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静岡地方裁判所沼津支部 平成9年(ワ)60号 判決 2003年3月12日

原告

甲野一郎

甲山夏子

上記両名訴訟代理人弁護士

内藤貞夫

染井法雄

被告

財団法人富士脳障害研究所

同代表者理事

佐野圭司

被告

乙川次郎

上記両名訴訟代理人弁護士

児玉康夫

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1  請求

1  被告は、原告ら各自に対し、連帯して、それぞれ4244万5920円及びこれに対する平成7年5月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

第2  事案の概要等

1  事案の概要

本件は、被告財団法人富士脳障害研究所(以下「被告富士脳研」という。)の経営する病院において、内頚動脈内膜剥離手術を受けた後、術後出血による血腫を原因として死亡した患者の遺族らが、血管縫合の手技に問題があった、あるいは術後管理に過失があったなどとして、手術を担当した医師である被告乙川次郎(以下「被告乙川医師」という。)に対し、共同不法行為に基づく損害賠償を、被告富士脳研に対し、医師らの使用者として、被告乙川医師と連帯して、使用者責任又は診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償をそれぞれ求めた事案である。

2  前提となる事実

(1) 当事者

ア 亡甲野太郎(昭和8年11月30日生まれ。本件当時61歳。)(以下「太郎」という。)は、静岡県富士宮市内で工作機械の製造、紙加工業を主たる目的とする株式会社○○機械の代表取締役を務めていた(甲3、4)。

太郎とその妻甲野春子の間には、原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)及び同甲山夏子(以下「原告夏子」という。)のほか2人の子がいる。原告一郎と原告夏子は、平成9年8月5日、全相続人間の遺産分割協議により、太郎の被告らに対する本件不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償請求権を各2分の1の割合で相続した(甲1、8)。

イ 被告富士脳研は、上記住所地において、脳卒中及び交通災害等による脳障害についての研究及び医療を行うこと等を目的とする財団法人であり、同地において、富士脳障害研究所附属病院(以下「本件病院」という。)を開設しており、被告乙川医師は、本件病院に勤務していた医師である。

(2) 本件手術に至る経過等(甲4、乙1の1及び2、2、6、被告乙川医師、検証の結果file_3.jpg)

ア 太郎は、平成7年5月2日午後7時過ぎから常用量の飲酒をしていたところ、突如呂律が回らなくなり、左口角が下がって流涎するなど左顔面麻痺の症状を呈したが、3分から5分後にその症状は回復した。

イ 太郎は、家族の勧めもあって、平成7年5月2日午後8時過ぎ、本件病院に赴き、被告乙川医師の診察を受けた。

被告乙川医師の診察時、太郎には神経症侯は認められず、血圧は収縮期血圧130mmHg、拡張期血圧80mmHgと正常値内であり、頭部CT(断層撮影)を施行しても、脳萎縮を認めたほかに大きな脳梗塞あるいは脳出血の異常は認められなかった。

被告乙川医師は、太郎の症状について一過性脳虚血発作と診断したが、同病は脳梗塞の前兆となることが多いため、原因を精査すべきであると考え、太郎に対し、入院して検査することを勧めた。これに対し、太郎は、既に症状が治まっていたことや自己の経営する会社のこと等があるので入院することには当初消極的であった。

しかし、被告乙川医師は、太郎が糖尿病の持病があり、経口糖尿病薬を毎日服用しているのに毎日飲酒していること、太郎のかかりつけの医師から血圧がやや高めだと言われていたということ、頚部を聴診したところ拍動性の雑音が聞こえたことなどから、頚部頚動脈に狭窄がある可能性があるので脳血管撮影だけは最低限必要であると考え、太郎に対してその旨説明し、身体への侵襲の少ない右腕の穿刺による血管撮影を了承してもらった上で脳血管撮影を実施した。その結果、右頚部内頚動脈(総頚動脈の分岐部)に約98パーセントの狭窄が認められ、左顔面麻痺の症状は、この狭窄により脳血流が乏しくなったか、あるいは、狭窄部分から血栓が飛び、脳塞栓となったために一過性脳虚血発作を起こしたことによるものと考えられた。

被告乙川医師は、太郎に対し、頚部の内頚動脈に動脈硬化の物質が非常に蓄積していること、血管はほとんど閉塞状態であり、いつ完全閉塞になってもおかしくない状態であること、閉塞すれば右大脳半球全体の脳梗塞が生じて生命の危険もあることなどを説明し、さらに精密検査をした上、頚部の動脈硬化の物質を取り除く手術が必要となるだろうと説明し、入院することを説得した。

太郎は、被告乙川医師からの上記説得を受け、同日から諸検査のため、本件病院に入院した。

なお、同日夜に実施した心電図には特に異常は認められなかった。

ウ 太郎は、入院翌日の平成7年5月3日、大腿部穿刺脳血管撮影(セルジンガー法)を受け、左内頚動脈、右椎骨動脈を撮影したところ、本来あるべき上記の血管の側副血行がほとんど発達していないことが判明した。側副血行とは、一側の大脳半球に行く血流が低下したとき、反対側の大脳半球へ行く血行の一部が交通動脈という吻合を介して、その乏血を補うように血流が回ってくることをいうところ、太郎の場合、この側副血行がほとんど発達していないことが判明し、右内頚動脈が著明な閉塞に移行すれば、どこからも血流の補填がなされず、右大脳半球の大部分が脳梗塞に陥り、昏睡状態となった後に脳腫脹により数日内に死亡することが予測された。

また、同月6日に施行した脳の血流状態を計るダイナミックCTの結果によっても、約98パーセントの狭窄が認められ、狭窄部は主として第2/3、第3頚椎レベルにあったこと、右半球の大部分に血流分布の遅延が確認されたことから、右内頚動脈閉塞が起こると右大脳半球に広範な脳梗塞が生じることが予測された。

さらに、同月9日に実施したMRI検査の結果によれば、脳幹部及び両側前頭葉の大脳白質に既に小梗塞が認められ、動脈硬化の存在を示唆していた。

なお、太郎は、仕事の都合等のため、同月8日から同月12日までの間は外泊許可を得て、同月9日のMRI検査及び点滴を受けるために受診した以外は自宅で過ごした。

エ 太郎は、被告乙川医師から、平成7年5月15日、手術が必要な状態であることや手術の内容、合併症等についての具体的な説明を受け(具体的な説明の内容については後に認定する。)、手術依頼書(乙1の1・00013)に署名をし、同月16日手術が行われることになった。

(3) 本件手術の施行等について(乙4ないし6、被告乙川医師第1回)

太郎は、平成7年5月16日午後1時に手術室に入室し、全身麻酔導入後、同日午後2時25分に執刀が開始され、同日午後7時45分に本件手術が終了した。太郎が手術室から退室したのは同日午後8時15分であった。

本件手術のうち、患部血管を完全に露出するまでを被告乙川医師が担当し、その助手を丙田医師が務め、血管の切開縫合は、本件病院の副院長であった丁谷三郎医師(以下「丁谷医師」という。)が担当し、被告乙川医師はその助手を務めた。

(4) 本件手術後の経過(甲2、6、乙1の1)

平成7年5月16日午後8時50分ころから、被告乙川医師は、原告ら太郎の家族に対し、本件手術の経過についての説明をした。

その後、同月17日深夜、太郎の容態が急変し、血管縫合部から動脈的な出血が生じ、右耳下頚部にこぶし大の半分くらいの血液による腫脹ができ、腫脹により頚部の気道が圧迫され、窒息状態が出現した。本件病院医師らが、気道確保のために経口挿管の措置等を行ったが、心停止に至り、しばらくの間、心肺蘇生措置が続けられたが、同日午前3時10分、太郎の死亡が確認された。

第3  争点

1  争点1―被告乙川医師らの過失又は債務不履行の有無

(1) 頚部頚動脈内膜剥離術の手技に関する注意義務違反の有無

(2) 本件手術後の経過観察義務違反の有無

(3) 説明義務違反の有無

2  争点2―上記過失又は債務不履行と死亡との因果関係

3  争点3―損害額

第4  争点に対する当事者の主張<省略>

第5  争点に対する判断

1  前記前提となる事実及び後掲の各項目に掲げる各証拠によれば、以下の事実が認められる。

(1) 頚動脈内膜剥離術等について(甲7、乙2、鑑定の結果)

ア 頚動脈内膜剥離術は、頚動脈を露出し、血管に切開を加えた後、血管内の動脈硬化物質を取り除き、縫合を行う手術であり、必要であればシャント(頚動脈遮断中の一時的なバイパス管)をおいて行われる。

頚動脈内膜剥離術は、米国では年間8万件から10万件も行われる手術であるが、日本では年間1500例程度しか行われていない比較的稀な手術であり、日本で年間5件以上内膜剥離術を行っているのは20施設程度しかない。また、米国では90パーセントが血管外科医、10パーセントが脳神経外科医によって行われているが、日本ではほとんどが脳神経外科医によって行われている。

そして、本件手術において、血管の切開、粥状硬化の除去、縫合を行った丁谷医師は、昭和45年3月に東京大学医学部卒業後、脳神経外科医として研修を受け、以後一貫して脳神経外科医として勤務し、本件病院においては、本件手術までに70例以上頚動脈内膜剥離術を経験(他の病院での手術を合わせると110例以上を経験)し、頚動脈内膜剥離術の手術経験数でいえば国内で十指に入ると言われている専門医である。また、丁谷医師の補助を務め、患部の血管を露出するまで及び皮膚・皮下組織の縫合を行った被告乙川医師も、脳神経外科専門医の資格を取得した者である。

イ 手術適応(甲7)

血管撮影上、血管狭窄度が50パーセント以上か、内径実測値が2mm以下の場合は、手術適応がある。

ウ 術後の合併症等(甲7、丁谷証人、被告乙川本人(平成9年12月3日)、鑑定の結果)

(ア) 頚動脈内膜剥離術後の合併症として最も多いのは心筋梗塞、脳内出血であるが、そのほかに術後の血管縫合部からの出血、いわゆる術後出血の可能性も稀なものではなく合併症として考えられている。

(イ) 術後出血に関しては、「手術巣での局所性の合併症は比較的多く、主なものをあげてみると、初期の手術不慣れの頃、頚部創からの出血で皮下血腫を形成したものが4例あった。」(甲7・181頁)などとする文献もみられるように、手術の手技が技術的に未熟であることに原因がある場合もあるが、数十例を経験した後に起こったとの学会報告もある(鑑定補充書・3頁)。

本件手術は比較的一定の手術手技で行われるが、それでも数パーセントの合併症が起こるとされており、米国の約3000人がエントリーした共同研究でも3パーセントから6パーセントの合併症が報告されている。日本ではこのような大規模試験は未だ行われていないが、いくつかの学会発表によっても数パーセントの合併症率は避けられないとされている(同3頁)。

(2) 本件手術前の乙川医師の説明(甲4、6、乙1の1・00013裏面、2、原告夏子本人、被告乙川本人(平成9年12月3日))

被告乙川医師は、太郎、その妻春子、原告夏子らに対し、平成7年5月12日、精査の結果、やはり動脈にコレステロールが貯まっており、これが脳への血流を遮るため、脳への血液供給量が少なくなっており、放置しておくと脳梗塞になる可能性があるため、抜本的に治療するには手術が必要であること等の説明をし、太郎からの「飲み薬でも治せるらしいのでそれで治せないか。」との質問に対しても、飲み薬もあるが、一時的には治っても抜本的な治療にはならない旨答えた。

そして、被告乙川医師は、本件手術前日の同月15日、太郎、その妻春子、原告夏子らに対し、病状についての上記の説明を繰り返し、手術をしなければ近いうちに頚動脈閉塞に移行する可能性が高く、生命の危険が極めて高いこと、本件手術の内容は、右内頚動脈を露出し、血管に切開を加えた後、血管内の動脈硬化物質を取り除き、縫合を行うこと、必要ならば、シャント(頚動脈遮断中の一時的なバイパス)をおくことを説明した。さらに、手術後の合併症については、脳梗塞、心筋梗塞などの心臓のトラブル、術後の過血流による脳出血、血管のトラブル(術中術後の出血や閉塞)、舌神経麻痺、嗄声(声枯れ)、燕下障害、感染、創部のトラブルを説明し、全身麻痺に伴う危険として、心臓をはじめとする循環器系、肺を初めとする呼吸器系、肝臓などのトラブル、術後に糖尿病がストレスで急性増悪し、脱水に陥る可能性などを説明した。

(3) 本件手術の経過について(前提となる事実、乙1の1・00014、2ないし4(手術ビデオ)、6、被告乙川本人、証人丁谷、鑑定の結果)

太郎は、平成7年5月16日午後1時に手術室に入室し、全身麻酔導入後、同日午後2時25分に執刀が開始された。患部血管を完全に露出するまでを被告乙川医師が担当し、その助手を丙田医師が務めたが、患部が第2/3、第3頚椎レベルの高位にあったため患部血管の露出までに時間がかかり、同日午後5時過ぎ、ようやく患部血管が露出された。

その後、丁谷医師により、次のとおり、血管の切開等が行われ、午後7時45分に本件手術が終了した。

① 右頚部内頚動脈を露出し、内頚動脈をメスで切開し、直ちに血管内にシャントシステムを挿入した。

② Potts剪刀(血管切開用ハサミ)でこれを上下に広げ、病変部を露出した。

③ 古井式内シャントチューブを挿入して脳への血行を保った後、内膜剥離操作を行った。

④ 内膜剥離操作は、剥離子を用いて、中膜中程の自然に剥がれる層で剥離された。

⑤ 病変は潰瘍をともなう粥腫が中心で、かなり複雑な動脈硬化病変(動脈硬化の進んだ状態で、増殖病変と潰瘍性病変が複雑に入り組んだ状態)であったものを上下2つに分けて、1塊として摘出した。

⑥ 内膜剥離を施行した遠位側の内膜断端が順行性の血流により内側にめくれ込むことを防ぐため、遠位側の内膜断端を外膜に固定するような縫合(stay suture)を4針置いた。次に、内頚動脈切開部の縫合に移り、内頚動脈遠位部は近位部に比して血管径が小さいため、縫合により血管がさらに狭窄することを防ぐため、約1.5センチメートル長径、0.7センチメートル横径のダクロン製(一種の合成の布)のパッチを動脈切開部の遠位部にあてがった。まず遠位でパッチと血管壁を縫合し、中部から近位にかけては血管の切開部を6―0エチロンにて連続的に縫合した。

縫合の仕方については、ブランケットスーチャー(毛布の端を縫うような縫合の仕方)で行われた。

⑦ 血管縫合を終えた後、血管縫合部にサージセル(止血物質の一種)を置き、指で押さえた上で血流再開を行い、血圧を上昇させても縫合血管の止血が十分であり、出血のないことを確認した。血流を再開した際の出血点には追加縫合が行われた。

また、術中、血管撮影を行っており、病変除去が十分であり、縫合部に血管狭窄が来ていないことを確認した後、十分に止血を確認し、皮下にドレーン管を留置し、皮下、皮膚を縫合して、本件手術を終了した。

(4) 術後の看護態勢等(前提となる事実、乙1の1の00008、00057裏面、00061(表・裏)及び00062など、乙2、3、7、9、東田証人、原告夏子本人、被告乙川本人、鑑定の結果)

ア NCU室の監視態勢

手術後、太郎はNCU室に入室した。NCU室は、本件病院の4階にあり、その入口付近にはカーテン、衝立が設けられ、衝立の奥にベッドが置いてあった。ナースステーション及びカンファレンスルームは、NCU室前の廊下を7メートルから10メートル位隔てた所に位置し、いずれの部屋からもNCU室の様子を直接見ることはできないが、各部屋の扉はいつも開放している状態であった。

太郎は、脈、血圧を測る装置のほか、呼吸に異常が生じた場合、それによって発生する血中酸素の変化を感知してアラームが鳴る仕組みとなっているSPO2(経皮的動脈血酸素飽和度測定装置)が装着されていた。SPO2においては、96の値を示すとアラームが鳴る仕組みになっており、そのアラーム音は、カンファレンスルームにおいてもナースステーションにおいても聞こえるようになっていた。

イ 本件病院における夜勤時の看護態勢

(ア) 本件病院の看護婦の夜間勤務態勢は、午後4時から午前零時30分までを準夜勤、午前零時から午前9時までを深夜勤とし、看護婦は、比較的軽い症状の患者を担当するAチームと重症の患者を担当するBチームの2班に分かれ、夜勤時(準夜勤と深夜勤)の人数はA、Bチーム各1名の合計2名の看護婦で行っていた。なお、Bチームの看護婦がリーダーを務め、1人当たり概ね8名の患者を担当することになっていた。

(イ) 準夜勤と深夜勤が重複する午前零時から零時30分までの間に、カンファレンスルームにおいて、準夜勤看護婦から深夜勤看護婦に対し、約20分程度の申し送りが行われ、引継ぎを受けた看護婦は、担当する患者について、点滴が入っているか、酸素の量は足りているか、血圧その他のモニターが付いているか等を確認して回る作業(ラウンド)をすることになっていた。

ウ 本件手術後の看護経過と太郎の症状

(ア) 本件手術日(平成7年5月16日)の太郎の担当は、準夜勤看護婦は、Bチームの東田秋子(以下「東田看護婦」という。)であり、深夜勤看護婦は、Bチームの西山冬子(以下「西山看護婦」という。)であった。

太郎は、麻酔からの覚醒状態が良好であったため、ナースコールのブザーを渡され、異常を感じたり、要求があればブザーを押すように指導された。

(イ) 東田看護婦が担当していた間の主な看護経過と太郎の症状

東田看護婦は、次の経過のとおり、およそ30分に1回程度の割合で太郎の状態を診ており、あらかじめ被告乙川医師から、収縮期血圧が150mmHg以上上昇した場合には、降圧剤のペルジピンを静注するように指示されていたため、担当時間内に4回ペルジピンを処置し、また、痰を3回引いた。

この間のSPO2装置の値は、20時30分時の値は98、22時では99、24時では99と、いずれも正常値(100〜98)の範囲内であり、SPO2装置のアラームは一度も鳴らず、太郎からナースコールのブザーも鳴らなかった。

なお、術後経過は、以下のとおりである。

(経過)

19時45分 手術終了

55分 抜管「半覚醒で麻痺なし」

20時13分 手術室から退出。術後CTとX線を撮影。

30分 病棟NCU室に帰室

意識JCSで1(「覚醒している。刺激に対する反応は、大体清明だが、今ひとつはっきりしない。」)、GCSでE=3(呼びかけにより開眼する)、V=5(見当識あり)、M=6(命令に従う)と良好であった(なお、この意識状態は午前0時のバイタルチェック時までほとんど変わらなかった。)。

四肢麻痺なし

血圧170/90mmHg、脈拍105回/分、体温36℃血液ガスph7.405、炭酸ガス分圧39.4、酸素分圧122.4

ペルジピン(カルシウム拮抗剤:降圧剤)を静脈注射、バンスポリン(抗生物質、化膿止め)点滴ⅳ

21時00分 ガーゼ汚染あり、医師に上申。

自己? 少量あり

痰がらみあり。気道吸引。

15分 ペルジピンⅳ(静脈注射)

30分 左鼻閉感あり

45分 ペルジピンⅳ

22時00分 ペルジピンⅳ

30分 ガーゼ交換(ガーゼの汚染は浸出液を主体とした汚染。通常量の染みの出血有り)。気道吸引。

23時45分 気道吸引。

0時00分 包交処置。

レベル同様麻痺なし。

この後、東田看護婦は、西山看護婦に対し、カンファレンスルームにおいて申し送りを行った。

(ウ) 西山看護婦に交代した後、心停止に至るまでの主な看護経過と太郎の症状

a 西山看護婦は、東田看護婦から引継ぎを受けた後、ラウンドに行き、平成7年5月17日午前零時30分ころ、太郎の状態を診たところ、痰がらみがあり、吸引したところ、呼吸苦はなかったものの、自発呼吸はすっきりしなかった。(なお、このときの血圧は138/72mmHgで、脈拍は82であった。)

そこで、西山看護婦は、当直医の南川医師を呼び、午前零時40分ころ、ナザール(鼻から気道に挿入するチューブ:経鼻エアウェイチューブ)を入れてもらい、創部のガーゼが汚染していたため、ガーゼ交換を行った。

一方、東田看護婦は、申し送りをした後、しばらくカンファレンスルームで記録の残りを書くなどし、ナースステーションの方へ戻ろうとしたとき、NCU室から「ガーガー」というような呼吸音が聞こえたのでNCU室に入っていったところ、太郎の様子がおかしいことに気付いた。

東田看護婦は、手術終了後から太郎の経過を見ていただけに、呼吸音が変で、右側の頚部が一見して腫れていたのでおかしいと思い、西山看護婦にすぐに医師に連絡するように言った。西山看護婦が、直ちに電話で本件病院の5階にいた当直医の南川医師に連絡したところ、南川医師は、「さっき診たばかりで大丈夫だったので少し様子をみるように。」と指示した。しかし、東田看護婦は、太郎の創周辺が腫脹し、内出血も認められたため、太郎の様子が通常とは異なると判断し、西山看護婦に対し、再度、南川医師に電話するように伝えると同時に、本件病院の3階にあった医局に行き、医局にいた北谷医師を呼び、午前零時50分ころ、北谷医師を連れてNCU室に戻った。

東田看護婦が北谷医師と共にNCU室に戻った直後、太郎は、「努力様」の呼吸があったが、呼吸状態はまもなく著しく悪化し、太郎は、「苦しいー!」と叫び、その顔ががっと変わり、鬼の顔のようになった。

北谷医師は、直ちに気管内挿管に着手し、東田看護婦が南川医師にも「すぐ来て下さい。患者さん死んじゃいますよ。」と再度電話をかけたところ、南川医師も駆けつけて北谷医師の気管内挿管を手伝い、気管内挿管の開始から2ないし3分で挿管を終えたが、その間にも太郎の脈拍は落ちていき、挿管終了時には血圧は20ないし30mmHgまで落ちていた。

そして、人工呼吸器(CV)を装着し、酸素も供給したが、一向に改善せず、午前零時55分に脈拍0となり、その直後、太郎の急変を聞いて駆けつけた被告乙川医師が創部を切開したところ、新しい拳大半分位の大きさの血腫ができていたため、同医師は血腫を取り除いたが、既に脈がなかったため、出血点は確認できなかった。

その後、さらに1名の医師が加わり、4名の医師が、強心剤、昇圧剤を頻回に投与し、心マッサージも継続したが、心拍再開の兆候すら見られず、太郎は、17日午前3時10分、死亡を確認された。

b 上記の経過を西山看護婦が記載した看護記録部分の記載は次のとおりである。(但し、原本には括弧内の訳、単位の記載はない。)

0時30分 訪室すると痰がらみあり、吸引するもSP(spontanous respiration:自発呼吸)すっきりせず、R(呼吸)苦なし、BP(血圧)138/72(mmHg)、P(脈拍)82

40分 ナザール(経鼻エアーウェイチューブ)挿入(Dr.南川)Dr上申し、Drに施行してもらう

包交(ガーゼ交換)創部G(ガーゼ)汚染あり

創周辺腫脹、内出血あり

Dr南川より少し様子をみるようにと

50分 Dr北谷上申 上記上申し、Dr訪室す経口挿管 訪室すると努力様R(呼吸)あり。だんだんR(呼吸)状態悪化す。

アンビュー(用手呼吸器)使用。″苦しーい″と言う。

Dr南川訪室す。

CV(人工呼吸器)装着、M―T(胃チューブ)挿入、創周辺の腫脹増強あり。

アンビュー使用。だんだんとチアノーゼ出現す。

DOA(ドパミン昇圧剤)20/h、BP(血圧)68(mmHg)、HR(脈拍)50台、意識(−)

55分 ボスミン1Aⅳ HR(脈拍)0

(5) 医師の見解、鑑定の結果等

ア 術後出血の原因等(鑑定の結果)

術後出血の原因に関しては、①縫合部血管壁の破綻、②縫合糸の緩みによる血管壁の離開、③縫合糸そのものの切断などが考えられ、これ以外の要因はほとんど考えられない(鑑定補充書・3頁)。

術後創部出血は決してまれな事象ではなく、1つの術後合併症として捉えられるべきものである。現在まで術後出血を報告した国内論文は比較的少ないが、個人的に何人かの内膜剥離術専門家に聞くと、決してまれな事象ではなく、誰しも一度は経験しているとの意見であった。頚動脈内膜剥離術後の出血は起こってはならないものではあるが、完全にこれを防止することは不可能で、数パーセントの率で起こり得るものである。鑑定人も過去180例の内膜剥離術において3例の術後出血を経験している(鑑定書・7頁)。

術後出血は急激に起こることがほとんどで、拳大半分の大きさの腫脹ができるまでの時間は10分以内と考えられる(鑑定書・11頁)。

イ 血管縫合の手技について(鑑定の結果)

(ア) 剥離術を行った後、残った動脈壁が非常に薄くなった場合、血管壁そのものが脆弱となり、縫合糸をかけた部分で動脈が亀裂を生じて破綻し、再出血する可能性があり、これを防ぐには、余り深い層で内膜剥離を行わず、残る血管壁がある程度の厚さを持つように剥離操作をすることが要求されるところ、手術ビデオ(乙4)を詳細に検討しても、内膜剥離術の深さは適正なもので、剥離が深部に及び、残った壁が極端に薄いという状況は認められない。

(イ) 縫合糸の締め上げも十分であり、血管縫合部で緩んでいる所見は認められない。

(ウ) 縫合糸の扱い、縫合の技術、結紮の仕方などいずれにも問題点は指摘できず、縫合糸の切断による術後出血の可能性は低い。

(エ) ダクロンパッチを用いているのは、直線縫合すると動脈狭窄が起こると判断されたためであり、その選択は妥当である。

2  上記1に認定した各事実を基に各争点について判断する。

(1) 争点1の(1)(頚動脈内膜剥離術の手技に関する注意義務違反の有無)について

ア 原告らは頚動脈内膜剥離術における手技について被告乙川医師らに注意義務違反が認められる旨主張するため、まず、注意義務違反の有無の判断基準について検討する。

そもそも医師は、人の生命及び健康を管理する医療行為に携わる者であるから、その業務の性質に照らし、生命や健康を害する危険を防止するために必要な最善の注意義務を履行することが要求されるが(最高裁昭和31年(オ)第1065号同36年2月16日第一小法廷判決・民集15巻2号244頁参照)、上記注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるというべきである(最高裁昭和54年(オ)第1386号同57年3月30日第三小法廷判決・裁判集民事135号563頁参照)。

イ(ア) 頚動脈内膜剥離術は、血管を切開し、これをまた縫合するという施術であり、完全な縫合を行うことが手術の大前提となることは当然というべきである。上記縫合に極めて高度の技術を要することは、その手術内容からみて明らかであるが、手術を担当した医師は、術後の血管縫合部からの出血を防ぐべく、血管縫合について最善の注意を払うべき注意義務があるというべきである。そして、本件における術後出血の原因としては、前述のとおり、①縫合部血管壁の破綻、②縫合糸の緩みによる血管壁の離開、③縫合糸そのものの切断が考えられ、これ以外に考えられる要因はほとんどないとされている(鑑定補充書・3頁)のであるから、以上の3点に関し、本件手術当時、臨床医学的な医療水準を基準とし、同水準で求められる手技をもって血管縫合が行われていれば、当該医師の手術における具体的な注意義務は尽くされているものとみるべきである。

(イ) そこで、以下検討すると、まず、上記①の縫合部血管壁の破綻については、前述のとおり、本件においては、鑑定人が手術ビデオ(乙4)を詳細に検討した結果において、内膜剥離術の深さは適正なもので、剥離が深部にまで及び、残った血管壁が極端に薄いという状況は認められなかった(鑑定書・3〜4頁)というのであるから、丁谷医師の剥離操作について、血管壁の破綻を生じさせるような不適切な措置は認められなかったものというべきである。

この点につき、原告らは、本件では動脈硬化が相当進行した状態であり、外膜しか残っていなかったのであるから、補強措置を講ずるべきであった旨主張する。

しかし、丁谷医師は、「血管を補強するとした場合、外膜が弱くて広がり過ぎる場合に、それ以上血管が広がらないように、血管の外膜の外から、ダクロン(一種の合成の布)を全周性に巻くという方法を取ったことがあるが、これまで2例くらいしかやったことがない。」(同調書・13丁)、「外膜の強弱は、血流を再開したときに、外膜が弱ければ血管が膨れ上がったり、あるいはこぶのように突き出してくるので、……そのような場合には、全周性にダクロンを巻いて補強した。」(同20〜21丁)などと証言しており、これまでの110例以上の経験の中で、外膜が弱いと判断すれば、ダクロンを全周性に巻く方法を採ることもあったというのであり、それにもかかわらず、丁谷医師は、本件においてはその必要はないと考え、血管の再狭窄を防ぐ目的でダクロンパッチを使って縫合する方法を選択したものと認められ、鑑定人においても、この方法選択について問題はないと指摘しているのであって(鑑定書・2頁)、その他に、本件手術当時の医療機関においてなされる手技として、丁谷医師の手技に問題があったものと認めるに足りるだけの証拠は認められない。

(ウ)  また、縫合の仕方についても、鑑定人が手術ビデオを検討した限り、特に問題はなく、縫合糸での締め上げも十分で血管縫合部に緩んでいる所見もなく、縫合糸の扱い、縫合の技術、結紮の仕方などいずれにも問題点は指摘できなかったというのであるから、この点についても丁谷医師の手術手技に問題があったとは認められず、その他にこれに反する証拠は存しない。

(エ) なお、原告らは、「初期の手術不慣れの頃、頚部創からの出血で皮下血腫を形成した。(甲7・181頁)」との記述や、丁谷医師が、「頚動脈内膜剥離術を行った初期の段階で術後出血があった。」、「手術の初期のころ以降はなぜ再出血がないのかという質問に対し)……やっぱり縫合の技術の向上と、要するに手術が終わったときに確実に、縫合部に接着性のあるものを巻くようにしているためだと思う。……手法だと思います。より縫うようになったとかそういうたぐいの話です。」(同証人調書・7丁)などと証言していることから、創部からの出血防止は、前提的かつ基本的手技であると主張し、術後に血管縫合部からの出血という結果が生じた以上、血管縫合部が不十分であったことが推認され、手術手技に過失があったものと推定されるべきであると主張する。

しかし、前記のとおり、術後出血は、ある程度術数を経験した医師においても一定程度の割合で起きるもので、頚動脈内膜剥離術においては避けられない合併症として認識されているものであって、術後出血があったからといって、直ちに手術手技自体の不適切さから上記①ないし③の事象が生じたものと推認するのは相当でないというべきである。むしろ、本件の場合には、上記のとおり、手術手技自体の問題点は指摘できない上、血管の切開、縫合を行った丁谷医師は、国内では比較的事例の少ない頚動脈内膜剥離術の手術を110例以上経験している医師であるところ、同人の尋問において、本件のように術後数時間も経ってから出血した例は本件以外には経験しておらず、また、本件手術もこれまでの手術と同様の方法で施術したものである旨述べていることなどを総合して判断すると、本件の術後出血は、手技としては臨床医学上求められる注意義務を尽くしたものであったが、数パーセントの確率で不可避的に起きた合併症であったと認定するのが相当である。

よって、上記原告らの主張は採用できない。

(2) 争点1の(2)(本件手術後の経過観察義務違反の有無)に対する判断

ア 前記認定のとおり、頚動脈内膜剥離術においては、脳梗塞や心筋梗塞に加え、術後出血は不可避的な合併症であり、出血があれば気道を圧迫するような血腫ができるというのであれば、術後の経過についても、出血が起きていないかどうか、その他異常な症状を呈していないかどうかについて、担当医師や看護婦らは、患者の状態を頻回に経過観察することは術後管理として当然に課せられた義務というべきである。

イ そこで、本件についてみると、前記認定のとおり、太郎には、その状態を逐次観察するための装置(SPO2)が装着されていたこと、看護婦の巡回も頻回に行われていたこと(東田看護婦によれば、太郎は少なくとも30分に1度程度はその状態を観察され、医師の指示どおりに血圧管理等も適切に行われていたと認められる。)、東田看護婦から申し送りを受けた後の西山看護婦も、通常どおり、直ちにラウンドに行き、吸引等を試みても自発呼吸がすっきりしないとして、南川医師を呼び、同医師の判断でナザール・チューブを挿入されたことなどの一連の経過に鑑みれば、頻回に経過観察する義務を怠っていたものとは認められない。

この点、鑑定の結果によれば、太郎の状態は、午前零時30分頃を境にその呼吸状態が悪化し始めており、痰のからみを吸引しても解消していないことから、このころ急激に創部出血が起こり、気道を圧迫し始めたものと推認される(鑑定補充書・6頁)が、痰が絡まって完全に吸引できない状況は脳神経外科の術後には日常的に見られる状況であることから、担当医らが、この時点で術部からの出血が始まったと判断すべきであったとするのは極めて困難であるとしている(同・7頁)ことに照らすと、当時の太郎の状態から、軽度の呼吸障害であると判断し、ナザール・チューブを鼻孔から挿入するという措置を取ったという南川医師のこの時点での選択が、誤りであったと指摘することはできない。

ウ また、前記認定のとおり、東田看護婦は、太郎が「ガーガー」という異常な呼吸音をしていることに気付き、西山看護婦を通じて直ちに南川医師に連絡し、同医師から「様子を見るように」と言われたものの、太郎の創部周辺が膨張していることなどから通常の様子とは異なると判断し、北谷医師を直ちに呼びに行き、北谷医師において、直ちに気管内挿管の処置を施し、午前0時50分過ぎには挿管が完了し、さらに様態急変の連絡を受けた駆けつけた被告乙川医師において創部を切開し、血腫を取り除いた上、心拍停止した太郎に対し、被告乙川医師を含む医師4名が蘇生措置に携わり、強心剤や昇圧剤、心マッサージを繰り返したことが認められるところ、鑑定の結果によれば、午前零時40分段階において気道の圧迫が始まり、この時点で軽度の呼吸障害が始まったことがうかがわれ、午前零時50分過ぎに気管内挿管を終えていることからすると、高度の呼吸困難は午前零時40分過ぎから午前零時50分過ぎの約10分間程度であり、完全な呼吸停止は2ないし3分間程度であったと推定され、呼吸障害が起こり始めてから20分程度、強い呼吸障害に至ってから10分以内に気管内挿管、人工呼吸が行われたものといえるから、この間の対応は素早く、妥当なものであったと評していることが認められるのであって、これを覆すに足りる他の証拠は認められないから、被告らにおいてなされた術後出血の発覚した後の措置についても過誤は指摘できない。

なお、上記のうち、南川医師が、「様子を見るように」と指示したことは、前記認定のとおり、東田看護婦の機転により、その後北谷医師により直ちに気管内挿管が施されていることからすれば、上記の南川医師の対応が直ちに本件術後管理において注意義務に違反するものであったとまでは認められない。

エ(ア) これに対し、原告らは、短時間で拳半分大の大きさの血腫ができることが予測できるのであれば、それによって気道を圧迫して換気障害を起こし、死に至る危険性があること、さらに、糖尿病の既往症を持つ患者であれば、低酸素状態に耐えられず、死に至る危険性があることを予測すべきであるから、被告らが標榜する常時観察態勢を徹底させるには看護婦による常時監視態勢を施すべきであったなどとも主張しているが、前述のとおり、患者の状態については、常時観察できる装置が装着されており、これには患者の異状を知らせるアラームが付いていたのであるから、看護婦が常時患者の付添をして観察しなければならないとまではいえないというべきである。

(イ) また、原告らは、西山看護婦が記載した看護記録(乙1の1・00061)は信憑性がなく、甲6のテープ反訳書における被告乙川医師の説明内容や原告夏子本人の供述によれば、むしろ、午前零時ころにアクシデントが起きていたのにこれを放置していた旨も主張する。

しかし、本件のように急変があった場合は、看護婦は、救急カートに置いてあるメモ用紙に何があったかを時間の経過と共に書いておき、後で看護記録に書き写すことになっているところ(東田証人9丁)、西山看護婦が記載した部分の看護記録(乙1の1・00061)は、当該箇所の前に順々に複数の看護婦が記載してあり、誤字の訂正も記載者各自で行われており、急変直後に看護記録に書き写したものと推認されること、その記載内容も、前記認定のとおり、具体的、詳細に記載され、かつ、東田証人の証言とほぼ一致していること、鑑定人が看護記録の記載を基に判断したのは、看護婦は、コメディカル(co-medeical)であり、常日頃から時間経過を正確に記載する訓練を重ねていることから作為が働く余地は少ないことなどを考慮したものであることなどを総合すると、西山看護婦が記載した部分の看護記録は極めて信用性が高いものというべきであって、原告らの主張は採用できない。

なお、原告らが指摘するように、甲6(手術翌日の説明会の際に取られたテープ反訳書)において、被告乙川医師は、「午前零時過ぎ」にアクシデントが起きた旨を話している部分も認められるが(同・13頁)、「要するに12時半ごろのトラブルから……(同・15頁)」、とか、「……だから12時半ころですから、まぁ、4時間半くらいですかね。」(同・19頁)と説明している箇所も認められることからすると、被告乙川医師は、当時緊急状態であったことから時間についての正確な記憶をしておらず、記憶があいまいなまま話をしているものと認められるのであって、被告乙川医師の話した内容は上記看護記録の時間の正確性や信用性を左右するものとまではいえないというべきである。

オ かえって、鑑定の結果によれば、10分以内の窒息状態であれば、蘇生措置により一度は循環状態(血圧は脈拍)が戻るのが通常であるところ、本件では、前記のとおり、完全な呼吸停止は2ないし3分間、高度の換気障害も含めて10分以内であったと推定されるにもかかわらず、気管内挿管後、人工呼吸や心臓マッサージ、強心剤注射などの蘇生措置が採られたにもかかわらず、太郎の血圧や脈拍は全く改善せず、徐々に低下して心停止に至っていること、仮に、呼吸困難であることの発見が遅れたと仮定した場合、その間の低酸素状態が心臓に何らかの悪影響を与え、その後の蘇生措置に悪影響を与えたことは推定されるとはいえ、このような場合であっても、気管内挿管、心臓マッサージなどの蘇生措置を行えば、低酸素状態のため脳機能障害が残ることはあっても心機能は回復することが多いことからすると、呼吸困難に陥った後、直ちに挿管し、血腫除去等の処置を行ったにもかかわらず、心臓が停止し、心肺蘇生措置に全く反応しなかったことは奇異であり(鑑定書・5頁、鑑定補充書・6頁など)、また、糖尿病は潜在的に心臓や脳血管の動脈硬化を進行させる(同)から、頚動脈に粥状硬化病変がみられた場合、頚動脈と同様に冠状動脈に粥状硬化病変があり、潜在的に心筋虚血が存することを予測すべきである(鑑定補充書・2頁)としても、上記の経過は予測し難く、太郎については、術後出血により気道が圧迫されたことのみならず、冠状動脈の動脈硬化が相当強く、低時間の低酸素状態に耐えられず、心筋梗塞を併発した可能性が高かったものと推認させるとしているのである。

したがって、本件術後管理において、太郎は、一時的には窒息の状態に置かれたものの、直ちに気管内挿管を施され、血腫除去をされたが、手術前に予期し難い心筋梗塞等を併発したことにより死亡に至ったというべきであるから、いずれにせよ、被告乙川医師らに注意義務違反があったとは認められない。

(3) 争点1(3)(説明義務違反の有無)に対する判断

ア 一般に治療行為にあたる医師は、緊急を要し、時間的余裕がない等の特別の事情がない限り、患者において当該治療行為を受けるかどうかを判断、決定する前提として、患者の現症状とその原因、当該治療行為を採用する理由、治療行為の内容、それによる危険性の程度、それを行った場合の改善の見込み、程度、当該治療行為をしない場合の予後等についてできるだけ具体的に説明すべき義務がある。

そして、患者が、当該治療行為を受けるかどうかを正確に理解した上で治療行為を受けるかどうかの決定をするためには、担当医師は、患者に対し、当該治療行為における一般的な説明をするだけでなく、個々の患者の状態、素因、既往症などの個別の事情に十分配慮しながら、判断、決定に必要な具体的な情報を提供する義務を負っているものというべきである。

本件についてみると、被告乙川医師は、前記認定のとおり、心筋梗塞、術後出血の可能性等を含め、本件手術の内容や手術を施行した後の合併症を具体的に説明したものと認められるのであって、上記の説明義務違反は認められない。

イ これに対し、原告らは、術後出血があった場合、死亡に至る可能性があることや、心筋梗塞等の説明は受けていない旨主張し、原告夏子本人の供述によれば、要旨、「再出血した場合、それをすぐに取り除かなければ気道を圧迫するかもしれないという話は事前に聞いていない。」(同人調書・7丁)、「心臓のトラブルについての説明は受けていない。」(同・6丁)などと、原告らの主張に沿う供述をする。

しかし、同日に作成された手術依頼書(乙1の1・00013)の裏面の記載によれば、被告乙川医師は、術後出血、心筋梗塞等のトラブル等を含めて具体的に説明をしたことが認められ、その最後には、「上記の合併症につき患者さん、ご家族に説明し、十分納得を頂き、手術の運びとなった。」と記載されていることからすると、これに反する原告夏子本人の供述は容易に措信し難く、原告らの主張は採用できない。

第6  結論

上記に検討したところによれば、原告らの請求は争点2、3について判断するまでもなく理由がない。

よって、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担は、民訴法61条本文により、原告らの負担とし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・三木勇次、裁判官・岡山忠広、裁判官・松岡千帆)

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