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静岡地方裁判所 平成14年(わ)154号 判決 2004年2月18日

被告人

主文

被告人は無罪。

理由

第1本件公訴事実

本件公訴事実は,「被告人は,静岡市内のA方に同人,Bと共に居住していたものであるが,氏名不詳者と共謀の上,前記A方から金品を窃取しようと企て,氏名不詳者は,更にC,D,E,F及びGと共謀し,前記A方に押し入って,金品を強取することを企て,平成13年5月26日午後8時15分ころから同月27日午前2時ころまでの間,前記E,前記F,前記G及び氏名不詳者が,前記A方に押し入り,前記Gらが前記Aを仰向けにしてその頸部を手で絞め,その顔面に包丁を突き付け,「1,000万円出せ。出さないと殺すぞ。」等と申し向け,粘着テープでその口をふさぎ,その両手及び両足を同テープで緊縛するなどの暴行を加えるとともに,前記E及び氏名不詳者らが,粘着テープで前記Bの口をふさぎ,その両手及び両足を同テープで緊縛するなどの暴行を加え,前記A及びB両名の反抗を抑圧した上,前記Aから同人所有または管理にかかる現金約63万円及びクレジットカード1枚ほか4点(時価合計2万100円相当),前記Bから同人所有または管理にかかる現金約7万6,930円及び商品券6枚ほか1点(時価合計1万1,000円相当)をそれぞれ強取したが,被告人においては,窃盗の犯意を有するにとどまったものである。」というものである。

第2争点及び証拠構造

検察官は,被告人が,本件強盗団の一員であるHなる人物(この者の本名は不詳であるが,本件関係者が「H」と呼ぶので,以下そのように呼称することとする。)に窃盗をさせる意図で本件被害現場である乙院の情報を流したことにより,被告人とHとの間に窃盗の共謀が認められ,これに基づいて本件強盗が敢行されているのであるから,被告人には窃盗罪が成立する旨主張する。一方,弁護人は,被告人と本件強盗団の各メンバーとの間には面識すらなく,共謀はないから,被告人は無罪である旨主張し,被告人もこれに沿う供述をしている。本件では,後述するように,H以外の各共犯者と被告人との間に接点がないことは争いがないことから,被告人とHとの間に窃盗の共謀があったかが争点となる。

本件は,事件から約5か月後に逮捕された実行犯の1人であるEが,捜査官に対し,乙院に入ったのは,仲間のHより,「その家に住んでいる友達の上海人から3000万円があると聞いたから盗みに行こう」と誘われたためである旨供述したことから,事件当時,乙院に居住していた唯一の上海人であった被告人が,本件共犯者として逮捕されるに至ったものである。しかし,被告人が情報を流した相手とされるHは依然として所在不明であり,本件争点に関するHの供述は得られないままである。また,Hから情報提供者のことについて聞いたと供述するEにあっても,「Hは『その家に住んでいる上海人(なお,第14回公判供述では「同郷人」と表現している。)の友達から聞いた』と言っていた」と供述するのみであるし,同じく共犯者のCも,「Hは『静岡のある気功道場に元いた中国人の上海人から聞いた』と言っていた」などと供述するのみで,情報提供者が被告人であると言明しているものではない。したがって,本件では,被告人の捜査段階での自白を除くと,直接証拠は存在しないと見ることも可能である。また,後述するように,共犯者らの供述を除いた証拠から認められる間接事実(後記第3の各事実)のみでは,被告人とHとの共謀を推認することは困難である。

このようなことから,被告人とHとの共謀の有無を決するためには,共犯者の供述,とりわけ,EやCが聞いたと供述する,情報提供者に関するHの発言部分が重要となっている。もっとも,EやCの各供述中のHの発言部分は,伝聞供述であることから,その信用性だけではなく,証拠能力の有無が問題となる。

第3共犯者及び被告人の各供述を除いた証拠から明らかに認定できる事実は,以下のとおりである。

1  乙院について

本件犯行場所である乙院は,静岡市北部の山間に作られた閑静な新興住宅地の一角に位置する,A主宰の気功道場である。3階建ての道場兼住居となっており,道路に面して玄関が2つ並び,左側の玄関は気功道場に,右側の玄関は居住部分にそれぞれ通じている。居住部分の1階にはBの,2階にはAの,3階には被告人の使用する部屋がそれぞれあるほか,2階には台所や居間などがある。道場で気功教室が開かれるのは,毎日午前10時から正午までと,月曜日,火曜日,木曜日,土曜日の午後7時から午後9時までとなっていたが,教室が休みのときであっても生徒らが訪れることはままあった。

2  乙院に居住していた中国人について

本件までに乙院に居住したことのある中国人は,被告人,I,J,Kの4人である。

被告人は,上海出身で,Aと被告人の父との間に交遊があったことが縁で知り合い,自身も中国で気功師の資格を持っていたこともあって,平成6年4月に来日すると,同年6月まで乙院に寄宿して生徒らに気功を教えていた。被告人は,その後一旦,中国に帰国したが,平成7年10月に再来日し,乙院に住み込んで生徒らに気功を教えながら日本語学校に通って日本語を修得し,その後,日本の大学に入学した。被告人は,平成13年3月に大学卒業後,人材派遣会社で通訳として勤務し,本件当時も同社に勤務していた。被告人は,KのことでAと仲違いし,平成10年3月から平成11年3月までの間,乙院を出て,三島市内に居住していたこともあったが,これを除けば,平成13年10月に会社の寮に入るまで,乙院に寄宿していた。

IとJは,ともに天津出身で,IはJの実弟である。Iは,平成6年5月に来日し,同年12月ころから乙院に寄宿していたが,平成11年3月に乙院を出て,三島市内に転居した。Jは,平成11年10月から乙院に寄宿していたが,事件の約2か月前に中国に帰国していた。

Kは,上海出身で,被告人の妻として平成11年12月に来日してから平成12年5月まで被告人と一緒に乙院に寄宿し,一度帰国した後,平成13年8月に再来日し,同年10月まで乙院に住んでいた。

このように事件前に乙院に居住したことのある中国人は,被告人,I,J,Kの4人であるが,そのうち上海出身は,被告人とLだけであり,さらに,事件当時,乙院に居住していたのは,被告人だけであった。

3  乙院の金銭保管状況

Aは,現金数十万円,通帳,印鑑,乙院の月謝等をセカンドバッグに入れ,2階居間のソファーの下に隠して保管していた。Aは,銀行に定期預金を含めて3000万円近い預金を有していたが,乙院に金庫はなく,これまで100万円を超える現金を乙院に置いたことはなかった。

被告人は,2度目の来日後,乙院やAの日常の金銭管理を任されていたことから,乙院内に100万円を超える現金を置いたことはなかったこと,乙院には金庫がないこと,Aの通帳の残高,通帳や現金等を入れたセカンドバッグの隠し場所,キャッシュカードの暗証番号等を知っていた。ただし,事件当時は,乙院の生徒であるLが金銭管理をしていた。

4  事件当日の乙院

事件当日は土曜日であり,教室の開かれる日であったことから,生徒のL,M,N,Oらが道場に来るものと予想された。実際,Oは,犯人らの侵入中と思われる時間帯に乙院を訪れているが,門灯が消えていたため,中には入らずに帰ってしまった。事件当時,2つある玄関のうち,道場側の玄関は鍵を掛けてあったが,生徒が来た時のために住居側は鍵を掛けていなかった。

また,事件の前日まで,Aの妹夫婦がアメリカから遊びに来ていたが,事件当日は,荷物を乙院に置いたまま,一時的に名古屋の方に行っていた。

5  被害状況

平成13年5月26日午後7時過ぎころ,Aは夕食を済ませ,教室が始まるまで一眠りしようと2階奥の6畳間で横になっていた。被告人は,同日午後8時15分ころ,Bと一緒に台所で自分の夕食の準備をしていた。台所にいたBは,侵入してきた男に背後から,頭にガムテープを巻き付けられ,驚いて声を上げたものの,更に鼻と口を除く顔中にガムテープを巻き付けられ,その場の床に押し倒され,両手,両足をガムテープで縛り上げられた。Bは,レンジ台の前にいた被告人が便所の方に向かって走るのを見,また,被告人が犯人と中国語で喧嘩のように言い合っている声を聞いた。Bは,しばらくの間,縛り上げられた状態で台所の流し台に背をつけて座らされていたが,その途中,被告人から「Bさん,大丈夫か」と声を掛けられたことがあった。

Aは,Bの叫び声を聞いて奥6畳間から起き出し,仏壇のある8畳間に出てきた際,2人の男に襲われ畳の上に仰向けに押さえ付けられた上,頬に包丁を突き付けられ,中国人が話すようなアクセントの日本語で「1000万出せ」と言われた。Aは,犯人から頭や顔,手,足をガムテープで縛られた上,ソファーのある8畳間まで連れて行かれ,ソファーに座ると,さらに両膝を紐で縛られた。Aは,犯人から「客来るか」と聞かれ,「来ません」と答えた。

その後,Bは,犯人に抱えられて,Aがいるソファーの傍らに座らされた。Aは,犯人からキャッシュカードの暗証番号を聞かれ,素直に答えたが,口にガムテープが巻かれていたためか,声がこもって不明瞭となり,何度も聞き直されるなどした。Bも金がどこにあるのか聞かれたが,「私が知っているわけないでしょう」などと答えた。

AとBは,反抗すれば殺されるのではないかと思い,じっとしていたが,その間,犯人達が家中を物色しているような音が聞こえていた。

途中,Bが,犯人に便所に行きたい旨申し出て,犯人に誘導されて便所に行った。

Bが便所に行く途中,同女の体が台所に横たわる被告人の体に当たり,被告人から「Bさん,大丈夫か」と声を掛けられた。Bは,便所から戻ってきてから,Aに被告人が無事であることを告げた。続いて,Aも犯人に便所に連れて行ってもらった。同月27日午前2時ころ,A,Bはさらにコードなどで縛り直され,布を頭に被せられた。

犯人らの気配がなくなってから,Bは,自力でガムテープを取り,Aのガムテープ等を外した後,風呂場と台所のテーブルの間で縛り上げられ横たわっていた被告人のガムテープを解いた。被告人は,緊縛から解放されると,110番通報するために部屋を出て行った。

家中が物色され,Aは,ソファーの下に隠してあったセカンドバッグの中から現金50万円,生徒からの月謝9万3000円を,財布の中から現金約2万円,キャッシュカード,クレジットカード各1枚を,リュックサックの中から約5000円の入った小銭入れ1個を,仏間に置いてあった御布施袋の中から合計1万2000円を,箪笥の中からネックレス2本を取られ,Bは,自室のベッドの上の袋の中から現金約7万6930円,6000円相当の商品券,腕時計1個を奪われた。また,被告人も自室から,運転免許証等の入った財布,パソコン,スキャナー,腕時計等が持ち出されていた。

6  事件前後の被告人の状況

被告人は,平成12年12月8日に運転免許を取得し,同月18日に代金61万円を,平成13年1月15日に任意保険料10万円余りをそれぞれ支払って,自動車を購入した。被告人は,この自動車購入のために,平成12年12月14日にLから弁済期限,方法を定めずに無利子で80万円を借り入れ,その後,Lに対し,平成13年1月27日に5万円を,同年2月28日に10万円を,同年3月1日に10万円を,同年4月8日に1万5000円を,同年5月6日に2万円を,同年7月7日に1万円を,同年9月4日に1万5000円をそれぞれ返済したが,その後滞るようになり,平成14年2月19日にKが3万円を返したのを最後にその返済は止まっている。Lが被告人に貸し付けた80万円は,Aが出したものであり,被告人もそのことを知っていた。

また,事件当時の被告人は,勤務会社から毎月手取り15万円前後の給料を得て,銀行に135万円余りの預金を有していた。

被告人は,事件翌日には運転免許証の再交付を受け,また,しばらくして,パソコンを新たに買い直したりした。被告人は,事件後も乙院に住み続け,Kが来日した平成13年8月から同年10月までの間は,Kと一緒に乙院に寄宿していた。

なお,被告人が本件で逮捕された当時,被告人の携帯電話には,A,Lからの電話について着信拒否設定がされていた。

7  評価

以上によれば,乙院は土地鑑がない者には分かりにくい場所にあり,本件は乙院について直接的又は間接的に知る者が関与した犯行であると考えられること,強盗を実行した犯人らは,被告人と同じ中国人であると考えられること,被告人の逮捕当時,AやLからの電話を着信拒否するなどAらからの連絡を避けていたことが認められるが,これらの事情だけでは,被告人とHとの結びつきを見い出すのは困難というべきであり,被告人がHに乙院に窃盗に入るよう情報を流したと推認することはできない。

他方,被告人も緊縛されていたこと,被告人は,Lを通じてAから金を借りて,車を購入していること,被告人も運転免許証やパソコンを奪われ,運転免許証は翌日には再交付申請をし,パソコンもしばらくしてから買い直していること,被告人は事件後,5か月間乙院に住み続けていたこと等は,被告人が犯人らとは関わりがなかったのではないかと思わせる事実として指摘できる。

そこで次に,共犯者らの供述について検討する。

第4共犯者らの供述について

1  共犯者らの各供述内容は以下のとおりである。ただし,後記2(1)のとおり,Eの公判供述と相反する捜査段階の供述部分には,証拠能力が認められないので,ここでは掲げないこととする。

(1)  Eの公判供述の内容の要旨(ただし,後記2(2)のとおり,Hの発言部分のうち,情報提供者に関する部分については証拠能力がない。)

私が,本件犯行に加わったきっかけは,事件の1か月前ころ,京都の丙という居酒屋で,Hから「友達の情報ですけれども,静岡のある家に3000万円の現金が置いてありますので,一緒に盗みに行こう」,友達は,「その家に住んでいる,ある上海人」と聞いたことである。ただ,その時はそのような大金があるのか半信半疑であったので,すぐにはHの話に乗らなかったが,その10日後くらいにパチンコ屋で再びHから「私は友達に連絡をしておきました。その家には絶対お金があります。もしお前達が行かないと,私は,他の人に行ってもらいます。」と聞いて,自分も行くことにした。Hは更に「その家に住んでいる人は,1人のおじいさんと1人のおばあさんともう1人の上海人」,「上海人は3階に住んでいます」,「その上海人は,おじいさんとお金のことで少し揉め事がある」などという話もしていた。

私は,下見には行っていないが,パチンコ屋で会った時に,Fが「明日下見に行きます」と言っていた。下見にはHとFが行ったと思う。事件の3,4日前には,Hから,住所,住人の名前,侵入経路について書かれたメモを見せられた。

事件の前日,道場に入るつもりで,G,Fと京都から静岡に向かったが,新幹線を乗り間違え,乗り過ごしてしまったため,静岡に着いたのは夜遅くになってしまった。静岡駅付近で,C,D,Hと落ち合い,道場まで行ったものの,鍵が掛かっていたのでその日の決行は諦め,日本人2名以外は静岡の漫画喫茶で一夜を明かした。

事件当日の昼,私は,G,Fとパチンコをしたり,公園で時間を潰したりして過ごした。午後9時ころに道場に入るまでに特に打合せをしなかった。

CとDは車で待機し,私とH,F,Gの4人が道場に入ることになった。私は最初の5,6分は玄関で見張りをしていたが,2階に呼ばれて上がると,台所にF,H,おばあさん,上海人がいた。上海人は頭をトイレの方に向けて横たわっており,Fが上海人の頭の方に立っていた。Hは,おばあさんを私に預け,Gのいる方に行った後,再び戻ってきて,上海人と何か話をしていた。Hと上海人の会話の中で「中が」何とかと言っていたようだが,内容はよくわからなかった。話をしている雰囲気は普通だったし,私がおばあさんをトイレに連れて行って上海人の横を通ったときも,上海人は縛られていなかった。家に入ってから30分位して,HかFがソファーの下から金やカードを見つけ,そのカードでHがCと一緒に金を下ろしに行った。

本件での私の役割は,見張りと物を探すことだった。Fは,135万円位入っている上海人の通帳を私に見せて,「何の情報だよ,3000万だなんて,たった30万くらいしかないじゃないですか。この金も一緒に下ろしましょうよ。」と言った。そこで,Fは,携帯電話でHと連絡をとった。Fは,Hと電話で喧嘩していたようだった。

結局,私たちは今回の事件で,現金30万円,パソコン,キャッシュカードを盗った。私はFから分け前として5万円をもらい,Hが15万円,Cが10万円,他の人が5万円ずつ取り,Fがパソコンを取ったと聞いた。

私達は,数々の窃盗と数件の強盗を行ったが,本件以外の事件は,Cが収集してきた情報に基づいて行っており,私達のグループのリーダーはCである。

(2)  Cの公判供述及び捜査供述(甲17,不同意部分を除く。)の内容の要旨(ただし,後記2(2)のとおり,Hが情報提供者について発言したとされる部分については,証拠能力がない。)

私は,本件について,最初はEから「3000万円」あると聞いていたが,5月の初めころ,Hから名古屋市内で窃盗に及ぶ直前の車内で「静岡にある気功道場にお金がある」,「1000万」,「静岡にある気功道場に元いた中国人の上海人から聞いた」,「自分と上海人は友達である」などと聞いた。私は,本当にお金があるのか疑問だったので,そのことを于力に尋ねると,Hは「日にちをくれ」と言った。

その数日後,Hは「間違いなくある」,「金庫にある」と言っていた。私は,Hから,友達の上海人は道場に元居た旨聞いていたので,事件当時はいないと思っていた。実際にやるという話になったのは,事件の2,3日前にHから車を用意して欲しいと言われてからである。

事件の前日,私は,D,Hと名古屋から車で行き,Eらと静岡駅で落ち合った後,道場まで行ったものの,その日は入らず,一旦名古屋まで戻った。

事件当日,再びDと一緒に静岡まで来て,Eらと合流し,私が運転する車に乗せ,道場の傍まで行った。H,E,G,Fが道場に入っている間,私は3分ほど離れた駐車場で待っていた。しばらくして,Hから電話があったので,Hと一緒に自動預払機で金を下ろすために静岡駅の方に行った。その際,私は,Hから,中にいた3人を縛ってきた旨聞いた。しかし,静岡の駅前では金を下ろせなかったので,東京まで行くことになった。Hは携帯電話でEと連絡を取っていたが,喧嘩をしているような感じだった。私は,後日,Fが道場にいた上海人のパソコンを持ち出したことについて,Hから「日本人の友達だったら持って行くか」と質問されたので,Hに「中にいたのは友達なのか」と聞くと,Hは「そうです」と言っていた。

私は,今回の強盗で,金目の物は盗れなかったと聞いており,全く分け前をもらっていない。HやEとは何十件も窃盗をやったが,その多くは,私が集めた情報をもとにEが中国人を集めるなどして敢行したものであり,日本人側は私,中国人側はEがリーダー的存在だった。EやHは盗った物を見せなかったり,都合の悪いときは中国語で話すなどしていたことから信用できなくなり,本件以降はあまり一緒にやることはなくなった。

(3)  Gの公判供述の内容の要旨

私が,本件に加わったのは,事件の2,3日前にEから「静岡のある家に2人の老人が住んでいます。1人の上海の人も住んでいます。その家に1500万円のお金があります。行ったらその金がもらえる。」,「1人の上海の人を頼んで,その人に静岡の家に住んでいる上海の人と話をさせる」などと誘われたからである。私は,窃盗や強盗をやるのではなく,Eが交渉で金をもらうのだと思っていた。

事件の前日の夕方,京都駅でEやFと会い,新幹線で静岡まで一緒に行った。新幹線を乗り間違えて新横浜か東京まで行ってしまったので,現場に着いたのは夜遅かった。その日は,結局道場の中には入らず,静岡の漫画喫茶に泊まった。

事件当日,道場に入る前に,C運転の車の中で待機していた時,Eから,おじいさんが電話したり叫んだりしないようにしっかり見張るよう言われた。

家の中に入ったのは,F,E,Hと私で,私が一番後ろに付いてほとんど一斉に2階に上がった。台所に入った時,Fが真っ直ぐ上海人のところに行った。私はおじいさんのところに行き,手でその口を塞いだ。その後,私はおじいさんをHに渡して,おばあさんと上海人のいる部屋に戻った。部屋に戻ると,上海人は足を床に投げ出して座っており,その後ろにFが立っていた。私は上海人の足を縛るのを手伝った。上海人は,目をガムテープで塞がれていたが,口は塞がれていなかった。

私は,ソファーのある部屋でおばあさんとおじいさんを見張っていたが,途中,おばあさんとおじいさんをトイレに連れて行った。おばあさんをトイレに連れて行く時,私は上海人の傍で倒れたが,その時,上海人に手を噛まれた。私がEと一緒におじいさんをトイレに連れて行った時,上海人は,おばあさんが通ったものと間違えて,「おばあちゃん大丈夫ですか」と聞いた。おじいさんは何も答えなかった。

私は,事件の後,何も盗れなかったと聞かされ,何ももらえなかった。

(4)  Dの公判供述及び捜査供述(甲18,不同意部分を除く。)の内容の要旨私は,本件の3,4日前ころ,Cから「今度,静岡に1000万円お金が入った金庫がある,それをやりに行くから手伝ってくれ」などと言われて,本件に加わった。Hからの連絡だと聞いたが,それ以上は知らない。

事件前日,H,Cと一緒に現場まで行ったが,その時,Hは手書きの地図のようなものを持っていた。ただ,それではよくわからず,コンビニエンスストアで売っている地図をコピーして,それを見ながら現場まで行った。

本件当日,私は道場の中には入らず,車の中で待っていた。途中,Cから呼ばれて,金を下ろすために出てきたHと合流した時,Cは「話が違う」とHを問い詰めていた。Hは「話が違っていて金がなかった。今,Eたちが探している。そこにいる人はガムテープで縛ってある。」と言っていた。自分は強盗までするとは思っていなかったので,後でEらを道場に迎えに行ったときに,なぜそうなったのかEに聞いたが,Eは「成り行きでなった」としか答えなかった。

本件では,私は全く分け前をもらっていない。

2  共犯者の供述の証拠能力

(1)  Eの捜査段階の供述の証拠能力

検察官は,上記のとおり,Eは当公判廷においては「Hから,上海人はおじいさんとお金のことで少し揉め事があると聞いた」と供述するに止まっているが,捜査段階では,Hは,「上海人は,以前そのおじいさんからお金を借りようとしたが,おじいさんはお金があるのに貸してくれなかった。そこで,その上海人はおじいさんからお金を盗ることにした。」などと言った旨実質的に相反する供述をしていたものであり,しかも,捜査供述は,公判供述と比べ新鮮な記憶に基づくこと,Eは検察官から誘導されたのではなく,自主的に供述し,検察官から何度も確認され,最終的に読み聞かされた後,署名指印していること,捜査段階の当初から供述内容は一貫していることに照らせば,捜査供述は,客観的事実と符合していることから,捜査供述の方を特に信用すべき情況が備わっているといえ,刑事訴訟法321条1項2号後段により,上記捜査供述に証拠能力を付与すべきであると主張する。

確かに,Eの上記捜査供述によれば,「上海人がHに乙院の情報を流した動機」について明確に言及しており,動機についてまで認定することが可能となるのに対し,Eの上記公判供述によれば,「Hが上海人と老人との間に金銭的トラブルがあったと認識していたこと」しか言及したことにならず,動機について認定できなくなることも考えられ,異なる認定を導く供述といえ,相反性を肯定することができる。

次に,特信状況についてみると,Eは,平成14年2月14日付け上申書(甲47)において,「Hは,私に『この友達は以前老人から金を借りようとしたが,老人は金があるのに貸してくれなかった。だから彼は老人から金をとることにした』と話したこともあります」と記載し,その後も捜査段階においては一貫して同様の供述をしていたことが認められ,その信用性は,公判におけるものに比べ高いようにも思えるところである。しかし,他方で,Eは,第14回公判期日において,「自分の取調べで,上海人とおじいさんとの間でもめごとがあったという話を聞いて,以前,Hとの雑談の中で,上海人がおじいさんから金を貸してもらえなかったと聞いたことを思い出した。自分は,Hからそれが原因で上海人が情報提供したとまでは聞いていなかったが,警察官や検察官からいろいろ聞かれているうちに,たぶん,2人の間にトラブルがあったから情報提供をしたと思って答えた。」などと,供述が変遷することとなった事情を具体的に証言しており,その内容は必ずしも不合理なものではないし,Eがこの点についてあえて虚偽の証言をすべき事情は全く見当たらない。そうすると,上海人の犯行動機として捜査段階にEが供述していたものは,推測を混じえていたものであって,公判における供述の方が正確かつ厳密なものと認められるから,この点に関するEの捜査供述には相対的特信状況がなく,証拠から排除することとする。

よって,Eの上記捜査供述部分には証拠能力はない。

(2)  Hの発言部分の証拠能力

Eの前記第4の1(1)の公判供述のうち,「友達の情報だが,静岡のある家に3000万円の現金が置いてあるので,一緒に盗みに行こう」,「友達はその家に住んでいるある上海人」とHから聞いたとする部分及び上坪の前記第4の1(2)の供述のうち,「静岡にある気功道場に1000万円ある」,「(情報をくれたのは)静岡にある気功道場に元いた中国人の上海人です」とHから聞いたとする部分は,いずれも「被告人がHに乙院に大金があるという情報を流したこと」を要証事実とすべきものであるから伝聞証言であるが,この点,検察官は,刑事訴訟法324条2項により準用される321条1項3号の要件を充たすことから,証拠能力を有すると主張している。そこで,以下,この伝聞証言の証拠能力について検討する。

まず,いわゆる供述不能の点についてみると,Eによれば,Hとは丁株式会社でアルバイトをしているときに知り合い,Hは自分のことを戊大学の学生であると名乗っていたというのであるが,Hという名の人物が前記会社に働いていた事実は確認できないし,前記大学に在籍した事実もなく,その人定や所在の手がかりは全く掴めない状態である(甲61,63ないし65)から,この要件を充たす。次に,証拠の不可欠性について見ても,前記各伝聞証言は,その採否によっては,被告人と本件の情報提供者の結び付きについての認定に著しい差異を生じる可能性があるから,この要件も充たす。そこで,Hの上記発言が,特に信用すべき情況下にされたものであるかが問題となる。

まず,Hの人物像についてみると,本件グループのメンバーには,自らをHと名乗り,Eによれば戊大学の学生であるとして学生証まで見せたというが,前記のとおり,Hという名前の学生が戊大学に在籍した事実はないことから,比較的親しかったと思われるEに対してすら,少なくとも身分又は本名のいずれかを隠していたものと認められる。また,Cも,Hからパスポートを見せられたようではあるが,名前までは確認しておらず,Hについては上海人であるという他は,ほとんど何も知らされていなかったし,Dによれば,日本に来てどれくらい経つのか聞いても,Hは「まあぼちぼちです」という程度の曖昧な話しかしなかったというのである。このように,Hは,犯行グループのメンバーに対してでさえ,その素性を明らかにしなかった人物であるから,そのようなHが犯行グループのメンバーに対して,犯行についての情報を述べたからといって,それが全て根拠のある話であるということはできない。実際にも,本件で,HがEとCに話した内容は,「上海人の友達から静岡に大金のある家があると聞いた」という点では共通しているが,共犯者らが最も関心を示すであろう,置いてある現金額については,Eには「3000万円」,Cには「1000万円」と大きく異なっている。この点,検察官は,日本人の仲間より中国人の仲間が多くの分け前を得るために,Cには低めの金額を言っておいたものと考えられると主張するが,そうであれば,尚更,Hは,都合に応じて事実を歪めながら,共犯者らに話していたということになる。このように,素性を明らかにしなかったり,話の内容に一貫性のないHの供述について特信状況を考えるに際しては,Hにおいて,虚偽を述べる余地がなく,真実を語らざるを得ない状況であったかについて厳格に検討しなければならないというべきである。

これを本件についてみると,前記のようなHの各発言は,居酒屋や他事件の犯行直前の自動車内において,グループの他のメンバーに対する本件犯行への誘い込みの中でなされたものであり,事故直後の被害者の言葉のような自然発生的に生じたものではなく,その性質上真実が語られることが当然に想定されるというような場面でなされたものではない。また,関西や名古屋に居住していたメンバーを静岡まで連れて来るには,具体的な話をするなどして乙院に大金があるとの情報が信憑性の高いものであることを信じてもらう必要があった。他方で,本件犯行は強盗であって,乙院内にいる協力者と情を通じながら,犯行に及ばなければ奏功しないような態様のものではないから,その意味では,情報提供者が乙院にいる知人であることの真偽はどうでもよいことであったということができる。そもそも,Hが犯行グループの他のメンバーに自分の素性を明らかにしていなかったのは,メンバーが警察に捕まり,そのメンバーから自分の経歴が警察に知られ,捜査が自分のもとにまで及ぶことを懸念したためとも推測されるし,同様に,情報提供者が特定されると,その者を通じて自分の素性が明らかになってしまうおそれがあるから,なるべく情報提供者について明らかにしたくないと考えていた可能性も考えられるところである。

以上に述べたように,Hには,できることなら真の情報提供者を明らかにしたくない動機が働くことも考えられる上,情報提供者について真実を語らざるを得ない状況での発言とは言えないのであって,前記の各伝聞供述には特信状況を認めることができない。

したがって,Hの前記各発言は,証拠能力が認められないから,証拠から排除することとする。

3  共犯者の供述の信用性について

(1)  Eの供述の信用性

Eの供述内容は,具体的である上,前記第3で認定した客観的事実に反する点も特には見られず,一見するとその信用性は高いように見えるところである。

しかしながら,Eの供述には,捜査段階及び公判段階を通じて,いくつかの看過しがたい不自然な変遷が見られる。すなわち,犯行時に被告人が縛られていたかという点について,平成14年2月14日付けの上申書(甲47)には,「私が2階に行くと,3人が縛られていた」と自ら手書きしていたにもかかわらず,同年3月1日の警察官取調べでは「私が2階に上がった時,その男は何の抵抗もせず,縛られてもいませんでした」(甲52),同月7日の警察官取調べでは,取調官から,Bを便所に連れて行くために,上海人の横を通った時,上海人は本当にまだ縛られていなかったのかと問われて,「間違いなく縛られていません」(甲57)とそれぞれ供述し,さらに,第14回公判期日では,縛られているか見ていなかった(19頁)などと供述し,その供述を転々とさせている。また,被告人を縛るという話を予めHらとしていたかという点についても,Eは,捜査段階では一貫して,被告人が警察に疑われないように縛ろうとHが話していた旨供述していたにもかかわらず,第14回公判期日では,「今から話すことは,後で思い出したことですが」と前置きしながら,Hは「上海人と話をするから縛らなくていい」と言っていた旨供述を変更し,その変遷の理由も合理的な説明は全くない。さらに,Eは,捜査段階では,明かりがついていれば,中にいる老人を縛って強盗をしようと話していたと供述していたにもかかわらず(甲57),当公判廷では,事前に強盗をする打合せをしたことはない,本件犯行はFとHが計画したので,私は詳しくは知らないなどと供述し,また,Hが話した情報提供者についても,同月1日の警察官取調べでは,今もその上海人はそこに住んでいるとHが言っていた旨供述していたのに対し(甲51),第14回公判期日では,中国語では特に明示しない限りは過去形か現在形かはっきりしない場合があり,Hが言っていた人物が今いるのか,過去にいたのかわからないなどと供述を後退させている。また,前記第4の2(1)でも述べたとおり,Eは,情報提供者がHに情報を流した動機についても,当公判廷で,捜査官には推測を交えて話したと述べている。このように,Eには,曖昧な記憶しかないことを確定的に断言して供述したり,自己の推測,憶測を事実であるかのように供述することがよく見られるのであり,その供述態度は真摯なものとは言い難いものがある。

そして,Eは,本件犯行グループにおける自分の地位を最も下に位置づける供述をしているのに対し,他の共犯者の全てがこれを否定し,中国人グループの中では一番上で,G,H,Fを指示・命令する立場にあったと揃って供述しているのであり,Eの上記供述は,明らかに虚偽と認められ,Eは,自己の刑責を軽くするためには偽証も辞さない面がある。

したがって,このような事情に鑑みると,Eの供述は,共犯者の供述に符合する限度では信用性を肯定できるが,それ以外では信用性が低いと言わざるを得ない。

(2)  Cの供述の信用性

Cの供述の中には,前記の証拠排除した伝聞証言以外にも,「Hに『中にいた中国人が友達なのか』と聞くと,『そうです』と答えた」などとHと被告人の結びつきを窺わせるような供述があることから,その信用性はなお慎重に判断する必要がある。Cの供述内容の中には,捜査段階では,犯行前に車の中で于力らが日本語で「おじいさんがいたらガムテープで縛っちゃおう」などと話をしていたと供述していたのを,公判廷では,Hらは中国語で話をしており,自分は加わっていないなどと供述を不合理に変遷させているところもあるが,それ以外においては,前記第3で認定した客観的事実と矛盾したり,不自然,不合理とすべき点は特に見当たらず,自己に不利益なことも含めて,記憶のあることと記憶のないことを明確に区別しながら,記憶にあることを具体的に供述しているのであって,その信用性はかなり高いということができる。

(3)  Dの供述の信用性

Dの供述は,前記第3で認定した客観的事実や他の共犯者の供述と矛盾する点もないし,自分が知っていることについては具体的かつ素直に供述し,知らないことについては知らない旨供述するなど供述態度も真摯である。このような事情に照らすと,Dの供述は信用できる。

(4)  Gの供述の信用性

当公判廷におけるGは,犯行に加わった経緯等について,自分と関わりのある部分の供述を回避しようとする場面が多々見られ,自己の刑責を軽くしたいという思惑も窺われるものの,少なくとも自分が果たした役割や行動については,自己に不利益なことも含めて,反対尋問によっても動揺することなく,一貫して具体的に供述しており,特にその信用性を疑うべき事情は見当たらない。従って,Gの供述は,他の共犯者の供述に反して,自己に有利な供述をしている部分を除いては,概ね信用できる。

第5自白調書の任意性及び信用性について

ところで,被告人は当公判廷において,共犯者らとの関わりを一切否認しているが,捜査段階では,中国人に窃盗をさせるつもりで乙院の情報を流した旨の自白をしており,弁護人は,この自白の任意性及び信用性について争っていることから,以下で検討する。

1  捜査段階における被告人の供述状況等について,明らかに認められる事実は以下のとおりである。

被告人は,平成14年2月19日,静岡中央警察署へ任意同行された後,乙院への強盗と強取にかかるキャッシュカードで金を引き出したという窃盗の被疑事実で通常逮捕された。同日,被告人の身上経歴を録取した警察官調書(乙1),事件との関わりを否認する警察官調書(乙8)各1通が作成された。

その後しばらくの間,調書は作成されなかったが,取調べは連日のように行われ,その間も被告人は否認し続けていた。

同年3月1日,関わりを否認する内容の検察官調書(乙9)が作成され,勾留期間延長決定がなされた後,同月2日,乙院に住んだことのある中国人について録取した警察官調書(乙2),同月4日,乙院の金銭管理について録取した警察官調書(乙3),同月5日,AとBが便所に行った際の被告人の様子について録取した警察官調書(乙10)がそれぞれ作成された。

同月6日,午前中に2時間にわたり検察官が取調べを行い,午後には警察官が取調べを行った。

翌7日,午後1時20分ころから午後3時20分ころまでの間,検察官による取調べが行われた。被告人の希望により10分間の休憩を取った後の午後3時ころ,被告人は自白をし,後記2の自白調書(乙4)が作成された。同日中に,警察官による取調べが行われたが,そこでは,被告人は再び否認に転じ,その日の夜,再度,検察官による取調べが行われたが,被告人は事件との関わりを否認した。

同月10日,自白した心境等を録取した検察官調書(乙11)が作成され,翌11日にも検察官取調べが行われ,翌12日には,妻のK,その従兄弟のRも事件とは無関係であることを録取した検察官調書(乙12)が作成され,被告人は同日起訴された。

2  被告人の自白(平成14年3月7日付検察官調書,乙4)の内容

被告人が,唯一,自白をした3月7日付検察官調書の内容は,以下のとおりである。

「私は,乙院に入った強盗の一味として逮捕,勾留され,取り調べを受けています。

私は,今まで強盗一味とは全く関係がないと話して逮捕事実を否認していました。

確かに,強盗の手引きをしたつもりはありませんでしたが,悪い中国人に乙院の情報を流して,窃盗をさせるつもりでいました。

私は,平成12年暮れころ,A先生のところに出入りしているLさんから約80万円お金を借りて,自動車を買いました。

最初は,A先生に車を買って欲しいと頼んだのですが,先生がそれを断り,Lさんを通じて私に80万円を貸してくれたのです。

私は,借りたお金は何回か返しましたが,そのお金を作ることに大変苦労しました。

また,妻のKが日本に来る渡航費用を作る必要がありました。

そこで私は,悪い中国人に乙院の情報を流して,その中国人に泥棒をさせようとしました。

私は,その中国人に電話して,乙院には,自分のほかにおじいさんとおばあさんが住んでいること,2階のソファーの辺りにお金が隠されていること,乙院に行くには子供病院の通りをずっと真っ直ぐに行くと看板があること,などを教えました。

私は,その中国人が1人で泥棒に入るものと思っていました。

ところが,大勢の中国人が強盗に押し入ってきたので,私は話が違うと思ったのです。

私は,自分のパソコンなども盗まれてしまい,その後,その中国人とも連絡が取れなくなり,自分が騙されたと分かりました。

私は,1円も分け前をもらっていませんし,パソコンなどを盗まれる被害に遭い,あまりにも悔しかったことや自分のしたことが世間にしれると自分の立場がなくなると思って,これまで事実を全て否認してきたのです。

ですが,泥棒をさせるつもりで乙院の情報を悪い中国人に流したことは間違いないのです。

これまで嘘をついていて申し訳ありませんでした。」

3  任意性について

(1)  被告人の供述

被告人は,上記のような自白調書が作成された経緯について,当公判廷において,大要以下の供述をしている。

私は,3月7日の取調べで,検察官から,私に不利な証拠として,犯人が私が縛られていなかったと供述していること,Aがトイレに行った時,私は声を掛けたと話しているのに,Aは声を掛けられていないと話していること,犯人が私の借金について知っていることなどを指摘された。私は,何故犯人達が自分の借金のことを知っているのかと頭が真っ白になって,検察官の言うままに認めてしまった。検察官からは他に「ずっと否認し続けると反省していないと見られるから,その分罪が重くなる」,「もし,あなたが認めたら,早く出られるし,一からやり直すことが出来る。あなたは,日本語が出来るから,上海に戻ったらいくらでも仕事があります。」,「中国には陪審員制度がありますか。もし陪審員がいたら,これだけの証拠を彼らに聞かせたら,たくさんの証拠を説明できないから,裁判官の前でただやっていないの一点張りだけでは通らない。」,「もしずっと否認し続けていれば,あなたは今度の強窃盗事件のリーダーにされる」とも言われた。執行猶予については,自分から説明を求めた。調書を作成した時は,検察官が,こういう感じだろうというように聞いてきたので,私はサインするつもりだから何でもいいと思い,そうです,そうですと答えていた。強盗ではなく,窃盗を認めたのは,認めるのであれば軽い方がいいと思ったからである。この取調べの後,警察官からも取調べを受けたが,どこでどういうふうに連絡を取ったのかなどと具体的なことを聞かれて答えることが出来なくて泣いてばかりいた。

(2)  P検察官の証言

これに対し,被告人の取調べに当たったP検察官は,当公判廷において,以下の内容の証言をしている。

被告人が自白をした前日の3月6日,私は,手引きがなければ強盗が来るような場所ではないのではないか,被告人は縛られていたのか否か,なぜ被告人だけ台所にいたのかという各点について追及した。被告人は,帰りがけに「違ったら,私に言ってください。私は強盗をしていない。だからそれほど悪くはない。だけど,乙院の情報を流したことについて知らないと嘘を言っていることが悪い,そういうことですか。」と聞いてきた。

翌日の3月7日の取調べでは,前日追及した点に加えて,被告人がAに車を買ってくれと頼んだのに買ってもらえなかったという点についても聞いた。すると,被告人は,否定するのではなく,喉仏をごくごくさせて動揺して黙っていたので,私は被告人が犯人との関わりを肯定しているように受け止めた。私が「何で,Eが車のお金のことを知っているのか」と尋ねると,被告人は,頭を抱えるようにして,「10分間だけ考えさせてください」と言った。私が10分間席を外して帰ってくると,被告人は「やっていません。無罪を主張します。」と言った。私が「やってない人間が何故10分間も考える必要があるんだ」と言うと,被告人はまた,喉仏をごくっと鳴らして動揺していた。私が「やったのかやっていないのか,はっきりしろ」と言うと,被告人は「検事さん,自分の刑はどのくらいになるんですか」と聞いてきた。私が「何年の刑になるのかなんて,おれに分かるわけない。お前が何をやったかなんて,おれには分からないんだから,自分がやったことについて正直に話さなくちゃわからん。このままじゃ,強盗の引き込みとしか思えんな。」と言うと,被告人は,頭を抱えるようにしながら,「私,やりました」と答えた。

私は,否認していると反省していないと見られて刑が重くなるということは,一般論としても言っていない。被告人を説得するために,子どもが母の財布から金を取った場合,正直に謝った子の方を優しく叱るという例で話をしただけである。このまま否認をしているとリーダーにされるということは言っていない。私は実刑事案だと思っていたから,取調中に執行猶予という言葉を使ったことはない。

(3)  検討

弁護人は,被告人の自白は検察官の利益誘導によりなされたもので任意性がない旨主張し,被告人も,検察官から,否認をしていると反省をしていないと見られてその分罪が重くなる,認めたら早く出られる,もし認めなければ今度の強窃盗事件のリーダーにされるなどと言われたと供述する。

この点,Q弁護人は,3月10日の接見の際に,被告人から聞かれた内容のメモとして,「罪も軽くする,窃盗事件として情報を流した,執行猶予,国に帰れる,通訳もできる,リーダー,Lさん,80万円,車の金」と書き留めており,これは当公判廷における被告人の供述内容と符合する。

しかし,仮に,P検察官が,被告人の供述するような発言をしていたとしても,執行猶予については被告人から説明を求めたものであるし,その他の発言内容もいずれも一般論として述べられているものであり,自白と利益,否認と不利益を直接結びつけて何らかの約束や脅迫をしたものと見ることは出来ない。被告人自身も自白によって何らかの利益を与えられることを期待していたとは供述していないし,被告人が自白したのは,極限られた者しか知り得ない借金のことを犯人が知っていたと聞かされて,動揺してしまったからである旨述べているのであるから,検察官の取調べは任意性が疑われるようなものではないと認められ,弁護人の主張は採用できない。

また,弁護人は,被告人が検察官から有無を言わせない取調べを受け,精神的に不安定な状態にあったことを指摘しており,確かに,P検察官による取調べには,多少強引で追及的であった面も見られ,被告人が少なからず不安を覚えた可能性は否定できないところである。しかしながら,3月7日以前に連日のように行われていた警察官による取調べでは,任意性に疑問を抱かせるような事情は全くなく,むしろ警察官からは「もしあなたが本当にやっていなかったらあなたのために真犯人を捕まえてやる」と言われる(第3回公判被告人供述調書8頁)など,任意性を担保するような取調べがなされていたことが認められること,検察官の本格的な取調べが始まったのは前日の3月6日からであり,被告人が自白に至るまで検察官に取り調べられた時間は,6日午前中の2時間,7日午後の1時間40分程度であったこと,検察官は,自白の直前,被告人の希望を聞き入れて10分間の休憩を与えるなどしていること,被告人は,同日夜の検察官の取調べでは再び否認し,3月10日の検察官取調べでは署名指印を拒否していることなどに照らせば,被告人が検察官に対し,供述の自由を失うほどの恐怖心や不安感を抱いていたとは考え難い。

さらに,この自白調書には,Kの渡航費用を作る必要があったというような,検察官が想定していた動機とは異なる内容の記載もあるし,被告人自身,窃盗を認めたのは,軽い方がいいと思ったからであると供述しているように,自身で利益判断をしていることからしても,被告人が無条件に検察官の筋書きに従ったとは言い難い。

以上に述べたことから,被告人の自白には任意性を肯定することができる。

4  信用性

(1)  しかしながら,被告人の自白の信用性については,以下に見るように疑問があるといわざるを得ない。すなわち,被告人は,情報を流した相手について,「悪い中国人」と述べているだけで,その人物の名前や関係等詳細については触れていないし,また,被告人は,情報を流して窃盗をさせるつもりであったと述べているのであるから,窃盗を容易ならしめるための協力内容を取り決めているはずであると考えられるが,その点についての説明もないなど,被告人が犯人であれば当然語られるべき事柄についての説明が完全に欠落している。さらに,流した情報の内容についても,目新しい話は全くなく,犯人でなくても誰でも容易に語りうるものばかりであり,秘密の暴露といえるものも存在していない。

(2)  また,被告人は,逮捕後17日目の検察官取調べにおける数十分間だけ自白をしたが,それ以外では全面的に犯行への関わりを否認していたもので,このことは,その経過に鑑みても,その自白が熟慮の上になされたというよりは,検察官から犯人たちが被告人の個人的事情を知っていると聞かされ,被告人自身,解答を出せずに思考が混乱し,検察官に迎合して自白してしまったものであることを如実に物語っている。しかも,被告人は自白したその日のうちに再び否認に転じたわけであるが,その理由について,当公判廷で,警察官からどのように情報を流したのかなど具体的に追及され,答えることが出来なかったからと述べているところ,前述のように自白の内容が漠然かつ曖昧なものに止まっていることに照らすと,その説明には合理性を認めることができる。

これに対し,検察官は,自白調書の中で,被告人が,Lを通じて借りた80万円の返済に大変苦労していたと供述している部分が客観的事実と符合し,動機として合理的といえ,自白は信用性が高いと主張する。確かに,平成14年4月以降に返済のペースが落ちてきているが,被告人はLから返済期限や方法を定めずに借り入れたもので,Lも被告人の給料日前後に返済を促す程度であったし,借金してから事件当時までの5か月の間に合計28万5000円を返済し,被告人は本件当時,相応の収入と預金があったのであるから,動機として不合理とまでは言えないとしても,あえて犯行を敢行するまでの強い動機となるかは疑問である。

以上の事情に照らすと,被告人の自白は,前記のとおり,被告人の思考が混乱したままの状態でなされたものであり,その任意性自体は肯定できると判断した事情を併せ考慮しても,内容に合理性や迫真性,説得力を欠き,自白の真実性を担保するに足るような秘密の暴露等も全くないから,信用性を肯定するに足りないと言わざるを得ない。

第6共犯者らの各供述から認められる事実

1  以上で検討した共犯者らの供述で信用性の肯定できる部分により認定できる事実は,次のとおりである。

本件犯行グループは,名古屋を中心に,数々の窃盗や数件の強盗を犯していたが,後にも先にも静岡県内で敢行したのは本件のみであり,メンバー内に静岡に土地鑑のある者は全くいなかった。普段は,Cが犯行に及ぶべき事務所などの情報を収集して,これをEに伝え,Eが実行役の中国人らを集め,CやDの車で現場まで行って,犯行に及ぶというものである。

本件は,Hが,静岡に大金がある家があるという情報を得,Eらの中国人仲間やCに働きかけて犯行に及んだものであるが,Hは,乙院の場所や乙院に老人が住んでいること等,乙院の事情についてある程度知っており,地図などを頼りに自力で乙院まで辿り着くことができた。

犯行前日,犯人らは,乙院に侵入するつもりで行ったが,玄関の鍵が閉まっていたため入るのを諦め,中国人4人は静岡の漫画喫茶で一夜を明かし,日本人2人は一旦名古屋に帰った。

犯行当日の夕方,Cは,自己が運転する車に実行役の中国人らを乗せ,道場の近くで夜が来るまで待機していた。中国人らは,ガムテープ等を予め準備して,乙院に侵入し,CとDはそれぞれ別々の場所で待機していた。乙院に侵入すると,Fは被告人を抑え付け,Gが被告人の足を縛るなどした。Gは,被告人から噛みつかれたりもした。

E,G,Fは,Aの預金を下ろしに行ったHから連絡があるまで,乙院で待っていたが,その間,期待していた大金が見つからなかったことから,Fは,携帯電話でHに電話をかけ,被告人の135万円の入った預金通帳を見て金を下ろそうと提案したが,そのことでHと言い争いになり,結局その預金には手を付けなかった。それでも,Fは,被告人のパソコンを持ち出したため,Hとの間で喧嘩になった。後日,Hは,Fが持ち出したパソコンのことでCと話をしている際,Cから「中にいたのが友達か」と聞かれて,これを肯定した。

2  以上によると,犯人らが被告人の135万円の預金には手を付けなかったこと,Fが被告人のパソコンを持ち出したことでHと喧嘩になったこと,後日,HがCに対し,乙院の中に友達がいたというような話をしたことなどが認められ,確かに,これらの事実からは,被告人とHが何等かの知り合い関係にあったとみることが可能であるから,検察官が被告人とHの共謀の根拠として指摘するのも肯けるところではある。

しかしながら,Hは,被告人を友達とはいうものの,本件犯行の情報提供者であるとは明言していないし,他方,被告人が窃盗をさせるつもりでHに乙院の情報を流したとすると,以下のような合理的に説明できない疑問点が生ずる。

第7合理的に解明できない疑問点

1  Hが共犯者に話した内容の重要部分が実際の事実と大きく異なること

乙院内にある現金について,HはEには3000万円,Cには1000万円とそれぞれ話していたのであるが,乙院では100万円を超える現金を置いていたことは全くなかったものである。また,Hは,Cに,現金は金庫に保管されている旨話していたが,乙院には金庫は存在しない。被告人は,乙院やAの金銭管理をしていたことがあり,乙院では現金で100万円以上置いておくことがないことや乙院には金庫がないことを当然知っていたのであるから,被告人が窃盗を意図して直接Hに情報を提供したのであれば,そのようなことを伝えるはずはなく,なぜHがこれらの重要な事柄について事実に反する認識を持つに至ったのか理解に苦しむところである。本件犯行を意図してHに情報を流した者がいたとすれば,その人物は,乙院の内部事情について中途半端な知識しか有しないものであったと考えざるを得ず,それは明らかに被告人とは別人と見なければならない。また,仮に,被告人から情報が流れていたとすれば,それは,窃盗をさせることを意図せずに話したがために,いい加減な内容のものがHに漏れ伝わった可能性も十分に考える余地がある。この点,検察官は,Aには3000万円近い預貯金があったのであるから,Eが聞いたHの発言は,その意味では事実と一致しており,この点の疑問は解消されている旨主張する。しかしながら,EもCもHから現金で保管されていると聞いたと供述していること,Hは乙院から出てきた後,Cに「話が違っていて金がなかったからカードを取ってきた」と話しており,H自身も現金で大金が保管されていると考えていたと思われること,預金では下ろす際に犯行が発覚する危険性が高まるなど,盗む側にとって重大な差異があり,Hらがあえて静岡まで行って強盗を敢行したのは,現金で大金があると思っていたからであると考えるのが自然であることからすると,検察官の主張は,上記疑問に対する合理的な説明とはなっていない。

2  Cは,Hから「情報をくれたのは気功道場に元いた上海人」と聞いていたこと

Cは,Hから「情報をくれたのは気功道場に元いた上海人」と聞いた旨明確に証言しており,そうすると,犯行当時,乙院に住んでいた被告人はこれに該当しないのではないかとの疑問が生じる。

この点,検察官は,(ア)「気功道場に元いた上海人」に該当するのは,被告人の妻であるKだけであるが,Kは本件の1年以上も前に中国に帰国しているし,夫である被告人に危害が加えられるかもしれないにもかかわらず,夫に無断で情報を流すことはあり得ないとして,Kではない旨主張し,また,(イ)Cが,Hから「気功道場に元いた上海人」と聞いた理由については,HがCを信頼せず,正確な情報を伝えなかったからであると主張する。

しかしながら,まず,(ア)について見ると,確かにKが故意に夫の被告人に無断でHに乙院の情報提供するという事態については,検察官が述べるように考えにくいところということができるけれども,EはP検察官に対し,HからKとは知り合いである旨聞いたことがあるとの供述をしていることにも鑑みると,例えば,Kが何気ない雑談の中で乙院の事情について話したことが,直接的又は間接的にHに伝わり,犯罪情報に利用されてしまったという可能性まで否定できるものではないというべきである。

(イ)についてみると,仮に,HがCのことを信頼していなかったとしても,犯行後,HはCに犯行時の道場には3人いたことを話しており,道場に誰がいたかを意図的に隠しているような様子は窺えないことからすると,検察官の主張には首肯し難いものがある。勿論,検察官が指摘するとおり,Hが外国人であることから生じる日本語での会話に多少の言葉足らずな点や,Cの聞き間違いがあった可能性は否定できないところではあろうから,HがCにしたこの発言部分のみをもって,情報提供者は被告人ではないと断定することまではできないことはいうまでもない。しかし,以上で述べたところから,Hのこの発言部分は,情報提供者が被告人ではない可能性を示す有力な証拠として軽視してはならないものである。

3  被告人が具体的に手引きをした形跡がないこと

Hら4名が土曜日の午後8時過ぎという気功道場の生徒が尋ねてくる可能性の高い時間帯に侵入していることからすると,情報提供者は,教室のある日時をHに伝えていなかったものと推認することができるが,被告人が情報提供者であったのであれば,Hに窃盗をさせる意図があるのにこの点の情報を伝えていないのはあまりに不自然である。この点,検察官は,乙院には来客者が多く,被告人は留守の時間帯を于力に伝えることができないままに,Hらが強盗に及んだと主張する。しかしながら,少なくとも,生徒が尋ねてくる可能性の高い教室のある日時を予め伝えることは容易であったし,窃盗であれば,寝静まった時間帯に侵入させることも可能であったはずであるから,それすら伝えていないのはやはり不自然である。

さらに,被告人が情報提供者であったならば,Hらは決行日を翌日に変更しているのであるから,当然被告人にもそのことを知らせてしかるべきであるのに,本件証拠上,Hが前日も当日も被告人と連絡を取った形跡が全くないというのも,不自然と言わざるを得ない。

このように,窃盗をさせるつもりで情報を流したというにもかかわらず,被告人が手引きをした形跡が全くないというのは,不自然,不合理といわざるを得ない。

4  Hらは,窃盗ではなく,強盗を敢行していること

検察官は,被告人は,Hに窃盗をさせる意図で慈功院の情報を流したと主張するが,Hらは,予めガムテープ等を用意しているのであって,最初から,中に人がいる限りは,強盗をするつもりであったと認められる。被告人とHが意を通じていれば,Hは,当然,被告人が犯行当時,乙院に住んでいることを知っていたはずであるから,それにもかかわらず,強盗になることを伝えなかったというのは理解し難い。

第8結論

以上で検討したところによると,被告人とHとの結びつきを窺わせる,被告人の有罪方向に働く事実も少なからず見受けられるものの,他方で,被告人が窃盗をさせるつもりでHに情報を流したのであれば,却って合理的に説明が付けられない事実も多数存在しており,Hが被告人以外の者から情報を得たとの合理的な疑い,あるいは,仮に被告人から情報が流れたとしても,窃盗をさせることを意図しなかったため,いい加減な内容のものが漏れてしまったとの合理的な疑いが払拭されていないままである。したがって,被告人を有罪とするには,なお,合理的な疑いを差し挟む余地が残されていると言わざるを得ないのであるから,「疑わしきは被告人の利益に」との刑事裁判の鉄則に従って判断するのが相当である。

(なお,弁護人は,起訴状記載の訴因には共謀の日時場所が特定されていない違法があるとして,公訴棄却を申し立てているが,共謀の日時場所について具体的な明示がなくとも訴因の特定に不十分となるものではないから,この点に関する弁護人の申立てには理由はなく,職権発動しない。)

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 姉川博之 裁判官 植村幹男 裁判官 樋口真貴子)

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