静岡地方裁判所 平成5年(ワ)177号 判決 1997年3月10日
原告
小林秀明
右訴訟代理人弁護士
中村光央
被告
日動火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
江頭郁生
被告
安田火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
有吉孝一
右両名訴訟代理人弁護士
高崎尚志
同訴訟復代理人弁護士
杉田雅彦
被告
エイアイユーインシュアランス カンパニー
日本における代表者
得平文雄
右訴訟代理人弁護士
服部邦彦
同
大木卓
同
花﨑浜子
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第一 原告の請求
1 被告日動火災海上保険株式会社(以下「被告日動火災」という。)は原告に対し、金六八〇〇万円及びこれに対する平成四年四月二五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
2 被告安田火災海上保険株式会社(以下「被告安田火災」という。)は原告に対し、金五六〇万円及びこれに対する平成四年四月二五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
3 被告エイアイユーインシュアランスカンパニー(以下「被告エイアイユー」という。)は原告に対し、金三五〇〇万円及びこれに対する平成四年五月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告の亡父小林武重(以下「武重」という。)が被告らとの間で締結した被保険者を武重とする傷害保険契約(又は、武重が被保険車両の運転者等である場合には武重が被保険者となる自家用自動車総合保険契約の傷害保険部分)に基づき、原告が被告らに対し、武重が右保険契約の保険事故に該当する事故によって死亡したところ、原告は右各傷害保険契約上受取人に指定されていたと主張して、死亡保険金(被告エイアイユーに対しては、死亡保険金三五〇四万円の内金三五〇〇万円)及び遅延損害金を請求した事案である。
一 争いのない事実等(証拠等の掲記のない事実は関係当事者間に争いがない。)
1(一) 被告らは、傷害保険その他各種保険業務を行うことを目的とする会社である。(弁論の全趣旨)
(二) 武重は大正一四年三月一八日生の男子であり、巴建設との商号で土木建築工事請負業を営んでいた者である。(甲第一号証、第一一号証の一、二、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨。なお、武重が巴建設との商号で土木建築工事請負業を営んでいたことは、原告と被告エイアイユーとの間では争いがない。)
武重には、後記本件事故の当時、妻みえ子並びに長男秀明(原告)、二男正、長女美子、二女あゆみ及び三女みち子の各子があった。(甲第一号証)
2 武重は被告らとの間で、保険者を被告らとし、保険期間を後記本件事故の発生日を含む期間とする次の各傷害保険契約又は傷害保険部分を含む自家用自動車総合保険契約を締結していた(以下、右各保険契約((一)の(1)の自家用自動車総合保険契約についてはイ及びウの各条項に係る部分)を併せて「本件各保険契約」という。)。なお、本件各保険契約の契約締結日においては、その死亡保険金の受取人は指定されていなかった。
(一) 被告日動火災との保険契約
(1) 自家用自動車総合保険
ア 被保険車両 普通乗用自動車(静岡五八に二三二五、以下「本件車両」という。)
イ (自損事故条項)
被保険者 被保険車両の保有者・運転者等
死亡保険金 一五〇〇万円
ウ (搭乗者傷害条項)
被保険者 被保険車両の搭乗者
死亡保険金 一名につき一〇〇〇万円
座席ベルト装着者特別保険金
一〇〇万円
(2) 月掛ファミリー交通傷害保険
被保険者 武重
死亡保険金 三〇〇〇万円
(3) パッケージ保険
(ファミリー交通傷害保険)
被保険者 武重
死亡保険金 一〇〇〇万円
(4) ひまわり交通安全定期保険
被保険者 武重
死亡保険金 二〇〇万円
(二) 被告安田火災との保険契約
積立家族傷害保険
被保険者 武重
死亡保険金 五〇〇万円
臨時費用保険金 六〇万円
(三) 被告エイアイユーとの保険契約
傷害保険(就業中のみの危険担保特約付き)
被保険者 武重
死亡保険金 三五〇四万円
3(一) 平成四年三月五日午前九時頃、清水市長崎新田一〇〇番地の一地先の、国道一号線と、同市長崎方面から同市草薙方面に至る道路(以下「交差道路」という。)とが交差する交差点(以下「本件交差点」という。)において、国道一号線上を同市中之郷方面から同市北脇方面に向かって東進中であった武重運転の本件車両が、国道一号線上を西進し本件交差点で右折するため、本件交差点手前の右折専用車線上で停止していた川島計三(以下「川島」という。)運転の普通貨物自動車(以下「川島車両」という。)に正面衝突する交通事故が発生した(以下「本件事故という。)。武重は本件事故直後に社会保険桜が丘総合病院に搬送されたが、既に死亡していた。(甲第二、第四号証、乙第五号証、原告本人尋問の結果。なお、武重運転の本件車両が、右の右折専用車線上で停止していた川島運転の川島車両に正面衝突したこと、武重が死亡したことは、各当事者間に争いがない。)
(二) 武重は、本件事故当日の朝、二女あゆみを本件車両に同乗させて清水市内の自宅を出発し、あゆみを当時就業のための研修先であった静岡市丸子所在の特別養護老人ホーム「丸子の里」に送り届けるため一旦静岡市丸子に向かい、同所であゆみを下車させた後、静岡市から清水市に戻った際に本件事故に遭遇した。
4(一) 右2の(一)及び(二)の各保険契約において、保険金の支払期日は保険金請求のあったときから三〇日以内とされているところ、原告は、平成四年三月二五日に被告日動火災に対し、右2の(一)の各保険契約に係る保険金の請求を行い、また、同日被告安田火災に対し同(二)の保険契約に係る保険金の請求をした。(甲第一九号証の二、乙第一ないし第四号証、弁論の全趣旨)
(二) 右2の(三)の保険契約において、保険金の支払期間は保険金請求のあったときから三〇日以内とされているところ、原告は、平成四年三月三一日に被告エイアイユーに対し、右保険契約に係る保険金の請求をした。(丙第一号証。なお、平成四年三月三一日に保険金請求があったことは、原告と被告エイアイユーとの間で争いがない。)
二 争点
1(一) 本件各保険契約においては、被保険者が「急激かつ偶然な外来の事故」によって死亡したときに死亡保険金が支払われるものとされており、また、被保険者の「自殺行為」による死亡に対しては保険金は支払われないものとされている。(各当事者間に争いがない。)
そして、偶然の事故とは、被保険者の予知しない原因によって事故が発生し、又は事故から被保険者の予知しない結果が生じたことを、外来の事故とは、事故の原因が被保険者の身体に内在するものでなく、その外部にあることをいうものと解される(なお、事故発生の際に被保険者がその身体に内在する原因で既に死亡していた場合には、そもそも「事故によって死亡した」といえないことはいうまでもない。)。
(二) 原告は、本件事故の発生時まで武重は存命して本件車両を運転していたものであるが、脇見運転等によって本件事故を発生させ、本件事故による頭蓋底骨折、脳挫傷の傷害によって死亡したものであるとして、武重が「急激かつ偶然な外来の事故」によって死亡したと主張する。
被告らはこれを争い、武重は心臓疾患の持病を有していたところ、本件事故直前に右疾患による心筋梗塞を起こして、死亡状態もしくは死亡に至るべき意識喪失状態で本件事故に至ったもの、又は右心筋梗塞を原因として発生した本件事故により死亡したものであるとして、武重が「偶然な外来の事故」によって死亡した場合に当たらないと主張し、さらに、仮にそうでないとしても、本件事故は武重による自殺行為であって、武重は自殺行為によって死亡したものであると主張する。
2(一) 右一の2の(三)の被告エイアイユーとの保険契約には、就業中のみの危険を担保する特約が付されており、「被保険者がその職業又は職務に従事している間(通勤途上を含む)」の事故による死亡につき死亡保険金が支払われるものとされている。(原告と被告エイアイユーとの間で争いがない。)
(二) 原告は、本件事故に至る前、武重は、あゆみを静岡市丸子で下車させた後、その経営する土木建築工事請負業の就業開始時間である午前八時に取引先の松永工務店に架電して集金の打合わせを行い、午前八時三〇分頃静岡市両替町において工事の打合わせのため秋山勇と面談し、さらに他の取引先又は現に施工中の工事現場に向かうべく移動中に本件事故に遭遇したものであるとし、本件事故は、武重がその就業時間内に就業場所間の移動をしていた際に発生したものであるから、武重が職務に従事している間の事故であると主張する。
被告エイアイユーは右主張を争う。
3(一) 本件各保険契約においては、受取人の指定のない死亡保険金は被保険者の相続人に支払うものとされており、各相続人はその固有財産として保険金請求権を取得することになる。(各当事者間に争いがない。)
(二) 原告は、本件各保険契約に基づく死亡保険金請求権(原告の相続分一〇分の一に応じて原告に固有に帰属する部分を除く。)が原告に帰属する根拠として、武重が平成三年七月五日に長男である原告及び妻であるみえ子に宛てた私信において、本件各保険契約を含むすべての保険に係る保険金の受取人を原告とする旨の指定をし、原告以外の法定相続人はこれに異議なく同意したので、右指定の効果は当然に被告らに及ぶと主張する。
被告らは右主張を争う。
4 したがって、本件の主たる争点は、次のとおりである。
(一) 武重が「急激かつ偶然な外来の事故」によって死亡したものであるかどうか、すなわち、武重が、本件事故の発生時まで存命して本件車両を運転しており、脇見運転等その身体の外部にある事由によって本件事故を発生させ、本件事故による頭蓋底骨折、脳挫傷の傷害によって死亡したものであるかどうか。
(二) 本件事故が武重の自殺行為であるかどうか。
(三) 本件事故が、武重がその経営する土木建築工事請負業の職務に従事している間に発生したものであるかどうか。
(四) 武重が平成三年七月五日に本件各保険契約の受取人を原告とする旨の指定をし、その効果が被告らに及ぶものであるかどうか。
第三 争点に対する判断
一 争点(一)について
1 証拠(甲第四号証)並びに弁論の全趣旨によれば、本件事故直後に武重が搬送された社会保険桜が丘総合病院の畠山広明医師が作成した武重に係る死体検案書には、直接死因欄に「頭蓋底骨折、脳挫傷」と、またその原因の欄に「交通事故」との記載があることが認められる。
しかし、右証拠によれば、右死体検案書には、発病から死亡までの期間の欄に「即死」と、また、外因死に係る手段及び状況の欄には「国道一号線で交通事故にて受傷、当院に搬送された時にはすでに死亡していた。」との記載があることも認められ、このことと、右第二の一の3の(一)の事実及び武重の遺体が解剖に付された形跡が窺われないこととを併せ考えれば、畠山医師は、武重が本件事故に遭遇した本件車両に乗車していたこと及び武重に頭蓋底骨折、脳挫傷の状況があったことから、武重が本件事故直前に他の原因によって死亡した可能性につき顧慮することなく、その死因が本件事故による頭蓋底骨折、脳挫傷であるものと即断したことも十分に考えられ、したがって、右死体検案書の記載のみから直ちに、争点(一)に係る原告主張事実を認めることはできない。
2(一) 右第二の一の1の(二)の事実に、証拠(乙第七、第一六、第一九、第二二、第二三、第二六、第二七、第三五号証、証人徳留省悟、同木村雅彦の各証言、原告本人尋問の結果)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、武重の心臓疾患に関し、次の各事実を認めることができる。
(1) 武重は、平成元年三月八日(六三歳時)、仕事先の富士市において昼食中に胸部圧迫感(胸内苦悶)、前胸部痛が出現増強し、同市所在の新富士病院で診察を受け、急性心筋梗塞又は異型狭心症との診断(後に急性心筋梗塞の診断が確立)を受けて、そのまま同病院に入院し、投薬治療を経て症状が漸次軽減した後、同月二五日に、清水市の自宅に比較的近い静岡市立静岡病院(以下「静岡病院」という。)に転院した。なお、武重は、その約一〇年前にも狭心症を指摘されニトログリセリンの舌下服用をしたことがあり、その後も胸部の刺激を感じたことがあったが、定期的な医師の診察を受けていなかった。
(2) 転院後、武重は静岡病院で治療、リハビリテーションを受けた後、平成元年四月二五日に退院したが、入院中の同年四月二一日に施行された冠動脈撮影により、別表のA欄のとおり冠動脈狭窄が認められ、三枝(三本の冠動脈)病変と診断された。
(3) 武重は、平成二年九月二七日(六五歳時)に、朝から頻回に狭心症が出現し、静岡病院を受診して、不安定狭心症、陳旧性心筋梗塞との診断により入院した。武重は、入院後の投薬治療により症状が軽減し、同年一一月五日に退院したが、右入院中の同年一〇月一五日施行された冠動脈撮影により、別表のB欄のとおり冠動脈狭窄が認められ、そのときの狭心症は、セグメント7(#7)の病変(狭窄)の進行によるものと考えられた。武重の主治医であった静岡病院循環器科木村雅彦医師は、今後武重について、経皮的冠動脈形成術を試みることとし、その必要性を武重に説明した。
なお、心筋梗塞は、心臓を栄養する冠動脈に動脈硬化による血栓ができて狭窄化し、血流が障害されて心組織に血液が至らないこと(虚血状態)により心筋が壊死するものであり、狭心症も同様の虚血性の発作であるから、これを防止するためには冠動脈の血流を良くすることが必要となる。経皮的冠動脈形成術とは、冠動脈の狭窄部位にガイドワイヤーを通した後、ワイヤーに沿ってバルーン(風船)を入れて血管を拡張する手術である。
(4) 武重は、平成三年一月二九日に経皮的冠動脈形成術施行のため、静岡病院に入院した。木村医師は同月三〇日、武重に対し右手術を試みたが、最初に施行したセグメント4PD(#4PD)部分の狭窄をガイドワイヤーが通過せずに手術は失敗し、武重は同年二月四日退院した。
(5) その後、武重は、平成三年四月一〇日(六六歳時)に、再度経皮的冠動脈形成術施行のため、静岡病院に入院した。そして、主治医の木村医師が病休中であったため、同病院循環器科の小野寺医師が同月一一日に武重に対し右手術を試みたところ、セグメント4PD遠位(#4PD遠位)部分の狭窄をガイドワイヤーが通過したが、その先でつかえて切開も疑われたために中止し、手術は失敗して武重は同月一五日に退院した。
(6) 木村医師は、経皮的冠動脈形成術が成功しなかったことから、武重に対し冠動脈バイパス術を施行することを検討した。冠動脈バイパス術とは、大動脈から冠動脈の狭窄部位の先にかけて、別の血管(バイパス)をつなげ、血液がバイパスを通って狭窄部位の先に流れるようにする手術である。
武重は、平成三年七月九日、冠動脈バイパス術施行のため静岡病院に入院し、同月一七日、同病院心臓外科島本医師及び花岡伸治医師が、武重に対し、内胸動脈及び大伏在静脈を剥がしてバイパス血管とし、これを大動脈から各冠動脈(前下行枝及び回旋枝)の狭窄部位の先にまでつなげて、バイパスを二本通す冠動脈バイパス術を施行した。右手術は成功し、武重は同年八月六日に退院した。
(7) 武重は、右退院後、平成四年二月四日までに十数回静岡病院に通院をし、投薬及び木村医師の診察を受けた。術後の経過は概ね良好であったが、平成四年一月七日の受診時には木村医師に対し、昨夕以前の発作とは違う胸痛があり、ニトログリセリンの服用により一〇分で治まった旨を訴えた。もっとも、木村医師は、同日武重に対し施行した心臓負荷試験(TREADMILL)の結果、問題はないと判断をした。
以上の事実を認めることができる。
(二) 右(一)の認定事実に前掲各証拠並びに弁論の全趣旨を併せ考えると次のとおり認められる。
すなわち、武重は、平成三年四月一五日の退院の時点では、その後いずれかの時点で心臓発作を起こして死亡する可能性が高かったが、同年七月一七日の冠動脈バイパス術が成功したことにより、その可能性が低くなったということができる。しかし、武重は平成元年三月八日以前から、冠動脈に高度の狭窄があったところ(証人木村雅彦の証言中には、狭窄の割合が九〇パーセント程度ではそれほど強度の狭窄とはいえないとする供述部分があるが、武重は現に平成元年三月八日に急性心筋梗塞を起こして新富士病院に入院しているのであるから、右狭窄は心筋梗塞を発症させる程度には高度であったものと考えられる。)、そのような狭窄の原因である動脈硬化を起こしやすい体質(素因)は右冠動脈バイパス術の前後で変化がなく、しかも平成元年四月二一日と平成二年一〇月一五日の各冠動脈撮影結果を比較すると、少なくとも#7ADの部位では狭窄が急速に進行していたと考えられる。また、一般論として、冠動脈バイパス術によるバイパス血管の吻合部では血流が阻害されやすい傾向がある。さらに、武重には、平成元年三月八日に発症した急性心筋梗塞の際に虚血の影響を受けた心筋の部分が存在していた(陳旧性心筋梗塞。なお、一旦影響を受けた心筋が回復することはあり得ない。)。これらの事実からすると、武重は、冠動脈バイパス術後といえども、なお心筋梗塞の発作を起こす可能性があったものと認めざるを得ない。そして、心筋梗塞の発作が起こった場合に死亡するまでの時間は極めて短時間であることが多い。
武重の主治医であった証人木村雅彦は、平成三年七月一七日の冠動脈バイパス術施行時から平成四年三月五日の本件事故時までの期間をもとに、体質(素因)的な動脈硬化によっても狭窄はさほど進行しておらず、逆にバイパス血管の吻合部は既に十分癒着していたはずで問題とならないとし、さらに検査結果によれば、陳旧性心筋梗塞によって武重の心臓は障害されているものの、その障害は中程度である旨供述する。しかし、武重が心臓発作で突然死した可能性については「零とはいえないが、突然死のリスクがそれほど高いとは考えられない」という表現で、具体的な率はともあれ、ある程度その可能性があることは認めている。
3(一) 他方、右第二の一の3の(一)の事実に、証拠(甲第一三号証、乙第五、第六号証、原告本人尋問の結果)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、本件事故の状況につき、次の事実を認めることができる。
(1) 本件交差点は、清水市内の市街地にあって、東西方向の道路である国道一号線と南北方向の道路である交差道路とがほぼ垂直に交差する十字型交差点であり、国道一号線を横断するための歩道橋が設置されているが、信号機は設置されていない。国道一号線は、本件交差点の前後において、中央分離帯によって区分された東行及び西行各二車線のアスファルト舗装された車道とその両側の歩道とからなる平坦な直線道路であって、中央分離帯の幅員は約3.9メートル、各車線の幅員は、東行、西行各二車線のいずれもが約3.3メートル、歩道の幅員は北側約3.5メートル、南側約2.8メートル(したがって、道路全体の幅員は二三メートル余)であるが、本件交差点の東側及び西側の双方ともに、交差点の手前三十数メートル付近から交差点直前まで、交差点に向かう車線の側で、中央分離帯の側面が後退して、その幅が約1.1メートルまでに狭まり、追越車線(中央寄り車線)の右側の中央分離帯の側面が後退した部分に、幅員約2.8メートルの右折専用車線が設置され、これにより、本件交差点の手前三十数メートルの間は、交差点に向かう方向が走行車線(歩道寄り車線)、追越車線及び右折専用車線の三車線となり、また、各右折専用車線を延長して交差点を超えると、対向する右折専用車線の部分にほぼ行き当たることになる。他方、交差道路は本件交差点の北側及び南側双方とも、交差点の直前部分のみ多少幅員が広がっているが、その部分以外は幅員約5.2メートルの歩車道の区分のない道路である。本件事故当時路面は乾燥しており、車両の交通量は多く、また、本件交差点より南側(同市草薙方面)の交差道路は工事中のため、車両の進入が禁止されていた。
(2) 本件事故当時、川島は、川島車両を運転して、国道一号線上を清水市北脇方面から同市中之郷方面に向かって西進し、本件交差点で北側の交差道路(同市長崎方面)に右折するつもりで、右折の合図をした上で本件交差点手前の右折専用車線に進入し、本件交差点直前の中央分離帯が途切れている位置付近で停止して、対向車線上を走行する車両が途切れるのを待っていた。他方、武重は、本件車両を運転して、国道一号線の東行追越車線上を、同市中之郷方面から同市北脇方面に向かって時速約六〇キロメートルの速度で東進して本件交差点の手前に至った。その際、本件車両の前方約三七メートルの追越車線上に先行車両が、また、本件車両の左側ほぼ真横の走行車線上に並進車両が、それぞれ走行していた。そして、本件車両は本件交差点の十数メートル手前(対向する右折専用車線上で停止している川島車両から見て前方約28.5メートル)の位置付近から右側に斜行して進行し始め、右折専用車線をかすめるようにしてさらにそのまま進行し、本件交差点を通過した直後に対向する右折専用車線に進入し、同車線上で停止していた川島車両の前部正面に衝突した。なお、本件事故後の警察官による実況見分その他の捜査で、本件事故時武重はシートベルトを着装していたこと、本件事故現場に制動痕は存在しなかったことが判明した。
以上の事実を認めることができる。
なお、原告本人尋問の結果中には、同人が警察官から聞いたこととして、本件車両のシフトギアが三速の位置にあったと供述する部分があるが、本件車両が時速約六〇キロメートルで進行していたとすれば(この事実も原告本人が警察官から聞いたこととして供述するほかに直接の証拠はないが、当時、国道一号線上を直進していた武重が低速で進行する理由は見当たらないことや、乙第五号証(実況見分調書)によって認めることのできる本件車両と先行車両との車間距離(約三七メートル)に照らして、首肯し得るものである。)、シフトギアは最高速(通常四速)の位置にあることが自然であり、緊急時の急制動措置としてシフトダウンしたとするのも不自然であるので(咄嗟の措置としてはフートブレーキを踏み込むはずで、併せてシフトダウンの操作をする余裕は通常はないであろうし、またシフトダウン操作に伴い一瞬でもエンジンブレーキが効かない状態となることに心理的な抵抗もあろう。)、右のシフトギアが三速の位置にあったとする供述部分はにわかに措信しがたい。
(二) 右(一)の事実及び前記1の事実に、前掲各証拠並びに弁論の全趣旨を併せ考えると次のとおり認められる。
まず、本件車両が川島車両に衝突するまで急制動措置が取られたことを認めるに足りる証拠はない(右のとおり、シフトダウンによって急制動措置を取ったとは考え難い。)。なお、本件事故現場に制動痕が存在しなかったことから、本件車両には川島車両に衝突する少なくとも一一ないし一二メートル手前に至るまでは制動措置がなされなかったことが推認され(時速六〇キロメートルで進行する車両で急制動措置を取った場合、いわゆる空走時間を0.7秒とすれば、その間に約11.7メートル進行する。)、さらに本件車両が川島車両に衝突するまで転把措置が取られた形跡が窺われないことを併せ考えると、衝突するまで全く制動措置が取られなかったとしても不自然な点はない。また、本件車両が最初から右折専用車線に進入せず、かつ本件交差点より南側の交差道路が車両進入禁止であったことからすると、武重が本件交差点で右折するつもりであった可能性はないと認められ、そうすると、仮に武重が心身に異常がなく前方を注視して運転操作をしていたとすれば、右側に斜行し始めた直後にその危険に気付くはずである(あるいはそもそも右側に斜行するようなことはなかったはずである)から、武重は斜行し始めてから十数メートルないし川島車両と衝突するまでの約28.5メートルを走行する間(時速六〇キロメートルの速度であったとすると、約一秒ないし1.7秒の間)、心身に異常がなく前方を注視するという状態になかったことになる。そして、その原因としては、車内の床に落ちた物を拾おうとしたとか、居眠りなどの過失行為も考えられるが(単なる脇見をしただけでは、直進の状態でハンドルを保持していた手が動くかどうか、動いたとしても、それに気付かなかったかどうかにやや疑問がある。)、当時武重は交通量の多い国道一号線上を時速約六〇キロメートルで進行中であり、本来相当程度の緊張をして運転をしていたはずであったことを併せ考えると、そのような過失行為が原因であるとすることにも多少の不自然さは残り、反面、心身の異常、ことに意識がない状態に陥った可能性も相当程度にあるものと考えざるを得ない。
なお、証拠(甲第一三号証、乙第五号証、原告本人尋問の結果)によれば、川島は、本件車両が本件交差点のほぼ中央(川島車両の手前約6.7メートル)の位置付近に至った際に、運転していた武重が川島車両に気付いて「はっとびっくりした」ような様子を示したのを見たと認識していることが認められる。しかし、本件車両が時速約六〇キロメートルで走行していたとすれば、その時点は衝突前0.5秒にも満たないときであるから(多少速度が落ちていたとしても衝突直前であることに変わりがない。)、右の川島の認識は、武重の状態をよく見定めた上でのものでなく、咄嗟の印象に基づくものにすぎないことは明らかである上、証拠(原告本人尋問の結果)によれば、捜査に当たった警察官は、衝突時武重が力を抜いた状態であったと推測していると認められること(この事実は、武重がシートベルトを着装していたにも関わらず、頭蓋底骨折、脳挫傷の状況があり、ハンドルないしフロントグリルに頭部を強打したと考えられることと符合する。)にも沿わないから、右の川島の認識の正確性は多分に疑問であるといわざるを得ない。
4 右2及び3の各認定説示を総合すれば、武重が、本件事故の発生時まで存命して本件車両を運転しており、何らかの過失行為によって本件事故を発生させ、本件事故による頭蓋底骨折、脳挫傷の傷害によって死亡したものである可能性はもとより否定できないが、本件車両が斜行を始めた時点の直前に、武重が心筋梗塞の発作を起こして直ちに死亡し、もしくは死亡に至るべき意識喪失状態に陥ったか、あるいは、専ら心筋梗塞の発作によって正常な運転操作ができない状態となって本件事故を発生させ、死亡したものではないかとする疑いにも十分合理的な根拠があるものということができる。そして、右疑いのとおりであるとすれば、本件事故は「外来の事故」であるということができない。そうすると、結局、本件において、武重が「急激かつ偶然な外来の事故」によって死亡したものであるとする原告主張事実は、これを認定するに足りるだけの証拠がないことに帰するものといわざるを得ない。
二 以上によれば、その余の争点につき判断するまでもなく、原告の被告らに対する請求はいずれも理由がない。
(裁判官石原直樹)
別紙<省略>