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静岡地方裁判所沼津支部 平成18年(わ)613号 判決 2007年8月07日

主文

被告人を懲役3年6月に処する。

未決勾留日数中160日をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,平成18年9月24日午前10時15分ころ,静岡県沼津市<以下省略>沼津市社会福祉協議会○○プラザ屋外喫煙所において,A(当時76歳)が被告人に対して殴りかかり,被告人を付近のフェンスに押し付けて被告人の足を蹴り,被告人に対して円柱形のアルミ製灰皿を投げ付けてきたので,自己の身体を防衛するため,防衛の意思をもって,防衛の程度を超え,前記Aの顔面を1回殴打して同人を転倒させ,その頭頂部を地面に打ち付けさせた上,その顔面を数回足蹴りし,その腹部を数回膝蹴りする暴行を加え,よって,同人に頭蓋骨骨折,腸間膜挫滅等の傷害を負わせ,同日午後4時30分ころ,同市<以下省略>聖隷沼津病院において,前記傷害に基づく外傷性クモ膜下出血により同人を死亡させたものである。

(証拠の標目) 省略

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法205条に該当するので,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役3年6月に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中160日をその刑に算入し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(争点に対する判断)

1  弁護人の主張

弁護人は,①被害者とされるA(以下「A」という。)は死亡しておらず,病院に搬送されて死亡が確認された人物と,被告人が本件現場で争っていたAが同一人であるかどうかについて甚だ疑わしい,②被害者の死因とされている頭部打撲や頭頂部の頭蓋骨骨折は被告人のAに対する殴打行為によって発生するはずがなく,被告人の行為とAの死亡との間には因果関係がない,③仮に被告人の行為によってAが死亡したとしても,被告人は本件現場の屋外喫煙所において,Aに因縁を付けられ,Aがいきなり被告人の顔面めがけて殴り付け,被告人の腰を掴んで付近のフェンスに被告人を押し付け,被告人の両側のフェンスを掴んで被告人の動きを封じるとともに,B(以下「B」という。)らに対し,被告人を殴るよう言いながら被告人の足を数回蹴り,Aの側にいたBもAに加勢し,被告人に対し,その左顔面を2回殴った後その足を蹴り,さらにAは重量3キログラムから5キログラムほどの円柱形のアルミ製灰皿を被告人めがけて投げ付けてきたので,被告人は,現場にいたA,B,及びC(以下「C」という。)の3人から自己の身を守るため,右手でAの右頬の辺りを1回殴り,さらに倒れているAに対し,挑発の趣旨で,履いているスニーカーでAの顔面を2回軽く蹴り,その胸部を2回膝で軽く突いたのであって,被告人の行為はAらの急迫不正の侵害に対し,自己の身体等を防衛するためやむを得ずした行為であるから,正当防衛が成立し,仮にそうでなくても過剰防衛が成立する旨主張する。

2  当裁判所の判断

(1)  関係証拠によれば,次の事実を認めることができる。

ア 被告人は,約4年前から判示○○プラザ(以下「○○プラザ」という。)でAを見知り,一緒に将棋を指すなどして面識を有していた。被告人は,その後,○○プラザでAから呼び出されて暴力を振るわれることがあったが,被告人は,その際には,Aに対して反撃することなく収めた。

イ 平成18年9月24日,被告人は,○○プラザ屋外喫煙所で煙草を吸い終え,建物内に入ろうとしたところ,C及びBとともに同喫煙所にいたAから,「ちょっと待て。話がある。」と声を掛けられた。被告人は,Aが被告人に因縁を付けて暴行を加えようとしているのではないかと感じたが,「ああ,そうですか。どうぞこちらへ。」などと答え,被告人とAは,本件現場である,喫煙所西側のフェンスのある広場付近に移動した。被告人とAの2人が場所を移したとき,CとBは,元いた場所に留まっていた。

ウ 被告人とAが本件現場まで移動し,被告人が振り向くと,Aはいきなり被告人に殴り掛かってきた。被告人はこれをかわしたが,Aは,被告人の両腰を掴み,現場付近のフェンスに被告人を押し付けてきた。Aらの声を聞き付けたCとBが様子を見に行くと,Aが,被告人の両脇のフェンスを掴み,被告人をフェンスに押さえ付けており,被告人は,両手でAの胴体を抱えるような体勢であった。Aは,被告人をフェンスに押さえ付けている間,被告人の足を蹴り,被告人もAの足を蹴るなどした。

CとBが被告人とAに近付くと,被告人は,CとBに対し,「おまえら3人で来るのか。」,「おれはやくざだ。」などと言い,さらにBに対して「おまえ殺すぞ。」などと言った。Bは,それに対して「やるならやってみろ。」などと言ったが,CがBを止めるなどして,Bが被告人に手を出すことはなく,CとBは被告人らから約二,三メートル離れた地点で様子をうかがっていた。

その後,被告人は,Aの体が離れた際,Aの顔面を1回殴打した。Bは,被告人がAを殴打した直後に,被告人を止めようと両者の間に入った。

Bが被告人を制止していると,Aは,現場にあった高さ60センチメートル,直径19センチメートルの円柱形アルミ製灰皿を手に取って両手で持ち上げながら,「B,どけ。」などと言って,被告人から約2メートルほど離れた位置から被告人めがけてその灰皿を投げ付けた。被告人は,灰皿を腕で避けようとし,灰皿は被告人の左手に当たった。Aは,灰皿を投げた直後,若干後方へよろめくように体勢を崩した。

被告人は,Aが灰皿を投げ付けた直後,Aに近付き,Aの顔面を1回殴打した。Aは,被告人に殴打されたことにより後方へ仰向けに転倒し,頭頂部を地面に打ち付けた。

被告人は,転倒したAに対し,「おれを甘く見ているな。おれに勝てるのか。おれに勝てるつもりでいるのか。」などと言いながら,Aの腹部や顔面をつま先で蹴り,足で踏み付け,更には膝を曲げて膝蹴りをするなどの暴行を加えた。しかし,転倒したAが被告人に対して反撃するなどの様子はなかった。

CとBは,Aが転倒した後も被告人による暴行を見ていたが,Cは,被告人が暴行を加えるのを見て,Aの身体等の危険を感じ,被告人の前に体を入れて被告人を制止した。そして,CとBは,救急車を呼んでもらうため,○○プラザの事務所へ向かった。

エ ○○プラザの職員であるDは,Aと面識があり,本件当日,CとBから救急車を呼ぶよう要請され,本件現場である屋外喫煙所に赴くと,Aが口から泡を吹き,少しけいれんを起こして,失禁した状態で倒れているのを確認した。そして,救急隊員であるE(以下「E」という。)は,出動指令を受けて本件当日の午前10時25分ころ,本件現場である○○プラザ屋外喫煙所に到着し,同所に倒れていたAに口腔から若干の出血と尿失禁があることを確認して同人を救急車に搬入した。Aは,救急車内において,若干の意識障害の様子が見られたが,Eの問いかけに対し,ある程度の受け答えは可能であり,Eから氏名を尋ねられると,Aである旨応答した。また,Eは,Aの後頭部に線を引いたような2本の擦り傷のようなものを確認している。その後,Aは救急車で判示聖隷沼津病院へ搬送されたが,同日午後4時30分,同病院において死亡が確認された。Aと面識のあるFは,知人からAの死亡を聞き,前記病院においてAの遺体を確認し,また,Aの遺族も前記病院に来院し,死亡した人物がAであることを確認し,さらに,警察官であるGが,後日Aの遺族から事情聴取を行い,死亡した人物がAであることを確認した。なお,本件翌日の平成18年9月25日,Aが本件事件当日に死亡した旨届け出がなされている。

オ Aは,被告人の前記暴行により,頭蓋骨骨折,脳挫傷,外傷性クモ膜下出血,肋骨骨折,脾臓挫滅,腸間膜挫滅等の傷害を受けた。Aの身体の損傷状況は,頭部には,頭頂部と後頭部に表皮剥脱が見られ,右頭頂骨を起点とする3条の骨折線があり,腹腔内には脾臓挫滅により約1400ミリリットルの出血が広がっていた。Aの頭部損傷の程度は極めて高度で致命的であり,腹部損傷の程度も高度であるが,Aの死体を検案した医師は,比較的短時間でAが死亡しているという経過に照らし,より生命維持に重要な頭部外傷を優先して死因となると判断し,直接死因を頭部打撲による頭蓋骨骨折を原因とする外傷性クモ膜下出血と診断した。

(2)  Aの死亡について

前記認定のとおり,Aは,被告人の暴行を受けて本件現場で転倒し,程なく現場に駆け付けた救急隊員により救急車で病院に搬送され,同病院で当日中に死亡が確認されているのであり,これらの過程において,他の者がAと取り違えられたり,すり替えられたというような事情は一切うかがわれない。そして,その死体の損傷状況も,Aが被告人から受けた暴行等の状況とよく合致している。さらに,前記Dは,当公判廷において,実況見分調書(甲2)の写真中の人物はAであること,鑑定書(甲20)の写真中の人物もAであることを供述し,Aと面識のあった前記F及び証人Hも,当公判廷において,前記実況見分調書の写真中の人物はAである旨供述していることからすると,病院に搬送されて死亡が確認された人物とAとが同一人であることは明らかである。

なお,被告人は,当公判廷で,前記実況見分調書添付の写真は合成写真である旨主張するが,証人Iの供述によれば,前記実況見分調書添付の写真は,フィルムカメラで撮影されたものであることが認められ,当該写真が合成されたことをうかがわせるに足りる事情も何ら見当たらないから,被告人の上記主張は全く採用できない。

(3)  被告人の行為と死の結果との因果関係について

前記認定のとおり,Aは,被告人に対して灰皿を投げ付けた後,後方へよろめくように体勢を崩し,被告人の殴打行為により後方へ仰向けに転倒して,頭部を地面に打ち付けたことが認められ,前記のようなAの負傷部位,負傷状況に照らすと,Aの死因に結び付く頭部打撲は,被告人の前記暴行により転倒したことで生じたものと認められる。

したがって,被告人の行為とAの死の結果との間には因果関係が認められる。

(4)  正当防衛等の成否について

ア 急迫不正の侵害について

(ア) 前記認定のとおり,被告人は,Aから呼び止められ,場所を移した先で殴り掛かられ,付近のフェンスに押さえ付けられて動きを封じられ,その間も足を蹴られるなどの暴行を受けたことが認められる。被告人は,体を押さえ付けられている間にAの足を蹴り,Aの体が離れた際にAを1回殴打するなどしているものの,Aの攻撃行為に対応する行為にとどまっていたとみることができる。ところが,その直後にBが止めに入ったにもかかわらず,Aは,なおも,固く大きな円柱形アルミ製灰皿を持ち上げ,被告人めがけて投げ付けているのであり,Aによるかかる侵害行為は,それまでの単なる素手による攻防から,凶器を用いた攻撃行為へと侵害の態様が変化しているのであって,かかる状況の下では,Aが前記灰皿を投げ付けた行為は,被告人の身体に対する急迫不正の侵害に当たるというべきである。

(イ) 検察官は,この点,被告人は,Aとの過去の紛争から,Aから声を掛けられたときにAによる侵害を予期し,さらに,Aに対して執拗に場所の移動を提案した末,現場となった広場まで案内し,Aに対する足蹴行為に及び,2回にわたってAの顔面付近を殴打していることから,被告人はAに対する積極的加害意思をもって侵害に臨んだもので,Aから加えられた侵害の急迫性は否定されると主張する。

まず,侵害の予期の点について検討すると,前記認定のとおり,被告人は,以前にもAから因縁を付けられて暴力を振るわれた経験がある上,本件当日,Aから声を掛けられた際,Aから暴行を受けるかもしれないとの認識があった旨を被告人自身が供述しているところであり,被告人はAによる侵害を予期していたということができる。

そこで,被告人がその機会を利用し,積極的にAに対する加害行為をする意思で予期された侵害に臨んだか否かについて検討すると,前記認定のとおり,被告人は,Aに対し,「どうぞこちらへ。」などと言って場所の移動を提案してはいるものの,Aに執拗に働き掛けたとまでは認め難い。また,被告人は,以前にAから因縁を付けられて暴行を受けた際も,反撃行為には及ばなかったのであり,被告人が場所の移動を提案した事実から直ちにAに対する積極的加害意思があったということはできない。そして,被告人のAへの攻撃の態様をみると,確かに,被告人は,フェンスに押さえ付けられている際にAの足を蹴り,フェンス際でAの体が離れた時とAが灰皿を投げ付けた直後との2回にわたり,Aの顔面を殴打しているが,これらは無抵抗の相手に対する執拗な暴行というわけでもなく,かかる行為は,Aがフェンスに被告人を押さえ付け,被告人の足を蹴り,あるいは,灰皿を投げ付けるなどの攻撃をしてきたことに対応する防御行為としての性格を有しているとみることができる。さらに,被告人の方がAに比して歳が若く,体力的にも勝っていたと考えられることからすると,被告人に積極的加害意思があったのであれば,場所を移した当初から,Aに対し,より強度の暴行を加えることも十分にできたはずであるのに,当初はむしろAの方が優勢な状況にあったとみられるのであって,被告人が上記各行為に及んだことをもって,被告人に積極的加害意思があったと推認することはできない。また,被告人は,Aが転倒した後,無抵抗のAに対して足蹴りなどの暴行に及んでいるが,事態の推移に照らすと,この行為は,Aから灰皿を投げ付けられたことを契機として憤激の情が生じたために行われたものとみられるから,かかる行為に及んでいることをもって,被告人が当初から積極的加害意思を有して侵害に臨んだと推認することもできない。

よって,被告人がAによる侵害を予期した上で,積極的加害意思をもって侵害に臨んだと認めることはできない。

(ウ) また,検察官は,Aが灰皿を投げ終わった時点において,Aは手に何も持っていない状態で,後ろにバランスを崩し,それ以上,被告人に対して素手で暴力を加えるような気勢を示すこともなかったことから,被告人が灰皿を投げ付けられた直後にAを殴打した時点において,Aによる侵害が既に終了していたと主張する。

しかしながら,前記認定のような,Aが,自分から被告人に因縁を付け,被告人に殴り掛かり,フェンスに被告人を押さえ付けて被告人の足を蹴り,途中でBが被告人を止めに入っているにもかかわらず,被告人に対して灰皿を投げ付ける行為に出ているという,被告人がAの顔面を殴打する行為に及ぶまでの経緯に照らすと,Aの被告人に対する加害の意欲はなお旺盛かつ強固であったというべきであり,Aが灰皿を投げ付けた直後に後方へ体勢を崩していたとはいえ,被告人が殴打行為に及ばなければ,Aが体勢を立て直して再び被告人への攻撃に及ぶことは容易で,その蓋然性も相当程度存したといえる。したがって,被告人が灰皿を投げ付けられた直後にAを殴打した時点において,Aによる侵害行為が終了していたとみるのは相当でない。

(エ) 以上によれば,Aが被告人に対して灰皿を投げ付けた行為は,被告人の身体に対する急迫不正の侵害ということができ,被告人がその直後にAを殴打した行為については,急迫不正の侵害に対する行為とみることができる。

もっとも,被告人が,転倒したAに対して更に足蹴り等の暴行を加えた時点においては,Aは,地面に頭を打ち付け,転倒したまま起き上がる様子はなく,被告人に対する攻撃行為に出てはおらず,何らかの攻撃をしようとするような素振りも見せていなかったのであるから,この時点では,Aによる侵害は既に終了していたというべきである。また,CとBも被告人に対する侵害行為には何ら及んでいないと認められるから,この段階において,被告人に対する急迫不正の侵害があったということはできない。

したがって,Aが転倒した後の被告人の暴行については,急迫不正の侵害に対する行為とみることはできない。

イ 防衛の意思について

被告人は,捜査段階において,「それまでAにやられてもずっと我慢し,また,連れが止めていたにもかかわらず,それでもなお被告人に向かってAが灰皿を投げ付けてきたので,もう我慢できず,カーッとなってAの右頬を右拳で1回殴った。」旨供述し,当公判廷においても,「灰皿を投げ付けられて,かちんときて,その瞬間に1発殴った。」旨供述しており,被告人が殴打行為に至るまでの経緯や,その後に被告人がAを足蹴りするなどの行為に及んでいることなどに照らしても,被告人がAの顔面を殴打した当時憤激していたことは否定し難い。しかしながら,正当防衛における防衛の意思は,急迫不正の侵害の存在を認識し,これを排除する意思があれば足り,同時に憤激していたからといって,直ちに防衛の意思を欠くものとすべきではない。そして,前記認定のような経緯や,Aの侵害行為及び被告人の殴打行為の態様等に照らせば,被告人は,防衛の意思を併存して有していたものと認めることができる。

検察官は,被告人は,灰皿を投げ付けられた直後,約2メートルの間隔があったAに自ら近付いて顔面を殴打していることから,被告人は専ら攻撃の意思で殴打行為に及んだもので,被告人に防衛の意思は存在しなかったと主張する。

しかし,Aの侵害行為の態様自体が,約2メートルほど離れた位置から灰皿を投げ付けるというものであり,これに対する反撃行為をするために自ら相手方に近付いたからといって,そのことをもって,直ちに防衛の意思を欠くとすることはできないというべきである。

したがって,被告人が,Aから灰皿を投げ付けられた直後にAを殴打した行為については,防衛の意思に基づくものと認めることができる。

これに対し,被告人がAを殴打した後,転倒したAに対して足蹴り等をした行為については,前記のとおり,そもそもこの時点では急迫不正の侵害があったとみることはできず,被告人が防衛の意思をもって上記行為に及んだといえる状況にはなかったことが認められ,また,被告人自身,当公判廷において,Aに対して専ら挑発の趣旨で上記行為に及んだ旨供述していることにも照らすと,この段階の暴行については防衛の意思に基づくものということはできない。

ウ 防衛行為の相当性について

被告人が,Aから灰皿を投げ付けられた直後にAを殴打した行為については,この反撃行為は素手による1回限りのものであり,他方でAによる侵害は固く大きな円柱形アルミ製灰皿を投げ付ける行為であるから,被告人による反撃行為は防衛のために必要な限度のものであったとみることができ,急迫不正の侵害を避けるためにやむを得ずしたものということができる。

他方で,Aが転倒した後の足蹴り等の行為については,前記のとおり急迫不正の侵害が過ぎ去った後の,しかも防衛の意思を欠く行為である上,それ自体,転倒して無抵抗の状態にあったAの顔面や腹部を複数回にわたり足蹴りするなどするというもので,死体の損傷状態に照らして相当強度の暴行と認められるのであって,防衛行為として相当ということはできない。

エ 被告人の行為の評価について

以上のように,被告人の行為は,当初は急迫不正の侵害に対して防衛の意思をもってした正当防衛の性質を有するものとして始まったものの,Aが転倒した以降は,急迫不正の侵害が終了し,被告人においても専ら加害の意思で足蹴り等の暴行を加えており,この段階に至っては,正当防衛ないし過剰防衛の成立する基盤はなくなっていたというべきである。

そこで検討するに,被告人の上記各行為は,さほどの時間的間隔をおかない同一機会に,同一場所において,同一の被害者に対し,灰皿を投げ付けられたことなどに起因する同根の暴行の故意に基づき,数分間という短時間で連続的に行われたのであって,急迫不正の侵害に対する反撃行為に比して,その侵害が去った後の暴行行為が質的・量的に著しく変化したり,死の結果発生への寄与度が高いなどの事情が認められない限り,上記各行為を分断せずに一体のものとして評価することが自然である。

そこで,そのような事情の有無についてみると,本件においては,前記認定のとおり,Aが転倒する前の殴打行為と,転倒した後の足蹴り等の行為は,質的・量的に著しい変化があるわけでもなく,また,Aは,被告人が灰皿を投げ付けられた直後の殴打により,後方へ転倒して頭部を地面に打ち付けており,それにより頭蓋骨骨折による外傷性クモ膜下出血が生じ,他方で,Aが転倒した後の被告人による腹部等への足蹴り等の行為により,肋骨骨折,脾臓挫滅及び腸間膜挫滅等の傷害が生じており,腹部損傷の程度も高度で死の危険を生じさせるものではあるが,Aの直接の死因は頭部打撲による外傷性クモ膜下出血と認められることから,Aが転倒する直前の被告人の殴打行為の方が,その後の足蹴り等の行為よりも,Aの死の結果発生への寄与度が高いことが認められる。

そうすると,Aの転倒直前の被告人の殴打行為と,Aの転倒直後の足蹴り等の行為は,分断して評価せずにAの侵害に対する一連の反撃行為とみることが自然であり,これらの行為を全体的に観察して正当防衛ないし過剰防衛の成否を判断するのが相当である。

そして,本件においては,Aの転倒前に殴打した行為については,前記のとおり正当防衛が成立する状況下にあったが,Aの転倒後に引き続いてなされた足蹴り等の暴行は,無抵抗のAに対して執拗に加えられたもので,脾臓挫滅等の高度な傷害を負わせており,被告人による反撃行為全体をみると,防衛に必要な程度を逸脱し,防衛手段としての相当性を欠くものというべきである。

したがって,被告人の行為については,全体として1個の過剰防衛が成立する。

なお,誤想防衛ないし誤想過剰防衛の成否について検討すると,被告人は,転倒して無抵抗の状態にあるAに対し,それを認識した上,執拗に足蹴り等の暴行を加え,高度の腹部損傷等の傷害を負わせているのであるから,侵害の急迫性ないし手段の相当性について誤想するような状況にはなかったと認められ,誤想防衛ないし誤想過剰防衛が成立する余地はない。

オ 小括

以上のとおり,被告人のAに対する本件暴行行為については,過剰防衛が成立し,弁護人の主張は,この限度で理由がある。

(5)  結論

以上の次第であり,弁護人の主張は,病院で死亡が確認された人物と被告人が争っていたAが同一人であるかどうかは甚だ疑わしいという前記①の点については理由がなく,被告人の行為とAの死亡との間には因果関係がないという前記②の点についても理由がなく,被告人の行為は正当防衛ないし過剰防衛が成立するという前記③の点については,正当防衛の成立は認められないが,過剰防衛が成立するので,この限度で理由がある。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,灰皿を投げ付けるなどの暴行を加えてきた被害者に対し,その顔面を1回殴打して被害者を転倒させ,更に被害者に足蹴りするなどの暴行を加え,被害者を死亡させた傷害致死の事案である。

被告人は,被害者に因縁を付けられた上,殴り掛かられ,さらに,灰皿を投げ付けられたことなどが契機となっているとはいえ,被害者の行為に対して憤激の情を抱き,本件犯行に及んだもので,その動機は短絡的といわざるを得ない。

犯行態様は,被害者の顔面を殴打した上,これにより転倒し,無抵抗の状態となった被害者に対して,更に複数回にわたり,身体の枢要部である顔面,腹部を足蹴り,膝蹴りする暴行を加え,被害者に脾臓挫滅等の傷害も負わせており,極めて危険であり,執拗かつ悪質な犯行である。

本件により被害者の尊い生命が奪われており,生じた結果は誠に重大である。

残された遺族の悲しみも大きく,被告人に対する処罰感情にも険しいものがある。

被告人は,被害者とされる人物は死亡しておらず,また,転倒した被害者を軽く蹴ったにすぎないなどと不合理な弁解に終始しており,真摯な反省の情は見られない。

以上の諸点に照らすと,被告人の刑事責任は重い。

そうすると,被告人の行為については過剰防衛が成立すること,被告人は,被害者による暴行が契機となって偶発的に本件犯行に及んでおり,本件に至る経緯において被害者にも一定の落ち度が認められること,被害者の死に直接結び付く暴行行為を行った際には正当防衛が成立する状況下にあったこと,被告人は近年は粗暴犯による前科は有しないことのほか,被告人の健康状態等,被告人のために有利に斟酌すべき事情を考慮してもなお,被告人の責任は重いというべきである。

そこで,以上の諸事情を総合考慮し,被告人に対し,主文の刑に処するのが相当であると判断した。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑 懲役6年)

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