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静岡地方裁判所 昭和53年(ワ)394号 判決 1981年7月17日

原告

遠藤さわゑ

影山万貴子

中村久子

右三名訴訟代理人

大橋昭夫

被告

株式会社静岡新聞社

右代表者

大石益光

右訴訟代理人

河野富一

河野光男

主文

一  被告は原告遠藤さわえに対し、金三〇万円及びこれに対する昭和五三年八月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告遠藤さわえのその余の請求並びにその余の原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用中、原告遠藤さわえと被告との間に生じたものはこれを二分し、その一ずつを同原告と被告の負担とし、その余の原告らと被告との間に生じたものはそれぞれ各原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1項の事実中、被告が静岡市において日刊紙静岡新聞を発行している新聞社であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告遠藤さわえが亡佐野光代の実母であり、原告影山万貴子、同中村久子がいずれも亡光代の実姉であることが認められる。

二請求原因2項(一)、(二)の各事実<編注―本件殺人事件の発生と新聞報道>はいずれも当事者間に争いがない。

三1  まず、本件記事が亡光代の名誉を毀損したか否かを検討する。本件記事の見出しに使用された「三角関係」という字句は本来三人の男女間の複雑な恋愛関係を意味するものであるが、必ずしもその用法は本来の意味に限定されず、広く三人の男女間の不倫な肉体関係を表現するためにも使用されていることは顕著である。そして、新聞の見出しは、その表現が簡潔であるとともに、一般読者の関心を惹くため字句が効果的に用いられているのであるから、必ずしも、その字句が本来の意味に限定して使用されているわけではないといえるのであつて、特に、世俗的関心の強い記事であれば、世俗的な意味で使用されていることが多いし、一般読者に対してもそのような印象を与えるのが通常であるといえる。

ところで、本件記事の見出しの「三角関係のもつれ」という表現は、記事の本文中の「内縁の妻」や「井出がスーパーの店員をしている光代さんと最近親しくなり」という表現と相まち、更には「井出は(中略)佐野さんの部屋に『一緒になりたい』と話に出かけたが断られたため」という部分とも関連して、亡光代があたかも井出との間に複雑な恋愛関係を有するというばかりか不倫な肉体関係を有していたかのような印象を一般読者に与え、亡光代について不倫な異性関係を有する女性という印象を抱かせるものというべく、亡光代の社会的評価を低下させるものと認めざるを得ない。

2  次に、右事実の真偽について争いがあるので判断するに、<証拠>によれば、亡光代は昭和四七年一一月六日、佐野行男と婚姻しその届出を了し、三枝アパート三号室に入居し、間もなく、富士市吉原所在のスーパー・マーケットにレジスター係として勤務し、男女関係で特に噂にのぼることもなく真面目に平穏な生活を送つていたが、精神分裂病により精神病院に入院していた井出が昭和五一年六月一三日寛解退院した後、翌五二年七月一七日三枝アパート二号室に入居したところから、以来、隣人として同人と日常の挨拶をかわす程度で、特に交際もなくすごしてきたものであつて、本件事件において井出が亡光代に結婚を申し込んだという外形的事実はあつたものの、それは精神分裂病の再発により井出が妄想を抱き、一方的に亡光代に好意を寄せ、異常な行動に及んだものと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがつて、亡光代が井出と恋愛関係、更には肉体関係があるかのような「三角関係のもつれ」という本件記事の見出し、及び亡光代を「内縁の妻」とする記事、井出が亡光代と「最近親しくなり」とする記事はいずれも真実に反し虚偽というべきである。

3  虚偽の事実を内容とする本件記事により亡光代の名誉が毀損されたことは以上のとおりであるが、更に、原告らの名誉も毀損されたか否かにつき判断する。<証拠>を総合すれば、原告らは、本件記事掲載以後、本件記事を真実と受け取つた被告新聞の一般読者が多数居住し、原告らも在住する富士宮市及びその周辺の地域社会において、亡光代の母あるいは姉として、世俗的関心の的となつたことにより世間をはばかり、肩身の狭い毎日を送つていた事実が認められる。

とろで、社会生活上ある者の名誉の低下が一定の近親者等の名誉にも影響を及ぼすことのある実情を考慮すると、新聞記事によつて死者の名誉が毀損された場合には、一般に、社会的評価の低下はひとり死者のみにとどまらず、配偶者や親子等死者と近親関係を有する者に及ぶことがあることは肯認しうるところであるといわねばならない。世俗的関心の高い新聞記事であれば殊更であつて前認定の事実関係もその例に洩れるものではなく、特に原告遠藤さわえについては、亡光代の母として、本件記事によりその地域社会において同原告自身の社会的評価を低下せしめられ、名誉を毀損されたものとすることができる。このような結論は子の名誉を親の名誉と同視することによるものではなく、前記の社会の実情によるものであるから、決して個人の権利、利益の尊重と相容れない思考によるものではなく、被告がこの点を封建的家族制度の残滓であると強調するのは失当であるといわねばならない。

以上のように、新聞記事の掲載が虚偽の事実をもつて死者の名誉を毀損し、これによつて近親者の名誉をも毀損するに至る場合には、右記事掲載は近親者に対する不法行為を構成するものというべきである。

したがつて、原告遠藤さわえは亡光代の名誉回復が得られない以上、被告に対し名誉毀損による不法行為責任を求めることができるものといえる。

しかし、原告影山万貴子、同中村久子については、いまだ同原告らに対する社会的評価が特記するほどには低下したと認めることができない。

また、社会的評価の低下をもたらさない場合でも、死者の名誉を毀損することにより、遺族の死者に対する愛情を侵害し、その精神的苦痛が社会的に妥当な受忍限度を超える場合には、不法行為を構成する余地があるというべきところ、原告影山万貴子、同中村久子各本人尋問の結果によれば、本件記事により亡光代の名誉が毀損せしめられたため同人の実姉である同原告らの亡光代に対する愛情が侵害され、これによつて精神的苦痛を味わつたことが認められるけれども、亡光代及び原告影山万貴子、同中村久子の母である原告遠藤さわえに対し名誉毀損による損害賠償請求権を肯認しこれにより亡光代の名誉回復も図られる結果となることを考慮すれば、右精神的若痛の程度は社会的に妥当な受忍限度を超えるものとは認められず、したがつて、右愛情の侵害が原告影山万貴子、同中村久子に対する不法行為を構成すると認めることはできない。

四本件記事のうち、名誉毀損にわたる部分が虚偽であることは前認定のとおりである。

そこで、本件記事掲載についての過失の有無について検討する。

1  <証拠>によれば、本件事件を知つた被告の取材担当記者岡敬章は事件の夜と翌二七日の朝、取材のため富士警察署に赴き、担当官から事件の概要と犯行の動機に触れた井出の自供として、亡光代に結婚を申し込んだが断られたためと説明を受けたことと、二七日三枝アパートの所有者三枝正男から、井出が本件事件の一週間位前、三枝に「女ができて、生理が止まり妊娠したらしい。結婚するんだ。」といつて大喜びをしていたことを取材したことから、井出と亡光代とは肉体関係まであると即断し、被告の編集担当者も漫然と北岡記者の取材内容と判断をそのまま採用し、その結果本件記事が掲載されたことが認められ<る。>

ところで、新聞報道が社会に与える影響は絶大で、ひとたび事実が報道されるとその事実は真実として一般読者に受け取られ流布されるから、いやしくも人の社会的評価に影響を及ぼすおそれのある事項については、それが犯罪事実の報道でもつぱら公益を図る目的に出たものであつても、正確性を最大限尊重し、慎重な報道を心がけるべきであり、迅速性を追求する余り誤つた報道によつて人の名誉を毀損することのないよう注意すべきであることはいうまでもない。特に、殺傷事件の被害者の名誉を毀損するおそれがある事項については、右正確性の要請は一段と強いというべく、しかも、被害者が死亡している場合にはその近親者に与える重大な影響にも配慮を要するのは当然である。<証拠>からすると犯行の動機に触れた井出の自供の説明はきわめて簡略なものであつたことが認められるし、三枝正男にしても北岡記者に対し井出の異常な言動として前記のような事実を話したものであることが認められるのであるから、重大複雑な殺傷事件の動機に関することであり、ましてや、被害者の名誉に重大な影響を及ぼすことであることも当然に心得ていなければならないのであるから、北岡記者が井出と亡光代の日常生活さえも確かめることなく前記のとおりの取材だけからただちに井出と亡光代との間に肉体関係があると即断したことは、仮令、井出が同一機会に亡光代の夫行男にも重傷を負わせた本件犯行の態様を考慮にいれたとしても、独断的で軽卒であるとのそしりを免れない。

そして、<証拠>によれば、朝日、読売、サンケイ、中日の各新聞は、本件事件について同じ警察発表に取材しながら、見出しにおいて井出と亡光代との関係を「横恋慕」あるいは「かなわぬ恋」と表現していることが認められ、右各見出しは本件犯行の態様に照らし、被害者の名誉を配慮しながら犯行の動機を確実な限度で適切に表現したものということができる。

2  以上の事実を考慮すると、被告の北岡記者及び本件記事を編集した担当者において、警察発表と三枝からの前記情報を結びつけ、亡光代と井出との間に肉体関係ありと判断したことには相当な理由があるとは認められないから、被告の本件記事掲載には過失がなかつたとはいえない。

五したがつて、被告は本件記事の掲載によつて原告遠藤さわえの名誉を毀損した不法行為に基づき、その損害を賠償する責を負うべきである。

同原告はその名誉を回復するための措置として、別紙のとおり謝罪広告の掲載を求めているけれども、<証拠>によれば、昭和五二年一一月二二日、本件事件がSBSテレビのアフタヌーンショーで取り上げられ、井出が精神分裂病者であり、本件犯行が井出の精神分裂病の妄想によるものである事情が明らかにされるとともに、亡光代と井出との関係について被告新聞と異なり正確に報道されたことが認められ、これにより亡光代及び原告遠藤さわえの社会的評価がある程度回復されたと考えられるし、事件から三年以上経過している現時点で謝罪広告の形で再び社会の関心を呼びさますことは名誉回復の措置として適当とは考え難いから、慰藉料の支払のほかに謝罪広告の掲載を認めるのは相当でない。

そこで、同原告の精神的損害を賠償するための慰藉料額についてみるに、以上認定の名誉毀損の程度、態様、取材における過失の程度等の諸事情を考慮すれば、その慰藉料額は金三〇万円と定めるのが相当である。したがつて、被告は同原告に対し、金三〇万円とこれに対する本件不法行為の後であることが明らかな昭和五三年八月二九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

六以上の次第で、原告らの本訴請求中、原告遠藤さわえが被告に対し名誉毀損による慰藉料として金三〇万円とこれに対する昭和五三年八月二九日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余の請求はいずれも失当であるから棄却することとし、仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(高瀬秀雄 松丸伸一郎 荒井勉)

謝罪広告<省略>

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