静岡地方裁判所沼津支部 平成20年(わ)147号 判決 2008年9月22日
主文
被告人を禁錮3年に処する。
この裁判確定の日から4年間その刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,汽船A(小型兼用船,総トン数16トン)の船舶所有者兼船長として,同船の操船等の業務に従事していたものであるが,平成18年10月8日午前3時10分ころ,静岡県下田市所在のa岸壁において,Bら旅客14名を同船に乗船させ,同人らをして東京都神津島村周辺海域において遊漁をさせるべく,僚船5隻と相前後して同岸壁を出港し,同日午前4時8分ころ,静岡県下田市b所在のC灯台から真方位145.5度,距離8.1海里付近海上において,僚船から航行予定海域の荒天が予想される旨の無線連絡を受け,それまでの真針路160度から真針路125度に変針して速力約14ノットで航行するに当たり,当時は天候晴れ,月明かりによる視程約160ないし170メートル,西ないし北西の風約12メートル毎秒,西方すなわち自船右後方からの追い波を受けて航行中であり,かつ,自船右後方から高さ約5ないし6メートルの波が3つ連続して迫ってきていたから,追い波の状態を絶えず監視し,高波が来襲した場合にはこれを早期に発見して回避すべく操船を行い,波により船体が横転,転覆するのを未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,高波が来襲することはないものと軽信し,追い波の状態を監視しないまま漫然操船を行った過失により,同日午前4時16分ころ,前記C灯台から真方位142度,距離9.9海里付近海上において,自船右後方から3つ連続して来襲した高波を直近に迫ってようやく認め,波に自船を追い越させて乗り切ろうとしたが及ばず,3つ目の高さ約6メートルの波により船体を著しく前傾させた上,船首を海中に没入させて船体を左舷側に横転させて転覆させ,よって,そのころ,同所付近海域において,別表(省略)記載のとおり,前記旅客Bほか6名を溺死等により死亡させ(うち5名は死亡認定),同Dに入院加療約13日間を要する溺水の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)省略
(法令の適用)
罰条 判示所為のうち,業務上過失往来危険の点について刑法129条2項
判示所為のうち,各業務上過失致死傷の点について刑法211条1項前段
科刑上一罪の処理 刑法54条1項前段,10条(1罪として刑及び犯情の最も重い別表番号1の業務上過失致死罪の刑で処断する。)
刑種の選択 所定刑中禁錮刑を選択
刑の執行猶予 刑法25条1項
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は,①被告人が遭遇した波は,突発的,局地的に発生,消滅する波長が短く波高が高い不規則な波で,波頂は短く三次元的に尖っており,突然に現れ分散して消えてゆくものであって,視程の効く100メートル以上彼方で発生し,それが被告人船舶に迫ってきたとは断定できない,被告人船舶の間近数十メートルで発生したかも知れない,現に,被告人が発見したのは被告人船舶の間近20メートルだったことからして,むしろ間近で突然発生した可能性が高い,したがって,被告人がこれらの波の発生を予見することはできず,予見可能性がなかった,②被告人がどんなに追い波を監視していたとしても,本件3つの連続した高波を最初の第1波で一塊の「3つ連続してくる大きな波」として気付くことはできなかった,したがって,被告人がこれらの波の発生を予見することはできず,予見可能性がなかった,③被告人が遭遇した波は,幅が一定でその幅だけ外へ出れば回避できるというものではないので,第1波を見てその後の波の幅も予見せよというのは無理であるなどと主張する。
そこで,まず①の点について検討する。関係証拠によれば,被告人が遭遇した3つの波は,その第1波が被告人船舶の右後方約20メートルの地点で被告人に高さ約5メートルのものとして発見され,第2波,第3波がそれぞれ高さ約5メートル,約6メートルのものとして発見され,その後,それまで来襲していた波と同様の進行方向と速度を保ちつつ,被告人船舶を直撃していること(第1波が被告人船舶に到達した後第2波が到達するまで,第2波の後第3波が到達するまでにいずれも20~25秒かかった。),被告人船舶の速度が当時約14ノットであり,これらの波はそれよりもいずれも2~3ノット速かったので,毎秒1~1.5メートルの割合で被告人船舶に接近し,被告人が波を発見してから約13~20秒後に被告人船舶を直撃したことが認められる。これらの事実に照らすと,被告人船舶を直撃した波は,立て続けに3つ出現した上,出現してから約13~20秒の間にわたり,それまでに被告人が遭遇した他の波と同様の速度と進行方向で被告人船舶を追いかけたことになる。この波の速さが,被告人船舶を2ノット上回って約16ノットであったとすれば,その進行距離は約107~164メートルに,同様に3ノット上回って約17ノットであったとすれば,約114~175メートルになり,これらの波が少なくとも約13~20秒の間持続し,しかも約107~175メートル進行したこととなる。このような本件3つの波の出現していた時間,進行方向,速度,進行距離などのほか,被告人自身も,被告人船舶の針路を変針した後,本件3つの波に遭遇するまでに,波が右舷斜め後方から被告人船舶よりも速い速度で押し寄せてきて,その波高が約4~4.5メートルになっていた旨供述していることや,被告人船舶と同じ海域を航行していた僚船船長は,「波高4メートル位,波長40メートル位の潮波が発生していました。本船の横を5メートル位の大きな波が通ることもありました。」,「波の状態は,西から北西の波で,本船の右斜め後方から波が押し寄せてくる状態,いわゆる追い波の状態で,平均波高約4メートル,約5メートルの潮波が本船近くを通過することもあり,注意深く操船をしなければいけませんでした。」,「(変針後の海象条件として)Eの本船の横を5メートル位の大きな潮波が通ることもありました。」などと供述していることをも併せ考えると,被告人が遭遇した3つの波は,それまでの追い波と同様に,海面で潮流とは逆方向の風が吹くことによって発生する潮波であって,弁護人の主張するような,突発的,局地的に発生,消滅する波長が短く波高が高く不規則で,波頂が短く三次元的に尖っており,突然に現れ分散して消えてゆくものではなかったと認めるのが相当である。なお,海上で発生する波の中には,確かに弁護人の主張するような波として「三角波」と呼ばれる波(進行方向の異なる2つ以上の波がぶつかってできる波で混合波ともいい,海が突き上げられたように三角形の峰が尖った大波になる)があるが,上記指摘した諸点に照らすと,被告人が遭遇した3つの波は「三角波」ではないと認められる。ちなみに,本件海難審判裁決書でも,「三角波」の発生はなかったと判断している。
以上のとおりであるので,被告人がこれらの波の発生を予見することはできず,予見可能性がなかったということはできず,この点に関する弁護人の主張は失当というほかない。
次に,②の点について検討する。関係証拠によれば,被告人が遭遇した本件3つの波は,第1波,第2波の波高がそれぞれ5メートル位,第3波の波高が6メートル位で,第1波が襲ってきてから第2波が襲ってくるまで,第2波が襲ってきてから第3波が襲ってくるまでそれぞれ20~25秒程度かかったこと,被告人が本件3つの波に遭遇したときの被告人船舶の速度は約14ノットであり,追い波はそれより2~3ノット(秒速約1~1.54メートル)速かったこと,被告人船舶が追い波と同じ速度まで加速するのに約30~40秒かかること,被告人は第1波が約20メートル弱位右舷斜め後方に迫ったのに気付き,これを左に舵を切って船の真後ろから受けるようにしてやり過ごし,更に第2波が後方約20メートルに迫ったのに気付き,被告人船舶の速度を加速してもよけきれず,第1波をやり過ごしてから20~25秒後に追いつかれ,これを同様にしてやり過ごし,更に第3波が後方約20メートルに迫ったのに気付き,被告人船舶の速度を加速してもよけきれず,20~25秒後に追いつかれ,これを同様にしてやり過ごそうとしたが,被告人船舶を横転させて転覆させたことが認められる。これらの事実に照らすと,被告人は,第1波を被告人船舶の右後方約20メートルの地点に発見した時点では,第2波,第3波が事前に見えるか否かを問わず,被告人船舶を加速してももはや本件3つの波に追いつかれてしまうのである。船が追い波を受けると,ブローチング(船が荒れた海面を斜め追い波を受けて航行中,波の下り斜面で回頭しかけたとき,コースに戻そうとして舵を一杯にとっても,より大きな波の力のために操縦不能となり,回頭を続けながら傾斜し,滑るように流される現象であり,ときには転覆に至ることもある)の危険があるため,これを避けるためには,できる限り波高や潮流の少しでも穏やかなコースを選ぶとか,斜め追い波になるようなコースは避けることが要請されているのである。現に僚船の船長らは,波高の高い追い波の場合には,波を早期に発見して波をまともに受けないよう針路を変えて波をよけているのである。
したがって,被告人が第1波を発見した地点や時点及びそれより後の地点や時点においては,被告人船舶も転覆したように,法的評価の視点から判断すると,もはや回避可能性があるとすることはできず,被告人の過失行為を捉えるべき地点や時点はそれよりも場所的・時間的に遡ることになる。ところで,上記のとおり,被告人船舶がその走行速度約14ノットから本件波を上回る速度(波の速度は約16~17ノット)まで加速するのに,概ね30~40秒程度を要したのであるから,ちなみに計算してみると,本件波が約16ノットである場合(被告人船舶より秒速約1メートル速い場合)を想定すると,被告人船舶の加速に30~40秒を要するのであるから,第1波を約30~40メートル手前までに発見し,直ちに加速すれば,後方から波に追いつかれる以前に,被告人船舶を追い波の速度より上回る速度まで加速することが可能であり,本件波が約17ノットである場合(被告人船舶より秒速約1.54メートル速い場合)を想定すると,被告人船舶の加速に30~40秒を要するのであるから,第1波を約46~62メートル手前までに発見し,直ちに加速すれば,後方から波に追いつかれる以前に,被告人船舶を追い波の速度より上回る速度まで加速することが可能であったといえる。すなわち,被告人船舶の速度を加速すれば本件波に追いつかれないような地点・時点で本件波の第1波を発見し,その波に追いつかれないよう加速しながら舵を少しずつ切って波の通り道から逃げれば,本件3つの連続した波の直撃を避けることが十分可能であったと認められる。
さらに,関係証拠によれば,被告人は,天候晴れ,月明かりによる視程約160~170メートル,西ないし北西の風約12メートル毎秒,西方すなわち自船右後方からの追い波を受ける気象海象条件下で航行中であったこと,被告人船舶を変針後,波は西向き(右後方から)で変わらなかったが高さが徐々に大きくなりそれまでの2~3メートルから4~4.5メートル,波長約40メートルになっていたこと,被告人は,視程が約160~170メートルあったのに,油断して右後方を目視しなかったこと(なお,被告人は当公判廷で,当時の視程について,「当時の月明かりでは水平線も見えず,100メートル位先で波が砕けるのが白く見える」程度であった旨供述する部分もあるが,この供述は,被告人の当公判廷における上記箇所以外の供述,捜査段階の供述や僚船船長などの供述に照らして信用できない。),第1波,第2波の高さはいずれも5メートル程度であり,第3波の高さは6メートル位あり,その波長は約40メートルになったことが認められる。
これらの事実に照らすと,被告人が監視を怠らず,早期に,本件3つの連続した高波の最初の第1波を発見していれば,その視程内に「3つ連続してくる大きな波」(第2波,第3波)に気付くことができたといえる。仮に,海面の状態などで第2波,第3波が一時的に見えなかったとしても,少なくとも,変針後の波の状況に照らすと,波長の短い複数の波が次々に被告人船舶に押し寄せてくることを十分予見できたといえる。それなのに,被告人は,最初の第1波を直近約20メートル程度にまで迫ってようやく発見したに過ぎず,この時点ではもはや被告人船舶を加速して波から逃げたり舵を切って波の通り道から外れるなどして高波の直撃を避けるといった回避措置を講じることができず,第1波,第2波はなんとかやり過ごしたが,第3波の高さ約6メートルの波の直撃を船尾側から受け,船尾が大きく持ち上げられて船首を海中に没入させ,船体を左に横転させて転覆させるに至ったのである。
以上のとおりであるので,被告人は,視程160~170メートルまで視認可能であったので,監視を怠らなければ,本件3つの連続した高波に気付くことはできたはずであり,仮に,海面の状態などで一時的に第2波,第3波が見えなかったとしても,少なくとも,変針した後の波の状態などに照らすと,波長の短い複数の波が次々に被告人船舶に押し寄せてくることを十分予見できたといえる。したがって,被告人がこれらの波の発生を予見できず,予見可能性がなかったということはできず,この点に関する弁護人の主張も失当というほかない。
さらに,③の点について検討する。被告人が遭遇した波は,上記①で検討したとおり,いわゆる潮波であり,これまで被告人や僚船船長が受けていたものと同種類のものである。幅が一定であるとまではいえないものの,潮の流れなどから発生している以上,その波には幅があり,幅だけ外へ出れば回避できるといってよい。被告人も,高さ6メートル位の大波といっても幅はせいぜい10メートル位で,つまり横幅が数百メートルもある壁のようなものではなく,うまくコース取りをすれば大波を受けないようにするのは可能である旨供述している。したがって,この点に関する弁護人の主張も失当というほかない。
以上の諸点のほか,被告人は当時海が荒れてきていることを認識しながら,右後方からの追い波を次々に受けて航行していた状況に照らすと,被告人には右後方から波長の短い連続した波が来襲することを予見すべき注意義務があったことが認められる。
ところで,被告人自身も,本件同様に右舷斜め後方から本件転覆した大波と同じ位の高さ,波長の大波に遭遇したときの対応について,捜査段階において,「過去1回,今から7年くらい前にあり,その時は,早めに後ろから来る波を視認しており,大波の進行方向から逃げるように操船できたので転覆することなく安全に航行できました。この時は,今回と同じように,右舷斜め後方から平均高さ約4から4.5メートル,波長40メートルの波を受けて航行している途中,周囲の平均よりも高さのある高さ約6メートルの大波が来たのですが,先ほど申しましたとおり,大波といっても,波の横幅はせいぜい約10メートルくらいですので,機関回転数を1700回転から2350回転まで上げて増速することで大波の進行方向から逃げる形で操船し,結果としてその大波を受けずに航行することができたのです。今回転覆した大波についても,波の発生,来襲状況を早期に把握していれば,時間的に余裕があるので,7年前と同じく,大波の進行方向から逃げる形の操船ができ,結果として今回転覆した大波を受けずに航行することができて,転覆することはなかったと思います。」と供述し,僚船船長の多くも,高さ6メートル程度の波が後方から迫ってきた場合,波の直撃を受けつつやり過ごす方法では転覆の危険があるため,波を早期に発見して,そもそも波の直撃を受けないよう操船する必要がある旨供述している。これらの諸点に照らすと,被告人には回避可能性とともに回避義務違反も認められる。
以上のとおりであり,その他弁護人の主張するところを子細に検討しても,被告人には,判示のとおり,追い波の状態を絶えず監視し,高波が来襲した場合にはこれを早期に発見して回避すべく操船を行い,波により船体が横転,転覆するのを未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,高波が来襲することはないものと軽信し,追い波の状態を監視しないまま漫然操船を行った過失があると認められる。被告人には,判示のとおり,業務上過失往来危険罪,業務上過失致死傷罪が成立する。
(量刑の事情)
本件は,遊漁船業を営んでいた被告人が,釣り客等合計14名を所有する被告人船舶に乗船させて漁場に向かう途中,背後から高波の直撃を受けて被告人船舶を転覆させ,合計7名を溺死等により死亡させ,1名に溺水の傷害を負わせた業務上過失往来危険,業務上過失致死傷の事案である。被告人は,船舶を操船する者として,その船舶に迫ってくる波の状況を注意深く監視するという基本的な注意義務があるのに,これを怠ったものである。本件犯行の結果,7名の貴重な命が奪われ,1名が傷害を負ったもので,その結果はまことに重大である。死亡した被害者は,31歳ないし61歳の年齢で,その多くは養うべき家族を持ち一家の大黒柱として活躍していたもので,本件犯行により,志半ばにして命を絶たれた被害者らの無念さは察するに余りある。その遺族は,本件により,精神的にも経済的にも深刻な影響を被っており,その影響は計り知れない。1名の被害者の遺族を除いて,示談が成立しているが,遺族の処罰感情が融和しているということはできない。これらの事実に照らすと,被告人の刑責は重い。
しかしながら,死亡した被害者1名の遺族を除いて,示談が成立したこと,示談金のほかに見舞金も支払ったこと,被告人が慰霊の集いを開催し,慰霊碑を建立したこと,被告人が海難審判で業務停止3か月の処分を受けていることのほか,被告人の反省の情,更生の決意など被告人のために有利に斟酌すべき事情も認められる。
したがって,これらの諸点も考慮し,主文に掲げた刑に処した上,その刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。
よって,主文のとおり判決する。
(検察官求刑 禁錮4年)
(裁判官 原啓)