大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所 昭和51年(レ)29号 判決 1977年12月23日

控訴人

岸本誠三

控訴人

深澤博

控訴人

深澤修一

控訴人

前澤光雄

右控訴人四名訴訟代理人弁護士

横田俊雄

右同

尾崎陞

右同

野村和造

被控訴人

株式会社河合楽器製作所

右代表者代表取締役

河合滋

右訴訟代理人弁護士

斉藤準之助

主文

一  本件各控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  控訴人らは、「原判決を取消す。被控訴会社の請求をいずれも棄却する。被控訴会社は控訴人岸本誠三及び同深澤博に対し各金一五万円を支払え。訴訟費用は第一・二審とも被控訴会社の負担とする。」との判決を求め、被控訴会社は、主文一項と同旨の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、当審において新たに主張した次の点を付加するほかは、原判決事実摘示欄の主張関係の記載と同一であるから、ここにこれを引用する。

(控訴人らの新たな主張)

1  控訴人らと被控訴会社との貸与金契約は、消費貸借契約の要物性という観点から問題がある。

2  被控訴会社は、控訴人岸本誠三及び同深澤博に対して、被控訴会社ピアノ調律技術者養成所(以下「養成所」と略称する。)入所期間中の賃金を全く支払わないばかりか、逆に本訴で右期間中の授業料の支払いを求めており、しかも、控訴人岸本誠三が被控訴会社に対して退職金の支払いを求め、被控訴会社からの貸与金との相殺の要求に応じなかったことに対する報復として、本訴を提起したものである。以上の経過に鑑みれば、被控訴会社の控訴人らに対する本訴提起は、権利の濫用であって許されない。

(新たな主張に対する被控訴会社の反論)

1  控訴人らは貸金契約が消費貸借契約の要物性という観点から問題があると主張するが、現実の授受と同一の経済的利益を得させる形で消費貸借契約を成立させることも、法律的には認められているところである。

2  被控訴会社は、控訴人らを困惑させたり不当な不利益を蒙らせる目的で本訴を提起したのではなく、返済期限を経過し当然弁済すべき貸与金の返済を求めて本訴を提起したに過ぎず、被控訴会社の本訴提起が権利の濫用に当たる筈がない。

三  証拠関係は、次のとおり付加するほかは原判決事実摘示欄の証拠関係記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

《略》

理由

一  当裁判所の認定及び判断も、次のとおり付加するほかは原判決理由欄記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

二  控訴人らは、被控訴会社との貸与金契約は、労働基準法第一四条・第一六条に違反し、公序良俗に反するから無効であると主張する。思うに、労働基準法第一四条が一年を越える期間の労働契約の締結を禁止しているのは、労働契約に長期間の契約期間を認めることは、人身拘束や強制労働にわたる虞れがあり、労働者の退職の自由を不当に制限する弊害が生ずるからであり、同法第一六条が労働契約の不履行について違約金を定め又は損害賠償額を予定することを禁止しているのは、労使関係において違約金等の定めをすることが、労働者の自由意思を不当に拘束して労働者を使用者に隷属せしめ、退職の自由を奪うことになる危険性を有しているからである。従って、被控訴会社との貸与金契約が労働基準法第一四条・第一六条に違反するかどうかは、右貸与金契約が存在するために労働者に一年以上にわたる労働関係の継続を強要し、退職の自由を不当に制限する危険性を有しているか否かにより判断すべきである。

これを本件についてみるに、前記一の認定事実(原判決理由欄本訴二項三項六項)によれば、控訴人岸本誠三及び同深澤博は、被控訴会社の養成所に研究生として入所する際、被控訴会社に対して貸与金の借受けを申請し、毎月一日に支払うべき授業料月額一万円を毎月一日に被控訴会社から借受け、一年間で合計一二万円の貸与金を借受けたこと、貸与金は、養成所卒業時に全額を返済する約定であるが、被控訴会社の従業員となれば退職時までその返済を猶予されること、研究生は、養成所卒業後被控訴会社に就職するか否かは自由であり、被控訴会社に就職しても就業義務年限の定めがあるわけではなく、退職することは自由で退職したからといって特別の制裁措置もないこと、控訴人岸本誠三の養成所の同期生は現在半分位退職しており、早い人は二年位で退職していること、控訴人深澤博の養成所の同期生で現在被控訴会社に残っている人は三分の二以下で、早い人は一年以内に退職しているというのであり、以上の認定は当審で取調べた証拠によっても覆すことができない。なお、(証拠略)によれば、被控訴会社が研究生の採用に際して交付した注意事項書の(2)項には、「研究生は、研修期間終了後は、河合楽器又は河合楽器の傍系会社・特約店に勤務しなければなりません」(要旨)と記載されていることが認められ、これによれば、研究生は養成所卒業後に被控訴会社等への就職が義務づけられているかの如く誤解されるが、控訴人岸本誠三自身、原審で、「養成所卒業後被控訴会社に勤務しなければならないという規則はなかった」旨供述しており(原審記録一〇八丁参照)、(人証略)も証言する如く(原審記録九三丁参照)、研究生は養成所退所後被控訴会社等へ就職するか否かは自由であったことが認められる。

このように、被控訴会社との貸与金契約は、控訴人岸本誠三及び同深澤博が養成所に入所する際純然たる貸借契約として定められたものであり、同人らが養成所を卒業して被控訴会社へ入社する際締結した雇傭契約とは別箇の契約として締結されたものであること、研究生は、養成所卒業後被控訴会社へ就職するか否かは自由であり、被控訴会社へ就職すれば退職時まで貸与金一二万円の返済が猶予されていたに過ぎないこと、養成所の授業料が月額一万円(合計一二万円)であることも特に不合理な金額とはいえないところ、控訴人岸本誠三及び同深澤博は貸与金一二万円を返済すれば何時でも退職が可能であり、現に同人らの養成所時代の同期生の多くが貸与金一二万円を返済して被控訴会社から退職していることに照らせば、控訴人岸本誠三及び同深澤博が、貸与金契約が存在するために一年以上にわたる労働関係の継続を不当に強要され、被控訴会社に隷属せしめられて退職の自由を不当に制限されたとまでは認め難い。してみれば、被控訴会社との貸与金契約が労働基準法第一四条・第一六条に違反し、公序良俗に反するから無効である旨の控訴人らの抗弁は、理由がないものというべきである。

三  控訴人らは、被控訴会社との貸与金契約は、消費貸借契約における要物性という観点から問題があると主張する。しかしながら、消費貸借契約の要物性については緩やかに解釈し、現実に金銭の授受がなくても借主に現実の授受があったのと同一の経済上の利益を得しむれば足りると解すべきところ、前記一の認定事実(原判決理由欄本訴二項)によれば、控訴人岸本誠三及び同深澤博は、養成所入所期間中は毎月一日に一万円の授業料を被控訴会社へ納入すべきところ、被控訴会社からの貸与金をこれに充当したのであり、被控訴会社としては、毎月一日に同人らに現実に一万円の貸与金を交付し、同人らから被控訴会社に一万円の授業料を納入させる手続きを省略したに過ぎず、同人らに現実の金銭の授受があったのと同一の経済的利益を得させたのであるから、消費貸借契約の要物性も満たされているものというべきである。

四  控訴人らは、被控訴会社の本訴提起が権利の濫用であると主張する。けれども、前記一・二の認定事実及び弁論の全趣旨を総合すれば、被控訴会社は、控訴人らを困惑させたり不当な不利益を蒙らせる目的で本訴を提起したのではなく、返済期限を経過した貸与金の返済を求めて本訴を提起したのであり、被控訴人の本訴提起が権利の濫用に当たると認めるに足りる証拠はない。

五  してみれば、被控訴会社の控訴人らに対する本訴請求は理由があり、控訴人岸本誠三及び同深澤博の被控訴会社に対する反訴請求は理由がなく、本訴請求を認容し反訴請求を棄却した原判決は相当であるので、控訴人らの本件各控訴をいずれも棄却することとし、民事訴訟法第三八四条第一項・第九五条・第八九条・第九三条第一項本文を各適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松岡登 裁判官 人見泰碩 裁判官 紙浦健二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例