静岡地方裁判所 昭和62年(わ)108号 判決 1987年7月20日
本籍
長野県木曽郡開田村大字西野一六一〇番地
住居
静岡県富士宮市大字佐折六三四番地の五白糸長者岳
祈とう師
中村愛子
大正一二年四月八日生
右の者に対する所得税法違反被告事件につき、当裁判所は、検察官鈴木真一及び弁護人小川秀世各出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役六月及び罰金二〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金二万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判の確定した日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和三六年ころから肩書住居地において、祈とう師として事業を営み、信者から寄進を受けるなどして多額の収入を得ているものであるが
第一 昭和五八年度における被告人の右事業による所得金額は三六九五万五三五三円であって、これに対する所得税額が、一六四二万一〇〇〇円であるのに、正当な理由がなく所得税の確定申告期限である昭和五九年三月一五日までに所轄富士税務署長に対し、確定申告書を提出しなかった
第二 昭和五九年度における被告人の右事業による所得金額は三〇七三万〇九四四円であって、これに対する所得税額が一二四九万四八〇〇円であるのに、正当な理由がなく所得税の確定申告期限である昭和六〇年三月一五日までに同税務署長に対し、確定申告書を提出しなかった
第三 自己の所得税を免れようと企て、昭和六〇年度分の実際総所得金額が二一三二万二一七五円で、これに対する所得税額が七〇二万一五〇〇円であったのにかかわらず、昭和六一年二月一七日、静岡県富士市本市場二九七番地の一所在の所轄富士税務署において、同税務署長に対し、同年度分の所得金額が七五万円で、これに対する所得税額は零円である旨の虚偽過少の所得税確定申告書を提出し、もつて右不正の行為により正規の所得税額七〇二万一五〇〇円を免れた
ものである。
(証拠の標目)
一 被告人の当公判廷における供述
一 被告人の検察官に対する供述調書
一 収税官吏の被告人に対する質問てん末書一一通
一 中村正登の検察官に対する供述調書
一 収税官吏の遠藤よし(二通)、寺本寿々子、芹沢登、芹沢米男、芹沢晴子、小宮山英子、菊地寛子及び中村正登(三通)に対する各質問てん末書
一 収税官吏の尾形光子及び荒井洋子に対する聴取書
一 松尾温、芹沢富江、山崎敏夫、笹原真理、草川喜之、菅田治子、川口八重子及び藤原一雄各作成の上申書
一 収税官吏作成の査察官調査書一五通、脱税額計算書三通及び同説明資料
一 野村証券株式会社沼津支店(七通)、株式会社三和銀行茨木支店、株式会社住友銀行茨木支店、株式会社第一勧業銀行茨木支店、商工組合中央金庫沼津支店、株式会社三菱銀行茨木支店、富士宮市農業協同組合白糸支所(二通)及び富士宮信用金庫神田支店(二通)各作成の報告書
一 大蔵事務官作成の証明書五通
一 押収してあるノート一冊(昭和六二年押第四〇号の二)、ルーズリーフ二綴(同押号の三、四)
(弁護人の主張に対する判断)
一 被告人は、信者から受領した金員は神への志納金であり、これには税金がかからないと信じていた旨述べる。弁護人は、故意の点を含めて判示第一ないし第三の各犯罪の成立自体は争わないものの、情状として被告人の右のような認識からして犯行当時違法性の認識がなかったものであると主張する。
以下被告人の違法性の認識の有無について検討する。
二 被告人は昭和二六年ころから「菩薩道」の修行僧として各地を行脚した後、昭和三六年ころから肩書住居地に住むようになった。「行場」と呼ばれる被告人の居住地は山奥の沢に位置し、その住まいは信者らが廃材等で作り上げた約八畳の広さの小屋で、そこには電気・ガス・水道・電話の設備もない。被告人は同所で祈り、瞑想を中心とした独自の宗教活動を行って、現在に至っている。その間被告人の宗教家としての声望が高まり、被告人を訪れ苦脳を打明け精神の安定を得ようとする信者の数が漸増し、昭和五〇年ころからは被告人が信者から受領する金員の額が相当多額となった(概算で、昭和五四年約一五〇〇万円、昭和五五年約一二〇〇万円、昭和五六年約三五〇〇万円、昭和五七年約二一〇〇万円、昭和五八年以降は判示認定のとおり。)。被告人は右金員につき金額、受領の日付、寄進者の氏名等を事細かくノート等に記録している。
被告人は山中で宗教活動に専念する日常で、毎月の生活費はわずか二万円程度であったため、資産は蓄積される一方であり、昭和六一年四月二二日名古屋国税局収税官吏の捜索差押えを受けた時点において、約二億五〇〇〇万円の資産を形成していた。
三 まず判示第三の犯行当時における違法性の意識の有無について検討する。
昭和六〇年一一月富士税務署の係官が税務調査のため被告人方を訪れた。被告人は右係官らに野村証券株式会社沼津支店に貯蓄した巨額の資産については何等申告せず、同年一二月一一日全てこれを解約し現金化して肩書き住居地に届けさせ、現金約二億五〇〇〇万円を祭壇に供えた。そして昭和六一年二月一七日富士税務署長に対し、昭和六〇年度分の所得金額が七五万円である旨の所得税確定申告書を提出した。
被告人は野村証券株式会社沼津支店との取引を全て解約し、現金化して祭壇に供えた理由について、独自の宗教的意味合いを付して説明するため趣旨が不明瞭ではあるが、当公判廷において、右現金の使途につき神の啓示を得ようとしてかかる行為をした旨供述している。しかし、税務署員が税務調査に訪れたことにより、このままでは税務署に資産を持っていかれるかもしれないと認識したことがきっかけとなって、神の啓示を得ようとしたものであること自体は被告人もこれを認めるところである。さらに昭和六一年四月二二日名古屋国税局収税官吏らが被告人方に捜索差押えに赴いた際、被告人は収税官吏らに対し「(神の啓示を待っていたが、)あなた方がお見えになったということは、」「あなた方が神様だと思いますから一部始終」「みんな持っていっていただきたい。」と申し向けて何等課税要件等について争うことなく二億五〇〇〇万円余の現金を収税官吏らに提出している。また被告人は七五万円の過少申告をした理由について、当公判廷において、信者から寄進された金員のうち志納金以外の生活費に充ててよい被告人個人に対する御礼の残金が当時丁度七五万円であり、これのみが課税対象であると考え、申告したものである旨述べる。しかしながら、志納金とそれ以外の金との区分が不明瞭であり、現に昭和六〇年一月二一日伯母の病気見舞のため祭壇の金八万円を使用したりもしていること、昭和六〇年以前においても納税制度の存在自体を認識していたことは被告人の自認するところであり、同年以前にも志納金以外の生活費に充ててよいとする信者からの寄進があったにもかかわらず、全く申告していないこと、しかるに昭和六〇年一一月税務調査が入るや翌年二月には七五万円のみ申告していること、以上の諸点に照らすと、被告人の右説明は措信できず、かえって右の諸点や被告人の当公判廷における「(夫である中村正登)が申告したいと言って私をしきりに責めた。同人としては税務署が来たのでいくらかでも申告しておかないと危ないという気持ちがあったから私をせっついたのだと思う。私自身も同人の気持ちを分ったうえで申告を同人に任せた。」旨の供述に照らすと、虚偽過少の申告であることを認識しながら、あえて過少申告したことは明らかである。
以上の各事実によれば、判示第三の犯行当時、被告人が信者から得る収入が課税の対象となることを認識していたこと、即ち違法性の意識があったことは明らかである。
四 さらにすすんで判示第一(及び判示第二)の犯行当時における違法性の意識の有無について検討する。
被告人は昭和五〇年一一月ころから野村証券株式会社沼津支店に取引口座を開設し、信者から受領する金員の大部分を社債投資信託、国債、割引き債等を購入して運用してきた。右取引は同支店勤務の信者芹沢富江の営業成績に資するようとの好意から始まったものであるが、被告人は昭和五七年同女が退職した後も同支店との取引を継続し同支店の証券貯蓄営業課長自らが被告人との取引を担当し、人事移動の時には新旧両課長が揃って被告人の肩書住居地まで挨拶に赴くという程のいわゆる上客となっていた。昭和六〇年一二月一一日最終的に同支店との取引を全て解約し現金化したところ、総額二億四四六三万九九二六円となっている。
その間、被告人は当初「中村愛子」「中村恵妙」(被告人の法名)「中村正登」(被告人の夫の氏名)名義を、さらに昭和五四年から「伊藤定良」他四名の各名義を使用して、いわゆる特別マル優枠を不正使用している。この点について、被告人は資力がなく被告人へ寄進できず心苦しく思っていた伊藤の心の負担を軽くするために伊藤家の家族の名義を使用した旨説明する。なる程、被告人の述べる如く証券会社の外務員の勧めや伊藤家への被告人の思いやりからかかる結果となったものかもしれないが、マル優制度のしくみを承知していたことは被告人自身自認するところであり、被告人はマル優制度の不正利用に罪の意識を覚え、伊藤名義のものは昭和五七年七月二九日に全て解約し現金化した旨供述している。右の事実によれば、判示第一の犯行時である昭和五九年三月一五日当時において、少なくともマル優制度を不正に利用して利子所得への課税をまぬがれることが違法であることを認識していたことは明らかである。
被告人は野村証券株式会社沼津支店との取引において、より有利な利殖の対象を求めて積極的に銘柄の選別、指示を行った形跡はない。むしろ外務員の勧めるがままの銘柄を購入した節が窺われる。しかしながらいずれの取引においても、被告人からの連絡をうけて同支店の担当者が被告人の肩書住居地まで赴き、同所で被告人と直接面談し商品説明をしたうえ、最終的には全て被告人自身が意思決定していたものである。特に信者の芹沢富江が昭和五七年退職後は、同支店証券貯蓄営業課長が被告人の担当となり、同人が被告人の自宅に赴き再三の取引の都度商品説明を行っている。債券、投資信託等の商品説明において、税金との関係は最重要事項であり、その際に税金が全く話題に上がらないことは考えられない。被告人は当公判廷において「金融の話には疎く、一切野村証券株式会社沼津支店の係りの者に任せた。」旨供述しているが、右の諸点に照らせば、被告人が野村証券株式会社沼津支店との取引において選択した分離課税の意味、即ち総合課税に比較して税率は高いが、利子以外に高額の所得のある者にとっては、かえって有利であり、申告も不要であるから利子以外の所得の捕捉もまぬがれ得ることを大綱においては理解していたことを推認することができる。
また被告人は、高齢であり、テレビや新聞にも接しないで、わずかにラジオをたまに聞く程度で、社会一般との直接的接触を断ち、宗教活動に専念する日常生活を送っていたとはいえ、被告人のもとには種々の世俗の悩みを抱えた多数の信者が訪れていた。これらの多数の信者との対話を通して、被告人は世間的な常識を形成していたものと推認でき、これに加えて長期間にわたる野村証券株式会社沼津支店外務員との接触があったのであるから、社会の経済活動や税金等についてそれ程通常人とかけ離れた認識を持っていたとは考えられない。
先に見たとおり、判示第三の犯行当時被告人に違法性の意識があったことは明らかであり、これに右の諸点即ち、野村証券株式会社沼津支店との昭和五〇年から長期間にわたる取引の状況、被告人がマル優制度を不正利用して利子所得への課税を免れることの違法性を認識していたこと、被告人が分離課税制度の概要を理解していたことなどを総合して考察すれば、判示第一の犯行当時(即ち判示第二の犯行当時においても)被告人が信者から得る多額の収入が課税の対象となることを認識していたこと、即ち被告人に違法性の意識があったことは容易に推認できる。
五 尚、被告人は志納金には税金がかからないと確信していたことの唯一の積極的根拠として、当公判廷において「昭和三四年頃宗教畑を深く研究していた木上に、当時被告人が托鉢で得た金とか志納金に税金がかかるかどうか尋ねると、木上は大阪府の市民課か何だかに二回行って聞いて来てくれ、志納金は税金がかからないと教えてくれた。」旨供述する。
しかしながら、当時被告人は漂泊僧の身であり、托鉢等によって得られる収入の額はさほど多額であるはずもなく、本件各犯行当時と収入の規模が全く異なることを被告人自身熟知しており、先に見たような野村証券株式会社沼津支店と長期間多額の取引を行ってきた被告人が、三〇年近く前に聞いた話を犯行当時に至るまで全く何の疑念も持たずに確信していた旨の供述は措信できない。
六 被告人の生活が極めて質素であること、信者に金品を要求したり、営業的に信者の数を増やして収入を拡大しようとするなどの方途を取ることもなく、かえって昭和五九年四月の高野山への団体参拝を機に多くの信者と絶縁して自分自身の修行に専念しようとし、蓄積された金品も自己の欲望の赴くままに費消するわけではなく、神の啓示に従って管理しようとするなど、被告人には宗教家として真摯な態度が認められること、国税局の強制捜査を受けた際にも何等隠しだてすることなく全ての資料、財産を開示していることなどからすると、当裁判所としても本件犯行について、被告人が金銭欲に駆られた挙句意欲的に脱税したものとまで評価している訳ではない。しかしながら、先に検討したとおりであるから、被告人の志納金には税金がかからないと確信していた旨の弁解は措信できず、被告人が違法性の意識を有していたこと自体は認めないわけにはいかない。従って、弁護人の主張は採用できない。
(法令の適用)
被告人の判示第一及び第二の各所為はいずれも所得税法二四一条に、判示第三の所為は同法二三八条に該当するところ、各所定刑中判示第一及び第二の各罪についてはいずれも懲役刑を選択し、判示第三の罪については懲役刑と罰金刑を併科することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第三の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期及び所定金額の範囲内で被告人を懲役六月及び罰金二〇〇万円に処し、右の罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとするが、本件は確定申告書の不提出又は虚偽過少の確定申告書の提出により実質的に免れた税額が三年間で合計三五九三万七三〇〇円と多額にのぼり、ほ脱率も一〇〇パーセントと最高率であり、極めて悪質な脱税事犯であるが、他方被告人は本件の摘発を受けるや一切の資料を提出して調査に協力し、当公判廷においても「世間を甘く見たことをお詫びします。」と述べ、自らの社会制度を無視した傲慢さを認め反省しており、改悛の情が認められるうえ、すでに修正申告を済まして合計六二四〇万五三〇〇円(昭和五七年分から昭和六〇年分)にのぼる本税、重加算税及び延滞税を納付ずみであり、さらに本件が新聞報道され、宗教家としての名声を失墜するなどすでに一定の社会的・経済的制裁を受けており、また被告人にはこれまで前科前歴がないなど被告人のために酌むべき情状もあるので、同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から二年間右懲役刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。(求刑懲役六月及び罰金二〇〇万円)
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 生島弘康)