大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所 昭和52年(わ)14号 判決 1980年1月11日

主文

被告人を懲役四月に処する。

この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(本件の背景的事実)

被告人は、社会福祉関係の大学に在学中の昭和五一年一〇月ころから、いわゆる島田事件(昭和二九年に静岡県島田市付近で起きた、六才の女児が強姦され、殺害された事件)で死刑判決が確定している、赤堀政夫の再審請求を支援する組織に参加し、同月一六日ころと翌一一月二一日ころの二回にわたり、静岡地方裁判所で審理中の右再審請求事件の弁護団の支援や、同裁判所に対する右支援団体からの要望書提出等のため、同裁判所前ないしその構内に参集、集会等した、右再審請求支援団体(以下単に支援団体という)の一員として行動していたものであるが、

昭和五二年一月一一日、右再審請求事件担当の同裁判所刑事部の合議体が、非公開で弁護人の最終的意見陳述を聴く予定であつたところ、当日同裁判所の庁舎管理権者側では、前二回のほか、一一月三〇日にもあつた支援集団の参集、集会状況等から、右集団がみだりに庁舎構内に立入らないよう、庁舎警備を実施することにし、静岡中央署から制服警察官約三〇名余の派遣を受け、右警察官らは同裁判所正面玄関東側付近に並んで待機し、裁判所の警備職員一〇名余も閉じられた正門、西側通用門の各鉄柵付近に配置されていた。

ところが被告人を含む前記支援集団の者約八〇名は、同日午前九時五〇分ころから、静岡市追手町一〇番八〇号の同裁判所正門前に集合し、シュプレヒコールや座り込みを行なつた後、その代表団の者五、六名が裁判所の警備職員に対し、審理の公開、弁護人請求の全証拠の採用等を担当裁判長に要望した要望書や、多数署名者の署名簿等を、右裁判長に提出、交付したい旨を交渉し、午前一〇時過ぎころ、一旦右代表団の者は構内に入ることを許され、担当部の書記官の所に赴こうとしたが、間もなく裁判所側から右代表団の立入りも認めない旨通告があつて、既に構内に入つていた右代表団と、警備職員らと押し問答となり、代表団の者らは警備職員らによつて構外へ押し戻されようとした。

これを見た正門前の支援集団は、前面の者多数が閉じられた鉄柵を押し倒そうとしたり、一部の者は鉄柵を乗りこえて構内に入る気配を見せたので、午前一〇時一〇分ころ、裁判所側から警察当局に増援警察官の派遣が要請されたが、同一〇時一二分ころから右支援集団は全員が鉄柵をこえて構内に入り、前記代表団と合流して正門内側の広場で座りこんだうえ、ハンドマイクで演説する者もあつて、構内で無許可の集会が開かれた状態となつてしまつた。

そこで裁判所の警備職員らや中央署の警察官らは、右支援集団を取りかこんで直ちに構内から退去するよう、マイクで放送したり、所長名の退去命令の掲示板数枚をかかげたりし、集団の指導者と目される者の何人かが逮捕され、または逮捕されかけたりしたが、右支援集団は退去する気配がないまま時間が経過し、午前一〇時四〇分ころ、先の増援要請を受けて県警本部の機動隊員約七〇名が裁判所構内に到着した。

そして、右支援集団の状況を見た夏目茂次機動隊長は、中央署から来た責任者稲葉警部と相談のうえ、裁判所側の意向を受けて、前記支援集団を機動隊員によつて実力で裁判所構内から排除し、裁判所前の道路の交通等も考慮し、右集団を正門から近い駿府公園西門橋から、同公園内に誘導規制して入れてしまおうと考え、午前一〇時四三分ころ、機動隊員らにその旨命令を下し、直ちに機動隊員らは排除を開始し、支援集団の中には車椅子に乗つた身障者三人もいて、ある程度排除に対する抵抗もあつたが、しばらく後に右排除及び駿府公園内への誘導規制は終了した。しかし、午前一一時を過ぎてから、右支援集団は再び裁判所前に集合し、正門前でシュプレヒコールをしたり、前の道路でジグザグデモ行進をしたり、一部の者が鉄柵をこえて構内に入りこむなどの行動に出たので、午後〇時一三分ころ、前記夏目機動隊長は再び支援集団を排除、規制する必要があると判断し、その実施を機動隊員らに命令し、前同様に駿府公園内までの排除と誘導規制が行なわれ、しばらく後に終了した。

その後、支援集団は、駿府公園内で警察官の実力行使に対する抗議(前記二回の実力行使の際のもみあいで、数人の被逮捕者が出たり、身障者の車椅子が変形してしまつた物も出た。)の集会を行なつたりしていたが、午後三時五〇分過ぎころ、右集団は三たび裁判所前に押しかけ、正門前で抗議のシュプレヒコールをしたり、一部の者が鉄柵をこえて構内に入りこむなど、前回と同様の行動をくり返し、全員が構内に入ろうとする気配が見えたので、午後四時一一分ころ、前記夏目機動隊長は今回も排除、規制の必要があると判断し、その実施を機動隊員に命令し、機動隊員らは直ちに西門から道路に出て、同所付近に集合していた支援集団を二手に分断し、二つのグループを各手分けして駿府公園西門橋の方に誘導規制しようとした。

本件は右第三回目の機動隊員による、支援集団に対する規制の実施中に発生したものである。

(罪となるべき事実)

被告人は、同日午後四時一三分ころ、前記静岡地方裁判所正門前付近道路において、前記のとおり支援集団に対する第三回目の誘導規制の任務に従事していた、静岡県警察本部警備部機動隊員のうち、第一小隊所属巡査和久田守男(当時二六年)に対し、右手拳で左顔面を一回殴打して暴行を加え、もつて同巡査の右職務の執行を妨害し、その際右暴行により、同巡査に全治約一週間を要する左頬部打撲傷の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、和久田巡査の判示職務行為は適法な公務執行行為でない旨主張する。そしてその理由として、被告人を含む支援集団の本件当日の行動に対する裁判所及び警備当局の措置は、個々的に観察すれば一見いかにも妥当、適法なようであるが、(一)、被告人ら支援集団の行動目的は、従前と同様に地裁当局に要望書等を提出するという、適法かつ平穏な請願行動であつたのに地裁側は態度を一変して立入りを認めようとせず、同日の警備の程度は従前と比較して異常なまでに厳重であり、しかも(二)、意図的に支援集団を挑発し、これに反発する支援集団の行動を口実として、検挙等の弾圧を加えることに警備の目的があつたのであるから、全体的に観察すれば違法であると主張するので、この点について判断する。

二1  警備の程度等について

弁護人が主張するとおり支援集団が同日午前九時五〇分ころ正門前に第一回目の示威行動をした際、すでに制服警官が裁判所構内に待機していたことは、従前の警備と比べると多少厳重であるともみられるが、これは、以前からの判示再審請求事件の審理が行なわれる度ごとに、支援集団の示威行動がなされ、集団が構内に入つて集会したこともあること、同日は右再審開始に関する意見を述べる最終の期日として指定されていたこと、及び当日の支援集団の人数と制服警官の人数の比較などの諸事情を総合して判断すれば、何ら「異常なまでに厳重」であつたと言うことはできない。また、地裁の庁舎管理権者が、支援集団ないし代表団の構内立入りを禁止したことも、この種の大衆行動により、再審請求に対する裁判の公正、独立が侵害されるおそれがあると配慮したことによると推察されるから、これをもつて不当な措置というには当らない。

次に機動隊の出動自体については、背景的事実で認定したように、その出動要請は支援集団が裁判所正門の鉄柵を押してゆすり、同鉄柵を乗り越え、構内に侵入を開始しようとした同日午前一〇時一〇分になされていること、機動隊の出動人数は、支援集団の人数と比較しても多いとは言えないことから、右支援集団の規制としてやむを得ないものと認められ、右の程度の機動隊の出動は、何ら「異常なまでに厳重」な警備であつたということはできない。

2  警備の目的について

(一) 制服警官及び機動隊の出動には、前記のとおり合理的な理由が認められ、出動自体をとらえて支援集団に対する挑発とみることは相当でない。

(二) 当日、私服警官が弁護側証人となつた池田一に対して、「池田、今日はやるぞ」と述べたことは、同人の証言によつて認められるものの、それは、前記背景的事実で判示した情況下で裁判所の要請によつて警備体制が組まれたことから、緊迫した事態が生じることが十分に予想され、支援集団の出方によつては、検挙もありうることを口頭で伝えたものということはできるが、これをもつて当日の警備が当初から検挙目的のもとになされていたとみるには、機動隊に対する出動要請の経緯からみても不自然であるし、仮に私服警察官の一人が右目的を持つていたとしても、当日の警備、支援集団の規制は、いずれも支援集団の裁判所構内の侵入状況等に応じてなされたやむを得ないものであつて、その指揮系統からも、当初から検挙を目的としたとは認められない。

(三) 右池田証人が再審請求の弁護人鈴木信雄弁護士の随員として、裁判所構内への入構許可を受けていたのに、私服警官に一時逮捕されようとした事実は、同人の証言により認められるところであるが、右許可の事実を当日警備に当つた裁判所職員、及び警察官の全員が知つていたとは思われず、一回目の排除活動の混乱の際に、警察官が池田証人を建造物侵入の指導者と目して、一時その身体を拘束したとしても、不法な挑発行為とみることはできない。

(四) 次に、代表団の一人であつた弁護側証人宍戸直人も、当日逮捕されているが、同証人は、一旦裁判所への入構を許可されたとしてもその後拒否されているのであり、しかも裁判所職員の制止を無視して侵入した支援集団とともに、構内で抗議集会を始め、自から呼びかけを行ない、再々にわたる退去命令をも無視していたのであるから、これを警察官が不退去罪の現行犯と認めて逮捕したのは適法であつて、この逮捕行為が支援集団に対して不満、いきどおりを与え、同集団を規制するにあたり、好ましくなかつたとはいえ、不法な挑発行為とみることはできない。

(五) 前記関係証拠によれば、機動隊が車椅子に乗つた身体障害者を排除した際、車椅子一台が変形してしまつたことは認められるが、身体障害者及びその補助者らが排除に対して抵抗した事実も認められ、構内から排除、規制する時の双方のもみ合いの際に変形したものと認められる。してみると、右車椅子が変形したことも、機動隊員の実力行使と、これに抵抗する側との、双方の力が競合して発生したもので、やむを得ないものと認めるのが相当であるから、右のことをもつて、機動隊の挑発行為とは認めることはできない。

右のとおりであるから、弁護人の主張はいずれも理由がなく、三回にわたる制服警官、または機動隊員等による検挙ないし排除、誘導規制等の実力行使は、背景的事実に判示した経過、状況にかんがみ、いずれもやむを得ないものであつたというべきである。

よつて、裁判所及び警備当局の措置は、個々的にはもちろん全体的に観察しても適法なものであつて、被告人の判示所為は公務執行妨害罪を構成するものである。

(なお、弁護人は、被告人は規制にあたつていた和久田巡査に対し、デモの中に引き込もうと腕を引つ張つたのみで、右手拳で顔面を殴つたことはない旨を主張しているが、右和久田の証人としての供述、及び和久田の被害状況を目撃したという、証人加来一則の供述は、いずれもその当時の位置関係等からして誤認の可能性は少なく、信用性を認めるに足り、これらの証拠によれば判示認定の事実が認められるのであつて、右主張は失当である。)

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、公務執行妨害の点は刑法九五条一項に、傷害の点は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するが、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として、重い傷害罪について定めた懲役刑で処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から二年間右の刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

被告人の判示犯行は、支援集団を規制排除中の機動隊員の一人が、たまたま他の機動隊員から孤立して、支援集団に取り囲まれた際に生じたもので、突発的犯行とはいえ、多衆の威力を頼んだ卑劣な犯行であると言わなければならない。しかしながら、本件犯行のなされた経緯をみると、被告人は、当時福祉関係の大学に学ぶ学生であり、身体障害者問題に深い関心を持ち、「島田事件」を障害者に対する社会的差別と抑圧、予断と偏見の象徴的事件として把え、障害者解放運動の一環として、犯行当日、島田事件の再審請求を支援するため集団行動に参加したものであつて、裁判所が右支援集団の要望書等を受取らなかつたこと、支援集団から被逮捕者が出たこと、車椅子が破壊されたこと等を聞くに及び、憤りを深め、たまたま一人で孤立してしまつた機動隊員に対し、やり場のない怒りをぶつけたものとも思われ、被告人に犯罪傾向があるとは到底いえないのであり、むしろ被告人の本件支援集団に参加した社会的正義感は酌量すべきものがある。また、裁判所及び警備当局の措置は前述のとおり適法ではあるが、当日の一回目の集団行動に際して、一旦は代表者の入構を許しておきながら、それを撤回したことは、その許可が裁判所の責任者によつてなされたかどうかを別にしても、裁判所側の不手際は否定することができず、これが支援集団が構内に侵入するに大きな一因を与えており、右構内侵入が機動隊の規制をせざるを得なくしたことから、その後の支援集団の行動に大きく影響を与えたと認められ、支援集団の集団行動のみを非難することはできない事情にある。加えて、傷害の程度は打撲傷で軽く、被告人はその後大学を卒業して就職し、病院のケース・ワーカーとして平穏に市民生活を送つており、同種事犯を繰り返していないことなどの事情を考慮すると、実刑を科する必要はなく、執行猶予とするのが相当である。

よつて、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例