大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所 平成22年(わ)519号 判決 2011年10月04日

主文

被告人を懲役5年に処する。

未決勾留日数中280日をその刑に算入する。

押収してある離婚届1通の偽造部分を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,

第1夫Aと婚姻関係にありながら,かねてBと交際していたものであるが,Bと共謀の上,Aが被告人と離婚する意思がないことを知りながら,平成22年4月6日ころ,静岡県a市b町c番地d号室において,行使の目的をもって,Aに無断で,離婚届の届出人夫欄に「A」と署名するなどし,さらに,同月7日ころ,同市b町e番地被告人方において,前記署名の右横に「A」と刻した印鑑を押印するなどし,もって被告人とAとが協議離婚する旨の離婚届1通を偽造した上,同日,同市b町f番地所在のa市役所b支所において,同支所市民窓口課係員Cに対し,上記のとおり偽造された離婚届を真正に成立したもののように装い提出行使し,もって被告人とAとが協議離婚する旨の虚偽の申立てをし,よって,同月9日ころ,同市g番h号a市役所において,情を知らない同市役所市民課係員をして,同市役所に設置されている公正証書の原本として用いられる電磁的記録である戸籍総合システムのデータ記録にその旨不実の記録をさせ,即時同所にこれを備え付けさせて公正証書の原本としての用に供し,

第2平成22年6月28日午前5時ころ,上記被告人方において,B(当時27歳)と口論の末,自己が処方を受けていた数種類の向精神薬合計100錠くらいをBに服用するよう申し向け,これを服用したBが,同日午前5時30分ころ,被告人方南側公道上に駐車中の被告人が所有し,かつ日常使用していた軽自動車内において薬物中毒状態に陥り,自力で同車外へ出ることが困難であることを認識したのであるから,その生存を確保するためには,救急車の派遣を求めるなどして医師による診察・治療を受けさせるべき責任があったのに,Bとの不倫関係が発覚することをおそれ,救急車の派遣を求めるなどすることなく,数時間にわたりBを上記自動車内に放置し続け,もってその生存に必要な保護を加えず,よって,同日午前11時ころから同日午後2時30分ころまでの間に,高温となった同車内において,Bを熱中症又は薬物中毒により死亡させ,

第3平成22年6月29日午前1時ころから同日午前2時ころまでの間に,Bの死体を静岡県a市b町i番地北側甲川左岸に投棄し,もって死体を遺棄し,

第4平成22年7月9日,静岡県a市b町j番地所在のa市福祉センターにおいて,同施設を利用中のDが所有又は管理する現金約3万円及び運転免許証1通ほか8点在中の財布1個(時価約1万円相当)を窃取したものである。

(証拠の標目) (省略)

(事実認定の補足説明)

弁護人は,Bの死因は熱中症であり,平成22年6月28日午前5時30分ころ(以下,時刻は全て平成22年6月28日のもの)においては,Bが病者であること,被告人がそれを認識していたこと,被告人に保護責任があることという要件が欠けているから,保護責任者遺棄致死罪は成立しないと主張し,被告人もこれに沿う供述をするので,以下説明する。

1  死因

法医学者であるEは,Bの死因は熱中症である可能性が高いものの,本件のように複数の向精神薬を多量に服用した場合,薬物中毒により死亡する可能性も否定できないと証言する。この証言は,本件と同様のケースで実際に中毒死した遺体を解剖したとの経験等に裏付けられており,十分に信用できる。なお,救急救命医であるFの証言もこれと矛盾するものではなく,救急救命医であるGの供述調書の内容を考慮しても,Bの死因は,熱中症又は薬物中毒であると認められる。

2  保護責任者遺棄致死罪の成否

(1)  前提事実

関係各証拠によれば,次の各事実が認められる。

① 被告人は,午前5時ころ,被告人方において,不倫相手であるBと口論になり,Bの気をひくために,自己が処方されていた100錠くらいの向精神薬を示し,自分がこれを飲むと言った。Bは,自分が飲むと言って,向精神薬を持って被告人方を去ろうとした。被告人は,Bに対し,向精神薬を捨てるつもりだろうと言ったが,Bに否定されたため,「じゃあここで飲んでみてよ」と言った。Bは,引くに引けなくなり,午前5時ころから午前5時10分ころ,被告人の前で向精神薬100錠くらいを全て服用した。

② Bは,そのまま被告人方を歩いて出て行ったが,追いかけてきた被告人の自動車に乗り込んだ。被告人は,自動車を運転し,被告人方南側公道上に自動車を止めた。Bは自動車の中で,失禁したり,その場にいない人物の名前を呼んだりした。これを見た被告人は,向精神薬の影響でBがおかしくなったと心配し,救急車を呼ぶかどうかをBに聞いたが,Bは「保険証ないからいい」と言って断った。その後も,Bはシートベルトの留め具を5秒間くらい引っ張るといった行動をした。被告人は,体内の薬物を薄めようと考え,Bに水を差し入れたところ,Bは「ありがとう」と言って受け取ったが,それを飲むことはなかった。被告人は,午前5時30分ころ,救急車の要請等をすることなく,自動車の窓を全て5センチメートルくらい開けただけで,Bを車の後部座席に残してその場を立ち去った。

③ 被告人は,午前7時過ぎころ及び午前11時ころ,Bの様子を見に行き,自動車内で寝込んだままのBを目撃した。そして,被告人は,午後2時30分ころ,Bが自動車内で死亡しているのを発見した。

④ 向精神薬を多量に服用した場合,30分程度で薬物中毒による意識障害が現れ,さらに時間が経過すると深く眠りこんでしまうため,動けないことによる熱中症や吐物による窒息等の各種合併症を生じるおそれがある。

(2)  Bが病者であること及びそれについての被告人の認識

上記前提事実によれば,午前5時30分ころの時点で,Bは,薬物中毒による意識障害が発生し,自力で車外に出ることが困難な状態となり,他人の助けがなければ生命,身体に対する危険から身を守ることができなくなったと認められる。そうすると,午前5時30分ころの時点でBは病者であったと認められる。そして,被告人は,Bが多量の向精神薬を飲む場面を見ており,向精神薬の影響でBがおかしくなったと心配して,当初救急車の要請をしようと考えたり,症状を軽くするために水を差し入れたりしたことが認められる。そうすると,午前5時30分ころの時点で,被告人において,Bが病者であったことを認識していたと認められる。

ところで,午前5時30分ころ及び午前7時過ぎころ,被告人において,車内が高温になることを予想していたと認めるに足りる証拠はない。しかし,熱中症の危険を予想できなくても,意識障害により行動の自由が失われることの認識があれば,病者であることの認識としては十分であると解される。

被告人は,Bが普通に受け答えをしていたことなどから,救急車を呼ぶ必要は感じなかったなどと供述するが,Bが向精神薬を吐き出した訳ではないことなどからすると,信用することができない。

(3)  保護責任

上記のとおり,被告人とBは不倫関係にあったこと,Bが自ら向精神薬を服用したとはいえ,それは被告人の言動に誘発された側面が強いこと,被告人が歩いて出て行ったBを自分の自動車に乗せたこと,Bは被告人以外の者が発見しにくい自動車の後部座席にいたこと,被告人は救急車の要請等を容易に行えたことが認められる。そうすると,午前5時30分ころの時点で,被告人にBを保護する責任があったと認められる。

(4)  結論

以上によれば,保護責任者遺棄致死罪が成立することは明らかである。

(法令の適用)

罰条

判示第1の行為

有印私文書偽造の点  刑法60条,159条1項

偽造有印私文書行使の点  刑法60条,161条1項,159条1項

電磁的公正証書原本不実記録の点  刑法60条,157条1項

不実記録電磁的公正証書供用の点  刑法60条,158条1項,157条1項

判示第2の行為  刑法219条(218条),10条(刑法218条所定の刑と同法205条所定の刑とを比較し,重い傷害致死罪の刑で処断)

判示第3の行為  刑法190条

判示第4の行為  刑法235条

科刑上一罪の処理

判示第1につき

刑法54条1項後段,10条(有印私文書偽造と同行使と電磁的公正証書原本不実記録と同供用との間には順次手段結果の関係があるので,刑及び犯情の最も重い偽造有印私文書行使罪の刑で処断)

刑種の選択

判示第4の罪につき  懲役刑を選択

併合罪の処理  刑法45条前段,47条本文,10条(最も重い判示第2の罪の刑に法定の加重)

未決勾留日数の算入  刑法21条

没収  刑法19条1項1号,2項本文(押収してある離婚届1通の偽造部分は,判示偽造有印私文書行使の犯罪行為を組成した物で,何人の所有をも許さないものである)

訴訟費用の処理  刑訴法181条1項ただし書

(量刑の理由)

保護責任者遺棄致死,死体遺棄についてみると,被告人は,一度は結婚まで考えた被害者が薬物中毒により自力で車外に出ることが困難になっていると認識したのに,不倫関係が発覚して,世間体が悪くなることをおそれ,被害者を狭い軽自動車内に数時間も放置した。そして,被害者の死後は,物でも捨てるかのように遺体を投げ落とした。犯行動機は,あまりにも身勝手であり,犯行態様は,他人の生命,身体に対する配慮が著しく欠けた冷酷なものである。27歳の将来ある命を奪った結果は重大であり,遺族に与えた衝撃は計り知れず,その処罰感情は厳しい。これに対して,被告人は何らの慰謝の措置も講じていない。

以上によれば,被告人の言動に誘発された側面が強かったとはいえ,向精神薬を自ら服用するなど,被害者にも不適切な行動があったこと,午前5時30分ころ及び午前7時過ぎころの時点では,被告人が熱中症の危険を予想できなかったと認められること,被告人に生後間もない子がいることなど被告人に有利な事情を考慮しても,懲役5年に処するのが相当である。

(求刑 懲役7年及び離婚届1通の偽造部分の没収)

(裁判長裁判官 原田保孝 裁判官 髙橋孝治 裁判官 満田智彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例