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静岡地方裁判所 平成13年(行ウ)9号 判決 2002年5月24日

原告

服部寛一郎

同訴訟代理人弁護士

藤森克美

被告

静岡県知事 石川嘉延

同訴訟代理人弁護士

松崎勝

同指定代理人

下山晃司

杉山行由

小野田裕之

主文

1  原告の訴えを却下する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  請求

被告は、別紙目録記載の静岡県職員らに対し、地方公務員法29条1項3号、2項及び静岡県職員の懲戒の手続及び効果に関する条例2条に則り、懲戒処分をする義務が存在することを確認する。

第2  事案の概要

本件は、別紙目録記載の静岡県職員らは、支出負担行為伺等の公文書に虚偽の記載をなして静岡県の公金を違法に支出させた事件(前記職員らのうちの一部は虚偽公文書作成、同行使罪による取調を受け、静岡地方検察庁により起訴猶予処分とされている)について、直接ないし間接に関与していたという非行に加え、上記の事件について中心的役割を果たしていた人物が被告であることを静岡県民に対して説明していないという二重の非行を犯しており、地方公務員法29条1項3号、2項などにより懲戒処分相当であるにもかかわらず、被告が、これらの職員らに対して、文書訓告や口頭注意等の処分をなすのみで、地方公務員法上の懲戒処分を行なっていないことは裁量権を逸脱濫用するものであり、静岡県民の利益が損なわれたなどとして、原告が被告に対し、これらの職員らに懲戒処分を行う義務があることの確認を求めた事案である。

1  争いのない事実等

(1)  当事者

原告は、静岡県の県民であり、行政機関による違法・不当な行為を監視することを目的とする静岡県オンブズマンネットワークの代表幹事である(〔証拠略〕)。

被告は、地方公務員法29条並びに静岡県「職員の懲戒の手続及び効果に関する条例」に則り職員の懲戒処分をする権限を有する者である。

(2)  本件公金支出

静岡県は、平成6年5月16日付支出票(兼支出負担行為)に基づき、平成6年2月23日の「ふじのくに交流会打合せ会」の賄料として、同年5月23日に食料費143万7116円を支出した(〔証拠略〕)。

静岡県は、平成6年12月14日付支出票(兼支出負担行為)に基づき、「平成6年度地方債協会研修会」の賄料として、同年12月22日に食料費110万8734円を支出した(〔証拠略〕。この2件の支出を併せて以下「本件公金支出」という)。

(3)  住民監査請求と監査結果

原告らは、平成12年12月8日付けで、本件公金支出に関し静岡県監査委員に対し監査を要求した(〔証拠略〕)。

これに対し、静岡県監査委員は、平成13年2月6日付けで、本件公金支出は前記(2)の支出票(兼支出負担行為)の記載内容とは異なり、地方財政対策関連の情報収集のため、平成6年3月下旬及び平成6年11月下旬の2回にわたり、静岡県総務部幹部職員が国の幹部職員とゴルフを伴う懇談を実施した際の経費(宿泊やゴルフの経費を含む)にかかる支出であり、かつ、支出手続を円滑に進めるため、支出負担行為伺に懇談会名・出席人数を実際と異なる形で記載することによって支出されたものであるから、極めて不適正な事務処理による、違法若しくは不当な公金支出である旨の監査結果を通知した(〔証拠略〕)。

(4)  被告による処分

被告は、前記(3)の監査結果を受けて、被告を含む三役の給料を減額する条例案を議会に上程するとともに、平成13年2月22日付けで、訴外A(平成5年度総務部参事兼財政課長、以下「訴外A」という)、同B(平成6年度総務部参事兼財政課長、以下「訴外B」という)、同C(平成5、6年度財政課課長補佐、以下「訴外C」という)に対しそれぞれ文書訓告、同D(平成6年度財政課主査、以下「訴外D」という)に対し口頭厳重注意の各措置を講じた。

なお、これらの措置は、地方公務員法29条にいう懲戒処分ではない。

(5) 静岡地方検察庁の処分

原告は、平成11年5月31日付けで、本件公金支出に関し、別紙目録記載の職員らを含む県職員複数を有印私文書偽造・同行使、虚偽公文書作成・同行使、詐欺の疑いで静岡地方検察庁に告発し、同日受理された。同庁は、平成12年12月28日、訴外C、同E、同B、同Dを、有印私文書偽造・同行使、詐欺につき嫌疑不十分を理由に、虚偽公文書作成・同行使につき起訴猶予を理由に、それぞれ不起訴処分とした(〔証拠略〕)。

(6)  本件金員の返還

訴外C、同E、同B、同Dの4名は、平成12年2月4日、静岡県に元利金329万9938円を返還している。

2  争点及び争点についての当事者の認否ないし主張

(1)  原告の訴えは法律の定めのない客観訴訟として不適法か。

ア 原告の主張

静岡県民は、県政運営事務の執行を職員らに委託しており、県民にはその利益を守るため質のよい職員を確保する必要がある。県民の利益に反して違法な業務を執行した職員に懲戒処分を行う必要があるか否かは、今後も引き続き当該職員に事務を委託するかどうかの判断、県政運営、県政に対する信頼にかかわるものであるから、県民の利益に影響し、懲戒処分請求は当然許されるというべきである。

また、主観訴訟と客観訴訟とは区別の基準が不明確であり、かつ、区別自体が困難であること、国民には違法な国家権力によって直接的にも間接的にもおよそ侵害を受けることのない包括的な自由が保障され、その侵害を理由に取消訴訟の提起が可能であることに鑑みれば、主観訴訟と客観訴訟を区別することには合理性がない。

イ 被告の主張

原告の請求は、原告にとって自己の法律上の利益にかかわらない訴訟であるから、もっぱら客観的法秩序を争う客観訴訟であり、客観訴訟としては民衆訴訟のみが存在するものであるところ、民衆訴訟は、法律に定める場合において、法律に定める者に限り、提起することができるとされている。任命権者に懲戒権の発動を求める住民の権利について法律の定めがない以上、原告の本訴請求が不適法なことは明らかである。

なお、抗告訴訟としての義務付け訴訟については行政事件訴訟法の制定過程において論じられているものの、客観訴訟としての義務付け訴訟については論じられていない。

(2)  原告の訴えは義務付け訴訟としての要件を充足しているか。

ア 原告の主張

(ア) 義務付け訴訟は、明文規定はないものの、行政事件訴訟法の制定過程における議論の内容及び同法において義務付け訴訟が明文で排除されていないことに鑑みれば、義務付け訴訟の適法性については将来の判例学説の集積に委ねる趣旨であることは明らかであり、<1>行政庁が行政処分をなすべきこと又はなすべからざることについて法律上羈束されており、行政庁に自由裁量の余地が全く残されていないために第一次的な判断権を行政庁に留保することが必ずしも重要ではないと認められる場合、ないしは、行政庁に裁量の余地があっても、行政庁が当該処分を行わないとの態度を決定しており、かつ、事案の状況により行政庁の裁量がゼロに収縮して当該処分をなす以外の一切の決定が違法となる場合で、<2>事前審査を認めないことによる損害が大きく、事前の救済の必要が顕著であり、<3>他に適切な方法がない場合に許容されると解すべきである。

(イ) そして、被告は、本件公金支出の問題については既に解決済みとの認識を示して別紙目録記載の職員らに対する懲戒処分を行わないとの態度決定を行っており、かつ、後記2(2)ア原告の主張に記載のとおりの同職員らの非行の内容によれば、被告においては、同職員らに対し懲戒処分を行う以外の一切の決定が違法となるというべきであるから<1>の要件を充足する。

また、被告は、本件公金支出に関する被告の関与などが同職員らによって公開されることを懸念して、懲戒処分を行わないのであるから、本請求を認めない場合には、静岡県民の県政に対する信頼を大きく損ない、今後の県政にとって取り返しのつかない損害が生じることは明らかといえるから、<2>の要件も充足する。

さらに、原告が憲法15条に基づく公務員の罷免権を行使することは物理的にも財政的にも不可能であるから、<3>の要件も充足する。

したがって、本訴は義務付け訴訟の適法要件を充足している。

イ 被告の認否及び主張

(ア) 義務付け訴訟を提起し得る者は、処分又は裁決について「申請をした者」でなければならないところ、現行実定法上、県民に対し、任命権者(懲戒権者)に対する懲戒権の発動を求める申請権がそもそも認められていない以上、懲戒処分についての任命権者の裁量権の範囲等に立ち入るまでもなく、原告の請求は不適法で失当たること明々白々である。

(イ) また、義務付け訴訟は行政庁の行政処分が法律により羈束されている場合に限り認められるところ、懲戒処分をなすか否かは任命権者である被告の裁量とされているから、原告の訴えは不適法である。

(3)  被告には別紙目録記載の職員らに対し懲戒処分を行う義務があるか。

ア 原告の主張

本件公金支出は、いずれも、伊東市の高級ホテル・ゴルフ場で行われた旧大蔵省・自治省の高級官僚約10名及び被告らによる宴会つきゴルフの経費として支出されたものであるが、(ア)訴外B、同C、同Dは、その経費を静岡県に支出させるべく支出負担行為伺等の公文書に内容虚偽の文言(実施期日、件名、人数)を記入することによって、虚偽公文書作成・同行使という刑法犯を犯すと同時に、詐欺的違法支出である本件公金支出に直接関与するという非行を犯した者であり、また、訴外Aは、文書訓告を受けていることから明らかなように、平成5年度財政課長として詐欺的違法支出である本件公金支出に何らかの関与をするという非行を犯した者である。

さらに、被告は前記争いのない事実等(3)記載の二回の懇談に出席ないし関与していたのであるから、詐欺的違法支出である本件公金支出に中心的役割を果たした者であるところ、県職員は県知事に対する奉仕者ではなく県民に対する奉仕者であるから、(イ)別紙自録記載の職員らは、いずれも、被告の非行を静岡県民に対して公にして説明すべき義務があるにもかかわらずこれを怠るという非行を犯した者である。

このように別紙目録記載の職員らは前記(ア)(イ)の二重の非行を犯している者であって、地方公務員法29条1項3号の「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合」に該当するから、被告は同職員らに対し地方公務員法上の懲戒処分を行う義務があるにもかかわらず、被告がこれを行わないことは裁量権の逸脱濫用であり違法である。

イ 被告の認否

原告の主張は争う。

第3  争点に対する判断

1  争点(1)(2)について

(1)  公務員の任免につき、憲法15条1項は、公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利であると定め、国民主権の原理を表明している。そして、国民には、例えば、国民審査による最高裁判所裁判官の罷免(憲法79条3項)、裁判官の罷免の訴追請求(裁判官弾劾法15条)、地方自治法の定める議員や長に対する解職の請求(同法80条~84条)が認められている。

(2)  一方、憲法92条は、地方公共団体の組織及び運営に関する事項につき、地方自治の本旨に基づいて、法律で定めると規定し、地方自治法や地方公務員法等が制定されている。

地方公務員法は、人事行政に関する根本基準の確立、地方公共団体の行政の民主的能率的運営の保障を目的とする法律であるが(同法1条)、地方公務員の任用、懲戒等につき、任命・懲戒権者(同法6条)や懲戒の基準(同法27条)、懲戒事由(同法29条)等を定めており、静岡県には、「職員の懲戒の手続及び効果に関する条例」が存在する。しかして、地方公務員法6条1項によると、地方公共団体の長、議会の議長、選挙管理委員会、代表監査委員、教育委員会等の任命権者は、それぞれ職員の任命、懲戒等を行う権限を有するものとされている。したがって、地方公共団体の職員に対する懲戒権は、任命権者がこれを専有的に有しているものと解されるところ、懲戒処分については、行政的配慮のもとで、具体的裁量に基づき統一的に判断決定処理されるべきものである。そして、地方公務員法は、地方公共団体における懲戒権の適正な行使の確保及びこれにより当該地方公共団体の住民が享受することのできる諸利益の確保について、懲戒権者に対する民主的統制に委ねることを予定しているものというべきである。

(3)  ところで、地方公共団体の長が任命し、懲戒処分を行うことのできる者のうち、副知事若しくは助役、出納長若しくは収入役、選挙管理委員若しくは監査委員又は公安委員会の委員については、選挙権を有する者の一定数の連署をもって、地方公共団体の長に対して、その解職の請求をすることができ(地方自治法86条1項)、また、教育委員会の委員についても、その解職の請求をすることができる(地方教育行政の組織及び運営に関する法律8条1項)とされている。

したがって、地方公共団体の選挙権を有する者は、上記被解職請求者に対し(教育委員会の委員につき、地方公共団体の長の選挙を有する者、以下同じ)、懲戒事由の存在を理由として解職を求めることができるという限りにおいて、実質的に懲戒処分の発動を求めるに近い権利が認められているといえる。

しかして、職責の重要性及びこれらの者の任命に関し議会の同意又は選挙が要求されていること(地方自治法162条、168条7項、182条1項、196条1項、警察法39条1項、地方教育行政の組織及び運営に関する法律4条1項)に鑑みると、特に住民の直接の監視下におくのが相当であると解される上記の被解職請求者に対する場合でも、地方公共団体の選挙権を有する者の3分の1以上の連署が必要なのであって、本訴の原告のように、ひとりで解職(懲戒を含む)の請求をすることを認めていないところである。いわんや、上記の被解職請求者を除く地方公共団体の職員(以下「一般職員」という)に対しては、現行法上、解職(懲戒を含む)請求を認める旨の規定自体が存在しないのである。

(4)  上記各規定の定め方と立法趣旨、並びに憲法15条1項が、必ずしもすべての公務員を国民が直接に罷免すべきだとの意味を有するものではないことに鑑みると、現行実定法上は、一般職員の懲戒処分につき、懲戒権を専有的に有する任命権者の適正な行使に委ねているものであって、原告ら個々の国民(県民)が任命権者(本件では被告)に対し、その懲戒処分の発動を求める権利(申請権)を認めていないものと解するのが相当である。

(5)  これに対し、原告は、県政に対する信頼、県政運営に対する利害関係といった「県民の利益」にかかわることを理由に、被告が別紙目録記載の職員らについて懲戒処分をする義務があることの確認を求めている。

ところで、行政事件訴訟法5条は民衆訴訟を「国又は公共団体の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟で、選挙人たる資格その他自己の法律上の利益にかかわらない資格で提起するもの」と規定している。

したがって、原告の訴えが自己の法律上の利益にかかわらない資格で提起されたものである場合には、民衆訴訟として法律の定めがなければ不適法となるところ、自己の法律上の利益にかかわるといえるか否かは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益が侵害されたか否か、行政法規が不特定多数者の具体的利益をもっぱら一般公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の具体的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むか否かという観点から判断されるべきである。

しかして、原告主張の県政に対する信頼や県政運営に対する利害関係といった「県民の利益」とは、原告固有の権利ないし利益ではなく静岡県民すべてに等しくかかわる利益である。それゆえ、仮に本件訴訟の義務付けの対象となる懲戒処分がなされたとしても、その直接的な法律効果として原告に何らの権利や利益が付与されるものではないのである。

そうすると、原告が主張する「県民の利益」、すなわち懲戒権の行使が適正になされることによって当該地方公共団体の住民が共通して得られる諸利益は、一般公益としての範囲を超えて個々の住民の具体的権利ないし利益として保護されているものと解することができないから、法律上保護された利益であるということはできない。

したがって、原告は、自己の法律上の利益にかかわらず、単に静岡県民としての地位に基づき、被告に別紙目録記載の職員らについて懲戒処分をする義務があることの確認を求めているといわざるを得ず、かかる訴えは制度として認められていないといわざるを得ない。

以上のとおりであるから、本件訴えは、義務付け訴訟として不適法であり却下を免れない。

(6)  原告は主観訴訟と客観訴訟の区別に合理性がない旨主張するが、立法論としてはともかく、行政事件訴訟法は、客観訴訟たる民衆訴訟を「法律に定める場合において、法律に定める者に限り、提起することができる」旨を規定している(同法42条)から、区別の必要性がないとはいえない。また、原告が主張する国家権力に対する包括的な自由は、根拠が不明確で未だ法律上保護された利益であると認めることはできないから、客観訴訟は主観訴訟に吸収されるということもできないのであって、両者の区別に合理性がないとはいえない。

なお、行政事件訴訟法の制定過程を検討しても、抗告訴訟としての義務付け訴訟の適法性を将来の判例学説の集積に委ねたものといいうるに留まり、法律に定めのない民衆訴訟としての義務付け訴訟を将来の判例学説の集積によって(法改正なくして)許容する趣旨であると認めることはできない(甲13ないし15)。

2  よって、原告の訴えはその余の点について判断するまでもなく不適法であるからこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 笹村將文 裁判官 絹川泰毅 齊藤研一郎)

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