静岡地方裁判所沼津支部 昭和48年(ワ)339号 判決 1977年6月27日
原告
福井藤次郎
被告
若林彰
主文
被告は原告に対し金八五万円およびこれに対する昭和四八年一一月四日より完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一ずつを原被告の各負担とする。
この判決は第一項に限り、かりに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金二〇〇万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一 被告は昭和四八年二月一七日午後一〇時八分ごろ、普通乗用自動車(静岡五五の一六一七号)(以下加害車という)を運転し、原告の息子である訴外亡福井俊将を助手席に同乗させて南方沼津市高島町から北方同市金岡に通ずる幅員約一六メートル四車線の通称リコー通りを南方から北方に向け進行し、同市西熊堂八四〇番地先の交差点にさしかかつた際、その中央附近において訴外伊藤義信運転の普通貨物自動車(静岡一一ろ七三八号)(以下伊藤車という)の右側面中央部に激突し、亡俊将はそのため頭蓋底骨折の重傷を負い、同日午後一一時一〇分ごろ、同市大手町一二六番地田沢病院において、右傷害により死亡した。
二 右事故は、被告の過失によるものである。
即ち、右交差点は被告の進行方向のリコー通りには信号機の設置があるが、これと交差する道路には信号機の設置のない、いわゆる交通整理の行われていない交差点であるから、たとい、被告の進行するリコー通りの信号機の表示が青であつても、左右の道路からリコー通りに進出する車両のあることは当然予想しうべく、かつ、事故当夜は雨で、前方の視界は良好でなく、制動距離も長いことが明らかであつたから、高速疾走は厳にこれを慎むべく、従つて、自動車運転者たる者は常に前方を注視するのはもちろん、右交差点にさしかかつた際には十分に減速徐行して事故の発生を未然に防止すべき義務上の注意義務があるところ、被告は自己の進行するリコー通りの信号機の表示が黄であつたところから、自己の進路に進出する車両はないものと軽信し、前方注視、減速徐行を怠り、漫然約六〇キロメートルの速度のまゝ進行したため、進路前方直前の地点に左方から進出して来た伊藤車を発見し、あわてゝ右にハンドルを切つたが間に合わず、これに激突したのであるから、被告は右事故により亡俊将を死亡させたことによる損害を賠償すべき義務がある。
三 原告が本件事故によつて蒙つた損害はつぎのとおりである。
1 亡俊将の得べかりし利益を相続した分
亡俊将は昭和二四年九月二四日生れの事故当時満二四年四月の男子であり、なお、四八・四八年生存し得、少くとも満六三歳まで四〇年間稼働し得て、別表記載のとおり合計金一、四九一万一六二円の利益(同表記載のように生活費として五〇パーセントを控除する)を失い、原告はその全額を相続した。
2 葬儀費
原告は亡俊将の葬儀費として金三一万二、〇三六円を支出したが、本訴においてその内金三〇万円を請求する。
3 慰謝料 金六〇〇万円
四 原告は以上合計金二、一二一万一六二円の損害を蒙つたが、共同不法行為者たる伊藤の自動車である伊藤車の自賠責保険金五〇〇万円の給付を受け、さらに右伊藤から損害賠償として金六〇〇万円の支払を受けたので、これらを控除した残額のうち、被告の過失割合を考慮して内金二〇〇万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日より完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と述べた。
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、
一 請求原因事実中原告主張の日時場所において原告主張のような事故が発生し、亡俊将が頭蓋底骨折の重傷を負い、その主張のように死亡したこと、原告が本件事故による損害賠償としてその主張のように合計金一、一〇〇万円の支払を受けていることは認めるが、その余は争う。
本件事故はひとえに前記伊藤の過失によるものであつて、被告には何等の過失もない。
即ち、本件事故当夜被告が進行していた南北に通ずるリコー通りは幅員約一六メートルの相当広い道路であるが、伊藤が進行していたこれと交差する東西に通ずる道路は幅員が狭く、かつ、信号機の設置がなく、歩行者用信号機があるにすぎない道路であるから、自動車運転者たる者が本件事故現場の交差点に西方からさしかかつた場合には交差するリコー通りの方がはるかに幅員が広く、これに信号機が設置されていることおよび自己の進行する道路における歩行者用信号機の存在に気付き、交差点に進入する手前において一時停止し、右各信号機の表示および左右の安全を確認し、いやしくもリコー通りを信号機の表示するところに従い、走行する車両と衝突する危険のないよう注意した上、本件事故現場の交差点に進入すべき業務上の注意義務があるが、伊藤は当時西方から本件事故現場の交差点にさしかかつた際、飲酒の影響によりリコー通りの信号機の表示が青であり、自己進行方向と同方向の歩行者用信号の表示が赤であることおよび左右の確認を怠り、加害車が北進して本件事故現場の交差点に進入しかかつていることを認識せず、そのまゝ右交差点に進入した結果本件事故を惹起したものであつて、本件事故はひとえに伊藤の過失によるものである。
加害車は原告の所有で、もともと亡俊将がこれを運転して事故現場近くの喫茶店まで来たものであり、被告が亡俊将の指示により同人の運転して来た加害車を運転して共通の友人のところに赴くこととなつたが、リコー通りを北進していた際、本件事故現場の交差点を含め、前後四カ所の信号機の表示はすべて青であり、被告はその表示に従つて進行していたのであつて、本件事故発生については全く過失はない。原告の主張するように、被告にはもちろん、自動車運転者に一般に不測の事故発生に備うべき注意義務はない。
二 かりに、被告に本件事故発生についての過失があるとしても原告は被告が運転した加害車の運行供用者であるから、亡俊将の死亡により損害賠償請求権者であるとともに、その義務者であつて、損害賠償請求権は混同によつて消滅したか、そもそも発生しないものというべきである。
と述べた。〔証拠関係略〕
理由
一 昭和四八年二月一七日午後一〇時八分ごろ南方沼津市高島町から北方同市金岡方面に通ずる通称リコー通り上同市西熊堂八四〇番地先の交差点において加害車が伊藤車の右側面中央部に衝突し、加害車に同乗していた原告の息子亡俊将が頭蓋底骨折の重傷を負い、同日午後一一時一〇分ごろ、同市大手町一二六番地田沢病院において右傷害のため死亡するに至つたことは当事者間に争いがない。
二 そこで、右事故が被告の過失によつて生じたものであるか否かにつき検討を加える。
成立に争いのない乙第一〇号証の一ないし八、第一二、第一五号証、第一八ないし第二〇号証、第二四ないし第二六号証、第五一、第五六号証を総合すれば、つぎの事実が認められる。
1 本件事故現場の交差点は南方沼津市高島町から北方同市金岡に通ずる車道有効幅員約一六メートル、四車線からなる通称リコー通りなる道路と、西方同市中沢田から東方同市五月町に通ずる幅員約五・六メートルのセンターラインのひいていない道路(以下本件間道という)とが交差する地点であつて、夜間でも明るいこと、右リコー通りは南北の直線方向の見通しは極めて良好であつて、右交差点を通過する車両に対しては信号機が設置され、これを横断する歩行者のためには押ボタン式の歩行者横断用信号機が設置されており、横断歩行者が押ボタンを押さなければ、車両用の信号機の表示は常に青色のまゝであること、本件間道には信号機の設置はなく、これを西方から右交差点にさしかかる場合、右交差点内の見通しはともかく、南方もしくは北方からリコー通りを進行して来る車両に対する見通しは道路両側に建つている建物に遮られて悪く、リコー通り西側の歩道附近まで進出してはじめてこれを見通すことができること、
2 伊藤は本件事故当夜約二、三合の清酒を飲んでいたが、伊藤車を運転して本件間道を西方から本件事故現場の交差点にさしかかり、これを右折してリコー通りを南方に向け進行しようとした際、まずリコー通り西側の歩道延長上に入つた附近で一時停止し、リコー通りを走行する車両に対する信号機の表示が青色であつたので、リコー通りを走行する車両の有無を確認するため、まず、右方(南方)を見、相当速い速度で右交差点に接近して来る加害車を発見したが、約六八メートル先でなお本件交差点まで相当距離があるから右折しても危険はないものと考え、さらに左方(北方)を見た後発進し右折を始め、センターライン寄り附近まで進出したところ、加害車が約六、七メートルの至近距離にまで接近して来ていたので、衝突の危険を感じ、急ブレーキをかけたが、加害車が伊藤車の右側面中央部に衝突し、同車は北方にやや押戻されるような形で停車したこと、
3 被告は加害車を運転してリコー通りを南方から北方に向け時速六〇キロメートルを超える速度で進行し、本件交差点に接近していたのであるが、本件交差点の信号機を含め手前の信号機の表示も青色であつたので、そのまゝ進行していたところ、本件交差点に約六、七メートルに接近した際はじめて前方本件交差点内に伊藤車を発見し、あわてゝハンドルを右に切つたが間に合わず、前記のように衝突するに至つたこと、
以上のとおりであり、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によつて考えるに、自動車運転者たる者は常に前方左右を注視し、前方交差点に交差する道路から入る車両があるときはこれと衝突することのないよう減速進行すべき注意義務があるところ、被告はリコー通りを北進し、本件交差点にさしかかつた際自己の運転する車両に対する信号機の表示は青色であり、かつ、リコー通りは交差する本件間道よりもはるかに広い道路であつたから、被告がそのまゝの速度で本件交差点を通過しようとしたとしても強く非難せらるべきではないと考えられ、本件事故発生の原因は主として加害車の動静に対する十分な注意を怠り、その前方を右折通過できるものとして右折を開始した伊藤の側にあるものと認められる。しかしながら、同人が一時停止後右折を始めたものであることおよび伊藤車の右側中央部附近に加害車が衝突していることは伊藤車が本件交差点に先入していたものであること、さらに、その速度もせいぜい時速十数キロメートル程度であつたことが認められ、これに加害車と伊藤車との関係を考え合わせると、被告は前方注視義務の遵守が十分でなかつたため、右折を始めた伊藤車の発見が遅れ、これと衝突するに至つたものであると認めざるを得ず、従つて、本件事故の発生については被告にも過失があつたものというべきである(もつとも、本件事故に対する被告と伊藤との過失の割合は、被告につき一、伊藤につき九と認めるのが相当である)。
それ故、被告もまた伊藤とともに本件事故による亡俊将の死亡によつて原告が蒙つた損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。
三 すすんで、原告主張の損害について検討する。
1 亡俊将の得べかりし利益の喪失
成立に争いのない乙第一七、第三一号証に原告本人尋問の結果を総合すれば、亡俊将は昭和二四年九月二四日生れの、本件事故によつて死亡した当時満二三歳の健康な男子であり、これまで殆んど病気らしい病気をしたこともなく、父である原告の経営する飲食業を手伝つていたことが認められる。
従つて、亡俊将は事故後なお四八・四八年生存し得て少くとも満六三歳まで四〇年間稼働し、その間別表記載のとおりその年齢時に相応する賃金(賃金センサス昭和四八年第一巻による)を得ることができたであろうことが明らかであり、独身男子の生活費として五〇パーセントを控除し、ホフマン式計算法により年五分の割合の中間利息を控除して賃金収入の現価額を算出すれば、別表現価額欄記載のとおりであり、その合計額が金一、四九一万一六二円となることは計数上明らかである。
しかして、原告本人尋問の結果によると、亡俊将の相続人は同人の父である原告のみであることが認められるから、原告は亡俊将の右得べかりし利益の現価額を相続したものというべきである。
2 葬儀費
原告本人尋問の結果とこれによつて成立の真正を認める甲第四号証の一ないし二一によれば、原告は亡俊将の葬儀費用として合計金三一万三、三六六円を支出し、少くとも本訴において請求する金三〇万円を超える損害を蒙つたことが認められる。
3 慰謝料
原告の主張に徴すれば、原告は亡俊将の死亡による同人の有すべき慰謝料と父である原告自身の固有の慰謝料とを合わせて請求するものと認められるので、その両者につき考えるに、前記認定事実に原告本人尋問の結果を総合すれば、亡俊将は本件事故当時満二三歳のいまだ春秋に富む独身の男子であつたこと、同人は原告にとつて唯一人の男の子であつて、原告は同人を自らの後継者として強く期待していたことが認められるのであつて、これに諸般の事情を勘案すれば、亡俊将の精神的苦痛に対する慰謝料は金三五〇万円、原告自身の精神的苦痛に対する慰謝料は金一〇〇万円と認めるのが相当である(亡俊将の慰謝料がすべて原告に相続されるものであることは前述のとおりである)。
よつて、原告は本件事故による亡俊将の死亡によつて、前記損害額合計金一、九七一万一六二円の損害賠償請求権を有することとなる。
四 ところで、被告は、原告は加害車の運行供用者であるから、そもそも本件事故による損害賠償請求権を有しないか、かりにこれを有するとしても、損害賠償請求権者であるとともにその義務者であつて、損害賠償請求権は混同によつて消滅した旨主張する。
前出乙第一五、第五一号証と原告本人尋問の結果によると原告は加害車の所有者であり、かつ、運行供用者であるものと認められる。
ところで、自賠法三条にいう運行供用者責任は自動車の人身事故による被害者の保護を図るため運行供用者に重い責任を課したものであるが、民法七一五条の使用者責任の規定の趣旨を拡充強化したものであつて、その本質は代償責任であると解せられるから、運行供用者が自動車の運行によつて損害を受けたときは不法行為者に対して損害賠償の請求をなしうべく、これが全く発生しないものとは到底解することができない。
また、運行供用者が自動車の運行によつて他人の生命身体を害したときはこれによつて生じた損害を賠償すべき義務を負担することは明らかであるが、かりに、その他人の損害賠償請求権を取得したとしても、右のような自賠法三条および民法七一五条三項の趣旨に徴すれば、本来の不法行為者、例えば自動車の運転者に対して損害賠償請求をなしうるものというべきである。
五 つぎに、被告は、被告が加害車を運転するに至つたのは、亡俊将の指示によるものであり、共通の友人のところに赴く途中本件事故に遭つたものであることを陳述している。
そして、前出乙第一五、第五一号証、証人若林春夫の証言に原告本人尋問の結果(一部)を総合すれば、被告は本件事故当日の昭和四八年二月一七日午後九時ごろ自己の自動車を運転して沼津市新宿町所在の喫茶店「サルビヤ」に赴いたところ、新友の亡俊将に出合い、やがて駿東郡長泉町下土狩に住む共通の友人のところを訪ねることとなつたが、一人一人がそれぞれ自動車を運転して行くのは無駄であるので、亡俊将の要請により同人が運転して来た加害車を被告が運転して行くこととなり、亡俊将を助手席に同乗させ、その指示により加害車を操作運転して右の友人を訪ねる途中本件事故を惹起したものであることが認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果の一部はにわかに措信し難い。右認定事実によると、亡俊将は加害車について被告との共同運転者とは言えないまでもその運転について相当積極的な関与をしているものと認められる。
しかして、かかる事実の存在は、衡平の原則上民法七二二条の過失相殺の規定を準用し、運転者である被告の不法行為責任を定めるについて斟酌せらるべく、しかるときは、被告の原告に対する本件事故による損害賠償責任は前記全損害額金一、九七一万一六二円の六割程度に相当する金一、一八五万円と定めるのが相当である。
そして、原告が、被告と共同不法行為者の関係に立つ伊藤から本件事故による損害賠償として合計金一、一〇〇万円(伊藤より金六〇〇万円、伊藤車の自賠責保険金五〇〇万円)の支払を受けたことは当事者間に争いがないから、結局原告は被告に対しこれを控除した残額金八五万円の損害賠償請求権を有することとなる。
六 よつて、原告の本訴請求は金八五万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日であることの記録上明らかな昭和四八年一一月四日より完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容すべきも、その余は失当として棄却を免れず、民訴法八九条、九二条但書、一九六条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 太田昭雄)
別紙 <省略>