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静岡地方裁判所浜松支部 平成4年(ワ)123号 判決 1996年2月19日

原告

甲野太郎

甲野春子

乙山冬子

右三名訴訟代理人弁護士

田代博之

黒柳安生

被告

静岡県

右代表者知事

石川嘉延

右訴訟代理人弁護士

林範夫

石津廣司

右指定代理人

坪井征夫

外六名

被告

丙川一郎

主文

一  被告らは、各自、原告甲野太郎及び甲野春子に対し、各金二四三四万四五四六円及びこれらに対する平成元年四月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、同乙山冬子に対し、金二〇〇万円及びこれに対する平成元年四月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

二  原告らの被告らに対するその余の請求を、いずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告甲野太郎、同甲野春子に対し、各金四七四四万二〇〇〇円及びこれに対する平成元年四月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、同乙山冬子に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成元年四月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第1項について仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 亡甲野秋子(以下「秋子」という。)は、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)、同甲野春子(以下「原告春子」という。)の長女であり、同乙山冬子(以下「原告冬子」という。)の姉である。

秋子は、昭和六三年四月一日、被告静岡県の公立学校事務職員として採用され、同時に静岡県立××高等学校(以下「××高校」という。)に主事として勤務を始めた公務員であった。

秋子は、平成元年四月一〇日、次に述べるとおり、被告丙川一郎(以下「被告丙川」という。)によって殺害された(以下「本件犯行」という。)。

(二) 被告丙川は、昭和六二年四月一日、被告静岡県の公立学校事務職員として採用され、同時に××高校に主事として勤務を始めた公務員であった。

(三) 被告静岡県は、秋子及び被告丙川の勤務先であった××高校の設置者であり、教育委員会を通じて、同校の管理運営を行っていた。

2  本件犯行の経緯

(一) 平成元年三月当時、秋子と被告丙川は、ともに××高校の事務職員として勤務していたが、同年二月ころから、同被告は、同女に対し、一方的に思慕の情を抱くようになった。

(二) 同年四月一〇日午後八時五〇分ころ、同女と同被告は、定時制高校の新年度業務が多忙のため、同校事務室内で残業に従事しており、同室内に他の職員はいなかった。

同被告は、同女より先に帰ろうとして同女にその旨声をかけ、同室の鍵の管理を依頼したが、それに対する同女の反応が、思慕の情を抱く同被告にとってはそっけないものであったため、同女に軽蔑されたものと思い込み、加えて日頃の同女の勤務態度について不満をもっていたことから、同女を難詰し、互いの応酬が繰り返されるなかで、同女に対する殺意を抱くに至った。

(三) そこで、同被告は、書庫内にあったカジヤを使い、同女の背後から後頭部を一回殴り、更に正面から頭部を数回殴りつけた上、同女が床上に転倒したところを再び頭部や顔面を殴り続け、更にはパイプレンチを使って頭部、顔面等を殴打し続け、その結果、同女の全身に四〇数か所にも及ぶ傷害を与えた。

更に、同被告は、無抵抗の同女の頸部を両手で絞めつけた上、ドライバーで心臓部を三回突き刺し、加えて猥褻行為に及んだ上、布巾を口の中に押し込んで同女を窒息死させるに至った。

(四) 同被告は、平成元年五月二日、殺人罪で、静岡地方裁判所浜松支部に起訴され、同年七月二八日、同裁判所において、懲役一二年の判決を受け、同年八月一四日、右刑は確定し、現在黒羽刑務所に服役中である。

3  被告丙川の責任

被告丙川の前記殺害行為は不法行為であるから、民法七〇九条により、同被告は、それによって生じた損害を賠償する責任がある。

4  被告静岡県の責任

(一) 不法行為に基づく責任

(1) 国家賠償法一条一項に基づく責任

被告丙川の本件犯行は、事務室内の鍵の管理、職務に対する姿勢等をめぐる同被告と秋子との間の職務上の口論の末行われたものである。したがって、公権力の行使にあたる公務員である同被告が、その職務を行うについて、本件犯行を行っているから、被告静岡県は、国家賠償法一条一項により、それによって生じた損害を賠償する責任がある。

(2) 民法七一五条一項に基づく責任

本件犯行は、被告丙川の職務と密接に関連して行われたものであることは、前同様であるから、被告静岡県は、被告丙川の使用者として民法七一五条一項の使用者責任に基づき、それによって生じた損害を賠償する責任がある。

(二) 債務不履行に基づく責任

被告静岡県は、××高校における事務職員の生命、身体の安全について配慮すべき、いわゆる安全配慮義務を負っていたところ、未婚の異性関係にある男女を密室同然の事務室内に夜の九時ころまで慢性的かつ過重な残業に従事させることを余儀なくさせ、右の事態から本件犯行を誘発する危険性を予見できたにもかかわらず、漫然とこれを看過し、何ら適正な規制措置をとらず、右義務の履行を怠ったため、本件犯行が発生したものであるから、債務不履行による損害賠償責任を負う。

5  損害

(一) 逸失利益

四一五八万〇〇〇〇円

秋子は、大学を卒業し、静岡県の上級事務職員として採用され、××高校の事務職員として奉職一年後の二三歳のときに被告丙川の本件犯行により死亡した。その逸失利益は、平成元年度の賃金センサス、大卒女子労働者の当該年齢平均年収によれば、年収二五九万一八〇〇円となり、これを基準に算定するのが相当である。就労可能年数は満六七歳までの四四年間とし、その中間利息控除につき新ホフマン方式(係数は22.9230)を使用し、生活費控除を三〇パーセントとすると、逸失利益額は四一五八万円となる(万未満切り捨て)。

259万1800円×22.9230×0.7=4158万8281円

(二) 慰謝料

原告ら固有の慰謝料

原告太郎、同春子について

各二〇〇〇万〇〇〇〇円

原告冬子について

一〇〇〇万〇〇〇〇円

本件犯行の態様とその方法、一瞬にして職場で命を絶たれた無念さ、心血を傾けてその成長にかけてきた原告らのたとえようのない痛恨を考えれば、慰謝料は、最低でも、原告太郎及び同春子の両親につき各二〇〇〇万円、妹の原告冬子につき一〇〇〇万円を下らない。仮に、債務不履行に基づく責任の場合に、原告ら固有の慰謝料請求が認めらないのであれば、秋子の慰謝料として請求するが、その額は、四〇〇〇万円を下らない。

(三) 葬儀費用

二〇〇万〇〇〇〇円

(四) 墓石、仏壇及び仏具等費用

一五八万〇〇〇〇円

(五) 墓地使用料

一九万四〇〇〇円

(六) 弁護士費用

九五三万〇〇〇〇円

(七) 原告太郎及び同春子は、秋子の父母として、秋子の死亡により、法定相続分である二分の一の割合で前記(一)の秋子の損害賠償請求権をそれぞれ承継し、前記(三)ないし(六)の費用を二分の一ずつ負担した。これに、前記(二)の同原告ら固有の慰謝料を加えれば、原告太郎及び同春子の損害額は、各四七四四万二〇〇〇円となる。また、仮に、前記(二)の秋子の慰謝料を相続したとしても、原告太郎及び同春子の損害額は同額である。

6  よって、原告らは、被告丙川に対しては、民法七〇九条に基づく損害賠償請求として、被告静岡県に対しては、選択的に、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求、あるいは民法七一五条一項に基づく損害賠償請求、または債務不履行に基づく損害賠償請求として、各自、原告太郎、同春子については、各金四七四四万二〇〇〇円、同冬子については、金一〇〇〇万円、及び右各金員に対する不法行為の日である平成元年四月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  被告丙川

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2(一)の事実のうち、一方的に思慕の情を抱くようになったことは否認し、その余は認める。

(三) 同2(二)の事実のうち、秋子の反応が思慕の情を抱く被告丙川にとってはそっけないものであったため、同女に軽蔑されたものと思い込んだということについては否認し、その余は認める。

(四) 同2(三)の事実は概ね認める。

(五) 同2(四)の事実は認める。

(六) 同3は争う。

(七) 同5は知らない。

2  被告静岡県

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2の事実は知らない。

(三) 同4(一)は争う。

本件犯行は、被告丙川が、帰宅しようとした際、事務室の鍵を秋子に預けようと声をかけ、これに対する同女の応答が無愛想であると受け取り、かねてから抱いていた思慕と嫉妬心から口論になったものであって、職務遂行上の問題自体について口論があったわけではない。したがって、本件犯行の直接の契機となった同被告と同女の口論は、××高校の業務とは全く関係のない両名の私的感情によるものであることは明らかであり、そこに、××高校の公務又は事業執行行為との関連性を何ら見出すことはできない。

(四) 同4(二)は争う。

被告丙川は、秋子に対して好意を抱き、自己の内向的性格からその気持ちを打ち明けることができない状態にあったところ、本件犯行当日、同女から「大嫌い。」などと言われたことから、それまでの気持ちが砕かれ、一気に本件犯行に及んだものであり、公務とは何ら関係がないものである。

また、同被告と同女との職場における人間関係については、本件犯行前には全く問題がなかったものである。そもそも、本件犯行は、同被告の内心における感情を原因に突発的に発生した事件であり、被告静岡県が事前に予見することは全く不可能であった。

さらに、残業についても、年度末から年度当初にかけては、他の教職員も被告丙川と同様に残業をしており、同被告だけに過重な負担があったわけではない。しかも、残業による疲労が、本件犯行のような同僚の殺害という異常な行為に結びつくものでないことはいうまでもない。また、未婚の男女が同一室内で作業することはいずれの職場でも通常見られることであって、このことから本件犯行のような殺害行為にまで発展することを予見することはおおよそ不可能である。

以上のとおり、被告静岡県は、被告丙川の本件犯行については、全く予見可能性がなく、安全配慮義務違反の成立する余地はない。

(五) 同5は争う。

三  被告静岡県の抗弁(民法七一五条一項に基づく責任に対して)

1  民法七一五条一項但書の免責事由

仮に、被告丙川の本件犯行が、被告静岡県の事業の執行につきされたと認められるとしても、本件犯行が、被告静岡県にとって、予見不可能であったことは、前記二2(四)のとおりであるから、被告静岡県が民法七一五条一項に基づき不法行為責任を負うことはない。

2  消滅時効

(一) 原告らは、遅くとも、被告丙川が有罪判決を受けた平成元年七月二八日には、損害及び加害者を知った。

(二) 右同日から三年が経過した。

(三) 被告静岡県は、原告らに対し、平成七年九月一八日の第二〇回口頭弁論期日において、右時効を援用する旨の意思表示をした。

四  被告静岡県の抗弁に対する認否

1  抗弁1は争う。

2  同2は認める。

五  再抗弁(時効中断、被告静岡県の抗弁2に対して)

原告らは、本訴提起時に、不法行為に基づく損害賠償請求をしており、民法七一五条一項に基づく損害賠償請求であることを明示はしなかったが、その成立要件の主張をしているのであるから、使用者責任による損害賠償請求権についても、裁判上の請求があったとみるべきである。

六  再抗弁に対する被告静岡県の認否

争う。国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求権と民法七一五条一項に基づく損害賠償請求権とは法的に別個の請求権であり、前者についての訴訟提起が後者についての消滅時効を中断することはない。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証及び証人等目録に記載のとおりであるので、これを引用する。

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  本件犯行の経緯について

前記一の争いのない事実に、証人大坪淳子、同赤穂津久美子、同杢屋幹夫の各証言、原告甲野太郎本人尋問の結果、成立に争いのない甲第一号証、第一八号証の一及び三、第二三ないし第二六号証、第二七号証の一ないし三、第二八ないし第五六号証、乙第一号証の一〇ないし一二、第三号証、第四号証の一及び二、原本の存在及び成立に争いのない乙第五号証によると、次の事実を認めることができる。

1  被告丙川は、静岡県の初級事務職員試験に合格した後、昭和六二年四月から××高校の事務職員として勤務していたが、一年後の昭和六三年四月に同じく上級事務職員試験に合格した秋子が同校事務職員として勤務するようになった。

同女は、その明朗な性格や整った容姿から、職場の雰囲気を明るくした。また、仕事に慣れるにつれてこれをてきぱきとこなし、仕事中に事務室に来た教師達とも気軽に雑談を交わすなど、同僚たちとも打ち解けて職場生活を送っていた。そして、同女は、もともとスポーツマンタイプの男性が好きであったことから、妻子のある同校の保健体育担当の教師に対して憧れを抱き、その気持ちを他の事務職員らに打ち明けるようなこともあった。

一方、同被告は、本来の内向的な性格から、女性とうまく話をすることもできず、同年齢くらいの女性の友人もいなかった。このため、女性への憧れや性的欲求から、昭和六二年の夏ころから、女生徒の下着や水着等を数回にわたり教室内から窃取し、これらを自宅に持ち帰って女性への妄想を逞しくするなどしていた。同被告は、自分と対照的な秋子の立ち居振る舞いについて、同女と同年齢ということ、採用時の資格が同女の方が上であることに引け目を感じていたこともあって、必ずしも快く思っていなかったが、注意をするということなどはなかった。

2  平成元年に入ってから、同被告の目には、同女の化粧の仕方が変化し、ことに目鼻だちが目立つような感じを受け、これまでとは違って綺麗に見えるようになり、また、同女がタイトスカートをはいてくるような時には、その後姿を見て、同女に対して魅力を感じるようになり、徐々に同女に対して好意を抱くようになった。これに対し、同被告は背広を常時着用するなど、年齢の割には服装も堅苦しく、話も上手でないことなどから、同女からはむしろ嫌われていた。同年二月ころ、同被告は、同女が同校事務室近くに置き忘れたアドレス帳を自宅に持ち帰り、住所録の中に自分の名前の記載がなかったことから落胆したこともあった。

同被告の同女に対する思いは、次第に強くなり、同校事務室に行けば、同女に会えるという喜びを感じるまでになった。また、同被告は、同女が、事務室に出入りする教師達と雑談を交わすのを見て、これまでとは違って、自分もあのように同女と話しがしたいと思うようになり、更に、同女が憧れている教師よりも自分の方が同女の相手としてはふさわしいと思うまでになったが、同女から嫌いと言われるのが恐くて、自分の気持ちを打ち明けることができなかった。

3  同年四月一〇日午後八時三〇分ころ、同被告と同女は、新年度の業務が多忙のため、同校事務室内で残業に従事しており、このころ同室内に他の職員はいなかった。この残業は、両名が自主的に行ったものであり、上司から時間外勤務を命じられたものではなかった。

同日午後八時五〇分すぎころ、同被告は、同女より先に帰ろうとして同女に、「もう私は帰るけど、甲野さんはいつまでやっていくの。」と声をかけたところ、同女が「いつまでやるかわからない。」と答えので、同被告は「それじゃ後頼むね。」と言って、所持していた事務室等の鍵束を同女の机の上に置いた。それに対して、同女が「わかった、わかった、もう早く帰れば。」と突き放したような返事をしたことから、同被告は、馬鹿にされたと感じ、「そんな返事の仕方はないだろう、そんな言い方をするもんじゃない。」、「先生が事務室に来ればむだ話ばかりして、そんなことで仕事ができるか。」などと言い返したが、同女から「あんただって定時制の先生が来ればむだ話しているでしょ。男だったらそんなこまかいことを言うもんじゃない。男らしくない。」と言い返されたため、これに立腹し、「お前だって結婚している男を好きになって馬鹿じゃないか。」と言ったところ、同女から「ほっといて。あんたにそんなこと言われるすじあいはないでしょ。好きになるのは私の勝手でしょ。あんたよりましよ。」と言われた上、更に大声で、「あんたなんか大嫌い。」と言われた。

同被告は、これまで同女に嫌いと言われるのが恐くて自分の気持ちを打ち明けられなかったところに、同女から大嫌いと言われたことから一気にこれまでの同女に対する気持ちが砕かれ、逆に、「この女、俺を馬鹿にしやがって。」、「こんな女殺しちゃえ。」と思うようになり、殺意を抱くに至った。

4  そこで、同被告は、同事務室の書庫内にあったカジヤを使い、同女の背後から後頭部を一回殴り、更に正面から頭部や顔面を数回殴りつけた上、逃げようとした同女が書庫の出入口付近で床上に転倒したところを再び頭部や顔面を殴り続け、更には同女を再び書庫内に引きずりこんで、書庫内にあったパイプレンチを使って頭部、顔面等を殴打し続け、その結果、同女の全身に四〇数か所にも及ぶ傷害を与えた。更に、同被告は、同女の頸部を両手で絞めつけた上、とどめをさすため、書庫内にあったドライバーで心臓部を三回突き刺した。

そして、この突き刺したところで、同女の胸元がはだけているのに気づき、また下着が見える状態にあったことから、日頃から同女に好意を抱いていた気持ちも手伝って、劣情を催し、胸、陰部を触った上、書庫内にあったポラロイドカメラを使って同女の陰部付近の写真を三枚撮影した。その後、まだ同女が、うめき声を出していたことから、同女の口から自己の犯行がばれることになっては困ると考え、再度とどめをさすため、事務室内にあったおしぼりを取りに行き、それを同女の口の中に押し込んで窒息死させるに至った。

5  同被告は、本件犯行後、犯行に使用したドライバー、パイプレンチ等をゴミ袋に入れて事務室内から逃走し、自己所有の普通乗用自動車を運転して自宅に向かったが、これらの凶器等を持っていたのでは自己の犯行が発覚すると思い、同日午後一〇時すぎころ、凶器等の入ったゴミ袋を川に投棄した。そして、帰宅後、同女の血液が付着した背広、ワイシャツ等を洋服ケースに入れ、一旦、右車両のトランク内に隠した。また、本件犯行の際、同女を撮影した写真は、好きだった同女の写真を自分の側に置いておきたいと考え、自室内に隠した。

6  翌一一日午前七時三〇分ころ、同校に出勤してきた事務職員らが、書庫内で倒れている秋子を発見した。

同日、同被告は、警察官から事情聴取を受け、自分が疑われていると感じ、背広、ワイシャツ等を帰宅途中の翌一二日午前〇時二〇分ころ、JR掛川駅のコインロッカー内に隠匿した。

7  同被告は、同月一二日、殺人罪で逮捕され、同年五月二日、同罪で、静岡地方裁判所浜松支部に起訴され、同年七月二八日、同裁判所において、懲役一二年の判決を受け、同年八月一四日、右刑は確定し、現在黒羽刑務所に服役中である。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

三  被告静岡県の責任について

1  民法七一五条一項に基づく責任について

(一) 本件犯行に至る経緯と職務執行性

被告丙川の本件犯行が、民法七一五条一項にいう「事業ノ執行ニ付キ」されたものか否かが問題となる。この点、原告らは、本件犯行は、事務室内の鍵の管理、職務に対する姿勢等をめぐる同被告と秋子との間の職務上の口論の末行われたものであり、同被告の職務と密接に関連して行われたものであると主張するのに対し、被告静岡県は、本件犯行の直接の契機となった被告丙川と同女の口論は、××高校の業務とは全く関係のない両名の私的感情によるものであって、同被告の職務とは関連性がないと主張するので、以下検討する。

(1)  まず、前記二で認定したように、本件犯行当日、県立××高校の主事である被告丙川は、残業を終了して帰宅しようとした際、同校事務室内で、同じく残業に従事していた同僚の秋子と口論となり、その結果、同女を殺害する行為に及んでおり、本件犯行が、残業時間中に、その就業場所である同校事務室内で行われものであることは明らかである。

(2)  次に、本件犯行の発端となった被告丙川と秋子との口論に至る経緯については、前記二判示のとおり、同被告と同女との間で、同女がいつ残業を終えて帰宅するかということについて言葉が交わされたこと、その際、同被告から同女に事務室等の鍵束が受け渡され、そのときの同女の「わかった、わかった。もう早く帰れば。」という突き放したような返事が直接の原因となって両者の口論が始まったものである。更に、両者の口論は、同被告が「先生が事務室に来ればむだ話ばかりして、そんなことで仕事ができるか。」と言ったことに対して、同女が「あんただって定時制の先生が来ればむだ話しているでしょ。男だったらそんなこまかいことを言うもんじゃない。男らしくない。」と言い返すといった両者の日頃の職務に対する姿勢等をめぐる口論に発展している。

(3)  以上、前記(1)、(2)の事実を総合すると、本件犯行は、事務室等の鍵束の受け渡しをきっかけに、職務に対する姿勢等をめぐる口論から発展したものと認められ、被告丙川の××高校における事務職員としての職務と密接に関連して行われたものであるというべきである。この点、同被告が秋子を殺害するまでに至ったのは、同女に対し日頃から好意を抱いていたもののその気持ちを打ち明けられないでいたところ、本件犯行当日、同女から「あんたなんか大嫌い。」と言われ、これまでの気持ちが一気に砕かれ、激しい憎悪に変わったことによるものであることからすると、本件犯行は、同被告の同女に対する私的感情がその原因となっていると考えられるが、前記のような鍵束の受け渡しや職務に対する姿勢等をめぐる口論が本件犯行の誘因となったこと自体は否定し難く、同被告の職務との密接な関連性が失われるということにはならないというべきである。

したがって、被告丙川の本件犯行は、民法七一五条一項にいう「事業ノ執行ニ付キ」されたと認めることができる。

(二)  民法七一五条一項但書の免責事由(被告静岡県の抗弁1)について

被告静岡県に、被告丙川に対する選任監督上の過失がないといえるかどうか問題となる。

(1) 被告丙川の××高校における勤務状況について、前記二の事実並びに、証人大坪淳子、同赤穂津久美子、同杢屋幹夫の各証言、前掲甲第二四、第二八、第二九、第五五号証、乙第四号証の一及び二によると、次の事実を認めることができる。

昭和六二年四月当時の××高校校長は、被告丙川の採用面接の際の印象として、同被告にやる気がないように感じられたことから、一度静岡県の方に引き取ってもらうことを考えたこともあったが、採用後は真面目に職務に従事しているとの印象を持ち、仕事に真面目に取り組んでいると評価し、同校事務長や職場の同僚も、同被告の仕事ぶりを真面目で一生懸命と評価していた。同被告自身も、真面目に仕事に取り組み、同僚といさかいを起こすこともなかった。

しかし他方で、同被告は、昭和六二年の夏ころから、数回にわたって、女生徒の水着、下着等を教室内等から窃取し、自宅に持ち帰っていた。校内において、女生徒の下着等が盗まれるということが問題とされた時期もあったが、結局、うやむやにされ、同被告に疑いが掛けられることもなかった。

(2) このように、同被告は、一方では、真面目な仕事ぶりを評価されながら、他方で、女生徒の下着等を窃取するという犯行を数回にわたって行っていたのであり、××高校としても、校内で女生徒の下着等が盗まれるということが問題とされた時期に、事案の真相解明に努めるべきであった。前記二のとおり、本件犯行は、道具を使って全身を滅多打ちにした上、ドライバーでその心臓部を突き刺し、更に、ポラロイドカメラで同女の陰部を撮影するなど極めて異常な猟奇的なものであり、被告丙川の内向的な性格、あるいは屈折した心理状態が起因していることが強く疑われるものである。したがって、校内における下着等の盗難事件の真相が解明されて適切な処置がされていれば、本件犯行は未然に防げた可能性が全くないとはいえない。

よって、被告静岡県に、被告丙川に対する選任監督上の過失がないとはいえない。

(三)  消滅時効(被告静岡県の抗弁2)について

(1) 被告静岡県の抗弁2(一)ないし(三)は、当事者間に争いがない。

(2) 民法七一五条一項に基づく損害賠償請求権が時効により消滅しているかどうか検討する。

平成四年四月八日、原告らは、被告静岡県に対し、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償を求めて本訴を提起したこと、平成六年一一月二一日の第一四回口頭弁論期日において、原告らは、被告静岡県に対し、民法七一五条一項に基づく損害賠償請求を追加して主張したことは本件記録によって明らかである。

国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求権と民法七一五条一項に基づく損害賠償請求権とは、それぞれその成立要件を異にするものであって、実体法上、別個独立の請求権と解されるが、右両請求権はその基礎となる事実関係を一にし、一方は公務員の、他方は被用者の不法行為によって生じた被害者の損害の填補を目的とするものであるばかりか、両者は不法行為責任という同一の法体系に属する損害賠償請求権であることからすると、原告らが、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求を主張し、被告静岡県に対し不法行為に基づく損害賠償を求めて本訴を提起した段階で、民法七一五条一項に基づく損害賠償請求権についても裁判上の請求があったとみることができる。

そうすると、原告らの民法七一五条一項に基づく損害賠償請求権は、平成四年四月八日の本訴提起の段階で時効中断しているというべきである。

2  以上の次第で、被告静岡県は、民法七一五条一項に基づいて原告らの後記損害を賠償する責任を負うから、選択的主張の関係にある原告らの国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求及び債務不履行に基づく損害賠償請求については判断しない。

四  被告丙川の責任について

被告丙川は、前記二で認定した経緯により、秋子を殺害しているのであるから、民法七〇九条に基づいて、原告らが本件犯行により被った後記損害を賠償する責任を負う。

五  損害(請求原因5)について

1  逸失利益

二二八八万九〇九二円

前記一の争いのない事実に、成立に争いのない乙第一号証の一ないし三、五、六によると、秋子は、昭和四〇年一二月一一日生まれの女性で、昭和六三年三月、県立静岡女子大学文学部国文学科を卒業後、同年四月一日付けで静岡県の上級事務職員として採用され、同日付けで××高校に主事として勤務するようになり、本件犯行当時は二三歳であったことを認めることができる。

そうすると、同女の就労可能年数は六七歳までの四四年間とするのが相当であり、平成元年賃金構造基本統計調査報告(賃金センサス)第一巻第一表によれば、新大卒女子労働者の当該年齢平均年収は、二五九万一八〇〇円であるので、これに就労可能年数四四年のライプニッツ係数である17.6627を乗じ、うち五〇パーセントを生活費として控除すると、同女の逸失利益は、金二二八八万九〇九二円となる。

259万1800円×17.6627×0.5=2288万9092円

2  慰謝料

原告太郎、同春子

各一〇〇〇万〇〇〇〇円

原告冬子 二〇〇万〇〇〇〇円

既にみたとおり、執拗、残忍、悪質な殺人事件であり、被害者である秋子には何ら落ち度がないこと、原告甲野太郎本人尋問の結果、前掲甲第一、第二八、第二九、第四六号証、当事者間に争いのない事実並びに前記二に認定の事実によると、秋子は、静岡県の上級事務職員として採用され、職場において将来を期待される一方で、家庭においても、両親である原告太郎、同春子とはもとより、三歳違いの妹である原告冬子とも仲良く、平穏な暮らしを営んでいたこと、秋子及び原告らに対する被告丙川からの慰謝が何もされていないことなどの事実が認められる。これらの事情に照らせば、原告らの受けた精神的な苦痛は甚大であったと認められるので、慰謝料としては右金額を相当と認める。

3  葬儀費用は、一二〇万円を相当と認める。墓石、仏壇及び仏具等費用、墓地使用料については、葬儀費用に含め、包括的に認めたものである。

4  弁護士費用は、事案の内容、認容額に照らし、四六〇万円を相当と認める。

5  右認定事実及び弁論の全趣旨によると、原告太郎及び同春子は、秋子の相続人として、1記載の逸失利益二二八八万九〇九二円の二分の一である一一四四万四五四六円をそれぞれ相続により取得し、3、4各記載の費用の合計額である五八〇万円の二分の一である二九〇万円をそれぞれ負担したことが認められる。

6  よって、原告らは、被告丙川に対しては、民法七〇九条に基づく損害賠償請求として、被告静岡県に対しては、同法七一五条一項に基づく損害賠償請求として、各自、原告太郎、同春子については、それぞれ、右の合計額である二四三四万四五四六円、同冬子については、二〇〇万円、及び右各金員に対する不法行為の日である平成元年四月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める権利を有する。

六  結論

以上の次第で、原告らの請求は、右の限度で理由があるので、この限りで認容し、被告らに対するその余の請求はいずれも理由がないからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官吉崎直彌 裁判官村越啓悦 裁判官見目明夫)

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