静岡地方裁判所 昭和40年(わ)384号 判決 1965年12月21日
被告人 袴田和弘
主文
被告人を無期懲役に処する。
理由
(被告人の経歴および本件犯行に至るまでの経緯)
被告人は、浜松市内で織物製造販売業をしていた父謙二、母ひさ江の長男として出生し両親のもとで養育されて、義務教育を上位の成績で終えた後、静岡県立浜松北高等学校へ入学したが、高学年になるにつれ、学業を怠り家から金品を持ち出して麻雀や遊興にふけるようになつたため、学業成績も低下し、昭和三一年三月辛じて同校を卒業し、卒業後父親の経営する前記織物製造販売業の手伝をしていたが、昭和三二年頃父が営業不振のため廃業するに至り、その後は同人が新たに始めた繊維製品販売業の手伝いをしていた。その頃から一家の生活は次第に困窮の度を加え、母も子供相手の駄菓子商を営みながら辛じて生活していたのに、被告人は屡々家から金品を持ち出しては遊び廻り、昭和三三年冬頃には、家から小切手を持ち出し、これで銀行から一六万円を引き出して、伯母のもとで働いていた酒井某女を連れ出し遊び廻つた挙句、擅に同女方に入籍し同女と別世帯を構え、浜松市内のプロパン会社のセールスマンとして勤務し始めたが、もともと怠惰な小心者である一面虚栄心強く、しかも物事に飽き易い性格をもつていた被告人は、僅か三ケ月位同会社で働いたが、その間会社の取引先で金員を詐取したり、集金した金員を持ち逃げしたことなどから昭和三三年六月三〇日静岡地方裁判所浜松支部で詐欺および窃盗罪により懲役一年、執行猶予三年に処せられ、その際も父謙二において被害弁償をするとともに前記酒井某女に対し慰藉料を支払い同女との縁をも切り、ようやく自宅に帰ることとなり、その後は転々と職をかえながらも約一年間を過ごし、昭和三四年六月頃浜松市内の金融会社に勤務するに至つたが、同会社に約一ケ月程働いている間に、再び同会社のため集金した金三五万余円を拐帯して京都市方面へ逃走し(この横領金は後日父謙二において会社へ弁償した)、遊興に耽つているうち、金も使い果した揚句、同年八月一〇日夜京都市内高野川提防上で自動車の乗車料金を免れるため、タクシーの運転手に暴行を加えて傷害を与えたので、同年一〇月三一日京都地方裁判所において業務上横領、強盗致傷罪により懲役三年六月の刑に処せられ、右刑の服役中、昭和三五年三月三日前記詐欺、窃盗罪の執行猶予を取消され、併せて両刑の執行を受けることとなり滋賀刑務所で服役し、昭和三八年八月一二日仮出獄を許され浜松市の両親のもとに一旦復帰した。そして同月末頃から同市元浜町の杉山印刷所の工員となつて働くうち、翌三九年二月頃同所の女工高橋祥子と知合い、同年四月頃から肉体関係を結ぶようになり同年一〇月には父親に式を挙げてもらつて正式に同女との結婚生活に入り、同市追分町に一戸を構えるに至つたが、またもや生来の飽き易い性質のため右印刷所も間もなく辞めて一、二職を変えたものの、いずれも永続せず、やがて昭和四〇年二月には同女との間に長女をもうけ、同年四月頃から浜松市元城町本郷電設株式会社のセールスマンとして勤務し始めたけれども、その後間もない同年六月頃から妻子を放置したまま帰宅せず、その頃同会社静岡出張所の女事務員飯尾昌子と知合い独身といつわつて交際を重ね、静岡市西門町一番地の一七旅館「藤むら」等で時折肉体関係を結ぶようになり、このことが同会社に発覚したため、同年六月末頃同会社も退職し、同女が清水市内のバーに勤務し、被告人自身は職がなく徒食しつつ、同店の二階で同女と同棲するに至つたものの、約一箇月足らず同女とも別れ同年七月頃再び妻祥子のもとに帰り、同年八月切頃からは豊橋市内に同女と同居しながら同市吉田町二二番地中部製薬株式会社のセールスマンとして勤務したが、これ又ものの二週間も続かずにやめてしまつたばかりか、その頃ドライブクラブから借受けて乗り廻してい乗用自動車の賃借料未払いのため、借受先から未払賃料の代りに家財を取上げられるに及んで、ついに同年八月末頃妻祥子も被告人に愛想を尽かし子供を連れて実家に帰つてしまい、その頃から被告人は、自宅を離れしかも定職もないまま一度は実家に立寄り現金七、〇〇〇円を貰い受けたこともあつたが、金銭に窮しながら、浜松、静岡、豊橋等の旅館等を転々として泊り歩いていた。
(罪となるべき事実)
第一金銭に窮した末、かつてセールスマンとして勤務したことがある前記中部製薬株式会社の名義を使つて、その取引先浜松市海老塚町一、〇〇九番地丸善薬品株式会社から金員を騙取しようと企て、昭和四〇年九月八日午前一〇時頃同市内松菱百貨店付近の公衆電話から右会社へ電話をかけ、同会社経理事務員犬塚久江に対し「中部製薬の者だが、うちの会社の者が静岡へ向う途中交通事故を起こして金がいるから、会社の者が行つたら二万円ほど貸してやつて貰いたい」旨、嘘のことを申し向け、同女をしてその旨誤信させたうえ、同日午後一〇時半頃右丸善薬品株式会社に赴き、同所において同女から寸借名下に同会社の現金三万円の交付を受けてこれを騙取し、
第二右金員騙取後同日夜、かつて屡々宿泊したことのある静岡市西門町一番地の一七旅館「藤むら」に赴いて一泊し、翌九日から同月一三日まで殆んど連日のように浜名湖競艇に行き、所持金の大半を使い果し僅かに四-五〇〇円の現金を持ち同一三日夜再び右「藤むら」に舞い戻つて投宿し、翌十四日午前九時過頃起床して、同旅館二階洗面所付近で洗顔していたところ、たまたま被告人の間近で掃除婦望月依里江(当時三九年)が作業しているのを認めるや、にわかに劣情を催し、同女に対し「男が一人で旅館に泊るのは寂しいものだ」と声をかけ、同女の様子を窺つてみたが、何の反応も示さないのでついに強いて同女を姦淫しようと思い立ち、その頃同所において、左手を同女の左肩に廻して抱きよせようとし、同女が「お客さん冗談はやめて」と言つて拒否しているのに、さらに右手で同女の左胸を掴み、前夜から宿泊していた右二階洗面所東側の六畳「富士見の間」に引張り込んで、いきなり両手で前から同女を抱きしめ、その場に敷いてあつた布団の上に横向きに押し倒して同女の上に乗りかかり、同女がしきりに「お客さん止めて」と言いながら、被告人を押しのけようとして体をもがいて抵抗を続け、布団からずり落ちたところを、左手で同女の首を抱き右手で同女のパンテイを無理矢理ひきさげる等の暴行を加え、なおも同女が被告人をはねのけようとして必死になつて手足を動かすので、両手で同女の頸部を強く絞めつけたところ、同女が苦しそうにせきこんだため、一旦は手を離したものの、再び同女が暴れ出すや、さらに強く両手で同女の頸部を絞めつける等の暴行を加えて同女の反抗を抑圧したうえ、強いて同女を姦淫し、その際右頸部絞扼の暴行によりその頃同所において同女をして頸部圧迫による窒息死に至らしめ、
第三右第二の犯行後直ちに身仕度をしたうえ、同日午前一〇頃同旅館階下に降り玄関付近のホール(板の間)に出たが、前記の如く所持金も乏しく宿賃も支払うことができないので、同旅館経営者長沢愛子(当四五年)から金品を強取しようと企て、同所付近に居合せた同女から宿泊料を請求されるや、同女に対し「一万札だから、酌銭を用意してくれ、一万円札で三万円あるがこれを千円札に両替してくれ」と嘘のことを申し向け、同女が金を取りにタンスのある奥の部屋へ赴いている間に、一階玄関すぐ南わきの勝手場調理室に行き同所の棚にあつた擂粉木一本を取り出し、これを右手に隠し持つて、同女の来るのを持ち受け、その頃、前同所において、同調理室に戻つて来た同女が、調理台の上に千円札三〇枚を並べたところをいきなり右手に持つていた前記擂粉木で同女の頭部めがけて一回強打し、その反抗を抑圧して金銭を強奪しようとしたが、同女が素早く右調理台の金員を掴み、恐怖しながらも冷静をよそおいつつ、勝手裏口付近まで後退したので、なおも金品の交付を要求したものの、同女がこれを拒否したため、その目的を遂げなかつたが、その際前記暴行により同女に対し全治約一週間を要する左側頭部打撲の傷害を負わせ
たものである。
(証拠の標目)
判示全事実につき
一、被告人の当公判廷における供述
一、被告人の検察官に対する昭年四〇年一〇月四日付供述調書
判示冒頭の事実につき
一、被告人の検察官に対する昭和四〇年九月二五日付供述調書
一、被告人の司法警察員に対する昭和四〇年九月一五日付供述調書
一、検察官作成の被告人の前科調書
一、被告人に対する京都地方裁判所の判決書の謄本
一、袴田謙二の司法巡査に対する供述調書
一、飯尾昌子の司法警察員に対する供述調書二通
一、高橋祥子の検察官に対する供述調書
判示第一の事実につき
一、被告人の司法警察員に対する昭和四〇年九月二四日付供述調書
一、犬塚久江の司法警察員に対する供述調書
判示第二及び第三の事実につき
一、長沢愛子の検察官に対する供述調書
一、司法警察員作成の検証調書
判示第二の事実につき
一、被告人の司法警察員に対する昭和四〇年九月一八日付、同年同月二二日付供述調書
一、医師鈴木俊次作成の鑑定書
一、医師鈴木完夫作成の死体検案書
判示第三の事実につき
一、被告人の司法警察員に対する昭和四〇年九月二〇日付供述調書
一、医師鈴木俊次作成の長沢愛子に対する診断書
一、押収してある擂粉木一本(昭和四〇年押第一四一号)
(累犯となる前科)
被告人は(一)昭和三三年六月三〇日静岡地方裁判所浜松支部において詐欺、窃盗罪で懲役一年(三年間執行猶予、大津簡易裁判所において昭和三五年三月三日執行猶予取消決定同年同月八日同取消確定)、(二)昭和三四年一〇月三一日京都地方裁判所において業務上横領、強盗致傷罪により懲役三年六月(未決勾留日数三〇日算入、同一三日法定通算昭和三五年一月七日確定)に各処せられ、両刑の執行を併せて受け、右(一)の刑については昭和三八年五月一六日、(二)の刑については昭和三九年五月二四日それぞれその執行を受け終つたものであつて、右事実は、被告人の当公判廷における供述、および検察事務官作成の前科調書によつてこれを認める。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法二四六条一項に、同第二の所為は同法一七七条前段の罪を犯し因つて人を死に致したものであるから同法一八一条に、同第三の所為は同法二四〇条前段に各該当するので、所定刑中判示第二の罪については無期懲役刑を、第三の罪については有期懲役刑を各選択し、被告人には前示前科があり、これと第一及び第三の各罪とはいずれも同法五六条一項の再犯の関係にあるので、同法五七条により、なお第三の罪については同法一四条の制限内で、右各罪の刑に再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪なので同法四六条二項本文により判示第二の罪の刑に従つて処断することとし、他の刑を科さず、被告人を無期懲役に処し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、被告人に負担させないこととする。
(量刑事由)
本件において取調をした各証拠によれば、被告人は判示冒頭掲記のように高等学校入学後高学年に進むにつれ生来の怠惰で虚栄心の強い性格から次第に生活がすさみ、昭和三三年には詐欺、窃盗罪を犯し、昭和三四年には業務上横領、強盗傷人罪を犯し、併せて四年余の刑に服するに至つたが、家庭は多少厳格であつたにせよ両親が健在で、しかも右各犯罪発覚後父親において被告人の罪の軽からんことを希つて被害弁償をなし、又被告人の女性関係についても種々世話をして、被告人が家庭に落ちつき、真面目になるよう心を砕いていたことが窺えるので、被告人としては更生すべき機会は一再ならずあつたものといえよう。しかるに依然として放縦な生活を続けて一層身をもちくずし、ついに本件犯行にまで至つたものであることが認められる。
次に本件犯行の動機態様殊に判示第二の犯行を見ると、被告人が自らの欲情の赴くまま、何らの落度もない女性を襲い、白昼、しかも自己の止宿先で、その使用人同様の立場にある者が、必死に哀願し、抵抗するのを二度までも頸部を絞扼し、その程度たるや甲状軟骨が片方は完全骨折、他方は根本から亀裂骨折を来し、その場で同女を死亡させるほど強烈なものであつたことが認められ、そうまでして自己の獣慾を遂げた被告人のやり方は、まことに残忍そのものといわざるを得ない。
しかも被告人が右犯行後、何等の反省やためらいもなく直ちに判示第三の犯行に移つていることを考えると、この一連の犯行は被告人の冷酷な性格の一端を如実に顕わしているものとみざるを得ない。翻つて、判示第二の被害者は数年前、夫と離別し二児を引取り、女手一つでサンダル加工、新聞配達、旅館の掃除婦等までして、二児の成長を唯一の楽しみに懸命に働きつづけて来た真面目な中年の婦人であり、本件犯行によつて一瞬にして同女の夢は泡と消え去つたのみならず、世に二人とない母の非情の死が二人の遺児に与えた衝撃は千金をもつてしても癒すことができないであろう。又本件犯行によつて受ける社会的影響も尠くないものと思料される。
以上の諸般の事情を思い廻らすと、被告人のため汲むべき各般の有利な情状を考慮に容れても、なお被告人の刑責は決して軽くないものと考え、主文の刑を量定した。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 石見勝四 高井吉夫 吉川義春)