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静岡地方裁判所 平成13年(わ)190号 判決 2002年2月06日

主文

被告人を懲役1年6月に処する。

未決勾留日数中160日をその刑に算入する。

この裁判確定の日から4年間その刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,3級海技士免状(航海)を有し,作業船兼引き船兼押船A丸(総トン数176トン,以下「A丸」という。)の船長として同船の操船運航の業務に従事するものであるが,平成12年12月20日午前10時39分ころ,作業台船B号(以下「B号」という。)と連結して同船を押しているA丸を操船して,静岡県榛原郡a町ab番地a灯台から真方位266度,距離8.8海里付近海域を,真針路282度,速力約6.35ノットで航行するに当たり,同海域は小型漁船が漁を行う海域であり,かつ,B号積載のクレーン等により前方の視界及びレーダー映像が著しく制限されていたのであるから,自船針路を変化させるなどの措置を講じて死角を解消した上,目視及びレーダーによる見張りを厳に行い,他船の有無及び動静を確実に把握し,他船との衝突を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,自船の進路前方に船舶はないものと軽信し,前方注視を欠いたまま漫然前記速力で航行した過失により,自船前方で漁ろう中の漁船C丸(総トン数6.4トン)に全く気づかず,同船右舷側に接近し,B号船首前方に発生する波によりC丸を同船左舷側に傾斜させた上,その船底部にB号船首部を衝突させ,C丸を中央で分断して破壊するとともに,同衝突により同船船長D(当時63歳)を海中に投げ出させ,よって,そのころ,同所付近海域において,同人を溺水により死亡させた。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,小型漁船の操業海域で押船A丸を操船中,押していた作業船B号を漁船C丸に衝突させて破壊し,同船船長を海中に投げ出させて溺死させた業務上過失往来妨害,業務上過失致死の事案である。

被告人は,B号のクレーン等による死角を解消する措置を十分講じず,前方注視を欠いたまま航行したため,C丸に全く気づかず,判示のとおり,B号をC丸に衝突させたのであって,その過失は,前方注視という基本的な注意義務に反したもので,その程度も甚だしく,強い非難を免れない。

本件においては,C丸が分断・破壊されただけでなく,船長Dの尊い生命が失われており,結果は重大である。Dは,これまで漁師として真面目に稼働し,地元漁協の理事を務めるなど周囲からの信望も厚く,また,良き家庭人として過ごしてきたのに,漁ろう中,突然の衝突により冬の海に投げ出され,そのまま家族を残して生涯を終えなければならなかったのであって,その驚愕,無念は計り知れない。長年連れ添ってきた妻ら遺族は,その死を悲しみ,戸惑うとともに,当初被告人が傲慢な態度で過失を否認し,謝罪しなかったこともあって,厳しい処罰感情を抱いている。

なお,弁護人は,被告人がB号をC丸に衝突させた際,同船は延縄の近くで移動ないし停留していて漁ろう中ではなかった可能性があり,そうだとすれば,海上衝突予防法上,C丸がA丸及びB号の進路を避ける義務(同法15条1項)を負うのであるから,衝突の主因はC丸にあり,また,C丸が漁ろう中であったとしても,A丸側がC丸の進路を避ける義務を負うものの(同法18条1項3号),C丸も,同法上要求される衝突を避けるための最善の協力動作(同法17条3項)をとっていないのであるから,本件衝突は,いずれの場合においても被害者の過失に負うところが大きいと主張する。しかし,関係各証拠によれば,次のとおり認められる。すなわち,①被害者は,衝突当日,周辺海域でふぐ延縄漁を行い,午前9時35分ころ,「天候が悪くなってきたので,もう1回操業したら帰る。」旨家族に電話連絡しており,その電話は,漁具を投入(その作業時間は三,四十分程度)した後,その開始地点に戻り(その移動時間は5分程度),ふぐがかかるのを待っている間(通常は15分程度であるが,待たない場合もある。)か,揚収(その作業時間は45分ないし60分程度)を終えて小休止している間のものであったと推測されるところ(甲108,112,113),漁具の投入,揚収等に要する時間や作業手順を考慮すれば,本件衝突時に漁具の揚収中であった可能性が高く,少なくともそう考えることに大きな矛盾はない。②また,B号はC丸の右舷方向から接近して衝突したものであり(甲42,43,116),被害者に衝突を避ける動作をした形跡がみられないことからすると,被害者はB号にほとんど気づいていなかったと考えられるところ,ふぐ延縄漁の漁具の投入及び揚収は左舷側で行い,特に揚収の際は,船橋構造物に近い場所で左舷側を向いて行うため,船橋構造物によって右舷方向の視界が妨げられ,見張りをしにくい状況にあるというのであるから(甲106,111),被害者が漁ろう中であったことを推認させる。③さらに,C丸はその右舷を,東南から北西に向けて航行してきたA丸に衝突されており,C丸の船首は北東に向けられていたと認められるところ(甲116),漁具の投入,揚収は風下から風上に向かって行われ,当時は北東の風が吹いていたというのであるから(甲94),C丸の船首が北東方向を向いていた事実は,同船が漁ろう中であったことと符合する。④そして,何よりも,衝突後,発見揚収された被害者の漁具の状態として,全長約1400ないし1500メートルの延縄は300メートル程度に切断されて残され,その最後端に取りつける浮玉等が接続されたままであり,同浮玉等は,投入後未だ揚収されていなかったものと推測される一方,延縄の最前端と中間部に取りつける旗竿は延縄から離れて漂流しており,揚収済みだったと推測されることから(甲94,108,111),C丸は当時漁具の揚収作業中であった蓋然性が極めて高い。これら諸事実を総合すると,衝突の際,被害者は漁具を揚収中であったと認められ,これが漁ろうにあたることは明らかである。そうすると,海上衝突予防法の規定に照らしても,A丸側が避航船としてC丸の進路を避ける義務を負っており,被告人が前方を十分に注視してその義務を果たしていれば,衝突は容易に回避できたと考えられる。したがって,B号は,その大きさからすると適切に見張りをすれば見落とすことは考え難いのであって,被害者にも見張り不十分という落ち度があることは否定し難いものの,本件衝突の第1次的な原因は被告人の過失にあるというべきである。

以上に加え,被告人は,A丸の視界の悪さを心配する船員らに対し,「よく見えるな。これくらい見えたら十分だろう。」などと述べたり,操船中急用もないのに私用電話をかけるなど,同船の視界の悪さに対する認識の甘さや見張りを軽視していた態度が窺われ,それが本件衝突の一つの背景をなしていること,衝突後直ちに海上保安庁に対し正確な事故地点の通報をせず,さらに,GPSの航跡を抹消させるなど,不適切な行動を重ねたことなどを考慮すると,被告人の刑事責任は重い。

他方,前記のとおり,本件衝突については被害者にも一定の落ち度があること,被告人の勤務先会社が遺族に被害弁償を約束して人的損害等については和解が成立し,物的損害についてもその成立が見込まれること,被告人は,当初過失を否認して責任回避の態度を示していたものの,最終的にはこれを認め,被害者に対して謝罪の手紙を書くなど,一応反省の態度を示すに至っていること,これまで前科前歴や海難事故を起こしたことはなく,船員として真面目に稼働してきたこと,勤務先会社の者が情状証人として出廷し,今後の雇用と監督を約していることなど,酌むべき諸事情を考慮すると,被告人を主文の刑に処した上,今回はその刑の執行を猶予するのが相当である。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑 懲役1年6月)

(裁判長裁判官 大熊一之 裁判官 篠原康治 裁判官 平手一男)

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