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静岡地方裁判所 平成20年(た)1号 決定 2014年3月27日

主文

本件について再審を開始する。

有罪の言渡を受けた者に対する死刑及び拘置の執行を停止する。

理由

第一事案の概要

一  事件の発生と確定審の経過

確定記録等から、以下の各事実が認められる。

(1)  Yは、昭和四〇年頃から、静岡県清水市(現在は合併により静岡市)内のa商店において、味噌工場の工員として勤務していた。同商店の工場二階は従業員寮になっており、Yは、その寮に他の従業員とともに居住していた。工場は、線路に隣接しており、その反対側には同商店専務取締役A1の居宅があり、同人宅の裏口を出て線路を横切ると、最短距離で工場へ到達できる位置関係にあった。A1は、本件当時妻A2、次女A3、長男A4とともに前記居宅に居住していた(確一三冊一二一八丁以下、確二冊三一一丁以下、確一〇冊四一一丁ないし四一三丁、確一二冊九三七丁以下)。

(2)  昭和四一年六月三〇日午前一時五〇分頃、A1方において火災が発生し家屋はほぼ全焼したが、鎮火後、現場からA1、A2、A3及びA4の四人がいずれも遺体で発見された。四名の遺体には、それぞれ刃物で多数回刺突された形跡が認められ、付近からはガソリン臭がした。また、同家屋内の現金入りの複数の袋が移動された形跡があり、一部は発見されなかった。A3の遺体の近くには焼けたくり小刀が落ちており、A1方の中庭からは工場従業員の雨合羽が発見され、そのポケットにはくり小刀のさやが入っていた(確九冊八七丁、確一〇冊三一三丁以下、四〇一丁以下、確一一冊五三七丁、七〇二丁以下、七一八丁以下、七三四丁以下、確一二冊九〇二丁以下)。

(3)  Yは、昭和四一年六月二九日の晩から、寮の部屋で一人で就寝することになっていた。また、Yは、事件当夜の消火活動終了までの間に、左手中指に、長さ約一cmないし約一・五cm、幅約四mmの切創、右上腕部前面に長さ約一・五cm、幅約五mmの傷(同年八月一八日には、ケロイド状の肉芽組織になっていた。)を負っていた(確二冊三一一丁、確一四冊一六四八丁以下、確一五冊一八九九丁、確一六冊一九〇九丁以下)。

(4)  昭和四一年七月四日、工場及び従業員寮において、捜索差押えが行われた。その際、Yともう一名の従業員の住み込んでいた部屋からYのパジャマが押収され、起訴前の鑑定の結果、Yの血液型(B型)と合致しない血液(AB型及びA型)が付着していたほか、工場内で保管されていた混合油、被害者の着衣に付着していた油と同種の油が付着していたとされた(ただし、昭和四二年後半に実施された公判での鑑定では、パジャマに油分は付着していないという結果も報告されている。)。

また、混合油の容器にも血液が付着しており、かつ、事件の頃、その量が減少したことが確認された(確一三冊一二九七丁ないし一三〇二丁、確一五冊一七〇〇丁以下、一七〇八丁以下、確一九冊二五七五丁以下、確一五冊一八〇七丁以下、一八七七丁、確一三冊一三四二丁以下)。

(5)  昭和四一年八月一八日、Yは逮捕され、清水警察署に勾留された。Yは、当初、否認を続けていたが、同年九月六日自白に転じ、同月九日、住居侵入、強盗殺人、放火罪で静岡地方裁判所に起訴された。その後も同年一〇月一三日頃まで継続的に取調べを受け、本件犯行を認める供述調書が作成された(確二一冊二丁以下、五丁以下、確二八冊二四三八丁以下、確一冊一丁以下)。

(6)  昭和四一年九月一三日、清水郵便局において、差出人名の書かれていない清水警察署宛の封筒一通が発見された。その中には、現金合計五万七〇〇円及び便箋一枚が入っていた。現金は、いずれも紙幣(一八枚)であるが、番号部分がいずれも焼失しており、うち千円札二枚にはそれぞれ「A5」と書かれており、百円札一枚には血痕が付着していた。便箋には、「ミソコウバノボクノカバンノナカニシラズニアッタツミトウナ」と書かれていた(確一三冊一〇九九丁以下、一一〇九丁以下、確一五冊一八一八丁以下)。

(7)  昭和四一年一一月一五日、第一回公判期日が開かれたが、Yは、本件犯行を全面的に否認し、無罪を主張した。検察官は、冒頭陳述において、Yがパジャマを着て犯行に及んだ旨主張した(確一冊一一丁、一二丁、三七丁以下)。

(8)  確定一審係属中の昭和四二年八月三一日、工場の一号タンク内から味噌出しをしていたa商店従業員が麻袋を発見した。麻袋には、広範囲にわたり血痕が付着した五点の衣類(白ステテコ、白半袖シャツ、ネズミ色スポーツシャツ、鉄紺色ズボン及び緑色パンツ)が入っていた。白半袖シャツの右袖付け根付近には、丸穴が二つ(直径約二・五mmのものと約三mmのもの)あり、これを中心に内側からB型の血液が付着していた。ネズミ色スポーツシャツの右袖付け根付近にも、約三mm×約三mm大の穴があった。鉄紺色ズボンの寸法札には、「寸法四」「B」との記載があり、そのウエストは約三cm詰められた形跡があった(確五冊一六九一丁以下、確一七冊二二八六丁以下、二三四八丁以下、確一八冊二四七二丁以下、確六冊二二四七丁、弁一一・八丁以下)。

一号タンクは、縦約二・二九m、横約二・〇三m、深さ一・六五mであり、麻袋は、一号タンクの角、底から約三・五cmの場所で、味噌の中から発見された。一号タンクは、昭和四一年六月三〇日当時、赤味噌のタンクとして使用されていて、その残量は、出荷により相当程度減少していたが、同年七月二〇日には四t以上の赤味噌原料が仕込まれていた(確六冊一九五一丁以下、確一七冊二二八一丁以下、弁四三、八四)。

(9)  昭和四二年九月一二日、Yの実家で捜索が実施され、端布らしきものが発見された(この端布は、後に鉄紺色ズボンと切断面が一致することが確認される。)。検察官は、その翌日である同月一三日の第一七回公判において、Yは、五点の衣類を着用して本件犯行に及んだ旨主張を変更した(確八冊二八九三丁以下、確一七冊二二七二丁、二二七三丁、確一八冊二四九七丁以下、確五冊一六六六丁以下)。

(10)  昭和四三年九月一一日、確定一審は、Yが本件犯人であると認定し、Yを死刑に処する旨の判決を言い渡した。Yはこれを不服として控訴したが、昭和五一年五月一八日東京高等裁判所が控訴を棄却し、昭和五五年一一月一九日には上告も棄却され、一審判決が確定した。

二  確定判決について

(1)  確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨

Yは、昭和四一年六月三〇日午前一時過ぎ頃、a商店の売上金を、もし家人に発見されたときは脅迫してでも奪おうと考えて、くり小刀を携え、A1方住居に侵入して金員を物色中、同人に発見されるや、金員強取の決意を固め、所携のくり小刀(刃渡り約一二cm)で、殺意をもって同人、さらには物音に気付いて起きてきた家人のA2、A4及びA3をそれぞれ数回突き刺し、A1が保管していた前記会社の売上現金二〇万四九一五円等を強取し、さらに、A1ら四名を前記住居もろとも焼毀してしまおうと考え、A1ら四名の各被傷体に混合油を振り掛け、マッチでこれらに点火して放火し、よって、A1らが現に住居に使用しかつ現在する住宅一棟を焼毀し、A1、A2、A4及びA3をそれぞれ死亡させて殺害したものである。

(2)  Yの犯人性に関する確定判決等の証拠構造等

本件請求は、確定一審以来争われている。Yが本件の犯人であると認められるか否かを争点とするものである。

本件では、客観的な証拠によって、確定判決の認定する日時、場所において、四人の被害者が刃物によって刺突され、被害者の居宅に放火される中で殺害されたことは疑う余地がなく、また、現金等がなくなっていることからみて、判示のとおりの犯罪が実行されたこと自体は特段問題にする必要はない。

そこで、Yの犯人性に関する確定判決等の証拠構造を検討した上で、本件請求の当否を検討することとする。

ア 確定一審の判断

(ア) 確定一審は、まず、Yの自白調書の証拠能力について検討し、既に採用していた警察官及び検察官に対する供述調書四五通のうち、検察官に対する一通を除き証拠能力を否定して証拠排除決定を行った。すなわち、警察官調書二八通については、長時間にわたる強制的・威圧的な取調べの結果作成されたものであり、起訴後に作成された検察官調書一六通についても、警察署においてあたかも取調受忍義務があるかのような形の取調べの結果作成されたものであったことから、いずれも任意性を欠くとして証拠排除された。その上で、証拠能力を認めた一通の自白調書を除いた証拠を検討し、下記①ないし⑦の間接事実が認定できることから、Yが犯人である蓋然性が極めて高いとした。事実の摘示には、有罪の理由の第一の二「本件犯罪事実と被告人との結びつきについて」で示されたところによるが、その前提として、第一の一「犯罪事実の存在について」で指摘されていることも補って示すこととする。

① 五点の衣類が、犯行当時、犯人が着用していたものであり、かつ、Yのものであること(確定判決一八丁以下、四一丁以下)

五点の衣類には、被害者らの各血液型と一致するA型、AB型、B型といった多量の人血が付着していたことなどから、五点の衣類は、犯人が、犯行時に着用していたものと認められ、一号タンクの底部から発見されたこと等から、犯行後、昭和四一年七月二〇日に新たに味噌が仕込まれるまでの間に、一号タンク内に隠匿されたものと認められる。

そして、鉄紺色ズボンについては、Yの実家から発見された端布と切断面が一致すること等から、Yのものであると断定でき、緑色パンツについても、a商店従業員らの目撃供述等から、Yのものである疑いが極めて濃厚である。そして、鉄紺色ズボン及び緑色パンツを含む五点の衣類が同じ麻袋の中に一緒にまるめて入れられていたことから、これらの衣類は全てYのものと認められる。

② Yが、被害品である焼けた紙幣を元同僚であるA6に渡したこと(確定判決四〇丁以下、四五丁以下)

昭和四一年九月一三日、清水郵便局で発見された焼けた紙幣については、千円札及び同封されていた便箋の記載内容(前記一の(6)参照)に加え、被害品と矛盾しない金額であること、一部に血痕が付着していること、筆跡鑑定の結果、前記紙幣及び便箋の文字とA6の文字が合致したこと、A6方から前記便箋と同種のものが発見されたこと、事件前、YとA6が親密な関係にあったこと、A6が捜査段階で、「絶対罪にしないと約束してくれれば、話をしてもいい」などと事件について何かを隠しているかのような発言をしていたこと等から、A6が、Yが本件犯行に関与して取得したものであることを知りつつYから受け取ったものと認められる。

③ Yのパジャマには、Y以外の者の血液が付着しており、かつ、放火に用いられた工場内の混合油と同種のものが付着していること(確定判決四九丁)

④ 前記くり小刀と同種の刃物を取り扱っている沼津市内の刃物店で店番をしていた者が、Yの写真を見て、昭和四一年の春頃に店で見た顔であると供述したこと(確定判決四九丁以下)

⑤ 白半袖シャツの血痕がYの血液型と一致しており、その損傷とYの右上腕部の怪我が位置的にも矛盾しないこと(確定判決四九丁)

⑥ Yは、左手中指の怪我について、「消火活動の際、屋根の上で転び、トタンで切った」と供述したが、複数の医師による診察の結果、前記怪我は、トタンで切れたものと判断するのは不合理であり、鋭利な刃物によって生じたものと認められること(確定判決五〇丁以下)

⑦ Yは、前記従業員寮に寝泊まりしており、本件による火災が鎮火に近くなった頃、その姿を目撃されてはいるが、犯行時刻頃も含めてそれ以前にYを目撃したと証言する者がおらず、Yにはアリバイがないこと(確定判決五一丁以下)

(イ) そのうえで、起訴前に作成されたYの自白調書(検察官調書)一通について、供述内容ごとに信用性を判断している。パジャマを着て殺害行為を行ったとする点については、虚偽であるとしたが、これは、Yが、犯行着衣とされる五点の衣類が発見されていないのを幸いに、検察官の推測に便乗したような形で供述したものと判断し、その余の点については、Yが裏口の木戸の上の留め金を外さないまま、同木戸をそびれさせて通過したとされている点も含めて大筋で信用できると判断した(ただし、証拠の標目には挙げられていない。確定判決五二丁以下、六八丁以下)。

イ 確定控訴審の判断

確定控訴審は、控訴審で取り調べた多数の証拠も総合して、控訴趣意に逐一答える形で検討し、確定判決の説示に補足を加えつつ、確定一審の結論を維持した。その際、結論の項で特に、確定一審で示された、前記①、⑤(Yの右下腿中央から下部前面に打撲擦過傷痕があり、鉄紺色ズボンの右足前面下部にもそれに相応するような損傷があることを加えている。確一六冊一九六六丁以下、確一七冊二二九一丁以下)、⑥、③、⑦の間接事実をこの順番で挙げている(確定控訴審判決六四丁以下)。

確定控訴審で補足された点のうち、主要なものは、次のとおりである。

(ア) 五点の衣類の関係

・ 五点の衣類が一号タンクに入れられた時期について(確定控訴審判決一九丁以下)

昭和四一年七月二〇日、一号タンクには新たに大量の味噌が仕込まれたから、それ以後は、発見時の位置である底から約三・五cmの底部に五点の衣類を隠すことはほとんど不可能である。

一号タンクには、事件当時、味噌が相当量残っており、同月四日の捜索の際には、一号タンクは上から点検しただけで味噌の中までかき回して調べなかったこと、同月二〇日は、残っていた味噌の上に仕込まれたものと思われること、Yは当時、味噌を搬出する役をしており、同日の一号タンクへの仕込みの際にもタンクの中に入って味噌を踏む役をしていた可能性もあったことなどから、捜索の際や味噌の仕込みの際に五点の衣類の入った麻袋が発見されるおそれは小さい。したがって、これらの際に発見されなかったとしても、捜索(あるいは同月二〇日)以前から麻袋が一号タンク内に隠匿されていたとの事実が否定されるものではない。

・ 端布は間違いなくYのものである(確定控訴審判決二八丁以下)。

端布は、Yの母であるA7が立ち会った捜索により発見されており、かつ、同人が昭和四二年九月一七日付け検察官調書において、Yが逮捕された後、他の荷物と一緒にa商店から送られてきた旨説明している。この点を否定するA7の確定一審証言は信用できない。

・ Yは、事件当時、鉄紺色ズボンをはけた(確定控訴審判決三三丁以下)。

確定控訴審において、昭和四六年から昭和五〇年にかけて三回の着装実験を行った。いずれの機会にも、Yは、実際に鉄紺色ズボンをはくことができなかった。しかし、鉄紺色ズボンの規格表示には「寸法四、型B」とあることから、同ズボンは、肥満体用のB体であり、縫製時のウエストは約八三cmないし約八五cmであって、約三cm詰めた後でも約八〇cmであった。鑑定では、鉄紺色ズボンの元のウエストは約七四・五cmないし約七六・一cmという判断が出ているが、いずれにしても、Yが事件当時使用していた茶格子縞ズボンのウエストが約七六cmないし約八〇cmであることに照らせば、Yが鉄紺色ズボンをはけたと認められる。

・ 緑色パンツは、Yのものである疑いが極めて濃厚である(確定控訴審判決三六丁以下)。

弁護人は、確定一審で、a商店から送られてきたYの荷物の中に緑色のパンツが入っていたとして、薄緑色パンツ(符号一〇六)を提出し、それがYが使用していたパンツであると主張していた。しかし、パンツ購入店から割り出した製造元であるb社勤務のA8は、緑色パンツについて、ちんだし部分の向かって右側の線が、表側も裏側もジグザグ縫いである点、はき口がふくれないように糸で止めてある点、腰のゴムが二本ある点で似ているから、自社の製品であり、裏側の左右二本の縫目が、ジグザグ縫いになっていないことから、ミシンが修理された昭和四一年八月九日以前の商品であると断言し、前記薄緑色パンツは前記特徴を備えていないため、b社の製品ではないと供述していること等からすれば、緑色パンツが、Yのパンツである疑いが極めて濃厚である。

・ ネズミ色スポーツシャツの傷が一か所であり、内側に着ていたはずの白半袖シャツの傷は二か所あることや両者を着用したときにネズミ色スポーツシャツの損傷の方がやや体の前側にくることがあっても、Yの右肩の傷が白半袖シャツ、ネズミ色スポーツシャツを着用した上から何らかの作用を受けて受傷したと認めるのが相当である。

ネズミ色スポーツシャツの損傷部分は不整形で、生地の織りも比較的粗いから、受傷の仕方、たとえば、刃が斜めに入ったため、白半袖シャツのみに入口と出口の二つの穴ができる場合や、いったん白半袖シャツまで貫通したのち、白半袖シャツとスポーツシャツの間まで刃が抜け、再度白半袖シャツの別の場所に刺さるといった場合も想定できるからである(確定控訴審判決四六丁以下)。

(イ) パジャマの関係(確定控訴審判決二二丁以下)

Yのパジャマには工場の混合油が付着したと認められる。

確定控訴審で実施した鑑定の結果、前記パジャマに付着していた油と工場の混合油の種類が同じであったとする確定一審の鑑定について全面的には信用できないことが判明したが、何らかの油が付着しているという限度では信用でき、かつ、Yが、事件以外でパジャマに油質が付着するような機会はなかった旨述べていること等に照らせば、Yのパジャマには、やはり工場の混合油が付着していたと認定できる。

(ウ) 清水郵便局で発見された紙幣等の関係(確定控訴審判決四〇丁以下)

確定控訴審において、確定一審の筆跡鑑定を全面的に否定する鑑定結果が出たことから、筆跡鑑定だけから清水郵便局で発見された封筒の差出人がA6であると断定することはちゅうちょされるが、それでも、筆跡鑑定の結果やA6の本件後の言動、捜査段階での供述等も考慮すれば、確定一審が判示するように、A6がYから現金を預かり、そのうちの千円札二枚に「A5」と書き、また便箋、封筒に文字を書き入れ、現金を入れて清水警察署あてに発送した可能性は極めて強いと認められる。

ウ 確定上告審の判断

確定上告審は、理由を詳細に述べることなく、確定判決を維持した。

エ 証拠構造についての小括

以上のとおり、確定判決及びこれを補充して維持した確定控訴審判決は、Yの犯人性を肯定するについて、五点の衣類が犯行に用いられた着衣であり、かつ、Yのものであると認められることを証拠上最大の根拠とし、その他複数の客観的状況も併せると、Yが犯人であると断定することができるとしている。そして、自白調書については、一部矛盾する部分を除き、大筋では犯行現場の客観的状況等と矛盾しないとの評価の基に、犯人性を肯定するのに補充的に使われているにすぎない。

三  第一次再審について

(1)  第一次再審の経過

Yは、昭和五六年四月二〇日、静岡地方裁判所に対し再審を請求したが、平成六年八月八日に棄却され、平成一六年八月二六日に即時抗告棄却、平成二〇年三月二四日には特別抗告棄却となっている。

(2)  第一次再審の内容

ア 弁護人が提出した新証拠と一審、即時抗告審の判断

第一次再審において弁護人は新証拠として種々の証拠を提出したが、ここでは、証拠構造上最も中心的で言わば核となっていて、当請求審での中心的な問題である五点の衣類に限って、弁護人が提出した証拠の内容及びこれに対する裁判所の判断を簡潔に示しておく。

弁護人が提出した新証拠のうち、五点の衣類に関するものは、(ア)味噌タンク実験報告書、(イ)麻袋写真撮影報告書、(ウ)a商店従業員A9の供述録取書、(エ)平成八年七月一七日付けA10作成の鑑定書、(オ)平成一〇年六月二九日付け同人作成の鑑定書、(カ)A11作成の鑑定書、(キ)DNA鑑定である。順次説明する。

(ア) 味噌タンク実験報告書(再三冊七一四丁以下、再一二冊二七〇五丁以下、再二〇冊四二〇二丁以下)

一号タンクの模型に約八〇kgの味噌を入れ、模造した五点の衣類等を隠そうとしたところ、きわめて不自然な外観になったことから、Yが一号タンク内に五点の衣類等を隠すことは不可能であったと結論づけるものである。

第一次再審第一審において、事件当時、一号タンクには八〇kgを超える味噌が残っていたと認められるので前提に誤りがあるとして排斥され、即時抗告審では、これに加え、実験結果によったとしても、模造五点の衣類等は味噌で隠せるものであるとして、排斥された。

(イ) 麻袋写真撮影報告書(再四冊八二六丁以下、再一二冊二七一〇丁、再二〇冊四二〇二丁以下)

弁護人が、五点の衣類が入っていた麻袋と昭和四七年に鑑定のために八二日間味噌漬けにされた麻袋とを平成四年に比較したところ、後者の方がより味噌が浸透していたというものであり、弁護人は、その内容から本件麻袋が一年以上味噌タンクの中に入っていたという確定判決の認定が誤っていたことが明らかになったと主張した。

しかし、第一審は、麻袋を三一日間味噌に漬けただけでは味噌の浸透が不十分であった旨の記録(確二五冊二二九丁)もあること、前記各麻袋が味噌漬けにされた後の保存状態が異なることなどを理由に排斥し、即時抗告審もその結論を肯定した。

(ウ) A9の供述録取書(再一九冊三九三四丁以下、再二〇冊四二〇二丁以下)

事件当時a商店従業員であったA9が、昭和四一年七月四日に目視で確認した一号タンクの味噌残量では、五点の衣類を隠すことは到底できないと思うし、短時間のうちに五点の衣類に味噌の色をつけることは不可能ではないと思うと述べているものである。

即時抗告審において提出された証拠であるが、確定審におけるA9の供述等に照らし、これらに反する部分は信用できず、また、単にA9の主観を述べただけのものであり、信用できないなどとして排斥された。

(エ) 平成八年七月一七日付けA10作成の鑑定書(再一四冊三〇七九丁以下、再二〇冊四一九三丁以下)

確定控訴審で弁護人から提出された写真によれば、Yにネズミ色スポーツシャツ及び白半袖シャツを着用させた場合、Yの右上腕部の傷、ネズミ色スポーツシャツの損傷、白半袖シャツの損傷の位置関係にずれが生じており、Yの肘から見て、Yの傷、ネズミ色スポーツシャツの損傷、白半袖シャツの損傷という順になっている。他方、被験者に五点の衣類に類似した衣類を着せた上、腕に血液に見立てた赤インクを着けてさまざまな動作をさせたり、ボールペンで刺すなどの実験を行ったところ、前記のような位置関係が生じることはなかった。以上の結果から、これらの傷が同一機会に形成されることはないと結論づけたものである。

即時抗告審において提出された証拠であるが、同審は、前記Yの傷と衣類の損傷はA1との格闘中に形成された可能性が高いものであり、実験中で想定された体勢とは異なる姿勢になっていた可能性もあるなどの理由で排斥した。

(オ) 平成一〇年六月二九日付けA10作成の鑑定書(再一五冊三二九六丁以下、再二〇冊四一九三丁以下)

主たる内容は、五点の衣類を着用した状態で血液を浴びた場合、鉄紺色ズボンの裏地を浸透して白ステテコに至るはずであるのに、鉄紺色ズボンの裏地の血痕と白ステテコの血痕の位置が対応していないから、五点の衣類の血痕は、着用状態で血液が付着したことにより形成されたとは考えられないとするものである。

即時抗告審において提出された証拠であるが、同審は、五点の衣類はまとめて麻袋に入れられていたのだから、着用時とは異なる衣類同士が接触して血液が付着した可能性もあるなどとして排斥した。

(カ) A11作成の鑑定書(再一六冊三六二七丁、再二〇冊四一九三丁以下)

鉄紺色ズボン(着装実験時、はけなかった。)の収縮前のウエストは約七二・三四cmないし約七三・四cmであり、Yが事件当時使用していた茶格子縞ズボン(着装実験時、はくことができた。)と比較すると明らかに小さいことから、Yが使用していたものではないと結論づけた。

即時抗告審で提出された証拠であるが、同審は、Yが鉄紺色ズボンをはけたとする確定控訴審の判断を是認したうえ、そこで考慮されている鉄紺色ズボンのウエスト約七四・五cmないし約七六・一cmという数値とA11鑑定の数値とは大差がないなどとして排斥した。

(キ) DNA鑑定(再一七冊三六五〇丁以下、同三七二九丁以下、再二〇冊四二〇七丁以下)

即時抗告審において、五点の衣類と被害者らの着衣に関し、検察官・弁護人双方が推薦する鑑定人によりDNA鑑定が実施されたが、いずれも鑑定不能という結論で終わり、何ら結論に資するところはなかった。

(ク) 小括

以上のとおり、五点の衣類に関し弁護人が提出した証拠は、いずれも排斥された。

なお、弁護人は、その他に、①自白調書を心理学的に分析しYが無罪であることを裏付けているとする平成四年一二月九日付けA12作成の鑑定書等(再五冊九八〇丁以下、再一四冊二九七四丁以下)、②裏口の木戸について、自白調書にあるように上の留め金がかかったままでは通過することはできないとする鑑定書等(再一冊一〇三丁以下、同三三五丁以下、再二冊五九八丁以下、再四冊八四八丁以下、再一一冊二六二三丁、再二〇冊四一〇一丁以下)複数の新証拠を提出したが、いずれも排斥されている(再一二冊二六七六丁以下、二七一四丁以下、再二〇冊四一八七丁以下、四二二三丁以下)。

イ 特別抗告審の判断

特別抗告審は、確定判決の証拠構造を分析し、五点の衣類を中心的な証拠と理解し、新証拠のうち、五点の衣類が犯人の着衣であると認められるかどうか及びこれがYのものであると認められるかどうかという点に関するものについては、これらを旧証拠と総合評価することにより、確定判決の認定に合理的な疑いを生じると認められるならば、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たることを承認している。その上で、この点に関する新旧全証拠を総合しても、Yの犯人性を認定する旧証拠の証明力が減殺されたり、情況証拠による犯人性の推認が妨げられるものとは認められないと結論付けた。また、五点の衣類等が捜査機関によりねつ造されたものであるとの主張に対しては、五点の衣類は、その発見時の状態等に照らし長期間みその中につけ込まれていたものであることが明らかであったこと、鉄紺色ズボンの端布はYの実家でYの実母立会の下で実施された捜索差押えの際に発見されたものであり、実母がこの端布は事件後に工場の寮から送り返されてきた荷物の中にあったと説明していることを挙げて、弁護人の主張を排斥している。また、裏口の木戸の通過方法等自白の信用性を弾劾する証拠については、確定判決が自白を罪となるべき事実を認定する証拠としておらず、自白を除いた証拠のみによってYの犯人性を認定できるとしているから、そもそも再審事由の主張として失当であるなどと判断し、前記A12の鑑定書等については、真実に反する自白等として指摘している点をもってしても、Yの自白が信用性に乏しく、これに依拠して事実を認定することができないという限度を超えて、それ自体で積極的に無実であることを示しているとまでいうのは論理に飛躍があるし、この点をおくとしても、本件における客観的証拠による強固な犯人性の推認を妨げる事情とはなり得ないと判断している。

第二当裁判所の判断

一  新証拠等の整理

当審において取り調べた証拠は別表記載のとおりである(ただし、人証及び書証の一部については取調べをしていないものも含まれている。)。弁護人が、当審において、刑事訴訟法四三五条六号所定の無罪を言い渡すべき明らかな証拠として提出したものを、その立証趣旨や内容を考慮して整理すると以下のとおりとなる。なお、検察官が弾劾証拠として提出したものについても、整理した項目毎に対応させて記載しておく。人証は尋問を実施した者のみを記載し、書面上「報告書」と記載されていても、「捜査報告書」として示すなど、ある程度統一的な表題で示している。括弧内の「弁」は当審における弁護人提出証拠の番号を、「検」は当審における検察官提出証拠の番号を、「職」は職権で取り調べた証拠の番号をそれぞれ表す。

これらの弁護人が提出した証拠のうち、当裁判所が特に検討の対象とした、(1)の五点の衣類等のDNA鑑定に関する証拠、とりわけA13作成の各書面及び供述、並びに(2)の五点の衣類の色に関する証拠、とりわけ各味噌漬け実験報告書及びA14の供述は、いずれも当審において新規性が認められる証拠である。

(1)  五点の衣類等のDNA鑑定に関する証拠

・A13作成の鑑定書(平成二三年一二月二〇日付け、平成二四年四月一二日付けのもの)、回答書(平成二四年六月二二日付け、同年九月二八日付けのもの)、平成二四年九月二八日付け意見書、平成二四年一二月二〇日付け報告書(弁二三)

・証人A13の供述(弁四四)

・A13らが作成した論文の写しとその日本語訳(弁一四六ないし一四九)

【検察官が提出した弾劾証拠等】

・A15作成の鑑定書(平成二三年一二月二一日、平成二四年四月一三日付けのもの)、回答書(平成二四年六月二二日提出されたもの、同年九月二七日付けのもの)、平成二四年九月二七日付け意見書(弁二三)

・証人A15の供述(職一)

・A16(検五)、A17(検六)、A18(検七)、A19(検八、一三)作成の意見書等

・捜査報告書(検九ないし一二、一四ないし一九)

(2)  五点の衣類の色に関する証拠

・味噌漬け実験報告書(弁二)、一年二ヶ月味噌漬け実験報告書(弁六)、再現仕込み味噌・味噌漬け実験報告書(弁八)

・証人A14の供述(弁五)

・捜査報告書(検二〇。弁護人の要請に応じて検察官が提出したものである。)

・色見本に関する報告書(弁八三)

・A20の供述調書写し(弁一四)

【検察官が提出した弾劾証拠】

・法医血清学的検査法マニュアル(抜粋)写し(検四)

・A21の供述調書(検三)

・みそ文化誌(抜粋)写し(検二)

(3)  鉄紺色ズボンのサイズに関する証拠

・A10作成の平成一九年一一月九日付け鑑定書写し(弁一)

・証人A10の供述(弁三)

・A22の供述調書写し(弁一一)及び供述録取書(弁二八)

・A23の供述調書写し(弁二六、二七)

・任意提出書(弁八〇)、領置調書(弁八一)各写し

・寸法札(平成二五年押第五号一ないし三。弁八二)

【検察官が提出した弾劾証拠等】

・皮製バンドの検証の結果(検一)

(4)  緑色パンツの製造元に関する証拠

・任意提出書(弁八五)、領置調書(弁八六)各写し

・ブリーフ三枚(平成二五年押第五号四ないし六。弁八七ないし八九)

(5)  昭和四一年六月及び七月頃の一号タンクの状況等に関する証拠

・味噌工場関係者の供述調書写し(弁三二ないし三九、九〇、一四五)

・捜査報告書写し(弁四二、四三、八四、一〇二、一五五)

(6)  五点の衣類の捜査経過に関する証拠

・A22(弁一二)、A20(弁一四ないし一六)、A24(弁二二)の供述調書各写し

・A25の陳述書(弁二一)

・捜査報告書写し(弁九、一〇、一三、一九、一〇二)

・捜査差押許可状請求書(弁一七、一八)、捜索差押調書(弁二〇)各写し

(7)  Y供述の信用性等に関する証拠

・鑑定書(弁四七)

・録音テープ(CD―R)(弁四五)及び反訳書(弁四六)

・Yの供述調書等写し(弁四〇、四一、四八ないし五九、六四ないし六八、七〇ないし七九)

・承諾書(弁六〇、六一、六九)、確認書(弁六二)、任意提出書(弁六三)各写し

・本件消火活動に関する関係者の供述調書写し(弁九八、一〇〇、一〇一、一〇四、一〇五、一〇七、一一〇、一一一、一一四、一一五、一一七、一一八、一二八、一三九ないし一四三)

・捜査関係事項照会回答書写し(弁九一)

・裏木戸分析写真集(弁一五〇)

・消防活動時のマニュアル写し(弁一五一ないし一五四)

・捜査報告書等写し(弁九二ないし九五、九七、九九、一〇二、一〇三、一〇六、一〇八、一〇九、一一二、一一三、一一六、一一九ないし一二七、一二九、一三二ないし一三八、一四四)

(8)  焼けた紙幣に関する証拠

・A26(弁二九)、A27(弁三一)の各陳述書

(9)  別の犯人の存在をうかがわせる証拠

・A27の陳述書(弁三一)

・捜査報告書写し(弁九六、一二三、一三〇ないし一三二)

二  当裁判所の判断の枠組みと結論

刑事訴訟法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきである。そして、この明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が当該確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきである(最高裁判所昭和五〇年五月二〇日第一小法廷決定・刑集二九巻五号一七七頁)。

当裁判所は、前記見解に沿って弁護人が提出した証拠等を検討した結果、Yの犯人性を肯定した確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じたと判断した。以下、その理由を説明するが、その判断を大きく左右したのは、確定判決の証拠構造上最も有力な証拠であった五点の衣類に関する新証拠である①DNA鑑定関係の証拠及び②五点の衣類の色に関する証拠であるから、まず、それらについて論じる。次に、新旧証拠を総合評価し、確定判決の認定に合理的な疑いが生じたことを説明する。

三  弁護人が提出した証拠の明白性

(1)  DNA鑑定関係の証拠

ア 証拠の概要と当事者の主張

当裁判所は、鑑定人としてA13とA15を選任し、①五点の衣類、②被害者着衣及び③Y本人からそれぞれ試料を採取し、DNA鑑定を実施した。五点の衣類については、A28鑑定書添付の写真等をふまえ、血痕の可能性が高いと認められる部分を採取し、そうでない部分を対照試料として採取した。また、被害者着衣については、裁判官、検察官、弁護人、鑑定人で意見交換し、変色状況から血痕と評価しうる部分を採取し、別の場所から対照試料を採取した(鑑定人尋問調書別紙目録、A15反対尋問二四頁以下。以下においては、五点の衣類及び被害者着衣の各血痕の可能性が高い部位又は血痕と評価しうる部位から採取した試料を「本件試料」という。)。

両鑑定人は、STR型検査(アイデンティファイラーキット使用)とミトコンドリア型検査を実施した(ただし、A13は、五点の衣類及び被害者着衣に関し、ミトコンドリア型検査を実施していない。)。本件で用いたSTR型検査は、細胞核内のDNA上の一六の部位(座位)における特定の塩基配列の繰り返し回数を型(アレル)と評価し、異同識別を行うものである。少量のDNAでも判定を可能とするため、検査対象となる座位を増幅(PCR増幅)し、その後、ゲル状の物質内を通し移動速度の違いで識別する方法(電気泳動)により繰り返し回数を判別する。検査結果は、チャートとして出力されるが、アレルはそこにピークとして現れ、その高さ(RFU)は、PCR増幅後の当該座位のDNA断片量に比例する。人間は、父親に由来する遺伝子と母親に由来する遺伝子をそれぞれ有していることから、両者が重複する場合(ホモ接合)でないかぎり、一座位につき二種類のアレルが検出されることになる(ヘテロ接合)。人のSTR型は、身体全ての組織について共通で、終生不変であるから、一つでも検出されたアレルが異なれば、当該DNAが同一人に由来することはありえない(検一八添付資料一一九頁)。他方、ミトコンドリア型検査は、ミトコンドリアDNAの特定の部位の塩基配列を観察し、標準的な配列との相違から異同を判断する方法である。したがって、その型は、「二二三T―二九四T―二九五T」など標準的な配列と異なる塩基を列挙する形で表現される。ミトコンドリアDNAは、母親から遺伝する。また、突然変異等により、一個体が配列の異なるDNAを複数有する場合がある(ヘテロプラスミー)。検査に先立ちPCR増幅を行う点は、STR型検査と同じである。

検査の結果、Y本人のDNA型については、両鑑定でほとんど一致したものの、五点の衣類及び被害者着衣のSTR型については、両鑑定ともアレルが検出されない座位が多数あり、しかも両鑑定の間でアレルが一致した座位は、わずかにとどまった。さらに、検査結果の評価についても、A13は、検出されたアレルのうち、そのほとんどが五点の衣類及び被害者着衣の血痕に由来するとの前提に立ち、五点の衣類、被害者着衣及びYの血液から検出された各DNA型の間に矛盾があること等から、五点の衣類の血痕は、被害者らやYのものではないと結論づけた(二三年A13鑑定書九頁以下、二四年A13鑑定書五頁以下、A13主尋問五八頁以下)。他方、A15鑑定では、白半袖シャツ右肩の試料から検出されたミトコンドリア型がYのものとは異なっていたが、A15は、STR型検査、ミトコンドリア型検査を問わず、検査で検出されたものは全て外来DNAによる汚染等の疑いがあることから、異同識別ではできないとした(二三年A15鑑定書六頁以下、A15主尋問一三頁、三〇頁)。

弁護人は、A13鑑定の結果に加え、A15のミトコンドリア型検査で検出されたDNAも血痕に由来するものであると主張し、これらの結果によれば、五点の衣類が、実は犯行着衣でもYが着用していたものでもないことが明らかになったと主張する(弁護人DNA意見書五頁以下)。他方、検察官は、判定不能としたA15の結論こそが正しく、A13は、A15と同様に、判定不能と結論づけるべきであったと主張する(検察官DNA意見書二頁以下)。

そこでまず、A13鑑定の信用性について検討したうえ、A15の検査結果に対する評価を検討する。

イ A13鑑定の信用性等

(ア) A13の検査手法等

A13は、五点の衣類及び被害者着衣に関し、血液の付着を確認するため、白半袖シャツ右肩の試料からの抽出液について高速液体クロマトグラフィー・タンデム質量分析器及びガスクロマトグラフィーを用いて成分分析を行った。さらに、本件試料からの抽出液についてメタロアッセイ法により鉄分濃度を検査し、これらの結果から、本件試料に血液が付着していると結論づけた。

また、DNA型検査においては、まず、試料に付着している外来DNAを排除し、血液由来のDNAを抽出するため、抗Hレクチンを加えた生理食塩水に試料を入れて溶出させ、その液を遠心分離にかけて比重の重い赤血球、白血球又はその断片を捕捉しようとした。なお、A13は、血液由来のDNAが選択的に回収できるかどうかを予備実験で確かめたとしている(A13主尋問四七頁、反対尋問七五頁)。そして、アイデンティファイラーキットを用い、PCR増幅回数を二八回に設定し、STR型を検査した。検査結果のうち、白半袖シャツ右肩の試料から検出されたアレルとYのものとを比較し、一致しないアレルが複数あることから、同部分の血痕は、Yのものではないと判断した(二四年A13鑑定書)。また、五点の衣類から検出されたアレルが四種類を超えており、かつ被害者着衣から検出されたアレルとの一致が少ないことなどを理由に、五点の衣類には、被害者以外の者の血液が付着していると結論づけた(A13主尋問五三頁以下)。

(イ) A13鑑定の信用性

被害者着衣や五点の衣類という鑑定試料が既に四〇年以上も前に発見された証拠物であり、しかも、五点の衣類は発見された時点では味噌漬けにされていた。いずれも鑑定するには条件の悪い劣化試料であり、発見されて以降の管理状況から外来のDNAによる汚染も懸念されるものであった。当裁判所は、これらの点にも十分考慮して検討を進めた結果、A13鑑定は、その手法や型判定等でA13が説明することすべてが全面的に信用できるとまで判断していないが、白半袖シャツ右肩の血痕がYのものではない疑いは相当に濃厚であり、五点の衣類の他の部分の血痕が被害者四名のものでない疑いも相当程度認められるという限度では信用できると判断した。その最も大きな理由は、対照試料の検査結果(全くアレルが検出されていない。)等から、検出されたアレルの大部分は血痕に由来する可能性が高いと認められるから、確定判決の認定に従い、五点の衣類の血痕がYや被害者のものであるとすると、白半袖シャツ右肩の試料のアレルとYのアレルの不一致及び五点の衣類全体のアレルと被害者着衣のアレルの不一致がともに顕著であるという検査結果は、到底合理的な説明がつかないことである。以下、詳述する。

a 検出されたアレルは、その大部分が、血痕に由来する可能性が高いこと

当裁判所は、次のような理由から前記のとおり判断した。

(a) 対照試料から全くアレルが検出されていないこと

A13鑑定において、本件試料からは、合計二〇二のアレルが検出されている(なお、サンプルファイル名が同一となっているチャートが複数枚あり、それぞれで同一のアレルが検出されている場合、念のため、一つのアレルと数えた。不安定な検査結果であるなどの理由で、電気泳動をやり直しただけの可能性があるからである。A13反対尋問三八頁)。他方、対照試料からは、全くアレルが検出されていない(二三年A13鑑定書、六月A13回答書)。血痕の可能性があるとされた試料と、その対照のために選ばれた試料は、発見され保管されてきた状況に特段の差異がないと考えられる。血痕の可能性があるかそうでないかの違いしか考えられない両者の間で、アレルが検出される確率に明らかな差異が発生している以上、検出されたアレルが血痕に由来する又は血痕に由来するものが多数含まれていると考えるのが極めて合理的である。試料が外来のDNAに汚染されており、それが検出されているとすれば、両者の間で著しい差異は生じないはずだからである。この点は、検査結果から見ての判断であり、一種の統計的判断であるが、検察官及びA13の手法や結論を批判する専門家からも有効な批判はなされていない。かえって、A15は、この点について、A13の鑑定方法を前提にしてはいるが、対照試料には、ほとんどDNAは付着していなかったと考えられ、A13の分析は肯定できるとの見解を示している(A15反対尋問七〇頁)。

(b) 本件試料には血液が付着している蓋然性が認められること

鑑定試料の点をみると、本件試料に血液が付着していると科学的に断定することはできないが、前記試料採取の経過に照らし、常識的に考えて、五点の衣類については、血液付着の可能性が相当高いと認められるし、被害者着衣についても、血液付着の可能性が相当程度認められる(鑑定人尋問調書別紙目録、A15反対尋問二四頁以下)。

(c) アレルドロップイン(由来不明のアレルが検出される現象)の可能性が低いこと

A13は、DNA鑑定において標準的なキットであるアイデンティファイラーキットを使用したうえ、PCR増幅の回数をキットのマニュアル通り二八回に設定している。この場合、アレルドロップインが発生する確率は、皆無とはいえないが、非常に低いことは承認されている(A13反対尋問一三二頁、A15反対尋問三五頁以下、同五四頁以下)。したがって、たとえば、ある特定の一つのアレルを問題にする場合は、それがアレルドロップインである可能性を否定することはできないが、ある程度の数のアレルを問題にする場合は、それらがすべてアレルドロップインである可能性はほとんど考え難い。

(d) 外来のDNAによる汚染の可能性が低いこと

・ 血痕として試料に付着したDNAは残存しやすいが、外来のDNAは、時間の経過とともに消滅すること

一般に、血痕試料のDNA鑑定についてみた場合、血液に由来するDNAは試料中に長い年月残存する(乾燥した場合はより残存しやすく、凝固した血液であれば、DNAは常温であっても安定的に保たれる。)が、唾液や皮膚片等に由来するDNAは、数ヶ月も経過しないうちに検出されなくなる(A15反対尋問二一頁以下、四三頁ないし四七頁)。したがって、押収後の保管の過程で、仮に、試料を前に話すなどしたことにより付着した唾液や手で触ったことにより付着した皮膚片等があったとしても、唾液や皮膚片等に由来するDNAは何ヶ月という月単位で比較的早期に検出されなくなる。そうすると、本件試料から検出されたDNAは、唾液や皮膚片に由来するものではなく、本件に即して考えると、血液由来のものと考えるのが最も合理的である。本件の具体的な経過を見ても、遅くとも、DNA鑑定の請求があった平成二三年二月二三日以降、同年八月二九日の試料採取を経て、同年一二月下旬に鑑定結果が提出されるまでの間、外来DNAによる汚染防止の配慮がされていたと推測されるから、検査を実施した時点で、外来DNAが検出可能なレベルで残存していた可能性は高くはない。すなわち、本件では、鑑定の経過やどのような形で残存していたDNAがより長期にわたり検出されやすいかといった観点から見ても、外来DNAによる汚染の可能性は高くないと言えるのである。

・ 検査の最中に外来のDNAに汚染される可能性も低いこと

A13は、プロメガ社のマックスウェル16というDNA抽出の過程が機械的に自動でできる方法を用いて(A13主尋問五一頁)、なるべく検査中の汚染を防いでいる(DNA鑑定に関わるものとしては当然のことであろうが、A13は、自らのDNA型を申告しており、検査中の汚染か否かを判断しやすくもしている。二四年A13鑑定書)。

(e) 血液由来DNAの選択的抽出法を用いていること

この方法に関しては、A13が、念のためその効果を裏付ける実験報告書(平成二四年一二月二〇日付け)を追加的に提出したのに対し、これと矛盾する実験結果や前記実験報告書に対する専門家による反論の意見書、論文等は検察官から提出されていない。もとより、一〇〇%血液由来という訳ではないが(A13反対尋問八六頁)少なくとも通常の試料の場合には、一定の効果があるものと認めて差し支えない。ただし、この方法は、血球細胞の比重の重さと凝集反応を利用するものであるから、試料が古くて血球細胞に損壊又は状態変化が起きている場合に同様の効果が期待できるか必ずしも明らかではない(弁一四九・四頁参照)。現に、A13による本件試料の検査結果をみても、鉄紺色ズボンやブラジャーで、チャート上およそDNAを選択的に抽出したとは評価できないような座位(99―1【FGA】、95―1【D三S一三五八】)が認められるといった指摘ができるが、なお、少なくとも、確率的にみて、そのような方法を用いた方が、より血液由来のDNAを抽出する可能性を高めるものとの評価は可能であろう。前例のない特異的な方法(A19意見書一八頁、一九頁)、文献等でも見たことがない方法であり非常に独創的な方法(A15意見書一頁)というだけでは、その効果が完全に否定されることはない。

(f) 小括(アレルと血痕との関係)

以上の理由から、検出されたアレルの多くを血痕に由来するとしたA13の判断は、基本的に信用できる。もっとも、A13の型の判定の仕方には批判もある。そもそも本件試料の一つ一つには、一人分のDNAしか含まれていないという前提をとっていること自体に疑問が投げかけられているところであるが、それ以外にも、①一座位につき三種類以上のアレルが検出された場合ですら、外来DNAによる汚染等により二人以上のDNAが検出されているおそれを十分に考慮していない、②一回の検査でRFU五〇〇を超えているのに、別の検査において再現しないアレルについて、アレルドロップインの可能性を完全に排除しているといった批判を受けている(A19意見書一四ないし一八頁)。もとより、チャートから型を判定するについては、鑑定人の専門家としての経験や力量によるところが大きいと思われ、A13がDNA鑑定に実績を残している専門家であり、A13自身このような批判に対しては反論しているところではあるが(A13反対尋問三四頁以下)、それでも、これらの批判には全く理由がないとはいえない。

そこで、当裁判所は、念のため、前記の批判を受け入れた形で検討を加えることとした。すなわち、以下では、一座位に三つ以上のアレルがチャート上検出された試料(99―1【D八S一一七九】等、100―1B【D八S一一七九】、95―1【D三S一三五八】)及びその疑いがある試料、97―1A【TH〇一】)については、外来DNAによる汚染の疑いがあるという理由により、その試料から検出されたアレルは全ての座位について判断の基礎から除外する。また、RFU約五〇〇を超えるのに再現しないアレル(96―1【八S一一七九】「一二」、96―1【D一六S五三九】「一〇」、96―1’【D二一S一一】「三一・二」、96―1’【vWA】「一一」、96―1’【D一八S五一】「二七」、97―1B【D八S一一七九】「一三」、97―1B【vWA】「一七」、97―1B【TPOX】「八」、97―1B【D一八S五一】「一三」「一五」、98―1A【D八S一一七九】「一三」、98―1A【D一九S四三三】「一六」「一七・二」、98―1A【TH〇一】「七」、98―1AB【TPOX】「八」、98―1AB【D一八S五一】「一二」「一三」、100―1B【D三S一三五八】「一七」、100―1B【D一三S三一七】「八」、93―1【D一三S三一七】「一二」)検察官DNA意見書一〇頁以下)についても、アレルドロップインの疑いがあるという理由により、当該アレルを除外する。

そのような前提で検討しても、以下に述べるような不一致が明らかである。

b 白半袖シャツ右肩の試料から検出されたアレルとYのアレルの不一致

白半袖シャツ右肩(97―1B)から検出されたアレル(アメロゲニンとABO血液型を除く。)は、前記の除外したものを除くと全部で七個であるが、そのうち、五個(【D二一S一一】「三四・二」、【D一六S五三九】「八」、【D一九S四三三】「一五・二」、【vWA】「一四」、【FGA】「二二」)はYのものと一致していない(A13主尋問六〇頁、同添付対照表(一一一頁))。しかも、【vWA】「一四」については二回の検査で二回とも検出されている。また、A13は、チャートを見ながら、【D二一S一一】「三四・二」、【D一六S五三九】「八」、【FGA】「二二」については、信頼できるピークであると説明している(A13主尋問六〇頁以下)。

この不一致は、極めて重要な事実である。確定判決によれば、白半袖シャツ右肩の試料はYの血液が付着した部位とされるから、そこから検出されたDNA型は、YのDNA型と原則として一致するのが当然であるのに、これほどまでに一致しないというのは、矛盾又は少なくとも不整合である。

c 五点の衣類から検出されたアレルと被害者着衣から検出されたアレルの不整合

本件被害者は夫婦とその子二名であるため、被害者のアレルは、各座位につき最大でも四種類となるはずである。したがって、五点の衣類に被害者の血液が付着していると考えた場合、五点の衣類及び被害者着衣からは、Yのアレルを除けば、最大でも四種類のアレルしか出現しないはずである(実際には、被害者のDNAが複数の座位でホモ接合である可能性があるため、出現するアレルの種類は、さらに少ない可能性が高い。)。しかし、五点の衣類及び被害者着衣からは、Yのアレルを除き五種類以上のアレルが検出されている座位が三つ確認できる。すなわち、【D二一S一一】において、「二四・二」「二六」「二八」「二九」「三四・二」「三五」の六種類、【D三S一三五八】において、「一三」「一四」「一六」「一七」「一八」の五種類、【FGA】において、「二〇・二」「二一」「二二」「二六」「二八」の五種類がそれぞれ検出されており、これは不整合である(A13主尋問添付対照表(一一一頁以下)参照)。

d 検査結果の評価

以上の結果から、次のようなことがいえる。

(a) 五点の衣類のうち、Yの血液が付着しているとされている白半袖シャツ右肩の試料から、五つもYのアレルと一致しないアレルが検出されており、これらすべてが、アレルドロップインである可能性は相当に低く(特に二回の検査で二回とも検出されている【vWA】「一四」については一層強くいえる。)、また、外来DNAによる汚染とも考え難い。したがって、白半袖シャツに付着していた血液は、Yのものではない蓋然性が高まったといえる。

なお、確定判決の認定とは異なるが、白半袖シャツ右肩の試料の血痕が、B型であるA2の血液であるため、Yのアレルと一致しなかった可能性についても検討しておく。まず、同血痕は、元々ネズミ色スポーツシャツの内側に着用している白半袖シャツの内側から付着しているから、刺突時に浴びた返り血でないことは明らかである。次に、白半袖シャツが他の衣類と麻袋に一緒に入れられたことで、他の衣類に付着していたA2の血液が白半袖シャツに移った可能性について検討すると、五点の衣類の血痕は、その多くがA型であって、B型の血液が付着しているのは、緑色パンツのごく一部に限られている(確一七冊二三四八丁以下、確一八冊二四七二丁以下)。このような他の衣類の血痕の状況を前提とすると、他の衣類との接触により白半袖シャツ右肩に比較的鮮明で第一・一(8)で示したような二つに分かれた血痕が形成されるとは考えにくい。そうすると、白半袖シャツ右肩の血痕がYのアレルと合致しなかった理由について、A2の血液が付着していたからであると理解するのは相当ではない。

(b) 五点の衣類の血痕から検出されたDNAのうち、【D二一S一一】についての二種類、【D三S一三五八】と【FGA】についての各一種類の合計四種類のアレルが、被害者のものでも、Yのものでもないことになるが、これらがすべて、アレルドロップインである可能性はやはり相当に低く、また、外来DNAによる汚染とも考え難い。

したがって、五点の衣類には、Yのものでも、被害者のものでもない血液が付着していた可能性が相当ある。

(c) 以上によれば、A13鑑定は、五点の衣類の血痕がYのものではないことはもとより、被害者のものでもない可能性を相当程度示すものと評価できる。

e 検察官の主張について

以上に対し、検察官は、A13の検査結果が全く信用できず、判定不能と結論づけるべきであったと主張し、その理由をるる述べる。これらの検察官の主張については、これまでの考察の中で既に考慮に入れて検討しているものもあるが、重複にわたる部分も含めて、ここでまとめて検討結果を説明する。

(a) 「再現性」がなく、しかもその理由を合理的に説明できないとの主張

検察官は、A13の検査結果を見ると、複数回の検査で検出されたアレルが少なく、しかも、その中には、RFU五〇〇を超える高いピークを記録しているものもあり、これらについては、他方の検査でアレルドロップアウト(DNAが微量である等の理由で一部のアレルが全く検出されない現象)が発生していたとの説明も困難であり、アレルドロップインの疑いもあるから、検査結果が全体として信用できないと主張する(検察官DNA意見書五頁以下及び一〇頁以下)。

しかし、アレルが一度しか検出されなかったからといって、それを有効なものと解釈するのが禁止されているわけではない。専門的な考察を加えた上、正しいアレルと解釈することが許されており(A19意見書一六頁「コンポジット法」、検五添付「DNA鑑定についての指針(二〇一二年)」三の六)、A15反対尋問三六頁、三七頁)、A13がそのような方針で鑑定の結果を導いていることは明らかである。

また、仮に検察官が主張するとおり、RFU五〇〇を超え、かつ再現しないことから、当該アレルにアレルドロップインの疑いがあるとしても、その他のアレルについて同じ疑いが同程度に生じることにはならない。そもそもA13は、PCRの増幅回数を二八回としており、アレルドロップインの可能性は相当低いと考えられるところ、微量な試料等の場合には、アレルドロップアウトが生じて再現しないことの方が頻度としてはずっと多いと考えられる(A15反対尋問三五頁、同添付表(七四頁))。したがって、アレルドロップインの疑いがあると具体的に指摘されたものを除けば、検出されたアレルを根拠に異同識別を論じることは当然許される。

(b) 型判定の基準が曖昧で恣意的であるとの主張

検察官は、①A13は、一座位で三種類以上のアレルが検出された試料について、二種類以内の優位なもののみを有効なアレルと判断しているが、「優位」の判断基準が曖昧であるし、そもそも試料からは血痕に由来する一人分のアレルが優位なものとして検出されるはずという前提自体が成り立たないから、判定基準自体に誤りがある(検察官DNA意見書一五頁以下、一九頁)、②一座位において二種類のピークが検出された場合でも、それぞれが別の人物に由来する可能性が認められるのであって、一人のヘテロ接合のDNAに由来すると判定しているのは誤りである(同意見書一六頁)などと主張する。

しかし、当裁判所の前記dの評価は、その前提において、一座位で三種類以上のアレルが検出された試料はそもそも検討の対象から排除しており、二種類以内の優位なもののみを有効なアレルと解釈しているわけでもない。一座位につき二種類のアレルが検出された場合でも、それらが一人のヘテロ接合のDNAに由来するという前提にも立っていない。

さらに、検察官は、③有効なアレルと判定すべきRFU五〇を超えるアレルを無視している(同意見書一八頁)などと主張する。この点について、A13は、有効なアレルと判定しなかった理由を説明していて(A13反対尋問三〇頁以下)、その内容も専門家の判断として尊重しうるが、ここではあえて、検察官からの指摘にそって検討してみる。有効なアレルと判断すべきとの指摘があったピークの存在する座位は、97―1A【D八S一一七九】と【D二一S一一】、98―1Aの【D三S一三五八】、95―1【D一九S四三三】であるが、そのうち、97―1A及び95―1については、そもそも検討の対象から外している。また、98―1Aについてみると、確かに検察官が指摘するピークを有効なアレルと判断すると、ネズミ色スポーツシャツA型血痕部分の試料についても、一座位につき三種類以上のアレルが検出されていることになり、外来DNAによる汚染の疑いが生じる。

しかし、この試料から検出されたアレルを全て排除しても、まず、白半袖シャツ右肩の試料のアレルとYのアレルが一致しないことに何ら変わりはない。次に、五点の衣類及び被害者着衣からは、Yと同一のアレルを除いて、【D二一S一一】において、「二四・二」「二六」「二八」「二九」「三四・二」「三五」の六種類、【FGA】において、「二〇・二」「二一」「二二」「二六」「二八」の五種類がそれぞれ検出されている。これが、夫婦とその子のアレルと解釈することができないことは明らかであり、五点の衣類には、Yのものでも、被害者のものでもない血液が付着していた可能性が相当あるとの結論は変わらない。

なお、白半袖シャツA型血痕部分の試料とネズミ色スポーツシャツA型血痕部分で外来DNAによる汚染等が生じているとすれば、元々同じ証拠物に由来する白半袖シャツ右肩部分やネズミ色スポーツシャツAB型血痕部分についても、外来DNAによる汚染等を疑えば疑う余地はあろう。しかし、あくまでも試料は別の部位から採取されているから、その疑いは具体的なものとは到底言えず、そもそも、対照試料からは全くアレルが検出されていないという前提がある以上、そのような抽象的な可能性を問題にするべきではない。

(c) A15の検査結果と一致しないとの主張

検察官は、A13とA15によるそれぞれのSTR型検査で検出されたアレルがほとんど一致していないことから、A13鑑定は判定不能と結論づけるべきだったとする(検察官DNA意見書三頁以下、A15主尋問四四頁)。しかしながら、A13は、既述のとおり、血液由来のDNAを選択的に抽出するための処理を行い、PCR増幅回数はアレルドロップインの危険を回避するために推奨されている二八回としながら、バナジウムを加える(A13反対尋問一一七頁以下、弁一四六、一四七)、マックスウェル16を用いる(A13主尋問五一頁)など増幅効果を高めたり、ロボットによりDNAを抽出して余分なものが入るおそれのない方法を採用している。一方、A15は、DNAを検出しやすくするために、PCR増幅回数を三〇回や三五回に設定したが、これは、アレルドロップインの危険性が高まるものであるし(A15反対尋問三七頁)、検出感度の高いミニファイラーを併用したり(A15主尋問四頁以下)しており、その手法が異なっている。本件試料が微量であり、結果が不安定になりうること(「確率効果」という。A29意見書八頁)も併せ考慮すれば、二人の検査結果が異なるからといって、一概に判定不能とすべきではない。A13鑑定は、結論として、アレルドロップアウトが起きている可能性はあるものの、実際に存在しているDNAそれも血液に由来するものを相当程度検出していると評価して良いのに対し、A15鑑定には、何に由来するか不明なアレルドロップインという鑑定結果を大きく間違った方向に導きかねない危険をはらんだ方法を用いている。A15が信頼できる個人の型を確認できなかったとしているのは、専門家としての見識であろうが、A15が自分の鑑定につきそのような結論を出したからといって、そのことからA13の鑑定結果が信用できないということにはならない。

(d) 以上のとおり、検察官の主張には、いずれも理由がない。

ウ A15のミトコンドリア型検査に対する評価

(ア) 概要

前述のとおり、A15は、ミトコンドリア型検査に関し、判定不能としているのに対し、弁護人は、白半袖シャツ右肩の血痕がYのものでないことを裏付けていると主張している。当裁判所は、A15が専門家として判定不能と判断したこと自体は理解できるが、鑑定結果を総体としてみれば、白半袖シャツ右肩の血痕がYのものではない事実を裏付けているとまでは言えないものの、Yのものではないとの事実に整合的ではあると評価した。以下、その理由を述べる。

(イ) 検査の結果

①メリヤスシャツ(A2の着衣)の血痕部位、②白ワイシャツ(A4の着衣)の血痕部位、③②の対照試料、④白メリヤスシャツ(A4の着衣)の血痕部位、⑤水色たて縞パンツ(A1の着衣)の血痕部位から、それぞれ同一の型(二二三T―二九四T―二九五T)が検出された。また、五点の衣類のうちの緑色パンツA型血痕部位及びブラジャー(A3の着衣)の血痕部位からも、類似した型が検出された(前者につき二二三T―二九四T―二九五T―三二三T/C、後者につき一九三C/T―二二三T―二九四T―二九五T)。さらに、白半袖シャツ右肩の試料からも別の型(一九二C/T―二〇九C―二二三T―二九一T―三二四C/A)が検出された(A15は、二〇九の塩基の判定については誤りであった旨証言するが、いずれにしても、前記七つの試料から検出された型とは全く異なる。)。以上の型は、いずれもY本人(八六C/T―二二三T―二三四T―二九一T―三一六G―三六二C)の型と一致しない(以上につき、二三年A15鑑定書表三及び二四年A15鑑定書表三、確四冊一〇七一丁以下、確一四冊一六六一丁以下)。

(ウ) 評価

a 二二三T―二九四T―二九五Tの評価

ミトコンドリアDNAは母子間で遺伝し、父子間ではその型が異なるのが通常である。ところが、前記のとおり、A2及びA4の着衣とA1の着衣の双方からこの型が検出されている。しかも、同じものが対照試料からも検出されている。A15は、A2がA1の下着を洗濯したり、取り込んだりすると、A2のミトコンドリアDNAがA1の下着に付着することもあるとしている(A15主尋問二五頁、二六頁)が、果たしてそのようなことでA1のミトコンドリアDNAが出ずにA2のものが出るということになるであろうか。そして、A15は、これらは同一人に由来するミトコンドリアDNAが付着した可能性が高く(同二七頁)、多くの試料に共通して認められる点、対照試料からも出ていること、試料の保管状況をもあげて、全く被害者の家系に関係のない人が、後からそれら全ての試料に触れたという外来DNAによる汚染の可能性が高いと判断している(同二九頁)。

b 緑色パンツ及びブラジャーから検出された型の評価

緑色パンツ及びブラジャーから検出された型は前記のとおりであるが、これらの型及び前記二二三T―二九四T―二九五T型は、相当類似している。一九三C/T、三二三T/Cが、ヘテロプラスミーなのか、DNAの混合(二人以上のミトコンドリアDNAが検出されている状態)なのか(A15は混合と見ている。A15主尋問二八頁)という問題はあるが、ヘテロプラスミーであれば、一九三C/T―二二三T―二九四T―二九五T―三二三T/Cという型の一個人に由来し、DNA量が少ないため、A2のメリヤスシャツ等では、変異型の塩基(一九三T及び三二三C)が検出されなかっただけと考えられる。逆にDNAの混合というA15の判断に従えば、二二三T―二九四T―二九五Tの型を持つ人のDNAがベースになって、それに一九三Cあるいは一九三T、三二三Tあるいは三二三Cを持つ人のDNAが混在している(A15主尋問二七頁)と判断することになる。いずれにしても、二二三T―二九四T―二九五T型が外来DNAによる汚染である可能性が非常に高いことからすれば、緑色パンツ及びブラジャーから検出されたものについても外来DNAによる汚染である可能性が相当に高い(緑色パンツについては、A15主尋問二七頁)。

c 白半袖シャツ右肩の試料から検出された型の評価

では、五点の衣類の中にあった白半袖シャツはどうか。前記の検討結果からすれば、この検査全体で検出された八つの型のうち、七つについては、外来DNAによる汚染である可能性が相当に高いと認められる。そうすると、残りの一つである白半袖シャツ右肩の試料から検出された型についても、外来DNAによる汚染の可能性が相当程度認められると言わざるをえない。しかし、検出された型は、前記七つの試料から検出された型とは全く異なっている。これは、前記の七つの試料と同一の原因で汚染されたものと考えることができない結果である。そうだとすると、この型が、外来のDNAによる汚染ではなく、本来検出されて然るべき、試料上の血痕に由来している可能性も、一定程度認められ、無視できない。

d 小括(A15のミトコンドリア型検査)

このように白半袖シャツ右肩から検出されたミトコンドリア型は、血痕に由来している可能性も一定程度認められるところ、この型がYの型と一致していないことは明らかである。そうすると、この結果は、白半袖シャツ右肩の血痕がYのものでないという事実と整合的と評価することができる。

なお、念のため付言するに、前記のとおり、A15のミトコンドリア型検査の結果においては、外来DNAによる汚染の疑いが相当程度認められるが、そのことからA13鑑定の信用性が減殺されるものではない。なぜならば、ミトコンドリア型検査とSTR型検査とは、原理が異なり、検出感度等も相当異なる(A15主尋問二三頁)上、A13鑑定では外来DNAを排除すべく、血液由来のDNAを選択的に抽出するための処理をしており、これも一定の効果をあげていると考えられるからである。

エ 小括(DNA鑑定に関する証拠)

以上のDNA鑑定を総括する。まず、STR型検査としては、五点の衣類のうち、確定判決によればYの血痕とされる白半袖シャツ右肩試料(B型付着部)から検出されたDNAは、Yに由来するものではない蓋然性が高く、五点の衣類全体を見ても、各試料上の血痕が被害者及びY以外のものである可能性が相当程度あると判断される。A13鑑定は、その限度で信頼できる。一方、A15鑑定は、STR型検査の結果については、確率効果及び検査方法の違い等によりA13鑑定とは異なる結果となった可能性がある。ミトコンドリア型検査においては、そのほとんどが外来DNAによる汚染の可能性が高いが、白半袖シャツ右肩の試料から検出された型は、一概に汚染といえない上、Yとは全く異なった型であることは明らかである。

この結論は、これだけをとっても、五点の衣類が犯行着衣であり、Yが着用していたものであるという確定判決の認定に相当程度疑いを生じさせるものであり、特にYの犯人性については、大きな疑問を抱かせるものである。

(2)  五点の衣類の色に関する証拠

ア 概要

確定判決は、五点の衣類について、犯行着衣であり、昭和四一年六月三〇日の犯行後、同年七月二〇日の新たに味噌が仕込まれるまでの間に一号タンク内に残存していた味噌の中に隠匿され、昭和四二年八月三一日に発見されるまでの間、その中に入れられていたと認定した(確定判決三五丁以下)。

この点に関し、弁護人は、五点の衣類が一年以上味噌に漬けられていたとした場合の色合い等に着目して三つの実験を実施し、当審において、その結果報告書を提出し、当裁判所は、各実験に関してA14の証人尋問(弁五)を行った。三つの実験報告書の主たる内容は、次のとおりである。

① 味噌漬け実験報告書(弁二)

五点の衣類に類似した衣類に血液を付着させたうえ、麻袋に入れて赤味噌とたまりの混合液に約二〇分間漬け込むなどしたところ、A28鑑定書添付の写真と同様の色を再現することができた。

② 一年二ヶ月味噌漬け実験報告書(弁六)

五点の衣類に類似した衣類等に血液を付着させたうえ、麻袋に入れ、一年二か月間、赤味噌の中に埋め、重石をのせたところ、元々白い衣類は味噌とほぼ同色の濃い茶色になり、元々緑等の着色のあるものは、味噌の影響を受け本来の色が分からないような暗い色になった。また、血痕は、完全に赤みを失って、黒褐色になった。他方、A28鑑定書添付の写真中の五点の衣類をみると、元々白い衣類については薄く着色しているにすぎず、緑色パンツも明らかに緑色と認識できるような色で、血痕も赤みを帯びており、両者は明らかに異なる。

③ 再現仕込み味噌・味噌漬け実験報告書(弁八)

検察官推薦の鑑定人であるA30作成の昭和四七年八月一一日付け鑑定書中の、a商店における味噌の原材料の記載(確二五冊二二九丁)を参考にして、原材料から味噌を仕込んだ。仕込みから一年半以上経過し、味噌の発酵がある程度進んだ段階で、五点の衣類に類似した衣類等に血液を付着させ、麻袋に入れたうえ投入し、上から重石をのせた。それからさらに約半年経過した後、前記衣類等を取り出すと、衣類等及び血痕の色は、第二味噌漬け実験報告書とほぼ同様のものになっており、やはりA28鑑定書添付の写真とは明らかに異なっていた。

さらに、弁護人は、当審において検察官から開示された撮影日時不詳の五点の衣類等の写真三〇枚(検二〇)により、前記各実験における色合いとの齟齬がより明確になったと主張している。ちなみに、この写真三〇枚は、撮影日時不詳であるが、発見後に撮影されたものであることは間違いなく、色は後に述べるように時間が経過すればするほど変化するのであるから、そのようなものとして比較の対照とすることが許されるのは言うまでもない。

弁護人は、以上の証拠から、五点の衣類は、確定判決が認定したように一年以上一号タンクの中に入れられていたものではなく、発見される前の比較的短時間内に味噌タンク内に埋め込まれたものであることが明らかになったから、犯行着衣ではなかったことが明らかになったと主張する(弁護人最終意見書五九頁以下)。

イ 検討

(ア) 第一味噌漬け実験

この実験についてみると、味噌とたまりを用いれば、五点の衣類を短時間で一定の色に染めることができるという限度で信用できることは明らかである。そうである以上、五点の衣類について、味噌の色が染みこんでいることのみを理由として、長期間一号タンクの中に入っていたと認定することはできないことを明らかにしたものといえる。

(イ) 第二及び第三味噌漬け実験

当裁判所は、前記各実験は、五点の衣類については、いったん味噌の中に入れられた後、その上から色が薄かったと推察される多量の味噌原料を投入されていること(A14・四五頁以下)、五点の衣類の発見者であるA21が、当時の一号タンク内の味噌の色につき、前記各実験における味噌の色より薄かったと供述していること(検三)から五点の衣類が一年以上一号タンクの中に漬けられた場合の色合い等を正確に再現しているとまでは認められないと判断した。

しかし、五点の衣類の味噌による着色の程度及び血痕の色合いを見ると長期間味噌に漬けられていたにしては不自然であると判断したので、以下、その理由を説明する。

a 味噌による着色の程度

(a) 衣類の色と味噌の色との関係

第二及び第三味噌漬け実験において、白色の衣類は、いずれも味噌に似た色に染まっている。この点については、布製の衣類が、麻袋の中に入れられたうえ、長時間にわたり半固体の物体である味噌の中に漬けられた場合、その物体の色に染まるという一般的な経験則とも合致している。したがって、前記各実験は、この限度では信用できる。

この点、検察官は、一号タンク内の味噌の水分の量が実験条件とは異なり、これによって衣類への味噌の浸透のしやすさが異なっているため、着色状況が異なる可能性を指摘する(検察官最終意見書三二頁)。しかし、発見直後に作成された実況見分調書(確一七冊二二八四丁)においては、発見時の状況について、五点の衣類が入った麻袋は「持上げると焦茶色の汁がたれる」旨記載されており、水分が不足していて五点の衣類まで浸透しなかったと考えることはできない。逆に、味噌の発酵が進むことで液体であるたまりが多量に発生し色が薄くなった可能性についてみると、五点の衣類発見直後の一号タンクの写真(確一七冊二三一一丁、確六冊一九五三丁)を見ても、たまりで水びたしになっているようには見えない。さらに、たまり自体も色を帯びているため、衣類への着色を薄くする効果は限定的と考えることができ、現に第二味噌漬け実験報告書一三頁においても、たまりの発生が認められるが、これによって衣類の色が大幅に薄くなっているようには見えない。また、検察官は、五点の衣類に加えられた圧力や麻袋の生地が実験で設定された条件とは異なっていた可能性があるため、味噌が衣類まで浸透しにくかった可能性を指摘する(検察官最終意見書三二頁)。しかし、五点の衣類には、昭和四一年七月二〇日及び同年八月三日に味噌が仕込まれた後は、高さにして約一三五cm近くの味噌(原材料)が乗っていたことになり(一号タンクの深さは約一六五cmであるところ、五点の衣類は一号タンクの底から高くても約三〇cm程度にしかならない味噌の中に埋められており、その後、味噌原材料がタンク一杯まで仕込まれている。A29・確五冊一七四五丁以下、確一七冊二三〇〇丁)、相当の圧力がかかっていたことは明らかである。また、麻袋は一般的に繊維が粗くて水密性に乏しいものであり、この点の相違が衣類への着色状況に大きく影響するとは考えにくい。検察官の主張には、いずれも理由がない。

以上より、五点の衣類が一年以上にわたり一号タンクの中に入れられていた場合、白い衣類については、周囲の味噌と似た色になっていたはずであると認められる。

(b) 五点の衣類の色と一号タンク内の味噌の色との関係

五点の衣類の色についてみると、A28鑑定書添付の写真(確一七冊二三五九丁ないし二三八九丁)及び当審で新たに提出された写真(検二〇)の中の白ステテコや白半袖シャツは、どちらかというと白に近い色調のようにみえる。発見直後に作成された実況見分調書では「薄茶色」と表現されており(確一七冊二二八五丁以下)、A28鑑定書も「黄褐色」と表現している(確一七冊二三四八丁以下)。また、各写真中の緑色パンツについても、明らかに緑色を帯びていると認められ、このことは、発見者であるA21の証言(確五冊一六九六丁以下)や発見直後の実況見分等(確一七冊二二八九丁)により裏付けられている。検察官は、写真の撮影方法により色合いが異なって見えることがあるから、当時の写真を根拠にするのは相当ではないと主張する(二三年検察官意見書一二頁以下)が、五点の衣類の色合いについては、前記のように、写真だけでなく、目撃者等の供述による裏付けもあることから、検察官の主張には理由がない。

他方、一号タンク内の味噌の色については、必ずしも明らかではない(白黒写真は存在している(確一七冊二三一一頁以下)。)が、出荷の際に発酵の進んだ味噌を混入させるなどの措置がとられていた(検三)にせよ、味噌の中では相対的に色が濃い赤味噌として出荷されているものであったこと、A21も調書中で第三味噌漬け実験の味噌の写真と比較して「もう少し」薄いとしか供述していない(検三)ことから、相当程度濃い茶色であったと推測される。

(c) 以上のとおり、白ステテコや白半袖シャツの色は、一号タンク内の味噌の色と比較して相当程度薄かった可能性が高く、一年以上もの間一号タンク内に入れられていたものとしては不自然との印象が強い。

b 血痕の色

血痕は、第二及び第三味噌漬け実験報告書では黒色又は黒褐色に変色していて、赤、又は赤みを帯びた色とは評価できない。

他方、五点の衣類の写真を検討すると、ネズミ色スポーツシャツ以外の五点の衣類に付着した血痕は、いずれも赤みを帯びていると認められ、このことは発見直後の実況見分調書(確一七冊二二八五丁以下)において「赤紫色」、A28鑑定書(確一七冊二三四八丁以下)において「赤色」「濃赤色」「赤褐色」「淡赤褐色」「濃赤褐色」「濃赤紫色」などと表現されていることによって裏付けられる。

この点に関し、検察官は、文献(検四)によれば、血痕の色の変化は、日光を浴びた量よりその速度が大きく変わるところ、五点の衣類は、血液付着後、日光にさらされなかったため、血痕の赤みが失われなかった可能性があると主張する(二三年検察官意見書一三頁以下)。同文献によれば、血痕は、新鮮なものでは暗赤色であるが、次第に赤褐色、褐色、帯緑褐色、灰色と変色し、その変化は光が作用して生ずるヘモグロビンの化学変化に基づいているところ、直接日光が当たらない場所では、赤色ないしは赤褐色の色調は数週ないし一か月余り保持され、数年を経過して初めて褐色ないし灰褐色になり、極弱い光の下では数週間で灰色になり、強い日光を受けると数時間以内に色調の変化が見られるとされている。すなわち、光の影響のみを考えても、直接日光にさらされない場所であっても、血痕がはっきり赤みを帯びている(赤色又は赤褐色の色調)のは、一か月余りである可能性が高いのである。この点だけからも、五点の衣類の血痕の赤みが、一年以上味噌漬けにされたものとするには、はっきりし過ぎているとの感は否めない。

たしかに、味噌漬け実験は、味噌の色自体は正確に再現されたものとはいえないから、五点の衣類が一年以上一号タンクに入れられていたとした場合の変色状況を正確に再現したものとまではいえない。また、五点の衣類が、犯行後直ちに味噌タンク内に隠匿されたとすれば、夜間の犯行であるから、血痕は光に当たっておらず、味噌漬け実験では、血液を付着させてから、味噌に漬けるまでの間、日中室内とはいえ、光には当たっていたと思われるから、その点の違いもあろう。しかし、これらの点を踏まえても、一年以上味噌タンク内で味噌漬けにされた状態としてみた場合、やはり、実験結果とはあまりにも違いがあり、血痕の色も不自然との評価は免れない。

なお、検察官は、五点の衣類の血痕が動脈血であった可能性があり、動脈血は静脈血よりも赤みが強いため、時間が経過しても赤みが失われなかった可能性があるとも主張する(検察官最終意見書三二頁)が、前記文献は、動脈血と静脈血を区別して論じておらず、この点が変色状況に大きく影響するとも認め難い。

そうすると、前記実験結果等に照らせば、五点の衣類の血痕は、事件の際付着し、一年以上経過したものとしては、赤みが強すぎ、不自然であると言わざるを得ず、むしろ前記文献によれば、血痕付着から一か月程度しか経過していない可能性が十分認められる。

ウ 小括(五点の衣類の色に関する証拠)

以上より、弁護人が提出した前記各証拠によれば、五点の衣類の色は、長期間味噌の中に入れられたことをうかがわせるものではなく、むしろ、赤味噌として製造されていた味噌の色を反映していない可能性が高いうえ、血痕の赤みも強すぎ、血液が付着した後一年以上の間、一号タンクの中に隠匿されていたにしては、不自然なものとなっている。

このような検討は、厳密に数量化できるようなものではないが、大まかな傾向を把握するには十分である。観察方法が主として肉眼によるとはいえ、証明力が必ずしも小さいということにはならない。肉眼で見て明らかに色合いが違えば、誰が見てもそのような判定になるのであり、観察者によって結論が異なることもない。五点の衣類が味噌タンク内に隠匿された時期という、本件においてはYの犯人性に直結する事情に関する重要な証拠である以上、このような違いを看過することは許されない。

したがって、これらの証拠は、確定判決中、五点の衣類が犯行着衣であり、犯行直後から昭和四一年七月二〇日までの間に隠匿され、その後昭和四二年八月三一日までの間、一号タンク内に隠匿されたままであったとの認定に一定程度疑いを生じさせるものといえる。

(3)  五点の衣類に関する新証拠の総合評価

これまで、五点の衣類が、Yが犯行に用いた着衣であるとの確定判決の事実認定に関して、新証拠を検討してきた。

その結果、五点の衣類は、DNA鑑定という科学的な証拠によって、Yの着衣でない蓋然性が高く、犯行着衣でもない可能性が十分あることが判明した。

また、五点の衣類が発見された際の、衣類の色合いや、血痕の色は、各味噌漬け実験の結果、一年以上味噌に漬かっていたとするには不自然で、かえって極く短期間でも、発見された当時と同じ状況になる可能性が明らかになった。

端的に言えば、確定判決のうちYが本件の犯人であるとする最も有力な証拠が、Yの着用していたものでもなく、犯行に供された着衣でもなく、事件から相当期間経過した後、味噌漬けにされた可能性があるということである。

この事実の意味するところは、極めて重い。五点の衣類は、発見された段階から、本事件に関係する証拠として扱われてきたが、発見された場所、証拠物の点数、形状、血痕の存在等から、それは至極当然であった。

このような証拠が、事件と関係なく事後に作成されたとすれば、証拠が後日ねつ造されたと考えるのが最も合理的であり、現実的には他に考えようがない。そして、このような証拠をねつ造する必要と能力を有するのは、おそらく捜査機関(警察)をおいて外にないと思われる。警察は、Yを逮捕した後、後日、深夜にまで及ぶ長期間にわたる取調べを行って自白を獲得しており(A31・確六冊二三〇一丁以下)、その捜査手法は、Yを有罪と認定した確定判決すら、「適正手続の保障という見地からも、厳しく批判され、反省されなければならない」と評価するほどである(確定判決一一丁以下)。そこには、人権を顧みることなく、Yを犯人として厳しく追及する姿勢が顕著であるから、五点の衣類のねつ造が行われたとしても、特段不自然とはいえない。公判においてYが否認に転じたことを受けて、新たに証拠を作り上げたとしても、全く想像できないことではなく、もはや可能性としては否定できないものといえる。この後の総合判断の際にも、この可能性を考慮して検討することが求められるのは当然である。

なお、検察官は、そのようなねつ造は、警察関係者とa商店の従業員が意を通じて行わなければならないところ、従業員が証拠のねつ造に加担する理由や必要性はないなどの理由から、現実には到底あり得ない空想の産物だとまで主張している(検察官最終意見書三五頁及び三六頁)。しかし、五点の衣類を、科学的、あるいは客観的に分析、検討した結果、ねつ造されたものであると疑わざるを得ない状況になっている以上、あり得ないなどとしてその可能性を否定することは許されない。警察関係者において、五点の衣類を準備して、自ら又は第三者(この中にはa商店の関係者も含まれる。)の協力を得て、一号タンク内にこれを隠匿すれば、あとは従業員がこれを発見するのを待つことで足りるのである。

(4)  新旧証拠の総合評価(五点の衣類に関して)

以上のように、弁護人が提出した前記各証拠は、確定判決が有罪判決の根拠とした、「五点の衣類は、犯行着衣でありかつYのものである」という認定につき、合理的な疑いを生じさせるべきものである。そこで、確定審、第一次再審及び当審で提出された五点の衣類に関する全証拠を総合して再評価した場合、前記疑いが再審を開始するに十分なものであるか、又は疑いが払拭されて確定判決の認定が維持されるか、主要な証拠をとりあげて検討する。

ア 五点の衣類の発見経緯

本件は、昭和四一年六月三〇日に発生したが、その頃、一号タンク内の味噌は、同月から出荷が行われており、約八〇kgないし約一六〇kg程度(タンク内の高さにして約三〇cm程度)まで減少していた(A29・確五冊一七四五丁、A9・一七七〇丁)。昭和四一年七月四日、味噌工場の一号タンク内の捜索が実施され、捜査員が同タンク内を覗いたが、五点の衣類は発見できなかった(A32・確二三冊三四二丁以下)。同月二〇日、一号タンクに味噌の仕込みが行われ、a商店従業員が一号タンク内に入るなどしたが、この時も五点の衣類は発見されなかった(A29・確五冊一七四六丁以下、A9・確二四冊一〇八八丁以下)。ところが、昭和四二年八月三一日になって、一号タンク(タンクの底から約三・五cm程度のところ)から五点の衣類が発見された。

以上の発見経緯につき、確定控訴審判決は、不自然ではないと評価し、確定判決の認定を維持した(第一・二(2)イ(ア))。しかし、これは、まったくあり得ない訳ではないという意味でなら理解できるが、通常の用語としては、やはり不自然と判断するのが相当である。なぜなら、五点の衣類は、昭和四一年七月四日及び同年七月二〇日の時点では一号タンク内に存在せず、発見される直前に投入されたと認める方がはるかに自然だからである。以下、簡潔に述べる。仮に、Yが犯人であるとした場合、Yはa商店の従業員であり、一号タンクの味噌の残量や出荷状況等を概ね把握していたはずだから、犯行着衣を一号タンク内に隠匿したら、出荷・清掃、仕込みの際等に発見されてしまう危険があることは容易に認識できたはずである。したがって、一号タンクを隠匿場所に選択すること自体危険を伴うもので、不自然との感は否めないし、しかも、その後昭和四一年八月一八日に逮捕されるまでの間放置していたという経過も不自然である。捜査機関の眼があってさらなる隠匿行為ができなかったという可能性はあるものの、犯人であれば当然気になっていた証拠物につき、実際に味噌タンクで作業をする機会もあったYが、何か手を加えた形跡がないのはやはり不自然であろう。また、捜索時に発見されなかったこと自体も若干不自然であるが、仮に捜索時に発見されなかったとすると、五点の衣類は当初から味噌の中に外から見て分からないように埋められていたと考えるしかない。そうだとすると、Yは、単にタンク内に五点の衣類を投棄したのではなく(投棄しただけなら、麻袋内に入れられた五点の衣類が味噌の中に沈み込んで見えなくなるということはおよそ考え難い。)、犯行直後にわざわざ一号タンクの中に入って味噌の中に衣類を埋め込むという手のかかる作業をしたことになる。これは、着衣を発見されにくいように麻袋に入れ、しかも、味噌の中に沈め込むという明らかに意図的な隠匿行為であり、その場で始末に困って場当たり的に投棄したと評価することのできない行為である。Yがそこまで考えて隠匿行為をできたのか自体も疑問であるが、もしそこまで考えたのであれば、前記のとおり、一号タンク内に隠しても、その後発見されてしまう危険性をも考えて然るべきであり、より有効な証拠隠滅、又は隠匿方法を考えそうなものである。例えば、放火に際して(確定判決によれば、放火の際はパジャマに着替えていた。)、放火に用いたのと同じ油類を掛けて五点の衣類すべてを焼き尽くす方が後の心配が無いといえ、一般に、可燃物であれば、燃やしてしまうことが最も有効な証拠隠滅と考えられていることからも、そのような行動をとる方が自然である。

他方、五点の衣類がねつ造されたものだと理解すると、捜索や味噌の仕込みの際に発見されなかったのは、至極当然ということになって、全く証拠上の矛盾がない。

五点の衣類の発見経緯は、それらが犯行着衣でもYのものでもないという疑いを強めるものであり、その程度も相当程度のものと評価できる。

イ 鉄紺色ズボンのサイズ

昭和四六年から昭和五〇年にかけて実施された着装実験において、Yは、鉄紺色ズボンを着用しようとしたが、サイズが小さくてはくことができなかった。

この点に関し、確定控訴審は、鉄紺色ズボンのサイズにつき、寸法札の記載から肥満体用の「B体」であると認定し、Yは、事件当時は、鉄紺色ズボンをはくことができたとして、確定判決を維持した(第一・二(2)イ(ア))。

しかし、当審で提出されたA22の供述調書写し(弁一一)、同人の供述録取書(弁二八)、A23の供述調書写し(弁二七)の内容によれば、寸法札「B」という記載は、色を示すものであってサイズを示すものではなく、鉄紺色ズボンのサイズは、「Y体四号」であることは明らかだから、確定控訴審のこの点に関する認定は明らかに誤りである。

そこで、鉄紺色ズボンがY体四号のズボンであることを前提として、改めてそのウエストについて検討すると、Y体四号のズボンのウエストは、規格としては七六cmであるがプラスマイナス約一cmの誤差がありうること(A22・確二九冊二六八六丁)、鉄紺色ズボンのウエストは約三cm詰められた形跡があること(A24・確六冊二二四七丁)、確定審の鑑定人A30が一度目の鑑定(確二九冊二六一五丁)で鉄紺色ズボンのウエストについて約七二・三四cmないし約七三・四cmと算出し、これを第一次再審において弁護人が推薦した専門家のA11が支持している(再一六冊三六三三丁)ことから、鉄紺色ズボンのウエストは、七四cmを上回ることはなかったと認められる。

そこで、Yが、昭和四一年六月三〇日の事件当時、このズボンをはけたか否かについて検討すると、Yが昭和三八年か昭和三九年頃に購入し、昭和四一年八月に逮捕されるまでの間使用していた皮製バンド(符号一一三)は、内径が約七二・六cmないし約七三・〇五cmとなる穴が他の穴より広がっており、多く使用された形跡があること(Y・確八冊二八五四丁以下、平成二五年七月八日付け検証調書五頁)、Yの体重は、勾留後の昭和四一年一〇月一八日時点で、約六一kgであり、その後、昭和四九年に至るまで、六〇kg前後を推移しているが(健康診査簿・確二七冊一六一一丁、病状回答書・一七〇八丁、身体検査書・一七八七丁)、昭和四〇年一一月の時点では、約五五kgであり(健康診断個人票・符号一二八)、勾留により体重が増加した可能性が否定できないことから、ウエストのサイズからみる限り、はけなかったと断言するまでには至らない。

しかし、Yが事件当時使用していた茶格子縞ズボンのウエストが約七六cmないし約八〇cm程度であること(A33・確二七冊一七五三丁、一七九三丁)、ズボンの製造者A22が体重五五kgの人物に対しても、ウエスト七四cmのY体三号又は七六cmのY体四号を薦めると証言していること(確二九冊二六八七丁)からすれば、事件当時のYにとって最適のズボンのサイズは、七四cmより大きかった可能性が高い。このことからすれば、鉄紺色ズボンがわざわざウエストを詰めて七四cm又はそれより細いウエストにするという処理がされている点は、やはり不自然との感は否めない。他方、鉄紺色ズボンが後日ねつ造された証拠だとすると、前記Yの体格との齟齬を容易に説明できる。

鉄紺色ズボンのサイズは、それがYのものではなかったとの疑いに整合するものである。

ウ 白半袖シャツの損傷、ネズミ色スポーツシャツの損傷及びYの右上腕の傷の関係

ネズミ色スポーツシャツの右袖には穴が一箇所、白半袖シャツの右袖には穴が二箇所あるところ、昭和四六年の時点でYが白半袖シャツとネズミ色スポーツシャツを着用すると、これらの穴及びYの右上腕の傷の位置が重なるわけでもなければ、一直線上に並ぶわけでもなかった(確定控訴審弁護人撮影の写真・確二七冊一六〇四丁)。もちろん、このような齟齬が生じた原因として、確定控訴審や即時抗告審が指摘するように、スポーツシャツと半袖シャツとでは体への密着の程度が異なること、損傷等が、格闘中に衣服が引っ張られるなどした状態で生じた可能性があること、各シャツが味噌漬けにされたことにより収縮しており、しかもその程度が異なる可能性があること、Yの体格が事件当時と比較して変化した可能性があること等様々なものが想定しうるところであり、Yが犯行中着用している際に形成されたものとみることが不可能とはいえない。これらの点について考慮していない平成八年七月一七日付けA10の鑑定書(再一四冊三〇七九丁以下)及び同人の証言(弁三)を全面的に信用することはできない。

しかし、ネズミ色スポーツシャツや白半袖シャツが実はねつ造されたもので、別々に傷を付けられたとすれば、このような食い違いが生じたことはむしろ当然である。

前記損傷等も、五点の衣類が犯行着衣ではないという疑いと整合的であるばかりでなく、むしろ、疑いを強めるものである。

なお、検察官は、A10の鑑定書等については、第一次再審請求審において、これを「新証拠」として、同一の再審事由が主張されて既に判断を経ているから、今回の再審請求審で再び再審事由として主張することは、刑事訴訟法四四七条二項に照らし不適法であると主張する(検察官最終意見書四頁、二四頁)。しかし、本件では、第二の一で示したように、弁護人は、新証拠として、五点の衣類等のDNA鑑定に関する証拠や五点の衣類の色に関する証拠を提出しているから、第一次請求審と同一の理由でないことは明らかであり、前記条項による拘束を受けることはない。そして、その拘束を免れる以上、明白性を総合判断するに際し、前の再審請求審で提出された資料を本再審請求審で考慮することは許されると言うべきである。検察官の主張は採用できない。

エ 端布

本件では、鉄紺色ズボンと切断面が一致する端布がYの実家から発見されている。この証拠の意義は極めて大きい。すなわち、確定判決が、五点の衣類がYのものであるとしている最大の客観的な根拠がこの証拠であることは明らかである。単純に言えば、この端布が鉄紺色ズボンと同じ布であることは鑑定によって明らかであり、この端布がYの所有していたものであることが認定されれば、鉄紺色ズボンの所有者がYであり、鉄紺色ズボンと一緒に出てきた五点の衣類はすべてYのものということになるのである。そこで、この端布が、Yの所有していたものとするのに疑いは生じないのかを検討する。

Yの母であるA7は、昭和四二年九月一七日付け供述調書において、同端布について、「Yが逮捕された後、Yの他の衣類とともに寮から送られてきた」と供述している(確一九冊二七〇四丁以下)が、A7は公判廷で前記事実を否定している(確七冊二三六二丁)。この供述調書は、確定判決でも信用性が高いとされており、そのような判断がなされたこと自体、それなりの根拠があったといえる。しかし、この供述調書についても、現実に実家でその端布が出てきたと見せられ、警察官から端布がYの実家にあった同居者の全ての衣類と一致しないという事実を突きつけられた(確一九冊二七〇七丁)結果、消去法により寮から送り返されたYの荷物であると供述したに過ぎないとみる余地がある。また、Yの荷物を実家へ発送したa商店の従業員らは、いずれも端布を明確に記憶していない(A34・確五冊一八二三丁以下、A35・同冊一八四四丁)から、A7の前記供述調書の信用性を特段に高める他の供述は存在しない。

逆に、端布をYのものであると評価した場合、次のような不自然な点も見られる。端布は、通常、ズボンの左右それぞれの裾から切り取られた二枚を一組で保管するものであるが、Yの実家から発見されたのは一枚だけであり、もう一枚の所在が不明である。

最も疑問の余地があるのは、端布が収集された経緯についてである。端布が押収された際の捜索差押許可状の目的物は、バンドと手袋であった。そして、実際に捜索がなされた際には、かなりいろいろな箇所が捜索され、現にバンドと端布が出てきた箇所は異なっている(確一七冊二三二三丁以下、確二〇冊二七五四丁以下)。バンドや端布以外にもYの所有物あるいは関連性の有無が問題になりそうなものもあったと思われ(寮から送り返されてきた荷物は南京袋と段ボール二箱に及んでいた(A7・確七冊二三五三丁以下)。)、捜査実務においては、聞連性があると思われるものはかなり広範に差し押さえるのが通常であろう(特に、本件のような重大事犯にあっては、そのような扱いがなされるであろう。)。しかし、この捜索差押えに関与した警察官が、目的物であったバンドのほかには、一見しただけで聞連性が明白とは考えにくい端布を、目的物とされてもいないのに押収し、それ以外には何も差し押さえていないのは不自然である。

以上によれば、Yの実家から端布が出てきたという事実は、確定判決の認定を支える極めて重要な事実であることは間違いないが、本当に端布がYの実家から出てきたものであるかどうかについては、疑いを入れる余地がある。

そして、五点の衣類についてのねつ造の疑いが現実化している以上、この端布は、五点の衣類といわばセットの証拠といえるから、ねつ造の疑いをも視野に入れて検討せざるを得ない。そうすると、その収集過程等に生じる疑いを払拭できないのであれば、五点の衣類についてのねつ造の疑いを受けて、端布についてのねつ造の疑いも強まったと判断すべきである。Yの実家から端布が出てきたことを装うために、捜索差押えを行ったとすれば、収集過程の不自然さも容易に説明が付く。

そうすると、端布の存在も、五点の衣類がYの着衣ではないという疑いを払拭するほど証明力の強い証拠ではなく、むしろ、この端布自体もねつ造された証拠である疑いが強まったといえる。

オ A8の公判供述(第一・二(2)イ(ア))

A8は、緑色パンツが自社の製品であり、昭和四一年八月九日以前に縫製されたものであると供述する(確六冊二二六一丁以下、二二六七丁以下)。

しかし、わざわざ血液を付着させるなど手の込んだねつ造がなされている疑いを前提とすると、A8が指摘する特徴のみで、緑色パンツがb社の商品と断定できるか疑問である。また、仮に緑色パンツが昭和四一年八月九日以前にb社で縫製された商品だとしても、その後捜査機関がYのもののように装うことは十分可能である。

A8の公判供述は、緑色パンツが犯行着衣であって、昭和四一年七月二〇日以前に一号タンク内に入れられた事実と一応整合的ではあるが、強く裏付けるものとはいえず、ましてや、五点の衣類がYのものではないとの疑いを払拭するものではない。

カ 小括

以上のとおり、DNA鑑定等の新証拠の存在を前提として、改めて五点の衣類に関係する新旧証拠の再評価を行うと、五点の衣類が犯行着衣及びYのものであることを裏付ける決定的な証拠がないばかりでなく、むしろねつ造されたものであることを示唆する証拠が複数存在することになり、DNA鑑定等の新証拠によって生じた疑いが払拭されるどころか、むしろ補強されたことになる。そうすると、五点の衣類が犯行着衣でもYのものでもないとの疑いが合理的なものであることは明らかであり、到底、排斥することができない。

(5)  新旧証拠の総合評価(五点の衣類以外)

以上により、確定判決において証拠構造上最も有力な証拠とされた五点の衣類が、新証拠によってYの犯人性を基礎づけるものではなく、むしろねつ造されたものであるとの疑いが生じ、さらに新旧証拠を総合評価しても、その疑いが合理的なものと評価できる以上、再審を開始することに原則として支障はない。しかし、念のため、五点の衣類以外の証拠からYの犯人性が肯定されることがないかを検討しておく。

ア Yのパジャマの混合油と血液

Yのパジャマから、放火に用いられた味噌工場の混合油と同種の油及びY以外の者の血液が検出されたとされている点について検討する。混合油の点に関しては、そもそも複数の異なる鑑定結果があり、一義的で明確な結論は言い難い(確一五冊一七〇八丁以下、確一九冊二五七五丁以下、確二四冊一一九二丁以下、確二五冊二丁以下)。仮に味噌工場と同種の混合油が付着していたとしても、その量が多量であったという証拠は全く存在しないのであり、Yが工場に付設されている寮で生活していたことを併せて考えれば、犯行とは別の機会に工場の混合油が付着したとしても、特段不自然とは言えない。血液についても、広範囲にわたって多量な血液が検出されたわけではなく(確一五冊一七〇〇丁以下)、またYが寮で他の従業員と共同生活を送っていたこと等も考慮すれば、犯行とは別の機会に付着した可能性も十分あり、これらの点からYが犯人であると推認することは到底できない。

イ YがA6に渡したとされる紙幣

確定判決では、Yが、被害品である紙幣を元同僚であるA6に預けたとされている。しかし、確定一審で最も有力な根拠とされていたA6の文字と紙幣等の文字との同一性を肯定する鑑定結果が、確定控訴審である程度その証明力に疑問が呈され、確定控訴審は、「筆跡鑑定だけから清水郵便局で発見された封筒の差出人がA6であると断定することはちゅうちょされる」と判示している(確二五冊五二丁以下、確二六冊一二八二丁以下、確定控訴審判決四四丁)。A6自身も公判でその事実を否認し(確四冊一二八九丁)、その旨を肯定する同人の供述調書が作成されているという訳でもない。紙幣は一八枚もあり、いずれも左上と右下の紙幣の記号番号記載部分が焼けている(確一三冊一一〇一丁)が、これ自体相当不自然である。もし、この紙幣が本件と関係のあるもので放火時に燃えたとすれば、全部の紙幣がそのような燃え方をするというのはまず考え難い。意図的に紙幣の記号番号が分からなくなるように燃やしたものと考えるのが合理的である。A6が、そのような作為をしたのであれば、なぜ、Yが犯人である、少なくとも関与していることを明示するような文言を紙幣及び同封した便箋にまで書き付けたのか、その理由が理解できない。二枚の紙幣には「A5」と書かれており、便箋の文言はこれらの紙幣をYが所持していたことを認める趣旨であり、なぜ、A6がそのようなことを書く必要があるのか全く不明である。もし、Yが燃やしたのであれば、通常使用できないような形状にしながら、なぜ全部燃やしてしまわないのか、証拠隠滅のために燃やすなら全部燃やすのが通常であろうから、そのような中途半端な燃やし方はしないであろう。このような証拠があること自体が不自然である。

さらに、DNA鑑定の結果等の新証拠によって五点の衣類がねつ造されたものであるという疑いが生じたことから、この証拠についてもそのような観点からの厳格な検討が必要となる。五点の衣類とこの紙幣入りの封筒は、時期が異なるとはいえ、同じ捜査態勢のもとにあって収集された証拠であるから、同様の疑いも可能性としては否定できない。そして、この紙幣が、本件事件の被害品であることが客観的に明らかにされている訳ではないこと、また、YがA6に預けたものであることを直接裏付けるものでもないことを考慮すれば、前記の証拠物自体の不自然さと相まって、この証拠物が意図的に作り上げられた証拠、すなわちねつ造の疑いさえもあるものと評価せざるを得ない。この紙幣や便箋の存在が、Yの犯人性を裏付ける証拠と評価することはできないことは明らかである。

ウ Yの左手中指の切創等

Yの左手中指に切創があったことは事実であるが、それが鋭利な刃物によって形成されたかどうか分からないと供述する医師もいる(確三冊九八二丁以下)上、鋭利な刃物によって形成されたとの事実を前提としても、それ以上に何らの特殊性も認められない。火災時の消火活動の際も含め、犯行とは全く別の機会に形成された可能性が十分に認められ、Yのこの傷についての説明が変転しているとしても、そのことから直ちに、この切創が犯行時にできたものであると推認することは論理の飛躍があり許されない。Yの左手中指の傷は、せいぜい、Yが犯人だとして矛盾しない、あるいは整合的であるとの評価が可能であるという程度の事実であり、それ以上に犯行を推認させるものとはいえない。

また、Yの右上腕前部の傷痕や右下腿中央から下部前面に打撲擦過痕があり、それが、犯行着衣とされた白半袖シャツや鉄紺色ズボンの相応部分に損傷があることと整合するため、これらが犯行時の受傷であると考えられるとされる点についても、同様の判断となる。すなわち、そのような傷があっても、火災時の消火活動の際も含め、犯行とは全く別の機会に形成された可能性が十分に認められる。特に傷の状況によれば、左手中指の傷以上に別の機会に形成されたものである可能性が高いといえ、五点の衣類と部位が符合するとの点も、五点の衣類自体が、犯行着衣であると認定することができないことが明らかになった以上、特段の意味を持たないというべきである。したがって、これらの傷があったことは、先に述べた左手中指の切創と比較してもより間接事実としての推認力は弱く、それらの傷自体からYの犯人性を推認することなど到底できるものではない。

エ Yの自白調書

確定一審は、昭和四一年九月九日付け検察官調書(確二〇冊二七一二丁)だけは任意性を認め、その余の自白調書は全て証拠排除している。また、判決書の証拠の標目では、証拠として残ったこの一通の自白調書を挙げていない。しかし、確定一審も確定控訴審も自白調書の信用性について相当の頁数を使って検討している(確定判決五二丁以下、確定控訴審判決五六丁以下)。その結論の大要は、いずれも、一部の記載部分(パジャマを着て刺突の犯行に及んだとする点)を除いて、基本的には内容は合理的又は不合理ではないとしており、確定控訴審においては、前記部分が虚偽であるからといって調書全体の信用性を否定するのは相当ではない旨を明示している(確定控訴審判決五六丁)。

しかし、確定一審が説示するように、連日の長時間にわたる警察官の執拗な追及の結果自白に至ったことを理由に、警察官に対する供述調書は、全て任意性がないものとして証拠能力を否定されているから(確定判決三丁以下)、一連の取調べの過程で作成された前記検察官調書の信用性についても十分な検討が必要である。

そこで検討すると、同調書では、犯行着衣はパジャマであると供述しており、認定事実と明らかに違っている。この点は、自白内容のなかでも相当重要な事実であり、この点だけを除いて同調書の他の部分は信用できるという判断自体、批判の余地がある。確定審は、いずれも、Yが、五点の衣類が発見されていないのを幸いに、検察官の推測に便乗したものと考えている(確定判決五二丁、確定控訴審判決五六丁)が、外形的に見れば、結局は取調官の思うところに従って供述したことになるのであるから、このような重要な部分で客観的な事実との食い違いが明らかになった以上、他の部分についても、同様の危険が存在するはずであり、他の部分が単に外形的客観的な事実と合致していたことをもって信用性を安易に肯定することはやはり問題である。

自白を裏付ける事実として、確定審は、いずれも、同調書中で、Yが、強取した現金のうち約五万円をA6に預けたと供述していることを挙げている(確定判決五三丁以下、確定控訴審判決五七丁)。確かに、同調書は、昭和四一年九月九日付けであり、清水郵便局で焼けた札入りの封筒が発見されたのが同月一二日であるから、Yの供述した内容が後日裏付けられたような外観を呈していることは肯定できる。しかし、先に検討したとおり、清水郵便局で発見された封筒、その中にあった紙幣については、その証明力について多大な疑問があり、捜査機関がねつ造したものとの疑いも払拭できない。そうだとすると、Yの供述を捜査官が引き出し、それに合致した証拠をねつ造したとして、時間的経過は十分説明が可能である。いずれにしても、YがA6に現金を渡したという事実自体が、清水郵便局で一部焼けた紙幣等が入った封筒が発見されたことから裏付けられるものではないとの検討結果に従えば、YがA6に現金を渡したことが客観的な事実であることを前提として、その事実と合致していることをもって自白の信用性を高めるものと評価することができないことは当然である。その他の自白内容は、客観的な事実と矛盾しないか、せいぜい整合的であるという程度であり、特段に信用性を高める事柄は見出せない。

オ 小括

このように、五点の衣類以外の証拠は、Yの犯人性を推認させる力がもともと限定的又は弱いものしかなく、しかも、DNA鑑定等の新証拠の影響によりその証拠価値がほとんど失われるものもあり、自白調書について念のために検討しても、それ自体証明力が弱く、その他の証拠を総合してもYが犯人であると認定できるものでは全くないことが明らかになった。

四  結論

(1)  再審の開始

以上の検討により、弁護人が提出したDNA鑑定等の新証拠を前提とすると、Yの犯人性を根拠付ける最も有力な証拠である五点の衣類が、犯行着衣でもYのものでもないという疑いは十分合理的なものである。念のため検討したその他の証拠については、やはり、Yの犯人性を認定できるものは無いことが検証された。

そうすると、DNA鑑定等の新証拠が確定審において提出されていれば、Yが有罪との判断に到達していなかったものと認められる。すなわち、弁護人が提出した、五点の衣類等のDNA鑑定に関する証拠、とりわけA13作成の各書面及び供述、並びに五点の衣類の色に関する証拠、とりわけ各味噌漬け実験報告書及びA14の供述は、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当する。

したがって、本件再審請求は理由があるから、刑事訴訟法四四八条一項、四三五条六号により本件について再審を開始することとする。

(2)  執行停止

そして、本件は、確定判決の主文が死刑であるから、死刑が執行される取り返しのつかない事態が生じるのを防止するため、死刑の執行を停止すべきであることは当然であるが、本件では、さらに、拘置(刑法一一条二項)の執行も併せて停止するのが相当と判断したので、以下、その理由を補足する。

ア 当裁判所は、本件につき、刑事訴訟法四三五条六号の再審事由があるものと判断した。その再審事由の性質上、再審の審判においては、被告人が無罪となる蓋然性が認められるものである。当裁判所が取り上げた新証拠は、放火に直接関連するものはないが、確定一審以来、放火の点は、それ以前の被害者殺害や財物の取得の問題と一括して考えられており、本件が発覚した経緯等を考慮すれば、放火の点だけが他の犯罪とは別の者による犯行とは考え難いから、結局、放火の点も含めても、Yが無罪になる蓋然性が認められるということになる。

イ 刑法一一条二項の拘置は、確かに死刑の執行が絞首と定められていることからすれば、死刑自体の執行とはいえない。しかし、拘置は、死刑の執行行為に必然的に付随する前置手続であることは間違いないから、その意味では、死刑執行の一環であり、拘置及び絞首が全体として、刑事訴訟法四四八条二項の「刑」に含まれると解釈することが可能である。そうでなければ、懲役刑などとの間に看過しがたい不均衡が生じる。すなわち、仮に無期懲役であっても、無罪の蓋然性があるとして再審開始と共にその刑の執行が停止されれば、身柄が解放されて自由になるのに、死刑だと、同じく無罪の蓋然性がある場合(極端な場合としては、真犯人が出現し身代わり犯人であることが客観的にも十分裏付けられ、一見して無罪が明らかなような場合も想定される。)でも、拘置は続き結局は身柄拘束が続かざるを得なくなってしまう。これは、明らかに著しく不均衡である。さらには、この執行停止の中に死刑に伴う拘置が含まれないとすると、再審の審判で無罪の言渡しがあっても、これが確定するまでは拘置が続かざる得ないと解されるおそれがあり、これは通常の公判手続で無罪の言渡しがあれば、勾留されていても身柄が解放されることと比べて不均衡である。

したがって、刑事訴訟法四四八条二項は、裁判所の裁量により、死刑のみならず、死刑の執行のための拘置の執行をも停止することを許容する趣旨と解すべきである。

ウ さらに、本件について拘置の執行を停止するべきか否かを検討する。もとより、死刑は執行されてしまえば取り返しが付かない結果となるのと比べ、拘置は現状を維持するという面が強いから、当然裁量権行使の基準も異なると考えられる。拘置の執行停止の場合、身柄を保全する必要性という観点からの検討も必要となろう。

当裁判所は、そのような観点を含めて検討しても、拘置の執行をも停止するのが相当と判断した。

その理由の第一としては、現状において、再審の審判で無罪になる相当程度の蓋然性が認められることである。当裁判所が検討してきた弁護人が当審において提出した証拠、とりわけA13のDNA鑑定については、当裁判所は、複数の専門家による批判を念頭に入れ、批判にある程度の合理性がある場合にはその批判を受け入れた前提で検討を進めたものである。そして、その検討結果は、確定判決が最も重視した五点の衣類が、Yの犯人性を基礎付けるものでないことが明らかになったばかりか、ねつ造されたものではないかとの疑いを相当程度生じさせるものである。各味噌漬け実験の結果や五点の衣類の発見経緯等これを補強するような証拠や事情が複数存在することからすれば、現時点で、再審の審判においてYに無罪判決が下される相当程度の蓋然性が認められる。

第二の理由は、Yが極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきたことである。Yは、昭和四三年確定一審で死刑判決を受けて以来四五年以上身柄を拘束され続けた。控訴、上告をするもいずれも棄却され、昭和五五年に死刑判決が確定して以来、三三年以上も死刑執行の恐怖にさらされながら施設内生活を続けてきた。既に七八歳と相当高齢で精神状態も万全ではない。無罪の蓋然性が認められるのに、このような過酷な状況に置かれてきたことは、これ以上の身柄拘束を正当化できなくさせる事情である。

第三の理由は、本件では、五点の衣類という最も重要な証拠が捜査機関によってねつ造された疑いが相当程度あり、その他にも自白調書のほとんどが任意性を否定されたり、清水郵便局で発見された紙幣入りの封筒もねつ造の疑いを払拭できないなど、捜査機関の違法、不当な捜査が存在し、又は疑われる。国家機関が無実の個人を陥れ、四五年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、刑事司法の理念からは到底耐え難いことといわなければならない。

他面、前述したYの年齢や精神状態等を考慮すると、実効性のある手段を用いて逃走を図るおそれは相当低いと考えられる。

以上によれば、本件が四名の奪い命を奪うなどした極めて重大な事案であり、Yに対して死刑判決が確定していることを考慮しても、Yに対する拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない。一刻も早くYの身柄を解放すべきである。

(3)  結語

したがって、本件については、再審を開始するとともに、刑事訴訟法四四八条二項によりYに対する死刑及び拘置の執行を停止することとする。

(裁判長裁判官 村山浩昭 裁判官 大村陽一 満田智彦)

別表<省略>

<以下省略>

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