静岡地方裁判所浜松支部 昭和51年(ワ)7号 判決 1976年12月24日
原告
澤田信也
ほか一名
被告
山本敏樹
ほか一名
主文
被告山本は原告らに対しそれぞれ九七万八、五〇〇円およびこれに対する昭和四八年一月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告らの被告山本に対するその余の請求および被告会社に対する請求をいずれも棄却する。訴訟費用のうち、原告らと被告山本との間に生じた分はこれを二分し、その一を原告らの、他の一を被告山本の負担とし、原告らと被告会社との間に生じた分は原告らの負担とする。
この判決の第一項は原告らが仮に執行することができる。
事実
一 当事者の求める裁判
(一) 原告ら
「被告山本は原告らに対しそれぞれ二六九万八、五〇〇円およびこれに対する昭和四八年一月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
被告会社は原告らに対しそれぞれ二五〇万円およびこれに対する本判決言渡の日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。」
との判決ならびに仮執行の宣言。
(二) 被告ら
「原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。」
との判決
二 原告らの請求原因
(一) 事故
昭和四八年一月一四日午前一時頃、静岡県湖西市横山一九九番地先県道において、被告山本が運転する普通乗用車(加害車)が対向してくる訴外斉藤徳太郎運転の普通乗用車(対向車)と衝突し、そのため加害車に同乗していた澤田勝次(昭和二九年四月二七日生)が頭蓋底骨折、脳挫傷などの傷害を負つてまもなく死亡した。原告らは亡勝次の両親である。
(二) 被告らの自賠責々任
(1) 被告山本は加害車を所有し、自己のため運行の用に供していたので、自賠法第三条により同条の「他人」にあたる亡勝次の死亡によつて生じた後記損害を原告らに賠償する責任がある。
(2)(a) 被告会社は加害車につき被告山本との間に自賠法に定める自動車損害賠償責任保険契約を結んでいたので被告山本が加害車の所有者として原告らに対し(1)の損害賠償責任を負担することによつて受ける損害を同被告に填補する責任がある。
(b) 原告らは被告山本が無資力にあるので(1)の損害賠償請求権にもとづいて同被告の被告会社に対する保険金請求権を民法第四二三条によつて代位して行使する。
(三) 亡勝次の死亡によつて生じた損害
(1) 逸失利益
亡勝次は事故当時満一八歳の健康な男子で事故前に株式会社三和商会(静岡県磐田郡豊田町)に勤務していたとき、一ケ月三万八、〇〇〇円の給与を受けていた。そこで同人の逸失利益を六七歳まで就労可能として、生活費を月収の二分の一としてホフマン式(係数二四・四一六)で算出すると、五七六万円となる。原告らは右逸失利益を法定相続分に従い各二分の一づつ相続したので、一人分は二八八万円となる。
(2) 慰藉料
原告らは勝次の死亡によつて多大の精神的苦痛を蒙つたので、その慰藉料は各二五〇万円が相当である。
(3) 填補
原告らはそれぞれ(1)、(2)の合計五三八万円の損害を蒙つたことになるが、対向車の自賠責保険から五〇〇万円、被告山本から三六万三、〇〇〇円の支払をうけたのでこれを各二分の一づつ右五三八万円の一部に充当すると、残損害額は二六九万八、五〇〇円となる。
(四) 請求
よつて原告らは、各自
(1) 被告山本に対し各二六九万八、五〇〇円およびこれに対する本件事故の日の翌日である昭和四八年一月一五日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金
(2) 被告会社に対し保険金額五〇〇万円の二分の一である二五〇万円およびこれに対する本判決言渡の日の翌日から年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(五) 予備的請求原因
(1) 原告らは、被告山本に対する前記請求が認められない場合は、同被告に対しその後記過失にもとづく民法第七〇九条の損害の賠償を求める。
(2) すなわち、被告山本は加害車を運転し事故現場直前を進行中、先行車を追越そうとしたが、前方にはY字型の交差点があり、右交差点内において約二〇メートル前方に対向車を認めたので、対向車線に進入することを避けるため追越を中止すべきであつたのに、そのまま追越を続け対向車に近接してから急にハンドルを左へ切つたところスピードが出ていたのでスリツプして加害車を対向車線に進出させ、対向車に衝突させた。
(3) よつて原告らは、被告山本の右過失により加害車に同乗していた勝次が死亡して前記(三)の損害を蒙つたので、被告山本に対し前記(四)(1)の請求をする。
三 被告山本の主張
(一) 原告の請求原因のうち
(一)は認める。
(二)の(1)の「被告山本が加害車を所有し自己のため運行の用に供していた」ことは認める。
(三)のうち、亡勝次が当時一八歳であつたこと、原告ら主張の填補のあつたことは認める。その他は不知。
(五)の(2)の事実は認める。
(二) 被告山本は事故当時無免許であつた。亡勝次はそのことを知つていて被告山本に運転を教唆し、自らも同乗して、本件事故を惹起させた。そうすると勝次は自賠法第三条の他人に該当しない。また被告山本の過失責任を問うこともできない。したがつて被告山本には賠償責任はない。
(三) (過失相殺) 仮に被告山本に何らかの責任があるとしても、亡勝次にも被告山本の無免許運転を教唆し自分も乗つて事故を起した過失がある。そしてその過失は被告山本の過失と比較し五〇パーセントの割合である。
被告山本の賠償額は右割合で過失相殺されるべきである。
(四) (相殺) 仮に被告山本に何らかの責任があるとしても、本件事故は被告山本の責任と亡勝次の前記過失によつて生じた共同不法行為である。ところで被告山本は対向車にのつていて本件事故で受傷した人達に対し左のとおり損害を賠償することを約して現に分割弁済中である。すなわち、
斉藤徳太郎に対し 五一万三、八九七円
新村容子に対し 二六万八、六二一円
田辺紀子に対し 二五万八、四三六円
高木あい子に対し 一九八万九、七四〇円
その他被告山本は高木あい子らの治療費など七四万五、〇九〇円を支払つた。それら合計三七七万五、七八四円はその二分の一を共同不法行為者である亡勝次に求償できる。そこで原告らに対し右求償債権と被告山本の損害賠償債務とを対等額で相殺する。
四 被告会社の主張
(一) 原告の請求原因のうち
(一)は認める。
(二)の(1)は不知。(2)のうち被告会社が原告のいう責任保険契約を結んでいたことは認める。被告山本の無資力は不知。
(三)の填補された額は認める。
(二) 亡勝次は自賠法第三条にいう他人に該らないから、被告会社は同人の死亡によつて生じた損害を填補する責任はない。すなわち、被告山本は本件加害車を昭和四七年六月一〇日譲受けたが事故当時まで無免許であつたので、日常車を使用していなかつた。そして事故当時もはじめは亡勝次が運転していて、途中で被告山本と運転を交替し、勝次は後部座席に同乗していた。つまり勝次はたまたま事故の時は運転はしていなかつたが、加害車に対する運行支配と運行利益を有しており、運行供用者の地位にあつたもので、自賠法第三条にいう他人に当らない。
(三) 被告山本は当時一八歳でかつ無免許であつたから、被告山本の親権者である両親について、監督義務者としての義務を怠つたことによる不法行為責任と自賠法にいう運行供用者責任がある。だから原告らが被告会社に対し保険金請求権の代位行使をするためには、被告山本の無資力の他に両親の無資力をも要件とする。ところが両親は無資力とはいえないから原告らの請求は失当である。
(四) 被告山本の被告会社に対する保険金請求権は事故の日から二年間で時効消滅した。したがつて原告らの請求は失当である。
五 原告らの反論
(一) 被告山本の主張について
(1) 亡勝次が被告山本の無免許であることを知りながら運転するよう教唆したということは否認する。被告山本は事故当時運転免許試験に合格していて、昭和四八年一月一六日(事故の日の翌々日)には免許証の交付をうけることになつていた。したがつて運転技術の上では免許取得者と同等である。
(2) 過失相殺の主張は争う。
(3) 被告山本がその主張の支払をしたことは不知、相殺の主張は争う。
(二) 被告会社の主張について
(1) 被告山本が加害車を日常使用しなかつたことは否認する。亡勝次が運行供用者の地位にあつたことは争う。勝次は被告山本をドライブに誘い出したわけではなく、はじめは自分が運転していたが、ドライブにいくことになつてからは事故にあうまで一時間半にわたつて被告山本が運転していた。被告山本は当時運転免許試験に合格していて事故の翌々日には免許証の交付が受けられることになつていた。したがつて被告山本の運転技術は免許取得者と同等である。亡勝次はさらに運転を替わる予定もなく、むしろ被告山本が自宅まで運転して帰ることが予想されていた。このように勝次はもはや運行供用者の地位を離脱していたのであつて、自賠法にいう他人にあたらないという主張は失当である。
(2) 仮に被告山本の両親に被告会社のいう責任があるとしても、原告らが被告山本の保険金請求権を代位行使するのに、両親の責任とは関係がない。
(3) 被告山本の保険金請求権は、同人が原告らに損害賠償金を支払うか少くとも被告山本に対する損害賠償請求の判決が確定したときから、時効が進行する。したがつて時効はいまだ完成していない。
六 証拠〔略〕
理由
一 事故
原告らの請求原因(一)の事故があつたことは当事者間に争いがない。
二 被告らの自賠責々任について
(一) 被告山本が加害車を所有し自己のために運行の用に供していたことは、被告山本との関係では争いがなく、被告会社との関係では成立に争いのない乙第四、第五号証と被告山本本人尋問の結果によつて認める。(被告山本が事故のさい自己のために運行の用に供していたことについては反証がない。)
被告会社が原告ら主張の保険契約を結んでいたことは争いがなく、被告山本が無資力であることは成立に争いのない甲第二一号証によつて認められる。
(二) ところが被告らは亡勝次が自賠法第三条にいう他人に該らないというので、その点を検討する。
(1) 成立に争いのない甲第一七、第一八号証、第二〇ないし第二三号証、前出乙第五号証、証人大橋和明、古橋一哲の各証言、被告山本本人尋問の結果を綜合すると、次の事実が認められる。
被告山本(昭和二九年二月二〇日生)は昭和四七年六月一〇日本件加害車を買求めたが本件事故まで運転免許をもたなかつた。もつとも同年一二月七日運転免許試験に合格し、昭和四八年一月一六日(事故の翌々日)に免許証を交付されることになつていた。
亡勝次は事故の一年位前から被告山本と知りあつていた。勝次は昭和四八年一月三日ごろ、自分の車が修理中であつたので、誰かから車を借りようとして、大橋和明に頼み、大橋が親しくしている被告山本に車を貸してくれるよう二人で申入れた。被告山本は昭和四八年一月一六日に免許証をもらうまでは乗らないから、それまでは使つてよいよといつて、貸してくれた。大橋は当時免許をもつていなかつた。勝次は当時家へ帰らず、松浦ら友人五人が借りているアパート(浜松市宮竹町)に寝泊りしていたので、借りた車もそこへ置いて一月一三日まで引続き乗り廻していた。
被告山本は昭和四八年一月一三日夜磐田郡竜洋町から浜松市の勝次の寝泊りしているアパートに勝次を訪ねた。そして勝次から車を返えしてもらうことになり、勝次に運転してもらつて竜洋町の家へ帰える途中、竜洋町のお好焼屋へよつた。そこで十数人の友人達に会い、全員でそこから浜名湖へ遊びにいくことになつて、数台の車を列ねて出発した。被告山本の車には勝次と被告山本らが乗つた。そして竜洋町のガソリンスタンドまで約一粁位は勝次が運転し、被告山本は助手席に乗つていたが、そのガソリンスタンドで勝次が疲れたから代つてくれといつて被告山本と運転を交替した。被告山本は一六日までは運転したくないといつたが勝次から自分の車だからといわれて運転することになつた。そこを出発したのは夜一一時ころで、それから事故にあうまで被告山本が運転し、勝次は後部座席に乗つていた。
途中で被告山本の車が先行の十川の車に追突することがあつた。その場は謝つて済ませたが暫く行つて休憩中に十川から修理してくれといわれ、被告山本は気を悪くした。そのとき被告山本は勝次に運転を代つてもらおうと思つたが、言いだせないで、そのまま運転を続けた。
事故現場はY字型交差点である。被告山本はその手前で先行車を追越そうとして対向車線に入つたが、前方から走つてくる対向車がみえたので、ハンドルを左へ切つた。ところがスピードがですぎていてスリツプしかえつて対向車線へ進入してしまい、対向車と衝突した。
以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。
(2) 右事実によつて考えると、亡勝次は昭和四八年一月三日ごうから加害車を乗り廻し、事故直前に一旦は車を返えすことになつたが途中で友人達とドライブにいくことになつてそのまま運転を続け、途中からは運転をかわつて同乗していたのであつて、乗り廻しているときは単独でその運行を支配し、運行の利益を収めており、ドライブにいくことになつてからもその支配、利益を失つたものとはいえず、被告山本と共に運行供用者の地位にあつたというべきである。(事故当時、勝次が車を被告山本に確定的に返還したとはいえず、またどこかで再び勝次が運転をかわる可能性は残されていた。)そして勝次の運行支配は被告山本に比して必ずしも劣位のものとはいえない。
そうすると、勝次は自賠法第三条の他人に該らないことになる。
三 主位的請求について
上記のとおりとすれば、被告らはいずれも自賠責責任を負わないことになり、原告らの主位的請求は、他の点に論及するまでもなく、被告両名につきいずれも失当である。
四 被告山本の過失責任
被告山本に原告の請求原因(五)の(2)の過失があつたことは当事者間に争いがない。
そうすると、被告山本は右過失により加害車に同乗していた勝次が死亡したことによる損害を賠償する義務がある。
ところで亡勝次は前記のとおり事故当時被告山本と共に運行供用者の地位にあり、かつ被告山本が運転免許試験に合格したばかりで、深夜かなりのスピードで走行し、その間先行車に追突したり無理な追越をしたりして、運転が未熟で慎重さにかけるところがあるのに、被告山本に運転をまかせたまま同乗していたのであつて、そのような事情は過失相殺に準じて被告山本の責任を軽減させるものというべきであり、その割合は後記損害の四分の一とみるのが相当である。
なお被告山本は亡勝次が被告山本に無免許運転を教唆したと主張して、被告山本に責任を問うことはできず、少くとも過失相殺すべきであるというが、教唆したとまでの事実を認めるに足りる証拠はない。
五 損害
(一) 逸失利益
亡勝次が事故当時一八歳であつたことは争いがなく、成立に争いのない甲第八、第九号証、原告信也本人尋問の結果によると、勝次の当時の月収が三万八、八〇〇円であつたことが認められる。そこで六七歳まで四九年間就労が可能として、生活費の控除を二分の一として、ホフマン式により算出すると、勝次の得べかりし利益は五七六万円となる。原告らは勝次の父母として右逸失利益の二分の一づつつまり二八八万円づつを相続した。
(二) 慰藉料
原告らは勝次の死亡によつて多大の精神的苦痛を蒙つたので、その慰藉料は原告ら各二〇〇万円を相当とする。原告らは二五〇万円を主張するが、右限度をこえる部分は認められない。
(三) 減額と填補
原告らの損害は合計四八八万円づつとなるが、前記のようにその四分の一を減額し、残損害額は三六六万円づつとなる。
そして原告らが対向車の自賠責保険から五〇〇万円、被告山本から三六万三、〇〇〇円の支払を受けたことは、争いがない。その二分の一つまり二六八万一、五〇〇円づつを控除すると、原告らの請求額はそれぞれ九七万八、五〇〇円となる。
(四) 被告山本の主張について
被告山本は、亡勝次が共同不法行為者であるとして求償権を行使して被告の賠償責任と相殺するというが、前記のように勝次が被告山本に無免許運転を教唆したとまでは認められないので、勝次を共同不法行為者とすることはできず、相殺の抗弁は理由がない。
六 被告山本に対する予備的請求について
そうすると、原告らの被告山本に対する予備的請求は、原告ら各自九七万八、五〇〇円およびこれに対する本件事故の日の翌日である昭和四八年一月一五日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容する。その余は失当である。
七 結び
よつて原告らの被告山本に対する請求は予備的請求を右限度で認容してその余は棄却し、被告会社に対する請求は棄却することとし、訴訟費用の負担について、原告らと被告山本との間に生じた分は二分し、その一を原告らの、他の一を同被告の各負担とし、原告らと被告会社との間に生じた分は全部原告らの負担とし、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 水上東作)