静岡地方裁判所 平成12年(ワ)81号 判決 2003年6月17日
原告 静清信用金庫
同代表者代表理事 A
同訴訟代理人弁護士 加藤静富
同 野末寿一
同訴訟復代理人弁護士 宮田逸江
被告 国
同代表者法務大臣 森山眞弓
同指定代理人訟務検事 森田強司
同指定代理人 松島晋
同 丸山哲夫
同 鈴木秀幸
同 鈴木英嗣
同 小林進
同 平林博樹
同 佐藤一行
主文
1 被告は、原告に対し、金1億8000万円及びこれに対する平成9年11月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを2分し、その1を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
事実及び理由
第1原告の請求
被告は、原告に対し、3億6000万円及びこれに対する平成9年11月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要等
1(1) 特許権の移転及び特許権を目的とする質権の設定については、特許庁に備える特許原簿に登録することを要し(特許法27条1項1号、3号)、特許権の移転(相続その他の一般承継によるものを除く。)及び特許権を目的とする質権の設定については、登録しなければ、その効力を生じないとされている(特許法98条1項1号、3号)。
ところで、特許権の移転及び特許権を目的とする質権の設定の登録に関しては「登録に関して必要な事項は、政令で定める」とされ(特許法27条3項)、これを受け、特許登録令が登録について必要な事項を定めている。
しかして、登録の申請については、法令に別段の定めがある場合を除き、登録権利者及び登録義務者が申請しなければならないとされている(特許登録令18条)。
そして、特許庁においては、特許権について複数の登録の申請があった場合、登録受付簿に受付の年月日、受付の順序に従った受付番号が記載され、申請による登録は、受付の順序に従ってしなければならないと定められている(特許登録令37条1項、特許登録令施行規則48条)。
(2) 本件は、道路橋梁工事の工法であるFS床版に関する特許権の登録につき、何らかの原因により受付の順序に従って登録されなかったことを巡る3億6000万円の国家賠償請求訴訟である。
すなわち、
本件は、原告が、貸付金の担保として特許権に3億6000万円の質権を設定して、その旨の登録申請をしたが、特許庁によりその登録が直ちにされなかった(但し後日職権で更正登録された)ところ、同特許権の譲受人(移転登録済み)から提起された質権設定登録の抹消登録請求訴訟の判決により、当該質権設定登録が抹消されたことから、その質権を実行することができずに同貸付金を回収できなくなったのは、特許庁長官(担当の登録専門官)が特許権の質権設定登録申請の受付が、後であった特許権の移転登録申請を誤って先に登録してしまったことによるものとして、国家賠償法1条1項に基づき、被告に対し、損害(被担保債権相当額で未回収の貸付金3億6000万円)の賠償請求と附帯請求をしている事案である。
(3) 原告の主張の骨子
原告の本件特許権に関する質権設定登録申請につき、被告が受付の順序に従い、(株)磯畑検査工業への特許権移転より先に登録処理をしていれば、原告の質権は効力を生じ、原告は、三井物産(株)が(株)磯畑検査工業に対して支払うべき本件特許権の対価である金4億円から本件被担保債権額金3億6000万円を回収することができた。
しかるに、被告は、故意又は過失により、質権設定登録申請をその受付の順序に従って登録処理しなかったため、原告は前記対価から被担保債権相当額3億6000万円の支払いを受けられず、同額の損害を被った。
2 争いのない事実及び後掲かっこ内の証拠等により容易に認められる事実
(1)ア 富士千橋梁土木株式会社(以下「富士千」という)は、平成元年9月、橋梁土木工事を中心的事業目的として設立された会社である(甲7)。
イ 富士千は、平成6年12月14日、発明の名称を「鉄筋組立用の支持部材並びにこれを用いた橋梁の施工方法」とする特許出願をし、同出願にかかる発明は、平成8年10月3日、権利者富士千、特許番号<省略>として設定登録された(以下「本件特許権」という)。
ウ 本件特許権は、主鉄筋同士を溶接に替えてシャーグリップと呼ぶせん断補強筋で挟む方式を採用したことにより、溶接箇所を少なくし、かつ使用する鋼材量を押さえることができるというものであった(甲8、9)。
(2)ア 原告は、富士千に対し、平成7年4月25日から融資を始め、次第に運転資金としての貸付金額が大きくなっていった(甲20、弁論の全趣旨)。原告の富士千に対する貸付と担保の設定状況は別表のとおりである。
イ そこで、原告は、富士千との間で、平成9年9月1日、上記貸付金のうち、同年8月19日貸付にかかる3億6000万円につき、原告を質権者、富士千を質権設定者、債権額を3億6000万円、弁済期を平成13年1月5日、利息の定めを年3.875%、損害金の定めを年14.5%として、本件特許権に質権を設定する合意をした(甲15、26、乙1の1、2、以下「本件質権設定」という)。すなわち、原告は、富士千に対する10億円余の貸付のうち、阪神大震災に関連する工事施工のための資金約7億円のうちの3億6000万円につき本件特許権を担保にとったのである。
ウ 原告は、平成9年9月2日付けで、特許庁長官にその旨の質権設定登録申請をした。
エ しかして、原告による本件特許権の質権設定の登録申請は、平成9年9月3日、特許庁において受付番号003185として受け付けられた。
オ しかし、上記登録申請については、後記2(3)エの平成9年11月17日まで正規にその旨の登録がされなかった。
(3)ア 他方、富士千は、平成9年8月31日(本件質権設定の前日)、富士千の有する本件特許権及び後記2(4)アのその他の発明を株式会社磯畑検査工業(以下「磯畑」という)へ譲渡した(乙2の2、以下「本件移転」という)。
イ そこで、富士千と磯畑は、本件特許権及び後記2(4)アの②の特許権につき、平成9年9月12日付けで、特許庁長官に本件移転を原因とする譲渡による特許権移転の登録申請をした(後記2(4)アの②の特許権につき甲22)。
ウ しかして、本件特許権及び後記2(4)アの②の特許権につき、富士千から磯畑に対する本件移転を原因とする譲渡による特許権移転の登録申請は、上記質権設定登録申請の受付日(平成9年9月3日)の後である平成9年9月16日に、受付番号を003330として特許庁に受け付けられた(以下、本件特許権についての分を「本件移転登録」という)(後記2(4)アの②の特許権につき甲22)。
エ そして、平成9年11月17日、いずれも権利者磯畑としてその旨の登録がされた。
(4)ア 磯畑は、平成9年11月、磯畑の所有する本件特許権を含む下記①ないし④の4つの発明(本件特許権ほか1件の特許権②、1件の出願中特許③、1件の出願予定の特許発明④、以下、特許権②、出願中特許③、出願予定の特許発明④を併せて「その他の発明」という)を代金4億円で三井物産株式会社(以下「三井物産」という)に売却譲渡した(甲21)。
① 本件特許権
② 特許権(特許番号<省略>)(甲23)
発明の名称「床版縁切り装置及び床版縁切り工法」
③ 特許出願(平成8年特許願<省略>)(甲24、25)
発明の名称「橋桁、橋桁構成体及び橋桁の施工方法」
④ 特許出願予定のフープラップ工法(乙23、24)
発明の名称「橋梁用の床版躯体と床版施工法」
イ そこで、磯畑と三井物産は、本件特許権及び上記特許権②につき、特許庁長官に対し、上記譲渡による特許権移転の登録申請をしたところ、同登録申請は、平成9年11月27日に、受付番号を004296及び004295として特許庁に受け付けられた(甲1、22、乙21)。
ウ そして、平成10年2月23日、いずれも権利者三井物産としてその旨の登録がされた(甲1、22、乙21)。
(5)ア ところで、平成9年9月3日受付の原告による本件特許権の質権設定の登録申請は、平成9年12月1日、特許庁において、登録年月日を遡って平成9年11月17日(富士千から磯畑に対する本件移転登録の日と同じ日)とし、特許原簿の丁区に順位番号1番として登録された(甲1、乙21、以下「本件質権登録」という)。
イ ところが、本件質権登録が現実にされたのは、平成9年12月1日であることから、特許庁は、平成9年12月1日、特許原簿丁区の順位番号1番の付記1号として、登録年月日を平成9年12月1日(磯畑の本件移転登録の後の日)とする職権による更正登録を行った。
ウ 更に、特許庁は、特許原簿丁区の順位番号1番の付記1号として、平成9年12月1日に本件質権登録がされたのは本来質権の設定登録の追加更正として登録されるところ、その表示を脱漏したものであるということを明らかにするため、本件質権登録年月日を平成10年5月15日(磯畑の本件移転登録及び三井物産の本件特許権移転登録の後の日)とする2度目の職権による更正登録を行った(甲1、乙21)。
(6)ア その後、原告は、本件特許権を譲り受けた三井物産より本件質権登録の抹消登録請求訴訟を提起された(東京地方裁判所平成10年ワ第8482号事件)。
イ そして、原告敗訴の判決(甲19)により本件質権登録は平成10年10月8日抹消された。
(7)ア 富士千は、平成10年3月23日、2回目の手形の不渡りを出して銀行取引停止処分となり、事実上倒産した(甲14)。
イ そのため、富士千は、同日、原告と富士千との間で取り交わされていた信用金庫取引約定書第5条に基づき、期限の利益を喪失した(甲20)。
ウ なお、磯畑は、平成10年11月ころ事実上倒産した(証人Bの尋問調書205項)。
3 争点
(1) 特許庁の担当登録専門官の故意又は過失の有無
ア 原告の主張
原告の本件特許権にかかる質権設定登録は、磯畑への本件特許権の移転登録よりも先に行われなければならなかったのに、被告(特許庁)は、これを知りながら故意に、又は知るべきであるのに過失によりこれを知らないで、原告の質権設定登録をする前である平成9年11月17日に磯畑への本件移転登録をしてしまった違法がある。
イ 被告の認否及び反論
原告の本件質権設定の登録申請にかかる登録が、平成9年11月17日の時点において、何らかの理由により、特許原簿に登録されなかったことは認めるが、その理由については、現在も種々の調査を継続しているところであり、登録申請につき、何らかの人為的な作用が原因となっていることも考えられるものの、未だ特定できていないのであるから、担当の登録専門官において、過失があったとの法的評価を直ちに受けるものではない。
(2) 原告の損害の有無とその額
特に、本件特許権の経済的価値と本件質権の同価値
ア 原告の主張の要旨
原告は、被告の不法行為により本件質権の実行が不能となり、3億6000万円の貸付債権回収の手だてを失った。
三井物産が磯畑から本件特許権及びその他の発明を合計4億円で買い受けているところ、前記②の特許権は新しい橋梁の建設方法を提示して大きな経済価値をもたらすものではなく、出願中特許③は未だに審査請求すらなされていないものでその特許性は未知のものであり、出願予定の特許発明④は将来どの程度の価値を持った特許になるのか未知のものにすぎず、したがって、4億円の大部分は本件特許権の対価として支払われたものであるから、本件特許権は3億6000万円の価値を有する。
仮に、本件特許権につき原告の質権設定登録が磯畑への本件移転登録よりも先に正しく行われていれば、三井物産は、同質権設定登録を抹消するために必要な金員を支払う必要があったから、原告は、質権設定登録の抹消登録手続と引き換えに3億6000万円を回収することができたはずである。
イ 被告の反論の要旨
原告主張の損害の算定時期は本件質権を実行できた時期、すなわち、早くとも富士千が倒産した平成10年3月23日以降である。
本件特許権は、原告が本件質権を実行しようとした時点において、経済的に無価値であった。
すなわち、本件特許権は、三井物産による営業活動等によっても何らの収益をあげないばかりか、対価を払って本件特許権を欲する他社すらなかったため、もはや経済的価値がないとして、特許料すら支払うことなく、本件特許権を消滅させたものである。このように、本件特許権は実施されておらず、市場性がなく、実際に使用された事実もなければ収益をあげていたこともない。しかして、実施されていない特許権は、それによる収益が上がることが考えられないのであるから、特段の事情がない限り、経済的に無価値というほかない。したがって、三井物産による本件特許権及びその他の発明の購入代金は、原告が本件質権を実行した当時において、本件特許権が4億円の価値を有する根拠とはならず、むしろ本件特許権購入後の三井物産の動きを見れば、本件特許権の経済的価値はゼロである。
三井物産は、当時行っていた事業の将来性及び発展性等を考慮したうえ、今後の事業を遂行するに当たり、特に重要な技術である前記②の特許権の経済的価値を相当高く評価し、この技術を取得するために本件特許権、前記③の出願中特許及び④の出願予定の特許発明の取引に及んだのであり、これと類似する本件特許権、出願中特許③、出願予定の特許発明④の関連技術については、技術使用を巡る後日の紛争等を回避することを目的として、本件特許権を前記②の特許権と一括で譲り受けたと見るのが合理的であるから、三井物産による購入代金額は、本件特許権の経済的価値を示すものではない。
そして仮に、本件特許権についての質権登録が有効になされ、その後、富士千の倒産に伴い、本件特許権について同質権が実行され、競売手続に付されたとしても、このように市場で使用されず、全く収益が上がらず、経済的価値がないものであった本件特許権を、富士千からのノウハウ等を取得できない状況において、敢えてこれを競落する買受人が出現することなど到底考えられないから、原告は、富士千に対する貸付金である本件被担保債権を回収することができなかったというべきである。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)について
(1)ア 特許庁では、平成9年当時、特許権の移転又は特許権を目的とする質権設定の登録の申請にかかる特許原簿への登録手続について、一月に1回の事務として処理されていた。すなわち、1か月分の各申請を一括して、受付の順序により付された受付番号の順番に従って、順次登録するものとされていた。
イ 具体的には、1か月分の各登録の申請は、受付日順に処理する特許庁の各登録専門官の人数に応じて各自に振り分けられた後、登録又は却下のいずれかの処分がなされることになり、したがって、受付日を異にする申請については、同じ登録専門官が処理する場合もあれば、全く別の登録専門官が処理する場合もあることとなる。
ウ 特許原簿は、磁気テープをもって調整され、その調整方法は、電子計算機の操作によるものであるが、特許原簿に関する各登録事務のうち、オンライン等でなされる手続については、原則として、電子計算機システムがこれに対応することにより自動設定・自動登録される。
エ しかし、全てがオンライン等の手続によってなされるわけではなく、特許権の移転又は特許権を目的とする質権設定の登録については、登録申請書に基づいて、磁気データとして置換入力したものを電子計算機システムに記録し、電子計算機により各種帳票、リスト及び各申請にかかる登録が仮になされた原簿が出力されると共に、特許原簿は、最終的に、磁気テープによって調整されるものの、登録専門官は、各登録の申請について、これを登録すべきか、又は却下すべきかを判断したうえ、各登録の申請にかかる申請書に基づき、仮の登録原簿のデータを必要に応じて修正し、電子計算機を操作することにより、本登録の指示を行うこととなる。
オ 本件移転の登録申請にかかる審査に際しては、同日、登録処理をすべき先に受け付けられていた本件質権設定の登録申請があることにつき、警告リストが出力されており、各登録専門官は、この警告リストにより、互いに連絡を取りながら事務処理を進めていた。
カ なお、電子計算機により、各申請にかかる登録が仮になされて出力される仮の登録原簿上には、本件質権の設定登録が記載されていた。
(2) 以上の点につき、原告は、明らかに争わないところ、本件質権の設定登録申請について、特許原簿に登録されなかったのが担当の登録専門官の故意によるものと認める証拠はなく、若しも電子計算機(ハード、ソフト)自体に不備・欠陥ないし故障箇所があったとすると、本件だけの過誤というのは不合理・不可解というほかなく、通常ならば本件の1件だけでなくほぼ同時期に何件かの過誤が発生して然るべきところ、そのような形跡はないのであるから、本件では、担当の登録専門官において、仮の登録原簿上の必要な記載を見ないで放置していたか、その記載を見落としたか、見たのに判断を誤り、その後の処理を怠っていたのか、或いはその後の処理を誰かが行うであろうと軽率にも思い込んだか、2~3日中に処理しようと考えていてその後自分で処理した気になり、うっかりして処理を失念してしまったか、はたまた誰かに任せたので処理が行われるものと軽信したか、本件質権の設定登録申請書が他の書類に紛れ込んだか処理済みの書類の中に入ってしまったかして本登録のための入力をすることができなかったか、電子計算機に誤って操作したため正確に本登録として保存されず、本登録完了の確認をしなかったか、いずれにしても人為的な過誤、すなわち、国家賠償法1条にいう過失があったものと推認せざるを得ず、これを覆すに足りる証拠はない。
2 争点(2)について
(1) 原告の有する本件特許権にかかる本件質権は、富士千から磯畑への本件特許権の本件移転登録がなされた平成9年11月17日の時点において、対抗要件の点から、その設定の効力を主張できなくなったのである(甲19の9頁参照)から、原告の有した質権の喪失・消滅という損害は、その時点で発生したというべきである(2つの鑑定時点を採る乙16は採用できない。)。
そして、その時点(平成9年11月17日)における本件特許権についての質権の価値〔厳密にいうと本件特許権(所有権)の価値ではない。本件特許権の価値と異なる場合がある。〕を算定し、それが原告の損害となると解すべきである。
この点につき、被告は、原告主張の損害の算定時期は本件質権を実行できた時期、すなわち、早くとも富士千が倒産した平成10年3月23日以降である旨主張するが、上記の理由で採用しない。
(2) そこで、平成9年11月17日までの事実関係を中心に検討する。
<証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。
ア 富士千は、平成8年3月26日、登録出願中の本件特許権によるFS床版工法を新聞発表したところ、翌日以降の新聞で以下のとおり取り上げられた。
① 平成8年3月27日発行の日本工業新聞
(見出し)「床版を現湯で直接架設」「道路橋工事の新工法」
② 平成8年3月27日発行の日刊工業新聞
(見出し)「工期・価格が1/2」「ステン枠の道路橋床版」
③ 平成8年3月27日発行の日刊建設工業新聞
(見出し)「工期を半分に短縮」「プレハブ式鉄筋付き型枠」
④ 平成8年3月27日発行の静岡新聞
(見出し)「道路橋の新床版工法を開発」
⑤ 平成8年3月27日発行の建設通信新聞
(見出し)「鉄筋付鋼製型枠床版FS床版を開発」「工期短縮、低コストを実現」「安全性も向上」
⑥ 平成8年3月29日発行の日経産業新聞
(見出し)「従来の半額の橋りょう用床版」
⑦ 平成8年4月1日発行の橋梁新聞
(見出し)「FS床版工期短縮と低価格を実現」「富士千が新発売」
⑧ 平成8年11月6日発行の日本工業新聞
(見出し)「ユニーク企業として富士千を紹介」
「低コスト、工期短縮のFS床版」「阪神高速道の復旧工事にも一役」
⑨ 発行年月日及び発行新聞不明(甲6)
(見出し)「橋梁床版の新工法」「富士千 東燃と提携」
イ 平成8年3月29日ころ以降2週間余の間に、以下の会社等約25先から富士千に対し、FS床版工法についての照会や資料請求があった。
・日本鋼管工事(株)・社団法人日本橋梁建設協会・新日本製鐵(株)・三菱重工工事(株)・川田工業(株)・(株)山口商会・千代田建設興業(株)・新晃工業(株)・テトラ基礎設計・トピー工業・宮崎県等
ウ 平成8年10月3日、本件特許権の設定登録がなされたうえ、平成9年1月8日に、本件特許権についての公報が発行され、富士千は、同年8月、FS床版の販売につき、東燃(株)と業務提携した。
エ その後、本件特許権の請求項にかかる発明の各構成要件の一部を具備するFS床版の技術が採用された。
オ 三井物産では、阪神・淡路大震災で阪神高速道路が倒壊したとき、自社取引先の三井建設(株)の下請であった磯畑と知り合う機会があり、磯畑がFS床版による工法で施工工事をしていることを聞き及び、磯畑から本件特許権及びその他の発明を購入して事業化する計画を立てた。
そして、三井物産は、本件特許権及び前記②の特許権に質権等の担保権が設定されていないかどうかを調査し、同担保権が設定されていないことを確認したうえ、平成9年11月、磯畑の所有する本件特許権及びその他の発明を4億円で買い受けた。その際、磯畑は、本件特許権及びその他の発明の実施につき、三井物産に対し、技術資料及び情報提供並びに必要な技術指導をすることを約していた(甲21の第5条)。なお、この時点では、磯畑も富士千も営業活動をしていた。
カ その後、三井物産は、本件特許権及びその他の発明の売買代金4億円のうち、3億5000万円を磯畑に支払い、残金5000万円については、磯畑の事実上の倒産後、三井物産の磯畑に対する資材の売掛代金債権及び受取手形債権のうちの5000万円とを相殺処理した。
キ また、三井物産は、平成10年前半には、原告を相手方として、本件特許権に対する本件質権設定登録の抹消登録請求事件を提訴し、同年10月24日、勝訴の判決を得た。
ク そして、三井物産は、本件特許権及びその他の発明を購入してから平成13年3月までの間、本件特許権の事業化に向け富士千及び東然(株)らと共同して取り組み、平成9年10月にはFTS床版(FS床版と同一)の技術説明書を作成し、平成10年4月にはパンフレットを作成し、FS床版をスーパーMSG床版という商品名で販売営業活動について鋭意努力した。その結果、価格の点、強度の点、工期短縮の点等において、他の在来工法の類似・競合商品と比べて市場競争力がないことが判明すると共に、他社からライセンス契約の締結等の正式な引き合いがなかった。
ケ そこで、三井物産は、本件特許権及びその他の発明についての事業化につき、採算が合わないものと判断して最終的にこれを断念し、平成12年10月3日、本件特許権につき、特許料の支払いを止めたので、平成13年5月14日に登録が抹消された。また、前記②の特許権についても、平成12年8月15日、特許料の支払いを止めたので、平成13年4月25日に登録が抹消された。
(3) 平成9年11月17日時点における本件質権の価値について検討する。
ア 物の経済的価値(商品の交換価値)は、市場における或る予測を含んだ需要と供給のバランスによって決せられると一般的にいわれているところ、ある時点Aで高額に評価されていたものが「その後の状況の変化」によって、後のBの時点で低額な評価となる事象は社会経済取引上まま見られるものであるが、この場合、A時点における当該物(商品)の価値を算定するのに「その後の状況の変化」を考慮することは、特段の場合を除き許されないといわなければならない。なぜなら、当該物(商品)の価値が「その後の状況の変化」に応じて変動するのは当然であり、ある時点における当該物(商品)の価値は、原則として「その後の状況の変化」が十分予測されて事前に反映されるものではないと解されるからである。
イ これを本件についてみると、本件特許権は、平成9年11月17日以降に富士千や磯畑が事実上倒産し、その事業化を断念するといった「その後の状況の変化」があったために無価値になったのであるが、それは結果論にすぎないといわざるを得ず、三井物産が本件特許権及びその他の発明を譲り受けた平成9年11月の時点では、そのような事態は予測されておらず、かえって事業化の見通しがあり(証人Bの尋問調書334項)、将来性と発展性が期待され、商品化が有望視されていた(証人B、弁論の全趣旨)のであるから、結果として事業化に成功しなかったことによる本件特許権の経済的価値の下落をもって、平成9年11月17日時点における本件特許権の価値をゼロと評価することはできない。
ウ ところで、磯畑から三井物産に対する本件特許権及びその他の発明の売買代金は4億円であるところ、<証拠省略>によれば、三井物産では、本件特許権及びその他の発明のうち、最も重要なものは本件特許権であり、その他の発明、すなわち、前記②の特許権、③の出願中特許及び④の出願予定の特許発明はいずれも本件特許権の周辺の附属技術にすぎないものと理解していたこと、したがって、本件特許権による技術の商品化・事業化ができない限りその他の発明についての商品化・事業化を考えていなかったこと、本件特許権もその他の発明のうちの前記②の特許権も平成12年の特許料不納により平成13年に抹消登録されたことが認められる。
そうすると、上記売買代金の4億円は大部分が本件特許権の対価と認めるのが相当であり、当裁判所は、上記売買当時、本件特許権(所有権)の価格が控えめにみても3億円は下らないものと認める。
この点につき、被告は、本件特許権の価値よりその他の発明のうちの前記②の特許権が特に重要な技術であり、三井物産はその経済的価値を相当高く評価し、この技術を取得するために本件特許権及びその他の発明を4億円で取引した旨主張するが、上記認定判断により採用しない。
なお、原告は、本件特許権につき、被担保債権を3億6000万円としているところ、3億6000万円とした根拠は明らかでないが、このことからすると、本件特許権の価格を6億円ないし5億円(6億円の6掛けないし5億円の7掛け強)とみていたのではないかと推測される(原告は、前記第2の2(2)イ認定のとおり、富士千に対する貸付金約7億円のうち3億6000万円について本件特許権を担保にとった。)が、本件特許権が5億円ないし6億円の価値を有していたことを認めるに足りる証拠はない。
エ 不動産担保の場合、通例、その担保価値は当該不動産の時価の7掛けないし8掛け前後の評価で算定することが多いところ、これは、不動産の担保権実行による場合の困難性、非効率性、低廉性等の理由からきている取引社会の要請と解される。
しかして、特許権担保の場合は、その価値が不動産担保のときよりも不安定であり、かつ、市場性に欠け、換価も容易でないと予想されることから、評価は更に下回ると考えられる。それゆえ、当裁判所は、特許権担保(質権)における当該特許権の担保権(質権)自体の価格は、控えめにみて当該特許権(所有権)の6割と評価するのを相当とする。
そうすると、本件特許権についての本件質権の価格は1億8000万円(3億円×0.6)と認める。
この認定判断は、本件特許権が有効に質権設定登録されたと仮定して、三井物産が本件特許権及びその他の発明を購入するに際し、本件特許権についての担保(質権)を抜いてもらうために原告と交渉した結果、原告としては、被担保債権額の半分(3億6000万円×1/2)の支払いを受ければ、それと引き換えに本件質権を解除し抹消したであろうということになるが、このようなことは、特許権の価値の不安定さ、市場性の程度、特許権担保の実行・換価の難しさ等コストの問題、貸付債権回収の見通しと未確実性、FS床版についての前記新聞報道や富士千の営業活動状況、原告と三井物産の各社会的地位等に鑑みると、金融取引実務としては十分あり得るのではなかろうかと考えられる。
ところで、被告が本件特許権につき経済的に無価値であったと主張するのは、本件質権を実行しようとした時点を基準にしている点において、採用し得ない。三井物産としては、平成9年10月にはFTS床版の技術説明書を作成するなどして販売営業活動を継続しており、更には、本件特許権の価値があると判断したからこそ本件質権設定登録の抹消登録請求訴訟を提起したものと認めるべきであろう。
また、被告は、実施されていない特許権につき特段の事情がない限り経済的に無価値と主張しているが、そのように一律にいえるか疑問がある。のみならず、前記第3の2(2)エ認定のとおり、本件特許権の請求項にかかる発明の各構成要件の一部を具備するFS床版の技術が採用された実績はあるし、被告も特段の事情があれば経済的価値を有することを認めているところ、本件は、実際に特許権の購入者が現れたのであるから、上記特別の事情が認められる場合に当たるというべきである。
したがって、上記理由により、乙16の鑑定評価書は採用することができない。
(4) 以上のとおりであるから、平成9年11月17日の時点における原告の損害は、本件質権の喪失・消滅による同価格相当の1億8000万円となる。
3 よって、主文のとおり判決する。なお、仮執行宣言の申立については相当でないものとしてこれを付さないこととする。
(裁判官 笹村將文)