大判例

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静岡地方裁判所 昭和47年(ワ)13号 判決 1974年11月21日

原告

塩沢栄七

塩沢きん

右両名訴訟代理人

中山貞愛

被告

吉沢哲

右訴訟代理人

佐藤久

被告

静岡県

右代表者知事

山本敬三郎

右訴訟代理人

御宿和男

外三名

主文

一  被告両名は、各自

(一)  原告塩沢栄七に対し、金三九八万五、〇一七円および内金三七四万三、〇一七円に対し昭和四六年一月一八日から、内金二四万二、〇〇〇円に対し昭和四七年二月九日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  原告塩沢きんに対し、金三七四万三、〇一七円およびこれに対する昭和四六年一月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決の主文第一項は、各原告において被告らに対し、それぞれ金五〇万円の担保を供するときは、その被告に対し仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求原因第(一)項記載の本件事故発生の事実(昭和四六年一月一七日午前一時三〇分ごろ、静岡市高松の防潮堤上を走行中の被告吉沢運転の乗用車が、同防潮堤の幅約4.5メートルの切れ目に転落し、同乗の訴外塩沢寿人が死亡したこと)は、被告吉沢との間においては当事者間に争いがなく、被告静岡県との間においては、<証拠>によつてこれを認める。

二そこで、まず被告静岡県の本件防潮堤の管理に瑕疵があつたか否か、瑕疵があつたとして、その瑕疵と本件事故との間に因果関係があるかどうかについて判断する。

本件防潮堤が海岸法第二条にいう海岸保全施設であつて、被告静岡県がその管理者であることは当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

本件防潮堤は、静岡市の南の海岸に東方は久能・清水・由比・蒲原と続き、西方は安倍川の河口まで続くものであつて昭和三五年に完成し、昭和四五年には堤冠保護のための高潮対策事業により堤の上面(天端)がコンクリートで舗装されたのであるが、上面の幅員が約3.5メートルもあるため、3.5メートルはばのコンクリート舗装道路とも見まちがうものであつた。右防潮堤は公道に接続してはいなかつたが、公道から防潮堤まで自然に踏み固められた通路が出来ているところも多く、本件事故現場附近でも、公道たる県道から民有地の広場のような空地を通つて防潮堤に至る通路が出来ていて、防潮堤の天端とこの後背地たる民有地との高低の差がわずか五センチないし一〇センチであつたこともあつて、容易に公道から自動車を乗り入れることが可能であり、この意味でも本件防潮堤は一見道路のような形態を帯びていた。そして現に昭和四五年一〇月、高潮対策事業として堤冠保護のためのコンクリート舗装工事が行なわれて、防潮堤の内部から排除された土砂が後背地に積み上げられ、右のように防潮堤天端と後背地との高低の差が最も小さいところで五センチないし一〇センチと自動車が容易に乗り入れられるようになつて以来、昼夜間を問わず、魚を釣りにくる者、ごみを捨てにくる者あるいは男女の二人連れ等が本件防潮堤の上に自動車を乗り入れ、その上を走行したり、その上に駐車したりしていた。一方、本件事故が発生した防潮堤の切れ目は、台風等の場合漁舟を陸にあげるために作られた舟揚口であつて、防潮堤の上面から垂直に切り込んだ幅約4.4メートル、深さ約1.8メートルの切れ目である(この切れ目附近では後背地と防潮堤との高低の差がだんだんだと大きくなつていたため右のように切れ目の深さが約1.8メートルとなつたものである。)。防潮堤の上面から垂直に切り込んだ、いわゆる直角型と呼ばれる本件のような切れ目は、本件防潮堤に全部で三か所あつたが、本件切れ目の場合、転落防止のための柵などもなく、ただ、つるはしの絵が書かれて上部に工事中と表示した幅0.9メートル、高さ1.2メートルの板製標識が右切れ目の東側と西側に一枚ずつ置かれていた。しかし、これも、前記コンクリート舗装工事を請負つた会社が、工事中に使用していた標識をそのまま残置したものであつて、特に防潮堤の管理者たる被告静岡県においてこれを管理していたものでもなく、風に飛ばされたり、子供にいたずらされて防潮堤の下に落ちていることが多く、附近の住民等においてこれを元に戻したりしていた。

以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、被告静岡県の本件防潮堤の管理に瑕疵があつたことおよびこの瑕疵と本件事故との間に因果関係があることは明らかであるといわざるを得ない。防潮堤の管理者たる静岡県としては、本件防潮堤を道路として使用するのを禁ずるのであれば、柵を設け立札を立てるなどしてその趣旨を徹底させるべきであつた。またもし道路としての通行を容認するのであれば、切れ目に転落することのないよう、切れ目の存在を明示し、あるいは柵を設ける等の措置を講ずべきであつた。現に被告静岡県は本件事故発生後、本件切れ目の両端に高さ約五二センチメートルのコンクリート製の車止めを構築し、切れ目の手前の防潮堤上に石を植え込み、夜間でも見えるようにその石に赤色の夜光塗料を塗る等の措置をし、さらには道路から防潮堤に上る地点等に、「通行注意堤防上の通行は危険につき注意 静岡県静岡土木事務所」という標識を立てている。まさにこのような措置をすることが本件事故前において期待されていたものというべきであり、このような措置がなされていたならば本件事故は発生しなかつたものと考えられるのである。

この点につき、被告静岡県は、本件防潮堤は防潮のための施設であつて、道路としての効用を兼ねているものではなく、このことはその設置の場所、形体等から一見して明らかであつたから、車の乗り入れを禁止する措置をとる必要はなかつた旨主張するが、前認定のとおり、本件防潮堤は、むしろ一見道路のような形態を帯びていたものであるから、同被告の右主張はその前提を欠き失当というべきである。また同被告は、防潮堤に舟揚口として切れ目があることは一般に周知のことであるから、切れ目の存在を表示する必要もないと主張するが、防潮堤に切れ目があることが一般に周知であるということは、経験則上直ちにそのようにいい切ることは困難であるのみならず、<証拠>によれば、現揚近くに行つたことのある警察官ですら、切れ目の存在を知らなかつたことが認められるので、同被告の右主張もまた理由がないといわざるを得ない。

なお、被告静岡県は、本件事故はもつぱら本件自動車を運転していた被告吉沢の脇見運転によつて生じたものであつて、仮に被告県において切れ目の存在につきなんらかの表示をしていたとしても、脇見運転の場合には効果がないのであるから、切れ目の存在を表示しないことと本件事故との間には因果関係がないと主張する。しかし本件切れ目のように自動車の走行にとつて極めて危険な障害については、全くの脇見運転ならいざ知らず(本件では後記のようにほんの一瞬の間のことであつた)ある程度の不注意な運転者にも発見できる程度の顕著な危険の表示をなすべきものと解されるのみならず、転落は死の危険につながると予想し得る場所として、物理的に転落を防止する防護柵等を設置すべき義務があつたものと解されること前述のとおりであるから、被告県の管理の瑕疵と本件事故との間に因果関係がないということは到底できないというべきである。

三次に被告吉沢哲の責任について検討する。

被告吉沢が本件乗用車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。

同被告は、本件事故の発生の原因は、あげて被告県の防潮堤の管理の瑕疵にあつて、被告吉沢には過失はなかつた旨主張するので、この点につき判断すると、<証拠>によれば次の事実が認められる。

すなわち、本件事故により死亡した訴外亡塩沢寿人と被告吉沢とは小学校の同級生でかなり親しい友達であり、本件事故の起つた昭和四六年一月一七日午前零時ごろ、ドライヴに行こうということで、右訴外亡寿人は被告吉沢の運転する乗用車の助手席に同乗して、ともに日本平に赴いたが、その帰途海を見ようということで、本件防潮堤附近に至り、本件事故のあつた切れ目の約一〇〇メートル東方の浜辺に一たん停車して海を見て、同所附近から乗用車を本件防潮堤に乗り上げさせ、時速約三五キロメートルの速さで防潮堤上を本件切れ目方向に西進した。被告吉沢は、以前、本件切れ目のはるか西側の地点から本件防潮堤に車を乗り入れてさらに西進したことはあつたが、本件事故現場附近の防潮堤を走行することはじめてであつて、もちろん本件切れ目の存在も知らなかつた。事故当日は月が出ており、被告吉沢は、乗用車のヘッドライトは上向きだと光が拡散してかえつて見えにくいため、これを下向きにしていたが、この状態だと前方約三〇メートルまで見ることができた。防潮堤に乗り上げた後、切れ目の約七〇メートルばかり手前で、同乗の訴外亡寿人が「海がきれいだ。」と声をかけたので、被告吉沢は、海の方をちらと見ながら進行したが、その瞬間に本件切れ目に転落した。同被告は、本件切れ目の存在にはもちろん、切れ目のすぐ手前にあつた前記の板製標識にも気付かず、したがつて全くブレーキを踏まずに切れ目に転落し、しかもその際、右板製標識をはねとばして、これを防潮堤の下の海辺に落したこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

そうすると、被告吉沢には、通常の道路とは異なる防潮堤をわき見をしながら運転した過失があるものというべく、同人が無過失であつたとはとうていいうことができないといわざるを得ない。すなわち、被告吉沢の本人尋問の結果によれば、同被告が本件防潮堤が道路ではなくて防潮堤であることを認識していたことが認められるが、このように通常の道路と異なり、防潮のための施設である防潮堤を自動車で走行する場合には、やはり一般の道路における自動車運転者の注意義務以上い注意義務が要求されるものというべく、具体的には、一般道路における以上に特に前方左右に注意して障害物の早期発見につとめながら、かつ十分に減速して進行すべき注意義務があるものというべきであり、被告吉沢はこれを怠たつたものということができる。

したがつて、同被告の無過失の抗弁は理由がないというべきである。

四<省略>

五次に過失相殺について判断する。

被告静岡県は、訴外亡寿人にも種々の過失があつたと主張し、(一)防潮堤への乗り入れ自体を制止するのを怠つたこと、(二)防潮堤を走行中、運転者たる被告吉沢に海の話をして、同人が海の方を脇見する原因を作つたこと、(三)防潮堤走行中、前方を注視して危険物の発見に努めるのを怠つたこと、がいずれも訴外亡寿人の過失であつたと主張するが、右の(一)、(三)については、同乗者にこのような注意義務を負担させるべき根拠はないと考えられるので、これをもつて右訴外人の過失とすることはできないと解するのが相当である。しかしながら右(二)については、前認定のとおり、右訴外人が「海がきれいだ。」と被告吉沢に話しかけ、同人が海の方をちらと見た直後、本件切れ目に転落したことが認められるので、右訴外人が被告吉沢の脇見運転の原因を作つたことが明らかであり、同訴外人にも過失があつたものというべきである。そして、この過失の程度は、損害額の五分の一を減ずべき程度(換言すれば、被告両名の過失が四であるのに対し、同訴外人の過失が一である割合)と認めるのが相当である。

なお、被告静岡県は、本件事故の発生につき被告吉沢に過失があつたが、同被告は訴外亡寿人の友人であるから、いわゆる被害者側の過失として、被告静岡県は過失相殺を主張し得ると主張するが、被告吉沢と訴外亡寿人とは、前認定のとおり、小学校の同級生でかなり親しい友達といつた程度の友人関係にあるにすぎないものであつて、身分上あるいは生活関係上一体をなすとみられるような密接な関係はなかつたものであるから、被告吉沢の過失をもつて被害者側の過失とすることはできないというべきである。前記認定の諸事情の程度では、未だ、被告静岡県が主張するように「行為評価の同一帰属性」があるとすることはできないと考える。

よつて、前記の過失相殺として、五分の一を減額することとすると、原告塩沢栄七の損害額は金三九八万五、〇一七円、同塩沢きんの損害額は金三七四万三、〇一七円となる。

(なお右過失相殺は被告吉沢の関係でも行う。)

六本件事故は、被告静岡県の本件防潮堤の管理の瑕疵と被告吉沢の過失ある運転行為との客観的な関連共同のもとに生じたものであるから、いわゆる共同不法行為として、被告両名は、原告らに生じた損害につき各自連帯して賠償すべき義務があるというべきである。

七以上の次第であつて、被告両名は、連帯して、原告塩沢栄七に対し、右損害賠償金三九八万五、〇一七円および内金三七四万三、〇一七円に対しては本件不法行為の日の翌日である昭和四六年一月一八日から、内金二四万二、〇〇〇円に対しては本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四七年二月九日から、右各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、また原告塩沢きんに対して、右損害賠償金三七四万三、〇一七円およびこれに対する前記昭和四六年一月一八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。よつて原告らの本訴請求は右の限度で理由があるので、その限度においてこれを認容することとし、その余の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。(被告県の仮執行免脱の申立は相当でない。)

(水上東作 宍戸達徳 坂本慶一)

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