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静岡地方裁判所沼津支部 昭和43年(ワ)157号 判決 1969年7月30日

原告

勝間田信雄

被告

勝俣新吾

ほか一名

主文

被告両名は各自原告に対し金八一万七一五七円とこれに対する昭和四三年五月一七日以降完済に至る迄年五分の金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は二分し一を原告の、その余は被告等の負担とする。

この判決は原告において被告両名に対し金二〇万円の担保を供するときは第一項に限り仮に執行することが出来る。

事実

原告訴訟代理人は「被告等は各自原告に対し金二二三万四三一四円と内金一六三万四三一四円につき昭和四三年五月一七日から、内金六〇万円につき昭和四四年七月八日から各完済に至る迄年五分の金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求める旨申し立て、その請求の原因として「原告は御殿場タクシー株式会社に運転手として勤務していたものであるが、昭和四〇年三月二日午前九時五〇分頃、御殿場市御殿場七番地付近国道上を沼津方面から東京方面へ乗用車で進行中、先行車の停止に伴い自らも停止したところ、後方から続いてきた被告新吾の運転する乗用車に追突され、頸椎鞭打症の傷害を負つた。右追突は被告新吾が不注意にも前方に対する注視義務を怠つたことに原因があるから同被告の過失によるものであり、同被告運転の自動車は被告豊の保有するものであるから被告新吾は民法第七〇九条により、被告豊は自動車損害賠償保障法第三条により原告が右事故により蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

原告は事故のあつた日から二日間御殿場中央病院に通院して治療を受け、四日から一二日迄入院し、一五日から六月二二日迄北駿外科医院に通院して治療を受けたところ、軽快したので六月頃から再びタクシー運転手として勤務し、二年余りの間時折肩はり、首筋痛、後頭部痛等の鞭打症特有の症状に悩まされながらも鍼医の治療を受けるなどして業務に従事してきた。

ところが昭和四二年九月初旬、再び左手指のしびれ、首筋、頭部などの痛みが激しくなり、到底タクシーの運転は続けられなくなつたので同月六日から再び御殿場中央病院に通院して治療を受けたところ、頸椎鞭打症後遺症と診断され、その症状としては、第二乃至第七頸椎棘突起に叩痛、圧痛あり、頸部後屈時項部から背部にかけて疼痛を感じ、左第三乃至第五指、右第一、第五指に知覚障害を見、頸椎レントゲン写真では前屈時第五頸椎の前方辷り出しを見、労働者災害補償保険法障害等級第一二級(局所に頑固な神経症状を残すもの)に該当するというものであつた。

原告はタクシー運転手として昭和四二年度において五四万八〇七〇円の収入を得たが働いたのは同年一月から八月の終り迄で、九月は前述のように数日間しか働けず、以後は全く働いていないから右収入は八ケ月強の期間におけるものであり、七月の収入が二六日間働いて五万九七二五円、八月の収入が二六日間働いて六万九七五四円、九月の収入か一万一一八六円であつたことを勘案すると、原告は少なくとも月平均六万円を下らない収入を得ていたということが出来る。そして原告は昭和四四年二月迄前述の鞭打症後遺症のため運転手として働くことが出来なかつたので昭和四二年九月から起算して昭和四四年二月迄一八月分計一〇六万八八一四円(九月分の収入一万一一八六円を控除)の収入を失つて同額の損害を受け、昭和四三年三月一九日から現在迄鍼師岩田博吉に一二回治療を受けて一万二〇〇〇円を支払い、頸椎用カラー型装具代として三五〇〇円を支出した他、本訴提起のため弁護士を委任して着手金として一五万円の支払いを約したから財産上の損害は計一二三万四三一四円に達するところ、原告は本件事故による傷害のため右のように一八ケ月間働くことが出来ず、通院加療を続け、しかも完治の見込みがなく、前述の障害等級第一二級に相当する後遺症が残存しているので慰藉料として一〇〇万円を必要とする。

よつて被告両名に対し右合計金二二三万四三一四円と内金一六三万四三一四円に対する訴状送達の翌日である昭和四三年五月一七日以降、内金六〇万円に対する訴変更申請書送達の翌日である昭和四四年七月八日以降各完済に至る迄民法所定年五分の損害金の支払いを求める。」とのべ、示談成立の抗弁事実並びに原告が昭和四〇年五月から昭和四二年七月の間被告主張のように何回か接触その他の事故にあつたことを認め、原告が一切異議の申立てをしないことを約したことを否認し、右抗弁事実並びに因果関係不存在との被告主張事実について「原告の症状は昭和四〇年三月当時における北駿外科医院の診断では加療三、四週間とのことであり、実際にも事故後暫く続いた両上肢のしびれ感も治療により次第に軽減し、五、六月頃には運転手の勤務に復帰出来、六月末には略々治療も終了していた。

従つて原告は傷害は治癒したものとして少額の賠償金で示談に応じたものであり、当時において当事者双方共今日の如き症状悪化後遺症の発生は全く予想していなかつたのであるから、右のような経緯で結ばれた示談契約において被害者が将来一切の異議を申し立てないと約した事実があつたとしても、これを以ていかに予想外の異常な事態が生じようと何等の請求も出来ない趣旨に解するのは合理的でなく、かかる示談で被害者の放棄した請求権は和解当時予想していた損害に関してのみであると解すべきである(昭和四三年三月一五日最高裁判所判例参照)。

又被告主張の事故は極めて軽微な物損事故であり、原告はそれらの事故により肉体的苦痛を感じたことはなく、昭和四二年六月三日の事故を除いて医師の診察を仰いだことはないのであるから、それらの事故が本件の如き悪性の症状を惹起する原因とは到底なり得ない。

右昭和四二年六月三日の事故は左側車輪が側溝に落ちた車を持ち上げるべく原告が満身の力をこめた拍子に胸部を痛めたものであり、一週間後医師から左第八肋骨境界骨折と診断され、約二週間通院加療を受けたのであるが、右医師の診断からも当時における原告の鞭打症が新鮮なものではなく、本件事故により発生した鞭打症に由来するものであることが明らかである。

要するに昭和四〇年三月の本件事故による鞭打症は同年五月頃には勤務に差支えない程度に治癒したものの、その後も原告の頸、頭、肩甲に軽度の痛み、疲労、重圧感等を残し、それらは時により多少の消長を示しつつ持続していたところ、昭和四二年九月頃から再び勤務不能な程激化して現在の症状となつたものである。」とのべ、再抗弁として「仮に原告の本件請求が被告主張の示談により妨げられるものとすれば、右示談は錯誤により無効である。

即ち右示談は原告の傷害が三、四ケ月の治療で既に治癒した軽微なものであることを前提にし、その点につき何等の争いもなく締結されたものであるところ、原告の傷害は著しく且つ重大なものであつたから、原告又はその代理人である岩田五男の意思表示にはその重要な部分に錯誤があつたということが出来、しかもその錯誤は右のように争いのない前提事実に関するものであるから民法第六九六条の規定は適用されない。」とのべた。〔証拠関係略〕

被告等訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、

答弁として「原告が御殿場タクシー株式会社に運転者として勤務していたこと、本件事故の態容、被告豊が被告新吾運転の車の保有者であること、原告が昭和四〇年五月頃迄入院又は通院加療を受け、症状が軽快して二年余り通常の勤務を続けてきたことは認めるが右事故が被告新吾の前方注視義務違反により生じたものであること、原告が昭和四〇年六月においてもなお通院加療をしていたこと、原告が弁護士に着手金として一五万円の支払いを約したこと、原告が一〇〇万円の慰藉料を必要とする事情にあることはいずれも否認する。その余の事実は不知。」とのべ、抗弁として「原告と被告新吾の間においては昭和四〇年八月二〇日示談が成立し、被告新吾は車輛の修理費全額を負担し、原告に対し治療費、入院費、通院費、休業補償費、見舞金を支払うことを約した。当時原告が同被告に請求した損害賠償額は車の修理費四万九四〇〇円、部品代一万八一八六円、休業補償費六万二六五六円(一日平均一一六〇円三一銭の五四日分)、入院費治療費二万四〇三〇円、通院費雑費を含めた見舞金四万円、計一九万四二七二円であり、原告は同被告に対し右金員以外には将来如何なる事由があつても一切異議の申立てをしないことを確約し、更に同被告を通じて被告豊に対し右金員以外何等の請求をしない旨を約したのである。

被告新吾は右金員のうち既に一五万円を支払つたから被告両名は残額四万四二七二円の支払義務があるにすぎないところ、原告の請求はその残額請求とは別個のものであるから全部棄却を免れない。

次に原告の主張する後遺症なるものは本件事故に基づくものではない。原告の傷害は昭和四〇年五月初旬には殆ど治癒し、原告は五月には二三日間出勤して平常の勤務に服していたのである。

ところが原告は同月二九日沼津市内でタクシー運転中、貨物自動車に追突され、同年八月一八日にも追突され、昭和四二年七月一日迄追突されたことが二回、追突したことが一回、接触事故が三回、その他の事故が一回ある。従つて原告の主張する症状は本件事故によるものではなく、その後の事故によつて生じたものと考えられるから両者の間に因果関係は存在しない。仮に因果関係が存在するとしても本件事故による傷害は殆ど全快したのであり、その後における数回の追突、接触事故により再発したものであるからそれによる損害全部を被告の責任に帰することは出来ないのであり、原告の請求は減額されるべきである。」とのべた。

〔証拠関係略〕

理由

原告が御殿場タクシー株式会社に運転手として勤務していた者であるところ、昭和四〇年三月二日午前九時五〇分頃、御殿場市御殿場七番地付近国道上を沼津方面から東京方面へ乗用車で進行中先行車の停止に伴い、自らも停止した際、後方から続いてきた被告新吾運転の乗用車に追突され、頸椎鞭打症の傷害を負つたこと右乗用車の保有者は被告豊であることは当事者間に争いがなく、右事故の態容と弁論の全趣旨から見れば、右追突は被告新吾が自動車運転者として前方に対する注視義務を不注意にも怠つたことに原因があるものと認められ、同被告が右義務を守れば追突を避けることが出来たものと考えられるから、本件事故は同被告の過失に基づくものというべきである。

従つて同被告は民法第七〇九条により、被告豊は自動車損害賠償保障法第三条により原告の受けた損害を賠償すべき義務があるところ、本件事故につき原告と被告新吾の間に昭和四〇年八月二〇日被告主張のような内容の示談が成立したことは当事者間に争いがない。そこで先ず果して本件請求に右示談の効力が及ぶかどうか、その前提として原告主張の症状と本件事故との間に因果関係が認められるかどうかにつき判断する。

〔証拠略〕によると原告は本件事故の翌々日である昭和四〇年三月四日御殿場中央病院に入院し、当初は頭痛、両上肢のしびれ感を訴え、頸椎に圧痛、叩打痛が著明で運動不能等の症状を呈していたが、頭部牽引、注射、投薬により次第に知覚障害は消失し、頸部後屈時項部痛の残存した状態で同月一三日退院し、一五日から北駿整形外科に通院して治療を受けるうち、四月末頃には手のしびれや頭痛もとれ、肩の張り、首の重苦しさが残る程度となつたので医師の許しを得て五月から運転手としての勤務につき、通院も一応六月二四日を最後にやめ、その後勤務先の会社から示談をすすめられるに及んで未だ全治の状態にはなかつたが時がたてば治るものと信じ、前述のとおり示談に応じたのであるが、その後も受傷時の障害はその症状に消長を示しつつも完全に消失するには至らず、昭和四二年八月末頃に至るや肩、首筋がひどく張り始め、目も疲れ、勤務に苦痛を感ずる程となつたので原告は同年九月六日再び御殿場中央病院の診察を受けたところ、病名は頸椎鞭打症後遺症であり、症状として第二から第七頸椎棘突起部に叩打痛、圧痛が、頸部後屈時項部から背部にかけて疼痛があり、左第三乃至第五指と右第一、第五指に知覚障害を見ると診断され、このため原告はタクシー運転手としての勤務が困難となつたので昭和四二年九月に八日間勤務に就いた外は昭和四四年二月末迄勤務を休み、同年三月従前の勤務先である御殿場タクシー株式会社をやめ光タクシー株式会社に配車係りとして勤務するに至つたことが認められる。

この認定を覆すに足りる証拠はない。

一方〔証拠略〕によれば、原告は本件事故後前記のような症状が発生する昭和四二年八月末迄の間、追突されたことが三度(内一回はバンバーに当たつた程度。)、追突したこと一度、前方からの後退車と衝突したことが一度あり、更に昭和四二年六月三日左前車輪を約九〇センチの深さの溝に落ちこませ、三週間の加療を要する左第八肋骨肋軟骨境界骨折の傷害を受けたことが認められ、右事実と事故後二年以上経過した後に症状が現われていることから考えると、それが本件事故に起因するものと見るべきかについて疑問の余地なしとしない。然し〔証拠略〕によると、本件事故のとき衝撃で原告の車は扉が開かなくなり、原告も一時失神したことが認められるところ、前顕各証拠によると先にあげた事故ではいずれもそのようなことはなく、又右各証拠を対比すれば車の破損状況も本件事故が最もひどかつたと認められるから、本件事故は原告の受けた追突事故の内最も程度が大きいものであつたということが出来る。〔証拠略〕のうち右認定に反する部分は措信しない。そして原告を診察した医師である証人植木繁男、渡辺耀の各証言によると、事故の時から二年以上経過した後、しかも中間に先にあげたような追突事故を受けていた場合でも、当初の鞭打症が再発して先にのべた症状となつて現われることは医学的に決して有り得ないことではないのであるから、これらの事実から考えると昭和四二年八月末における原告の症状は本件事故による当初の鞭打症が再発したものと認めるべきである。

なお〔証拠略〕によると、原告は昭和三八年六月二九日、車が三メートル程突きとばされる追突事故を受けたことが認められるが、この事故により原告が医師の治療を受けた形跡はなく、〔証拠略〕に照らしても右事故は原告の本件症状と関係はないものと認むべきである。ところで先に認定したところによれば、原告は本件事故による当初の症状が時と共に軽快するものと信じて被告新吾との示談に応じたのであり、〔証拠略〕によると被告側も再発の恐れはないとの医師の見解を子め徴した上示談に臨んだことが認められ、更に成立に争いのない乙第八号証の診断書に受傷時の症状として向後三、四週間の療養を要する旨記載されていること並びに〔証拠略〕からすれば、この種傷害について将来に亘る的確な判断を下すことは専門家の医師と雖も困難なことであつたことが窺われるから、示談当時当事者双方において二年後に症状が再発することは全く予想していなかつたものと認められる。しかも当事者間に争いのない示談金額は、自動車の修理代、部品代に当てられた部分を除けば、一二万六六八六円という少額に過ぎなかつたのであるから、これらの事実から考えると、原被告間の示談は本件事故による原告の傷害が一応全治したことを前提にその損害を補填する趣旨であり、その成立に際し将来症状が再発する可能性は全く考慮に容れられていなかつたと認むべきである。されば通常の事態においては、示談金以外の損害賠償請求権は被害者において放棄したものと解するのが適切であるが、前認定のような事実関係の下においては示談成立後生じた新たな事由による損害については先の示談による請求権放棄の効果は及ばないものと解するのが相当である。

従つて被告の抗弁は理由がない。

進んで原告の損害額につき考察する。

〔証拠略〕によれば、原告は昭和四二年七月は五万九七二五円、八月は六万九七五四円の収入をあげ、昭和四二年度の総収入は一二月分の賞与五万五〇〇〇円を含めて年間五四万八〇七〇円に上つており、勤務成績も極めて良好であつたことが認められる。そして前認定によると同年九月は八日間働いた丈で以後全く勤務についていないから、右年収五四万八〇七〇円の金額から賞与五万五〇〇〇円と〔証拠略〕によつて認められる同年九月分の収入一万一一八六円を控除した残額四八万一八八四円が原告の八ケ月分の収入ということが出来る。従つて原告は少なくとも月平均六万円の収入はあつたと認められるところ、本件事故による鞭打症が再発したため、原告は昭和四二年九月に八日間勤務した外は昭和四四年二月末迄全く勤務につけなかつたことは前認定のとおりであるから、原告は昭和四二年九月から昭和四四年二月迄の一八月の間一〇六万八八一四円の得べかりし利益を失い(六万円に一八を乗じた額から九月分の収入一万一一八六円を控除した金額。)同額の損害を蒙つたものということが出来る。

〔証拠略〕によると原告は昭和四三年三月一九日から鍼師岩田博吉のもとに通つて一二回治療を受け、治療代一万二〇〇〇円を支払い、頸椎用カラー型装具代として三五〇〇円を支出した他、本訴提起のため弁護士を委任して着手金一五万円の報酬契約を結んだことが認められるから原告の財産上の損害は合計一二三万四三一四円に達することが明らかでおり、本件事故の状況、傷害の程度を勘案するとき、原告の慰藉料は四〇万円を以て相当と認める。併しながら、原告が本件事故後において、程度は本件よりも小さかつたにせよ、二度に亘り追突事故を受けていることは前認定のとおりであり、〔証拠略〕に徴するとき、右追突事故が原告の鞭打症再発について或程度の要因を与えていることは否定出来ないから、同一の機会に生じた事故について数人の過失が競合した場合のように、それによる損害のすべてを被告に帰せしめることは妥当でなく、些か厳密性を欠く嫌いはあるものの、〔証拠略〕から見て原告の請求はその二分の一を減ずるのが信義衡平の要求に適うものというべきである(最高裁判所昭和四三年四月二三日、二二巻四号九六四頁の判例は必ずしも本件に適切ではない。)。

よつて被告両名は各自原告に対し右合計一六三万四三一四円の二分の一である金八一万七一五七円とこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四三年五月一七日以降完済に至る迄民法所定年五分の損害金を支払うべき義務があるから、原告の請求は右限度において正当として認容すべきもその余は失当として棄却すべきものとし、民事訴訟法第八九条第九二条第一項第九三条第一項第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 福間佐昭)

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