静岡地方裁判所 平成10年(行ウ)13号 判決 2002年5月30日
主文
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告は,富士市に対し,12億5600万円及びこれに対する平成10年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要及び争点
1 本件は,富士市の住民である原告らが,富士市がA公社から別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という)を62億1600万円で買い受けたのは裁量権の濫用ないし逸脱であって,違法であるとして,地方自治法242条の2第1項4号に基づき,富士市長である被告に対し,富士市に代位して損害賠償を請求している事案である。
2 以下の事実は当事者間に争いがない。
(1) 原告らは富士市の住民であり,被告は富士市長(平成2年1月19日就任)である。
(2) B株式会社及びC株式会社は,製紙業等を目的とする会社であり,C株式会社は,B株式会社のいわゆる子会社である。
(3) 本件土地のうち,別紙物件目録1から5記載の土地(以下「本件甲土地」という)はB株式会社が,同目録6から15記載の土地(以下「本件乙土地」という)はC株式会社がそれぞれ所有していた。
(4) A公社は,平成8年11月18日,B株式会社から本件甲土地を6億7928万0536円,C株式会社から本件乙土地を54億6820万9490円でそれぞれ購入し,同月29日,その代金を両社に支払った(代金総額は61億4749万0026円)。
(5) 原告らは,平成9年4月22日,富士市監査委員に対し,富士市がA公社から本件土地を購入する契約を締結することの差止めを含む住民監査請求を行ったところ,同年6月17日,同監査委員は,原告らに対し,原告らの請求は理由がない旨の通知をした。
(6) これを受けて,原告らは,平成9年7月15日,当庁に対し,前項の売買契約締結差止めを求める訴えを提起した(静岡地方裁判所平成9年(行ウ)第14号。以下「前訴」という)。
(7) 富士市は,前訴係属中の平成10年3月10日,A公社から本件土地を62億1600万円で購入する契約を締結し,同月31日,代金を支払った(以下,この売買契約を「本件契約」という)。
(8) そこで,原告らは,平成10年5月20日,監査請求を経由することなく,本訴を提起した。
3 以上の事実を前提に,本訴の争点は次のとおりである。
(1) 本訴は適法か。すなわち,本訴は適法な住民監査請求を経たといえるか。また,本訴は出訴期間を遵守したといえるか。
(2) 本件契約は違法か。すなわち,本件契約には裁量権の濫用ないし逸脱があるか。
ア 本件土地購入は,健全財政主義に違反しているか。
イ 本件土地購入は,買収価格決定基準が不存在であり,被告の裁量権の濫用ないし逸脱があるか。
ウ 本件土地購入は,適正価格交渉義務に違反し,被告の裁量権の濫用ないし逸脱があるか。
(3) 富士市の被った損害額
第3争点(1)(本訴は適法か)に対する裁判所の判断
1 前記争いのない事実,訴訟上明らかな事実によれば,本訴に至った経緯は次のとおりであったと認められる。
前記のとおり,原告らは,平成9年4月22日,富士市監査委員に対し,富士市がA公社から本件土地を購入する契約を締結することの差止めを含む住民監査請求を行ったところ,同年6月17日,同監査委員は,原告らに対し,原告らの請求は理由がない旨の通知をしたので,同年7月15日,前訴を提起した。
前訴における原告らの主張は,要旨「被告は,A公社から本件土地を買い取るための予算を計上した予算案を市議会に提案したが,A公社がB株式会社等から本件土地を買い受けた価格は,鑑定価格より1平方メートル当たり3万0275円も高い価格であった。しかも,平成8年11月18日というA公社の買い受け時には,平成6年12月1日とされている鑑定時より地価が下落していることは公知の事実である。このように高い価格でA公社から本件土地を買い取ろうとする被告の行為は,時価以上の価格で本件土地を買い取ろうとするもので,地価公示法を無視し,国土計画法27条の6,地方財政法4条1項に違反する。被告が買収代金の支出をしてしまった後に被告から同買収金額を取り立てることは不可能もしくは著しく困難であるから,平成9年4月22日,富士市監査委員に対し被告の購入契約の差止めを含む富士市職員措置請求をした。しかし,監査委員は平成9年6月17日,原告らの請求を棄却したので,地方自治法242条の2に基づき訴訟に及ぶ」というものである。
その後,前記のとおり,富士市とA公社の間に本件契約が成立したので,原告らは,平成10年5月20日本訴を提起し,同年12月3日の第7回口頭弁論期日において,前訴と本訴は併合されたが,原告らは,同期日において,前訴被告の同意を得て前訴を取り下げた。
本訴において,原告らは,前訴と全く同じ違法事由を主張していたが,本訴を提起するについて,監査請求は経由してなかった。
2 以上によって考える。
(1) 前記のとおり,原告らは,本訴を提起するに当たって,監査請求を経由しなかった。そして,本訴提起後,前訴を取り下げているので,結局は,原告らは,差止請求から損害賠償請求へと,訴えの変更をした形となっている。このように,実質的には訴えの変更であっても,本訴は明らかに新訴の提起であるから,本訴について監査請求を経由することが本訴を適法な訴えとするための原則である。しかしながら,本件の場合,前訴に係る差止請求と本訴の損害賠償請求とはその中心的な争点が全く同一であるのみならず,公金の支出差止め,公金の支出,損害賠償の請求はいわば一連の流れであるから,普通地方公共団体の住民が特定の公金の支出を違法な財務会計上の行為であるとしてその差止めを求める監査請求をした場合には,その監査請求には,その差止対象とされた公金の支出がされた場合の損害賠償請求に関する監査請求が含まれると解することができるのである。そこで,現実に公金支出がされた場合には,当該公金支出がされたことに対して新たに監査請求をしなくても,当該公金の支出が違法であることを理由として,地方自治法242条の2第1項4号の当該職員に対する損害賠償請求の訴えを提起することができるというべきである。
(2) 前記のように解した場合の出訴期間について考えてみると,本件のように新訴の提起があって実質的に訴えの変更がされた場合には,変更後の新請求と変更前の旧請求との間に訴訟物の同一性が認められる場合,又は,両者の間に存する関係から,変更後の新請求に係る訴えを当初の訴えの提起の時に提起されたものと同視し,出訴期間の遵守において欠けるとことがないと解すべき特段の事情がある場合を除き,新訴提起時を基準として出訴期間の遵守があったか否かを決するのが原則である。しかしながら,そもそも地方自治法242条の2第2項が出訴期間を定めたのは,住民監査請求において問題とされた財務会計行為に基づく結果を速やかに確定させることにあるところ,既に当該財務会計行為について住民訴訟が裁判所に係属し,その違法性が争われている場合に,その継続中の訴訟に追加的に提起された訴えについては,このような出訴期間を定めた法の趣旨がそのまま妥当するとはいえない。しかも,本件の場合,前記のとおり,前訴に係る差止請求と本訴の損害賠償請求とはその中心的な争点が同一であるのみならず,公金の支出差止め,公金の支出,損害賠償の請求はいわば一連の流れであるのに,訴訟上差止めを求められている公金の支出がされれば差止請求は不適法な訴えとなり,住民としては支出に対する損害賠償の訴えに変更せざるを得なくなる関係にあるが,このように訴えが不適法になったことについては住民である原告らに何らの責任はない。そこで,このような場合には,本訴の損害賠償を求める訴えは,出訴期間の遵守の関係では,前訴の公金支出差止めを求める訴えが提起されたときに提起されたものと同視すべき特段の事情があるというべきである。
(3) また,前記の場合,前訴の被告は行政機関である富士市長Dであり,本訴の被告は富士市長の地位にあるが,個人としてのDであるところ,両者は観念的には異なるものの,前訴が提起され,その後富士市長として,公金の支出行為をした時点で,個人の被告に対する損害賠償請求への訴えの変更がされることは予測できたものであるから,このように観念的には被告が異なることは,前記の特段の事情があるとの判断を左右するものではない。
(4) 以上説示のとおり,本訴は適法な訴えである。
第4争点(2)(本件契約は違法か)に対する裁判所の判断
1 前記争いのない事実等,丙20(Eの陳述書),証人E,同Fの各証言,後記認定事実末尾に記載した各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 本件土地の概況
本件土地は,東海道新幹線新富士駅から北東方向へ直線距離で約250メートルの場所に位置する総面積3万9847.61平方メートルの一団の土地であり,その東側及び北側にはB株式会社の富士工場が,北側にはG株式会社の富士工場が,西側には富士市の柳島日東地区の住宅区域が,南側には田子の浦港へのアクセス道路である市道前田宮下線(通称新幹線駅前通り)がそれぞれ存在している。本件土地の主な部分は,野球場,テニスコート及びゲートボール場とこれらの付属施設で占められている(甲6の2,乙2,乙3,丙1)。
(2) 富士市は,昭和46年ころから,新幹線富士停車駅の設置を求めて,当時の国鉄を初めとする関係機関への要請等をしており,昭和59年には,新駅の位置を定める案を発表し,現実に予定地内での立入調査も開始された。このような運動の結果,昭和59年10月18日に,国鉄から新幹線富士駅の設置が承認され,昭和63年3月の開業に間に合わせるための用地買収等もされた。ところで,このようにして開設が予定された新富士駅は,静岡,山梨両県にまたがる27市町村が構成する「H同盟会」や山梨県自体からも寄付を得て設置された「誓願駅」であったので,富士市としては,駅周辺地区の都市基盤整備は富士市の責務であると考えていた。そこで,富士市は,昭和60年11月に策定した第3次富士市総合計画「ふじ21世紀プラン」(丙21。計画期間昭和61年度から平成12年度まで)中にも「新幹線富士駅設置にともない,駅前広場の整備をはじめ周辺区域についても,土地区画整理事業等により都市景観に配慮した新市街地として形成していくことが必要である」とか「新幹線富士駅周辺を富士山を望む景観にも配慮した新市街地として整備していく」と記載していたが,企画立案された土地区画整理事業中では,本件土地はその施行地域に含まれていなかった(丙21の図面)。
(3) 一方,本件土地の前所有者であるB株式会社は,平成3年5月29日,赤字転落となった同社の再建計画実施のため,同年3月末の借入金残高4500億円を向こう5年間で2500億円に減額すべく,株式,山林,土地の売却で1200億円を捻出すること等を内容とする再建計画を発表した。もっとも,その売却対象に本件土地をその一部とする富士工場は含まれてないとの報道もあった(甲6の1)。さらに,平成6年3月24日,B株式会社は,新再建計画を発表したが,富士工場が売却対象に含まれるかどうかは明確ではなかった(甲6の3)。
(4) 平成4年6月,地方拠点都市地域の整備及び産業業務施設の再配置の促進に関する法律(以下「地方拠点都市法」という)が施行された。同法は,近年地方において若年層を中心とした人口減少が進むとともに,依然として人口及び諸機能の東京圏への集中が続いていて,地方の活力の低下が懸念されていることから,地方の発展の拠点となる地方拠点都市地域の整備を推進し,地方の自立的成長の促進と国土の均衡ある発展を図ろうとするものである(丙13)。
同法の施行を受けて,静岡県知事は,平成5年4月30日,同法に基づき,富士市,沼津市,三島市,富士宮市,駿東郡清水町,長泉町及び富士郡芝川町の4市3町を静岡県東部地方拠点都市地域に指定したので,上記4市3町は,静岡県東部地方拠点都市地域整備推進連絡会を結成して,静岡県東部地方拠点都市地域整備基本計画(乙4。以下「基本計画」という)を策定し,同計画は,同年12月27日,静岡県知事により承認された。
この基本計画においては,本件土地を含む新富士駅周辺地区の約88ヘクタールが拠点地区として設定され,同拠点地区については「広域的交通拠点としての新幹線駅周辺の立地条件を活用し,工業を中心とする生産機能の集積を背景とした産業業務機能を中心に,研究開発機能,産業支援機能,商業機能,アミューズメント機能等を導入し,環境に配慮した岳南広域都市圏の玄関口にふさわしい高次都市拠点を形成する」とされ(乙4の18頁),同拠点地区の中でも,本件土地を含む新富士駅北側地区は「官民が積極的に協調した基盤整備等を推進し,交通拠点機能の整備を図るとともに,工業を中心とする生産機能の集積を背景とした産業業務機能,研究開発機能,産業支援機能,アミューズメント機能などの誘導を図る」こととされた(乙4の27頁)。
このようにして,本件土地は,新富士駅近辺の,しかもまとまった広い土地であって,上記「岳南広域都市圏の玄関口にふさわしい」開発事業推進のためには必要不可欠な土地であると強く意識されるようになった。
(5) 他方,富士市議会では,前記のとおりの静岡県知事による東部地方拠点都市地域の指定を受け,平成5年5月28日,基本計画の策定等を議題として全員協議会を開催し,同年6月11日には運営委員会で特別委員会の設置が協議され(甲7の2),同年6月開催の市議会定例会において,同整備の計画的推進を図るため,富士市議会議員12名(平成8年8月からは14名)の委員により構成される拠点都市整備促進特別委員会(以下「特別委員会」という)が設置された(甲7の3)。同特別委員会は,平成5年8月30日の第1回から平成13年4月26日の第34回まで開かれている(甲7の4から16,甲7の19,甲7の21,甲7の23,甲7の24,丙23の1)。また,市議会にも,特別委員会の議事内容は,委員長などから適時報告されている(丙23の2,丙24の1から13)。ところで,富士市議会においても,本件土地が拠点地区整備構想を実施するためには必要な土地であるとの認識から,本件土地がB株式会社等の所有のままでは同構想実現の可能性がないとの意見も出され(甲7の1),このような状況の下,次のとおり,富士市とB株式会社等との間で,本件土地の売買を含めて,B株式会社等がどのような協力をすることができるかの交渉が開始されるに至った。
(6) 富士市とB株式会社との交渉の概要及び特別委員会での議論の概要は次のとおりである。
ア 富士市とB株式会社との交渉は,遅くとも平成5年12月ころには開始されたが(甲7の5),B株式会社は,当初から整備計画策定等に協力するとの意思を明らかにしており,平成6年6月ころには,本件土地を売却することも考慮しているとの意向を確認することができた。もっとも,富士市としても,B株式会社が売却を考えている土地の面積,範囲やその価格が明確ではなく,買収金額が多額にのぼることが予想されたことから,慎重に検討する構えであった(甲7の6)。なお,このような交渉状況は,そのころ開催の特別委員会にそれぞれ報告されていたし(甲7の5,6),その一部は富士市議会の同年6月定例会にも報告されていた(乙8)。
イ 平成6年10月25日,富士市は,B株式会社及びC株式会社から,B株式会社の再建計画の一環として本件土地の再開発を検討しているが,市として本件土地の利用計画があるなら協議をさせて欲しいとの書面による申入れを受け(丙9の1,2),これが本件土地の譲渡について具体的な協議をしたい旨の申入れであると考え,同年11月1日付けの文書をもって,本件土地は新富士駅周辺地区の整備の推進を図るうえで必要な用地であると認識している旨を回答し,その旨を特別委員会に報告した。
ウ そこで,A公社は,平成6年11月14日,不動産鑑定士Hに対し,本件土地の正常価格の鑑定を依頼したところ,同鑑定士は,平成6年12月1日時点の正常価格として49億6000万円(1平方メートル当たり12万4000円。3.3平方メートル当たり40万9200円となる。以下,特に指定しない限り,土地単価は3.3平方メートル当たりの価格で表示する。なお,同鑑定において本件土地の実測面積合計は4万平方メートルとされていた)と鑑定した(乙2。以下「H鑑定」という)。H鑑定では,本件土地は「工業専用地域」であるとし,本件土地は「倉庫又は研究・研修施設敷地としての利用が最有効である」と判断している。
なお,H鑑定士は,平成8年ころ,富士市又はA公社の職員から,本件土地の再評価をした場合本件土地の価格はどの程度になるかとの問い合わせを受け,約10パーセントくらいは下落すると返答したことがあったが,その後富士市ないしA公社から再鑑定の依頼はなかった(調査嘱託の結果)。
また,H鑑定のされた平成6年からB株式会社等とA公社間に本件土地の売買契約が締結された平成8年の間の地価公示価格の推移をみると,工業地で,対前年比が平成7年マイナス4.7パーセント,平成8年マイナス7.6パーセントであった(甲35)。
エ 富士市は,平成6年12月19日,B株式会社に対し,H鑑定を基にした工業専用地域の現況評価を根拠として,本件土地の譲渡価格について40万9000円を提示したが,B株式会社はこれに対し帳簿価格(平成2年度)の85万1240円を提示し,さらに,平成7年1月13日,富士市に対し,40万円から60万円台では譲渡に応じることが難しい旨を表明したので,平成7年1月27日,富士市は,B株式会社に対し,基本的には市民,市議会に納得が得られる額でなければならない旨を回答し,B株式会社の申し出を断った。なお,このように交渉が行われていることは,特別委員会に報告がされている(甲7の9)。
オ その後,富士市とB株式会社との間で本件土地の譲渡について若干の交渉があったが,同社の役員が大幅に交替するなどしたため,平成7年10月16日まで交渉は停止状態となった。そして,平成7年10月,B株式会社の交渉担当者が富士市に挨拶に訪れ,同年12月10日には,本件土地の譲渡交渉を再開したい旨を申し入れてきたため,同月12日,富士市は,交渉の再開に同意した。この再開後の平成8年2月8日の交渉で,B株式会社は,本件土地の譲渡価格について,工業専用地域の現況評価額では厳しいと述べ,その際,本件土地の東側に連続する土地の購入も考えて欲しいと要求したが,市は明確な回答はしなかった。このような交渉経過は特別委員会で報告がされている(甲7の10,11,13)。
カ 富士市は,平成8年2月27日,B株式会社に対し,従前と同じく40万9000円を提示した。これに対し,B株式会社は,同年4月17日,70万円を提示した。この間の同年4月5日,特別委員会メンバーは,非公開の懇談会を開催し,ここで交渉経過,特に取得予定価格について意見交換が行われた。このように非公開の懇談会を開催したのは,意見交換であるので秘密会にする必要はなく,他方,市の考えている取得予定価格が公開されてしまうのでは交渉上不利になると考えられたからであって,特別委員会では本音が聞けないと考えた同委員会メンバーからの要望によって開催されたものである。また,同年5月2日にも,特別委員会メンバーは非公開の懇談会を開催して意見交換等をしているが,このなかで,富士市が作成した資料(丙8)が口頭で説明された。同資料によれば,周辺の売買実例,周辺地価公示価格等,B株式会社からC株式会社への譲渡金額にその後の土地価格変動率を乗じた金額の3種を調査したところ,いずれも新幹線と東海道本線に挟まれた地域の場合で,平成6年から平成7年9月ころの売買実例4例が51万4470円から79万1756円,平成7年1月1日時点の地価公示価格2例が30万7890円と51万1500円,同年7月1日時点の地価調査2例で43万8900円と81万1800円であり,B株式会社の譲渡代金に変動率を乗じた結果は,平成8年1月1日時点で64万5124円であった。このような資料とB株式会社側の提示金額を踏まえた意見交換の結果,買収価格は高くても50万円が限界であるとの意見が出され,これが同メンバー間の大勢となって,この価格に明示的に反対した委員はいなかった。
キ 平成8年5月15日,富士市はB株式会社に対し,市民及び市議会も納得できる金額として50万円を提示した。これに対し,B株式会社は,同年7月4日,本件は商業地域としての開発を前提として考えているので,収益還元方式による鑑定価格であるとして,61万円を提示した。同社がこの金額を提示したのは,同年6月6日,不動産鑑定士Iに対し,本件乙土地の価格の鑑定を依頼したところ,同鑑定士は,平成8年7月1日時点における現状の工業専用地域としての鑑定評価として43万4280円(1平方メートルあたり13万1600円),新富士駅周辺開発整備計画が進行した場合は,最有効使用は店舗,事務所ビル,ビジネスホテル,公共施設等の商業的利用を主体としたものに転換されることが予測されるとして,現状の用途地域を商業地域に変更することを前提としての鑑定評価として60万9180円(1平方メートル当たり18万4600円)とする鑑定メモを作成していたからであった。なお,同鑑定書(乙3。以下「I鑑定」という)は,同年7月15日に作成された。
ク このようにB株式会社側の提示金額は,交渉開始から約2年半(売買が前提の交渉となってからも1年半以上)を経過しても,富士市の考えている金額より10万円以上も高かったところ,富士市は,平成8年8月19日に開催された前記懇談会において,買収交渉が難航していること,市としては50万円以上の金額提示はできないと考えているので,交渉を中断したいとの提案をし,同委員会のメンバーもこの市の考えを了解した。この50万円との価格は,H鑑定よりも高い金額であったが,前記のとおり,富士市の調査の結果及び5月2日の懇談会での大勢を占めた金額であったことから出されたものであった。
ケ 平成8年8月21日,富士市のJ総務部長らが東京のB株式会社本社に赴き,交渉を中断する旨を伝えた。これに対し,B株式会社は,同月26日,交渉を中断せずこのまま続けたいが,富士市の提示する50万円についてもう少し再考の余地はないか確認を求める旨の申入れをしてきた。また,このころ,B株式会社から,土地とは別に野球場等の施設を評価して欲しいとの申し入れがあり,富士市は,野球場は平成3年ころに建築された新しい施設であり,固定資産評価額の5割程度の価値があるとして,3.3平方メートル当たり1万円と評価した。そして,同月29日,B株式会社がこの合計額である51万円の価格を受け入れ,事実上,ここに富士市とB株式会社間に合意が成立した。
コ 平成8年9月4日開催の特別委員会(甲7の15)において,本件土地の購入概要について審議等が行われ,その結果,本件土地面積約1万2000坪,単価51万円,総額61億5000万円について概ね同意が得られ,また,本件土地の東側に隣接する約5000坪の土地購入案やA公社の債務保証枠の拡大について提案がされた。その結果,平成8年9月9日開催の特別委員会において,賛成13名(反対1名)の多数決で,この条件で交渉をすること,及びA公社の保証枠130億円に70億円を上乗せする議案を市議会に上程すること等が了承された(甲7の16,丙25)。
サ 平成8年9月27日,富士市議会9月定例会本会議において,前記A公社の債務保証限度額の変更について可決されるとともに,本件土地の買収について,定足数40名のうち38名が賛成して可決された(甲7の17の1から3)。これを受け,同年10月29日開催の特別委員会(甲7の19)で契約内容,協定内容等の協議がされ,同年11月5日開催の特別委員会(甲7の21)において,契約書案・協定書案が了承された。
シ 平成8年11月18日,B株式会社及びC株式会社とA公社との間に,本件土地を代金総額61億4749万0026円で買い取るとの契約が成立し,富士市議会の同年11月定例会において同内容で契約が成立した旨の報告がされた(甲7の20)。また,売買契約と同日,B株式会社とA公社及び富士市の間で,本件土地の一部(面積合計6133.05平方メートル)について,今後3年間B株式会社が使用料金を支払って使用することができる等の協定書が締結され(丙10の1。平成11年11月24日付のものが甲23の1),A公社又は富士市の使用許可書(丙10の2,丙11)によって,使用料金が年額441万7800円から511万6000円と定められた。なお,この使用許可書には,A公社又は富士市が必要とするときは地上物件を収去して明け渡すとの貸付条件が記載されていた。
ス 平成9年2月25日,被告は,本件土地の購入費用62億2000万円を公共用地先行取得事業費として計上した平成9年度予算案を富士市議会に提案し(甲7の22),同年3月21日,同議会の議決承認を得た。これに対し,前記のとおり,原告らから,住民監査請求がされ,さらに前訴が提起されたが,前訴係属中の平成10年2月24日,被告は議会に本件土地取得の議決を求める議案を提出し(丙1),多数の賛成を得て(丙2の1から3,丙26),同年3月10日,富士市はA公社との間で本件契約を締結し(丙5),同月31日,代金を支払った。本件契約の代金額62億1600万円は,前記A公社がB株式会社等に支払った61億4749万0026円に,この間の利息6083万1004円と諸経費(この中には,グランド整備費等や施設賠償責任保険料等が含まれる)767万8970円を合算したものである(丙19)。
(7) 本件土地や野球場等の利用状況及び整備計画
ア 本件土地は,富士市の取得後も,野球場,テニスコート,ゲートボール場として,市民に開放されており,野球場はほぼ毎週,テニスコートは毎日利用者があるし,ゲートボール場も利用者がある。このような利用形態については,取得後4,5年間は基本的に現状のままということで,特別委員会の了承を得ていた(甲7の23,24)。
イ ところで,本件土地を含む地区の整備計画策定については,次のような手続がとられていた。
すなわち,まず,富士市は,平成6年3月の新富士駅周辺地区整備調査報告書(丙16)において,新富士駅周辺地区は対象地が88ヘクタールと広大なことから,同地区をABCの3地区に分けて整備するとの方針を明らかにした。
そのうち,A地区は,駅南側に位置し,一般住宅ゾーン,都市型居住ゾーン,商業・業務ゾーンを含む地区であり,富士市が基盤を整備し,その後民間が中心となって住居や商業施設等を整備するとされている。駅北側のB地区は,駅に近接し,再編が見込まれる大規模な敷地を有することから,駅周辺の中でも中核的な機能,広域からの玄関口となる機能を持ち,先導的に整備を進めるべき重要な地区とされている。C地区は,大規模工場が立地し,現に操業中であることから,他地区における整備動向を勘案しつつ,研究開発・産業支援機能を中心に,長期的な機能再編を検討すべき地区と位置付けられている。その後,B地区の一部(野球場の北側に東に向かって伸びている水路の北側)について,B株式会社から「操業を続けたいので,C地区並の扱いにして欲しい」との申し入れを受け,市は検討の結果,同部分をB地区からはずし,B-1地区として,長期的,段階的に整備を行うこととした(甲6の4)。
このように区分された地区のうち,A地区は,平成6年度から平成8年度にかけて土地区画整理事業調査が実施され,富士市施行の土地区画整理事業が,平成12年9月5日に事業計画決定の公告がされるなど,実施されているし(丙14),用途地域変更等も,新富士駅南地区まちづくり検討協議会において,協議されている(丙15)。
これに対し,本件土地の含まれるB地区については,富士市及びK事業団が整備のための調査を行っている段階であるが,同調査の一つとして,平成7年9月の世論調査(乙5)がある。また,富士市は,平成9年9月,基盤整備のあり方等に付いての意見を聴取するため,学識経験者,地区自治会代表,地権者,産業経済界等のメンバーからなる「新富士駅周辺地区整備懇話会」を発足させ,同懇話会は,平成11年2月「新富士駅周辺地区の整備方針に関する提案」(丙17)をした。同提案においては,今後この地域をより良いものにして,富士市域全体の活性化につなげていくよう,バリアフリーを含めノーマライゼーションの精神をまちづくりのコンセプトとして打ち出し,先導的役割を担うための地域になるよう提案を行うとして,いくつかの提案をしている。その他に,地区地権者等を会員とする「B地区まちづくり方針策定等勉強会」を設置して整備基本構想の策定をしたり,富士商工会議所を事務局とし,地元産業・経済界の代表による「新富士駅北側(B地区)整備構想懇談会」からの意見を受けたりしていて,平成13,14年度で基本計画を作成し,15年度以降で実施計画を作成するというスケジュールを考えている。
(8) 本件契約を締結した当時(平成9年度)の富士市の財政状況は,おおむね次のとおりであった。
すなわち,富士市の標準財政規模は,浜松市,静岡市に次いで県下第3位であったが,実質収支は約27億円の黒字で,実質収支比率は6パーセント,経常収支比率は74.8パーセントであり,積立金は約54億円,そのうち緊急の財政需要に対応するための財政調整基金の残高は約26億円となっていて,これらの数値からは富士市財政に問題点はないと判断される(甲20,弁論の全趣旨)。また,地方税等地方公共団体が自主的に調達できる財源の比率を示す自主財源比率は72.4パーセントであって,県下平均の55.3パーセントより相当程度高いのであるが(丙27),この数値も富士市の自主性の高さを示すとともに,財政基盤が安定していることを示している。他方,公債費の一般財源に占める割合を示す公債費比率は16.1パーセントでやや高いが,これは文化教育施設建築事業等の富士市の資本形成に関わる費用調達のための公債が多いためであると判断される(丙18)。
このように,当時の数値からは,富士市の財政状況が逼迫しているなどの特別の問題点は認められない。
(9) なお,富士市は,B株式会社等との本件土地売買交渉中に,株式会社Lに対し,本件土地中の埋設物調査を依頼していたが,平成8年10月付の同調査報告書(丙12)によれば,本件土地は,表層部の砂礫層は層厚8メートルから10メートル程度掘削され,跡地は,不規則な産廃等で埋め立てがされ,整地されたとされ,埋設物として細かい木片,製紙かす等が確認されたが,特に有毒ないし危険な埋設物があるとの指摘はなかった。
2 以上の認定によって考える。
(1) 以上の認定事実によれば,
ア 本件土地は新富士駅近辺のまとまった一団の土地であって,同駅周辺の地方拠点都市地域整備基本計画策定のために重要な土地であることは明らかであるから,被告が,富士市長として,本件土地の必要性を感じ,この購入を決断したのは十分に理解できるところである。しかも,基本計画策定の便宜のために土地を購入するかどうか,購入するとしてどの土地を購入するか等の判断は,もっぱら富士市長の政策的,合目的的裁量判断に属する事柄であることを考慮すると,本件契約を締結した被告の行為に裁量権の逸脱や濫用があるということはできない。
この点に関し,原告らは,富士市は購入した本件土地を利用しておらず,被告は必要性のない本件土地を購入したものであると主張する。確かに,前記のとおり,本件土地は,富士市の購入後も依然として,その一部(約15.4パーセントの面積)がB株式会社の施設のために利用され,残部は市民のための野球場等として利用されているが,他方で,本件土地を含む一帯の土地について基本計画が策定され,基盤整備の方針等が打ち出されているところ,本件土地はその中で重要な部分を占めているのであるから,このような本件土地の占める位置等を考慮すれば,本件土地が不要な土地であるなどということはできないし,前記のような現在の本件土地利用状況や基盤整備の具体的形が現れていないことから,本件土地が不要な土地であったと即断することもできないのである。要するに,本件土地の現実の利用形態から,被告の行為に裁量権の逸脱や濫用があったということはできない。
イ 本件土地の価格については,H鑑定では平成6年12月1日時点で40万9200円とされており,A公社の買取価格51万円は,H鑑定価格より約25パーセント高い。しかしながら,この51万円は,B株式会社等との交渉内容を踏まえ,H鑑定のみならず,富士市による周辺の売買実例等の調査結果(丙8)も考慮して,しかも,これらの資料を前提とする特別委員会メンバーの議論内容を重視して決められたものであること,そもそも土地の取引価格は社会的,経済的な要因に原因する複雑多岐な要素に基づき決定され,特に当該取引当事者の個別的,主観的な事情によって左右されるものであって,これらの要素によっては大きく変動するものであることを考え併せると,上記のとおりH鑑定価格より約25パーセント高い価格で本件土地購入契約を締結した被告の行為が,その裁量権を逸脱したものとか濫用したものということはできない。
この点に関して,原告らは,H鑑定時点と比べても,地価は,平成8年当時には約10パーセント(調査嘱託の結果),ないしは毎年4.7から7.6パーセント下落している(甲35)ので,富士市の購入価格と時価との差額はさらに拡大すると主張する。しかしながら,本件土地の価格については,前記のとおり,I鑑定は平成8年7月1日時点で43万4280円と鑑定していたのであるから,H鑑定だけが時価を正確に示しているかどうかは明らかとはいえないのみならず,被告が51万円という価格決定をしたのは,前記のとおり,B株式会社等との交渉内容を踏まえ,H鑑定や売買実例等を基礎にし,特別委員会メンバーの意見を考慮した結果であるから,上記のような地価下落があるとの調査結果があっても,被告の行為に裁量権の逸脱や濫用があるということはできない。
(2) その他の原告らの主張について考えてみる。
ア 原告らは,地方財政法1条は,地方財政の「健全を確保」すべきと規定しているところ,本件土地の購入は,利用目的も必要性もない土地を,もっぱらB株式会社等の利便を図って購入したもので,健全財政主義に違反すると主張する。しかしながら,本件土地購入の必要性があったこと,本件土地の利用目的は基盤整備計画策定等の中で現在検討中であることは前記のとおりであり,本件土地購入目的がB株式会社等の利便を図ったものであると認めるべき証拠はないのである。このように本件土地購入の必要性があったことや,前記のとおりの購入当時の富士市の財政状況等から考えると,本件土地の購入が財政健全主義に違反しているということはできない。
イ 原告らは,地方財政法4条1項,地方自治法2条13項,公有地の拡大の推進に関する法律7条,地価公示法9条及びその関連通達,国土利用計画法27条の10及びその関連通達,公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱8条,地方拠点都市法3条2項とその関連規則の趣旨からすれば,地方公共団体が取得する土地の価格は売買当事者の主観を排除した客観的交換価値(時価)によるべきであり,これは被告の権限行使を覊束する法規範として機能していると主張する。しかしながら,原告らが掲げる各規定等は,いずれも抽象的なものであって,富士市長である被告は,これらの規定等の趣旨を尊重して行動することが望ましいのは当然のことであるが,土地売買価格が買主である富士市側で一方的に決定できる性質のものでないことを考えれば,これらの規定等が被告の具体的行為を直接に覊束するということはできないと考えられる。しかも,時価がいくらであったかは,前記のとおり必ずしも明確ではなく,I鑑定価格を時価であると考えると51万円という購入価格は時価の約17パーセント高い程度であるし,富士市の調査した売買実例が時価を示しているものと考えると51万円の購入価格は時価とほぼ同額又は時価より安い価格となるのである。このような事情を考えると,被告において裁量権の逸脱や濫用があったということはできない。
ウ 原告らは,本件土地を購入するに当たって富士市公共用地取得連絡調整会議が開催されなかったことを問題とするが,同会議は富士市職員によって構成され,公共用地取得事業の適正,円滑化を期するため設置されているものであって(甲9の6),富士市議会やそのメンバーで構成される特別委員会において,前記のとおりの審議がされていた本件の場合には,この連絡調整会議が開催されなかったことは,被告の行為に裁量権の逸脱や濫用がなかったとの前記判断を左右するものではない。
エ 原告らは,これまで富士市では鑑定価格によらずに土地を買収取得した例がなく,本件土地購入は全く異例の方法であったと主張するが,乙7によれば,これまでも必ずしも鑑定価格によらずに土地を購入した例があったと認められるから,原告らの主張は採用できない。
オ 原告らは,富士市には,適正価格以下で購入するために役立つ交渉材料がある場合には,これを用いて交渉すべき義務があるのに,これを怠った違法があると主張する。そこで,原告らが交渉材料であると主張する事項について考えてみると,地価の低落や地上構築物の存在があったことは前記のとおりであり,B株式会社側に企業再建のために本件土地売却の必要性があったことも,そのとおりであろうと推測できる。また,競争的買い手の不存在が認められればそれも交渉材料になることはその主張のとおりである。しかし,富士市に本件土地購入の必要性がなかったとか,富士市の財政状況が逼迫していたという事実は認められないし,本件土地中の埋設物については,前記のとおりであって,交渉材料になるかどうかについて大きな疑問がある。そして,このような前提で考えると,本件土地の必要性,重要性等からすれば,地価の低落や地上構築物の存在,売り手側における売却の必要性,さらには競争的買い手の不存在という交渉材料を用いたとしても,どれだけ価格低減に寄与し得たかについては疑問があるのみならず,前記のとおり,本件では長期にわたってねばり強い交渉がされ,一時は交渉中断の危機にさらされたが,最終的に,H鑑定を考慮に入れながらも,B株式会社側の提示金額,売買実例等の調査結果,市民の代表である特別委員会メンバーの意見等を考慮して価格が決定され,合意に至ったことを考慮すれば,本件において被告の行為に裁量権の逸脱や濫用があったということはできない。
3 以上のとおりであるから,被告がした本件契約締結は違法とはいえない。
第5よって,原告らの請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 佃浩一 裁判官 三輪恭子)
裁判官 宮本聡は転補につき署名押印できない。裁判長裁判官 佃浩一
別紙 当事者目録 略
別紙 別件目録 略