静岡地方裁判所 昭和48年(ワ)231号 判決 1976年10月28日
原告 望月明美
原告 伊久美ひさよ
右原告両名訴訟代理人弁護士 佐藤久
右同 大橋昭夫
右同 沢口嘉代子
右同 白井孝一
右同 本杉隆利
被告 三菱電気株式会社
右代表者代表取締役 進藤貞和
右訴訟代理人弁護士 滝川誠男
主文
一 被告が昭和四八年五月一六日原告両名に対してなした譴責処分は、いずれも無効であることを確認する。
二 原告両名のその余の請求は、いずれもこれを棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分して、その二を被告の負担とし、その余は原告両名の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 第一次的
(一) 主文一項と同旨
(二) 被告は、原告両名に対して、それぞれ金一〇万円、及びこれに対する昭和四八年五月一七日より支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) 訴訟費用は被告の負担とする。
(四) 仮執行宣言(第(二)項につき)
2 第二次的
(一) 原告両名が、昭和四八年五月一六日付譴責処分の付着しない労働契約上の権利を、被告に対して有することを確認する。
(二) 以下、第一の一の1の(二)ないし(四)と同旨
二 請求の趣旨(第一次的・第二次的)に対する答弁
1 本案前の答弁
原告両名の確認の訴えをいずれも却下する。
2 本案の答弁
(一) 原告両名の請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告両名の負担とする。
≪以下事実省略≫
理由
一 (当事者間に争いのない事実等)
被告は各種電気・機械器具等の製造販売を業とする株式会社であり、原告両名は静岡製作所に勤務する被告会社の従業員であること、原告両名は、昭和四八年四月二六日と二七日両日の昼休みに、静岡製作所女子更衣室において、被告の許可を得ずに、同僚に対して、「高物価重税反対中央実行委員会」及び「安保破棄・諸要求貫徹中央実行委員会」が取扱い団体である、「(1)健康保険の改悪に反対し、安心して老後の生活ができる年金を要求する請願書、及び(2)国鉄運賃の値上げと衣食住すべてにわたる物価の値上がりに反対する請願書」(本件請願書)に署名を依頼したこと、被告会社の就業規則第七八条第一二号には、構内において許可なく報道・宣伝・募金・署名運動その他これに類する行為をなした時は、出勤停止処分又は譴責処分に付する旨規定されていること、被告は、昭和四八年五月一六日、原告両名に対して、原告両名が被告会社構内において、被告会社の許可なく同僚に対して本件署名運動を行ったとの理由で、就業規則第七八条第一二号を適用して本件譴責処分をなしたこと、以上の事実は当事者間で争いがない。そして、≪証拠省略≫によれば、原告望月は、昭和四三年三月に高等学校を卒業して同年四月に被告会社に入社し、本件譴責処分当時は静岡製作所空調機製造部空調機工作第一課小型空調機工作第一係に所属し、原告伊久美は、昭和四四年三月に高等学校を卒業して同年四月に被告会社に入社し、本件譴責処分当時は静岡製作所空調機製造部空調機工作第一課小型空調機工作第二係に所属していたこと、本件請願書は国会の衆・参両議院議長宛のもので、その内容は乙第四号証記載のとおりであること、原告両名の本件署名運動に関する被告会社の就業規則及び労働協約は、別紙記載のとおりであり、これは、静岡製作所だけではなく全社共通のものであること、以上の事実が認められる。
二 (本件譴責処分無効確認の訴えの確認の利益)
1 ところで、被告は、本件譴責処分無効確認の訴えは、確認の利益を欠き却下を免れないと主張するので、まずこの点について判断する。
2 思うに、確認の訴えは、権利又は法律関係の現在における存否について許され、単なる過去の事実の確認は許されないとされているが、これは、現在の紛争を解決するためには、現在の法律関係を明確にすることが直截かつ適切なことに由来するからである。従って、直接には、たとえ過去の法律関係について確認を求めるものであっても、この過去の法律関係が基礎となって、派生的に、現在及び将来に向って多数の権利又は法律関係の存否又は効力が問題となるような場合には、この基礎になる過去の法律関係についての確認の訴えを認め、その判決の既判力により、多数の権利又は法律関係の基礎であり前提である過去の法律関係を争い得ないものとすることによって、将来派生的に生ずるであろう多数の紛争の抜本的解決を図る必要があり、このような場合には、たとえ、過去の法律関係についての確認を求めるものであっても、確認の利益を肯定すべきである(最高判昭四七・一一・九民集二六・九・一五一三参照)。というのは、もしこれを認めないとするならば、過去の法律関係が基礎となって現在及び将来に向って紛争が発生する度に、その都度、個々の具体的法律関係について確認訴訟・給付訴訟等を提起しなければならなくなるが、この特定が困難であったり、あるいは全体的な法律関係の解決に適切さを欠き、各個の法律関係についての判決の判断が矛盾する場合も生ずるから、このような事態を避けて、抜本的解決を図る必要があるからである。
3 そこで、次に、本件譴責処分がいかなる性質を有し、またいかなる効果を有するかを検討したうえで、右に述べた見地から、本件譴責処分無効確認の訴えの確認の利益の有無を判断することとする。ところで、就業規則第七七条によれば、譴責処分は、従業員から始末書を提出させて将来を戒める懲戒方法であって、その性質は、懲戒解雇処分や出勤停止処分とは異なり、直接には、雇用関係上の権利の発生・変更・消滅に影響を生ぜしめるものではないと、一応はいいうるであろう。けれども、譴責処分は、あくまでも企業内秩序を維持するための懲罰である懲戒処分の一種であるから、仮に、就業規則上、譴責処分を受けた場合における不利益待遇について具体的規定が明記されていない場合においても(本件では、後に述べるように、不利益待遇についての具体的規定が明記されている場合である)、過去に譴責処分を受けたことがあるという事実自体が、将来の昇格・昇給等の拠り所となる勤務評定に悪影響を及ぼすであろうことは、推測するに難くなく、被告会社の従業員で過去に譴責処分を受けたことのある証人栗山佳治及び西川靖次の各証言も、右推測を裏づけるものといえよう(右両証人は、いずれも、それぞれの上司から、譴責処分を受けたことが、昇格・昇給等の成績の査定に悪影響を及ぼしているとの説明を受けた旨、証言している)。尤も、静岡製作所の勤労課長である証人恩田昌夫は、譴責処分を受けたことによって、勤務評定に悪影響を及ぼすことはないと証言するが、仮に右のように影響を及ぼさないものであれば、あえて譴責処分という就業規則上の懲戒処分を設ける必要はないのであって、ただ単に事実上の注意を与えるとか、あるいは単に始末書の提出を求めるだけで十分であり、現に、被告会社においても、譴責処分までせずに、単に始末書の提出を求めるだけの事例も多いことに照らして、恩田証人の右証言部分は容易に措信しがたい。このように、就業規則上、譴責処分を受けた場合における不利益待遇について、具体的規定が明記されていない場合においてさえ、譴責処分を受けたという事実が、勤務評定に悪影響を及ぼすであろうことは推測に難くないが、≪証拠省略≫によれば、被告会社の就業規則では、更に、その第七九条第一五号において、数回懲戒処分を受けてもなお改悟の見込みがないときは、懲戒解雇処分に処せられる旨明記されていて、将来、原告両名に対して、懲戒解雇に処すべきかどうかが問題となった場合、必ずや本件譴責処分の存在が考慮されることは明らかであり、原告両名は、その意味においても、現在不安定な法的立場にあるものということができる。更に、就業規則第七七条第一号には、譴責は始末書をとり将来を戒めるとあり、原告両名は、本件譴責処分により、始末書の提出を事実上強制される不安定な立場におかれているものといえよう。被告は、この点について、被処分者が始末書を提出しないからといって、それにより、譴責処分の成立を妨げるものでもないし、また更に懲戒処分に付するわけでもなく、始末書の提出は、被処分者の任意の意思に委ねられている旨主張する。しかしながら、始末書の提出は、譴責処分によって被処分者が十分に反省していることを会社が確認するために求めるものであるが、もし、被処分者より始末書の提出がないとなれば、被処分者は譴責処分がなされたにも拘らず何ら反省していないということになって、事実上、譴責処分がなされたという事実以上に、勤務評定に悪影響を及ぼすであろうことは、容易に推測しうるところであり、被処分者としては、そのような二重の不利益取扱いを避けるためにも、始末書の提出を事実上強制されるという、不安定な立場に追いやられるものというべきであろう。
4 ところで、本件譴責処分は、原告らと被告との間の労働契約の内容の一部をなしている就業規則に基く処分行為であるが、前述したところより明らかな如く、本件譴責処分は、原告両名の現在及び将来における労働契約上の地位ないしは待遇に影響を及ぼすところの行為であって、この過去の法律関係である本件譴責処分の存在が基礎となって、派生的に、現在及び将来の権利又は法律関係の存否が問題となることは前述したとおりであって、本件譴責処分無効確認の訴えの確認の利益を肯定すべきである。
三 (本件譴責処分がなされるに至った経緯)
そこで、次に、本件譴責処分がなされるに至った経緯について判断するに、≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。
1 原告望月は、安保破棄・諸要求貫徹三菱電機実行委員会の会員であるが、昭和四八年四月初旬頃、職場の先輩で同実行委員会の代表者である牛丸修より、本件請願書の用紙一〇枚の交付を受け、署名を集めるように依頼された。
2 そこで、原告望月は、昭和四八年四月二三日より同月二七日にかけて、本件請願書を使用し、静岡製作所内の女子更衣室において、次の如き署名運動をなした。
(一) 昭和四八年四月二三日の就業時間前に、先輩の川口ふみ江に署名を依頼し、同人に署名用紙を交付した。
(二) 同日の休憩時間(一二時から一二時四五分)中に、原告伊久美に対し、約五枚の署名用紙を交付し、署名活動を行うべく依頼した。
(三) 同月二五日の就業時間終了後に、後藤京子に署名を依頼し、後藤は右署名用紙を自宅に持ち帰ったうえ署名した。
(四) 同月二六日の休憩時間中に、先輩の山崎真千子及び後輩の金子絹江に署名を依頼して、右山崎に署名用紙を交付した(なお、金子については、原告伊久美と協力して署名を依頼したものである)。
(五) 同月二七日の休憩時間中に、原告伊久美と共に、後輩の鈴木美佐江・多々良まり子・松下敦子・福川すみ子に署名を依頼し、右四名はその場で署名用紙に署名した。
なお、本件署名運動に要した時間は一人当たり僅か五分以内であり、殆んどの者が何のためらいもなく気軽に署名に応じており、なかには極く少数ながら署名を断った者もいたが、原告らは、断った者に対して、更に重ねて署名を依頼するようなことはなかった。
3 原告伊久美は、安保破棄・諸要求貫徹三菱電機実行委員会とは何ら関係なかったが、職場の一年先輩である原告望月と非常に親しい間柄であったため、昭和四八年四月二三日の休憩時間中に、前記女子更衣室において、原告望月より、約五枚の本件請願書の署名用紙の交付を受けて署名を集めるように依頼され、同月二六日・二七日の両日にわたり、前同所において、原告望月と共に、次の如き署名運動をした。
(一) 昭和四八年四月二六日の休憩時間中に後輩の金子絹江に署名を依頼し、同人はその場で署名用紙に署名した。
(二) 同月二七日の休憩時間中、後輩の鈴木美佐江・多々良まり子・松下敦子・福川すみ子に署名を依頼し、右四名はその場で署名用紙に署名した。
4 静岡製作所空調機製造部空調機工作第一課小型空調機工作第二係長補佐の天野歳夫は、昭和四八年四月二八日午後四時頃、部下の前記山崎真千子の机の上に本件請願書の署名用紙が置かれているのを発見し、右山崎の許可を得たうえで署名用紙を借り受け、それを静岡製作所勤労課主任の浜出満彦の元に届けた。浜出主任は、本件請願書の内容を確認したうえ、就業規則第七八条第一二号に違反する会社無許可の署名運動であるとして、同勤労課主任辻雄二らと共に事実関係を調査したところ、同月三〇日、原告両名が署名運動をなしていたことが判明した。
5 そこで、前記浜出満彦・同辻雄二らが中心となって、昭和四八年四月三〇日・同年五月七日・同月八日・同月一一日の四回にわたって、原告両名に対して、個別に事情聴取を行い、署名を頼んだ人の名前をあげるよう強要するとともに、反省の趣旨を文書にして提出するよう勧めたところ、原告両名は、「憲法でも請願権は認められているし、労働基準法上からも休憩時間は自由に使用できるはずです。」、「自分は間違ったことをしていないから反省書も書けません。」と答え、押し問答の状態が続いていた。
6 なお、この間に、本件署名運動の依頼者であり、安保破棄・諸要求貫徹三菱電機実行委員会の代表でもある前記牛丸修は、原告両名が本件署名運動のことで前記浜出満彦らより呼び出され、事情聴取されていることを知り、同三菱電機実行委員会の会員である服部文治とともに、昭和四八年五月九日・同月一一日・同月一四日の三回にわたり、静岡製作所総務部次長兼勤労課長中村正人・前記浜出満彦・同辻雄二らに会って、天野歳夫係長補佐が持っていった本件請願書の署名用紙を返すこと、原告両名を再び勤労課へ呼び出さないこと、原告両名に対して処分をしないこと等の要望をなした。けれども、中村正人勤労課長は、浜出主任・辻主任らと協議のうえ、原告両名がこれほどいっても反省しないのであれば、二度とこのような無許可の署名運動をしないよう譴責処分に付する必要があると考え、昭和四八年五月一六日、「昭和四八年四月二六日と二七日の両日、会社構内において、会社の許可なく、同僚に対して、健康保険法改悪反対・国鉄運賃値上げ反対等を内容とした署名活動を行った」との理由で、就業規則第七八条第一二号を適用したうえ、原告両名に対して本件譴責処分をなした。
7 ところで、本件請願書の取扱団体である安保破棄・諸要求貫徹中央実行委員会は、昭和三九年九月に、米原子力潜水艦の入港反対・日韓会談反対・ベトナム戦争反対等の政治活動を行うため、日本社会党・日本共産党・総評・中立労連等の賛同のもとに活動を開始した政治団体であり、これまでに安保条約廃棄・沖縄全面返還要求・小選挙区制反対・物価値上反対等の政治活動を行ってきた団体であって安保破棄・諸要求貫徹三菱電機実行委員会は、安保破棄・諸要求貫徹中央実行委員会の下部組織である安保破棄・諸要求貫徹静岡市実行委員会の下部組織である。なお、牛丸修及び服部文治の両名は、共産党系の積極的な活動家であるとして、常日頃より会社側からマークされていた人物である。
四 (本件譴責処分の無効原因―その一)
1 原告両名は、会社内における署名運動について、一般的に会社の許可を受けるべきことを要求している就業規則第七八条第一二号の規定は、労働者の休憩時間の自由利用を保障している労働基準法第三四条第三項の規定からして、休憩時間中に限り効力を有しないものであり、また、右就業規則の規定は、政治活動の自由を保障している憲法第一九条・第二一条等に違反し、民法第九〇条の公序良俗に反するものとして無効であって、従って、本件譴責処分は無効である旨主張する。
2 思うに、憲法第一九条・第二一条等は、国民が言論の自由・政治活動の自由を国家に対する関係で享有することを保障し、その保障が国民相互の関係においても、民法第九〇条にいう公の秩序として妥当することは勿論であるが、他面、国民の生活活動は私的自治の原則を基調として展開されるものである以上、国民相互の関係においては、その自由意思により言論の自由・政治活動の自由に制限を加えることも、社会通念上これを肯認するに足りる合理的理由が存する限り、必ずしも公序に反するとはいえないものというべきであり、また、憲法第二二条・第二九条等は、財産権の行使・営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障していることから、労働者の政治活動の自由も、それが使用者の所有ないし管理に係る施設内においてこれを利用して行われるものである以上、企業利益との調整の面から一定の合理的な理由に基く制限に服すべきものであることは、やむをえないものといわなければならない。また、労働基準法第三四条第三項が、労働者に休憩時間を自由に利用させることを使用者に命じているのは、使用者が労働者に作為義務を課すなどしてその休憩を妨げることを禁じたものであって、使用者が、ある労働者に対して、他の労働者の休憩時間の自由な利用を妨げ、ひいては作業能率を低下させる虞れのある方法で休憩時間を利用することや、使用者の施設管理権を侵害したり、職場の規律の維持を乱すような方法で休憩時間を利用することまで許す義務を負うとする趣旨ではないのである。従って、使用者の有する施設管理権や職場秩序維持権のうえから、合理的な範囲内で休憩時間中の行為に制約を加えることは許されるものというべきであろう。
3 そこで、右のような見地から、就業規則第七八条第一二号の規定の効力について判断するに、一般に、報道・宣伝・募金・署名運動等は、不特定多数の従業員を対象として行われることが予想され、就業時間中であると休憩時間中であるとを問わず、これらの行動が会社の管理する企業施設の利用によって行われるときは、その管理を妨げる虞れがあり、就業時間中に行われるときは、その労働者のみならず他の労働者の労働義務の履行を妨げ、また就業時間外であっても休憩時間中に行われるときは、他の労働者の休憩時間の自由な利用を妨げ、ひいては作業能率を低下させる虞れがあり、更に、これらの行動が特定の主義・主張・信条・宗教等に基いて無制限に行われるとすれば、従業員間に不必要な緊張や反目を生じさせる虞れがあり、ときには、これが原因で、従業員間の融和の崩壊や勤労意欲の減退を招き、ひいては会社内における秩序維持や生産性の向上にまで支障をきたす虞れがある。従って、このような事態を避けるためにも、被告は、自己の有する施設管理権及び構内秩序維持権に基き、会社構内における署名運動等の規模・態様・場所・時間・期間等を事前にチエックする権利を留保する必要があるのであり、会社構内における署名運動等を無制限一律に禁止するならばともかく、許可性という形で会社の判断権を留保するに留めることは、社会通念上も許容されるものであり、政治活動の自由や休憩時間の自由利用の権利に対する一定の合理的な理由に基く制限であって、就業規則第七八条第一二号の規定は、従業員が休憩時間中になす署名運動にも適用があるというべく、このように解したからといって、憲法第一九条・第二一条・民法第九〇条、労働基準法第三四条第三項には違反しないものというべきである。
4 ところで、≪証拠省略≫によれば、原告両名は、被告会社に入社するに当り、就業規則その他定められた規則を遵守し、誠実に業務を履行する旨記載された届書を被告に提出しているところ、前記三の2・3の認定事実によれば、原告両名は、昭和四八年四月二六日・二七日の両日にわたり、静岡製作所の女子更衣室において、被告会社の許可を得ずに、数名の従業員に対して本件署名運動をなしたのであり、原告両名の右行為は、就業規則第七八条第一二号にいう「構内において許可なく署名運動をなしたとき」に該当するものであって、右就業規則の効力について先に判断したところによれば、本件譴責処分は、労働基準法第三四条第三項、憲法第一九条・第二一条・民法第九〇条には違反しないものというべきである。
五 (本件譴責処分の無効原因―その二)
1 原告両名は、更に、本件譴責処分は懲戒権の濫用で無効であると主張し、その濫用事由として、(1)本件署名運動は、昼休み時間中に個別になされた単なる物価値上反対等の署名運動にすぎず、本件署名運動によって、他の従業員の休憩時間の自由な利用が妨げられたり、企業内の秩序を乱して不必要な対立抗争を生じさせる虞れは全くないこと、(2)被告は、QC活動や保険勧誘の許可等、自らが従業員の休憩時間を侵害するような行為をなしておきながら、他の従業員の休憩時間の自由を妨げ、職務能率に影響するとの理由から、本件署名運動に制裁を加えていること、(3)被告は会社にとって都合のよい署名や文書配布活動については、就業規則を無視してこれを黙認し、更に、被告自ら従業員間に対立抗争を生ずる虞れがある選挙運動をなしておきながら、会社にとって不都合な本件署名運動については、これに弾圧を加えて本件譴責処分をなしたこと、以上の三点を指摘している。
2 思うに、就業規則第七八条第一二号の規定は、従業員が休憩時間中になす署名運動にも適用があり、かかる就業規則の規定は憲法第一九条・第二一条・民法第九〇条、労働基準法第三四条第三項にも違反しない有効な規定であって、本件署名運動をなした原告両名の行為は、右就業規則にいう「構内において許可なく署名運動をなした時」に該当するものであることは、先に判断したとおりである。けれども、就業規則に触れる行為については、どのような軽微な事案であっても全て懲戒事由に該当し、右違反者について懲戒処分に付するかどうかは全く処分権者の裁量に委ねられているものと解するのは誤りであって、違反行為によって会社や他の従業員の蒙った実害の有無及び軽重、会社が懲戒処分をなすに至った動機及び意図、同種違反行為に対して会社が従前よりとっていた態度等、諸般の事情を考慮したうえで、社会通念上処分の相当性を逸脱していると認められる場合には、懲戒権の濫用として懲戒処分が無効と判断される場合もあり、これは、解雇処分のみならず、本件の如き譴責処分の場合にも例外ではないと解すべきである。そこで、次に、原告両名が指摘する懲戒処分の濫用事由について検討し、右に述べた見地から、本件譴責処分が懲戒権の濫用にわたるものであるか否かについて判断する。
3 前記三の2・3の認定事実によれば、原告両名は、他の従業員の労働義務の履行を妨げる虞れのない昼休みに、それも、人目につかない更衣室の中で、先輩・後輩の区別なく僅か数名の者に対して個別に署名を依頼したのであり、その署名の内容も、国鉄運賃の値上げ反対・物価の値上げ反対・健康保険の改悪反対・年金要求というものであって、これによって従業員間に対立抗争を生じさせるおそれがあるとはいい難い。しかも、右署名運動に要した時間は一人当り僅か五分以内であり、署名を求められた殆んどの者が何のためらいもなく気軽に署名に応じており、なかにはごく少数ながらも署名を断った者もいたが、原告両名は、一度断った者に対して、更に重ねて署名を依頼するようなこともなかったのである。従って、このような本件署名運動によって、他の労働者の休憩時間の自由な利用を妨げたり、作業能率を低下させることがなかったことは勿論、企業内の秩序を乱したり、従業員間に不必要な対立抗争を生じさせたり、融和の崩壊や勤労意欲の減退を招いたりすることは全くなく、本件署名運動自体によって、署名を求められた従業員は勿論のこと、被告自身も、何ら具体的な実害を蒙らなかったことが明らかである。
4 ≪証拠省略≫によれば、被告は、従前より、同じ三菱系の生命保険会社である明治生命の外交員が、休憩時間中に、被告会社の従業員に対して、生命保険の勧誘行為をなすことを許可しているのであるが、右外交員が、一度断わられても執拗に何回にもわたって勧誘行為を続けることがあり、従業員のなかの一部に、右のような勧誘行為は迷惑だと感じている者もいる事実が認められる。ところで、被告は、たとえ休憩時間中といえども、会社の許可を得ずに無制限に署名運動がなされると、他の従業員の休憩時間の自由な利用を妨げ、ひいては作業能率を低下させる虞れがある旨主張し、前述の如く右主張自体は相当であるというべきである。しかしながら、このように休憩時間の尊重を説く被告自らが、同じ資本系列の明治生命の外交員に、休憩時間中に被告会社の従業員に対して保険の勧誘をなすことを許可し、その結果、従業員のなかの一部に、右のような勧誘行為は迷惑だと感じている者もいることを考えれば、原告両名の本件署名運動について、具体的に、他の従業員の休憩時間の自由な利用を妨げた事実は何らないにもかかわらず、他の従業員の休憩時間の自由な利用を妨げ、ひいては作業能率を低下させる抽象的な虞れがあるとの理由から、本件譴責処分をなしている被告の態度には、何か割り切れないものを感じる。
5 ≪証拠省略≫を総合すれば、鎌倉製作所では、昭和四七年八月に実施された三菱電機労働組合鎌倉支部の組合役員選挙及び同鎌倉支部選出の中央委員三名の選挙に向けて、組合員を二分する非常に激烈な選挙運動が展開されたが、鎌倉製作所の上層部は、いわゆる労使協調路線を唱える石原派の運動員及びその支持者(鎌倉製作所の主任クラスの者多数を含む)が、同年六月末頃から同年七月二〇日頃までの間、鎌倉製作所構内等において、就業時間中であると休憩時間中であるとを問わず、会社の許可を得ずに、不特定多数の従業員から、石原派の候補者を推薦する旨の支持署名を集め、そのため、従業員間に思想上の対立が生じて融和が崩壊し、摩擦・軋轢等を引き起こしていることを知っていたにもかかわらず、何ら懲戒処分をしなかった事実が認められる。尤も、当時、鎌倉製作所の総務部人事課の主任をしていた証人中村芳文は、石原派の運動員及びその支持者が、会社構内において、会社の許可を得ずに署名運動をなしていた事実は知らない旨証言しているけれども、同証人は、同時に、選挙運動期間中に、甲第一六号証の一のビラを配布することを許可した旨証言しているところ、右ビラには、石原派の候補者を推薦する旨の多数の者の署名がなされており、中村証人は、遅くとも、右時点で、石原派の運動員らによって無許可の署名運動がなされていた事実を認識したことが明らかであり、これに反する同証人の前記証言部分は措信できない。
このように、被告は、鎌倉製作所における労働組合の役員選出等の選挙運動において、労使協調路線を唱える石原派の運動員らが、長期間にわたって、会社構内において、就業時間中に、会社の許可を得ずに、不特定多数の従業員から自派の候補者への支持署名を集め、そのため、従業員間に思想上の対立が生じて摩擦・軋轢等を引き起こしていることを知っていたにも拘らず、何の処分もしなかったのであり、これは、会社に都合のよい署名運動なので、何ら処分をしなかったのではないか、との疑問も拭えきれない。
これに対して、原告両名のなした本件署名運動は、休憩時間中に、それも人目につかない更衣室の中で、僅か数名の者に対して個別に署名を依頼してなされたものであり、その内容も、前記のように、これによって、従業員間に対立抗争を生じさせるおそれのあるものではなかったにも拘らず、被告は本件譴責処分をなしたのであり、これは、前記三の1・6・7の認定事実によれば、本件署名運動が、被告が常日頃より共産党系の積極的な活動家としてマークしていた牛丸修らの影響のもとになされていたものであるため、会社にとって不都合な署名運動であるとして、本件譴責処分をなしたのではないかとの疑問も拭えきれない。
前記の事実によれば、被告は、自己に都合のよい署名運動については、黙認して何らの処分もなさずにおきながら、自己に不都合な本件署名運動については譴責処分をなしているものと推認され、その運用が恣意的になされているのではないか、との批判もでてこよう。
6 ≪証拠省略≫を総合すれば、被告は、昭和四九年六月に実施された参議院議員選挙において、選挙運動期間中、他の三菱系各社と協力のうえ、自由民主党公認の候補者さか健を当選させる目的で、企業ぐるみで支援し、被告会社の大久保謙会長がさか健後援会会長に就任したほか、被告会社の多数の部課長がさか健後援会支部長になり、票読みカード・パンフレット・ポスター等大量の選挙関係文書を会社組織を通じて配付したほか、被告会社名古屋営業所では、多数の従業員をさか健の選挙事務所に出向させる等、企業ぐるみでの選挙運動をなしたため、被告会社の従業員の中からも、これに反発して、企業ぐるみ選挙を批判する内部告発のビラを配布する者が現れる等、従業員間に無用な対立抗争を引き起こしたこと、静岡製作所では、昭和五〇年四月に実施された静岡市議会議員選挙に際し、選挙運動期間中、同選挙に立候補した三菱電機労働組合静岡支部執行委員長若山りんぺいを当選させる目的で、静岡製作所ぐるみで支援し、被告会社静岡製作所の人事担当者は、就業時間中に、会社に無許可で、若山りんぺい後援会の入会のしおりが配布されていることを知っていたにも拘らず、関係者に対して何らの処分もしないでこれを放任していたばかりではなく、静岡製作所構内で行われた若山りんぺい後援会の発会式には、静岡製作所副所長も出席のうえ挨拶し、また、静岡製作所総務部勤労課長の恩田昌夫自らが、激励のために若山りんぺいの選挙事務所へ赴いたほか、職場の班長等の末端の職制も、自己の部下に対して、右選挙事務所へ応援に行くように要請したため、多数の者が、休暇をとったり、休日や就業時間終了後に、右選挙事務所へ応援に行ったが、その中には、上司から頼まれたので、断わり切れずに、不本意ながらも応援に行かざるを得ない立場に追い込まれた者もかなりの数にのぼり、そのため、一部の従業員の間に不平・不満が絶えなかったこと、以上の事実が認められる。
従って、右事実によれば、被告は、参議院議員選挙や静岡市議会議員選挙に際し、自らが、現実にも、企業内秩序を乱し従業員間の融和を崩壊させて対立抗争を生じさせた企業ぐるみの選挙運動を指導し、少くとも、本件譴責処分当時もそのような企業体質の持主であったにも拘わらず、原告両名のなした本件署名運動については、具体的には、何ら企業内秩序を乱した事実はないし、何ら従業員間の融和を崩壊させて対立抗争を生じさせた事実もないにも拘わらず、そのような事態を引き起こす抽象的な虞れがあるとの理由から、本件譴責処分をなしたものであって、このような被告の態度は信義に反するものといわざるをえない。
7 ところで、被告は、本件譴責処分前、原告両名を静岡製作所内の勤労課に呼んで反省を求めたところ、原告両名は、反省するどころか極めて反抗的な態度を示し、就業規則第七八条第一二号は憲法や労働基準法に違反して無効であると主張し、反省の色を全く示さなかったので、本件署名運動につき何らかの懲戒処分という形で反省を求めなければ、就業規則無視の態度が肯定されることになり、企業秩序を維持するうえで多大の問題を有するため、本件譴責処分をなした旨主張する。
しかしながら、現時点においても、休憩時間中における従業員の政治活動等を制限する就業規則の効力については、憲法第一九条・同二一条・民法第九〇条、労働基準法第三四条第三項の規定との関係で問題とされており、下級審の裁判例も二分していて、(1)当裁判所のように、事業場内での政治活動等は、従業員間にイデオロギーの反目を招来せしめ、職場の秩序を乱し作業能率を低下せしめる虞れがあるから、かかる就業規則の規定の効力を有効と認める立場と、(2)事業場内での従業員の政治活動を禁止する旨の就業規則の規定は、現実かつ具体的に経営秩序紊乱等の結果を招来する行為に限り適用されるべきものと解する立場とが対峙している状態であるうえ、前記三の5の認定事実によれば、原告両名は、勤労課主任浜出満彦らに対して、「憲法でも請願権は認められているし、労働基準法上からも休憩時間は自由に使えるはずです。」と答えたにすぎず、被告会社の就業規則の効力を全面的に否定するような態度は示していないのである。従って、以上の諸点に鑑みれば、原告両名が、本件署名運動については、就業規則第七八条第一二号の規定の適用がないと考えていたとしても、被告が主張するように、本件署名運動につき何らかの懲戒処分という形で反省を求めなければ、就業規則無視の態度が肯定されることになり、企業秩序を維持するうえで多大の問題を生ずる、とまでは解することができない。
8 以上五の3ないし6の事実を要約すれば、本件署名運動は、休憩時間中に、僅か数名の者を対象として個別になされたものであり、その内容も単なる物価値上げ反対等であって、本件署名運動によって、他の労働者の休憩時間の自由な利用を妨げたり、作業能率を低下させたことがなかったことは勿論、従業員間にイデオロギーの反目を招来せしめて不必要な対立抗争を生じさせたり、職場の秩序を乱し、作業能率を低下させるようなことは全くなかったこと、本件署名運動によって、他の従業員の休憩時間の自由な利用を妨げ、ひいては作業能率を低下させる虞れがあるとして、本件譴責処分をなした被告自らが、同じ資本系列の明治生命の外交員が、休憩時間中に被告会社の従業員に対して保険の勧誘をなすことを許可し、その結果、従業員のなかの一部に、右のような勧誘行為は迷惑だと感じている者もいること、被告は、鎌倉製作所の労働組合の役員選挙において、労使協調路線を唱える候補者側の運動員が、長期間にわたって、会社構内において、就業時間中に、会社の許可を得ずに、不特定多数の従業員から自派の候補者を支持する旨の署名を集め、そのため、従業員間に思想上の対立が生じて摩擦・軋轢等を引き起こしていることを知っていたにも拘わらず、自己に都合のよい署名運動なので何ら処分をしなかったのに対し、本件署名運動は、被告が常日頃から共産党系の積極的な活動家として忌み嫌っていた牛丸修らの影響のもとになされたものであり、自己にとって不都合な署名運動なので、本件譴責処分をなしたのではないかとの疑問も拭い切れないこと、被告は、参議院議員選挙や静岡市議会議員選挙において、自らが、現実にも、企業内秩序を乱し、従業員間の融和を崩壊させて対立抗争を生じさせた企業ぐるみの選挙運動を指導し、少くとも、本件譴責処分当時もそのような企業体質の持主であったにも拘わらず、原告両名のなした本件署名運動については、具体的には、何ら企業内秩序を乱した事実はないし、何ら従業員間の融和を崩壊させて対立抗争を生じさせた事実もないのに、そのような事態を引き起こす抽象的な虞れがあるとの理由から本件譴責処分をなしたこと、以上のとおりである。従って、右のような諸事実を総合すれば、本件譴責処分は、社会通念上、処分の相当性を逸脱しているものというべく、懲戒権の濫用として無効と解すべきである。
六 (慰藉料請求)
原告両名は、無効な本件譴責処分により、精神的に甚大な苦痛を受けた旨主張し、被告が原告両名に対して無効な本件譴責処分をなしたこと自体を理由として、被告に対し、不法行為に基く損害賠償金各一〇万円を請求する。
思うに、被告が原告両名に対して本件譴責処分をなしたことが不法行為であるといえるためには、被告が無効な本件譴責処分をなしたことに故意又は過失がなければならず、換言すれば、被告が本件譴責処分をなすに際し、本件譴責処分が無効であることを認識し(故意)、あるいは過失によってかかる認識を欠いている(過失)ことを要すると解すべきである。そして、前記三の2ないし6の認定事実によれば、被告は本件譴責処分が有効なものと信じてなしたのであり、被告には、本件譴責処分をなすに際し、故意がなかったことは明らかである。また、前記四の2ないし4で判断したところによれば、就業規則第七八条第一二号の規定は、従業員が休憩時間中になす署名運動にも適用があり、このように解したからといって、憲法第一九条・第二一条・民法第九〇条、労働基準法第三四条第三項に違反しないものであって、本件署名運動も、就業規則第七八条第一二号にいう「構内において許可なく署名運動をなしたとき」に該当すること、無許可の署名運動が無制限になされれば、会社内の秩序維持に支障を来たす虞れがあるとして、前記就業規則を適用したうえ本件譴責処分をなした被告にも、それなりの十分な根拠があること、本件譴責処分が懲戒権の濫用により無効であるかどうかは、微妙な法的価値判断にからむ極めて高度な法律解釈であり、懲戒権の濫用といえるかどうかの限界事例であると思われること等に照らせば、被告が、本件譴責処分をなすに際し、本件譴責処分が懲戒権の濫用により無効であることの認識を欠いていた点に、過失があったとは到底解することができない。してみれば、被告に故意又は過失があったことを前提とする慰藉料請求については、その余の点について判断するまでもなく、理由がないものというべきである。
七 (結論)
以上の認定事実及び判断によれば、原告両名の被告に対する本訴各請求中、本件譴責処分の無効確認を求める部分は、いずれも理由があるからこれを認容し、慰藉料請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条・第九二条・第九三条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松岡登 裁判官 人見泰碩 紙浦健二)
<以下省略>