静岡地方裁判所浜松支部 平成24年(ワ)737号 判決 2014年9月08日
原告
亡A相続財産
同代表者相続財産管理人
X
同訴訟代理人弁護士
藤澤智実
伊藤祐尚
岡本英次
杉尾健太郎
被告
浜松市
同代表者市長
B
同訴訟代理人弁護士
村松良
同訴訟復代理人弁護士
村松奈緒美
同指定代理人
高須克己<他7名>
主文
一 被告は、原告に対し、一一〇万円及びこれに対する平成二五年七月三日から支払済みまで年五%の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、三二五万円及びうち六〇万円に対する平成二五年一月一七日から、うち二六五万円に対する平成二五年七月三日から各支払済みまで年五%の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 事案の要旨
本件は、亡A(以下「亡A」という。)の相続財産法人である原告が、亡A存命中に同人所有の不動産を差し押さえた被告に対し、被告が差押解除義務を定める国税徴収法七九条一項二号に反して違法に上記差押えを解除しなかったため、上記不動産に係る清算業務が妨害された結果、任意売却の機会を失い競売手続による換価を強いられたなどと主張して、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償として、①清算業務が妨害されたことによる無形損害五〇万円及びこれに対する違法行為の後の日である平成二五年一月一七日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五%の割合による遅延損害金、②上記不動産の任意売却予定額と競落価格の差額二六五万円及びこれに対する損害発生の日である平成二五年七月三日(競売手続における売却代金納付日)から支払済みまで民法所定の年五%の割合による遅延損害金、並びに③本件訴訟提起に要した弁護士費用一〇万円及びこれに対する違法行為の後の日である平成二五年一月一七日(前同日)から支払済みまで民法所定の年五%の割合による遅延損害金の各支払を求める事案である。
二 関係法令の定め
(1) 超過差押え及び無益差押えの禁止
ア 国税徴収法四八条一項は、国税を徴収するために必要な財産以外の財産は、差し押さえることができない旨を定めている。
イ また、同条二項は、差し押さえることができる財産の価額がその差押えに係る滞納処分費及び徴収すべき国税に先立つ他の国税、地方税その他の債権の金額の合計額を超える見込みがないときは、その財産は、差し押さえることができない旨を定めている。
(2) 差押解除の要件
ア 国税徴収法七九条一項は、徴収職員は、納付、充当、更正の取消しその他の理由により差押えに係る国税の全額が消滅したとき(同一号)、又は差押財産の価額がその差押えに係る滞納処分費及び差押えに係る国税に先立つ他の国税、地方税その他の債権の合計額を超える見込みがなくなったとき(同二号)は、当該差押えを解除しなければならない旨を定めている。
イ また、同条二項は、徴収職員は、差押えに係る国税の一部の納付、充当、更正の一部の取消し、差押財産の値上りその他の理由により、その価額が差押えに係る国税及びこれに先立つ他の国税、地方税その他の債権の合計額を著しく超過すると認められるに至ったとき(同一号)、又は滞納者が他に差し押さえることができる適当な財産を提供した場合において、その財産を差し押さえたとき(同二号)は、差押財産の全部又は一部に係る差押えを解除できる旨を定めている。
三 前提事実(証拠〔枝番号のあるものは、各枝番号を含む。以下同じ。〕等を掲げていない事実は、当事者間に争いがないか当事者が争うことを明らかにしない事実である。)
(1) 当事者等
ア 原告は、亡Aが平成二二年七月二日に死亡し、その相続人の存否が不明であるため成立した相続財産法人であり、原告代表者は、平成二三年七月八日付けで静岡家庭裁判所浜松支部により同相続財産管理人に選任された司法書士である。
イ 被告は、後記(4)のとおり、亡A存命中に、同人所有の不動産を差し押さえた地方公共団体である。
(2) 亡A所有の不動産
亡Aは、死亡当時、いずれも被告市内に所在する【別紙:物件目録】一ないし五記載の各不動産を所有していた(以下、【別紙:物件目録】一記載の土地を「本件土地」、同二記載の建物を「本件建物」といい、本件土地と本件建物を併せて「本件不動産」という。)。なお、亡Aの死亡は、本件建物内における自殺によるものである。
(3) 本件不動産に対する抵当権の設定
亡Aは、平成五年当時所有していた本件不動産を共同担保として次のとおり抵当権を設定し、同年一一月二九日付けでその旨の各抵当権設定登記を経由した(以下、ア及びイの抵当権者を「本件優先債権者」、同被担保債権を「本件優先債権」と総称することがある。)。
ア 第一順位抵当権
設定日 平成五年一一月二日
債権額 一三〇〇万円(金銭消費貸借)
利息 年四・八%
損害金 年一四・五%(年三六五日日割計算)
債務者 亡A
抵当権者 住宅金融公庫(現在の名称は独立行政法人住宅金融支援機構。以下「住宅金融支援機構」という。)
イ 第二順位抵当権
設定日 平成五年一一月二六日
債権額 一四四〇万円(保証委託契約による求償債権)
損害金 年一四・六%(年三六五日日割計算)
債務者 亡A
抵当権者 株式会社富士銀クレジット(現在の名称はみずほ信用保証株式会社。以下「みずほ信用保証」という。)
(4) 本件差押え
被告は、平成一六年七月二三日、亡Aが滞納していた国民健康保険料を徴収するために本件不動産を差し押さえ(以下、この差押えを「本件差押え」という。)、同日、その旨の差押登記を経由した。
なお、平成二三年七月二七日当時、被告に係る亡Aの滞納公訴公課(以下「本件租税債権等」という。)の最も早い法定納期限は平成一四年九月二日であり、本件租税債権等の合計金額は、未納延滞金を含めて四二五万五五〇六円であった。
上記(3)のとおり、本件優先債権者は、いずれも本件租税債権等における最も早い法定納期限に先立って本件優先債権を被担保債権とする抵当権設定登記を経由しており、競売等の強制換価の場面において本件優先債権は本件租税債権等に先立って満足を受ける関係にある。
(5) 本件差押えの解除に関する交渉と異議申立て
ア 原告代表者は、本件不動産の任意売却を行うため、平成二四年三月以降、被告に対し、本件差押えの解除を求め、さらに同年八月七日付けで内容証明郵便を送付して同解除を求めたが、被告はこれに応じなかった。
イ 原告代表者は、同年一〇月四日、被告市長に対し、国税徴収法七九条一項二号により本件差押えを解除すべき義務が生じているとして、①平成一六年七月二三日付けでなされた本件差押えを取り消すこと、②原告代表者の求めに応じず本件差押えを解除しない被告市長の対応をもって、新たな差押えが行われたとみなすべきであるから、本件差押えの解除を求めた平成二四年三月二六日付けで行われたとみなすべき新たな差押えを取り消すこと、③本件差押えの解除を申請したにもかかわらず被告市長がこれに応答しないのは違法であるから、同申請に対する処分を求めること、を内容とする異議申立てを行った。
これに対し、被告市長は、同月二六日、①について異議申立期間が経過したこと、②について行政処分が存在しないこと、③については法令に基づく申請に該当しないことを理由に、異議申立ては不適法であるとしていずれも却下した。
(6) 担保不動産競売による本件不動産の売却等
ア みずほ信用保証は、静岡地方裁判所浜松支部に対し、第二順位の抵当権に基づき本件不動産の担保不動産競売を申し立て、同裁判所は、平成二四年一〇月一六日、本件不動産の担保不動産競売開始決定をした。
同競売手続においては、平成二五年五月二九日から同年六月五日午後五時までが入札期間、同月一二日午前一〇時が開札期日と指定された。本件不動産に対する最高入札額は三〇五万円であり、買受可能価額である二二九万六〇〇〇円(売却基準価額は二八七万円)を上回ったため、最高入札額での売却許可決定がなされ、同年七月三日に代金三〇五万円が納付され、同年八月九日午前一一時三〇分に配当期日が開かれて配当表に基づく配当が実施された。
イ 被告は、開札期日に先立つ同年五月二四日、本件差押えを解除した。
(7) 別件差押えと本件租税債権等の回収
ア 被告は、平成二五年二月五日、原告に属する【別紙:物件目録】三及び四記載の各土地を差し押さえた(以下「別件差押え」という。)。なお、別件差押え当時、【別紙:物件目録】三記載の土地(以下「別件土地」という。)に担保権は設定されておらず、他の債権者による差押えなどもされていなかった。
イ 別件土地は、被告の農業振興地域整備計画(農業振興地域の整備に関する法律八条)における農用地区域内における農地(いわゆる青地)であったが、原告代表者は、別件差押えの後、農地利用計画の変更による農用地地域からの除外(いわゆる青地除外)及び農地転用許可を得て、同年七月五日に別件土地を任意売却し、売却代金を原資として未納延滞金を含む本件租税債権等を全額納付した。これを受け、被告は別件差押えを解除した。
四 争点
(1) 本件差押えを解除しなかったことの違法性
(2) 加害行為と相当因果関係のある原告の損害及びその額
五 当事者の主張
(1) 争点(1)(本件差押えを解除しなかったことの違法性)について
【原告の主張】
ア 被告は、遅くとも、平成二四年九月七日(原告が被告に対して内容証明郵便を送付して本件差押えを解除するよう求めた日の一月後)以降、国税徴収法七九条一項二号により本件差押えを解除すべき義務を負っていたにもかかわらず、漫然とこれを怠ったのであるから、かかる被告の不作為は国家賠償法一条一項にいう違法なものである。
イ 無益差押禁止を定める国税徴収法四八条二項及び差押解除義務を定める同法七九条一項二号によれば、ある財産の差押えを解除すべきか否かは、当該財産を換価した場合に差押えに係る公租公課を保全できる見込みがあるか否かにより判断すべきことになるから、保全見込額が零と見込まれる場合には当該差押えを解除すべき義務が生じる。
本件優先債権は、その元金のみで合計一九二八万〇七〇二円であったこと、本件不動産の換価価値は多く見積もっても六七八万円であったことからすれば、本件租税債権等の保全見込額は零であって、同号に基づく差押解除義務が生じていたのは明白である。
被告は、別件差押えの前後を通じて、別件土地の売却代金が本件優先債権の弁済に充てられる可能性があったため本件差押えを解除しなかったと主張するが、そのような事態が生じる見込みはなかった。
ウ 被告の徴税吏員は、平成二四年四月一〇日、原告代表者からの説明や資料の提供を受け、本件差押えの解除の可否を判断するのに必要な客観的事情、すなわち①本件不動産の価額、②本件優先債権の額、③亡Aの本件建物内での自殺などといった事情をいずれも認識していた。このことは、上記説明を受けた被告の徴税吏員が八万円という極めて低額の一部納付により本件差押えを解除する旨応諾していたことからも明らかである。
そして、被告の徴税吏員は、遅くとも原告が本件差押えの解除を求める内容証明郵便を送付した時点で、上記一部納付に係る合意が撤回されたことを認識していたといえ、対応を検討する期間を考慮したとしても、その一月後である同年九月七日までには本件差押えを解除すべきであった。それにもかかわらず、被告の徴税吏員は、平成二五年五月二四日まで本件差押えの解除を漫然と怠った。
【被告の主張】
ア 被告が本件差押えを行って以降、国税徴収法七九条二項一号(超過差押えの禁止)に基づき本件差押えを裁量的に解除した平成二五年五月二四日に至るまで、同条一項二号に基づく差押解除義務は生じておらず、同義務を漫然と怠ったともいえないから、被告の行為(不作為)には何らの違法もない。
イ 同号の要件に該当する場合とは、現場の徴税吏員が容易に間違いなく判断しうる場合、すなわち、客観的に見て、優先債権が他の資産の換価による弁済等によって減額されるなどの流動的要素を考慮してもおよそ当該租税債権を徴収する可能性のないことが明白となったときである。なぜならば、徴税吏員が流動的な要素を看過して差押えを解除した結果租税の回収を逸した場合、市民からの責任追及の対象となりうるが、膨大な滞納処分案件における多様な流動的要素について完全に見落としのない判断を要求することは、徴税吏員に過大な負担を負わせるものであって、徴収事務の円滑化が妨げられることになるからである。
本件では、流動的要素として、本件不動産の抵当権者が債務名義を取得し、別件土地の売却代金を差し押さえるなどして弁済を受けることで、本件優先債権が減少する可能性があったため、流動的要素を考慮してもおよそ本件租税債権等を徴収する可能性がないことが明白とはいえなかった。
このことは、被告が別件差押えを行った平成二五年二月五日以降についても同様である。すなわち、同日時点で別件土地はいまだ農地であり青地除外を前提とする農地転用が実現するかは不透明であった。仮に農地転用に失敗するなどして任意売却が頓挫した場合、農地として公売をしなければならず、公売を三回実施しても買受申出がない場合、被告の取扱いに従えば別件差押えは解除されることになる。そうすると、同日以降も別件差押えはなお解除される可能性があり、同解除後に債務名義を取得した本件優先債権者が別件土地から満足を受けることもあり得たといえる。
ウ そもそも、被告の徴税吏員は、状況に応じて少しでも多くの納税が得られるように努力する義務があるところ、被告と原告は、平成二四年四月一〇日、原告からの提案を受け、本件不動産の任意売却のため、原告が被告に八万円を支払う代わりに本件差押えを解除することに合意していた。しかるに、原告は、その後、被告に対して任意売却の状況等を一向に説明しなかった。このような状況において、被告の徴税吏員が、合意した一部納付を受け得る機会を自ら放棄することとなる国税徴収法七九条一項二号の判断を積極的にしなかったとしても、職務上尽くすべき注意義務を尽くさなかったとはいえない。また、被告の徴税吏員において、一部納付に係る合意が破談になったことが推測できたとしても、次に任意売却案が出てきた際に再び原告から一部納付の提示を受けられると期待することは十分合理性があり、このような期待の下、同号の判断を積極的にしなかったとしても、職務上尽くすべき注意義務を尽くさなかったということはできない。
さらに、被告は、本件訴訟にて原告が提出した準備書面により新たな任意売却案の提示を受けた後、一月程度で本件差押えを解除しており、かかる対応についても何らの注意義務違反もない。
(2) 争点(2)(加害行為と相当因果関係のある原告の損害及びその額)について
【原告の主張】
ア 被告の上記違法な不作為により、本件不動産の任意売却を円滑に進めるという原告の果たすべき業務が違法に阻害された。これにより原告が被った無形損害を金銭評価すれば五〇万円を下らない。
イ また、原告は、被告の上記違法な不作為により、本件不動産の任意売却の機会を逸した結果、任意売却予定額五七〇万円と競売による売却価格三〇五万円の差額である二六五万円の損害を被った。
すなわち、本件建物は都市計画法上の農家住宅であって任意売却には被告の許可を要するところ、許可を得るためには本件不動産が法令に適合する状態で存立していることが条件となっていた。ところが、被告土地政策課が平成二三年一二月に本件不動産について指摘したところによれば、①本件建物は建築基準法の接道要件に関係して不適切な擁壁があり、進入路がない、②都市計画法四三条許可の範囲外である他人の土地上に門扉等がある、③浄化槽の排水路が建築確認申請とは別の経路で設置、放流されているといった問題があり、同課によれば、これらが是正されない限り、被告が任意売却に伴う所有権移転を許可することはなく、また、是正工事を行った上で申請をしても、許可までには約二週間を要するとのことであった。上記③の問題を是正する工事に要する期間が約二週間と見積もられたことからすれば、被告が本件差押えを解除した平成二五年五月二四日以降に是正工事を行って許可を取得した上で同年六月一二日の開札期日までに任意売却を行うことは不可能であった。したがって、被告の差押解除義務の懈怠により原告は本件不動産を任意売却する機会を失ったといえる。
ウ 原告は、被告の上記違法な不作為により被った損害を回復するため本件訴訟を提起せざるを得なくなり、その弁護士費用は一〇万円を下らない。
【被告の主張】
否認ないし争う。
原告主張の、本件不動産の任意売却の機会を失ったことにより被った損害(任意売却予定額と競落価格の差額二六五万円)について、被告は、平成二五年四月に任意売却案を知らされた後、一般的に競売手続取下げの期限といわれる開札期日(同年六月一二日)の二週間以上前である同年五月二四日に本件差押えを解除し、その旨の通知は翌二五日に原告代表者に到達しているが、被告の徴税吏員は、当時、原告が主張する本件不動産に関する特別事情を何ら認識しておらず、任意売却が不奏功となることを予見できなかった。
第三当裁判所の判断
一 認定事実
前提事実並びに証拠<省略>によれば、本件差押えの解除に関する原告と被告の交渉状況等について、次の事実を認めることができる。
【平成二三年】
(1) 原告代表者は、亡Aの相続財産管理人に就任した後、本件不動産を任意売却するため、その媒介を積和不動産中部株式会社(以下「積和不動産」という。)に依頼した。
また、原告代表者は、本件建物が都市計画法二九条一項二号にいう農家住宅(市街化調整区域内に所在するが、農業を営む者が自己の居住の用に供する目的で建てることを許された住宅)であったため、平成二三年一二月、行政書士を介し、被告土地政策課に対し、本件不動産を任意売却するに当たっての条件を確認した。同課は、本件不動産について、①建築基準法で求められている接道要件を満たすべき箇所に不適切な擁壁があり進入路がない、②他人の土地上に門扉及び進入路が存在しているが、法令上の許可を受けていない、③浄化槽の排水路が建築確認申請の内容と異なり他人の土地を経由して被告の排水路に放流されている、といった違法状態が認められるため、①接道箇所の擁壁の一部を取り壊して階段等を築造して進入路を確保する工事、②門扉及び進入路を撤去する工事、③被告の排水路に放流するため道路下に管路を埋設する工事によって上記違法状態を解消しない限り、本件不動産の任意売却は許可できないと回答した。
【平成二四年(明記しない限り平成二四年とする。)】
(2) 原告代表者は、一月又は二月頃、積和不動産より、本件不動産の買受希望者(C)が見つかったとの連絡を受けた。
(3) 原告代表者は、三月二三日、被告債権回収対策課に架電し、同課課員であるD(以下「D」という。)に対し、本件不動産を任意売却するに当たり、一〇万円を一部納付する代わりに本件差押えを解除して欲しいと申し入れた。本件租税債権等を全額納付しない限り本件差押えの解除には応じられず、競売も辞さない旨のDの回答を受けた原告代表者は、差押解除義務を定める国税徴収法七九条一項二号の存在を指摘したが、Dは、不動産の任意売却の場面では強制換価手続における配当順位の規定は当てはまらず、当事者の合意で決めるべきである旨を繰り返し述べ、交渉はまとまらなかった。
(4) 原告代表者は、三月二六日、被告市長に対し、「浜松市による不正な差押の解除とより多くの税回収を実現できる方針への改善を求める要望」と題する文書をFAX及びメールにて送付した。
同文書には、本件不動産に本件優先債権を被担保債権とする二つの抵当権が設定されていること、その被担保債権額は第一順位抵当権者が八八八万九三七五円及び利息損害金、第二順位抵当権者が一〇三九万一三二七円及び利息損害金であるため、競売手続において被告が配当を受ける余地はないこと、本件不動産について売却代金を六二〇万円とする商談が進んでいること、仮に本件不動産を競売するとすればその落札価額は六二〇万円を下回ると考えられること、これらの事情を踏まえて本件差押えを解除する対価として被告に一〇万円を支払うことを提案したが拒絶されたこと、国税徴収法七九条一項二号に照らせば、本件差押えを解除すべき義務が生じていること、などの事情とともに、一〇万円を支払う代わり本件差押えを解除することを受け入れるかについて三月二九日までに書面による回答を求めることなどが記載されていた。
同文書を受け取った被告は、原告代表者に連絡し、後日、原告代表者の事務所にて面談が行われることとなった。
(5) 被告債権回収対策課のE(以下「E」という。)及びDは、四月一〇日、原告代表者の事務所を訪れた。Eは、原告代表者に対し、本件不動産の固定資産税評価額(平成二四年度で本件土地五四七万二四三二円、本件建物六二七万九〇八一円であり、合計額は一一七五万一五一三円)と売却予定額(六二〇万円)とに差があるため、被告もそれなりの金額の配分を受けないと本件差押えを解除することは難しいと述べた。
原告代表者は、EないしDに対し、本件優先債権者である住宅金融支援機構の代理人作成の「回答書」の写し(平成二三年八月一〇日時点で被担保債権の残元本額が八八八万九三七五円との記載がある。)及びみずほ信用保証作成の「債権調査票」の写し(平成二三年九月八日時点で被担保債権の残元本額が一〇三九万一三二七円、損害金額が二六一万四四五七円との記載がある。)に加え、本件不動産を六七八万円と評価した積和不動産作成の「戸建住宅価格査定書」の写し(平成二三年一〇月三一日時点での査定との記載がある。)を交付した。また、住宅金融支援機構が不動産鑑定士に作成させた本件不動産を五八〇万円と評価した「不動産価格調査報告書」(平成二三年一二月一四日付け。)を示した。そして、固定資産税評価額に比して査定額が低いのは、上記査定書中の「市場性にかかる所見」欄に関する記載として添付された別紙補足資料にあるように、①本件建物が市街化調整区域内に特例て建てることを認められた都市計画法二九条一項二号にいう農家住宅であり、売却自体は被告土地政策課に認めてもらえるものの、売却許可を得るに当たっては、購入者の適格性に関する要件が課される上、将来の売却や賃貸が原則として認められず、購入後の利用についても門や物置の撤去や接道の充足等の条件が付けられること、②本件建物内で亡Aが自殺した事故物件であること、③隣接地との一体利用がされていることなどが理由であると説明した。
説明を受けたDは、原告代表者に対し、上司の判断を仰いだ上での話ではあるが、本件不動産の査定額の根拠となる資料の提出を受けて事情が把握できたため、初回に提示のあった一〇万円の納付を受ければ本件差押えの解除に応じるつもりであると回答した。
(6) 上司と相談して上記方針を確認したDは、四月一〇日、原告代表者に架電し、一〇万円の納付で本件差押えを解除すると伝えたところ、原告代表者から一部納付なしの解除に応じるつもりがあるのか否かを問われたため、Eに電話を替わった。Eが、税収確保が使命である以上一円でも多く徴収したい旨を伝えたところ、原告代表者から八万円でどうかとの提案があったため、Eはこれに応諾した。なお、本件差押えの解除時期については、八万円の納付が確認できた当日に行うこととなった。
(7) 原告代表者は、積和不動産を介して店舗開発システム有限会社(以下「店舗システム」という。)に対し、上記(1)③の違法を是正するための工事についての見積りを依頼したところ、店舗システムは、五月二八日、工事代金額を六一万二九三七円(税込み)とする見積書を提出した。
(8) 原告代表者は、六月二二日、第二順位の抵当権者であるみずほ信用保証から、本件不動産の任意売却に応じない旨の連絡を受けた。
(9) 原告代表者は、引き続き本件不動産の任意売却を試みるため、八月七日付けで、被告債権回収対策課に対し、国税徴収法七九条一項二号を根拠として本件差押えの解除を求めること、これに応じない場合に取り得る不服申立ての方法や申立期間等について教示を求めることを内容とする「通知並びに教示依頼書」と題する内容証明郵便を送付し、八月九日、同郵便は同課に到着した。
(10) 原告代表者は、一〇月四日、前提事実(5)イのとおり被告市長に対して異議申立てを行った。
(11) みずほ信用保証は、前提事実(6)アのとおり本件不動産の担保不動産競売を申し立て、静岡地方裁判所浜松支部は一〇月一六日に担保不動産競売開始決定をした。被告は、一〇月一九日、同支部に対し、本件租税債権等を延滞税とする交付要求を行った。
(12) 原告代理人藤澤智実は、一〇月二三日、Dに架電し、本件不動産について参加差押えをする意向の有無を尋ねた。Dは、亡Aが既に死亡しており、競売手続により被告に配当される見込みもないため、参加差押えをする予定はないと回答した。
(13) 被告市長は、一〇月二六日、前提事実(5)イのとおり上記異議申立てを不適法であるとして却下した。
(14) 原告は、一二月二五日、本件訴訟を提起した。被告は、一二月二六日、原告の請求の内容が、国税徴収法七九条一項二号に基づき本件差押えを解除しなかったために原告が被った損害の賠償請求であることを知った。
【平成二五年(明記しない限り平成二五年とする。)】
(15) 被告は、二月五日、前提事実(7)アのとおり本件租税債権等を保全する目的で、別件土地及び【別紙:物件目録】四記載の土地を差し押さえた(別件差押え)。
(16) 原告代表者は、平成二四年七月一〇日付けで、別件土地を有限会社aに六二〇万円で売却することについて静岡家庭裁判所浜松支部の許可を得た上で、別件土地の農用地区域からの除外及び農地転用許可のための手続を進めていたところ、別件差押えがされたことを知り、二月一九日、Dに架電してその経緯を尋ねた。Dは、差押財産の換価価値を見直して本件租税債権等を回収する可能性ありと判断したためであると説明した。説明を受けた原告代表者は、Dに対し、別件土地に関し既に売買契約が締結されており、農地転用許可が下り次第決済する予定であること、売却代金は六二〇万円であることなどを説明した上で、Dとの間で、売却代金から本件租税債権等を納付すれば別件差押えを解除することを確認した。また、原告代表者は、二月二二日、同人の事務所を訪れたDに対し、別件土地について農地転用許可が遅れることが予想されるため、任意売却の決済日は早くて五月二五日となり、現時点では六月二五日が有力である旨を伝えた。
(17) 原告は、四月一八日、本件不動産について五七〇万円で買受けを希望する者がいること、この任意売却が不成立となれば競売手続のスケジュールからして以後の任意売却は不可能であること、このような事情を踏まえてもなお国税徴収法七九条一項二号に基づいて本件差押えを解除しないのかを被告に問う内容の同日付け第一準備書面を当裁判所に提出し、同準備書面は四月一九日に被告代理人に到達した(顕著な事実)。
(18) 別件土地は、四月二六日、農用地利用計画変更により農用地区域から除外された。
(19) みずほ信用保証は、四月三〇日、原告代表者に対し、本件不動産を五七〇万円で任意売却することに承諾すると回答し、これにより本件優先債権者はいずれも本件不動産の上記任意売却に応諾している状態となった。なお、担保不動産競売手続が進行しているこの時点においても、当初からの買受希望者であるCは、本件不動産を任意売却により五七〇万円で買い受けることを希望していた。
(20) また、原告は、五月二日、本件不動産を五七〇万円で買い受ける旨のC作成の買付証明書(四月五日付け。)に加え、本件優先債権者が上記任意売却に応じ、競売手続の開札期日までに決済が行われるのであれば決済時に抵当権設定登記の抹消登記をすると回答したことなどを内容とする原告代表者作成の陳述書(四月三〇日付け。)を当裁判所に提出し、上記各書証は五月二日に被告代理人に到達した。なお、同陳述書に添付された原告の財産目録には、【別紙:物件目録】記載五の土地について、固定資産評価額は二一万九〇一六円であるが単独処分は困難、との事情が記載されていた(顕著な事実)。
(21) Dは、五月一四日、被告代理人事務所を訪れて本件訴訟に関する打合せを行った。被告代理人が、本件不動産の入札開始が五月二九日に迫っている状況であり、競売手続による回収見込みがないことはほぼ確定している一方で、別件土地の任意売却による完納が確実な状況であることからして、本件差押えを解除すべきではないかと示唆したことを受け、被告は、別件土地の任意売却の進捗状況を確認してその契約書の写しを求め、それに基づいて超過差押え(国税徴収法七九条二項一号)を理由として本件差押えを解除する方向で進めるとの結論に至った。
(22) 被告は、五月一五日以降、原告代表者に対し、別件土地の売買契約書の提示を求めたが、原告代表者がこれに応じなかったことなどから、五月二四日、解除の理由を国税徴収法七九条二項一号(超過差押えの場合の差押解除)、その判断材料につき、①農業委員会に調査したところ、四月二六日時点で別件土地について農地除外が確認できたこと、②原告代表者の陳述書により別件土地について売買契約が締結された事実が確認できたこと、③原告代理人と被告代理人とのやりとり、とした上で本件差押えを解除した。当該解除通知は五月二五日に原告代表者に到達した。
(23) 本件差押えの解除を知った原告代表者は、五月二八日、店舗システムに対し、上記(7)の見積りに係る工事の最短工期を問い合わせた。店舗システムの回答は、資材や人工の手配をしていないためすぐには着工できないし、着工後完成までに二週間、どんなに急いでも一〇日はかかる、というものであった。
(24) 原告代表者は、五月二九日、被告土地政策課を訪れ、本件不動産を任意売却する前提としての許可に要する期間等を尋ねた。同課の回答は、都市計画法に基づく許可については申請があってから二週間で結論を出すと公表しており、その期間を短縮する約束はできないし、仮に買受人が是正工事をすることを誓約するなどしたとしても是正工事が未了の状態で許可をすることはあり得ない、というものであった。
(25) 上記(23)及び(24)の状況を踏まえ、原告代表者は本件不動産の任意売却はもはや不可能と判断し、結局、前提事実(6)アのとおり、本件不動産は三〇五万円で落札され、配当が行われた。なお、競売手続における買受人は、当初から任意売却による本件不動産の買受けを希望していたCの同居の息子であるFであった。
(26) 他方、別件土地については農地転用が許可された後、七月五日に有限会社aを買主とする任意売却が決済され、被告はその売却代金から未納延滞金を含む本件租税債権等を全額回収した。
二 争点(1)(本件差押えを解除しなかったことの違法性)について
(1) 国家賠償法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責めを負うことを規定するものである。そして、国税徴収法七九条一項二号に関する徴税吏員の行為について、国家賠償法一条一項にいう違法があったと評価されるのは、国税徴収法七九条一項二号に該当し差押解除義務が生じていることに加え、徴税吏員が資料を収集し、これに基づき同号所定の要件を認定、判断する中で、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と認定判断した結果として上記差押解除義務を怠った場合と解すべきである(最高裁平成五年三月一一日第一小法廷判決・民集四七巻四号二八六三頁参照)。
(2)ア 国税徴収法七九条一項二号に規定された差押解除義務の有無を判断するに当たっては、差押財産の価額といわゆる優先債権の額との対比が基本になるものと解されるので、この点から検討する。
イ まず、原告が差押解除義務の発生時期と主張する平成二四年九月七日以降の本件不動産の価額について検討するに、平成二四年度における本件不動産の固定資産税評価額は一一七五万一五一三円(本件土地が五四七万二四三二円、本件建物が六二七万九〇八一円)であったものの、本件不動産の平成二三年一〇月ないし一二月頃の価額として、不動産業者である積和不動産が六七八万円と、第一順位抵当権者であった住宅金融支援機構に依頼された不動産鑑定士が五八〇万円とそれぞれ査定していたこと(認定事実(5))、本件不動産の競売手続における評価人も、平成二四年一二月の評価として競売市場修正前の本件不動産の価額を五二〇万八〇〇〇円と評価していたこと、そのような安価な評価額となる理由として、本件不動産については、原告代表者がD及びEに対して説明したとおり(認定事実(5))、本件建物が農家住宅であることゆえの制約、亡Aが本件建物内で自殺したこと、隣地と一体使用されていることといった事情が存したこと、被告の徴税吏員も、本件不動産の査定額についての原告代表者の説明やこれに関する資料の提出を受け、事情が把握できたなどと述べており、当初は任意売却代金から相応の配当額を要求していたのが、その後、平成二三年七月二七日時点における未納延滞金を含めた本件租税債権等の五〇分の一にも満たない八万円という極めて低額の一部納付金で本件差押えを解除する旨応諾したこと(認定事実(5)、(6))、本件不動産について参加差押えをしない理由について、競売手続により被告に配当される見込みがないとも述べていたこと(認定事実(12))、加えて、被告は、本件訴訟において、原告代表者の説明や提出を受けた資料では本件不動産の価値を把握することはできなかったなどといった主張を一切しておらず、原告主張の本件不動産の価額について積極的に争う態度を特段示してもいないことなどに鑑みれば、本件不動産の価額は、高くとも六七八万円程度であったと評価するのが相当である。
ウ これに対し、本件優先債権の合計額は、住宅金融支援機構分で元本八八八万九三七五円、みずほ信用保証分で元本一〇三九万一三二七円の合計一九二八万〇七〇二円に加え、これらに約定利率による二年分の利息損害金を付した額であった(民法三七五条。)。
エ そうすると、本件不動産の価額が高くとも六七八万円程度であったのに対し、本件優先債権額は元金のみで一九二八万〇七〇二円であり、後者が前者を大幅に上回っていたのは一見して明白であったと認められる。
(3)ア 次に、差押解除義務の有無の判断において考慮すべきと被告が主張する流動的要素について検討するが、そもそも国税徴収法七九条一項二号の要件判断をする際に被告が主張するような流動的要素を考慮すべきとしても、差押財産の価額及び優先債権額を前提として、当該流動的要素により差押財産の価額が優先債権額を超える相応の可能性があったといえなければ、同号の定める差押解除義務の成否に影響を及ぼさないというべきである。
イ 被告は、流動的要素に該当する具体的事情として、本件不動産の抵当権を有する本件優先債権者が、さらに相続財産法人である原告を名宛人とする債務名義を取得した上で、別件土地の任意売却に係る売買代金債権を差し押さえるという事態を主張している。
しかしながら、少なくとも、被告による別件差押えが行われた平成二五年二月五日以降は、別件土地に被告の滞納処分による差押え(別件差押え)が存する以上、これを外さなければ任意売却が成立しないのは自明の理であるから、別件土地の換価代金が本件租税債権等に先立って本件優先債権の弁済に充てられる余地はなくなっていたと認められる(現に被告は、別件土地の売買代金から満足を受けている。前提事実(7)イ、認定事実(26))。この点について、被告は、農地転用の失敗等により別件土地の任意売却が頓挫した場合、公売において三回で売却ができなければ、別件差押えの解除に至る可能性があり、同解除後に債務名義を取得した本件優先債権者が別件土地から満足を受ける事態も想定されたなどと主張するが、現実には別件土地の農地転用及びこれを前提とする任意売却は成功している上、仮に農地転用が失敗した場合、常識的に考えれば、別件土地の換価額は六二〇万円という農地転用を前提とした任意売却予定額に比して相当減じられるのは明白であるから、別件土地の農地転用が失敗した場合に本件不動産の価額が本件優先債権の額を超える状況になることは現実的にはおよそ想定し難く、被告の主張は採用できない。
さらに、別件土地の換価代金が本件優先債権の満足に充てられると仮定しても、認定事実(16)のとおり、農地転用に成功した場合であってもその代金は六二〇万円であり、本件優先債権の元本額の三分の一にも満たない金額に過ぎないから、やはり本件不動産の価額が本件優先債権の合計額を超えることは想定し難い。
その他、本件全証拠によっても、別件差押えが行われて以降、本件不動産の価額が本件優先債権の額を超える相応の可能性を生じさせる事情が存在したとは認められない。
ウ 以上によれば、被告が主張する流動的要素を考慮したとしても、別件土地の換価予定額や被告がこれを差し押さえていたことなどに鑑みれば、遅くとも別件差押えが行われた平成二五年二月五日時点で(同日時点で、上記認定の本件不動産の価額及び本件優先債権の合計額に取り上げるべき変動はない。)、本件租税債権等に先立つ本件優先債権額が本件不動産の価額を上回ることは一見して明白であり、被告は、国税徴収法七九条一項二号に基づき、本件差押えを解除すべき義務を負っていたというべきである。
(4)ア そこで進んで、被告の徴税吏員が上記義務を怠ったかどうかについて検討する。
イ これまでに認定した事情、殊に、被告の徴税吏員が、当初は全額納付を要求しながら、本件不動産の価額及び本件優先債権の合計額について説明を受け、最終的には本件租税債権等の五〇分の一にも満たない金額の一部納付による解除に同意したこと(認定事実(6))、本件不動産の競売手続からの回収可能性はないと述べていたこと(認定事実(12))、国税徴収法四八条一項により超過差押えが禁止されているにもかかわらず、平成二五年二月五日付けで別件差押えを行ったこと(前提事実(7)ア、認定事実(15))からすれば、被告の徴税吏員は、遅くとも別件差押えの時点で、本件不動産の価額及び本件優先債権の合計額を了解した上で、本件不動産からの回収見込みがないことを十分認識していたと認められる。なお、被告主張の流動的要素については、上記で説示したとおり同法七九条一項二号該当性に影響を及ぼすものではないから、これを理由に本件差押えを解除しなかったとすれば、それは被告の徴税吏員が流動的要素に関する評価を誤ったというべきである。
そして、上記認定のとおり、原告は、平成二四年四月一〇日に八万円の一部納付による本件差押えの解除に合意したものの、同年八月七日以降、再び被告に対し、本件差押えを解除するよう求め続け、さらに本件訴訟を提起してまでいるのであるから、八万円の一部納付と引替えに本件差押えを解除するとの合意は、遅くとも本件訴訟が提起された時点で既に撤回され、もはや再び成立する余地はなかったと解すべきであり、被告も原告の上記対応からしてそのことを認識していたと推認できる。
そうすると、被告の徴税吏員は、遅くとも本件訴訟提起後であり、かつ別件差押えが行われた平成二五年二月五日以降、本件差押えを解除すべき義務があることを認識し、あるいは認識すべきであったにもかかわらず、漫然とこれを怠ったというべきである。
ウ なお、被告は、平成二五年四月一九日に被告代理人に到達した第一準備書面により新たな任意売却の話を知った後、一月程度で本件差押えを解除しており、かかる対応に何ら義務違反はないとも主張する。
本件は、差押えの解除を全く求めていない事案や、優先債権額や差押財産の価額に争いがあるにもかかわらず、要件判断に必要な客観的資料の提示等がなされない事案などとは異なり、上記認定のとおり、原告代表者からの相応の説明と客観的な資料の提出を受けた被告の徴税吏員が、その説明に納得した上で本件不動産からの回収可能性はないと判断していた中、異議申立てや本件訴訟提起を通じて原告が被告に対して本件差押えの解除を求め続けていたという事案である。国税徴収法七九条一項二号は、その文言からして効果裁量を定めたものとは解し得ないことからすれば、上記で説示したとおり平成二五年二月五日時点で客観的に差押解除義務が生じていた以上、被告は原告の求めに応じて本件差押えを解除せねばならないのであるから、同年四月一九日に至って新たな任意売却の話を認識しその後一月程度で本件差押えを解除したとの事情は、義務違反の有無を検討するに当たって特に考慮すべき事情とは評価できない。
(5) 以上によれば、被告の徴税吏員は、遅くとも平成二五年二月五日以降、国税徴収法七九条一項二号に基づき本件差押えを解除すべきであったにもかかわらず、漫然とこれを怠ったというべきであるから、被告のかかる不作為は、国家賠償法上違法である。
三 争点(2)(加害行為と相当因果関係のある原告の損害及びその額)について
(1)ア まず、原告が主張する任意売却予定額と競売による売却価額との差額に相当する損害の有無について検討する。
イ 上記二で説示したとおり、被告は、遅くとも平成二五年二月五日以降、国税徴収法七九条一項二号により本件差押えを解除すべき義務を負っていたところ、同年五月二四日までこれを解除することを怠った。そして、被告が本件差押えを解除してこれを原告代表者に通知した同年五月二五日時点で、任意売却の期限と解される競売手続の開札期日である同年六月一二日まで二週間余りを残すのみであった(前提事実(6)、認定事実(22))。これに対し、同年四月三〇日時点において、買受希望者であるCは本件不動産を任意売却により購入することをなお希望しており、本件優先債権者も任意売却に同意していたこと(認定事実(19))、実際に本件不動産を落札したのは、上記買受希望者の同居の息子であるFであったこと(認定事実(25))からすれば、同日頃であってもなお本件不動産の任意売却が成立した見込みが相当高かったと考えられる。農家住宅である本件建物を任意売却するためには、着工から二週間程度を要する排水路に関する是正工事(認定事実(1)③の工事)に加え、擁壁の一部を撤去して進入路を確保し、他人の土地上の門扉等を撤去するなどの是正工事(認定事実(1)①及び②の工事)をも実施した上で、原則二週間を要する審査を経て被告の許可を取得する必要があったこと、本件不動産に対する競売手続が進行する中、本件差押えが解除されるか否か未定の時点で上記の是正工事に着手することは、任意売却が奏功しない場合のリスクに鑑みれば現実的ではなかったと認められることに照らすと、本件で任意売却が実現しなかったのは、開札期日までに上記是正工事や被告の許可を得ることができる時期を過ぎてもなお被告が本件差押えの解除を怠ったことが原因であったというべきであり、被告はこれによって原告が被った損害を賠償すべきである。
ウ これに対し、被告は、被告の徴税吏員において、本件不動産に係る特殊事情、すなわち本件建物が農家住宅であり被告自身による任意売却の許可を得るために是正工事が必要であることを認識しておらず、任意売却が不奏功となることを予見できなかったなどと主張する。
しかし、被告の徴税吏員は、認定事実(5)のとおり、本件建物が農家住宅であることを認識していた(この事実は、被告の徴税吏員が原告代表者らとの間で本件不動産に関する交渉を行う都度作成していた「交渉経過リスト」の平成二四年四月一〇日の欄に、「査定額が低い要因として、①農家住宅、②自殺物件、③隣接地と一体利用の補足説明あり。」と記載されていることからも明らかである。)。そして、被告の徴税吏員は、同日の面談において、原告代表者から、積和不動産作成の「戸建て住宅価格査定書」の写しの交付を受けており、同査定書中の「市場性にかかる所見」欄に関する記載として添付された別紙補足資料には、農家住宅による制約として、「基本的には売却できないものですが、浜松市土地政策課(担当G様)と事前協議をいたしまして、『やむを得ない事情』として売却を認めていただけそうです。ただし、許可を取得する上で条件をつけられる予定です。」との記載に加え、許可を取得する上での条件として、「西側道路から入られるよう階段を設置する(建築確認では西から接道を取っているため)」、「建物東側にある物置の撤去」、「門の撤去」、「(工事費用を確認したところ、約九〇万程度必要とのことです)」、「購入者にも要件が出てくる上、購入者も基本的には将来の売却、賃貸を認められない」といった本件不動産の売却に当たって必要となる認定事実(1)①及び②の是正工事に係る記載もあることからすれば、被告の徴税吏員は、本件不動産の任意売却には被告土地政策課による審査を経た上での許可が必要となること、同許可に当たり見積価格にして約九〇万円を要する規模の是正工事が必要となることについて、いずれの事実も認識していたか、あるいは認識すべきであったというべきである。
したがって、被告の上記主張は採用できない。
(2) そこで、原告が本件不動産の任意売却の機会を失ったために被った損害の額についてさらに検討するに、原告は、任意売却予定額五七〇万円と競落価格三〇五万円の差額である二六五万円が被った損害の額であると主張する。
任意売却予定額が五七〇万円であることは認定事実(20)のとおりであり、競落価格が三〇五万円であることは前提事実(6)アのとおりである。もっとも、本件不動産の任意売却の前提として原告が実施を予定していた是正工事の代金については、原告が負担すべきものとして原告の得べかりし任意売却予定額から控除されるべきである。そして、証拠<省略>によれば、擁壁の一部を撤去して進入路を確保し、他人の土地上に設置された門扉等を撤去する是正工事については見積価格で約九〇万円、排水路に関する是正工事は見積価格で六一万二九三七円であったと認められるから、これらを控除した上での競落価格との差額は約一一四万円となる。さらに、任意売却に際しては、上記の是正工事代金のほか、売却手続に係る諸経費等も生じると推認されることにも鑑みれば、原告が本件不動産の任意売却の機会を失ったことにより被った損害の額については、一〇〇万円の限度でこれを認めるのが相当である。
(3) 次に、原告主張の弁護士費用については、本件訴訟の内容、審理経過等に照らして一〇万円を下らないものと認める。
(4) そして、これらに付すべき遅延損害金の始期は、前提事実(6)アのとおり、買受人が競落代金を納付したことにより本件不動産の任意売却の機会が確定的に失われた平成二五年七月三日(競売手続における売却代金納付日)というべきである。
(5) なお、原告が被ったと主張する無形損害は、本件不動産の任意売却に係る業務を阻害されたことを理由とするものであるから、上記のとおり任意売却予定額と競落価格との差額に関する損害が認められる以上、それにより評価され尽くしているというべきである。
(6) よって、被告は、原告に対し、一一〇万円及びこれに対する上記(4)の遅延損害金の限度でこれを賠償する義務を負う。
第四結論
以上によれば、原告の請求は主文掲記の限度で理由があるから、その限度でこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 古谷健二郎 裁判官 澤田順子 植村一仁)
別紙 物件目録<省略>