静岡地方裁判所富士支部 昭和62年(ヨ)84号 決定 1988年9月28日
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別紙当事者目録記載のとおり
主文
本件仮処分申請を却下する。
申請費用は債権者の負担とする。
理由
一 申請の趣旨及び理由
債権者は、「債権者が債務者に対し、労働契約上の地位を有することを仮に定める。債務者は債権者に対し、昭和六二年一二月一五日以降本案判決言渡に至るまで、毎月二五日限り一二万〇二四三円及び毎年三月一〇日、一二月二六日限り一八万一五〇〇円を仮に支払え。」との裁判を求め、その申請の理由は別紙(略)申請の理由(一)、(二)記載のとおりである。
二 当裁判所の判断
1 労働契約の成立、内容等
本件記録によれば、次の事実が一応認められる。すなわち、
(一) 債務者は、運転技術の修得免許に関する事業等を営むことを目的とする株式会社で、所轄公安委員会の指定する自動車教習所を静岡県富士市(富士校又は本校)及び神奈川県藤沢市(藤沢校)において経営しているものである。
(二) 債務者会社においては、幹部職員、一般職員及び試用職員で構成される正社員の取扱いを定めた静岡県富士自動車学校就業規則(昭和四五年四月一日から施行。以下「就業規則」という。)のほか、嘱託の取扱いを定めた嘱託取扱規則(昭和五二年一月一日から施行)、パートタイマーの取扱いを定めたパートタイム職員規則(前同日から施行)、期間を定めて臨時に雇い入れた者の取扱いを定めた期間を定めて雇い入れたものの取扱規則(前同日から施行)が制定されており、就業規則によれば、正社員の幹部職員、一般職員及び試用職員はその都度定める選考試験を経て採用され、採用後一週間以内に身元保証人二名を立てることが必要とされているが、雇用期間については特に定めがなく、期間を定めないで雇用される。
また、嘱託取扱規則第二条によれば、嘱託は、原則として、定年で退職する者のうち本人が勤務を希望し債務者が適当と認めた者(第一号)、満五〇歳をこえた者を雇い入れるとき(第二号)、業務上必要とする特殊な技能、技術、職格、経験を有し専門職種に従事させることが債務者として必要なもの(第三号)、その他嘱託として雇い入れることを適当と認めるとき(第四号)に採用されるものであって、正社員と同様、採用後一週間以内に身元保証人二名を立てることが必要とされている。これに対し、パートタイム職員規則第二条によれば、パートタイマーは、原則として、一八歳以上五〇歳未満で所定の選考試験に合格した者を採用するとのみ定められているだけで、身元保証人を立てることは要求されていない。
(三) 債権者(昭和一一年一一月三日生)は、昭和五八年二月一六日(ただし、雇用契約書の日付は同年三月二日付)、富士校における雑務の担当要員をさがしていた債務者に雇用期間一年のパートタイマーとして雇用され、富士校で働くようになった。
債権者は、嘱託取扱規則所定の採用基準に該当せず(債務者により嘱託として雇い入れることが適当と認められたと一応認むべき疎明資料もない。)、雇用に際し、格別の選考試験を受けたことはなく、採用後に身元保証人を立てたこともない。
パートタイム職員規則の定めによれば、パートタイマーの賃金は時間給で、手当として給食手当、通勤手当しかないことになっているところ、債権者は、他の正社員と同様に基本給を定められ、月給制による賃金の支給を受け、右各手当でない職務手当、精勤手当の支給を受けるなど右規則の定めるところとは異なる処遇を受けたが、特に嘱託特有の取扱いを受けたことはなく、債務者が債権者を嘱託として取扱ったことはない。
(四) 前記雇用後、債権者と債務者とは、昭和六〇年二月一六日付で、雇用期間を昭和六〇年二月一六日から同年八月一五日までとする雇用契約書を作成したほか、いずれも雇用期間満了前後の都度、新たに雇用契約書を作成する方法により、昭和六〇年八月一六日付で雇用期間を昭和六〇年八月一六日から同年一一月一五日まで、昭和六〇年一一月一四日付で雇用期間を昭和六〇年一一月一六日から昭和六一年二月一五日まで、昭和六一年二月一五日付で雇用期間を昭和六一年二月一六日から同年五月一五日まで、昭和六一年五月一六日付で雇用期間を昭和六一年五月一六日から同年八月一五日まで、昭和六一年八月二〇日付で雇用期間を昭和六一年八月一六日から同年一一月一五日まで、昭和六一年一一月一六日付で雇用期間を昭和六一年一一月一六日から昭和六二年二月一五日まで、昭和六二年二月一五日付で雇用期間を昭和六二年二月一六日から同年五月一五日まで、昭和六二年五月一五日付で雇用期間を昭和六二年五月一六日から同年八月一五日まで、昭和六二年八月中旬頃に(契約書の日付の記載なし)雇用期間を昭和六二年八月一六日から同年一一月一五日まで、昭和六二年一一月一五日付で雇用期間を昭和六二年一一月一六日から同年一二月一五日までとすることを合意した。
パートタイム職員規則第三条によれば、パートタイマーの雇用期間は原則として一年であるが、一年の雇用を必要としないとき(第二項第一号)又は本人が一年未満を希望するとき(同第二号)は期間を短縮すると定められており、一年未満の雇用期間を内容とする前記各合意は右規則第三条第二項第一号の定めに基づき、前記のようにその都度、債権者と債務者との合意でなされ、債権者から雇用期間の短縮につき異議の申し出がなされたことはなかった。
(五) 債権者が雇用された昭和五八年二月一六日以降昭和六二年一二月までの間には、従来労働組合のなかった富士校に昭和六〇年一月七日労働組合(総評全国一般静岡県自動車学校労働組合)が結成され、債権者がその結成と同時に右組合に加入し、その後、右組合が活発な労働活動を行ない、債務者との間に労使の対立を生じ、昭和六〇年五月二七日には、右組合が申立人となり、債務者を相手どって団体交渉拒否等の不当労働行為救済の申立(静岡地方労働委員会昭和六〇年(不)第五号。なお、現在も係争中)をし、労使の対立が深刻になり、その後、右組合が賃上げ等を要求して昭和六二年一〇月三一日と同年一二月六日の二回にわたりストライキを敢行したということもあったが、他方、債務者の昭和五八年度以降における事業状況の概要等は後記3においてその詳細を認定するとおりであって、富士校は昭和五九年度に赤字に陥り、藤沢校と合わせた債務者全体としても昭和六〇年度に赤字に転落したりして経営が悪化し、そのため、債務者は、パートタイマーの雇用期間を一年未満に短縮することもやむをえないと考え、前記のとおり短縮してきた。
(六) こうして、債権者と債務者間の労働契約は、一二回にわたり更新され、債権者のパートタイマーとしての勤務年限は約四年一〇か月に及ぶに至ったものであり、右各更新の際、債務者から債権者に対して雇用期間が経過すれば当然に労働契約が終了するものであるとの説明がなされたことはなく、債権者としては雇用期間の定めがあっても特段のことのない限り、将来も引き続いて就労することができるものと考えていた。
(七) 債権者は、前記雇用後、富士校建物の清掃、灰皿の片づけ、雑務や教習生の連れてくる幼児の子守などの雑役に従事してきた。債権者以外に雑役はいなかった。債権者の勤務時間は、事務職の正社員が変形労働制をとっているのと異なり、午前八時三〇分から午後五時三〇分までの定時制であり、また社会保険、雇用保険に加入していたが、パートタイマーであるので、正社員と異なり、退職金の定めはない。
(八) 債務者は、昭和六二年一二月一二日、債権者に対し、口頭で、債権者との労働契約を昭和六二年一二月一六日以降更新しない旨更新拒絶の意思を表示(以下、本件雇止めという。)した。
そうして、右認定事実によっては、債権者と債務者間の労働契約における雇用期間の定めが不当労働行為であるとか、又は公序良俗に違反したものであるとかまでは認められず、他にこれを認めるに足りる疎明資料はないので有効なものというべきである。また、右認定事実によれば、債権者と債務者間の労働契約は一二回にわたり反覆更新されたものであるが、他方、右更新はいずれも期間満了前後の都度、新たな契約を締結する旨の合意によってなされたものであるから、右認定事実によっては、右労働契約が雇用期間の定めのない契約に転化したり、あるいは実質的に雇用期間の定めのないものと同様になったものとまでは認めることはできないが、債権者は季節的な労務や臨時的な業務のために雇用されたものではなく、雇用関係の継続することがある程度期待されていたものであるから、債権者と債務者間の労働契約は雇用期間が満了したというだけで直ちに終了するものと解することはできず、債権者に対する本件雇止めの効力については解雇に関する法理を類推して判断するのが相当である。
2 本件雇止めの手続き
債務者が債権者に対し、昭和六二年一二月一二日、債権者との労働契約を昭和六二年一二月一六日以降更新しない旨の意思表示をしたことは前記のとおりであるが、かたわら、債務者が右更新拒絶の意思表示をするに際し、債権者に対し予告手当の支払をしたり、又はその提供をしたとの事実を窺い知るに足りる疎明資料はない。
そうして、右事実によれば、前記更新拒絶の意思表示は、解雇予告手当の支払、提供を伴わず、しかも、三〇日に足りない予告期間を置いてなされたものであるというべきであるが、債権者と債務者間の労働契約が前判示のとおり雇用期間の定めのないものではないことなどにかんがみれば、本件においては、債権者においてあくまで昭和六二年一二月三一日限りの契約終了を固執する趣旨であるとまでは認められず、他にこれを疎明する資料はない。
3 本件雇止めの効力
本件記録によれば、パートタイム職員規則第六条第二項は「パートタイム職員は就業規則第二一条により解雇される。」と定めており、就業規則第二一条は、職員の解雇事由について第一号から第一三号までの解雇事由を規定し、そのうち第九号において、「組織の改廃、業務の縮小等やむを得ない会社の都合によるとき」を解雇事由に定めていることが一応認められる。
そこで、債権者に就業規則第二一条所定の解雇事由があるかどうかなどについて判断する。
本件記録によれば、次の事実が一応認められる。すなわち、
(一) 債務者は、昭和四一年九月二〇日、静岡県富士市柚木二〇七番地の一を本店所在地として運転技術の修得免許に関する事業等を営むことを目的として設立された資本金五〇〇万円の株式会社で、本店所在地において静岡県公安委員会公認の富士自動車学校(富士校又は本校)及び神奈川県藤沢市において同県公安委員会公認の藤沢高等自動車学校(藤沢校)を経営している。
昭和六二年一二月一日当時における富士校の従業員は、債権者ほか一名のパートタイマーを含めて四〇名弱であり、その組織は、会計、経理、スクールバスの運行等を分掌する総務課(専務取締役が兼任する課長を含め七名)、技能検定等を分掌する検定課(課長を含め四名)、技能教習等を分掌する指導課(課長を含め二一名)、教習生の入卒退校、配車等を分掌する教務課(課長及び兼任者を含め六名)に区分され、債権者は総務課に所属し、もうひとりのパートタイマーで受付事務等を担当していた太田順子(以下「太田」という。)は教務課の所属であった。また、当時、富士校には唯一人の嘱託として吉田鉱太郎(以下「吉田」という。)がいた。吉田は、昭和五八年一月頃、他の勤務先会社を定年少し前にやめて債務者に雇用されたものであるが、雇用当時五〇歳をこえていたので嘱託として採用された。嘱託取扱規則上、嘱託の雇用期間は原則として一年と定められているが、吉田は雇用契約書を作成しておらず、雇用期間を定めずに雇用されており、昭和六二年一二月一二日当時、総務課に所属し、渉外の業務に従事していた。嘱託の採用基準や嘱託は、右規則上、パートタイマーと異なり、身元保証人二名を採用後に立てることを要求されていることは前記1認定のとおりである。
(二) 債務者の決算期は毎年五月一日から翌年四月三〇日までであるが、債務者の営む二事業部門である富士校、藤沢校それぞれと右両校を合わせた債務者全体としての昭和五八年度ないし昭和六二年度(昭和六三年四月三〇日まで)の営業内容、資産負債状況の概要は別紙A表記載のとおり(ただし、昭和六二年度については後記のとおりの補足説明を加える。)であり、また富士校の昭和五九年一月から昭和六三年七月までの月毎の入校生数、在校生数の推移は別表(一)ないし(五)記載のとおりであり、債務者は昭和五九年度までは黒字であった(もっとも、富士校の昭和五九年度の営業利益は一三八一万円余の赤字)が、業界の競争激化による入校生の減少や藤沢校の借地用地をめぐる地主との土地明渡請求訴訟(第一審は横浜地方裁判所昭和五〇年(ワ)第八六七号)につき、控訴審の東京高等裁判所(昭和五八年(ネ)第一〇九五号)において昭和六〇年八月二八日敗訴判決の言渡を受け(なお、その後、最高裁判所昭和六〇年(オ)第一五五四号として上告したが、昭和六一年九月八日上告を棄却された。)、藤沢校の早期立退を余儀なくされる事態になり、二億一二二五万円の特別損失を生じたことなどにより昭和六〇年度に四五三一万円余の赤字決算に転落し、昭和六一年度の赤字は五三三四万円余に拡大し、富士校単独では昭和五九年度から昭和六一年度まで三年間を通じて営業利益は赤字となり、昭和六一年度末の累積赤字は合計五八八六万円余の多額に達した(ただし、営業外収益、費用、特別利益、損失計算後の富士校の税引当期利益は、昭和五九年度が一一五六万円余の損失、昭和六〇年度が六六四万円余の損失、昭和六一年度が一七〇二万円余の損失である。なお、昭和六一年度には教習料の値上げがなされ、富士校において、入校生の減少にもかかわらず、営業収入は若干増加した。)。
教習生は、四輪、自動二輪に分類することができ、四輪のほか、自動二輪も減少したが、自動二輪の減少には、昭和五九年前後、静岡市ないし清水市方面の自動車学校で自動二輪の講習を始めたことにより同方面の教習生の入校が減ったという事情がある。在校生数は、入校生数が多ければ、多いとばかりはいえないものであり、教習時間が関係してくる。入校生が多くても、短い時間で卒業すれば在校生は少いことになるものであって、生徒の回転を早くするというのが各自動車学校の望んでいるところである。
(三) 富士校、藤沢校ないし債務者全体の収益の九十数パーセントは営業利益が占め、営業外収益(受取利息配当金、雑収入等)は営業利益の僅か数パーセント程度の規模にすぎなく、しかも、右営業利益のすべては授業料(教習料)収入であり、入校生、在校生数の多寡、増減が経営に及ぼす影響は極めて大きい。富士校単独、債務者全体の売上高は逓減してきており、債務者の営業利益率(営業利益を売上高で除した数値を百倍し、パーセント表示したもの)は昭和五八年度の一八・四一パーセントから昭和六二年度には五・一六パーセントに、経常利益率(経常利益を売上高で除した数値を百倍し、パーセント表示したもの)は昭和五八年度の二一・二八パーセントから昭和六二年度には四・四九パーセントにそれぞれ大幅に悪化している。売上高の何パーセントを人件費として労働に分配しているかを表わす労働分配率の計算にあたっての人件費の額には給料手当以外に福利厚生費も含ませるべきである(退職金は含まない。)が、自動車教習業の統計上の労働分配率は五八・七パーセント(昭和六二年三月三日以前終了事業年度分。なお、黒字各種学校の労働分配率は五七・六パーセント)であるのに対し、債務者の労働分配率は、昭和五八年度は五六・八二パーセントで右より低いが、昭和六二年度は六一・九八パーセントで右より高率で、人件費の圧縮がなされていることはない。
債務者の資産(繰延資産を除く)、負債額の推移はA表記載のとおりである。A表には記載のない繰延資産を含めた債務者の総資産から総負債を控除した純資産(正味資産)は昭和五八年度の七億四四四三万円余から昭和六二年度には八億一二六五万円余と六八二二万円余増加しているが、この増加は後述する繰延資産のうち藤沢市への譲地費用六二二九万六〇〇〇円の増加によるところが大きい。右繰延資産は、その支払の効果が長期に及ぶものとして法人税法上、資産計上が強制されているが、実態は藤沢市に対する道路の寄付であり、将来において換金性があったり、経営に寄与するといったものではない。また、債務者の総資産に対する自己資本(純資産額と同額)の占める割合を表わす自己資本比率は、昭和五八年度の五七・〇二パーセントから昭和六二年度には四四・五九パーセントに大幅低下している。
債務者は、前記特別損失のため預金を大幅に減少させ、昭和六一年度には藤沢校移転のため金融機関から五億九〇〇〇万円の借入をなし、借入金の返済支払が急増するようになった。債務者の流動比率(流動資産を流動負債で除した数値を百倍し、パーセント表示したもの)は昭和五八年度の一六二・二八パーセントから昭和六二年度には一二三・九七パーセントに減少し、一般に望ましいとされる一五〇パーセント以上の水準を相当割り込み、固定比率(固定資産を自己資本で除した数値を百倍し、パーセント表示したもの)は昭和五八年度の八三・七〇パーセントから昭和六二年度には一七四・一二パーセントに大幅増加し、一般に望ましいとされる一〇〇パーセント以内の水準を大きく超過し、財務状態は不良である。債務者は、藤沢校の移転に伴い多額の費用が発生したのを預貯金等の自己資金のみでまかなうことができず、金融機関から多額の借入をしたが、同族会社のため、資金調達に限界があり、固定資産の増加に対して増資の方法をとることは困難であった。また、昭和六二年度の固定資産のうち三億四〇三八万八六〇〇円は藤沢校の移転に伴う保障金で二〇年無利息凍結になっているもので、債務者の資金繰りは厳しい状態にある。しかし、債務者がこれまでに賃金の遅配をしたようなことはない。
(四) 債務者の昭和六二年度の決算は、決算書の表面上はA表記載のように一四〇万一九六七円の黒字決算になっているが、藤沢校が移転するに際し、藤沢市の開発行為に伴う条件として義務づけられた同市に対する譲地道路をすでに借入金を起こし、六一六四万一〇〇〇円で買収し、地主に支払ずみであるところ(他に道路整備費用七五〇万三〇〇〇円を合わせ、藤沢市に寄付した公共道路に伴う諸費用は合計六九一四万四〇〇〇円)、償却費六九一万四四〇〇円を控除した六二二二万六〇〇〇円が繰延資産になったが、右事情上、藤沢校の営業費用として少くとも右六二二二万六〇〇〇円のうち五四五〇万一七〇二円を加算したものが実態であり、また藤沢校の営業費用、給与退職金については債務者が使用者として提示した昭和六二年の未昇給分及び夏冬季一時金一〇四二万六〇〇〇円は未解決になっているが、労働組合との交渉が妥結すれば支払をしなければならないものであるから、これを加算したものが実態であり、同校の実質的な利益は僅か一〇二万八二八二円にとどまり、債務者全体の実質的な当期損益は五七五二万五七三五円の損失となる。
(五) 債務者は、赤字決算に転落した以降、富士校において、昭和六一年四月一日に学卒の女子一名を採用し、同年一〇月二三日に女子職員一名を中途採用したが、同校では同年七月一五日と同年九月三〇日に女子職員二名が退職したものであり、一時期増員の形になったが右九月三〇日退職職員の追加補充はなされておらず、退職者の補充として採用されたものであり、増員というべきものではない。
(六) 富士校には従来労働組合がなかったが、昭和六〇年一月七日、企業内労働組合の前記総評全国一般静岡県自動車学校労働組合(執行委員長長橋誠三。以下「組合」という。)が結成され、組合は、翌八日債務者に組合結成の通告をするとともに労働諸条件の改善の申入をなして組合活動を開始し、以後、頻繁に団体交渉をしたりなど活発な組合活動を繰り返し、昭和六〇年三月二七日から同年六月の衣替えの時期まで、組合員全員にて赤地に白抜きで「団結」の文字を入れた腕章を着用したまま勤務するという組合活動をした。
債権者は、組合結成と同時に組合に加入したものであり、組合員名簿の如きものが組合より債務者に交付されたことはなく、債務者には、一部の組合役員を別にして誰が組合員であるかを確認する確たる手懸りがなかったが、団体交渉のため参集した債権者を含む組合員の名前を債務者の幹部職員が記録したこともあるし、右腕章着用運動に債権者も加わっていたので、その頃には、債権者が一応組合員であることを推測しうる状態にあった。
そうするうち、労使に対立が生じ、組合は、昭和六〇年五月二七日、団体交渉の拒否、組合への支配介入を主張して債務者を相手どって静岡地方労働委員会に前記不当労働行為救済の申立をなし、これを争う債務者との間に係争を生じた。右事件は現在も係争中であり、右労働委員会の結論は出されていない。
(七) 嘱託の吉田は、当初組合員であったが、昭和六〇年八月、組合を脱退し、他二名とともに第二労働組合を結成した。したがって、富士校にはそれ以降、二つの労働組合が併存している状況にある。
吉田は、嘱託として勤務の当初、スクールバスの運転手になることを希望していたが、充足していたので、渉外係として主に教習生の募集業務を担当したが、債権者に対する本件雇止め通告後まもない昭和六二年一二月一五日にスクールバスの運転要員が一名退職したので、その後、スクールバスの運転業務に就くようになった。
受付等の事務職員には原則として残業はないが、指導員、スクールバス運転手、渉外係は、日曜日以外、毎日一〇時間勤務で定期的に残業している。パートタイマーには人事考課はないが、嘱託には人事考課があり、組合との交渉により妥結される各季一時金の配分の要領について、嘱託の吉田は、パートタイマーとは異なり、正社員と同様に取扱われ(ただし、金額は若干下回っていた。)、昭和六一年下期では、スクールバス要員と同額になった。
(八) 組合と債務者とは、昭和六一年夏季、冬季一時金についても容易に合意することができず、右冬季一時金については昭和六一年一二月九日に妥結したものの、右夏季一時金について妥結したのは昭和六二年三月八日であった。
組合は、昭和六二年春闘として、同年三月三一日、三万円の賃上げを債務者に要求し、これに対し、債務者は、同年五月九日、赤字経営を理由に四〇〇〇円の回答をした。組合は、その後、同年六月二三日、夏季一時金六〇万円を要求し、これに対し、債務者は、前同様の理由により三〇万円を回答するとともに年末の冬季一時金は出せない旨を回答した。債務者と組合とは、右の昭和六二年の賃上げ、夏季、冬季一時金をめぐってしばしば団体交渉を重ねて交渉したが容易に妥結に至らず、組合は、同年一〇月三〇日の団体交渉の席上、翌日にストライキに突入することを債務者に通告したうえ、右賃上げ、一時金の要求実現を目的に、同月三一日(土曜日)の始業からストライキに突入し、終日、ストライキを続行した。
右ストライキにより富士校の業務に多少の支障が生じたが、同校では教習生に教習を休んでもらうなどの連絡をとって混乱回避に努めた。ストライキに参加しなかった非組合員及び第二組合員の教習業務には支障が生じなかった。組合は、同年一一月一日から、前記腕章を組合員全員に着用させ、闘争体制を続けたが、右ストライキの翌日から平常の業務に復帰した。
(九) 静岡県内の自動車学校を監督する立場にある同県公安委員会では、教習生が入校後六か月以内に卒業できるようにとの配慮から、自動車学校の規模に応じた適正在校生数について、指導員(技能員)数に一日の教習時間帯(富士校は一〇時間)を乗じた数の一・五倍すなわち富士校の例では指導員一人当り一五名という指導方針をもちあわせているものである一方、同県内の自動車学校では、富士校に限らず、他校でも、右指導基準を上回る在校生を入れているのが一般的であり、公安委員会による各種検査に際し、在校生数の過多が判明してその指導がなされる例があり、富士校では右指導基準の適正在校生数をほぼ恒常的にこえていた(富士校の指導員は、概ね、昭和五九年が二六名、昭和六〇年が二三名、昭和六一年が二一名、昭和六二年一一月当時が検定員を含め二二名で、適正在校生数をこえていたが、前記のような収益状態であった。)ところ、債務者は、前記ストライキ直後の昭和六二年一一月二日、同公安委員会から、指導員に対する在校生数が過多であるので、指導員数に応じた適正な教習生数にすることの指導を受け、次いで同月六日、静岡県運転免許課から、在校生数を適正にすることと労使関係が教習生の教習に及ばないようにすることについての強い注意を受けた。
(一〇) 債務者は、右注意を受けた昭和六二年一一月六日の夜、組合と再び前記賃上げ要求等の問題について団体交渉に及んだが、組合の態度は硬く、妥結の見通しを得られず、組合では更に闘争を強化することを内外に広言していた。
そこで、債務者は、当局より教習生の入校停止の指導を受けた訳ではないが、法令により、自動車学校の教習生は、普通車、大型車が入校後六か月、自動二輪、大型特殊車が入校後三か月以内に教習を終了しないとそれまでの教習が無効となり、再入校して始めから教習し直さなければならないことになっており、もしそのような事態になれば、教習生に金銭的、時間的に多大の負担をかけることになるところ、これまでの経過から、このままでは教習生に迷惑をかけることは必至であると判断し、自動車学校の公共性も考え、現在の在校生を早く卒業させることを第一に考え、翌一一月七日、当分の間ということで、特に期限を定めないで、新規入校生の受付を停止する措置に踏み切り、事務所の出入口にその旨のビラを張ったりしてその措置を公けにした。
(一一) 債務者は、その後、富士校の経営の悪化が必至であったので、可及的に経費の節減に努力し、その一環として、昭和六二年一一月一一日、同月一五日限りで夜間アルバイト四名の使用をやめることを各アルバイトに申し渡し、雇止めをした。富士校ではそれまで夜間勤務を、正社員ではなく、主にアルバイトでまかなっていたものであるが、経費節減のためアルバイトの使用をやめ、正社員による時差出勤に切り替えたものであり、右アルバイトの雇止めにより年間約二五〇万円(なお、この金額は教習生一三名分の教習料に相当する。)を節減できることになった。
債務者の田村正紀専務は、同月一一日夜、組合の長橋執行委員長とトップ会談をしたが、話合が進展しなかった。そのため、田村専務は、これまでと同じようにパートタイマーとの労働契約を更新していくことは経営上できないと考え、同月一六日に更新予定の債権者との雇用期間を従前の三か月から一か月に短縮することを決めた。同月一四日、債務者の鈴木事務長と県評の佐藤組織部長とが事態打開のため折衝したが物別れに終った。その後、債務者は、同月一六日、雇用期間を一か月として債権者との契約を更新した。
(一二) しかるのち、組合は、未だ妥結に至っていなかった前記賃上げ、一時金要求の実現のため、再度ストライキを実施することを決め、昭和六二年一二月二日、来たる日曜日の同月六日にストライキに突入することを債務者に通告した。その後、債務者と組合とは、地区労の要請で労使紛争の調停に乗り出してきた富士市議会議員笠井貢を介して、同月四日、五日の両日にわたり、五日の午後一〇時すぎまで交渉を重ねてたが、話合は不調に終わり、組合は、六日からストライキに突入し、終日、ストライキを続行し、債権者も組合員としてストライキに参加した。
右二度目のストライキのときは、組合は、地区共闘会議の応援を七、八名得て、債務者の阻止を無視して教習コース内に立ち入り、非組合員の教習業務を妨害したり、強力なピケットラインを張り、教習生の入校を阻止するなどし、現場は喧騒を極めた状態になった。当日は、静岡県公安委員会から二名の係官がこれらの状況視察のため来校中であった。債務者は、こうした状態での教習の続行は無理と判断し、やむなく同日の教習業務を中止した。
右ストライキは一日で終わり、その後、再び平常の教習業務が行なわれるようになったが、組合では前記腕章の着用運動を続けて闘争体制を継続した(なお、右賃上げ、一時金問題は現在に至るも妥結されず、解決していない。)。
(一三) こうした労使の対立激化の中で、債務者は、経営上の展望を開けない状態に立ち至ったため、単に事業を縮少するだけでは赤字の解消ができる見通しはないので、事業の縮少ということではなく、教習業務に直接携わらない間接要員を減らして経費を一層節減し、赤字を最小限度にとどめるべく間接事務に従事していたパートタイマーの債権者及び太田(なお、太田の昭和六二年の給与は二〇四万〇二七九円、債権者の同給与は一八一万二四一五円)との労働契約の更新を拒絶する方針を決定し、昭和六二年一二月一一日、組合との団体交渉の席上において、現状のような会社の苦しい状態では間接の人件費を減らしていかなければどうにもならないので、債権者及び太田との労働契約を打切ることにしたので承知されたい旨通知したうえ、翌一二日、債権者に対し、同月一六日以降の、太田に対し昭和六三年一月一日以降の更新を拒絶する旨通告した。右組合との交渉の席上、組合からは、解雇かどうかを尋ねる発言がなされ、これに対して債務者側では、雇用契約の更改をしないことである旨説明したことがあったが、それ以上に格別のやりとりはなされなかった。また、債権者に対する右通告がなされた際にも、債権者からは格別の異議や発言はなかった。
(一四) 組合は、昭和六二年一二月二二日から、前記腕章を自主的にはずし、始業時間も一〇分早めて闘争体制を軟化させた。
これに対し、債務者は、組合の闘争方針軟化を明るい材料として受けとめ、これにより今後の業務運営についての展望が開かれるようになったので、一か月余りで入校停止の措置を解く方針を決め、同月二六日の団体交渉の席上で昭和六三年一月一日から入校停止措置をやめ入校生の受付を再び始めることを組合に通知してそのことを外部に公表したうえ、昭和六三年一月一日から再び入校生の入校受付を開始した。
(一五) 債権者の雇止め後、昭和六三年一月から同年七月までの富士校の月毎の入校生数、在校生数の推移は別表(五)記載のとおりであり、入校生の急激な減少傾向はなく、横這い状態にある(普通車は昭和六二年より増えているが、自動二輪は減少している。)。静岡県下の自動車学校の業界は、従来より過当競争が激しく富士校の経営環境が早急に改善されるような事情はない。
富士校では、債権者の雇止め後、最近の昭和六三年六月以降に定年退職になった幹部職員二名を嘱託に採用したのを別にして、新たにアルバイトやパートタイマーを採用したことはない。右二名の嘱託のうち一名は受付事務等に従事しており、受付業務に特に支障は生じておらず、雑務はローテイションを組んで協力して処理されている。
また、具体的な時期は詳らかでないものの、債務者は、組合の結成後、比較的最近に至るまでの間に、富士校の指導要員として四名を採用し、その後、右四名が指導員の資格を取得したので指導員としての職務に従事させているが、右四名を採用したのは、組合結成の前後に八名の指導員が退職したのでその補充として採用したものである。
藤沢校は移転後まもなく、厳しい経営環境のもと、人件費の削減をはかり、競争力の強化に努めている状態で、人員受入れの余裕はない。
そうして、右認定事実に基づき、就業規則第二一条所定の解雇事由があるかどうか考えるに、債権者はパートタイマーとして比較的簡単な手続で期間を定めて雇用されたものであるから、ある程度の雇用の継続が期待されたものであるとしても、その雇止めの効力を判断する基準については、終身雇用の期待のもとに期間を定めない労働契約を締結している正社員を解雇する場合とはおのずから合理的な差異があるものというべきところ、右認定の昭和六〇年度に赤字に転落し、その後も増々悪化していた債務者の事業状況、経営状態等に関する諸事情によれば、昭和六二年一二月一二当時の債務者には、就業規則第二一条第九号が職員の解雇事由として定める「やむを得ない会社の都合によるとき」に該当する事由があったものであると認めることができる。
また、右認定事実によれば、本件雇止めのなされた当時、債権者の所属する組合と債務者の労使が厳しく対立し、債権者は組合員としてその少し前に二回にわたり敢行されたストライキに参加したことなどが明らかであるが、他方、右認定事実によれば本件雇止めをした当時の債務者は切迫した経営状態にあり、経営上の展望も開けない状態にあって、夜間アルバイト四名の雇止めをしたのに引き続き、間接要員を削減し、富士校の人件費を少しでも減少させるべくパートタイマーである債権者と太田の雇止めを決意したのはやむをえない措置であって、その点に不合理な点はないことが認められ、これらの事情を彼此総合して考えれば、右認定の諸事実によっては、債権者に対する雇止めにつき、債務者に不当労働行為意思があったものと認めるに足りず、他にこれを疎明するに足りる資料はない。
更にまた、右認定事実によれば、債務者の経営悪化が債務者の故意行為によるものであるとはいえず、かような事実を一応認めるに足りる疎明資料は他にないかたわら、右認定事実によれば、債権者の雇止めに先立ち四名の夜間アルバイト全員が使用を取りやめられ、債権者と同時にもう一人のパートタイマーで太田も雇止めされ同じ取扱いをうけたものであり、これに対し、当時唯一人の正社員でない従業員であった嘱託の吉田は、雇止めされなかったが、同人は債権者や太田と異なり、パートタイマーではなく嘱託で、雇用期間の定めなく雇用され、渉外係の業務に従事し、人事考課も受けていたなど債権者や太田に比べてより債務者との結び付きが強く、企業の基幹に近い労働者であったものと認められるから、吉田を雇止めせず、債権者や太田を雇止めしたことが不公平で、信義則に反したり、権利の濫用にあたるものと認めることはできず、他にこれらを疎明するに足りる資料はない。
以上のほか、本件雇止めの無効原因を疎明するに足りる資料はない。
そうだとすれば、本件雇止めは有効であり、その通告後三〇日の経過により、債権者と債務者との労働契約は終了するに至ったものというべきである。
三 結論
よって、本件仮処分申請はその被保全権利についての疎明を欠くものであり、事案にかんがみれば保証をもって疎明に代えるのは相当でないからこれを却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 榎本克巳)
当事者目録
債権者 青木まさ子
右代理人弁護士 増本雅敏
小川秀世
債務者 株式会社静岡県富士自動車学校
右代表者代表取締役 田村正雄
右代理人弁護士 奥毅