静岡地方裁判所浜松支部 昭和47年(ワ)262号 判決 1974年9月19日
原告
矢吹孝徳
被告
島康子
ほか一名
主文
被告らは原告に対し各自金二、三九一、七四四円およびこれに対する昭和四七年九月二二日から右支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。
この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
「被告等は原告に対し各自金六、九七〇、七〇七円およびこれに対する昭和四七年九月二二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決および仮執行の宣言。
二 被告ら
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。
第二主張
一 請求原因(原告)
(一) 事故の発生
原告は、次の交通事故によつて傷害を受けた。
(1) 発生時 昭和四四年九月一九日午前一一時四五分頃
(2) 発生地 浜松市寺島町六一七番地株式会社河合楽器分室構内
(3) 事故の状況
被告芳信は、被告康子保有の軽四輪貨物自動車(六浜松え八五五三号)を運転し、前記日時に前記場所に至り、同分室正門より構内にむかつて東進し、門の内側(東側)にある守衛所附近において徐行したが、折りから右構内体育館と工場の間にある通路を自転車に乗つて南進してきた原告は、右体育館南側正門に通ずる道路を横断しようとし、右守衛所前附近で徐行している被告車両を認めたが、同車両が徐行していることでもあり原告の横断に当然気付いて安全に横断させてくれるものと考えて横断を開始したところ、被告芳信は脇見をしていて前方の注視義務をおこたり、前方道路を自転車で横断中の原告に気付かず、加速発進して東進した過失により、自動車の前部を自転車の右側面に衝突させ(以下、本件事故という)、原告に傷害を与えた。
(4) 傷害の部位、程度
傷病名
外傷性頸部症候群、頭部外傷、脳振とう症、頸椎変形損症、腰椎変形、腰痛症、三叉神経痛症等。
治療期間
入院 昭和四四年九月一九日から同年一〇月七日まで一九日間。 高木外科医院
通院 昭和四四年一〇月七日から昭和四五年四月六日まで一八一日間。 静岡労災病院
昭和四五年四月一三日から同年四月二〇日まで八日間。 目白病院
入院 昭和四五年四月二一日から同年八月一八日まで一二〇日間。 目白病院
昭和四五年八月一九日から昭和四六年八月一七日まで三六四日間。 有隣会南浦和病院
(入院合計五〇三日)
後遺症
昭和四六年八月一七日症状固定
(他覚症状) X線検査により頸椎にⅣ著明な変形、腰痛ⅣⅤに変形像、異常脳波、軽作業後頸筋強縮等。
(自覚症状) 頭痛、頸部より肩胛部に疼痛・右後頭部痛、腰部下肢鈍痛倦怠感、耳鳴、右顔面疼痛。
(後遺症等級) 第七級五号南浦和病院医師診断。
(二) 責任原因
(1) 被告康子は加害車両を所有し、自己のため運行の用に供していたものであるから自賠法三条による責任がある。
(2) 被告芳信は加害車両を運転し、前記(一)(3)事故の状況記載の過失により、本件事故を発生したものであるから、民法七〇九条の責任がある。
(三) 損害
(1) 治療費
高木外科医院分 金五五、二二三円。
静岡労災病院分(社会保険使用による自己負担分) 金七、三〇〇円。
目白病院分 金一、二六三、〇三〇円。
南浦和病院分 金二、五六四、二七二円。
以上合計金三、八八九、八二五円。
(2) 休業補償 金一、一二五、六五五円。
原告は事故当時、株式会社河合楽器製作所に勤務し設計事務を担当しており、事故前三ケ月間の本給合計金一四三、八六二円であつた。
ところで、原告は本件事故による受傷により、前記後遺症をうけ、精密な設計事務に従事することは困難となつたので、昭和四六年一二月末日に河合楽器を退職するに至つたが、事故発生の翌日から右退職まで原告は休業しその間給料の支給をうけず無収入であつたが、昭和四六年八月一七日に症状固定と診断されているので、昭和四四年九月二〇日から昭和四六年八月一七日までの六九七日間について休業による損害を一日当り金一六一五円として算定すれば金一、一二五、六五五円となる。
(3) 慰藉料
原告は本件事故の受傷により長期間療養生活を余儀なくされ、収入もなく且つ勤務先の河合楽器製作所を退職しなければならなくなるほど肉体的にも精神的にも多大な苦痛を受けたので慰藉料として金一、三〇〇、〇〇〇円を請求する。
(4) 後遺症損害 金一、七八五、二二七円
<1> 逸失利益損害 金九八五、二二七円
原告は昭和一六年四月二〇日生であるから後遺症認定時である昭和四六年八月一七日現在において満三〇年四ケ月であり、通常ならば、なお二五年間は河合楽器製作所に勤務できた筈であるが、前記後遺症の内容により労働能力が低下していると予想される期間を五年間とし、その労働能力喪失率を自賠責保険で査定した一〇級による二七パーセントとするとその間の逸失利益損害は次のとおりである。
なお、原告に対する昭和四六年度の新給与額による本給・付加給額合計は月額金五五、七四〇円とされていたから賞与年間二カ月分を加えると、年額金八三六、一〇〇円となるのでこれにより算定する。
836,100×0.27×4.3643=985,227.63
金九八五、二二七円
<2> 慰藉料 金八〇万円
昭和四四年一一月三〇日以前の事故ではあるが、原告は神奈川大学機械工学科を昭和三九年三月卒業以来、就職した職場を後遺症のため退職せざるを得なくなり、これまでの知識経験を無にしなくてはならなくなつた苦痛は多大である。
(四) 結び
以上により治療費、休業補償費、慰藉料の合計額は金六、三一五、四八〇円であるが自賠責保険による金五〇〇、〇〇〇円、被告らより金三〇、〇〇〇円の支払をうけているのでこれを差引き金五、七八五、四八〇円を、後遺症損害については自賠責保険により金六〇〇、〇〇〇円の支払がされているのでこれを差引き金一、一八五、二二七円の各合計金六、九七〇、七〇七円を原告は被告等に請求し、かつ本訴状送達の翌日である昭和四七年九月二二日から支払済まで年五分の割合による損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否(被告ら)
請求原因(一)(1)(2)記載の事実は認める。
同(一)(3)記載の事実のうち、被告芳信が守衛所附近で徐行したことは否認し、その余の事実は認める。被告芳信は同所において一旦停止したうえ発進したもので、原告が急に飛び出したため出合頭に衝突したものである。
同(一)(4)記載の事実は、すべて争う。
同(二)記載の事実は認める。
同(三)(1)記載の事実のうち、高木外科医院分を認め、静岡労災病院分の支払を認め、因果関係を争い、目白病院分、南浦和病院分を争う。
同(三)(2)ないし(4)記載の事実を争う。
原告の治療状況は次のとおりである。
(一) 高木外科 昭和四四年九月一九日から一〇月七日まで入院、退院と同時に中止。なお同外科では頭部・頸部治療をうけていない。
(二) 静岡労災病院 一〇月七日高木病院退院後労災病院へ、一〇月八日から感冒・咽頭炎の合併症あり。
一〇月通院七日間、一一月通院二日間、一二月通院一日間、四五年一月通院四日間、一月二四日以降三月二一日まで通院なし、三月二一日から四月六日まで一一日間通院して中止。
(三) 目白病院 四月一三日から四月二〇日まで二日間通院、四月二一日から八月一八日まで入院、退院後直ちに(四)へ転医。
(四) 南浦和病院 八月一九日から四六年八月一七日まで入院。
また当初入院の高木外科においては、入院処置の外脳脊髄液検査・頭部レ線検査等をもしたうえ、脳振盪症・両前膊右胸部・右腎部打撲挫創とのみ診断し、労災病院の検査においては、頸部運動・上肢神経麻痺・頸椎X線いずれも特に異状は認められず(四五年一月二六日付診断書)、同日以後三月二一日まで二月余全く治療に通つていない。ところがその後転医した目白病院では腰椎捻挫が加わり、後遺症を認定した南浦和病院の診断ではX線頸椎著明なる変形・腰椎変形が加わつている。
以上の諸点を考え併せるとき、原告の病状を被告は争うものであるが、もしそれが事実であつたとしても昭和四五年一月二六日以降の分は、本件とは別個の原因によるものであつて、因果関係は存在しない。
なお自賠強制保険は後遺症につき頸椎・腰椎変形を一一級五号、脳波異常・頭痛等を一二級一二号とし、併合して一〇級と査定している。
三 抗弁(被告ら)
本件事故は丁字路交差点を直進しようとした被告と、同所に飛び出してきた原告との双方出会頭の事故であり、原告の過失は大であるから、損害賠償額を定めるにつき原告の右過失を斟酌すべきである。
四 抗弁に対する認否(原告)
抗弁記載の事実は争う。
第三証拠〔略〕
理由
一 昭和四四年九月一九日午前一一時四五分ころ、浜松市寺島町六一七番地株式会社河合楽器分室構内において、被告芳信が運転する被告康子保有の軽四輪貨物自動車と原告の乗つた自転車とが衝突し、原告が傷害を負つたこと、右事故は被告芳信が脇見をして前方の注視義務を怠つた過失にもとづいて発生したことは当事者間に争いがない。
従つて被告康子は自賠法三条にもとづき、被告芳信は民法七一五条にもとづき、各自原告に対し本件事故により原告が蒙つた損害を賠償すべき義務がある。
二 そこで原告主張の損害額について判断する。
(一) 治療費
〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告は、事故直後浜松市佐藤町所在高木外科医院において、脳振盪症、両前膊右胸部右臀部打撲挫創の診断を受け、事故当日の昭和四四年九月一七日から同年一〇月七日まで入院加療し、治療費として金五五、二二三円支払つた(右支払は当事者間に争いがない)。
(2) 原告は同年一〇月七日浜松市将監町所在静岡労災病院において、外傷性頸部症候群、頭部外傷第Ⅱ型、頸部痛頭痛の診断を受け、同日より昭和四五年四月六日まで、通院加療し(なお同年一月一三日、一四日一旦就労したがその後も頭痛を訴えて治療を継続し)、治療費として金七、三〇〇円支払つた(右支払は当事者間に争いがない)。
(3) 原告は同年四月一三日東京都新宿区下落合一丁目所在目白病院において、頭部外傷、頸椎挫傷、腰椎捻挫の診断を受け、同日より同月二〇日までの間に二回通院したのち、同月二一日より同年八月一八日まで入院し、右治療のための投薬、注射などを受けたほか、脳波、血液、心電図その他各種検査を受け、同病院より治療費として金一、二六三、〇三〇円の請求を受けている。
(4) さらに原告は同年八月一九日浦和市太田窪新田所在有隣会南浦和病院において、頭部打撲後遺症、外傷性頸部症候群、頸椎変形損傷、腰椎変形及び腰痛症、三叉神経痛の診断を受け、同日より昭和四六年八月一七日まで入院し、投薬、注射を受けたほか、温熱療法、変形機械矯正術、極超短波療法等の治療を受け、同日頭痛、頸部疼痛腰椎鈍痛、下肢倦怠感、脳波異常など後遺症が固定したと診断され、同病院より治療費として金二、五六四、二七二円を請求されている。
以上の事実が認められ、ほかに右認定を動かすに足りる証拠はない。
そして〔証拠略〕によれば、原告は各病院の治療に不満をもち、最高の治療を求めて転院を繰り返したことが認められる。
右認定の高木外科医院および静岡労災病院において診察された症状は、受傷直後およびこれに引続く診察治療であることに鑑みれば、本件事故によるものであり、原告において右病院に支払つた治療費は全額その治療のために支出したものと認めるのが相当である。なお丹羽信善作成部分については〔証拠略〕によれば、原告は昭和四三年九月一〇日交通事故により受傷し、同月一四日静岡労災病院において頸部外傷第一型、外傷性頸部症候群、腰部打撲の診断を受けて通院治療し、同年一一月一四日治癒しないまま治療を中止しているが、右中止当時症状は軽快に向つていたと認められるから、これが一年後に発生した本件事故による受傷に影響を与えたとまではいえない。
しかしその後の原告の症状治療については、本件事故との因果関係および治療の必要性相当性につき問題がある。
まず目白病院については、原告の症状として高木外科医院、静岡労災病院において診断されていなかつた腰椎捻挫が加えられているが、目白病院における診療録(〔証拠略〕)の内容を検討しても、腰椎捻挫についての症状、治療に関する記載がない。しかも〔証拠略〕によると、同人は同病院長であるが、原告からは特に腰痛についての訴えがあつた記憶がないこと、入院二ケ月後に腰椎のレントゲン検査を実施したが、原告の腰椎には何らの変化もみられなかつたことが認められ、右事実によれば、同病院における腰椎捻挫の診断は誤まりというほかない。そして〔証拠略〕によれば、血液化学検査を九回実施しているが、その必要性に疑問があり、検査所見も本件事故とは関係のない内科的疾患に関連するものであること、又CCF、GOT、GPT、RA、CRPなどの諸検査が再三実施されているが、いずれも肝臓機能、リユウマチ性疾患などに用いられる検査であつて、本件事故による疾患との関係で原告に実施する必要性に疑問があること、さらは脳波検査、超音波診断をそれぞれ五回実施しているが、右検査を五回も反覆する必要性に疑問があること、原告が同病院に入院中特に原告の症状に変化なく、治療による効果として特に指摘できる症状の改善がみあたらないこと、同病院でも昭和四五年五月二九日ころから原告に退院を勧めていたこと、以上の事実が認められる。
次に有隣会南浦和病院においては、頸椎変形損傷、腰椎変形などが診断されているが、右診断の根拠となるべき腰椎のレントゲン検査の結果については、診療録(乙第一二号証)にその記載はないし、当該レントゲン写真の存在を証する証拠もなく、かつ前記目白病院における腰椎に関する診断所見からみても、原告に本件事故による腰椎変形の症状があつたものと認めることはできない。また〔証拠略〕によれば、頸椎のレントゲン検査結果によつても頸椎に著明な変形があるとまでは判断し難く、診療録にもこの点に関する所見あるいは治療の記載がないこと、原告は同病院に対し「原因をつきとめること、最高の治療を受けたいこと」などを要望し、同病院において各種の検査が実施されているが、脳血管撮影の結果異常なしとの所見であるのに更にもう一回実施している根拠が明確でないこと、脳波検査が後遺障害診断書(〔証拠略〕)では四回、診療録(〔証拠略〕)では二回、診療費明細書(〔証拠略〕)では一回とあり検査回数が不明であり、その所見も後遺障害診断書には脳波に異常波型を認めるとあるが、診療録にはそのような所見の記載がないこと、原告は同院入院中しばしば外泊しており、入院治療の必要性に疑問があり、かつ治療効果により症状が著しく改善された状況も窺えないこと、以上の事実が認められる。
以上の認定事実を総合すると、本件事故により原告が負つた傷害は、外傷性頸部症候群、頭部外傷第Ⅱ型、頸部痛頭痛などあつて、頸椎変形損傷、腰椎変形症についてはこれを認めることができず、また目白病院における治療開始以後その症状に顕著な改善は認められず、遅くとも静岡労災病院での治療を中止した昭和四五年四月ころには原告の症状はほぼ固定したものというべく、その後に行われた目白病院、南浦和病院の治療には本件事故による傷害の治療には必要性の認められないものを相当含んでおり、これらの諸点に鑑みれば、両病院において請求する治療費のうち各六割につき本件事故による傷害の治療と相当因果関係を認めるのが相当である。
従つて原告主張の治療費のうち、高木外科医院分金五五、二二三円、静岡労災病院分金七、三〇〇円、目白病院分金七五七、八一八円、南浦和病院分金一、五三八、五六三円が本件事故と相当因果関係のある治療費である。
(二) 休業損害、後遺症逸失利益
〔証拠略〕によれば、原告は本件事故当時株式会社河合楽器製作所に勤務し、事故前三ケ月間の平均月収は金四七、九五四円であり、昭和四六年一月一日以降は通常の勤務すれば一ケ月金五五、七四〇円の収入を得られたこと、原告は事故後昭和四五年一月一三、一四日に就労したのみで欠勤し続け、昭和四六年一二月末日で退職したこと、原告は昭和四七年一〇月以降兄矢吹徳一経営の食堂に勤務し一ケ月三食付で金八〇、〇〇〇円の収入を得ていることが認められる。
しかし、原告の症状はすでに遅くとも昭和四五年四月六日までに固定していたことは前記認定のとおりであり、証人丹羽信善の証言によれば、当時の後遺症は局部に頑固な神経症状を残すものとして第一二級に該当するが治療を継続しながらも積極的に勤労意欲をもつて労働に従事することは可能であつたと認められるから、(1)事故の翌々日である昭和四四年九月二一日より昭和四五年四月六日までの一ケ月金四七、九五四円の割合による金三一四、八九〇円および(2)昭和四五年四月七日以降矢吹徳一経営の食堂に再就職した昭和四七年九月末日まで、昭和四五年一二月末日までは平均月収金四七、九五四円、昭和四六年一月一日以降一ケ月金五五、七四〇円で計算し、労働省労働基準局長通達(昭和三二年七月二日基発第五五一号)に従い、労働能力の一四パーセントを喪失したものとして、金二二三、一七七円を本件事故と相当因果関係のある休業損害および後遺症逸失利益と認定するのが相当である。
(三) 慰藉料
以上認定の諸般の事情に鑑み、本件事故による後遺症につき金四〇〇、〇〇〇円、入通院、勤務先の変更その他につき金一、〇〇〇、〇〇〇円を本件事故により原告の蒙つた精神的苦痛を慰藉すべき金額を認めるのが相当である。
三 次に被告らの過失相殺の抗弁について判断する。
〔証拠略〕によれば、被告芳信は昭和四四年九月一九日午前一一時四五分ころ前記河合楽器分室構内を時速二五ないし三〇キロメートルで進行していたが、右方グランドで芝刈機を操作しているのに目を向け前方不注視のまゝ丁字路に差しかゝつたところ、折から自転車に乗つて左方より進行して同所を右折しようとした原告は右自動車の接近を認めながらその前面を右折できるものと軽信し右折を開始したため右自動車に衝突したことが認められ、従つて原告においても右方の安全を十分確認することなく右折しようとした過失があり、本件事故は双方の過失が競合して本件事故が発生したものというべく、過失割合は、原告が四、被告芳信が六と認めるのが相当であるから、治療費を除き(治療費については、双方の過失割合に従つて相殺すると、判決認容額が当裁判所において相当因果関係ありと認めた治療費の額を大幅に下廻る結果となることその他諸般の事情に鑑み過失相殺をしない)右割合で損害額を斟酌すべく、被告らの過失相殺の抗弁は右の限度において理由がある。
四 従つて本件事故により原告の蒙つた損害は、治療費金二、三五八、九〇四円、休業損害および後遺症逸失利益金五三八、〇六七円、慰藉料金一、四〇〇、〇〇〇円、合計金四、二九六、九七一円となるところ、前記認定のとおり原告の過失を四として治療費を除くその余の損害額について過失相殺すると、合計金三、五二一、七四四円となるが、自賠責保険より合計金一、一〇〇、〇〇〇円、被告らより金三〇、〇〇〇円の支払を受けていることは原告の自認するところであるから右金額を控除すると、損害額は金二、三九一、七四四円である。
五 よつて原告の本訴請求は、被告らに対し各自金二、三九一、七四四円およびこれに対する本件事故の日以後である本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四七年九月二二日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当としてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条九二条九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 竹田稔)