青森地方裁判所弘前支部 平成18年(わ)89号 判決 2006年11月16日
主文
被告人を懲役3年6月に処する。
未決勾留日数中60日をその刑に算入する。
理由
【罪となるべき事実】
被告人は,交際していたA(当時26歳)から別れ話を持ち出されていたところ,平成18年7月18日午後4時ころ,青森県五所川原市大字a字bc番地にある被告人方2階洋室において,Aに考え直すように迫ったものの拒絶されたため,同人にもてあそばれたなどと考えて腹を立て,殺意をもって,同人の頚部に右腕を巻きつけ,これを強く絞め付けて失神させ,同人が意識を回復すると,更に,その頚部を,巻きつけた右腕や両手又は片手で強く絞め付けて失神させることを数回にわたって繰り返し,同人が急激に失神した様子を見て死亡したものと誤信し,その頚部から両手を離したが,その後,大変なことをしてしまったと考え,同人が呼吸をしていることを確認し,同人がいまだ死亡するに至っておらず,かつ,更にその頚部を強く絞め付けるなどして同人を殺害することに支障はないことを認識しながら,あえてそのような行為に及ばず,同人を揺さぶり起こすなどし,もって同人の殺害を中止したため,同人に対し,約1週間の安静加療を要する頚部拘扼傷等の傷害を負わせたにとどまり,同人を殺害するに至らなかった。
【弁護人の主張に対する判断】
第1争点及び結論
被告人は,被害者を殺すつもりはなかった旨弁解し,弁護人は,①被告人には殺意がなかったから,殺人未遂罪は成立せず,傷害罪が成立するにとどまるし,②仮に,被告人に殺意があったとしても,中止未遂が成立する旨主張する。
したがって,本件の争点は,①被告人の殺意の有無,②中止未遂の成否であるが,当裁判所は,①被告人には殺意があったと認められ,かつ,②中止未遂が成立するものと判断したので,以下,その理由を補足して説明する。
第2証拠により認められる事実
1 被告人は,交際していた被害者から別れ話を持ち出されていたものであるが,平成18年7月18日午後3時ころ,同人が被告人方に訪れたため,被告人方2階洋室において,二人で話し合い,被害者に考え直すよう説得したものの,同人はこれを聞き入れず,同日午後4時ころ,立ち上がって,同室から出ようとした。
2 被告人は,上記のように同室から出ようとした被害者の背後から,いきなりその頚部に右腕を巻きつけ,これを3分程度強く絞め付けて失神させた。被告人は,更に,その後も,被害者が意識を回復すると,その頚部を各3分程度,巻きつけた右腕や両手又は片手で強く絞め付けて,失神させることを4回繰り返した。
被告人は,上記のとおり,5回にわたって被害者の頚部を強く絞め付けた際,被害者が手足を激しく動かしたり,その頚部を絞め付けていた被告人の手を外そうとするなどして抵抗しても,被害者が失神するまで右腕や手の力を緩めることはなかった。
それと同時に,被告人は,被害者が別れ話を考え直してくれるのではないかと期待する気持ちもあって,同人が失神した後にその頚部から右腕や手を離したり,力を緩めるなどし,同人が意識を回復したときには,同人に話しかけてその考えの変化を確認するなどした。
3 しかし,被害者は,別れるという考えを変えず,かえって,被告人に対し,頚部を絞め付けたことを非難した。
4 被告人は,被害者が自分の気持ちを全く理解してくれなかったと考え,最後に,仰向けになった同人の腹部に馬乗りとなり,最も強い力で,その頚部を5分程度両手で絞め付けた。被害者は,手足をバタバタさせていたが,やがて動かなくなり,失神した。
5 被害者は,被告人に頚部を絞め付けられたことにより,頚部拘扼傷等の傷害を負うとともに,尿失禁した。
6 一般に,頚部圧迫による気道の閉そくが二,三十秒から1分程度続くだけであれば,呼吸困難等の症状は出現しないが,これが1分から3分程度続くと,意識消失,呼吸困難,尿失禁等が出現するものとされ,その後1分程度が経過すると,呼吸が停止し,更に,終末呼吸と呼ばれる呼吸運動が再び現れてから1分程度が経過すると,再び呼吸が停止し,その後死亡に至るものとされている。
7 被告人は,最後に被害者の頚部を絞め付けた際,同人が急激に失神した様子を見て,同人が死亡したと思い,その頚部から両手を離した。
8 被告人は,その後,大変なことをしてしまったと考えて不安になり,被害者が呼吸していることを確認し,大変なことにならずに済んだと安心し,同人を揺さぶって,意識を取り戻させた。
第3判断
1 殺意の有無について
(1) 殺意の存在及びその発生時期
上記第2の2,4及び5で認定した被告人の攻撃の部位,方法及び程度並びにこれによって生じた結果を総合考慮すると,本件犯行の当初から被告人に殺意があったことは明らかである。
(2) 殺意の程度
上記第2の1から4までで認定した事実経過に照らすと,被告人は,当初は,積極的に被害者を殺そうと考えていたわけではなく,単に同人が死亡するに至るかもしれないが,それでも構わないと認識していたにすぎなかったものの,何度か同人の頚部を強く絞め付けることを繰り返すうちに,興奮が高まっていき,ついには,同人から上記第2の3のとおり非難されたことをきっかけに,更に殺意が強まり,積極的に同人を殺そうと考えるに至ったものと認めるのが相当である。
なお,交際相手が別れ話を考え直すことに期待する気持ちと殺意とが同時に存在することは,十分あり得ることであり,弁護人が主張するように,そのような気持ちがあることをもって被告人の殺意を否定する理由とはならない。
(3) 結論
よって,本件においては,被告人には殺意があったと認められる。
2 中止未遂の成否について
(1) 被害者の殺害の中止
上記第2の4から8までで認定した事実によれば,被告人が最後に被害者の頚部を絞め付けて失神させた後,そのまま同人を放置しても,同人の死亡という結果が発生しなかったことは明らかである。また,被告人は,いったんは被害者が死亡したと誤信したものの,その後,同人がいまだ死亡するに至っていないことを認識したのであるから,その時点では,被告人の殺人の実行行為は終了していなかったものと認められ,このような場合,その後に犯人が実行行為に及ばなければ,犯罪の中止が認められることになる。
そして,被告人は,その後,被害者の頚部を絞め付けるなどの殺害行為に及ばなかったのであるから,同人の殺害を中止したものと認められる。
(2) 任意性
上記第2の1から4までで認定したような状況,すなわち,積極的に被害者を殺そうと考えるに至った犯人と頚部を絞め付けられて失神した被害者とが居室内に二人きりであったという状況において,一般に,犯人がそれ以上殺害行為に及ばないとは限らないというべきである。
この点,上記第2の1から4までで認定した事実によると,被告人が周囲の状況等に照らし,更に被害者の頚部を強く絞め付けるなどして同人を確実に殺害することにつき支障がないことを認識していたものと推認できるところ,被告人は,上記第2の8で認定したとおり,被害者の頚部を強く絞め付けて失神させた後,大変なことをしてしまったと考えて,すなわち,本件犯行を反省する気持ちから,殺意を失って,それ以上殺害行為に及ばなかったものである。
したがって,被告人は,自己の意思により被害者の殺害を中止したものと認めるのが相当である。
(3) 結論
よって,本件においては,殺人の中止未遂が成立する。
【量刑の理由】
1 本件は,被告人が,交際していた被害者に対し,殺意をもって,その頚部を強く絞め付けて失神させることを数回にわたって繰り返したが,同人の殺害を中止したため,同人に対し,約1週間の安静加療を要する頚部拘扼傷等の傷害を負わせたにとどまり,同人を殺害するに至らなかったという殺人未遂の事案である。
2 被告人は,被害者から別れ話を持ち出され,同人に考え直すように迫ったものの拒絶され,同人にもてあそばれたなどと考えて腹を立て,殺意をもって,5回にわたり,それぞれある程度の時間をかけて,同人の頚部を,巻き付けた右腕や両手又は片手で強く絞め付けて失神させたが,それでも同人の気持ちが変わらず,かえって,同人からその頚部を絞め付けたことを非難されたことから,同人が自分の気持ちを全く理解してくれなかったとして,同人を殺害しようと考え,力を込めて相当時間被害者の頚部を両手で絞め付けて失神させたものである。このように,その犯行の動機は,身勝手かつ短絡的なもので,酌むべき点はない。なお,本件犯行の際,被告人には被害者が別れ話を考え直してくれるのではないかと期待する気持ちもあったことが認められるが,これは,単に,目的達成のためには手段を選ばないという発想に基づく一方的なものにすぎず,酌むべき事情とはいえない。また,その犯行態様は,冷徹かつ執ようで,被害者の生命に重大な危険を及ぼすものであるというばかりでなく,その生命をもてあそんだというほかない悪質極まりないものである。
被害者は,特に落ち度がないのに,本件犯行により,頚部拘扼傷等の傷害を負っただけでなく,何度も失神させられて,そのたびに繰り返し死の恐怖に直面させられたもので,その精神的苦痛が相当に大きいものであることは明らかであって,被告人にその罪の重さを十分理解させる程度の処罰を望んでいるのも無理からぬところである。それにもかかわらず,被告人は,被害者に対し,何ら慰謝の措置をとっていない。
以上によれば,被告人の刑事責任は,相当に重いといわざるを得ない。
3 他方,被告人は,いったんは被害者が急激に失神した様子を見て死亡したものと誤信したものの,その後,同人が死亡するに至っていないことを認識しながら,本件犯行を反省して同人の殺害を中止したため,本件犯行は未遂に終わり,被害者が負った傷害も,結果として,約1週間の安静加療を要する程度の比較的軽いものにとどまった。また,被告人は,当公判廷においても,被害者の頚部を強く絞め付けて傷害を負わせたことについては認めて,それなりに反省の態度を示し,二度とこのようなことはしないと誓っている。さらに,被告人は,これまで前科もなく,平穏な社会生活を送ってきたものであり,被告人の実母は,情状証人として出廷して,社会復帰後の被告人を監督する旨述べている。
このように,被告人の刑を軽くする方向で考慮すべき事情も認められる。
4 以上の諸事情を総合考慮すれば,本件は,刑の執行を猶予すべき事案とは認め難く,主文のとおりの実刑が相当であると判断した。
(求刑 懲役7年)
(裁判長裁判官 加藤亮 裁判官 佐藤英彦 裁判官 増田純平)