静岡地方裁判所 昭和44年(行ウ)7号 判決 1972年10月27日
原告(別表―省略)
原告ら代理人
石田享外四名
被告
浜松市
右代表者
平山博三
右代理人
白石信明外五名
主文
原告らの請求は、いずれも棄却する。
訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一、請求の趣旨
一、被告が原告らに対し昭和四三年一一月一日にした昭和四三年度国民健康保険料を別表該当欄の金額とする賦課処分を取り消す。
二、訴訟訴訟費用は、被告の負担とする。
第二、請求の原因
一、被告は浜松市国民健康保険の保険者であり、原告らはいずれもその被保険者である。
二、被告は、昭和四三年一一月一日付で原告らに対し、それぞれ別表決定額のとおり昭和四三年度国民健康保険料の賦課処分(以下本件処分という。)をなし、その後間もなく原告らに対してその旨の通知がなされた。
三、けれども、本件処分は次の理由により、違憲ないし違法であるから取消を免れない。
(一) 本件処分は、昭和四三年九月三〇日に公布された浜松市国民健康保険条例(以下本件条例という)の改正規定に基づいてなされたものであるところ、右改正規定は前年度に比較して保険料を平均37.4パーセント引上げるものであるのに、同年四月一日に遡及して適用するというのであつて、原告らの既得権を不当に侵害し、いわゆる行政法規不遡及の原則に反し、憲法二九条に違反する。
(二) 国民健康保険法によれば、被保険者に対する賦課方式として、保険税と保険料のどちらかを選択することができるが、いずれも被保険者に対し公権的に賦課されるもので、保険料といえども地方税法の準用を受けることができ、実質的には目的税である保険税と同一の性質をもつているから、保険料にも憲法八四条の租税法律主義が適用されるとみるべきであり、遡及課税が違法であるのと同じく保険料を遡つて不利益に賦課することは違憲である。
(三) 被告は、昭和四三年一月一日から浜松市国民健康保険の給付率を七〇パーセントに引上げたが、右引上げに当つて、財源には絶対心配なく保険料の引上げの措置は必要がないと確答していたので、原告らもこれを信じていたところ、昭和四三年九月になつて保険料の大幅な引上げを意味する本件処分をしたのであつて、被告のこのようなやり方は行政機関にも適用されるべき信義誠実の原則ないし禁反言の法理に著しく違背し、ひいて本件処分を違法ならしめる。
(四) 本件条例の改正は、当然に予算上の措置を必要とするのに、補正予算を伴わずになされたもので、他方自治法第二二二条に違反し違法であるから、これに基づく本件処分も又違法である。
四、原告らは、本件処分につき静岡県健康保険審査会に対して審査の請求をしたが、昭和四四年二月二七日付棄却する旨の裁決がなされ、同年三月一二日ころ原告らにその旨通知された。
五、よつて、本件処分の取消を求めるため本訴に及ぶ。
第三、答弁の趣旨
一、原告らの請求をいずれも棄却する。
二、訴訟費用は、原告らの負担とする。
第四、請求の原因に対する答弁・被告の主張
一、請求の原因一、二項の事実は認める。同三項の(一)のうち、原告主張の改正条例が主張の日に公布され、主張の日に遡及して適用されたことを認め、その余は余う。同三項の(二)は争う。同三項の(三)のうち、原告主張の日から給付率を七〇パーセントに引上げたことを認め、その余は争う。同三項の(四)は争う。同四項は認める。
二(一) 浜松市国民健康保険においては、保険料は次のようにして算出される。
(1) 先づ賦課総額がきまる(条例一〇条)。
(2) それを所得割額、資産割額、被保険者均等割額、世帯別平等割額の四つに区分する。その四つの割合は昭和四三年の条例改正前は三〇、二〇、三〇、二〇の割合であつた。(一一条、一四条)
(3) それから保険料率をきめる。所得割については(2)の所得割額をその年度の市民税の所得割額の総額で除した数であり、資産割については(2)の資産割額をその年度の固定資産税の総額で除した数である。均等割、平等割はそれぞれ(2)の額を年度当初の被保険者数、世帯数で除した額である。市長は保険料率を告示する。(条例一四条)
(4) そして各人のその年度の市民税所得額、固定資産税額に右保険料率を乗じてえた所得割額、資産割額に(3)の個々の均等割額、平等割額を加えて、個々の保険料がきまる。もつともそれには最高限度がきめられていて、改正前は五万円であつた。(一一条ないし一三条)
(5) 保険料の賦課期日は四月一日で、納期は九月、一〇月をのぞく一〇回である。(一五、一六条)
(二) このような制度のもとでは、保険料率は市民税の所得割額や固定資産税額が確定するまではきまらない。ところで市民税額が確定するのは毎年六月頃であるので、保険料率の告示は毎年九月頃になる。
そして、保険料率の告示までは個々の保険料額がきまらない。したがつて第一期から第五期までの納期については、前年度の保険料額の一〇分の一づつををそれぞれの納期の保険料として徴収し、保険料が確定したのちその過不足を調整することとなつている。(第一八条)
(三) 浜松市においては昭和四三年一月から世帯員に対し七割の保険給付を実施したほか、診療報酬点数、薬価基準の改正があつたため、昭和四三年度の支出が大幅に増加し、したがつて保険料の賦課額も大幅に増加することとなつた。そこでこのような賦課総額の増加に伴う保険料の負担を、どの階層に多くし、どの階層に少くするかという社会政策的考慮から、所得割、資産割(この二つが応能割)、均等割、平等割(この二つが応益割)の比率を前記三〇、二〇、三〇、二〇から三五、二五、二五、一五、に改めて応能割の比率を五〇から六〇に高めると共に、最高限度額を六万円に引上げることとなつた。これが本件条例の改正であつて、九月二七日成立公布された。
(四) 浜松市長は一〇月三日保険料率を決定、告示した。被告は一一月一日右保険料率によつて個々の保険料額を算定し賦課した。原告らに関する賦課額は別紙のとおりである。そして第一期から第五期までに徴収した保険料額との差額は第六期以降に徴収した。
三、本件処分には、原告主張のような違法はない。
(一) 本件条例の改正は、前記のとおり、被保険者に対する保険料の負担割合を、社会政策的考慮に基づいて、資力のある階層により多くし、低所得者層に少なく変更したものであつて、保険料の引上げを行つたものではない。
(二) 本件条例の改正に伴う新保険料率は、改正条例施行後にはじめて適用されて本件処分がなされたもので遡及適用されたものではない。仮に遡及適用されたものであるとしても、国民健康保険事業は、その事業に要する費用をその年度の保険料等によつて賄うべきものであるところ、保険給付に要する費用を年度の当初に予測することが難しく、また保険料率は前記のとおり年度の中途において確定することになるから、年度途中で保険料額を確定し、賦課徴収するのは制度の性格から当然に予定されていて、許されていると解すべきである。
(三) 原告らは、本件処分が信義誠実の原則ないし禁反言の法理に違背する旨主張するが、被告において、原告ら主張のごとく保険給付率の引上げに当つて保険料の引上げの措置を絶対行わない旨確答しつづけた事実はないから、右主張も理由がない。
(四)、被告は、本件条例の改正が地方自治法二二二条に違反する旨主張する。しかしながら、同条の趣旨は、当該条例等の案件の制定改廃等によつてあらたに財政上の負担が生ずる場合、その案件と同時に予算上の手当を講ずべきことを要請したものであるから、本件条例の改正のように財政上のあらたな負担を生じない場合には同条の適用をうけないものである。仮に本件につき同条の適用があるとしても、本件条例の改正後である昭和四三年一一月二七日補正予算が市議会に提案され、同年一二月五日議決を了しているので、その瑕疵は治癒されたものであり、仮にそうでないとしても、同条は訓示規定であるから、いずれにしても本件処分の効力に影響を及ぼさない。
第五、証拠<省略>
理由
一、請求の原因一、二の事実は当事者間に争いがない。(なお四の事実も争いがない。)
<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 国民健康保険事業に要する費用は、国庫支出金、県支支出金、一般会計からの繰入金、基金からの繰入金のほか、世帯主又は組合員からの保険料をもつて賄われる。
(二) 浜松市国民健康保険における保険料は、被告の主張二の(一)に記載のとおりの方法で算出される。
(三) ところで、昭和四三年頃は保険料率の決定は、その前提となる市民税額が六月頃にならないと決まらないため、毎年九月頃に決定されるのが例となつていた。そこで第一ないし第五の納期においては前年度の保険料額の一〇分の一づつを各納期の保険料として徴収し、保険料率が決定し保険料額が確定してから、その過不足を調整する特例が定められていた。
(四) 昭和四三年度は、同年一月から世帯員にも七割の保険給付を実施したり、薬価基準の改訂があつて、支出が大幅に増加し(療養の給付が四二年度は約七五、〇〇〇万円であるのに四三年度は約一一一、〇〇〇万円)、したがつて保険料の賦課総額も大幅に増加した(決算額で四二年度は約三六、〇〇〇万円なのに四三年度は約四九、〇〇〇万円)。なお国庫支出金、一般会計からの繰入、基金のとりくずしも著しく増額された。
そこで被告は賦課総額の増加に伴い保険料を増徴するに当つて社会政策的考慮から、応納割の応益割に対する比率を高めると共に保険料の最高限度を引上げることになり、被告の主張二の(三)記載のとおり条例を改正した。この条例は昭和四三年九月三〇日公布と共に施行され、昭和四三年度分の保険料から適用された。
(五) 浜松市長は同年一〇月三日、昭和四三年度の保険料率を決定告示した。被告は右保険料率によつて同年一一月一日個々の保険料額を算定し賦課した。そして第一期から第五期までの納期には前年度の保険料額の一〇分の一づつを徴収していたが、それは保険料額が確定するまでの仮算定制度によるもので、その後の納期において不足分を徴収された。
二、行政法規不遡及の原則に違反したとの主張について
(一) 右に認定したとおり、各年度の保険料率は毎年九月頃に決定告示され、それから個々の保険料が算出賦課される。つまり保険料は年度のなかばになつて始めて決定される。それは保険に要する費用を当該年度の保険料で賄なうために、また算出の基礎となる市民税の確定が六月頃になるために、やむをえないことであつて、制度自体がそのことを予定しているといえる。仮算定制度はその現れである。むしろ年度初めにはその年度の保険料を決めることはできないものである。(保険税の場合も同様である。地方税法第七〇六条の二)
昭和四三年度についても同じであつた。ただこの時は保険料の著しい増額があつたことが問題である。しかしこのことは、前認定のとおり七割給付を実施した等のことがあつて支出が大幅に増加したために保険料の賦課総額が著増したからである。そして<証拠>によれば、昭和四二年度中から四三年度には保険料を引上げる必要があることが予想されていて、四三年度の当初予算をきめるときも九月になればかなり大幅の引上げをしなければならないとされていたことが認められる。また保険料の引上げはその反面保険給付の引上げを伴うもので、その関連で考えれば保険料の引上げは必ずしも被保険者の不利益とはいえない。このように、四三年度の途中でその年度の保険料が著しく引上げられたのは、やむをえない事情によるもので、あらかじめ予定されていたことであり、必ずしも被保険者の不利益とはいえないことである。
つまり昭和四三年一一月一日になつてその年度の保険料を、しかも大幅に引上げて賦課したことは、その巧拙はともかく、違法ということはできない。(それを遡及というとすれば許されるべき遡及である。)
(二) ところで原告らは前記改正条例を四月一日に遡つて適用して保険料の大幅引上げをしたのは違憲であるという。改正条例が四三年度の保険料から適用されたことはさきに認定したとおりであるが、改正の内容は上記認定のように応能割の応益割に対する比率を高める等保険料の引上げに伴い負担の公平をはかろうとしたものであつて、必ずしも保険料の引上げを内容とするものではない。さきにみたように、四三年一一月になつてその年度の保険料を大幅に引上げて賦課することが許されるとすれは、同じ時点で被保険者相互の間の負担の実質的公平をはかるため賦課方法の一部の手直しをすることは、必要妥当な措置として是認されていいことである。それによつてある範囲の人達には保険料のより著しい引上げとなることは明らかであるが、保険制度を全体として合理的に運用していくために、この程度(応納割の比率が一〇上り、最高限度が一万上がる)の負担に年度当初から堪えてもらうことは許されると考える。(同時に国庫負担の増額、一般会計からの繰入れの増加、基金の取崩しが行われている。)
結局本件改正条例を四三年度保険料に適用することは、行政法規の遡及適用にあたるとしても、憲法にいう財産権の保障を危くする程のものではなく、必要やむをえないものであつて、違憲ないし違法ということはできない。
原告のこの点に関する主張は理由がない。
三、租税法律主義に違反したとの主張について
租税法律主義というのは、あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする(憲法八四条)という原則である。私有財産制のもとにおいては、国民の財産権を保障し、課税権の行使は国民の総意の表現である法律の規定によるべきものとすることによつて、経済生活の安定を図り、経済活動の予測可能性を与えようとするものである。従つて、本原則は、必然的に課税法規遡及適用の禁止を包含するものと解される。原告も又この遡及適用禁止を主張するのである。けれども、本件改正条例の適用が、行政法規不遡及の原則に牴触しないこと前示のとおりである以上、同様の理由により課税法規不遡及の原則にも牴触しないものと解されるから、本件処分につき租税法律主義の適用ないし類推適用を認めるべきかどうかを判断するまでもなく、原告らのこの点に関する主張は失当というべきである。
四、信義誠実の原則ないし禁反言の法理に違背したとの主張について
原告らは、被告が昭和四三年一月一日から保険の給付率を七〇パーセントに引上げるに当り、財源には絶対心配なく保険料の引上げを行わない旨確約しておきながら、同年九月になつて本件の保険料引上げを行つた旨主張する。<証拠>によると、被告浜松市では、昭和四三年一月一日からの保険給付率の引上げに当り、同年三月まで(すなわち昭和四二年度)は、保険料の引上げを行わない旨言明していたことが認められるけれども、昭和四三年度以降保険料の引上げを行わない旨確約したことを認めるに足りる立証はない。原告らのこの主張はそのほかの点について検討するまでもなく失当である。
五地方自治法二二二条に違反したとの主張について
地方自治法二二二条において、「条例その他議会の議決を要すべき案件があらたに予算を伴うこととなるものであるとき」とは、条例などの制定ないし改廃によつて、あらたに財政上の負担を生ずる場合を指すものと解すべきであるところ、本件条例の改正の場合には、あらたに財政上の負担を生ずるものでないことは、前示認定の改正条例の内容からみて明らかである。従つて、この点に関する原告らの主張も採用できない。
六、結び
上記説明のとおり被告が昭和四三年一一月一日に原告らに対してなした同年度の国民健康保険の保険料を別表各該当欄記載の金額とする賦課処分は適法なものであつて、この取消を求める原告らの請求は失当であるから棄却を免れない。
よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(水上東作 安田実 中島尚志)