静岡地方裁判所沼津支部 平成8年(ワ)249号 判決 2001年3月07日
原告 A野太郎
同 A野花子
訴訟代理人弁護士 水嶋晃
同 寺崎昭義
同 水永誠二
同 町田正男
同 永見寿実
同 竹川東
被告 東海旅客鉄道株式会社
代表者代表取締役 葛西敬之
訴訟代理人弁護士 佐治良三
同 後藤武夫
同 中町誠
同 志田至朗
主文
一 被告は、原告A野太郎に対し金二五二二万〇九五二円、原告A野花子に対し金二三四六万〇九五二円及びこれらに対する平成七年一二月二七日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その三を被告、その余を原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
1 被告は、原告A野太郎に対し金八七九二万九一八九円、原告A野花子に対し金八一一二万八三一七円及びこれらに対する平成七年一二月二七日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
第二事案の概要
1 本件は、被告新幹線三島駅において、こだま号に乗車しようとして同列車のドアに左手指を挟まれ、そのままホーム上を引きずられた上、同ホーム下に落下し、同列車によって轢過され即死した高校生A野一郎の両親である原告らが、一郎の死亡は被告の債務不履行及び不法行為によるものであるとして、被告に対し、損害賠償を求めた事案である。
2 争点
(1) 被告従業員であるB山松夫(駅係員)、西島祐二(車掌長)、髙橋薫(後部車掌)の過失の有無
(2) 被告の安全配慮義務違反、過失の有無
(3) 過失相殺、一郎の過失割合
(4) 損害額
第三争いのない事実及び証拠上容易に認定できる事実
1 当事者
(1) A野一郎及び原告ら
亡A野一郎(以下「一郎」という。)は、原告A野太郎(以下「原告太郎」という。)及び同A野花子(以下「原告花子」という。)の子で、昭和五三年八月一一日生れであり、本件事故発生時は一七歳であった(身長約一六七センチメートル、体重約六二キログラム)。
一郎は、中学生の頃は、平日も静岡県富士宮市内の自宅から被告の東海道新幹線を用いて東京都内にある中学校まで通学していたが、同都内にある高校へ進学後は、通学の便宜のため、神奈川県小田原市内に用意してもらったマンションから通学するようになり、平日は原告花子、一郎及びその妹らが同マンションに同居し、週末等には富士宮市内の自宅に家族全員が戻るという生活をしていた。
一郎は、本件事故発生当時、東京都千代田区所在の私立暁星高校の二年生として在学中で、被告の新富士駅・東京駅間の新幹線通学定期を購入して通学していた。
一郎は、将来医学系大学への進学を希望し、進学塾にも通い、本件事故当日である平成七年一二月二七日も、高校は冬期休暇中であったが、朝から東京都新宿区内の進学塾で学習し、同塾から前記富士宮市内の自宅に帰るため、被告新幹線東京駅において、同駅午後五時三五分発の名古屋行き「こだま四七五A」(以下「本件列車」という。)に乗車し、新富士駅まで帰る途中の三島駅で、本件事故に遭遇し、死亡した。
(2) 被告
被告は、昭和六二年四月一日に分割民営化された日本国有鉄道のうち、中部地方を中心として、東海道新幹線をはじめとする旅客鉄道輸送等を業とする株式会社である(資本金一一二〇億円、従業員約二万二〇〇〇人)。
静岡県三島市一番町一六の一所在の東海道新幹線三島駅は、被告が所有、管轄する駅であり、本件事故発生時の同駅ホーム上には被告の従業員が任務についていた。また、本件列車は、被告の営業の用に供するため、その従業員らによって運行された。
2 本件事故の発生
一郎は、本件列車が三島駅に到着した後、一旦ホームに降り、ホーム上の公衆電話から自宅に電話をかけた後、平成七年一二月二七日午後六時三四分ころ、同列車六号車の後部(東京寄り)山側ドア(以下「本件ドア」という。)から再び乗車しようとした際、左手指を同ドアに挟まれ、同ドアの「戸閉めスイッチ(リミットスイッチ)」のセンサーがこれを検知せず、「ドア押さえ装置(押さえリンク)」の気密押さえが働き、挟まれた左手指をドアから抜くことができなくなり、本件列車の「車側灯」は滅灯し、運転席の「戸閉め表示灯」が点灯した。そして、同列車は起動を開始し、一郎は、駅員及び車掌らに発見されることなく、ドアに左手指を挟まれたまま、列車と併走することを余儀なくされ、次第に加速した列車について行けなくなり、尻餅をついて引きずられ、手指を挟まれた当初の位置から約一五六・五メートル西方のホーム西端から落下し、同列車によって轢過され、頭蓋骨粉砕骨折・頸部轢断により即死した。
3 新幹線三島駅
新幹線三島駅のホームは、一本のホームの両側を、上りと下りの新幹線列車が発着をする島式の構造で、その海側(南側)に位置する新大阪方面下り線ホーム側面の形状はほぼ直線である。
ホーム上には駅員らが詰めている事務室があり、上り列車係と下り列車係が各一名ずつ配置され、列車の発着時に、ホーム上の西側階段登り口付近(下り線列車の一〇号車付近)に出て、列車、ホーム付近の旅客の安全確認、誘導等を行う体制であった。本件事故発生時、下り線を担当していたのは、同駅輸送主任B山松夫で、同人は、本件列車が発車後、列車付近にいる一郎の姿を目撃したものの、格別の措置を講じたことはなかった。
なお、本件事故発生当時、新幹線三島駅には列車監視モニター(ITV)は設置されていなかった。
4 本件車両
本件列車は、一六両編成で、先頭新大阪寄りから一号車・二号車・三号車の順で一番後ろ東京寄りが一六号車で、全長約四〇〇メートルある。本件列車に使用された「〇系」車両は被告が保有する新幹線車両のうち、最も旧型の車両形式であった。
新幹線車両は、ドアがスライドして閉まった後、ドア上部のセンサー部分の隙間が一定程度以下になると、「戸閉めスイッチ(リミットスイッチ)」が感知して、各車両の車体側部にある「車側灯」が滅灯し、列車の全ての車側灯が滅灯すると、運転台に設置されている「戸閉表示灯」が点灯する。また、新幹線車両は、在来線用車両とは異なり、ドアがスライドして閉扉した後、気密性を高める目的で、更に車体外側へ向かってドア全体を押し付ける「ドア押さえ装置」が作動して、密閉する構造となっており、〇系車両の押さえつけの圧力は約二九〇キログラムであった。
5 乗務員
本件事故当時、被告新幹線には、運転士(車掌兼掌)二名、車掌長一名、車掌一名が乗務し、うち運転士二名は運転と車掌業務を交代で担当するのが通常で、〇系こだま号の新大阪方面下り列車の場合、車掌長は九号車前部の車掌室に、車掌(後部車掌)は一六号車運転室に乗務することになっていた。
本件列車には、車掌長として西島祐二、車掌(後部車掌)として髙橋薫が乗務していたが、西島は本件事故発生時には、列車監視を行っておらず、髙橋は、列車監視を行っていたが、一郎を発見することはできなかった。
第四原告らの主張
1 被告社員の過失と被告の使用者責任
(1) 輸送主任B山松夫の過失
ア 輸送主任B山には、新幹線列車が出発する際、列車後部がホームを離れ本線に入るまでの間、ホーム上の旅客の状況を監視し、黄色線の外側(線路側)に旅客が入った場合、すみやかにこれを発見、注視し、その安全が確認できない限り、直ちに列車防護スイッチを作動させ列車を発車させない措置もしくは停止させる措置を講じるなどして、旅客の死傷事故を未然に防止すべき注意義務が存した。
イ しかるに、B山は、本件列車が出発するにあたり、これを怠り、一郎が同人から約九九メートル西方の本件ドアから乗車しようとして黄色線外側に入り、本件ドアに左手指を挟まれ、発車の前後を通じて、右手を振ったり、ドアを叩いたりして急を告げていたにもかかわらず、車側灯の滅灯を確認したのみで、ドアに挟まれた乗客はいないものと漫然と見過ごし、その発見が遅れた重大な過失がある。
さらに、B山は、本件列車が一〇数メートル進行した時点に至り、ようやく一郎を発見したが、その安全を十分確認しないまま安易に「見送り客がふざけているもの」などと軽信して視線を移して、これを放置し、列車防護スイッチを押して列車を停車させるなどの措置を講じなかった重大な過失がある。
ウ B山の位置から、一郎の姿は確実に発見できたはずであり、同人が通常の安全監視を行っていれば一郎を発見し得たし、列車発車後も、一郎を発見した時点で直ちに列車防護スイッチを作動させていれば、一郎が尻餅をつく前に列車を停止させることができ、一郎の被害はドアに挟まれた左手指の怪我だけで済んだはずである。
(2) 車掌長西島の過失
ア 車掌長西島には、乗務中の新幹線列車が出発する際、原則として、八号車車掌室の開き窓から顔を出して列車及びホームの監視を行う義務が存した。
イ にもかかわらず、西島は、本件列車が三島駅を出発する際、一〇号車ドアの故障箇所に行く途中で、乗客に接続案内をし、安全監視そのものを怠った。一〇号車ドアの故障は、運行に直接支障を生じさせるものではなく、現に西島は、兼掌運転士川口とともに、熱海駅において同ドアを点検し、これが問題なく閉塞するのを確認している上、ドア故障の点検はその技能を有する川口が担当する業務であるし、三島駅においては同ドアとは反対側のドアが開閉されたのであって緊急性も存しなかったことからすると、西島には出発時の列車監視を怠った過失が存する。
(3) 後部車掌髙橋の過失
ア 後部車掌髙橋には、新幹線列車が発車する際には、後部車掌室の開き窓から顔を出して、ホームの終端に達するまで、列車及びホーム上の旅客の状態を監視する義務が存した。
イ にもかかわらず、髙橋は、その監視を不十分にしか行わなかったため、ドアに指を挟まれて引きずられていた一郎を発見できなかった過失がある。
(4) 被告の使用者責任
被告は、その従業員であるB山、西島、髙橋が各担当業務を執行中に、その過失により本件事故を惹起させたものであるから、民法七一五条により原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。
2 被告自身の過失と不法行為責任、旅客運送契約に基づく責任
(1) 本件事故の予見可能性
本件事故に先立って、少なくとも五件の同種事故(file_2.jpg昭和六〇年一二月一三日、新幹線上野駅、file_3.jpg平成四年五月一日、新幹線新大阪駅、file_4.jpg平成五年二月二八日、新幹線広島駅、file_5.jpg平成五年一一月二一日、新幹線京都駅、file_6.jpg平成六年六月一三日、都営地下鉄浅草橋駅、うちfile_7.jpgfile_8.jpgは被告管内)が発生していたところ、これらはいずれも、列車の発車時、ドアに乗客の指などが挟まれたのに、車側灯が滅灯し、運転台の戸閉表示灯も点灯して、列車が発車したことから人身事故が発生したというものであるが、被告は本件事故発生当時、これらの事故の内容を認識していた。
被告は、遅くともfile_9.jpgの事故のころには、新幹線ドアの「感知システム」が旅客の指などを挟んでも感知できず、また、その出発監視体制の下では、旅客がドアに手指等を挟まれ、これに社員が気付かず、旅客が発車した列車に引きずられる「手指挟まれ引きずられ事故」が発生し、ひいては死亡事故を発生させる可能性、危険性が高いことを十分予見できた。「駆け込み乗車」は、新幹線においても日常茶飯事の出来事であり、だからこそ、被告は駆け込み乗車防止のアナウンスを行っていたのであって、駆け込み乗車による「手指挟まれ引きずられ事故」が予見できなかったとは到底言えない。
(2) 被告の安全配慮義務一般
新幹線は、超高速の大量旅客輸送機関であり、人の生命、身体等を侵害する多大な危険性を伴うものであるから、被告は、旅客の安全確保については、列車の定時運行を図る等の他の業務目的に優先して、最大限の努力を払うべき責務を負っている。
したがって、被告には、かかる同種事故が再発しないように、事故原因を究明し、それを踏まえた効果的な安全対策を策定実施する義務があり、車両やホーム等を常に構造上安全な設備に改善し、旅客の安全を確保できるよう乗務員、駅員のマニュアルを策定改善して、これを社員に指導教育する義務が存する。
(3) 同種事故の原因究明義務
ア 新幹線車両のドアがスライドして閉まった際、本来は、ドア上部のセンサー部分の隙間が三・五ミリメートル以上であったときは、車側灯が滅灯せず列車が発車しないシステムになっているとされていたが、実際には三・五ミリ以上の物体が挟まれても、滅灯することが多数存した。したがって、まず被告としては、新幹線ドアが手指等が挟まれても感知できない理由を究明するため、どのくらいの物体をドアに挟んでも戸閉めスイッチのセンサーが感知せず、車側灯が滅灯してしまうのか検証をし、その上で、file_10.jpgの事故後、前記中部運輸局から示達された「車両の戸閉めスイッチの動作位置における扉の開閉寸法を運行に支障しない範囲でできる限り小さくすること」ができるかどうかを検討し、できないとするなら、これに代わる発車時の監視体制の強化などの安全対策を講じなければいけないという方針を、直ちに導き出していなければならなかった。
イ また、被告は、当時の発車監視体制ではドアに手指等を挟まれた旅客が、駅員・車掌に発見されないまま発車した列車に引きずられてしまう原因を究明し、これが次のとおりのものであることを理解することが求められた。すなわち、(a) 旅客がドアに手指等を挟まれる事態が発生する原因として、駅員が駆け込み乗車をする旅客(file_11.jpg事故)、ドアに手をかけたまま話をしていて発車ベルに気付いていない旅客(file_12.jpg事故)などに気が付かないまま客扱い終了合図をし、かつ、後部車掌もそれに気が付かずにドア閉めのスイッチを扱ってしまうことがあること、(b) 手指等を挟まれた旅客がいるにもかかわらず列車が発車してしまうという事態が発生してしまう原因として、駅員、後部車掌、車掌長が手指等を挟まれた旅客がいるのに気が付かず、これに気付いた場合でも、列車が動き出す前に非常制動するだけの時間的余裕がなく、被告新幹線には、在来線のような「後部車掌からの出発合図を受けてから運転士が出発させる」ことが発車手順に組み込まれておらず、「発車三原則」さえみたせば運転士が発車させてしまうこと、(c) かかる旅客が死傷にまで至る事態が発生してしまう原因として、駅員、後部車掌、車掌長が手指等を挟まれ引きずられている乗客がいるのに気が付かず、これに気付いた場合でも、死傷に至る前に非常制動するだけの時間的余裕がないこと、がそれぞれ考えられた。
(4) 事故防止対策義務
そして、被告としては、前記原因究明を踏まえ、下記の安全諸対策のうちの幾つかを組み合わせて、「手指挟まれ引きずられ事故」により乗降客に死傷者が発生しないようにする義務が存した。
ア (a)を防止するため、被告は、(ⅰ)旅客に対し、新幹線のドアが在来線のものと異なり「挟まれたら抜けない」構造のドアであることを周知させた上で、「駆け込み乗車」しないように注意を喚起し、(ⅱ)センサーを設置してドア付近に旅客がいた場合にはドアが閉まらないようにしたり、ホームにドアの開閉と連動する防護柵を設けるなどして、そもそも旅客がドア付近にいる場合にはドアが閉まらないようにするなどの義務があった。
イ (b)を防止するため、被告は、(ⅰ)社員に対し、車側灯が滅灯しても、手指等が挟まれている場合があるから、これのみを信頼せず、発車時にドア付近の列車監視を十分に行うよう、マニュアルを変更したり、指導し、(ⅱ)旅客が手指等を挟まれても、自力で抜けやすいように戸閉めの力を小さくしたり、気密圧力のかかる時機を発車後一定速度に達するまで遅らせるなどの改良をし、(ⅲ)運転士が、駅員及び後部車掌から、ドアに手指等を挟まれた旅客が存しないことの確認の旨の出発合図を受けてから発車させるように発車システムを改善したり、これが困難ならば、ドアが閉められた後に、駅員等がドアに手指等を挟まれた旅客が存しないことを確認し、これを発見した場合に発車前に非常制動できるのに必要な時間を確保した上で発車させるように発車時間のシステムを改善し、(ⅳ)車掌長の車掌室窓から顔を出して列車監視を行う義務を最優先化したり、駅員の監視位置を適切な位置に配置を変えたり、駅ホーム上にITVを設置するなどしてドアに手指等を挟まれた旅客を早期かつ確実に発見できるように安全監視体制を強化するなどの義務があった。
ウ (c)を防止するため、被告は、(ⅰ)前記(b)の安全監視体制の強化の施策のほか、(ⅱ)発車後の速度を、列車を停止させやすくするため一定時間さらに低速に抑え、(ⅲ)列車防護スイッチ等を扱う「危険と判断される場合」を具体的にマニュアルに例示するなどして、駅員・乗務員に十分な教育、訓練をし、(ⅳ)旅客に対し、ホーム上の列車防護スイッチ及び列車内の列車停止スイッチの存在及び操作方法を周知させる義務が存した。
(5) 被告の注意義務違反
ア 被告は、同種事故の原因究明の大前提となるべき、新幹線列車のドアに何ミリ位の物体を挟んでも車側灯が滅灯してしまうのか、駅係員や車掌がどの位の距離が目視可能であるのか、車掌長の列車監視の実施状況など、事故原因究明のための基礎的な調査、検証を行わなかった。
イa 被告は、その安全に関するマニュアルが安全確保上十分なものであるとの認識から、類似事故発生後も、従来のマニュアル・基準の再徹底、駆け込み乗車予防アナウンスの若干の追加、一般的な安全教育をしただけで、駅員、車掌に対して、新幹線ドア構造の危険性について周知させ、車側灯滅灯を過信せず、旅客が実際に指等を挟まれていないか注意して監視するよう指導教育することを怠った。このことは、輸送主任B山が、本件事故直後、「車側灯が消灯すれば何らドアに挟まっていることは考えられない」旨述べていたことに端的に現れている。
b また、被告は危険を感知した場合にまず列車を止めて安全を確保するという、事故拡大防止のための教育、訓練をせず、むしろ、社員はたとえ危険を感知しても、列車を遅延させたことによる処分を恐れる余り、列車を止めることを躊躇するという事態が生み出されていた。
そして、被告は、file_13.jpgの事故後、車掌長に対し、「原則として、列車発車及び停車時に、中間の乗務員室の開き窓から、列車監視を行い、旅客の傷害事故防止に努める」旨マニュアルを追加変更したものの、「原則として」との文言に反し、実際の運用においては、車掌長の「本来業務」である客扱い業務と併行してできる限り行い、客扱い、改札等の実施中は列車監視を行わなくてもよいなどと指導していた。
以上、被告は、同種事故に対応した実効的な安全教育訓練・指導を何らせず、出発時の旅客の安全確認が十分できるだけの人的体制を整備しなかった。
c さらに、被告は、ITVの設置、安全上問題のあるドア構造(〇系車両は近い将来引退が予定されていた)の改良など、物的設備に投資するのを怠った。また、被告は、一般旅客に対し、本件ドアは特に危険性が高いのに、その危険を告知せず、さらに、一般旅客に対して、列車防護スイッチ等の役割と設置位置も周知させず本件事故に気付いた一般利用客による事故拡大の防止措置を採る可能性を妨げた。
ウ 結局、被告は、「手指挟まれ引きずられ事故」に対し、公共交通機関として当然なすべき実効的な安全対策を何ら行っていなかった。
(6) 被告の実質上の過失の自認
被告は、本件事故後、①本件車両について、ドア閉めの力を減弱するとともに、気密押さえ開始時期を時速三〇キロメートルに達したときに遅らせ、②駅員の安全確認を、閉扉後、「滅灯よし」と称呼していたのを列車の前頭部から後部にかけて一回及び後部から前頭部にかけて一回指差確認を行い、その都度「旅客よし」と称呼するように変更し、ドア付近から旅客が離れない等危険な際、駅員が躊躇することなく列車防護スイッチ等により停止手配をとるなど、危険判断を具体的にマニュアル化し、また、発車時刻の一二秒程度前に客扱終了合図を行って、閉扉後発車までの間に一〇秒近く余裕を持たせられることをマニュアル化し、③車掌長について、「従来、車内改札継続中は『列車監視』を省略してきたが、今後は『列車監視』を優先する」とし、そのための「お客様への協力お願いの仕方」まで具体的に記載した指導文書を出して、車掌長の列車監視業務を「優先化」し、④後部車掌については、「乗客が大きな声を出したり、列車を叩いたりしたさいは緊急停車させる」旨の具体的なマニュアルが作成され、ホーム駅員との敬礼の慣習も廃止され、⑤全駅にITVが設置され、ホーム上の列車防護スイッチも一般旅客にも公示するようにしたが、これらは被告が自己の過失を実質的に自認したことを示している。
そして、かかる変更は、いずれも非常に容易にできたものであり、被告が本件事故に先立つ同種事故を真摯に教訓化し、これら安全施策を実施していれば、本件事故は防止できていた。たとえば、気密押さえの力がかかる時期が遅ければ、一郎は自力で左手指を抜き取ることができたであろうし、車掌長が列車監視をしていれば、当然一郎を発見し得ていた。また、ITVが設置されていれば、駅員は容易に一郎を発見し得たところ、一郎が列車に引きずられて尻餅をついた時点(発車時から約九三・六メートル移動した地点、左手指を挟まれてから約三〇秒近く経過したころ)までに非常停止措置がとられていれば、少なくとも死亡の結果は回避できた。
(7) 被告の責任
ア 不法行為責任
被告は、以上のとおり、同種事故の事故原因を究明せず、事故に対する効果的な安全対策を策定実行せず、漫然時を過ごして本件事故を惹起させてしまったのであり、本件事故は、かかる被告自身の過失と前記被告の駅員及び車掌らの過失とが複合して発生したものである。
したがって、被告は民法七〇九条により一郎及び原告らに生じた損害を賠償する義務を負う。
イ 旅客運送契約に基づく責任
一郎は、被告新幹線の東京駅から新富士駅間の定期乗車券を購入し、実際にこれに乗車して東京駅から新富士駅に向かっていたのであるから、被告は旅客運送人として、一郎を新富士駅まで安全に運送すべき債務を負担していた。
にもかかわらず、被告は過失により一郎を死亡させたのであるから、商法五九〇条により一郎及び原告らに生じた損害を賠償すべき義務を負う。
3 過失相殺
仮に、一郎が新幹線列車ドアに左手指を挟まれたのが同人の駆け込み乗車にも起因するものであったとしても、同人の責任は、ドアに手指が挟まれたことによって手指に多少の傷害を負うことまででしかない。それ以上に、一郎がこれを駅員・乗務員らに発見されず、手指を挟まれたまま列車が停止されることなく、列車に引きずられたり、ましてや死亡にまで至らしめられるといったところまでの責任は全くない。このことは、手指を挟まれた乗客が一郎ではなくて、身体の不自由な人や高齢者等であった場合を想定すれば、より明瞭である。
よって、仮に過失相殺が認められるとしても、それは左手指傷害に関する損害の部分についてだけであり、本件のような死亡事故においては、ほとんど問題とならない。さらに、本件において、一郎は左手指をドアに挟まれてから、尻餅をつかされるまで二三秒以上もあり、その間、被告において結果回避の措置をとり得たのであるから、旅客が駆け込み等をした瞬間に事故結果が発生してしまった場合とは事案を異にする。
4 損害
(1) 一郎の損害とその相続
ア 逸失利益 八二二五万六六三四円
一郎は、大学に進学し、その後に就職することが確実であったから、賃金センサス大卒全年齢の年収額を基礎に算定し、生活費控除分は四〇パーセントとし、新ホフマン係数(六七歳までの新ホフマン係数から二二歳までの五年分の新ホフマン係数を引いたもの)を使って計算するのが相当である。
674万0800×(1-0.4)×(24.702-4.364)=8225万6634円
イ 慰謝料 五〇〇〇万円
一郎は、本件事故において、安全であるべき新幹線ドアに、全く予見しなかった強い力でドアに左手指を挟まれ、右手を振ったり、右手で車体を叩くなどして救助を求めたにもかかわらず、駅員・乗務員に発見されないままホーム上を約一五〇メートル、三〇秒以上も引きずられた上、ホーム西端から転落させられ、頭部を轢断されるなどして死亡させられたものであり、その間に受けた恐怖及び被告の重大な過失の態様を考慮すれば、その慰謝料は五〇〇〇万円を下らない。
ウ 原告らはアイの各二分の一ずつを相続した。
(2) 原告らの固有の損害
ア 固有の慰謝料 各一〇〇〇万円
原告らは医学部進学予定の長男一郎の将来を嘱望し期待をかけていたもので、最愛の長男を突然失った原告らの精神的損害ははかりしれない。
また、被告は、本件事故後も、事故原因が明らかにならない間から、「被告の安全確認に体制的に問題はなかった」などと記者発表して、あたかも一郎に一方的に過失が存するがごとき発表をし、その後も原告ら遺族の慰謝に努めず不誠実な対応に終始するなど、その精神的損害を増大させている。さらに、本訴に至っても、自己の責任を否定し続けるばかりか、原告らに対して、遺族感情を逆撫でする尋問を繰り返すなど、遺族に対してはかりしれない悲しみを与え続けている。
これら原告らの精神的損害を慰謝するには、各一〇〇〇万円を下らない。
イ 葬儀費用等
原告太郎は、一郎の死亡に伴い、次の費用を支出した。
葬儀費用 五四〇万〇八七二円
墓石費用 一四〇万〇〇〇〇円
ウ 弁護士費用 一〇〇〇万円
原告らは、訴訟代理人弁護士らに訴訟行為を委任し、着手金及び謝礼金として、日本弁護士連合会報酬基準の範囲内である一〇〇〇万円(各原告二分の一ずつ)の支払いを約した。
(3) 以上により、被告は、原告太郎に対して損害賠償金八七九二万九一八九円、同花子に対して八一一二万八三一七円及びそれぞれに対する平成七年一二月二七日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務が存する。
第五被告の主張
1 本件事故の予見可能性
一郎は、テレホンカードを六枚も所持し、これにより列車内から電話をかけることができたのに、極めて限られた停車時間に、ホームに降り、本件列車から数メートル離れ、かつ、本件列車と反対側の上り線に面して設置されている公衆電話まで赴き、暗証番号を入力する必要がある分だけ普通のテレホンカードよりも電話がつながるまでに時間が長くかかるカード(カードC)で電話をかけるという通常では考え難い行為をあえて行い、しかも発車予告ベル(アラーム)が鳴り始めてもなお通話を継続し、通話後、同カードが返却されるまで待ち続けた上で、本件ドアまで駆け寄り、本件列車に乗車することに固執し、ほぼ閉まりかけたドアに左手を入れ、ドアの閉まるのを阻止し無理にこれをこじ開けて乗車しようとしたことから、本件事故が発生した。一郎のかかる行為は、通常の駆け込み乗車とは著しく態様を異にし、いわば「こじ開け乗車」ともいうべき極めて危険かつ通常あり得ないものであり、被告はこれを予想し得ない。
なお、原告らが同種事故と主張するもののうち、昭和六〇年の上野駅、平成五年の広島駅における事故は、別会社における事故である上、詳細な内容も不明であり、これを前提とすることはできない。また、本件事故は、平成四年の新大阪駅事故、平成六年の都営地下鉄浅草橋駅事故等よりも、さらに旅客の過失が大きい「こじ開け乗車による事故」という極めて特殊なものであるから、これらも、本件と同種の事故とはいえない。
2 被告社員の無過失
(1) 輸送主任B山の無過失
B山は、本件列車の出発にあたり、三島駅作業要領等の定めに則り、発車予告ベル(アラーム)を鳴動させ、旅客に危険を知らせる措置を講じていたのであり、これ以上に、これを無視して前記のとおり通常ではあり得ない危険な方法で乗車しようとする旅客の存在まで予測すべき注意義務はない。
(2) 車掌長西島の無過失
車掌長は、客扱い業務及び列車全体の総括を行う者であり、列車監視は後部車掌に対して義務付けられ、車掌長はかかる本来業務と併行してできる限りにおいて行うにすぎない。そして、本件事故発生時、西島は列車全体の統括を行う立場から、一〇号車のドア故障の状況把握のため列車内を移動中という本来業務を遂行中であった。ドア故障は、旅客の転落事故、緊急停止に伴う重大事故を引き起こす危険性があるところ、本件列車が三島駅停車中、西島は、これに詳しい兼掌運転士である川口善一から、同故障ドアに向かうことを告げられたため、緊急性があると判断し、緊急停車等の必要性がある場合には直ちに指令に連絡して指示を受け車内の他の乗務員に連絡するなどの対応に備える必要性があると感じたことから、その状況把握等に向かったのであって、西島の判断は極めて当然かつ合理的で妥当であって、同人には列車監視業務ないし注意義務は存しない。
(3) 後部車掌髙橋の無過失
髙橋は、作業内規に定められた所定の作業を全て実行し、車側灯滅灯が万全ではないことも十分認識しつつ、これが滅灯したのを確認した後も「開き窓」から前方の注視をしつづけ、B山との敬礼の際も同人の方へは顔を向けず、常に列車前方を向いて、安全を確認し続けていたのであって、同人に過失はない。
(4) 監督責任の履行
ア 鉄道における安全性の判断には、専門領域における科学的、専門的、技術的な知識、経験等を必要とするところ、被告の規模においては、被告取締役各人が全般にわたってこれを有するとはいえず、社内の専門的知見を有する者らの報告、意見等や監督官庁の指導等を踏まえて業務を執行すれば、取締役としての善管注意義務の懈怠は存在せず、監督責任も尽くしたといえる。
しかるに、被告では、鉄道事故防止等に関する事項を重点的に審議等するため、社内の専門家、責任者等をメンバーとして、本社安全推進委員会、各鉄道事業本部・支社・建設工事部、各地区の現業機関等における安全推進検討会が設置、開催されている。そして、その最高審議機関である本社安全推進委員会は、安全担当取締役を委員長として、鉄道運転事故等の防止を図るための審議を行って、その方針を決定し、事故発生状況等については、常務以上の取締役で構成される常務会に報告され、本件事故以前の新幹線列車出発時等の事故事例等についてもその都度安全対策を審議し、その決定事項も迅速に実行してきた。
イ また、被告の社員に対する安全教育・指導及び訓練等の各対策が十分であったことは、後記3(4)のとおりである。
したがって、仮に被告社員らに過失があるとしても、被告は、安全対策に万全を尽くし、監督を尽くしていたのであるから、被告には監督責任等はなく、民法七一五条の使用者責任は問われ得ない。また、取締役は、民法四四条一項の要件である一郎への加害に対する「故意又は過失」を充たさない。
3 被告自身の無過失
(1) 本件ドアの安全性
ア 新幹線車両のドアは、乗客が社会通念上の最低限のルールを守り、通常の注意力をもって乗降する限り、在来線のそれと比較して危険であるとは到底言えない。そして、被告は、旅客に対し、危険な行動に出ないよう求めるため、駅構内放送で、駆け込み乗車が危険であり、これをやめるよう繰り返し注意喚起していた上、列車発車時には後部車掌及び駅係員が列車監視により危険を防止する措置も講じていたのであるから、その安全性は一層確保されていた。
本件事故は、一郎の自己中心の志向からの前記のとおりの極めて異常な乗車方法に起因するのであり、かかる危険を冒した乗り降りをすれば、新幹線に限らず在来線のドア構造であっても危険なのであるから、本件事故当時の新幹線車両のドアが合理的安全性を欠いていたという余地はない。
よってまた、被告には、旅客に対し、その危険性を告知すべき義務などもない。
イ 公共の安全に関わる業務の管理者においては、常にその安全性を一層高めるための改善措置を執るよう努めるのは当然であるところ、被告は、この見地から、本件事故以前である平成六年六月の都営地下鉄浅草橋駅事故のころから、一連の調査を経て、新幹線ドアのドア押さえ装置の気密押さえの力がかかり始める時機を遅らせる対策及び戸閉め力を弱める対策をそれぞれ検討してきていた。そして、列車の全体的・複眼的視点から、試験装置の開発、定置試験、走行試験等、幾多の技術的な紆余曲折を経て、本件事故後ほどなくして、ようやくその改造の対策が完成するに至ったのであり、本件事故発生当時の技術水準・安全水準を前提にすれば、そのドア構造は最高度のものであった。
(2) ホーム上の列車監視体制の合理性
ア 駅係員の配置は、ホームの形状による見通しなどを踏まえ、列車監視を行うに支障がないかという観点から決定されるところ、新幹線三島駅のホームは見通しが良く、夜間においてさえ、輸送主任の監視位置(下り列車の一〇号車付近で、線路側側端から約一・四メートル離れた地点)から一号車ドア付近まで肉眼で安全確認ができる。一日の平均乗客数において三島駅のそれを上回る静岡駅においても一名で足りていること、過去の挟まれ事故において、列車監視をしていた駅係員らが当該列車を緊急に停止させていること、駅係員からこれまで増員の要望はなかったことからしても、三島駅においては、一名の駅係員による列車監視で十分に安全が確保されており、被告の駅における安全対策に欠けるところはない。
よって、被告には駅係員の増員、適切な位置への配置、ITVの設置等の義務など到底認められない。
なお、本件事故後、三島駅にITVを設置したのは、より高度の安全性を追求すべく、列車監視をより確実にするためであり、設置以前に列車監視が困難であったからというわけではない。
イ 本件事故以前から、旅客により列車防護スイッチが扱われた事例はあり、被告は旅客等に対して、同スイッチ等の存在及びその操作方法を周知させていたのであって、その設置及び表示に不十分な点はなかった。
また、原告らが主張するホーム柵及び赤外線センサーについて、新幹線の駅でこれが設置されている所は、追い越し専用の線路がない駅で、列車が通過する際、ホーム上の旅客が風圧で列車に巻き込まれたりすることがないようにするためのものであり、列車出発時の駆け込み乗車を物理的に排除するためのものではないし、在来線でこれが設置されている所は、車掌が列車に乗務せず駅ホーム上には列車監視の駅係員もいないワンマン運転を目的とするものであって、その前提を全く異にする。
さらに、本件において、列車の発車及びドアが閉まることを知らせる放送設備は、実際に作動していたことに照らしても、被告の駅における安全対策に不備はない。
ウ 被告は、事件事故後、駅における発車予告ベルの取扱いについては、従来発車時刻の四〇秒ないし五〇秒位前から鳴動させていたものを、おおむね発車時刻の三〇秒前に統一するようにしたが、これは発車ベルを短くすることによって旅客の駆け込み乗車の可能性を少なくするための対策であり、原告が主張するようなドアが閉まってから発車までの時間を変更した事実はない。
駅員の列車監視についても、被告が本件事故前の方法を変更した事実はなく、また、新幹線三島駅では、従前から「運転事故を発生するか又は運転事故の発生するおそれのあることを発見したときは、ちゅうちょなく列車防護スイッチを一箇所以上取扱うこと」と定められていたが、これを本件事故後、再徹底したにすぎない。さらに、被告が本件事故後に、原告が主張するような、従来の発車の方法を変更したり、新たにマニュアル化したなどという事実はない。
(3) 車掌長による安全監視
運輸省令たる新幹線鉄道運転規則によれば、乗務する車掌の全員が列車監視をしなければならないというものではない。被告では、後部車掌をもって、列車監視等の列車の運転に関する業務を行う車掌と指定し、車掌長は、旅客へのサービス提供、車内秩序の維持を行うとともに、車内業務の調整、総括等の業務の任に当たらせてきた。平成五年一二月の京都駅事故後においても、被告は車掌長による列車監視は、その本来業務である客扱い業務と併行して、「できる限り」行うという内容で一貫して指導し、現場もその理解となっていたが、これは会社が決める業務分担の裁量の範囲内のことである。
なお、被告は、本件事故後、列車発車時における車掌長の列車監視について、車掌長の採り得る選択肢の幾つかの中から、列車監視を優先させるという選択肢を選ぶこととしたが、これは「できる限り」行うことについての本質的な変更ではなく、より一層の安全を確保するための施策を積極的に推進する趣旨のものにすぎない。
(4) 社員に対する安全に関する教育・訓練
ア 被告は、安全・安定輸送を全うするために、常にその社員、就中、運転業務を行う社員に対して必要かつ十分な教育・訓練を行っている。
鉄道事業者がいかに旅客の安全のために対策を講じても、旅客が駆け込み乗車のように社会通念上の当然守るべきルールを守ろうとしない場合には、旅客の安全を確保することは困難となるが、それでも被告は、駅係員、車掌等に対し、過去の事故例とその原因等を周知させた上、どのような注意を払えば安全に列車を出発させ得るかという観点から出発時の列車監視に関するマニュアルを確立し、その中で事故の対処法などについても整備し、さらに、日常訓練、計画訓練、知識・技能の確認などの各種の教育、訓練の機会において、事故を未然かつ的確に防止できるよう指導してきた。
イ なお、被告が社員に対し、車側灯の滅灯のみによって安全を確認するとの指導・教育を行ったことは一度もなく、現場の社員の理解も同様であった。また、被告には、列車出発時に車側灯を「滅灯よし」などと称呼する定めなどはなかった。
4 被告の責任
(1) 民法七〇九条
不法行為の主観的要素である「故意又は過失」とは、思考能力を有する自然人の精神的容態であり、法人の代表者(代表機関)や被用者の故意・過失とは別個に法人自身のそれを観念できない。
民法は、法人の代表機関が職務を行うについて故意・過失により他人に損害を加えた場合は民法四四条一項(株式会社にあっては、代表取締役につき、商法二六一条三項、二八条二項)、代表取締役以外の構成員が業務の執行について故意又は過失により他人に損害を加えた場合は民法七一五条一項により、法人が損害賠償責任を負うものと定め、自然人である代表者または被用者の故意・過失を要件として法人が責任を負うものと規定している。
したがって、民法七〇九条を拡張解釈し、法人自体に同条による直接の不法行為責任を認めることは、これらの相互関係を著しく複雑にするものであり、法の予定するところではない。
(2) 商法五九〇条
鉄道交通の社会的効用と危険性に鑑みれば、鉄道会社の旅客の安全に関し運送人として尽くすべき契約責任上の義務は、旅客がするかもしれない危険な挙動の可能性をことごとく想定して、その防止策を採ることまでは要求されず、特段の状況がある場合でない限り、旅客自身は自己の安全維持のため、予想される危険を自ら回避するのに必要な行動をとるものと信頼したうえでの措置を採ることをもって足りる(「許された危険の法理」ないし「信頼の原則」)。
本件において一郎は、前記のとおり、発車寸前の新幹線列車の閉まりかけたドアに手を入れて、これをこじ開け無理やり乗車しようとしたものであり、これがいかに危険で無謀な行為であるかは、高校生にとっては容易に判断できる。
したがって、被告が鉄道利用者たる一郎に対し、かかる危険を回避することを求めることは、何ら運送契約の本旨に悖るものではなく、被告はかかる無謀な行為により生じた結果について、旅客運送人としての責任を負わない。
5 過失相殺
(1) 一郎の過失
駆け込み乗車は、運輸省令である鉄道運輸規程二〇条一項に違反する法定の禁止行為であり、鉄道を利用する旅客としては、自己の身体を守るため、駆け込み等の危険な態様で乗車するのは差し控え、次に到着する列車を待って安全な方法でこれに乗車すべき義務がある。
にもかかわらず、一郎は、通常では考え難い前記のとおりの「こじ開け乗車」をしようとし、さらに、これができないと分かった時点で、ホーム上には他の乗降客や売店の店員等がいたのであるから、直ちにこれらの者に大声で助けを求める等適切な行為をすべきであったにもかかわらず、自分の力だけで指を抜き取ろうとしたのであり、一郎に重大な過失があったことは明白である。
(2) 原告ら被害者側の過失
ア 駆け込み乗車は、これをする旅客にとって極めて危険であるというだけでなく、重大な事故の危険性を惹起させ、駅係員、車掌、運転士等の輸送機関の管理運営に携わる業務を妨害して、列車の円滑な進行を著しく阻害し、当該列車を利用する旅客等多数の関係者に甚大な迷惑を及ぼす悪質な行為であり、公共交通機関の利用者として駆け込み乗車を厳に慎むことは、社会の一員として守るべき最低限のルールである。原告らは、未成年者である一郎の監護者として、一郎に対し、このことをきちんとしつけ、社会人として果たすべき義務と責任を教育する重要な義務を負っていた。
にもかかわらず、原告らは、一郎に対し、これを怠ったために、一郎は本件事故の原因となった通常では考えられない無謀な駆け込み乗車を敢行してしまったものである。
イ また、一郎は、本件列車が三島駅に到着後、二分程度は電話をかける時間があって、原告花子と連絡しようとしたが、一郎が持っていた通常のテレホンカードでは新幹線車内に設置された公衆電話を使って原告花子のIDOの携帯電話には通話できないため、ホーム上の公衆電話を利用することとなり、原告花子に電話をかけたがこれが通じず、さらに原告太郎に連絡を取ったために、発車予告ベル(アラーム)が鳴り始めても通話を継続する破目になり、その結果無謀な行動に至ったのである。原告らは頻繁に新幹線を利用しており、新幹線の車内に設置された公衆電話の状況をよく把握していたのであるから、列車内からも通話ができるよう携帯電話会社を替えるとか、事前に一郎との間できちんと予定を立て、新幹線乗車中は電話連絡をしなくても済むようにするとか、それでもあえてホーム上の公衆電話を利用するのであれば、通常のテレホンカードよりつながるのに時間のかかる「カードC」ではなく通常のテレホンカードを利用させるなどの様々な方法で一郎が本件のような無謀な行動に至るのを防ぐべきであった。
にもかかわらず、原告らはこれを怠った。
ウ したがって、本件事故の発生については、一郎のみならず、原告らの側にも過失がある。
(3) 過失相殺率
以上一郎の重大な過失及び原告らの過失を考慮すると、原告側には少なくとも九割以上の過失があり、これを過失相殺すべきである。
6 損害
(1) 一郎の損害
ア 逸失利益
一郎は、当時高校二年生であったのであるから、逸失利益の算定の基礎収入は、高校卒の賃金センサスによるべきであり、また、生活費控除率は五〇パーセント、中間利息控除の計算方法はライプニッツ方式によるべきである。
イ 慰謝料
本件は、「一家の支柱、またこれに準ずる場合」以外の「その他の場合」の死亡であり、一八〇〇万円ないし二二〇〇万円程度とすべきである。
(2) 原告らの固有の損害
ア 固有の慰謝料
死亡事故の被害者の父母等の近親者には慰謝料請求権が認められているとはいえ(民法七一一条)、死亡者の慰謝料をも合わせて請求する場合と、同条による慰謝料のみを請求する場合とで、総額に変わりはなく、同基準内で判断するのが実務であるから、本件においても、一郎と原告らの慰謝料額の総額には変わりないとすべきである。
また、本件事故後の被告の対応において、事態がこじれてしまったのは、もっぱら原告らの側に原因があるのであって、被告が不誠実な対応をした事実は全く存在せず、精神的損害を増大させている旨の主張は失当である。
イ 葬儀費用等
葬祭費及び墓石費用の合計は、一二〇万円ないし一五〇万円程度とすべきである。葬儀費用のみの請求がされた場合と両方の請求がされた場合とで、葬儀関係費の総額に変わりはなく、本件でも、死者の葬儀に関する費用を一括してその金額を認定すべきである。
ウ 弁護士費用
原告らは本件事故後、被告との接触を故意に避けつつ、被告に対して数多くの訴訟等を提起しているジェイアール東海労働組合及びその組合員の支援の下、同組合等の代理人を務める弁護士を訴訟代理人として選任し、予めの訴訟外での損害賠償請求、交渉等の手順を踏まないまま、急遽本訴を提起しているのであり、自主的紛争解決の機会をあえて放棄したものであるから、弁護士費用と本件事故との間には相当因果関係が認められない。
7 仮執行免脱の申立
原告らには、早急に賠償金を取得しなければならないような事情は全く存在しないから、仮執行の宣言を付ける場合には、担保を立てることを条件とする仮執行免脱宣言を付することを申し立てる。
第六当裁判所が認定した事実
前記争いのない事実及び容易に認定できる事実に、《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が認められ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。
一 新幹線三島駅
1 乗降客数
被告の東海道新幹線三島駅は、昭和四四年に開設され、一日あたりの平均乗降客数は、昭和四四年は六一八二人、昭和四八年は一万二八五〇人、平成七年は一万三〇二八人であった。また、本件列車であるこだま四七五Aの三島駅における平均乗降客数は、平成五年から七年の三年間で、乗車客七九・八人、降車客四六五・一人であった。
2 プラットホームの形状
(1) 三島駅の新幹線プラットホームは同駅北端部分に位置し、東西に延びる全長約四四二・六メートルの島式ホームで、その北側である東京方面上り線(六番線)は、わずかに凸型に湾曲しているが、南側である新大阪方面下り線(五番線)はほぼ直線である。ホームの幅員は、東端部分で約七・三メートル、西端部分で六・九メートルとなっているが、他の部分は約一二・〇メートルで、ホームから線路軌道面までの高さは約一・四五メートルである。ホーム両側の線路よりも、更に北側及び南側には、同駅を通過する列車用の線路がそれぞれ各一本敷設されている。
三島駅に停車する列車の車両数は現在は全て一六両編成であるが、昭和四四年一二月までは一二両であり、同ホームは、そのころ、一六両化に伴い新大阪方向に約八四メートル延伸されたものである。
(2) ホーム上には、駅事務室一箇所、待合室二箇所、キオスク売店四店舗、弁当販売店及び立ち食いそば四店舗、公衆電話・自動販売機が各数台あり、中央部には東西二箇所に出入口階段が設けられ、ホーム下の新幹線改札口に通じている。
駅係員の詰めている駅事務室は、ホーム東端から約一六四・五メートルから約一七六・二メートルの間に位置し、下り線列車車両の一〇号車から一一号車の停止位置の北側となる。
ホーム線路寄りには、上下線とも、滑り止め用ゴムを埋め込んだ黄色長方形状のコンクリート製敷石(「かさ石」と呼ばれている。)が直線状に埋め込まれている。
3 各種スイッチ、表示灯
(1) ホーム上には、駅員が取り扱う「発車予告ベル(アラーム)スイッチ」及び「客扱い終了合図スイッチ」が一組となって設置され、新大阪方面下り線では、一二号車停止位置のほぼ中央付近の支柱、一一号車停止位置のほぼ中央付近の支柱、一〇号車東京寄りドアの停止位置付近の支柱の計三箇所に設置されている。
(2) また、ホーム上には、列車の運行のために、「戸閉め表示灯」、「待避灯」及び「出発進路開通表示灯(レピーター)」の三つの表示灯が設置され、新大阪方面下り線では、一五号車東京寄りドアの停止位置付近及び九号車東京寄りドアの傍止位置付近にそれぞれ上記の三つの表示灯が一組となって設置され、四号車停止位置のほぼ中央付近には「出発進路開通表示灯(レピーター)」のみが設置されている。
「戸閉表示灯」は、駅員が「客扱い終了合図スイッチ」を押している間、file_14.jpg印の表示ランプが点灯する。
「待避灯」は、後続の列車を通過させる必要がある場合に、コンピューター制御により、駅ホームに列車が停車する直前、file_15.jpg印の表示ランプが点灯し、列車の待避を示す。
「出発進路開通表示灯(レピーター)」は、当該列車が発車時刻(概ね三〇ないし四〇秒前)となり、かつ、進行方向の支障がなく列車を進行させることが可能な状態になった場合に、コンピューター制御により、◎印の表示ランプが点灯し、列車の出発が可能なことを示す。
(3) さらに、ホーム上には、「列車防護スイッチ」が東端と西端に各一箇所、下りホームの支柱に七箇所、上りホームの支柱に九箇所、駅事務室内に一箇所、駅事務室建物南側外壁に一箇所の合計二〇箇所に設置されている。これは、緊急に列車を停止させる必要が生じた場合に、これを押すことによって線路上のATC停止信号により、列車の非常ブレーキないし常用最大ブレーキを作動させて、列車を自動的に停止させる装置である。
このうち、ホームの支柱に設置されているものは約五〇メートル間隔で設置されていて、同スイッチ自体に、「非常用 手を触れないで下さい」と表示され、その下部には、「非常用スイッチ このスイッチは非常の場合に列車を停止させるためのものです。みだりに取扱うと、法律によって罰せられます」などと表示され、被告社員が主に取り扱うことが予定されていた。
4 駅員の配置
(1) ホーム上の駅係員は、各列車につき、一人が列車監視等の業務に従事するものとされているが、開業以来、これが変更されたことはなく、その監視位置についても、開業当初から、西側階段登り口付近(下り列車の一〇号車付近)であった。
本件事故発生当時、被告の新幹線各駅において、各列車の列車監視等の業務に従事する駅係員の配置数は、乗降客の特に多い東京駅、新大阪駅のほかでは、これらに準じて乗降客の多い名古屋駅、京都駅が二名であり、他は全て一名であった。
(2) ホーム上には、本件事故発生当時、列車とホームの状況をモニターに映し出し、駅員等の列車監視を補完する「列車監視モニター」(ITV)は設置されていなかった。
本件事故発生当時、被告の新幹線各駅において、ITVが設置されていたのは、ホームがカーブ状に湾曲している駅(小田原駅、掛川駅、浜松駅、東京駅など)のみであった。
二 本件新幹線車両
1 車両形式
本件列車(こだま四七五A)の運行に供された車両は、〇系YK二〇編成の一六両編成(列車全長は約四〇〇メートル、一両あたりの長さは約二五メートル)であったところ、〇系車両は、本件事故発生当時、被告が保有する新幹線車両約二〇〇〇両のうちの約三割を占めていた。また、〇系は、車両形式としては、新幹線の開業当初である昭和三九年一〇月から営業運転されていた最も旧形式のもので、本件事故当時、順次被告の営業からの引退が予定されていて、実際、本件事故後である平成一一年九月一八日、同形式の最後の編成が引退し、廃車となった。
本件事故当時、被告の東海道新幹線の車両には、〇系のほか、当時は主にひかり号として利用されていた一〇〇系(昭和六〇年一〇月営業運転開始)と、当時は主にのぞみ号として利用されていた三〇〇系(平成四年三月営業運転開始)が存していた。
2 本件ドア
(1) ドア、戸当たり部
ア 本件ドア(六号車東京寄り山側ドア。「六号車三番ドア」と呼ばれている。)は、六号車最後部から、約九センチメートル西側に位置し、ドアの枠は縦約一九七・五センチメートル、幅約八二センチメートル、ドアの開口部は縦約一八五センチメートル、幅約七〇センチメートルで、閉塞する際は、新大阪方向(三島駅ホームから見て右側)から、東京方向(三島駅ホームから見て左側)に向かってスライドして、閉まる。
イ 戸当たり部分と接触するドアの戸先には、ゴムが付いていて、その中間部は、弾力性のある中空ゴムが使用され、その上部及び下部約一〇〇ミリメートルの部分のみ、中に空洞のない中実ゴムが使用されている。同中空ゴムは、空洞部が約七ミリメートルあり、この数値に近い収縮が可能である。
閉扉した際、ドアと接触する車体側の戸当たり部(ドアを受ける部分)は、幅約四・二センチメートル、奥行き約六・二センチメートルの中実ゴムが付いている。
なお、ドア付近の車両外壁面には取っ手その他の突起物は存しない。
(2) 戸閉めスイッチ(リミットスイッチ)
ア 「戸閉めスイッチ(リミットスイッチ)」は、ドアがスライドして閉まり始め、これが戸当たり部の手前の一定の位置まで閉まって、センサー部分の隙間が一定値以下となったとき、各車両の車体側部中央上部に設置されている「車側灯」が滅灯し、列車の全ての「車側灯」が滅灯すると、運転台に設置されている「戸閉め表示灯」が点灯する。逆に、センサーの隙間が一定値以上となった場合は、ドアが閉じたと検知せず、「車側灯」は赤く点灯したままで、運転士がハンドルを扱っても列車は起動しない。
この限界値は、〇系車両の場合、隙間三・五プラスマイナス〇・五ミリメートルとされている。
イ ドア戸先の中間部分は、前記のとおり、中空部が約七ミリメートルの弾力性のある中空ゴムが使用されていたことから、ドアと戸当たり部分との間に異物が挟まった場合、センサー部分で感知される数値と実際に挟まれた異物の大きさとは一致しない。また、異物を支点としてドアがわずかに傾くことによっても、センサー部分で感知される数値と実際のドアの隙間の長さとの間にはずれが生じうる。
したがって、中空ゴムの収縮幅約七ミリメートルと前記限界値である隙間約三・五ミリメートルの合計約一〇・五ミリメートル以上の異物がドア戸先と戸当たり部の間に挟まった場合でも、正常に閉扉した際と同様に車側灯が滅灯し、戸閉め表示灯が点灯して、列車を起動することが可能な状態となりうる。
なお、直径約一〇・五ミリメートルの鉄の棒を入れても車側灯が滅灯してしまうことがあるという事実は、本件事故後の検証によりはじめて判明した。
ウ 隙間三・五プラスマイナス〇・五ミリメートルの前記限界値は、これをさらに小さくすると、起動後の列車の軽微な振動にも過敏に反応する可能性があることから、本件事故発生当時、これ以上に小さくすることは技術的に困難であった。
なお、在来線車両が検知しうる限界値は、新幹線のそれよりも大きい約五ないし約二五ミリメートルである。
(3) ドア押さえ装置(押さえリンク)
ア 新幹線はその高速運転によりトンネル突入時などに、急激な気圧変動が生じることから、新幹線車両では気圧変化を少なくして、これによる旅客の耳の不快感を取り除き、快適に車内で過ごせるようにするため、通常の在来線用車両とは異なり、ドアをスライドさせて閉扉した後、車両の気密を保持する目的で、車両内側からこれを車体側に向かって押し付ける「ドア押さえ装置(押さえリンク)」が作動してドアを密閉する構造となっている。
〇系車両において、ドアは、約三〇キログラムの力でスライドして閉扉されるが、「戸閉めスイッチ」及び「マイクロスイッチ」によって、ドアが閉扉されたと感知されると、直ちに「ドア押さえ装置」が作動し、約二九〇キログラムの力でドアを外側に押し付ける。ドアの閉扉の開始からドア押さえ装置が作動するまでに要する時間は、おおむね三ないし四秒である。
なお、新幹線のほかでは、かかる装置は航空機において採用されている。
イ 一〇〇系など、〇系の後に新造された車両では、「戸閉め保安システム」(走行中の安全確保の機構のひとつとして、列車走行時に「車掌スイッチ」を扱ってもドアが開かないシステム)を作動させる指令を活用して、戸閉め保安システムが機能する時速五キロメートル(発車後約二・五メートル。約四秒経過後)に達した後になって、はじめてドア押さえ装置が作動するものとされた。
被告は、本件事故後、〇系車両について、同車両の構造上、利用できる速度情報の最低速度である時速三〇キロメートル(発車後約九五メートル。約二三秒経過後)に達した後に押さえ装置が作動するように改造工事を施工し、平成八年四月から九月にかけてこれが実施され完了した。
なお、ドア改良の一般的な取組みは、平成六年六月一三日発生の浅草橋駅死亡事故の後に開始され、本件事故の一週間前である平成七年一二月二〇日には、新幹線車両ドア試験装置が被告名古屋工場に搬入されていた。
3 開き窓、列車内ブレーキ装置
(1) 本件車両の下り線最後尾である一六号車運転室(車掌室)には、外に出ることのできる手動の扉があり、その上方には開き窓がある。床上約九五センチメートルの客室側壁面の位置には「車掌スイッチ」があり、ドアを閉めるときは、同スイッチの下面の赤色の突部を右に回しながら押し上げる。また、その上方約三三センチメートルの壁面には「緊急ブレーキ」があり、その下面の赤色つまみを引くと車両は緊急停車する。
(2) 本件車両の八号車新大阪寄りには中間乗務員室があり、開き窓がある。同乗務員室にも、上記一六号車と同様の「車掌スイッチ」はあるが、これを用いてドアを開閉することは予定されていない。また、その上方約二九センチメートルの壁面には、一六号車と同様の「緊急ブレーキ」があり、前同様に、緊急時に取り扱うことが予定されている。
(3) 各車両内のデッキ部の上方二箇所には、「非常ブザースイッチ」が設置されており、これが操作されると列車は緊急停車する。同スイッチには、「非常用 このボタンを押すと電車はとまります 非常の場合のほかは押さないで下さい」などと注意書きが掲示されている。
三 列車監視及び発車手順等
1 新幹線列車の発車時の列車監視は、「新幹線鉄道運転規則」(運輸省令)、「新幹線運転取扱心得」(被告社達)、「新幹線運転取扱作業指導事項集」(被告新幹線鉄道事業本部運輸部)、「運転作業内規」(東京車掌所)等によって以下のとおり規律されていた。
(1) 新幹線鉄道運転規則(六八条)は、列車等の監視について、「乗降場のある停車場の係員は、列車が出発し、通過し、又は到着するときは、乗降場の旅客及び列車の状況を監視しなければならない」、「列車防護等を行うために列車に乗務する係員は、列車が停車場に停止したとき及び停車場から出発するときは、列車の停止位置の適否並びに乗降場の旅客及び列車の状況を監視しなければならない」と規定し、同規則に基づき、新幹線運転取扱心得(二二条)は、列車等の監視について、「駅長又は駅長から指定された係員は、列車が出発し、通過し、又は到着するときは、乗降場の旅客及び列車の状況を監視するものとする。ただし、乗降場がない線路を列車が通過するときはこの限りではない」、「車掌は列車が停車場に停止したとき及び停車場から出発するときは、列車の停止位置が適当なこと、旅客の乗降及び列車の状態を監視するものとする」と規定していた。
(2) 新幹線鉄道事業本部運輸部の新幹線運転取扱作業指導事項集では、列車進出時における駅長の列車監視について「出発監視の際は列車の状態に注意すること」と記載され、出発監視時の車掌の列車監視について「『開き窓』から顔を出し、ホームの終端まで、列車の状態等を監視する」と記載されていた。
(3) 「新幹線列車乗務員執務標準」では、車掌長、車掌、兼掌運転士を乗務させることとしており、通常乗務する場所として、本件事故当時の〇系こだま号について、車掌長が八号車、兼掌運転士が一号車、車掌が最後尾一六号車であるとし、この車掌を後部車掌と称していた。
東京車掌所の運転作業内規(ただし、平成五年七月二〇日から実施のもの)では、出発監視時における車掌の列車監視について「『開き窓』から顔を出し、ホームの終端まで、列車の状態等を確認する」と規定されていたが、業務の分担について、①車掌長は「乗務列車の同乗乗務員を掌握し、業務の調整・指導をはかるとともに客扱業務に従事する。また、乗車状況及び異常時等は業務分担の変更を指示する。尚、必要により列車の運転に関する業務を行う」、file_16.jpg車掌は「列車の運転に関する業務を行うとともに、客扱い業務に従事する。又、乗車状況及び異常時等は車掌長から指示された業務に従事する」、③特別改札担当の車掌は「主として改札業務に従事する。又、乗車状況及び異常時等は車掌長から指示された業務に従事する」と規定されていた。
(4) 上記(3)の規定により、被告は、車掌長の本来的業務は、客扱いを主とし、乗客へのサービスの提供、車内秩序の維持、車内業務の調整、指導、総括業務であると定め、後部車掌をして、列車監視、ドアの開閉のための車掌スイッチの取扱い等、列車の運転に関する業務を行う車掌と指定した。これは、従来から、被告が駅係員と後部車掌に列車等監視を義務付けることにより、新幹線発車時におけるホーム上の安全は十分に確保されるとしていたことに基づくものであり、後記の京都駅事故後の平成五年一二月一日に「運転作業内規の一部追加について」により、「車掌長及び他の乗務員は、原則として、停車中はホームに降りて旅客の乗降に注意するとともに、列車発車及び停車時に、中間の乗務員室の開き窓から、列車監視を行い、旅客の傷害防止に努める」との規定が追加されるまでは、車掌長に対する列車監視が指導されることはなかった。
また、同規定追加後も、被告の新幹線鉄道営業本部は、新幹線発車時の列車等の監視は駅係員と後部車掌が行うことで安全確保は基本的に十分であるとの立場を維持し、列車監視の第一次的責任者は駅係員と後部車掌であり、車掌長の列車監視は駅係員や後部車掌の仕事を補助するものと位置付け、その結果として、同規定の解釈としては、車掌長の本来的業務は客扱業務及び車内の調整が主たるものであるが、それと併行してできる限り列車監視を行うということを指導していたにとどまっていた。そして、同指導によっては、車掌長の判断により、客扱業務等の本来業務の緊急性が低いときに、列車監視を優先し、客扱業務等を一時後回しにすることは車掌長の権限として当然許されていたが、本件事故前までは、客扱業務等の本来業務の緊急性の程度と列車監視の必要性の優先順位の判断については車掌長の裁量に委ねる運用とされていたのが実情で、車掌長の列車監視義務が本来業務である客扱業務等に優先するとの指導はされていなかった。
2 上記1の規定及び「三島駅新幹線運転作業要領」(三島駅)に慣例によるものを合わせると、本件事故発生当時、三島駅における新幹線列車の発車時の作業手順は、次のようなものであった。
(1) 新幹線ホーム上の担当駅員は、停車客扱列車の場合、「階段昇降口付近」を定位とし、出発の際は、発車予定時刻の約四〇ないし三〇秒前に、「出発進路開通表示灯(レピーター)」の点灯(◎印)を確認し、「発車予告ベル(アラーム)」のスイッチを押して、これを吹鳴させた上、マイクを用いて肉声で発車案内のアナウンスをする。同アラームが吹鳴し始めてから約一三ないし一四秒経過後には、列車が発車し、「ドアが閉まります。ご注意ください。お見送りの方は危険ですので、黄色の線の内側までお下がりください」などとの自動放送が流れ(ただし、マイクでの案内が続いていればそれが優先する)、駅員は、発車時刻の約一〇ないし七秒前に、同アラームを止め、発車時刻を確認し、ホーム及び階段上の旅客等の状況を確認し、列車に近づいている旅客等を発見すれば、マイク、笛を用いて、列車から離れるよう注意するなどし、安全が確認できれば、「客扱い終了合図スイッチ」を押し(ブザー長音一声、約四ないし五秒間)、夜間であれば後部車掌に合図灯をふる。同スイッチを押している間は、「客扱い終了ブザー」が吹鳴するとともに、ホーム上の「戸閉め表示灯」にfile_17.jpg印の表示ランプが点灯する仕組みになっている。
(2) 後部車掌(最後尾一六号車が定位置)は、「出発進路開通表示灯」の点灯を確認して、最後尾車両の運転室に乗車し、同運転室の扉を閉め、ラッチをかけ、「開き窓」から顔を出して、客扱い終了合図を確認し、出発時刻を確認して、目視可能な範囲の列車及びホーム上の安全を確認し、「車掌スイッチ」の棒を押し上げ、ドアを閉める。「車側灯」が滅灯し、全ての車両の「車側灯」が滅灯となったとき、運転台の「戸閉め表示灯」のパイロットランプが点灯し、運転士は、同点灯と、ATC信号(「信号七〇」と呼ばれている。)及び発車時刻が来たこと(これらを合わせて「発車三原則」と呼ばれている。)を確認した上で、列車を起動、発車させる。
後部車掌は、車側灯の滅灯をできる限り確認し、「開き窓」から顔を出し、列車がホーム終端に至るまで列車及びホームの旅客等の状況を監視し、危険な状態にある旅客等を発見するなど異常の際は、「緊急ブレーキ」を操作して直ちに列車を停止させる。
(3) 車掌長(本件事故当時の〇系こだま号では八号車が定位置)は、列車監視をしていた場合は、定位置の車掌室の開き窓から顔を出し、車側灯の滅灯を確認し、列車がホーム終端を通過するまでの間、列車及びホームの旅客等の状態を監視し、異常の際には「緊急ブレーキ」を操作して列車を停止させる。
(4) 駅員は、一号車から一六号車を往復する形で「車側灯」の滅灯を確認し、「滅灯よし」などと指差称呼し、列車が起動を開始した際には採時する。その間、列車付近に旅客等がいないかどうかを確認し、異常の際は、マイク、笛等で注意をしたり、「客扱い終了ブザー」を継続的に短音で数声吹鳴させ、後部車掌にドアの緊急開扉を合図し、運転事故が発生するかまたはその発生のおそれのあることを発見したときは、「列車防護スイッチ」を扱い、列車が発車できないようにし、発車した列車は急遽停止させる。列車の最後部が自己の前面を通過する際は、後部車掌に対し敬礼をし、列車の向こう方向に向きをかえ、後部標識の正当であることを右手で指差確認あるいは合図灯で照射(夜間)した上、「後部よし」などと称呼し、原則として、列車の後部が関係転てつ器を通過し終えるまで、列車及びホームの状況を監視し、「列車よし」などとの現認称呼をして、退場する。
四 同種事故の発生及び対策
1 本件事故に先立ち、列車が発車する際、ドアに乗客の指等が挟まれたのに車側灯が滅灯し、列車がそのまま発車したため、旅客が傷害を負ったという態様の事故の主なものとして、次のような事故が発生していた。
(1) 昭和六〇年一二月一三日正午ころ、当時の国鉄上野駅の東北新幹線ホームにおいて、同駅発盛岡行き「やまびこ五三号」(二〇〇系車両。ドア構造は一〇〇系とほぼ同様)の列車内に荷物を置き、売店に買い物に出掛けていた男性C川竹夫(当時四四歳)が、ドアが閉まり始めたため、嗟咄にドアに手をかけたところ、左手小指を挟まれた。列車の車側灯は滅灯し、運転台の戸閉表示灯も点灯して、列車がそのまま起動を開始し、同人は小指を挟まれたまま、列車と併走することを余儀なくされた。しかし、中間車両の車掌室開き窓からホームの状況を監視していた車掌長がこれに気付いて、緊急ブレーキを操作したため、約二五メートル移動した地点で列車が停止し、同人は小指先を内出血する負傷を負うにとどまった。
(2) 平成四年五月一日午後九時三九分ころ、被告の東海道新幹線新大阪駅ホーム(ホーム上の駅員三名)において、博多発名古屋行きの「ひかり六二号」(本件と同様の〇系車両)に七号車(前から一〇両目)東京寄りドアから駆け込み乗車をしようとした男性客D原梅夫(当時四四歳)が、新幹線のドアも在来線のドアと同様に、自分の力で開けることができるものと思い、閉まりかけた同ドア(間隔は二〇センチメートルくらい)に右手をかけこれを開けようとしたが、ドアが閉塞し、右手薬指及び中指が第二関節の手前くらいまで同ドアに挟まれた。ところが、列車の車側灯が滅灯し、運転台の戸閉表示灯も点灯して、列車はそのまま起動を開始し、同人は、指を挟まれたまま列車と移動することを余儀なくされ、大声を出して助けを求めたところ、五号車付近にいた駅員A及び八号車付近にいた駅員Bがこれに気付き、駅員Aは後部車掌に列車停止の合図をし、駅員BはD原のもとに駆けつけた。D原は、速度を増す列車に危険を感じ、力を込めて指を引き抜こうとし、駅員Bが同人の身体を支えてこれを手伝った結果、同人の薬指は第一関節から先が切断され、中指は打撲の傷害を負うに至った。列車は、駅員Aの停止合図により、後部車掌が緊急ブレーキを取扱い、約二五メートル進行した地点で停止した。
(3) 平成五年二月二八日午後三時四〇分ころ、被告と新幹線列車を相互乗り入れしている西日本旅客鉄道株式会社の山陽新幹線広島駅において、広島発東京行き「ひかり九〇号」(一〇〇系車両)に一五号車東京寄りドアから乗車しようとした女性客E田春枝(当時二四歳)が、発車予告ベル(アラーム)が鳴り出したので慌てて乗車しようとしたところ、土産物がホーム上に落ちたため、これを拾い、乗り込もうとしたが、ドアが閉まって、コートの袖の布製飾りベルト(幅三センチメートル、長さ一五センチメートル)が挟まれた。列車の車側灯は滅灯し、列車はそのまま起動を開始したが、九号車付近で列車監視を行っていたホーム上の駅員は、列車が起動を開始した後もこれを発見できなかった。たまたまホームで待機していた他の運転士が同女を発見し、その体を抱きかかえるようにして約三〇メートル以上併走しながらそのベルトを引き抜こうとしたが抜けず、ホームの端から二人とも、ホーム下に転落してようやくベルトがちぎれた。これにより、同女は左足大腿部及び右手親指第一関節打撲、左足膝・左足首及びすねに擦過傷の傷害を、同運転士は全治一か月の顔面打撲及び全治三週間ないし四週間の左手人差指第二関節内側切傷の傷害を各負った。
(4) 平成五年一一月二一日午後〇時三一分ころ、被告の新幹線京都駅(ホーム上の駅員二名)において、新大阪発東京行き「ひかり二三四号」(三〇〇系車両)に、一旦乗車して車内に手荷物を置いた後、ホームに降り、一二号車のドアの戸当たり部分付近に左手をかけ、見送りの知人(現夫)と話をしていた女性客A山夏枝(当時二四歳)が、発車予告ベル(アラーム)及び発車の放送案内に気付かず、駅員は同女が見送り客であるものと思い込んで、客扱終了合図をしたところ、同女は、閉まるドアに、左手小指、中指、薬指をその関節くらいの部分まで挟まれた。同女は、何度か手を引っ張った末、中指と薬指は抜けたが、小指は太い指輪をしていたため抜けきれず、大声で駅員に叫んで助けを求めたものの、車側灯は滅灯して、列車はそのまま起動を開始した。発車後これに気付いた駅員は、列車防護スイッチを押したが、列車が停止するまでの間、同女は指を挟まれたままホームを約五〇メートル併走することを余儀なくされ、前のめりになって転倒し、少し引きずられた。これにより、同女は、加療一週間を要する左手小指打撲挫創、両膝・左肘挫傷の傷害を負い、救急車で病院に搬送された。
(5) 平成六年六月一三日午前九時四七分ころ、東京都台東区内の東京都営地下鉄浅草線浅草橋駅において、成田空港発西馬込行き電車(八両、京成電鉄の車両)に前から四両目のドアから駆け込み乗車しようとした女性客B川秋枝(当時七二歳)が、左手指の付け根付近を同ドアに圧力約六〇キログラムの力で挟まれた。駅員は、これに気付き、同女を同電車から引き離そうとしたが、車側灯は滅灯し、出発合図も完了したため、電車はそのまま起動を開始し、車掌が緊急停車させたものの、B川はホームと電車の隙間に体を挟まれ、約一〇メートル引きずられて線路上に転落し、頭部などを打って即死した。
なお、都営地下鉄における発車手順は、①駅係員が旅客の乗降を確認した後、車掌に対して「閉扉合図」(被告の「客扱い終了合図」に相当する)をし、②車掌は、旅客の乗降を肉眼及びITVを通して安全を確認し、かつ、駅員の「閉扉合図」を確認してドアを閉め、③ドアが閉まった後、駅員は旅客の安全を確認し、車掌に対して「完全閉扉合図」をし、④車掌は車側灯の滅灯及び駅員の「完全閉扉合図」を確認の上、運転士に対して「出発合図」ブザーを押し、⑤運転士は、この出発合図を確認して、列車を起動させる、というのが発車手順であった(被告の新幹線では③及び④の手順がない)。同事故では、駅員は、「閉扉合図」をしている最中に、ドアに手を挟まれている同女に気が付き、「完全閉扉合図」をしなかったが、車掌がこれを確認せずに、車側灯の滅灯を確認したのみで「出発合図」ブザーを押してしまったため、列車が起動することとなった。
2 これらの事故を通して、被告(国鉄時代の(1)は除く。)が取った措置は次のようなものであった。
(1) 被告は、新幹線新大阪駅事故の後、平成四年五月一三日付けで、新幹線鉄道事業本部運輸営業部営業課長代理において、新幹線各駅に対し、「駆け込み乗車防止」についての駅放送の内容の変更を指示し、三島駅においては、これが「飛び乗り、飛び降りは危ないですから、おやめ下さるようお願いいたします」から、「かけこみ乗車は危ないですから、おやめ下さるようお願いいたします」へと変更された。
(2) 被告は、新幹線広島駅事故については、他社線ということなどから、当時、その詳しい情報は収集せず、特に対策を検討することはなかった。
(3) 被告は、新幹線京都駅事故の後、平成五年一一月二五日、新幹線鉄道事業本部運輸営業部長において、各現業機関に対し、駅における放送による注意喚起、列車防護スイッチの位置及び取扱の再周知、車掌スイッチ取扱い時の注意、列車監視による事故防止を具体的に指導するよう指示し、車掌長及び他の乗務員は、列車発車時に中間乗務員室の開き窓からの列車監視を原則として行い、旅客の傷害事故防止に努めるよう指導することなどとの指示をした。
三島駅においては、同月二九日付け「駅報号外」により、同駅員らに対し、駆け込み乗車防止のための駅放送の内容に「ドアが閉まっております。危ないですから、無理な御乗車はおやめ下さい」などを追加すること、自動放送の間に肉声による注意を流すこと、黄色線の外側(線路側)の旅客を内側に下げることなどとの指導が行われた。
また、東京車掌所は、同年一二月一日、前記のとおり「運転作業内規」に、「車掌長及び他の乗務員は、原則として、停車中はホームに降りて旅客の乗降に注意するとともに、列車発車及び停車時に、中間の乗務員室の開き窓から、列車監視を行い、旅客の傷害事故防止に努める」ことを追加した。ただ、従前から、車掌長は、客扱い、旅客へのサービスの提供、車内秩序の維持、車内業務の調整・指導、総括等の業務が主であり、列車の運転に関する業務は必要により行うものとされていたことなどから、上記作業内規の追加の後も、被告は、車掌長は客扱い業務及び列車全体の総括を行うものとの位置付けを変更せず、かかる「本来の業務」を基本にして、これと併行してできる限りで列車監視を行うこととし、どちらを優先するかは、現場の判断に任せるとの指導をし、現場においてもそのような理解、認識がされていた。このような被告の指導及び現場の理解は、後記(4)の都営地下鉄浅草橋駅死亡事故の後も本件事故発生に至るまで見直されることはなかった。
(4) 都営地下鉄浅草橋駅での事故後、当時の運輸省中部運輸局鉄道部長は、平成六年六月二八日付けで、被告の安全対策部長に対し、「1 列車出発時における旅客の安全確保のため、確実な監視業務等の実施を徹底すること、2 出発合図及び監視業務の作業実態について把握し、必要によりマニュアルの見直しを行うこと、3 車両の戸閉めスイッチの動作位置における扉の開閉寸法を運行に支障しない範囲でできる限り小さくすること、4 旅客に対し、駆け込み乗車の防止についてPRを行うこと」について対応を図るよう示達した。これには、添付資料として、平成三年以降の戸挟みによる人身傷害事故事例として九例があげられ(前記新幹線の三例、在来線六例)、これらの事故の概況として旅客の駆け込み乗車のほか、忘れ物を取りに戻る際やコート、傘が挟まった場合などが指摘されていた。
これを受け、被告新幹線鉄道事業本部運輸営業部長は、平成六年七月一四日、関係各現業機関の長に対し、駅関係について、列車防護スイッチの厳正な取扱いの指導、駅係長の適正配置の点検、案内放送による駆け込み乗車の注意喚起の慫憑等を、車掌所関係について、『開き窓』から顔を出しホーム終端までの列車状態等の監視、列車が始動開始後、三〇メートル走行の間は、列車及びホームの状態を特に注意し異常の際は、直ちに列車を停止させる態勢をとることなどを指示し、その報告を求めた。
東京車掌所では、同年六月一五日、指導科長の「列車監視の厳正について」との掲示をして、社員への手挟み事故事例の周知を図るとともに、異常の際は直ちに列車を停止させること等を指導し、同年七月一五日には、列車出発時、「開き窓」から、顔を出しホーム終端まで、列車状態等を監視すること、列車起動開始後、三〇メートル走行の間は列車及びホームの状態を特に注意し異常の際は、直ちに列車を停車させる状態をとることなどを指導した。
また、三島駅長は、同月一五日付け駅報号外をもって、同事故について周知を図り、①列車出発時における安全確保のための確実な監視業務等の実施((1)基本動作の実行、②早目出場の励行、(3)列車防護スイッチの早期取扱い)、②客扱い終了合図及び監視業務の作業実態の把握((1)客扱終了合図をする前に再度旅客の安全を確認、(2)乗客担当がホーム勤務時は東側階段付近及び乗降の多い車両付近の注意を払う)、③旅客に対する駆け込み乗車の防止についての注意喚起の実施(随時案内放送による駆け込み乗車が危険である旨の放送を行う)などを指示し、個人指導も行われた。
さらに、被告は、同事故後、前記示達を受けて、新幹線鉄道事業本部車両課において、ドアの押さえの力のかかり始める時期を遅らせる対策及び戸閉めの力を弱める対策の技術的検討を開始した。同車両課では、各種の方式を検討し、徐々に絞り込んでいく中で、気密確保のためのドア押さえ装置作動の時期を遅らせることも選択肢のひとつとして基本回路の検討を行い、平成七年七月から、実証試験のための試験装置の製作を開始して、同年一二月二〇日に完成し、これを活用していこうとする段階で本件事故が発生した。そこで、翌年正月明けから直ちに試験装置を使用し始め、〇系車両については列車の速度が時速三〇キロメートルに達した時点ではじめてドア押さえ装置が作動する構造に変更する改良工事を平成八年四月から同年九月ころまでの間に実施し完了した。
五 本件事故発生に至る一郎の行動、状況
1 本件事故発生当日における一郎及び原告ら家族の状況
一郎は、平成七年一二月二六日夜、家族全員とともに、神奈川県小田原市内にあるマンションで過ごしたが、翌二七日には、家族全員が静岡県富士宮市内の自宅に戻ることとなっていた。原告太郎は、同日早朝、自宅近くに所在する勤務先に向かい、一郎は、東京都内にある進学塾に通学するため、同日午前七時三〇分ころ、同マンションを発ち、原告花子、長女春子、次女夏子も、買い物あるいは塾に通うため、東京に行った。原告花子及び次女夏子は、同日午後四時過ぎころ、東京から小田原市内のマンションに一旦戻ったが、被告新幹線新富士駅で下車予定であった一郎と合流して、富士宮市内の自宅に戻るため、同日午後五時過ぎころ、小田原市内のマンションを出発して、自動車で新富士駅に行った。
2 一郎の乗車状況、本件列車の運行状況
(1) 一郎は、塾が終わって、自宅に帰るべく、被告新幹線東京駅から本件列車に乗車し、七号車の三番D席付近に座り、同所に、携行していたリュックサックを置いた。同列車は、東京駅を午後五時三五分に出発し、三島駅の到着予定時刻は六時三一分三〇秒であったが、実際には約四〇秒遅れて午後六時三二分一〇秒ころ同駅に到着した。
なお、そのころ上り列車は、雪害のためおおむね一〇ないし二〇分程度遅れ、在来線のダイヤも乱れていた。
(2) 三島駅において、本件列車は、のぞみ二五号の通過待ちをすることが予定されていたため、本件列車が三島駅に到着した際、ホーム上の待避灯(file_18.jpg印)が点灯していたが、同三三分四五秒ころ、本件列車の外側の通過線上を同のぞみ号が通過し、待避灯は滅灯し、開通表示灯(レピーター)が点灯し(◎印)、B山は、客扱終了スイッチを押して、戸閉表示灯(file_19.jpg印)を点灯させ、髙橋が車掌スイッチを閉にし、定刻である同三四分三〇秒を約二〇秒遅れた同三四分五〇秒ころ、本件列車は起動し、停車時間は予定より約二〇秒短い約二分四〇秒であった。
3 ドアに挟まれる直前の一郎の行動
(1) 一郎は、本件列車の三島駅到着後、赤色ハーフコートの着衣姿で、本件列車から一旦ホームに降り、下り線六号車停車位置付近のキオスク売店の北側の上り線側に面して設置されていた公衆電話(NTT沼津三一四七八)まで行き、「カードC」(暗証番号を入力することにより自宅の電話回線に課金されるシステムのNTT発行のテレホンカード)により、原告太郎の携帯電話に電話をかけ、新幹線新富士駅から自宅への送迎についての話をした。そして、同通話中に発車予告ベル(アラーム)が吹鳴したことから、一郎は、原告太郎に対し、「ああ、電車が出ちゃうから、じゃあね」などと言って、急いで電話を切り、公衆電話からテレホンカードを抜き、同所から約六メートル離れた本件ドアに駆け寄り、閉りかけていた状態の本件ドアとその戸当たり部分との間に手をかけたところ、左手の人差指、中指、薬指、小指の四本を、本件列車の床面から約一四〇ないし一五五センチメートルくらいの高さの位置で、手の平が新大阪方向、手の甲が東京方向を向いた状態で、これらの指の第二関節あたりまで挟まれ、抜き取ることができなくなった。そこで、同人は、本件列車の車内で本件ドア付近に立っていた複数の乗客らに対して合図をしたり、周囲を見回したり、右手を後方(東京方向)に振ってドアを開けてくれるよう頼むなどした。
(なお、被告は一郎が本件ドアに挟まれる直前、「ドアをこじ開けていた」旨主張するが、かかる事実を証拠上認めることはできない。被告がその根拠とする目撃者C原冬枝の供述(電話回答)は、むしろ一郎がドアに挟まれてしまった後の状況として「ドアをこじ開けようとするような仕草をしたり、東京側に向かって誰かを呼ぶように片手を振ったりしていた」というのにすぎないのであり、被告の主張を採用することはできない。)
(2) 発車前、本件ドアの位置は、ホーム東京寄り東端までは約二八六・一メートル、一六号車後部車掌室開き窓までは約二四六・一メートル、ホーム上の輸送主任が立っていた位置(一〇号車後部ドア横付近)までは約九九・一メートル、八号車車掌室の開き窓まで約二八・六五メートル、ホーム新大阪寄り西端までは約一五六・五メートルの位置で、列車が起動開始後、本件ドア部分がホーム西端に達するまでに通常要する時間は、約三〇秒である。
4 ドアに挟まれた後の一郎の行動
本件ドアの戸閉めセンサーは、一郎の指が挟まれていることを感知せず、そのため車側灯は滅灯した上、運転席の戸閉表示灯も点灯したので、運転士は、午後六時三四分五〇秒ころ(定時から二〇秒遅れ)、列車の起動を開始し、一郎は、左手指を挟まれたまま、起動した列車と並んで歩くことを余儀なくされ、右手をドアのガラス窓部分につけて、左指を引き抜こうとしたり、右手手の平を、当初は手の平で、後には拳の状態にして、同ガラス窓を叩いたり、周囲を見回し、顔を左右に振ったり、右手を後方東京方向に向けて振ったり、「おいおい」などと声を出したりするなどして、形相を変え、助けを求めた。
しかし、本件列車は次第に加速し、一郎は、本件ドアのガラス窓を叩くこともできなくなり、列車と併走することを余儀なくされたが、やがてこれにもついて行けなくなり、乗車しようとした位置から新大阪方向へ約九三・六メートルの地点(発車後約二三秒経過後)において、進行方向に背を向ける形で尻もちをついて転倒し、左手指を挟まれたまま、左臀部及び背部を下にし、線路側に設置されている黄色線の「かさ石」やその周辺の上を引きずられた。そして、当初乗車しようとした位置から約一五六・五メートルの地点である同ホーム西端を通過した際(発車後約三〇秒経過後)、軌道敷内に転落し、本件ドアから左手指は抜けたものの、同列車の車輪に轢過され、頭蓋骨粉砕骨折、頸部轢断により即死し、同ホームの西端から約三四メートルの地点に、遺体が投げ出され、前後約二〇メートルにわたってその肉片等が散乱した。同遺体には、左中指中節背部の表皮剥離、左中指・環指・小指の各背部の皮下出血、左示指背部の皮膚変色等が認められた。
5 旅客の目撃状況
本件事故発生当日、新幹線三島駅は帰省客の影響でいつもの平日よりは比較的混んでいたが、本件事故発生時刻ころには、通常の平日の状況と大差はなかった。そして、本件事故前に、のぞみ二五号が三島駅を通過した後のころには、ホーム上には、輸送主任B山、キオスク等九店舗の売店等の関係者九名のほかは、旅客が約一五名程度いる状態であった。
本件事故発生時、一郎の状況を目撃したのは、ホーム上の旅客であるD田一夫(三九歳)ほか三名、六号車の本件ドア付近の車内の旅客であるA川二夫(二八歳)ほか四名の合計九名であった。
六 本件事故発生時における駅ホーム上の駅員の状況
1 駅員
本件事故発生時、新幹線三島駅に勤務し、被告新幹線の運転業務に従事していた被告の従業員は、当務駅長(輸送助役)井出眞裕、輸送主任B山松夫、乗客担当(三島駅営業指導係)稲木誠の三名であり、このうち、井出は勤務例に従い休憩中で、稲木はホーム階段下の北口改札口で改札業務に従事していた。
2 輸送主任B山松夫
(1) 輸送主任B山松夫は、平成五年七月、輸送主任となり、以後本件事故発生日までの約二年五か月の間、三島駅で、新幹線列車の扱いをするとともに、他の駅員の指導などの業務についていた。同人は、本件当日の午前八時三〇分ころ、三島駅出勤の点呼を受け、新幹線ホームで列車監視等の業務につき、東京方面上り線の列車監視等を担当していたが、本件事故発生直前には、当務駅長井出が、勤務例に従い休憩中であったため、新大阪方面下り列車についても担当をしていた。そして、本件事故前、上り線で午前六時二三分に同駅を発車したこだま号の列車監視等をした後、下り線側の列車監視等の任務についた。
(2) B山は、本件列車が三島駅に到着し、午後六時三三分五〇秒ころ、のぞみ二五号が同駅を通過した後、午後六時三四分〇秒ころから約三〇秒間程度、本件列車の一〇号車東京寄りドアの停止位置にある支柱付近(ホームの線路側端から約一・四メートル離れた地点付近の定位)において、発車予告ベル(アラーム)のボタンを押して、これを吹鳴させた上、有線マイクを用いて、本件列車が出発する旨肉声で放送をし、同アラームと連動する自動放送の発車の案内が約一五ないし二五秒流れたところで同アラームを止めた(なお、自動放送の案内が流れている最中に、九号車の辺りの黄線上かややその線路側を歩いている五、六人の集団を発見したが、ホーム西側階段の出口方向に進んでいたので危険がないものと判断した)。そして、ホーム西側階段の下から駆け込み乗車をしようとする旅客がいないことを確認したが、ホームの売店付近に客がいないかどうかについては確認しなかった。
その後、本件列車の八ないし九号車付近に、四、五人の集団がいて、黄線のやや外側で立ち話をしているのを発見したが、動く気配がないので、危険はないものと判断し、同三四分四〇秒ころ、時計を見て、客扱終了合図スイッチを押して(約四ないし五秒間)、客扱終了ブザーを鳴らし、戸閉表示灯(file_20.jpg印)を点灯させ、後部車掌に合図灯を振って、客扱い終了の合図をした。
これを受けて、同ブザーが鳴り終わる直前である同三四分四二秒ころ、髙橋により本件列車の車掌スイッチが「閉」に操作され、B山は、一歩ほど列車寄りに移動し、目線をやや上向きにして車両を見渡し、同三四分四七秒ころ、全ての車両の車側灯が滅灯したことを確認して、「滅灯よし」などと称呼し、同三四分五〇秒ころ、本件列車の起動が開始された。
(3) そして、B山は、発車時刻の採時をし、本件列車が約二ないし三メートルほど進行したところ、右手示指で本件列車一号車方向(進行方向)を指したところ、前記四、五人の集団の後方である五ないし六号車付近のホーム上の黄線外側(線路側)に入って列車にかなり接近している人影を発見し、それが列車とともに二、三歩並進しているようであるのを瞬間的に認めた。しかし、同人は、これを見送り客であると軽信してしまい、何もしないままこの人影から目を離し、車両後部東京方向に体を向け、後方一六号車方に視線を向けた。
(なお、証人B山は、列車近くに立っている人影は見たがこれが列車と共に移動していたところは見なかったので危険は感じなかった旨証言し、同人の平成一〇年六月一〇日付け検察官に対する供述調書においても同旨の供述記載があるが、同人は、事故直後及び約三か月後に作成された警察官に対する供述調書においては、移動している人影を見た旨明確に供述し、これに格別不自然な点はみられないこと、一郎が尻餅をつく前のB山と一郎との距離であれば人影が移動しているかどうかは通常は判別できること、さらに、同人の平成九年三月五日付け検察官に対する供述調書においては「人影が五号車か六号車辺りで、ホーム上の黄線の外側辺りを、このころ、動き始めていた列車とともに歩いているように見えた」と供述していることなどからすると、当該人影が動いていなかったとする上記証言及び供述記載は信用できない)。
(4) その後、B山は、再度新大阪方向を振り返ったが、八ないし九号車付近の前記集団と交錯するなどして確認できなかった。しかし、同人は、車側灯が滅灯していたのであるから旅客がドアに挟まったということはないであろうと思い込み、上記人影は多分見送り客で、もう列車から離れただろうなどと軽信し、その後は同人影の動向に注意を払わず、その安全確認のための何らかの行動をとるということはなかった。そして、同人は、本件列車の行き先案内表示や列車の混み具合等を確認し、最後尾車両が自己の面前を通過する際には、後部車掌髙橋との敬礼をし、列車の後部が本線に進入するのを確認して、「列車よし」などと称呼した。
(5) 列車がホームを離れた後、B山は、ホーム上にいた旅客C原から、「今、列車で引きずられているようですよ」などとの通報を受けたが、同人に対し、「ドアがちゃんと閉まって発車しましたから、そんなことはないと思いますけど」などとの返答をした。これに対し、同人は、さらに「確かに引きずられていたようです」などと申し出たことから、B山はこれを確認するため、ホーム上の運転事務室に赴き、同所から電話で指令室に連絡し、列車の異常の有無を問い合わせた。指令室からは、本件列車からの異常の連絡はないが、現地を確認するよう指示されたため、B山及び同電話連絡を傍らで聞いていた同駅助役において、線路上を調べた。そして、午後六時四六分ころ、ホーム西端から約三四メートル新大阪方の下り線路上で一郎の遺体を発見した。
なお、B山は、本件事故に関する業務上過失致死罪について、自己の過失を自認して略式命令を受け、これが確定し、罰金五〇万円を支払った。
3 本件列車が緊急停止する場合の所要時間及び制動距離は、一郎が、①B山が人影(一郎)を発見した時点、②一郎が尻餅をついた転倒した時点(手指を挟まれた位置から約九三・六メートル進んだ時点)で、列車防護スイッチが操作されたとすると、①では約二二・三メートル、②では約六七・一メートル(ホーム西端から約四・二メートル西方の線路上)それぞれ進行したところで列車が停止する試算となる。
七 本件事故発生時における本件列車の乗務員の状況
1 乗務員
本件列車には、西島祐二(東京車掌所三島派出所所属、東京・名古屋間の車掌長)、髙橋薫(東京車掌所三島派出所所属、東京・名古屋間の後部運転車掌)、茂木敏夫(東京運転所所属、東京・静岡間では本件列車の運転操縦をする運転士、静岡・名古屋間では車掌業務等を行う兼掌運転士)、川口善一(東京運転所所属、東京・静岡間では車掌業務等を行う兼掌運転士、静岡・名古屋間では本件列車の運転操縦をする運転士、車掌業務としては、接客業務の補助、車両故障等が生じた際の対応、検査)、松浦孝一(東京運転所所属、翌二八日の他列車への運転士としての乗務に備えての移動を兼ね、東京・静岡間において主として改札業務を担当する特別改札車掌、車掌業務としては接客業務の補助、車両故障等が生じた際の対応、検査)、古屋和彦(東京車掌所三島派出所所属、東京・三島間において主として改札業務を担当する特別改札車掌であったが、三島駅で下車し、本件事故発生当時は業務を終えていた。)が乗務して、被告の業務に従事していた。
なお、いずれの乗務員も、本件事故発生時、健康状態等に格別の問題はなかった。
2 車掌長西島祐二
(1) 西島の本件事故発生当日の勤務体系は、三島駅午後二時四八分発の新大阪発東京行きこだま四二〇Aに東京駅まで乗務し、その後東京駅から本件列車にその終点である名古屋駅まで乗務し、その夜は名古屋市内の乗務員宿泊所に泊まる予定であった。
(2) 西島は、本件事故当日、本件列車が小田原駅に到着した際、同駅で下車した旅客から、一〇号車東京寄りの海側ドアが開扉しない旨申告されたことから、特別改札車掌古屋に対し、同ドアの点検を指示するとともに、検査業務を担当する責任者である兼掌運転士川口と、後部車掌髙橋に対して、その旨車内電話で連絡した。
古屋が一〇号車に点検に行くと、海側東京寄りドアが一部しか開いていない状態で、やはり乗客からの通報で点検に来た小田原駅輸送助役齋藤伸久とともに同ドアを引っ張って開けようとしたが十分に開けることができなかった。そうしているうちに、通過待ちのひかり号が通過したことから、同助役は、ドアが完全に開かなかった原因は不明だが、ドアが正常に閉まりさえすれば発車させることには安全上問題はないと判断し、古屋に対し、「客終合図を出すから、ドアが閉まったらそのまま行ってくれ。指令には連絡しておくから」などと告げ、発車時の列車扱いの作業をするため定位置に戻った。そして、同助役は、開通表示灯の点灯を確認し、客扱い終了ブザーを鳴らして後部車掌にドア閉めの合図を送ったところ、一〇号車東京寄りドアを含め全てのドアが正常に閉まり、車側灯が全て滅灯したことを確認し、そのまま出発監視をして本件列車を見送り、その後直ちに新幹線総合指令所の輸送指令に対し、ドア故障の状況の報告をした。これに対し、総合指令所では、現実にドアが閉まっているので運行に支障はないものと判断し、本件列車に対して格別の指示は出さなかった。
(3) 西島は、本件列車が小田原駅を発車する際に、八号車海側の乗務員室において開き窓から顔を出して出発監視をした後、一〇号車ドア付近に赴き、古屋から前記故障状況の報告を聞き、同人に対し、三島駅までは八号車で乗務するように指示し、自らは故障状況の把握のため、川口が同ドアを点検するのに立ち会った。川口は、同ドア上部のカバーをはずして点検をしたところ、原因は判明しなかったが、気密には異常がなく、間もなく熱海駅に到着することから、到着後、再度点検することとし、西島に手伝ってもらって同ドアカバーを元に戻した上で、西島とともにその場に待機した。西島は、三島駅までは古屋が八号車乗務員室に乗務することとなっていたので、熱海駅の到着及び発車の際は、八号車乗務員室に戻らず、熱海駅到着時の列車監視は、古屋が行った。同駅において、同一〇号車ドアは、自動的に開き、通常より一〇センチメートルほど残して完全には開扉しない状態であったものの、出発時には、異音はしたが自動的に完全に閉塞し、外側へのドア押さえ装置も正常に作動して気密状態にも異常は生じなかった。そこで、西島及び川口は、本件列車の当面の運行には支障がないものと判断し、川口は、そのまま八号車乗務員室に戻り、運転士に対しては、ドア故障状況を連絡したが、総合指令所には連絡しなかった。また、西島は車内改札をしながら三島駅到着寸前に八号車乗務員室に戻った。他方、古屋は、西島から八号車での乗務を指示されていたものの、熱海駅発車時には接客業務に対応していて列車監視を行わず、三島駅到着の際は、西島も古屋も列車監視を行わなかった。
(4) 三島駅到着後、古屋は西島に対し、乗務の引継ぎをして下車した。西島は、八号車乗務員室前で三人連れ旅客から名古屋駅における接続列車等を質問され、その案内をしていたが、三島駅発車予定時の約一分前ころ、川口から、「気密を見てきます。一〇号車の方へ行きます」などと声をかけられ、川口は一〇号車の方向に向かった。川口は、故障修理の担当責任者が自分であることから、今まで走行中に気密の検査をしていたので、念には念を入れるために停止中の気密の状態を調査することを思いついたのであるが、西島に対しては、自分の仕事を知らせるために声をかけただけで、同人に対して点検への立会いなどの要請はしなかった。車掌長である西島は、もともと車両故障についての教育訓練を受けておらず、故障修理自体について同人ができることはなく、異常箇所の点検そのものはあくまで兼掌運転士の業務で、車掌長としての業務は故障箇所の把握があるにすぎなかった。
(5) ところが、西島は、熱海駅でドア故障の内容を確認した際、運行について当面の支障がないものとは思っていたものの、川口からドア故障の箇所に点検に行く旨を告げられたことから、同ドアに何か異常があったのではないかと考え、自分も車掌長として故障状況を把握するとともに点検を手伝う必要があると判断して、停車中のホームに降りての列車等の監視も、発車時の開き窓からの列車監視も行わず、前記旅客らの対応を終えた後、一〇号車ドアに向かった。西島は、車掌長として、列車が発車する際に原則として乗務員室開き窓から顔を出して出発監視をするよう指導されていることは承知していたが、事件の発生、急病人の発生、車両故障等で緊急に対処しなければならない場合には車掌長の判断により出発監視よりもそれらの対処を優先させることができることも認識していたため、本件ではドア故障に緊急に対処することが出発監視に優先すると判断し、三島駅を発車する際の列車監視をする意思はなかった。そして、西島は、一〇号車ドアへ行く途中、一〇号車客室内で、他の旅客から接続時間を尋ねられ、その案内の対応をしていたころ、本件列車は起動を開始し、八号車乗務員室開き窓からの列車監視はしなかった。
なお、当時西島が八号車乗務員室開き窓から顔を出して列車監視をしていれば、同所から六号車後部の本件ドアまでは約二八・六五メートルしか離れていなかったため、同ドアに手指を挟まれた一郎を発見することは容易なはずであった。
(6) 川口は、一〇号車ドアを点検したが、同ドアの気密に異常はなかった。その後、西島は、一〇号車ドア付近に到達し、川口から「異常ないと思う」旨告げられた(なお、同ドアの開扉が完全にできなかったのは、後の点検の結果判明したところによれば、戸袋の中につぶれた空缶が挟まっていたことに起因するものであった)。そこで、西島は、車内改札をしながら、八号車の乗務員室前まで戻ったが、その際、先に戻っていた川口から、同人が、旅客から、六号車で列車と一緒に若い男の人が走っていたが途中で見えなくなり同人の指がドアに挟まれていたみたいであった旨を聞いたと告げられた。西島は、東京車掌所三島派出所などに対し、その旨連絡をした後、六号車の本件ドアに赴き、次の停車駅である新富士駅において同ドアを手動で開扉し、その戸当たり部分に指の表皮状のものが付着しているのを発見した。
3 後部車掌髙橋薫
(1) 髙橋の本件事故発生当日の勤務体系は、前記西島のそれと同様であった。
(2) 髙橋は、本件列車の後部車掌として最後尾の一六号車の運転室を定位置として乗務し、車内改札業務を行いつつ、各停車駅の発着時には、ドアの開閉及び列車監視等を行った。
同人は、本件列車の三島駅到着前、「三島駅に三分間停車する」旨の車内放送をし、三島駅に到着した後は、運転室のドアを開けて、ホームに降りたが、一旦運転室に戻り、後続ののぞみ二五号が午後六時三三分五〇秒ころに通過した後、再びホーム上に降り、さらに運転室に戻って運転室の扉を閉め、ラッチをかけ、開き窓から顔を出し、同三四分二〇秒ころ出発進路開通表示灯(レピーター)の点灯(◎印)を確認した。そして、ホームの発車予告ベル(アラーム)が聞こえた後、二名の旅客が東京寄りの段階から、一二号車に駆け込んで乗車するのを目撃した。同人は、客扱い終了ブザーが鳴り始め戸閉表示灯が点灯(file_21.jpg印)した同三四分四〇秒ころ、一一号車付近から手前を中心に列車とホームの安全確認をし、特に異常は認められなかったので、同ブザーが鳴っている最中の三四分四二秒ころ、車掌スイッチを「閉」に扱い、同三四分四四秒ころ、ドアの気密押さえが作動し、同三四分四七秒ころ、車側灯が全て滅灯し、列車が起動し始め、腕時計で発車時刻を同三四分五〇秒と確認して、開き窓から顔を出したまますぐに視線を進行方向に向けたが、列車側方の人影を見つけることはなく、途中、ホーム上でB山がいる位置付近にさしかかったところでは、同人に対し、挙手の敬礼をした。その後も、ホーム通過終了時まで列車側方前方を注視し続けたが、一郎の姿には気付かなかった。
(3) 髙橋は、本件事故発生を、新富士駅を出発した際、西島から知らされて、初めて知った。
八 ホーム下り線における夜間の視認状況
本件事故発生当日の同時刻ころの状況下における三島駅ホームに新幹線列車が停車中の場合の駅員、車掌らの視認状況は次のとおりである(なお、本件当日の日没時刻は、午後四時三五分であった。)
1 B山の位置
列車起動前の輸送主任B山の位置(ホーム東端から西方へ約一八七メートル、ホームの線路寄り端から約一四〇センチメートル内側)から、一郎が本件ドアから乗車しようとした位置(B山の西方約九九・一メートル)にいる人の様子は通常であれば視認でき、列車起動後のB山の位置(前記位置から約一一〇センチメートルほど線路側寄り)から、一郎が尻餅をついた位置(西方約一九二・七メートル)にいる人の様子も通常は視認可能であった。
なお、B山の矯正視力は、右一・二、左一・〇である。
2 八号車車掌室側窓
八号車車掌室の開き窓(ホーム床面から窓枠下まで約九〇センチメートル)から、前記一郎が乗車しようとした位置(西方約二八・六五メートル)にいる人の様子の視認は容易である。
なお、西島の矯正視力は、右一・〇、左一・二である。
3 髙橋の位置
一六号車後部車掌室の開き窓(ホーム東端から西方へ約四〇センチメートル、ホームの線路寄り端から約三〇センチメートル内側)から、一郎が本件ドアから乗車しようとした位置(西方約二四六・一メートル)にいる人物の様子は通常視認し難い。
髙橋にとって、夜間、新幹線三島駅下り線ホームにおいて、ホーム上の旅客の行動を判別できる限界の距離は、駅係員のいる一〇号車の辺りまでで、八号車付近辺りまでは旅客がいるかどうかは分かるものの、その行動の判別は困難であり、それより以西は、視界は広がっているものの、これを視認し難く、殊に近くの車両に視点を合わせて監視すると、遠方の車両は焦点が合わず視認できない。
なお、髙橋の裸眼視力は、右一・二、左一・二である。
九 損害
原告太郎は、一郎の葬儀費用として五四〇万〇八七二円、墓石建立費として一四〇万円を支出した。
原告らは、本件訴訟の提起と追行を原告訴訟代理人に委任し、着手金及び謝礼金として一〇〇〇万円の支払いを約した。
第七争点一(駅係員、車掌長、後部車掌の過失の有無)に対する判断
1 輸送主任B山の過失の有無について
(1) 前記認定事実によれば、輸送主任B山は、新幹線鉄道運転規則、新幹線運転取扱心得等の各規定により、高速度公共交通機関である新幹線の三島駅輸送主任として、同駅を利用する旅客等の安全を確保するため、最大限の配慮をすべき義務を負っている。殊に、列車が発車する前後の間は特に旅客に危険が生じやすいのであるから、最も注意を要し、後部車掌に対し、客扱い終了の合図を出す際はもちろん、その後、列車後部がホームを離れ、関係転てつ器を通過し終えるまでの間、ホーム、列車付近の旅客等の状況を十分に監視して、旅客の安全に支障がないことを確認すべき注意義務を負い、また、異常を認めたときには、直ちに列車防護スイッチを作動させるなどして、列車を起動させない、あるいは、発車した列車を停止させるなどの措置を講じ、旅客等の事故の発生及びその拡大防止のため万全の措置を講ずべき注意義務を負っていたというべきである。
(2) そして、前記認定事実によれば、輸送主任B山は、本件列車の八ないし九号車付近に、四、五人の集団がいてホーム黄線のやや外側で立ち話をしているのを発見したのであるから、直ちに同人らに対し、黄線の内側に移動することを指示して視界を確保した上で、本件列車のドア付近の乗降客の有無を確認すべき注意義務があるのに、これを怠り、同人らに動く気配がないというだけで何らの指示を行わなかったため、六号車後部ドア付近の乗降客の有無を確認しないままで客扱い終了の合図をした過失が認められる。
また、B山は、本件列車が起動して約二ないし三メートル進行した時点で五ないし六号車付近のホーム黄線外側(線路側)に列車に接近し、並進しているようにみえる人影を認めたのであるから、直ちに列車防護スイッチを操作して本件列車を停止させるべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然前記人影を見送り客であると軽信し、列車を緊急停止させる措置をとらないでこれを放置した過失が認められる。
そして、輸送主任B山が上述のとおり、四、五人の集団をホーム黄線内側に移動させて視界を確保して六号車ドア付近の乗降客の安全を確認し、一郎を発見していれば、本件事故を防止することができたはずであるし、また、前記五ないし六号車付近の人影を発見した後直ちに本件列車を停止させる措置をとっていれば、一郎が本件列車に轢過されるという結果の発生を防止できたはずであるから、本件事故は輸送主任B山の前記各過失により発生したものと認められる。
(3) なお、被告は、B山の過失について、本件列車の発車直前における一郎の行動は駅係員には予想しえない異常な「こじ開け乗車」であり、B山には発車予告ベルを無視して通常あり得ない危険な方法で乗車しようとする旅客の存在まで予測すべき注意義務は存せず、同人は無過失である旨主張する。
しかし、前記のとおり、一郎がドアをこじ開けていた事実を認めるに足りる証拠はないばかりでなく、発車間際の飛び込み乗車による事故が上野駅、新大阪駅、広島駅、都営地下鉄浅草橋駅などで続発していたことからすると、一郎の行動が通常予想できないものということはできず、このような旅客に対しても駅係員の列車発車時の監視義務は存するというべきであるから、被告の上記主張を採用することはできない。
(4) 被告は、その従業員である輸送主任B山が担当業務を執行中に、その過失により本件事故を惹起させたのであるから、民法七一五条一項本文及び商法五九〇条一項により、使用者として、本件事故によって一郎及び原告らが被った後記第一〇の損害を賠償すべき責任がある。
なお、被告は、B山に対して、列車が出発する際、車側灯の滅灯のみを信頼することなく、ドア付近の列車監視を十分にするよう、日頃から安全の指導、訓練をしており、事業の監督につき相当の注意をしていたのであるから、使用者としての責任を免れる(民法七一五条一項但書)旨の主張をするが、B山は、前記認定のとおり、運輸主任としての基本的な安全確認義務を懈怠していたことからすると、被告がB山に対し、各種の講習、実習、訓練、適正検査等を通じ、適切かつ十分な教育、指導を実施してきたと認めることはできず、被告は民法七一五条による使用者としての損害賠償責任を免れることはできない。
2 車掌長西島の過失の有無について
(1) 前記認定事実によれば、車掌長西島は、新幹線鉄道運転規則、新幹線運転取扱心得、運転作業内規等の諸規定により、新幹線列車の車掌長として、原則として停車中はホームに降りて旅客の乗降に注意するとともに、列車発車及び停車の際には、中間の乗務員室の開き窓から、列車監視を行い、旅客の傷害防止に努めることとされており、事件の発生、急病人の発生、車両故障等で緊急に対処する必要のある場合を除いては、列車の発車時に旅客等の安全を確保するため、ホーム、列車付近の旅客等の状況を十分に監視すべき注意義務を負い、列車がホーム終端を離れるまでの間、車掌室開き窓から顔を出して、ホーム、列車付近の旅客等の状況を十分監視し、その安全に支障がないことを確認し、異常を認めたときには、発車する列車を緊急ブレーキを操作して緊急停車させるなどの措置を講じて、旅客等の事故及びその拡大防止のため不全の措置を講ずべき注意義務を負っていたというべきである。
(2) そして、前記認定事実によれば、車掌長西島は、一郎が閉まりかけたドアに手指を挟まれた際及びその後列車がホームを離れるまでの間に、本件こだま号の八号車車掌室窓からの監視をしておらず、その理由は、一〇号車ドアの点検に立ち会うために車内を移動中で、その途中、接続列車についての旅客の質問に対してその案内をしていたためであることが認められる。しかしながら、一〇号車ドアは開扉に異常はあったものの、閉扉は完全にされ、当面の運行に支障がないことが確認されていて、この事実を西島は知っていたこと、三島駅発車前に川口から一〇号車ドアの点検に行くことを告げられた際、川口から立会いを依頼されたわけではなかったことからすると、西島は、同ドアの点検が緊急性のないことを十分に認識していたと認められるところ、現に差し迫っていた三島駅発車時におけるほんのわずかの間の列車監視を省略してまで一〇号車ドアの点検に対処する必要はなかったというべきである。
なお、証人西島は、「川口が急きょドアの点検に行くのを見て重大事故の発生の心配があると感じ、車掌長として一刻も放置できないと思い、ドア故障の対応に行った」旨証言し、《証拠省略》にも同旨の供述記載があるが、前記認定のとおり、西島は一〇号車ドアの点検に行く途中に旅客に列車の接続時間を尋ねられて案内の応対をしていたことからすると、これを採用することはできない。
そうすると、車掌長西島は、本件列車が三島駅を発車する際、八号車乗務員室開き窓から顔を出して旅客の安全を確認すべき注意義務があるのに、自己の職責である列車監視義務を軽視して緊急性のないドア故障の点検が優先するものと軽信して、上記安全確認義務を怠った過失があるものと認められる。
そして、前記認定のとおり、車掌長西島が八号車乗務員室開き窓から顔を出して列車を監視していれば、六号車後部ドアで一郎が手指を挟まれているのを発見することは容易であり、これにより本件事故を防止することができたはずであるから、本件事故は車掌長西島の上記過失により発生したものと認められる。
(3) なお、被告は、西島の過失について、列車監視は駅員及び後部車掌によるもので十分であり、車掌長による列車監視は、より一層の安全を図るために客扱い及び列車全体の統括者としての本来業務と併行してできる限りにおいて行うものにすぎないから、同人には注意義務違反はない旨主張する。
しかし、前記認定のとおり、被告の新幹線は一六両編成で、全長が約四〇〇メートルにも及ぶもので、後部車掌の位置から安全確認できる範囲は限られており、駅係員の位置からしてもその視認性が十分であるとは認められず、本件事故のような駅係員の一瞬の判断の誤りがあることを想定すると、列車監視が駅員及び後部車掌によるだけで十分であると認めることはできない。車掌長による列車監視が乗降客の安全確保上極めて重要性を有することは、前記認定の上野駅事故において手指をドアに挟まれた乗客が中間車両の車掌室開き窓から列車監視をしていた車掌長に発見され緊急停止措置をとられたことで負傷事故に止まったことからも明らかであり、車掌長の監視義務が本来義務と併行してできる限りされれば足りるとの被告の前記主張を採用することはできない。
(4) 被告は、その従業員である車掌長西島が担当業務を執行中に、その過失により本件事故を惹起させたのであるから、民法七一五条一項本文及び商法五九〇条一項により、使用者として本件事故によって一郎及び原告らが被った後記第一〇の損害を賠償すべき責任がある。
なお、被告は、西島に対して、日頃から安全の指導、訓練をしており、事業の監督につき相当な注意をしていたのであるから、使用者としての責任を免れる(民法七一五条一項但書)旨の主張をするが、被告が西島に対し適切かつ十分な教育、指導をしてきたことを認めることはできず、被告は民法七一五条による使用者としての損害賠償責任を免れることはできない。
3 後部車掌髙橋の過失の有無について
(1) 前記認定事実によれば、後部車掌髙橋は、新幹線鉄道運転規則、新幹線運転取扱心得、運転作業内規等の各規定により、新幹線列車の後部車掌として、停車中はホームに降りて旅客の乗降に注意するとともに、列車の発車時においては、旅客等の安全を確保するため、列車内から、ホーム、列車付近の旅客等の状況を十分に監視すべき注意義務を負い、列車がホーム終端を離れるまでの間、運転室開き窓から顔を出して、ホーム、列車付近の旅客等の状況を十分監視し、その安全に支障がないことを確認し、異常を認めたときには、車掌スイッチを「閉」に扱わず、「閉」にしたものを再び「開」にしたり、あるいは、発車した列車を緊急ブレーキを操作して緊急停車させるなどの措置を講じて、旅客等の事故及び拡大防止のため万全の措置を講ずべき注意義務を負っていたというべきである。
(2) そして、前記認定事実によれば、後部車掌髙橋は、本件列車出発時に、客扱い終了ブザー及び戸閉表示灯の点灯があったころ、一一号車付近から手前を中心に安全確認をしたが、異常がなかったことから車掌スイッチを「閉」に扱い、列車起動後も、ホーム西端を通過し終わるまで開き窓から顔を出したまま前方を注視し続けたが列車側方に人影を発見することはできなかったというのであるところ、新幹線三島駅はホームの形状は直線であるとはいえ、ITVは設置されておらず、一六号車最後部運転室の髙橋の位置から六号車後部の本件ドアまでは約二四六・一メートルあり、夜間、後部車掌の位置から乗降客の行動を判別できる限界地点は一〇号車付近であることからすると、後部車掌が六号車後部ドアに指を挟まれた一郎を発見することができなかったことはやむを得ないことであり、髙橋に列車発車時における監視義務を怠った過失を認めることはできない。
第八争点二(被告の安全配慮義務違反等)に対する判断
1 被告の安全対策実施の注意義務
(1) 手指挟まり事故の予見可能性
前記認定のとおり、本件事故に先立つ新幹線上野駅事故、被告新幹線新大阪駅事故及び京都駅事故並びに都営地下鉄浅草橋駅死亡事故などにより、被告は、新幹線においても様々な理由から駆け込み乗車をする旅客があること、旅客が種々の理由でドアに手指等が挟まれることがあること、ホーム上の駅員がドアに手指等が挟まっている旅客の存在に気付かずに客扱い終了の合図をしてしまうことがあること、後部車掌がドアに挟まっている旅客等の存在に気付かずに車掌スイッチを「閉」にし、ドアを閉塞させることがあること、旅客の手指等がドアに挟まった場合、とりわけドア押さえ装置が作動した後は、旅客がこれを自力でドアから抜き出すのはほとんど不可能であること、列車の戸閉めスイッチは設計値である三・五プラスマイナス〇・五ミリメートルを大きく超える物が挟まっても感知せず、車側灯が滅灯し、運転台の戸閉表示灯が点灯して、運転手が列車を起動させてしまい得ること、列車が起動を開始した後でも、駅員、後部車掌、車掌長らがドアに手指等が挟まったままの旅客の存在に気付かない場合もあること、車掌長が中間車両の車掌室窓から監視していたために列車を緊急停止できた場合があること、ホーム上の他の旅客等がドアに手指等が挟まった旅客の存在に気付いても、列車防護スイッチを操作することを期待できないことなどを認識することが可能であり、上記の事態が複合すれば、駆け込み乗車等によりドアに手指等を挟まれた旅客がそのまま、列車に引きずられ、死亡するに至るような重大な結果が生じうることを予見することが可能であったというべきである。
なお、被告は、本件事故は、一郎による極めて悪質なこじ開け乗車が原因であり、かかる極めて無謀な行動まで予見することは不可能であり、その予見義務もない旨の主張をするが、前記のとおり、一郎がこじ開け乗車をしようとした事実を認めるに足りる証拠はなく、また、本件事故以前から類似の事故が複数回発生していたことからすると、被告は様々な理由から旅客がドアに手指等を挟まれることがあることを認識し又は認識し得たというべきであるから、同主張を採用することはできない。
(2) 手指挟まり事故発生の回避義務
被告は、高速の鉄道列車を使用して、多様な旅客を大量に輸送する公共交通機関であり、旅客等の生命、身体等を侵害する多大な危険性を伴う新幹線を運行するにあたっては、旅客等の人身の安全確保に最大限の配慮をすべき義務を有する。
そして、被告は、かかる義務を履行するため、旅客の運送の用に供する車両の構造、性質、駅ホームの構造、ホーム上及び列車内の社員の安全監視体制の実態、旅客の駆け込み乗車等の乗降状況の実態など諸事情を、自社のみならず他の鉄道機関におけるものを含め、常に考慮して、その潜在的危険性を予測した上、同危険性から通常発生しうる事故の発生を回避し、かつ、一旦発生した事故の結果の拡大を防止するため、事故発生の可能性の有無及び多寡、その回避手段の難易、これに対する旅客の認識などに鑑み、旅客運送人として万全の人的、物的措置を講ずべき高度の注意義務を負う。そして、前記のとおり、被告は、新幹線の発車間際の駆け込み乗車等により旅客の手指がドアに挟まったまま発車することによる死傷事故発生の可能性があることを予見できたのであるから、このような事故発生を防止するために可能な限りの安全対策を実施する注意義務があった。
2 被告の安全対策実施義務違反の有無
(1) ドア構造の改善義務について
前記認定のとおり、新幹線列車のドア構造は、乗客が手指を挟まれた場合には、通常の在来線列車とは異なり、車内の気密を確保するための内側からの強力なドア押さえ装置が作動することにより、人力をもってしてはほとんど手指を抜くことができないため、手指を挟まれた旅客が発車する列車にそのまま引きずられてしまうという危険性を有する。現に上野駅事故以降、同種事故が複数回発生しており、平成六年の都営地下鉄浅草橋駅において手指を挟まれた乗客が死亡した事故を契機として、運輸省中部運輸局鉄道部長が、従前の同種事故事例九例をあげて、被告の安全対策部長に対し、示達により「車両の戸閉めスイッチの動作位置における扉の開閉寸法を運行に支障しない範囲でできる限り小さくすること」について対応を図ることを指導し、これを受けた被告新幹線鉄道事業本部運輸営業部長は、各種の指示をし、その報告を求めていたのであるから、被告安全対策部長及び同新幹線鉄道事業本部運輸営業部長は、新幹線列車のドア構造を旅客等が手指を挟まれた場合にもこれにより旅客等が死傷事故に至ることのないように安全なドア構造に改善する対策を実施すべき注意義務を負っていたというべきである。
そこで、被告の従業員らに上記注意義務違反が存したか否かにつき検討するに、前記認定事実によれば、被告の新幹線鉄道事業本部車両課では、前記示達を受けて直ちに新幹線列車ドア構造の改善のための技術的検討を開始し、平成七年七月から試験装置の製作を開始して同年一二月二〇日には完成させ、これを活用しようとしていた矢先に本件事故が発生したものである。そして、その後〇系車両については列車の速度が時速三〇キロメートルに達した時点でドア押さえ装置が作動するシステムを完成して平成八年度中にドア構造改良工事を完了したというのであることからすると、被告のドア構造改善の着手時期が著しく遅きに失したとまでいうことはできない。ドア構造改善のための新規技術の開発及びその実施に相当期間を要することは不可避であることからすると、本件事故当時において、ドア構造の改善が実施されていなかったことはやむを得ないことであり、これをもって被告の従業員らに安全対策実施の注意義務に違反した過失があったと認めることはできない。
(2) 車掌長の列車監視に対する指導義務について
前記認定のとおり、列車発車時における車掌の列車監視義務は新幹線鉄道運転規則及び新幹線運転取扱心得に規定されているが、被告の内規である東京車掌所の運転作業内規では、従前、車掌長については「必要により列車の運転に関する業務を行う」とされ、客扱業務等が優先する内容の規定となっており、車掌長に対する列車監視が指導されていない実情であった。そして、平成五年の京都駅事故を契機として、同年一二月一日に「運転作業内規の一部追加について」により、車掌長についても原則として列車発車時における列車監視を行うことが定められたが、被告は、依然として、駅係員と後部車掌による列車監視だけで安全確保は基本的に十分であるとの立場を維持し、客扱業務等よりも発車時における列車監視義務の方が優先するとの指導をせず、発車時の列車監視と客扱業務等の優先順位の判断を車掌長の裁量に委ねさせる運用をしていた。
しかしながら、被告の新幹線列車は一六両編成で全長約四〇〇メートルに達する長大な列車であり、これを列車最後部に位置する後部車掌とホームの中間部分に位置する駅係員との二名だけで厳重かつ適正に監視をすることは相当困難であり、それが夜間やホーム先端付近に旅客等がいる場合などにおいてはとりわけ困難であることはいうまでもない。旅客が手指を挟まれたときの本件事故発生時における新幹線ドア構造の危険性を考慮すると、発車時における乗客の安全を確保するためには、後部車掌と駅係員の二名による列車監視だけで十分とはいえず、八号車乗務員室に位置する車掌長による列車監視が必要不可欠であったと認められる。このことは昭和六〇年の上野駅における事故は車掌室開き窓から列車監視をしていた車掌長により発見されたものであることに照らしても明らかである。そして、発車時における列車監視業務は客扱い終了時からホームを通過するまでのほんのわずかの間で終了することからすると、事件の発生、急病人の発生、車両故障等により車掌長が緊急に対処する必要が生じた場合にはそもそも列車の発車自体が抑止されるであろうし、仮にそうでないとしても列車監視を省略してまで緊急に対処する必要があるとされるのは極めて限定的な場合であるというべきである。
しかるに、被告の安全対策部長は、平成六年の都営地下鉄浅草橋駅死亡事故を契機として、運輸省中部運輸局鉄道部長から、示達により「列車出発時における旅客の安全確保のため、確実な監視業務等の実施を徹底すること」について対応を図るよう指導され、これを受けた被告新幹線鉄道事業本部運輸営業部長は、各種の指示をし、その報告を求めていたのであるから、被告安全対策部長及び同新幹線鉄道事業本部運輸営業部長は、本件事故発生時までに安全対策として、車掌長に対し、新幹線列車発車時における中間車乗務員室開き窓からの列車監視を客扱業務等に最優先して実施するよう指導する注意義務があったのに、これを怠り、車掌長に対し発車時の列車監視義務の重要性を指導せず、車掌長において、緊急に対処すべき必要がないのにもかかわらず安易に客扱業務等を優先して発車時の列車監視を省略する実情を放置した過失が認められる。
また、前記認定のとおり、本件において車掌長西島は本件列車が三島駅を発車する際に列車監視に優先してまで一〇号車ドア故障に緊急に対処すべき必要性がないことを認識していたにもかかわらず、安易に一〇号車に向かい、その途中で旅客への案内に対応していたものであるが、このように車掌長西島が列車監視の重要性を考慮せずたやすく発車時の列車監視を省略する選択をしたのは、被告の従業員らが前記注意義務に違反し、車掌長による列車監視の重要性につき徹底的に指導することを怠ったことによるものというべきである。
そして、車掌長西島が本件列車の発車時に八号車乗務員室開き窓から列車監視をしていれば、一郎が六号車後部ドアに手指を挟まれているのを容易に発見して本件事故を防止することができたはずであることは前記認定のとおりであるから、被告の従業員らの前記注意義務違反と本件事故の結果との間には因果関係を認めることができる。
(3) ITVの設置義務について
前記認定事実によれば、被告は、本件事故当時、ホームがカーブ状に湾曲している駅(小田原駅、掛川駅、浜松駅、東京駅等)にはITVを設置していたのに、ホームが直線状である三島駅にはITVを設置していなかったが、本件事故発生当時、被告は車掌長に対する列車監視義務を十分に指導しておらず、発車時の車掌長による列車監視が省略される場合もあったことが認められる。
しかるに、三島駅到着時に本件列車の車両最後部に位置する後部車掌髙橋がホーム上の旅客の行動を判別できる限界地点は、駅係員のいる一〇号車辺りまでであり、八号車付近まではかろうじて旅客の存否が判別できる程度であって、それより遠くは視認し難い。また、一〇号車付近の輸送主任B山の位置から本件列車の一号車最前部まで約二五〇メートルあるところ、同人の位置から約九九・一メートル離れた六号車後部ドアにいる人の様子は通常視認できるとはいうものの、実際にはホーム上の線路寄りの部分に乗客がいたためにこれを視認できておらず、列車起動後に列車と並進しているようにみえる人影を瞬間的に認めたが見送り客であると軽信し、一旦後部東京方向を見た後に前部新大阪方向を振り返った時には上記人影は見えなくなっていたというのである。以上の状況によれば、全長約四〇〇メートルに及ぶ新幹線列車の全車両について後部車掌及び駅係員が肉眼だけで正確に列車監視をすることは夜間及びホームの線路寄りに乗客がいる場合にはとりわけ困難であったといわなければならない。
そして、前記のとおり乗客の指挟み事故が複数回発生し、平成六年の地下鉄浅草橋駅死亡事故を契機として、運輸省中部運輸局鉄道部長が被告の安全対策部長に対し示達により「出発合図及び監視業務の作業実態について把握し、必要によりマニュアルの見直しを行うこと」について対応を図ることを指導し、これを受けた被告新幹線鉄道事業本部運輸営業部長は、各種の指示をし、その報告を求めていたのであるから、被告安全対策部長及び同新幹線鉄道事業本部運輸営業部長は、本件事故までに安全対策として三島駅の後部車掌及び駅係員の位置から肉眼により正確に視認することが困難であるホームの線路寄り部分を監視できるITVを設置すべき注意義務があったのに、これを怠り、三島駅にITVを設置していなかった過失があると認められる。
三島駅にかかるITVが設置されていれば、後部車掌髙橋及び輸送主任B山において六号車後部ドアに手指を挟まれている一郎を発見して列車の起動を抑制し、または起動を開始した列車を緊急停止させることにより本件事故の発生を防止できたといえるから、被告の従業員らの前記過失と本件事故との間に因果関係を認めることができる。
(4) その他の安全対策実施義務について
原告は、上記(1)ないし(3)の義務のほか、被告には、安全対策として、①旅客に対するドア構造の危険性を周知させる義務、②センサー、防護柵の設置等により旅客がドア付近にいる場合にはドアが閉まらないようにする義務、③ドアに手指等を挟まれた旅客がいないことを確認できるように発車時間等のシステムを改善する義務、④旅客に対する列車防護スイッチ及び列車停止スイッチを周知させる義務などがあるのにこれらを怠った過失があると主張する。
しかし、これらの安全対策は、旅客が新幹線のドアに手指等を挟まれることによる事故を防止するためにその実施を検討することが望ましいものではあるけれども、本件事故当時における前記認定の諸事情のもとにおいては、本件事故当時までに被告がこれらの安全対策を実施すべき法的義務があったとまで認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠がない。
(5) なお、被告は、被告新幹線の新大阪駅事故後及び京都駅事故後に、三島駅での列車発車時のアナウンスを強化したこと、浅草橋駅死亡事故後に、各現業機関へのマニュアルの「徹底」を指導していたことなどをもって、十分な安全対策を講じていた旨主張する。
しかし、駆け込み乗車予防のアナウンスの強化には全く効果がないとはいえないとしても、およそ列車が発車しようとしているときに、これに飛び乗ろうとする者が皆無になるとは期待できず、旅客の良心に委ねる駆け込み乗車防止策には限界があり、公共交通機関としての安全配慮義務を負う被告がホーム上のアナウンスに過度に依拠することは許されない。本件において、被告は、一郎に対し、発車ベル(アラーム)を鳴らして出発の注意を喚起しているものの、旅客である一郎を安全に輸送すべき高度の注意義務を負っている被告としては、本件ドアの潜在的危険性から生じうる重大な結果発生の危険性等に鑑みれば、発車ベルを鳴らすことのみをもって、実質的な安全監視の義務を免れるものとは到底いえず、これによって上記(2)(3)記載の安全対策実施義務を免れるものではない。
さらに、被告がこのほか同種事故後に講じてきた対策は従前のマニュアルの再徹底の域を出るものではなく、不十分であって、これらをもってしても被告の旅客に対する前記注意義務、安全配慮義務を免れることはできない。
3 被告の責任
一郎は、被告の新幹線東京駅・新富士駅間の定期乗車券を購入して、被告と旅客運送契約を締結したのであるから、一郎が目的地である新富士駅に向かう本件列車に乗車すべく、被告の東京駅の改札入口を入った時点で、被告は旅客運送人として、一郎を新富士駅まで安全に運送すべき債務を負担し、前記のとおり、公共交通機関として、旅客の人命の安全確保に関する高度の注意義務を負っていた。そして、前記2(2)(3)のとおり、被告安全対策部長及び同新幹線鉄道事業本部運輸営業部長は、本件事故の発生が予見可能であったにもかかわらず、安全対策を実施する義務に違反し、その結果、本件事故により一郎を死亡させたものであるから、被告は、本件事故によって一郎に生じた損害については、商法五九〇条及び民法七一五条に基づき、また、原告らに生じた損害については民法七一五条に基づき、それぞれ本件事故と相当因果関係のある範囲において、その損害を賠償すべき義務がある。
なお、原告は被告の法人自体の不法行為について民法七〇九条を適用すべきである旨主張するが、法人の行為は具体的には機関を通じて活動するほかない以上、民法四四条及びこれを準用する商法の規定、あるいは民法七一五条を離れて、法人自体に同法七〇九条を適用する実定法上の根拠に乏しく、これを採用することはできない。
第九争点三(過失相殺)に対する判断
1 高速度で大量の旅客を輸送する使命を有する公共交通機関である新幹線を利用する旅客は、列車の発車間際の駆け込み乗車の高度な危険性に鑑み、これを厳に差し控えて乗車を断念し、自ら危険を回避すべき注意義務があるというべきである。
しかるに、一郎は、三島駅ホームの公衆電話で通話中、発車予告ベルが吹鳴しているのに直ちに乗車することなく、電話を終えて急いで本件ドア付近まで来たときには既に列車のドアはかなり閉じかかっていたのであるにもかかわらず、乗車を断念することなく、乗車しようとしてドアに手をかけたというのである。したがって、同人にも旅客に要求される前記注意義務を欠いていたことは否定できず、本件事故の発生には同人の過失も相当程度寄与しており、これにより過失相殺されることを免れない。
2 そこで、一郎の本件事故結果に対する過失割合について検討するに、本件においては、前記認定のとおり、本件列車が三島駅に停車時に三分間停車することが車内放送されていたにもかかわらず、実際にはこれより二〇秒短い二分四〇秒の停車後に発車していること、本件ドアはスライドして閉扉した後に強力なドア押さえ装置が作動することにより手指等が挟まった場合に人力によりこれを抜くことはほとんど不可能であるという特異な危険性を有しているのに、在来線と異なるこのような新幹線ドアの危険性は一般旅客に周知されていたとはいえないこと、一郎は、その後、ドアに挟まれてから、本件ホーム西端でホーム下に落下するまでの約三七秒の間、ホーム上の駅員、車掌等に対して、必死に急を告げていたのであり、一郎がドアに手指を挟まれてから轢過されるに至るまでには相当の時間的余裕があり、その間に駅員らにおいて、一郎が救助を求めている姿を発見して列車を停止させる措置をとることは十分に可能であり、本件事故は三島駅の輸送主任及び車掌長が適正に監視義務を履行していれば容易に防止できたといえることなどの諸事情を考慮すると、本件事故についての一郎の過失割合は四割と認めるのが相当である。
なお、被告は、本件事故の発生については原告らにも過失があったと主張するが、被告主張の事由が直ちに本件事故の発生に寄与しているものと認めることはできず、これを採用することはできない。
したがって、上記一郎の過失割合分を被害者側の過失として、後記認定の原告らの損害から控除することとする。
第一〇争点四(損害額)に対する判断
1 損害
(1) 一郎の損害
ア 死亡による逸失利益 四七二〇万三一七五円
一郎は、本件事故当時一七歳の男子であったが、大学へ進学することが確実であったと認められることから、同人の本件事故時における逸失利益を、平成七年賃金センサスによる大卒男子、全年齢平均の年収額である六七七万八九〇〇円を基礎収入とし、その間の一郎の生活費控除割合を五割とし、これらを基礎に中間利息をライプニッツ式で控除する方法(一七歳から六七歳までの五〇年の労働能力喪失期間に対応するライプニッツ係数である一八・二五五九から就学期間である一七歳から二二歳までの五年に対応するライプニッツ係数である四・三二九四を差し引いた一三・九二六五を乗じて算定する。)により一郎の死亡による逸失利益の現価を求めると次の額となる。
677万8900円×0.5×13.9265=4720万3175円
イ 慰謝料 二〇〇〇万円
本件に顕れた一切の事情を総合考慮すると、本件事故時における一郎の被った精神的苦痛に対する慰謝料としては、二〇〇〇万円とするのが妥当である。
ウ 相続関係
原告太郎は一郎の父であり、原告花子は一郎の母であるから、原告らは一郎の同損害賠償請求権六七二〇万三一七五円を各二分の一の割合で承継し、各三三六〇万一五八七円の損害賠償請求権を取得した。
(2) 原告らの固有損害(民法七一五条一項本文に基づく)
ア 慰謝料 各二〇〇万円
一郎の死亡による原告らの被った精神的苦痛の慰謝料としては、原告それぞれにつき二〇〇万円と認めるのが相当である。
イ 葬儀費用・墓石建立費用 二六〇万円
一郎の年齢その他の事情を考慮すると、原告太郎が出捐した費用のうち、同原告が本件事故による損害として、被告に対し賠償を求めうる額は、葬儀費用一二〇万円、墓石費用一四〇万円が本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。
ウ したがって、原告太郎の損害額は四六〇万円、原告花子の損害額は二〇〇万円となる。
2 過失相殺による減額
前記認定の原告らの各損害額(原告太郎につき三八二〇万一五八七円、原告花子につき三五六〇万一五八七円)から前記認定の一郎の過失割合四割分を控除すると、その損害額は、原告太郎が二二九二万〇九五二円、原告花子が二一三六万〇九五二円となる。
3 弁護士費用(民法七一五条一項本文に基づく)
本件事案の性質、本件訴訟の経緯、前記認容額等に照らし、原告らが弁護士らに対して支払いの約束をした報酬のうち、本件事故と相当因果関係のある損害として被告に賠償を求めうる弁護士費用は、原告太郎につき二三〇万円、原告花子につき二一〇万円をもって相当と認める。
第一一結論
以上によれば、被告は、本件事故に基づく損害賠償として、原告太郎に対し二五二二万〇九五二円、原告花子に対し二三四六万〇九五二円をそれぞれ支払う義務がある。
よって、原告らの本訴請求は、被告に対し、同金員及びこれに対する本件事故の日である平成七年一二月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、仮執行宣言は相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 髙橋祥子 裁判官 三木勇次 佐藤克則)