青森地方裁判所弘前支部 平成14年(ワ)3号 判決 2002年9月27日
主文
1 被告は,原告に対し,金30万円及びこれに対する平成14年1月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを10分し,その3を被告の負担とし,その余は原告の負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,金100万円及びこれに対する平成7年7月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
1 本件は,被告の設置管理する国立病院の医師により,体内にチューブを遺留されたことから,不必要な切開手術をせざるを得なくなったとして,原告が被告に対し,診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償を請求する医療過誤の事案である。
2 争いのない事実
(1) 原告は,昭和12年11月29日生の男子である。
(2) 原告は,平成7年3月2日,腰の痛み等のため,被告が設置管理する国立B病院(以下「本件病院」という。)整形外科を受診した。
(3) 原告は,同年3月27日,本件病院に入院し,同年4月6日,第5腰椎椎弓切除術,第4腰椎・第1仙骨部分椎弓切除術,後側方固定術の手術を受けた。
(4) 術後創の細菌感染が生じたため,同月28日,原告は,本件病院の医師により,デブリードマン(創傷清拭。挫滅創や感染創などにおける壊死部分や異物を除去し,健常な創とすること)及び持続灌流チューブ留置の施術を受けた。持続灌流チューブは,同年5月10日に抜去されたが,その後も発熱が続いたため,同月13日創を切開してウエットドレッシングの措置を続けた。
(5) その後,発熱も引き,創状態も良好となったため,同年6月6日,本件病院の医師は,再度デブリードマンを施行し,創を縫合した。同月16日原告は,肝臓治療のため本件病院の消化器科に転科入院した。
(8) 原告は,同年7月17日腰部のレントゲン撮影を受け,同月20日コンピュータ断層撮影(以下「CT」という。)をされた後の,同月21日,局所麻酔により,患部を切開しての手術を受けた。この結果,手術した部位から長さ5cm程のシリコン製のペンローズドレーンチューブ(以下「本件チューブ」という。)が摘出された。
3 請求の概要
原告は,被告に対して,債務不履行に基づく損害賠償請求として慰謝料金100万円及びこれに対する債務不履行の後である平成7年7月22日(患部切開によりチューブを摘出した日の翌日)から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
4 争点は,慰謝料の額であり(本件チューブを不必要に原告の体内に遺留したことについて,本件病院の医師に診療契約上の注意義務違反があることは当事者間に争いがない。),原告は,多大な肉体的,精神的苦痛を慰謝するためには金100万円をもって相当と主張し,被告は,過大な請求であると主張する。
第3争点に対する判断
1 診療の経過等
慰謝料の額を検討する前提として,診療の経過,診療契約上の注意義務違反の程度,債務不履行後のやりとり等を検討する必要があるが,前記争いのない事実に加え,証拠(甲2,3,乙1ないし3,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,これらについて,次のような事実を認めることができる。
(1) 診療の経過
① 原告は,平成7年3月2日,数年前から左膝が痛いこと,10年位前から両腰部が痛いことから,本件病院整形外科を受診した。C整形外科医師(以下「C医師」という。)は,診察,検査の結果,左膝半月板損傷及び腰部脊柱管狭窄症と診断し,腰部脊柱管狭窄症につき,神経の圧迫を緩和するため入院して手術することを勧めた。
同月14日,原告が,整形外科を受診し,りんごの剪定作業のため入院はできないと言うと,外来担当医であるD外科医長(以下「D医長」という。)は,鎮痛,抗炎症剤等内用薬を処方するとともに,病院で用意したスポーツ用のコルセットを装着させることとし,しばらく保存療法を行って様子を見ることにした。
同月17日,原告が,再度整形外科外来を受診し,D医師に対し,症状が改善しないので,手術のため入院を希望すると言った。
② 同年3月27日,原告は,外科手術を受けるため,本件病院西2病棟に入院した。入院時の検査をしたところ,肝機能障害が認められ(原告は17,8年前,交通事故の輸血してからC型肝炎となっていた。),第2内科(消化器科)で腹部超音波検査を行った結果,肝硬変,肝腫瘍疑いと診断された。
③ 原告は,本件病院において,同年4月6日,第5腰椎椎弓切除術,第4腰椎・第1仙骨部分椎弓切除術,後側方固定術という手術を受けた。
④ 上記手術後1週間頃から発熱が続き,また,肝硬変からくる免疫低下によるものと思われる術後創の細菌感染が生じた。
そこで,同年4月28日,D医師が原告に対し,全身麻酔をした上で,デブリードマンを行うとともに,創部の細菌を殺すため持続灌流チューブを留置するという手術を実施した。
⑤ 同年5月10日,創の状態がよくなったので,持続灌流チューブを抜去し,灌流を終了させた。
その後も感染がおさまらず,発熱が続くため,同月13日,創を切開して排膿させ,抗生剤を使用した。創を縫合することなく,開放創として創処理(ウエットドレッシング)の措置を続けた。
⑥ 原告が解熱し,創状態も良好となったため,同年6月6日,C医師が局部麻酔をした上で,再度デブリードマンを施行し,創を縫合した(手術記録によれば,手術形式は「腰部創縫合術,ベリプラスト+抗生剤充填」である。)。この際,浸出液を排出するため,本件チューブを原告の体内に留置した。
⑦ 同年6月10日,原告の創部から少量の分泌物があり,創周囲はプヨプヨして熱感があったが,同月14日には分泌物はほとんどなくなり,創状態は良好となった。そこで,同日又は15日,創部から全抜糸が行われた(診療記録からは誰が抜糸を行ったか特定できないが,本件病院の医師が行ったものと解される。また,全抜糸の時期は,看護記録上は同月15日と推認される。)。
⑧ 同年6月16日,原告は,入院中に行った諸検査の結果見つかった肝硬変,肝腫瘍疑いの精査と治療のため,本件病院の消化器科に転科入院した。
⑨ その後,原告が本件病院の整形外科を受診した際の状況であるが,同年6月19日,右臀部付近にあった一部創を処置したが,中の方は貯留はなく,同月20日,浸出液がほとんどないことや発熱がないことを確認し,同月21日,創部に直径1mmの皮膚剥離がみられたが,表皮のみで問題はなさそうと診断し,同月23日,創部は良好であり,同月26日,原告が肝臓の治療をしてから体の具合が悪いと訴えたが,創はとても良くなり,同月28日,創は良好,同年7月5日,創は良好で入浴の許可が出,同月12日,原告が,あまりよくない,朝が一番つらい,術前とあまりかわらないと訴えたが,発熱上昇や局所の熱感はなく,同月14日,発熱上昇がなく,原告が黒石市国民健康保険黒石病院(以下「黒石病院」という。)に転院を希望したため,術後の定期的な経過観察ともに黒石病院への紹介状に腰部の状態を記載する必要から,原告の腰部のレントゲン写真を撮ることになった。
⑩ 同年7月17日,レントゲン撮影の結果,同年6月6日に入れた本件チューブが皮下に留置されたままであることが判明した(同年7月17日の診察において,創部の周囲に圧痛があった。同日のカルテ上は,「残っている汚ない部分を取るという話をしてチューブを抜去しよう。」とムンテラするとの記載がある。)。
本件病院の医師は,正確な場所を確認するため,同月20日コンピュータ断層撮影(以下「CT」という。)を行った。
⑪ 同年7月21日,CTの結果,本件チューブが手術創の皮下にあることが判明したので,D医師が局所麻酔で皮膚を切開し,本件チューブを除去した。手術台帳上は,病名「腰部皮下異物」,術式「創傷処理」と記載されている。手術の所要時間は,午後3時37分から46分までの9分間であった。原告の要望により,摘出した本件チューブは,滅菌処理されたうえで原告に手渡された。原告は,この時点で,自分の体内に本件チューブが遺留されていたことを認識した。原告は,本件チューブが摘出されるまで,本件病院の整形外科や消化器科で入院中であったが,医師や看護婦に対し,手術部分に本件チューブが遺留していたことを理由とすると思われる痛みを訴えたことはなかった。
⑫ 本件チューブを除去した後,原告は,同年7月26日と28日に外来で整形外科を受診し,創状態が良好となったので,同月31日,抜糸した。
抜糸後の同年8月7日の診察では,原告は,腰がずきずき病み,両臀部から両下肢まで病んで前より悪い感じであると述べている。
⑬ 同年10月30日,原告は,本件病院消化器科での治療が終了し,退院した。
その後,原告は,整形外科では,同年11月17日と28日を最後に,平成11年まで診察を受けることがなかった。
(2) 診療契約上の注意義務違反の程度
原告と被告との間には,診療契約が成立しており,この契約に基づき,被告は,外科手術の際に原告の体内に遺留した医療器具を,必要がなくなった場合に抜去して原告に不必要な苦痛等を与えないようにする注意義務を負っていた。
ところが,原告の体内には,平成7年6月6日施行のデブリードマンにより本件チューブが遺留されており,同月14日頃には,浸出液がなくなり,創状態が良好となり,抜糸をすべき状態になったのであるから,本件病院の医師又は看護婦は,その頃,本件チューブを抜去すべき注意義務を負っていたのに,これを怠り,その結果,同年6月15日頃から同年7月21日まで約37日間,本件チューブを原告の腰部皮下に遺留させ,同年7月21日,本件チューブを摘出するために,原告をして再度切開手術を受けることを余儀なくさせた。
(3) 債務不履行後のやりとり
原告は,平成11年11月頃から,本件病院に対し,整形外科の治療に対する不信感(原告の認識では,本件病院の医者が治ると言ったので手術を受けたが,痛みが残ること)から不満や苦情を述べるようになり,同月15日と19日,同年12月24日には本件病院を訪れ,D医師に対し不満と苦情を述べた。D医師のみならず,病院長とも話し合ったこともあり,柿崎医師の都合を聞くため何度か本件病院に電話をしたこともあった。これらの際に,原告から,本件チューブの遺留を理由とする金銭的な請求があったことはない。
2 以上の事実をもとに,争点である慰謝料の額を検討する。
(1) 本件病院の医師又は看護婦の過失は,医療上不必要であり,抜去すべきであった医療器具である本件チューブを,抜去しなかったという明白な過失である。その結果,約37日間,本件チューブが原告の体内に遺留され,摘出のため,局所麻酔をした上で皮膚を切開する手術を行わざるを得なかったものであり,遺留期間において不必要な医療器具が存置したこと自体による精神的苦痛が認められるうえ,本来受けなくても良い手術を受けたという肉体的,精神的苦痛を受けたことは明白であり,その苦痛を慰謝するための相当額が認められるべきものである。被告の主張中には,注意義務違反と損害との因果関係に言及する部分があるが,同認定のように,注意義務違反と損害との間に相当因果関係があることは明らかである。
(2) しかしながら,慰謝料を検討するに際し,次のような事情も認められる。
① 本件チューブは,シリコン製で長さ5cm位のものであり,体内に留置されたとしても,それにより何らかの害が及ぶものではなかったし,現実にその影響が相当程度あったことを伺わせるような事情は見られない。前記1(1)⑦ないし⑪認定のように,原告の手術創は順調に良好な状態になっており,本件チューブの影響を伺わせるのは平成7年7月17日の診察において,創部の周囲に圧痛があったとの記載のみであり(この診察は,レントゲン撮影により,創部に本件チューブがあると判明した後のものである。),それ以外には,影響があったと伺わせるような事情はない。むしろ,原告は,本件チューブ摘出手術を抜糸した後の同年8月7日の診察において,腰がずきずき病み,両臀部から両下肢まで病んで前より悪い感じであると述べている。
② 原告は,本件チューブが同年7月21日に摘出されるまで,その存在を認識しておらず,それによる影響を特段感じていなかったものと解する。この点,原告は,本人尋問において,本件病院消化器科に転科してから,体を曲げたりすると手術した腰の付近にチカチカというか何とも言えない痛みがするようになったこと,針を刺したような痛みではなく少し重い痛みであったこと,様子を見に来た整形外科の医者が患部を叩くと痛みが走ったのでレントゲンを撮ることになったこと,チカチカする痛みは本件チューブを摘出した後はなくなったことを供述する(原告作成の報告書でも同様の供述をしている。)。たしかに,腰部の皮下に5cmほどのシリコンの異物が存置されていたこと自体からして,原告が体を曲げた際に,原告に何らかの影響が出ることはあり得るうるものであり,原告が供述するように何らかの痛みはあったものと認められる。しかし,前記1(1)⑪で認定したように,原告は,入院中チカチカする痛みを医者や看護婦に訴えたことはないこと(原告本人尋問でも認めている。),前記1(3)で認定したように,平成11年以降の原告と本件病院関係者とのやりとりにおいては,本件チューブが遺留されたことを理由として苦情が出されたということはないこと(ほとんどが,手術をしたのに腰の痛みが治らなかったことについての苦情である。)等からして,その痛みの程度は,堪えられなくなるほどではなかったものと認められる(原告が供述する「チカチカする痛み」があったとまで認めるに足る証拠はない。)。
③ 原告は,本件チューブが不必要に留置されていた期間は入院中であったが,その頃は肝機能障害のため消化器科に入院していたのであり,本件チューブの遺留と直接に関係があるものではないし,入院中であるから,本件チューブの遺留により,何らかの症状が発症した場合にすぐに対処できるような状況にあったものといえる。
④ 平成7年7月21日行われた本件チューブを摘出する手術は,局所麻酔をした上で行われたもので,所要時間が9分間という比較的簡易な手術であった。
(3) 以上の事情その他本件に現れた一切の事情を総合考慮すると,原告の受けた苦痛を慰謝するには金30万円をもって相当と解する。
3 まとめ
(1) 本件病院の医師についての診療契約上の注意義務違反に基づく損害賠償請求は,慰謝料金30万円の限度で理由がある。
(2) 付帯請求としての遅延損害金について,原告は,本件チューブが摘出された日の翌日である平成7年7月22日から請求している。しかし,原告の請求(訴訟物)は,債務不履行に基づく損害賠償請求権であって,不法行為に基づく損害賠償請求ではないから,遅延損害金の起算日は請求があった日の翌日からであって,本件チューブを遺留したことを原因とする損害賠償の請求は,本訴の訴状が初めてのものと認められるから,遅延損害金の起算日は,本訴の訴状送達の日(平成14年1月30日)の翌日である同月31日からとなる。
(3) よって,原告の請求は,債務不履行に基づく損害賠償請求金30万円及びこれに対する平成14年1月31日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があり,その余は理由がない。
(4) なお,仮執行の免脱は相当でないので,付さないこととする。
(裁判官 佐藤哲治)