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静岡地方裁判所 昭和50年(ワ)448号 判決 1976年10月13日

原告

山本光枝

被告

株式会社丸勝上田商店

主文

被告は原告に対し金二七三万円及び内金二四八万円に対する昭和五〇年一二月二五日以降完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の、その余を被告の各負担とする。

この判決は、原告において金四〇万円の担保を供するときは、第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金四〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年一二月二五日以降完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張は以下のとおりである。

(原告の主張)

一  請求原因

(一)(1)  原告は、昭和四五年五月一四日午後一時三〇分頃、自転車で焼津市中第二中村踏切の北側に差しかかつたところ、被告会社従業員秋山喜久雄の運転する同会社保有の普通乗用車が踏切の手前で停止していた。

(2)  そこで原告は右自動車の後に自転車を停めて自動車の発進を待つていたところ、右自動車がなんらの警告もなく突然後退して来たため、これを避けようとしたが間に合わず、原告は右自動車の左後輪に右足甲を轢かれて受傷した。

(3)  よつて被告は右自動車の保有者として自賠法三条に従い本件事故により原告の蒙つた損害を賠償する義務がある。

(二)  原告の受傷と治療

原告は、この事故で右下腿骨々折、右足関節捻挫の傷害を受け、昭和四五年五月一八日から翌四六年五月二七日まで通院治療をした。本来なら入院治療をすべきところであるが、受傷当時次男が二歳一〇ケ月の幼児であつたため事実上入院できなかつたものである。

それ以後も原告は静岡厚生病院などの病院で治療を受けたりマツサージを受けたりしているが、右足は二糎短縮し、現在も長期間の歩行に堪えず、古川整形外科医院に五日に一度通院を続けている。

(三)  損害

(1) 得べかりし利益の喪失(金二六四万円)

原告は受傷当時山本美容院という名称で美容院を経営していたが、本件事故のためこれを閉鎖せざるを得なくなつた。

そして、昭和四四年度の右美容院経営による所得税の申告における原告の所得金額は四八万円であり、昭和四五年五月一四日の受傷時から訴提起時までの五年半の得べかりし年間利益はこれを下らず、この期間の収益として二六四万円を得た筈であり、原告は本件受傷によりこれを失つた。

(2) 慰謝料(金二〇〇万円)

右のように五年半にわたる長期の療養によつても治癒せず、現在も治療を続けなければならない原告の苦痛と前記右足短縮という後遺症を残していることを合わせ考えると、慰謝料の額は二〇〇万円を下らないというべきである。

(3) 一部弁済

原告は、後遺症保険金一九万円の支払を受けたほか、被告から見舞金の名目で計二一万円の支払を受けているので右合計四〇万円はこれを控除すべきである。

(4) 弁護士費用(金三〇万円)

原告は被告を相手方として本件事故による損害の賠償を求めるため昭和五〇年六月一三日静岡簡易裁判所に調停の申立をしたが、被告は五〇万円という額に固執して全く譲歩がなかつたので同年一二月調停は不調となり、これがため原告は弁護士小林達美に本件訴訟を委任せざるを得ないこととなつた。そしてその報酬として同弁護士に金三〇万円の支払を約した。

(四)  以上、本件受傷による原告の損害は四五四万円となるところ、本訴において内金四〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日たる昭和五〇年一二月二五日以降民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  過失相殺に対する反論

本件事故のあつた踏切北側は線路に向つて上り坂になつている。原告は当時二歳一〇ケ月の男児を補助椅子に乗せて踏切に差しかかつたが、踏切付近の道路左側に停止していた被告保有の自動車の後で自転車から降りた。ところが被告自動車の運転手秋山は線路の所から戻つて来て自動車に乗らず窓から手を入れてサイドブレーキを引いたので、自動車は坂になつた道路を後退して来た。驚いた原告は突差に右に二、三歩自転車を引いて避けようとしたが、自動車は運転手を引きずりながら原告の避けた右後方に後退して来たので、原告はこれを避けることができず本件事故に遭つた。

ところで、本件踏切が坂になつている以上ブレーキを外せば自動車は当然後退し、後方から進行して来る車や歩行者と衝突の危険のあることは当然であるから、かような場合には運転者は運転席に乗り後方を確認しつつブレーキを外し適切な運転操作をすべきである。しかるに、秋山運転手はかような配慮を全くせず、前記のようにして車を後退させ本件事故を惹起したものである。

一方原告にはなんら過失がない。原告は本件事故の直前突差に右に避けたが、この場合左に避けることを要求するのは無理である。道路右側の部分が広いし対向車もなかつたから右に避けるのは突差の判断として当然のことである。

以上のとおり、本件事故は秋山運転手の一方的過失によるものである。

三  時効の抗弁に対する主張

(一)  原告は、本件受傷のため現在も治療を継続しておりいまだ治癒していない。受傷当時その治療のため事故後五年半を超える長期間を要することは全く予見不可能であり、当時このような「損害を知る」ことは到底できなかつたものである。

このような病状及び長期治療のため、原告は事故当時経営していた美容院を休業し結局閉鎖廃業せざるを得なかつたし、またかような長期間を要する療養中に受けた肉体的精神的苦痛と右足の短縮というハンデキヤツプを背負つて生活して行かなければならない精神的損害は測り知れないものがある。

原告は受傷当時その骨折、捻挫の治癒するまでに通常要する期間における損害について予想し得たとしても、前述のような美容院の廃業による得べかりし利益の喪失による損害とかくも長期にわたる苦痛による精神的損害は右の予想の範囲を超え事故発生当時予見不可能というべきであり、右賠償請求権は未だ時効消滅していない。

なお、被告は、原告において昭和四六年七月三一日に症状固定の診断を受けていると主張するけれども、原告は自賠法による後遺症保険金の請求のために必要といわれてその旨の診断書の交付を受けたにすぎず、原告はその後も現在に至るまで依然として本件傷害の治療のため古川整形外科病院に通つており、これによつて症状は徐々に軽快しつつある状況である。従つて原告の症状は未だ固定していない。

(二)  仮に右の主張が容れられなくても、被告は次の理由によりもはや時効を提用できない。

被告は、原告が昭和五〇年六月一三日に被告を相手方として申立てた静岡簡易裁判所昭和五〇年(交)第一五号調停事件において、何回かの調停期日にわたつて五〇万円ならば支払つてもよい旨主張していた。これは被告が原告に対し損害賠償義務のあることを承認し、ただ数額を争つたにすぎないものというべく、本件損害賠償債務承認の効力を生じたものである。なお、被告会社は原告に対し責任を持つから十分治療して下さいと述べていたのであり、また原告に対し一部弁済として金二一万円を支払つたこともあり、これらは被告が本件損害賠償義務を承認していたことを示すものにほかならない。

(被告の主張)

一  請求原因に対する答弁

請求原因(一)のうち(1)及び被告が本件自動車の保有者であることは認める。(一)の(2)のうち、原告が秋山運転手の運転する被告車と衝突して受傷したことは認めるが事故の態様は争う。被告車は原告主張の踏切付近でいわゆるエンストを起したため、踏切手前左の空地に車を入れるべく近くの人々に手伝つて貰い車を後退させたところ、後方から進行して来た原告と衝突したものである。

請求原因(二)(三)の事実はいずれも争う。原告は本件事故後子供の運動会においてアキレス腱を負傷しており、もし現在長期間の歩行に堪えないとすれば、それが原因でないかと思われる。また原告は、本件事故のため美容院を閉鎖したというが、閉鎖せざるを得ない理由はなく五年半の逸失利益の主張は失当である。

二  過失相殺の主張

本件事故の態様は前述のとおりであつて、原告は自転車に幼児を乗せて被告自動車の後方より進行して来たもので、右自動車の動静に注意しておればこの事故は発生しなかつたものである。従つて原告にも過失がある。

三  消滅時効の抗弁及びこれに関する原告の主張に対する反論

(一)  本件事故の発生は昭和四五年五月一四日であり、原告は右事故時に損害及び加害者を知つたのであるから、この時から三年の経過により既に原告の請求権は時効により消滅している。この点に関する原告の主張三はすべて争う。

(二)  なお、原告は静岡厚生病院において昭和四六年七月三一日に症状固定の診断を受けている。それ故仮りに事故発生時から消滅時効の期間が進行しないとしても、右症状固定時から消滅時効が進行することになり、原告が静岡簡易裁判所に調停の申立をした昭和五〇年六月一三日には既に消滅時効は完成していることに変りはない。また、被告が原告に支払つた二一万円の最終支払日は昭和四六年一二月三一日であるから、右の支払は上記の結論を動かすものではない。

(三)  さらに原告は、被告が本件債務を承認したと主張する。被告は原告主張の調停期日において、本件債務につき、消滅時効が完成しているので支払う必要はないと述べていたが、調停委員の勧告により時効完成の主張は別として五〇万円で調停が成立するならば支払つてもよいと述べたに過ぎず、これをもつて債務の承認ということはできない。

〔証拠関係略〕

理由

一  原告が、その主張の日時場所において、被告会社従業員秋山喜久雄の運転する被告保有の自動車と接触して受傷したことは当事者間に争いがなく、被告から自賠法第三条但書の要件を充たす事実の主張はないから、被告は原告に対し同条本文により原告に対し本件事故による損害賠償の責を負うべきである。

二  被告は右損害賠償債務は時効により消滅したと主張するのでまずこの点について判断する。

証人八木昭吾及び原告本人の各供述によると、原告は本件事故当時加害車が被告会社保有のものであることを知つたものと認められるので、右事故当時原告の知り得た損害及び通常予見可能といえる損害に関する賠償債務については事故発生時から消滅時効が進行することになる。

三  右に関し原告はまず、本件事故により原告の受けた傷害は、事故後五年半を経た現在なお治療を続けなければならないもので、これほどの損害を生ずることは事故当時において全く予見不可能であつたと主張する。

そこに以下に本件事故後における原告の症状、治療の経過等についてみるに、いずれも成立に争いのない甲第一号証の一ないし四、同号証の一四ないし一六及び一八ないし二一、同第二、第四号証、原告本人の供述によつて真正に成立したと認める同第一号証の一一及び一二の各記載並びに証人八木昭吾及び原告本人の各供述を総合すると次の事実が認められる。

(一)  原告の受けた傷害の状況は、事故当時において、まず右下腿骨の骨折があり、右足首の腫れが著しいほか、右膝、右肩、顔面目の下の部分などに捻挫もしくは打撲による痛みがあつて歩行困難であり、特に右足首部分の疼痛のため三晩くらい眠れない程であつたが、夫は船員で不在であり、幼児(当時二歳一〇ケ月)を抱え他に人手もなかつたので遠方の病院へは行けず五月一八日から近くの加名丸整骨院に通院し始め、翌四六年五月二七日まで通院し(実通院日数二七二日)、受傷部の固定とマツサージの治療を受けた。これによつて右足首以外の部分はよくなつたが、右足首部分は完治せず、痛みと歩行の支障はなお残つていた。

その後被告の指示により川瀬病院で治療(四日に一度くらい)を受けたが治癒せず、かえつて注射の副作用と思われる腫れも生じたので、程なくそこをやめて静岡厚生病院に通院するようになつた。

なお、この間事故から一年以上を経過しているが、被告及び秋山運転手は打撲ないし捻挫程度の軽傷と見て自分で弁償すればよいと考え、事故の届出もせず、原告も被告から治療のための費用も出してくれていたので、自賠責保険の手続もしないでいた。

(二)  右厚生病院への通院は週一回くらいの割合で昭和四七年三月まで続いた。なお、その間昭和四六年一〇月三日原告は子供の運動会に赴く途中右足をかばつて左足に力がかかり左足アキレス腱を切断し、そのため約五〇日間別の病院に入院し、この方は完治したが、この期間中厚生病院への通院は中絶した。この通院も成果があがらないように見え、なお足首が腫れたりすることもあるので前記の頃通院を中止した。

なお、昭和四七年五月には前記加名丸整骨院の診断書に基いて自賠責保険の請求をし、昭和四六年五月二七日までの間における治療費、休業補償費、慰謝料として計五〇万円の保険金を受領した。

(三)  厚生病院への通院を止めた後、原告は的確な納得の行く診断を受けられないまま、温泉治療、電気治療、灸などを試みたりしていたが、昭和四七年一〇月には厚生病院の診断書に基き、後遺症補償の自賠責保険金の請求をし、同年一一月金一九万円を受領した。

(四)  その後も原告は評判の良い病院を求めて受診治療を続けたのであるが、昭和四八年二月には静岡中央病院、同年八月には焼津病院神経科で診断を受け、前者では骨折部分は治癒しているが筋と神経を侵されていて治らないといわれ後者においては、原告の傷害は注射も効かないといわれたが原告としては納得の行かない気持であつた。この時以後昭和四九年にかけても、なお、歩行の障害は治らず、長時間立つていたり、歩行を続けると痛みに襲われる状況はやまなかつたが、具合の悪い時だけ病院に行くという状態がしばらく続いた。

(五)  昭和五〇年一一月になつて原告は古川整形外科病院で診察を受けた。外傷性右膝、右足関節炎という診断で、下腿から右足関節の傷害(疼痛・腫脹)はなお残つており、時間はかかるが治療を続ければ段々よくなるとのことであつた。そこで原告は漸く納得の行く診断を受けた気がして、同病院に通い(昭和五一年八・九月頃においては症状の悪い時は毎日、通常は一日おきくらいの割合)、夫の保険を利用して局部注射、塗り薬、飲み薬などによる治療を受け、多い時で一五〇〇円、少ない時で四五〇円の治療費のほか焼津から静岡までの交通費を費しながら、現在では治癒の期待を持つて通院を続けている。

なお、原告の右足は本件受傷に起因して約二糎短縮し、歩行に際し右肩の下る感じが看取され、正常な歩行が困難であり、長時間立つていたり、歩行を続けたりすると痛みに襲われ、時には足を切つてしまいたい程の痛みを覚えることもあつた。

なお、原告が昭和三六年八月から行つていた美容院の経営も事故以来休業せざるを得なくなり、事故の約二年後に廃業した。

右認定の事実に基き以下に原告の主張につき検討する。

(一)  右原告の受けた傷害は、当初の骨折は最初の通院によつて治癒したが、右のほか受傷部分に未治癒部分が残つたものと認められる。これは受傷部分の神経その他の組織にもたらされた障害が容易に治癒せず残つたものと考えられるが、例えば鞭打症などのように従前の症状と異る特異の症状を呈するものでなく、従前と同じ個所に疼痛、腫脹、歩行障害など従前と同様の症状が長期に継続するという形で顕われるので、これによる損害の予見ないしその可能性の判断にも困難が伴うのであるが、まず事故当時原告主張の全損害の予見が可能であつたかを考えるに、前判示(一)の受傷当時の症状その他の状況と同(五)の状況を対比すると、これを否定するのが相当と思われる。

すなわち、前判示(一)の事実によれば、事故当時原告の受傷はそれ程重いものでないと見られるもので現に原告、被告会社の担当者及び秋山運転手等の関係者もそのように考えていたことが窺われる。ただ、かような骨折、捻挫等には、一定期間の固定、安静等によつては治癒し難く、かつ症状の程度の判定しにくい神経その他の組織部分の傷害を伴うことも容易に考えられるところであるから、外観に現われた傷の程度に基き骨部の接着、固定等に要する期間に主眼をおいて治癒期間を想定することは相当でないけれども、この点を考慮してもなお判示(五)のような執拗な長期にわたる症状に悩まされることは通常の予見可能の範囲を超えるものと考えざるを得ない。

そうすると、原告主張の損害の賠償についてすべて事故時から消滅時効が進行するとはいえない。

すなわち、原告主張の損害のうち、事故時に予見し得た範囲の損害の賠償については、事故時から消滅時効が進行することになるので、次にその範囲について検討する。

(二)  本件において、右の問題は、下腿部ないし足首部分に本件接触事故のような衝撃が加えられた場合当該組織部分にもたらされた損傷を回復するために通常必要とされる治療期間は、一般通念としてどの程度と考えられるかを問うことともなり、厳密正確にそれを断定することは至難ともいえる。しかし、そのためにこれを決し得ないとの前提で事を決するのは当事者間の公平が失われる結果ともなるおそれがあり相当でないと思われる。当裁判所は受傷の部位程度前判示の諸般の事情を勘案し、本件において受傷後二年程度の期間内の損害については一応予見可能の範囲内にあるものと判断する。

そうすると、この期間内に関する損害の賠償については事故時から消滅時効が進行することになる。

(三)  次に右の予見可能の範囲を超える損害については、事故時から消滅時効は進行しないけれども被害者がこれを予見しもしくは予見可能となつた時点から進行することになるからこの点について考える。

前判示の経過によれば、原告は長期にわたる本件事故による症状の継続に苦しみいくつかの病院での受診、治療を重ねる間、徐々に当初の予想よりも重篤な症状であると感じて来たものと推認されるが、事故後五年半を経過しても治癒しない本件傷害による損害を予知しもしくはそれが可能となつた時点を確定することはこれまた極めて困難といわざるを得ない。ただ、前述の原告が昭和四七年一〇月には後遺症による自賠責保険金の追加請求をしていること及び前判示の症状及び治療の経過を合わせ考えると、原告はこの頃には、かなり長期にわたる療養を要することを考えこれに対処する方法を考慮するに至つたものと推認することができ、右請求のしばらく前同年九月中には原告主張の全損害にわたりこれを予見したものと推認するのが相当である。そして、それ以前において右損害を予見することが可能となつた時点を認めるべき証拠はない。

もつとも、被告は、原告において昭和四六年七月三一日に症状が固定した旨の診断を受けているとして、遅くともこの時点から時効が進行すると主張し、前掲甲第一号証の一九及び二〇にはその旨の記載がある。しかし、右のほか前掲甲第一号証の二一及び同第二、第四号証並びに原告本人の供述に前判示の症状及び治療の経過を合わせ考えると、右診断書は後遺症保険金受領のため必要な書類として原告の依頼により、その趣旨にそい作成されたものと考えられるが、右の時点ではいまだ原告の症状は固定していなかつたと認められるので、右被告の主張は採用の限りでない。

以上によれば前記損害に関する消滅時効は昭和四七年九月から進行することになるが、昭和五〇年六月一三日原告が被告を相手方として本件に関し損害賠償の調停申立をしたことは当事者間に争いなく、成立に争いのない甲第三号証によれば、右調停は同年一二月五日不調となり、同日原告はその旨の告知を受けたことが認められるが、記録によれば、右より二週間内である同月一八日本訴が提起されているのであるから、右の消滅時効は完成に至らなかつたことになる。

四  さらに原告は、前記調停事件の期日において被告が本件債務の承認をしたと主張するのでこの点について検討する(右は前判示の事故時から進行する時効について意味をもつ)。証人上田敏の証言によると、同人は右調停事件の期日に被告の代理人として出頭し五〇万円支払の案は出したが、第一回の期日において時効完成を主張した上で右のような提案をしたというのであるが、前掲甲第三号証の記載によれば、右事件の各期日の調書には調停の経過が比較的詳しく記載されているのに右時効に関する主張の記載はない。しかし右上田証人の証言によれば、右調停は被告側に保険会社の担当者がついて相談の上これを進めており時効完成のことは十分に承知していたこと、被告は五〇万円の案を強く主張して譲らなかつたことが認められ、調停の経過全体を通じて考えると、被告においてその債務を承認したものとしてこれに法的効果を与えるのは相当でないと考える。

また原告主張の二一万円の弁済も、その最終支払日が昭和四六年一二月三一日であるとの被告の主張につき原告は明らかに争わないのであるからこれにより時効完成を妨げることのないことはいうまでもない。

五  損害

損害額については、上述したところにより、事故より二年後の昭和四七年五月一四日以降の分を算定することになる。

(一)  逸失利益

前述のように、原告は昭和三六年八月から美容院を経営していたが、本件受傷により休業し、さらに事故時から約二年後には廃業しそのままとなつているのであり、原告本人の供述によると、その営業は小規模で必要に応じ助手を使う程度のものであり、収益もそれ程多くなく、原告の受傷後は資格者を雇つて営業を続けるにも適当な人も見つからず、かつ採算上も困難があり営業休止もやむを得なかつたものと認められる。また右供述によると、前示のようにその収益は多くないが、原告主張の期間中少なくとも年間四八万円の収益はあげ得たと認めることができる。そうすると、原告主張の五年半のうち最初の二年間を除いた期間における原告の損害は金一六八万円となる。

(二)  慰謝料

前判示三のうち昭和四七年五月一四日以降の各事情殊に同(四)(五)の事実から窺われる原告の苦痛その他本件に顕われた諸般の事情を考慮し、なお原告が被告からの見舞金等二一万円、後遺症保険金一九万円(原告が損害額から控除するとしている分で、後述のように請求額から控除しないけれども慰謝料算定については参酌すべきものと考える)を受領していることを参酌し慰謝料の額は金八〇万円をもつて相当と認める。

(三)  なお、原告は、被告から受領した見舞金二一万円及び後遺症保険金一九万円を損害額から控除しているが、これらは、その授受の時期ないし趣旨から、当初の二年間の分に相応(後者については一部相応)するものと考えられるので、その部分が認容されるべき場合に控除する趣旨と見るのが相当であるから、それが棄却される以上慰謝料の算定につき参酌するにとどめることととする。

六  過失相殺

被告は、原告にも被告車の動静に注意しなかつた過失があると主張する。

証人秋山喜久雄(一部)、同八木昭吾及び原告本人の各供述を総合すると、原告は道路左側自己の直前約一〇米の所に停止していた被告車が坂道を後退し始めたのを見て衝突を避けるため突差に自転車を引いて道路右側部分に逃れたが、被告車の運転者秋山は車外より車窓から手を入れてブレーキを外したため、ハンドルを握つたまま後退する自動車に引きずられる形となり、自動車は右の方向に曲りながら後退して来た(その速度は明らかでないが路傍の工場の柱を倒し、車輪が道路脇の溝に落ちて停止した程のものであつた)。これがため原告は、幼児を乗せた自転車とともに動作しなければならないこともあつて避け切れず自動車に接触して転倒し、かつ右足甲が車輪の下敷きとなつたことが認められる。

この点原告主張のように運転席につかないでブレーキを外し不用意に後進を開始した秋山の過失は明らかであり、一方被告車の後進開始当時、被告車も原告もともに道路左側にあつたのであるから、原告としては車が右方に曲るとは思わず避ける余地の多い右側に逃れようとしたのは突差の判断・行動として当然ということができ、原告に過失はなかつたと認められる。よつて被告の主張は採用できない。

七  弁護士費用

原告本人尋問の結果によれば、原告から申立てた調停事件も被告が五〇万円を固執したため不調に終わりやむなく弁護士小林達美に委任して本訴を提起したが、その際勝訴の場合は三〇万円の報酬を支払うことを約したことが認められる。右によれば原告は右報酬額のうち本件不法行為と相当因果関係にあると見られる額につき被告に対し賠償を求めることができるといえるが、その額は事件の難易、認容額等諸般の事情を考慮し金二五万円をもつて相当と認める。

八  以上によれば、原告の本訴請求は被告に対し前記逸失利益、慰謝料合計二四八万円と右弁護士費用二五万円及び前者に対する訴状送達の翌日たることを記録上明らかな昭和五〇年一二月二五日以降民法所定の遅延損害金の支払を求める部分につき理由があるといえる(前記のように勝訴の場合に支払うべき弁護士費用につき訴状送達の翌日から遅延損害金の支払を求めることはできず、他にその起算日につき主張がない)ので、上記の部分に限りこれを認容することとし、民事訴訟法第九二条本文、第一九六条の各規定に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 安岡満彦)

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