大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所富士支部 昭和61年(ワ)50号 判決 1988年10月04日

原告

木村久

原告

木村敦子

右両名訴訟代理人弁護士

鈴木徹

竹川東

被告

学校法人東海大学

右代表者理事

松前重義

右訴訟代理人弁護士

平山正剛

卜部忠史

勝山國太郎

大石朝男

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告木村久に対し三二二四万円、同木村敦子に対し三一四四万円及びこれらに対する昭和六一年四月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

原告らは亡木村匡隆(以下「匡隆」という。)の父及び母であり、被告は同人が就学していた東海大学工業高等学校(以下「東海大工業」という。)を設置している学校法人である。

2  本件事故の発生

匡隆は、昭和六〇年一一月三〇日、東海大工業全校生徒によるマラソン大会に参加中、スタート直後である同日午前一〇時頃、スタート地点から約一〇〇メートル進行した防潮堤海側に倒れ、同日午後零時四〇分、静岡県清水市内の総合病院清水厚生病院において心不全により死亡した。

3  被告の責任原因

(一) 匡隆は、被告が設置する東海大工業に就学していたのであるから、被告との間で学校教育を目的とする在学契約が締結されていた。そして右契約に基づき、被告は、教育基本法、学校教育法、私立学校法に規定される趣旨に基づき匡隆を教育する義務を負うとともに附随的義務として匡隆の学校教育において同人の生命、身体等に危険が生じないよう万全の物的・人的設備及び環境を整備し、同人の安全を保護すべきいわゆる安全保護義務がある。

(二) (1)匡隆の参加した全校マラソンは、東海大工業の全生徒が原則として参加する学校あげての行事であって学校教育の一環としてなされたものである。従って、同校の校長及び教職員は、被告の履行補助者としてそれに参加する生徒の生命・身体等に危険が生じないように万全の態勢を整備する義務がある。

(2)然るに、右校長及び教職員は、(1)事前の健康診断及び直前の身体状況についての問診を充分にした形跡はなく、(2)また、マラソン大会においては貧血等何らかの原因による転倒が充分予測されるにもかかわらず医師、看護婦を待機させておらず、(3)加えて参加した生徒の安全を確保するために絶対必要とされる生徒が安全に走行しているかを看視するための人員を人数はもちろんのこと適正な場所に確保及び配置していなかったなど、右安全保護義務に反する具体的な義務違反があった。

(3) 匡隆は、スタート地点から約一〇〇メートルの防潮堤海側に倒れたのであるが、そのまま約一時間二〇分もの長い間発見されずその場所に放置されたままの状態におかれた。校長及び教職員が前記の様な安全に対する具体的義務を履行していれば匡隆に死亡という重大な結果が生じなかったであろうことは容易に肯定できるところである。

(三) 従って、被告には安全保護義務に違反したことに基づく債務不履行責任がある。

4  損害

(一) 逸失利益

匡隆は死亡当時一八歳の男子であり、昭和五九年度賃金センサス、学歴計、年令計、男子平均給与額にベースアップ分として五パーセント加算しライプニッツ係数を用いて収入を計算すると三八八八万円(千円以下切り捨て。)となる。

計算式

(265,100×12+895,000)×1.05=4,280,640

4,280,640×0.5(生活費控除)×18.1687(ライプニッツ係数)=38,886,831円

(二) 慰藉料

(1) 匡隆は、前記の如く長時間放置され死亡するという惨めな結果に至ったのであり、その精神的な苦痛は甚大であり、一四〇〇万円を相当とする。

(2) また、原告らの唯一の子供である匡隆を右の様な事情で失った悲しみは筆舌に尽し難いものがある。原告ら独自の慰藉料としては各人につき三〇〇万円を相当とする。

(三) 葬祭費

匡隆の葬祭費としては八〇万円が相当である。これは原告木村久が負担したので同人の損害となる。

(四) 弁護士費用

本件についての弁護士費用は、事実の性質上原告各人につき二〇〇万円を相当とする。

5  相続

原告らは、匡隆の相続人として同人の損害を法定相続分に応じ相続した。

6  結び

よって、原告らは被告に対し、損害賠償として請求の趣旨記載のとおりの金員の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2のうち、匡隆が昭和六〇年一一月三〇日、東海大工業全校生徒によるマラソン大会に参加中、スタート直後である同日午前一〇時頃、スタート地点から約一五〇メートル進行した防潮堤海側に倒れたこと(スタート地点から約一〇〇メートルの地点ではない)、匡隆が同日心不全により死亡したことはいずれも認めるが、死亡の時刻、場所は争う。

匡隆は、前記倒れた場所で急性心不全により死亡したものである。

3(一)  同3(一)のうち、匡隆が被告の設置する東海大工業に就学していたことは認める。

(二)  同(二)(1)のうち、匡隆の参加した全校マラソンは、東海大工業の全生徒が原則として参加する学校あげての行事であること、それが学校教育の一環としてなされたものであること、また、同校の校長及び教職員は、被告の履行補助者として、それに参加する生徒の生命・身体等に危険が生じないような万全の態勢をとる義務があることはいずれも認める。

(三)  同(二)(2)の主張はいずれも争う。

同(二)(3)のうち匡隆はスタート地点から約一五〇メートルの防潮堤海側に倒れたのに、約一時間二〇分の間、発見されなかったことは認め、その余は争う。

匡隆の発見が遅れた事情は、抗弁1(三)主張のとおりである。

匡隆は、スタート直後に、スタート地点から約一五〇メートルの地点にさしかかったとき、急性心不全により死亡したものであり、本件事故の発見が遅れたことと同人の死亡との間には因果関係は存しない。

(四)  同3(三)の主張は争う。

4  同4(一)ないし(四)の事実はいずれも争う。

5  同5のうち原告らが匡隆の相続人であることは認め、その余は争う。

三  抗弁

1  安全保護義務の履行

東海大工業の校長及び教職員は、次のとおり安全保護義務を履行し、安全保護義務違反の行為はない。

(一) 事前の健康チェック

(1) 東海大工業においては、昭和六〇年四月、匡隆の三年進級時に全生徒に身体検査を行なっており、その際、匡隆も医師の身体検査を受けており、同人が健康体であることが確認されている。それ以前はもとより、それ以降も、本件事故時迄の間、同人は、体調の異常を訴えたことはなかった。

(2) もっとも、昭和六〇年七月一六日、匡隆が、通学途中において、清水駅で倒れ、清水市立病院で手当を受けたことがあり、東海大工業当局もその旨連絡を受けたが、このときの医師の診断は、軽い脱水症状とのことであったし、匡隆はエンゲル注射一本で回復し、翌日行われた学校行事の工場見学にも普段と変わりなく参加した。

(3) その後、東海大工業当局は、匡隆が同年夏休みに、静岡県富士市の土屋病院で念のため精密検査を受けた旨とその結果は、全く異常がなかったことの報告を受けていた。

(4) 東海大工業は、本件マラソン大会一か月前から、体育の時間を使い、生徒の健康チェックを兼ねて、学校の周囲約五キロメートルを七、八回にわたって、試走させた。最終試走は、本件マラソン大会の行われた週の月曜日に実施したが、匡隆は一度も体調の異常を話したことはなかった。

(5) 東海大工業としては、体調不調者がマラソン大会へ参加することのないように、本件マラソン大会の半月前から、風邪等で体調を崩している者を生徒の自己申告により調査することを開始したが、匡隆からは何らの申告も行なわれなかった。

右の基本方針に基づき、担任の小泉好衛教諭は、一週間前から前日にかけてホームルームで「風邪をひいている者、通院している者、その他体調の悪い者は申し出る」旨の指導を繰り返し行なった。

(6) 更に本件マラソン大会当日の朝も、担任の小泉好衛教諭からと、藤井健治校長から、異常のある者は申し出るようにと指示したが、匡隆は、一度も申し出なかったし、その後、スタート地点である学校裏の海岸で行われた開会式、準備体操の間にも、同人からは、何ら異常の訴えはなかった。

ちなみに、他のクラスでも同様の自己申告の指導をしたが、その結果、体調不調者二九名の申し出があり、これらの者は本件マラソン大会に参加せず、見学することになった事実がある。

(7) 以上のとおり、東海大工業は、事前の健康チェックに万全を尽していた。

(二) 看護、救助体制

(1) 東海大工業は、本件マラソン大会中に発生するおそれのある万一事故に備えた救助専用車としてマイクロバスを用意し、これに看護婦資格を有する養護教諭八木なをを待機させていた。このバスは、本件マラソンコース途中の三保灯台付近である別紙図面(以下「図面」という。)の③地点から、図面の⑯地点まで追尾し、更に同⑯の地点からゴール地点までは普通乗用車に乗り換え、マラソン走者である生徒を追尾して走った。

(2) そして、匡隆の所在が不明となるや養護教諭八木なをは、連絡のつきやすい学校に待機し、匡隆発見の報と同時に現場に急行し、直ちに自ら人工呼吸を行なうとともに、同僚教諭には心臓マッサージを行なわせる等必要な救護措置をとった。

(3) 従って、東海大工業の看護、救助体制にも全く不備はなかった。

(三) 事故発見の看視体制

(1) 本件マラソン大会では、参加生徒は、図面のスタート地点の砂浜に横約一〇列に並んでスタートし、途中から堤防に上り、続いて一般道路を学校のあるゴール地点まで走行するものであったが、東海大工業は、スタート地点及びその真横の堤防上の各点に合計九名の教諭を看視要員として配置したのをはじめ、ゴール地点までの間に、※1、※2の地点と①乃至⑲の各所に合計四七名の教諭を生徒の走行状態を看視するために配置した。ただし、※1、※2の地点の看視は、⑭地点の看視教諭が兼務していた。

(2) 従ってこの看視要員の配置は万全であり、何らの不備はない。

(3) 匡隆の死亡事故の発見は、結果的には、遅れてしまった。しかし、これは、次のような偶然かつ特殊な事情によるものであった。すなわち、同人の倒れた地点が堤防の真下(堤防のすぐ脇の意味)で枯れ草に覆われており、その中に隠れた状態であったこと、図面のスタート地点に配置されていた看視要員からは、匡隆の倒れていた方向は、僅かに砂浜が盛り上がっていて見えず、また、スタート地点真横の堤防上の看視要員からは前方の堤防に敷設された階段の出っ張りがじゃまになって見えなかったこと、更に本件事故地点の前方四〇〇乃至五〇〇メートル先の堤防上(図面の※1の地点)からは堤防自体の視角となって見えなかったこと、しかも、東海大工業としては、もともと体調不調の生徒は本件マラソン大会に参加させておらなかったため、スタート直後に、しかも、前記のごとき発見しにくい場所において急性心不全で倒れる者が出るとは全く予見できなかったことなどである。

(四) マラソンコースと過去の経験について

東海大工業は、本件マラソンコースを使用して、本大会と同様の健康チェック、事前準備、看護・救助体制、看視体制等のもとに、過去長年にわたり、学校行事の一つとしてマラソン大会を行なってきたが、これまで、事故発生は皆無であった。

2  損害の填補

(一) 原告らは、次のとおり、災害共済給付金の支給を受け、同額の填補をえているから、この限度で被告は賠償責任を免れるものである。すなわち医療費名下に金一万六五三二円、死亡見舞金名下に金一二〇〇万円の合計金一二〇一万六五三二円である。

(二) 被告と日本学校安全会とは、日本学校安全会法の規定に基づき、昭和五三年四月二〇日、被告の設置する学校の生徒等の災害(負傷、疾病、障害又は死亡をいう。)について災害共済給付(医療費、障害見舞金、死亡見舞金の給付をいう。)を行う旨の契約(以下「本契約」という。)を締結した。

なお、日本学校健康会法(昭和五七年法律第六三号)で日本学校安全会法は廃止となり(同法付則一三条二号)、日本学校安全会は解散し、同会の権利・義務は日本学校健康会が承継した(同法付則六条一項)。

(三) 日本学校安全会法二〇条の二第一項によれば、災害共済給付契約には生徒等の災害について、学校等の設置者の損害賠償責任が発生した場合、日本学校安全会が災害共済給付を行うことにより、その価額の限度において学校等の設置者につきその損害賠償責任を免れさせる旨の特約を付することができる規定があり、日本学校健康会法二〇条三項にも同様の規定がある。右規定に基づき、本契約には、生徒等の災害について被告に損害賠償責任が発生した場合には、日本学校安全会が災害共済給付を行うことにより、その価額の限度において被告の責任を免れさせる旨の特約(以下「本件免責条項」という。)が存する。

(四) また、本契約には、毎年四月一日から五月二〇日迄の間に、本契約にかかる生徒等の名簿を更新する旨の条項が存し、右条項に基づき昭和六〇年五月一六日、被告の設置する東海大工業の生徒につき名簿が更新され、匡隆も災害共済給付の対象者とされていたのである。

(五) 本件事故後、原告らは前記災害共済給付金の支給を受けており、本件免責条項により右金額の限度で被告は賠償責任を免れる。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1冒頭の主張は争う。

(一) 同1(一)(1)の事実は不知。同(2)、(3)の事実はいずれも認める。同(4)ないし(6)の事実はいずれも不知。同(7)の主張は争う。

(二) 同(二)(1)、(2)の事実はいずれも不知。同(3)の主張は争う。

(三) 同(三)(1)の事実は不知。同(2)の主張は争う。同(3)のうち匡隆の倒れた位置については認め、その余の事実は否認する。

(四) 同(四)の事実は不知。

2(一)  同2(一)のうち金員の受領の事実は認め、その余は争う。

(二)  同(二)ないし(四)の事実はいずれも不知。

(三)  同(五)の主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一当事者

原告らが匡隆の父及び母であり、被告が匡隆の就学していた東海大工業を設置している学校法人であることは当事者間に争いがない。

二本件事故の発生

匡隆が昭和六〇年一一月三〇日、東海大工業全校生徒による本件マラソン大会に参加中、スタート直後である同日午前一〇時頃、約一〇〇メートル進行地点であるか又は約一五〇メートル進行地点であるかどうかを別にして、その付近の防潮堤海側に倒れたこと、匡隆の死亡日時場所が同日午後零時四〇分頃静岡県清水市内の総合病院清水厚生病院においてであるか又は前記の倒れた場所においてであるかを別にして、同日心不全により死亡したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、匡隆が前記場所で倒れているのを発見されたのは前同日午前一一時三五分頃に東海大工業の級友によって発見されたものであり、その後まもなく同校養護教諭の八木なをらが掛けつけ、マウスツーマウスの方法による人工呼吸を試みたが、当時の匡隆は意識喪失、心臓の鼓動を停止し、瞳孔が開いた状態にあったこと、匡隆はその後、救急車で前記病院まで運ばれ、同日午後零時二〇分頃同病院に到着し、蘇生術を受けたが、心臓マッサージ、人工呼吸等の蘇生術を試みた多田稔医師が匡隆をみたときも意識喪失、必臓停止、呼吸停止、瞳孔散大の状態であったこと、同医師は蘇生術実施後、同日午後零時四〇分匡隆の死亡を確認し、同時刻を死亡時刻、死亡場所を前記病院とする死体検案書を作成したことが認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

三被告の責任原因

匡隆が被告の設置する東海大工業に就学していたこと、本件マラソン大会が東海大工業の全生徒が原則として参加する学校あげての行事で、学校教育の一環としてなされたものであること、同校の校長及び教職員が被告の履行補助者として本件マラソン大会に参加する生徒の生命、身体等に危険を生じないよう万全の態勢をとる義務のあることはいずれも当事者間に争いがない。

そこで、被告ないし被告の履行補助者である東海大工業の校長及び教職員が右の安全保護義務を尽くしたかどうかについて判断する。

1  事前の健康チェックについて

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  匡隆は、昭和五八年四月東海大工業に入学後、毎年四月に一斉健康診断を受けてきたが、その結果はいずれも異常なしということであった。殊に入学した年の昭和五八年四月には心電図検査も受けたが、その結果も異常なしということであり、本件事故前までの健康診断で精密検査の受診を要すると判断されたことはなく、医師から体育の授業についての特別の指導を受けたこともなかった。

(二)  もっとも、匡隆は、三年生に進級後の昭和六〇年七月一六日、通学途中において、清水駅で倒れ、清水市立病院で手当を受けたことがあり、東海大工業当局もその旨連絡を受けたが、このときの医師の診断は、軽い脱水症状とのことであったし、匡隆はエンゲル注射一本で回復し、翌日行われた学校行事の工場見学にも普段と変わりなく参加し、また、その後、東海大工業当局は、匡隆が同年夏休みに静岡県富士市の土屋病院で念のため精密検査を受けた旨とその結果は、全く異常がなかったことの報告を受けた(以上の点は当事者間に争いがない。)が、これを別にして、それ以前はもとより、それ以後も、本件事故発生までの間、匡隆が体調の異常を訴えたこともなく、本件マラソン大会当日の匡隆の健康状態は良好で特に変わった点は見受けられなかった。

(三)  東海大工業は、本件マラソン大会の約一か月前から、体育の授業を使い、マラソンコース等を説明したりしたうえ、学校の周囲を、当初は二、三キロメートルから最後には約五キロメートルにと段階的に距離を伸ばす方法で、七、八回にわたりマラソンの練習をするとともに合わせて生徒の健康状態を把握することをした。最後のマラソンの練習は土曜日であった本件マラソン大会の行われた週の月曜日に実施されたものであり、匡隆はいずれの練習にも参加したが、その間、体調の異常を申し出たことはなかった。

(四)  また、東海大工業は、本件マラソン大会の三週間位前から、クラス担任の教員により、主にホームルームの時間を使用し、体調不調者を生徒の自己申告により調査することを開始し、匡隆のクラス担任の小泉好衛教諭は大会の前日及び当日に、風邪などで体調不良の者は欠席してもよい旨重ねて注意を与えたが、匡隆は、一度も体調の異常を申し出なかった。

東海大工業は、本件マラソン大会当日、学校から数百メートル離れた海岸のスタート地点付近で参集した生徒に諸注意を与え、各種準備体操などをしてからマラソンをスタートさせたが、匡隆は、体調の異常を申し出なかった。なお、匡隆の所属しない他のクラスでも、同様の自己申告の指導がなされ、その結果、前日までに二二名が欠席を申告し、当日の朝に至り更に七名が欠席することになり、これら合計二九名はマラソン大会に参加せず、見学することになった。

以上の事実が認められ、右認定を左右すべき証拠はない。そうして、右認定事実によれば、生徒の自主申告による体調の把握方法は生徒からの申告がなければ良く分からないものであるが、高校生には自己の体調について適切な自主申告をすることを期待することができることなどに徴すれば、東海大工業の校長及び教職員は、本件マラソン大会の事前の健康チェックを十分に尽くしたものであると認められる。

2  看護、救助体制について

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  本件マラソン大会は、図面のスタート地点からfile_3.jpg点の学校まで約一〇キロメートルの距離を競走するものであり、スタート地点は堤防から波打際までの幅が約一〇〇メートル位の砂浜であり、砂浜はスタート地点から一キロメートル余り先の①地点辺りまであり、全校生徒約一一〇〇名が横一〇列位に並んで一斉にスタートし、競走した。

(二)  東海大工業は、本件マラソン大会の実施にあたり、落伍者等の救護のため、救助専用者としてマイクロバス一台を用意し、看護婦の資格を有する養護教諭八木なをを待機させた。右バスは、マラソンコース途中の三保灯台付近である図面の③地点から図面の⑯地点まで生徒を追尾し、更に同⑯地点からゴール地点までは道路が狭いため、八木教諭は普通乗用車に乗り換え、右乗用車で生徒を追尾した。校医にはマラソン大会の実施を連絡してあったが、現場に待機させることをしなかった。

(三)  最後の生徒が学校に到着したのち所在不明になっていた匡隆が発見されるや、八木教諭はすぐさま学校から救急用具を携えて現場に急行し、強心剤を注射し、同僚の教員とともに、救急車の到着するまで、マウスツーマウスの方法による人工呼吸や心臓のマッサージを交互に繰り返し、救急車到着後、匡隆を救急隊員に引き渡した。

以上の事実が認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

そうして、右認定事実によっては、本件マラソン大会は相当長距離の持久性を競うものであり、極めて多数の生徒が一定の場所から同時にスタートすることなどを考慮しても、医師の待機を必要とするほど事故発生の危険を伴う運動であるとはいえず、右認定事実によれば、東海大工業は、本件マラソン大会の規模、内容などに照らし相応の看護、救助体制をとっていたものであったと認められる。

3  事故発生の看視体制について

前記二冒頭掲記の争いのない事実、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

(一)本件マラソン大会は、前記認定のように図面のスタート地点からfile_4.jpg地点の学校まで約一〇キロメートルの長距離を競走するもので、参加者は、陸上部員などの特定の者に限らず、一定の欠席者を除く全校生徒約一一〇〇名であり、学年別クラス対抗で各クラス参加者の到着時間を得点に換算し、その平均値の小さいクラスを勝として順位を決定することとされ、参加者は一時間一〇分以内に完走することを原則とするとされていた。

(二)  スタート地点は通称折戸海岸と呼ばれる砂浜で、約一キロメートル先の図面①地点付近まで幅約一〇〇メートル位の右砂浜を走行し、右①地点付近から防潮堤上に上り、続いて一般道路をゴールの学校まで走行するというコースであり、スタートは約一一〇〇名の生徒が横一〇列位に並んで一斉に出発した。

(三)  東海大工業では、本件マラソン大会の一か月半位前に保健体育主任の柳原福次教諭がコースを下見し、前記砂浜のコースも歩いて下見していた。

東海大工業は、本件マラソン大会の実施にあたり、本部、記録・出発、放送、ゴール、先導車、救護車の各係に一定の教職員を充てたほか、生徒の走行状態を看視するなどのため、スタート地点及びその真横の堤防上の各地点に合計九名位の教職員を配置したのを始め、ゴール地点までの間に、図面の※1、※2の地点と①ないし⑲の各地点に一名から六名位(ただし、一部の教職員は二か所を兼務)で、合計四七名位の教職員を配置した。

(四)  匡隆は、スタート直後の午前一〇時頃、防潮堤海側に倒れたものである(この点は争いがない。)が、右転倒地点はスタート地点から約一五〇メートル位の進行地点で、倒れた頃は多数の生徒が集団で走行中で、匡隆の倒れるのを目撃した生徒もいたが、生徒から教職員にその旨の連絡はされなかった。

匡隆の所在不明が気付かれたのは午前一一時二〇分前後頃、ほとんどの生徒がゴールし、担任の小泉教諭が教室で点呼をとったとき匡隆がいないので、生徒をして保健室をさがさせたがいなかったことによるものであり、同教諭の指示で級友がマラソンコース現場に探しに行き、午前一一時三五分頃、前記の転倒位置付近でうつ伏せに倒れていた匡隆を発見した。

(五)  匡隆の倒れた場所は、堤防のすぐ脇下辺り(この点は争いがない。)で、転倒当時、膝より下位の丈の草が生えていた。右転倒場所は、スタート地点からはその約一〇メートル位手前にある堤防から砂浜に通じる階段が突き出していて、その陰になっている場所で、また図面の※1地点からは堤防自体の死角になって、いずれもその場所からでは見えない位置であった。

しかしながら、スタート地点とその付近、図面の※1地点に配置された教職員は、右のように現場の地形上、配置場所付近にとどまっているだけでは見渡せないマラソンコース上の場所があるのが明らかであり、また、所定の配置場所から匡隆の転倒場所付近まで移動して生徒の走行後の状況を確認することを容易にすることができたのに、所定の配置場所付近から最後尾の生徒が見えなくなるまで現場にいて見ていた程度で、直ちに生徒全員が無事走行していったものと軽信し、最後尾の生徒が走り去ったのち、そのあとを歩いて転倒者や怪我をしている者がいないかなどを調査、確認することなく、所定の配置場所を離れ、学校へ戻ったりした。

(六)  東海大工業は、昭和三四年の開校以来、毎年、学校行事のひとつとしてマラソン大会を実施してきた。従来は、校庭横から各学年ごとにスタートしていたが、本件事故の数年前からスタート位置を変え、本件マラソン大会と同じコースを使用していたが、過去に事故は一度もなかった。

以上の事実が認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

そうして、右認定事実によれば、東海大工業は、相当数の教職員を二〇か所余りの多数の要所に配置して生徒の走行状態の看視などに備えたものであるが、本件マラソン大会の規模、コース、実施方法等に照らせば、生徒の転倒事故や体調変化による落伍者の発生することのあることが十分に予想しえたものであるから、各所に看視のため配置された教職員としては、単に配置場所付近から生徒の走行状態を見届けるにとどまらず、適宜移動して、匡隆の転倒場所のように配置場所付近からは見えないマラソンコース上の場所についても転倒者、落伍者の有無を調査、確認すべきであるのにこれをしなかったものであるから、右認定事実によっては、過去の無事故や前記1認定の自主申告制の採用などを考慮したとしても、事故の発生に備え十分な看視をなし、生徒の安全保護に万全を尽くしたものとは認め難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

従って、被告は、履行補助者である右教職員の安全保護義務不履行により匡隆ないし原告らに対して生じた損害を賠償する義務があるものというべきである。

四安全保護不履行と匡隆の死亡との因果関係

匡隆が転倒しているのを発見され、その後、総合病院清水厚生病院において死亡が確認されるまでの経過の概要は前記二認定のとおりであり、また、匡隆の死因が急性心不全であることは前記のとおり当事者間に争いがない。

ところで<証拠>を総合すれば、心不全とは、心筋機能の異常が原因となって安静時又は運動中に、代謝を営む組織に適当量の血液を心室が運びえない状態をいうが、心不全の原因となる根本的な心筋細胞の異常は現代医学によっては解明されておらず、不明であること、健康体の者が突発的に急性心不全を起こすこともあるところ、基礎疾患があればそれが治療の対象となり、予防措置を講ずることが可能であるが、基礎疾患のないときは防ぎようがなく、一般に心不全を起こすことを予測することができないこと、匡隆の死因となった急性心不全の原因は不明であり、そのため、仮に匡隆が転倒後すぐに発見され、所要の救急措置をとられたとしてもその救命の可能性ははっきりせず、明確でないとの事実が認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

そうして、右認定事実によっては、匡隆が転倒後すぐに東海大工業の教職員によって発見され、一定の救護措置を受け、最寄りの適切な医療機関において救急蘇生術を受けたとしても、匡隆が確実に救命される蓋然性があったとまでの事実は認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

それゆえ、被告の前記安全保護不履行と匡隆の死亡との間に相当因果関係があるものとは認められないというべきである。

五損害

1  匡隆の逸失利益、葬祭費

被告の安全保護義務違反と匡隆の死亡との間に相当因果関係が認められないことは前記のとおりであるから、右損害に関する原告らの主張はその前提を欠くものというべきである。

2  匡隆の慰藉料

これまでに認定、説示したところによれば、被告には、匡隆の死亡自体についての賠償責任はないが、前記安全保護の不履行により転倒した匡隆を砂浜に一時間三五分位もの間放置し、医療機関でのより早期の医療措置を受ける機会を失わせたことは明らかであるから、これによる匡隆の精神的苦痛に対して慰藉すべきであり、その慰藉料の額は匡隆の年齢その他本件に顕われた諸般の事情によれば、金三〇〇万円をもって相当と認められる。

3  原告ら独自の慰藉料

前記のとおり被告の安全保護不履行と匡隆の死亡との間に相当因果関係が認められないので、匡隆固有の慰藉料と別に、原告ら独自の慰藉料はこれを認めることはできない。

4  損害の填補

<証拠>によれば、被告の抗弁2(一)ないし(四)の事実を認めることができ(ただし、金員受領の事実は争いがない。)、日本学校健康会の右認定の給付金は損害填補の性質を有するものであるから、これを損益相殺により控除すべきである。

そうすると、匡隆の前記慰藉料額は全額填補されたことになり、したがって、原告らの弁護士費用についての主張も採用することができないことに帰する。

六結び

以上のとおり、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官榎本克巳)

別紙図面<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例