静岡地方裁判所 平成12年(ワ)739号 判決 2002年6月07日
静岡県<以下省略>
原告(反訴被告)
X
同訴訟代理人弁護士
大橋昭夫
同
久保田和之
東京都中央区<以下省略>
被告(反訴原告)
萬成プライムキャピタル証券株式会社
同代表者代表取締役
A
同訴訟代理人弁護士
堀井敏彦
主文
1 被告(反訴原告)は,原告(反訴被告)に対し,金601万6388円及びこれに対する平成12年8月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告(反訴被告)は,被告(反訴原告)に対し,金199万3260円及びこれに対する平成12年12月5日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
3 原告(反訴被告)のその余の請求及び被告(反訴原告)のその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は本訴反訴を通じてこれを10分し,その6を原告(反訴被告)の,その余を被告(反訴原告)の負担とする。
5 この判決は,第1項及び第2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
(本訴)
被告(反訴原告。以下「被告」という。)は,原告(反訴被告。以下「原告」という。)に対し,1516万円及びこれに対する平成12年8月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(反訴)
原告は,被告に対し,332万2100円及びこれに対する平成12年12月5日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,被告との間で商品先物取引委託契約を締結して,商品先物取引を行った原告が,被告の外務員の違法な行為により損害を被ったとして,被告に対し,同取引による差損金及び弁護士費用を請求した本訴事件と,被告が,原告に対し,同取引による帳尻損金の支払を求めた反訴事件である。
1 前提となる事実(証拠摘示のないものは,当事者間に争いがないか,あるいは,明らかに争われることがなかった事実である。)
(1) 当事者
原告は,昭和38年○月生まれの独身男性(当時)であり,a株式会社に勤務する会社員である。原告は,本件に至るまで商品先物取引,証券取引の経験はなかった。
被告は,商品取引所法に基づき開設された商品取引所に上場された商品の売買及びその取次,証券取引所における有価証券の売買等を業とする株式会社である。
B(以下「B」という。)及びC(以下「C」という。)はいずれも被告静岡支店営業部に所属する登録外務員であり,D(以下「D」という。)及びE(以下「E」という。)はいずれも被告本社商品事業部に所属する登録外務員である。
(2) 被告の勧誘と原告の委託
原告は,平成12年7月29日,被告静岡支店のBから,電話で,商品先物取引を勧誘された。同月31日,原告は,ファミリーレストランにおいて,B及びCと会い,商品先物取引についての説明を受けた。その結果,原告は,口座設定申込書(乙13)及び約諾書(乙14)を作成し,被告との間で,商品先物取引委託契約を締結し,同日,200万円を交付した。
(3) 原告のした商品先物取引とその結果
原告は,平成12年8月1日から同月10日までの間に,東京工業品取引所における灯油・ガソリン及び大阪商品取引所における天然ゴム指数・TSR20号ゴムの各取引商品についての売買を被告に委託した。原告が,被告に委託して行った商品先物取引の内容は,別紙「商品別取引内訳明細表」1及び2のとおりであり,灯油で1147万2430円の利益,ガソリンで10万8160円の利益,天然ゴム指数で1692万9960円の損失,TSR20号ゴムで1166万3700円の損失の差し引き1701万3070円の損失に終わった(以下,原告が被告に委託して行った商品先物取引のことを「本件取引」という。)。
(4) 原告は,本件取引のために,前記7月31日に交付した200万円(被告への入金処理は8月1日)のほか,同年8月2日に619万円,同月7日に210万円,同月16日に350万円の合計1379万円を被告に入金した。
他方,原告は,同月7日に被告から9万9030円を受け取っているため,本件取引において原告が出捐した金額は差し引き1369万0970円である。
(5) 本件取引は上記のとおり,差し引き1701万3070円の損失に終わっているため,原告の帳尻損金として332万2100円が未払いとなっている。
2 主たる争点
(1) 本件取引における被告従業員の一連の行為に違法性があるか(本訴請求)。
1) 原告の適格性の有無
(原告の主張)
原告は,昭和55年に静岡県立b高等学校化学工学科を卒業して現在の勤務先に就職し,勤務先においてはフロンガスの分析の仕事に従事していた。
原告の最近の年収は370万円前後であり,原告は少ない賃金の中でも19年間にわたってこつこつと貯金し,その額は,平成12年7月時点で約1000万円に達していた。原告は,日本経済新聞はおろか,地元紙である静岡新聞も読んでおらず,購読していたのはスポーツ新聞であり,経済知識は全くといっていいほどなかった。また,原告は日中,会社に勤務しており,時間的余裕がなく,相場状況について,冷静な判断,自由な判断ができにくい立場にあった。
このような原告は,自己の判断で先物取引を遂行する能力はなく,事実上,被告に一任売買せざるを得ず,先物取引不適格者であり,被告はそのような事情を知りながら原告を先物取引に勧誘したものであり,違法である。
(被告の主張)
原告は,本件取引開始当時37歳の,大手●●●グループの1社であるc株式会社に勤務する会社員であり,何ら不適格者ではない。
2) 断定的判断の提供の有無
(原告の主張)
ア Bは,平成12年7月31日,原告に対し,電話で,「灯油が上がります」「500円位はすぐに上がります」「儲かります」などと興奮した口調で一方的に断定的判断を提供し,灯油の先物取引をすることを勧誘した。また,Cは,同日,原告に対し,「灯油は,今,だぶついて値が下がっていますが,これから冬に向けて需要が多くなるので,今から値が上がっていきます」「今,灯油の値段は2万7000円位ですが,2万9000円から3万円位まで確実に上がります」と述べ,断定的な相場観を提供した。
イ Dは,同年8月1日,原告に対し,電話で,「とにかく灯油は今いきどきです」と述べて灯油の枚数を増加するよう勧誘した。原告が「賭け事みたいな勝負になってしまうのではないか」と述べると,Dは「勝負ではありません」「短期で利益を得て,投資したお金を戻して,後は利益分で遊んでもらえばいいんです」と自信ありげに話し,必ず利益が出るかのような断定的な言動をした。
ウ Eは,同月4日,原告に対し,電話で,「ガソリンも短期でいきどきです」「ガソリンも灯油と同じで値が上がります」との断定的判断を提供して勧誘した。原告が,既に所持金の大半である819万円を投資しているため「これ以上お金を使うことはできません」と断ったところ,「本当にいきどきです」「ちょっとの間,食事分だけ残しておいて,あとのお金は全部行った方がいいですよ」と断定的判断を提供し,原告に対し,所持金の残りを全部投資させる決意をさせた。
エ Eは,同月8日,原告に対し,電話で,「灯油,ガソリンがよい時は,それに関連してゴムもよくなり,上がります」「灯油を仕切って,その委託証拠金をゴムに回します」と述べて,ゴム指数,TSR20号ゴムについて全く知識のない原告に対し,誤った断定的判断を提供し,原告に多大な損失を被らせた。
(被告の主張)
Cらは,その時点の材料や罫線に基づいて,自己の相場観を述べたことはあるが,断定的判断の提供はしていない。原告も,予測が外れれば元本がなくなる危険性は承知の上で,担当者がいう「予測」を信じたものであり,判断は原告自身によるものである。
3) 説明義務違反の有無
(原告の主張)
商品取引員は,先物取引の新規勧誘に当たって,契約概要書面を交付した上,その仕組み,特徴,危険性等を分かり易く説明し,顧客の十分な理解を得なければならないところ,C,Bは,平成12年7月31日の原告との面談の際,先物取引の簡単な説明をしただけで,危険性についてはほとんど触れなかった。
(被告の主張)
CとBは,平成12年7月31日,原告に対し,先物取引の仕組み等について,商品先物取引委託のガイドなどの資料に基づき,会社の便せんに具体例を書きながら説明している。さらに,ガイドに基づく説明の後に,改めて「先物取引の重要なポイント」(乙12)や口座設定申込書(乙13)の「お取引を始める前に」「予測が外れた場合の対処方法」については,線を引きながら読んでこれを説明しており,委託のガイドや乙12,乙13の控えも原告に交付している。したがって,説明義務の履行は十分になされており,原告は,これらの説明の結果,商品取引の仕組みや危険性を認識したものである。
4) 新規委託者の保護義務違反の有無
(原告の主張)
原告は新規委託者であるところ,被告会社においては,新規委託者の保護のために,受託業務管理規則(乙10)の取扱い要領によって,3か月以内は委託証拠金500万円以下の範囲内で売買を行うものとされている。Dは,上記保護措置を無視し,原告からの申出がないにもかかわらず,平成12年8月1日,灯油80枚の買建玉をさせ,翌日には合計819万円の委託証拠金を交付させたものである。さらに,同月7日には,Eが,原告の要請がないにも関わらず,委託証拠金1000万円を超える取引を原告に勧誘して行わせている。このように,D,Eは,社内規則を無視し,顧客カードにより把握した原告の所持金の全部を拠出させ,その上,後記6)のとおり,初心者に対し「利乗せ満玉」を誘導し,ごく短期間の間に投資資金に余裕のない状態で,大量の建玉を抱えさせたものであり,その結果,原告は,急激な相場下落に余裕をもって対処することができず,多額の損失を被ることになったもので,被告の新規委託者保護義務違反は明白である。
(被告の主張)
平成12年8月2日の619万円の預託によって,原告の預託証拠金が500万円を超えていることはそのとおりであるが,同日,被告管理部のFが,原告と面談し,建玉内容について,原告の意思に基づく取引であるかどうか,その損益,値洗いなどを説明して,8月2日付残高照合通知書に原告の署名捺印を受けている。また,その翌日の8月3日,被告管理部のGから,原告に対し,詳細な,注意を促す電話をかけ,原告に取引の危険性の念押しと,自己の意思によって取引をするよう意識を喚起する手続きを取っている。さらに,原告は,8月4日付の「申出書」(乙44)において,1000万円を超える取引を要請し,既に預託している819万円については自己の意志と判断に基づいて取引したものである旨述べているのであり,新規委託者の保護は図られている。
5) 一任売買の有無
(原告の主張)
一任売買は違法である(商品取引所法136条の18第3号)ところ,本件取引は,全て被告の外務員らの勧誘によって行われているものであり,原告は,外務員らの推奨する銘柄と枚数,取引年月日をそのまま受け入れている。このような本件取引は,実質的な一任売買であることは明らかである。
(被告の主張)
実質的な一任売買である旨の主張は否認する。
6) 違法,不当な増し建玉(利乗せ満玉)がなされているか。
(原告の主張)
新規委託者に対しては,精算は原則として1回1回行い,取引を継続するかどうか十分検討させ,納得させてから,新たに証拠金を預託させて取引を継続させるべきである。建玉を仕切っても,委託者に清算金を返還せずに,証拠金振替えによって,次の証拠金に充当することは,取引を過大なものにし,先物取引からの撤退を不可能にするもので違法である。
原告は,平成12年8月7日,建玉が増えて心配になったので,仕切った灯油,ガソリンの利益金の返還,特に今まで拠出した金員(元本)を返してほしいとEに要求したが,Eは「このまま行きましょう」というのみで,利益金が893万4030円も出ているにもかかわらず,この額も原告に告げず,委託証拠金に振替えてしまったものである。
(被告の主張)
被告が原告に無断で利益金を証拠金に振替えた事実はない。取引を1回1回精算することは当然可能であり,決済した利益金や返還可能ないし余剰の証拠金などについて,委託者から返還要請があれば,当然被告も出金に応じているところ,本件においては,原告自身が新規の建玉を希望し,その証拠金に充てるために,新たな証拠金の預託によらず,利益金を振替えて証拠金に充当したものであり,何ら違法ではない。
(2) 本件取引による損失の清算金の請求は,信義則に反し,許されないか(反訴請求)。
第3当裁判所の判断
1 前記前提となる事実,証拠(甲2,3,乙1ないし5,9ないし17,18の1ないし7,19の1ないし6,20の1ないし7,21ないし28,39,40,41の1及び2,42ないし45,証人C,証人D,証人E,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,この認定を左右するに足りる証拠はない。
(1) 原告は,昭和38年○月生まれの男性であり,平成12年7月当時は37歳で,母親と2人で母親の所有する実家に居住していた。原告は,昭和56年に静岡県立b高等学校を卒業して,a株式会社に就職し,フロンガスの分析などの仕事に携わっており,平成12年当時の年収は370万円程度で,預貯金は1000万円程度有していた。原告は,本件に至るまで,商品先物取引はもちろん,株式などの証券取引の経験もなかったが,投資については儲かるものならやってみたいとの気持ちを有していた。
(2) 被告静岡支店営業部所属のBは,平成12年7月29日,静岡県立b高等学校の同窓会名簿から原告を知り,同日及び同月31日,原告に電話をかけて,商品先物取引についての勧誘を行った。その結果,原告は面会に応じることを承諾し,同日(7月31日)午後6時ころ,ファミリーレストラン「デニーズ」において,B及びその上司にあたるCと,約2時間にわたり面談した。説明は主としてCが行い,「商品先物取引委託のガイド」(乙1)や灯油・ガソリンの罫線や日本経済新聞などを示したり,便せんに具体例を書いたりしながら,先物取引の仕組みを1時間程度にわたって行い,また,灯油の値がこれから上がって利益が狙えるだろうという説明を30分程度行った。その結果,原告は,先物取引を始めることに同意し,Cの推奨に従って,灯油11枚(委託証拠金99万円)を買建玉することとし,口座設定申込書(乙13),約諾書(乙14。なお,約諾書は,受託契約準則の冒頭部分に綴じられている。乙2),商品先物取引の重要なポイント(乙12)に署名押印し,各文書の交付を受けた。なお,口座設定申込書(乙13)には「お取引を始める前に」として,預託金以上の損失が発生する危険性があること,資金の余裕を十分考慮すること,当社(被告)では取引開始後3か月間は委託証拠金500万円以下の範囲内での取引をお願いしていることなどの記載があり,また,予測が外れた場合の一般的な対処方法として,決済,追証,難平,両建という方法があることの説明が記載されているが,Cは,これらに適宜アンダーラインを引きながら読み上げて説明し,同様に,商品先物取引の重要なポイント(乙12)についてもアンダーラインを引きながら読み上げて説明した。同日,原告は,委託証拠金として200万円を預けた。
(3) 被告会社では,取引が開始された後の顧客に対するアドバイスは,東京本社の顧客ネットワーク管理室(以下「顧客ネットワーク管理室」という。)が行うことになっており,同年8月1日,被告静岡支店営業部マネージャー(Cらの上司)であるHが原告に電話で取引開始についての礼を述べて不当な勧誘がなかったかどうかについての確認をした後,顧客ネットワーク管理室所属のDに引き継ぎを行った。
同日夕方,Dは,原告に電話をかけ,灯油の買建玉の枚数をさらに89枚増やして合計100枚にしないかと勧めた。原告は,当初ためらっていたものの,「少ない枚数で大きな幅を狙っていくよりも枚数を増やして少ない値幅を狙った方がいい」「投資したお金を短期で運用して利益を出して,あとは元金を戻して利益で遊んでもらうのが理想」などのDの言葉もあって,枚数を増やすことを承諾し,自分が用意できるのが600万円程であるとして,新たに灯油80枚の買建を委託した。
(4) 翌2日,原告は,被告静岡支店管理部所属のF(以下「F」という。)の訪問を受け,委託証拠金619万円を預けた。また,その際,原告は,現在の投下資金額が819万円であることや現在の建玉内訳(計算上は68万1000円のマイナス)が記載された残高照合通知書(乙22)を示されて確認のための署名押印をした。
(5) 翌3日,被告静岡支店管理部所属のG(以下「G」という。)は,原告に対し新規委託者のための電話調査をしたところ(乙40),原告は前日までの建玉状況について確認し,分からない点などがないかとの問いに対して,まだルールをよく理解していないので,と答えた。Gは,商品先物取引の特徴は,値動きによってプラスになったりマイナスになったりすること,元本保証はないこと,追証拠金の制度があることあたりに尽きる旨話し,また,担当者に対する苦情や要望があったら管理部に電話をしてほしいこと,無理な資金導入はしないでほしいこと,得する損するは自分自身にかかってくるので日経新聞などを見て研究してほしいことなどを告げ,口座設定申込書(乙13)に基づき,原告の職業や家族構成,年収や預貯金について確認した。また,Gは,営業の者から「元本保証」とか「絶対に上がります」などの話はなかったかと質問し,原告はこれを否定した。さらにGが質問を促したところ,原告は,「初めて買うときに,堅くということで100万位で11枚と言われまして,それで,ディーラーさんの方からこの電話があったときに『もうちょっといっても大丈夫いけるんじゃないか』みたいな形だったので。」と取引額を拡大していることについて話した。これに対し,Gは,「やりたくなければ,得するのも損するのもXさんですから,ほんと,断っていただいて結構ですよ。やりたくなければ。」「こちらは,あくまでもアドバイスとして提供して,最終的な判断というのはXさんご自身が決めていただきたい。」と答えた。
(6) 翌4日夕方,顧客ネットワーク管理室所属のE(Dの部下)は,原告に電話をかけ,灯油と同じ原料から取れるガソリンも値上がりが期待できるとしてガソリンの買い取引をすることを勧誘したが,原告は,既に資金をかなり投入しており,前日にGから無理をしないように言われたから,との理由で一旦は断った。しかし,その後,原告は,自らEに電話をかけて,ガソリン1枚あたりの委託証拠金の額を尋ねるなどし,結局,翌週月曜日(7日)にガソリン15枚の買建(委託証拠金157万5000円)をすることを委託した。さらに,原告は,同月7日午前8時40分ころ,Eに電話をかけ,ガソリンの枚数を20枚にしたい旨注文し,委託証拠金210万円については同日の昼に取りに来てもらいたい旨告げた。なお,原告は,同月4日付けで,被告から渡された見本(甲3)に基づき,「今般,貴社との間において預託証拠金額1000万円を超える取引を要請致したく,ここに申し出ます。尚,平成12年8月4日現在,貴社に預託している委託証拠金8,190,000円につきましては,私の自己資金の範囲内で自己の意志と判断に基づき取引したものであり,今後の取引に於いても同様に行うことを申し添えます。」旨の申出書(乙44)を差し入れている。
(7) Eは,同日(8月7日)午前10時12分ころ,原告に電話をかけ,ガソリン20枚の買建玉が成立したことを伝えるとともに,「さらに値上がりが期待できるのでもう少し買いたい」「現在の買建玉を一旦決済すればこれだけ買うことができる」「今がチャンスだと思うので,これだけの買いということでいきましょう」旨の話をして,同意を得た。そして,同日午前10時半前後に,原告の灯油の買建玉合計91枚とガソリン20枚が仕切られるとともに,新たに灯油98枚とガソリン99枚が買い建てられた結果,この時点で原告の委託した証拠金の金額は合計1921万5000円となった。同日昼ころ,原告は,勤務先を訪れたFに210万円の委託証拠金を預け,現在の投下資金額が1029万円であることや現在の建玉内訳(計算上は29万5000円のプラス)が記載された残高照合通知書(乙23)を示されて確認のための署名押印をした。なお,経過は明らかでないが,同日午後1時10分,原告の灯油の買建玉のうち1枚が仕切られており(この時点での委託証拠金は1912万5000円),同日,被告から原告の口座に,9万9030円が入金されている。
(8) 翌8日午前,Eは原告に電話をかけ,灯油,ガソリンが値上がりしている状況を伝え,灯油,ガソリンがよいときは,関連してゴムもよくなるから灯油を決済してゴムを買ったらどうかと勧めた。そして,ゴム指数とTSR20号ゴムについて,委託証拠金(ゴム指数が1枚6万3000円,TSR20号ゴムが1枚5万3000円),倍率,手数料の抜け幅等の説明をしたが,ゴム指数やTSR20号ゴムの性質や相場の変動要因などについては別段の説明を行わなかった。その結果,原告は,ゴム指数とTSR20号ゴムを各102枚新たに買い建てることとし,同日,灯油97枚の買建玉が仕切られて,ゴム指数とTSR20号ゴムの各102枚が買い建てられた。これにより,委託証拠金の総額は2222万7000円となった。
(9) Eは,翌9日午前,原告に電話をかけて,利益の出ているガソリンを一旦決済して利益を確保して再度同じ枚数を買建すること及び灯油33枚を売建することを勧めて原告の同意を得た(この結果,委託証拠金の総額は2519万7000円となった。)。その際,原告は,友人にインターネットで調べてもらった結果,ゴムの値が下がっていたことから,「ゴムは危なくないですか」と尋ねたが,Eは「このくらいでは大丈夫です」「このままいきましょう」と答えた。
しかし,同日,ゴムの値段は急落した。同日夕方,Dは原告に電話をかけ,委託追証拠金が1244万円程度必要になったことを告げた。原告は,Dに対し,相場が戻る可能性はないのか,決済した場合にはどうなるのか,利益の出ているガソリンと灯油を決済して追証拠金に向けるとどうなるのか,などの質問をし,Dの意見を聞くなどしたが,その場では判断することができず,一旦電話を切った。しかし,原告にはもはや所持金がなかったことから,全取引を決済することとし,Dに電話をかけてその旨指示した。その際,不足金の入金時期についてDが尋ねたところ,原告は,1週間程度の猶予が欲しい旨答えた。
(10) 翌10日,原告の全建玉が仕切られた結果,682万2100円の不足が発生した。同日,Dは原告に電話をかけ,不足額についての報告をした上,1週間後の同月17日に入金ということでいいかと確認した。これに対し,原告は,もう少し期間がほしい,今月一杯が駄目なら同月25日まででは駄目かと猶予を求め,結局,同月17日に一部を入金の上,同月25日までに全額入金ということになった(乙41の1及び2)。
原告は,同月16日,同じ職場に勤務する婚約者から借りた350万円を被告に持参して支払い,「残額332万2100円については同月31日までに支払う」「今まで行ってきた取引全般については一切異議はない」旨の「嘆願書及び確認書」(乙25)を作成した。
(11) なお,本件取引においては,各取引の都度,遅滞なく,被告から,原告に対し,商品名,取引年月日(時刻を含む),新規か仕切か,場節,取引枚数,約定値段,委託手数料,消費税,差引損益を記載した「売買報告書及び計算書」が送付されている(乙19の1ないし6)。
2 以上の認定事実を前提に,本件取引における被告の不法行為の成否について検討する。
(1) 原告の適格性の有無について
前記認定によれば,原告は,本件取引開始当時,高校を卒業して勤続19年になる37歳の男性会社員であったこと,独身で母親の所有する実家に居住していたこと,預貯金を約1000万円有していたことが認められる。
そうすると,原告には,通常の社会人として,商品先物取引を行うに足りる理解力があったと推認することができるし,年収が当時370万円だったとはいえ,家賃や子供の養教育費等の負担はなく,経済的にも一応の余裕があったものということができるのであるから,原告が,本件取引を開始する以前に商品先物取引はもとより証券取引の経験すらなかったことを考慮しても,原告が商品先物取引に関わる適格性を欠いていたということはできない。
(2) 説明義務違反,断定的判断の有無について
前記認定事実によれば,Cは,平成12年7月31日,原告に対し,先物取引の概要について,商品先物取引委託のガイド,罫線などの資料を示しながら1時間程度にわたり説明を行ったこと,特に,先物取引の危険性については,口座設定申込書(乙13)の「お取引を始める前に」や商品先物取引の重要なポイント(乙12)に「預託証拠金をはるかに超える金額の取引を行っているため,預託金以上の損失が発生する危険性があります。」「お取引に際しては,借入金等無理な資金導入は回避し,資金の余裕を十分ご考慮下さい。」「先物取引は投機です」「総取引金額に対し,委託証拠金を担保に差金の授受をする取引ですので,急激な変動をしたときは,預けた証拠金以上の損失が生じる場合もあります。」旨の記載があり,Cはこれらにアンダーラインを引きながら読み上げて説明していること,これらの書類は原告に交付されていること,同年8月3日の電話でも,Gは,原告に対し,先物取引の特徴は,値段の上がり下がりによってプラスになったりマイナスになったりすること,元本保証ではないこと,無理な資金導入は避けてほしいことなどを再度説明していることが認められる。したがって,先物取引の危険性についてほとんど説明を受けなかった旨の原告の主張は採用できず,本件において,危険性の説明が不十分であったということはできない。
また,前記認定によれば,①C,Bらが,本件取引を開始するにあたり,灯油の値がこれから上がって利益が狙えるだろう旨の話をしたこと(前記1(2)),②Dが,「投資したお金を短期で運用して利益を出して,あとは元金を戻して利益で遊んでもらうのが理想」旨の話をして建玉数を増やすことを勧誘したこと(前記1(3)),③Eが,「灯油と同じ原料から取れるガソリンも値上がりが期待できる」(前記1(6)),「今がチャンスだと思うので,これだけの買いということでいきましょう」(前記1(7)),「灯油,ガソリンがよいときは,関連してゴムもよくなる」(前記1(8))旨述べたことがそれぞれ認められるけれども,前記のとおり,原告が先物取引の危険性について説明を受けていること,原告は①②の勧誘の後である8月3日のGからの電話確認の際にも,勧誘時に「絶対に上がります」などの話がなかった旨答えており,Gからも,そのような判断はできないことを伝えられていること,原告はその本人尋問において,「営業担当者が上がるといえば,相場が必ず上がるとまでは思わなかった」「相場が上がるという場合,上げ下げを繰り返しながら徐々に上がっていくと思っていた」「下がった時に決済すれば損になるとは考えた」旨答えていることからすると,これらの被告担当者の言動をもって,原告が,確実に利益が出る旨の断定的判断の提供を受けたとまで認めることはできない。
したがって,原告の説明義務違反,断定的判断の提供の主張は理由がない。
(3) 新規委託者保護義務違反の有無について
被告は,その受託業務管理規則(乙10)において,商品先物取引の経験のない新たな委託者(以下「新規委託者」という。)につき,3か月間の習熟期間を設けて保護育成措置を講ずるものとし(6条),新規委託者からの受託に係る取扱い要領において,外務員の判断枠を委託証拠金500万円以下の範囲内とすること,委託者から500万円を超える取引要請があった場合には,管理担当班の責任者がその適否について厳正に審査し,妥当と認められた場合に委託証拠金1000万円以下の範囲内で受託できること,さらに委託者から1000万円を超える取引要請があった場合には,管理担当班の責任者の調査結果に委託者の自筆による申出書を添えて,統括責任者が厳正に審査することを定めていることがそれぞれ認められる。
そして,このような規定の趣旨は,新規委託者に対し,商品先物取引の投機性,危険性を熟知させるため,一定期間勧誘を自粛して,新規委託者が習熟期間中に不測の損害を被らないように保護育成し,ひいては業界の健全な発展に資することにあるものと解されるから,商品取引員が,同規定の趣旨に明らかに違反して,新規委託者に対し過大な取引を勧誘したと認められる場合には,その勧誘は違法の評価を受けるものというべきである。
そこで,本件について検討するに,前記認定のとおり,原告は本件取引を開始するまでは商品先物取引の経験が全くなかった新規委託者であり,被告もこれを認識していたこと,Dは,原告が委託証拠金99万円で灯油11枚の買建玉をして商品先物取引を始めた初日である8月1日に,原告からの申出があったわけでもないのに,さらに89枚(委託証拠金801万円に相当)もの追加建玉を勧誘していること,当時,原告の資産状況として被告が把握していたのは原告作成の口座設定申込書(乙13)であったと解されるところ,原告は,年収の欄は「500万円未満」に,預貯金の欄は「500万円以上」に丸をつけており,8月3日のGの電話調査においても,年収は500万円未満,預貯金は700万円くらいと答えているのに,顧客カード(乙11)に記載された原告の年収は500万円位,預貯金は1300万円位と,いずれも原告の申告のみならず,実際のそれより多い金額が記載されていること,Eは,取引開始後3日しか経っておらず,既に委託証拠金819万円の取引を行っている原告に対し,新たにガソリンの買い取引をするよう勧誘していること,さらにEは,一旦買建玉を仕切ってその利益金で取引を拡大することを勧め,その結果,原告は取引開始後1週間もたたない8月7日に,委託証拠金1921万5000円(自己資金1029万円)にも上る取引を行っていること,原告の取引額は,取引開始後8日目である同月9日には委託証拠金2519万7000円もの金額(被告の新規委託者保護のための取扱い要領に定める範囲内である500万円の5倍以上)となっていたことをそれぞれ認めることができるのであり,これらの事実を総合すれば,本件において委託証拠金の額が1000万円を超えた直接の原因が,原告からの枚数増加(15枚の予定を20枚に)の申入れに基づく8月7日のガソリンの買建玉であることや,委託証拠金1000万円を超える取引をするに際しては原告の自筆による申出書が徴求されていることなどを考慮しても,D及びEは,前記新規委託者保護の趣旨に明らかに違反して,原告に対し過大な取引を勧誘したものといわざるを得ず,違法の評価を免れないものというべきである。
(4) 一任売買の有無について
前記認定によると,原告は,結果的に,C,D,Eらの勧誘にほぼ応じる形で取引を行っていたことが認められるけれども,Eからのガソリンの買い取引の勧誘を断った後で,自ら電話をかけて取引の委託をしていること(前記1(6))などからも明らかなように,あくまでも自らの意思で取引をするかどうか決めていたものというべきである。もっとも,前記1(7)記載のとおり,8月7日午後1時10分の灯油1枚の仕切りについては,どのような経過で行われたものか明らかでなく,Eによる無断売買の疑いがある(午前10時12分ころの電話の後,午後1時10分の仕切りまでの間に,Eが原告に電話をかけたなどの主張は一切されていない。)けれども,同取引が灯油1枚の仕切りにすぎないことからすると,仮に同取引がEの独断でされたものであるとしても,本件取引全体としては,原告の意思に基づいてなされていたものと認められ,したがって,本件取引が一任売買,ないし実質的な一任売買ということはできない。
(5) 違法,不当な増し建玉(利乗せ満玉)がなされているかについて
原告は,平成12年8月7日,仕切った建玉の利益金の返還,特に今まで拠出した金員の返還をEに求めたが,Eがこれに応じずに委託証拠金に振り替えてしまった旨主張するけれども,8月7日のやり取りについては前記1(7)認定のとおりであり,原告も利益金の委託証拠金振り替えについては承諾していたものと認められる。また,原告は,新規委託者に対しては,建玉を仕切った場合の清算金(利益金)を1回1回返還するべきであり,これをせずに次の証拠金に充当することは取引を過大なものにするもので違法である旨主張するけれども,新規委託者の利益金を委託証拠金に振り替えることによって,取引が過大なものとなった場合に,前記(3)の新規委託者保護義務違反の問題が生じることはあるとしても,利益金の振り替え自体が違法不当であるとすることはできないものというべきである。
(6) 以上を総合すると,本件取引においては,適合性原則違反,説明義務違反,断定的判断の提供などの違法は認められないものの,被告の従業員であるD,Eは,新規委託者である原告に対し,取引開始からわずか8日のうちに,委託証拠金2500万円(被告の新規委託者保護のための取扱い要領に定める範囲内である500万円の5倍)にも上る多額の取引を勧誘して行わせたものであって,新規委託者保護の趣旨に明らかに反する違法な行為として,不法行為を構成するものと認められる。そして,被告従業員らの行為が,被告の事業の執行として行われたことは明らかであるから,被告は,その不法行為により原告に生じた損害を賠償するべきである。
しかしながら,原告においても,本件取引開始に際して,先物取引の危険性,特に,預託金以上の損失が発生する可能性があり,資金の余裕を十分考慮して無理な資金導入は行わない状態での取引をするようにとの説明を,口頭及び書面で受け,さらに同様の説明を取引開始後の電話においても受けていたにもかかわらず,DやEらに勧誘されるまま,また一度は自ら積極的に申し出て,取引枚数を増やしていったものであり,原告にも被告との取引によって生じた損害の発生及び拡大につきかなりの過失があったものというべきである。そして,本件取引における違法行為が新規委託者保護義務違反の点だけであることも考慮すると,損害の公平な分担の見地からは,過失相殺として,原告に生じた損害のうち6割を控除するのが相当である。
前記のとおり,本件取引において,原告が出捐した金額は差し引き1369万0970円であるから,過失相殺後の損害額は547万6388円となる。そして,本件事案の内容,認容額等諸般の事情を考慮すると,被告の不法行為と相当因果関係のある弁護士費用として54万円を認容するのが相当である。
3 反訴請求について
本件取引において,原告の帳尻損金として332万2100円が未払いとなっていることは前記のとおりであるところ,原告は,本件取引における被告従業員らの行為が不法行為を構成する以上,被告が原告に対して,帳尻損金の請求をすることは信義則に反する旨主張する。
しかしながら,原告と被告との間の商品先物取引委託契約の有効性には問題はなく,不法行為に基づく損害賠償請求と,契約履行の義務とは併存し得るものというべきであるから,本件取引における被告従業員らの行為中に不法行為を構成するものがあるとしても,その内容,程度が極めて重大であるなどの事情がある場合は別として,契約上の請求である帳尻損金請求は,原則として認められるべきものである。そして,本件取引における不法行為の内容が前記判断のとおりの内容,程度のものであることからすると,本件における帳尻損金請求が全く許されないとするのは相当でない。もっとも,本件において,帳尻損金が発生したのは,被告従業員らにおいて,新規委託者である原告の資金力等に配慮することなく,過大な取引を勧誘したことが一つの原因となっていること,仮に,原告が同帳尻損金に相当する金員を支払っていた場合には,同金員も本件取引において原告が出捐した金員として算定されたであろうこと,などを考慮すれば,被告による帳尻損金も,信義則上相当と認められる限度において請求することができるとするのが妥当である。そして,前記判断のとおりの本件取引における被告従業員の違法行為の内容,程度,原告の過失割合その他諸般の事情を考慮すれば,本件における帳尻損金の請求は,6割の限度で認められるものと解するのが相当である。
したがって,被告の反訴請求は,332万2100円の6割である199万3260円の限度で理由がある。
4 結論
以上のとおりであるから,本訴については,601万6388円及びこれに対する平成12年8月16日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余の請求は理由がないから棄却し,反訴については,199万3260円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である平成12年12月5日から支払済みまで年6分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余の請求は理由がないから棄却し,訴訟費用の負担につき民訴法64条本文,61条を,仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
(裁判官 三輪恭子)
<以下省略>