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静岡地方裁判所浜松支部 平成10年(ワ)332号 判決 1999年10月12日

原告

甲野春子

右原告訴訟代理人弁護士

小川秀世

被告

乙山五郎

被告

乙山花子

右被告ら訴訟代理人弁護士

鈴木重治

主文

一  被告らは原告に対し、連帯して金一五〇万円およびこれに対する一九九八年(平成一〇年)六月一六日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

(甲)  申立

(請求の趣旨)

一  被告らは原告に対し、連帯して金一五〇万円およびこれに対する一九九八年(平成一〇年)六月一六日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決、ならびに仮執行の宣言。

(被告らの答弁)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

(乙)  主張

(請求原因)

第一、一 原告は、株式会社アイ・ピー・シー・テレビジョンネットワークの静岡支局(浜松市所在)の記者である。

二 被告乙山五郎は、兄弟で静岡県浜松市肴町<番地略>所在の有限会社S堂貿易(ただし、同社の法人登記はなされていない。以下、「S堂」という。)の名称の宝石店を経営している者であり、被告乙山花子はその母親であって、同店を共同して経営している者である。

第二、一 一九九八年(平成一〇年)六月一六日正午ころ、原告はS堂店内に入り、ショーケースの中に展示してある商品を見ていた。店内には、被告両名と被告乙山五郎の妻の三名がいた。

店内の奥には、ショーケースの中にオニキスのネックレスが二つ展示してあり、原告はそれを見るために店の奥まで入ったが、原告の好みではなかったので店を出ようと思ったところ、被告乙山五郎が近づいてきて、「Where are you from?」と英語で尋ねてきた。原告はほほ笑みながら日本語で「ブラジルからです。」と答えた。

それを聞いたとたん、同被告はほほ笑むのをやめて首を横に振った。原告は、自分の言葉がうまく伝わらなかったのかと思い、今度は英語で、「ブラジルから。」と答えた。

二 同被告は軽蔑の眼差しで乱暴に書類を整理したうえ、両腕を広げて原告を追い出すような動作をしながら原告に近づいて、この店は「外国人立ち入り禁止だ。」と強く言った。それに対して、「どうして。」と原告が聞いたところ、同被告は怒って店内の壁に貼ってあった「只今入場制限中 お客様が五人以上になりますと混雑しますので、その節はよろしくお願いします。尚外国人の入店は固くお断りします。」と日本語で書かれた張り紙を指さし、さらに店内の壁の別の場所に貼ってあった「出店荒しにご用心」と題した浜松中央警察署作成のビラをはずして、原告の顔の前に突き出した。

右ビラには、

「最近……貴金属店……等で、夜間、車両で乗りつけ、裏出入口をこじ破って侵入し、短時間に大量の商品を盗み去る出店荒し事件が頻発しています。下記事項をご注意のうえ、不審なことがありましたら警察に速報をお願いします。」

と記載され、さらに注意事項として、

「1 下見(山見)行為に注意!

2 店の出入口や窓の施錠など常に点検を!

3 不審者に対する対応措置!」

などの表題とそれに続く説明が書かれていた。

三 被告乙山五郎は原告に対して、「店から出なければ警察を呼ぶ!」と叫んだが、原告は、「そうして下さい。」と店から出なかったため、同被告が呼んだ浜松中央警察署の警察官二名と警備員がかけつけた。

その間、原告は知り合いないし仲間の新聞記者らを携帯電話で呼んだ。そのため、店には原告の夫でインターナショナルプレスの記者である甲野太郎、ムンジアル新聞社のマラ・ナカガワ記者、さらに原告の夫の同僚で通訳をしているヒカルド・マキヤマおよび日本の新聞記者らが相次いで来た。

警察官らは、同被告から事情を聞いていた。その際、同被告は、当初、「ブラジル人がこの店で盗みを働いたことがある。」と訴えていたが、最終的には、「警察が調査してもどこの誰が盗みを働いたかはわかっていない。」と変わり、また、他方、原告のことを、「最初フランス人だと思った。」とも述べていた。

原告は警察官に対して、「お店に外国人の入場を断ることは人権違反です。」と訴えたところ、結局警察官は、「人権の問題は、我々には何もできない。」と何ら対応しようとしなかった。

四 そのうちに、被告乙山五郎は原告に対して結局何の謝罪もなく用事があるからと外出してしまった。原告は残った被告乙山花子に対して、「外国人禁止」の張り紙をはずすよう求めたが、同被告はこれを拒否した。

また、原告が被告乙山花子に対して、被告乙山五郎からの謝罪の手紙を求めると、被告乙山花子自身が、「言葉が通じなくてごめんなさい。これしか言いようがありません。」と紙に書いて原告に交付した。

右文面が人種差別行為を認めたうえで謝罪したものではなかったため、原告が、「花子さんは、心から反省をしていないような気がします。」と言うと、被告乙山花子は、「実は反省していません。頼まれているから書いているだけです。本当は、早く帰って欲しいのです。」と正直に述べた。しかし、そこで警察が口を挟み、原告に対して被告乙山花子は、「これ以上はできない。」と説明した。

そのため、原告は、「それなら謝罪文として受け入れない。裁判所に訴えます。」旨述べて店を出た。原告が店に入ってから約三時間を経過していた。

五 その後、原告は小川秀世弁護士に本件を依頼し、同弁護士は被告らの店に二度訪れ、さらに数回電話をして再三被告乙山五郎と話がしたい旨伝え、連絡をしてくれるように願ったが、同被告は訪問時や電話をかけたときは常に不在であり、また、その後も同被告からの連絡はまったくなかった。

さらに、同弁護士は同被告に対して、原告に対する謝罪を求め、慰謝料を請求する旨の内容証明郵便を一九九八年(平成一〇年)七月一八日送付し、これは同月一九日配達されたが、同被告からは何の応答もなかった。

第三、一1 被告乙山五郎が、原告を店から追い出そうとした右一連の行為は、ブラジル人であること、あるいはフランス人でないことを理由とするものであり、ブラジル人である原告に対する人種差別行為である。

したがって、被告乙山五郎の右行為は民法第七〇九条の不法行為に該当する。

2 また、被告乙山花子は、右宝石店を共同して経営していること、人種差別を内容とする張り紙を店内の壁に貼ったのは同被告自身であること、さらに原告に対する被告乙山五郎の対応を初めから見ていながら、同被告が原告を店から追い出そうとした行為を止めようとしなかったことなどの事実を総合的に評価すれば、社会通念上被告乙山五郎と共同して原告に対する差別行為をしたと評価である。

したがって、被告乙山花子は民法第七一九条第一項および第二項により被告乙山五郎と連帯して損害賠償責任を負う。

3 さらに、被告乙山五郎が原告に対して、「出店荒しにご用心」と題する張り紙を突き出した行為は、理由なく原告に対して窃盗などの嫌疑をかけ、原告の名誉を毀損し、あるいは侮辱したものである。

二 一九六五年(昭和四〇年)一二月二一日国連総会で採択され、一九六九年(昭和四四年)一月四日に発効し、わが国については一九九五年(平成七年)一二月二〇日批准され、一九九六年(平成八年)一月一四日発効した「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」(以下、人種差別撤廃条約という)には、別紙のとおりの規定がある。

右規定によれば、いかなる個人、集団または団体による人種差別も禁じられている。このことは、人種差別されない権利、すなわち、人種に関する平等権は、私人間においても営業の自由などと個人の他の自由に優先されるべき権利であることが確認されたものと評価できる。

1 人種差別撤廃条約の右各規定は、わが国においては私人間にも直接適用され、本件のような私人間の人種差別行為も同条約第二条(d)違反となると解される。すなわち、

第一に、もともとわが国では、条約の国内法的効力が一般的に認められている。条約の性質上法規性を有するものは、特別の立法をまたずに国内法としての効力を有するからである。

第二に、人種差別撤廃条約第二条(d)には、「すべての適当な方法により」「個人……による人種差別も禁止する」とされており、右適当な方法には直接自国の私人間に適用できるように右条約を解釈することも含まれると解されるからである。わが国の政府、ないし国会は、右条約批准後も何らの立法措置もとっていないが、このことは条約の直接適用を予定しているからである。

第三に、右条約第六条により、この条約の違反行為に対する自国内の救済の措置、とくに賠償を裁判所に求める権利の確保等が定められているが、これは条約締結国の国内において条約の各規定が直接裁判規範となることを予定していると解されるからである。であるとすれば、右第二条(d)に関しては直接私人間に条約が適用されることが前提とされなければならない。

以上により、被告らの行為は右条約第二条(d)違反であり違法であって、同第六条及び民法第七〇九条により、原告は被告らに対して損害賠償請求権を有する。

2 仮に右条約が私人間の行為に直接適用されるものでないとしても、憲法の人権規定の解釈における間接適用の場合と同様に、右条約が批准され、発効したことにより、右条約の規定は法律の一般的、抽象的条項の解釈の規準となると解される。

すなわち、被告らが自らが経営する宝石店に客として誰を入れ、誰を入れないかは、売買契約の締結を目的とするその前段階の行為であるから、契約の締結行為それ自体と同様に本来私的自治に委ねられているようにも思われる。しかし、私的自治といえども、まったく制約がないわけでなく、公の秩序(民法第九〇条)に反することは許されない。そして、右条約が批准されたことにより、右の公の秩序の内容も条約の趣旨に合致するように理解されなければならない。

条約第二条は、個人による人種差別行為も締約国において撤廃すべきものとしている。そのため、締約国にその差別行為を後援したり、擁護または支持しないことを義務づけ(同条b)、さらにいかなる個人による人種差別行為も禁止し、終了させる義務を負わせている(同条d)。したがって、人種差別行為は、個人によるものであっても、条約の右規定の趣旨からして公の秩序に反する違法な行為であると解さなければならない。よって、被告らの前記行為は公の秩序に反し違法である。

また、民法第七〇九条の不法行為の成立要件である権利侵害ないし違法性の有無も、同様に右条約の趣旨に合致するように判断されなければならない。すると、右条約によって個人による人種差別行為も禁止されたことにより、私人間においても人種差別されない権利、すなわち、人種差別に関する平等権が法的権利として保護され、その権利を侵害する行為は違法であると解されなければならない。したがって、被告らの前記行為は、原告の右平等権を侵害し違法である。

以上のとおり、仮に被告らの前記人種差別行為は、直接人種差別撤廃条約の条項に反するものといえないとしても、公の秩序に反し、あるいは原告の平等権を侵害するもので違法であるから、被告らは民法第七〇九条に基づき、原告の受けた損害を賠償する責任がある。

三1 原告は、被告らの行為によって人格的尊厳を著しく傷つけられ、精神的損害を被った。よって、原告には民法第七〇九条、第七一〇条後段により慰謝料請求権が認められる。

2 また、右条約第六条においても、前記のとおり「差別によって被ったあらゆる損害に対し、公正かつ適正な賠償を当該裁判所に求める権利」が定められている。すると、原告の慰謝料は、公正かつ適正な賠償額でなければならないが、人種差別行為という特殊性からして特につぎの点が考慮されるべきである。

(一) 差別とは、「人を同じ人間として扱わない」ということを意味する。これは個人の尊厳、人間の尊厳に対する重大な侵害行為である。

差別意識とは、ナチによるユダヤ人の虐殺などの多くの例を見るまでもなく、差別する側を容易に残酷な非人間的行為に走らせるのである。それは、突き詰めれば、差別する側に差別される側を「人間ではない」「人として扱う必要はない」という意識があるからに他ならない。

そして、右のような意識がその外部的表明たる差別行為を通して、差別される者の人間としての尊厳を著しく傷つけるのである。

(二) 本件は被告らの故意による行為である。被告らは自らの言動を認識しながら敢えて差別行為を行っている。

仮に、被告らが違法な差別行為とは思わなかったとしても、それは被告らの善悪の判断、違法か否かの判断に問題があったからであり、刑法において違法性の意識の欠如が故意の成立を阻却しないと同様にここでも故意による不法行為であることが否定されるものではない。

(三) また、被告乙山五郎が、単に差別的な言葉だけを発したのではなく、手を広げて原告を追いやる等有形力を行使していることである。また、警察によって原告に恐怖感を与えようとしたことである。

このような同被告の行為は、差別する側を容易に非人間的行為に走らせる差別意識に基く行動の現実化として、原告に対して実際に大きな衝撃と恐怖感を与えたものである。

(四) さちに、被告らは現時点においても、原告に対する差別行為であったことを認識せず、原告の応対としてはあの当時としてはやむを得なかったとして、自分たちの行動の非を認識していない。

また、被告乙山花子が、本件後差別したことを謝罪しようとせず、単に、「言葉が通じないので、これしか言いようがない。」と記載した書面にも端的に現れている。

これは、例えば口で言っても分からないから、体で分からせたというとおり、暴力行為をいつまでも正当化することと同じである。つまり、現時点でも被告らはその差別行為に対する誤った認識を改めようとせず、外国人ないしブラジル人に対しては、それを理由として店から追い出しても構わないとの認識を表明していることに他ならない。

(五) 本件の賠償額は、通訳料を含めて考慮されるべきである。

本件では、原告が負担した通訳、翻訳費用は合計金四五万二〇〇〇円にのぼっている。

これは、原告が訴訟を追行するために訴訟記録の翻訳や原告訴訟代理人との打ち合わせに通訳人を依頼したことによるもので、日本語の不自由な原告として不可避の損害であり、故意の不法行為である本件においては本来相当因果関係のある損害でもある。

(六) 人種差別行為は、わが国では刑法犯になっていない。したがって、人種差別行為者に対する責任追及は、本件のような民事的な方法によるしかないことも損害額算定にあたって考慮されるべきである。

しかしこのことは、慰謝料の支払義務を課すことによって被告らの制裁を求めているのではない。

わが国においては、刑罰を課すか否か、どの程度の刑を課すか否かが、被害者感情と結びつけて判断されていることから、人種差別行為に対する有効な刑事罰が存しないわが国では、それを補充されるような形で民事における慰謝料額が定められるべきであるという趣旨である。

3 以上の諸点、特に本件が人種差別行為であるという特殊性、ならびに被告らの故意による不法行為であることを考慮すると、原告に対する慰藉料としては金一〇〇万円が相当である。

さらに、被告らに負担させるべき弁護士費用は金五〇万円が相当である。

第四、一 浜松市は、人口約五七万人であるが、市内の外国人登録者数は約一万五〇〇〇人で、うちブラジル人は約一万人であり、絶対数で全国一である。

一九八〇年代後半以降の日本経済の急速な発展に伴い、労働力不足の解消のため、一九九〇年六月出入国管理及び難民認定法が改正され、日系人はあらゆる職種に合法的に就労できるようになった。浜松市は、繊維、輸送機器、楽器などの製造業が盛んなため、右法律改正後、工場の労働などに従事する日系ブラジル人を中心とする外国人が多数居住するようになった。

そのため、浜松市では、国際社会に開かれた街づくりのため積極的な国際交流活動等の施策をすすめてきた。また、民間と協力して浜松国際交流協会が設立され、同協会は一九九一年に静岡県内ではじめて財団法人化され、国際交流の中心母体となっている。

二1 こうして、浜松市は、「住民の国際感覚のかん養、外国人の暮しやすいまちづくり、国際交流等、住民と一体となって地域の国際化の推進に総合的に取り組んでいる市町村で顕著な功績があった団体」として、平成六年度「世界に開かれたまち」自治大臣表彰制度における「総合的な地域国際化推進のまち部門」において自治大臣表彰を受賞した。

2 他方、浜松市は平成九年度法務省及び全国人権擁護委員連合会によって「人権モデル地区」の指定を受け、浜松市と、同市長を会長として設置された人権モデル地区推進協議会が、一年間にわたって官民を挙げて「基本的人権の尊重とその擁護について正しい理解と認識を高めるとともに、人権思想普及のための活動を積極的に推進し」(同協議会会則第一条)てきたはずであった。

三 しかしながら、原告らが調査した範囲では、浜松市においても少なくとも人種差別に関しては必ずしも市民への啓発は充分でなく、市民の意識も決して高いとはいえない。そのため、現在でも私人あるいは私的団体による目に見える形での人種差別行為が存在する。

例えば、原告らの調査によれば、浜松市ないしその周辺地域において、最近でも以下のような人種差別行為が確認されている。

(一) 浜松市内のある釣具店では、張り紙はないが、外国人の入店を拒否している。外国人の客は店に入ると店主あるいは店員にすぐに追い出される。

(二) 浜松市内のあるカラオケバーでは、「ブラジル人とペルー人立入禁止」とポルトガル語で書かれた張り紙を入り口の扉に貼って、入店を拒否している。

(三) 現在でも、外国人に対しては部屋を貸さないとするアパートが相当の割合で存在する。

(四) 一九九六年夏、静岡県湖西市のあるコンビニエンスストアーでは、「外国人立入禁止」との張り紙をした。

この張り紙は、ポルトガル語、スペイン語、ならびに中国語で書かれた。これは外国人からの強い抗議を受け、新聞でも取り上げられたため、その後外された。

(五) 一九九六年(平成八年)浜松市内でブラジル人がバスに乗ったところ、「皆さんカバンに気をつけて下さい。外人が乗っている……」と運転手がマイクロホンで注意した。そのブラジル人は泣きながらつぎのバス停で降り、それ以来恐くてバスに乗ることが出来ない。

(六) 私人間の問題ではないが、一九九七年五月一六日、浜松市議会厚生保険委員会における「外国籍定住者への医療保障を求める陳述書」審査の際に、委員である市会議員が、「どんどん母国に帰ってもらえばいい。」などと発言したことが、大きくマスコミにも取り上げられた。

以上の差別行為は、氷山の一角と考えられるが、わが国の国籍がないことを理由としているのではない。日本国籍の有無にかかわらず、人種、皮膚の色などによって差別しているもので、明らかに人種差別撤廃条約によって禁止されている人種差別である。

四 これまでも、右のような私人ないし私的団体による人種差別行為は、マスコミなどで社会問題として取り上げられることもなかったわけではない。しかし、人種差別撤廃条約が批准される以前には、「差別することも個人の自由」との誤った考え方も根強く、マスコミなどによる社会的な非難や地方法務局や弁護士会から人権侵害であるから是正するようにとの勧告を受けても、なお、差別行為が継続されるケースもあった。まして裁判所が、本件のような私人間の単純な人種差別行為を違法であると判断したケースはなかった。これは憲法の解釈の問題と関連している。

すなわち、わが国では、人種差別撤廃条約の批准前は、憲法第一四条が人種差別を一般的かつ全面的に禁止する唯一の法であった。憲法第一四条第一項は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種……により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。」と宣言している。

しかし、この規定は、わが国に在住する外国人にも適用されると解されてきたものの、これによって人種差別を禁じられるのは国またはその機関であって、私人ないし私的団体による人種差別は憲法の対象外であり、憲法違反の問題にはならないと解されてきたからである。

五 しかし、人種差別撤廃条約をわが国が批准したことにより、わが国においても、はっきりと私人ないし私的団体による人種差別行為も禁止され、違法とされたのである。この意味で右条約は、人種差別について憲法第一四条の人権(平等権)保障をさらに徹底したものということになる。

ところが、わが国では必ずしもこのことが周知徹底されてこなかった。そのため、現に前記のような差別行為が存在するのである。本件や前記差別事例から明らかなとおり、国を挙げて差別解消と意識の改革に取り組んできた同和地区出身者に対する差別問題と比較すると、わが国ではいまでも人種差別に関する意識がきわめて低いといわざるを得ない。これは、右条約を批准しただけで、国民に対してこの条約の意義についての啓発活動を充分に行わず、条約に伴う立法措置を採らなかった国の責任である。しかし、この問題はわが国において急激な国際化、国際交流の時代に対応するため早急に取り組まなければならない重要な課題である。

六 浜松市における前記人権モデル地区活動の事業の一つとして人権標語が募集されたが、その最優秀作品に選ばれたのは、「かなしいな 同じ人間なぜ差別」との標語であった。

右標語にあるように人種差別行為は、人種が違うことを理由に同じ人間として扱わない行為であり、不合理、不当であることが明白な行為である。そして、それが故に相手の人格を深く傷つけるものである。今後ますます外国人居住者が増加し、官民を問わず国際交流がますます重要になってくるわが国においては、私人による差別行為を含め、すみやかにあらゆる人種差別行為は撤廃されなければならない。

そのためには、人種差別撤廃条約をわが国が批准したことにより、私人や私的団体によるいかなる人種差別行為も社会的に許されないものであり、違法であることが、国民一人一人によってはっきりと認識される必要があると考える。

(被告の答弁)

第一、請求原因第一項一は不知。

同項二を認める。

同第二項一のうち、一九九八年(平成一〇年)六月一六日に原告がS堂宝石店の店内に入ったこと、店内に被告両名ほか一名がいたこと、原告が「ブラジル」と言ったことを認める。ただし、原告が店内に入った時刻は午後一時四八分ころであり、右にほか一名とあるのは被告乙山五郎の妹である。その余を否認する。

同項二のうち、被告乙山五郎が書類を整理したこと、ならびに両腕を広げて原告を追い出すような動作をしながら原告に近づいたことを認める。ただし、右書類の整理は乱暴にしたというのではない。その余を否認する。

また、右の動作は時期が異なる。すなわち、その日午後一時五〇分五〇秒ころ、同被告が原告に対し、右手を斜め下に差し出した行動をとり、その後、原告が店舗入り口方向に後ずさりし、午後一時五一分三九秒ころ同被告が電話を掛け、午後一時五二分ころから原告がどこかへ電話を掛けて五三分一五秒ころ原告は掛け終わると再び南東方向のショーケース内を見た後、再びどこかへ電話を掛け、少しずつ後退し午後一時五四分二二秒ころ電話を終えた。さらに、午後一時五四分二六秒ころには同被告も電話を掛け終えた。この後、同被告が手を広げる動作をし、壁に貼られたポスターを右手で指し示すという動作を行ったのである。

したがって、原告と同被告が完全に敵対状況になった後に行われたのであり、原告が外国人であるという理由で出ていって貰おうと思って採った行動ではなく、同被告からすれば敵対的行動を採る原告に対しての防衛的動作であった。

同項三のうち、被告乙山五郎が、「ポリスマン呼びますよ。」と言ったこと、警察官二名が駆けつけたこと、警備員が店に来たこと、原告が呼んだと思われる外国人が店に来たこと、同被告が入店してきた原告についてフランス人ではないかと考えたことがあったことを認める。ただし、警備員が店に来たのはかなり遅い時間である。その余を否認する。

同項四のうち、同被告が原告らが店に留まっている最中に外出したことはこれを認める。被告乙山五郎が外出したのは午後二時四五分ころであり、原告らが出店した時刻は午後三時二五分ころであり、入店してから約一時間四〇分が経過していた。その余を否認する。

同項五を否認する。

同第三項一を争う。

同項二冒頭を認める。ただし、人種に関する平等権は、私人間においても営業の自由などと個人の他の自由に優先されるべき権利であることが確認されたものと評価できるとある点は争う。

同項二1を争う。

条約は、私人相互間の法律関係に直接適用することを予定されているものではなく、個別的な実体私法の各条項を通じて間接的に適用され、あるいは法律制定の一般的指針と基準を示すものであるから、直接個々の国民に対する具体的な作為義務ないし不作為義務を規定したものではない。

同項二2のうち、私的自治といえども、まったく制約がないわけでなく、公の秩序(民法第九〇条)に反することは許されないとの一般論はこれを認める。その余を争う。

同項三1を争う。

同項三2(一)ないし(六)を争う。

同項三3を争う。

同第四項一を認める。

同項二1を認める。

同項二2を認める。

同項三(六)を認める。その余は不知。

同項四を認める。

同項五を争う。人種差別撤廃条約の効力については前述のとおりである。ただし、意見に関しては被告らも同意見である。

同項六を争う。ただし、意見に関しては被告らも同意見である。

第二、一1 S堂は、浜松市内の中心部繁華街である「有楽街」にあって、東西に細長い店舗であり、店舗面積は約三三平方米(一〇坪)である。

店内では、被告乙山五郎と被告乙山花子が接客し、時々、被告乙山五郎の妹が手伝いに来ている。

S堂は、規模の小さい宝石店であり、固定客も多く、紹介されて予約のうえ来店する客も多い。

2 被告乙山五郎の父の乙山一郎は、平成四年五月一五日二人組の男に襲われて店内の宝石類を奪われるという被害を受けたことがある。

被告らは、このような被害を経験し、防犯については神経質になっている。そして、営業時間についても、他の商店よりも早く午後六時に閉店するようにしている。

なお、一九九八年(平成一〇年)六月一六日の一週間前ころには、日本人とブラジル人のような外国人の二人が、カメラでS堂と北側のゲームセンターとの間の狭い路地を撮影しているのを目撃しており、この時、同被告は路地から店の壁を抜かれて侵入されることもありうるなと心配していた。

3 S堂は、現在フランスの某会社との間に取引上のトラブルを抱えており、同被告は、フランスへ電話を掛けて相手方と交渉を行っていた。

本件出来事の前日にも日本人の通訳を介して督促を受けていた。

二1 一九九八年(平成一〇年)五月中旬ころ、警察官三名がS堂を訪れ、「出店荒らしにご用心!」という書面を置いていった。さらにこの時、「外国人に注意するように」との口頭指導もなされていた。

2 そしてその後、被告らは店内に「外国人お断り」という趣旨の日本語の言葉を記載した紙を壁に貼ったが、一旦取り外した。

しかし、有楽街の人通りが昼聞でも少なくなって、後記のとおり店の安全について心配になり、被告らはおはらいのような気持ちを持って、再び前記趣旨の言葉が日本語で書かれた紙を貼っていた。

(一) 被告乙山花子が、一人で店番しなければならないことがあること。

(二) 閉店時にすべての商品を金庫内に仕舞うということでないため、商品(金額)について細かく知られることへの心配。

三1 原告は、一九九八年(平成一〇年)六月一六日午後一時四〇分すぎ、S堂の店外のショーケースやワゴンを覗いていた。

この様子を被告らは確認しているが、被告らとしては、その時の原告は、視線が動かず一点を見つめているような感じであり、ショーケース内の各商品を見ているようには感じられなかった。

2(一) 以下は、S堂に設置してある防犯カメラが写したビデオによるものである。

(1) 午後一時四八分三〇秒ころ、原告は自動ドアを通過してS堂に入ってきた。

(2) 入店後、ドア近くの右側のショーケース内を見る(別紙図面の①地点に立っている)。

約八秒後、店内の西奥方向を見、さらに店内南東のショーケース近辺に視線を移す。

(3) 午後一時四九分一六秒ころ、移動し始め約三秒間で別紙図面②近辺まで移動。この移動の間、前方あるいは左右のショーケースには全く眼を向けていない。顔を別紙図面△の位置に座っていた被告乙山五郎に向けるような感じである。

(4) 午後一時四九分一九秒ころ、別紙図面③近辺まで移動し、店内北側の壁に視線を向ける。

(5) 午後一時四九分二二秒ころ、別紙図面④近辺まで移動し、店内北西方向を見、また、正面のショーケースに視線を向けている。

(6) 午後一時五〇分一秒ころ、身体を北向のまま、顔を西方向に傾け、ショーケースに視線を下ろし、後退。

(7) 午後一時五〇分一一秒ころ、身体が北向のまま、頭を後方に向けさらに一四秒ころには身体を西向きにし、別紙図面③の位置で顔を被告乙山五郎の方向に向けた。

(二)(1) 被告らは、原告が入店した当初、トラブル中のフランスの相手方の会社の関係者が来たのかも知れないと思っていた、

(2) 原告の店内における行動は、商品を見ようとして店内に入る人の行動として不自然である。

(イ) 商品を見るだけならば通常とらない行動、つまり、わざわざ店員に近づき顔を見せようとしていること。

(ロ) オニキスのネックレスを見るというのであれば、店内の北側通路に沿って移動するのが自然である。

(ハ) 商品その物に視線を向けている時間が短く、壁や遠方に視線が行っていることが多い。

3(一) 被告乙山五郎は、実際フランスの会社の関係者かどうか分からなかったことから、別紙図面④の地点に立って店内北側を見ていた原告に対して、「ボンジュール マダム」とか、「ハワユー」、「セニョリータ」と声を掛けたが、原告は全く応答しなかった。

(二) そして、原告の横顔が被告乙山五郎の視線に入ったときに、同被告は原告に対し、「フォエアー フロム」と声を掛けたところ、原告から「ブラジル」と初めての応答があった。

同被告は気になっていたフランスの関係者でないことがわかり、余計にそれまでの原告の行動から「怪しいのではないか」と疑いの気持ちを強く抱いてしまった。

(三) そして、つぎのような同被告と原告とのやり取りがあった。

(1) 「マダム クジュー プリーズゴー アウト アイム ビジィー」、「ノー フォーリナー アラァウディド ヒアー」(被告乙山五郎)

(2) 「フアイ?」(原告)

(3) 「プリーズ」(被告乙山五郎)

(4) 「ノー!」(原告)

(5) 「プリーズ(忙しい。頼むから出ていって下さい。)」

「ポリスマン呼びますよ。」(被告乙山五郎)

(6) 「オーケー」(原告)

(四) そして、被告乙山五郎は午後一時五一分三九秒ころ、マニュアルに従い警察に電話を掛けた。

また、原告も午後一時五二分四〇秒ころからどこかに電話を掛けていた。

(五) 午後二時五分一四秒ころには、原告が呼び出した男が、午後二時五分二九秒ころには警察官がS堂に来たが、それまでの間、原告は五回どこかに電話を掛けていた。

警察官が来た後は、主に警察官二人と原告らが話をしており、時々被告らがその話に加わったり、警察官が被告らに話しかけるといった状態であった。

なお、原告は午後二時二五分ころには被告乙山五郎に対して、「ユー ノーアイム ウワーキング フォアニュースペーパーカンパニー。イズザット オーケー?」とも言っていた。

(六) 被告乙山五郎は、長女を聖隷浜松病院へ連れていくことになっていることから、午後二時四五分ころに店を出た。

同被告が店を出た後の午後二時四八分ころからは、道路側のウインドウの椅子に座り込み、原告が呼び出した人たちと警察官とのやり取りが続き、午後三時二五分二七秒ころ原告らおよび警察官が退店した。

第三、一 被告らには、職業選択の自由があり(憲法第二一条第一項)、また、選択した職業を遂行する自由を有する。そして、職業選択の自由には、営利を目的とする自主的活動の自由である営業の自由が含まれている。

さらに、営業の自由の下、自らの営業において、いかなる者を顧客とするか、さらには、構える店舗の施設管理権に基いて入店者の管理をどのように行うかについても、私的自治の原則(私人の生活関係で自由が尊重されること)が妥当する。

つまり、被告らには、その自由な自主的裁量的判断によって、「入店させるか否か」、「入店後、退店を求めるか否か。」を決することができるのである。

二 そして、被告らの右判断、決定が、他面において個人の基本的な自由や平等に対する侵害となるような場合であったとしても、それがその態様、程度からして社会的に許容しうる限度を超えない限り、公序良俗違反とはならない。

なお、公の秩序とは国家社会の一般的利益であり、善良の風俗とは社会の一般的倫理を意味する。

三 被告らが営んでいるS堂は、日常用品を扱うのではなく、単価において高額であることが多い宝石店である等の特徴がある。

さらに、外国人犯罪(強盗等の凶悪事犯)が浜松地域に限らず全国で発生し、それがセンセーショナルに報道され、被告らのような宝石店関係者は警察から個別指導を受けることからも明かなように、犯罪を行おうとする者からは狙われやすい対象である。

そして、営業活動と防犯体制を両立するためには、被告ら経営者の高度な営業的判断に基き、顧客対象を限定したり、入店制限を行うこともやむを得ない。被紹介者に限るとか、完全な会員制とすることもあり得る。

また、顧客対象から外国人を除外することもあり得ることであり、仮にそうであったとしても、一概に差別として公序に反するとは言い切れない。なぜならば、外国人は一般的に生活様式、行動様式、風俗習慣、思考方法、情緒等人間の精神活動の面において日本人と異質なものを有していることが多いほか、特に言語上の障害のために日本人との意思の疎通を図ることが難しく、お互いに信頼関係を形成するのが困難であることが少なくないからである。

もとより、人種差別撤廃条約の目指すところを否定するものではなく、「外国人との共生意識」が国家社会に浸透し、国民個々の意識への浸透が進むにつれて、信頼関係の形成が容易になっていき、右のような除外が公序に反することもあり得る。

四 被告らは第二項三1および2の原告の行動に接し、原告の行動について怪しいと判断してしまった。そして、この判断は決して誤りであると断定することはできず、公の秩序に反するとはいえない。

原告の行動について、「出店荒らしにご用心」と題するビラ中の「注意事項1」に該当すると判断した被告らにおいて、原告に対し声を掛けたり、その反応を見て、退店を求めたことも、決して異常な行動ではなかった。

なお、念のためであるが、被告らが原告に対して退店を求めたのは、単に原告がブラジル人であったからではない。

五 仮に、原告について怪しいと判断してしまったことが誤りであったとしても、それは被告らの置かれた立場やその当時の状況からしてやむを得ないものともいえ、その誤りも公の秩序には反せず、違法行為とはなり得ない。

六 被告らとしては、原告に対してとった行動について、その場で原告に対し充分に理解してもらえるように説明できなかったことを悔やんでいる。また、少なくとも、原告において人種を差別されたと受けとられてしまったことについては、被告らにおいて反省すべきであり、原告に対しては陳謝の意思を有している。さらに、今後の「S堂貿易宝石店」の営業や生活において、教訓として生かしていこうと考えている。

七 しかし、一方でつぎのような感情を抱いていることも事実である。

店内にいた原告から電話連絡を受けたと思われる記者は、その場の会話内容を録音したり、被告らの承諾を得ることなくS堂の内部を写真撮影していた。

これは、明らかに人権侵害であり、仮に報道目的であったとしても、取材の自由を逸脱した許されない行為であるはずである。

(丙)  証拠

記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

理由

Ⅰ  当事者

一  原告が、株式会社アイ・ピー・シー・テレビジョンネットワークの静岡支局(浜松市所在)の記者であることは弁論の全趣旨によってこれを認める。

二  被告乙山五郎が、兄弟で静岡県浜松市肴町<番地略>所在の有限会社S堂貿易の名称の宝石店を経営している者であり、被告乙山花子はその母親であって、同店を共同して経営している者であることは当事者間に争いがない。

Ⅱ  人種差別撤廃条約について

一九六五年(昭和四〇年)一二月二一日第二〇回国際連合総会において採択され一九六九年(昭和四四年)一月四日効力の生じたいわゆる人種差別撤廃条約は一九九五年(平成七年)一〇月一日現在まで合計二二一カ国が締約し、一九九五年(平成七年)一二月二〇日我が国もこれを批准するに至った。

以下、右条約を巡る若干の問題点を検討する。

第一、一 条約と国内法

1  条約と国内法との関係については、分立説と統一説が存在する。

分立説は、国際法は国家間の合意であり、国際慣習が淵源であって、その主体も国際団体、国家であるから、国内法とは別個の法体系であるというのであるが、現実には条約が国内法に影響を及ぼし、国内法令の制定や改廃を要求することがあるのであって、国家が国際社会の一員であることから国際法と国内法は統一的な法体系であるというのが統一説である。

条約の国内法化に関する諸国の憲法を看るに、「一般に承認された国際法規はドイツ国の拘束的構成部分としての効力を有する」(ワイマール憲法)、「この憲法、それに基いて制定される合衆国の法律、合衆国の権能の下に締結された、または将来において締結される一切の条約はこの国の最高法規である。各州の裁判官は、その州の憲法や法律に反対の規定があってもそれらに拘束される。」(アメリカ憲法)、「正式に批准され公表された外交的条約はフランスの国内法に反する場合においても法律の効力を有する。正式に批准され公表された外交的条約は、国内法よりも優越した効力を有し、その規定は、外交的方法によって告知された正式の廃棄によるのでなければ、廃止、変更、停止されることはない。」(フランス一九四六年憲法)と定めている。

2  我が国の憲法は、右のような詳細な定めはないが、第九八条第二項により、統一説に従っていることは明かである。

地球はグローバル化の時代を迎えており、交通通信手段の発達により情報は世界に飛び交い、人の交流は世界的に繁くなり、企業が一国の範囲を超えて活動を広げ、酸性雨や地球温暖化など世界的な規模で解決しなければならない問題が生じている今日、到底分立説に左祖することはできないものといわなければならない。

二 条約と憲法

1  条約優位説

(一) 第九八条第二項は、条約の誠実遵守義務を定めているところ、この義務は国内法上条約を遵守すべきことを定めたものであり、その場合に、何らかの条約が憲法に違反するという理由で遵守されず、国家機関や国民がその施行を拒むようなことがあれば、条約を遵守したことにはならない。つまり、この規定は仮に条約が憲法に反するような場合でも遵守され、施行されなければならないこと、すなわち、条約が憲法に優位することを定めたものである。

(二) 第八一条は、「一切の法律、規則又は処分」の違憲立法審査権を最高裁判所に与えているが、条約を除外している。このことは、最高裁判所は条約の違憲立法審査権を放棄したことを意味し、条約が違憲であっても効力を有することを定めたものである。

(三) この憲法全体を支配している国際協調主義により条約優位を説く。

2  憲法優位説

(一) 第九八条第二項は条約の国内法化を定めたに止まり、条約と憲法の効力の優劣関係を定めたものではない。

(二) 第八一条から直ちに条約優位を導き出すことはできない。条約は相手国のあることであり、一国の側だけで国内的に条約を審査しても、それだけで国際法上の効力は直ちに否定されるものではない。この条約の特殊性から第八一条は条約について特に明文を設けず、これを解釈および実際の運用に任せたものである。

(三) この憲法が強い国際協調主義に立っていることは勿論であるが、同時に強い国民主権主義にも立っている。そしてこの国民主権主義は、憲法改正に主権者である国民投票を必要とする。しかるに、条約優位説によれば、条約により憲法を変更し得ることを認めたことになる。すなわち、国民投票を要せず、単に内閣と国会によって簡単に成立する条約によって、国民投票を要する憲法が変更され、実際上、憲法が国民投票によらずに改正されることを認めなければならないことになる。これは、国民主権主義に反する。

3  憲法優位説に賛成する。

グローバル化の時代といっても、国家は人と領土とを構成要素として内部では統治権を行使し、外部ではそれぞれの国家が対等で最高独立の単位として行動しており、国家の機能と障壁は未だ崩れてはおらず、このことを前提として国際連合等の国際機関は各国家間の調整や紛争の解決を図っているのが現状であると看られるからである。

また、この憲法における国際主義の思想は、何らかの条約の内容の合憲性を判断する場合の基準とはなりうるが、国際協調主義から直ちにいかなる条約も憲法に優位するということにはならないといわざるを得ない。要するに、国際協調主義は国民主権主義と併存はしても、後者を排除するには至らないのである。

三 人種差別撤廃条約の地位

1  以上のように人種差別撤廃条約は憲法優位の下、わが国においても国内法としての効力を有する。

(一) ただ、わが国は、「右条約第四条(a)及び(b)の規定の適用に当たり、同条に『世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って』と規定してあることに留意し、日本国憲法の下における集会、結社及び表現の自由その他の権利の保障と抵触しない限度において、これらの規定に基づく義務を履行する。」旨の留保をしている。

(二) また、「この条約の実施のためには、新たな立法措置及び予算措置を必要としない」旨の外務省の説明である。

このことは、わが国の憲法が、その前文において主権が国民に存する民主主義を人類普遍の原理として採り、また、国際協調主義を標榜しているのみならず、その第三章において、個人の尊厳と生命、自由及び幸福追求の権利、ならびに人種、信条、性別、社会的身分又は門地により差別されないという法の下の平等を謳い、さらには思想良心の自由等の個別の基本的人権の掲げ、これらの基本的人権は侵すことのできない永久の権利であって、国民の不断の努力によって保持しなければならないと規定していることから、これで充分賄えるとして、敢えて立法措置や予算措置を必要としなかったものと考えられる。

2  しかしながら、人種差別撤廃条約は、この条約の前文に掲げている世界人権宣言等が、自由権、平等権、人種差別の禁止等の基本的人権を高らかに世界に宣言しているのにとどまるのに比べて、一歩を進め個人や団体の差別行為についての採るべき立法その他の措置を締約国に要求している。

このことは、我が国内において、人種差別撤廃条約の実体規定に該当する人種差別行為があった場合に、もし国または団体に採るべき措置が採られていなかった場合には、同条約第六条に従い、これらの国または団体に対してその不作為を理由として少なくとも損害賠償その他の救済措置を採りうることを意味する。

そしてまた、何らの立法措置を必要としない外務省の見解を前提とすれば、本件のような個人に対する不法行為に基く損害賠償請求の場合には、右条約の実体規定が不法行為の要件の解釈基準として作用するものと考えられる。

第二、基本的人権の根拠付け

一1  人間は二本足を持つことから他の動物と異なり優れて大きな脳を持ち、生きていく本能そのものを失ったが、考える能力を身につけていることが出来、そのために社会的に独立して生活していくまではほぼ二〇年程度の長期間を要して成人し、また、その間に試行錯誤等により自己のよって立つ根拠を限りなく考える性質がある。

思考は無限である。かくて、現実の世界が有限であることから無限に憧れ、また、現実の世界が不完全であることから完全無比を対峙させ、相対的世界から絶対的価値を夢み、西洋ではギリシア哲学を用いて宗教の世界において三位一体説を完成させ、東洋では徳をもって君子とするを標榜した孔子は、その生涯が必ずしも恵まれたものではなかったにせよ(「論語」貝原茂樹著講談社現代新書)、その弟子たちの権謀術策によるのと、広い国土を治める必要から、徳を備えた聖王が天命を受けて神通力を備えた巫祝王として世を治めるという易姓革命の思想が前漢時代にほぼ完成した、すなわち、儒教は大いに変貌し人間関係の上下を規律するに便宜な国教としての地位を占めたといわれる(「儒教ルサンチマンの宗教」浅野裕一著平凡社)。

こうした観念の世界では、あるいは荒唐無稽な空想の産物や論証不可能な代物や、釈迦やキリストのような聖人の説が人間性に深く感動を与えるものなどが混在するのであったが、このような聖人やとりわけ権力者にとってはその権威性ないし正統性を根拠付ける神話を産んだ。

しかしながら、観念の世界のみに生きるのであれば、ともすればその固有の世界に閉じこもるあまり融通を欠く場合も生じた。宗教原理主義はその例である。

かくて、中性のヨーロッパでは修道院に閉じこもってひたすら神の身許に仕えるとか、現実よりも理想を念頭においた生活が理想とされ、現実世界においてもこのような宗教的理念に支配される生活であったし、東洋でも儒教が久しく中国の国教となり、上下の階層をなした官僚制度が社会の停滞を招いたとされる。李王朝時代の韓国では、右中国の影響から世襲的な両班という官僚制度が社会の停滞を招いたと指摘されている(「儒教ルサンチマンの宗教」浅野裕一著平凡社。「歪められた朝鮮総督府」黄文雄著光文社など参照)。

自然法とは、このような観念的思考が支配する中世以来の時代を背景として、歴史の世界で変転してやまない特殊的相対的な実体法に対して、人為から独立の自然的な事態ないし秩序または先験的な倫理的法則ないし価値に基づいて必然的に成立する規範であることと観念されて、存在した。

2  一六世紀に至るやデカルトが精神と物質について理解する方法を異にする二元論を説き、物質については数式等を用いて仮設を立て、これを実験等によって実証し、その正確性を証明する方法論が確立して自然科学が発達し、ニュートンの古典力学からアインシュタインの相対性理論や量子力学を産み、ひいては現実世界に応用するテクノロジーと結びついて産業革命を経、今日の物質文明の基礎が築かれた。また、その方法論が人文科学ないし社会科学にも応用されて、社会の法則性が或る程度明らかになった。

3  このことは人々の社会生活にも影響を及ぼし、マルチンルターの宗教改革を嚆矢として西洋ではルネッサンスを経験し、キリスト教の一派であるプロテスタントが観念的な世界の価値よりも現実的な世界における実現すべき価値を見出して今日の資本主義繁栄の基礎を築いた。

その間、フランス革命、アメリカ独立宣言は、天賦人権説を根拠に基本的人権を高らかに宣言するに至った。

かくて、一九世紀は、神は死んだとニーチェをして嘆かせたように人間の理性を楽天的に謳歌する啓蒙的な思想が支配し、ルソーの説く人々の一般普遍的意思によって、国家は成立するという社会契約説が産まれ、国家の基礎は主権が国民に存する民主主義が至高の理念であり、国家を構成する人間は理性的存在であると観念される考え方が次第に支配するようになった。

4  しかしながら、人間は理性的な存在であると同時に、欲求に突き動かされて行動する非条理な動物的存在であることも事実である。

このような人間の不合理的な側面に照明を与える学問は、前記事実に関する自然科学の方法論を借りて行われ、心理学、社会心理学であり、文化人類学であったりもし、また、その方法論を政治現象に採り入れた政治学であったりもしたが、さらには根本的にその人間の無意識層に究明を与えたのはフロイトを始祖とするユングなどの精神分析学派も産まれた(「ユング心理学の世界」樋口和彦著創元社)。

5  かくて、二〇世紀は科学とテクノロジーが結びつき、限りなく文明の利器を次々にしかも大量に産み出し、人々はこれを利用し、大量に消費し、また拝金主義を産みだし、ここに大規模な大衆社会を現出させた。情報に関してもおびただしいほどの情報が飛び交い、人々は断片的にこれを鵜呑みにするようになり、いままた、コンピューターの発達により、いよいよ情報は個人的に秘密的にもなってきた。生活に利便なものを与えられた人々はこれを身近な享楽的な分野に使用し、次第に他人との関わり合いや高邁な人生の意義や社会に対する責任というものを忘れるようになっていった(「二十世紀とは何であったか」小林道憲著NHKブックス)。

したがって、今日、自然現象であれ、人間の営みである社会現象であれ、事実に関する面では、相当の進歩を得、人々の物質的な生活は豊かになったが、人間の持つ価値、倫理、道徳についての考察は相当な遅れをとっているといえる(この試みをしたものとしてつぎの論文があるが、人間の起源と自由意思の誕生、さらにそれより産まれた価値の問題について考察の筆を進められていたところ、その段階で筆が中断されていることを考えれば、価値の問題は相当の難問であることを示唆する。「人間の科学と哲学」小林直樹著法学協会雑誌一一二(一・一)一〜一一二(八・五八)一〇七六。なお、「現代世界と倫理」加藤尚武・松山寿一編晃洋書房。これについても充分でない気がする。特に差別についての倫理には触れていない)。

人間は社会的動物である。社会の一員として他の人々と共に生活していくためには、法律、倫理、道徳等の社会規範を習得してこれを遵守し、また、価値を追求して行かなければならないのは避けられないのである。

これについては、気の長い話であるが、世界の叡知をして、綿密に人間の価値の倫理と実効性のある方法をDEBATE等により高めていく他はない。

古代ギリシアの女神が開いたパンドラの箱より飛び出した精霊達の邪しまな行為は一九世紀および二〇世紀の叡知によって漸く元の鞘に収まったかに見えたが、その精霊の後裔達の新たにまき散らしたカオスについてはなお数多く現存しており、世界の叡知がなお一層の討論によって価値の創出、道徳倫理の発見に務めなければならないと考える。

二1  沿革的には、基本的人権は当初は根拠付けとして、或いは天賦人権説だとか、自然法だとかいわば概念的に説かれてきた。今一歩という感がしないではない。

現在それは法哲学者によってつぎのように説かれる(「法哲学概論」加藤新平著有斐閣)。人間は本来、それぞれ特有の体験と自由な思考によって自己の独自の世界を作り、そして自立的に意思を形成し得る精神的存在者として、互いに比較計量できない固有の存在意義を持っている。人間は一人一人独自の小宇宙であり、かかるものとしてかけがえのない価値を持つ。ところで、全ての人間がかけがえのない価値をもつということは、全ての人間の平等、自由を意味する。全ての人間は、生存への権利、自己の判断、創意によって自己を実現する権利を平等に持つ。つまり、自律的に善悪を判断し、そして、普遍的交互的に調和し得るかぎり、自由に自己の善と信ずるところを行うことができる。この際、自由と平等の価値が各々全ての個人の人格の尊重という本来の存立意義を満たすためには、両者互いに他を必要とするという相補性の関係にある、というのである。相当実証論的になった。

右のうち、自由については個人の問題であるから理解し易いが、平等のためには人間的共感や連帯感情を持つことが必要である。つまり、私はかけがえのない人間である。あなたも私と同じようにかけがえのない人間であると。人間の相互理解や、思いやりは、心理学者の説明では、人間の持つ共感感性であるというのである。

2  右かけがえのない人間関係は、実存哲学的には、つぎのように説かれる(「哲学的人間学」藤田健治著作集第二巻新樹社)。

すなわち、生命としての人間は人間の本質的なあり方であり、人間の不可欠の成立条件であって、生命力として自然的な欲求をもち、その充足活動を行っているが(生命としての人間)、人間はこれを土台としてさらにこれを超えて生命に新しい意味と価値を与え、生きることに生きがいを感じさせる理想ないし理念を求める存在である。これを精神としての人間というのであり、理想や理念は生命としての人間に生きがいを与える価値であり、このような価値、つまり知識の目指す真理、人の行為の善し悪しを判別しようとする善、美しいものを美しいと価値づけようとする美は、科学や道徳、芸術など文化の創造であり、科学は技術化し、道徳は法制化し、美術は作品を産み、もってこれらの人間の創造活動が長い経験を通じて人間の生活に文化的な潤いを与えてきたものである(精神としての人間)。

更に、右価値については現実世界には対立をもって現れ、真に対しては偽、美に対しては醜、善に対しては悪として具現するが、本来道徳は人間の根本的在り方に深く根ざして、人間を人間らしく生かしていくこと、つまり人間尊重がその基盤となっているといえる。ここに善悪の価値対立を超えてすべての人間を包容する絶対愛、絶対慈悲を宗教としてとらえ、真の人間がかけがえのない実存として現れる。すなわち、人間はそれぞれ他の人によって置き換えられない独自のかけがえのない存在であり、一生の伴侶についてもそのプライベートの面を含めて、実存と実存との結合として、一人一人相互にかけがえのないものとして関係してくるというのである(実存としての人間)。

かくて、絶対愛は、現代の人間把握に深い根底と基盤を与え、基本的人権の尊重は、実存としての人間という考え方を根本に置いて根拠付けなければ可能ではないというのである。

三  我が国が民主主義を採用したのは、第二次世界大戦の後である。

1 昭和二三年に発行され、昭和二八年まで中学生および高校生の社会科教科書として使われた文部省著作の「民主主義」(径書房復刻版による)はしがきを抜粋すると、つぎのとおり書かれている。

「今の世の中には、民主主義ということばがはんらんしている。民主主義ということばならば、だれでもが知っている。しかし、民主主義のほんとうの意味を知っている人がどれだけあるだろうか。その点になると、はなはだ心もとないといわなければならない。

では、民主主義とはいったいなんだろう。多くの人々は、民主主義というのは政治のやり方であって、自分たちを代表して政治をする人をみんなで選挙することだと答えるであろう。それも、民主主義の一つの現われであるには相違ない。しかし、民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。

人間の尊さを知る人は、自分の信念を曲げたり、ボスの口車に乗せられたりしてはならないと思うであろう。同じ社会に住む人々、隣の国の人々、遠い海のかなたに住んでいる人々、それらの人々がすべて尊い人生の営みを続けていることを深く感ずる人は、進んでそれらの人々と協力し、世のため人のために働いて、平和な住みよい世界を築き上げて行こうと決意するであろう。そうして、すべての人間が、自分自分の才能や長所や美徳を十分に発揮する平等の機会を持つことによって、みんなの努力でお互いの幸福と繁栄とをもたらすようにするのが、政治の最高の目標であることをはっきりと悟るであろう。それが民主主義である。そうして、それ以外に民主主義はない。

したがって、民主主義は、きわめて幅の広い、奥行きの深いものであり、人生のあらゆる方面で実現されて行かなければならないものである。民主主義は、家庭の中にもあるし、村や町にもある。それは、政治の原理であると同時に、経済の原理であり、教育の精神であり、社会の全般に行きわたって行くべき人間の共同生活の根本のあり方である。それを、あらゆる角度からはっきりと見きわめて、その精神をしっかりと身につけることは、決して容易なわざではない。」

このようにして、日本の民主主義は始まった。

2 しかるに、一九九〇年ころより以降、バブル経済崩壊後、金融機関の破綻や官僚汚職が生じ、オウム真理教のサリン事件が生じたり、酒鬼薔薇事件が生じたり、数々の保険金殺人事件が生じたり、魂なき豊かさを指摘され、日本社会が正常でないという声が聞かれるようになり、無責任社会を憂う学者もいたり(「日本の終わり」竹内靖雄著日本経済新聞社。「日本の無思想」加藤典洋著平凡社。「現代民主主義の病理」佐伯啓思著NHKブックス)、戦後よそから安易に民主主義が与えられたが、民主主義とはそういうものではなく、日々克ちとるものだと教えられたり(「悪の民主主義」小室直樹著青春出版社)している。

(一) 日本は適当な距離を隔てて海に囲まれた島国である。

したがって、外来の文化、文明は、これを輸入してもそれなりの受容能力が日本にはあり、これを日本の風土に合わせるように改造していったことは事実である。仏教の採り入れがそうであったし、漢字の輸入もこれより独特な漢字交じりの日本語を創造したし、儒教も封建時代にはそれなりの機能を果たした。明治維新後、和魂洋才の名のもとに西洋文化を採り入れるよう努力したのは東洋では日本だけであった。

(二) しかし、海洋によって隔てられた国であったが故に、一面、単一社会が形成され、外国との交流に相互に理解し難い幼稚な面が残されたのも事実である。

我々日本人は永い間「修身斉家治国平天下」という儒教精神を生活の価値観として身につけてきたといわれ、それが民主主義を採用する現在でも根強く社会の底辺で生き続けている。

旧来の日本の家族制度は、数個の夫婦親子と近い親族の一部を含む集団としての「家制度」として存在してきた。

そこでは、集団の支配者である家長が強大な権力を持ち、家族員はその支配と統制と庇護のもとに生活し、集団の結束は家長の権威によって維持される。しかしまた、家長もその「家」の維持向上発展という理念にしたがって行動することが要請され、「家」集団の経済的基礎である財産は、少なくとも実質的には「家」に帰属するものであり、家長はその管理者として考えられた。

そこから、家族員相互の人間関係が主に家の存続という道徳律がいまなお残存し、夫婦よりも親子関係、兄弟姉妹の間でも女子よりも男子、次男、三男よりも長男、直系親族と傍系親族、さらには家と家との系譜関係などに拡大されていたとされる、いわゆるタテ社会の原理が根強く残っており、したがって日本人の没個性、ウチ社会とソト社会の区別、またウチ社会の者に対しては寛容であるが、ソト社会の者に対しては厳しいという特性、タテマエとホンネの使い分けなどという特性が社会一般の生活にまで及んでいるというのである(中根千枝著「タテ社会の人間関係」「タテ社会の力学」講談社)。

こうした特性が、民主主義の精神に反するものであることはいうまでもない。

(三) 絶対者の前で真剣に自己を内省し、つきつめて自己のあるべき姿を模索するプロテスタントと、自然にも神秘を認め、自然と一体化を旨とする多神教的な日本の風土では、ある程度右(二)の相異は必然であったかも知れない(ベネジェクト「菊と刀」発行所不詳。「母性社会日本の病理」河合隼雄著中央公論社)。日本人が事を決するのは、その場の空気であるといわれ、価値の問題や事実認識の問題について、異なった立場で充分に討論して建設的な結論を出すということ、すなわち、DEBATEをする訓練が不足していると指摘されている面がある(「ディベートの原理・原則」松本道弘著総合法令。「ディベート入門」松本道弘著中経出版。事実、政策の問題は勿論、価値の問題もDEBATEされるべきである)。

しかしながら、今日世界はグローバル化の傾向にあり、すべての人は人に譲渡することのできない基本的人権を有していると観念されているからには、立場の異なった人々との相互理解を図るには右討論は欠かせないものとなってくると思われる。

同じく第二次大戦で敗退したドイツでは、ワイマール憲法の下での大衆社会状況からナチスが台頭した結果を反省して、終載後、哲学者ヤスパースがドイツ国民に対する罪責論を著し、刑事上の罪、政治上の罪、道徳上の罪の他、刑而上の罪を真剣に説いて、国民一人一人の内省を厳しく呼びかけたのであるが(「市民とは誰か」佐伯啓思著PHP研究所。「戦争の罪を問う」ヤスパース著平凡社)、日本にはそのような現象が看られなかったといえるのである(「豊かさとは何か」暉岡淑子著岩波新書。すでにバブル崩壊前にドイツにおける豊かさの実感と日本の比較が示されている)。

とりわけ、基本的人権は、罪の文化を持つ文化圏でのそうした内省の結果産まれたもの、すなわち、キリスト教の一分派であったプロテスタントから生じたものと考えられるが、それは単に宗教的一分派の教説にとどまらず、これを越えて宗派の如何を問わず他人をしてこれを納得させるに足る人類普遍の原理に発展し、高められたことは特筆されてよい。

かくて、人はみなかけがえのない基本的人権を享有していることを弁え、相互の共感感情を豊かに持ち、相互にその人格を尊重しながら日常の生活を真摯に営んでいく人生態度にこそ、日本人であれ、外国人であれ価値の対象を見出すべきであって、外国人は一般的に生活様式、行動様式、風俗習慣、思考方法、情緒等人間の精神活動の面において日本人と異質なものを有していることが多いほか、特に言語上の障害のために日本人との意思を疎通を図ることが難しいという、日本の行動様式、習慣等の標準に照らす被告の反論は、グローバルな国際時代には採り得ないものといわざるを得ない。

すなわち、生活様式、行動様式、風俗習慣、思考方法、情緒等人間の精神活動の面においての差異は、それぞれの育った環境文化によって事実として存在することは確かであるが、その優劣ないし善悪という価値評価はにわかにし難いのである(「福沢諭吉のすゝめ」大嶋仁著新潮選書)。

3 要するに、日本では、基本的人権の遵守の思想はそうは根付かなかったといえるのである。

これを阻害するものとしては、日本の近代化が欧米を手本にして明治以来採り入れられてきたが、それは和魂洋オと称するものであったから、家族関係については近代法制に対する忌避感が今なお残り、準拠集団としての様々の「世間」に身を置く日本人には個人の主体性が隠されてしまうという特性が未だに残り、これに属しない者を異質なものとして排斥する傾向があり、教育についても建前だけで行ってきたこと建前と本音の使い分けはこうした特性から生まれること、などを指摘する学者もいる(「日本社会で生きるということ」阿部謹也著朝日新聞社)。

前記のとおり、自由と平等とが人間尊重の本質から出たものであり、他人の基本的人権を共感しあうところから出たものであることを認識する限り、自由と平等には責任を伴うことは理解できるはずなのであるが、これを認識しない場合にはただ責任を伴わない単なる軽薄な自由や平等が存在するにすぎないものであるといわなければならないのである。

なお、現代の問題点を父性の復権によって解説する向きもあるが(「父性の復権」林道義著中公新書)、日本は恥の文化であったことを考え、日本は従前より母性社会であったという同じ精神分析学派の説(「家族関係を考える」河合隼雄著講談社現代新書)からすれば、今少し父性的原理が社会に浸透しているべきではなかったかと思うし、家庭における父親の役割が社会規範を採り入れるものであると理解すれば、現代社会において価値の混乱が看られるところから、それぞれが現在の依って立つ立場を今一つ厳しく内省する必要があると考える。

オルポートは、民主主義とは、重い荷、ときには重すぎる荷をパーソナリティに負わせるものである。成熟した民主的な人は、明敏な徳と包容力とを持たなければならない。因果関係を合理的に考える能力、民族集団およびその特性について適切に分化したカテゴリーを形成する才能、他人に自由を与える度量、独力で建設的にそれらを生かす力を。これらの性質はどれも成熟しにくいし、維持しにくい、と述べている(「偏見の心理」G・W・オルポート著原谷達夫・野村昭共訳培風館)。

Ⅲ  具体的事実の経過

第一、一1 成立に争いのない甲第四、第五号証(原告作成の陳述書とその訳文)、同乙第四号証(ビデオテープ)、原告本人尋問の結果、被告本人尋問の結果を総合すると、

(一)(1)  一九九八年(平成一〇年)六月一六日自宅を出た原告は途中旭接骨院に寄り道し、通称有楽街を通行中S堂を見付け、同店がブラジル産のエマチタなる名称の宝石を展示してあるのに興味を覚えて同日午後一時四三分ころ同店に入った。

(2) 原告は探していたオニックスのネックレスがあるかと思い、ショーウインドーを眺めていると、店主の被告乙山五郎が寄ってきて、「Where are you from?」と原告に問いかけてきたので、原告は、「ブラジルからです。」とほほ笑みながら答えたのであるが、通じない様子であったので、「I am from Brazil!」と英語で答えた。

(3) 同被告はテーブルの上の書類を片付けたうえ、両手を広げて原告の許に近づき、店から出ていくように原告に要求し、「この店は外国人立ち入り禁止だ。」と英語で言うので、原告が、「どうして外国人立ち入り禁止なのですか。」と英語で問い返すも、同被告は、英語で同じフレーズを繰返し原告を押して行くので、原告においては、「どうして外国人立ち入り禁止なのですか。」と聞返すも、同被告は大きな声で、「外人だめ。」と言い、原告は、「どうして。」を繰返すばかりとなった。

(4) 怒った状態の同被告は、やがて店の左の壁にかかっていたポスターを指さし、奥の壁に掛けていた「出店荒らしに用心!」の紙を外して原告の顔に近づけて行った、原告は、「漢字は読めない。」と言った。

(5) 同被告は、「店から出なければ警察を呼ぶ。」と日本語で言ったので、原告は、「そうして下さい。」と答えた。

(6) 同被告は電話をかけ始めた、原告もインターナショナルプレス社に勤務する夫の甲野太郎に通訳を頼み、ムンジァル社のマラ・ナカガワに連絡した。

(7) 数分後、通訳のヒカルド・マキヤマが来、やがて二人の警察官と警備員が来、やがてその他のクラウヂオ・エンドや静岡新聞記者の小池某、浜松市役所国際課のマルシア・サイトウも来店した。

2(一) その後は、錯綜し、また、原告と同被告との会話も通訳を介してなので、正鵠を期し難いが、原告の供述はつぎのとおりである。

(1) マラ・ナカガワは店内の写真を撮ろうとして警察官に制止され、ほかの者は店内に貼ってあるポスターを見、警察官から通訳を受けたヒカルド・マキヤマから原告は、「只今入場制限中お客様が五人以上になると混雑する。外国人の入店は固くお断りします。」旨の説明を受けた。

(2) 通訳人から聞いたところによれば、被告乙山五郎は、「外国人は、まず店に入っていろいろ宝石の値段を見て後で盗む。」と告げ、「ブラジル人はこの店で盗みを働いたことがある。」といっていたが、後で訂正し、「ブラジル人でなく、外国人がこの店で盗みをはたらいたことがある。」といっており、「警察が調査しても、どこの誰が盗みを働いたかはわかっていない。」とも言っていた、また、同被告は、「最初は彼女をフランス人だと思っていた。」とも言っていた。

(3) 同被告は、「私は英語も日本語も解らない。」と言うので、原告は、警察官を中にして、同被告に対し、「What are you talking about? I understand everything you are saying in Eng-lish. What about you? Can you understand what I am saying?」(あなたはなにを言っているんですか。私が英語で言っていることが解っています。あなたはどうですか。私が言っていることが解りますか。)と言っても、同被告の回答はなかった。

(4) 原告は、通訳を介して、「私は盗むつもりは全くなかった、お店に外国人の入場を断ることは人権違反です。」と伝えた。

(5) 同被告や警察官は、人権は知らないと言っていた、警察官は、「なにもできない。このことは被告とプライベートで話するしかない。」と言うので、原告は警察官が帰っても仕方ないと思った。

(6) 当日午後ころ、同被告は店から出ていったが、警察官はなにも言わなかった。

(7) しばらくして、原告は事態を終息させようとして、店にいた被告乙山花子に対して、「壁からあのポスターを剥がして被告乙山五郎からの謝罪の手紙を下さい。」と要求したが、被告乙山花子はポスターははずさないと言ったが、「なにを書けばいい。」と聞くので、原告は、「日本人の客に申し訳ないことがあると手紙を書くでしょう。それと同じように書いてほしい。」と頼んだところ、同被告はメモを出して、「ごめんなさい。」と書いて店の名前を書いてよこしたが、「それで帰ってくれますか。」と言うので、原告は「私の名前と謝罪の理由を書いてくれますか。」と頼むと、同被告はどのように書けばいいのか分らないと言いつつも、原告の名前を書いた。

(8) 原告は、居合せた被告乙山花子に対し、心から反省していないようだと言うと、同被告は、「実は反省していません。頼まれているから書いているだけです。本当は、早く帰って欲しいのです。」と言うので、立ち会った警察官は、「これ以上乙山さんは書けません。これは乙山さんにとってとても恥ずかしいことなのです。」と言った。

(9) 原告は、「それなら、謝罪文として受け入れなくて、この件を裁判所に告訴します。」と言って店を出た、店に入ってから約三時間経っていた。

(二)  右は、その場の原告と被告らの会話が通訳を介してのことでもあることから、その会話が正確に相手方に伝えられたかどうか疑問があるけれども、原告と被告乙山五郎がそれぞれの立場から事態を終息させようとしてそれぞれの関係者を呼んで事態が推移したのであるが、同被告の当初採った措置は原告をブラジル人であるとして嫌悪し、後記のとおり張り紙の効用を誤り、もろに原告に示したことは、原告を犯罪予備者のような取扱であったといわざるを得ない。原告がこれに怒ったことは当然であるといわざるを得ず、その後の原告の措置は、その夫等の応援を頼み、同被告をして謝らせることにあったと看ざるを得ない。

これに反し、被告乙山五郎は途中から中座してその場を逃れていることは無責任の謗りを免れない。

被告乙山花子にしても、後記2(二)の文面と当時の雰囲気から、本心は早く原告をして店から出るようにとの気持ちから書いたものというべく、「ごめんなさい。」との言辞が素直に謝罪したものと看ることはできない。

2(一) なお、出店荒らしご注意の張り紙の内容は別紙のとおりである。

(二)  また、被告乙山花子が書いたと称するメモの内容はつぎのとおりである。

「言葉が通じないのでごめんなさい。これしか言い用がありません。甲野春子さん。S堂貿易乙山」

二1 被告乙山五郎は、

(一)(1)  S堂は被告乙山五郎の先代が営業していた平成四年五月ころに店の商品が二人組の犯人に襲われて盗まれたことがあり、

(2) また、平成一〇年からは警察署の方も巡回して防犯指導に当たり、その際に別紙張り紙を貰ったものであること、

(3) 以後、被告乙山五郎らにおいても防犯に気を使い、店内に五名以上の客の入場を遠慮させる内容の張り紙に加え、外国人の入店を断る内容の張り紙を被告乙山花子において書き、これを張り紙として使用したりした、これというのも中国からの密入国者らしき人物が店内を列を作って物色した例が三、四度くらいもあり、同被告において恐怖を感じたことがあるからである、

(4) 本件事件の前、S堂店舗横で二人のブラジル人が写真を撮っていたことがあり、店舗の裏を撮影しているのではないかと怪しんだ被告乙山五郎において問い質すと怒って帰ってしまったことがあり、結局その撮影目的は分からずじまいであった、

(二)(1)  事件当日、原告はしばらく店の外でショーウィンドーを見ていたが、やがて店内に入ってきた、あまり店員には話しかけられたくないが商品を見たいという感じではなく、しっかり立ち止まって一つ一つのウィンドーをじっくりくまなく見ている感じであった、

(2) 当初、S堂と取引のあるフランスの会社とのトラブルから客を装って店を調査しに来たのかと思い、何処から来たのかと声を掛けたところ、原告はブラジルと答えたので同被告の第一印象は外れてしまった、

(3) 同被告は、当日子供を病院へ連れていく用事があり、妹を店番に呼んでいたが、子供を迎えに行くには、午後二時三〇分ころには店を出なければならず、外国人である原告に商品を見せていると時間がかかり、母の被告乙山花子と妹を店に残していく不安があった、

(4) 原告には忙しいということが通じ、「No」とか、「Why?」とか言ってきた、その後、被告乙山五郎はカウンターから出て原告に近づき、手を差し出して、「Please Please」と何度も頼んだり、手を広げて出ていって欲しいと伝えた、

(5) 原告に頼んでもなかなか店から出ていかないので警察に電話した、原告が店を出ていかないことにどうしてそんなにこだわるのだろうと不審に思って、とっさに警察から貰ったマニュアルを思い出して、電話した、警察が来てくれれば、とりあえずその場を委せて病院に行けると考えた、

(6) 警察が来るまでも同被告と原告の押し問答が続いていた、原告はどこかへ携帯電話をしていたので、不安になり、「外国人お断り」のビラや、警察から貰ったマニュアルを持って原告に示しながら、「Please get out. We cannot accept foreigner.」と原告に言った、

(7) 警察が来て同被告は直接原告と話すことはなかったが、原告は通訳を介して、ここは店なのにどうして客を追い出すのか。どうしてブラジル人だといけないのか。どうして原告を逮捕しないのか。告訴してやる等と、繰り返し言っていた、

(8) 同被告は午後二時四五分ころ店を出た、

(9) 店を出てからのことは、原告に出ていってくれないと商売にならないので、ごめんなさい、と書いたものを原告に渡して、悪かったということで原告と握手して帰ってもらったと、被告乙山花子より聞いている、

と供述している。

2 以上の供述を検討するに、右1(一)(1)ないし(4)のとおり被告乙山五郎の先代が外国人風の盗賊により盗難事故に遭い、自らも負傷した事実は、乙第二号証を検討しても不幸としかいいようがなく、これを機に被告乙山五郎らは外国人の盗難に神経質にならざるを得なかった事情は理解できるにせよ、単に、中国人だとか、ブラジル人だとかおしなべて類概念をもってその類に属する人を悪し様に扱うことは出来ないといわざるを得ない(前掲ヤスパース著「戦争の罪を問う」平凡社)。オルポートによれば、人は偏見への傾性を持ち、この傾性は、物事を一般化、概念化、カテゴリー化するのであり、その過程で表現される経験界は過度に単純化されるというのである(前掲オルポート「偏見の心理」培風館)。

殊に、本件では直接問題とする訳ではないが、中世のヨーロッパにおいて、詰問する問題を予め設定しておき、イエスかノーかの二つだけの選択肢を用意し、次から次へと詰問し、ついに魔女の烙印を押されることから逃れさせないようにし向けた中世の魔女裁判に使われたいわば二分法が、夥しい数の無実な婦女を魔女の名においてこの世から葬り去ったことは、人間の陥りやすい過度のカテゴリー化の極端な一例というべく、オルーポートの説を首肯させるものがある(「魔女狩り」岩波新書。ただし、著者名失念)。

さらに、右1(二)(1)ないし(2)、(4)で看る原告の行動は、一般の客として普通の態度であり、なんら疚しいところは見受けられない反面、被告乙山五郎の出かける用事は全くの私事であって、原告には関係のないことであり、また、右用事にかこつけて別紙ポスターを剥がして見せるとか、警察を呼ぶことは穏便な方法とは到底いえないといわざるを得ない。

さらには、最後に被告乙山春子と原告が握手して別かれたという供述は、その時の雰囲気からして到底措信し難いものであるといわざるを得ない。

第二、一1 「法律なければ、犯罪はなく、刑罰もない。(Nullum crimen, nulla poena sine lege)」という罪刑法定主義は法律論上の法諺である。

これは、遅くとも中世に至るまで行われてきた罪刑専断主義に対抗して、基本的人権尊重の立場から、人間は理性的合理的に判断する主体であり、行動する主体であるという啓蒙主義の産物である。また、人は有罪の判決の言い渡しがあるまで無罪と推定されるということも、刑事訴訟手続に採用された基本的人権尊重主義の帰結である。これは人間の価値の面から考察した結論である。

しかしながら、実際には現実の人間社会に犯罪が生じることも紛れもない事実である。そこで、犯罪を予防する見地から、社会学、社会心理学、心理学、等の学問の発達によりその一分野として犯罪予防学ないし被害者学ができ、犯罪は数多い人間の社会的不適応の一形態とする観方も成立した。これは、人間社会の事実面を分析した結果である。

2 かくて、浜松中央警察が苦心して作成した別紙は、原告のように宝石店を経営する者にとっては、経営上、警備のため屈強な店員を雇い入れるとか、堅固にしなければならない点とか、被害をなくす方法を気に留めて置くという店主に対する日常の心構えを説いたものであって、客の眼にさらすように、また、客それ自体に後ろめたい感情を生じさせるように店頭に張り出すべき性質のものではない。

二 被告らが営んでいる宝石商は、それが高価な品物を扱うという意味で、犯罪を行おうとする者から狙われやすいという点は、首肯し得るけれども、一般に街頭で店舗を構えている以上、それはその構造上の機能から日本人であると外国人であると問わず途を歩く顧客一般に開放されているものというべく、防犯対策は、これら顧客の目の届かないところで対策を練るのが相当であるといわざるを得ない。

商品を倉庫に備え置き、通信販売等の方法により、品物を紹介するとかいう形態を採れば格別、被告らのような店舗を構える経営者には、顧客対象を限定したり、入店制限を行うとか、被紹介者に限るとか、完全な会員制にするとかの自由はない。

三  以上のとおり、S堂店内に入り、そのショウウインドーを見物している原告には一般の顧客として何ら疚しい態度は見受けられないのにもかかわらず、被告らが原告をブラジル人と知っただけで追い出しをはかった行為は、その考え方において外国人をそれだけで異質なものとして邪険に取り扱うところがあり、その方法についても見せてはいけない張り紙などを示して原告の感情を害したうえ、犯罪捜査に関する警察官を呼びこむような行為は、あたかも原告をして犯罪予備軍的に取り扱うものとして妥当を欠き、原告の感情を逆なでするものであったといわざるを得ない。

Ⅳ 損害賠償額

以上のとおりであるとすれば、被告乙山五郎は、先代が過去に外国人風の盗賊に被害にあったという不幸な出来事から神経質になり、ブラジル人であるということから、外国人入店お断りというビラを見せるとか、警察官を呼ぶとか、不穏当な方法による原告を店から追い出そうとしたことにより原告の人格的名誉を傷つけたものといわざるを得ず、被告乙山花子においても外国人入店お断りという張り紙を作成したり、原告をして早く帰って貰おうと心底から出たのではないメモを渡すなどして原告の名誉を著しく傷つけたものとして民法第七〇九条、第七一〇条に基き、原告に対して、その精神的苦痛を慰謝すべき責任があるところ、その額は原告の主張する慰謝料および弁護士費用を併せて金一五〇万円とするのが相当である。

なお、原告はその他に通訳料を右慰謝料額に斟酌すべきであると主張するが、右請求額全額を認容する本件ではこれを考慮するには及ばない。

Ⅴ  結論

よって、被告らに対し、連帯して金一五〇万円およびこれに対する不法行為のあった一九九八年(平成一〇年)六月一六日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める本訴請求はこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第六五条第一項本文、第六一条を、仮執行の宣言につき同法第二五九条第一項本文を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官宗哲朗)

別紙「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」(抜粋)<省略>

別紙図面<省略>

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