静岡地方裁判所 昭和63年(ワ)403号 判決 1990年6月25日
原告
有ケ谷岩男
被告
日産火災海上保険株式会社
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金二三八一万九二七八円及び内金一八五六万九一一〇円に対する昭和六一年一二月二九日から、内金五二五万〇一六八円に対する昭和六三年九月二二日(訴状送達の日の翌日)から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、交通事故の加害者が確定判決により被害者に対し支払を命ぜられた損害等の填補を自動車保険契約に基づき保険会社に求めた事案である。
一 争いのない事実
1 交通事故の発生
原告は、昭和五九年一一月六日午前四時ころ、静岡県清水市永楽町一五番一二号株式会社日洗駐車場東側道路上において、原告所有の軽四輪貨物自動車(本件車両)を発進させようとしたところ、畠山俊雄が其の前面に立ち塞がつた。原告は低速度で本件車両を前進させたところ、畠山は、手を本件車両のフロントガラスにつけたまま後退し、七、八メートル後退した地点で転倒し、加療約一年八か月を要する硬膜外血腫、脳挫傷等の傷害を負った。
2 原告の損害賠償責任及び既に支払い、若しくは支払義務を負っている金額
(一) 原告は、本件事故による畠山の損害につき自動車損害賠償保障法三条による責任を負うものであり、本件事故の発生につき畠山にも三割の過失がある。
(二) 静岡県地方裁判所は、昭和六三年二月二三日、原告に対し、本件事故による損害賠償金として、畠山に金一八五六万九一一〇円及びこれに対する昭和六一年一二月二九日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を支払うよう命ずる判決を言い渡し(同裁判所昭和六一年(ワ)第五七五号損害賠償請求事件)、右判決は同年三月一〇日確定した。
(三) 原告は、畠山に対し、損害賠償金の内金しとて金二六〇万五八〇九円を支払つた。右金額は右判決において総損害額から控除されている。
(四) 右判決において認定された損害のほかに、畠山は、清水社会保険事務所から治療費金三七七万七六五七円の保険給付を受けており、原告は、その七割に相当する金二六四万四三五九円につき同事務所からの求償に応ずべき義務を負つている。
3 原・被告間の保険契約
原告は、被告との間で、昭和五九年一〇月六日、被保険車両を本件車両、被保険者を原告、対人賠償額の限度額を金七〇〇〇万円、保険期間を右同日から昭和六〇年一〇月六日までとし、被告において被保険車両の所有、使用又は管理に起因して他人の生命又は身体を害することにより被保険者が法律上の損害賠償責任を負担することによつて被る損害を填補することを保険の内容とする自家用自動車保険契約を締結した。
4 免責条項
本件自動車保険契約に適用される自家用自動車保険普通保険約款第一章第七条には、保険会社は、保険契約者・被保険者の故意によつて生じた損害については填補しない旨の条項(本件免責条項)がある。
二 争点
1 本件事故は、原告の故意ないし未必の故意によるものか、過失によるものかが第一の争点である。
2 本件事故が原告の未必の故意によるものと認められる場合、本件免責条項にいう「故意」に未必の故意が含まれるか否かが第二の争点である。
3 更に、争点2が肯定されることを理由として、あるいは本件事故が未必の故意によるか否かを問題にするのではなく、より端的に、保険契約者・被保険者である原告の本件事故の際の行為態様が保険者である被告において保険給付を拒絶すべき合理的かつ正当な事由がある場合に該当することを理由として、本件免責条項により被告の免責を認めるべきか否かが第三の争点である。
第三争点に対する判断
一 争点1について
1 証拠(甲第九号証の三、五ないし九、一一、一三、一六ないし二一、二三、第一〇号証の二ないし一三、第一号証の一ないし三、第一二号証の一、二、第一三号証)によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告(当時三一歳)は、昭和五九年一一月五日午後八時三〇分過ぎころかねてから肉体関係のあつた畠山(当時四二歳)の妻よね子が勤める静岡県清水市内のサウンドパブに飲みに行き、翌六日午前一時三〇分ころ本件車両の助手席に帰宅する同女を同乗させ、畠山宅近くの前記株式会社日洗駐車場に至り、同所に本件車両を止めて二人とも寝込んでいたところ、同日午前四時ころこれを発見した畠山に運転席扉の窓越しにいきなり右目付近を手拳で一回殴打され、更に同人に謝罪しようとして車外に出た際に左頬を右手拳で一回殴打され、口論の後、同人と話し合うのを断念して運転席に戻つたが、同人が本件車両の荷台に積んであつたよね子の自転車を持ち上げて同女の座つている助手席扉付近を何回も叩くので、その場から逃げることに決め、本件車両を一旦後退させて前進しようといたものの、畠山が前方五、六メートルの所に立って進路を遮っているのを認め、やむなくそのまま大曲りに二〇メートル以上後退して前記駐車場からその東側のアスフアルト舗装道路上に出た。
(二) 原告は、右道路上に出て本件車両を発進させようとしたところ、進路前方に来ていた畠山が両手を本件車両のフロントガラスに当て、身体を車体前部に接触させるなどして立ち塞がつているのに気付き、そのまま本件車両を発進・走行させれば車体を同人に衝突させて傷害を負わせる可能性が高いことを認識しながら、それもやむえないものと考え、その場を逃れたい気持ちから敢えて本件車両を発進・走行させて車体前部を同人に押し当てるなどの暴力を加え、七、八メートル前進した地点で同人を路上に転倒させ、同人に前記傷害を負わせた。
2 右事実によれば、本件事故発生については、原告に確定的故意こそなかつたが、傷害の未必の故意があり、本件事故は、未必の故意により発生したものであつて、単なる過失によるものではないというべきである。
二 争点2について
未必の故意による行為とは、違法な結果の発生を意図又は希望こそしないが、これをやむをえないものとして認容してする行為であり、確定的故意による行為と比べればその違法性が低いものとされることは当然であるが、単なる過失(認識のない過失)はもちろん、結果発生の可能性を認識したものの、自己の技量等からすれば結果は発生しないものと考えて行動する認識ある過失とはその違法性評価に決定的な差があるものである。ところで、本件免責条項が普通保険約款に定められている実質的根拠ないし趣旨は、保険契約者・被保険者の「故意」行為により事故が発生した場合に被保険者が保険給付を受けうるとするのは信義則に反し、右行為の違法性に照らして社会通念上相当でなく、事故発生の偶然性を前提とする任意加入の自動車保険制度と相容れないものであり、このような場合には保険契約者・被保険者の事故の際の行為態様に照らし保険者において保険給付を拒絶すべき合理的かつ正当な事由があると考えられるところにあるものと解される。このような本件免責条項の実質的根拠ないし趣旨からすれば、右条項の客観的な意味内容として、そこにいう「故意」には未必の故意が含まれるものと解すべきである。このことは、本件自動車保険契約による自動車対人賠償責任保険が被保険者の法的責任、すなわち不法行為責任の負担を保険事故とする損害保険であり、何が保険事故に該当するか、したがつてまた本件免責条項にいう「故意」の客観的な意味内容がいかなるものであるかは、特段の理由のない限り不法行為法理によつて定まるべきものと解かされるところ、不法行為法理においては未必の故意は故意に含まれると解釈されていることからも裏付けられるものということができる。そして、普通保険契約約款の性格に鑑み、本件自動車保険契約の当事者である原・被告間には、右条項の客観的な意味内容のとおりの、すなわち、そこにいう「故意」には未必の故意が含まれるとの合意が成立しているものと認めるべきである。
今日における任意加入の自動車保険制度が自賠責保険と相まって被害者救済の社会的機能を果たし、その契約内容も被害者保護を図る自賠責保険のそれに近付いていることは事実であるにしても、このことは右判断を左右するに足りないものというほかない。
三 争点3について
一に認定した事実関係によれば、本件事故は、本件免責条項に該当する原告の未必の故意による行為によつて発生したものと認められるから、被告は右条項により免責され、前記第二、一、2の損害につきこれを填補する責任を負わないものと判断される。
本件事故が未必の故意によるか否かを問題にするのではなく、より端的に、被告の免責の有無を判断すべきであるとしても、一に認定した事実関係及び二に述べた本件免責条項の実質的根拠ないし趣旨に照らし、原告の本件事故の際の行為態様が被告において保険給付を拒絶すべき合理的かつ正当な事由がある場合に該当することは明らかであるから、本件免責条項により被告が免責されるとの判断は異ならない。
(裁判官 河本誠之)