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静岡地方裁判所浜松支部 平成10年(ワ)211号 判決 2001年9月25日

主文

1  被告は,原告Aに対し,143万円及びこれに対する平成9年6月21日から支払い済みまで年5分の割合による金員を,原告B,原告C,原告Dに対し,各47万3000円及びこれらに対する平成9年6月21日から支払い済みまで年5分の割合による金員を,それぞれ支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は,これを17分し,その16を原告らの負担とし,その余を被告の負担とする。

4  この判決は,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告Aに対し,1589万7807円及びこれに対する平成9年6月21日から支払い済みまで年5分の割合による金員を,原告B,原告C,原告Dに対し,各1024万5935円及びこれらに対する平成9年6月21日から支払い済みまで年5分の割合による金員を,それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

第2事案の概要

1  争いのない事実

(1)  老人デイサービス運営事業は,おおむね65歳以上の要援護老人(65歳未満であって初老期痴呆に該当するものを含む。)及び身体障害者であって身体が虚弱又は寝たきり等のために日常生活を営むのに支障がある者を対象とし,老人デイサービスセンターE型は痴呆性老人を利用対象者としている。被告は,特別養護老人ホームさぎの宮寮の設置経営,老人デイサービスセンターさぎの宮寮デイサービスセンターの設置及び受託経営,老人デイサービスセンターさぎの宮デイサービスセンターの設置及び受託経営等の社会福祉事業を行うことを目的とする社会福祉法人で,平成5年4月から,さぎの宮デイサービスセンターにおいて老人デイサービスセンターE型(以下「被告施設」という。)を開設して,浜松市より在宅老人福祉対策事業として,痴呆性老人を利用対象とする老人デイサービスE型の運営を委託されて,浜松市内に居住する在宅の要援護老人に対し,レクリエーションを含む生活指導,養護,健康チェック及び給食サービスの実施を必須とし入浴サービスにつき選択して実施することができる老人デイサービスを実施している。なお,被告は,さぎの宮寮デイサービスセンターにおいて,老人デイサービスセンターB型を運営している。

(2)  E(以下「亡E」という。)は,浜松市内に居住する在宅の要援護老人として,平成9年4月30日,被告施設を参観訪問した後,同年5月2日,7日,9日,14日,16日,被告施設に通所して,デイサービスを受け,同月21日,同様にデイサービスを受けていたが,同日午前11時40分ころ,廊下面から高さ84センチメートルの1階廊下の網戸付サッシ窓から脱出し,そのまま行方不明となり,同年6月21日午前4時40分ころ,磐田市竜洋町駒場の遠州灘竜洋海岸防波堤付近の砂浜に死体となって打ち上げられているのを発見された。

2  争点

(1)  亡Eが,被告施設から脱出したことについて,被告に過失があるか。

(2)  被告施設の建物及び設備に瑕疵があるか。

(3)  亡Eの死亡と被告の注意義務違反又は被告施設の建物及び設備の瑕疵との間に相当因果関係があるか。

(4)  損害額はいくらか。

3  原告らの主張

(1)  亡Eは,失語症を伴う重度の老人性痴呆症であり,被告の職員は,このことを知っていた。

(2)  被告は,平成9年5月21日,他の要援護老人たちを浜松舘山寺所在のフラワーパークへレクリエーションに連れて行き,デイサービスE型を受ける亡Eを含む要援護老人たちを被告施設に残し,同人らを世話するための職員を2名配置した。2名の職員は,他の要援護老人たちにかかりきりで,あるいは昼食の準備等で,亡Eから目を離した隙に,同人は,被告施設から脱出した。

(3)  亡Eは,重度の老人性痴呆症に罹患しており,どのような行動を起こすか予測できない状態であり,とくに,失踪直前は不安定な状態であったのであるから,被告の職員は,窓を閉めて施錠し,あるいは,亡Eの行動を注視して,窓から亡Eが脱出しないようにする義務があったにもかかわらず,これを怠った。

(4)  被告施設は,おおむね65歳以上の要援護老人(65歳未満であって,初老期痴呆に該当するものを含む。)及び身体障害者であって身体が虚弱又は寝たきり等のために日常生活を営むのに支障がある者を対象としているから,痴呆者等が建物等から外へ出て徘徊しないための防止装置を施すべきであるにもかかわらず,廊下北側の網戸付サッシ窓を廊下面より約0.8メートルに設置し,この窓から外へ出るのを防止する設備をしていなかった。亡Eは,この窓から外へ脱出したものである。したがって,被告施設の建物及び設備に瑕疵あるものといえる。

(5)  よって,被告は,原告らに対し,慰謝料各700万円,弁護士費用各42万円,逸失利益合計1695万5612円(原告Aにつき847万7807円,同B,同C,同Dにつき各282万5935円)並びにこれらに対する亡Eの死亡が確認された平成9年6月21日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払う義務がある。

4  被告の主張

(1)  亡Eは,平成9年5月21日,被告施設において,デイサービスE型を利用していたが,午前11時40分ころ,寮母が要トイレ介助の女性2名をトイレに連れて行こうとして亡Eが廊下北側柱付近に佇立しているところを目撃されている。上記寮母は,亡Eに遊戯室に戻るように促し,女性2名の用便をすませた後,亡Eの失踪に気付いた。亡Eを最後に見かけてから失そうに気付くまで3分程度であった。亡Eの失踪に気付いた職員らが亡Eを探したところ,被告施設の玄関は施錠されたままの状態で,靴箱に亡Eの靴はなく,1階廊下西側の窓の網戸(当時窓ガラスは開けられサッシ網戸が閉められていた。)が開かれたままの状態となっていることが発見され,他の窓の網戸はすべて閉まっていたことから,同人の失踪経路は,1階廊下西側の窓から飛び降りた蓋然性が高い。

(2)  被告は,法令等に定められた限られた適正な人員の中でデイサービスE型事業を実施するものであり,亡Eの上記失踪経過に照らしても,亡Eが被告施設から失踪したことに過失はない。

(3)  原告ら主張の亡Eの行動の注視義務違反と同人の死との間に法律上の相当因果関係はない。

第3当裁判所の判断

1  被告の責任原因について

被告は,デイサービス事業の運営につき,被告職員の過失により,デイサービスを受ける者が損害を被った場合には,民法715条により,被告がその責めを負う。

2  被告職員の過失について

証拠(省略)によれば,次の事実が認められる。

(1)  亡Eは,平成7年11月27日,失語を伴う重度の老人性痴呆と診断され,平成8年10月31日,失語症により身体障害者4級の認定を受けたが,身長は167センチメートル前後,健脚で歩行に不自由はなく,普通の感情はあり,妻である原告Aとの意志疎通は可能で,家庭内であれば衣服の着脱や排泄は自力ででき,徘徊もしたことがなかったが,同人に精神的に依存しており,同人が不在のときに同人を捜して出歩くことがあったが,知った道であれば,自力で帰宅していた。

(2)  原告Aは,亡Eの介護の負担が大きく疲労も増してきたため,医療機関に勧められ,平成9年4月ころ,被告に利用を申し入れ,亡Eについて自宅における2回程度の被告の支援センターの担当者の面接を経て,痴呆性老人を利用対象とするデイサービスE型の判定を受け,同平成9年4月30日,原告D及び亡Eとともに,被告施設を訪問し,亡Eを体験入所させ,同年5月1日,被告施設の入所の許可を得て,同年5月2日から,亡Eを,被告施設のバスを利用して,週2回通所させるようになった。

(3)  被告は,亡Eが失語を伴う重度の老人性痴呆と診断されていることは,同人の入所の時点で把握していた。

(4)  亡Eは,被告施設内では,職員と1対1で精神状態が安定するような状況であれば,職員とも簡単な会話はでき,衣服の着脱などもできたが,多人数でいる場合には,緊張して,冷や汗をかいたり,ほとんどしゃべれなくなったり,何もできなくなったりし,また,不安定になり,帰宅したがったり,廊下をうろうろすることがあり,被告施設の職員も亡Eの上記状態を把握していた。

(5)  平成9年5月21日の被告施設におけるデイサービスE型利用者は,男性4名,女性5名の合計9名で,職員は寮母2名が担当していた。当日は,男性の入浴サービス日であり,午前10時15分から寮母1名(F)が亡Eと他の男性1名を浴室に連れて行き,その他の者は他の寮母1名(G)とともにいた。午前10時50分ころ,亡Eは,入浴を終えて遊戯室に戻り,入浴担当寮母は,他の男性2名を引率して浴室に向かった。亡Eは,入浴サービスを受けているときは落ち着いており,衣服の着脱や歩行を自力ですることができたが,遊戯室の席に戻ると,他の利用者を意識してだんだん落着きがなくなり,席を離れて遊戯室を出て,他の男性の靴を持って遊戯室に入ってきたところ,当該男性が自分の靴と気付いて注意したため,Gとともに靴を下駄箱に返しにいった後,遊戯室に戻ったが,何度も玄関へ行き,その都度Gに誘導されて遊戯室に戻った。Gは,午前11時40分ころ,要トイレ介助の女性2名をトイレに連れて行こうとして,亡Eが廊下にいるところを見付け,遊戯室に連れ戻した後,上記の女性2名をトイレに連れて行くときに,廊下北側の柱のところに亡Eが立っているのを見掛けたので,同人に遊戯室に戻るように促し,女性2名を便座に掛けさせて,亡Eを見掛けてから1,2分程度で廊下に戻ったところ,亡Eの姿はなく,館内を探したが,同人を発見することができなかった。亡E失踪時,被告施設の北側玄関は内側からは2つのアルファベットと6,7桁の暗証番号を押さなければ開かないようになっており,裏口は開けると大きなベルとブザーが鳴る仕組みになっているところ,北側玄関及び裏口は開いた形跡はなく,靴箱に亡Eの靴はなく,1階廊下の窓の網戸(当時窓ガラスは開けられサッシ網戸が閉められていた。)のうち1つが開かれたままの状態となっていることが発見され,窓の高さは84センチ程度で,他の網戸はすべて閉まっていたことから,同人は,靴箱から自己の靴を取ってきて,当該網戸の開いた窓に登りそこから飛び降りたものと推測される。

以上認定したところにより,被告職員の過失の有無について判断する。

亡Eは,失語を伴う重度の老人性痴呆と診断されており,このような者が,単独で施設外に出れば,自力で施設又は自宅に戻ることは困難であり,また,人の助けを得ることも困難であると考えられる。亡Eは,失踪直前に靴を取ってこようとしたり,廊下でうろうろしているところを被告施設の職員に目撃されており,被告職員としては,亡Eが被告施設を出ていくことを予見できたと認められるから,亡Eの行動を注視して,亡Eが被告施設から脱出しないようにする義務があったと認められる。しかし,当日の被告施設におけるデイサービスE型利用者を担当していたのは,寮母2名のみであり,1名は,入浴サービスに従事しており,他の1名は,要トイレ介助の女性2名をトイレに連れて行き,亡Eを注視する者はいなかったため,亡Eは網戸の開いた窓に登りそこから飛び降り,そのまま行方不明となったものである。亡E失踪時,被告施設の北側玄関は内側からは容易に開かないようになっており,裏口は開けると大きなベルとブザーが鳴る仕組みになっていて,亡Eが出ることは困難であった。しかし,亡Eのような身体的には健康な痴呆性老人が,84センチメートル程度の高さの施錠していない窓(84センチメートル程度の高さの窓であればよじ登ることは可能であることは明らかである。)から脱出することは予見できたと認められる。したがって,被告職員は,亡Eの失踪について過失がある。

たしかに,2人の寮母で,男性4名,女性5名の合計9名の痴呆老人を介助し,入浴サービスに連れて行ったり,要トイレ介助の女性をトイレに連れて行ったりするかたわら,亡Eの挙動も注視しなければならないのは,過大な負担であるが,これをもって回避の可能性がないということはできない。被告は,法令等に定められた限られた適正な人員の中でデイサービスE型事業を実施しているので過失はないと主張する。しかしながら,法令等に定められた人員で定められたサービスを提供するとサービスに従事している者にとって過大な負担となるような場合であっても,サービスに従事している者の注意義務が軽減されるものではない。したがって,被告職員は,亡Eの失踪について過失があり,被告施設の建物及び設備に瑕疵があるかについて判断するまでもなく,被告は,被告職員の前記過失と因果関係のある損害を賠償するべき責任がある。

3  被告職員の過失と亡Eの死との間の相当因果関係について

証拠(略)によれば,平成9年5月28日,亡Eと面識のある助信町所在のHが亡Eが来店したのを目撃したが,とくに異常を認めなかったこと,上記以外に亡Eに似た人を見たとの目撃情報がいくつかあったが,本人であると確定はできず,なかには明らかに人違いと思われる情報もあったことが認められるが,他に亡Eの失踪後の行動を具体的に示す証拠はない。以上によれば,亡Eは,平成9年5月21日,被告施設から失踪した後,同年同月28日まで,外見上とくに異常はなく生存していたと認められ,その後,被告施設から遙か離れた砂浜に死体となって打ち上げられるにいたった経緯は全く不明である。前記2(1),(4)で認定したところによれば,亡Eは,事理弁識能力を喪失していたわけではなく,知った道であれば,自力で帰宅することができていたのであり,身体的には健康で問題がなかったのであるから,自らの生命身体に及ぶ危険から身を守る能力まで喪失していたとは認めがたい。亡Eは,被告施設から出た後,帰宅しようとしたが,バスで通所していたため,道がわからず,他人とコミュニケーションができないため,家族と連絡がとれないまま,放浪していたものと推認できる。そうすると,同人の失踪からただちに同人の死を予見できるとは認めがたく,他に被告職員の過失と亡Eの死との間の相当因果関係を認めることができる証拠はない。したがって,被告職員の過失と亡Eの死との間の相当因果関係を認めることができない。

4  原告らの損害との相当因果関係について

原告ら主張の損害のうち,亡Eの逸失利益及び死亡を理由とする慰謝料は死亡による損害であるから,前記3のとおり,相当因果関係がないので認められない。しかしながら,亡Eが行方不明になることにより,同人の家族が被った精神的苦痛は,被告職員の前記過失と相当因果関係があると認められる。しかし,失踪後の亡Eの状況について不明であるので,亡E固有の慰謝料を認めるのは相当ではない。

証拠(略)によれば,次の事実が認められる。

(1)  原告Aは,亡Eの妻,同B,同C,同Dは,それぞれ,亡Eの長女,二女,長男である。

(2)  原告Aは,平成9年5月21日,午後0時25分ころ,外出先で被告から亡Eの失踪の報告を受け,帰宅した後,前記Fの訪問を受け,当日は自宅で待機し,翌日から,原告らは,毎日のように出掛けたり,親戚たちと協力して,約150枚の立看板を作ったり,被告に捜索経過を聞きに行ったりして,必死に亡Eを捜したが,同年6月21日,同人が死体となって発見されるまで,同人の消息は掴めなかった。  以上を総合すると,被告職員の不法行為により原告らが被った精神的苦痛を慰謝するには,原告Aにつき130万円,その他の原告3名につき各43万円をもって相当と認める。

原告らが,平成10年6月1日,本件原告ら訴訟代理人に対し,本件訴訟の提起・追行を委任したことは,当裁判所に顕著な事実であり,本件事案の内容,性質,難易度,認容額等に鑑みると,本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は,原告Aにつき13万円,その他の原告3名につき各4万3000円と認めるのが相当である。

5  以上によれば,原告らの請求は,主文第1項の限度で理由がある。

よって,主文のとおり,判決する。

(裁判官 押切瞳)

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