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青森家庭裁判所 昭和35年(家イ)65号 審判 1960年5月23日

申立人 清原春子(仮名)

相手方 清原忠彦(仮名)

主文

申立人と相手方を離婚する。

当事者間の長女勝子及び長男寿夫の親権を行う者を申立人とする。

理由

申立人は、昭和二十五年一月三日相手方と結婚し、翌二十六年九月十七日戸籍の届出を済して正式に夫婦となり、その間に長女勝子長男寿夫を生んだ。そうして相手方は申立人と結婚した当時農業協同組合に勤めて居たので、何不自由なく円満な家庭生活を営んで居たが、昭和二十六年十月頃、相手方が公金を使い込み、その後も悪事を働き、数年間に亘り申立人と生活を共にしなかつたので、申立人は一時相手方と離婚しようと考えたこともあつたけれども、子供たちのことを思い、相手方の反省改心するのを期待しながら今日まで辛抱して来たが、その後相手方が全然反省する気配さえなく、悪事を重ね、そのため現在肩書刑務所に服役中である。それ故、申立人は相手方と離婚したいから主文のように調停して欲しいというのである。

そこで当裁判所は、昭和三十五年四月二十一日第一回の調停委員会を開き、当事者双方に対し種々調停を試みたところ、申立人は相手方との離婚を強く要望するのに対し、相手方は、申立人の主張する申立の実情を全面的に認めながらも、申立人との離婚に強く反対して譲らないので、当調停委員会は、当事者間に円満な合意が成立する見込がないものとして調停を打ち切ることにした。

清原忠彦の戸籍謄本、当調停委員会における当事者双方の陳述並びに相手方の前科照会に対する回答書及び家庭裁判所調査官戸館長逸の調査報告書を綜合すれば、申立人と相手方は、昭和二十六年一月三日頃、婚礼の式を挙げて恋愛結婚し、次いで同年九月十七日婚姻届出を済して正式に夫婦となり、その間に長女勝子(昭和二十六年十月○○日生)及び長男寿夫(昭和二十九年一月○日生)が生れて居ること、当事者が夫婦となつて間もなく、相手方が窃盗の罪を犯し、昭和二十六年十一月十五日札幌簡易裁判所において懲役一年六月に処せられた外、同裁判所において、昭和二十九年五月二十二日懲役二年、昭和三十一年十月三日懲役一年六月に処せられ、その都度右刑の執行を受け、その後更に窃盗の罪を累ね、昭和三十四年三月十日浜松簡易裁判所において懲役一年八月に処せられ、目下青森刑務所においてその刑の執行中のものであること及び申立人は相手方が前記のように度々罪を犯して処罰されるので、夫婦らしい生活も思うようにできないところから、相手方と正式に離婚しようと考えたことも度々あつたけれども、その都度幼い二人の子に対する愛情にひかれて決断しかね、相手方が言渡された刑期を終つて帰宅する度に、その改心方を強く要請するが、その甲斐なく、服役を終つて出所すると幾何もなく非行を累ねるのみで、更に更生しようと努める気迫さえ認められないところから、遂に申立人も夫として信頼できない相手方と離婚することを決意して本申立に及んだものであること等の事実が認められる。以上認定したところから考えれば、申立人の本件申立は相当なものであるのみならず、その他一切の事情を考慮しても、これ以上、申立人と相手方に婚姻を継続さすのを相当とするような事由は毫も認められない。そこで調停委員田沼敬造同小川もとの意見を聴いて、申立人と相手方を離婚させることとし、又当事者間の長女勝子及び長男寿夫の親権を行う者を、現に右児を養育監護中の母である申立人とする。

そこで家事審判法第二十四条第一項に従つて主文のように審判する。

(家事審判官 坪谷雄平)

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