静岡地方裁判所沼津支部 平成13年(ワ)370号 判決 2004年9月08日
原告
甲野花子
外2名
原告ら訴訟代理人弁護士
大森鋼三郎
同
宮島美彩
被告
静岡県
上記代表者県知事
石川嘉延
上記訴訟代理人弁護士
牧田静二
上記訴訟復代理人弁護士
祖父江史和
上記指定代理人
加藤隆弘
外12名
被告
国
上記代表者法務大臣
野沢太三
上記指定代理人
山本美雪
外4名
被告ら指定代理人
澁谷淳一
外2名
主文
1 原告らの請求を,いずれも棄却する。
2 訴訟費用は,原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告らは,連帯して,原告甲野花子に対し,3114万1524円及びうち2814万1524円に対する平成13年1月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告らは,連帯して,原告甲野次郎及び原告乙山葉子に対し,各1707万0762円及びうち1557万0762円に対する平成13年1月11日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,平成13年1月10日に発生した国道135号線下斜面の崩壊事故により傷害を負い,その後死亡した甲野太郎(以下「太郎」という。)の相続人である原告らが,被告静岡県及び被告国を相手に,同事故は国道の設置・管理の瑕疵に起因して発生したものであると主張して,国家賠償法2条1項に基づき,逸失利益,慰藉料等総額6528万3048円の損害賠償及びうち弁護士費用を除くその余の金員に対する同事故日の翌日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
1 前提事実(争いのない事実並びに証拠及び弁論の全趣旨から明らかな事実)
(1) 原告甲野花子は,太郎(昭和10年10月24日生)の妻であり,原告甲野次郎及び原告乙山葉子は,太郎と原告甲野花子の子である。
(2) 平成13年1月10日午前5時30分ころ,伊豆半島の東海岸に面した静岡県賀茂郡東伊豆町奈良本<番地略>所在の株式会社つるやホテル(以下「つるやホテル」という。)の建物(以下「本件建物」という。)と,その西側を海岸線に沿ってほぼ南北に縦走する国道135号線(以下「本件国道」という。)との間に挟まれて存在する急な傾斜地(以下「本件斜面」という。)が,幅約10メートル,高さ約15メートル,厚さ約2〜3メートルにわたって崩壊する事故が発生し(以下「本件事故」という。),そのため本件建物の一部が崩れ落ちた土砂等により損壊した。なお,本件斜面のうち,崩壊した箇所は,別紙図面1に「崩壊斜面」と表示された青線で囲まれた部分である(以下「崩壊斜面」という。)。
(3) 本件国道は,被告国が設置し,その後道路法13条1項の規定により,被告静岡県が道路管理者として維持,修繕その他の管理をしている一般国道である。
(4) 本件斜面の所有関係及び土地境界は,別紙図面1の赤線のとおりであり,本件国道敷地及び赤線の西側を占める本件斜面の最上部付近を被告国が所有し,他方赤線から海側に至る本件斜面の東側大部分の土地をつるやホテルが所有している。
(5) 太郎は,本件事故当時,崩壊斜面の下の本件建物西側に位置する社員食堂厨房付近で勤務していたが,同食堂内に流れ込んだ崩壊斜面の土砂等によって下半身生き埋めの状態となり,救出にあたって現場で両下肢を大腿部から切断された。太郎は,直ちに東海大学病院に搬送され,その後,同病院において入院治療を続けていたが,同年3月28日,脳梗塞のため死亡した。
2 争点
①本件斜面は国家賠償法2条1項にいう公の営造物(公営造物)に該当するか。
②崩壊斜面周辺の本件国道の設置・管理に瑕疵があるか。
③上記瑕疵と原告らの損害との間に相当因果関係があるか。
④原告らの損害。
3 争点についての当事者の主張
(1) 争点①(本件斜面は公営造物に該当するか)について
【原告ら】
本件斜面は,その所有関係にかかわりなく,本件国道と一体をなし,これを保持するための法面であるといえるから,公営造物にあたる。
すなわち,本件斜面は,本件国道の建設に伴い法面として設けられたものに草木が繁茂していたもので,この法面にはガードレールとその基礎コンクリートを始め,擁壁など不十分ながらも崩壊防止対策がなされていたことからすれば,自然の斜面とはいえない。また,国道の法面の崩壊防止のための適切な斜面対策を講ずることは,国道所有者の義務である。
【被告静岡県】
公営造物とは,広く「公の目的に供用されている有体物」つまり「公物」一般を指し,自然公物も公営造物にあたるが,直接公共の用に供されておらず,自然のまま何らの管理も行われていないものは,公営造物とはいえない。また,道路とは,「一般交通の用に供する道で…,トンネル,橋…等道路と一体となってその効用を全うする施設又は工作物及び道路の附属物で当該道路に附属して設けられているものを含む」(道路法2条1項)とされている。
本件斜面は,大半がつるやホテルの所有地であり,その一部が被告国の所有地であるが,いずれも直接公共の用に供されておらず,自然のまま何らの管理も行われていない。したがって,本件斜面は公営造物とはいえない。
【被告国】
本件斜面は,国有地の部分を含め,全て自然の斜面であって,公営造物に該当しない。
(2) 争点②(崩壊斜面周辺の本件国道の設置・管理に瑕疵があるか)について
【原告ら】
ア 本件斜面自体の設置・管理の瑕疵
本件斜面は,本件国道の法面として,その所有関係にかかわりなくこれと一体をなすものであって,国道設置者あるいは国道管理者は,一体としての法面が崩壊しないよう,防護柵やブロック積など崩壊防止対策を講じて,これを安全に維持・管理すべき義務を負うものである。
すなわち,つるやホテル所有部分に万一崩壊などの事態が発生すれば,直ちに国有地の路肩に直接影響し,事態によっては側溝から本件国道そのものも崩壊などの危険に陥るから,つるやホテル所有部分は,自然の斜面とか,本件国道と無関係な斜面などではなく,まさに本件国道の法面として一体をなしている。つるやホテル所有部分には,別紙図面1のとおり,ブロック積,野面石積,コンクリート擁壁などが法面に設置されるべき防護策として施され,法面の補強策がとられていたが,これは,国道設置者が,土地所有者の承諾のもとに設置したものと推認するのが合理的である。そして,本件斜面付近は,脆弱な地質が分布する急傾斜地危険箇所として周知されていた場所であり,特に,本件斜面のすぐ横の斜面には以前に小崩壊した痕跡がみられることからして,上記の義務はなおさら強調されるべきであり,本件国道の設置者又は管理者たる被告らとしては,大量降雨時でも崩壊しないよう防護施設等を講じて,地滑りを抑止し,法面の安定を図るための十分な排水対策など本件斜面の下に位置する本件建物を保護するための適切な斜面対策を施すべきであったのに,何らの防護策を講ぜず,漫然と放置したものである。
イ 側溝の設置・管理の瑕疵
本件国道の雨水は,その路面の傾斜からして,本件国道の山側(西側)の側溝には流れず,海側(東側)の側溝の方向に集中するようになっていた。したがって,海側の側溝を山側の側溝と同程度の大きさ及び深さにする必要があったが,被告静岡県は,これを怠ったため,崩壊斜面周辺の国道上及び本件国道の山側に降った雨水は,海側の側溝から流出し,そのまま崩壊斜面に集中して流れるという状況が発生した。また,海側の側溝の海側(東側)の壁は,崩壊斜面より北方(伊東市方向)では側溝の国道側(西側)の壁より高くなっていて,雨水が側溝を越えにくいようになっているが,崩壊斜面付近では,国道側の壁と同程度の高さとなっており,雨水が乗り越えやすくなっていたにもかかわらず,被告静岡県は,そのまま放置していた。加えて,崩壊斜面付近の側溝には,落ち葉や土砂が溜まり,草木さえ生えており,雨水は側溝を流れずに法面をそのまま流下していた状況にあり,側溝の役割は全く果たされていなかった。被告静岡県は,清掃もせずにこれを放置し,本件斜面の周辺に雨水が集中するままにしていた。
ウ 本件国道路肩部分の道路標識の設置・管理の瑕疵
崩壊斜面の上部(西側)の平坦な部分(本件国道の路肩部分)には,被告静岡県により,全重量3750キログラムのL字型アンカー方式の反射式大型固定道路標識(以下「本件標識」という。)が設置されていた。
この付近は,急斜面で脆弱な地質の危険地であったから,大きな重量のある本件標識を十分に固定しないまま設置すれば,大雨を契機に,本件標識のコンクリート基礎と脆弱な地質との間に雨水がしみ込み,本件斜面の土地の中に雨水が浸透し,土砂と安山岩質熔岩との間を剥がすことになって,大きな重量を支えきれなくなり,本件斜面が崩壊する危険があった。それにもかかわらず,被告静岡県は,本件標識を,そのコンクリート基礎を十分に固定しないまま,上記の脆弱な地質の上に埋め込んで設置した。
【被告静岡県】
ア 本件斜面自体の設置・管理の瑕疵について
本件斜面の大半は,つるやホテルの所有地であり,したがって,管理責任がつるやホテルにあったことは明らかである。本件斜面上に存在していた擁壁等は,被告静岡県が設置したものではない。
また,本件斜面は,急斜面であることから,斜面崩壊の一般的な危険性がある箇所であることは地域住民及び関係者に周知されていたが,崩壊の具体的な危険性が認識されていたものではなく,風化等によって次第に脆弱化したものであって,被告静岡県は,この付近に脆弱な地質が分布していたことを本件崩壊以前には把握していなかった。
イ 側溝の設置・管理の瑕疵について
道路側溝は,路面に降った雨水や隣接地から流入する水の量を考慮して設置されるので,山間地の道路の場合,山側の側溝は,山側の隣接地からの雨水の流入を考慮し,谷側の側溝に比して断面が大きく設計される。したがって,崩壊斜面周辺の海側の側溝の幅が山側のものより狭いことは,瑕疵ではない。
本件国道の海側の側溝は,本件崩壊の直前に近隣の測候所で観測された1時間あたり最大37ミリメートル,2時間30分の総雨量77ミリメートルという程度の降雨量には十分対応できる能力を備えていた。加えて,崩壊前の本件斜面は,路肩が盛り上がって路面より高くなっていたので,仮に,海側の側溝から雨水が溢れ出ていたとしても,それが路肩部分を乗り越えて本件斜面に直接注いでいたものとは考えにくい。
また,上記側溝の清掃状況は不明であるが,本件崩壊当時,その機能を失わせるような落ち葉や土砂の堆積はなかったと考えている。
ウ 道路標識の設置・管理の瑕疵について
本件標識は,昭和63年に静岡県公安委員会が設置したものであるが,その設置にあたっては,静岡県警察下田警察署と静岡県下田土木事務所との間で,設置場所として問題がないことを確認した。その施工方法も,縦(路面に対し垂直方向)0.9メートル,横(路面に対し平行方向)1.2メートル,深さ1.2メートルのコンクリート基礎に,長さ6.4メートルの鋼管柱をアンカーボルトで固定し,同鋼管柱の上部に取付腕(アーム)とアーム支柱を取り付け,標識板3枚を付設したものであって,単にコンクリートブロックに鋼管柱を差し込んだだけのものではなく,毎秒50メートルの風速に耐える構造となっている。
なお,被告静岡県は,本件標識の維持管理も適正に行っており,警察官の日常業務を通じて不定期に点検されているほか,静岡県内設置の全ての大型標識を対象として平成11年7月から同年11月までの間に実施された調査の際にも,本件標識に異状は認められていなかった。本件標識は,平成9年2月28日に標識板の交換がされているが,それ以降,本件崩壊までの間,何らの異変も認められておらず,維持管理に瑕疵はなかった。
また,本件標識の設置箇所は,本件崩壊の一番激しい箇所からは外れた位置であり,本件崩壊の規模に照らしてみても,本件標識の重量が本件崩壊の原因でないことは明らかである。
【被告国】
ア 設置の瑕疵について
崩壊斜面の大部分はつるやホテルの所有地であり,本件国道の設置後,本件事故当時と同程度の降雨状況下において崩壊斜面が同様に崩壊したことはなかった。仮に,本件斜面が急傾斜地危険箇所として地域住民及び関係者に周知された場所であったとしても,本件国道の管理者又は所有者が自然の斜面に防護施設等を設置しなかったからといって,本件国道の安全性に欠けていたとはいえず,設置についての瑕疵があるとはいえない。
イ 管理の瑕疵について
本件国道の管理の主体は被告静岡県であり,これにつき責任を負う主体も被告静岡県であって,被告国ではない。
道路法12条によれば,道路の新設又は改築は原則として国が行うこととされており,「改築」とは,既設の道路の効用,機能等を現状より良くするための工事をいい,その内容は多種多様であるが,道路の線形改良,拡幅,舗装は改築となる。また,同法13条には,新設,改築以外の国道の維持,修繕その他の管理について必要な事項が定められているが,道路法施行(昭和27年)当時は原則として都道府県知事に機関委任する形態を取っていたものであり,これが昭和33年の改正により,一級国道については必要に応じて国が自ら管理を行うことができることになり,さらに昭和39年の改正により,一級国道,二級国道の区別を廃したため,国道の管理体系は,国が自ら管理を行う区間とそれ以外の区間との2つに分かれることとなったものである。すなわち,同法12条に規定するものを除くほか,国道の維持,修繕,公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法(昭和26年法律第97号)2条2項に規定する災害復旧事業その他の管理は,政令で指定する区間(以下「指定区間」という。)内については国土交通大臣が行い,その他の部分については都道府県がその路線の当該都道府県の区域内に存する部分について行うこととなったものである。
さらに,道路法97条は,同法の規定により地方公共団体が処理することとされている事務を自治事務と法定受託事務に区分し,同条1項において,「この法律の規定により地方公共団体が処理することとされている事務のうち次に掲げるものは,地方自治法第2条第9項第1号に規定する第1号法定受託事務…とする。」とし,同項1号には,「この法律の規定により都道府県…が,指定区間外の国道の道路管理者として処理することとされている事務」と規定されている。したがって,被告静岡県が道路管理者として処理することとされている事務は,法定受託事務となるが,法定受託事務については,法律又はこれに基づく政令によらなければ,県は,国の関与を受け,又は要することとされることはないとされている(地表自治法245条の2)。
原告が管理の瑕疵として主張している法面や側溝の改善は,道路法13条1項にいう「国道の維持,修繕…その他の管理」にあたり,かつ,本件国道は指定区間ではないから,静岡県の区域内に存する本件国道は,被告静岡県が管理を行う区間であって,被告国が管理を行う区間ではない。
したがって,本件国道の管理主体は被告静岡県であり,被告国はこれにつき関与することはできないのであるから,本件国道の維持,修繕その他の管理の瑕疵を理由とする原告らの被告国に対する請求は理由がない。また,県の管理する国道(指定区間外の国道)の維持,修繕その他の管理については,国は費用負担しない(道路法50条2項)ことから,維持,修繕その他の管理について国家賠償法3条の適用を受けることもない。
(3) 争点③(上記瑕疵と原告らの損害との間の相当因果関係)について
【原告ら】
本件事故は,本件標識が急斜面で脆弱な地質の危険地に設置されたことにより,同標識のコンクリート基礎と脆弱な地質の間に側溝から溢れた雨水がしみ込み,本件斜面の土地の中に雨水が浸透して,土砂と安山岩質熔岩が剥がされて始まり,その結果同標識を支えきれなくなって発生したものであるから,本件国道の設置・管理の瑕疵と本件事故により原告らが被った損害との間には相当因果関係がある。
被告らは,擁壁近くの斜面から崩壊が始まったと主張しているが,本件国道の法面が熔岩から離れ,崩壊した結果,本件斜面の中腹に存在した擁壁に土圧が起こり,これに擁壁が耐えられなくなったものであると考えるのが合理的である。マテバシイの大木をはじめ,設置されていた道路標識とその土台が,擁壁を越えて崩壊したのは,道路標識の土台のあった部分が全体として熔岩から剥離し,崩壊していったものと考えるべきである。
本件斜面は,本件国道の端から約1メートルは平らな法面で,その後急傾斜の法面となり,擁壁になっていた。大量の降雨があった場合には,雨水はつるやホテル所有とみられる急傾斜地に落ちたとしても,草木などもあるから,地面に浸透していくというよりも,ほとんど大部分はこの急傾斜面を降下するのであって,つるやホテル所有斜面が本件事故のきっかけをつくることは理論上も実際上もあり得ない。被告らの主張は,擁壁の崩壊状況を述べているに過ぎない。
【被告静岡県】
本件事故の原因の特定は困難であり,集中豪雨,樹木の生育などによる斜面の性状の変化,脆弱な地質,約50度の傾斜で高低差が約15メートルという急斜面,本件斜面の中腹に構築されていたもたれ式コンクリート擁壁などの要因が複合して崩壊に至ったものと考えられる。本件事故は,斜面中腹の擁壁を巻き込んだ大規模な斜面崩壊ではなく,集中豪雨によって地中の水位が上昇した背面の土圧に擁壁が耐えられなくなり,擁壁の基礎部から滑動を起こして背面の土砂と共に下方にそのままの状態で滑動したものと推定される。そして,擁壁の基礎部が,前方(海側)の起伏がある斜面の凸部あるいは木や石の突起物に引っかかり,基礎部に制動が働いて滑動から転倒に変わり,背面の土砂に押されるような状態で擁壁が勢い良く反転して,本件建物の厨房の天井を突き破ったものと思われる。
したがって,被告静岡県に責任がないことは明らかである。
【被告国】
本件事故は,本件標識の重量が原因ではなく,本件斜面の途中に設置されていたもたれ式コンクリート擁壁が土圧に耐えられなくなり,擁壁の基礎部から背面の土砂とともに下方へそのままの状態で滑動を起こしたことによって生じたものである。
すなわち,本件斜面の途中に設置されていたもたれ擁壁が,本件事故により土砂と共に転倒して本件建物を破壊しているのに対し,本件斜面の上方で路肩に生えていたと思われるマテバシイの大木は,転倒することなく上下がそのままの状態で本件斜面を滑落していることからすると,路肩付近の土砂が下方の擁壁をなぎ倒したということは考えられず,むしろ,擁壁からマテバシイの大木までの間の土砂が下方に滑り落ちたものと考えられる。また,本件標識の設置は,比較的広い路肩に設置されていたこと,マテバシイの大木の近くで風の影響を受けにくいと思われることから,本件事故の原因としては考えにくい。
したがって,本件事故の機序からみても,本件斜面の上方の国有地に原因があったとは考えられない。
(4) 争点④(原告らの損害)について
【原告ら】
太郎は,本件事故の77日後に死亡したが,その死亡と本件事故との因果関係は判然としないから,原告らの損害は以下のとおりである。
ア 休業損害 432万7692円
太郎の本件事故前の給与月額は19万2833円であり,症状固定までは約2年間を要したと考えられるから,休業損害は,462万7992円である。また,本件事故後,労働災害による休業補償給付として30万0300円の支給を受けたから,これを控除する。
イ 逸失利益 1495万5356円
太郎は,両下肢を大腿以下2分の1以上にわたり欠損したので,後遺障害1級となるといえ,労働能力喪失率は100パーセントである。症状固定時67歳,就労可能年数8年として,ライプニッツ係数6.463をもとに算出する。
ウ 太郎の慰藉料 3100万円
太郎は,勤務中突然土砂に押し流され,全身に土砂を浴び,救出されるまでの3時間以上,土砂に生き埋めにされた上,本件事故現場で両脚を大腿部から切断されるという筆舌に尽くしがたい恐怖と苦痛を味わった。その後5回もの手術を受けたことを考え併せると,傷害慰藉料としては少なくとも500万円が相当である。
また,後遺障害1級の後遺症を受けており,後遺障害慰藉料は少なくとも2600万円が相当である。
エ 原告ら固有の慰藉料 各300万円
原告らは,太郎が,突然両下肢を大腿の2分の1以上で切断されるという重大な傷害を負い,痛みに苦しむ姿を見ながら,介護をしなければならないという精神的苦痛を味わった。この苦痛を慰藉するためには少なくとも各自300万円が相当である。
オ 弁護士費用
原告甲野花子につき 300万円
その余の原告らにつき各150万円
本件訴訟の弁護士費用として,原告ら代理人に対し,原告甲野花子は300万円を,その余の原告らは各150万円を,それぞれ支払うことを約した。
カ 原告らは,太郎の死亡により,上記ア〜ウの損害賠償請求権を,原告甲野花子が2分の1,その余の原告らが各4分の1の割合で相続した。
【被告静岡県】
原告らの主張を争う。
ア 太郎が両下肢を大腿以下2分の1以上で欠損したのは平成13年1月10日であるから,原告ら主張の後遺症は同日に発生している。したがって,逸失利益とは別に同日以降の休業損害を重ねて請求することは失当である。
また,通常の就労可能期間である67歳を超える期間の逸失利益の主張は失当である。
イ 仮に,被告静岡県が何らかの損害賠償責任を負うとしても,つるやホテルの建物が急斜面に敢えて建てられたこと,太郎も同ホテルに就職し,自ら危険に接近したこと,本件事故は斜面の集中豪雨に起因することも明らかであり,自然災害としての性格が強いことを考え併せれば,損害の公平な分担の観点から,原告らの被告静岡県に対する請求は,信義則上少なくとも5割の減殺をされることが相当である。
【被告国】
原告らの主張を争う。
第3 当裁判所の判断
1 前提事実のほか,証拠(甲10・12〜14・24,乙1〜3,丙1〜25,山根安英,佐野貴洋,横沢圭一郎及び山田雅彦の各証言,調査嘱託の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の各事実が認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 本件事故現場の状況など
ア 本件国道の設置状況
file_3.jpg本件国道は,アスファルト舗装された片側1車線の総幅員約7.5メートルの国道である。昭和28年に二級国道の指定と区域決定の告示がされ,昭和35年以降,日本道路公団(「以下「公団」という。)が,自然斜面の一部を切り取って建設したものである(右概況図参照)。切り取られた部分以外の斜面はほぼ元のままの状態で残され,本件斜面は,これを本件国道の法面として格別の造成等の工事を施したものではなかった。
本件国道は,崩壊斜面の南方(下田市側)約60メートル付近で,道路の勾配が逆転しており,崩壊斜面付近は北方(伊東市側)に向かってやや緩やかな下り勾配,さらにその北方に向かって急な下り勾配となっている。
崩壊斜面付近の本件国道の海側路肩部分は,本件国道の道路端から幅約1メートルほど平坦になっており,その下田市側南端付近から北方にかけて,国道の高さより約50センチメートル高く土が盛り上がっていた。これは,自然斜面を切り取る際,本件国道の海側の斜面を若干削り残したものである。その先,伊東市方向の海側路肩部分には,ガードレールが設置されていた。
本件国道の両側には排水用の側溝が設置されている。海側(東側)の側溝は深さ約25センチメートル,山側(西側)は約45センチメートルであり,山側の方が断面積が大きい。また,海側の側溝の左右の壁の高さについては,崩壊斜面より北方(伊東市側)では,その海側の壁の方が山側より高くなっていたのに対し,崩壊斜面付近では,動水勾配が緩い上に,海側・山側とも同じであり,側溝の断面積も狭くなっていた。
被告静岡県(静岡県公安委員会)は,昭和63年1月30日ころ,本件国道の海側路肩部分の,上記ガードレールが途切れる付近の場所に,本件標識を設置した。本件標識は,本件国道の管理者である静岡県下田土木事務所と協議の上,道路管理者立会いの下で現地確認を実施した結果,設置に当たっての支障物件はないこと,設置当時,直近に電柱が立っていたほか,後記のマテバシイの大木が繁生していたことから,標識の設置場所として安全性に問題がないと判断されて設置された。その施工方法は,縦(路面に対し垂直方向)0.9メートル,横(路面に対し平行方向)1.2メートル,深さ1.2メートルのコンクリートを基礎に,長さ6.4メートルの鋼管柱をアンカーボルトで固定し,同鋼管柱の上部に取付腕(アーム)とアーム支柱を取り付け,標識板3枚を付設したものであって,当時の仕様に依拠して,玉栗石を敷いた上にビニールシートを貼ってコンクリートを流し込んで固めて基礎を造り,支柱及び標識板を取り付けたものであり,毎秒50メートルの風速に耐える性能が付与されている。その概ねの重量は4トンと考えられていたが,本件崩壊後における計量結果では,基礎部分3550キログラム,支柱及び標識板部分200キログラムの計3750キログラムであった。なお,平成11年7月から同年11月までの間に,静岡県内設置の全ての大型標識を対象として,部材の腐蝕,亀裂その他損傷の有無及び倒壊の危険性について調査が実施されたが,本件標識には何らの異状も認められていなかった。
イ 本件斜面の地形・地質等
本件斜面は,傾斜が約50度(1:0.8)で高低差が約15メートルの急斜面である。その周辺は,海岸線に沿って急崖の海食崖をなしており,波に浸蝕された火山岩の露頭が良く発達している。本件斜面も,波の浸蝕から残った火山岩の岩盤からなっているものと推定される。本件国道の山側上部斜面は,地滑り危険区域となっており,足下を波に浸蝕されて生じたと考えられる後退性の崩壊又は地滑りが数多く見られる。もっとも,本件斜面は,本件国道の開通以来約40年の間に小崩落は確認されているものの,本件崩壊のごとく樹木をなぎ倒すような大規模の崩壊は発生していなかった。
崩壊斜面付近には,性状の異なる安山岩質熔岩が,本件国道の横断方向に分布している。すなわち,崩壊斜面の約10〜20メートル南方(下田市側)には,灰黒色を呈する安山岩質熔岩が分布しており,その分布幅は確認できる範囲で数メートル,その性状は,流理構造が顕著で比較的新鮮硬質であり,ハンマーの打撃で金属音を発し,強打で割ることができる。しかし,崩壊斜面付近では,風化変質した淡赤紫色を呈する安山岩質熔岩が分布しており,その性状は,ハンマーの打撃で濁音を発し,軽打で割ることができ,地質的に不安定である。
また,本件斜面には,本件国道の開通当時からの松等の樹木その他の草木が繁茂していたほか,崩壊斜面の本件国道の路肩部分付近には,樹径約35センチメートルのマテバシイの大木が生えていた。
ウ 本件斜面上の構造物等
本件事故前,崩壊斜面のほぼ中央部にあたる位置(別紙図面1及び2に各記載の位置)に,もたれ式コンクリート擁壁(以下「本件擁壁」という。)が設置されていた。その南北の長さは約8.9メートル,地上からの高さは中央部で約2.88メートル,厚さは天端部で約20センチメートル,基礎部で約60センチメートルであった。傾斜角は約4.7度であったが,その山側背面は斜面にもたれる形ではなく,垂直に立っている状況のものであった。そして,本件擁壁の背部直近の斜面は,斜面が落ち込んで崖状の地形になっており,本件事故前にも小崩落を起こしていた様子が窺われる。
また,本件建物付近には,落石防護柵(高さ1.1メートル)付きコンクリート擁壁,L字状のブロック積,石積等が設置されていた(これらの設置位置は,概ね別紙図面2記載のとおりである。)ほか,本件斜面上に,つるやホテル所有の温水配管が設置されていた。
エ 本件事故当日の気象状況
本件事故当日は,大雨洪水注意報が発令されており,本件事故現場から直線距離で約1.8キロメートルのところに位置する熱川測候所では,それぞれ1時間あたり,午前3時台に37ミリメートル,4時台に25ミリメートル,5時台に30ミリメートルの降雨が観測された。また,本件事故当時,強風が吹いていた。
オ 本件事故の状況
本件事故は,崩壊斜面の土砂が,幅約10メートル,高さ約15メートル,厚さ約2〜3メートルにわたり,約250立方メートル,500トン程度崩れ落ちて発生したものである。これにより滑落した崖部は,本件国道の海側に設置された側溝の海側の壁面に沿って,中央部分が抉れるような形で生じている。
本件事故後の現地調査の結果によると,崩壊斜面では,本件標識がその地盤から落下転倒し,植生の根が引きちぎられた跡が見られ,その北側にある上記ガードレールの基礎コンクリートの下部がむき出しになっている。崩壊斜面やその南側の滑落崖の直下では,風化変質した安山岩質熔岩の露頭部分が確認されている。露出した滑り面は,細粒分が水で流されて,角礫状の風化安山岩質熔岩が露出しており,滑り面の両側部は,細粒分が残った土砂状となっている。本件事故直後,本件建物の厨房には,泥流のような痕跡が見られ,土砂にはかなりの水が含まれていたものと推定される。また,崩壊斜面の両側に残った部分には,崩壊していない岩盤や,斜面に生えている樹木の根が岩盤の亀裂を開口している状況が確認された。本件国道の路肩部分に生えていた上記マテバシイの大木は,倒れることなく本件斜面の下部まで滑落しており,滑落した崖部の南側で倒れた木は,根が水で洗われている。なお,斜面中に地下水が噴出した痕跡は認められなかった。
本件擁壁は,従前の位置からほぼ真下に水平距離で約10メートル移動し,別紙図面2の「擁壁転倒位置」と指示された位置において,基礎部が上になった反転した状態で転倒しており,ほぼ中央部が破断していて,天端のみがかなり腐蝕した鉄筋によってつながっている状態であった。また,本件擁壁の北側半分は,本件建物の1階の屋根で止まっており,南側半分は,本件建物の厨房の天井を突き破って床に叩きつけられた状態で折れて壊れていた。本件擁壁の裏面は,コンクリートの被りがほとんどない状態で,擁壁の前方(海側)には土砂がほとんど見当たらなかった。本件擁壁を撤去したところ,土砂が石積と本件建物の間に詰まって,地表の草木を巻き込んでいる様子が窺えた。また,上記の落石防護柵付きコンクリート擁壁は,柵の端部が激しく曲がって海側に傾いており,転倒した本件擁壁が当たって変状を来たした可能性が強い。さらに,転倒した本件擁壁のほぼ南(下田市側)端部の位置に,直径約50センチメートルの松の大木の切株と転石が確認された。この切株は周りが腐っており,伐採してからかなりの月日が経っていると思われるが,まだ芯部は腐っておらず,根も太くしっかり張った状態であった。
(2) 調査機関による本件事故の要因・機序の推測
被告静岡県の委託を受けて本件事故現場の調査を行った社団法人日本建設機械化協会建設機械化研究所(当時)は,現地調査の結果等から,下記ア〜オの複数の要因により本件事故が誘発された可能性が高いと指摘し,その崩壊の機序については,下記カのとおりであったと推測している(以下「本件推測」という。なお,本件においては,証拠上,これと異なる見解は何ら提出されていない。)。
ア 集中豪雨
本件事故は,時間30ミリメートル前後の雨量が3時間連続したという集中豪雨の時間帯に発生していることから,この集中豪雨の影響により,本件斜面は,雨水の浸透により崩壊しやすい状況になっていた。
イ 樹木の生育による斜面の性状の変化
本件事故前,本件斜面には本件国道開通当時からの松等の樹木が生えており,本件事故のごとく樹木をなぎ倒すような崩壊は発生していないことから,本件国道の開通後,本件事故までの約40年の間に,本件斜面に生えている樹木の生育により,その根が岩盤の亀裂を生じさせるなどして,本件斜面の性状が変化した。
ウ 脆弱な地質
本件斜面のうち,側溝の水が溢れる可能性があり,かつ,斜面に樹木が生えている区間は約60メートルであるが,上記ア及びイの点を勘案すると,崩壊の可能性のある区間は約20メートルに絞られ,崩壊斜面は,そのうち約半分の幅10メートルの区間であるから,脆弱な地質が崩壊しなかった箇所よりも厚く分布していた可能性がある。
エ 斜面の勾配
本件斜面が岩盤の斜面であれば,地盤の安定性は確保できるが,強風化岩の脆弱な地質になると,安定性にやや不安がある勾配といえる。
オ 本件擁壁
上記のとおり集中豪雨による雨水が斜面に浸透したとしても,地山の排水性が良ければ,斜面の安定性は保たれる可能性が強い。しかし,斜面の中腹にダムのようにコンクリート擁壁があれば,浸透した水が堰き止められ,地中の水位が上昇して斜面崩壊を招く可能性は十分考えられる。本件擁壁は,構造的にもたれ式擁壁であり,本件崩壊のような斜面崩壊の土砂に耐え得る構造にはなっていない。
カ 本件事故の機序
以上のとおり,崩壊斜面は,本件国道の開通後,約40年の歳月を経て徐々に不安定な状態となり,以上の要因が複合されて崩壊に至ったものと考えられる。
そして,以下の理由から,本件擁壁を巻き込んだ本件斜面上部からの大規模な斜面崩壊ではなく,崩壊斜面の下部がまず崩壊し,次いでその上部が崩壊して本件国道の路肩部分に至ったものと考えられる。すなわち,①集中豪雨によって地中の水位が上昇した背面の土圧に本件擁壁が耐えられなくなり,本件擁壁の基礎部から滑動を起こして,背面土砂の一部と共に下方にそのままの状態で滑動した,②本件擁壁の基礎部が前方(海側)の起伏がある斜面の凸部あるいは木や石などの突起物に引っかかり,基礎部の制動が働いて滑動から転倒に変わり,背面の土砂に押されるような状態で本件擁壁が勢い良く反転して,その天端部分から本件建物の厨房の天井を突き破った,③その直後に,下方の土砂の崩壊によって支えを失い不安定となった上方の土砂も滑動して,転倒した本件擁壁の手前で堆積した,と推測される。
(ア) 崩壊の規模は,崩壊斜面の横断形状を見ると,本件擁壁の形状とほぼ一致する。そして,本件擁壁があった位置の斜面の両側には岩盤が露出している。
(イ) 転倒した本件擁壁より海側には,ほとんど土砂が堆積していない。また,本件擁壁を撤去した際に,木が巻き込まれていた。
(ウ) 本件崩壊直後の厨房には,泥流のような痕跡が見られたので,土砂にはかなりの水が含まれていたものと推定できる。
(エ) 本件擁壁は,ほぼ中央で割れたような状態になっているが,天端はかろうじて鉄筋が破断せずに残っていたので,転倒するまでは一体となって滑動していたと考えられる。
(オ) 転倒した本件擁壁が本件建物の厨房の屋根に当たり,その後,厨房の床に叩きつけられている。それは,屋根の壊れ方と床に叩きつけられた擁壁の壊れ方から推定できる。
(カ) 落石防護柵の変状からも,この部分に本件擁壁が当たって破損したことが窺える。
(キ) 本件擁壁の下方には大きな切株があったので,転倒した本件擁壁に巻き込まれるようなある程度大きな樹木が植生していたと考えられる。
(ク) 本件斜面の上部(本件国道の路肩部分)に生えていたマテバシイの大木が,倒れることなくそのままの状態で滑動し,本件崩壊後,崩土の堆積部で自立していた。
2 争点①について
公営造物とは,国又は公共団体により直接公の目的に供される有体物又は物的設備を指称し,国又は公共団体が法律上の管理権や私法上の権原を有していなくても事実上管理している状態にあれば足りるというべきであるが,直接公の目的に供されることのない物は公営造物にはあたらないと解するのが相当である。
ところで,前記認定によると,本件国道は,自然の急な傾斜地の中腹部分を一部掘削して建設されたものと認められるが,本件斜面は,自然斜面であり,本件国道の一部ではなく,その建設及びその後の維持において,被告らが,本件国道の使用に供するため,本件斜面に改造等を加えるなどした形跡は窺われない。また,本件事故当時,本件斜面に設置されていた野面石積,ブロック積及び本件擁壁(別紙図面1記載のとおり)は,被告静岡県や公団に設置関係の記録が残っていないこと,いずれの物件も被告静岡県や公団が設置する場合の技術基準には適合しない構造がとられていること,仮に被告静岡県や公団が設置した場合には,通常設置者において敷地を買収する取扱いがなされるが,そのような措置がとられていないこと,これらの物件が,いずれもつるやホテルの所有地内に設置され,本件斜面につき,被告静岡県や公団による事実上の管理も一切行われていなかったこと等の事実に照らすと,つるやホテルにおいて設置したものと推認するのが相当である。もっとも,本件斜面のうち,被告国所有部分を含め,本件国道の路肩部分を支持するに相当な範囲の斜面を含む土地部分(以下「対象斜面」という。)は,本件国道の一部として,その維持等に関連しているというべきであり,この認定を覆すに足りる証拠はない。
したがって,本件斜面の全体が本件国道と一体をなしこれを保持する法面であるから公営造物に該当する旨の原告らの主張は,上記対象斜面を除くその余の斜面については理由がない。
3 被告静岡県の責任
(1) 争点②について
ア 本件斜面自体の設置・管理の瑕疵について
前記のとおり,本件国道は,被告静岡県において管理されてきた公営造物であるが,前記対象斜面を除く本件斜面は,本件国道の一部を構成するものでなく,公営造物とはいえないから,本件斜面上の事故については,被告静岡県は,原則として管理上の責任を負担するものとはいえない。したがって,道路との一体性故に本件斜面全体についても当然に被告静岡県の管理が及び,危険防止義務を負う旨の原告らの主張は採用できない。もっとも,本件斜面で発生した事故であっても,対象斜面の瑕疵に起因した事故については,被告静岡県が責任を負うべきであり,特に,本件のごとく,路肩部分から海側方向に向けて自然な形状を維持した斜面が継続し,しかも,これが急傾斜になっている場合には,本件斜面の状況如何は,ひいて路肩部分にも影響を及ぼし,道路としての安全な機能を損なう事態に発生しかねない危険性を全く否定することはできないから,対象斜面の瑕疵の有無を判断するに際しては,対象斜面のみならず,本件斜面の全体的状況,当該事故の態様,原因等諸般の事情に照らした検討を要するというべきである。
そこで検討すると,前記認定のとおり,崩壊斜面の山側の対象斜面を除く大部分は,つるやホテルの所有にかかるものであること,本件斜面に設置されたブロック積,野面石積及び本件擁壁は,いずれもつるやホテル所有地内に存在し,その構造物の性状からみて,本件斜面からの土砂等による本件建物への危険ないし災害を防止する補強策として,同ホテル側の手によって構築されたものであることから,本件斜面の危険対策等管理責任は,もっぱらつるやホテルに属していたと認められる。また,本件擁壁の構造や設置方法を考慮すると,本件擁壁の存在自体が本件事故誘発の直接の原因を構成しているとまでは認め難いものの,本件斜面の防護壁として相当年数を経過しており,すでに不適切な管理状態に至っていた疑いが濃厚である。そして,証拠上,本件事故の詳細な機序は明確ではないが,前記認定の斜面崩壊の事故前後の状況のほか本件推測をも総合考慮すると,本件事故は,本件斜面の樹木の生育,地質,雨水の浸透等長年の期間にわたる自然的環境作用が主な要因となり,本件事故直前の集中豪雨と相まって,周辺土地に比べて脆弱地質であった崩壊斜面のほぼ中央付近の土圧に変化が生じ,本件擁壁の基礎部分から下方へ滑動を起こして,その背面側土砂とともに下方に崩壊したものと推認するのが相当である(本件推測は,崩壊斜面の現場の状況に照らして不合理なものとは認められず,かえって,横沢圭一郎の証言によれば,これと同様の機序による崩落の事例もしばしばみられるところであると認められる。)。加えて,本件事故当時までに,本件斜面において,多少の表層土砂の崩落が見られた部分はあるものの,路肩部分を含む本件国道の安全性に直ちに影響を及ぼすような危険な兆候があったことを認めるに足りる事情も認められない。
してみると,被告静岡県において,対象斜面がその余の本件斜面によって影響を受け本件国道の安全を脅かすに至っている具体的危険性を予見することはもとより困難であり,本件事故時までに,崩壊斜面がその周辺と比較して,地質的に脆弱な地盤であることを被告静岡県は把握していなかった点を考慮しても,被告静岡県に対象斜面の管理において瑕疵を認めることは困難というべきである。したがって,この点にかかる原告らの主張は理由がない。
イ 本件標識の設置・管理の瑕疵について
原告らは,本件事故の機序に関し,本件標識の設置されていた本件国道の路肩部分から崩壊が始まったものであるとし,本件事故の原因は,本件標識のコンクリート基礎と地面との隙間から雨水がしみ込むという点にあったとして,本件標識の設置・管理に瑕疵があった旨主張している。
本件標識は,被告静岡県によって設置管理されてきたものであるから,本件事故がその管理上の瑕疵によって発生したのであれば,その責任は免れない。しかしながら,前記認定のとおり,本件事故の原因たる土砂の崩落は,本件標識の下部の対象斜面付近から開始したものではなく,崩壊斜面のほぼ中央の本件擁壁付近の土砂が先に崩落したために,その影響で上部地盤も崩れ,本件標識を含む路肩部分が一部下方に崩壊したものと認められる。この点に関する原告らの主張は,崩壊後の現場調査によって明らかな,崩壊斜面のほぼ中央付近の土砂が東西に走る線上を谷のようにして抉れていたこと,本件擁壁は反転している上,中央付近で断裂していること,上記マテバシイの大木が本件事故後に本件斜面の下方で転倒せず自立したままの状態であったことなどの事故後の状況に照らして必ずしも符合しない点があるほか,本件国道付近の上方から崩壊したとすると,その土砂は,転倒した本件擁壁等斜面上の構造物を呑み込み,その海側に堆積すると考えるのが自然であるが,転倒した本件擁壁の海側にはほとんど土砂がみられなかったことなどに徴して,にわかに採用できないというべきである。
そうだとすると,当時本件斜面自体が崩落等の危険にさらされていたとしても,崩落を開始した斜面中腹にある本件擁壁付近の土圧の変化が,本件標識のコンクリート基礎と地面との間の隙間からの浸水によるものであることが立証されなければ,前記被告静岡県の管理上の瑕疵を認めることはできないところ,本件においては,これを認めるに足りる証拠はない。また,本件標識のコンクリート基礎と地面との隙間からの浸水の可能性自体は否定できないとしても,前記認定の本件標識の設置,施工方法からみて,その浸水量は通常の地面の場合と大きな開きがあるものとは認め難いし,これまでに本件標識の設置された箇所の地盤等に何らかの異常が発生するなど,その危険性を窺わせる事情を認めうる証拠もない。加えて,土の1立方メートルあたりの重量は約2トン,コンクリートでは約2.35トン(横沢圭一郎の証言),本件標識の重量は基礎部が3550キログラム,地上部分が200キログラムであるから,本件標識の設置による重量の増加は730キログラム程度(3550÷2350×(2350−2000)+200≒729)と認められ,本件事故による崩土の総重量約500トンのわずか0.15パーセントに過ぎないから,地盤が本件標識の重量を支えきれなくなって本件事故に至ったものとは考えにくい。
以上の認定,証拠状況によれば,本件標識の設置又は管理に瑕疵がある旨の原告らの主張は採用できない。
ウ 側溝の設置・管理の瑕疵について
次に,原告らは,本件国道の海側の側溝が山側に比して小さいこと,海側の側溝の海側の壁が高くなっていなかったことを指摘しつつ,本件事故当時,同側溝が詰まって排水に支障を来たしており,これら本件国道上の瑕疵によって,溢れた雨水が本件斜面を流下して本件事故が誘発されたと主張する。
しかしながら,本件国道の海側の側溝のうち,崩壊斜面から北方に坂を相当下った場所で草や土砂等が側溝内に存在していたことは窺える(甲15・16,弁論の全趣旨)ものの,崩壊斜面付近の側溝の排水機能に支障をきたしていたと認めるに足りる証拠はない。かえって,斜面崩壊部分の本件国道の海側路肩部分には,前記のとおり,側溝のさらに海側に盛り上がった土が土手のように存在しており,これが本件国道から崩壊斜面への水の流下を防止する役割を果たしていたことを考慮すると,従前からはもとより,本件事故当日の集中豪雨の際にも,上記側溝と相まって十分に排水の機能を果たしていたと推察される。また,証人横沢圭一郎の証言中には,本件擁壁の背面における地中の水位の上昇が崩壊の要因と考えられるとして,その水位上昇は専ら本件斜面自体に降った雨水が原因であるとの指摘がある。したがって,本件国道の両側の側溝の排水能力に違いがあることや,海側の側溝の海側の壁が高くなっていなかったからといって,側溝として有すべき通常の安全性を欠いていたものとは到底いえないし,本件事故に結びつくような瑕疵があったとは認められない。
4 被告国の責任
本件国道は,被告国によって設置したものであるが,前記認定によれば,本件国道の設置において瑕疵があるとは認められない。
また,本件国道の管理は,対象斜面を含め,これを専ら被告静岡県において行ってきたものであり,被告国が関与した事実は認められない。すなわち,本件国道は,一般国道の指定区間を指定する政令(昭和33年政令164号)による指定区間とされておらず,本件国道の管理は,その設置以来,法定受託事務として被告静岡県(かつては機関委任事務として静岡県知事)が行い(道路法13条1項・97条1項1号,地方自治法2条9項1号),前記認定によれば,被告国がこれに関与できる場合に該当せず(地方自治法245条以下),もとより被告国は管理につき費用を負担していない(道路法50条2項本文)。したがって,本件において,被告国は,本件国道の管理につき責任を負う主体ないし立場にはなく,管理上の瑕疵を理由とする原告らの主張は失当である。
5 以上によれば,原告らの主張は,その余の争点について判断するまでもなくいずれも採用できず,本件請求は理由がないから,これらを棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,65条1項本文を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・永井崇志,裁判官・岡山忠広,裁判官・大野博隆)
別紙図面1,2<省略>