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静岡地方裁判所 平成16年(行ウ)22号 判決 2007年3月22日

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は,原告の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  原告

(1)  被告が平成15年10月9日付けでなした原告に対する公務外災害認定処分を取り消す。

(2)  訴訟費用は,被告の負担とする。

2  被告

(1)  本案前の答弁

ア 原告の訴えを却下する。

イ 訴訟費用は,原告の負担とする。

(2)  本案の答弁

主文と同旨

第2事案の概要等

1  本件は,静岡県小笠郡α立β小学校に勤務する養護学級担任の教諭であったP1が,平成12年8月2日に実家作業小屋内において縊死したことに関し,P1の母であり,その相続人である原告が,P1の自殺は,β小学校における養護学級担任の教諭としての公務が過重であり,その精神的緊張と重圧によってうつ病に罹患したことにより引き起こされたものであって,公務に起因するものであるとして,被告に対し,地方公務員災害補償法に基づく公務災害の認定を請求したところ,被告が平成15年10月9日付けで公務外の災害であると認定した(以下「本件処分」という。)ため,同処分の取消しを求めた事案である。

2  前提となる事実

以下の事実は,当事者間に争いがないか,証拠上容易に認めることができる(証拠によって認めた事実は,認定事実の後に,認定の根拠となった証拠をかっこ書きする。)。

(1)  P1(昭和▲年▲月▲日生)は,昭和54年4月1日に静岡県静岡市公立学校教員として採用され,その後,静岡県内の小学校において勤務し,平成11年4月1日からはβ小学校教諭として勤務していた(甲20の1)。

原告は,P1の母であり,その相続人である。

(2)  β小学校におけるP1の職務内容

ア P1は,前任のγ小学校において,平成9年度に級外として養護学級(学校教育法75条1項1号が定める「知的障害者」のための「特殊学級」をいう。以下同じ。)での授業を週3ないし4時間受け持つことにより初めて養護教育に携わるようになったところ,平成10年度には自らの希望により同学級の担任となり,2年と4年の男子児童2名を受け持った。

イ P1は,平成11年度も引き続きγ小学校で養護学級の担任として勤務することを希望していたが(弁論の全趣旨),中学校か養護学級新設の小学校への異動の話を受け,平成11年4月,養護学級が新設されたβ小学校に転勤した。

ウ P1は,β小学校において,新設された養護学級の担任となり,知的発達停滞児の1年生男子2名,P2及びP3(以下「在籍児童P2」,「同P3」という。在籍児童P2は自閉的傾向あり。)に対する生活単元・教科学習を中心とした教育指導,また,他学年との交流教育,日常生活指導,就学指導の内容及び計画等に係る職務を行っていた。

(3)  体験入学の実施

平成11年7月,児童福祉法に基づく法的措置により,親元から離れ,児童福祉施設δ(以下「δ」という。)に入所し,そこに併設されている県立ε養護学校(学校教育法74条が県に対し設置を義務付けている「知的障害者」のための「特殊学校」)ζ分教室(以下「ζ分教室」という。)に通っている1年生男子,P4(以下「体験児童」という。)の保護者から,体験児童を引き取って地元のβ小学校の養護学級に通わせたいとの希望が申し入れられたことを契機に,児童相談所は,δの関係者と協議の結果,β小学校の受け入れが可能ならば,試験的に体験児童を親元に戻し,β小学校の養護学級に通わせて様子をみた上で,措置解除の可否を決したいとの方針を固め,同年9月,α教育委員会にその意向を伝えた結果,同年12月,α就学指導委員会の指導のもとに,平成12年1月20日から同年2月2日まで試験的に親元に戻した体験児童を,その期間中β小学校の養護学級に通学させてみるという,いわゆる体験入学(以下「本件体験入学」又は単に「体験入学」という。)をすることとなり(甲101の2),予定どおりこれが実施された。

(4)  体験児童についての転入申請の取下げ

本件体験入学が終了した2日後である平成12年2月4日,体験児童の親は前記(3)の転入希望を取り下げ,このことは間もなくP1にも伝えられた。

(5)  うつ病

P1は,平成12年2月21日,P5クリニックを受診したところ,P5医師により,心因反応によるうつ状態と診断され,以後同クリニックで薬物治療及び精神療法による通院治療を受けていたが,症状が改善しないため,同年4月21日から7月19日まで特別休暇を取得し,6月30日からは,それまで単身で居住していたアパートではなく,両親が居住する実家で生活するようになった。

(6)  P1の自殺

P1は,平成12年8月2日午前5時ころ(推定),原告宅(実家)の西側作業小屋内において縊死した(以下「本件災害」という。)(甲7ないし9〔枝番号を含む。〕,25,52の2)。

なお,P1の寝室内にあったカバンの中から発見されたノートには,同人の筆跡で,次のような記載があった(甲10,26の1)。

「お母さん,お父さん,P6君,P7さん,P8さん,P9くん,P10くん,みんな,みんなありがとう。めいわくをかけること,申し訳なく心苦しいですが,今の私は,苦しくて仕方ありません。逃げることで,皆にも過大な負担をかけてしまうことお許しください。主治医のP5先生には,2月以来,大変よくしていただきました。たびたびのパニック発作にも冷静に対応していただきお礼の気持ちでいっぱいです。」

(7)  本件訴訟に至る経緯

ア P1の父であり,かつ原告の夫でもあるP11は,平成12年11月20日,被告に対し,P1の自殺は,同女が勤務していたβ小学校における養護学級担任の教諭としての公務が過重となり,その精神的緊張及び重圧によってうつ病に罹患し,自殺念慮発作によって引き起こされたものであるとして,地方公務員災害補償法(以下「地公災法」という。)に基づき公務災害認定の請求(以下「第一次請求」という。甲6,乙1)をしたが,被告は,P1は自殺前の職務によって精神疾患を発症して自殺に至ったものとは認められないとして,平成14年3月15日付けで公務外の災害であると認定した(以下「第一次処分」という。乙2の1)。P11は,この処分を不服として,地方公務員災害補償基金静岡県支部審査会に対して審査請求をしたが(乙3),同審査会は,平成15年5月13日付けで同審査請求を棄却する旨の裁決をし(乙4の1),同裁決は,同月15日にP11の代理人弁護士に通知されたが(乙4の2),P11は地公災法所定の30日の期間内に地方公務員災害補償基金審査会に対する再審査請求をしなかった。

イ その後,原告は,平成15年8月18日,被告に対し,第一次処分にかかる請求と同じく,P1の自殺は,同女が勤務していたβ小学校における養護学級担任の教諭としての公務が過重となり,その精神的緊張及び重圧によってうつ病に罹患し,自殺念慮発作によって引き起こされたものであるとして,公務災害認定の請求(以下「本件請求」という。)をしたが(乙5),被告は,平成15年10月9日付けで同請求は認められない旨の本件処分をした(甲1)。

原告は,本件処分を不服として,同年11月11日,地方公務員災害補償基金静岡県支部審査会に対して審査請求をしたが(乙6),同審査会は,平成16年3月10日付けで同審査請求を棄却する旨の裁決をした(甲2,乙7)。原告は,さらに,同月22日,地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求を行い(甲3),その後3か月を経過しても同審査会の裁決はなかったため,本件訴えを提起した。

3  争点

(1)  本案前の争点

原告の本件訴えは第一次処分の不可争力との関係で適法か。

(2)  本案に関する争点

P1の自殺と公務との間に公務起因性(相当因果関係)があるか。

第3争点に関する当事者の主張

1  争点(1)(本件訴えの適法性)

(1)  被告の主張

ア 原告からの本件訴えを適法なものであると認めることは,法が行政処分の効力は法定の不服申立期間経過後は争えないものとし,取消訴訟について出訴期間を定めた意味を無にするものであるから,許されないというべきである。その理由は,次のとおりである。

行政処分の不可争力が認められる根拠は,公定力によって仮に通用してきた行政処分の効力を法定の不服申立期間経過後は終局的に通用させようとすることにある。したがって,第一次請求者であるP1の父親であるP11に対して第一次処分(平成14年3月15日付け公務外認定処分)がなされて,これに不可争力が生じたにもかかわらず,新たな事実の発見など特段の事情がないのに,その数か月後に,請求者をP1の母親である原告に代えただけで,第一次請求と全く同じ内容の公務災害認定請求を許容することは,第一次処分に不可争力を認める現行法制度の趣旨に反するものである。

すなわち,実質的には,P11の公務災害認定請求と原告の公務災害認定請求とは全く同一の内容であるところ,P11に対して平成14年3月15日付けでなされた公務外認定処分については,既に不可争力が生じ,処分の効力を争えなくなっている。それにもかかわらず,原告は,本件取消訴訟を提起することにより,P11に対する処分と矛盾する内容の行政処分を求めているのであり,このような訴えは,第一次処分に不可争力を認める現行法制度の趣旨に反するものである(本件災害が,P11に対する関係では公務外の災害となり,原告に対する関係では公務上の災害となるということは,理論的にもあり得ないはずである。)。

また,原告からの再度の公務災害認定請求に対する公務外認定処分に対して取消訴訟を認めることになると,行政処分の取消訴訟について出訴期間を設けたことの意味が失われてしまう。

以上の理由により,本件取消訴訟は許されないから,原告の本件訴えは却下すべきである。

イ この点,原告は,地公災法に基づく遺族補償年金の受給権が父母それぞれにあることから,その一方に対して公務外認定がなされ不可争力が生じたとしても,他方の権利が奪われることはない旨主張する。

しかしながら,地公災法に基づく遺族補償年金の請求であっても,地公災法施行規則31条1項は,代表者を選任することができないやむを得ない事情のない限り,「遺族補償年金を受ける権利を有する者が2人以上あるときは,これらの者は,そのうちの1人を遺族補償年金の請求及び受領についての代表者に選任しなければならない。」と規定して,受給権者らが足並みをそろえることを要求している上,本件で原告及びP11が求めたのは,本件災害が公務上か否かであって,発生した受給権の額と帰属とが問題となる遺族補償年金の請求の可否と異なり,P11にとって公務外の災害が,原告にとって公務上ということはあり得ないから,公務上外の認定処分は理論上一つの処分であると考えざるを得ないのであって,原告の再度の公務災害認定請求は紛争の蒸し返しといわざるを得ず,これに不可争力を及ぼすことは何ら不当なものではない。

また,原告代理人とP11の代理人が同一であることからも明らかなとおり,P11の公務災害認定請求は,原告の了解の下に行われているのであり,P11が上記請求において原告に不利益な活動を行った等の特段の事情が窺われない本件においては,原告とP11は実質上一体と解されるのであって,この点でも,原告の上記主張は認められないというべきである。

(2)  原告の主張

被告は,本件訴訟が,P11がした公務災害認定請求に対する公務外認定処分に生じた不可争力に抵触するものであり,却下されるべきであると主張しているが,以下の各点に照らせば,これが失当であることは明らかである。

ア 被告の主張は条文解釈上成り立たないこと

(ア) なるほど,行政処分に不可争力が認められ,かつ,その趣旨が,公定力によって仮に通用してきた行政処分の効力を法定の不服申立期間経過後は終局的に通用させようとすること,つまり行政法律関係の早期安定にあることは被告の主張するとおりである。

しかし,行政処分の不可争力なるものは,何も行政処分が「本質的に」「理論上当然に」有している効力などではない。そのことは,現在の行政法判例及び学説において異論なく承認されている。つまり,不可争力というのは,単に,法律上一定期間経過後は行政処分の効力を裁判(ないし行政上の不服申立手続)において争えないとされている(要するに出訴期間等の制限。行政不服審査法14条,行政事件訴訟法14条等参照)ことを,講学上の概念として言い換えたものにすぎず,その効力をどの範囲まで認めるべきかは,この制度の存在自体からは何ら導かれないのである。

(イ) そもそも,憲法31条は法の適正な手続を保障し,同法32条は国民に裁判を受ける権利を保障しているのであって,その結果,国民には行政の不法な行為に対して公正中立な裁判による救済を受ける権利が基本的人権として保障されている。そして,上記の「法の適正な手続」の保障の本旨は,国民が国から不利益な処分を受けるに際しては,十分な弁解防御の機会が与えられることを含んでおり(最高裁昭和37年11月28日大法廷判決・刑集16巻11号1593頁),その趣旨は,公務外認定処分のような行政法律関係にも当然に及ぶものである(最高裁平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁)。

これに対し,単に法律上の制度に止まる不可争力は,国民が行政庁の不法な行為を争う機会を制限するものであり,上記の(「法律」の上位規範である)「憲法」上の権利と強い緊張関係に立つことが明らかであるから,その効力はむしろ謙抑的に考えなければならない。

(ウ) 地公災法は,公務災害認定請求と遺族補償年金等の請求を一応別個のものとして規定しており,公務災害認定請求権は,第一次的には,ある公務員が被った災害が公務災害であるとの認定を求めるものであるが,それはあくまでも地公災法における各般の補償を受けるための手段に過ぎず,したがって,何人がこの認定請求権を有するかは,本体となる補償請求権(本件でいえば遺族補償年金等の請求権)が誰に帰属するかによって決まることとなる。

しかるところ,地公災法は,「遺族補償年金を受けることができる遺族は,職員の(中略)父母(中略)であって,職員の死亡の当時その収入によって生計を維持していたもの」(32条)と規定して,父・母という別個の法的人格者それぞれに遺族補償年金の受給権を認め,さらに,「遺族補償年金を受ける権利を有する者が2人以上あるときは,遺族補償年金の額は(中略)その人数で除して得た額とする。」と規定し(33条2項),複数の受給権者を一括して取り扱わないものとして,遺族補償年金が父母それぞれに別個独立に帰属していることを明らかにしている。

そして,このように,本体をなす遺族年金の補償請求権が父母それぞれに帰属する以上,その実現のための手段的な権利である公務災害認定請求権もまた,父母それぞれに独立的に帰属するのであって,その一方の認定請求に対し公務外の認定がなされ,これに不可争力が生じたとしても,他方の親が公務災害認定請求権を奪われるいわれはないというべきである。

すなわち,前記のとおり,父母それぞれに公務災害認定請求権が与えられながら,手続への参加が必ずしも制度的に保障されていない他人の手続を根拠に,その権利が奪われるとすれば,国民「各人に」適正手続を保障し,裁判を受ける権利を保障して,行政の不法な行為から救済される機会を保障した憲法31条,同法32条の趣旨に反することとなるのである。

(エ) 以上のような考え方は,法文に即して厳密に考えても十分正当性をもつものである。

この点,被告は,「遺族補償年金を受ける権利を有する者が2人以上あるときは,これらの者は,そのうち1人を遺族補償年金の請求及び受領についての代表者に選任しなければならない。」と規定する地公災法施行規則31条1項の存在を指摘するが,この規定は,法文上「遺族補償年金を受ける権利を有する者」として,権利の存在が確定している,つまり公務災害認定が既になされていることを前提に,年金等の請求や受領については代表者を定めるよう要求したものにすぎず,公務災害認定請求の段階についてまで代表者の選任を求めるものではない。そして,地公災法ないし同法施行規則上,公務災害認定請求そのものについて代表者の定めを要求する規定は全くない。

このことは,地方公務員災害補償基金業務規程(以下「業務規程」という。)を考え併せればより一層明確になる。

すなわち,業務規程は,公務災害認定請求と補償の請求とを別個のものとして規定しているところ,業務規程15条3項但書は,遺族補償年金の請求の際に併せて公務災害認定請求がなされた場合には,一定の書類の省略を認めているが,「代表者の選任」に関する書面の省略は認めていない。仮に,公務災害認定請求そのものについても代表者の選任を求めるのであれば,遺族補償年金の請求に関しても代表者選任についての書面の省略が認められてよいはずであり,そのような省略が認められないことに,地公災法ないし同法施行規則が公務災害認定請求について代表者の選任を要求していないことが端的に現れているというべきである。

(オ) 制度の運用においても,そもそも遺族全体が足並みをそろえて公務災害認定請求をすることなど予定されていない。すなわち,公務災害認定請求書(甲6)には,公務災害認定請求に際して添付されるべき資料の記載があるが(甲6の「添付する資料」欄),ここには「代表者を選任した旨を証明することができる書類」のような記載はないし,現にP11がそのような書面を添付したこともなければ,要求されたこともなかったのである。

このように,地公災法は,遺族補償年金の受給権が既に確定しているような場合には,同年金の受け渡しそのものについては受給者側の窓口を一本化するという専ら事務手続上の便宜を図る目的で上記規定を置き,他方で,公務災害認定請求権のような,より根本的な事柄については代表者の選任というような一本化を制度として設けず,個々の権利者において,個別に請求することを認めているのである。

イ 被告の主張は,公務災害であるか否かという客観的「真実」と公務災害認定という主観的な意思表示を混同するものであり,不当であること

被告は,「本件災害が,P11に対する関係では公務外の災害となり,原告に対する関係では公務上の災害となるということはあり得ないから,公務上外の認定処分は理論上一つの処分である」と主張し,これを前提に,P11に対する第一次処分の不可争力により本件訴訟は遮断される(つまり,本件訴えを却下すべきである)と主張する。

なるほど,ある公務員の受けた災害が公務上か否かは,「客観的な真実」としては一つの結論しかあり得ず,それゆえ,P1の受けた災害がP11にとっては「公務外」であり,原告にとって「公務上」ということは「客観的な真実」としてはあり得ない。

しかしながら,P11に対する公務外認定処分は,行政庁が本件災害を公務外と「認定」したという「意思表示」に過ぎず,たとえこの処分に不可争力が生じたとしても,それはP11自身は本件災害が公務外であることを手続上争えないというだけのことであり,「何人に対する関係でも」公務外ということが「真実とみなされる」わけではない。

そして,原告の公務災害認定請求に対して,被告が公務上と認定するか公務外と認定するかは,まさしく被告の「認定判断」という意味では「主観的」なものに過ぎない。たとえ,P11と原告が全く同じ主張・証拠を提出したとしても,被告は,P11に対する処分とは異なり公務上の認定をすることに理論上何の障害もない。公務上外の認定は極力「客観的」であるべきだとしても,本件のような事実関係の複雑な事案においては,行政庁において熟慮の上先のP11に対する処分と原告に対する処分とが別異になることは当然にあり得るし,またあらねばならないのである。被告がそのようなことはあり得ないと強弁するならば,それは「客観的認定」と「機械的認定」とを混同するものであり,適正妥当な公務災害認定をすべきものとした地公災法の趣旨に,明らかに反することとなる。

その意味で,被告の主張は,P11に対する公務外認定処分の不可争力が原告にも及ぶ(そのため,原告は本件災害を公務上のものと争えなくなる結果,原告にとって本件災害が公務外であることが「真実」とみなされるような外観を呈する。)という,いわば「結論の先取り」を認めて初めて成り立ち得るものに過ぎない。

以上のとおり,被告の上記主張は,本件災害が公務上か公務外かという「客観的な真実」と,これに対する行政庁の「認定判断」という主観的な作用とを混同したものであり,理論的に誤っているというべきである。

2  争点(2)(公務起因性の有無)について

(1)  原告の主張

ア 精神疾患による自殺案件の公務起因性の判断基準

(ア) 地方公務員災害補償制度(以下「地公災補償制度」という。)について

地公災補償制度は,労働災害補償制度と基本的性格を同じくするものであり,沿革的には責任保険として出発したが,その後の改正等により,生活保障重視による保障の充実拡大がなされ,現在では労働権・生存権の保障を基本理念とするに至っている。

すなわち,地公災法1条に,「この法律は,(中略)地方公務員等及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする。」とあるのは,地公災補償制度が,生活保障,生存権,勤労権を重視した法定救済制度であることを示すものである。

(イ) 公務起因性の判断について

地公災補償制度の上記のような趣旨からすると,公務と疾病との間の因果関係(公務起因性)は,民事損害賠償制度における相当因果関係よりも緩やかに解すべきであり,積極的に被災者を救済する姿勢,すなわあち疑わしきは被災者救済のためにという姿勢で運用すべきである。

具体的には,公務が原因となってうつ病を発症した上,うつ病の症状である自殺年慮から自殺に至った場合には,当該自殺と公務との間の相当因果関係を認め,当該自殺には公務起因性があるものと解すべきである。

そして,この場合,うつ病の発症が公務による負荷を唯一の原因とする必要はなく,公務による負荷が他の原因と共働原因となって,うつ病を発症もしくは増悪させたと認められる場合にも,公務起因性が認められるべきである(共働原因説)。とりわけ,うつ病の発症については,状況因と個体側の要因が密接不可分に結びついていることを考えれば,公務による負荷と個体側の要因を切り離してどちらが原因であるかを論じることは誤りというべきである。

(ウ) 仮に共働原因説によらない場合にとるべき判断基準

うつ病の発生メカニズムについては,未だ十分には解明されていないが,現在の医学的知見によれば,精神破綻が生じるか否かは,環境由来のストレスと個体側の反応性,脆弱性(個体側の要因)との関係で決まり,ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起きるし,逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生ずるとする「ストレス-脆弱性」理論が合理的であるとされている。この「ストレス―脆弱性」理論は,「病的エピソードは,脆弱性と生活上のストレスとの相関関係によって起きる」とする考え方であり,病的エピソードが起きる原因を,外因,内因,心因の三分説のように脆弱性か生活上のストレスかの二者択一で決めてかかる考え方を否定し,克服する考え方である。

このような「ストレス―脆弱性」理論の正しい理解を前提とすれば,業務(公務)とうつ病の発症・増悪との間の相当因果関係を判断するに当たっても,発症前の業務内容及び生活状況並びにこれらが労働者に与える心理的負荷の有無及びその程度,さらには,当該労働者の基礎疾患等の身体的要因や,うつ病に親和的な性格等の個体側の要因などを具体的かつ総合的に考察した上で,これをうつ病の発症・増悪の要因等に関する医学的知見に照らし,社会通念上,当該業務が労働者の心身に過重な負荷を与える態様のものであり,これによって当該業務にうつ病を発症・増悪させる一定程度の危険性が存在すると認められる場合には,業務とうつ病の発症・増悪との間の相当因果関係を肯定するのが妥当である。

そして,社会通念上,当該精神疾患を発症・増悪させる一定程度以上の危険性の有無については,企業に使用される労働者の性格傾向が多様なものであることに照らし,被災労働者とその家族・遺族の生活の補償を主たる目的とする労災補償制度の趣旨に鑑みて,同種労働者(職種,職場における地位や年齢,経験等が類似する者で業務の軽減措置を受けることなく日常業務を遂行できる健康状態にある者)の中でその性格傾向が最も脆弱である者(ただし,同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の者)を基準とするのが相当である。そして,「同種労働者の中でその性格傾向が最も脆弱である者を基準とする」ということは,被災労働者の性格傾向が同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り,当該労働者を基準として,当該業務に「社会通念上,当該精神疾患を発症・増悪させる一定程度以上の危険性」があったか否かを判断すればよいこととなる(名古屋地裁平成13年6月18日判決・労働判例814号64頁)。

この点,被告は,「原告のような見解をとると,本人が当該公務に強いストレスを感じれば,たとえ同種労働者にとってはうつ病を発症させるほどのストレスがない場合でも,常に公務災害ということになってしまうが,このような場合にまで納税者の全額負担で手厚い補償を行うということは,災害補償制度の趣旨に全くそぐわない。」と主張するが,原告の上記見解は,「被災労働者の性格傾向が同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り,当該労働者を基準とする」というものであって,全く無限定に,当該被災者本人がどのような性格傾向や健康状態であろうとも,本人が感ずるままに業務(公務)の過重性を捉えればよいとしているわけではないから,被告の上記批判は当たらないというべきである。

イ 本件の公務起因性

(ア) P1の性格傾向

P1については,几帳面で一つのことにとことん取り組むタイプであったとの評価もあり(甲32),うつ病親和的な性格であったようにも思えるが,一方で,平成8年10月の健康診断(甲28の1)では,ストレス耐性は「良好」とされ,性格もタイプB1「のんき」に分類され,平成11年7月の健康診断(甲28の2)においても,ストレス耐性は「普通」であり,性格もタイプB2「社会の価値観にしばられない」に分類されており,通常人の範ちゅうを超えるものでは決してない。

(イ) P1の健康状態

平成10年度の定期健康検診(甲28の2)によれば,ほとんどの項目で「A」とされており,健康面での不安は全くなかった。体力測定でも実年齢よりも約10歳若く評価され,「A」となっている。また,P1は,登山や旅行を趣味としており,南アルプスをはじめとする国内の山々はもとより,ヨーロッパアルプスなど海外の登山も経験していた(甲35,57〔枝番号を含む。〕,148ないし150)。したがって,P1にその年齢以上の体力があったことは優に認められる。

(ウ) P1の業務の過重性等と発症の経緯

a 教職員の勤務実態と障害児教育の特殊性,困難性

(a) 教職員一般の勤務実態

そもそも教職員一般の勤務実態・健康状況の特徴として,休憩時間が確保されない過密・連続勤務であり,教職員自身が身体疲労を感じながら懸命に仕事をしている点を指摘できる。

これは,持ち帰り仕事や休日勤務が多く,肉体的に慢性疲労を引き起こしやすいこと,仕事の内容として,未成年の子供に接することで対人ストレスを受け続けること,子供相手の仕事であるため,機械的な労働時間の割り振りができず,自分で働き方を決められないことからの拘束感が強いこと等が原因であると思われる。

統計的にみても,職務における過重なストレスからうつ病などの精神疾患で休職を余儀なくされた教職員の数は,近時驚くほど激増している。すなわち,全国の公立小中高の教職員の中で,平成16年度の病気による休職者数は6308人で,そのうち精神疾患による休職者は3559人(病気休職者比56.1パーセント)であったが(甲132),最近発表された文部科学省の調査結果によれば,平成17年度には,その数は前年度比619人も増え,過去最多の4178人に上った。これは,10年間で約3倍の急増であり,病気休職者比も平成8年度の37パーセントから60パーセントに急増している。その背景として,文部科学省も「多忙や保護者・同僚との人間関係など,職場の環境が年々厳しくなっていることが考えられる」とコメントせざるを得ない状況である(甲154,155)。

このように,そもそも教職員の職場環境自体がうつ病等精神疾患を多発させる厳しさがある中で,障害児教育,特にP1が携わっていた障害児学級における教育については,更に次のような特殊性・困難性等が指摘できる。

(b) 障害児教育において求められる専門性等,障害児教育特有の職務の困難性まず,障害児教育においては,医学・心理学・社会保障学・社会福祉学等の諸科学において解明されてきた事柄の,少なくともその基礎的部分については正確な知識を持つ必要があり,その教育に携わる教員にも本来高い専門性が求められている。

また,障害児教育は歴史が浅いために,例えば,子供に合った教科書がなく,教師が独自に教材開発をしなければならないといった,「ハウ・トゥー」的技術では対応できない実践上の困難性が存在する。

さらに,子供1人ひとりの発達・障害・個人差の違いが大きいため,教師が1人ひとりの子供を理解するために,1学期,1年という時間が必要な場合もある(甲118)。

b 障害児学級における職務の特殊性,困難性

以上のとおり,障害児教育一般には高い専門性,オリジナルな教育実践上の工夫が求められるところ,普通学校における「障害児学級(養護学級)」では,更に以下のような職務の特殊性,困難性を指摘することができる。

(a) 普通学校は,普通学級中心に運営がなされていること

まず,養護学級が普通学校内に設置されていることによる難しさがある。

普通学校においては普通学級を中心に学校運営がなされ,学習内容においても,学校行事においても,障害を持たない子供を前提に予定が組まれている。そのため,養護学級の教諭は,このような学校運営の中で,養護学級及びその児童の「居場所」を確保するべく調整を図る必要が生じる。例えば,「運動会」「遠足」といった学校行事がある場合,そもそも当該行事に参加するか否か,参加するとしてどの程度関わるか,どのようなフォローが必要かという点まで担任教諭は配慮しなければならない。時には,普通学級の児童から養護学級在籍児童に対する心ないいじめが加えられることもあり,そのような子供同士の無理解を解消する必要も生じる。

さらに,養護学級,障害児に対する無理解は,児童のみならず教員の中にも存在することがある。前記のとおり,障害児教育は本来高い専門性を必要とする分野であり,それに携わらない一般教員には障害児教育の特殊性を理解し得ない部分があるため,そのような無理解との摩擦を解消していく必要も生じるのである。

(b) 養護学級担任の孤立

一般教員に障害児教育の特殊性をなかなか理解してもらえないところから,同僚教員の中で養護学級担任の教諭が孤独感を感じざるを得ない場合もある。本来,高い専門性が求められる教育内容であるにもかかわらず,障害児教育について特段の前提知識や経験を有せず現場に飛び込んでいかざるを得ない教員にとって,養護学級担任同士の情報交換,励まし合いといったコミュニケーションは不可欠である。ところが,養護学級担任の数自体が少ない上,本件のように,一校につき養護学級が一つしかない場合,養護学級の教諭は孤立無援といった状態に陥りやすい。

(c) 親に対する配慮

また,児童の親との関係にも慎重な配慮が必要とされる。一般的に,障害児の親は,苦渋の決断の末,子供を養護学級へ入級させることが多く,入級後も子供の成長,学校教育に対する関心,期待感には並々ならないものがある。そのため,親との関係で生じる担任教師のプレッシャーも普通学級のときとは比べものにならないほど大きく,担任教師が親と信頼関係を築くことができれば,それは大きな収穫であるが,それができないと逆に大きな負担となる。

c P1の職務における更なる特殊性,困難性

さらに,P1のβ小学校における職務は,障害児教育一般の困難さに加え,P1自身が養護学級担任になってわずか2年目と経験が浅かったこと,それにもかかわらず転任したばかりのβ小学校において,新設の養護学級を任され,同学級の立ち上げとその運営を軌道に乗せるという極めて重い職責をP1一人で担っていたものである。

d 本件体験入学以前にP1が受けていた職務上の精神的負荷

(a) γ小学校からβ小学校への不本意な転任

P1は,平成10年度にγ小学校で養護学級を初めて担任し,児童指導上大きな成果を収め,保護者との信頼関係も一年がかりで築き上げており,本来であれば,次年度もそのまま持ち上がりで同学級を担任するはずであったのに,平成11年4月,不本意にもβ小学校への異動を余儀なくされた。P1は,このような不本意な気持ちをずっと引きずっていたわけではなかったものの,本件体験入学に至る出発点はこのような不本意な異動にあったわけで,後にP1が受けることになる体験入学での精神的負荷の質や量に,この不本意な異動によって受けた精神的負荷も多いに関係しているとみるべきである。

(b) 就学指導委員からの排除

就学指導委員会は「より適切な就学指導を行うため」に設置され,「教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の心身の故障の種類,程度などの判断について調査及び審議を行う」ところであり,特殊教育の対象者であるか否かの判断だけでなく,どの学校のどの学級で,どのような教育を受けるのが適切かの判断もすることになるため,直接子供との関わりを持っている地域の障害児学級担任を同委員会の委員に任命するのが通常である(甲118・11頁)。

ところが,P1は,平成11年4月からβ小学校の養護学級を担任していたにもかかわらず,αの就学指導委員会の委員に入っていなかった。しかも,P1がそのことを知ったのは平成11年6月に入ってからのことであり,P1はそのときの心境を「6月 町の就学指導委員からはずされていることがわかる(中略)ショックを受ける。」とノートに書き綴っている(甲64・3枚目)。

e 本件体験入学の異常性

(a) 体験入学の本来的目的・趣旨

本来,体験入学は,就学や教育措置を前提とした教育相談の実施主体たる教育委員会,及び教育委員会の教育措置決定に必要な調査及び審議を行うために設置される就学指導委員会のもとで,あくまで就学指導という純教育的目的で実施されるべきものである。

しかしながら,本件でP1が担うことになった体験入学は,以下のとおり,上記のような本来の目的とはかけ離れた動機,思惑から実施されたものであり,これを担わされたP1には極めて重い精神的負荷がかかることになった。

(b) 本件体験入学の異常性

① 問題の発端,契機の異常性

一般に,体験入学は児童の保護者からの何らかの希望が発端・契機となって実施に至るものであるとしても,本件では,当該児童の就学場所として養護学校と養護学級のどちらが良いかを見定めるためではなく,法的措置により児童養護施設に入所している子供を自宅(親元)に返してもらいたいとの親の要求が出発点であり,これが親元に近い普通学校の養護学級に通学させたいとの希望につながったものである。

したがって,親元に返す,つまり法的措置としての入所措置を解除すべきか否かの判断が,それを判断すべき主体の児童相談所側でまずなされるべきであって,その判断の結果として解除すべきでないとの結論になれば,本件体験入学は,そもそも実施されるはずがなかったのである。

② 手続及び責任主体の異常性

本件体験入学は,その発端・契機が上記のとおりであったため,本来は教育委員会及び就学指導委員会のもとで企画され,実施に至るはずであるところ,本件では,上記教育委員会及び就学指導委員会とは無関係な養護学校及び児童相談所関係者の間で実施の方向性が先に決められ,教育委員会や就学指導委員会はこれに従わざるを得ないという流れで実施されたものである。

この点については,後日(平成13年1月4日),児童相談所自身が,「昨年度の体験入学企画の際には県が全面に出過ぎたきらいがあり,学校サイドの責任の所在が不明確になったことの反省を踏まえて,責任分担をはっきりさせるため,今回の就学先の決定に際しての話し合いについてはε養護学校,α教育委員会等学校サイドに中心になってもらう。」と述べている(甲101の2・7頁)ことからしても,その異常性は明らかである。

③ 実施期間の異常性

一般に体験入学について決まった期間はないものの,通常は,半日から1日,長くて3日であり,本件のような2週間という期間はこれまでに例のないことである(甲118・14頁)。

しかも,当初,養護学校の方からは,本件体験入学を1か月ないし2か月というなるべく長期間実施してほしいとの要請があったというのであり(乙18・5頁),これはどう考えても異常である。そして,このことは,本件体験入学の実施が,教育委員会側の教育的動機や目的によるものではなく,児童相談所側が児童を親元に返してよいか否か,すなわち入所措置という法的措置を解除してよいか否かを,とりあえず解除しないまま事実上親元に戻して様子をみて判断するために,β小学校への体験入学という方法を利用しようとしたからにほかならない。

その上,さらに問題なのは,受け入れざるを得なかった教育委員会及びβ小学校側では,既に体験児童の転入は無理であるとの判断がついており,したがって,本件体験入学の実施は「親に諦めさせる」ためであったにもかかわらず,そのような不当な目的での体験入学を2週間も続けたことである。

(c) 本件体験入学のための「支援体制」なるものの問題性

① この点,被告は,原告に対する公務外認定通知書(甲1・7頁)において,「本人(注・P1のこと)一人に負担がかからないように体験入学期間中も校長,教頭をはじめとする教師が誰かしら授業に参加することとし(観察しているだけではなく,子供たちに声をかけたり一緒に指導を伴う立場で),児童の親も参観に来ていた。また,対象児童(注・体験児童のこと)の在籍している県立ε養護学校ζ分教室やα教育委員会,児童相談所からも職員が応援に来ており,授業中に本人が一人きりになるようなことはほとんどなかった。」と主張し,「このように本人は,体験入学の期間中複数体制による支援を受けており,指導を行いやすい環境に置かれていたことが分かる。」と結論付けている。

② しかしながら,上記「支援体制」なるものは,β小学校側が積極的に用意したものではなく,P1の必死の働きかけにより何とか実現したものであって,かかる体制を組ませること自体が,P1には大変な苦労だったはずである。

③ また,この「支援体制」は,以下の諸事情に照らせば,決して万全な措置ではなく,不確定,流動的で,責任の所在も曖昧な体制でしかなかったことは明らかである。

(i) 体験入学期間中の助勤体制について,全体の四分の一程度しか事前の人選はされていなかった(甲29・1頁)。

(ii) また,助勤体制表(甲29・1頁)の右下「留意事項」の欄に「全職員が1回は1組の養護教育を体験する。」とあるが,誰がいつ何の授業にかかわるか事前に決まっていたわけではなく,その時間にたまたま手が空く者が入れ替わり立ち替わり「観察」「体験」するというものであった。

(iii) 実際に体験入学の助勤に入った教職員においても,事前の打ち合わせ等がなかったため,何をすればよいのか分からないまま助勤に入るというような状態であった(甲29・23頁)。

(d) さらに,本件体験入学では,障害児にとって一番してはいけない,保護者や外部の関係者(教育委員会や児童相談所関係者)が授業に加わる体制をとったため,本来あるべき障害児教育が成り立たず,在籍児童及び体験児童の精神的不安定さを助長させ,そのことによってP1自身も多大な精神的負荷を受けるに至っている(甲118・22,23頁,証人P12・21項)。なお,上記のような体制づくりはP1の要求によるものであるが,このような体制づくりが含んでいる大きな問題に,わずか2年の障害児教育の経験しかなく,しかも孤立無援の中で何とかしようと体制づくりに奔走していたP1が思い至らなかったことに無理はないというべきである。

(カ) 本件体験入学実施中の出来事がP1にもたらした精神的過重負荷

a 学級崩壊状態による精神的過重負荷

本件体験入学実施中にP1が受けた精神的過重負荷に関連する在籍児童P2,同P3及び体験児童(以下,まとめて「3人の児童」ということがある。)の様子とP1の対応については,次のとおり指摘することができる。

(a) 体験児童は,2日目には,姉のきつい言葉に不安定となり,学校では落ち着きがなくなる。3日目は休日2日を家で過ごした後だけに,危ない行動も出てくる。4日目にはおもらし,唾吐き,在籍児童P2とのけんか,他児童への噛みつきなど粗暴な行動。6日目には在籍児童P3ほか相手かまわずの粗暴行動,鶏小屋への逃亡・避難。10日目には疲れ,泣き,我慢限界。

(b) 在籍児童P2は,2日目に疲れ,拒否反応。3日目には自分の殻に閉じこもる状態。4日目放心状態。6日目我慢の限界,校長室へ避難し教室に戻れない。9日目,我慢が爆発。

(c) 在籍児童P3は,3日目でペースを乱す。4,5日目で不安定さが強まる。6日目には教室に戻れず,校長室避難。

(d) P1は,4日目ころまでは,3人の児童の関係をとろうと努力している。体験児童に関わると他の2人の子供に関われないと,3人の児童の間で板挟みになり,不安と苛立ちを感じる(3日目)。5日目には,不安が高まる。子供集団の壊れ,体験児童の障害がよく判らない,授業のリードなど本務とする指導が出来なくなる。体験児童の母親に対する呆れや不満が現れる。いわゆる学級崩壊といわれる状態。7日目には「興奮状態」と他教師の記録(甲29・41頁)にあるが,病的状態にあったと考えられる。

b 自閉的傾向があり,かつ保育園・幼稚園時代に体験児童からいじめられた経験のある在籍児童がいる教室に,暴力的行動障害のある児童を体験入学させたことによる特別の精神的負荷

P1は,本件体験入学前から現れた在籍児童P2の変化に胸がつぶれる思いであったはずである。また,自閉的傾向のある児童と行動障害のある児童にはそれぞれ個別の指導が必要であり,3人の児童の発達段階からしても,上記3人をP11人で指導することは客観的にみて困難であった。さらに,授業記録からみても,指導の困難性が明らかで,複数の大人たちが入れ替わり立ち替わりしたことは3人の児童に多くの刺激を与える結果を生じ,絶えず緊張感,不安感などで限界状態にあったこと,そうした中でP1は身も心も安まらなかったであろうことは容易に想像することができる(甲118・27,28頁)。しかも,障害児教育の経験が浅いP1にとって,行動障害と知的障害との違いを踏まえ,その行動が出てくる原因や背景も理解した上で,質の違うそれぞれの障害に適合した適切な対応をとることはできなかった(証人P12・31,32項)。その意味でも,P1が負った精神的負荷は格別に重いといえる。

c 在籍児童の保護者らから切実な中止要請がありながら続けられた本件体験入学による精神的過重負荷

P1は,本件体験入学実施中,学級内での子供たちの対応だけでも胸がつぶれる思いであったのに,さらには,在籍児童の保護者から再三にわたる中止要請を受け,P1がβ小学校のP13校長はじめ関係者にそれを取り次いでも何の反応もなく,そのことによる心労を自ら抱えながら,毎日の連絡帳の交換を通じて保護者を励まし続けていたのである。

在籍児童の保護者と常に親密な関係を保ち,その連携を重視してきたP1にとって,かかる保護者の切実な訴えがいかに重く切ないものであったか,その心中は察するに余りある。

d 体験児童の行動との関係のみで過重性をとらえる被告主張の誤り

被告は,本件体験入学がP1に与えた過重性を専ら体験児童の行動との関係のみで捉え,在籍児童2人にもたらした深刻な悪影響及びこれを目の当たりにした保護者の大きな不安,そのためにP1が抱え込んだ著しい精神的・肉体的負荷については,殊更これを無視している。単に体験児童と接した時間数のみをカウントしてその長短を論ずるだけでは,本件体験入学実施中の出来事の問題性は全く明らかにならない。

e 体験児童の問題行動を殊更低く評価する被告主張の誤り

また,被告は,本件体験入学実施中の体験児童の問題行動について,「幾つかの問題行動は見られたものの,障害のある児童の行為としてはありうる範囲の出来事であり,いずれも他の教員等が対応できる範囲のものであった。P1自身の記録を見ても,体験入学を中止せざるを得ないような大きなトラブルや事故は見当たらない。」と主張する。

しかしながら,体験児童にさしたる問題行動がなかったのは初日だけであり,2日目の1時限目には早くも荒れ始め,3日目もほぼ同様で,4日目には問題行動の最たる失便・失尿が生じ,その後は,日を重ねるごとに問題行動が増大して行ったのである。それは,もともと体験児童が通学していた養護学校においてであればともかく,P1が担任していた養護学級においては「幾つかの問題行動は見られたものの,障害のある児童の行為としてはあり得る範囲の出来事」として片付けられるほど生易しいものでは決してない。P1にとって何よりも大切なのは,自分のクラスの授業が,授業として成り立っているか否かである。問題行動の激しい多動性障害児を相手とする養護教育の訓練の場であればいざ知らず,誰よりも自分が責任を持たなくてはならない在籍児童のための教育の場において,そのための授業が成り立たないことが,教師にとってさしたる出来事でないはずがない。被告は,大きなトラブルや事故が見当たらないというが,そのようなことがあったらそれこそ一大事であり,大きなトラブルや事故が発生しかねない状況と不安の中で,そうならないよう苦労していたP1の精神的負荷の大きさにこそ目を向けるべきである。

(キ) 本件体験入学がもたらした身体的負荷の過重性

a 平成11年度年間計画における多くの役割や計画があった上に,本件体験入学実施に伴う役割と計画が同年11月ころから追加されたことにより,過重な業務がP1に負荷されたこと

もともとP1には,平成11年度年間計画に基づき多くの職務を有し,様々な出張等の予定が組まれていたところ(甲22・1ないし3頁),本件体験入学の話が持ち上がった平成11年11月ころから,事前に計画されていなかった体験入学による極めて多くの業務(事前準備・打ち合わせ・研修・計画立案・報告書作成等)が上記年間計画に加わることになった。これによってP1が負うことになった身体的負荷は相当大きかったことが窺える。

b 本件体験入学によりP1が受けた精神的ストレス・精神的過重負荷は前記のとおりであるが,体験入学が実施される約2週間前から体験入学の実施直後までの1か月間(平成12年1月5日〔水〕から同年2月6日〔日〕までの間)のP1の労働実態は以下のとおりであり,これによれば,前記精神的ストレス・心理的負荷のみならず,身体的・肉体的過重負荷(長時間過密労働)も相当程度あったことが窺え,これもうつ病の発症に大きく関わったとみるべきである。

(a) まず,3学期が始まった直後のこの時期は,次年度の教育課程編成のための検討会議が行われる。1年間の諸行事や教育活動全般について,成果と課題を明らかにしながら,新しい年度の教育課程を作る作業であり,いくつかの部会に分かれて,それぞれ分担された分野について検討を進めて行く。P1も,当然のことながら教護学級の運営及び養護教育の年間指導計画についての検討資料作りを行っていた。

(b) そうした会議等が集中する中で,学校内での登校指導(1月13日)や資源回収PTA奉仕作業(1月23日〔日〕)といった時間外・休日勤務があっただけでなく,本件体験入学実施に向けての様々な準備,例えば体験入学計画表(甲29)や体験入学時間割り(甲124)等を作成して教務会に提案したり,保護者への説明会(1月15日〔土〕)を行っていたのだから,それ以前の通常の勤務に比べると,この時期の仕事量は相当多く,自宅に持ち帰っての仕事も多かったであろうことは容易に察しがつく。

とりわけ,1月20日(木)からの体験入学実施期間中は,そのための特別の授業準備のみならず,詳細な記録作り(甲79)が必要であったところ,この作業は,帰宅後夜遅くまでかかったであろう自宅での時間外労働で対処するしかなかったのである。

(c) さらに,養護学級の場合,普通学級のように教科書を使って一斉に指導するというような授業はできない。児童が2人いれば,それぞれの児童の発達に見合った別々の教材を準備し,指導の手立てを考えなければならず,普段でも,日々の授業準備にはかなりの時間と労力を要する。その上,本件のように,養護学校から多動傾向という在籍児童らの障害とは異なる障害を持った児童を体験入学として受け入れるような場合には,与える教材の内容や指導の方法について様々な工夫が必要となる。このような授業準備というのは,成果物としては現れないものの,日々必要不可欠な仕事であり,これに相当の時間をかけていることは明らかである。しかるに,この間のP1の勤務状況を見ると,子供の下校後の時間には諸々の会議,研修,出張等が入っていることが多く,そのため上記のような授業準備も帰宅後に行っていたものとみられる。

(d) また,体験入学記録(甲79)の作成については,これが後日の検討のための資料となることから,正確を期すために,メモを見たり下書きをしながらまとめていったはずであり,これに相当の時間を要したであろうことは十分に窺い知ることができる。しかも,ワープロがあまり堪能とはいえないP1が,体調もあまり良くない(体験入学実施中から年休を取っている)中で上記記録をまとめていく作業には,かなりの時間がかかったものと推測される。

(e) P1が,週に1回,定期的に出していた公的な学級通信である「○○」の作成には,1週間分の学習計画とその内容を検討してこれを表にする作業と,その学習計画等に関連する様々な事務連絡を保護者に伝える記事を書く作業とが必要であって,被告が主張するほど簡単に作成できるものではない。

(f) 以上の各事情に照らし,P1の上記1か月間の時間外労働時間を計算すると,その合計は85.5時間にも上る。

d 精神的・身体的過重負荷の具体的な現れ

本件体験入学実施中にP1が受けた精神的,身体的過重負荷は,その間にP1に生じた次のような身体的変化に具体的に現れている。

(a) 体験入学5日目(1月26日)

体験児童がままごとの包丁を持ち出して在籍児童に対し,「殺すぞ」と言いながら追い回す状況を見て,あまりのことに驚いて注意の声が出ない(甲79・4頁)。

(b) 体験入学9日目(1月31日)

授業が全く成り立たない中で,胃が強烈に痛み出し,しばらく横になるも食事がとれず,掃除終了まで保健室で休まざるを得なかった(甲79・8頁)。

(c) 体験入学11日目(2月2日)

朝から喉が痛くてほとんど声が出ない状態であった(甲79・10頁)。

(d) また,P1は,体験入学の5日目(1月26日)以降,次のとおり頻繁に時間休を取らざるを得なくなっていた(甲2・44,45頁「休暇」欄)。

① 体験入学5日目(1月26日)  2時間

② 体験入学6日目(1月27日)  2時間

③ 体験入学9日目(1月31日)  2時間

④ 体験入学10日目(2月1日)  1時間

⑤ 体験入学11日目(2月2日)  3時間

(ク) 本件体験入学終了後の出来事がP1に与えた更なる精神的負荷

a 体験入学終了直後の平成12年2月7日に行われた在籍児童2名の発達検査において,在籍児童P2に関し,「担任の先生や母親からの聴き取りの中で,行事での太鼓やピストルの音・テレビやカセットが急になり出す・広報でのサイレン等などで強烈な不安が多く見られ,聴覚性過敏の傾向が一層明確になっているように感じます。また,集会や祭典等の人込みする場面の苦手さ,あるいは道順や水道の位置等へのこだわりも見られ,自閉症の症状を随所で感じます。」と指摘されており(甲94),体験入学実施中の出来事が在籍児童P2に対し悪影響を及ぼしたことは明らかである。そして,これは,まさしくP1が事前に懸念し,それ故に体験入学実施をやめてほしいと希望していた所為に他ならない。にもかかわらず,この懸念が現実化したことを知ったP1の心中は,察するに余りある。

b さらに,当初予定されていた本件体験入学に関する事後の報告,検討会が開催されなかったこともまた,P1に,多大の犠牲を払い,必死の思いでやり抜いた2週間の体験入学は何であったかと,暗たんたる思いを抱かせたに違いない。

c P1は,体験入学実施中にうつ病を発症させたと考えられるが,それが終了した後の上記のごとき出来事がP1に更なる精神的負荷をもたらし,その症状を更に進行・増悪させたことは明らかである。

ウ 結論

以上のとおり,P1にかかった公務による心身への負荷は,同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の労働者にとって,うつ病を発症させるに足りる程度の過度の負荷であったというべきである。

そして,P1は,昭和54年から本件災害が発生するまでの20年間,健康な労働者として職務を遂行してきたのであるから,上記の通常想定される範囲内の労働者に該当することは明らかである。

したがって,P1のうつ病発症は,公務と相当因果関係があり,このうつ病の結果,P1は自殺したのであるから,P1の自殺には公務起因性が認められるのであって,これを否定した本件処分は違法である。

(2)  被告の主張

ア 精神的疾患による自殺案件の公務起因性の判断基準

(ア) 地公災法における「相当因果関係」について

a 災害補償制度の趣旨

災害補償制度には,被用者の業務の遂行は使用者の支配管理下において行われ,その利益は使用者に帰属するのに対し,その行う業務には多かれ少なかれ各種の危険性が内在しており,使用者の支配管理下にある被用者には,その危険性を回避することが困難な場合もあることから,その危険性が現実化して被用者が負傷し又は疾病に罹った場合には,使用者に何らの過失がなくても,その危険性の存在ゆえに使用者がその危険を負担してその損失補償に当たるべきであるとの趣旨に出たものである。

b 災害補償制度の特質

災害補償制度には,①災害発生原因としての使用者の故意・過失を問わず(したがって,過失相殺もなく),②公務上と認定されれば災害の態様に関係なく定型的・定率的補償がなされ,③社会保障制度を上回る補償金額が支給され,④とりわけ地公災補償制度においては,補償を行うための費用は,租税をそもそもの原資とする地方公共団体からの負担金によって賄われ,地方公務員には,保険料負担が一切ない等の特質がある。

したがって,帰責事由に基づいて責任者及びその責任の範囲が判断され(過失相殺もある),賠償金額も個別具体的な公平の観点から妥当な額が認定される民事上の損害賠償責任における相当因果関係と,災害補償制度における相当因果関係を同一に論じることはできない。

c 相対的有力原因説が妥当であること

地公災補償制度においては,公務に起因するかしないかにより100パーセントの補償が受けられるかどうかが決まるが,公務が幾らかでも寄与すれば100パーセントの手厚い補償を行うということは,地公災補償制度にはなじまない。死亡事案においては総額1億円以上にも上る手厚い補償がなされる場合もあるが,これが最終的には納税者の全額負担で賄われることの妥当性を確保するためには,公務遂行上の怪我や,職業病の場合と同様に,公務の大きな寄与度が認められなければならない。

地公災法施行規則別表第一が,包括疾病について,各種の職業病と併記した上で,「ハ 前各号に掲げるもののほか,公務に起因することの明らかな疾病」と規定しているのも,このような考えに基づくものである。

特に,精神疾患や脳・心臓疾患の場合には,公務遂行上の怪我や職業病と異なり,もともと被災者が有する素因や基礎疾患をベースとして発症するという特質があるにもかかわらず,公務遂行上の怪我や,職業病の場合と全く同様の手厚い補償を納税者の全額負担で行うのであれば,これを是認するだけの合理性がなければならない。

すなわち,精神疾患の場合についていえば,もともと被災者が有していた素因や,私生活上の様々な問題(傷病苦,経済問題,家族問題,異性問題,交友関係等)に起因する心因等,公務以外の発症要因を考慮してもなお,公務の側に100パーセントの危険責任を負担させるのが相当であると評価できる場合でなければならない。

したがって,数多い原因のうちの一つである公務に100パーセントの危険責任を負担させるだけの合理性を担保するためには,少なくとも,公務が災害を引き起こすその他の要因との関係で相対的に有力な原因であったと評価できることが必要というべきである。

(イ) 誰を基準に公務起因性を判断するか

a 同種公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員を基準とすべきこと

精神疾患による自殺につき,誰を基準に公務起因性を判断するかが問題となるが,公務起因性判断の客観性を担保するためには,「当該職員と同種の公務に従事し,又は,当該公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員」にとって,当該公務が過重であったか否かを判断しなければならない。

また,当該職員本人が当該公務をどのように受け止めたかではなく,当該職員と職種が同等程度の職員との対比において,同等の立場にある多くの者が一般的にはどう受け止めるかという客観的な基準によって評価すべきである。

b 原告の主張とこれに対する反論

この点,原告は,名古屋地裁平成13年6月18日判決・労働判例814号64頁を引用し,「同種労働者の中でその性格傾向が最も脆弱である者(ただし,同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の者)を基準とするのが相当である。」と主張する。

しかしながら,現在の精神医学界においては,個体の脆弱性の程度を判断する手段・方法は確立されておらず,そうだとすれば,性格傾向の多様さが通常想定される範囲かどうかを判断することはできないはずである。まして,「同種労働者の中でその性格傾向が最も脆弱である者」というのは,具体的にはどのような者を指すのか想定するのさえ困難であって,公務起因性の判断基準としては全く不明確であり,結果的に本人基準説と変わりないものとなってしまう。原告が,体験入学が「P1にとってどれだけ強いストレスをもたらしたか」ということを一貫して問題としているのは,このことを端的に示すものである。

そして,原告のような見解をとると,本人が当該公務に強いストレスを感じれば,たとえ同種労働者にとってはうつ病を発症させるほどのストレスがない場合でも,常に公務災害ということになってしまうが,このような場合にまで納税者の全額負担で手厚い補償を行うということは,前述した災害補償制度の趣旨に全くそぐわない。

したがって,原告の上記主張は採り得ないというべきである。

(ウ) 結論

以上によれば,精神的疾患による自殺案件における公務起因性の判断基準としては,「業務と精神障害の発症との相当因果関係の存否を判断するに当たっては,ストレス(業務による心理的負荷と業務以外の心理的負荷)と個体側の反応性,脆弱性とを総合的に考慮し,業務による心理的負荷が,社会通念上,客観的にみて,精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合には,業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして,当該精神障害の業務起因性を肯定することができるものと解すべきである。これに対して,業務による心理的負荷が精神障害を発症させる程度に過重であるとは認められない場合には,精神障害は,業務以外の心理的負荷又は個体側要因(もともと顕在化していたもののほか,潜在的に存在していた個体側要因が顕在化したものを含む。)のいずれかに起因するものといわざるを得ず,業務の過重性を理由として精神障害の発症につき業務起因性を認めることはできないというべきである。」とした東京高裁平成16年9月30日判決(乙15)の基準によるのが適切である。

イ P1の自殺に公務起因性がないことについて

(ア) P1の従事した通常業務に過重性がないことについて

a P1が担当した養護学級は通常より負担の軽いものであったこと

(a) 担当した児童数

P1は,平成11年4月からβ小学校の養護学級の担任となったが,P1が担当した児童は,在籍児童P3と同P2の2人であり,いずれも1年生であった。

養護学級(特殊学級)の学級編成の標準は1学級当たり8人とされており(乙13),実際にも,平成12年度における静岡県内の小学校の養護学級295学級のうち,児童数4人以上の学級が,全体の6割近い166学級であったことに照らしても(乙25),P1が担当した児童数は通常の半分程度に過ぎなかった。

(b) 担当した児童の障害の程度

在籍児童P3及び同P2の発達レベルは,養護学級に通う児童の中では決して低い方ではなく(甲76,93,94),普通学級の児童より学力が少し劣る程度で,生活面ではそれほど困ることはなかった(乙18・2頁)。

(c) 1週間の授業時間割り

P1が担当した養護学級の1週間の授業時間は,創意の時間を含めて合計26時限(1時限は45分間)で,その時間割りを見てみると,1時限目は全て「なかよしタイム」であり,この時間は,朝の会や読み聞かせ,運動遊び等に充てられていた(甲122,124参照)。この他には,算数5時限,国語5時限(このほか書写が1時限ある。),体育3時限が主なものであった。

5時限目に授業があるのは,月曜日,火曜日,金曜日の週3日に止まり,しかも5時限目の授業は,音楽,創意のような児童に負担の少ない科目であった。

障害があるとはいえ,わずか2人の児童を相手に,以上のような科目を教えるのであるから,普通学級の教員が通常は30ないし40人の児童を相手により長時間の授業を担当し,30ないし40人の児童についてテスト・採点・成績評価等も行うことと比較すれば,P1の授業及びこれに関連する業務の負担は決して重くはなかったはずである。

また,普通学級の教員は,通常は30ないし40人の児童を受け持つが,家庭環境に問題を抱えた児童や児童同士のトラブルが少なくない上に,学習面や行動面で著しい困難を示す児童が一学級に2,3人はいるのが普通であるから(乙12,証人P13・35ないし38項),普通学級の教員の方が,これらの健常児と軽度障害児を相手にクラス運営を行わざるを得ない点で,むしろ負担は重いといえる。

(d) 十分な手持ち時間があったこと

P1の勤務時間は,平日は午前8時から午後4時45分まで,土曜日は午前8時から午前12時までであった(証人P13・17項)。

職員会議は,1,2か月に1回の割合で,水曜日の午後3時ころから午後4時45分ころまで行われており,職員会議がない水曜日は,上記の時間帯に職員研修を行っていた(乙35)。

また,着任式・遠足下見・講演会・研修会等の出張が入ることも月に何回かはあったが,これらの出張は,最も多い平成11年4月でも4回,最も少ない同年7月は1回であった(甲22の「平成11年度4月~(出張)」と題する書面参照)。

P1の担当した養護学級の児童は,水曜日及び木曜日が午後2時前後,それ以外の平日は遅くても午後3時ころには下校しているから(甲119,122参照),職員会議や職員研修のある水曜日の午後3時以降と,出張ないし学校行事がある日を除いても,1週間単位では相当な手持ち時間があった。少なく見積もっても,月曜日,火曜日及び金曜日は各1時間半,水曜日は職員会議までの1時間,木曜日は2時間半,合計で1週間8時間程度の手持ち時間は確保できたはずである。学級通信を発行していたといっても,1週間に1回程度,B4版1枚の簡単なものであり,しかもその右半分は時間割を載せただけの簡単な内容であるから(甲119,120,122の各「○○」参照),これを作成するのにさほど時間はかからない。P1が,手持ち時間に,授業の準備をしたり,学級通信を作成したり,2人の児童にかかるその他の諸事務を処理する時間は十分にあったはずである。

(e) まとめ

原告は,P1が転任したばかりの不慣れなβ小学校で新設されたばかりの養護学級を担任した負担を主張するが,公務員にとって転勤や新設された部署等に配属されるのはごく当たり前のことであり,全く土地柄の違うところへの転勤や,業務内容の変更も少なくないところである。

しかし,P1の場合は,同じ小笠郡α内のγ小学校からβ小学校への転勤であってこれまでの環境とほとんど変わりはないし,業務内容も同じであるから,負担というほどの負担ではない。これをもって負担というのであれば,転勤や業務内容の変更は一切できなくなってしまうのであって,原告の主張は理由がない。

しかも,P1がβ小学校で担当した児童数は,当時における静岡県内の養護学級における1学級の通常担当児童数の半分に過ぎない上,この2人は養護学級に通う児童の中では比較的障害の軽い児童であったことや,上記のような具体的な業務内容からすれば,P1がβ小学校で担当した業務は,通常の養護学級の担任よりも軽いものであった。

P1が休職中にその業務を引き継いだ養護教育について全く経験のない教員歴6年目の講師(45歳,女性)や,P1の自殺後に養護学級の担任になった新規採用の講師(23歳,女性)でさえ(甲2・23頁),特に問題もなく養護学級の運営を行っていたのである(証人P13・118,119項)。まして,P1は,平成9年度には級外として養護学級での授業を週3,4時間受け持ち,平成10年度は養護学級を担任し(甲2・16頁),平成11年度にβ小学校に転任するまで通算2年間の養護学級での経験を有していたのであるから,β小学校における業務内容は,通常であれば,何ら問題なくこなせる範囲のものであったと思われる。

b 時間外勤務について

(a) 本件災害発生前1年間において時間外勤務はほとんどなかったこと

本件災害発生前1年間の勤務状況において,P1は時間外勤務をほとんどしていなかった(甲16,32・9頁,証人P13・21項)。

(b) 体験入学実施約2週間前から体験入学実施直後までの1か月間の時間外勤務について

原告は,平成12年1月5日から同年2月6日までの1か月間にわたるP1の時間外労働時間が合計85.5時間あったと主張するが,同主張は,以下のとおり,客観的な証拠の裏付けがなく,またその内容も不自然,不合理なものであって,およそ認め難い主張である。

まず,原告は,P1が平成12年1月8日(土)及び1月9日(日)に「新春学習交流集会」に参加したとして,時間外勤務12時間を計上しているが,この集会は「全日本教職員組合」が主催したものであり(甲128),出張命令等に基づくものでもないから,およそ公務とは認められない。

また,原告は,1月15日(土)に,「在籍児童保護者打ち合わせ」として時間外勤務3時間を計上しているが,スケジュール表(甲127の一部)には,「養護学級保護者打ち合わせ 11:30」との記載しかなく,午前11時半に始まった打ち合わせが何時に終わったのか,はっきりしない。常識的に考えれば,養護学級1年生の母親であり,子供に昼食を食べさせる必要もあるから,打ち合わせが12時を多少過ぎることはあっても,それほど長時間の打ち合わせができるとは思えない。原告の主張では,この打ち合わせに午後3時までかかったことになり,余りに不自然である。

また,原告は,1月23日(日)に,「資源回収PTA奉仕作業」として時間外勤務4時間を計上しているが,この資源回収にP1が参加したことの証拠はないし,資源回収に4時間もかかったのか不明である。

さらに,原告は,P1が,帰宅後に,公務として作成すべき書類の作成に多くの時間を費やしたと主張するが,帰宅後の時間外勤務による成果物であるとの客観的な証明がないばかりでなく,これら成果物の作成に要したと主張する時間数にも誇張がある。

例えば,原告は,P1が甲119の「○○」を平成12年1月5日の帰宅後に2時間半かけて作成したと主張するが,1月5日は,まだ冬休み中で児童は登校していないから,勤務時間中に作成することが十分できたはずであり,帰宅後に作成したとの主張自体不自然である。また,この程度の簡単な学級通信を作成するのに2時間半もかかったというのも誇張と言わざるを得ない。

また,1月16日に自宅で作成したと主張する「P14氏宛ての報告書」(甲75)も,P1の率直な気持ちを訴える手紙にすぎず,公務として正式に作成された報告書ではない上に,A5版1枚の手紙を書くのに3時間半もかかるとは思えない。

その他,原告が帰宅後に作成したと主張する各書類は,いずれも,帰宅後に作成したことの証明がないし,作成に要したと主張する時間も過大である。

また,帰宅後に行ったと主張する授業準備についても,同様にこれを裏付ける証拠がない。特に,体験入学実施中の1月26日(水)及び1月27日(木)は,P1自身午後2時45分から年休を取得して早退するような状態であったのであるから(甲31),帰宅後に,体験入学記録作成及び授業準備に合計8時間も費やすような余力があったとは到底思えない。

c 休暇等の取得状況

P1の年次有給休暇の取得状況をみると,児童が夏休みで授業のない7月及び8月を除いても,毎月何回かの有給休暇を取得しており,午後の休暇取得のみならず,平成11年4月21日(水),5月7日(金),5月10日(月),11月24日(水)及び25日(木),並びに12月24日(金)のように,平日に丸1日の有給休暇を取得している日も相当数あるから,普通学級の担任と比べても,有給休暇は十分に取得していたといえる。

また,平成11年7月後半からは,職務専念義務免除を取得したほか,祝日,週休があるため,7月16日から31日までの16日間に8日間しか出勤しておらず,8月は,有給休暇,指定休,夏期特別休暇,職務専念義務免除等を取得し,8月9日と19日の2日間しか学校に出勤していないから,7月後半から8月までの業務が著しく軽減されていたことは明らかである(甲31・平成11年度の出勤簿)。

(イ) 体験入学に関連する業務に過重性がないことについて

a 就学先を振り分ける基準

知的障害のある児童を,養護学校と養護学級のいずれに入学させるのが適切かという判断は,IQやDQ(児童の発達指数),親の養育力,地域での養護学校・養護学級設置の有無等を総合的に考慮し,医師や学識経験者,学校関係者,民生委員らで構成する市町村や県の就学指導委員会が行っている(乙18・4頁)。

b 体験児童は養護学級でも十分に受け入れ可能な児童であったこと

体験児童は,δに入所してからは著しい成長を示しており(甲77の1,2),δ入所前の就学判定時と比較すると,体験児童の問題行動は,大きく改善されており,失尿・失便もほとんどなくなり,排泄が自立していたのであるから,同児童を小学校の養護学級で受け入れることは十分に可能であった。近年では,普通学級においてさえ,学習障害・アスペルガー障害等の軽度障害児はもとより,高機能自閉症等の障害がある児童でも受け入れている。まして,養護学級(特殊学級)においては,より重い障害のある児童の受け入れが進んでいる。

したがって,体験児童のような障害程度の児童を養護学級で受け入れることは特に珍しいことではない。

c 体験入学の目的は正当であったこと

原告は,体験児童の父親が,世間体のみを気にし,同児童の障害の程度を正しく認識せずに,体験児童を引き取った上で同児童を養護学級に入れたいと強く要望したことから,もっぱら親に養護学校から養護学級への転入を諦めさせることを目的として本件体験入学が実施されたものであると主張する。

しかしながら,前記のとおり,体験児童は,δに入所してから,問題行動が著しく減少し,大きな成長を見せていたのであるから,その両親が,体験児童を引き取って地元小学校の養護学級に通わせたいと希望するのは,親としてごく自然な気持ちの現れである。体験児童の母親の能力が低かったとはいえ,体験児童の両親は,現に同児童の姉2人を育て,2番目の姉を当時β小学校に通わせていたのであるから,同児童の問題行動が改善されれば,家庭に引き取ることが可能と考えても不合理とはいえない。

このような体験児童の両親の意向を踏まえ,平成11年9月21日,δに関係者が集まって同児童の今後の処遇について話し合いがなされた。この席で,δのP15課長やζ分教室のP16教諭からは,体験児童の現在の状況について,唾吐きや噛みつきがなくなり,排便も自立してきたこと,学習面は今後の課題であることの報告があり,これを踏まえて,体験児童の父親から,「体験児童の状況(唾吐きや排便で改善がみられること)は入所前と比べて,良くなってきており,今の状況なら家庭で面倒を看ることができると思う。同児童を引き取って,来年の4月から,地元のβ小学校の養護学級に通わせたいと思う。」との発言があり,母親もこれに同意したことから,δ側も,このような両親の引き取りへの意欲を評価して,両親の意向に賛成していたものである(甲101の2・1,2頁)。

以上のとおり,体験児童のような障害程度の児童を養護学級で受け入れることは特に珍しいことではなく,両親も体験児童を引き取って地元のβ小学校の養護学級に通わせたいと強く希望し,δ側も,両親の意向に賛成していたことに照らせば,同児童を新年度から養護学級に転入させることが不適切であったとはいえない。

むしろ,体験児童の教育を受ける権利を考慮すれば,同児童が著しい成長を示し,かつδ側が同児童を親元に戻して地元小学校の養護学級に通わせることに賛成しているにもかかわらず,正当な理由もなく養護学級への転入を拒絶することの方が法的にみて問題がある。

したがって,本来であれば,体験入学を経ることなく,体験児童のδへの入所措置を解除し,翌年4月からβ小学校の養護学級に転入させることも可能であり,そのような措置が採られたとしても法的には何ら問題はなかった。

しかし,本件では,体験児童の母親の能力を考えると家庭への引き取りに不安が残ることから,直ちにδへの入所措置を解除するのではなく,慎重を期すため,あらかじめ両親宅からβ小学校への体験入学を実施して学校及び家庭での様子を確認し,体験児童の入所措置解除については,児童相談所が体験入学の結果を踏まえて,決定することとされたのである(甲101の2・2,4頁)。

このように,児童相談所が,体験児童の教育を受ける権利を尊重しながらも,家庭での引き取りの可否を慎重に見極めるために,体験入学の実施を関係機関に働きかけたことは何ら非難されるべきことではない。むしろ,同児童のδへの入所措置を解除し,新年度からいきなり養護学級に転入させるよりは,その前に体験入学を実施し,家庭での引き取りに問題がないかを慎重に見極めるとともに,「親が結論を出すための情報」(甲61)を十分に提供し,また,体験児童を養護学級で在籍児童P2及びP3と一緒に過ごさせることにより,体験児童の養護学級への適性,在籍児童P2及びP3との関係及び養護学級で受け入れた場合の問題点等を確認し,これらの結果を踏まえて,児童相談所が体験児童のδへの入所措置を解除するかどうかを決定する方がよほど合理的である。

以上のとおり,本件体験入学は正当な目的に基づくものであるから,β小学校側でこれを拒むことができないのは当然である。したがって,通常であれば,養護学級の担任としても,体験入学の目的を理解し,これに協力すべき立場にあり,P1のように,当初から体験児童の受け入れに拒絶反応を示し,体験入学を何とか回避するために,関係者に色々な働きかけをすることは,本来あるべき養護学級教員の姿からすれば非常に疑問である。養護学級の教員に限らず,教員であれば,どの児童の教育を受ける権利も尊重しながら,職務を遂行すべき立場にあるはずである。

d P1の要望に基づき体験入学の準備等が十分なされたこと

(a) P13校長と話し合い,P1から様々な要望を出していること

P13校長は,P1から,在籍児童P2及びP3の保護者と会ってほしいとの申し出があったため,平成11年12月7日に,P1及び在籍児童の保護者2名との間で話し合いをした(甲65)。

そして,その3日後の12月10日には,P13校長は,P1の申し出に基づき,P1と体験入学について話し合いの機会をもった。このときのP1のメモ(甲65・4ないし6枚目)によれば,その際,P13校長からP1に対し,体験児童は養護学校の対象児ではないことや両親及び祖父が3人で面倒を看ること,体験入学は「(体験児童が)入ることが前提ではない。それぞれがさぐる機会とする」ことなどの説明がされるとともに,P1の要望を受け入れ,今後,δの見学・担任との打ち合わせを行い,体験児童本人と会うこと,校内で体験入学の時期・体制・カリキュラムの検討を行うこと,体験児童が転入してきた場合の対応等について詳細な話し合いがなされている。このメモを見ても,P1が,当時様々な要望をP13校長に出し,これに対してP13校長が丁寧な説明をしてP1の理解を得ようと務め,できる限りの支援体制を組もうとしていたことは明らかである。

また,平成11年12月ころにP1が作成したとされる別のメモ(甲73)でも,P1は,体験児童の両親との合意事項・条件として,時間割りは原則として変えないこと,体育・給食は交流学級で一緒に行うこと,安定して学習に取り組めると学校が判断するまでは,両親が終日付き添うことなどを挙げ,さらに,校内就学委員会のメンバーのみならず,δ,αの就学指導委員会のメンバーにも,定期的に観察し,記録をとるよう要望しているが,これらの要望の中には,明らかに常識的でないものも含まれている。例えば,上記の「安定して学習に取り組めると学校が判断するまでは,両親が終日付き添うこと」などは,仕事を持つ父親に対しては明らかに無理な要求であって,常識的とは思われない。

(b) P13校長と養護学校の見学に行き,担任等からも説明を受けたこと

上記話し合いの結果を踏まえ,平成11年12月17日に,P13校長とP1がζ分教室へ授業参観に赴き,体験児童の状況を実際に確認している(甲101の2・4頁)。

また,このとき,P1は,体験児童の担任と打ち合わせを行い,同児童本人にも会って,その障害の状況や問題点を自分の目で確認し,ζ分教室の教頭や担任からも,書面に基づき,体験児童のδ入所当時と現在の状況について説明を受けている(甲77の1,77の2,78)。

以上のとおり,P1は,体験入学になって初めて体験児童に接したわけではなく,その1か月以上前に同児童と直接会い,担任等から話を聞き,その障害の状況をある程度把握した上で,本件体験入学に臨んだものである。

(c) 体験入学実施に向けた打ち合わせ

平成11年12月初旬から平成12年1月上旬にかけて,体験入学実施に向けた関係者の打ち合わせ等が合計9回にわたり実施された(甲2・18頁,66,70,74,証人P13・85ないし90項)ほか,その担当者も,校長,教頭,教務主任及びP1が複数態勢で適宜分担するなど,P1になるべく負担がかからないような配慮がなされていた。P1一人で担当したのは,「体験入学期間の週日課案づくり(2週間分)」のみであるが,本件体験入学では,通常の時間割りとほぼ同じ内容の時間割りが組まれており,この点でもP1にそれほど負担がかかったとは思われない。

(d) 体験入学の期間とカリキュラムは負担のないものであったこと

本件体験入学の期間については,養護学校からβ小学校に対して,1か月ないし2か月というなるべく長期間実施してほしいとの要請があったが,β小学校では複数の職員体制が組める学校行事のない時期に実施したいと考え(乙18・5頁),両校間の調整を経て,平成11年12月21日に,翌年1月20日(木)から2月2日(水)までの2週間実施することが決まった(甲101の2・4頁)。

このうち,体験児童が実際に登校する日数は,正味11日間である上,この中には同児童が午前11時30分に下校する日が3日含まれており,体験入学の期間及び体験児童の在校時間からみても,何ら無理のない設定であった。

また,体験入学のカリキュラムも,通常の時間割りとほぼ同じ内容で,平成12年1月20日(木)から1月25日(火)までの4日間は,短縮授業の形で実施された。給食は,1月24日から2月2日まであったが,P1は,通常どおり在籍児童2名と普通学級に行って給食をとり,体験児童は,母親と別の普通学級に行って給食をとったから,給食の時間帯は,P1は全く同児童の相手をしていなかった(証人P13・91ないし93項)。

体育についても通常どおり普通学級と一緒に行い,1月26日の午前10時15分から12時15分までの「生活」の授業も普通学級と一緒であったから,この点でもP1の負担軽減が図られていた(甲100の3,証人P13・94,95項)。

(e) P1が体験児童を実際に担当したのは短時間であったこと

P1が1月20日から同月25日までの4日間で体験児童の相手をした時間は合計しても15時間程度しかなかったにもかかわらず,P1は,体験入学5日目の1月26日(水)には,2時間の時間休をとって早退している。また,6日目の1月27日(木)も2時間の時間休をとり,7日目の1月28日以降は,他の教職員が主として体験児童の相手をしており,P1は,ほとんど同児童の相手をしていない(乙28の1)。

以上の勤務状況に照らしても,P1の脆弱性は容易に窺われるところである。

(f) P1の要望に基づく支援体制がとられていたこと

① 保護者の付き添い(乙28の2)

体験児童にはほぼ毎日母親が付き添っており,母親が来られない日(1月25日)は祖父が付き添った。両親が授業に参加した日(1月29日)もある。

② 他の教員等の授業参加(乙28の2)

本件体験入学実施中,β小学校からは,P13校長,P17教頭のみならず,P18,P19,P20,P21,P22,P23の各教諭が適宜授業に参加した。このほか,δのP15課長,ε養護学校のP24教頭,児童相談所のP14主任,α教育委員会のP25指導員も適宜参加するなど,P1の要望に基づく支援体制がとられており,P1一人で体験児童を担当した時間は数えるほどしかなかった。

(g) 体験児童の問題行動は予想される範囲内のものであったこと

本件体験入学実施中,体験児童については,唾吐き,失便,失尿,粗暴行為等が見られたが,その回数はさほど多くなく,毎日あったというわけでもない。粗暴行為にしても,特に危険な物を使用したというわけではなく,安全マークがついたプラスチック製のおもちゃの包丁を持って在籍児童P3を追い回したに過ぎない(証人P13)。また,首をしめる行為があったといっても,1年生のことであり,すぐに制止できる範囲である。体験児童の粗暴行為によって,他の児童が怪我をしたというわけではなく,せいぜい,他の児童の顔をいきなり鷲掴みにし,爪でひっかき傷をつけるということがあったに過ぎない。このときも,P1が現場に居合わせたわけではなく,6年生が引き離し,迎えにきた体験児童の母親に対しても,P19教諭が話をして,注意したものである。

以上のとおり,体験児童に幾つかの問題行動は見られたものの,障害のある児童の行為としてはあり得る範囲の出来事であり,いずれも他の教職員等が対応できる範囲のものであった。P1自身の記録を見ても,体験入学を直ちに中止せざるを得ないような大きなトラブルや事故は見当たらない。

原告は,体験入学を途中で中止しなかったことを非難するが,前記のとおり,体験入学7日目以降は,ほとんど他の教職員が体験児童の相手をしていたのであるから,体験入学を続行しても,P1に特別な負担がかかったわけではないし,体験入学を直ちに中止しなければならないような大きなトラブルや事故もなかったのであるから,体験入学を中止しなかったのは当然のことである。

また,体験入学を中止するには,担任が校長に申し出て,校長がこれを教育委員会に伝えた上で,校長及び教育委員会が中止を判断するとの経過を辿ることになるが,P1は,体験入学7日目以降はほとんど体験児童の相手をしておらず,体験入学を中止してほしいとの申入れを校長にしたこともないのであるから,この点でも体験入学を中止できなかったのは当然である。

e まとめ

以上のとおり,本件体験入学によるP1の精神的負担が,社会通念上,客観的にみて,うつ病を発症させるほど過重なものであったとは到底認め難いところであり,それにもかかわらず,P1がうつ病を発症したのであれば,そのうつ病は,P1の個体側要因(個体側の反応性,脆弱性)に起因するものといわざるを得ず,P1におけるうつ病の発症に公務起因性を認めることはできない。

なお,原告は,被告は,本件体験入学がP1に与えた過重性を,専ら体験児童の行動との関係のみで捉え,在籍児童2人にもたらした深刻な悪影響を目の当たりにした保護者の大きな不安,そのためにP1が抱え込んだ著しい精神的・肉体的負荷については,殊更これを無視していると批判する。

しかしながら,体験入学の実態が前記のようなものである以上,保護者が抱えた不安や,それによるP1の精神的負担を否定することはできないとしても,その程度には自ずと限度があることは明らかである。また,体験入学の中止を求める在籍児童の保護者らに対しては,P13校長が話し合いの場を設け,これにより保護者らから一定の理解を得ていたのであるから(証人P13・99ないし105,115ないし117項),通常の養護学級の教員であれば,保護者との対応に苦しみ,これにより過大な精神的負担を抱えたとまではいい難い。

さらに,原告は,本件体験入学が,在籍児童2人に対し悪影響を及ぼした旨をるる主張するが,体験入学直後に行われた在籍児童2人の発育検査結果(甲93,94)を見ると,両名とも大きな伸びを見せており,体験入学の悪影響を認めることはできない。

したがって,上記の体験入学による精神的負担に,在籍児童の保護者らとの関係等に伴う精神的負担が加わったとしても,これにより,社会通念上,うつ病を発症させるほど過重な負担があったとは到底評価することができない。

(ウ) その他の公務外の要因について

a P1及びその家族の既往歴

P1は,高校時代に不登校となり,かなりの期間精神科の治療を受けていた既往歴があり,その家族についても,父親は統合失調症に罹患し,妹も過去に臨床心理士のカウンセリングを受診していたことがある(乙8)。

b P1の性格傾向(P1特有の感じ方・受け止め方の問題があったこと)

(a) 体験入学前からの過剰反応

① 本件体験入学実施前のP1の反応からも,P1が物事に過剰に反応しやすい性格であることが分かる。

すなわち,平成11年2月初旬には,異動について校長から話があったことから「大ショックを受け」ており,β小学校に異動した同年4月には,「特学としての予算がついていないことにショック」を受け,更に同年6月には,町の就学指導委員から外されていることが分かり「ショックを受け」ている(甲64)。

また,P1は,本件体験入学実施前の「平成11年9月ころ,『転入学』のことについて,学区の保護者(養護学校へ児童が入級している父親)から話しかけられた。このことは,正式な話ではないが,彼女はすぐに入級と思い込んでしまい,日常,そのことを口にすることが多く」なり(甲32・3頁),日記等に次のように記載している。

(i) 平成11年9月  「(体験児童の父親から同児童の転入希望を知らされ)息子の障害についてほとんど把握できていない様子なので,とまどう。と共に非常なショックを受ける。」(甲64・3枚目)

(ii) 平成11年11月  「町教委の担当者が入院したため全く進展なし。校内での話し合いももたれずイライラ(中略)学級のP2(注・在籍児童P2のこと)への対応がむずかしく,体験入学で,P4(注・体験児童のこと)よりP2の方がむずかしいことがはっきりするかもしれないと思いよけいイラだつ」(甲64・4枚目)

(iii) 11月25日  「心と体がストライキを起こす。3日連続床につく。肩のあたり,少しやっとゆるんできた。心身の疲労がたまっていたと思う。

とくに心の。もう1人受け入れるのかどうかという点。P2(注・在籍児童P2のこと)の状態など,思うようにいかないことが多い。」(甲26の2)

(iv) 12月11日  「どうしようもない不快感。これはどこから来るのだろう。(中略)周囲の人のことを余りにも考えない,自分たちだけの思いで行動する人達に対する不快。」(甲26の2)

② 本件体験入学前のP1のこのような状況について,P26医師は,鑑定書と題する書面においては,「いずれにせよ,この反応は,まだ漠然とした不安感,拒否感であり,これを発症と見るのは無理があると思われる」(甲54の2・3頁)とするが,体験入学実施の話に対するP1の反応については,これを普通ではないと証言している(証人P26・162項)。

③ 結局,これらのことからすると,精神疾患の明確な発症ととらえるかどうかは別として,前駆症状あるいは潜在症状とみれば,P1の心身の変化は,体験入学よりもかなり前の時点から現れており,また,同女が,従前,体験入学において大変な苦労をしたという現実体験があれば,再度その体験を余儀なくされるということは,心因としてかなりのストレスと考えられるが,体験児童に問題があるとの話を聞いたにせよ,実施についての打ち合わせすら始まっていなかった段階での反応としては,過剰で過敏な反応といわざるを得ないのであって(乙29・15頁),「発症は体験入学よりもっと前からではないか。体験入学と聞いただけで一種の急性ストレス反応のような症状が出て,体験入学をして更に悪くなり,それから休職をし自宅療養を行ったとしても症状は改善しきれない。体験入学が全く影響しなかったとはいえないが,それが主たる要因での発症とはいえない。2週間の体験入学によって病態がこれほどまでに悪化するというのは考えられず,それのみが原因ではないと考える」(甲53の1)のが相当であり,やはり,P1本人の内因に問題があるといわざるを得ないのである。

すなわち,体験児童が転入するかもしれないという知らせは,驚愕を惹き起こすような異常な出来事等でないにもかかわらず,これに過剰反応を示したのであるから,その原因は,やはり個体側にあるのである。

(b) 強い拒否的感情を持ちながら体験入学を行ったこと

P1のスケッチブックへの書き置き(甲92)には,「P4君(注・体験児童のこと)へ」と題して,体験児童から唾を吐きかけられたことに対して「大声でどなって,ひっぱたいてやりたかったよ。」と,平成12年1月27日に砂場で頭に砂をかけられたことについては,「ひっつかんで,おしりをぶってやればよかった!」と述べ,「国語の学習のあと,あなたにだきつかれた時,私はゾッとしていました。どうしてもやさしくだけなかった。」と記載されている。これらの記載は,うつ病発症後のものとはいえ,P1の体験児童に対する心情が正直に記載されているといえる(証人P26188,189項)。

ここに記載されたP1の心情には,体験児童の障害への理解や共感が欠落しており,拒否的感情が非常に強く出ている。P1がこれほど強い拒否的感情を持ちながら体験入学を行ったことが,P1にとって,体験入学による心理的負担を耐え難いものと感じさせたと推測されるが,それはあくまでもP1特有の感じ方,受け止め方の問題に過ぎない。通常の養護学級の担任であれば,これほどの拒否的感情を持たず,体験入学による心理的負担によりうつ病を発症するようなことはなかったものと思われる。

(c) 本件体験入学とP1の症状等との相関関係が否定されること

P1が外的要因によってうつ病を発症したのであれば,その原因である外的要因が解消した場合,うつ病は寛解するはずであるのに,平成12年2月に体験児童の転入申請が取り下げられ,同児童の転入がないことをP1が認識した後もその症状は回復せず,かえって増悪しており,このことからすれば,本件体験入学を本件疾病の原因と見ることはできないというべきである。

また,P1が体験児童の転入の可能性を依然として危惧していたというのであれば,養護学級の担任を希望しないはずであるのに,P1は,平成12年度も養護学級の担任を第1希望としており(甲20の2・2枚目),同児童の転入についてそれほど大きな危惧感を抱いていたとは考えられない。

ウ 本件処分の適法性

以上のとおり,P1のβ小学校における担当職務の内容,労働時間,本件体験入学の実施等を考慮しても,その公務が,社会通念上,客観的にみて,うつ病を発症させるほど過重なものであったとは認められない。

また,P1には,精神障害の素因・遺伝的要因の存在が認められる上,物事に過剰に反応するP1の性格傾向等からすれば,さほどの心理的負荷でなくても,精神障害がもたらされる危険があったということができる。

したがって,P1に生じたうつ病について,公務起因性を認めることはできない。

エ 結論

以上によれば,被告の本件処分は適法であるから,原告の請求には理由がなく,同請求は棄却されるべきである。

第4当裁判所の判断

1  争点(1)について(本件訴えの適法性)

被告は,原告の本件訴えは,既に不可争力を生じている第一次処分と同一の紛争を蒸し返すものであり,これを適法なものであると認めることは,法が行政処分の効力は法定の不服申立期間経過後は争えないものとし,取消訴訟について出訴期間を定めた意味を無にすることになるから不適法である旨主張する。

なるほど,前記第2の2の前提事実(7)アに記載のとおり,P1の父であり,かつ原告の夫でもあるP11は,平成12年11月20日,被告に対し,本件請求と同じく,P1の自殺は,同女が勤務していたβ小学校における養護学級担任の教諭としての公務が過重となり,その精神的緊張及び重圧によって罹患したうつ病に基づく自殺念慮発作によって引き起こされたものであるとして,本件災害について公務災害認定の第一次請求をしたが,被告は,平成14年3月15日,同請求を認めない旨の第一次処分を行い,P11は,この処分を不服として審査請求をしたが,地方公務員災害補償基金静岡県支部審査会は,平成15年5月13日付けで同審査請求を棄却する旨の裁決をし,同裁決は,同月15日にP11の代理人弁護士に通知されたが,P11はその通知があった日の翌日から30日以内に地方公務員災害補償基金審査会に対する再審査請求をしなかったものであり,その結果,第一次処分については,この30日の経過とともに不可争力が生じたことは明らかである。そして,第一次処分の名宛人はP11であるが,第一次請求と本件請求は,請求者が片やP1の父,片やP1の母という違いがあるだけであって,その請求の客観的内容が同一であることもまた明らかである

しかしながら,以下の理由により,第一次処分の不可争力は,原告に対してはその効力が及ばないと解するのが相当であり,したがって,被告に重複した手続をとらせ,これによる負担を与えることを企図して,敢えて,第一次処分に不可争力が生じた後に原告が本件請求をした等,その請求が権利の濫用に当たる場合は格別,第一次処分に不可争力が生じていることを理由として,本件訴えが不適法となることはないというべきである。

すなわち,地公災法は,その32条で「遺族補償年金を受けることができる遺族は,被災職員の(中略)父母(中略)であって,職員の死亡の当時その収入によって生計を維持していたもの」であると規定するとともに,33条2項において「遺族補償年金を受ける権利を有する者が2人以上あるときは,遺族補償年金の額は(中略)その人数で除して得た額」であると規定しており,これらの規定によれば遺族補償年金を受ける権利は父母それぞれに別個独立に帰属するものであることが明らかであるところ,そうであるとすれば,そもそも公務災害認定請求権は遺族補償年金を受けるための手段的な権利なのであるから,同請求権もまた父母それぞれに別個独立に帰属するものと考えざるを得ず,また,地公災法に基づく遺族補償年金の請求については,地公災法施行規則が,遺族補償年金を受ける権利を有する者が2人以上あるときに関し,代表者を選任することができないやむを得ない事情のない限り,代表者を選任して足並みをそろえることを要求している(同規則31条1項)のに対し,公務災害認定請求権が2人以上に帰属する場合には,その共同行使を義務付ける規定はないからである。

この点,被告は,本件災害が,P11に対する関係では公務外の災害となり,原告に対する関係では公務上の災害となるということはあり得ないから,公務上外の認定処分は理論上一つの処分であると主張し,これを前提に,P11に対する第一次処分の不可争力によって本件訴訟は遮断されると主張する。しかしながら,既に説示したとおり,第一次処分の不可争力によって同処分の名宛人であるP11がその効力を争うことはできないのはもちろんであるが,これによって本件災害が公務外であるという判断に確定力が付与されるわけではないから,原告が同一内容の公務災害認定請求を行うことや,この請求に対し行政庁が第一次処分と異なる処分を行うことが,当然に妨げられるものではないといわなければならない。また,そのように解したとしても,行政処分の不可争力は,私人の側にとって裁判上争えないという訴訟要件の問題にすぎず,行政庁の側で行政処分の取消しをすることは妨げられないのであるから,仮に行政庁において原告の本件請求を認める旨の処分を行った場合には,行政庁としては,P11に対する第一次処分を取り消し,第一次請求を認める旨の処分を行えば足りるのであって,特に不都合が生ずることもない。よって,被告の上記主張は採用することができない。

2  争点(2)について(公務起因性の有無)

(1)  原告は,P1は,β小学校における養護学級担任としての公務が過重であったため,その精神的緊張と重圧によってうつ病に罹患し,同病に基づく自殺念慮発作によって本件災害が引き起こされたのであるから,P1は,地公災法が規定するところの,公務上死亡したものであると認められるべきである旨主張し,被告は,β小学校においてP1が担っていた公務は,客観的にみて,社会通念上うつ病を発症させる程過重なものではなく,うつ病及びこれに基づく本件災害は,P1に内在していた精神障害の素因や性格的傾向等が大きく影響して発生したものであることが強く窺え,P1が,地公災法が規定するところの,公務上死亡したものであると認めることはできない旨主張する。

(2)  この点について判断するに当たって,まず,地公災法が規定する公務起因性の判断基準について検討する。

ア 地公災法31条の「職員が公務上死亡した場合」とは,職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい,同負傷又は疾病と公務との間には相当因果関係のあることが必要であり,その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならない(最高裁昭和51年11月12日第二小法廷判決・集民119号189頁)。

そして,地公災補償制度が,公務に内在ないし随伴する危険が現実化した場合に,使用者の過失の有無にかかわらず,その危険性の存在ゆえに使用者がその危険を負担し,職員に発生した損失を補償するのが相当であるという危険責任の法理に基づくものであることに鑑みると,上記相当因果関係があると認められるためには,当該公務と死亡の原因となった負傷又は疾病との間に条件関係が存在するのみならず,社会通念上,当該疾病等が公務に内在ないし随伴する危険の現実化したものと認められる関係があることを要するというべきであり,公務が単に疾病等の誘因ないしきっかけに過ぎない場合には相当因果関係を認めることはできない。

イ 精神障害の発症や増悪は様々な要因が複雑に影響し合っていると考えられるが,当該公務と精神障害の発症や増悪との間に相当因果関係が肯定されるためには,単に公務が他の原因と共働して精神障害を発症もしくは増悪させた原因であると認められるだけでは足りず(よって,原告主張の共働原因論は採用できない。),当該公務自体が,社会通念上,当該精神障害を発症もしくは増悪させる一定程度以上の危険性を内在ないし随伴していることが必要であると解するのが相当である。

そして,精神障害の発症メカニズムについてはいまだ十分解明されていないけれども,現在の医学的知見によれば,環境由来のストレス(公務による心理的負荷と公務以外による心理的負荷)と個体側の反応性,脆弱性との関係で精神破綻が生ずるかどうかが決まり,ストレスが非常に強ければ,個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,反対に個体側の脆弱性が大きければ,ストレスが小さくても破綻が生ずるとする「ストレス-脆弱性」理論が合理的であると認められる。

もっとも,個体側要因(反応性,脆弱性)については,客観的に把握することが困難である場合もあり,これまで特別な支障なく普通に社会生活を行い,良好な人間関係を形成してきていて何らの脆弱性も示さなかった人が,心身の負荷がないか又は日常的にありふれた負荷を受けたに過ぎないにもかかわらず,あるとき精神障害に陥ることがあるのであって,その機序は,精神医学的に解明されているわけではない。このように,個体側要因については,顕在化していないものもあって客観的に評価することが困難な場合がある以上,他の要因である公務による心理的負荷と公務以外の心理的負荷が,一般的には心身の変調を来すことなく適応することができる程度のものに止まるにもかかわらず,精神障害が発症した場合には,その原因は,潜在的な個体側要因が顕在化したことに帰するものとみるほかはないと解される。

したがって,公務と精神障害の発症との相当因果関係の存否を判断するに当たっては,ストレス(公務による心理的負荷と公務以外による心理的負荷)と個体側の反応性,脆弱性とを総合的に考慮し,公務による心理的負荷が,社会通念上,客観的にみて,精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合には,公務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして,当該精神障害の公務起因性を肯定することができるものと解すべきである。これに対して,公務による心理的負荷が精神障害を発症させる程度に過重であるとは認められない場合には,精神障害は,公務以外の心理的負荷又は個体側要因(もともと顕在化していたもののほか,潜在的に存在していた個体側要因が顕在化したものを含む。)のいずれかに起因するものといわざるを得ず,公務の過重性を理由として精神障害の発症につき公務起因性を認めることはできないというべきである。

(3)  また,P1の死亡の公務起因性を検討する際の事実関係については,前記前提事実,証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下のとおり認められる。

ア P1の経歴,健康状態及び性格について

(ア) P1の経歴(甲20の1,29,37,64)

P1は,昭和54年4月1日に静岡県静岡市公立学校教員として採用され,静岡市立η小学校に配属された後,昭和58年4月1日から3年間は小笠郡θ立ι小学校に,昭和61年4月1日から3年間は掛川市立κ小学校に,平成元年4月1日から3年間は小川郡λ立μ小学校に,平成4年4月1日から4年間は小笠郡ν立ξ小学校にそれぞれ勤務し,平成8年4月1日から小笠郡α立γ小学校に勤務した。

P1は,γ小学校において,平成9年度は級外として養護学級での授業を週3,4時間受け持ち,平成10年度には自ら希望して養護学級の担任をしており,平成11年度もそのまま持ち上がりで上記養護学級の担任を希望していたが,同年2月初旬に校長から異動の話があり,中学校に転任するか,β小学校に新設される養護学級を受け持つかという二者択一の選択を迫られた。P1は,中学校での勤務経験がなかったことから,β小学校への転任を希望し,平成11年4月1日から,児童数239名,教職員数21名(平成12年4月6日現在)のβ小学校に勤務することとなった。

なお,P1は,平成11年2月初旬にγ小学校校長から異動の話を告げられたときの気持ちについて,「受け入れて前向きな気持ちになるまでに1か月位かかる。」とノートに書き記している。

(イ) P1の健康状態,性格(甲28の2,32,142,証人P6)

P1は,特に持病もなく,平成10年5月11日に実施された定期健康診断では,ほぼ全ての項目がAで,健康状態に大きく問題となるようなところはなかった。

P1は,真面目で几帳面なところがあった反面,物事に柔軟に取り組むことが苦手で,自己の意に添わないことについては拒否的反応を表に出しやすいタイプであった。

イ P1の公務の内容(甲19,20の2,22)

P1は,平成11年4月1日から,β小学校において,新設された養護学級の担任となったほか,同校の校務として,研修(低学年部会),養護教育,適正就学指導委員会,教科指導(算数科主任),委員会活動(園芸),通学区児童会(π地区),クラブ活動(スポーツ),渉外(教育研究協会係)を分掌していた。

ウ P1の公務の状況等

(ア) 養護学級の担任

a P1が受け持った養護学級には,1年生の知的障害児童2名が在籍していた。

なお,文部科学省のホームページによれば,平成14年5月1日現在,養護学級(特殊学級)の学級編成の標準は8人,平均は3人とされており(乙13),また,平成12年度当時,静岡県内にある小学校の養護学級295学級のうち児童数が4名以上の学級は166学級と全体の6割近くを占めていた(乙25)。

b 在籍児童の障害の程度(甲29,76,93,94)

在籍児童2名(P2とP3)には,平成11年4月期の就学指導時において,いずれも,次のような発達遅滞の障害等があった。

(a) 在籍児童P2について(検査年月日・平成9年12月4日)

認知・適応が4歳(DQ76)

言語・社会が3歳5か月(DQ64)

全領域が3歳8か月(DQ69)

自閉的傾向あり。他者とのコミュニケーションがうまく取れない傾向あり。

(b) 在籍児童P3について(検査年月日・平成10年6月22日)

認知・適応が3歳5か月(DQ62)

言語・社会が2歳9か月(DQ50)

全領域が3歳2か月(DQ58)

指示されたことを理解できないことが多く,思いどおりにならないと怒ったり,時には殴ったりすることがある。

c 1週間の授業時間数(甲37,119ないし122,124)

1週間の授業時間数は,創意の時間を含めて合計26時限(1時限は45分間)であり,そのうち,午後(5時限目)まで授業があるのは,月曜日,火曜日及び金曜日の3日間であった。

d 教材・教具について(甲64)

β小学校における養護学級は平成11年4月に新設されたばかりであったため,教材や教具が不足しており,当初は,P1が生活科室から大型積み木を借りるなどして対処していたが,同年6月末以降,そのような状況も次第に改善されていった。

e 教育指導の成果(甲32,80,93ないし98,証人P13)

(a) 平成12年3月上旬に実施された在籍児童2名の発達検査の結果によれば,同児童らが,β小学校に入学してからのおよそ1年間で,以下のとおり能力的に大きな成長を遂げたことが認められる。

在籍児童P3の新K式発達検査結果

検査時期

検査年月日(実年齢)

幼稚園年長

平成10年6月22日(5歳6か月)

小学校1年生

平成12年3月2日(7歳2か月)

認知・適応

3歳5か月

DQ62

6歳11か月

DQ95

言語・社会

2歳9か月

DQ50

4歳11か月

DQ68

全領域

3歳2か月

DQ58

5歳9か月

DQ79

在籍児童P2の新K式発達検査結果

検査時期

検査年月日(実年齢)

幼稚園年長

平成9年12月4日(5歳4か月)

小学校1年生

平成12年3月7日(7歳7か月)

認知・適応

4歳

DQ75

6歳

DQ79

言語・社会

3歳5か月

DQ64

5歳1か月

DQ67

全領域

3歳8か月

DQ69

5歳7か月

DQ74

※DQ(発達指数)=(発達年齢÷実年齢)×100

(b) なお,上記検査結果における「所見」では,次のような評価を受けている。

① 在籍児童P3について(甲93)

「2つの検査共に大幅な伸びが確認できました。とくにDQ値(発達指数)が1年前より上がっているのには驚きました。題意をとらえた会話や,提示された課題に取り組む気持ちのコントロールが結果を大きく引き上げています。」

② 在籍児童P2について(甲94)

「幼稚園時代に比べ,表情が豊かになり対人間関係がとりやすくなったと思われます。とりわけ,題意をとらえた応答性のある会話のやりとりがスムーズになり,言語性の底上げがはかられています。その結果,2つの検査のいずれも,言語領域が高まり全体のプロフィールの片寄りが減少しました。個別的で丁寧な学習指導の成果と考えられます。」

(c) 上記診断結果を受け,P1は,P13校長に対し,これまでの指導が実を結んだことの喜びと今後の指導への意欲を語ったほか,同月18日には,在籍児童P3の母親からの連絡帳に「来年度もよろしくお願いします」との書き込みがあり,P1は,養護学級担任としての意欲がかき立てられた。そして,同月下旬には,次年度の担任希望を聞いてきたP13校長に対し,在籍児童P3,同P2及びその親との信頼関係ができたことを理由に,「平成12年度も養護学級を担任したい。」と,今後の指導の見通しも交えながら語った。

(イ) P1の勤務時間について(甲22,証人P13)

β小学校におけるP1の1日の勤務時間は,平日は午前8時から午後4時45分まで,土曜日は午前8時から午前12時までとされていた。

また,遠足下見・講演会・研修会・協議会等の出張が入ることも月に何度かあったが,最も多い平成11年4月でも出張は4回で,本件体験入学が実施された平成12年1月及び同年2月はそれぞれ1回ずつ出張があったに止まる。

(ウ) P1の時間外勤務,休暇取得状況について(甲16,31,32,証人P13)

P1は,ほぼ毎日定時に退庁しており,平日午後6時まで残っていることはほとんどなかった。

また,平成11年4月から死亡するまでのP1の休暇等の取得状況は,次のとおりである。

年月

週休・祝日等

年次有給休暇

特別休暇

平成11年 4月

8日

1日6時間

5月

10日

2日6時間

6月

6日

6時間

7月

8日

1日

8月

17日

2日

3日(夏季)

9月

8日

4時間

10月

9日

5時間

11月

8日

2日

12月

10日

2日

平成12年 1月

11日

1日4時間

2月

7日

6日1時間

3月

8日

5日5時間

4月

5日

1日7時間

10日(傷病)

5月

31日(傷病)

6月

30日(傷病)

7月

5日

7日

19日(傷病)

8月

1日

※年次有給休暇については、時間休暇が8時間に達した場合に1日として算出している。

エ 本件体験入学について

(ア) 本件体験入学の実施

児童福祉施設δに入所し,そこに併設されたζ分教室に在籍する体験児童の保護者から,同児童のβ小学校養護学級への転入希望があったため,α就学指導委員会の指導のもとに,平成12年1月20日から同年2月2日までの2週間(実日数11日間)にわたり本件体験入学が実施された。

(イ) 本件体験入学の実施が決まるまでの経過(甲29,69,76,100の5,101の2,乙18,証人P13)

体験児童は,平成11年4月期の就学指導時において,排泄に手助けを必要とする,感情のコントロールがうまくできず,友達に突然暴力を振るってしまうことがあるというような問題行動があったこと,平成10年5月11日における発達検査の結果が,認知・適応2歳5か月(DQ40),言語・社会2歳9か月(DQ46),全領域2歳7か月(DQ43)であったこと,家庭における監護能力が不足していること等を総合して,平成10年に開かれた静岡県及びαの就学指導委員会において養護学校への入学が適切であると判断され,平成11年4月からδに入所のうえ,ζ分教室に通学していたものであるが,同年7月29日,δのP15課長から,静岡県σ健康福祉センター(以下,単に「児童相談所」という。)に対し,体験児童の両親(特に父親)から,同児童に積極的に関わっていくので親元から地元のβ小学校(養護学級)に通わせたいという申し入れがあったこと,δに入所して3か月経過し,体験児童に当初見られた問題行動(唾を吐く,噛み付き)は治まってきていることを踏まえ,今後の処遇について関係者一同で話し合う場を設けてほしいとの要請があり,同要請に基づき,同年9月21日,δに関係者一同が集まって体験児童の今後の処遇についての話し合いがなされた。この席で,δのP15課長やζ分教室のP16教諭からは,体験児童の現在の状況について,身辺処理や学習面はもう一歩だが,唾吐きや噛み付きはなくなり,排便や対人関係も改善されてきているとの報告があり,これを踏まえて,体験児童の両親から,「体験児童の状況(唾吐きや排便で改善が見られること)は入所前と比べて良くなってきており,今の状況なら家庭で面倒を看ることができると思う。同児童を引き取って,来年の4月から,地元のβ小学校の養護学級に通わせたいと思う。」旨の発言があり,また,δ側も,このような両親の引き取りへの意欲を評価して両親の意向に賛成していたが,児童相談所としては,父親が体験児童に積極的に関わっていく姿勢を見せているとはいえ,一番接する機会が多くなる母親の能力を考えると不安が残ったため,今後の対応として,同児童のβ小学校での受け入れの可否について関係機関に打診するとともに,受け入れが可能であれば,両親宅からβ小学校への体験入学を実施して様子をみることとした。

同年9月27日,児童相談所職員が,α教育委員会学校教育課のP25指導員と電話で話したところ,同指導員は,「小学校入学時においては,①体験児童の粗暴な行為がひどく,β小学校では(養護学級であったとしても)同児童への対応が難しいこと,②母親の能力が低く,自分のことで精一杯であり家庭内で同児童に対して適切なしつけを行うことは無理と思われたことから,δ入学が適当であるとの判断であった。その後,①については,δでの生活訓練により,ある程度改善されてきていることは理解できるが,②については根本的には何も状況は変わっておらず,同児童の家庭での受け入れは難しいのではないのかというのが現段階における正直な気持ちである。いずれにしても,同児童をβ小学校に転入させる前に,体験入学を行い学校及び家庭の様子の確認が必要だと思う。β小学校と体験入学について調整してみる。」旨答えた。

同年10月19日,児童相談所職員が,P25指導員に連絡を取り,体験入学の実施についてβ小学校との調整を催促したところ,同指導員から,①体験入学の受入時期は,β小学校養護学級で支障のない時期にしたい,②学校側は,体験児童の幼稚園時代を知っているため,受け入れに不安を感じており,また,養護学級の在籍児童の父母も同様であることから,体験入学の際には,体験児童の保護者に付き添ってもらい,学校での様子を知っておいてもらうのがよいと思う,③体験入学実施中の給食や事故の場合の対応についての考え方を教えてもらいたいとの要望があった。

なお,β小学校には,同日,P25指導員から本件体験入学の話が伝えられた。

同年11月4日,P25指導員から,児童相談所に対し,①体験入学については,β小学校側としては来年1月以降にお願いしたい,②β小学校養護学級転入(及び体験入学)について,αの就学委員会等関係者の了解を取りたいので,関係者一同の打ち合わせを行いたいとの要望があり,同年12月10日,α教育委員会会議室において関係者一同(出席者は,P27α就学指導委員長,P28学校教育課長補佐,P25指導員,P13校長,P29主任児童委員,β幼稚園園長,δP15課長,ζ分教室P24教頭,児童相談所のP14主任とP30主事)の打ち合わせが行われた。この席で,P15課長及びP24教頭から,体験児童の現在の状況について,δ入所前と比べて,生活面で大分改善されてきているが,先生の気を引いて,独り占めしようとする傾向が強いとの報告があり,また,児童相談所のP14主任とP30主事から,δへの入所措置を解除するのが本来の手法であるが,家庭・学校での受け入れについて不安があるため,体験入学という方法をとり状況を見極めたいとの説明があった。その後,P13校長から,在籍児童の保護者が体験児童の転入について警戒しており,反発が大きいなどの話が出たが,最終的には,①体験児童の体験入学を1月に行うこと(具体的な時期,期間は今後調整する。),②同児童の入所措置の解除については,児童相談所が体験入学の結果を踏まえて決定すること,③何か問題があった場合は,本日のメンバー内で協議検討すること,④体験児童について,措置停止を行うかどうかは体験入学の実施までに結論を出すこと,⑤体験入学の際の指導の参考とするため,β小学校関係者がδでの同児童の様子について見学することなどが関係者間で合意されるに至った。

(ウ) 本件体験入学実施前のP1の反応(甲26の2,29,64,65,68の2,乙18,証人P13)

a 平成11年9月,子供を守る文化会議という催物の折,体験児童の父親が,P1に対し,体験児童を翌年4月からβ小学校の養護学級に転入させたいとの希望を持っていることを伝えたことがあったが,その際,P1は,同父親が,小学校の養護学級に通わせれば体験児童も教科書を使った学習ができると考えており,その障害についてはほとんど把握していない様子だったため,これに戸惑うとともに,大きなショックを受けた。

b 同年10月19日,α教育委員会のP25指導員からβ小学校に対し本件体験入学に関する連絡があり,P1は,やむを得ないと思いつつも,できることならやらずに済ませる方向で考えてほしいとP13校長に伝えた。

c(a) 同年11月,P1は,本件体験入学の話がどうなったのか気になっていた。とくにそのころ,P1は,在籍児童P2に対する指導方法に思い悩んでおり,本件体験入学が実施されれば,体験児童よりも在籍児童P2の方が対処が難しいことがはっきりするかもしれないと思うと,余計に苛立った。

なお,P1のその当時の日記(甲26の2)には,次のような記載がある。

① 11月16日(火)

家でのゆとりをとり戻すこと。あせらない 大丈夫,大丈夫を口ぐせに。生活の中に,楽しみをみつけること。つくること。

② 11月22日(月)

生徒指導全体会でP2(注・在籍児童P2のこと)のむずかしさについて話す。自分なりに整理して言えた満足感。P2の調子がいいので,今日は大部気分が明るい。

夜P31さんにTEL,久しぶりに話す。相変わらず元気でいろいろなことに手を出している。(中略)彼女のパワーをもらいたい。

③ 11月24日(水)

ひょうひょうと風のように,職場では率なく。

④ 11月25日(木)

心と体がストライキを起こす。3日連続床につく。肩のあたり,少しやっとゆるんできた。心身の疲労がたまっていたと思う。とくに心の。もう1人受け入れるのかどうかという点。P2(注・在籍児童P2のこと)の状態など,思うようにいかないことが多い。

(b) さらに,同月29日,在籍児童P2の母親からの連絡帳に,「日曜日農協まつりに行った所,P2(注・在籍児童P2のこと)が保育園・幼稚園といじめつづけられたP4君(注・体験児童のこと)に会いました。現在δに入所しているのですが,P4君のお母さんが『今度からβ小に行く事になったもんでよろしくお願いします』と言ったのでびっくり。幼稚園では,P4君に先生が一人専門につきっきりでそれでも見おせず,P2だけでなくいろいろな子供達をケガをさせたり,外にむりやり連れだしたりした問題児です。P2はくされ縁で一番ひどくやられ,生傷がたえませんでした。一組にはいるのだとすると,P2が登校拒否になるのではないかと今から心配です。もし二年生からだとしても,同じクラスではP4君一人に先生がつきっきりになる様に思われます。一組にいる意味がなくなってしまうので,普通クラスにP2をいれ,私がある程度P2について学校生活をおくった方が良いのでは?とも考えています。P4君がどのくらい落ちついたかはわかりませんが,今までの事があるのでとても不安です。別のクラスか,先生が二人ついてくださるとよいのですがー。はっきりした事がわかりましたらお知らせ下さい。お願いします。」という書き込みがあったので,すぐにP1は,当該部分をコピーして,P13校長に手渡すとともに,同校長に対し,体験入学が容易でないこと,避けてほしいことを伝えた。

d 同年12月,在籍児童の母親2人から本件体験入学に関する不安を訴えられたP1は,この不安はP13校長に直接伝えてもらった方が良いと考え,同月7日午後5時から,β小学校校長室において,P13校長,P1及び上記母親2名の間で話合いが行われた。その席では,両児童の母親,とりわけP2の母親から,P2が保育園3歳児クラスの時から体験児童にいじめられていたことなどの不安が語られた。

(ウ) 本件体験入学に向けた打ち合わせ(甲29,66,70,72ないし74,77の1,77の2,78,81の1ないし3,99の4,99の5,100の2,100の3,126,127,乙18,証人P13)

本件体験入学の実施が決まった後,平成11年12月中旬から平成12年1月中旬にかけて,次のとおり本件体験入学に向けた打ち合わせ等が実施された。

a 12月17日(金)

ζ分教室との打ち合わせ

P13校長とP1が,ζ分教室に赴き,体験児童の様子を確認した。また,このとき,同教室のP24教頭やP16教諭から,体験児童の状況について説明を受けるとともに,同児童本人にも会って,その障害の状況や問題点を確認した。

b 12月21日(火)

体験入学事前打ち合わせ(日程の検討と指導体制づくり)(担当:P17教頭,P21教務主任)

c 12月22日(水)

β小学校職員最終打ち合わせ(受け入れまでの日程,態勢について説明)(担当:P17教頭,P21教務主任)

d 12月23日(木)

体験入学期間の週日課案づくり(2週間分)(担当:P1)

e 1月5日(水)

体験入学週日課及び指導体制の検討(担当:P17教頭,P21教務主任)

f 1月6日(木)午後1時30分

β小学校職員会(体験入学週日課・指導体制の説明及び理解)

g 1月13日(木)午後3時00分(β小学校応接室)

体験児童の保護者との事前打ち合わせ(担当:P13校長,P17教頭,P21教務主任,P1)本件体験入学実施が決まった経緯・理由の説明とともに,体験入学期間中の日課(時間割り)及び諸経費,並びに期間中の指導体制の説明がされた。

このとき,β小学校から,本件体験入学終了後に,体験児童の指導を行ったP1から,静岡県及びα教育委員会等の関係機関に対し,体験児童の学校での様子を報告する場を設けてほしいとの要望があったため,2月上旬に報告会を行うこととなった。

h 1月14日(金)午後3時30分

在籍児童保護者への説明会の事前打ち合わせ(担当:教務会,P1)

j 1月17日(月)

ζ分教室との打ち合わせ

(エ) 体験児童の障害の程度

δ入所後の体験児童の生活状況等は,次のとおりであった(甲29,77の1,77の2,99の3)。

a 寮生活

入所当初は,職員や他の児童に対して,つねりや唾吐きが常に見られたが,現在(平成11年12月ころ。以下同じ。)は,つねりや唾吐きがほとんどなくなり,そのため友達との関係もうまく持てるようになった。子供らしさがあり,人なつっこい。ただ,気に入らないことがあったときなどには,唾を口に溜めたり,手を振り上げてみせたり,ちょっかいを出したりすることもある。

仲良しの友達と一緒に遊んだり,休んだ子を心配するなど周りの友達に対しても優しく接する様子が見られるようになってきた。

b 食事

入所当初は,野菜は全く食べられなかったが,現在は,何の抵抗もなく全て食べることができ,おかわりもするようになった。無駄話やよそ見が多い。

c 排泄

入所当時は常に失便の状態で,トイレに座る習慣がついていなかった。現在は,朝食後のトイレでの排便の習慣がつき,失尿・失便はほとんどなくなったが,時々遊びに夢中になっていたりして失敗することはある。

d 着脱

入所当時は靴下がはけなかったが,現在は,裏表・前後を間違うことなく一人でできる。脱いだ服をたたむことも,多少大ざっぱだが自分でできる。

e 遊び

ストーリーのある簡単な絵本の内容が理解でき聞いていることができる。

ストーリー性のあるごっこ遊び,トランポリンやすべり台などの遊具,パソコンやビデオなどの視聴覚的な物など幅広い遊びを楽しむことができる。好奇心が旺盛で,新しい物に興味を示し飛びついてくるが,長く続かないことも多い。一人で遊ぶこともできるが,教師との関わりの中で遊ぶことを好み,独占したがるような傾向があり,思いどおりにならないと不機嫌になることもある。

f 学習

以前と比べると遊びと勉強の区別,けじめができてきている。机に向かって名前のなぞり書きなどの学習に取り組むこともできる。絵本などを読んでもらったりすることは好きだが,自分で文字を読んだり,書いたりすることはまだ難しい。数の面では,教師と一緒に5くらいの物なら数えることができる。会話は,話好きでたくさん話しかけてくるが,気持ちが先に立って早口で聞き取りにくくはっきり分からないこともある。ゆっくり話すように声をかけるとよい。歌や体を動かすようなことも好んでやるが,絵を描いたりすることには苦手意識があり,少し難しく感じると「先生かいて」と逃げ腰になることがある。

(オ) 体験入学の実施体制(甲29,65,66,73,99の6,100の5,乙18,証人P13)

本件体験入学の具体的な日程は,ζ分教室とβ小学校との協議により,β小学校において学校行事等のない平成12年1月20日から同年2月2日までの2週間(実日数11日間)と決められた。また,本件体験入学の内容については,在籍児童の学習進度のことを考えて,これまでの時間割りを原則として変更することなく,授業合計44時限(なかよしタイム11回,国語7回,算数8回,生活5回,体育4回,音楽1回,図工3回,書写1回,外遊び2回,学活1回,お別れの会1回)及び給食8回の予定が組まれた。

また,本件体験入学の実施に当たり,β小学校では,P1一人に負担がかからないよう,体験入学期間中は,校長,教頭を含め,手の空いている教師が誰かしら授業に参加するようにとの申し合わせがされた。

さらに,平成12年1月13日に実施された「体験入学に伴う事前打ち合わせ会」では,P1の希望により,①体験児童が安定して学習に取り組めると学校側が判断するまでは,保護者が終日付き添うこと,②校内適正就学指導委員会のメンバー(校長,教頭,教務主任,生徒指導主任,学級担任,養護教諭)が定期的に養護学級を視察し,記録すること,③体験児童が他の児童を傷つけたり,危険な行動をとる等の問題が生じたときは,その後の体験入学の継続について検討することなどの申し合わせがされた。

(カ) 体験入学実施中の出来事

a 学級内での出来事(甲29,30,79,80,81の4,81の5,82ないし87〔枝番号を含む。〕,99の7ないし9)

(a) 1月20日(木) 体験入学初日

体験児童の母親が終日付き添った。

1時限目はP13校長とP17教頭が,2時限目はP18教諭とP19教諭が,3時限目はP13校長とP25指導員がそれぞれ補助者として参加した。体験児童に問題行動は特に見られず,また在籍児童にも体験児童を受け入れようとする姿勢が見られたが,体験児童の下校後,在籍児童P2にやや疲れた様子が見受けられた。

(b) 1月21日(金) 体験入学2日目

体験児童の母親が終日付き添った。

1時限目(なかよしタイム),母親によると,朝,姉からきついことを言われたとのことであり,体験児童は興奮し,荒れた感じで,教卓の上のプリントや本を引っ張って落としたり,P1が読み聞かせをしている間にもバンバンと撃つ真似をしたり,汚い言葉を口にした。ビーズ落とし,長縄,ボール取り等は何とかできたが,トランプやカルタとりになると,母親の手首をつねったり,P1の背中を蹴ったりした。

2時限目(算数),P1は体験児童に付きっきりの状態であった(補助者:P17教頭,P14主任)。

3時限目(図工),体験児童が作ったストローロケットを人の顔に向けて吹くのでP1が注意した(補助者:P20教諭,児童相談所のP14主任)。

4時限目(書写),在籍児童P3は普通学級(1年1組)に行ったが,在籍児童P2はぐったりと疲れた様子で寝そべり,そのまま給食時間になるまで寝ていた。下校時,在籍児童P2が本件体験入学がいつまで続くのか知りたがったので,P1は,日めくりカレンダーの2月2日の欄に「P4さん(注・体験児童のこと)とおわかれ」と書いた。

(c) 1月24日(月) 体験入学3日目

体験児童の母親が3時限目の途中まで付き添った。

1時限目(なかよしタイム),体験児童はだいぶ興奮しており,手をあげたり,掴みかかったりするなど危ない行動を見せたため,母親とP13校長が指導に加わり,何とか終わりの挨拶まで済ますことができた(補助者:P13校長)。

2時限目(算数),P1は体験児童にほぼ付きっきりの状態で,在籍児童P3は1人で課題を何とかこなせたものの,在籍児童P2はストロー工作に心を奪われ,課題は全く手に付かなかった(補助者:P17教頭)。

3時限目(体育),交流体育の予定を変更して外遊びを行ったところ,P1は体験児童から眼鏡を取られそうになったり,ひっきりなしに話しかけられるなどした(補助者:P25指導員)。

4時限目(国語),体験児童は,P21教務主任に励まされながらマーブル並べを1枚やり終えたが,その後はごろっと寝そべって指しゃぶりを始めた。文字積み木を出して,P21教務主任が話しかけると,体験児童は,お話しの世界に入り,盛んに話した。在籍児童P3とP2は,いつものプリントの課題ができず,なわとびの詩を読んで終わった(補助者:P21教務主任,P25指導員)。

休み時間に体験児童が教室から出て他の子供たちとにぎやかに過ごしている間,在籍児童P3とP2は教室に残り,お気に入りの粘土遊びをしていた。

(d) 1月25日(火) 体験入学4日目

体験児童の祖父が3時限目まで付き添った。

朝の活動・1時限目(なかよしタイム),体験児童は大型積み木を投げたり,在籍児童P2と掴み合いのけんかになるなど,朝から落ち着かない様子であった。在籍児童P2は,体験児童に度々掴みかかられ,最初のうちは「乱暴はだめ」と注意していたが,そのうち「固まっちゃった」と言ってマットの上で放心状態に陥った。在籍児童P3も,体験児童に髪の毛を度々引っ張られて嫌がっていた(補助者:途中からζ分教室の教諭たち)。

2時限目(算数),ζ分教室の教諭が,体験児童が失便しているようだと言うので,P1は,体験児童をトイレに連れて行き,パンツを履き替えさせた。P1は,体験児童が在籍児童P2のプリントを掴んでくしゃくしゃにし,怒った在籍児童P2が体験児童に掴みかかったところを制止した。その後,在籍児童P2は気持ちを切り替えられず,課題等が全く出来なかった(補助者:ζ分教室の教諭たち)。

3時限目(国語),体験児童が在籍児童P2の持っていたカードを取ろうとして喧嘩になった。2人を引き離した後,体験児童はP20教諭とカルタのカードで遊んだ。在籍児童P3とP2はマーブル並べをした。予定していたプリントを在籍児童P3は何とかやり終えたが,在籍児童P2は書かずに口頭で言って終わった。P1は,体験児童がうんちが出るというので急いでトイレに連れて行き,パンツに少しうんちが付いていたので,替えを取りに行ったところ,その間に体験児童は更にうんちを出していた(補助者:P20教諭,ζ分教室の教諭たち)。

4時限目(体育),体験児童と在籍児童P3は運動場のセイフティマットで遊んだ。在籍児童P2は相当疲れている様子だったので,P1は在籍児童P2を職員室で休ませた。P1は,体験児童のズボンの前が濡れていたので,同児童を保健室に連れて行って着替えさせた。

休み時間,体験児童はほとんど1組の教室にはおらず,ほかの1年生と遊んでいた。しつこく掴みかかったり,追いかけたり,腕を抱えて引っ張っていったりするので,された子供もやや戸惑っていた。

(e) 1月26日(水) 体験入学5日目

体験児童の母親が3時限目まで付き添った。

朝の活動・1時限目(なかよしタイム),教室内で,体験児童が一見しておもちゃと分かる包丁を手に持ちながら,「殺すぞ」と言って在籍児童P3を追い回したため,P1は体験児童から上記包丁を取り上げた。その後,体育館で,体験児童が在籍児童P3の首に手をかけたり,しつこくちょっかいを出したりするので,P1は体験児童を強く注意した。また,体験児童が在籍児童P2のおもちゃの刀を見つけ,これを振り回すので,P1は,母親にこれを取り上げさせた。

2時限目(算数),大きなトラブルもなく,ボーリングを行った。

3時限目(生活),普通学級の児童たちと一緒にτ公民館へ行った。

4時限目,在籍児童P3とP2は粘土遊び,体験児童は電話機を使ってP1とごっこ遊びをした。体験児童がP1の髪の毛を引っ張るため,P1は体験児童を強く叱った。また,体験児童が,P1らの前でズボンを下げて見せたところ,在籍児童P3とP2は,体験児童に対して「そんなことしちゃいけないんだよ。」と言った。

昼休み,P1が在籍児童P2に対し「先生は職員室にいるからね。困ったらおいで」と声を掛けると,在籍児童P2はP1に付いてきて,昼休みの間,同女のそばにいた。

(f) 1月27日(木) 体験入学6日目

体験児童の母親が3時限目まで付き添った。

朝の活動・1時限目(なかよしタイム),体験児童が一緒に長繩を飛んでいた在籍児童P3を突然後ろから押し倒し,在籍児童P2も同P3にいきなり掴みかかった。P1は,在籍児童P2を校長室に連れて行き,その際在籍児童P3も付いてきたため,2人を休ませた。

しばらく休んだ後,P1,在籍児童P3及びP2の3人で体育館に行き,遊んでいたところ,体験児童がやって来たので,在籍児童P2は教室に戻ろうとした。P1が在籍児童P2を背負うと,その下半身はガチガチに緊張して固くなっていた。

教室で朝の会をしたところ,体験児童が,隣の席に座っていた在籍児童P3にしょっちゅう手をかけたり,足で蹴ったりするので,在籍児童P3は席を離れ,教室の後ろにある本棚のところで本を読み出した。その後,P1が読み聞かせを始めても在籍児童P3は席に戻らなかった(補助者:途中からP13校長)。

2時限目(体育),交流体育は無理と判断して,運動場に出ることにした。砂場で,体験児童は,在籍児童P3が作っていた山をいきなり踏み潰したり,P1の背後から突然頭の上に砂をかけるなどした。ひとしきり砂遊びをした後,ブランコとシーソーをした(補助者:P13校長)。

3時限目(国語),体験児童は終始落ち着かない状態で,P32教諭に唾を吐き,注意を受けた(補助者:P32講師)。

休み時間,P1は在籍児童P3とP2を校長室で休ませた。

4時限目(図工),P21教務主任がマンツーマンで体験児童の相手をしたが,ときどき体験児童と在籍児童P2とで掴み合いになることもあった。体験児童は,P21教務主任にも唾を吐いた(補助者:P21教務主任)。

昼休み,在籍児童P2は職員室で過ごした。

掃除の時間,体験児童が1年2組の児童の顔をいきなり鷲掴みにし,爪で引っかき傷をつけた。体験児童も,フーフー言ったり,ズボンを下げてみせるなど,かなりストレスをためている様子だった。

(g) 1月28日(金) 体験入学7日目

体験児童の母親が3時限目まで付き添った。

朝,P1が所用で校長室に行くと,在籍児童P3とP2も付いてきて,「教室へ一緒に戻ろう。」と言っても動こうとしない。しばらく3人で校長室にいると,在籍児童P2が「P4くん(注・体験児童のこと)はいないよ。」「体育館で3人で遊ぼう。」と言って部屋から出て行ったので,P1と在籍児童P3は,在籍児童P2を追いかけて体育館まで行き,3人でマット遊び等をした。

1時限目が終わっても,在籍児童P3とP2が教室に戻ろうとしないので,P1,在籍児童P3及びP2の3人は校長室や職員室で過ごした。

この間,体験児童は,P17教頭とP21教務主任に相手をしてもらい,段ボールで消防車を作っていた。

3時限目(算数),在籍児童P3とP2が体験児童の持っている消防車を羨ましがったため,P1は,授業の予定を変更して,2人に段ボール工作をさせた。その間,体験児童の相手はP22講師がした(補助者:P22講師)。

4時限目(書写),体験児童にP21教務主任も付いて,書写の学習をした。体験児童は,励まされながら線の練習のプリントをやり,満足そうな表情を見せた。在籍児童P3とP2はカタカナのプリントをした。課題が終わった後,自作の消防車でごっこ遊びが始まった(補助者:P21教務主任)。

給食の後,体験児童と在籍児童P3が自作の消防車で一緒に遊んでいたが,そのうち,いきなり体験児童が在籍児童P3の消防車を踏み潰した。在籍児童P3は何も言えなかった。

掃除が始まっても体験児童が戻らないので,P1が探しに行くと,体験児童はにわとり小屋の中にいた。

5時限目(音楽),P23講師が体験児童のおもらしを見つけ,トイレに連れて行った。下校時,体験児童が在籍児童P2を挑発し,これに怒った在籍児童P2が体験児童を蹴ったので,P23講師が体験児童を,P1が在籍児童P2をそれぞれ抑え込んだ。

(h) 1月29日(土) 体験入学8日目

体験児童の母親が終日付き添った。

朝,体験児童が一人で教室に入ってきたので,P1が「お母さんはどうしたの。」と聞くと,「お母さんは死んじゃった。お腹が痛いって吐いちゃった。入院しちゃった。一人で来た。くそとっとうくるよ。」と答え,しばらくすると母親も教室にやって来た。P1が体験児童に「今日は読み聞かせがあるから1の2(普通学級)に行こう。」と話していると,同クラスの担任のP19教諭が「一緒に行こう。」と声をかけてくれ,体験児童は喜んでP19教諭にくっついていった。これに対し,P1が在籍児童P3とP2に「1の1に行こう」と言っても,2人は頑として行こうとしないため,P1,在籍児童P3及びP2の3人は仕方なく教室で本を読んで過ごした。

1時限目(なかよしタイム),体験児童が在籍児童P2の持っていた新聞紙の刀を取り上げたので,在籍児童P2は腹を立てた。P13校長が新聞紙を持ってきて,体験児童に刀を作らせると,体験児童と在籍児童P2はチャンバラを始めた。P1は,頃合いをみて,チャンバラを終わらせた(補助者:途中からP13校長)。

2時限目(国語),体験児童は,国語の線のプリントをやり,P17教頭に励まされて3枚仕上げた。在籍児童P3とP2も同じ線の練習をしたがるので,予定していたプリントはできなかった(補助者:P13校長,P17教頭)。

3時限目(学活・おやつ作り),δのP15課長が見学に来て,一緒に遊んでもらった体験児童はうれしそうだった。体験児童の父親が10時少し過ぎにやってきた。みんなで作った蒸しパンを食べ終わったころ,突然,体験児童が父親の顔を平手打ちした。P1はびっくりして体験児童の手を押さえたが,父親は体験児童を叱ろうとしないので,P1が体験児童を叱った。体験児童は父親の方を向いて「いつもやっている」と言った。P1が在籍児童P2にエプロンをたたませていると,体験児童が自分のことも構ってほしそうにP1の後ろから同女に2回椅子をぶつけてきた。在籍児童P2は,体験児童の父親の前で「体験入学は嫌だ。体験入学なんか嫌いだ。」と言った。P1が体験児童とジャンケンを始めると,在籍児童P3とP2も寄って来て,交替でジャンケンをして遊んだ(補助者:途中までP15課長,P13校長)。

(i) 1月31日(月) 体験入学9日目

体験児童の母親が3時限目まで付き添い,P25指導員が2時限目から5時限目まで立ち会った。

体験児童は,日曜日に姉からきついことを言われたらしく,朝から機嫌が悪かった。在籍児童P2は不安定で,話し方もおかしくなっていた。P1は在籍児童P2を校長室に連れて行き,P13校長に在籍児童P2の相手をしてもらった。

2時限目(算数),P17教頭の声かけもあり,仲間分けやボーリングをすることができた(補助者:P17教頭)。

3時限目(体育),体育館のマット置き場で遊んでいると,途中からP13校長が在籍児童P2を連れて来た。体験児童が,空気入れを持ってきて消防ごっこを始めると,在籍児童P2も興味を持って一緒に遊ぶが,体験児童が在籍児童P2にちょっかいを出したため,在籍児童P2がすごい剣幕で体験児童に掴みかかった。P1は,急いで2人を引き離した。P25指導員が要所要所で体験児童を叱り,唾をふき取らせたりした。

4時限目(国語),体験児童,在籍児童P3及びP2の3人でしばらくごっこ遊びをし,P1は,頃合いを見て上記3人を国語の学習に誘った。体験児童は線の練習のプリントをするが,在籍児童P3とP2は段ボール箱の工作に熱中し,頭を切り替えられなかった。体験児童の母親が「国語の勉強にならないね。」とつぶやいた。P1の胃が痛み出した。

プリントが終わった後,体験児童がP1の膝に乗り,抱きついてきた。

子供たちが給食に行っている間,P1は痛みでしばらく横になったが,食事は摂れず,掃除終了まで保健室で休んだ。

5時限目(生活),体験児童,在籍児童P3及びP2の3人は,P17教頭,P25指導員と散歩に出た。P1は教室に残り,連絡ノートを書くなどした。3人が教室に戻ってから少しの間,ドミノで遊んだ。体験児童はP17教頭を相手に話し続けていた(補助者:P17教頭)。

(j) 2月1日(火) 体験入学10日目

体験児童の母親が4時限目途中まで付き添い,ζ分教室のP24教頭と,児童相談所のP14教諭が話し合いに訪れた。

在籍児童P2は,このところ,朝,カバンの片付けをやらせようとしても全くできず,今朝は上着を着たまま自分から脱ごうとしなかった。P1が在籍児童P2の上着を脱がせ,親からの手紙を届けながらP2を校長室に連れて行った。

1時限目(なかよしタイム),体験児童は疲れている様子で,いつになく静かであった(補助者:P13校長)。

2時限目(算数),在籍児童P3とP2はいつもどおりにやるが,体験児童はカーペットに寝ころんだまま動こうとしなかった。

終わっておやつタイムになると,体験児童はわずか二つのフィンガービスケットを長い時間をかけてゆっくりと食べた。校長室ではζ分教室のP24教頭に会ったためか,体験児童は興奮状態となり,足をテーブルの上に乗せたり,P1に唾を吐いたり,P13校長のお茶を飲んだり,ソファーの上で跳ねたりしており,P1が教室に戻ろうと言っても付いてこないので,P1は体験児童を残して校長室を出た。

3時限目(国語),体験児童がP1に対して唾を吐いたり,ふざけたりするので,上記P24教頭が厳しく注意をした。あまりの厳しさに在籍児童P3とP2は怯えてしまっていた。P1が授業の準備をしていると,体験児童がうんちが出ちゃったというのでトイレに連れて行った。

授業中,在籍児童P2が歌い出し,体験児童も一緒に歌う。P1はカルタをしようと子供たちを誘うがなかなかまとまらず,更に体験児童が窓枠に掴まって,大きな声でみーんみーんと蝉が鳴く真似をするなど,授業にならない状態が続いた(補助者:P24教頭)。

4時限目(体育),体験児童がつらくて泣き出し,幼稚園時代を思い出し,幼稚園がよかったと懐かしがった(補助者:P24教頭)。

(k) 2月2日(水) 体験入学11日目

体験児童の母親が4時限目の途中まで付き添った。

P1は,朝から喉が痛くてほとんど声が出ない状態で,児童3人も疲れ切っており,それぞれが一人遊びとなる。在籍児童P2の疲れが目立ったので,校長室に連れて行った。

P1は声が出ず困って,児童らにテレビをつけて見せることにした。体験児童はP1に寄りかかり,指を2本口に入れ,ちゅっ,ちゅっと吸いながらテレビを見ていた。

その後,P1は,体験児童に母親と向かい合わせてジャンケンをさせてみた。何回か勝ったり負けたりした後,母親がずっと勝ち続け,体験児童がひどく荒れ出したので,仕方なく,体験児童を校長室に連れて行き,応接室でビデオを見てもらうようにセットし,体験児童を母親に委ねた。

2時限目(算数),P1は,在籍児童P3及びP2と算数の学習をした。

3,4時限目(生活),在籍児童P3とP2を体育館に連れて行き,1年生の劇を見せようとしたが,ほとんど見ていることができず,マット置き場で遊んでいた。劇が終わり,ゲームになったので,P1は,体験児童を呼びに行った。体験児童はトイレが間に合わず,着替えをして保健室から母親と出てきた。体育館ではP23講師に会ってうれしそうな様子だったが,唾吐きなどをして注意を受けた。学校探検が始まり,体験児童は,他の子供たちと一緒に体育館から出ていった。

給食の後,1年生が簡単なお別れの会をしてくれ,体験児童はプレゼントをもらった。その後,体験児童は,帰り支度をして校長室に行くが,ここでも唾吐きをした。昇降口でいったん外に出た後,また入ってくるなど,複雑な気持ちを表現していた。

b なお,本件体験入学の状況を見学した在籍児童P3とP2の保護者らは,同期間中,P13校長,α教育委員会及び児童相談所に対し体験入学の中止を求める手紙やEメールを送った(甲83ないし87)。これを受けて,P13校長が,上記保護者らと面談したところ,一応の理解が得られたため,本件体験入学は中止されず,当初の予定どおり2月2日まで実施された(証人P13)。

オ 本件自殺に至るまでの経緯(甲26の3,29,31,50,51の2,乙8,10)

P1は,本件体験入学の途中から胃痛や喉の痛み等で体調を崩し,それは体験入学終了後も続いていた。また,体験入学終了直後の平成12年2月4日には,体験児童の親が平成12年度のβ小学校への転入申請を取り下げた旨の連絡を受けるが,上記症状に改善の兆しは見られなかった。P1は,同月21日,落ち込み,朝がつらい,胸が締め付けられる,睡眠がぐっすり取れない等の症状を訴えてP5クリニックを受診したところ,うつ状態であると診断された。

以後,P1は,P5クリニックにおいて薬物療法及び精神療法による通院治療を受けていたが,症状が改善しないため,同年4月17日ころ,主治医から長期休養を勧められた。

P1は,同月20日,主治医に,休職のため,「病名:うつ状態。上記にて加療中であるが今後3か月程度の休養が必要と思われます。」と記載した診断書を発行してもらい,同月21日から3か月間休職することとなった。休職後P1の症状はかなり良くなり,生活も改善され,同年6月12日には主治医から職場復帰可能な状態にあると診断されるまでになったが,その後,再び症状が悪化した。そして,同年7月12日には,友人との話を通じて,医者に治してもらうのではなく,自分で治そうとすることが大事だと考えて,睡眠薬を自らの判断で半分にしたり,同月13日には,掛川市立総合病院の産婦人科を受診して,更年期障害の治療としてホルモン補充療法を受け始めるとともに,同病院の医師から飲んでいる薬が強すぎるのではないかとの指摘を受けて,P5クリニックから処方されている薬を飲むのをやめたりする中で,職場復帰の日(同月21日)が近づくにつれて病状が更に悪化し,発症直後と同じような状態になった。その結果P5クリニックの受診回数が多くなり,主治医に電話する回数も増えたため,主治医の勧めもあって,同月22日には,9月まで休暇を取得することとなった。同年7月27日,P1は主治医に対し,気分が落ち込んで死にたくなることがあると訴え,主治医は,薬物療法の調整を行うとともに入院を勧めたが,症状がよくならないまま,同年8月2日午前5時ころ(推定),P1は,入院することなく,原告宅(実家)の西側作業小屋内において縊死した。

なお,P1の寝室内にあったカバンの中から発見されたノートには,同人の筆跡で,次のように記載されていた(甲10,26の1)。

「お母さん,お父さん,P6君,P7さん,P8さん,P9くん,P10くん,みんな,みんなありがとう。めいわくをかけること,申し訳なく心苦しいですが,今の私は,苦しくて仕方ありません。逃げることで,皆にも過大な負担をかけてしまうことお許しください。主治医のP5先生には,2月以来,大変よくしていただきました。たびたびのパニック発作にも冷静に対応していただきお礼の気持ちでいっぱいです。」

また,P1の遺品のスケッチブックの中にあった「P4君(注・体験児童のこと)へ」と題するページには,次のような記載があった(甲26の4,92)。

「P4君,つばきを吐きかけられてとてもいやでした。どうしてそんなに相手の顔に向かって吐くのですか?とっても失礼なことで,人としてゆるされないことです。大声でどなって,ひっぱたいてやりたかったよ。どうして吐くんだ!顔に向けて吐くなんてとんでもない。

それから,砂場で私の頭に砂をかけましたね。先生のたん生日ケーキだと言っておきながらそのすぐあとで砂をかけるとは!もうびっくりしてしまいこえもだせませんでした。ひっつかんで,おしりをぶってやればよかった!もっとおこればよかったのに,まわりにP25先生がいたり,他の人がいたり,して,思いきったことができなかった。それに,P2君(注・在籍児童P2のこと)を指導していると,大声はごはっとなのです。大声をあまりださずに,やるべきことを手をそえてやらせるというのが,ならい性になっていました。過敏になっているP2君を刺激したくなかったし,いや,私の心も弱っていたのでしょう。それと,叱ればこうふんする。P4のことがわかったこともありましょう。

国語の学習のあと,あなたにだきつかれた時,私はゾッとしていました。どうしてもやさしくだけなかった。P4は私を独占した勝利の気持ちで意気ようようとしていたのです。そんなのはセクハラだ!と言いたい気持ちでした。」

また,同じスケッチブックの中の他のページには,いずれもP1の筆跡で,次のような記載があった(甲26の5,92)。

「-P33さんへ-」

「私がどんなに苦しい思いをして体験入学をしたかわからないでしょうね。私はP2くん(注・在籍児童P2のこと)と同じ気持ち,同じ心で体験入学を受けとめ,心の傷を受けました。P2くんの恐怖心を共有してしまったのです。これはひどい体験,残酷な体験でした。P33さんにはわからないでしょう。どんなにつらかったことか!私はこの体験をま正面から頭と心で受けてしまった。心がないているのです。つらい!つらい!つらい!つらい!ひどい!ひどい!ひどい!」

「-P33さんから-」

「P1さん,つらい気持ちはわかります。よくやりとげてくれましたね。ひとり者のあなたの苦しみがよく分かりました。私も立場上,精一杯やったつもりです。不十分だったところは許してくださいね。報告も書きあげ,全職員に報告されたあなたを見て心から感謝しています。関係者の苦しみも理解されていたようでうれしかったです。再生,P1さんをむかえ,β号もしばしの」

(4) P1の症状に関する医師の意見

本件自殺の後にP1の症状について医師が述べた意見の概要は,次のとおりである。

ア  P5クリニックP5医師からの聴取記録(甲41),同医師の病状報告書(甲48)

(ア) 初診時の病状及び愁訴

落ち込み,朝がつらい,胸が締め付けられる,睡眠が取れない,いらいらする(抑うつ気分,気分の日内変動,睡眠障害-熟眠障害,中途覚せい,早朝覚せい,焦燥感,その他身体症状)

(イ) 診断病名(従来診断病名/ICD-10)

初診時は「うつ状態」と診断して薬物療法,精神療法を施行したが,振り返って診断病名を付けるとしたら,「心因性うつ病」ということであろう。ICD-10の分類については,はっきりとは分からない。

(ウ) 発病の主な原因

「自傷行為などの問題行動を起こす生徒の担任になった。2週間の体験入学ではあったが自分の中にはこの時のことがつらい体験として残っている。」以上がP1の弁であった。したがって,生徒の担任となったことが主な原因として考えられる。

(エ) 父親の病歴との関係

父親のエピソードは,本件の場合,直接には関係がない。思春期に発症したのであれば,父親からの遺伝であると疑ってかかる余地もあるが,P1は47歳で発症しており,遺伝とは考えにくい。やはりストレスとの関係が強いのだろうと思う。

ただ,父親が心身症になりやすい性質・性格だから娘もなりやすいかと問われると,正直なところ何ともいえない。

(オ) 発病から縊死に至るまでの経過

平成12年2月21日が初診である。うつ状態と診断して薬物療法,精神療法を施行した。仕事は続けていたが,病状が改善しないため休職することになった。休職中,仕事のことは忘れて美術館での絵画鑑賞やお花の習い事等をして過ごしたことで病状はかなり良くなり,気持ちは楽になり,生活も改善された。7月20日までの休職予定であったが,仕事に戻る日が近づくにつれて病状が再び悪化し,以前(発症直後)と同様の状態となった。受診回数が多くなり,電話の回数も増え,9月まで休みを延長することになった。同月27日,P1から気分が落ち込んで死にたくなることもあるとの訴えがあったので,薬物療法の調整を行うとともに入院を勧めたが,病状は良くならず8月2日に実家の作業小屋で縊死した。

(カ) 平成12年7月のP1の症状について

平成12年7月に入ってから,全身倦怠感,イライラする,じっとしていられない,今までやれたことがやれない,死にたくなることもある,といった様子でP1の病状が悪化したため治療薬を変えた。そのために投薬量が多くなった。

(キ) 最後の診察時の様子

平成12年7月になってから症状が悪化したので,薬物を調整したり,家族に一緒に受診してもらうなどの対応をした。同月27日には落ち込んで死にたくなることもあるとの訴えがあったので,P1とその家族に入院に関する説明をして,薬物の調整を行った。最後の診察時点では,病状は悪化しており,混乱状態で,判断力も低下した状態であった。

イ  地方公務員災害補償基金専門医の意見書(甲53の1)

本件は,従来診断の「うつ病」,ICD-10の「F32:うつ病エピソード」と認められる。P1のそれまでの養護学級の業務自体には特に過重性は認められず,また,前任校において既に1年間養護学級の経験があり,P1にとっての全くの新規業務ではない。

体験入学の期間は,担任であるP1に一番負担がかかったものとはいえ,P1のみが全て負担したのではなく関係職員等の周囲の協力があった。体験入学の期間もあらかじめ分かっている日程であり,2週間と期限が決められている区切りのあるものであった。

P1の心身の変化は,体験入学よりもかなり前の時点から現れている。当時は体験入学について具体的には決まっておらず,体験児童に問題があるとの話を聞いていたにせよ,実施についての打合せすら始まっていなかった。

P1は,受け入れる前からどうしようもない不安を感じており,在籍児童と作り上げた学級体制に対向するものとして体験児童をみている。それは嫌悪感として現れてきたと考えられる。P1はかなり思い込みが強く,柔軟に物事に対応していくことができず,ストレスに対して耐性が弱い。

発症は体験入学よりもっと前からではないか。体験入学と聞いただけで一種の急性ストレス反応のような症状が出て,体験入学をして更に悪くなり,それから休職をし自宅療養を行ったとしても症状は改善しきれない。体験入学が全く影響しなかったとはいえないが,それが主たる原因での発症とはいえない。2週間の体験入学によって病態がこれほどまでに悪化するというのは考えられず,それのみが原因ではないと考える。

以上のことから,体験入学に重度の精神疾患を発症させたという全ての原因を持たせることは到底できず,体験入学の児童を引き取ったことが客観的にみて過重な負担になったともいえない。本件は,環境要因と本人の持っている性格,素因等を比較した場合,本人の性格,素因等の個体的要因が,本件疾病発症のより大きな要因になっているものと思われる。

ウ  P26医師の意見書(甲54の2)

(ア) 本件に対する意見

体験児童の受け入れの問題が浮上したとき,明らかに,P1の拒否反応が出ている。P1は,拒否感の強い中で受けとめており,問題行動のある児童の行動へも,柔軟な余裕といったものが窺われない。「辛い体験であった」という言葉の意味は十分に言語化されていないが,どんなことであったのか。問題行動のある体験児童を受け入れ,混乱している教室の責任者として,対応に混乱を来して,自身を失った,というのかもしれない。しかし,気になることが資料には述べられている。抱きつかれてぞっとした,どうしてもやさしく抱けなかったとあるが,可愛く思えないという感想は,教師にとって深刻である。それは,教師の存立基盤に関わる問題となる。こんなふうに感じると,教師としての限界にぶつかった感じがし,深刻な危機に陥るのではないか,という気すらある。また,在籍児童への思い入れも気になるところである。P1にも不登校の時期があったというが,そうした自分と重なり,投影し,再体験していくものがあっての辛い体験であったのか。

いずれにせよ,体験児童の受け入れが身体的反応を引き起こし,その後の抑うつ状態の発症の原因にもなっていることはいうまでもない。ただ,それは,心身の負担,疲労が非常に大きかった,という意味ではない。問題行動のある児童を受け入れた負担が原因という意味ではない。P1にとっての何か大きな心理的変化が生じた,とみるべきであろう。場合によっては,それにより,自らのよって立つ基盤が崩れた可能性が推測されるような。その内容は,今となっては不明というしかない。しかし,だからこそ,以後の診療の中で,こうした問題,葛藤は言語化されることなく,病気の一進一退の問題に拘泥し,むしろ避けて経過したのではないか,とも思われるのである。

このように,本件の経過を見るなら,診断的には従来診断の反応性うつ病であったと考える。柔軟さを欠き,多角的な視点から物事を見る余裕に欠け,思い込みが強く,不安を感じると,そこから抜け出せない性格傾向があったのかもしれない。そうした性格傾向が,体験児童の受け入れを通して,本人の存立基盤を揺るがすものを現出していったように思われる。これが,反応の中核であろう。

(イ) 傷病名について

本件は,従来診断の「反応性うつ病」,ICD-10の「F32 うつ病エピソード」と考える。

(ウ) 本件体験入学での出来事がP1の疾病にどの程度影響したか。

本件体験入学がなければどうだったかと推測すると,おそらく発病はなかったと思われ,その意味では,影響度はかなり大きいと考える。しかし,一生なかったかと尋ねられると,そうだとは断定し難い。それは,性格傾向や,現実へのスタンスの取り方,ストレスへの弱さなど,発症へと結びつくものを有していることが疑われるからである。そうした意味では,本件体験入学が原因の全てであるとはいえない。

(エ) P1の心身の変化の出現した時期について

心身の変化の出現した時期については,抑うつ状態の発症として考えていくなら,体験入学の時期であって,体験入学の可能性を知って不安や動揺があったとしても,それと抑うつ状態の発症とは区別されるべきと考える。

エ  P34の意見書(乙29)

(ア) P1の精神疾患について

P1が罹患していた精神疾患については,①主治医が初診時に,抑うつ気分,気分の日内変動,睡眠障害の出現から「うつ病」を疑っていること,②その後,主治医が統合失調症を疑い,抗うつ剤から抗精神病薬主体の薬物治療に変えていること,③P1は,平成12年4月21日から同年7月19日まで特別休暇を取得しているが,その間の診療録を見ると,同年6月ころにはP1の症状が職場復帰可能な状態にまで改善されており,休務加療と抗精神病薬の治療が奏効したと考えられること,④体験児童の親が平成12年2月4日に転入申請を取り下げたことをP1は認識していたにもかかわらず病状が増悪・悪化していること,⑤本人のもっとも恐れていた体験児童の転入というストレスが除去されたにもかかわらず,病態水準は分裂病様状態にまで推移していること,⑥平成12年7月22日のP1の日記には,食欲不振に加え「次第に自分でいろいろなことができなくなる。ロボットのようにぎこちない。自然な動きができない。じっとしていられない。焦燥感にかられ不安になる。将来に対する不安がおそってくると体がぎこちなくなり,些細なこともできなくなって呼吸がおかしくなる。」と不安焦燥,思考障害,行動の不自然さや行動障害を推測させる記載がみられること,⑦平成12年7月28日のP1の日記には,希死念慮に加え「世界が変わってみえる。欲望のままにふくれあがった借金世界が今,崩れていく。私に見えるのは,ほこりにまみれた世界だ。すべてがゴミとなる。私はムダづかいをしすぎたし,とり返しがつかない。世界観が一変してしまう。」と非現実的でまとまりのなく,正常な心的活動では抑制されているはずの心的内容が露出され,思考はあいまいで漠然としている上,理解が困難な内容となっており,妄想の存在までは断定できないものの,妄想が形成される手前の状態に陥っていた可能性は否定できないのであって,この時点でP1の自我境界が崩れ,その精神内界を支えきれない状態へと移行し,精神病様状態に陥っていたことは間違いないと判断できること,⑧病態は,主治医が判断した「うつ病」→「分裂病様状態」→「普通の状態」→<復帰前のストレス>⇒症状多く抑うつ的,希死念慮(診療録・7月22日欄),不安焦燥,思考行動傷害の発現(日記・7月22日欄)→精神病様状態(日記・7月28日欄)→自殺に至っていること等から分かるように分裂病様症状(前記の妄想気分の存在)とうつ病症状が混在していることから,「F32.3 精神病症状を伴う重症うつ病エピソード」と診断するのが相当である。

(イ) 発症の時期について

P1の日記等からすると,本件体験入学を実施する前から,同体験入学に対する拒否反応が出ており,これを精神疾患の明確な発症と捉えるかどうかは別として,前駆症状あるいは潜在症状とみれば,P1の心身の変化は,体験入学実施よりもかなり前の時点から現れているといえる。また,診療録の4月20日欄に「<校長>『…昨年4月からのつきあい。多少のストレスあると,動揺する。人事が不本意であった。以前より,イロイロと問題があったらしい。親族とのつきあいがあまりない。職員体制の中での対応にも非常に苦労している。』と記載されていることからみても,P1が,元来,非常に不安定な心の持ち主であることが推測され,脆弱性の高い性格傾向を有していたと判断するのが妥当である。

P1が,従前,体験入学において大変な苦労をしたという現実体験があれば,再度その体験を余儀なくされるということは,心因としてかなりのストレスと考えられるが,体験児童に問題があるとの話を聞いたにせよ,実施についての打ち合わせすら始まっていなかった段階での反応としては,P1の側の過剰で過敏な反応といわざるを得ない。体験入学が本人の病像に全く影響しなかったとはいえないが,それ以前の反応からみると,それが本件精神疾患の主因と判断することはできない。

(ウ) 発症の原因について

a P1の精神疾患は,単なるうつ病と診断するには,多彩な症状が出現しており,心因(外的)要因によって,うつ病を発症したというより,個体の抱える多様な内因が多彩な症状として出現したものと解される。

b この点は,P1自身が不登校によって精神科を受診した経験があり,P1の父親に統合失調症の病歴があり,妹が過去にカウンセリングを受けていたことからも肯首できる。

c また,体験入学その他の公務を原因と考えた場合,精神疾患の原因から長期に離れているのに改善が認められないのであるから,やはり,その主因は,本人の個体側要因によるものと判断できる。

d P1が,自分の日記の中で「私の不安感,悲観も病気のあらわれだ」「死にたい」と述べていることからも,「F32.3精神病症状を伴う重症うつ病エピソード」の症状である希死念慮に起因した自殺と判断するのが妥当である。

e したがって,P1の自殺の原因を公務とすることには,疑問を感じざるを得ない。

オ  P35医師の意見書(甲153)

(ア) 総論的意見

本件のように疫学データが既にある場合,たとえ裁判であっても,また労災事案であっても,医学に関する問題が争点になっている限り,因果関係論は疫学的因果推論を踏まえたものが要求されるというべきである。

(イ) 発症時期について

P1の心身状態変化を中心に時系列でまとめた結果,確度は余り高いとは言い難いものの,P1は,平成12年2月中旬ころ,うつ病を発症していたとするのが妥当と判断された。

(ウ) 本件の因果関係推論

「要求度-裁量度-支援度モデル」から見た場合,P1は,体験入学以前の状況において,養護学級についての特別な予算措置がない,教材や教具も不十分といった低支援の状態にあり,本件体験入学について,教育委員会の連絡を校長から聞かされて,体験入学を受け入れざるを得ない(拒否できない)といった「低裁量」の状態にあった。

体験入学実施中も「ほとんどつきっきり」,児童の動きや反応に目が離せないという「低裁量」の状態にあり,また児童の問題行動があったのに体験入学が中止されず,かつ,体験児童の親の納得を得るために実施されており,「高要求」の状態にあったものである。

したがって,本件体験入学受入れの過程及び体験入学実施期間を通じて,P1が従事していた労働の特徴は「高要求度」「低裁量度」「低支援度」であり「心理的緊迫」を求められるものであったとするのが妥当と判断された。労働ストレス因子に限っても,相対リスク約22倍,曝露者寄与割合約95パーセントという高い数値が推計され,これらの推計値から,P1が従事していた公務とうつ病発症の間には因果関係が推認されると判断した。

また,本件体験入学を生活上の出来事(ライフイベント)と捉えた場合,「職業上の問題」が発生した当該月にうつ病を発症するリスクは,相対リスク3.12,暴露者寄与割合68パーセントと推計され,ライフイベントモデルの点からも,本件体験入学とうつ病発症との間に因果関係が推認されると判断した。

以上のとおり,疫学研究及び精神医学研究の見地から,本件うつ病発症の原因は,発症前にP1が従事していた公務にあったとするのが妥当である。

(5) そこで,前記(2)の見地から,前記(3)の事実に基づいて,前記(4)の医師の意見も参考にしつつ,P1の自殺が公務の過重性を理由とするものであると認められるか否かについて判断する。

ア  前記(3)の事実及び前記(4)の医師の意見によれば,P1は,本件体験入学実施の前後にうつ病に罹患し,休職の上治療を受けることによって一時はその症状が軽快したものの復職間近になって重症化し,うつ病に基づく自殺念慮発作によって自殺したものと認められる。

イ(ア)  β小学校におけるP1の日常の職務の過重性の有無について

a β小学校においてP1が受け持っていた養護学級は,普通学級に比べて児童数は少ないが,他方,児童の個々の障害の程度に合わせたきめ細かい教育指導が要求され,また,基本的な生活態度の習慣付けなどをする必要がある点でそれだけ手間がかかることも否定し難いところである。

さらに,①平成11年4月のγ小学校からβ小学校への転任がP1にとって不本意なものであったこと,②新設されたばかりのβ小学校の養護学級には,障害児教育のための教材や教具が不足していたこと,③P1の日記の内容をみても,在籍児童P2に対する指導方法に思い悩んでいた様子が認められることなどに照らすと,β小学校に転任後の職務について,P1が,自己の能力に照らして大変と感じていたであろうことは推認することができる。

b しかしながら,前記認定事実によれば,P1は,前任校のγ小学校において,平成9年度は級外として養護学級で週3,4時間の授業を受け持ち,平成10年度には自ら希望して同校の養護学級の担任をしており,平成11年4月にβ小学校に転任するまで通算2年間に及ぶ養護学級での経験を有しており,養護学級担任の職務に不慣れであったとはいえない。また,β小学校における養護学級の児童数は2名であるが,平成12年度当時,静岡県内にある小学校の養護学級のうち児童数が4名以上の学級が全体の6割近くを占めていたことからすると,P1が担当した児童数が特別多いとはいえない。さらに,公立学校の教職員にとって職場の変更等は珍しいことではないし,本件養護学級の教材及び教具の不足についても,平成11年6月末以降は改善されていった様子が窺われるほか,平成12年3月になると,P1は,在籍児童及びその親との信頼関係ができたことを理由に,次年度もそのまま持ち上がりで本件養護学級を担任したいと希望していたのである。そして,β小学校では1日の勤務時間が平日は午前8時から午後4時45分まで,土曜日は午前8時から午前12時までとされていたところ,P1はほぼ毎日定時に退庁しており,平日午後6時まで残ることはほとんどなかった上,P1は,平成11年4月から同年12月までの間に年次有給休暇を13日と3時間(この数値については,時間休暇が8時間に達した場合に1日として算定している。)取得しており,休日労働を行った日はなかったことなども考慮すると,十分な疲労回復時間が確保されていたというべきであるから,時間外休日労働によって精神的肉体的疲労が蓄積していたとは認められない。

以上に加え,P1の休職中にその職務を引き継いだ養護教育について全く経験のない教師歴6年目の講師や,P1の自殺後に本件養護学級の担任になった新規採用の講師さえも,特に問題なく職務を行っていたこと(甲39)などに照らすと,β小学校における日常の職務が,P1に対して強度の心理的負荷を与えるものであったとは考え難いというべきである。

(イ)  本件体験入学実施による過重性の有無について

a 本件体験入学は,体験児童が,平成11年4月に児童福祉施設δに入所し,同施設に併設されているζ分教室に通学するようになって,唾吐きや噛み付きなどの問題行動が治まってきたことを踏まえ,体験児童の親が希望する家庭での引き取りに問題がないか見極めるとともに,体験児童の養護学級への適性,在籍児童との関係及び養護学級で受け入れた場合の問題点等を確認し,体験児童の入所措置を解除するのが適切か否かを判断するために実施されたものであることは先に認定したとおりであって,本件体験入学の実施それ自体が不適切な対応であったということはできない。そして,前記認定事実のとおり,本件体験入学は,平成11年12月10日にその実施が正式に決まってから,約1か月かけて,①β小学校とζ分教室との打ち合わせ(2回。うち1回については,P1が,ζ分教室に赴き,体験児童の様子を確認するとともに,同教室のP24教頭やP16教諭から体験児童の状況について説明を受けている。),②β小学校内での事前打ち合わせ(4回),③体験児童の保護者との事前打ち合わせ(1回)及び④在籍児童保護者に対する説明会(1回)等を経た後に実施されたものであり,P1には,本件体験入学実施の決定を受け入れ,体験児童を迎え入れるための十分な情報と時間的余裕が与えられていたものである。本件体験入学の内容をみても,前記認定事実のとおり,その実施期間は平成12年1月20日から同年2月2日までの2週間(実日数は11日間)限りとされ,また,在籍児童の学習に支障が生じないよう,通常の授業とほとんど変わらないカリキュラムが組まれていた上,本件全証拠を子細に検討してみても,P1が体験児童のために特別に用意した教材は,国語や書写の授業で使用した線の練習用プリント程度に止まること,体験児童の唾吐き,暴力行為等の問題行動については,関係機関との打ち合わせの際に既に指摘されていたことであり,いわばそのための対策を講じる意味もあって,β小学校では,体験入学期間中,校長,教頭を含め,手の空いている教師が誰かしら授業に参加するようにとの申し合わせがされていたこと,実際に体験児童の問題行動により授業運営に支障を来すような事態が幾度か生じたことは否定できないが,その都度,授業に参加していた教職員らが,体験児童の相手をしたり,在籍児童と体験児童を一時的に引き離すなどして,P1一人に負担がかかり過ぎないよう配慮していたこと,P1は教師になって22年目であり,前任校であるγ小学校においても,P1は,養護教育を2年間担当しており,障害児に対する接し方についてもそれなりのノウハウを身に付けていた様子が窺えること,養護教育について経験の乏しいP13校長やP17教頭も,P1より教師経験が少ないと思われるβ小学校の講師らでさえも,体験児童の相手を無難にこなしていたことなどが認められるのであって,これらの事実を総合すると,本件体験入学の実施が,客観的にみて,P1に対して強度の心理的負荷を与えるものであったとは認め難い。

b この点,原告は,これまで在籍児童の保護者らと常に親密な関係を保ち,その連携を重視してきたP1にとって,本件体験入学期間中の在籍児童の保護者らの体験入学中止要請(甲83ないし87)はまさに身につまされるものであったに違いないと主張する。しかしながら,前記認定事実のとおり,β小学校は,本件体験入学に先立ち在籍児童の保護者らに対して説明会を行い,体験入学の目的・内容等を十分に説明していたものである上,在籍児童の保護者らの上記中止要請に対しても,P13校長が同保護者らと面談し,本件体験入学の続行について一応の理解を得ていたものである。また,P1と在籍児童の保護者らとの関係をみても,前記認定事実のとおり,本件体験入学後(平成12年3月18日)の在籍児童P3の母親からの連絡帳には「来年度もよろしくお願いします」との書き込みがあったこと,同月下旬には,P1が,P13校長に対し,在籍児童及びその親との信頼関係ができたことを理由に,平成12年度もそのまま持ち上がりで本件養護学級を担任したいと希望していたことなどに照らすと,本件体験入学を通じてP1と上記保護者らとの関係が特に悪化した様子も窺えないのであって,原告の上記主張を採用することはできない。

また,原告は,本件体験入学後の平成12年3月上旬に実施された在籍児童の発達検査において,在籍児童P2に関し「担任の先生や母親からの聴き取りの中で,行事での太鼓やピストルの音・テレビやカセットが急になり出す・広報でのサイレン等などで強烈な不安が多く見られ,聴覚性過敏の傾向が一層明確になっているように感じます。また,集会や祭典等の人込みする場面の苦手さ,あるいは道順や水道の位置等へのこだわりも見られ,自閉症の症状を随所で感じます。」と指摘されていること(甲94)からすれば,体験入学実施中の出来事が在籍児童P2に対し悪影響を及ぼしたことは明らかであり,これは,まさしくP1が事前に懸念し,本件体験入学の実施をやめてほしいと希望していた所為に他ならず,この懸念が現実化したことを知ったP1の心中は察するに余りあると主張する。しかしながら,前記認定事実のとおり,上記発達検査では,在籍児童P2が幼稚園時代に比べ,表情が豊かになり,対人間関係がとりやすくなったこと,とくに題意をとらえた応答性のある会話のやりとりがスムーズになり,言語性の底上げがはかられていること,2つの検査のいずれも,言語領域が高まり全体のプロフィールの片寄りが減少したこと等が指摘されており,同児童がβ小学校に入学してからの約1年間で能力的に大きな成長を遂げたことが認められる上,この診断結果を知らされたP1においても,これまでの指導が実を結んだと喜んでいたことなどに照らすと,原告の上記主張も採用することができない。

さらに,原告は,P1は,本件体験入学の約2週間前から体験入学実施直後の約1か月間(平成12年1月5日〔水〕から同年2月6日〔日〕までの間)は,日常の職務のほかに,本件体験入学の実施に伴う職務を担当しており,その間の時間外労働時間数は計85.5時間に上ると主張し,証人P6も,P1は学校の書類を家のワープロで作成していた旨供述する。しかしながら,上記期間中,P1は一人暮らしをしていたのであり(甲24),証人P6らと同居していなかったことからすれば,P1が学校の書類を家のワープロで作成していたとの上記供述をそのまま信用することはできず,他にこれを認めるに足りる証拠はない(甲79については,その作成時期が不明である。)。

(ウ)  以上に検討したところを総合すれば,P1の日常の職務や本件体験入学の実施による負荷が,社会通念上,客観的にみて,うつ病を発症させる程度に過重であったと認めるのは困難であるといわざるを得ない。なるほど,本件全証拠に照らしても,P1について,うつ病の原因となるに足りる公務以外の心理的負荷が存在したとか,もともと顕在化していた個体側要因として顕著なものがあったとかの事実が認められるわけではなく,この点に,前記のとおり,P1は本件体験入学実施の前後にうつ病に罹患していること,前掲のP1の日記やノートの内容及びP1の症状に関する医師の意見をも合わせ考えれば,P1が本件体験入学の実施に伴い強いストレスを感じ,それがうつ病の誘因になったことは否定できない。しかしながら,本件体験入学が,既に認定したとおり,その期間,目的,事前打ち合わせ,実施態様等に照らし,客観的にみて,社会通念上,当該職務担当者にうつ病を発症させるような負荷を与えるものであったと認めることができない本件にあっては,上記ストレスは当該公務それ自体がもたらしたものであるというより,P1が本件体験入学について過剰なまでの拒否反応を抱き,その事態をうまく受け入れてその気持ちを対処できなかったことから生じたものであったというほかないのであって,このことは,体験入学が終了し,その後すぐに体験児童の親が転入希望を取り下げたにもかかわらず,P1のうつ病の症状がこれにより全く改善しなかったことからも肯認されるものである。そして,前記のとおり,うつ病発症のメカニズム・機序については精神医学的にいまだ完全には解明されていないのが現実であるものの,それまで顕在化していなかった体験や性格等に関連した個体側要因が前記ストレスをきっかけに発現し,これによりうつ病が発症したものと解することは十分可能である。

したがって,当該公務自体が,社会通念上客観的にみて,うつ病を発症させる程度に過重であると認められない本件においては,P1のうつ病の発症につき公務起因性を認めることはできないというべきである。

また,付言すれば,本件請求は,P1の自殺が公務によるものであるとの認定を求めるものであるところ,①前記認定事実のとおり,P1のうつ病の症状は,平成12年4月に休職してから,その治療を受けることによって同年6月ころにいったん軽快したものの,その後,職場復帰の日が近づくにつれて,再び症状が悪化しているところ,これは,復職という問題が現実化した際,復職そのものに対する抵抗感・緊張感がP1に強く生じ,これが同女にとって新たなストレスになったものとも解され,そのストレスが,独自に,P1を自殺に向かわせるまでうつ病を増悪させた可能性も否定できないこと(なお,原告は,P1が体験児童の転入の可能性を危惧していた旨主張するが,前記認定のとおり,P1は,平成12年度もそのまま持ち上がりで本件養護学級の担任を希望していたのであり,同児童の転入についてさほど心配していた様子は窺えず,また,平成12年2月4日に体験児童の次年度の転入申請が取り下げられており,これをP1も認識していたことからすると,原告が主張する上記危惧感というのは,体験児童の平成13年度以降の転入に関してということになるが,仮にP1がそのような先のことまで気にかけ,自己の精神障害を増悪させたというのであれば,これはむしろ,単なるうつ病親和的病前性格を超えたP1の精神的脆弱性の存在を強く窺わせるというべきである。),また,②証拠(甲50,乙8,10,証人P26)によれば,本件発症後,P1には,典型的なうつ症状のほかに,徐々に精神病的症状や更年期症状といった様々な症状の発現が認められ,自殺念慮発作により自殺するまでうつ症状が増悪したのは,これらのP1の抱える内因が相当な影響を与えたことが窺われること,さらに,③証拠(甲26の2,50,乙8)によれば,P1は,平成12年7月12日以降,自らの判断で,P5クリニックから処方された薬を飲んだり飲まなかったりする状態であったことが認められ,このような服薬の方法がうつ症状を増悪させることは経験則上明らかであること等に照らせば,うつ症状によってした自殺行為によるP1の死亡が,β小学校で担っていた日常の職務や実施された本件体験入学が有する公務の過重性によるものであったと認めることができないことは,なおさらである。

以上の次第で,本件全証拠によってもP1の死亡が公務によるものであると認めることはできない。

第5結論

よって,原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川口代志子 裁判官 三島恭子 裁判官 鈴木和孝)

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