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静岡地方裁判所沼津支部 平成7年(ワ)233号 判決 2001年1月10日

原告

丁野花子

外2名

上記3名訴訟代理人弁護士

淡谷まり子

稲垣隆一

被告

沼津市

代表者市長

斎藤衛

訴訟代理人弁護士

平沼高明

井口賢明

堀内敦

加々美光子

小西貞行

訴訟復代理人弁護士

平沼直人

主文

1  被告は原告丁野花子に対し、金1億211万9178円及び内金9281万9178円に対する平成5年4月2日から、内金930万円に対する平成7年6月4日から各完済に至るまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告丁野太郎、同丁野春子に対し、各金330万円及び内金300万円に対する平成5年4月2日から、内金30万円に対する平成7年6月4日から各完済に至るまで年5分の割合による金員を支払え。

3  原告らのその余の各請求を棄却する。

4  訴訟費用は、これを10分し、その3を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

5  主文1、2項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

1  被告は原告丁野花子に対し、金1億4539万6696円及び内金1億3219万6696円については平成5年4月2日から、内金1320万円については平成7年6月4日から完済に至るまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告丁野太郎、同丁野春子に対し、それぞれ金330万円及び内金300万円については平成5年4月2日から、内金30万円については平成7年6月4日から完済に至るまで年5分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告の設置する病院に入院して長女(原告丁野花子)を分娩した原告丁野春子とその夫である原告丁野太郎が原告丁野花子とともに、原告丁野花子が重症の脳性麻痺となったのは、同病院の医師が安全に娩出させるべき注意義務に反して原告丁野花子を分娩時に長時間にわたる低酸素状態においたためであるとして、被告に対し、民法415条又は民法715条に基づいて損害賠償を請求した事案である。

第三  争いのない事実及び容易に認定できる事実

一  当事者

1  原告丁野花子(以下「原告花子」という。)は平成5年4月2日、原告丁野太郎(以下「原告太郎」という。)を父、原告丁野春子(以下「原告春子」という)を母として出生した女児である。

2  被告は沼津市東椎路に沼津市立病院(以下「被告病院」という。)を設置する地方公共団体である。

3  原告春子は、妊娠初期から被告病院で検診を受け、以後入院して分娩するまで被告病院で継続的に診療を受けていたのであるから、被告病院と原告らとの間には、原告春子の妊娠から出産に至るまでの経過を注意深く観察し、原告花子を安全に分娩させるべき医療契約上の義務があった。

二  本件医療事故の経過

1  原告花子の母原告春子は平成4年6月頃に妊娠し、同年8月4日の初診から出産に至るまで、被告の設置する被告病院の産婦人科において診療を受けていた。妊娠中、春子は被告病院で定期的に検診を受けていたが、胎児に関しては、出産直前の検診まで常に「順調であり問題はない」と診断されていた。

2  原告春子の出産予定日は、平成5年3月31日であったが、原告春子は平成5年4月1日夕方頃から軽い陣痛(前駆陣痛であり不規則な子宮収縮)を感じ、午後9時頃からはその間隔が10分程度となり、午後10時頃からは陣痛が規則的になってきたため、翌4月2日午前2時頃、被告病院産婦人科に入院した。入院した時点では、陣痛は5分間隔、子宮口は2〜3センチメートル開大であったため、原告春子はそのまま陣痛室に入り、同日午前2時37分から外側式分娩監視装置の装着を受けた。

3  同日午前7時45分頃、原告春子は破水し、午前10時30分子宮口は8センチメートル開大で、児の下降度マイナス1となったが、その後も陣痛は継続するものの子宮口の開大は進まず、同日午後からは分娩は遷延ないし停止した。

4  原告春子の分娩担当となった被告病院の甲野医師は、同日午前8時頃、第1回目の内診をし、その後午前10時半、午後1時半にも内診をした。同日午後4時頃、甲野医師は、原告春子の診察をし、胎児が回旋異常(第2回旋が起こらない。)にあることを確認した。

上記のように原告春子の分娩が遷延したため、甲野医師は、原告春子に対し陣痛促進剤(プロスタグランデイン)を投与するなどしたが、原告春子の子宮口は全開に至らなかった。被告病院の甲野医師は、同僚の乙野医師と共に、同日午後5時50分頃、原告春子の内診をしたが、回旋異常の状態は変わっておらず、子宮口の開大・児の下降も進んでおらず、産道の軟化も進んでいなかった。甲野医師は、乙野医師と共に、軟産道の改善を目的に原告春子に仙骨硬膜外麻酔を施した。これにより子宮口は開大し、児の位置は全体としてやや下降し、低在横定位となった。右麻酔施行後、甲野医師と乙野医師は陣痛室を離れ、午後6時30分頃に原告春子は看護婦に介助されて分娩室に移動した。看護婦は原告春子を分娩台に寝かせ、心音モニターをセットしたが、その時刻は分娩監視装置の記録によれば午後6時35分頃であった。

胎児の心拍数は、原告春子が分娩室に移ってモニターを装着された時点で徐脈となり、午後6時37分から38分頃の間は高度徐脈となった。午後6時45分頃に心拍数はいったん120を超えたが、午後6時50分頃からは頻脈となり、これが2分ほど続き、午後6時45分頃からは高度徐脈となった。

同日午後6時58分に子宮口が全開大となり、児がプラス1まで下降した。

これに対し甲野医師と乙野医師は、午後6時45分酸素吸入を開始し、午後7時5分頃からクリステル圧出法により吸引分娩を試みた(3ないし5回)が、回旋異常は改善せず児の下降も起こらなかったため成功せず、その後他の医師(丙野医師)が鉗子分娩を試みたが成功しなかった。被告病院の医師らは、同日午後7時半頃初めて帝王切開で娩出することを検討し、同日7時40分頃原告春子を手術室に搬送、同7時46分帝王切開により原告花子を娩出せしめた。

5  出生時、原告花子は重症仮死状態にあり、出生直後のアプガースコアは1点、5分後も4点にしか回復しなかった。

第四  争点及び争点に対する当事者の主張

本件の争点は、①被告病院の医師の過失の有無、②因果関係の有無、③損害額であり、争点に関する当事者双方の主張は以下のとおりである。

一  原告らの主張

1  被告病院の医師の過失

原告春子の分娩は、子宮が7、8センチに開大した4月2日の昼すぎ頃から進行が停滞し、同日午後4時の診察の際には、胎児が低在横定位の状態にあることが確認されたのであるから、被告病院の医師らは、右の時点において胎児仮死の危険を予期し、胎児仮死状態に至る前に安全に児を娩出させるべき注意義務があった。

ところが被告病院の医師らは、原告春子の分娩が停滞し、児が回旋異常の状態にあることが判明した後も、帝王切開への切り替え等を検討することなく、経膣分娩を進行させようとした。そして同日午後5時50分には仙骨麻酔を施行して産道の改善をはかったが、これによって子宮口は開大したものの、回旋異常の状態は全く変わらず、児頭も十分下降しなかった。そのため同6時35分からは児心音が低下して胎児仮死の徴候が顕著に表れはじめた。

従って、少なくとも同日午後6時35分頃の時点において、被告病院の医師らは直ちに急速遂娩の決断をし、これを実施して児の急速な娩出をはかるべきであったにもかかわらず、甲野医師らは上記状態に立ち至ってもこれに着手せず、午後7時5分頃からクリステル圧出法(適応になかった)による吸引分娩や鉗子分娩を行った。これらの試みは、いずれも回旋異常の状態が改善されなかったため失敗に終わり、この間に児の状態はますます悪化した。被告病院の医師らは、ここに至って初めて帝王切開に切り替えることを決意し、同日午後7時40分頃、原告春子を手術室に搬送した。その結果、同日午後7時46分、原告花子が帝王切開によって出生したが、原告花子は既に長時間にわたる低酸素状態にあったため、重症の仮死状態であり、その結果脳性麻痺の障害を負うに至ったものである。

被告病院の医師らは、原告花子を安全に娩出させるべき注意義務があったにも拘らず、分娩が遷延した状態の原告春子につき、急速遂娩の決断をすることなく漫然とこれを放置し、少なくとも児心音が明らかに悪化した4月2日午後6時35分頃には直ちに吸引分娩又は帝王切開を行うべきであったにも拘らずこれも怠り、徒らに経膣分娩に時を費やした結果、原告花子を胎児仮死及びこれに引き続く新生児仮死による脳性麻痺に至らしめたのであり、以下のとおりの過失がある。

(一) 急速遂娩の決定及び実施が遅れた過失

本件においては午後6時35分に徐脈が出現した段階で、直ちに急速遂娩の決断をし、これを実施すべきであった。この場合、同時点で児頭が高位にあり、子宮口が全開大に達していなかったのであれば、吸引分娩の適応がないので直ちに帝王切開の決定・実施をすべきであった。

仮に、同時点以前に子宮口が全開大に達していて吸引分娩を試みるのであれば、その時点で直ちに実施すべきであった。しかし、被告病院の医師は、右のいずれの処置をも取らなかった過失がある。

仮に急速遂娩を決定すべき時期が午後6時53分に高度持続性徐脈の出現を見た段階であるとしても、被告病院の医師は午後7時5分まで吸引分娩に着手しておらず、一刻を争う状態下ですみやかに吸引分娩に着手しなかった(着手する準備と体制を整えておかなかった)被告病院の過失は明らかである。

(二) 分娩方法選択の過失

午後6時35分の時点で子宮口が全開大に至っていなかったのであれば、急速遂娩の方法としては当然帝王切開を選択すべきであった。本件では、児頭がプラス1まで下降し、子宮口が全開大に達したのは午後6時58分であるから、午後6時35分の時点では当然帝王切開のみが選択肢であった。

午後6時53分に高度持続性徐脈が出現した段階では、明らかな胎児仮死状態を示していたのであるから、この段階で急速遂娩を決定するのであれば、当然その方法としては帝王切開を選択すべきであった。また仮に吸引分娩を試みるのであれば、児の状態を悪化させないように配慮を払い、不成功の場合は直ちに帝王切開を実施できる体制を整えておくべきであった。

被告病院は、右のいずれの点についても適切な選択・決定をしなかった過失がある。

(三) 吸引分娩実施上の過失

仮に本件において急速遂娩の方法として、まず吸引分娩を試みることが許容されたとしても、児の状態を悪化させるような方法は避けるべきであった。しかし被告病院の医師はその適応にないクリステレル圧出法を行い、児の状態を悪化させた。またもともと回旋異常がある場合には吸引分娩は困難であるのだからいたずらに吸引をくり返さず直ちに帝王切開に切り替えるべきなのに、吸引・滑脱をくり返し、児の状態を更に悪化せしめた過失がある。

2  因果関係

原告花子は、出産時の低酸素状態の影響により重症の脳性麻痺となった。

原告は一般論として、先天的な異常や分娩前に生じた要因(胎盤機能不善、胎児発育不全等)が脳性麻痺の原因たり得ることを否定するものではない。しかし原告花子は、満期に十分発育した児として出生しており、胎盤機能の異常や発育不全等がなかったことは明らかである。

また本件では、分娩前のノンストレステスト(陣痛の負荷がない状態で胎児心拍数をモニターし、胎児仮死や潜在性胎児仮死の徴候を調べるもの)においても胎児に異常はなく、出産に至るまで脳性麻痺につながる異常の存在をうかがわせる徴候は全く存しなかった。

更に原告花子は、出生直後に被告病院で種々の検査を受けているが、その際の染色体検査等によっても先天的な異常要因の存在を否定されており、この点においても出産時の胎児仮死以外に、原告花子の脳性麻痺の原因たりうる要因は存しないことが確認されている。

3  損害額

原告花子は、現在四肢麻痺による運動障害、知覚障害があるほか、知能面にもかなりの後遺症が残ることが確実である。

原告花子は平成5年4月2日生まれであるが、てんかん性のけいれんもしばしば出現するため、入退院をくり返しており、常時原告春子の介助の下で生活している。この状態が今後大幅に改善されることは、現在の医学では不可能である。この結果、原告らは以下のような損害を蒙った。

(一) 原告花子の損害 合計1億3219万6696円

(1) 逸失利益 3321万6041円

67年に対応する新ホフマン計数は、29.0224 ①

18年に対応する新ホフマン計数は、12.6032 ②

①から②を控除した数値は、16.4192 ③

平成4年の18才〜19才の女子労働者の平均賃金は、202万3000円 ④

であり、原告花子の労働能力喪失率は100パーセントであるから、④×100÷100×③の算式により得られた3321万6041円が、原告花子の逸失利益となる。

(2) 慰謝料 2600万円

本件医療事故により、心身に重大な障害を負うことになった原告花子の後遺症慰謝料は、2600万円を下らない。

(3) 将来の介護費用 7292万0655円

原告花子は、将来も終生常時介護を必要とし、その費用は1日あたり6000円を下らないから、年額219万円となるところ、これに平成4年簡易生命表による2才女子平均余命82.33年(小数点以下切り捨て)に対応する年5パーセントの割合による新ホフマン計数33.3245を乗じて得た単利年金原価は7298万655円となる。

(二) 原告太郎及び原告春子の損害 各300万円

原告太郎及び原告春子は、両名の初めての子である原告花子が本件障害を負い、終生これを介護すべき立場に置かれたことにより、原告花子の死に比肩すべき甚大な精神的苦痛を負わされた。

この苦痛は、金銭で評価することは不可能であるが、強いて評価すれば、各自300万円を下らないものである。

(三) 弁護士費用 1380万円

原告らは本訴の提起を原告訴訟代理人に委任したが、この弁護士費用のうち本件医療事故と因果関係のある損害として被告が負担すべき金額は、原告らの各請求金額の1割、すなわち原告花子につき1320万円、原告太郎及び春子につき各30万円である。

二  被告の主張

1  被告病院の医師の過失の不存在

(一) 予見可能性

本件については、胎児の状況を知るために分娩監視装置があったが、午後6時36分以前に胎児の低酸素状態をうかがわせるような兆しはなく、胎児の状況は良好で、胎児仮死の危険性など全く考えられなかった。すなわち、心拍数は150前後を保ち、一過性頻脈の消失もなく、基線細変動が保たれていた。そして、陣痛による低酸素性ストレスを示す遅発一過性徐脈の出現もなかった。

午後6時36分に心拍数が低下したが、その段階では110前後であり、重症な徐脈とはいえないし、基線細変動が保たれていた。そして、このような状況では、徐脈が発生しても、多くは回復してくることから、その経過をみたが、その後、心拍数が回復した。それでも、念のため、酸素を投与したのである。

分娩経過が遅延することにより、陣痛という低酸素性ストレスが胎児低酸素症を引き起こしてくる場合、遅発一過性徐脈が陣痛ごとに出現するとか、一過性頻脈の消失などがある期間にわたり、胎児心拍数図に現れてくる。しかし、本件において、そのような明らかな異常心拍パターンは4月2日午後6時36分までの全経過において認められていない。この時点まで、胎児の状態は良好であったと考えられる。このように、以前の分娩経過中に胎児仮死を疑わせる異常所見がないまま、4月2日午後6時36分に、突然、持続性の徐脈が出現したことは、児の状態が以前に何の仮死の兆候もなく、突然悪化したといえるわけであり、これらのことは被告病院の医師に予見しうるものではなかった。

(二) 注意義務の懈怠

胎児仮死の兆候が現われる前に、本件程度の分娩遅延だけで、胎児仮死をきたす可能性が高いとはいえず、したがって、急速遂娩の必要があるとは考えられない。また、午後6時36分の時点で、急速遂娩を決断しなかったことが相当でないとはいえない。

すなわち、午後6時36分に胎児の基準心拍数が110前後となった(約30秒間80ないし90)。この一過性の徐脈に対し、医師が対応しなければならないことは当然のことであるが、午後6時44分に回復した。そして、午後6時44分に母体に酸素を投与する処置をしたわけであるが、午後6時36分の徐脈の段階で、直ちに急遂分娩を考える状況ではなかった。ただ、このような所見が出たことから一層注意をして観察していたところ、午後6時52分頃から徐脈が生じ、これが午後6時57分まで、しかも前回より80ないし100と高度であったことから、遷延性徐脈と判断し、急速遂娩を決定したのである。

急速遂娩には、吸引分娩、鉗子分娩、帝王切開の方法がある。これについて、原告は、吸引分娩ではなく、直ちに帝王切開であるかのごときことをいう。しかし、帝王切開を選択したからといって、30分を要するわけで、この状況下で、吸引分娩を選択したことが誤りであるとはいえず、相当な選択であった。そして、吸引により成功すれば、帝王切開による経過時間より、はるかに早い時間ですむ。成功しなかったというのは、結果論である。

なお、原告は、吸引分娩が回旋異常の場合、不適であるようなことをいうが、そのようなことはない。一般に、吸引分娩は、低在横定位でも、急速遂娩の第1順位の選択として認められている処置法である。そして、吸引分娩の方が帝王切開より早く娩出できる。もちろん、この場合、子宮口は、全開大し、児頭が骨盤腔内へ進入固定していることが必要である。これについて、午後6時58分の時点の内診で、子宮口は、全開大となっていたし、児頭もSP+1であったことを確認しているのであるから、吸引分娩が充分適応した。

午後6時57分の段階、状況で、吸引分娩を選択したことに誤りはなく、医師がなすべき処置として、相当である。吸引は、甲野医師が2回、乙野医師が1回行なった。その後、鉗子分娩を試みたが、鉗子を挿入する操作中に、児頭がSP+1よりも高位となってしまったため、牽引操作は行わなかった。この間、吸引分娩の開始から帝王切開決定まで、15分である。この時間もいたずらに時間を経過したなどというものではない。

そして、午後7時20分には帝王切開を決定した。これもメイロンを午後7時20分に行なっているわけで、その以前からその動きをしていることである。被告病院では、この時間において、まだ麻酔医、看護婦が勤務している状態であったこと、手術に必要な諸検査も終わっていて、手術をしようと思えば、直ちに対応できるわけで、帝王切開の体制は整っていた。その意味では、ダブルセットアップの体制である。

本件では、帝王切開を決定した午後7時20分からすれば、児娩出までに要した時間は26分であり、決して遅滞とはいえない。

原告は、児心音が悪化した直後に帝王切開していれば、胎児仮死に陥ることはなかったというが、仮に帝王切開で、30分後に娩出されていたとしても、結果を回避できたと断定できるものではない。

本件では、午後6時36分以前に低酸素を疑わせる所見が全くないまま推移していたところ、突然に心拍の低下が現われたもので、その後の対応、経過に誤っているところはなく、その以前の分娩の遅延に対しても相当な処置を行なっているのであるから、被告病院の医師に注意義務の懈怠はない。

(三) 本件鑑定の誤謬

(1) 本件鑑定は、スリープウェイクサイクルという用語に1度も触れることすらなく、胎児心拍数基線細変動の周期的な低下・減少は、「通常の正常な経過をとる分娩には見られない」(鑑定書6頁下から14行目)から、胎児仮死を疑うべきであると断定する。

鑑定人は、「スリープウェイクサイクルを通常注目するのは、分娩が始まる前の状態」であるとする。しかしながら、分娩中にもスリープウェイクサイクルがあり、これに注目すべきであることは、極めて常識的なことである。

このようにスリープウェイクサイクルの観点を全く欠如した本件鑑定は、根本的かつ初歩的な誤謬を有し、かつ、それが胎児仮死を疑うべきであるとする重大な結論の誤りに結び付いている。

胎児心拍数基線細変動の減少が周期的に現れることは、胎児の睡眠・覚醒のリズムそのものであって、何ら異常なものではないから、これをもって何らかの異常所見であるとする本件鑑定書の内容は、明白な誤謬である。

(2) 本件鑑定は、スリープウェイクサイクルの観点を欠落させたために、胎児心拍数基線細変動の周期的な減少を何らかの異常であると捉える。

しかしながら、胎児が胎児仮死に陥りながら回復し、再び胎児仮死に陥りながら回復するというような周期を十数時間にわたって繰り返すとは、合理的には考えられない。そのためか、本件鑑定は、このような異常の原因を明らかにできていない。

しかし、上記の如き不合理な推論をするからこそ、その原因が判明しないのであって、これを胎児が覚醒・睡眠という正常なリズムを繰り返しているのだというスリープウェイクサイクルによって説明すれば、何ら問題にもならないことである。スリープウェイクサイクルの考え方は、極めて基本的・初歩的なもので広く知られたものである。

胎児が仮死と健常を相互に繰り返すと考えるのか、寝たり起きたりを繰り返していると見るのか、いずれが合理的であるかは、高度に医学的な問題というよりも、医学の専門家でない一般通常人においても判断のつくものである。

以上のとおり、本鑑定の提示した疑問も解消され、本件分娩経過には鑑定人の指摘するような異常はなく、被告病院に何ら過失がなかったことが明らかである。

(3) 遅発一過性徐脈の出現が直ちに胎児仮死の徴候となるものでないことは、いうまでもない。鑑定人は、「『詳細に見ると極く軽度の遅発性一過性徐脈ともとれる所見の存在も否定し得ないので』という記載(鑑定書6頁19行目)は」「18時20分あたりに出ているのではないかと私は見ています」というが(鑑定人尋問調書64項)、この鑑定書の記載は、文章の体裁・内容からして明らかに15時45分から16時40分までのことを述べているのであって、鑑定人の回答は誤りである。18時20分以降については、鑑定書6頁下から11行目の段落に記載されていることが明らかであって、ここには遅発一過性徐脈が見られるとの記述は全くない。なお、15時45分から16時40分までの間に、遅発一過性徐脈は見られない。

(4) 鑑定人は、「遅発性一過性徐脈が典型的に出ているとは言っていない」とことわりつつも、18時20分ころに「遅発性一過性徐脈の疑わしい所見」が出ているというが、本件モニターと乙41の図とを比較されたい。本件では、陣痛曲線(下のグラフ)の上昇とともに、胎児心拍数(上のグラフ)が極く軽度に低下し始めており、遅発一過性徐脈と判断することは到底困難であり、早発一過性徐脈にほかならない。一過性頻脈も認められており、胎児仮死の徴候があるなどどう考えてもいえない所見である。

(5) 仮に、鑑定人のいうとおり「遅発性一過性徐脈の疑わしい所見」があるとしても、これをもって直ちに急速遂娩に着手すべきものではない。「遅発性一過性徐脈の疑わしい所見」があれば、直ちに急速遂娩に着手すべしとする見解は存在しない。

2  因果関係の不存在

原告花子の脳性麻痺の原因は、胎児仮死に起因するものではなく、それゆえ、被告の医療行為との因果関係もない。

近年の研究成果を踏まえて、アメリカ産婦人科学会は、左記の4つの要件をすべて充たした場合にのみ、脳性麻痺の原因を胎児仮死にあると推定できるとした(以下、米学会基準という。)。

① 代謝性または呼吸代謝混合性の深刻なアシドーシスの存在すること(pH7.00未満)

② 生後5分以上にわたってアプガースコアーが0ないし3と極めて低いこと

③ 新生児期に神経学的な後遺症を示していること。例えば、痙攣、昏睡、筋トーヌスの低下

④ 同時にいくつかの臓器系に見られる機能障害。例えば、心臓血管系、消化器系、増血機能、肺機能、腎機能、など

これを本件につきあてはめると、アプガースコアーの5分値は4であるから、②を充足せず、多臓器系機能障害は原告において主張されていないのみならず、カルテ上も存在しないから、④を充足しない。

米学会判定基準は、その要件の1つでも欠けば、胎児仮死を脳性麻痺の原因とできないとするのであるから、原告花子の脳性麻痺は胎児仮死によるものではない。

第五  争点に対する判断

一  被告病院の医師の過失の有無について

1  分娩前後の経過及び被告病院の医師のした医療措置

証拠(甲1、2、5、6、8ないし10、13、14、乙7の1ないし12、8の1ないし24、9の1ないし31、10の1ないし14、11ないし15、25ないし27、証人甲野一郎、原告春子本人)に前記第一の争いのない事実等を総合すると、分娩前後の経過及び被告病院の医師のした医療措置について以下のとおり認められる。

(一) 原告春子は、昭和42年10月27日生の初産婦であるが、平成4年8月4日被告病院の初診時(当時24歳)に、妊娠5週6日、分娩予定日は平成5年3月31日と診断され、既往症等に格別のものはなく、特に問題は認められなかった。被告病院の産婦人科では主治医制をとっていなかったが、原告春子の平成5年4月2日入院時までの妊娠中の10数回の通院時のほとんどを甲野医師が診察しており、母体及び胎児とも全く正常であり、妊娠中毒等の異常所見は認められなかった。原告春子は、同年2月2日、同月17日ノンストレステストを受けているが異常はなく、同年3月31日骨盤レントゲン計測でも異常はなかった。原告春子は、当時、身長154センチメートル、体重55キログラム(非妊時46キログラム)、子宮底32センチメートルであり、胎児の体重は3598グラムと推定されており、骨盤レントゲン計測では通過可能とされていた。

(二) 原告春子は、平成5年4月1日午後9時ころから陣痛が10分間隔となって分娩が開始し、翌同月2日午前2時頃に被告病院産婦人科に入院した時点では、子宮口は開大度2〜3センチメートル、展退(子宮口の厚さをパーセントで表示するもので、数値が上がるほど子宮口が成熟して柔らかく薄くなっていることを示す。)80パーセント、児の下降度SPマイナス1.5(座骨を結ぶ棘間線を中心として骨盤入口及び骨盤出口との間を3等分して児頭の先進部の位置との関係を表現する方法による。)で分娩第1期にあって格別問題のない所見であり、陣痛の間隔は間歇5分規則的であり、発作は30ないし40秒であった。

原告春子はそのまま陣痛室に入り、同日午前2時37分から外側式分娩監視装置(母親の腹壁上より胎児心拍数及び陣痛を測定する方法であり、装着が簡単で、破水前にも使用できるものである。)の装着を受けた。被告病院では、同装置によって胎児心拍数図と陣痛曲線を記録するシステムとなっていた。

(三) 同日午前7時45分頃の原告春子の破水は早期破水(正常な分娩経過では破水は子宮口が全開大する前後に起こる。)であったが、同日午前8時に入院後初めて甲野医師による内診がされた結果では、子宮口は4センチメートル開大、児の下降度はSPマイナス1.5、児頭の回旋は斜めの状態、子宮口の展退度80ないし90パーセント、胎胞マイナス、羊水の漏出プラスであり、破水による異常は特に認められなかった。

破水後の同日午前9時13分から胎児心拍数の測定について内側式分娩監視装置(児頭に直接電極を付けて1分間当たりの胎児心拍数をより正確に検出する装置)が装着されたが、陣痛の測定については引き続き外側式分娩監視装置が装着されていた(我が国では臨床的な簡便さから一般に外側計が使用されている。)。

原告春子は、甲野医師による午前10時30分の内診では、子宮口は8センチメートル開大で、児の下降度はSPマイナス1、児頭の回旋は斜め(矢状縫合が右斜径に一致する)の状態であり、陣痛も継続し、児心音は毎分130ないし140で、この時点までは初産婦としてほぼ正常の進行経過をとっていた。

(四) しかし、その後の内診では、同日午後1時30分の時点で子宮口の開大度8センチメートル、児頭の回旋は斜めの状態、児の下降度SPマイナス0.5、児心音は毎分130前後、陣痛の間隔は間歇2分、発作は30秒であり、同日午後4時の時点で子宮口の開大度8センチメートル、児の下降度SPマイナス0.5、児頭の回旋は横(矢状縫合が横径に一致する)の状態、児心音は毎分140前後、陣痛の間隔は間歇2分、発作は30ないし40秒であり、胎児の下降度が遅く、陣痛の発作もやや弱く、子宮口の開大も進まず、分娩の遷延ないし停止状態となった。特に、本来であれば斜めの状態から縦(矢状縫合が縦径に一致する)の状態に反時計回りの方向に回るはずの児頭の回旋が、同日午後4時の時点で逆に斜めから横に回っていることが確認され、分娩第1期(陣痛開始から子宮口全開大までの時期)の後半から開始される児頭の第2回旋(胎児の頭が第1回旋で顎を引くように前屈みになった後に、それまで子宮内で横を向いていた胎児が母体の背中側を向くように回旋すること)が途中から横定位の状態に戻る異常が生じた。

(五) 甲野医師は、同日午後4時頃、内診により児童が回旋異常にあることを確認して分娩が遷延する可能性があると認識し、医長の乙野医師にも相談の上、原告春子の分娩が遷延する原因として陣痛が弱いことがあるので陣痛を強くすれば回旋が進行すると考えて、原告春子に対し陣痛促進剤であるプロスタグランディンF2αの点滴投与を開始し、同日午後7時5分まで投与を継続した。

しかし、同日午後5時50分頃の内診によっても、横定位の回旋異常が変化せず、甲野医師と共に分娩に立ち会った乙野医師は、そのころ軟産道の改善を目的に原告春子に仙骨硬膜外麻酔を施行した。その後、甲野医師は同日午後6時20分ころから同日午後6時40分過ぎころまでトイレへ行ったため陣痛室を離れていた。

(六) 原告春子は午後6時30分頃に看護婦に介助されて分娩室に移動した。看護婦は原告春子を分娩台に寝かせ、心音モニターをセットしたが、その時刻は分娩監視装置の記録によれば午後6時35分頃であり、乙野医師がこれを観察していた。胎児の心拍数は、原告春子が分娩室に移ってモニターを装着された時点で毎分110前後の徐脈となり、午後6時37分から38分頃の間は毎分80前後の高度徐脈となったが、午後6時45分頃に心拍数はいったん120を超えた。甲野医師は、午後6時40分過ぎころ分娩室に入り、乙野医師から「胎児心拍数が1度下がったけれど、今戻った。」旨の報告を受け分娩監視装置の記録を点検したが、午後6時36分から午後6時45分までの徐脈は軽度のものであって重篤なものではなく、要注意ではあるが経過観察をすれば足りると判断し、午後6時45分に予防的に酸素の投与を行った。午後6時50分頃からは頻脈となり、これが2分ほど続いたが、甲野医師は、基線の細変動が保たれていたので胎児にとって低酸素の状態ではないと考えた。

(七) ところが、午後6時54分頃からは高度徐脈となり、これが1分以上続いている状態であったことから、甲野医師と乙野医師は、臍帯の圧迫等により胎児に低酸素の状態が生じた可能性があることから、急速遂娩の必要があると判断した。

甲野医師と乙野医師は、急速遂娩の決定をして直ちに内診をし、子宮口が全開大となり児がSPプラス1まで下降したことを確認した上、午後7時5分頃から午後7時20分ころまで交互にクリステル圧出法により吸引分娩を3ないし5回施行したが娩出せず、医長の丙野医師に相談した。丙野医師は鉗子分娩を試みて、鉗子を挿入したが児頭が高位となったことから断念し、被告病院の医師らは午後7時半頃帝王切開で娩出することを決定し、同日7時40分頃原告春子を手術室に搬送し、同7時46分丙野医師の執刀による帝王切開で原告花子を娩出せしめた。

(八) 出生時、原告花子は重症仮死状態にあり、出生直後のアプガースコアは1点、5分後も4点にしか回復しなかった。

原告花子は当時、自発呼吸が弱く、手術室で気管内挿管して被告病院小児科に搬送中に自発呼吸があり、抜管した状態で到着し、新生児集中治療室に入院し、「一般状態の症状は運動異常、呼吸器・循環器の症状は呼吸数が毎分50以上で増加傾向にある。診療予定期間は平成5年4月2日から同年5月31日まで。現在受けている医療は安静、保育器の使用、酸素吸入、鼻腔栄養、その他。症状の経過は重症仮死。」と診断され、低酸素状態、アシドーシスがあり、脳浮腫があり、仮死と大量の羊水吸引の影響により呼吸状態不良、脳虚血が考えられ、急性期に痙攣等の神経学的異常を起こす可能性が高いことから予防的措置が行われた。

(九) 同日、小児科医師より、原告太郎に対し、母体から体外に出る際に分娩停止となり胎児にストレスが加わったこと、血流が流れにくく酸素不足となったので帝王切開となったこと、低酸素で出生したため脳に酸素が1番必要なのに欠乏しているため、脳浮腫や痙攣などの中枢神経系の障害が出てくる可能性があること、低酸素のため酸性の状態に傾いているため補液により戻していること、脳浮腫だと痙攣を起こす可能性があるので薬剤を使っていること、羊水を多量に吸引しているので今後呼吸が苦しくなるかもしれず、そうなると人工的に挿管して呼吸を起こし眠らせる方法をとること、今は何もなくても大きくなって後遺症が起きて、頭に大きな障害を起こす可能性もあることが説明された。

(一〇) 原告花子は同月4日痙攣が出現し、気管内挿管、人工換気が開始され、同月6日CT検査により脳浮腫が認められ、同月10日敗血症により全身状態が悪化し、血液の性状の改善を図るため交換輸血の手術を受け、その後経過順調で同月14日抜管、同月16日より経口哺乳が開始され、同年5月3日退院し、その後、同月12日から同年12月22日まで被告病院小児科に通院して治療した。その間、CT検査結果について、同年5月13日、新生児期の低酸素の影響によると思われる未熟脳、脳皮質の減少(特に右の横から後頭部)との所見が出されている。

(一一) 原告花子は、その後、平成5年12月20日から静岡県立こども病院に通院してリハビリを開始した。同病院でのリハビリは平成6年2月に打ち切り、その後は静岡医療福祉センターでリハビリを受けている。その間、平成6年3月から5月まで母子入院して理化学療法、作業療法、摂食指導を受け、その後も各1ないし2か月間ずつ5回入院し、退院後も毎週通院している。原告花子は、3歳の時点で排泄は紙おむつを使用し、寝たきりで、食物は咀嚼能力がないため離乳食を介助して食べさせ、言葉をしゃべることもできない状態である。

平成7年2月15日には、静岡県立こども病院神経科の愛波秀男医師より、「①症候性全般てんかん、②脳性麻痺(四肢麻痺)、生後9か月本院当科を受診し、②の診断をする。平成6年2月ころより、強直発作出現し、抗けいれん薬を使用し、平成6年11月よりけいれん消失した。抗けいれん薬は今後少なくとも3年以上服用する必要がある。」旨の診断を受けている。

また、同月10日、静岡医療福祉センター児童部整形外科の森山明夫医師により、「①頚定 十分とは言えないが、抱きかかえの状態で追視は可能であり頚定は獲得されているものと判断される。②寝返りおむつを除去した状態でごく稀にできることはあるものの、再現性はなく、まだ不可能と判断される。③座位 体幹の保持は全く獲得されていないため座位は不可能。④移動 歩行は無論不可能であるが、床上で仰臥位での背這い、腹臥位でのずり這い移動も全く獲得できていない。⑤上肢機能 両手を正中線上で接触させてハンカチのような軽くて大きな物は把持できるが、手指を働かせてつかむことはできない。動きとしては右上肢が左に比してやや活発である。⑥下肢機能 中等度の痙性を有し、随意運動は少ない。ただし、痙性は時に応じて強弱の差が激しい。⑦食事 離乳食前期であるが全介助である。上肢機能が未熟であるためスプーンを持つこともできない。咀嚼機能にも問題を有する。⑧排泄 全介助。⑨言語機能 人、物に対する興味は出現してきているが、言語は現在のところ全く認められない。以上、まだ1才10か月ではあるものの心身共に発達の遅れは顕著であり、重度の脳性麻痺であることは確実で、今後、重大な心身障害を後遺するものと判断される。」と診断され、平成8年5月14日同医師により脳性麻痺による四肢体幹機能の全廃との診断を受けている。

さらに、平成8年6月27日の時点で脳性麻痺による上下肢、四肢機能障害を障病名として静岡県より身体障害者等級表による級別1級の認定を受けている。

2  分娩監視装置による胎児仮死の判定等について

医学文献(甲4、7、20、21、乙6、16、28の1、2、41)によれば、

(一) 胎児は子宮収縮の開始すなわち分娩が開始すると、妊娠中の安定した子宮環境内からこの上もなくストレスの多い環境に置かれること、胎盤における呼吸予備能の少ない胎児ではガス交換が障害され、結果として低酸素状態に陥る可能性があること、胎児仮死の病態の基本は胎児低酸素症によるものであり、胎児低酸素症の早期発見が、胎児仮死による周産期死亡や脳障害発生の予防の第1歩であると考えられていること、

(二) 胎児心拍数モニタリングの基本的な目的は、胎児の状態悪化を検出することであること、胎児仮死を判定するための分娩監視装置の記録用紙の判読法としては、胎児心拍数基線と周期性胎児心拍数変動について読むのが基本であり、心拍数基線では正常波か頻脈か徐脈で読むことが大切であること、周期性胎児心拍数変動は子宮収縮周期の相関で読み、胎児心拍数一過性変動の有無について調べることになること、胎児心拍数基線は正常波は120ないし160bpmで、161bpm以上を頻脈、100ないし119bpmを軽度徐脈、99bpm以下を高度徐脈としていること、

(三) 胎児心拍数一過性変動の意義としては、①一過性頻脈:子宮収縮に伴う一過性頻脈は一般に胎児の状態はよいとされていること、②一過性徐脈:早発一過性徐脈は子宮収縮が始まると同時に心拍数が下降し始め、子宮収縮が終わるときには心拍数が回復するもので、児頭の圧迫によって生じると考えられているもので胎児仮死の所見ではないこと、遅発一過性徐脈は早発一過性徐脈と異なり、子宮収縮が始まってから遅れて徐脈が出現し、心拍数の回復も子宮収縮が終了してから起こるもので、反復持続して出現する場合胎児仮死と診断してよいこと、変動一過性徐脈は分娩末期でよく見られる波形であり、心拍数の下降も子宮収縮と同期せず、心拍数の下降する型もU、V、Wなどまちまちであること、一般に臍帯圧迫によるものと考えられているが、高度変動一過性徐脈が出現した場合は胎児仮死の所見と考えられていること、

(四) 次に、胎児心拍数基線細変動の変動幅が著しく小さいときは胎児仮死のことがあるが、ただし、胎児の睡眠様安静状態、未熟胎児、麻酔、無脳児でも小となることがあり鑑別を要するとされていること、このように細変動の消失は胎児の状態悪化を示している場合もあることから、細変動の存在しない胎児心拍数の下降(一過性徐脈)は胎児の低酸素症とアシドーシスを伴う可能性が高いとされていること、このことから、現在、胎児仮死の診断として考えられているものに、遅発一過性徐脈、重症変動一過性徐脈、持続する徐脈があるが、基準心拍細変動の減少も胎児仮死の重症度を推定できる可能性があるので、見逃してはならない所見であるとされていること、

(五) 胎児心拍数パターンの異常があるときは、酸素を投与し、母体を左側臥位におき、点滴による急速補液をして子宮内胎児蘇生を図ること、その時オキシトシン(陣痛増強剤)は速やかに停止すること、これらの処置は迅速に行い、同時に分娩のための介入(帝王切開や鉗子分娩)の準備を進めること、これらの蘇生手技が功を奏しない時は介入が必要となること、予後不良パターンが持続するときはかなりの程度の胎児仮死を示しており、急速遂娩が必要であること、

以上の事実が認められる。

3  本件における分娩監視装置の記録の検討

(一) 乙14、鑑定の結果によれば、本件における分娩監視装置による記録用紙(乙14)の記載を分娩経過に従って分析し、特記すべき事項と注目すべき変化の見られる部分を抽出すると別表―1、別表―2(ただし、各別表において、「基線」は胎児心拍基線(子宮収縮の無い時の胎児心拍数としているが、一部の記録が不明瞭な箇所ではこれに準ずる心拍数としている。bpmは1分間の心拍数)を、「細変」は胎児心拍細変動を意味し、「+」は明らかに細変動を認める場合、「file_3.jpg」は細変動が低下または消失している場合としている。)のとおりになること、これを分娩経過に沿って分析すると以下のとおりとなることが認定できる。

4月2日午前2時37分から超音波ドップラー法による胎児心拍と外測法による陣痛の監視が開始された。胎児心拍基線は140bpmと正常範囲にあり、十分な胎児心拍細変動が認められ、ほぼ規則的な40ないし60秒持続する陣痛が3ないし6分の間隔で発来している(記録用紙番号35435)。

最初に注目すべき変化は午前3時00分(記録用紙番号35442)に現れており、胎児心拍基線は140bpmと正常範囲であるが、胎児心拍細変動が明らかに減少し、陣痛はやや不規則になっている。この変化は約30分間にわたって見られた後、自然に正常なパターンに復している(記録用紙番号35450)。

午前4時20分(記録用紙番号35469)、及び午前5時35分(記録用紙番号35493)から再び50、10分間にわたり、前回に比して細変動の減少は軽度ではあるが同様な変化が見られる。

午前6時25分頃から(記録用紙番号35504)、胎児心拍数曲線はほぼ正常なパターンを呈しているか陣痛の状態の判定が不能となり、微弱になったと思われる。

このような陣痛の状態のもとで、胎児心拍細変動の低下・消失が再び午前7時20分から20分間認められ(記録用紙番号35222)、午前7時40分(記録用紙番号35528)からは正常に戻っている。

午前7時45分に破水が確認され、羊水混濁は認められなかった。

午前10時30分、子宮口が8cmに開大、胎児心拍は正常なパターンで、陣痛は不規則な状態であった(記録用紙番号35579)。

午前11時34分(記録用紙番号79535、記録用紙が交換されている)から約16分間、午前12時35分から約20分間(記録用紙番号79555)にわたり、内測法で胎児心拍細変動の低下、消失が記録されており、後半の時間帯には陣痛発作50秒、間欠2ないし3分の状態であった。

午後3時10分から約15分間、15ないし20秒の周期で150ないし190bpmの範囲で変動する一過性の胎児心拍数が増加するパターンが胎児心拍数曲線(記録用紙番号79607)に見られる。

午後4時00分に陣痛促進の処置が開始されたが、その前の15分間に胎児心拍細変動の消失・低下が見られる(記録用紙番号79618)。

仙骨麻酔が実施された午後4時40分(記録用紙番号79637)から午後5時26分(記録用紙番号79652)までの約40分間にわたり、再び胎児心拍細変動の消失・低下が見られる。

午後6時10分には、一時的に胎児心拍の記録に乱れが見られるが、その後胎児心拍数が5、6分間にわたり120ないし130bpmに低下した(記録用紙番号79666)。

午後6時20分には胎児心拍基線150ないし155bpmで胎児心拍細変動の消失が始まり(記録用紙番号79670)、陣痛は発作40秒、間欠67ないし70秒と規則的に見られていた。また、同時刻ころに、陣痛が極期を過ぎた辺りで心拍数が多少低下する遅発一過性徐脈の疑わしい所見が見られる。

午後6時33分に記録が中断している(記録用紙番号79674)。

記録が再開された午後6時35分から約1分間の胎児心拍数は110bpm前後を示し(記録用紙番号58497)、その後の約3分間の記録はノイズのため判定不能であり、さらにその後の記録も完全とはいえないが、胎児基準心拍数は110ないし120bpmであったと推察される(記録用紙番号58498)。

午後6時45分から酸素吸入が開始された。

午後6時50分から2分間の180bpm前後の胎児心拍数の増加が見られる(記録用紙番号58502)。

午後6時53分には、記録状態は不良であるが、変動はあるものの80ないし100bpmの徐脈が記録されており(記録用紙番号58503)、その後は判定可能な記録とはなっていない(記録用紙番号58504)。

午後6時58分に子宮口全開大となった。

午後7時5分から吸引分娩が実施されているが、その間に超音波ドップラー法により計測された胎児心拍と思われる記録では(記録用紙番号58507、母体の心拍数を測定している可能性も否定できない)、80ないし90bpm前後であったと示唆される。その後に行われた記録は判定に値するものとはいえない。

(二) 鑑定の結果によれば、上記認定の分娩経過中に連続的に記録された分娩監視装置による胎児心拍曲線と陣痛曲線における胎児心拍基線と胎児心拍細変動を分析、評価した結果及びその臨床的意義は以下のとおりであることが認定できる。

午後3時10分から約15分間、15ないし20秒の周期で150ないし190bpmの範囲で一過性に胎児心拍数が変動するパターン(記録用紙番号79607)と、午後6時50分から2分間の180bpm前後の一過性の頻脈(記録用紙番号58502)が認められる。一方、徐脈としては午後6時53分に記録状態は不良であり変動はあるものの80ないし100bpmが記録されており(記録用紙番号58503)、その後午後7時5分から行われた吸引分娩の間に、超音波ドップラー法により80ないし90bpm前後の徐脈が記録されている(記録用紙番号58507)。これらの内で、頻脈についての意義は明らかではないが、徐脈の出現は胎児仮死の兆候と判断される。次に胎児心拍細変動の評価を行うと、基線の細変動の低下または消失と判定される箇所が別図のように出現している。この中で記録開始(記録用紙番号35435)から午前9時10分に内測法へ切り替えるまでは(記録用紙番号35555)外測法、即ち超音波ドップラー法による胎児心拍数の計測が行われているところ、一般に外測法では胎児心音を腹壁を介して超音波ドップラー法で聴取して心拍数を計測するために、種々の原因で生じるノイズ(雑音)をも心音として拾う可能性があるとされているが、それにもかかわらず、短期細変動を認めない記録が得られているのは注目するべき所見である。また、本件で使用された分娩監視装置は機能的に外測法によっても評価に耐えうる短期細変動の記録が可能である。

胎児心拍の短期細変動の意義については、前記二の医学文献において、短期細変動の低下、消失は、特定な状況(例えば、未熟な胎児、胎児の睡眠安静状態、トランキライザー、アトロピン、麻酔薬などの薬剤の作用)を除外すると、胎児にとって好ましくない状態が生じた場合に見られる所見であり、本所見の出現は胎児低酸素症、酸血症と密接に関連しているとする点で一致している。本件では、記録の初期において胎児が睡眠安静状態にあった可能性は否定できないが、その他の薬剤による影響は考えられない。

胎児心拍曲線に現れた変化として、午前3時45分頃から約15分間に見られるパターンは(記録用紙番号79618)、明らかな短期細変動の低下、消失として注目される。この部分の胎児心拍曲線は直線的で針金状を呈し、子宮収縮は発作40ないし50秒、間欠3ないし4分であり、子宮収縮と胎児心拍の変化との関連を詳細に見ると、子宮収縮の最強点を過ぎたあたりから、極軽度ではあるが心拍数の低下とも見られる変化が出現しており、胎児が低酸素状態にあり、酸血症となっていたと解釈される。しかしその後、陣痛促進が開始され、子宮収縮にはそれまでと大きな差は認められないが、胎児心拍曲線は正常化しているので、これらの変化は一過性で、回復可能な範囲の程度であったと考えられる。

午後4時40分から(記録用紙番号79637)、ノイズが混在しているために前回に比して典型的ではないにしても同様なパターンが出現し、午後5時26分まで持続(記録用紙番号79652)、その後も一時的に1分から1分30秒持続する短期細変動の低下が散発している。そして、午後6時10分から(記録用紙番号79666)軽度の徐脈:120ないし135bpmを見た後、午後6時20分からは(記録用紙番号79670)短期細変動の低下・消失が始まり、午後6時35分からは(記録用紙番号58497)記録状態は不良であるが、110ないし120bpmないしはそれ以下の徐脈へと変化している。

4  前記一ないし三の認定事実に鑑定の結果を総合すれば、以下のとおり認定できる。

(一) 本件では、分娩が開始した初期から外測法であるにもかかわらず、胎児心拍細変動の低下・減少が認められており、これだけの所見で胎児の状態を云々することはできないとしても、その後の分娩管理において注意を払うべき所見であるといえる。次いで出現した午前11時34分から16分間、午前12時35分からの約20分間には内測法でとらえた胎児心拍細変動の低下・減少であり、その信頼性は高い。しかし、これらの変化も自然に改善しており、胎児仮死の診断のための決定的な所見である遅発性一過性徐脈は出現しておらず、この時点での急速遂娩の適応は認められない。

(二) 次に午後3時45分から見られる胎児心拍細変動の低下・減少は、子宮口が8cm開大、回旋異常で分娩停止を確認したころに現れている。そして陣痛促進が開始されたが、陣痛曲線を見る限り、薬物による陣痛促進を開始した後も子宮収縮に明かな変化は認めず、胎児心拍細変動は回復している。ここで見られた胎児心拍細変動の低下・減少を直ちに胎児仮死の所見とすることは困難であるが、詳細に見ると極く軽度の遅発性一過性徐脈ともとれる所見の存在も否定し得ないので、少なくとも、陣痛促進に伴う胎児への負荷を考慮し低酸素症の予防を念頭において、酸素吸入を開始する処置を行うのが望ましいといえる。また、破水後8時間15分、子宮口の開大が8cmで児頭が第2回旋で停止してから5時間30分を経過している状況から、実際にはその後に実施した仙椎麻酔をこの時点で行うという選択もあったと考えられる。午後4時40分からの胎児心拍曲線には、一部に細変動ありとも判定される変化を混えながらも、全体的には低下・減少の状態にあり、46分間にわたっていること、ここでも遅発性一過性徐脈は見られない。しかし、約40分間にわたるこの変化は、通常の正常な経過をとる分娩には見られない。分娩を担当する者は当然、何らかの異常、最も可能性の高い胎児仮死を想定すべきである。

(三) 引き続き午後6時20分から見られる胎児心拍細変動の低下・減少は著明であり、子宮収縮は略規則的に発来している。記録(乙8の23)では子宮口の全開大は午後6時58分となっているが、この胎児心拍細変動の低下・減少が開始した時点(午後6時20分)に子宮口が既に全開大またはこれに近い状態にまで開大していた可能性がある(証人甲野一郎、平成8年6月12日付け調書17頁)が内診は行われていない。しかし、この胎児心拍細変動の低下・減少に気付き胎児仮死の危険性を予測して、急速遂娩の時期を決定するためにできるだけ早く全開大を確認すべきであったといえる。そして、午後6時20分からの細変動の低下・減少が開始した時点で行うべきであった内診で子宮口全開大を確認した時点で、または遅くとも午後6時35分に、一時中断していた記録を再開した当初に110ないし120bpmの心拍数の低下を認めた時点で、吸引分娩を実施し、これが不成功の場合には直ちに帝王切開への移行がなされ得たと考えられる。その結果、児を少なくとも約1時間早く娩出できた可能性があり、これにより少なくとも、胎児にかかった負荷は軽減され、より良好な状態で娩出できた可能性が高い。

5  各意見書の検討

(一) 村田教授の意見書(乙28、29、40)には、「①午後6時35分までの胎児心拍数モニター上では、基準心拍数、胎児心拍数基線細変動、子宮収縮による心拍数の変化、一過性頻脈の存在、レム、ノンレムのサイクルの存在から見ても胎児仮死を示唆する所見はない。分娩室移動後も午後6時58分までの胎児心拍数モニター上には、基準心拍数が概ね正常範囲内であること(短時間毎分120回を下回っても、心拍数が80、90を切っていない。)、基線細変動が存在していること、子宮収縮によって繰り返し起こる一過性徐脈が見られていないことから、胎児仮死を疑う所見は存在しない。②本件における胎児心拍細変動の低下・消失は健康な胎児がレム、ノンレム及び覚醒のサイクルを繰り返している典型的な胎児の生理的状態である。鑑定の結果は、胎児の子宮内状態の把握に根本的な胎児病態生理学上の誤りがある。」旨の記載がある。

そこで検討するに、乙42には、妊娠末期の陣痛のない時、胎児は子宮内で平均20分おきに安静期と活動期を繰り返していることから、分娩時にも安静期の20分間は一過性頻脈もほとんど出ないことがあるし、基線細変動も減少することがある旨の記載があり、前記2の医学文献にも胎児の睡眠様安静状態にも細変動の消失は小となることがあり鑑別を要するとの指摘がある。しかし、他方で、同医学文献でも、細変動の消失が胎児の状態悪化を示している場合もあることから、細変動の存在しない胎児心拍数の下降(一過性徐脈)は胎児の低酸素症とアシドーシスを伴う可能性が高いとされているところである。

さらに、鑑定の結果によれば、スリープウェイクサイクルとは胎児が生理的に子宮の中で覚醒と睡眠のサイクルをもって生活していることをいい、妊娠後半特に30週以後になると70ないし80パーセントに出現し、その周期は状態によっても違い、臨床上ではよく20ないし30分間眠っているのではないかという状態に遭遇することがあること、スリープウェイクサイクルを通常注目するのは分娩が始まる前の状態であり、例えばノンストレステストにより胎児のウェルビーイングを判定する際に診断上の1つの拠り所とされていること、ところが、分娩が開始すると、通常の胎児心拍数の動きに対してそれまでとは違う子宮収縮という動作が胎児に関わってくるため、これがどのようにスリープウェイクサイクルを修飾するかが議論となり、分娩に入る前と分娩開始後では違う概念を導入する必要があること、正常な分娩の経過においてもスリープウェイクサイクルは必ずしも全例現れるものではないこと、分娩進行時にはアイムーブメント(眼球の運動)などでスリープウェイクサイクルを確定的に確認することができないことが認められ、これらの事実によれば、細変動の減少、消失から悪い状態を想定して判断するのが悪い結果を回避するためには相当であるというべきであり、②の胎児心拍細変動の低下・消失について、単に健康な胎児がレム、ノンレム及び覚醒のサイクルを繰り返している典型的な胎児の生理的状態であると断定し、これを臨床対処上全く問題視しない村田教授の意見書の前記記載には疑問があって採用することができない。

また、前記1ないし4認定の事実及び鑑定の結果によれば、胎児モニターの結果だけからは午後6時52分までに胎児仮死を断定することまではできないとしても、胎児モニターの所見にそれまでの本件における臨床経過を総合すると胎児仮死を十分疑えることが認定できるから、このことに照らすと、①の胎児心拍数モニターの結果だけから午後6時58分までに胎児仮死を疑う所見は存在しないと断定する村田教授の意見書の前記記載にも疑問があり、採用することはできない。

(二) 竹内教授の意見書(乙33)には、「午後6時36分から基準心拍数の低下と一過性徐脈があるように見えるが、この程度の変化では胎児仮死兆候の発現と見ることはできない。午後6時50分までの胎児心拍の不安定な推移は後に起こる胎児仮死の予兆もしくは警戒信号といえなくもないが、結果論であり、現場においてはその推移を注意深く見守るくらいで十分な状態であったといえる。」旨の記載がある。

しかし、前記(一)認定のとおり、胎児モニターの所見にそれまでの本件における臨床経過を総合すると胎児仮死を十分疑えることに照らすと、胎児モニター上の基準心拍数の低下と一過性徐脈の変化の程度だけから胎児仮死兆候の発現と見ることはできないとする旨の記載には疑問があるし、午後6時50分までの胎児心拍の不安定な推移を胎児仮死の予兆もしくは警戒信号といえなくもないとしながら経過観察するだけで十分であるとする記載も、胎児モニターの所見を分娩の管理に反映させなければ記録を取る意味がなくなること(鑑定の結果)に照らして、その相当性に疑問がある。さらに、本件において、胎児が何らかの因子で分娩の初期から胎児心拍細変動の一時的な消失を示しており、また分娩の後半における一連の変化は、例え遅発一過性徐脈を伴う典型的なパターンではなくとも、胎児仮死を疑い、より厳重な監視と迅速な対応が必要であったことを示している(鑑定の結果)のであるから、これと対比しても竹内教授の意見書の前記各記載はいずれも採用することができない。

(三) 我妻医師の意見書(甲12)には、午後6時36分から分娩室に移動後の心拍数曲線は不良で明確な判定ができないものとしながらも、「午後6時36分以降の記録を検討すると記録の乱れのために判定は困難であるが、午後6時37分ころから42分ころまでの間、遅発一過性徐脈を疑わせる所見がある。」との記載があり、「一般に胎児仮死の徴候は分娩経過と共に徐々に発現することが多く、午後6時53分までは全く異常がなく、この時点で突然に明らかな持続性徐脈で示される胎児仮死が現れる可能性は低い。恐らく、分娩室に移動してから午後6時53分までの間に、遅発一過性徐脈が出現していた可能性がある。」、「本件で午後6時54分頃に持続性徐脈が出現した後に、直ちに吸引遂娩術を試み、児頭の回旋や下降が見られなければ速やかに帝王切開術を実施していれば、重症の胎児仮死に陥ることを避けられた可能性が高い。」との記載がある。

右各記載は、鑑定の結果と対比しても採用できるものであり、午後6時20分の時点で胎児仮死の危険性を予測すべきであったこと及びより早期の娩出により胎児はより良好な状態で娩出できた可能性が高いとする前記四の認定が正当であることを裏付けるものである。

6  被告病院医師の過失

以上の1ないし5に検討した結果を総合すれば、被告病院の医師である甲野医師及び乙野医師は、分娩が遷延した状態の原告春子とその胎児である原告花子について、その状態を臨床経過及び分娩監視装置等により適切に監視し、胎児仮死の危険性がある場合には速やかに急速遂娩に着手する注意義務を負っていたところ、午後6時20分から胎児心拍細変動の低下・減少が著明となったのであるからこれに気付いて子宮口の全開大を確認するために内診をし、これを確認したならばその時点で、または遅くも、午後6時35分に心拍数の低下を認めた時点で、速やかに急速遂娩に着手するべきであったのに、これを怠り、同時点で内診をすることなく、さらに午後6時35分からの心拍数の低下を認めた時点でも経過観察をすれば足りると判断して急速遂娩に着手しなかった過失があり、右過失により原告花子を午後7時46分まで低酸素状態においた結果胎児仮死の状態に至らせたと認められる。

被告は、午後6時36分以前に胎児仮死の危険性は全く考えられず、この時点まで胎児の状態は良好であったから、午後6時36分に突然持続性の徐脈が出現したことは児の状態が突然に悪化したもので、これらのことを被告病院の医師が予見する可能性がなかった旨を主張する。しかし、前記4認定のとおり、午後6時36分までの臨床経過及び分娩監視装置の記録からすると、それまでの心拍細変動の低下・減少に気付いて胎児仮死の危険性を予測することは可能であったと認められるから、被告の右主張を採用することはできない。

また、被告は、午後6時36分の時点で急速遂娩の必要はないから、被告病院の医師には注意義務の懈怠がないと主張し、鑑定結果の誤謬を主張する。しかし、右各主張の根拠とされる村田教授の意見書及び竹内教授の意見書の各記載を採用することができないことは前記五に認定のとおりであるから、被告の右各主張も採用することができない。

そうすると、被告病院医師の前記行為は、被告病院を設置する被告の事業の執行又は本件診療契約に基づく被告の診療債務の履行補助者として行われたものであることが明らかであるから、被告は、原告らが本件医療事故により被った因果関係のある損害について、使用者責任又は債務不履行責任を負うというべきである。

二  因果関係の有無について

1  前記一の認定事実と証拠(甲12、13、16、17、18の1、2、19、乙36、37、39)を総合すると、

(一) 出生後に発症する脳性麻痺の原因の分類としては、以下のものがあること、

① 先天性の中枢神経系の異常。

② 感染症(子宮内又は出生後)。脳炎(ビールス性又は細菌性)。脳脊髄膜炎(ビールス性又は細菌性)。

③ 新生児溶血性疾患。

④ 外傷性脳障害。胎児頭蓋内出血など。胎児頭部の産道圧迫や産科手術操作によるもの。

⑤ 低酸素性虚血性脳障害(酸素欠乏性脳障害)。

A.妊娠中:胎盤機能不全(予定日超過妊娠、妊娠中毒症など)。母体の低酸素症(麻酔薬投与、ガス中毒・薬物投与など)。

B.出生時:胎児仮死(胎児低酸素症)。胎盤機能不全(妊娠中毒症など)。子宮・胎盤血流障害(過強陣痛、過強腹圧、子宮体部圧迫など。臍帯血流障害(臍帯脱出・臍帯圧迫など)。胎児の呼吸・循環障害(胎児頭部や体部の産道における長時間圧迫、分娩遷延による胎児予備機能の減弱)。母体の低酸素症(麻酔・呼吸不全・出血・ショックなど)。

C.分娩後:呼吸中枢機能低下による低酸素症(胎児仮死に続いて起こる新生児仮死)。先天性の肺機能異常、肺機能不全、或いは肺換気不全による低酸素症(羊水吸引症候群や肺の未熟による呼吸急迫症候群)。

(二) 原告春子の妊娠中経過、分娩経過、出産後の原告花子新生児の経過から、消去法で原因を推定すると、③の新生児溶血性疾患は明らかに否定され、②の感染症も早期破水ではあったが感染の症状は認められず、新生児期には感染兆候により呼吸不全の状態が現れているから、感染症による可能性は否定されること、分娩時に④の外傷性脳障害が起きた可能性はあるが、新生児集中治療室入院後に頭蓋内出血が起きていた所見はないから外傷による可能性は否定されること、

(三) 最近では先天性の中枢神経系の異常を原因とする脳障害(脳性麻痺)が存在するという説が強調されていること、特に米学会基準が平成3年頃より我が国に紹介され、その後多くの文献が紹介されつつあること、米学会基準には、実際のデータは示されておらず、これを批判する学説も存すること、最近では米国でもこの勧告に反する症例の報告も発表されていること、我が国でも少数例の統計では同じように新生児仮死児の全例が脳性麻痺を発症するのではなく、脳性麻痺発症率は統計の対象群や、調査時期、調査方法、などによって仮死児の数%から数十%までの開きがあることが判明していること、したがって脳性麻痺の原因が全て胎児・新生児仮死(低酸素症)にあるわけではないことは否定できないが、一方で周産期における胎児・新生児の低酸素症によって何パーセントかの児に低酸素性虚血性脳障害が引き起こされ脳性麻痺の原因になることも否定し難い事実であり、そのために分娩経過中には分娩監視装置の記録が明瞭に記載できるような適切な使用をするなどしてできる限り胎児仮死の早期診断、早期治療に努めることが要請されていること、

(四) 本件では午後6時52分に胎児の持続性徐脈が見られてから、約50分後に帝王切開手術で娩出されており、この間原告花子は低酸素状態におかれていたと考えられること、出生時には明らかに新生児の仮死(アプガー指数1点/1分、4点/5分)があり羊水吸引症候群も合併していたこと、集中治療室の診療録によれば新生児期に痙攣発作が起きておりアシドーシスも発症していたこと、以上の臨床的事実から原告花子の脳性麻痺は低酸素性虚血性脳症によるものと医学上判断できること、

以上の事実を認めることができる。

2  被告は、米学会基準に依拠して、原告花子のアプガースコアーの5分値が4であるから、米学会基準②を充足せず、多臓器系機能障害が存在しないから、同④も充足しないから、原告花子の脳性麻痺は胎児仮死によるものではないと主張する。

しかし、前記1に認定のとおり米学会基準のみを絶対的基準として脳性麻痺と胎児仮死の関連を判定するのは相当ではなく、前記一1認定の本件における分娩の経過及び出生後の原告花子の臨床的診断経過等の諸資料を総合的に検討して原告花子の脳性麻痺と分娩時の胎児仮死との関連を判定するのが相当であるから、被告の上記主張を採用することはできない。

3  前記1の認定事実によれば、原告花子の脳性麻痺は、分娩時の胎児仮死と娩出後の新生児仮死によるいわゆる低酸素性虚血性脳症に起因すると認めるのが相当である。

三  損害について

1  原告花子の損害 合計9281万9178円

(一) 逸失利益 2382万937円

前記一1認定の原告花子の障害からすると、労働能力喪失率は終生にわたり100パーセントと認めるのが相当である。

基礎収入を平成5年の女子労働者の全年令平均賃金である315万5300円とし、これに前記労働能力喪失率の100パーセント、及び0歳から67歳までの67年の労働能力喪失期間に対応するライプニッツ係数である19.2390から就労開始までの期間である0歳から18歳までの18年に対応するライプニッツ係数である11.6895を差し引いた7.5495を乗じて算定すると、次の計算式のとおり、原告花子の逸失利益は2382万937円となる。

315万5300円×1×(19.2390−11.6895)=2382万937円

(二) 慰謝料 2600万円

前記認定の原告花子の障害等に照らすと、原告花子の後遺症慰謝料は2600万円と認めるのが相当である。

(三) 将来の介護費用 4299万8241円

前記認定の原告花子の病状によれば、将来の終生常時介護を必要とし、その費用は1日当たり6000円(年額219万円)を下らないと認められる。

原告花子は本訴において本件訴訟提起時である満2歳以降の介護料の支払を求めるものであるところ、平成5年簡易生命表によれば、女子2才の平均余命は82年と推定されるので、同期間の介護料をラプニッツ式計算法により計算すると、その額は、次の計算式のとおり、4299万8241円となる。

6000円×365×19.6399=4299万8241円

2  原告太郎及び原告春子の損害 各300万円

前記一認定の事実によれば、原告太郎及び原告春子は、両名の初めての子である原告花子が前記のような重大な障害を負ったことにより、死に比肩すべき甚大な精神的苦痛を負わされたと認められ、これに対する慰謝料額を各300万円と認めるのが相当である。

3  弁護士費用

上記認容額等に照らせば、本件医療事故と相当因果関係のある損害として被告に対し請求することのできる弁護士費用は、原告花子につき930万円、原告太郎及び春子につき各30万円と認めるのが相当である。

四  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告花子は1億211万9178円及び内金9281万9178円に対する平成5年4月2日から、内金930万円に対する平成7年6月4日から各完済に至るまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を、原告太郎及び春子は各330万円及び内金300万円に対する平成5年4月2日から、内金30万円に対する平成7年6月4日から各完済に至るまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、主文のとおり判決する。

別表

1〜2<省略>

(裁判長裁判官・髙橋祥子、裁判官・三木勇次、裁判官・佐藤克則)

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