大判例

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静岡家庭裁判所 平成9年(家)274号 審判 1997年10月20日

申述人 河村智高 外1名

主文

申述人らの相続放棄の申述をいずれも却下する。

理由

一件記録に基づく当裁判所の事実認定と法律判断は、以下のとおりである。

1  事実

(1)  被相続人河村まさえ(以下「被相続人」という。)は、平成6年7月15日に死亡し、相続が開始した。その相続人は、被相続人の子である申述人河村智高、同河村頼久及び申述外河村幸久、同河村大輔の4名である。申述人らは、被相続人にかかる相続が開始したことは、被相続人の葬儀が同月17日に執り行われたことから、その頃には確実に知ったものであった。

(2)  被相続人についての遺産分割協議については、平成7年2月28日付けの遺産分割協議書が存在しており、その協議書によれば、申述人ら両名は、清水市○○×丁目×××番地の1宅地187.07平方メートル及び同所の建物2棟(それぞれ土地建物の共有持分の5分の1)をそれぞれ2分の1ずつを取得すること、申述外河村大輔は、静岡県○○町のマンションの持分2分の1及び有限会社○○○の出資金200口取得すること、同河村幸久は、それ以外の一切の財産及び債務を相続することと記載されている。また、その遺産分割協議書には、申述人ら、申述外河村幸久及び同河村大輔の記名押印があるところ、申述人らは、その協議書に押印した覚えはないと主張するが、申述外河村幸久の長男の俊輔が申述人らの家を訪れ申述人らから押印をしてもらったものと認めることができる。

(3)  その後平成9年3月10日ころ、申述人らは、申述外河村大輔から、被相続人に2億円の連帯保証債務があることを知らされ、急遽同年4月8日本件申述に及んだものであった。

(4)  申述外河村大輔は、以前から肥料の販売を業としていたが、平成5年ころその製造も手がけるべく、静岡市に肥料工場を建設するため、商工中金に融資を依頼し、多少の曲折の後同年7月1日ころ○○鉄鋼株式会社が2億円の融資を受けた。その際その借入れについて、申述外河村幸久、同河村大輔及び被相続人を含む8名の関係者が連帯保証をした。平成5年10月ころから申述外河村大輔は、病気にかかって入退院をしていたところ、○○鉄鋼が平成7年8月ころ倒産し、8名の連帯保証人(被相続人については、相続が開始しているので、その相続人ら)が前記債権を返済しなければならないことになった。結局申述外河村大輔は、債権者である○△から、前記債権について、担保の不動産からの回収が思わしくなかったため、連帯保証人であった被相続人の相続人である申述人らにもその返済を要求すると言われ、申述人らに被相続人の債務についての事情を伝えたものであった。

なお、申述外河村幸久、同河村大輔及び被相続人は、前記の連帯保証をしたことは、申述人らに伝えておらず、被相続人の相続が開始した後も、申述外河村幸久、同河村大輔は、自分らでなんとか返済しようとしていたため、被相続人の遺産分割の協議の折もそれらの事情を知らせていなかった。

2  法律判断

(1)  民法915条1項によれば、相続人は、自己のために相続が開始したことを知った時から3か月以内に、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない、とされている。申述人らは、遅くとも被相続人が死亡した日の2~3日後にはその事実を知ったものであり、そのころ自己のために相続が開始したことを知ったものということができる。

(2)  ところが、前記の事情により、平成9年3月10日ころにいたって被相続人に前記の債務があることを知り、平成9年4月8日当庁に対し、本件相続放棄の申述をしたものであるが、申述人らの相続放棄の申述は、民法915条1項に定める期限を徒過してしまっていることは明らかである。

そこでそれでもなお本申述を受理すべきか否かについて判断するに、本件においては、前認定の諸般の事実に鑑みると、申述人らは、被相続人にかかる相続が開始したときに既に遺産として前記の不動産等の財産が存在していたことを知っていたものということができる。また、前記被相続人にかかる遺産分割協議書の末尾に「右記以外の一切の財産及び債務は相続人、河村幸久が相続する。」と記載されており、被相続人についてなんらかの債務の存在があったことも知っていたものといわなければならない。

以上の次第であるところ、本件申述については、申述人らは、被相続人について、前記の積極財産及びなんらかの消極財産が存在することを認識していたといわざるをえない。そうすると、遅くとも前記被相続人にかかる遺産分割協議書作成の時から、相続放棄の熟慮期間を起算すべきことになり、前記起算時期から3か月以内に相続放棄をしなかったのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、そのように信ずるについて相当な理由があるとはいえない本件においては、申述人らの本件各申述を受理することはできないといわざるをえない。

よって、申述人らの本件各申述は、いずれも不適法であるから、これを却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 桜井康夫)

〔参考〕 抗告審(東京高 平9(ラ)2317号 平9.11.26決定)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

1 本件抗告の趣旨は、「原審判を取り消し、本件を静岡家庭裁判所に差し戻す。」というものであり、その理由は、別紙抗告理由書に記載のとおりである。

2 当裁判所も抗告人らの相続放棄の申述は却下すべきものと判断するが、その理由は、原審判の理由欄に記載のとおりであるから、これを引用する。

なお、抗告人らは、被相続人が2億円もの保証債務を負っていることは知り得なかった旨主張する。しかし、原審判が認定するとおり、抗告人らは、被相続人が債務を負っていることは認識していたものであるし、一件記録によると、右保証債務は形式上は○○鉄鋼を主債務者とするものであるが実質的には共同相続人の一人である河村大輔の事業上の借入を保証するものであって、被相続人と大輔のほかやはり共同相続人の一人である河村幸久も保証人となっていることが認められ、これらの事実関係に照らすと、抗告人らは、相続放棄の熟慮期間中になすべき相続財産についての調査を尽くせば、右保証債務の存在を認識することができたものというべきであるから、右期間経過後にはもはや相続放棄の申述をすることはできないといわざるを得ない。

3 よって、本件抗告は理由がないから棄却すべきものとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 町田顕 裁判官 末永進 藤山雅行)

抗告理由書

抗告人 河村智高

同 河村頼久

上記相続放棄申述抗告事件についての、抗告理由は次のとおりである。

1 原審判には民法915条1項の解釈を誤った違法がある。民法915条1項の「自己のために相続開始があったことを知った時」とは、相続人が、<1>被相続人の死亡の事実を知り、かつ<2>それによって自己が相続人となったことを確知し、さらに<3>相続の承認あるいは放棄の選択が自由になされるべく、相続における基本的判断資料が整い、それを認識できるようになったとき、と解すべきである。

審判例としては、新潟家裁長岡支部、昭和57年10月5日審判が、次のように述べて、同様の見解にたっている。

「ところで相続によって相続人が承継財産を承継する根拠は、これまで主として相続債権者の保護を目的とした『権利関係の安定』に求められてきたが、もともと被相続人の債務であるから、相続債権者は被相続人の財産からの満足を第一にすべきであり、相続人の財産からの満足は僥倖的なもので、この僥倖は相続人の債務承継を認める意思によってのみ偶然的に得られる、と考えるのが現在の個人尊重の法精神に合致するように思われる。

そして、このような考えを前提として民法915条の3箇月のいわゆる熟慮期間について考えると、それは相続人が相続開始の原因たる事実、自己が相続人となったことのほか、消極財産を含む被相続人の財産(遺産)のほぼ全容を知った日から進行する、と考えるのが妥当と思われる。」

これに対し、最高裁(第二小法廷)昭和59年4月27日判決は、上述の<1>、<2>に加えて<3>として、「相続人が右各事実を知った時から3か月以内に限定承認又は相続放棄しなかったのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状況その他諸段の状況からみて当該相続に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、相続人において右のように信ずるについて相当な理由があると認められるとき」「相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時」から熟慮期間を起算すべき旨述べている。

しかし、この最高裁判決では、不運にも被相続人の借金を承継し、自己固有の財産まで奪われてしまう不幸な相続人を救済できない。「相続財産の一部」を認識した場合というと、(ア)積極財産のみ判明し消極財産は判明していない場合、(イ)積極財産と消極財産の一部が判明しており、差引すると積極財産がこれを上回っていた場合、を含んでしまう。(ア)、(イ)の場合、相続人としては遺産はプラスになるとの判断のもと、熟慮期間が経過し、単純承認してしまうことがほとんどであるが、その後に、多額の消極財産が判明し、差引しても消極財産が上回ってしまった場合、もはや相続放棄できないことになる。このような結論をもたらす最高裁判決は不当というほかなく、変更されるべきであると考える。

2 本件では抗告人らは積極財産については認識していたが、消極財産については存在すること自体は認識していたものの、その額は知り得ようがなかったし、知らなかったのである。まさか2億円の保証債務があろうなどとは夢にも思わなかったのである。

被相続人と離れて生活し、交流の少なかった抗告人らにとって、自ら相続財産の調査をすることは容易ではなく、兄弟である河村幸久、河村大輔の話をそのまま信ずるほかなかったのである。河村幸久、河村大輔は2億円の保証債務については抗告人らに一言も説明せず、抗告人らは、若干の積極財産を相続するのみで、消極財産は承継することはないものと誤解し、遺産分割協議書に署名、押印したのである。このような事情のもとで、抗告人らにかくも多額(分割しても金5000万円強)の保証債務を相続させるのはあまりにも酷である。もし、これが認められるならば、抗告人らが、被相続人とは何の関係もなく、個人で営々として築いてきた財産(自宅の不動産、預貯金、退職金など)は、全て被相続人の債権者に取られてしまい、抗告人らの老後の生活設計は根底から突き崩されてしまう。

そもそも、債権者は本来債務者の財産からの給付のみを期待するべき地位にあるのであって、債務者の死を媒介にしてその相続人固有の財産からの給付をあてにすべきものではない。

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