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静岡地方裁判所浜松支部 平成16年(ワ)498号 判決 2005年11月30日

静岡県●●●市●●●

原告

●●●

上記訴訟代理人弁護士

中川真

静岡県沼津市通横町23番地

被告

スルガ銀行株式会社

上記代表者代表取締役

●●●

上記訴訟代理人弁護士

●●●

●●●

●●●

主文

1  被告は,原告に対し,金550万円及びこれに対する平成16年9月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は,仮に執行することができる。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  請求の趣旨

主文同旨

2  請求の趣旨に対する答弁

(1)  原告の請求を棄却する。

(2)  訴訟費用は原告の負担とする。

第2当事者の主張

1  請求原因

(1)  当事者

原告は,被告●●●川支店に普通預金口座を開設している預金者である。

被告は,銀行法に基づき銀行業を営む株式会社である。

(2)  盗難事故の発生と預金の引き出し

ア 盗難事故

原告は,現在,静岡県●●●市内の原告肩書地において一人暮らしをしているが,平成16年7月10日ころ,その居所が窃盗被害にあった(以下,この窃盗被害を「本件窃盗被害」という。)。この窃盗犯は,原告宅を荒らすことなく,原告がサイドボードの引き出しの中にしまっていた被告●●●川支店の普通預金口座(以下「本件口座」という。)の預金通帳1冊,印鑑1本及び郵便局のキャッシュカード1枚と電話台の文房具を入れてあった引き出しの奥の方に仕舞ってあった印鑑1本(本件口座の届出印)のみ盗み取っていった。そのため,原告は,本件窃盗被害当時,その事実に全く気付かなかった。

イ 預金の引き出し

平成16年7月15日,被告浜松支店に氏名不詳の女性(以下「本件払戻請求者」という。)が現れ,本件口座から550万円の払戻しを請求した。

被告の窓口担当者は,本件払戻請求者に対して,本人確認の手段として運転免許証の提出を求めたところ,本件払戻請求者は原告名義の偽造運転免許証を提示した。この運転免許証には,原告の●●●市内の住所が本籍地として記載され,住所欄には東京都の住所が記載されていた。

なお,原告が被告に届けていた住所は●●●川市内の住所であり,被告の窓口担当者も運転免許証の住所と届出住所が異なることに気付いた。にもかかわらず,被告の窓口担当者は,本件払戻請求者に対して,特に届出住所の確認をすることもなく,550万円の払戻しに応じ,550万円の現金を本件払戻請求者に手交した(以下,この払戻しに関する取引を「本件取引」という。)。

ウ 原告の被害の認識

平成16年8月3日,原告がキャッシュカードを使用して本件口座に現金を預け入れた際,預金残高が異常に減っていることに気付き,被告●●●川支店に連絡をして,本件窃盗被害に気付き,直ちに●●●中央警察署に被害届を提出した。

(3)  預金返還請求

原告は,代理人を通じて,被告に対し,平成16年9月14日付け内容証明郵便で本件取引にかかる550万円の払戻しを請求し,その書面は同月16日に被告に到達した(なお,書面上の請求は「損害賠償」としているが,預金の払戻請求を含む趣旨である。)。

しかしながら,被告は,原告に対してこの預金の払戻しに応じない。

(4)  よって,原告は,被告に対し,本件口座からの預金の払戻金として550万円及びこれに対する払戻請求の書面が被告に到達した日の翌日である平成16年9月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(1)  請求原因(1)の事実は認める。

(2)ア  同(2)アの事実は不知。

イ  同イの事実のうち,平成16年7月15日に原告名義の本件口座について550万円の払戻請求がなされている事実,同払戻請求は浜松支店で行われている事実,女性が同払戻請求をした事実,同女性が運転免許証を提示した事実,同運転免許証には東京都の住所が記載されていた事実,原告が被告に届けていた住所は●●●川市であった事実,被告の窓口担当者がこの違いに気がついた事実,被告が550万円の払戻しをした事実は認める。その余の事実は不知。なお,本件取引後,被告は原告に対して運転免許証の提示及び現住所の開示を求めたが,いずれも原告が拒否したため,被告においては,原告の運転免許証,現住所を確認出来ていない。

ウ  同ウの事実のうち,平成16年8月3日に,原告から被告の●●●川支店に連絡があった事実は認める。その余の事実は不知。

(3)  同(3)の事実のうち,原告が代理人を通じて被告に対して,平成16年9月14日付け内容証明郵便で550万円の支払を請求した事実,同内容証明郵便が同月16日被告に到達した事実,被告が払戻しに応じていない事実は認める。

3  抗弁

(1)  免責特約

被告の預金規定では免責特約として,「払戻請求書,諸届その他の書類に使用された印鑑(または署名)を届出の印鑑(または署名鑑)と相当の注意をもって照合し,相違ないものと認めて取り扱いましたうえは,それらの書類につき偽造,変造その他の事故があってもそのために生じた損害については,当社は責任を負いません。」と定めている。そして,この預金規定は,普通取引約款として,事前の開示と内容の合理性を条件に顧客の知・不知を問わず当事者を拘束するものであり,本件原告・被告間においても適用されるものである。

本件においては,真正の通帳と印鑑を用いて払戻しがなされたものと考えられ,さらには後述のとおり,被告には払戻しにあたっての過失も存在しないから,被告は同預金規定に基づいても免責されるものである。

(2)  債権の準占有者に対する弁済

ア 以下に述べるとおり,被告の窓口担当者が本件取引に応じたことについて過失はなく,本件払戻請求者に対する払戻しは,債権の準占有者に対する弁済として有効である。

① 平成16年7月15日,原告名義の本件口座に関して,口座を開設した被告●●●川支店ではなく被告浜松支店において,預金通帳と払戻請求書を提示して550万円の払戻請求があったが,窓口で払戻請求をしたのは年齢40から50歳くらいの普通の婦人であり,何ら不審な事由は存在しなかった。

② 被告の窓口担当者は,本件取引が高額の払戻しであったため,身分の確認を求め,本件払戻請求者から運転免許証の提示を受けた。同運転免許証の住所は,東京都の住所であったが,本籍地は「静岡県●●●市●●●」(原告肩書地)と記載されていた。被告の窓口担当者は,同運転免許証の提示を受けて,写真と請求者の同一性を確認し,運転免許証をケースから取り出し,承諾を得てコピーを取得した。なお,その際に運転免許証の手触り,表面等に偽造を疑わせるような不審な痕跡は一切なかった。

③ 同時に,被告の窓口担当者は,浜松支店に設置してある印鑑照合機で印影の同一性を確認し,氏名,生年月日についても同一であることを確認した。

④ 住所について本件口座開設時の住所と違っていたため,被告の窓口担当者は,本件払戻請求者に対して,その旨指摘したところ,本件払戻請求者は,「今は浜松市に住んでいる」と回答し,被告の窓口担当者が住所変更手続を求めたのに対しては,急いでいる様子で今度にするということであった。

また,被告の窓口担当者は,資金使途についても質問したところ,知り合いに頼まれてお金を貸すということであったので,それならば振込にしたらどうかと述べたが,急いでいるので現金の方がいいということであった。

⑤ 被告の窓口担当者の対応は,被告が作成したマニュアルには合致していた。

⑥ 本件取引は本件口座の残額全額ではなく20万円以上の残額を残すものであった。

イ 以上のとおり,本件取引にあたっては,通帳と印鑑は真正なものが使用されている可能性が高く,通帳と印影から本件取引が不正なものであることを疑うことは不可能である。また,被告は,本人確認を求め,運転免許証の提示をうけている。運転免許証は本人確認の資料としては一級のものであり,本件においては,これにより本件払戻請求者が原告であると信じたことに何ら過失はない。さらに,運転免許証に記載されている生年月日も,原告が被告に登録したものと一致しており,この事実は運転免許証を持参した本件払戻請求者が原告であり,本件口座の名義人本人であることをより一層確信させるものである。このように,被告は,本件払戻請求者に対して身分の証明を求め,運転免許証という一級の確認資料の提示を受け,顔写真,生年月日の記載により,本件払戻請求者の氏名が本件口座の名義人と同一人であると信じて払戻しをしたのである。

ウ これに対し,運転免許証の住所と届出の住所が異なることについては,被告の窓口担当者が本件払戻請求者に対し,その事実に関して確認したところ,現在の住所が浜松であるとの回答を得たのであるが,払戻請求をしている支店が浜松支店であること,運転免許証の本籍地が浜松市であること,氏名や生年月日は変わることはないが,住所が変わることはままあることであることを考えれば,必ずしもその場で住所変更手続を求めなかったとしても,上記のような状況を考えれば,これをもって過失があるといえるようなものではない。銀行としては顧客に対してその場でどうしても住所変更を求める権限はないのであり,それにもかかわらず,あえてそれを求めて顧客と窓口でトラブルになることは銀行取引の迅速性,大量性,簡便性という点からも極めて大きな問題を生じさせることになる。過失を判断するにあたっては,事実関係を総合的に考慮する必要があるとともに,銀行取引における大量性,迅速性,簡便性という要請をも併せて考慮する必要があり,住所変更を払戻しのための絶対的な条件とすることは銀行及び通常の真正な預金者に多大な負担を強いるものである。また,届出住所について確認していないとしても,払戻しに来る顧客の中には,口座開設時の住所を記憶しているとは限らないし,窃盗犯により通帳及び印鑑が盗まれるような場合には届出住所についても容易に入手されてしまうことが考えられるから本人確認の有効な手段とはいえない。

また,本件口座では近時において高額な払戻しはなく,払戻しはATMで行われることが多かったものの,何かで高額な払戻しを行うことはままあることであり,それ自体不自然ではないし,このような高額な出金についてはATMでは払い戻せないため,窓口で手続を行うことも当然である。

さらに,郵便貯金においては,本人確認資料と届出住所が異なっている場合,通帳等の住所が現住所であるか確認し,転居の事実がある場合は通帳等の住所変更の手続を行い,転居の事実がない場合には提示された本人確認書類の他に通帳等の住所を証明する公的本人確認書類を持っているか確認し,持っていない場合には国税(地方税)の領収証書,公共料金の領収証書等といった補足本人確認書類の提示を求めるといった取扱いがなされているようであるが,常に激しい競争にさらされ,顧客の利便性,迅速性等も最大限考慮せざるを得ない民間の金融機関と,国が運営し,競争や顧客の利便性ということをさほど考慮しなくてもいい郵便局を同列に論じることはできない。

エ したがって,被告が本件取引に応じたことについては一切過失はないから,被告の本件取引は民法478条の準占有者に対する弁済として有効なものであり,原告に対する関係で,被告は免責される。

4  抗弁に対する認否及び原告の主張

(1)  抗弁(1)のうち,被告の預金規定の存在自体は争わないが,その余は争う。

被告の預金規定の存在は,結局,被告の注意義務を軽減するものではあり得ず,被告の主張する債権の準占有者に対する弁済として有効であるか否かの判断と同一の判断,すなわち,被告が本件取引により本件口座から550万円の払戻しに応じたことについて被告に過失があったかなかったの判断に帰することになる。

(2)ア  抗弁(2)アの頭書は争う。①の事実につき,本件払戻請求者の態度,行動における不審な点がなかったとはいえない。②の事実につき,運転免許証の偽造の精巧さについては定かでない。⑤の事実につき,原告が本件口座においては専ら税金や年金、保険料などの引き落としに使用しており,窓口での多額の現金取引の例はなかったという点は,本人確認における重要な考慮要素である。

イ  同イは争う。

運転免許証は,写真付きの公的身分証明書の中ではパスポートなどに比べれば偽造されやすいものであるし,カラー複写機やスキャナー,パソコンなどの機器が発達し,偽造の技術も以前に比べれば格段に高度化していることに鑑みれば,顔写真付きの公的身分証明書を持参しているからといって直ちに本人であるとは断定できないはずである。特に,本人確認法に定められた氏名,住居及び生年月日が一致しない場合はなおさらのはずである。本人確認においては,氏名,住所,生年月日がセットになっている。本人確認法においてもセットになっているし,ほとんどの銀行も本人確認を説明するためのパンフレットに氏名,住所,生年月日を掲げている。被告の窓口に置いてあるパンフレットにおいても氏名,住所,生年月日をセットで掲げ,「※本人確認書類に記載されているお名前や住所が,現在のものと異なる場合は,お取引ができないことがありますのでご注意下さい。」と明確に記載してある。これに対し,被告の本人確認のためのマニュアルでは,「顔写真付の確認書類を持参している」という項目に対応するのは「Yes」か「No」しかなく,「住所又は氏名が一致しない」という項目がない。氏名,住所,生年月日の一致を顧客向けパンフレットにうたっているのであるから,その項目が一致しない場合にどのように対応すべきかは必須であるはずである。そうだとすると,顧客向けパンフレットと行員向けマニュアルには齟齬があることになり,行員向けマニュアルには不備があることになる。このように,被告において,顔写真付きの公的身分証明書と銀行届出の氏名,住居及び生年月日に不一致がある場合の対応について,明確な基準を定めていなかったか,仮に,定めていたとしても,それを行員に周知徹底させていなかった過失が存するものである。

ウ  同ウは争う。

被告の窓口担当者は,本件払戻請求者から払戻請求書を受け付けてから実際に現金を渡すまで10分程度の時間はかかったというのであるから,その時間を利用して本件払戻請求者に住所変更届を書いてもらうことも十分に可能だったはずであるし,運転免許証に記載された住所が銀行届出の住所と異なっていることに気づいたのであるから,少なくとも口頭で銀行届出の住所がどこになっているか尋ねることは可能であったはずである。現在,どこの金融機関でも本人確認に際してはかなり厳格な対応をしているのであるし,住所変更手続程度であれば,待ち時間でできるはずであるから,これを断ること自体が不審事由に当たるというべきである。大量,迅速といった銀行側に有利な評価基準のみで過失の有無を判断すべきでなく,預金者側の安全,信頼,他の金融機関の取扱い,本人確認法との関係などを考慮した上で判断されるべきである。

また,住所確認については,正確に記憶していないことがあるとしても,市町村などを言ってみて記憶喚起してみることも可能であるから,有効な手段でないとはいえない。

さらに,公衆から金銭を受け入れる金融機関であるという点では,民間の銀行と国営の郵便局において差異はないのであるから,郵便貯金センターの取扱いは金融機関における注意義務の程度を示すものとして参考になる。

(3)  原告の主張

本件取引は,550万円の払戻しであるから,本人確認法に定める本人確認が必要な取引に該当するところ,原告が本件口座開設時に被告に届け出た住所地は,原告の実家である静岡県●●●であった。その後,平成7年ころ,区画整理による地番変更があり,原告は,被告に対して住所を●●●とする変更届を提出した。なお,原告は,平成7年4月から原告肩書地において一人暮らしをしているが,この場所を住所として被告に知らせたことは一度もないし,●●●市内の住所を浜松市内の住所に変更したこともない。本件において,本件払戻請求者が示した運転免許証に記載された住所は東京都内のものであり,その発行日は平成15年11月20日となっていることからすれば,この当時,原告は東京都内に住民登録されていたことになるが,本件口座からは国民年金や市県民税,事業税などが引き落とされていることが分かる。したがって,本件口座の取引を注意深く見れば,住所変更の不自然さは見破れたはずである。仮に,そのような点まで見抜くことは出来なかったとしても,本件取引において,被告窓口担当者は,本件払戻請求者から提示を受けた運転免許証は偽造されたものであり,その運転免許証に記載されていた住所はでたらめな住所であった上,原告が被告に届け出ていた住所とも異なっており,住所が異なっていることを被告窓口担当者においても認識していたのであるから,原告が被告に届け出てある住所を確認するなど,被告において住所が異なっていることについての確認を慎重になさなければならない注意義務があった。

被告は,以上のような金融機関として果たすべき注意義務を怠り,本件取引によって原告の口座から550万円の支払をなしたものであるから,本件取引について,被告が民法478条の準占有者に対する弁済や預金規定の免責特約により免責される余地はないというべきである。

理由

1  本件は,被告●●●川支店に本件口座を開設している原告が,何者かに本件口座の通帳と届出印を窃取された上,それらが使用されて,被告浜松支店において,本件口座から550万円を引き出されてしまったとして,被告に対して,本件口座からの預金の払戻しとして550万円及びこれに対する請求をした日の翌日である平成16年9月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を請求している事案である。

これに対し,被告は,抗弁として,本件取引による払戻しは預金規定による免責特約により免責されるし,民法478条の債権の準占有者に対する弁済として有効である旨主張して争っている。

そこで,以下検討する。

2  請求原因(1),(2)イの事実のうち,平成16年7月15日に原告名義の本件口座について550万円の払戻請求がなされている事実,同払戻請求は浜松支店で行われている事実,女性が同払戻請求をした事実,同女性が運転免許証を提示した事実,同運転免許証には東京都の住所が記載されていた事実,原告が被告に届けていた住所は●●●市であった事実,被告の窓口担当者がこの違いに気がついた事実,被告が550万円の払戻しをした事実,同ウの事実のうち,平成16年8月3日に,原告から被告の●●●川支店に連絡があった事実,同(3)の事実のうち,原告が代理人を通じて被告に対して,平成16年9月14日付け内容証明郵便で550万円の支払を請求した事実,同内容証明郵便が同月16日に被告に到達した事実,被告が払戻しに応じていない事実,抗弁(1)のうち,被告が主張する預金規定が存在することは,いずれも当事者間に争いがない。

3  上記当事者間に争いがない事実のほか,証拠(甲1,甲2の1,2,甲3ないし甲9,乙1の1,2,乙2の1,2,乙3の1ないし3,乙4,乙5,乙6の1,2,証人山●●●)及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

(1)  原告は,以前より被告●●●川支店において本件口座を開設しており,平成11年3月24日付けで預金共通印鑑届を提出しているが,その住所欄には「●●●」と記載されていた。

原告は,平成16年7月15日以前に盗難被害に遭い,本件口座の通帳及びその届出印を何者かによって盗まれたが,同日の時点では,盗難被害に遭ったことに気付いていなかったため,被告にその旨連絡等はしていなかった。

(2)  平成16年7月15日午後12時44分ころ,年齢40歳から50歳くらい,丸顔で髪型や服装はごく普通の女性が,被告浜松支店において,上記盗難被害にかかる本件口座の通帳と預金共通印鑑届に押印している届出印と思われる印鑑を用いて,本件口座から現金550万円の払戻しを請求してきた。

(3)  被告では,他の支店で開設された口座からの高額払戻しの際には,「他店大口出金」として,取扱いに注意することになっていたため,請求を受けた窓口係のパートの石●●●は,払戻請求書の印影と預金共通印鑑届の印影との印鑑照合は行ったものの,払戻請求金額が550万円であり,本件口座が被告●●●川支店で開設されたものであることから,業務リーダーである山●●●(以下「山●●●」という。)にその旨報告し,報告を受けた山●●●は,石●●●から顧客対応を引き継いだ。

(4)  山●●●は,昭和53年4月1日に被告に入社し,各支店で合計10年くらいは窓口勤務に携わっており,平成●●●年●●●月●●●日から被告浜松支店において勤務しているが,その間,平成●●●年●●●月●●●日からは業務リーダーに任命されていた。業務リーダーとしての業務は,窓口での顧客対応,伝票整理,データチェック,他店との連絡といったものを専ら行っており,業務リーダーは窓口業務のリーダー的な存在であった。

(5)ア  山●●●は,払戻請求書に記載されている名前,口座番号,払戻請求金額とオペレーションの印字が合っていること,本件口座のうち普通口座からの払戻請求であること,現金による払戻請求であることをそれぞれ確認した上,本件払戻請求者に本人確認書類の提示を求めたところ,本件払戻請求者は運転免許証を提示してきた。提示された運転免許証には,本籍地として「静岡県●●●市●●●」,住所として「東京都墨田区●●●」と記載されており,裏面の備考欄には,住所変更等の記載はなかった。また,運転免許証に添付された写真には,本件払戻請求者と思われる顔写真が写っていた。提示された運転免許証自体に一見して偽造されたとうかがえるような形跡はなかった。

イ  山●●●は,本件払戻請求者の同意を得て運転免許証のコピーを取った上,印鑑照合機で払戻請求書及び運転免許証と預金共通印鑑届の届出内容の確認を行った。その結果,氏名,生年月日,印影については,口座開設の際の届出と同一であり,見た目の年齢も生年月日と食い違っているようには思えなかったものの,住所は,印鑑照合機に映し出された預金共通印鑑届では,「●●●」となっているのに対し,運転免許証では,「東京都墨田区●●●」となっていることに気が付いた。そこで,山●●●は,本件払戻請求者に対し,住所が違っている旨伝えたところ,本件払戻請求者は,現在,浜松市内に住んでいる旨述べたため,山●●●は,運転免許証の本籍地欄に記載されている浜松市内の地番に住んでいることを確認した上,住所変更の届出をするよう求めたが,本件払戻請求者は,急いでいる様子で今度にすると住所変更の届出をすることを断ってきた。これを受けた山●●●は,被告においては,窓口業務担当者に,氏名,住所,生年月日全てが完全に一致するまで本人確認書類の提示を求めるといった指導はしていなかったこともあり,それ以上特段,住所等の確認をすることなく,また,急いでいる事情を確認することもなく,運転免許証を本件払戻請求者に返した。山●●●は,払戻請求金額が550万円と高額であったことから本件払戻請求者にその資金使途を尋ねたところ,本件払戻請求者は,知り合いに頼まれてお金を貸すことになったと答えたため,山●●●は,安全性を考えてそれであれば振込にしてはどうかと述べたが,本件払戻請求者は急いでいるから現金でいいと答えた。

ウ  山●●●は,上記本人確認の結果,本件払戻請求者は原告本人に間違いないと考え,払戻しの手続をとることにした。

山●●●は,通帳と払戻請求書を役席者である伊●●●に渡してチェックを受け,端末機に通帳と払戻請求書を入れて現金引き出しの操作を行った。その際,山●●●から伊●●●に住所が異なっていることについての報告をしたかどうかは定かでない。その後,伝票が出納係にまわり,現金が準備されて,通帳と現金が山●●●のもとに届き,本件払戻請求者に対して払戻しが行われた。払戻請求がなされてから,実際に払い戻されるまでの時間は10分程度であった。

(6)  本件取引が行われる以前に,本件口座から本件取引のような高額な払戻請求がなされたことはなかった。また,本件口座からの払戻しは,口座引き落としの他は専らATM(現金自動預払機)により行われていた。

(7)ア  被告内部における「預金の払出し・解約時における本人確認徹底の件」と題する通告によると,「お客さまの大切な財産をお守りするため,200万円超の預金の払出しおよび解約には,本人および代理人が確認できる書類ならびにお客さま情報のヒアリングによる本人確認方法を明確化するための「窓口対応マニュアル」の作成および預金事務手続共通編に本人確認手続を掲載し徹底を義務づける。」との主旨のもと,本人確認法の施行を受けて平成15年10月22日以降,「1 運転免許証・パスポート等以外の顔写真付きでない公的確認書類を持参された場合は,お客さま情報のヒアリングは必ず実施する。」「2 また,当日確認書類を持参されていない場合は,特に念入りにお客さま情報のヒアリングを実施する。」「3 代理人(同居の家族に限定する)が来店した場合は,預金者本人と代理人のご関係ならびに預金者本人・代理人の個人情報をヒアリングする。」「4 ヒアリング情報の記録(200万円超の場合は,必ず記入する) ① ヒアリングした項目は,「窓口での本人確認記録票」(書式10212)(以下,記録票という。)に記入し,役席者または業務リーダーの確認印の押捺を受け,支払に応じる。 ② 記録票への記入対象先 ・運転免許証,パスポート等の顔写真付き以外の確認書類を持参している場合または何も持参していない場合・代理人が来店している場合」「5 窓口対応マニュアルの活用 ① 今回,改定し添付した「200万円超の預金払出し・解約時における窓口対応マニュアル」の「本人確認手順」と「お客さまごとの確認方法」に基づき慎重に対応する。」といった本人確認方法をとることとしている。これによると,顧客が運転免許証のような顔写真が付いている公的確認書類を持参してきた場合,必ずしもお客さま情報のヒアリングを実施し,記録票へ記入する必要がないことになる。

イ  そして,被告作成の「200万円超の預金払出し・解約時における窓口応対マニュアル」(乙3の2)では,200万円超の預金の払出しや解約にあたっては,「・社員に面識がある・顔写真付きの公的書類・顔写真付き以外の公的書類とヒアリング」により本人確認を行うこととしており,「顔写真がない確認書類または何も持参していない場合は,必ずヒアリングを実施する。」としており,そのヒアリング項目としては,「窓口での本人確認記録票」(乙3の3)に記載されている生年月日,満年令,干支,自宅の居住年数,家族全員の名前,勤め先,勤め先の所属部署,勤め先の電話番号,勤め先の市町名が上げられているが,社員に面識のない本人が顔写真付きの確認書類を持参している場合には,確認書類原本のチェックを行い,確認書類のコピーをとり伝票に添付することとし,コピーがとれない場合は,伝票の裏面に確認書類名と記番号を記入することとしているものの,確認書類原本の記載事項と預金共通印鑑届の記載事項とが異なっている場合の対応などについては特段記載されていない。

本件取引では,本件払戻請求者が顔写真が付いている運転免許証を提示してきたため,記録票は作成されていない。

(8)ア  全国銀行協会は,「お客さまの本人確認に関するお願い」と題するパンフレットにおいて,「ご本人の確認」として,個人の顧客の場合,「当該個人の氏名,住所及び生年月日」をそれぞれ公的証明書により確認するとしており,これに合わせて,被告のほか静岡銀行や清水銀行は,「ご本人確認に関するお願い」と題するパンフレットにおいて,「口座開設や200万円を超える大口現金取引をされる場合には,本人確認書類の提示をお願いいたします。」として,個人の顧客の場合,「来店された方の氏名,住所,生年月日」をそれぞれ公的証明書により確認するとした上,「本人確認書類に記載されているお名前や住所が,現在のものと異なる場合は,お取引ができないことがありますのでご注意ください。」としている。また,郵便局(現日本郵政公社)は,「証明資料の提示に関するお客さまへのお願い」と題するパンフレットにおいて,個人の顧客の場合,「ご氏名,ご住所および生年月日」をそれぞれ公的証明書により確認するとしている。そのほか,全国信用金庫協会は,「お客さまの大切なご預金をお守りするため,写真付きのご本人確認資料によるご本人確認をお願いしています。」としている。

イ  もっとも,当裁判所からの「預金者から届出がされている住所と本人確認のために提示を受けた書類(運転免許証)に記載されている住所が異なっている場合に,住所変更の手続きをとらずに(あるいは届出のなされている住所を確認することなしに)200万円以上の預金の払戻しに応じるか否か。」との調査事項に対し,郵便貯金静岡センターは,「200万円を超える取扱いの場合は,本人確認書類が有効であることを確認するほか,通帳等の住所,氏名が一致することを確認します。」「本人確認書類の住所と通帳等の住所が異なる場合は,通帳等の住所が現住所であるかお聞きし,転居の事実がある場合は,通帳等の住所変更の手続きをします。」「また,転居の事実がない場合は,提示された本人確認書類の他に通帳等の住所を証明する公的本人確認書類をお持ちでないかお聞きし,お持ちでないということですと「補足本人確認書類」の提示も求めて取り扱うこととしております。」と回答している。そして,補足本人確認書類としては,「国税(地方税)の領収証書,公共料金の領収証書等」を例示している。これに対し,被告では,補足本人確認書類の提示までは求める取扱いにはなっていない。

4(1)  上記認定事実によれば,本件払戻請求者は,本件口座の通帳を持参しており,本件払戻請求者が提出した払戻請求書には預金共通印鑑届に押印されている印鑑と同一と思われる印鑑を用いて押印したと思われる印影があり,被告浜松支店の窓口担当者で業務リーダーである山●●●は,払戻請求者が本人確認のために提示した一見しただけでは偽造されているとは分からない運転免許証により,払戻請求者の氏名,生年月日が原告と同一であると確認でき,また,その運転免許証に添付された写真には本件払戻請求者が写っていたことから,本件払戻請求者が原告本人であると判断して払戻手続に応じたことが認められる。

しかしながら,上記認定事実によれば,預金共通印鑑届の住所は「●●●」となっているのに対し,本件払戻請求者が本人確認書類として提示した運転免許証の住所は「東京都墨田区●●●」となっており,住所については両者が合致していないことが明らかになっていたにもかかわらず,この点について,山●●●は,本件払戻請求者に何ら確認書類の提示を求めることなく,本件払戻請求者が現在は本籍地欄に記載されている浜松の地番に住んでいるとの言葉をそのまま信じて本件払戻しに応じていることが認められる。

このことは,被告が作成している「ご本人確認に関するお願い」と題するパンフレットにおいて,「口座開設や200万円を超える大口現金取引をされる場合には,本人確認書類の提示をお願いいたします。」として,個人の顧客の場合,「来店された方の氏名,住所,生年月日」をそれぞれ公的証明書により確認するとした上,「本人確認書類に記載されているお名前や住所が,現在のものと異なる場合は,お取引ができないことがありますのでご注意ください。」と記載されていることに反していることになる。

(2)  この点,被告においては,窓口業務担当者に,氏名,住所,生年月日全てが完全に一致するまで本人確認書類の提示を求めるといった指導はしていなかったし,上記認定事実のとおり,被告内部で作成された通告やマニュアルによれば,顔写真が付いている運転免許証のような公的確認書類を提示された場合には,その原本確認に問題がなければ,特段,それ以上,顧客情報に関してヒアリングを実施することは必要とされていない。したがって,山●●●は,被告の窓口担当者として,その業務をマニュアルに従い行っていることになり,その対応を一概に非難することはできない(むしろ,山●●●は,マニュアル上は必要的とされていない資金使途の確認まで行っている。)。

(3)  しかしながら,本件払戻請求者は,払戻しされるまで10分程度待っていたにもかかわらず,その間,山●●●が求めた住所変更手続を断り,また,資金使途を知り合いに貸すためと言いながら,山●●●から振込手続によることを勧められても,これに応じることなく,高額な550万円もの現金を払い戻すよう求めていることからすれば,本件払戻請求者の行動自体,いささか不自然な点がないともいえず,慎重に本人確認をすべき必要性はあったというべきである。

(4)  そして,上記認定事実のとおり,日本郵政公社では,本人確認書類の住所と通帳等の住所が異なる場合は,通帳等の住所が現住所であるか確認し,転居の事実がある場合は,通帳等の住所変更の手続を行い,転居の事実がない場合は,提示された本人確認書類の他に通帳等の住所を証明する公的本人確認書類を所持しているか確認の上,所持していない場合には国税(地方税)の領収証書,公共料金の領収証書等といった補足本人確認書類の提示を求める取扱いをしていることが認められ,被告においても,本件払戻請求者に補足本人確認書類の提示を促すことで,不正な払戻しを防ぐことができた可能性が相当程度あったものと考えられる。特に,本件払戻請求者が現在の住所であると主張する運転免許証の本籍地欄に記載された浜松の地番は被告浜松支店にほど近い場所であり,また,本件払戻請求がなされた時間帯も昼の時間帯であり被告浜松支店がすぐに閉店してしまうような状況にもなかったのであるから,本件払戻請求者に補足本人確認資料を求めた結果,所持していないがために自宅に取りに戻ってもらうことになったとしても,さほど時間がかかることはないのであるから,比較的補足本人確認書類を求めやすい状況にあったということができる。さらに,本件払戻請求者のこれまでの応対では,急いでいたとはいえ,特段早く払戻しをするよう不満を漏らすなどといった状況にはなかったことからすれば,本人補足確認書類の提示を求めることが,決して,被告に不可能を強いるものであったともいえない。

もちろん,どのような確認方法を用いるかについては,金融機関毎に検討されてしかるべきで,必ず,日本郵政公社が行っているような手段を講じなければならないというものではないし,その手段が完全なものとも言い切れないけれども,550万円もの高額な払戻請求で,払戻請求にあたって本件払戻請求者がいささか不自然とも思われるような対応をとっており,本人確認書類の住所と通帳等の住所が異なる本件払戻請求の場合には,被告としては,運転免許証のような顔写真付きの本人確認書類の提示があったからといって,それだけで払戻しに応じるのではなく,顔写真付きの本人確認書類を持参していない場合に,「窓口での本人確認記録票」(乙3の3)において確認しているような満年令(ただし,女性には聞かないこととしている。),干支,自宅の居住年数,家族全員の名前,勤め先,勤め先の所属部署,勤め先の電話番号,勤め先の市町名などといった本人情報を確認するなどの対応により,不正な払戻しを防ぐための措置を講じるべきであったというべきである。顔写真付きの本人確認書類を持参していない場合には実際にこのような確認を行っていることからすれば,このような措置を講じるよう被告に求めたとしても不可能を強いるものとはいえない。

(5)  そうすると,預金共通印鑑届に記載されている住所と払戻請求をしてきた本件払戻請求者の提示した運転免許証の住所とが一致しておらず,未だ住所確認ができていないことが明らかになっている本件払戻請求において,本人確認書類やヒアリングにより十分な住所確認をしないまま,払戻しに応じてしまったことについて,被告に過失がないということはできない。

5  これに対して,被告は,被告のような民間の金融機関が,国が運営している日本郵政公社のような対応をとることは,顧客とのトラブルが生じるなど日常業務に支障が出たり,ひいては顧客離れが生じてしまい,銀行取引における大量性,迅速性,簡便性といった点からすると現実的な対応ではないかの主張をしている。

しかしながら,取引における大量性,迅速性,簡便性といった点は日本郵政公社においても異なるところはなく,被告が民間の金融機関であるということだけで日本郵政公社で取りうる対応が被告においてはできないとはにわかに考え難い。また,本件払戻請求がなされる相当以前から,預金の不正引出しが社会的問題となっており,本人確認法が施行されるなど本人確認の必要性が唱えられ,本件払戻請求があった平成16年7月当時,すでに,顧客のニーズとしても,簡便に預金の払戻しができるようにしてほしいという要望の一方で,預けている預金を不正に引き出されることなく安全に管理してほしいという要望も相当高まっていたといえ,被告において,上記日本郵政公社が取っているような対応をとることが顧客離れにつながるとも考え難い。

したがって,被告の主張するような銀行取引における大量性,迅速性,簡便性といった点をとらえて,住所確認が本人確認書類により確認できないまま,補足本人確認書類の提示を求めることなく本件払戻請求に応じてしまった行為がやむを得ないものであり,債権の準占有者に対する弁済として過失がなかったということはできない。また,上記4のとおり,被告としては,補足本人確認書類の提示を求めるといった手続をとらないのであれば,本人情報に関するヒアリングを十分に行うなどといったこれに代替するような対応を行ってしかるべきであったのに,顔写真付きの本人確認書類の提示がある場合には,マニュアル上,このような対応までとることを必要としないとして,本件払戻請求においても,運転免許証の提示があったことを主たる理由にして,十分な住所確認を行うことなく払戻しに応じてしまっているのであるから,いずれにしても過失がなかったということはできない。

6  なお,被告は,債権の準占有者に対する弁済の抗弁のほかに,免責特約の抗弁を主張している。確かに,被告の預金規定では免責特約として,「払戻請求書,諸届その他の書類に使用された印鑑(または署名)を届出の印鑑(または署名鑑)と相当の注意をもって照合し,相違ないものと認めて取り扱いましたうえは,それらの書類につき偽造,変造その他の事故があってもそのために生じた損害については,当社は責任を負いません。」と定めていることは当事者間に争いがないものの,この免責特約は,被告において必要な注意義務を尽くして照合にあたるべきことを前提とするものであって,この免責特約があったからといって,債権の準占有者に対する弁済における無過失の程度が軽減されるものではないというべきであるから,この免責特約をもって,被告の責任が免責されることにはならない。

したがって,被告の抗弁はいずれも理由がない。

そうすると,被告は,いまだ,原告が請求している不正に引き出された550万円の預金払戻請求に応じるべき責任があることになる。

7  よって,原告の預金払戻請求として550万円及びこれに対する払戻請求の日の翌日である平成16年9月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める請求は,理由があるからこれを認容することとし,主文のとおり判決する。

(裁判官 久保孝二)

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