分岐していることは認められるものの,これも異常なものではないのであって,このような事実からエンボライゼイションを行うことが特に危険であると認めることはできないし,A医師が行うべき説明義務の内容に変更を生じるとも解されない。
(5) 以上によれば,A医師が,原告に対し,エンボライゼイション施術を行うに当たって行った説明に欠けるところはないというべきである。
3 次に,A医師がエンボライゼイション施術を適切に施行しなかった注意義務違反があるか検討する(注意義務違反その2)。
(1) 前記1(9)ないし(12)認定事実によれば,本件のエンボライゼイション施術は,カテーテルがAVMまで到達せずに失敗に終わっており,その施術直後にくも膜下出血の発症が判明し,その後急性水頭症が発症し,翌日に橋出血が判明しているところ,原告は,まず,エンボライゼイション施術に際し,A医師がカテーテルを原告の脳血管に無理に挿入しようとして血管を損傷させ,脳底部にくも膜下出血を起こしたと主張する。
(2) しかし,証拠(略)を総合すれば,バルーンカテーテルが後大脳動脈まで導入された後に撮影された血管撮影には,血管損傷の際に見られる血管の広狭不整や,血管外漏出の画像を認めることはできないし,血管損傷が起これば,患者は急激な頭痛を訴えるのが通常であるが,前記認定事実によれば,原告がこのような急激な頭痛を訴えた様子はないのであって,このような事実からすれば,バルーンカテーテル導入に際して血管が損傷された可能性は低いと認めることができる。
(3) ところで,証拠(略)を総合すれば,平成4年2月24日午後2時10分ころに撮影されたCTと同日午後4時30分ころに撮影されたCTを比較すると,くも膜下出血あるいは造影剤の血管外漏出による異常高密度域の分布が左の迂回槽を中心に鞍上槽,左後頭葉から側頭葉のAVM周囲に多いこと,テント上下を比べると,テント上で多く,大脳縦裂などにも広く分布していることが認められ,このような事実からすれば,くも膜下出血の出血部位は,左後頭葉から頭頂葉,一部側頭葉に広がるAVMのナイダス自体あるいはそのごく近傍の左迂回槽付近から出血したものと考えられ,脳底動脈周囲からの出血の可能性は低いと認められる。
そして,左後頭葉から頭頂葉,一部側頭葉に広がるAVMのナイダス自体あるいはそのごく近傍の左迂回槽付近までカテーテルやガイドワイヤーが到達していないことは前記1(9)認定のとおりである。
(4) そうすると,エンボライゼイション施術を行うに際し,A医師がカテーテルを原告の脳血管に無理に挿入しようとして血管を損傷させ,脳底部にくも膜下出血を起こしたと認めることはできない。
(5) この点に関し,原告は,A医師がカテーテルを原告の脳血管に無理に挿入しようとして血管を損傷させたと主張する根拠の一つとして,施術後,A医師が,Bに対し,「思ったより難しかった。(カテーテルが)なかなか入らず,無理して押したら血を漏らした。2,3か所出血した。」と述べたことを指摘し,証人B及び原告の姉は,A医師が「ハプニング,ハプニング」と連発していたとか,なかなか目的地までいかなくて,強く押したら2,3か所漏らしてしまったと述べたとか証言等する。
しかしながら,仮に,A医師が「ハプニング」という言葉を使ったからといって,それが当然に血管を損傷したことを意味するものではないし,施術により血管を損傷したと認められないことは前記のとおりであるから,A医師が血管を損傷させたという趣旨の発言をしたとは到底思われないのであって,このような原告の主張や証言等が前記(4)の判断を左右するものではない。
(6) なお,前記(2)ないし(4)の認定判断を前提として,証拠(略)を総合すれば,くも膜下出血は,AVMの自然破裂による可能性が最も高いと考えられること,もっとも,エンボライゼイション施術の当日に,偶然にAVMが出血する可能性が高いとは思われず,エンボライゼイション施術の手技に関連した血圧の変動,血流の変化,それに伴う血管の反応など(手技に伴う痛み,バルーンの導入,血管へのメカニカルストレスとその反応などによる血圧変動)が関与している可能性があること,しかし,エンボライゼイション施術を行うにあたってこのような誘因を完全に除去することは困難であることが認められる。
(7) 以上によれば,原告にくも膜下出血が発症したことに関して,A医師の注意義務違反を問うことはできない。
(8) 次に,原告は,橋出血もカテーテルの誤操作によるものであると主張し,仮に,橋出血が術後に起こったとしても,くも膜下出血から急性水頭症をきたし,静脈環流の障害から静脈性の出血をきたした可能性があり,橋出血の原因はくも膜下出血にあったといえると主張する。
しかしながら,証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば,平成4年2月24日の血管造影後に撮影された2回のCT(略)では橋出血を観察することはできないところ,造影剤が血管内に残っている時点の出血は,通常の出血よりも高密度となり,CTでの検出が容易となるはずであるから,2回のCTでともに観察されないということは,スライスのずれなどの理由で存在するはずの橋出血が観察できないということではなく,現実にも橋出血が生じていない可能性が非常に高いことが認められ,前記(3)のとおり,脳底動脈周囲からの出血の可能性が低いことをも考慮すれば,原告の橋出血がカテーテルの誤操作によるものと認めることはできない。
そして,証拠(略)によれば,くも膜下出血が発症したことにより,髄液の循環が障害されて急性水頭症を発症し,そのために頭蓋内に髄液が過剰に溜まって頭蓋内圧が亢進して脳ヘルニアとなったため,脳幹が圧迫されて(脳ヘルニアから脳幹出血までは時間がかかる),脳幹出血(橋出血)が生じたと推定することはできるが,原告にくも膜下出血が発症したことに関して,A医師の注意義務違反を問うことができないことは前記のとおりである。
(9) したがって,いずれにしても,A医師に,エンボライゼイション施術を適切に行わなかった注意義務違反を認めることはできない。
4 そこで,AVMの全摘出術に関し,被告病院の担当医師に注意義務違反があったかどうかについて検討する(注意義務違反その3)。
(1) 原告は,まず,この術式を選択して施行したこと自体が誤りであったと主張する。
① たしかに,前記1(12)認定事実によれば,原告のくも膜下出血は,平成4年2月28日には引いており,その後は意識も回復して,全身状態も徐々に回復していたことが認められる。
② また,本件のAVM全摘出術よりも後の報告ではあるが,平成2年度までの検討結果によれば,6cm以上の巨大なAVMに対する摘出術は,死亡を含め,12.5%に重篤な後遺症を残すから,AVMを放置した場合の危険率からすれば3分の1程度になるとはいえ,手術の決定には十分慎重さが必要であるとされている。
しかも,前記1(7)認定事実によれば,C,I医師も,エンボライゼイションを施術する以前の段階の意見であるとはいえ,臨床経過や症状が比較的緩やかであること,AVMに深部静脈が関与していること,AVMが大きなサイズであることからすれば,摘出術の適応にあたっては慎重に検討したいとし,とりあえずエンボライゼイションによって病巣を縮小した後に摘出術について検討したいとの意向を示し,I医師は,摘出術を行った場合には「神経学的欠損必発と思われる」との意見を有していたことが認められる。
③ しかしながら,証人Aによれば,エンボライゼイションの施術の際に,マイクロカテーテルが脳底動脈から進まなかったのは,脳底動脈から左後大脳動脈への屈曲が非常に強く,しかもその血管が拡張していたため,細いカテーテルであるマイクロカテーテルが入っていかなかったことによるものであると認められる上,前記1(9)認定事実によれば,A医師がマイクロカテーテルやガイドワイヤーを取り替えたり,マイクロカテーテルの経路を違えるなどして種々試みたにもかかわらず,カテーテルを目的血管まで導入することはできなかったのであるから,再度塞栓術を行ったとしても,これが成功したかどうかについては疑問が残る。
しかも,最初のエンボライゼイション施術時に,くも膜下出血が発症するなどして,原告の意識障害は昏睡状態にまで至ったこと,既に平成3年7月と平成4年2月にAVMから2度の出血があることからすれば,今後も再出血する可能性が高くなるし,死亡率も上昇すると考えられる(なお,証拠(略)によれば,AVMの出血例の初年度再出血率は6%,初回出血の死亡率は10%,再出血の危険性は20%,再出血による死亡率は13%,さらにその後の出血による死亡率は約20%である。)ばかりか,もともと原告のAVMは大きく,十分な効果を得るためには何度かエンボライゼイション施術を繰り返す必要があることからすれば,エンボライゼイション施術を繰り返せば,そのたびごとに合併症のリスクを生じることにもなる。
④ そうすると,原告に対してAVM全摘出術を選択したことには合理的な理由があったというべきであって,この選択が不適切なものであったと認めることはできないから,これが被告病院の担当医師の注意義務違反になると認めることはできない。
(2) 次に,AVM摘出術に際して行われた被告病院の担当医師による説明が十分であったか検討する。
① 確かに,原告も主張するとおり,AVMの全摘出には,優位半球の皮質性感覚障害(局在認知,位置覚,運動覚,2点識別感覚,皮膚書字試験の障害),構成失行,対側半身のmuscle atrophy,視野の欠損(反対側の下4分の1半盲),運動失調(深部感覚障害によるものが主体),失行,失読,失書等の後遺症が考えられ,D医師もそれを認識していたことが認められる。
② しかしながら,前記1(8)(13)認定事実によれば,A医師は,平成4年2月18日,原告とBに対し,被告病院の脳神経外科では,AVMを摘出することによって神経脱落症状が出現する危険性が高いと判断していること,エンボライゼイション施術によったとしても,視野障害,失読,色彩失認,相貌失認,失語などの症状が出現する可能性があることについて説明しているし,摘出術を行うに際しては,D医師が,同年5月13日ころ,Bに対し,摘出術をしないでAVMを放置すると,再出血の可能性が高いこと,再出血を起こすと死亡,重篤な後遺症という重大な結果を招く可能性が高いこと,摘出術を行っても,1回で済むかどうかについては分からないし,手術中に死亡するという可能性もあること,手術後に,同名半盲,運動麻痺,感覚障害がなどが残る可能性や,言葉に関する障害が残る可能性があることについて説明していることが認められるのであって,原告やBに対して行われたこのような説明に欠けるところはないというべきである。
③ これに対し,証人Bは,摘出術を行うに際しては,E医師から,体力を回復してから曲がっているところを取ってあげますという説明しか受けていない旨証言する。
しかし,このような証言内容は,診療録の記載内容とも齟齬している上,前記1(15)認定事実によれば,Bは,摘出術施行後,血管造影を行うことに一旦は反対している事実が認められ,このことからすれば,原告に対する診療の内容に関心を持ち,医師の意向に反対であれば,その意思を表明することもできると思われるところ,前記のような説明を受けただけで摘出術の施行を承諾したというのも不自然であること,証人Bの証言に疑問があることは前述のとおりであるし,少なくとも,原告は,D医師からBに対して説明がされた事実を認めていたことをも考え合わせれば,前記のような証人Bの証言を採用することはできない。
④ 以上によれば,被告病院の担当医師には,原告に対する説明義務に関しての注意義務違反はなかったというべきである。
5 まとめ
以上によれば,被告病院の担当医師らに何らの注意義務違反をも認めることはできないから,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がない。
(裁判長裁判官 土田昭彦 裁判官 佐藤哲治 裁判官 加藤靖)