大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

青森地方裁判所弘前支部 平成14年(わ)30号 判決 2002年10月24日

主文

被告人を懲役5年に処する。

未決勾留日数中150日をその刑に算入する。

青森地方検察庁弘前支部で保管中のスカーフ(茶色)1枚(平成14年領第70号符号1)を没収する。

理由

(犯罪事実)

被告人は,生活苦から前途を悲観し,長女であるA(当時7歳。)を殺して自分も死のうと決意し,平成14年3月7日午前6時ころ,青森県a市大字bc丁目d番地ef所在のg住宅の被告人方6畳寝室において,就寝していたAの頚部にスカーフ(平成14年領第70号符号1)を巻き付けたうえ,その両端を両手で強く引っ張って締め付け,よって,そのころ,同所において,Aを絞頚による窒息により死亡させて殺害した。

(証拠)

括弧内の番号は,証拠等関係カードの検察官請求番号を示す。

1  被告人の

(1)  公判供述

(2)  検察官調書2通(乙13,15)

(3)  警察官調書3通(乙2,3,11)

2  捜査報告書3通(甲4,6,29)

3  実況見分調書3通(甲7,15,58)

4  解剖報告書(甲5)

5  戸籍謄本(甲2)

6  スカーフ(茶色)1枚(平成14年領第70号符号1)(甲13)

(補足説明)

1  弁護人は,被告人において,うつ的状態が進行し希死念慮が高まり,自殺にとりつかれ,Aとの2人の生活で築かれた特殊な感情があいまって,心中に駆りたてられており,本件当時,被告人は,心神耗弱状態にあった旨主張するので,以下,この点について補足的に説明する。

2  前掲各証拠に加え,被告人の検察官調書(乙14),警察官調書9通(乙1,4ないし10,12),B,C,Dの各検察官調書3通(甲16ないし18),E,F,G,H,I,J,K,L,M,N,Oの各警察官調書11通(甲19ないし25,30ないし33),捜査報告書7通(甲26,27,34,36,43,46,47),捜査関係事項照会回答書12通(甲38,40,42,45,49,51,53,55,57,62,64,66)によれば,以下の事実が認められる。

(1)  被告人は,青森県北津軽郡h町において,5人姉妹の末っ子として生まれた。

被告人は,県立高校を卒業し,昭和56年3月,東京都内にある製造工場に就職したものの,生活に馴染めず,同年10月,退社して実家に戻り,同年12月から昭和60年12月までは,青森県北津軽郡i町にあるスーパー店員として,昭和61年6月から平成元年9月までは,同郡h町にある縫製工場工員として,その後半年間,同県j市にある生命保険会社の外交員として,それぞれ稼働した。被告人は,平成4年ころから,同県南津軽郡k町にあるホームセンターで,その1年後には,同じホームセンターの同県西津軽郡l村の店舗に移り稼働していた。

被告人は,平成6年4月,Jと結婚してm市に移り,平成7年1月,Aの出産のため,勤めていたホームセンターを辞めた。

Aが平成7年1月23日に生まれたものの,Jとの意思の疎通を欠いたことなどから不仲となり,被告人は,同年9月,Aを連れて実家に戻り,平成8年12月,Jと調停離婚した。離婚するに当たり,Aの親権者は,被告人とされ,Jが,被告人に対し,慰謝料100万円を支払ったが,しがらみが続くのを嫌がり,被告人がJに対して養育費を求めることはなかった。なお,被告人は,母や姉らから尋ねられても,離婚した理由について話をすることはなかった。

(2)  被告人は,離婚後しばらく実家で生活していたが,平成9年1月末ころ,青森県a市の住居地で,Aと2人で生活するようになった。被告人は,その後なかなか就職できなかったが,同年12月,ようやく同市にあるレンズ等の製造会社に就職し,平成10年1月から,部品工として稼働し,月額15万円くらいの給料をもらうようになっていたところ,平成13年4月,経営者との折り合いが悪くなり,退社してしまった。

その後,被告人は,職業安定所に赴き,求職活動をし続け,同年11月及び12月には,2つの会社の面接を受けたものの,採用されず,本件当時まで,無職のままであった。

(3)  被告人は,離婚してから,経済的に困窮しており,特に,前記レンズ等の製造会社を退社した後は,失業給付などでどうにか生活していたものの,困窮の程度はひどくなっていった。退社当時の被告人の預金残高は9万円弱で,借入残高は約40万円近くであった。退職後の被告人の収入としては,4か月に1回支給される児童扶養手当おおむね16万9480円(月額4万2370円),失業基本手当の計35万3880円(平成13年9月5日からの90日間,日額3932円)であり,支出は,家賃,食費,光熱費,自動車のガソリン代など月額10万円に及んでいた。

被告人は,従前,姉のB(三女。)から勧められても,生活保護は受けたくないと拒絶していたところ,平成13年6月26日,a市健康福祉部生活福祉課へ赴き,生活保護受給の相談をしたが,自動車を所有していることや家賃が安くないことなどを指摘された。被告人は,仕事が見つかったときには通勤に自動車が必要になるし,家賃の安いアパートへ引っ越しをするにしても引越代金がかかると思い,生活保護申請をせず,その後相談に赴くこともなかった。

そして,被告人は,平成14年1月ころからは,家賃の支払いや借金の返済を滞納するようになった。被告人の本件当時の借入残高は約125万円に及んでいたが,預金残高はわずか2169円にすぎなかった。

(4)  被告人の姉らは,ひとりを除いて青森県内に居住していた。特に,Bは,被告人方のごく近所に居住し,普段から,仕事で遅くなる被告人に代わって,保育園へAを迎えにいくなどの面倒を見てくれていたうえ,被告人とAは,毎日のように,B方で,Bの家族と一緒に夕食を食べるなどしており,親密な付合いをしていた。また,被告人の実父母も健在であり,被告人は,正月などには,Aを連れて行くこともあった。

(5)  被告人は,平成14年1月ころから,仕事が見つからない,貯金もない,借金も支払えないと思い悩み,Aと一緒に心中して天国へ行こう,死んで今後の辛い生活から逃げようと考えるようになった。しかしながら,被告人は,Aの寝顔を見ると,それを実行することもできず,悩みだけが増していく一方であった。

(6)  被告人は,本件前日である平成14年3月6日も,B方でAと一緒に夕食を食べるなどしたが,Bから見て,被告人の様子は普段と変わりなく,楽しそうにしていた。

被告人とAは,午後9時ころ,帰宅し,その後,床に入り,Aは,間もなく眠りに入ったが,被告人は,家賃や借金の滞納など今後の生活の不安ばかりが頭の中に浮かんできて,やはりAと一緒に心中するしかないと決意した。しかし,被告人は,Aの寝顔を見ると躊躇し,思い悩んでいるうちに,朝を迎えた。

被告人は,次第に,思い悩むこと自体に疲れ切ってしまい,同月7日午前6時ころ,Aを殺して自分も死ぬしかないと,改めてAを殺害することを決意した。そして,被告人は,眠っているときに殺した方が苦しみが少ないであろうと考え,Aが起きる時間が迫っていたため,被告人は,いよいよAを殺害することにした。

被告人は,当初,手で首を絞めようとしたが,手が動かず,首を絞められなかったことから,スカーフを使って首を絞めようと考え,寝室内のタンスの中からスカーフを取り出し,Aの左横に添い寝して,Aの首の下にスカーフを通して,首の前でスカーフを交差させ,その両端を左右の手で持って,思いっきり引っ張ろうとしたが,またも手が動かず,首を絞めることができなかった。しかし,被告人は,とにかくAを殺して自分も死ぬしかないと思い,Aを殺すことしか考えず,再度試みたところ,今度は,スカーフを左右に引っ張ることができたことから,そのまま思い切り力を込めてスカーフを引っ張り,Aの首を締め付けた。Aは,両手を万歳の体勢にして,手足をばたばたと動かしてもがき,うなり声を上げて,苦しみを露わにしたが,被告人は,そのまま手の力をゆるめることなく,早く死んでなどと思いながら,スカーフを強く引っ張って,Aの首を絞め続け,Aを窒息死させた。被告人は,Aが失禁してぐったりしたことから死亡したものと認識した。

(7)  被告人は,Aが死んだことを確認し,自分も後を追って,自殺しようと考え,台所から持ってきた包丁を胸に刺したが,突き刺さらなかったため,次に,首を吊って自殺しようと考え,スカーフを居間と寝室の間の梁に打ち付けた釘に引っかけ,首をスカーフで作った輪の中に入れて首吊り自殺を図ったが,体重を掛けた途端,スカーフが破れてしまった。被告人は,別のスカーフを取り出して,同じ方法で首吊り自殺を図ったが,失敗して死にきれなかった。その後,被告人は,手首を切って自殺しようと思い,寝室内のタンスの上にあった剃刀で手首を切ったが,死にきれず,胸を千枚通しで刺そうともしたが,胸に突き刺さらなかった。

(8)  同日午後7時50分ころ,被告人と連絡が取れなかったことから不審に思ったBや,D(二女)の夫であるCが,被告人方を訪ねて来たが,被告人は,Aを殺してしまった,とだけ言って,顔を伏せて泣いてばかりであり,何を聞かれても,答えられなかった。

その後,Bらが通報して同日午後8時11分ころに駆けつけたa消防署救急隊員に対しては,被告人は,冷静に質問に回答するなどしており,落ち着いた態度になっていた。

(9)  被告人は,胸部に刺創,両手首に切創,頚部に索条痕があったものの,頚部には,気道,咽頭,頸椎に大きな損傷はなく,両手首にも,腱,神経,血管に達しておらず,軽傷であり,胸腹部には,深さ5センチメートルの傷もあったものの,腹腔内,胸腔内までは達していなかった。被告人は,全治9日間の傷害と診断された。

(10)  被告人は,内気でおとなしく,生真面目なところがあり,内心の気持ちや自分の弱い部分を他人には見せず,悩みを他人に打ち明けもせず,自分の中に溜め込んでしまう性格であった。反面,被告人には,気が強く,負けず嫌いなところもあった。被告人は,母子家庭であることに引け目を感じ,後ろ指を指されたくないとの思いから,周囲の者に頼ることを厭い,Bに対しても,Aの面倒や夕食のことで迷惑を掛けているから,これ以上の頼みごとはできないという気持ちになっていた。被告人の姉らの誰もが,本件後の取り調べで,警察官から教えてもらうまで,被告人が仕事をやめたことを知らず,また,被告人が金に困り,生活に苦しんでいたことにも気付かなかった。

(11)  Aは,被告人になついており,いつもべったりとくっついているような関係であり,被告人も,Aを可愛がり,Aに不自由な思いをさせないように努力し,Aとの関係を「一卵性親子」のように考え,いつも一緒でなければならないと思っていたが,生活困窮という現状が,かえってこのような思いを強くしていった。被告人は,自分ひとり死んで,たとえ,親族に引き取られたとしても,Aひとりを残すことはできないと考えていた。

被告人は,Aに対し,虐待,体罰はおろか,叩いたことすらなく,かといって,むやみに甘やかすようなこともせずに,しっかり教育していた。

3  確かに,被告人が,可愛がっていたAを殺害したこと自体が,異様な事態であり,このようなところまで被告人が思い悩んだのは,被告人の上記のような性格に起因すると思われ,本件当時,被告人の精神状態が,うつ的な症状をもって,不安定であったことは否定できない。

しかし,一件記録からは,被告人が精神病で入通院したことはないことが認められるし,被告人の精神状態について,本件以前に特別奇異な行動があったものとは認められず,かえって稼働状況やAに対する養育態度などからすれば,被告人が通常に社会生活を送っていたことが認められる。そして,本件動機は,仕事が見つからないことや,借金返済が滞っていたことなどによる,生活苦からの将来に対する不安という,きわめて了解可能なものであり,被告人の性格,被告人のAに対する養育態度をも併せ考えれば,被告人が,このような動機から,Aを殺害し自分も自殺して心中しようと決意するに至ったことについても,不合理な点はないと思われる。また,本件の犯行態様も,具体的な事態の推移に対応しながら,合理的判断に基づいていたうえ,手で首を絞めるのがうまくいかなかったら,スカーフを取り出し,抵抗し始めたAを冷静に最期まで絞め続けるなど,Aを殺害するという目的に向けた行動を取り続けており,不合理な点は,窺えない。A殺害後の被告人の自殺へ向けた行動についても,同様のことが言える。

そうすると,被告人は,本件当時,精神の障害により自己の行為につき事物の理非善悪を弁別する能力またはその弁別に従って行為し得る能力が著しく減退した状態にあったものとは言えず,その刑事責任能力は完全であったものと認められる。

以上の次第であるから,弁護人の主張には理由がなく,採用することができない。

(法令の適用)

罰条            刑法199条

刑種の選択        有期懲役刑

未決勾留日数の算入  刑法21条

没収            刑法19条1項2号・2項本文

訴訟費用の不負担   刑事訴訟法181条1項ただし書

(量刑の理由)

本件は,被告人が,生活苦から将来を悲観して,長女であるAを殺害し,自分も自殺して心中しようと決意し,就寝中のAの首をスカーフで絞めて殺害した事案である。

被告人がAを殺害するに至った経緯及び動機は,あまりにも身勝手かつ短絡的なものであったと言うべきである。被告人の近くには,被告人ら親子のことを親身になって心配してくれるであろう両親や姉らがいたのであるから,これらの者を頼ることも可能であったし,そうでなくても,生活保護を受けるなどして生活状況を改善していくことは可能であったと考えられるのである。

また,就寝中で無抵抗なAが,苦しんでいるのを目の当たりにしながら,執拗にスカーフで絞め続けた犯行態様も,残忍と言わざるを得ない。

まったく落ち度がなく,まだ小学1年生で,これから様々な可能性があったAの命を奪い,その人生を終わらせたことは,いかなる理由があっても,到底許されるものではない。Aにとってみれば,一番信頼を置いていたはずの母親である被告人によって殺害されたのであり,無念極まりないと思われる。

そうすると,被告人の刑事責任は,重いと言うべきである。

しかしながら,客観的に見て,両親や姉らを頼ったり,生活保護を受けるなどの有用な選択手段が被告人にはあったと考えられることは前述のとおりであるとしても,被告人は,Aと一緒に,何とか生きていくための真摯な努力を被告人なりにしてきたと認められるのである。そして,そのような状況の中で,生活苦による将来への不安を強く抱き,一人で悩んだうえで,極力他者に頼らずに育ててきたと自負し,愛情を注ぎ込んでいたAひとり残して,自分だけ自殺することができなかったという被告人の心情を一概に全面的に否定することはできないと言うべきであって,これを「単なる生活苦に由来する厭世感情の域を出ないもの」と見ることは相当でない。

また,被告人が,離婚後,一人でAを育て上げてきた経緯をみても,Aに対して「歪んだ所有意識,異常なまでの独占欲」があったと言うことは到底できないし,ましてや,被告人を飼い主に,Aをペットに例えることが本件事案の真相を的確に表現したものとは到底思われないのであって,相当でない。

そして,本件の特殊性や被告人に反社会性や粗暴性が認められないことからすれば,被告人の再犯の可能性は低いと考えられること,被告人が本件を強く後悔しており,Aの分まで社会で生活させて罪を償わせることの方が被告人にとってかえって厳しく,かつ,重要な意義を持つと思われること,被告人に対しては,両親や姉ら親族の援助が期待できること,被告人に前科前歴がないことなどの被告人にとって有利な事情も認められる。

以上を総合考慮すれば,被告人に対しては,主文掲記の刑を量定するのが相当である。

(求刑 懲役10年,スカーフ1枚の没収)

(裁判長裁判官 土田昭彦 裁判官 佐藤哲治 裁判官 山城司)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例